グレーな十人の娘
劇団競泳水着
新宿シアタートップス(東京都)
2022/04/21 (木) ~ 2022/04/29 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
表層的にはサスペンス ミステリーだが、根底にあるのは家族愛・絆といった(心温まる)物語。確かに「二つの家族の秘密のぶつかり合い、十人の娘の思惑が交錯する、世にも可笑しなミステリー」という説明、そして多重構成といった観せ方が推理劇を思わせる。しかし、冒頭がラストに繋がるような展開は、明らかに「家族」の物語である。また敢えて「可笑しな」と、ことわりを入れている。
タイトル「グレーな十人の娘」は、「黒い十人の女」(市川崑監督)を連想するが、その作品へのオマージュと思える(狂言回し的)役どころが肝。また「黒い十人の女」の人物名は、漢数字もしくは数字の読みが付けられているが、本作では、花の名前を付けている。
推理劇仕立てゆえ伏線は回収していくが、少し解かり難いところも散見されたのが勿体なかった。
公演中のため、詳細は「ネタバレBOX」へ。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台セットは、鈴木家の応接間(絨毯に豪華なソファや椅子、調度品等が置かれている)上手・下手に出捌口、上手側正面が玄関に通じている。
冒頭は、鈴木家四女・類(小川夏鈴 サン)が案内役となり、家族を紹介していく。この時、全員が黒い服(無言の状況説明)で登場しているが、すぐに色彩ある私服に着替えている。鈴木家にいる娘は5人、実母は早くに病死、父は海で亡くなり(噓)、母の妹である叔母・景子(ザンヨウコ サン)が引き取って育てている。長女・美由紀(都倉有加サン)は未婚の母となり、娘・えみり(成瀬志帆サン)を生む。そして起業家として独立。次女・にい奈(小角まや サン)は盗み癖があり、警察に出頭と思わせ出奔してしまう。三女・有紗(佐藤睦サン)は芸能界へ、そのマネージャーとして類が同行し、家を出てしまう。残ったのは五女・乃蒼(橘花梨サン)だけ。人物描写が丁寧だった理由が後々解る、という巧みな展開。
探偵役と動機について、もともと皆を集めるための方便…偽装だから敢えて探偵役は不要。その代わりに説明役が居るが、観ればおのずと分かる。
また目的(動機)は、2つであろう。第1は、母・景子の思い。子育ては大変であるが、一方楽しい時もある。が、今は独立してなかなか帰って来ず、淋しい思いをしている。第2は、この家に正面切って帰れない「女」の最期の願い…“賑やかに”を叶えるため。
母(叔母)が結婚するため、両家の娘たちが集まり乾杯をするが、いつの間にか寝てしまい、起きた時には「一つの死体」があった。結婚相手はマッチング アプリで見つけた田中家…カエデ(加茂井彩音 サン)、モモ(江益凛 サン)、ワカバ(鄭玲美サン)が先に来ており、遅れて椿(橋爪未萠里 サン)がやって来た。一瞬、彼女の職業(噓でないと疑問)からアガサ・クリスティの「ねずみとり」を連想したが…。
因みに「仕込み」における他家の葬儀(泣いた)話は、鈴木家に対する逆説的な比喩として描いているよう。さり気ないが本公演の核心を突くようで、実に上手い。また、葬儀は「黒い十人の女」では亡くなった女が幽霊になって登場し、狂言回し的な存在になるが、本公演では四女・類の案内役以外に、裏狂言回し的な役割を担う人物「女」が…。
ラスト、小川夏鈴 サンの不思議・奇妙な「一夜」という台詞は、全編が1日の物語であったのだろうか? だとすれば、1日の中で、表層は「サスペンス ミステリー(仕込みも含め)」、深層は更に「現実」と「回想」といった多重もしくは螺旋構成になり複雑化し過ぎのように思う。また、冒頭・ラストの「ピノキオ」の物語は、何かの比喩-暗喩であろうか気になる。
ミステリーという謳い文句に従い、細部に拘った謎解きに終始していると、物語で描きたかった「家族」が観えてこない。なかなか手強い公演といった印象である。
次回公演も楽しみにしております。
ムーランルージュ
ことのはbox
萬劇場(東京都)
