タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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刹那的な暮らしと丸腰の新選組

刹那的な暮らしと丸腰の新選組

グワィニャオン

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2020/11/26 (木) ~ 2020/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

歴女の回想形式で展開する幕末伝_新選組の人間模様を中心とした歴史と今の出版業界の在り様、過去と現在を往還させ軽妙洒脱かつ鋭く描いた好公演。”生きてこそ”をしっとり感じさせる物語は、その後の新選組(隊士)と定年後の第二の人生を…生き様に悲哀も付きまとうが、それ以上に力強さを思わせる人間賛歌。実に見事な公演であった。
(上演時間2時間 途中休憩10分含む)
2020.12.1追記

ネタバレBOX

舞台セットは劇団らしくしっかり作り込む。上手側に和室、二階を設え上り下りの動作に躍動感を持たせる工夫。下手側は黒板塀と出入り口。和室には「差し向かう心は清き水鏡」の横軸。場面に応じて和室が池田屋になったり新選組の屯所だった八木邸を思わせる。先に舞台技術にも触れておくが、幾何学的模様を描く照明(何となく落ち葉の重なり合い)が、表現し難い心の在り様に代わって照らしているようだ。また音響は重厚とポップな音楽を場面ごとに使い分け、場面の演出効果を高める。

説明から、某出版社に入社した新人女子社員が一冊の本に目を通していた。それはその出版社によるベストセラー・新選組本である。内容は新選組隊士たちが抱える苦闘と知られざる日常を章立てに描いた短編。新選組のことに全く無知な新人女子は、ページをめくりその世界へ...。新選組の日常を描く短編と新選組歴女たちの溺愛妄想が爆発するオムニバス舞台。
現代から幕末を回想というか夢想_新選組が時代の奔流に立ち向かった状況を、隊士の日常を通して人間臭く描く。描く人間も新選組でも有名な近藤局長、土方副長、沖田、永倉、藤堂などの各隊長だけでなく、無名の平隊士の言葉をもって紡ぐ。

一方、現代の出版業界の変容_本が紙媒体から電子媒体へという変化の中、紙の感触やページを前後させることで時代の流れを感じる、憂いにも近い描き。同時に先の新選組本の編集に携わった編集者(現幹部)の諦念⇒定年後の心配をする現実感を皮肉、ユーモアをもって語る。大政奉還後の新選組隊士の生き方と出版者の幹部連の行く末に重ね合わせる。
公演の魅力は、先に挙げた有名人物だけではなく、むしろ歴女が好意を示した平隊士の視点というユニークさ。多くの人物が出会い交流し、それぞれが幕府に忠義を尽くす。この一点に収斂する。一方、現代では燃え尽き症候群のように怠惰な状態を対比する。新選組に興味もなかった新人女性がその歴史の面白さにハマる、その状況や立場等の違いを書の章立てーオムニバス的に描く構成の巧みさ。

群像劇であるが、1人ひとりの人物像がしっかり描かれ、脚本は現在への時間続き(経過)の中で物語を過去・現在を巧みに繋ぐようなシンボライズの上手さが真骨頂。演出はアップテンポ、軽妙洒脱なシーンとシリアスなシーンを描き分け、物語に緩急と硬軟を巧みに組み合わせ、観客の意識を刺激し続ける。
物語の底流には、人の優しさ温かさを感じさせる。そんな時代を超えた人間賛歌…見事でした。
次回公演も楽しみにしております。
月曜日の朝、わたしは静かに叫び声をあげた

月曜日の朝、わたしは静かに叫び声をあげた

甲斐ファクトリー

王子小劇場(東京都)

2020/11/25 (水) ~ 2020/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

人間心理の残酷さ脆さを掘り起こすタブーを描いた異色作。心・脳内ーその記憶喪失と記憶再生を斬新に”視覚化”した異色のサスペンス劇といった印象である。多くの文学作品を思わせる台詞、例えば「今日も太陽はムダに輝く」等は有名な小説を示唆している。ある指向性を思わせるが、表層的には若い女性の心象風景_毎日変わらない当たり前の暮らしが一変する。この変化も有名な小説をイメージさせる。公演は、2つの物語を並行と交錯によって重層的に描こうとしているが、その関連性が少し弱いような…。
それでも根底にあるのは、「人間」への限りない興味、そのことを十分に思わせる作品だ。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台は大小4つのBOX、それを場面に応じて配置や向きを変えることで情景や状況の変化を表現させる。物語はコロナ禍のオフィス、そこで働くベテラン営業社員が突然他の女性に自分の人生を奪われる。自分の名を名乗り、会社同僚を始め恋人にまで無視される。自分は何者なのか?アイデンティティを奪われた悲哀、喪失、絶望が記憶の扉を閉じる。

同時(並行的)に、自分らしさ、性癖(女装趣味)や性好み(同性愛等)などマイノリティの課題を描くこと、この2つの物語は自分自身と向き合う といった共通項は観られるが、その関連性というかストーリーの絡みが、互いを支え合ったように思えない。それぞれが独立した2つの物語という印象が強く、重層性を抽出しきれなかったのが残念。とは言え、物語るサスペンスフルな描き方は巧みだ。イメージの喚起力ある構成だけに、2つの物語が有機的に関連付けできれば もっと印象深い作品になっただろう。

物語は学生(小学生か中学生?)時代、何気なく発した言葉によって傷つけられた女性が恨みを晴らすため、当人の人生を奪うといった復讐劇であるが、何となく逆恨みのような展開_過剰反応、ナルシスト的な思いが暴走し…。
コロナ禍の職場状況を垣間見せ、従来の半拘束的勤務形態(通勤時間む含め)と今 ソーシャルディスタンスという名目でテレワークが導入。今までの不自由さから解放され、ある程度自由度が広がった現況、自由時間が多くなった分、いろいろな事を思い巡らす。その中には嫌な思い出等、嫌悪・非情が露出する、ある種のノワール劇といったところ。

キャストは総じて若いが、その中に時代劇であれば口入れ屋的な存在の男が実に飄々とした振る舞いと とぼけた味わいが印象的であった。登場人物は個性豊かに演じており、全体的にはバランスよく表現していたと思う。
次回公演も楽しみにしております。
You'll Never Walk Alone

You'll Never Walk Alone

青春事情

ザ・スズナリ(東京都)

2020/11/26 (木) ~ 2020/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

観客を楽しませよう、応援しようとする、そんな温かみを感じさせる公演。まさしく”僕らはひとりぼっちなんかじゃない”が実感できる好公演。
「サッカーのサポーター達の悲喜こもごもを、実際にスタジアムで歌われる応援歌(チャント)に乗せて贈る、青春事情的ミュージカルコメディー!!」の謳い文句通りの面白さ。

この公演の観せ方は、サッカー観戦を通じて三方向の観点を思わせる。第1は物語としてサッカーフィールド内への応援風景、第2は、舞台のスタジアムスタンドから客席に向けた応援、第3に物語にも出てくる街興し。物語としての観せ方は当たり前かもしれないが、第2の観点は、サッカースタジアム、通称:味スタのスタンドで応援するサポーター、その姿を通してコロナ禍の疲弊、閉塞した状況を少しでも明るくしようとする熱狂ぶりが客席への応援歌に思えたこと。第3の街興しは、2011年_第2回せんがわ劇場演劇コンクールのグランプリとオーディエンス賞のW受賞との説明。たしか第3回目までは「調布」という地にちなんだテーマを持つコンクールであったことから、本公演も登場人物の前向きな姿と同時に地域の街興しを思わせる場面があったと思う。コンクールは、上演時間40分内という制限があったと思うが、本公演は新たなシーンを加えての再演だ。コロナ禍での再演は、いろいろな意味での応援歌として意義あるもの。
理屈抜きに楽しめる、まさしくエンターテイメント作品の本領発揮といった印象を持った。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは極めてシンプルで3段程度のミニ階段状の置台が3つ。もちろんサッカースタジアムの観客席をイメージさせる。そうなると観劇している客席側はスタジアムのフィールドとなり、観客が応援されている構図にも受け取れる。

