監獄談
@emotion
ワーサルシアター(東京都)
2019/12/18 (水) ~ 2019/12/22 (日)公演終了
満足度★★★
物語は分かり易いが、変わった住人が住んでいるプリズンマンションという場所を設定しているのに印象が弱い。監獄談ならぬ観極淡といったイメージで残念だ。
何となく先読みできる展開は、ある意味 予定調和のようだ。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台セットは、キャスター付の衝立2枚をシーンに応じて左右・前後や回転させたりと自在に動かし状況を作る。また住人の各部屋をイメージさせる扉ボードを役者が持つ程度で、ほぼ素舞台に近い。壁は白く、所々に継ぎ接ぎのような板があり、いわくありげな雰囲気を作ろうとしているが…。
物語は主人公・常盤加奈が大学卒業後も就職活動を行っている場面から始まる。何度面接を受けても採用されない戸惑や不安といった感情、その冒頭シーンは深みある物語を予感させるが…。その彼女が踏切前に佇んでいることから自殺を考えていると誤解され、就職という名目で或る館の管理人を依頼される。そこに住んでいるのは前科者ばかりで、管理人としてどう仕事を行うかということに興味を持たせるが、そこもあっさりと スルーしパッとしない。逆に住人達-ヤクザの大友、殺し屋Léon(映画のタイトルのよう)、薬の売人 船越、詐欺師の姉妹弟、色魔ストーカーの めーたん、おじさん の各キャラが色濃く描かれ、これまた定番と思われるような立退き騒動へ。
先にも記したが、物語は分かり易く描いており、一見 丁寧のように思えるが何となく物足りない。意外性もなく怪しい人々が住んでいるのに不穏・不快・不信といった設定を描き切れていない。そして、あっさり住人達と親しくなり管理人として治まっている。立ち退きを迫る安藤に対して、一癖二癖もある住民をまとめ上げ奮闘する過程を通じて、これ迄の自分の至らない点(性格)を知ることになる。自分は目の前の困難を避け、見て見ぬふりをする。また何でも人に聞き、頼ってばかりという意思薄弱という欠点を自覚する。ここに冒頭の会社面接の場面(不採用)の理由と劇的な意味付けがあるようだ。
この劇団は、以前に「Mad Journey」の公演を観ているが、その時はアクションを含め滋味ある物語を紡いでいたが、本作はそれに比べて印象が薄い。必ずしも派手なアクションを望んでいる訳ではないが、物語としての深み、意外性といった観せる面白さが感じられなく凡庸といった印象に思えたのが残念だ。
次回公演を楽しみにしております。
正しい水の飲み方【全日程、終演いたしました。ご来場、誠にありがとうございました!】
劇団えのぐ
萬劇場(東京都)
2019/12/18 (水) ~ 2019/12/22 (日)公演終了
満足度★★★★
劇団えのぐ×演劇集団TOY’s BOX ×演劇商店若櫻の3団体コラボ公演は出演者が25名と多く、人物描写や関係性、物語の展開が分かり難いようにも思えたが、伝えたいことは理解できた。タイトル「正しい水の飲み方」は、そこにいる人々の思いを暗喩しており、それぞれの心情を吐露する場面は迫力があり観応えがあった。
(上演時間2時間)2019.12.21追記
ネタバレBOX
舞台となるのは、「我田」という街。真ん中に背もたれの高い椅子2脚、四方にいくつかの椅子が倒れている。下手側奥には机のようなものが置かれている。中央の床には横断歩道線。物語が始まると洗濯物であろうか運動会時の万国旗のように吊るされる。その風景は荒廃・退廃といった印象でダウンタウンを思わせる。物語はこの街に住んでいる住人の ある思いであり、その解消手段"水”の効用?である。
人には思い出すのも辛く悲しい記憶がある。それを忘れることが出来る”水”がある。正確には何らかの物質が入っており、嫌な記憶を忘れさせてくれる。何となく麻薬のような危険な香りもするが、それには中毒性がないと言う。例えばアルコール依存やニコチン中毒といった、普通の生活においても何かに依存している症状と同じだと言う。その”水”に依存している人が集まる街で、巻き起こる切ない物語である。悲しい思い出は現実にあった交通事故を想起させる。この事故の記憶に蓋をしていること、そしてフラッシュバックしてしまうこと、そのリフレインシーンは笑いと悲しみが同居していることを感じさせる見事な描き方。
現実逃避、諦めること忘れることを鎧代わりにし、楽しい思い出だけの人生。そんな街-世界から戻ってくることが出来るのか?人の”思い”とはを鋭く問いかける。忘れること、それはその人の存在まで否定しているようで悲しい。しかし描き方は、とても生きづらい世の中、そこに潜む記憶・思い出の中にこそ必要とされるそこはかとないユーモアを漂わせる。底流にある哀惜を心温まる、そして優しさに包んだような松下演出は好きである。
気になったのは映画撮影のシーンである。我田にいた義兄弟、水のせいで記憶が曖昧になっていたが、効用切れで邂逅出来たようだ。我田にいた時の回想・記録映画として俯瞰した位置にあったのだろうか。劇中に挿入されるシーンが分かったような解り難さが気になった。もう少しすっきりできるのではないか?敢えて言えば、大所帯のための出番で、本当に必要な構成・場面であったのだろうかという疑問である。
次回公演も楽しみにしております。
Butterflies in my stomach
青☆組
アトリエ春風舎(東京都)
2019/12/08 (日) ~ 2019/12/17 (火)公演終了
満足度★★★★★
或る女性・ななこ の7歳から77歳までの10年間隔の物語。7人の女優、7脚の椅子という”7”拘りの公演は、上演時間も77分間の人生(あゆみ)。公演は抒情的な観せ方で印象付けが実に巧い。
理屈を言えば、7は数学的には素数であり 自分自身のみ...つまり人の一生はその人自身のものでしかないことを意味する。”7”拘りと関係があるかどうかは分からないけど。
さて、物語は面白いが、卑小と思いつつも気になることが…。
ネタバレBOX