2022/04/20 (水) ~ 2022/04/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い! お薦め。
戦後の「ムーランルージュ新宿座」での軽演劇やレヴューの上演という表舞台 とその劇場で生計を立てていた人々を描いた裏舞台、その二面性をもって戦後の世相を切り取った群像劇。ムーランルージュはフランス語で「赤い風車」を意味し、新宿座にも 実際 屋根に赤い風車があったらしい。ムーランルージュ新宿座のキャッチフレーズ「空気・めし・ムーラン!」には、人間にとってなくてはならないものという劇団の自負が込められていたとも…。
物語は、戦後間もない頃の「ムーランルージュ新宿座」が舞台、戦禍で焼け野原と化した時代を背景に、生きること、作劇と検閲、恋愛といった話を織り込み飽きさせない。ただ、戦後の空気感のようなものが漂ってこないのが少し残念。
物語は、新宿が焼け野原の時代を背景にしているが、チラシは今の新宿・・・高層ビル群が建ち並び、隔世の感といった風景(情)を表す。街の復興・変化はあったが、人の心にある差別・偏見といった意識はそう簡単に変えることは出来ないような…。
表層的には華やかであるが、色々考えさせる事柄を点描しながら人間讃歌を謳った骨太作品。
公演には、戦後の事情を反映した台詞も多く、そのために「『ムーランルージュ』用語集」を配付する心遣い。一読しておくと更に物語を楽しめる。
(上演時間2時間30分 途中休憩15分)
ネタバレBOX
舞台美術は、レヴューの表場面と劇場での生活という裏場面を表すため、中央は大きなスペース、上手奥に二階部へ通じる階段、下に応接セット。同じく上手客席側に道具仕立用荷台、下手は作家の机1つ。表と裏舞台は、上部から垂れ幕を下ろし舞台空間を前・後で仕切るという簡単な仕掛け、観せ方で物語の流れを止めない工夫が巧い。勿論、当時のレヴュー衣装は用意出来ないが、(アンサンブルも含め)華やかな雰囲気を現し、一方 舞台裏の生活面は質素なもの。
終戦間もない頃、赤い風車が目印の「ムーランルージュ新宿座」の幕が開け、篠原美雪(橋本愛奈サン)の歌(上手い)から始まる。彼女の夫・下向哲平(松浦慎太郎サン)は戦死したと思われていたが生きて、そしてGHQ米兵に襲われていた国枝静(石森咲妃サン)を助け新宿座へ帰ってきた。戦後、人々は「飢え」ていた。 遥冬子(中右遥日サン)が「一杯のお粥も食べらない子供たちが『生きたい』と言いながら毎晩死んでいくのに、死にたい奴に飯食わせたら道理が通らん」。子供たちとは「戦争孤児」を指すだろう。 飢えているのは踊り子たちも同様で 、馬場ナナ子(上不あやサン)は踊りの練習中に倒れる。「ちょっと目眩が」と答えるが、柿野園子(蒼井染サン)が「ろくなもの食べてないからよ」と。
さて、公演に戦後の間もない頃の雰囲気、匂いを求めるのは酷なのだろうか。唯一感じられたのが、押田真喜子(篠田美沙子サン)が亡くなった子、その面影を追い続けている悲しい姿、そこに戦争の悲惨さが色濃く漂うが…。
当時の日本人が「占領」をどのように受け止めていたか。 本作には、太宰治の戯曲「冬の花火」に関するエピソードがある。 新派が上演を申し入れたが、検閲で「CIE(民間情報教育局)が上演を不許可」にしたこと。戦時中の日本(軍部)における検閲の厳しさ、一方 CIEは民主主義・自由解放を掲げながら軍国色ある戯曲そのものは勿論、台詞の隅々まで検閲することを皮肉る。
河西浩治(井上一馬サン)は、裏切り行為と思いつつも家族を守るため、日系人のジェシ―・村中(如月せいいちろーサン)に誘われて、CIEで、日本人が書いた手紙を翻訳する仕事を始める。が、やがてCIEを辞めたい言い出す。多くの封書を開けて読んだが、GHQが懸念した諸々批判するような手紙はない。占領軍の懸念・・・他国を占領したら、必ずレジスタンスが組織され、反米闘争を呼びかける手紙があると。しかし、そんな手紙は皆無で、あるのは生活が苦しい愚痴や泣き言ばかり、という誇りではなく現実だけ。むしろ日本(人)が恥ずかしい。