物語は4組(保険会社の先輩後輩、ライブハウスの男・女従業員、姉と弟、そして理容院の夫婦と客)のサポータを緩い繋がり、いや繋がりと言えるほど顔見知りではなく、単にサッカーの試合チケットをもらい、何の気なしに出かけた。しかし熱狂的なサポーターの真剣(時にはヤジも)さに いつの間にか影響され興奮している自分がいる。同時にスタジアムには行けないが、店(理容院)の営業そっちのけでTV観戦している夫婦の会話を通して、商売ではライバル店であっても、サッカーサポーターとしては仲間だ。そう言い切るところに、街興しを思わせる。まさしく”せんがわ劇場演劇コンクール”の地域性ある作品を思わせる。サッカー観戦の過程で、各人が抱えている漠然とした不安や悩みが自然と昇華(消化)していくような…。まさしく僕らはひとりぼっちなんかではなく、何かに夢中、熱中することで日頃の憂さを晴らすことができるのかもしれない。試合結果によっては、翌週の気分の良し悪しに影響するというオチも描く。

コロナ禍…上演することが難しい状況下だけに、劇場で観られたことは嬉しい。それゆえ、先に記したが劇場客席をフールドと見なし、コロナ禍の萎縮・停滞・諦念といった暗い状況、やるせ無さを共有している観客への応援歌(チャント)にも聞こえ、元気付けされた気分である。
キャストの豊かな表情、見知らぬ にわかサポーター同士の絶妙なタイミンングの呼応台詞が笑いを誘う。大きな劇的結末はないが、仄々とした余韻が心地良い。
次回公演も楽しみにしております。
生き辛さを抱える全ての人達へ

生き辛さを抱える全ての人達へ

HIGHcolors

OFF OFFシアター(東京都)

2020/11/20 (金) ~ 2020/11/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

「『人の葛藤』をテーマにした三作。 この三作を見終わった帰り際、よしもう1日生きてみるかと思って頂ければ幸いです。」…という謳い文句通り、生きる”力”を感じさせる好公演。
2人芝居「隣人のおっちゃんと、」1人芝居「負組」朗読劇「45歳の青春」という構成で、すべての作品が熱演、力演といった感じで、まさに”生きる”を力強く訴える。簡素な舞台(セット)に人生の断面を切り取り、生きる辛さを抱える人々を優しく包み込むような公演、自分は好きである。
(上演時間1時間50分 途中の舞台転換等を含む)

ネタバレBOX

第1話「隣人のおっちゃんと、」
セットはドア(衝立)があるだけ。その前に隣人のおっちゃんが座り込んでいる。部屋に入りたい女性(34歳)との押し問答。妻の帰りを待つおっちゃんと女性(独身、彼氏なし)の同心円状を描く会話の繰り返し。何となく同心円の軸が微妙にずれ、いつの間にかおっちゃんの心情を理解しようとするが…。おっちゃんは自分の部屋と勘違いし、妻の帰りを待つというが、すでに妻は亡くなっている。が、数分後には妻を待っていると言い張る。妻の後を追って死にたいと言っているが、それを聞いている女性は逆に”生きたい”を強調する。死・生がコインの裏・表とすれば、それを宙に投げた結果は運任せだが、生死は自分の意思で決められる。そんな恐怖(死)と現実(生)の精神構造をコミカルに具象化した力作。これは絶対に劇場という空間で観るべき作品だと思う。

第2話「負け組」
セットは、第1話のドア(衝立)を裏返し、今度は室内を思わせる。座卓のようなテーブルとその上にあるパソコン。
生活保護を打ち切られ、途方に暮れた男がコンビニで働くために電話を掛けている、その電話口への激白。サッカーワールドカップ(ベルギー×日本)の中継を通し、試合の状況を自分の生活に準えて、刻々と電話口に語り掛ける。生活を”守り=弱者”社会状況の荒波を”攻撃=強者”と見立て、試合の一進一退の攻防と自分の生活実況を中継という客観的な新視点と角度をもって描いた斬新作。
会話の中に何故、生活保護が打ち切られたのか、その原因をおばあちゃんとの触れ合い-カーネーションの思い出話をエモーショナル的に挿入し、一服の清涼剤的効果を持たせるあたりが巧みだ。

第3話「朗読劇~45歳の青春」
セットは、真ん中に仕切りのようなドア、挟んで両側に応接用ソファ。そこに上手側に45歳元女優(=女)、下手側には元夫(=男)が座り朗読が始まる。女の20年後、老後を考えた時の恐怖・不安・焦燥等を、ある女性に宛てた手紙という形の回想劇仕立て?
物語は5年前に離婚した夫と、東京・青山の高級レストランで偶然再会した。元夫は再婚し幸せな結婚生活を…女は内心、穏やかではない心を平静に保ちつつ、自分たちの夫婦観、それから振出しに戻るように恋愛観、男女関係を話すうちに、次々に男と女の心情の違いが鮮明になる。
青山のレストランという解放空間にありながら、濃密で張り詰めた密室劇の雰囲気が漂い出す。女の迷心理、愛に燃える情念、それらを精緻で優雅な口調で語る。ある種の格調高さを感じさせる。最後にレストラン内にも関わらず大声で「ガンバレ ガンバレ-女」…自分自身への応援歌のようなメッセージが印象的な作品。

三作の共通はドア。ドアを隔てて室内・室外がある。居る場所を「立場」や「状況」に置き換えて、どこにいても生きている。今、コロナ禍にあって「生き辛さを抱える全ての人達へ」というタイトルは、そんな状況下にあっても一生懸命に生きる人々へのメッセージ…そんな思いが強く伝わる公演だった。
次回公演も楽しみにしております。
ぼくの好きな先生(2020再演)

ぼくの好きな先生(2020再演)

enji

現代座会館(東京都)

2020/11/21 (土) ~ 2020/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★

テーマは「いじめ」である。その問題は今だけではなく、時間(過去)の経過の中に存在する。教師である「ボク」が好きな先生方との語らいを通して教育とは?を ゆっくり 優しく温かく描いた作品。何度か再演している、劇団の自信作だけのことはある。
(上演時間1時間45分 途中休憩10分含む)

ネタバレBOX

劇団の特長であるが、舞台セットをしっかり作り込み、さらに印象付ける仕掛けもある。今回はタイトルの言葉にもある「先生」から、壁面をほとんど本棚で囲い、中央にテーブル、上手にベット、下手にハンガーが置かれている。壁には映画などのポスター…「いまを生きる」「コルチャック先生」、そして「アメニモマケズ カゼニモマケズ」と書かれたものが貼られている。
中学教師・河合優(千代延憲治サン)、その部屋に居る学生服を着た馬場翔太(真田たくみサン)の2人が主人公。この少年の台詞が「いじめ」の本質を抉り心が痛む。

中学教師が尊敬するジョン・キーティング先生(いまを生きる)、ヤヌシュ・コルチャック、アニー・サリバン、宮沢賢治、金八先生、坊ちゃん(小説に名前はない)が、始めは世界教育者会議参加のため架空世界や時空間を越えて登場する。そこで中学生・馬場のいじめをテーマとし教育談義を始める。しかし、少年の心は氷解することなく、逆に各先生の問題を暴き出す。実は、この少年は既に亡く(この中学教師の同級生で中学2年の時に自殺)なっており、この中学教師が親友であったにも関わらず助けられなかった、という自責の念が生み出している妄想(亡霊)である。