舞台セットは、大きな 縄のれん のような後景、そして椅子7脚。上演前は横一列に並べてあったが、物語が始まると適宜動かし、その配置によって情景を紡ぎ出す。演者は女優7人で、それぞれの年代を演じ分けながら、その時々に登場する他の人物も演じる。7歳から67歳までの10年間隔を、その年代にあった出来事などをトピックとし、77歳で鬼籍という或る女性の一生を描く。
物語は7歳-母親の印象と思い(チラシにある一文)、17歳-恋愛経験と衝撃的な結末、27歳-結婚と妊娠、37歳--小学生の娘との関わり(学芸会)、47歳-実父の看取り、57歳-定年を迎えた夫との関わり、67歳-痴呆の進行といった平凡だが、それだけにリアルに迫ってくるものがある。冒頭は朗読劇のように7人が文庫本?を持ち、さながら回想日記を読んでいるような気にさせる。物語は年代を順々に紡ぐが、場面に応じて椅子に座ったり、その上に立ち上がったり、または周りを回るような動作で、静止した場面は少ない。そこには人生の歩み、立ち止まっている姿(暇)はないといったメッセージのようだ。動的な中に、時々”しゅわわゎ”という炭酸飲料の蓋を開ける時に生じる音のような、それを擬声音で聞かせる。それが浮遊感をイメージさせ、実体がないだけに不安であるが 同時に安らぎも感じさせる不思議な効果をもたらす。この擬声音は他にも波音やカモメの鳴き声など、実に見事に聞かせる。
公演が抒情的に思えるのは、もちろん物語が10年間隔で描かれ、緊密な連続性がないことから詩的な印象を持つこと。そして照明・音響(音楽)といった舞台技術がしっかり計算され、繊細で情緒的な観せ方をするところ。例えば、照明により後景の 縄のれんに人影を映し出すが、微かに揺れている縄筋が人影を妖しくし、77歳の臨終(記憶の錯綜もあり)は、オーソドックスではあるがランタンの炎(命)を消すという行為。音楽は時々の情景に合った選曲をしており硬軟使い分けも良かった。
公演全体としては、脚本・演出・舞台技術はもちろん、女優7人の息の合った演技(ムーヴメントも含め)は観応え十分だ。或る女性の一生であるから、共通した女をイメージさせなければならないが、そこは衣装で工夫をしている。全員が色違いであるがロングフレアースカート、上着は多少形状は違うが白色系ブラウスで統一という細かさ。
最後に気になったのは、57歳のトピックである。夫が定年退職になり家に居ることが多くなり息苦しいような描き。確かに週刊誌やTV番組の話題になることもあるが、他の年代に比べインパクトが弱いような気がする。例えば、女性の身体の変化など、同性には理解でき共感を得、男性には理解し難いことを描き関心を惹くこともできるのでは...。
自分が観た回にアフタートークがあったが、その時に吉田小夏女史が、67歳は実年齢より老けたイメージにしていると語っていた。今の時代は65歳まで就労する人が増え、更には70歳定年延長という論議まで出ている。その意味で時代感覚に合わないような…。
次回公演も楽しみにしております。
時代絵巻AsH 其ノ拾伍 『赤心〜せきしん〜』
時代絵巻 AsH
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2019/12/11 (水) ~ 2019/12/16 (月)公演終了
満足度★★★★★
武田義信が父 信玄に最初で最後にねだった事...そのシーンが冒頭とラストの悲哀場面として回帰する。この公演は近作の源平合戦や前作の関ケ原の戦いのように明確に敵方がいるわけではなく、戦国時代、武田家という武門の宿命を描いた物語。描き方は、乱世の時代とは思えないほどの情感に溢れ、観ている人の感情を激しく揺さぶる。
この劇が素晴らしいがゆえに困ったことがあった。それは両隣にいた女性観客が感極まって中盤以降ハンカチが手放せないほど泣き続け、自分の感情移入より先々に行ってしまう。繊細な感情表現、場面こそ少ないが殺陣、その観(魅)せる物語は感涙も頷ける。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セットは時代絵巻 AsHの定番、正面に少し高さを設け襖障子と廊下、客席との間は中庭のような空間を作り殺陣シーンのためのスペースを確保する。下手側には土庭があり、チラシ絵柄にある白ユリを終演後、暗転から明転(挨拶)するまでの間に咲かせる細やかさ。この白ユリは父 信玄と子 義信の情を繋ぐ象徴のようなもの。
物語は義信誕生から自害までを時代の出来事(合戦など)を通じて順々と展開する。史実のような事実は描かれるが、必ずしも事実が真実とは限らない。その曖昧さにフィクションを持ち込み戦国時代ならではの権謀術数が怪しく描かれる。直接的な合戦シーンは1回(川中島合戦)、時代劇としての殺陣シーンが2回(武田家内の実戦訓練と先の川中島合戦)というのは物足りない。
一方、織田方の3人(徳川、明智、羽柴)の天下統一に関する各自の思惑を通して、(戦国)時代の情勢などを分かり易く説明している。武田家と織田家中の場面を切り分けながら展開することによって、義信という人物よりも「武田家」という”家制度”のようなものが観えてくる。それはたとえ嫡嗣であっても武田家存続のためには犠牲になるという、今でいう不条理が垣間見える。
史実では義信が謀反を企てとあるが、劇では織田家中の場面を通して武田家内紛を画策し、聡明な義信がそれを察し、自ら謀反者になるという設定。展開もスムーズで、山本勘助自害→真田家台頭→「草」登場。身分賤しき「草」と呼ばれる者を使って謀反を流布したのも本人である。「草」のこの任の重要性を見通した慧眼、それゆえ「忍び」の者という呼称、この先の世でいかに重要になるか、その任務のやり甲斐を持たせる心くばりも心情豊かに描く。また父 信玄も義信の心中は察しているが、武田家の当主として苦渋の中にいる。全体的に戦国という乱世にも関わらず、心情ある描き方をしている。
公演は、義信という不運の武将を情感豊かに描きつつも、全体としては戦国という時代絵巻を観せているような印象を持った。ここに史実とは異なる物語性を起こし、さらに主人公が自ら犠牲になることで観客の同情、義憤を掴むという、劇的には巧みな描き方をしている。先に記した殺陣シーンの物足りなさは、時代のうねり、義信の人間的魅力という社会・個人の両面をバランス良く描くことによって余りあるものにしている。