一方、日系人ジェシー村中の自虐的な台詞……私たちは日本人に人種差別はいけないと言い続けているが、GHQでもトイレはカラードと白人は別。登場人物に台湾人がおり、日本人との間で差別扱いされていたが、それでも戦時中 軍夫になれたことは良かったという。一筋縄ではいかないのが人の差別意識の払拭だろうか。
興味深いのは、敗戦後の日本人が、あの戦争をどう捉えていたか。 大道具担当・佃光(佐野眞一サン)は年長者で、時々辛辣な台詞を言う。今では人々が「軍部は日の丸掲げて、民衆を侵略戦争に送り出した」という決まり文句に、佃は言う「みんなで戦争をやったんだ。シンガポールが陥落した時うれしかった。一緒に日の丸振ってた人たち、あの人たちみんな心の底では戦が嫌だと思ってたのか」。佃は戦争中の庶民を代表するような役回りで、占領下における日本人の困惑した心情を吐露しているよう。
下向は「日本は進駐軍の力で旧体制から解放されて自由を手に入れた」という言葉に反応して「外国の軍隊に占領されて自由になった?そんな話、聞いたことがない」と切り返す。また 「アジアの国々を真面目に侵略した」と言われ、「南の島で死んだ兵隊たちはまったくの犬死にだって言うのか。戦友たちがみんな死んで、生き残ったのが後ろめたい」と。大道具・佃や帰還兵・下向のような声は、今では直接聞くことは少なくなった。いや出来なくなったと言っても過言ではないだろう。だからこそ、小説や、戯曲として遺されたものの中に生きている、当時の人々の様々な思いを、汲み取っていくことが大切だ。
公演の魅力は、表面的には華やかだが、その裏では生活に飢え渇き、心は疲れている。戦禍とコロナ禍を同一視することは出来ないが、それでも根底にあるのは、人は懸命に生きている。「どんなに辛いことがあっても舞台に出ればニッコリ笑って歌うの。」は、今の演劇界の意気込みに通じるもの。その意味で見事な作品選定だと思う。
次回公演も楽しみにしております。
七慟伽藍 其の二十八
THE REDFACE
横浜関内ホール(神奈川県)
2022/04/20 (水) ~ 2022/04/21 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
脚本は面白く、演出は情景・心象表現に優れ、役者は迫真の朗読演技。圧巻…お薦め。
活読劇というのを初めて観て聴いたが、素晴らしかった。この「七慟伽藍」は2009年4月初演で、本公演で其ノ二十八を数えるというのも肯ける。壮大な戦国時代絵巻を七人の武将とストーリーテラーの八百比丘尼の八人で紡ぐ。役者は台本を持ち、立ち座りといった最小限の動作、豊かな感情表現で観(魅)せるが、さらに照明や音響が臨場感を高め、観客の感性を揺さぶる。
物語は、戦国時代の通史というか歴史小説等で知られた内容をベースに、「本能寺の変」の謎を興味深く描いており、歴史好きには堪らない公演だろう。初演当時は「戦国に詳しくないから一度では分からない」と言われたそうだが、今ではすんなり伝わるようになったという。自分は、一度では分からないではなく、もう一度、いや何度でも聴き観たくなるほど、その世界観に痺れた。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは木製の変形二段平行台、一段目に4人(上手側から順に 徳川家康、豊臣秀吉、明智光秀、浅井長政)、二段目に(上手側から武田信玄、織田信長、朝倉義景)が黒着物姿で座る。なお配置にも意図がある。上(二)段中央にいて睥睨する信長、下(一)段は、配下の武将または同盟武将・義弟である。夫々の席にはマイクが設えており、台詞が聴き難くなることはない。冒頭は、(初めは正体不明)八百比丘尼が黄泉の国へ七武将(彷徨える魂)を誘うような…。語られるのは、七武将が覇権・天下統一を目指していた頃の回想、生きている時には知り得なかったことが次々明らかになる。乱世ならではの非情や無念といった慟哭(心情)を表現。ここまでが通史的によく知られた物語。