既に亡くなったという設定は、他でも見たことがあるが、そこに直接関係のない”ぼくの好きな先生”たちが登場し、それぞれのスタイル(例えば机⇨テーブルの上)で諭そうとする。教育は一様ではない、だから古今東西の好きな先生を登場させ教育談議をさせる。人物の仮想に対し、「いじめ」問題は現実という設定がユニークだ。「いじめ側」と「いじめられた側」という両面だけではなく...解決策が見つけられない難しい課題を、今実在しない人物の言葉を借りて問題提起する。それは観客である自分に投げかけられたものとして受け止めた。あくまで、そして敢えてコミカルにテンポよく見せることを意識した公演。セットの仕掛けという見せかけの奇抜さもよいが、出来ればもう少し各先生との突っ込んだ話し合いを聞きたかった。
ラスト、自殺した中学生が未来(20年後)の自分にあてた郵便物(テープ録音が少し小さいかも)。それを持って訪ねてきた父親の慟哭。生きている時の親子の距離は永遠の難問であるが、亡くなってからの距離は縮めることができないだけに悔しい、その思いがよく現れていた。そして翔太のことは忘れないでほしいと頼む姿が痛ましい。一方、翔太は20年後の自分へのメッセージ、描いた夢に照れ笑いをしているが、もはや叶わぬこと。そこに命の尊さが描かれる。

また、河合先生が同僚の田中光一(足立学サン)先生に諭す。かつて自分がいじめたであろう、友人に謝罪の電話を掛けたり、手紙を出す、または直接謝って回わらせる。確かに いじめた側はその行為を忘れているかもしれないが、いじめを受けた側は忘れはしない。しかし、いじめる側はいつもいじめる側なのだろうか。いじめられた、だから今度は自分が弱いものを探しいじめる。そのいじめという不幸の連鎖になっているのでは...。そう考えた時、謝罪を通して受けたいじめの思い出(傷)は、何故自分だけが、という歪な感情に捉われないだろうか。さらに忘れていたかもしれない いじめ の記憶を呼び戻し改めて悔しい思い出に立ち向かわなければならない。その意味では謝罪の時期とタイミングは重要かもしれない。謝罪が上手く効果を発揮することが望ましいが…。もしかしたら自分の了見が狭いかもしれない。

この公演では理想形のようで きれい事に思えるが、それでも積極的にいじめに加担しなくとも、何もせず傍観していることは いじめていることに等しい。その”無視”した態度も糾弾する。「いじめ」に対する特効薬は、個々人の良心にある、ある種の俯瞰者である「ぼくの好きな先生」はそう語りかけているようだ。
役者陣の演技は素晴らしく、そのキャラクターがしっかり確立していた。主人公の少年のコミカル、シリアスな演じわけが実に魅力的であった。
次回公演を楽しみにしております。
江戸系 宵蛍

江戸系 宵蛍

あやめ十八番

吉祥寺シアター(東京都)

2020/11/12 (木) ~ 2020/11/16 (月)公演終了

満足度★★★★★

表層的には、国家(権力)を悪とした勧善懲悪的な物語のように思えるが、もう少し間口が広く奥深い公演だ。もちろん成田空港建設反対闘争を巡る事件(内容)で、その背景になった1964年東京オリンピック-その光と影、どちらかと言えば”影”にスポットを当てることによって、その事件だけではなく現代にも通じる出来事を連想させる。
(上演時間2時間30分 途中休憩10分含む)

ネタバレBOX

ほぼ素舞台に段差を設け、テーブルと椅子を配置し、それを移動させることによって情景・状況を出現させる。下手側に楽隊(ピアノ、パーカッション、ユーフォニアム)スペース。さらに劇場の特徴を活かし上部の別スペースを用いて別次元、別場所を演出する。
梗概…1960年代の第二東京国際空港(通称:成田空港)の建設を巡る社会的問題と現在もその空港の滑走路の延長線上にある一軒家(千年<ちとせ>家)の現状を前回(1967年)東京オリンピックを絡めダイナミックに描いた秀作。

冒頭は東京オリンピックの入場アナウンスと入場行進のシーンから始まる。この入場シーンは、今まで あやめ十八番 では観たことがない様式美、いわゆる全員が隊列を成し整然と歩く分列行進を思わせる。
物語前半は、2020年_現在の千年家を市広報誌や大手ではないマスコミが取材を意図するところから始まる。この大手マスコミではないところに反権力的視点を思わせるあたりも上手い。物語は破格の買取価格を提示されても立ち退かない。一方、千年家の主人は空港のクリーンスタッフとして雇用されているという一見相容れない不自然な状況、そこに今を生きる術としての苦慮が表れている。

後半は千年家の祖母-元空港建設反対同盟代表の妻-の回想というスタイルで紡がれる。1960年代、成田空港建設を巡り、国家等から買収が始まり、その地で生活している農民の暮らしを圧迫し始める。緊急国家事業として強制的な立ち退き、そのためには反対同盟へ介入し分断する、国家権力の発動として強制収用法を適用する暴挙。実行行為として機動隊まで使い死傷者、逮捕者を多く出した。農民側の抵抗運動に新左翼が加わり暴力性が過激化し…。そんな中に1964年東京オリンピックのマラソン銅メダリスト_出雲幸太郎が最初は友人の誘いで加わっていたが、次第に身を寄せている家族(千年家)やこの地の人々との交流を通して抵抗運動にのめり込んで行く。もちろんこの人物は実在したマラソンランナーを意識しており場所こそ違うが自殺している。上部の別スペースで「○○様○○様 美味しゅうございました」は有名な遺書の一節、それを台詞としていることから誰であるか容易に分かる。また彼自身の栄光と不遇という、ある種の「光」と「影」を物語に重ね合わせたかのように思う。

2020年(延期?)と1964年の両東京オリンピックの繁栄(光)とその影響で辛苦(影)を強いられる、2つの時代の社会状況を背景にその地で生きる人々の立場や心情を活写するように描く。2つの時代を前半・後半として描き分け(あえて往還させないから休憩時間が活きる)、全体を巧みに構成し休憩を含め2時間30分という長さを感じさせない、観応え十分な作品。ほぼ素舞台だけに、役者は状況風景を作り出し、登場人物のキャラクターや立場、その心情を実にうまく演じており、演技力・体現力も見事だ。

最後に、現在の東日本大震災における復旧の遅れ、豪雨による地域社会のダメージを思った時、この公演は単に成田空港建設反対闘争に止まることなく、現代に通底する思いのように感じた。国家都合の緊急事業は強権発動してでも迅速に行うが、先に挙げたような”市民のため”の復興・救済事業は遅々として進まない、そんな理不尽さへの批判が透けて見える公演。
次回公演も楽しみにしております。
時系列で読むギリシャ神話

時系列で読むギリシャ神話

カプセル兵団

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2020/11/11 (水) ~ 2020/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★

ギリシャ神話の神々_オリンポス十二神が時空を超越し、現代に舞い降りた。そして神々と言いつつも浮気、嫉妬という あまりにも人間臭い面を際立たせ面白可笑しく語った朗読?劇。
「神話の世界が立体的に理解できる圧倒的エンタメ朗読劇」…まさに謳い文句通りの内容であった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

朗読劇らしく横一列に椅子が置かれている。始めは座って朗読するが、興に乗ると立ち上がり歩き、または歌い出すという(一見)自由奔放な演出。しかし役者の個性を十分に知り尽くした放任的朗読は、”楽しい”と思わせる雰囲気作りへの緻密な計算があってのことだろう。

十二神の主神はゼウス、その両親、祖父母まで遡ってタイトルにある時系列を分かりやすく解くような展開。その時系列の中に有名な「パンドラの箱」や「ノアの箱舟」といった事柄を挿入し物語の興味を持たせ続ける。さらに神との関わりを示す星座にまで言及し何となく関係性が分かったような気にさせる。神話という堅苦しいイメージを払拭、そう思わせる自由な演技(朗読)、それらが奔流すればするほど物語の虚構性として突き放す。一方で観客の興味を引き付ける娯楽性も重視。一見、真逆のような演出が物語の妙味を引き出している。
この会場という空間だからこそ体感できる、だから演劇は劇(会)場で観たくなる、そんな典型的な文化を描き出したといえる。