次回公演も楽しみにしております。
「熱海殺人事件」「以蔵のいちばん長い日」
★☆北区AKT STAGE
北とぴあ ペガサスホール(東京都)
2019/12/10 (火) ~ 2019/12/15 (日)公演終了
満足度★★★★
【以蔵のいちばん長い日】観劇
タイトルから察せられるが、幕末に”人斬り以蔵”と恐れられた「岡田以蔵」を通してみた”武士(社会)とは” を問うような物語。もちろん実際の岡田以蔵の人物史とは違い、奇想天外・荒唐無稽な描き方をすることで人物だけではなく時代といったプラスの魅力も引き出そうと…。
本公演は、「熱海殺人事件」「以蔵のいちばん長い日」の2本立であり、「熱海殺人事件」は何度も観劇しているが、「以蔵のいちばん長い日」は今回が初めて。表層的な迫力...照明・音響といった舞台技術や役者の熱演は良かったが、「熱海殺人事件」に感じるような鋭いメッセージ性が弱く、”武士の存在とは”といった階級社会への批判というか皮肉を描きたかったのか(自分の感性の乏しさ)? その表出が十分できていないことが残念だ。2公演並べていることから、単なる(娯楽)時代劇を観せるだけではなく、何らかの訴えを描いていると思うが、考え過ぎであろうか。
とは言え、中核をなす岡田以蔵の魅力ある人物像はしっかり立ち上がっており、こちらは観応えがあった。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは下手側奥に掛け茶屋の縁台だけの素舞台。広くスペースを空けているのは殺陣などのアクションを行うため。
物語は以蔵の史実を追うのではなく、彼の人間性と時代に翻弄された宿命のような描き方。もちろん人斬り以蔵の通り殺人を繰り返すが、その立場は新選組局長・近藤勇と親しくなり、将軍・慶喜の護衛になるなど知られる事実と真逆である。
一滴のしずく
アンティークス
「劇」小劇場(東京都)
2019/12/11 (水) ~ 2019/12/15 (日)公演終了
満足度★★★★
タイトル「一滴のしずく」には続き文がある。それこそが公演の底流にある生きることの素晴らしさ、人間讃歌を思わせる含蓄ある言葉。
少しネタバレするが、物語は民宿 田村の家族やそこに集う人々の坦々とした日常、時として大きな出来事が起きたりするが、それらも含め人生の営みを優しく見つめたヒューマンドラマ。台詞等から海や樹海が近くにあり、にもかかわらず山奥といった静寂も感じられる。そんな環境にある癒しの民宿に自分も行ってみたくなる。
ちなみに劇中に流れる音楽、そして実際 役者が奏でるのは、有名なクラッシックのピアノ曲。その構成(長調)を物語の構成(展開)として擬えているようで、実に繊細な作品に仕上げている。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは民宿内...柱で3分割に区切り上手側奥に障子の引違い戸、真ん中がメインになる民宿の集い空間のような場所、下手側は玄関に通じるスペース。上手側スペースや柱の上に枯れ葉。木の温もりは人の心を豊かに育むような温かさに通じる、まさにこの公演のイメージ通りの造作である。物語は2つの家族を描き分けるため、柱の日めくりカレンダーか柱時計の違いで表現する。後日追記
終わらない世界
ジェットラグ
博品館劇場(東京都)
2019/12/11 (水) ~ 2019/12/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
初日観劇。
タイトル「終わらない世界」は継続または再出発を思わせるようであり、この公演で描かれる 或る女優の栄光と挫折、そして復活・再生を思わせる。演劇に携わる人々の情熱がしっかり伝わる群像劇。
物語の展開は分かり易い工夫、説明にもある小惑星の衝突を回避した人類は救われた...が、地球滅亡の日に人々は何を思い、どう行動するか。その究極の選択を演劇と関連付け、最後まで飽きさせることなく、というか実に心地良く観(魅)せる秀作。
(上演時間2時間)後日追記
ネタバレBOX
劇中劇仕立てで、固定の舞台セットと劇中劇の場面転換という演出の中で小道具等の出し入れをする。公演は、劇中劇の展開という設定であるから暗転が少なく、集中力が逸らせられないのが好い。以降追記
汚れた世界
無頼組合
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2019/12/06 (金) ~ 2019/12/09 (月)公演終了
満足度★★★★
時代がフィクションに追いついたどころか、追い越して嫌な世の中になっている。そんな現代性を秘めた公演、といっても本公演は7年前(東日本大震災時)の再演である。7年経って平穏どころかますます混迷した世の中になってきた。そうした「世の中」を「汚れた世界」として揶揄している。いや事実は小説(芝居)より奇なり、現実に起こっている事の方が遥かに酷いかもしれない。
物語の描き方は映画のシーンを擬ったりし、さながらアクション&ロードムービーといった展開である。全体的にはポリティカル・ドキュメンタリー的な作りで、表現としては在り来たりだが、現代社会の悪政を曝し世の中に警笛を鳴らすような公演...観応えがあった。
(上演時間2時間5分)後日追記
13人の怒れるオカマ
喜劇団R・プロジェクト
遊空間がざびぃ(東京都)
2019/12/05 (木) ~ 2019/12/08 (日)公演終了
満足度★★
「十二人の怒れる男」とは全く関係ない、とは前説での口上。終演後のアンケートに多く記載されているらしく、自分も関連を持たせた公演かと期待したが…。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
ほぼ素舞台、あるのは上手側にベンチがあり、倉橋勝氏が顔を隠すようにして座っているだけ。残りの12人がオカマとしての自己主張をしているだけ?物語としての展開があったのか疑問である。散らばり過ぎて回収が出来ていないといったところ。何となく分かったのはオカマが愛しているのは「中森明菜」と「美輪明宏」、何故この2人を敬っているのか(中森明菜は女心の表現、美輪明宏は長年の女装したご意見番だから)?