魅力は、天下統一目前で「本能寺の変」で死んだと思われた織田信長が生きていた、そして明智光秀もまた、という奇想天外な展開へ…。そして日光東照宮等の建造物に今も残る謎を示す数々の痕跡、さらに子供遊びに歌われる「かごめかごめ」に秘められた歌詞の謎。飽きさせない、いや逆に興味を惹かせるような知的好奇心への擽り。また七武将に関係する千利休や石川五右衛門といった人物との逸話も挿み、物語に広がりを持たせる工夫が実に巧い。
そして何と言っても演じている役者の熱演が凄い!七武将…織田信長(榊原利彦サン)の睥睨し他者を圧倒する迫力、明智光秀(川本淳市サン)の苦悩・苦悶する繊細な表情、豊臣秀吉(串間太持サン)の”猿”と言われた小狡いさ、剽軽さ、浅井長政(高橋孝輔サン)の愚直で厚情ある思い、武田信玄(山口仁サン)の渋みある低音が貫録を表現、朝倉義景(川原英之サン)の上品で端正だが、線の細さは義景イメージ、徳川家康(石垣佑麿サン)の捉えようのない姿の中に芯の強さを感じさせる。そして唯一の女優(艶やかな着物姿)で八百比丘尼(後藤萌咲サン)のストーリーテラー、その他 森蘭丸・千利休・石川五右衛門といった人物の逸話を情感溢れる演技で武将達を支える。
役者の熱演を、多彩な照明や音響効果で支える。冥界といった空間、伽藍といった場所は言葉(台詞)で表現し難いが、例えば渦巻状の照射で曖昧さを表現、合戦場面等は真っ赤にするなど状況演出が巧い。
物語の謎…「『本能寺の変』驚愕の真実」は、ぜひ劇場で堪能してほしい。
次回公演も楽しみにしております。
安心して狂いなさい
中野坂上デーモンズ
北とぴあ ペガサスホール(東京都)
2022/04/17 (日) ~ 2022/04/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
佐藤佐吉演劇祭2022 参加作品。㊗️十周年。
1度は観たいと思っていた団体「中野坂上デーモンズ」…旗揚げ十周年記念公演其のに、で初観劇。料金は初日限定サービスで「10円」だった。
ハイテンポ、ハイテンションで攻めまくる公演。多くの登場者による同時多発言、多い情報量が脈略なく流れ、思考が追い付かない。まぁ代表・松森モヘー氏の整理されていない頭の中を覗くような、「メタバース(仮想空間)」の話である。偶然だが、観劇翌(18)日に「メタバース推進協議会」発足の設立記者会見が開催されたほど、現代的な着眼点だ。
あぁ自分にもう少し柔軟な思考、豊かな感性があれば、もっとカオスの世界を楽しめたかも…。
ポップでクール、ベタでシュール、馬鹿で知的、エンタメでアートといった、様々な相反する要素が溶け合った“感覚的”公演。ドタバタコメディのように思えるが、展開していくうちに奇妙でシュールな世界観に包まれているような錯覚に陥る。一見キワモノのような公演だが、内容は手強いかも知れない。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
全体が黒色で統一され、中央演台上の綺麗な生け花がやけに目立つ。上手奥はカウンター、その他L字のソファーや筒状オブジェ、奥の壁には梯子が立掛けてある。至る所に出入口があるが、その場所の意味するところは解らない。
冒頭、松森モヘー氏が、物語の世界観は「メタバース」で、仮想空間での出来事を描いていると説明。この仮想空間へアクセスしたが、何らかのトラブルでログアウト出来なくなった。登場人物?は20名、当日パンフに苗字も書かれているが誰が誰やら分からず、人物を追うこと、読み解くことを止めた。物語に没入せず、表層を俯瞰することで見えてくる世界観…たぶんログアウト出来ないプレイヤーや仮想空間のアイテム、デテールが混在し騒いでいる、そんなカオスの世界だろう。
舞台美術は黒色に統一されているが、その空間を自由自在に 躍動感溢れるように動き回るキャストの衣装は、ミニチャイナ、ジャージ、スーツなど様々でカラフルな色彩。奇妙な化粧や変顔も印象的で笑える。
出捌口は、茶室の にじり口のように低く狭い所や梯子を上り下りして壁向こうへ行き来きする。何故か脈略の解らない、そして捻じれ歪なイメージを抱かせる奇異な光景に引き付けられる。
終盤、この舞台空間は、メタバースによって精神疲労 障碍をきたした者のリハビリ施設、といった台詞があり納得したつもりが、さらに物語が進展していく。で結末は?