さて気になるところが…。
確かに役者の自由度が大きく、それが魅力ではあるが、1人ひとりのパフォーマンス(一発芸)の時間が長く、また人によってはフルに歌い上げており面白さと しらけ が半々だ。一発芸らしくパッと決めて本筋に戻ってほしいところ。またその芸にしても全員が順々に行っていたこと、それを何回か行うことによって”時系列”を寸断し、逆に素の役者を観る時間が長くなる。できれば一発芸も物語-神話のワンシーンとして組み込んで公演全体の流れの中にあって欲しかった、のが少し残念なところ。
次回公演も楽しみにしております。
物語のあるところ

物語のあるところ

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2020/11/10 (火) ~ 2020/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★

朗読劇-短編3本で、自分はB1「家族の風景」C1「氷の解けた水」D1「砂漠の夜に」を観た。劇団「SPIRAL MOON」ではストレートプレイしか観ていないが、本作はそれぞれの持ち味が異なり、その異色感が面白く、朗読劇の魅力を再認識した。同時に劇団の新しい一面(魅力)を見ることが出来た。
3編の共通としては朗読劇「本」に拘り、その魅力に迫ろうとした印象。ちなみに読書は自分の中で想像し情景や状況、そして心情を想像しながら読むが、朗読劇はそこに役者の感情表現が介在し、本の中身がより具象化したものになる。上演時間は70分であることから、それぞれの登場人物は2~3人で、濃密な会話を展開する。そのためには1人ひとりの個性や立場を際立たせる必要があるが、すべての作品において成り立っていた。
(上演時間1時間10分)

ネタバレBOX

舞台と客席を一定の距離をあけ、ジューゼット、オーガンジーでの舞台幕で仕切り新型コロナ感染症対策。下手側舞台外のコーナーテーブルに岩波文庫等の書籍と鳥籠が置かれ、朗読という雰囲気作りをしている。朗読劇らしく?演者のちょっとしたしぐさや座る配置、また天井からは鳥籠が…その空間的演出が観客の想像力を補う。

B1「家族の風景」
父、母、娘(高校生)の夕食時の語らい(「ト書き」も含め)。突然に切り出される両親の離婚話を中心に、その出した結論に対し娘の意見を求める親。一方、大学受験を控え本音では離婚してほしくない娘は、両親の問題と取り合わず のらりくらり。そして離婚=別れることではないという奇妙な理屈を喋りだし会話が漂流し結論らしいものがないまま…。「離婚」というインパクトある話が出されても、何となくいつもの家族風景に空恐ろしさを感じる。

C1「氷が解けた水」
水はいろいろ変化する。例えば冷たくなり温かくなり、固体になり流体になる形状が、観客の感性を問うような。
会社の先輩(年下の女)と後輩(年上の中年男)の宇宙的(=アストラル)で不思議(=ミステリー)な雰囲気が漂う物語。別の地球(=第三者立場)から俯瞰する、そんな安心感覚であるはずが、なぜか落ち着かない不安な気持にもさせる異端(=アブノーマル)な作品だ。

D1「砂漠の夜に」
オーソドックスな寓話的作品。王子とその側近の逃避行、その過程における立場をわきまえた友情(信頼関係)が語られる。権力という座の孤独、何もかも疑り深くなる、そんな不信感を払拭し温かい気持にさせる。

この3編の上演順、それが観客の印象に残るような構成で実に巧みだ。家族の日常、それも団欒時に不快(深い)話を持ち込む第1話。それに続く夢想と現実が錯綜したような不思議感覚の第2話で妙味を引き出し、最後に分かり易くオチのある第3話で締めくくる。見事な構成、演出だった。
次回公演も楽しみにしております。
桜の園 四幕の喜劇

桜の園 四幕の喜劇

劇団つばめ組

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2020/11/05 (木) ~ 2020/11/08 (日)公演終了

満足度★★★★

タイトルにある「四幕の喜劇」は、表層的な笑いを誘い喜劇とした訳ではないだろうが、結果的に観せ方(演出)がそうなったように思う。チェーホフの戯曲は、当時のロシアの社会・政治状況を背景に旧・新を代表した人物を登場させ、矛盾した状況を皮肉ることで喜劇化したのではないか。もっとも個人的には単なる喜劇ではなく”悲喜劇”のように思えるのだが…。
いまだにこの作品が読まれ、上演されるのは、時代を超えてそこに生きる人々の生命力を賛辞しているからではないか。没落富豪(貴族)のラネーフスカヤを始め、未来志向のロパーヒンやモトフィーモフ、登場する人物すべてが何とか生きようとする、その人間洞察、鋭い社会批判を指摘する。そして現代でも色褪せない生き生きとした会話が魅力である。
戯曲は面白いが、それを体現する役者の演技力に差があるようで、芝居としてはバランスを欠いたようで残念。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

四幕(第一幕:昔ながらの子供部屋内、第二幕:原野、第三幕:客間、第四幕は第一幕と同じ)とあるが、舞台セットは転換しない。基本的には素舞台で、いくつかの箱馬を並べ、その配置の変化で状況の違いを見せる。また何種類かの飲み物で場面を補足する工夫。
素舞台であるだけに、役者の技量が問われるところ。先に記したように演技力のバランスを欠きかみ合わない会話劇の面白さが十分伝わらない。

梗概は、没落富豪のラネーフスカヤ夫人は、裕福だった頃の感覚が抜けず、お金を浪費し続け借金だらけ。生まれ育った家、土地ー桜の園が競売にかけられることに…。何とかそれを回避しようとする養女ワーリャ、親身にアドバイスする商人のロバーヒン。19世紀末の農奴解放令後のロシアという背景である。八方塞の状況において、各人が志向する未来も異なる。しかし足元はそれでも逞しく生きる、その共通した思いがラストシーンの救いに繋がる。

生まれ育った家や土地を失う女主人、その養女で、何とかこの危機的状況が回避できないかと祈る姿、それだけ観ればセンチメンタルになる。一方、商人や学生(ベーチャ)は成り上がり者らしく強か。互いにすれ違う会話がyesかnoの二者択一という限定ーまさしくTo be, or not to be, that is the question.の世界。一方そこはかとなく漂うほろ苦いユーモアが物語の基調を形成しているから悲劇であり喜劇でもある。

社会的なことは桜の園(自然)を破壊し、金銭のために別荘(開発)を建て金儲けを企てる。過去の栄華にしがみつく人々、一方未来というか目先の金儲けに目がくらむ人々。その短絡的な思いは、別荘開発によってすぐ金が入るが、回復するのに何十年、何百年かかるか分からない自然破壊の代償をもって得たもの。そこに人間の愚かしさ、矛盾を見るようだ。
次回公演を楽しみにしております。
農園ぱらだいす

農園ぱらだいす

劇団匂組

駅前劇場(東京都)

2020/10/14 (水) ~ 2020/10/18 (日)公演終了

満足度★★★★

公演は主に観(魅)せる面と登場人物、特に女性たちの揺れる心情、そして力強く生きる面、そんな二面を描いた物語。そして何よりも、今の社会(生活)を映し出すドキュメンタリー的な描き方だと思えた。
舞台は東京近郊にある農村の家…何となく立松和平の小説「遠雷」(映画化もされた)を想像したが、そこまでの土着性はない。どちらかと言えば、副題にある~愛しのアマゾネス~の方がピッタリだ。
ジェンダーと言うには少し大げさかもしれないが、離婚した女性や何となく婚期?のタイミングを逸した女性に対する社会的偏見が垣間見える。
コロナ禍という状況にあって、やはり”生で観劇”できるのは嬉しいし、楽しませたい、そんな思いが伝わる好公演だ。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは中央奥に板塀のようなものが立ち帽子等の小物が吊るされている。その前に横長テーブル、上手・下手側に農家らしい幟やダンボールが置かれている。ここは主人公・川村園子(清水優華サン)が住んでいる家の離れ、そこで明日行われる地元祭りの準備をしている。彼女は、独身女性がこの集落にいないことから、30代後半になっても巫女をやらせられると愚痴る。大きな出来事はなく、祭り前日の1日を淡々と紡いでいく。そこに集落の住人や離婚等をして故郷に戻ってきた園子の友人との語らいを通して女性ならではの悩みや問題をコミカルに描く。