我さきに歌いたがる…オカマの世界なのか分からないが、そこに観(魅)せる工夫も感じられなく 稚拙・おふざけといった印象である。全編 中森明菜の歌であるが声量との関わりでオカマの方が歌い易いためか?
終演後、役者に向かって「面白かった」と声を掛けている観客もいたが、自分にはその面白さが、もっと言えば何を描き何を観てほしかったのか解らなく残念。
カケチガイ
Offbeat Studio
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2019/12/04 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了
満足度★★★★
1部上場企業の社長と取引先の平社員が、ある劇的な奇跡で人格が入れ替わり、観える世界観が一変し自らの人生の軌跡を振り返り思う悲喜交々。自分だけの人生が他人に俯瞰されるといった奇知を面白可笑しく描く。
立場や貧富といった違いは明らかだが、2人の男の悩みというか悲哀が共通しているような…。出来ればそこに工夫があれば、なお良かった。
(上演時間1時間45分)2019.12.5追記
ネタバレBOX
舞台セットは四角・三角の昔ながらの色彩ある積み木を歪に組み合わせたような造作。客席は三方にあり、それぞれの角度から観たら違った印象になるのだろうか。立場・貧富差のある男2人の家庭を対極に配置し、真ん中に公園・広場といった憩いの場所を演出する。この場所こそ、それぞれの夫婦の在り方の確認や悩みを吐露する重要な位置を占める。
2組の夫婦には子供がいない。正確には平社員には女の子が生まれたが、何らかの事情で亡くなり、それ以降、妻の喪失感を心埋めできない自分の不甲斐なさ。子は鎹(かすがい)というが、どちらの夫婦にも共通した悩みを負わせたことで物語に広がりがなくなったのが残念。単純交換的な入れ替わりではなく、出来ればどちらかの夫婦に子供がおり、子供がいる生活は煩わしく大変だが楽しいこと。居ないことの気楽であるが味気無いといった異なった環境下における家族(妻や子供)との関わりを描くことで、更に深みある人間(自分)観察ができたと思う。居ることが当たり前といった気軽さ、それを失った時に初めて思い知らされる悲しみ、他人の人生を拝借したが故に気づく本音の人生譚。
シチュエーションは小説や映画でもあり珍しくないが、身近で観る役者の演技...男2人の人格入れ違いによる傲慢、気弱といった豹変する演技が面白い。それぞれが歩んできた人生、その視点が変わることによって生活スタイルはもちろん、考え方や行動にも違いが表れる。経済的な違いはあっても子供の存在は共通した苦悩として描かれる。それぞれの妻の懊悩はそこに尽きるようだ。だから人形を我が子に見立てた奇行、海外旅行へ逃避するような行動の説明に繋がる。男2人の人格交換に止まらず妻との関わりや更にはスナック愛人の妊娠によって新たな人生が…その展開が妙あるものへ。
先に記した舞台美術は既存の形の観方を少し変え、物語における視点の転換を連想させ、積み木のようにいつ崩れ壊れるといった不安定さは夫婦・家族関係をイメージさせる。一見奇抜と思える舞台美術も観る位置(客席)への興味づけ、同時に物語の概観を暗示するようで実に巧みな造作である。また背景に流れるポップな音楽が軽妙で実に心地良い。
次回公演を楽しみにしております。
尻を見てしまう
ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン
上野ストアハウス(東京都)
2019/12/04 (水) ~ 2019/12/10 (火)公演終了
満足度★★★★★
3話オムニバス...小劇にして衝撃的な笑劇。公演はこんなつまらないダジャレではなく、どの作品も観客の気を逸らさず楽しませてくれる、その一言に尽きる。まずタイトルが「尻を見てしまう」「背徳令嬢肉奴隷」と過(刺)激的、そして「テオリ」、このタイトルだけがイメージ出来なかったが、観劇してなるほどと納得。表層的には疲れた神経を休めるにはうって付けの娯楽劇である。同時に、その底流には少しの不安・迷いと微かな希望が観えてくる、そんな人の機微に触れる珠玉作。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは、それぞれの物語を形作る最小限の小道具。その理由は、オムニバスの話と話しの間の暗転(時間)によって観客の集中力を失わないよう短時間で行う配慮。
第1話「尻を見てしまう」
第2話「背徳令嬢肉奴隷」
第3話「テオリ」
物語はオムニバスで小説で言えば短編小説にあたる。短い話の中に込められた思いを過不足なく描く力量が必要。前作が連作とすれば、今回はそれぞれに関連性は見い出し難く、作品ごとの面白さが凝縮されている。
フィクション
JACROW
駅前劇場(東京都)
2019/12/04 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
初日観劇。
2023年の日本。東京2020オリンピック・パラリンピックの賑わいから3年が経ち、経済は失速し閉塞感に覆われた状況を3組の家族の観点を通して描いた物語。構成はオムニバスのように観えるが、底流にあるのはオリンピックという祭に躍った国家・社会的な疲弊感と、家族という個々人の生活を通じて描かれる空虚な思いが重層的に立ち上がってくる力作。
(上演時間2時間)2019.12.5追記