やはり一筋縄ではいかない手強さがある。松森氏によれば、「自分が10年演劇がやめられなかったのは『安心と狂気』この食い合わせが人を病みつきにさせるからかもしれない」と。自分もその病みつき世界に引きずり込まれたような…。
次回公演も楽しみにしております。
リディキュラブ
南京豆NAMENAME
王子小劇場(東京都)
2022/04/15 (金) ~ 2022/04/18 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
佐藤佐吉演劇祭2022 参加作品。 お薦め。
未見の劇団「南京豆NAMENAME」…「ラフでポップだが血の通った演劇」「やりたいことはなんでもやる」という創作理念を掲げているらしいが、手堅く上手くまとめた印象。
身近にありそうな「恋愛」、それも痛くて、儚くて、もどかしい、そんな不器用な愛にもがく内容である。本筋の変化を求める男、変化したくない女、考え方生き方に少しズレのあるカップル。脇筋の繊細で優しくいたわり合うアニメ・ファンタジー風カップル。そんな二組の恋愛は、普遍的であり現代をも反映しているような。
どういう具合に生きていっていいのか、そんな迷い模索する様をコミカルに描いており、観て優しい心持ちになれる青春ドラマ。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台は出入口側に設えているため、途中での入退場は不可。四畳に段差を設け二畳ずつ縦・横に向きを変えて置く。天井には傘電球。舞台と客席の間に、ごみ袋・雑誌・DVD・空き缶等が散らばっている。部屋の様子 暮らしぶり、住人の性格を表している。
本筋の チヒロ(今井未定サン)とミヤタ(藤本康平サン)は付き合っているが、これからどうするのか未来像が描けていない。チヒロはバンド活動をするため上京してきたが、未だに売れず、一方 ミヤタは仕事が長続きせず、何とかなるさといったお気楽な性格。チヒロは生き甲斐であったバンド活動を止めようと…。姉・あや(北本あやサン)からは、医師を紹介され結婚して落ち着くように言われる。
脇筋の ちーちゃん(赤猫座ちこサン)と みっきゅん(板場充樹サン)は、幼くマンガキャラのようなカップル。しかし、ちーちゃん は余命宣告され儚さが漂い、みっきゅんは、少しキケンな香りと素振り。
この二組のカップル、事情は異なるが すれ違う優しさと わだかまる不安を抱え、それぞれの「愛」のかたちを求めて生きる様を軽妙に描く。何度失敗したとしても 人生を改めて生き直し、愛を育んでいく姿が等身大に描かれる。
どこにでも居そうな人物、日常に潜む心の機微を丁寧に描く。都会の喧騒の中で、傷つくことを恐れ、いつかは何者かになれると信じているミヤタ、一方 チヒロは母の死を切っ掛けに地元に帰ろうとする。何となく満たされて、どこか物足りない毎日を過ごしていた2人が微妙にすれ違ってきて…。突拍子もない話ではなく、身近に寄り添うような物語というところが魅力。不安を抱えながら出口のない青春のもがき苦しむ様子をコミカルに描く。それは単に「時代」というだけではなく、いつの時代も同じではないか。特に今、コロナ禍で平穏な日常は奪われ、制約の多い日常の中で何を思うのか?閉塞する混迷の時代だからこそ、楽しみながら観たい作品だ。
主宰・河村慎也氏が、当日パンフに「愛」について「いっちばん普遍的で漠然とした超厄介な宿敵を相手取り」と記しているが、青春期の痛くて、儚くて、もどかしい日常・愛情を上手く表現出来ていた、と思う。上階部を利用した結末は、敢えてある動物を登場させ、ちーちゃん と みっきゅん の先々を暗示させるようで物悲しいが…。
次回公演も楽しみにしております。
夜ふかしする人々
戯曲本舗
小劇場メルシアーク神楽坂(東京都)