当日パンフによれば、舞台になった集落は特定の場所ではないが、東京都心への通勤圏内を設定しているらしい。都内で働きたいという願望と何か困った事があったら実家や周りの人々に助けてもらえるという安心感。そうした背景に、登場人物の置かれた立場や状況を子供の小学校受験や園子が勤めている会社での処遇(お局様扱い=扱い難い)などを絡め悲哀を込めて点描していく。また園子と小中高校の同級生だった大沢水木(大木明サン)との不器用でぎこちない愛情表現を微笑ましく挿入する。全体的に女性の視点を通して個人情況と社会状況を上手く融合させ、日常生活を通して社会批判が垣間見えるようだ。

自分が1番印象に残ったのは、園子の隣家の娘・原田葉子(金井由紀サン)が妊娠して、帰郷してきたシーン。家を飛び出したために実家に戻り難い状況、一方、本人は妊娠し不安な状態。その気持を察し、園子の母が父親がいなくても集落全体で生まれてきた赤ん坊を育てると力強く言ったこと(無責任に発言できないが…)。東京には東京の利便性や華やかさがあり、その近郊には地元を愛し、困った時には助け合うという共同体の良さもある。物語はそのどちらも語り、職・住接近の良さが見えてくる。もしかしたら新しい生活様式を意識したか?

当日パンフで演出家の鈴木アツト氏が劇作と演出を料理に喩えると、「レシピ」と「料理」の関係 と書いている。キャストを個性的な野菜と表現している。その野菜たちは実に生き活き(歌も歌い)と生活感を溢れさせ、その体現力をもって祭り前日を味わい深いものにしていた。
次回公演も楽しみにしております。
脳ミソぐちゃぐちゃの、あわわわーで、褐色の汁が垂れる。

脳ミソぐちゃぐちゃの、あわわわーで、褐色の汁が垂れる。

オフィス上の空

シアタートラム(東京都)

2020/09/17 (木) ~ 2020/09/27 (日)公演終了

満足度★★★★

プロローグは、コロナ禍の状況を説明するが、物語はそこから斜め上に行くような恋バナへ展開していく。しかし、この恋の話は少し奇天烈のような…。説明では『性の《癖(へき)》と《壁(へき)》の話』となっており、表層的には自分の殻からの脱却(皮)と言うか恋に奥手または醒めた者の成長譚のように思えた。

チラシも不思議な図柄で、よく見ると 人の頭が便器でそこから花が咲いている。そして鎖が心臓らしきものも含め絡まっている。何となく”身の下”話で、心が何かに縛られている。その花咲きはハッピーエンドのような…あわわわー書き過ぎでネタバレしてしまう。褐色の汁ならぬ、冷や汗(💧)が垂れる。
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、幾何学模様を思わせるセット。途中でいくつかの道具をそれとなく搬入し、時として現実的な場面を出現させる。

梗概は、説明にあるように隣室に引っ越してきた女性に一目惚れし、という”普通”の恋愛物語…ではなく、そこには隠された秘密がある。それは男女それぞれが持つ性癖。その秘密は自分の心を縛り、息苦しさを垣間見せるが、一方 秘密をカミングアウトしたことによって相手が心を閉ざしてしまうという滑稽さ。

本筋は、自分の心の解放、相手の心の拒絶という相反する気持ちが可笑しみを持って描かれる。一方、脇筋は女性達のありがちな恋愛観・結婚観を絡め、本筋の異常さを強調する。観客を飽きさせない巧みな構成、それが奇天烈な設定の笑いであっても十分楽しめる。

さて、コロナ禍にあって外出を自粛=2人(夫婦や恋人)でいる時間が長くなる。どんなに仲が良くても四六時中一緒にいることに息苦しさがあるような 無いような。自分には何となく適度な距離感(間)が必要だと言わんばかりのように思えた。自分勝手な、もしくは我儘を圧(押)し殺す。エピローグ…そこにコロナ禍の世相を風刺?する、そんな描きが透けて観える気がした。

役者陣は、実に生き活きと演じている。いまだコロナ禍は収束しておらず閉塞感漂う状況にあるが、そんなことを忘れさせてくれるハッピー?な公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
親の顔が見たい

親の顔が見たい

Art-Loving

APOCシアター(東京都)

2020/09/16 (水) ~ 2020/09/22 (火)公演終了

満足度★★★★★

本作は2008年2月に劇団昴で初演、そして同年の鶴屋南北賞にノミネートされたらしい。
説明文から「いじめ」がテーマであることは知れるが、単に中学校内における「いじめ」には止まらない、実に多面的な問題提起をしている。
室内における心裏劇、そして審判者なき審理劇のようでもある。しかし決して真理劇にならない怖さ。
観応え十分だ。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

新型コロナウイルス感染防止対策のため、舞台と客席をアクリル板で仕切り、舞台側の上方に時計、そして校訓の「真実」「友愛」という文字が掲げられている。折たたみ椅子11脚というシンプルなセット、しかし内容は濃密だ。上演前には校内の騒めきを思わせる雑音を流すなど、雰囲気作りは丁寧。

梗概…都内の私立女子中学校、校内の会議室に5組の父母(もしくは祖父母)が集められる。いじめを苦に自殺した生徒の手紙(遺書と思われる)に5人の級友の名前が書かれており、その生徒たちの親が集められた。年齢や生活環境、職業が異なる親たちは、それぞれ自分の子どもは無関係とばかりに擁護することに終始する。いつの間にか親同士が激しく対立し怒鳴り声が高まる中、各家庭の事情や親娘関係が明らかになっていく。

暴行を加え、金を要求し、足りなければ援助交際まで強要する悪質さ。これはいじめを超えた犯罪であろう。公演では、学校の事実確認・調査に対して、父母等は自分の子供に限ってという言動、いつの間にか学校側もその意見に飲み込まれ…。

この戯曲が書かれた何年か前に、北海道で小学生の女生徒がいじめを苦に自殺した事件があったのを思い出した。当初、学校だったか教育委員会だったか忘れたが、いじめはなかったと結論付けた。しかし、遺族によって遺書が公開され一転して謝罪することになった。その後「遺書」ではなく「手紙」という説明まで飛び出した。
この隠蔽体質、適当に誤魔化す対応が、いじめに対してきっちり対処できない一因ではないだろうか。さらに今日的にはブログやSNS等、責任の所在を曖昧にする巧妙なネットいじめが増えているのは周知のこと。

公演では、学校でのいじめを通して様々な問題提起をしている。父母と娘のコミュニケーションの希薄さ、名門学校という枠組みに潜む差別・格差。山の手以外、例えば下町や近隣県からの通学生への蔑視、家庭の経済的な貧富、片親や職業への偏見、帰国子女への悪意ーそれは社会全体に蔓延る縮図そのもの。この公演はそれらに対する警鐘ではなかろうか。

冒頭、1人の母親がスリッパを弄ぶ場面がある。そしてなぜ来客はスリッパで、教師は上履きなのだろうかと疑問を持つ。何気ない台詞、演出かもしれないがリアリティを感じた。父母の中に教員夫婦がおり、説明によれば男性教師は生徒を追いかけ、女性教師は生徒から逃げるためだという。
やはり何年か前、男子生徒が女性教師から何かの理由で注意され、それが原因で女性教師が刺殺された事件を思い出した。それだけに一層リアリティを感じた。

公演では、いじめた生徒は登場しない。しかし担任教師から、生徒達の様子は普段と変わらず平静だと言う。その生徒達はLINEで連絡を取り合い知らぬ存ぜぬを決め込む、そんな印象を持たせる。いじめのターゲットがいなくなれば、別の生徒を…そんな怖さを抱かせる。

「親の顔が見たい」…このタイトルは、自殺した生徒がバイトしていた新聞販売店の店長の告発から来ている。親の顔も見たいが、心裏も確認したいところ。
次回公演も楽しみにしております。
「ロマンス」「逢瀬川」