ネタバレBOX
舞台セットは、下手側奥へ変形した空間を作り、最奥は石壁で行き止まり、その前に切出し石が積まれている。また舞台斜め奥に向かって等間隔に焼け柱が立っている。全体的に衰退感が漂う。セットは経済状況の行き詰まり、人心の空しさを表しているようだ。その意味でセットは作り込まず、隙間という空間が物語の概観を示す。
3組の家族(親子、兄弟姉妹、夫婦という関係)は東京・蒲田、北海道・札幌、千葉県・木更津といった場所、仕事も職人、料理人、コンビニと区々である。場所や職種に関わりなく、日本全体の状況を示す。経営事情が逼迫すると弱き者へシワ寄せが…まず外国人労働者、悪評者などが解雇対象にあがる。この公演はオリンピック後の日本経済の衰退を身近な庶民を通じて描いているところが秀逸。実生活を通じて痛感する、その痛みが切実に伝わるからである。もちろん大局的観点から描くこともできるが、その場合はこのオムニバス構成には馴染まない(分断した大局観になるため)。
当日パンフに記載された脚本・演出の中村ノブアキ氏のご挨拶には、「取材を元に構成した3話オムニバス形式のノンフィクション」とある。3編には「続ける」「越える」「認める」という副題があり、何となくそういうことなのかと認識できる。3編は独立し、入れ子のように上演されるが、最後には緩く繋がってくる。バラバラのように描くが、どこかで繋がっているのは個々人の生活は誰かとの関係で成り立っている。もっと言えば人(家族)は1人で生きている訳ではない。
さて、「認める」(木更津が舞台)編では2023年から観た2019年の台風19号を連想した。暴風雨による事故のためコンビニ店社長の父と妻が亡くなる、その回想シーンのようでもある。オリンピック後の閉塞と併せて、どうしょうもない苛立ちと空しさを感じる。鳥の俯瞰した目の描きよりも地を這いずり回る虫の目から描いた力強さ。その時代は今より更に不寛容になっているかもしれないが、3編に共通して子供を登場させることで微かな希望が…。妻が自分以外の男と関係し妊娠した、再婚相手の娘が先妻にだんだん似てきた、不良だった男の子を身ごもり、とそれぞれ事情は異なるが産み、育てる決心をしている。そこに”経済”といった不測に対する人の寛容で...実に観応えがある公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
Dear...私様
グワィニャオン
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2019/11/27 (水) ~ 2019/12/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
千穐楽観劇。
人の死は、その人の記憶が無くなった時に本当の意味での”死”である と聞いたことがある。そして、何故かこの公演は”デゾンデートル”という言葉を思い出す。
物語は、昭和という時代背景、東京都八王子市という都心とは少し違う街、そこで暮らす1人の男の記憶というか心の彷徨、そして邂逅劇といったもの。
再々演ということだが、初演は観逃したが再演は観ることができた。その再演で「グリーンフェスタ2014 BIGTREETHEATER賞」を受賞しており、まさに劇団の代表作である。改めて40回記念公演として観たが、昭和(設定)から令和へと時代は変わったが、良い作品は時代を超えてもやはり素晴らしい。公演スケジュールを見ると、全公演回とも完売で、自分が観た千穐楽は増席するほどの盛況ぶりだ。
そんな素晴らしい公演であるが、1つ気になったことが…。
(上演時間2時間5分)後日追記
ネタバレBOX
主人公 並木秀生(少年・青年・中年期を3人の役者で演じ分け)の実両親は、彼を残して自殺した。その原因は借金苦のようであるが、その取り立てを行っていたのが育ての親ではなかったんだろうな、という疑問である。実親の死と元ヤクザの育ての親との間に因果関係があると物語の根幹に関わるような気がするため。終演後、主宰で脚本・演出、そして伸郎おじさん役で出演した西村太佑氏と話をした時、聞こうかと思ったが躊躇してしまった。たぶん、そんなことはないという否定の言葉が返ってきただろう。物語の背景は昭和50年代、その頃は暴利のサラ金(闇金融)による被害が多発し、借金取立てには暴力団関係者が多くいたと聞く。昭和53(1978)年に全国サラ金問題対策協議会が発足するなど大きな社会問題になっていた。因みに舞台セットに電柱があり、そこに庶民金融 山上商事の看板を貼り付けるなど細かいところまで観せる。
FOOLS PARADISE~愚者の楽園
舞台芸術創造機関SAI
江古田兎亭&アトリエⅢプレイズ(東京都)
2019/11/22 (金) ~ 2019/12/02 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
久しぶりに観るアングラ劇系、この劇団の紹介には「演劇の娯楽性と実験性の共存を追求」とあり、まさしく謳い文句通りの面白さと志向性が感じられた。まず舞台セットはダンボールの柱を始め新聞紙が天井や壁面を覆い、それらが散らばったゴミ屋敷のイメージであり、概観は妖しげであり退廃的な雰囲気を漂わす。物語は次々に変容し、そして破壊し再生するような変幻自在といった展開である。その壊して創るといった流れが実験性とも思える。公演は、狭い空間に役者の独特な演技スタイル、紙粉舞うような環境下、そこに舞台・客席といった明確な境界があるような無いような曖昧さ。もしかしたら接触するかもという、妙な緊張感や迫力を感じられるところが好みだ。演者9名、観客8名、超至近距離による濃密な公演、十分堪能した。