2022/04/15 (金) ~ 2022/04/18 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
3つの劇団が「夜ふかしをする人々」を共通モチーフに描いた短編、それぞれに趣があって楽しめた。オムニバス公演で、「夜」以外に「人々」という、人間(親子)関係を紡いでおり、何となく似たイメージを連想する。
タイトルは、「浮遊している、俺ら」(水中散歩)、「アンフォルム」(戯曲本舗)、「機種変更」(劇団二畳)で、ストーリーはチラシに記載あり。各作品には、それぞれ「思い出」「妄想」「夢」といった浮遊・虚空感が漂う。
「夜」は、仕事帰りにフッと空を見上げると煌々と輝く月があり、昼とは違った心持になる。夜には夜の魅力があるのと同様、劇団それぞれの特徴が表れた共演にして競演らしい試み。今後も続けてほしい公演である。
(上演時間100分 各30分×3 途中休憩10分)
ネタバレBOX
基本は素舞台。持ち込まれるのは椅子ぐらい。ただ「アンフォルム」は、椅子の変わりに寝袋や積み木が持ち込まれる。3団体とも登場人物は3人で、濃密な会話劇を展開していく。各劇団らしい作劇で、共通の「夜」の捉え方、描き方が異なり、そこが本公演の魅力であり見どころ であろう。当日パンフに、プロデュースした戯曲本舗のサカイリユリカさんが、「アンフォルム」について、3作品の中でも異彩を放つ、そして非日常に身をゆだねて と記している。たしかに他の2作品は、身近にありそうな物語である。
本公演の全体を通したイメージは、何となく「雨月物語」を連想。構成(「雨月」は9篇)は勿論、合同での出版(共演)や挿絵(公演チラシは3団体の作品イメージ)という外観、そして「アンフォルム」という捉えどころのないタイトルが「夜」=「何も無い」に通じる。しかし、実は夜には夜の世界…生き方や必要性を描き出している。
●「浮遊している、俺ら」
子供の頃は夜が怖かった。夜が来なければいいのにと思っていたが、ある日 友人からの「夜を味方にする」というアドバイスに救われる。そして探偵業へ。夜の公園で団地を見つめる男3人の取り留めのない会話が、日常と非日常、実像と虚像、それぞれを行ったり来たりするようなファンタジー作品。
●「アンフォルム」
吹きっさらしの荒野に、夜の帳が落ちていく。3人の男女は何かを待ち続けているようだが、それぞれ自分の世界観に入り込んだままで、会話はチグハグ。そのうち、女が抱えている寝袋の中が気になりだして…。来ない友人、影=自分に畏怖する、怪奇的な劇風は「雨月物語」を連想。が、一番動きが激しく、夜を満喫しているような…。
●「機種変更」
葬儀場。喪服姿で故人の娘がぼんやり。色々あった親子による寝ずの晩の会話劇。「携帯」の「機種変更」に準えた、早く見直せば良かったと。しかし線路に例え、交わらず平行する会話は それはそれで良し。内(過干渉)に行けば衝突、外(無関心)に行けば離れてしまう。作品中では一番オーソドックスな描き方。故人の俯瞰した姿が印象的。
3作品の登場人物は3人と少人数、しかも舞台装置もないから、確かな演技力が求められる。「夜ふかし」という状況をどう表現するか、物語を「紡ぐ」というよりは、「空間劇」の面白さといった公演。
コロナ禍で公演がなかなか出来ない状況、それでも何とか工夫したのが本公演だ。最小スペース、少ない舞台セット、少人数という制限・困難を乗り越えての上演に感謝。
次回公演も楽しみにしております。
グレートフルグレープフルーツ
LICHT-ER
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2022/04/13 (水) ~ 2022/04/17 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
観応え十分、お薦め。