「ロマンス」「逢瀬川」

★☆北区AKT STAGE

高田馬場ラビネスト(東京都)

2020/09/09 (水) ~ 2020/09/13 (日)公演終了

満足度★★★★

本公演は、★☆北区AKTSTAGEの「ロマンス」とナイーブスカンパニー「逢瀬川」のコラボ、そして自分は後者を観劇。「逢瀬川」には人間四部作 第一部「献身」の副題が付いている。

冒頭、瞬時に物語の底流を想起させる、実にうまい掴みだ。また大音響と早口で捲し立てる台詞は、つかこうへいの演出を彷彿させる。この圧倒するような場面、一方、情感溢れる場面を巧みに構成し物語の世界に誘う。

コロナ禍にあっては仕方がないのかもしれないが、途中の換気によって(芝居は中断しない)、流れが少し停滞したように思えたのが残念。とは言え、観応えは十分だ。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

素舞台…登場人物はわずか5人。にも関わらず壮大な人間ドラマを紡ぎだす。冒頭、大音響で「白鳥の湖」が流れ、同時に緊迫したアナウンスが聞こえる。

改めて1人の男が言う。第二次世界大戦終結時にイギリスのチャーチルが2本指を立てた。今でこそ「ピース」サインとして広まっているが、この2本の指を広島、長崎と言いながら立てる。そして新たな平和として福島を加えたいと3本目の指を立てる。
ちなみにチャーチルはVictoryの頭文字を意味していたという説が…。

梗概(説明から)…2020年東京オリンピック水泳男子100m自由形 日本代表・喜多村心九郎。かつてスターと呼ばれ、地元福島のオカマ達から絶大な人気を誇る心九郎の宿命は、100m44秒──通称『死の壁』を超えること、その宿命の重みを、誰よりも理解する妻・いつみと共有する。そして家族を持つことだが…。
説明にあるように”オカマ”達からの絶大な人気ー つかこうへいの作品にはLGBT等を思わせる人(少数あるいは弱い立場の者)達が登場するが、本公演では別の意味合いを持たせている。それは、いや その前に広島県・長崎県・福島県に共通していると言えば、放射能汚染を連想する。もちろん戦争時の被爆か災害被ばくかの違いはあるが、どちらにしても”被曝”。これは本人だけではなく子孫にも影響を及ぼす。だから子孫を残さないための”オカマ”へ。しかし人間の本能を押(圧)し殺した行為であることは、風俗店通いをしていることで暴かれる。

物語の中で、「黒い血」という台詞が何度となく繰り返される。「黒い血」=「黒い雨」(井伏鱒二)を連想し、単なる台詞ではなく人間の尊厳を象徴する、そんな鋭く重みのある”言葉”だ。同時に物悲しく響き聞こえたのは錯覚であろうか。東京オリンピックを通しての繁栄、一方、いまだに東日本大震災における復興は続き、原発の影響下にある地域・人々の苦しみ。

喜多村心九郎は、周りに迎合せず自分の信念に従って生きる。この地において愛する人と結ばれ親になる。その普通の日常生活を送ることの困難さ。そして生まれた子はずっと入院したまま退院の見込みすらない。この「個人」の視点から「社会」の”理不尽”をしっかり捉える。自分は、チラシにある「Olympism is a philosophy of life. オリンピックに翻弄された者たちが辿り着く『人生哲学』を軸に、人々の持つ当然の権利と、その当然が脅かされる理不尽が共存する社会における、人間のあり方を問う。」は、この公演によって現在の日本の状況を端的に描き出す、と解釈した。

役者陣は登場人物像をデフォルメして演じているが、だからこそ主張すべき点がしっかり伝わる。息苦しい背景であるが、その環境下に悲観するでもなく、真摯に前向きに生きようとする。誇張した演技はその力強さを示すためのもの。全員が好演であった。特に喜多村心九郎(草野剛サン)の水泳シーンは圧巻であるが、同時に清々しさを覚える。

最後に、アンサンブルとして白濱貴子さんが出演していた。自分が観た回は、2回ほど名前を呼んで新人女優であることをアピールしていた。彼女は★☆北区AKTSTAGEの卒業公演「売春捜査官」でも観ている。今後の活躍を期待したい女優である。
次回公演も楽しみにしております。
ツバメの幸福

ツバメの幸福

ツツシニウム

キーノートシアター(東京都)

2020/09/09 (水) ~ 2020/09/13 (日)公演終了

満足度★★★★

「幸福とは何か」、捉える視点によって異なる問いかけが面白い。精神的な満足による充実感、物質的な充足感、そのどちらが幸福か…計算ずくでは解らない。テーマの問いかけは分かる。しかし演出は、箸休め的な効果を考えたのかもしれないが、敢えて笑いを誘うような観せ方をしており、自分は好まない。真摯な問いかけを前面に押し出す、そんな意図が感じられるだけに全体的なバランスを欠いたように思える。一方、照明・音響等の舞台技術は印象的で巧い。それだけに少し残念。

コロナ感染防止対策のため、自席の前方以外をビニールシートで囲っているため見難く、また閉塞感があるのは仕方がないのだろうか。カーテンコールで、「演じられることが当たり前だと思っていたが、コロナ禍では上演することすら難しい」と…。感染防止を図りつつ、観客に いかに心地良く観劇してもらうか、その観劇環境のバランスを保つのも難しいようだ。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台は、金糸を絡ませた白布を何か所かに垂らし、夢幻的な雰囲気を演出する。中央には台座、そこに「幸福の王子」が立像する。
公演は「幸福な王子」(オスカーワイルド)の内容を順々に展開し、脚本に目新しさは感じられない。どちらかと言えば、舞台技術が印象的である。

さて、「幸福な王子」は子供の頃に読んでいるが、その時と大人になった今ではたぶん感想が違うと思う。自己犠牲による他者の幸福…それ自体は否定しないし、ある意味貴い行為だと思う。幸福な王子の自己犠牲の精神その行為が、自分では到底真似することのできないと思った時、子供の時であれば単なる乾いた教訓話ではなく心打たれる物語としての印象が強いと思う。

しかし、大人になった自分がたとえ同意できたとしても、同じ行為はできない。それが人間臭さ、もっと言えば正直な人間らしさではないだろうか。人それぞれの思いの度合いによって感じ方が異なる。公演として、原作の寓話性は伝わるが、あまりに忠実(真面目)な描き方で芝居としての妙味に欠けているように思えたのが残念。同時に物語の真摯さと演出の笑シーンにギャップを感じた。
次回公演を楽しみにしております。
明日ー1945年8月8日・長崎(2020年@シアターX)

明日ー1945年8月8日・長崎(2020年@シアターX)

演劇企画イロトリドリノハナ

シアターX(東京都)

2020/09/03 (木) ~ 2020/09/06 (日)公演終了

満足度★★★★

ずいぶん前に読んだ小説の舞台化。それも再演である。初演も観ているが、劇場が変われば舞台印象も変わる。
初演に比べ横に広がりのある舞台は、物語の中心にある家族と、それ以外の情景を上手く描き分け、当時の状況・情景に広がりと奥深さを表す。
(途中休憩を含め2時間15分) 【Aチーム】

ネタバレBOX

タイトルとサブタイトルから、公演の内容はほぼ把握できる。物語は終戦間際の1945年8月8日の長崎の情景。「明日」とは長崎に原爆が投下された8月9日のこと。カタストロフを「明日」に控えた大戦末期の長崎の一日を淡々と描く。戦時中とはいえ、空襲はわずかだけという台詞から、明日がくるものと信じている人々。しかしその日常生活が一瞬にして奪われる。

初演に比べ広がりのある舞台だけに、上手・下手側に異なる情景を描き出す。まず、上手側では戦時下のおける人々の暮らし、それを点描していく。一方、下手側は三浦家の居間(結婚式)であったり、三浦ヤエと中川庄治の新婚家庭といった個人の心情を深堀する場面を展開する。上手・下手側の間には階段があり街路を思わせる。この昇り降りが淡々と描かれる暮らしの中に、わずかではあるが生活(躍動)感をもたらし、単調にさせない工夫を凝らす。また原作でも重要な”赤い月”をうまく照明を用いて、これから起きる悲劇を連想させる。やはり演出、舞台技術は素晴らしく、それを可能にしている舞台美術。それを劇場に応じて作り込む巧みさ。