なお、この公演の独特な世界観は万人向けかどうかは…。
(上演時間1時間30分)2019.12.3追記
ネタバレBOX
少し気になったのが、舞台における砂被り席。舞台は地下入口から左右に分かれ、右にメイン舞台、左が役者の出入口と細長い空間の真ん中に花道(通常家屋の廊下幅程度)のような通路があり、そこを使用し演技が行われる。客席はその花道両側(客席が3~4人づつの相向かい)にパイプ椅子、身を乗り出そうものなら役者と接触し演技を邪魔することになる。先の砂被り席はメイン舞台の真横で、一番 物(新聞紙やダンボール箱など)が飛んできそう。刺激を求めるならお勧めだが、花道での演技、特に役者出入口近くでの演技は見切れになるような気もした。それでも砂被り席にも座ってみたかった。
もう一つ気になったのが、映像シーン。物語の中でヤクザ廃組の「先代ボスの使いクモ」として大島朋恵サンが映像出演するが、その画質が粗いこと、細長い舞台(花道)であることからプロジェクターの映写角度というか映写範囲に役者が被り観難い所があったのが残念。一方、社会というか世間との繋がりとしてラジオ番組が流れるが、こもだまりサン/有栖川姫子サン/の音声出演は明確に聞こえる。ここに映像・音声の舞台技術の扱い方の丁寧さ違いが出てしまったのが勿体ない。
物語は変容するが、それほど複雑ではない。工事現場で働くミダレはアルバイトをしながら役者を目指している。彼にはスグハという同棲相手がおり、彼女もまた声優を目指している。ある日、ナギという関東暴力団・廃組組長の娘からミダレは組長代理を演じてほしいと依頼されるが…。ナギから「廃組のボスは暗殺された」と聞かされ、いつしか組長暗殺を巡る陰謀と、日常生活とが交錯する中でミダレとスグハ2人が描いた夢のカタチが歪んでいく。現実と非現実・虚構の世界がサスペンス風に描かれ視感するといった感覚である。
『微かなひかりに満ちている』
Antikame?
劇場MOMO(東京都)
2019/11/28 (木) ~ 2019/12/02 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
モノローグからダイアローグへ、その演劇技法を変化させることによって心の内面を見つめる自分、更に他者との関わりの中で生まれる感情を静謐かつ繊細に描いた物語。冒頭は朗読劇かと思われるような横並びの登場であったが、舞台上にある箱馬6個を回ったり、腰掛けたり、その上に立ち上ったりして状況表現を行う。静謐と記したが、役者の台詞が聞き取れる程度に音響(例えば騒音、共鳴などの効果音)を入れることによって、何となく社会と繋がっていることを連想させる。
公演は、動きが少なく役者の独白や対話と言った台詞中心の芝居であり、その言葉は心象的な感情表現であるため理解が追い付かない。その意味で、語弊があるかもしれないが観客の鑑賞眼を試されているような…。人それぞれの感性は異なり、紡がれた物語(演劇技法も含め)をどのように受け止めるかは観客次第。そんなチャレンジングな公演は観る、そして聞き応えがあった。
(上演時間2時間)
美代松物語
劇団芝居屋
ザ・ポケット(東京都)
2019/11/27 (水) ~ 2019/12/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
日本のどこかにありそうな原風景を背景に、これまたどこにでも居そうな人々の暮らしを描いた秀作。原風景は停滞・衰退といった地方都市、いわゆるシャッター商店街を連想させ、どこにでも居そうな人々は、突拍子もないキャラクラーの持ち主も現れず、自分の身近にいる人々が舞台に居る。説明では北国だが、劇中の台詞から北海道の海辺の街といったところ。冬場の北国、寒風吹く様子の音響効果、身震いする役者の演技が本当に厳冬季を思わせる。物語は以前に上演された「料亭老松物語」と連携しているが、今作はタイトルにある小料理屋「美代松」での見せ場が多い。冬場、閉塞といった澱んだ雰囲気を漂わせているが、そんな中にあって「ロミオとジュリエット」を思わせるような恋愛沙汰を取り入れ、微笑ましく和ませる。
脚本の力強さ、音響・照明といった舞台技術の巧みさ、そして役者の確かな演技力、その全てが調和した見事な公演。上演時間2時間を超えるが最後まで集中できる観応え十分な作品である。まさしく劇団芝居屋の真骨頂、「覗かれる人生劇」を楽しむことができた。
(上演時間2時間10分)2019.11.30追記
ネタバレBOX
冒頭、料亭老松の座敷での日本舞踊によって観(魅)せる掴み。
舞台セット老松の女将部屋、小料理屋・美代松、街路といった場面が手際よく転換していく。それは瞬時に情景を観せることによって観客を物語の中に誘う。もともと役者の演技力も確かな上に、作り込んだ情景を観せることで気を逸らせない。
物語は料亭老松の女将と以前この料亭の板前で女将の許婚だった男、それがある事情で破談になる。それ以来疎遠な関係になるが、それぞれの娘と息子が恋仲になる。これだけ観れば北海道版「ロミオとジュリエット」といったイメージだが、これに料亭の経営(高利貸しが絡んだ経営危機)や地域活性化といった庶民の暮らしが描き出される。まさしく芝居屋のスローガンそのもの。