人の心、その闇に宿る寂しさ虚しさといった思いを抒情豊かに描いた物語。深みある脚本、観客の気を逸らせない演出、そして物語を観(魅)せる舞台技術は素晴らしい。
登場人物は6人だけだが、しっかりキャラクターを立ち上げ、物語の世界へグイグイと引き込んでいく。表層的な観せ方は、少し滑稽で面白いが、そこに紡がれる人の絆や縁といった関わりが物悲しく描かれる。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは、正面壁に殴り書きされた多くの貼紙。しかし後々その貼り方に工夫が施されており、照明(プロジェクションマッピング風)によって情景が立体的に浮かび上がる。中央に少し大きな台が横向きに置かれ、所々に貼紙が見える。後景と一体感を持たせた舞台美術はシンプルであるが趣がある。
この合同会社LICHT―ER企画は未見であった。まず脚本の末原拓馬氏、演出の塩崎こうせい氏、そしてプロデューサー兼照明担当の阿部将之氏という、スタッフの名前を見て観劇を決めた。そして観て良かったと実感!作品は作り手を離れ普遍性(後世)あるものへ、と信じている。
主人公ヒカリ(福圓美里サン)は、今35歳の「週刊真実」の記者。冒頭はヒカリの出生時のエピソード、8歳の時に父が家出して戻ってこないといった生い立ちの紹介。この編集部は、福岡県で発生した連続バラバラ殺人事件を記事にすることにした。ヒカリは、大手新聞社(エリート)からこの雑誌社に入った通称:クヅ丸(土田卓サン)と一緒に取材をすることになる。次々に発見されるバラバラ遺体は浮浪者ばかり。そして喰いちぎられたような痕があり、地元の人々は妖怪「ししこり」の仕業だと噂する。2人は その巣窟へ…。
陽の当たる途を歩む者もいれば、闇(陰)しか知らない者もいる。「陽」「闇」は人との関わりの有無として喩え、誰にも知られず 記憶も薄れ忘れてしまう怖さ。身寄りもなく、死んだことさえ知られない浮浪者、その被害者たちを”事件にする“ことによって注目させる異常さ哀しさ 怖さ。ヒカリと父(他複数の役:森尾繁弘サン)のあの世(夢)での邂逅に泣ける。同時に妖怪を生み育てたテルオ(音羽美可子サン)と幼馴染でヤクザ・影彦(阿久津京介サン)のエピソードを若いヒカリ(他複数の役:吉田紗也美サン)の生い立ちと重ね合わせる。
妖怪が居るという巣窟…見事な照明技術で闇の奥深くに誘われるようだ。照明は祭り提灯や赤い糸(絆)・蜘蛛の糸(絡めとられた柵〈シガラミ〉)といった光景や心象を巧みに表現する。併せて、妖怪の咆哮するような不気味な音響、それら舞台技術を駆使し洞窟内という迷宮を出現させる。
演技は、福圓さんの酔った悪態、罵声といった醜態、剥き出し演技が実に自然、観入ってしまう。そんな彼女に「ホ」の字になる土田さんの忠犬ぶりが笑いを誘う。借金で自殺した母を想うテルオ・音羽さんの宝塚歌劇団 男役のような凛々しさ。テルオの母を死に追いやった影彦・阿久津さんのヤクザの派手さと苦悩の姿という二面性の演技。森尾さんの複数役は味わい深く、一方、吉田さんは控えめな役柄でしっかり支える。皆さんが熱演であった。
次回公演も楽しみにしております。
#15『朱の人』
キ上の空論
本多劇場(東京都)
2022/04/13 (水) ~ 2022/04/17 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
人間のエゴと演劇愛を描いた怪作、いや秀作だろう。観応え十分。
自分の気持ちに正直に生きる、そのために生じる他人との摩擦や確執を、演劇という世界を通して見つめる人間ドラマ。心のあり様…説明にある「壊れて」は舞台美術を巧みに使い、視覚としても印象付ける上手さ。そして、コロナ禍における「演劇」を取り巻く状況も垣間見せるという、社会的な一面も切り取り厚みを持たせる。自分好みの公演!