現実に密着した原作の舞台化、日常生活の背後に崩壊の予想を観ることになる。実は、今を生きる(演じている)人は8月9日の出来事を知っているが、原作(登場)人物はその予想ができず日常生活をごく当たり前のように送っている。その既知とまだ「明日」がくると信じている当時の人々の認識を埋めることは難しい。というか出来ないのではないか。だからこそ、描いている日常生活に敢えて異様な緊迫感を持たせるのは相当に難しい(小説ならば想像するが)。

物語は結婚式を中心に、そこに列席した人達の生活等を次々と点描していく。それを通して各人が置かれている立場や抱えている心情がエピソード的に紡がれる。その語りは長崎の方言を用い、臨場感を漂わす。彼の地にいるようなリアリティを演出する上手さ。
戦時下の生活は、最低最悪としての日常も現す。それは人への妬み(夫が戦地に出征しない)や、配給への強欲(嫌み)など、逆境ゆえに露わになる人間相互の不信感や排斥。普通(平時)の正義や正論では論じきれない悪意が現れるのも「戦争」ではなかろうか。本公演は、上手側での点描を通して戦争の不条理を浮かび上がらせていた。

同時に全編を通して人の”生”の尊さも描いている。むしろ、本筋はそちらにあると思っている。公演では、下手側を中心にヤエの姉の出産(お手玉エピソード等を交えて)までを描く。小説では8月9日の未明に男の子が生まれている。そしてその数時間後に原爆が投下されるという不条理。初演ではラストを出産シーン+朱色照明(被爆イメージ)で余韻を残した。本公演では妊婦姿の姉は観られるが、”生”の尊厳が弱いというかあまり感じられなかったのが少し残念。

この”生”が物語の根幹で、出産までの過程を縦軸とすれば、結婚式の参列者の点描が横軸。この両軸がもう少し相乗的に戦争=不条理を描き出せたらと思う。
とは言え、小説の読み想像させる世界とは違い、舞台は観客の意識に関係なく視覚的に当時の情景を引っ張り込む。そこに小説では味わえない舞台の醍醐味をみた、そして感じた。
次回公演も楽しみにしております。
スーパー・ウーマン・リヴ

スーパー・ウーマン・リヴ

藤原たまえプロデュース

シアター711(東京都)

2020/08/04 (火) ~ 2020/08/09 (日)公演終了

満足度★★★★

人が持つ本音と建前という二面性、信頼と裏切という行動の背反性をコミカルに、シーンによってはシュールに描いた笑劇(衝撃)作。同時に人の悩みや弱みにつけこんだ、ある行為を想起させる。
舞台は、スーパーのバックヤードというありふれた場所。その設定が庶民性と日常性を表し、親近感をもたせる。コロナ禍にあっては、その日常がいかに大切かを知ることになる。
上演時間1時間40分

ネタバレBOX

ある行為とは、占い師による”洗脳”まがいのこと。笑いだけではなく、時に鋭く内面をえぐる作風。何となく小説「人生に七味あり」を思い出す。恨み、辛み、妬み、嫉み、嫌み、ひがみ、やっかみ、という七味唐辛子ではないがピリッとした刺激を観せる。ひきつった笑い顔の奥底には、暗澹たる思いが渦巻く。日常の生活に隠された人間性を上手く炙り出す演出は巧みだ。その人間性は、スーパーで働く仲間によって個性豊かに引き出される。現実に居そうな人物像を立ち上げ、何となく観客に寄り添わせる。
それを突拍子もないレジ打ち競争という手段(媒介)を絡ませ、コメディタッチに描く。脚本の深みと笑劇として魅せる表面的な、その絶妙なバランス感覚がよかった。

コロナによって多くの公演が延期または中止になり残念に思うが、一方で自分の生活の中で演劇の存在(面白さ)、そこに集まる人との繋がりがいかに大切だったかを改めて知ることができた。本公演は人を信じ、時に人を頼ることも必要であることを描きハッピーエンドになるが、そこにも人の繋がりが出てくる。何となく今の状況がモチーフになったように思える。

少し物足りなく感じたのは、主人公がトラウマになった出来事がワンシーンしかなく、占い師との関わりは出会いを別にすれば電話等だけ(表面的には)。できれば人間観察としての心理や洞察シーンがもう少し描かれると鬱屈した過程が掘り下げられ、ラストの再生シーンが印象強くなったのでは…。
次回公演を楽しみにしております。
MASKED HEROES

MASKED HEROES

藤原たまえプロデュース

小劇場B1(東京都)

2020/06/30 (火) ~ 2020/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★

4短編。共通しているテーマは、”人間の建前と本音”、それをブラックユーモアとして描いている。役者は新型コロナウイルスを意識してマスクをしているが、その姿は物語に納得性のある演出にしている。とは言え表情が観えないのは、やはり少し残念。
【上演時間1時間25分】

ネタバレBOX

舞台セットはいくつかの箱馬があるだけ。その組み合わせで状況を巧みに観せる。全体を通してコロナ禍を思わせる演出だが、底流には人の本音と建前が透けて見える。そしてどんな状況下にあっても逞しく生きようとする人の生き様を描いている。それは特別なことではなく、当日パンフで藤原珠恵女史が「内容はヒーローものではございません.」「世間では演劇なんて必要ないという意見もあるけれども、私たちだって少なからず誰かのヒーローなんです。きっと。」と書いている。
自分も演劇は、音楽や映画と同様、文化だと思っている。それを守り発展させることが必要ではないだろうか。その意味では、公演を行うには厳しい状況下において、相当の決断をもって行ったと推察する。

物語は4話…どれも珠玉作。
1.「仮面家族」は、家族でも本音と建前を使い分け生活する。マスクと仮面という外見で比喩させた観せ方。家族内で祖父と孫娘のヒーロー対決ごっこがマンガ風で滑稽だが、何故かシュールに思えてしまう。
2.「こんな時にナン」は、地球滅亡が迫りくる或る日、職場で悪さを働くOL2人の会話劇。コロナ禍で三密を避けると言いながら、濃密な会話劇を繰り広げる。危機的な状況にも関わらず目先の悪事に没頭する、そこに何故か生きる逞しさを覚える。
3.「整形」は、まさしくタイトル通りの逃避行人生を送る女の傲慢とその末路。結婚詐欺という犯罪、それを繰り返すために…。因果応報という王道的な作品。
4.「一室、三軒分離通話」は、一見遠隔地における会話かと思えば、一室でも三密を避けるために分離通話するという今状況下を反映した設定。同時にコロナ以前も相手が眼前にいるにも関わらず直接会話することなく、スマホ等の媒体を通じて意思を通わせようとする。何となくシャイ、不器用な人間関係が見えるようだ。

どの作品もエッジあるもの。そう思わせるのは脚本はもちろんだが、役者陣の熱演ではないだろうか(もちろん体温のことではない)。稽古も思うようにできない条件下で、1時間25分、しっかり楽しませてもらった。
次回公演も楽しみにしております。
ジプシー 〜千の輪の切り株の上の物語〜

ジプシー 〜千の輪の切り株の上の物語〜

ことのはbox

シアター風姿花伝(東京都)

2020/04/01 (水) ~ 2020/04/07 (火)公演終了

満足度★★★★★

人の生き方を力強く、そしてハートフルに描いたちょっと不思議な物語。

(上演時間1時間40分) 【Team葉】

ネタバレBOX

芝居は映画と違い、その時、その場だけの新鮮さが最大の魅力であろう。脚本の魅力は、そのテーマというか主張の鋭さ面白さとすれば、演出はそれに息吹を入れることだろうか。