全体を通して分かり易く、現実にもありそうな物語。それに現在の地方都市が抱える地域事情を絡め、しかも人情と義侠ある人々で豊かに紡ぐ。その現実を丁寧に描く公演は観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
ピラミッドのつくりかた
雀組ホエールズ
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2019/11/27 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
表現し難い「芸術論」、その観念的、抽象的に語られることについて、いくつかの観点からアプローチして形象化して面白く観せる、笑劇にして衝撃的な公演。テーマ「芸術論」に真っ向から取り組み、説明し難いことを物語の中に落とし込み、話の展開の中で観客の心に問いかける。公演として主張しつつ、一方 人にとって捉え方の違う”論”、それをエジプト・ピラミッドという悠久の歴史と壮大な建造物を媒介として描く。その時間的・空間的な自由度と伝統・格式と言った不自由度を縦横無尽に切り取り、”芸術”とは何かを解き明かそうと…。
脚本の骨太さ、最後まで緊張と弛緩を繰り返す巧みな演出、その相乗が見事に功を奏した秀作。
(上演時間1時間50分)後日追記
酔いどれシューベルト
劇団東京イボンヌ
Route Theater/ルートシアター(東京都)
2019/11/27 (水) ~ 2019/12/01 (日)公演終了
満足度★★★★
偉大なる音楽家、シューベルトの苦悩と栄光に隠された秘密を、彼の夭逝と作曲数の多さに着目した東京イボンヌの代表作。この演目は何度か再演しているが、本公演は完全リニューアル版という。彼の音楽に捧げている人生を苦悩と焦燥に駆られた姿を通してリアルな芸術家像として描いているが、その苦悩の過程を身近に観ている恋人からすれば、音楽など諦めて地道な仕事をしてほしいと願って...。そこに音楽に魅せられた栄光と悲哀を観ることが出来る。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
上手側はバーのテーブルと樽椅子、下手側にカウンターを作り物語の展開を促す場所としての役割を担う。舞台全体は焦げた平板を組み合わせたような壁・床で、その色彩は落ち着いた雰囲気を出している。そして、場面によって印象付を強調するため正面上方から照明を諧調させるなど巧い。
梗概...シューベルトは恋人との結婚を望んでいるが、なかなか世に認められる曲が作れない。そんな悶々、苛立ちの中にある。一方、恋人は家族(父の医療費、妹達の生活費)のために心ならずも金持ちバロンへ嫁ぐことを決心する。シューベルトの落胆と恨み、そんな時、酒場に悪魔が現れ、美しい曲をプレゼントする代わりにシューベルトの寿命(1カ月)を縮めるという。悪魔の誘いに乗り、多くの名曲を残したが...。寿命があと1カ月になった時、恋人の真心を知り、また自分自身による作曲でないことへの絶望が切ない。
バロンの呟きは「金持ちになる秘訣は、悪魔に魂を売ることだ」というもの。世に認められる曲のために、1曲につき寿命1カ月を悪魔にさし出す、という契約が成り立つ経緯である。
さて、もともと悪魔などは存在せず、自分の心に巣くうもの。恋人はシューベルトのため神に祈っていたが、その行為こそ神との対話であるという。神も悪魔も自分の心の中。今まで作曲したものは全て自分の力であり、まさに命を削った結晶である。荒み焦り余裕のない心の隙に入り込んだ己自身の弱き邪悪な心との葛藤という姿が浮き彫りになる。
今までに観た「酔いどれシューベルト」は規模こそ違うが楽団を従え、生演奏を聴かせて”音楽という世界観”を舞台全体で感じることができた。この公演ではストレートプレイにリニューアルしたことで、よりシューベルトの人間性と時代背景に焦点を絞っているが、彼の音楽家としての観る・聴かせるという両方の魅力は伝えきれない。
この劇場規模では難しいが、やはり”音楽の世界観”が存分に味わえる演劇技術、特に音響には”聴かせる”という魅力が演出できればと思っている。ラストに流れる「アヴェマリア」は物語の底流にある人間讃歌、その心象付けといった効果をもたらしており、このようなシューベルトの歌曲も劇中歌に挿入するような工夫がほしいところ。
次回公演を楽しみにしております。
栗原課長の秘密基地
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2019/11/20 (水) ~ 2019/11/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
物語の梗概は、ビジネス情報誌の編集長から児童文学部門に左遷された栗原課長の初仕事は、伝統ある「きつつき賞」の授賞式。受賞者、審査員が揃って15分で終わる予定の式だったが次から次へと…説明に記載されている。表層的にはコメディタッチに描きながら、その底流にある人の悲喜交々とも言うべき人生模様が浮き彫りになる秀作。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台は陵文館主催の平成14年 第18回きつつき児童文学大賞授賞式会場。正面に横長テーブルと椅子、上手側にパイプ椅子3脚、下手側にも横長テーブルと椅子が配置され、壁には時計が掛けられている。自分が観た回は13時45分を示し、終わったのが15時45分で上演時間2時間を表す。15分の授賞式が2時間に及ぶことになった展開を面白可笑しく順々に展開するため、観客にとっては分かり易い。同時に授賞に係る様々な不条理が描かれることによって栄誉(ここでは児童文学賞)の選考とそれに関わる人々の悲喜交々がしっかり描かれる。特に”児童文学”と"大賞”という設定が上手い。単に”文学賞”、”新人賞”であれば、清濁併せ吞む大人の世界も、児童文学ともなれば 純真な子供への読み聞かせとなり下手な小細工は通じない。また新人賞では書き直した作品に対して課長が下す「該当なし」判断が難しくなる。