「ジプシー・千の輪の切り株の上の物語」…時代はバブル最盛期、その当時を象徴する土地神話、それを当時の典型的な若夫婦に語らせる。
念願のマイホーム、その建設中のマンションに「流浪の民」であるジプシー一家がやってくる。彼らは梅雨の時期だけ住まわせてほしいと強引に住みついてしまうが──何とか彼らを追い出そうとする夫婦だが、次第に奥さんが彼らの生き方に共感を覚え始め──という物語である。何となく奇天烈のような物語だが、その描くところは鋭く、単に時代(背景)に対する風刺だけではなく、人の生き方を問うている。

バブル当時の物欲への批判的なシーンが印象的であり、今となっては、バブル崩壊後の失われた経済活況を振り返れば含蓄ある台詞の数々。…過ぎたことを悔やめば、無くした物が惜しくなる。先のことを思い煩えば、無い物が欲しくなる。どちらも、ただ物が増えるだけのことだ。物が増えれば、もう旅には出られなくなる……物に縛られて動けなくなるか、何も持たずに自由でいるか、私たちは迷わず自由の方を選ぶ。
とは言え、世代的には夫婦(夫)の感情に近く、自他所有(コンビニ商品含め)関係なく我が物にするところに異論が…。

一見、楽観的な夢物語の戯言に聞こえるが、目先だけではなく、もうほんの少し先を見据えさせることで、観客の思いに訴える。時代背景の現実性とジプシーという夢物語をうまく調和させた脚本。その脚本の面白さを十分引き出す演出が巧みだ。例えば鳥の浮遊感をイメージした衣装、小躍りしたようなパフォーマンスは地に足を着けない、物にこだわらない自由さを表現しているようだ。建築現場のコンクリート=人工、森林=自然というイメージ対比を舞台セットと音響(羽ばたきと風)・照明(夜中=薄暗さが神秘的な自然空間)でうまく表現している。

さて記録(記憶ではない!)という点では、戯曲は映画に劣るかもしれない。また小説のように想像性をかきたてない(直視しているから)。しかし役者の身体を以て、瞬間瞬間で物語を紡ぎ実体化する、そこに芝居の醍醐味を感じる。まさに本公演のようにー。
次回公演を楽しみにしております。
肩に隠るる小さき君は

肩に隠るる小さき君は

椿組

ザ・スズナリ(東京都)

2020/02/26 (水) ~ 2020/03/03 (火)公演終了

満足度★★★★★

昭和初期、庶民の坦々とした暮らし、その背後に軍靴の音が大きくなってくる不穏な様子が観えてくる。不用意な行動が軍事的に利用され、何気ない言葉が人を傷つける、そんな日常に潜む怖さ、悪意を描く。ちょっとした事が高じて不寛容で不自由な世の中へ変貌してしまう。そんな社会的な状況や情勢の変化を、ある家族とそこに集う人たちの交流を通して浮き彫りにする警鐘劇のようだ。ありふれた日常なのに、しっかり劇中に引き込ませる好公演。

タイトルや説明文から四角四面の重厚作品の印象であったが、登場する人物は、少しお茶目でユーモアがあり、他方、意地悪で小言もいう。その人間らしさが身近に感じられる。物語はある家の一室という狭い空間であるが、描いているのは きな臭くなってきた当時の日本。もしかしたら現代にも通じる状況かも…。情景は情緒あふれる観せ方であるが、そこに軍服姿の軍人が登場し「平和」と「戦争」という対極が演出されているとも思える。また人の優しさ、温かさといった滋味溢れる生活感と大きな時代のうねりに翻弄される前夜、その「個人」と「社会」という異なる視点からの描きも上手い。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台は久田家の居間。この家は舞踊家であるため、上手側に舞台の中に稽古舞台を設える。もちろん集団での舞いや1人で稽古舞いをするシーンがある。そして正面奥は庭に面したガラス戸で、外の景色が眺められる。時は昭和9年2月、外は雪が降っている。

物語はこの久田家の孫娘が出産する時から、昭和11年2月の2.26事件前夜までが描かれる。タイトルにある「小さき君は」は、もちろん生まれた子-花子と命名-も指すが、親からみれば、成人した子供も指す。生まれた子も含め、四世代が一つ屋根の下で暮らす。そこには人々の脈々とした”生”が描かれている。

さて、本作は戦争に向かって転げ落ちるような状況下、その時代における市井の人々を淡々と描くことで異常「戦争」と平時「平和」の対比が鮮明になる。久田家の視点を通して事件に至るまでの2年間を描く。普通の家庭である久田家にも軍国化の足音が響き、自由に物が言えなくなる空気が漂ってくる。その不穏な様子がしっかり伝わる舞台。軍国を際立たせる事件として2.26事件が描かれるが、それは直截的ではなく、普段の生活の傍で着々と進んでいる恐ろしさ。その伏線のはり方も日常生活に紛れ込ませ、気が付いたら軍事に巻き込まれている、その巧みな展開に驚かされる。

例えば、比喩的な描きを意識したと思えるシーン。劇中劇として日舞の『八百屋お七』が出てくる。恋のために放火をしたお七と正義のために事件を起こした陸軍将校、その盲目的な姿が重なる。その行為の行きつく先は破滅。知らず知らず、日常に潜む国家による狂気…そのことを何気に描いた秀作。
次回公演を楽しみにしております。
Pickaroon!<再演>

Pickaroon!<再演>

壱劇屋

DDD AOYAMA CROSS THEATER(東京都)

2020/02/25 (火) ~ 2020/03/01 (日)公演終了

満足度★★★★

「超超超エンタメ活劇」という謳い文句通り、スピード感あるエンターテイメント公演。前回も観ているが、迫力という点では物足りなかった。とは言え、主人公不在でこれだけの物語を破たんなく描いているのは素晴らしい。物語は少しネタバレするが、7冊の日記を通して明らかになっていくミューズ的存在・御姫の過去。自分は何者なのか、その自分探しの旅が始まる。
(上演時間2時間強)

ネタバレBOX

舞台は2層、そこへ可動式の階段を掛け、その取付位置などを変形させることで、状況や情景を変化させる。また上下階の行き来による躍動感、ダイナミックなアクションなど、その多彩な観せ方によって観客を魅了する。アクション等が最大の観せ所、魅力であるが、物語もその下支えをする。物語の背景を成す、象徴をもって人心を掌握・操作といった統治は観客の想像の及ぶところ。

物語は一癖も二癖もある盗賊7人が盗んだのは赤ん坊、彼女を守り育てることで一致するが、先々に魔の手が…。そして名付けられたのが”御姫”。7人による物語は時代劇にしても現代劇にしても見かける構成図。何故かその守り役が盗賊や山賊という設定が多い。本公演は童話の”白雪姫”と7人の小人といった構成のピカレスク版。人物造形としては、7人の盗賊と敵役(為政者と腹心)2人が個性豊かで、戦闘能力・技の多彩さで楽しませる。大枠は勧善懲悪ものであるが、7人皆がピカレスク、その一枚岩でなく時にいがみ合うこと、疑心暗鬼になる深層も織り込み面白さを倍加させる。

前回のシアターグリーン(BIG TREE THEATER)で観た時は、御姫がもう少し主体性があり存在感もあったように思う。確かに主人公不在と謳っているが、7人によって守り育てられる中で自我なりが芽生えるといった印象が欲しいところ。それによって時(成長)の過程が立ち上がって物語に幅と深みが出ると思う。さて、御姫との関わりで、先の象徴による人心掌握、直接に合致するか定かではないが、フェイクやデマに踊らされないためのリテラシーを1人ひとりが身につける必要があると思うが…。

舞台技術としての音響、照明も連動してワクワクドキドキ感を演出する。音響はアップテンポの音楽でスピード感、交刃の効果音が臨場感を表す。照明は諧調することで印象付ける巧みさ。個々人の性格付け、それを衣装という外見でも際立たせる。全体的に観る、聴かせる、そして肌に感じさせるといったサービス精神に溢れた好公演。
次回も楽しみにしております。

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