タイトルにある栗原課長は、ビジネス情報誌の敏腕編集長だったようだが、不倫相手からセクハラの噂を流され左遷という経緯。出版業界の厳しい経営環境下を背景に児童文学部門はこの賞の存在(権威)に負っている。その授賞を巡って二転三転し漂流した揚げ句の結末は、課長の会社での立場を危うくするだけでなくリストラという人生そのものが破綻するかもしれない。このセクハラに関しては事実ではないことを受賞者・受賞作品の疑惑になぞらえながら展開して行く。脚本の力と演出の工夫、この絶妙なバランスが本公演の魅力だと思う。
出版社は利益を上げること、読まれる児童文学書を発刊するという二面を持つ。社で働く編集者と選考委員、受賞者、さらには読者代表者といった立場の異なる人々の正論、思惑や裏工作が実に面白く描かれている。その人物設定の上手さ、課長を始め児童文学部署の隆盛、選考委員としての名誉と報酬、推理小説家志望で何年も落選し続ける男、そして児童文学が本当に好きな大賞受賞者、AV女優で佳作入選者、そして賞に恵まれなかった児童文学小説家などがその立場や本音を激白していく。そこには児童文学の心が置き去りにされ大人の事情が優先する矛盾や皮肉。その人物の座る位置や、受賞席における弱腰、一転して下手側の控え席での本音・暴露発言といった違いで「忖度」的な態度が垣間見える滑稽さ。
さて、上手壁に掲げられている平成14(2002)年は、電子書籍配信が始まっていたり、ハリー・ポッター賢者の石ほかシリーズも始まった。公演の中でも人気シリーズにあやかった児童文学作品が現れないかと言った台詞があった。世相を反映させた観せ方も上手く、「平成14年」部分は貼り紙のようで、もしかしたら違う日・時間帯(ソワレ、マチネ)では別の年代が...。
最後に、秘密基地は子供の頃の遊び場であり思い出の場所。同時に逃げ場であったかもしれない。しかし公演では、心に残っていた児童書を通して生きる”勇気”を得た場所にもしている。自分にとっては、実に心地良い結末だった。
次回公演を楽しみにしております。
シェアハウスカムカム
劇団娯楽天国
ザ・ポケット(東京都)
2019/11/20 (水) ~ 2019/11/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
名前も顔も一致しなかった住人達が打ち解けた頃、立ち退き騒ぎが起こり何とか阻止したいと立ち上がったが…。笑劇にして衝撃的な面白さは観応え十分だ。
(上演時間2時間20分)
ネタバレBOX
カフェ ラッキーカムカムという看板が上手側に掲げられ、往時の雰囲気を残すカウンター。正面に和室(障子)、このハウスの出入口、下手側に1室、トイレ、下手客席寄りにソファー、楕円テーブル。2階への彎曲階段があり、途中で別れ幾つかの部屋がある。随分と凝った、そして丁寧に作り上げたセットである。このシェアハウスの住人たちはお互いの顔もよく知らず、ましてや素性など知る由もない。しかしこのレトロなシェアハウスには、存亡の危機が迫っていた。
全体的な雰囲気は昭和時代を感じさせる。まず劇中流れる曲が「リンゴの唄」「上を向いて歩こう」等、そして住人達の騒ぎようがバブル全盛期のようで、ディスコ風の派手な衣装、また戦時中の空襲と連動させた穴掘りシーン、これらの背景が舞台セットのレトロ感と相まってそう思わせる。何より立ち退きの理由がバブル期の地上げのような損得 勘定ならぬ感情が蠢くところ。
コメディタッチとしては、色々な笑いネタ、例えば外見だけで言えばガングロ女(随分前に流行ったメイク)、他人に成りすまして住みだした男の誤解による非合法植物栽培のドタバタ等が騒々しく描かれる。物語の魅力は個性豊かな住人達の1人ひとりのバックグラウンド(酒乱で暴力を振う夫から逃れる、不法滞在ベトナム人など)を丁寧に説明し、騒がしさの中に哀愁を漂わせる人間描写。そして”家”は、住む場所としての在りようから”思い出”という何物にも代えがたい存在であることを強調する。そこに今を生きる住人達と過去からの思い出を共にしてきた老人の心が通じ合い、さらに行くところがないという共通の問題-立ち退きに抵抗する滑稽な、そして切実なる姿として描き出す。
先に記した老人-このハウスの大家の叔父にあたる人物が夜な夜な床下に穴を掘る。実はこのハウスは男の育った家であり、家族との思い出の場所でもある。その住人達とハウスを取り壊すことに抵抗するが…。穴を掘る理由は戦時中のトラウマ。防空壕として家族を守ると同じ感覚で、ハウスに住んでいる人々をミサイルの脅威から守るという使命感のようなもの。何となく現代のきな臭い状況が垣間見えてくる。この件は、笑いの対極のような泣ける感動シーンである。この笑い泣きのバランスが絶妙で感情を上手く揺さぶる。
次回公演も楽しみにしております。