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は物語の展開や状況に合わせて変わる。冒頭は、中央に主人公・御テツキの家庭。奥にレースカーテンのある両開き窓、上手奥は生演奏用(音楽・演奏:堀山峻紀サン)の別スペース。下手はホワイトボードや階段状舞台装置。天井には、蛍光灯が仕込まれた横長枠が吊るされている。しかし、物語の展開に合わせそれらの装置を可動させ、都度 状況や情景を作り出す。生演奏(音楽)は、心の乱れなど、心象風景を感じさせる見事なもの。併せて照明、特に蛍光灯の点滅は不安と不穏を助長する効果。
物語は、中学3年生のテツキ(藤原祐規サン)の初体験、それを無神経にも言い触らす。そして高校進学、好きになった女性が演劇部に所属しているため、自分も演劇未経験だが入部。とにかく女好きで、口説きまくる。先輩から借りた演劇界 大御所のVIDEOを観て感化され…。演劇の魅力に”憑り疲れる”(☚造語)が、そんな表現が合う大人になったテツキ(村田充サン)の演技が素晴らしい。狂気とも思える演劇人、そこに演劇の「芸術」と「生活」という「生甲斐」と「経済」という両面の現実を突き付ける。ナレーター、そして 兄テツキの内面を説明する弟・亜月(久下恭平サン)の淡々とした語らいが、物語を落ち着かせる。
物語の中で、劇中劇として公演しているシーン。その上演時に東日本大震災が発生する。非常時に演劇は、人々に生きる糧として本当に必要とされているのか、といった台詞の重み。現在に置き換え…コロナ禍で不要・不急の外出制限、演劇業界も苦境に(今も)喘いでいると聞く。しかし満席、そして観劇後のロビーでもう一度観たいと言った声を聞くと、演劇への要(急)求は必ずあると思う。
兄の「壊れる」は精神的なこと、そして僕=弟の「滅んだ」は肉体的なこと。その演出は、脚本(物語)の中で、演劇という「芸術」の重みを役者の心象表現を通して観せるが、同時に舞台セットの「壊れる」といった視覚で印象付ける。こちらも見所の一つ。
物語の中における劇団内の演技に対する尖った台詞、運営に対する毒を含んだ言葉、それらは実際の演劇現場を垣間見るようで興味深かった。劇中での熱い思いは、そのまま この公演における役者陣の熱演そのものに置き換わる。
次回公演も楽しみにしております。
そのあとの教員室
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吉祥寺シアター(東京都)
2022/04/08 (金) ~ 2022/04/12 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
千穐楽観劇。観応え十分、お薦め。
1946年9月、戦後1年経った国民学校 教員室が舞台。戦前の教育を信じて疑わなかった教師達、しかし終戦とともに大きく変わった、と言うよりは今までの教育を全否定されて戸惑う教師を通して「教育」とは、を考える。
また教育者である前に人間であり、その矜持と責任を問う、一方 教員という地位(職業=生活の糧)維持のために必死の言い訳をする。天秤が揺れるが如く右往左往する滑稽な姿に「教育」の危うさが表れる。
延長線上には「平和」「民主主義」といった、現在当たり前のように享受している国民主権(「御真影」「奉安殿」といった台詞に対し)、その大切さが明らかになってくる。公演の内容は硬質だが、時に笑いを誘い観客を飽きさせない上手さ。見事!
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セットは、教員室内…教員机や書棚が並び、所々に雨漏れ用の桶、盥や飯盒が置かれている。受ける物によって音響が異なる細かさ。雨漏りによって校舎の戦災状況がそれとなく分かる。
GHQは戦前・戦中時に軍国主義的な教育を行った教師を教職から追放する政策を掲げる。日本政府はこれを受けて、教育適格審査委員会等による審査によって教職員不適格者を排除することにした。そんな背景の中、GHQから1人の女性トヨコ・ヤマモト・ペリー(家納ジュンコサン)が、この学校に現れる。この学校で教えを受けた男が自殺した。ペリーは、その原因が「教育」にあったと糾弾する。そして教師一人ひとりの行状を明らかにしていく。どうして自殺しなければいけなかったのか、その謎解きが審査委員会の審査と重なり教師達の保身が始まる。
自殺に追いやったと思われるのは、以外な人物で驚かされる。
戦前、最も重要に扱われた「御真影」「奉安殿」、そして身についてしまった軍国的動作、笑うに笑えない当時の状況。しかし 生きていくため教職追放を免れる方便の数々。教員の揺れる思いを織り込み、「教育現場」の難しさを色濃く描く。運動会で使用する音楽(軍歌不可)、国旗掲揚の否定、戦争同盟国の音楽(ベートーベン等)のレコード廃棄等、時々の教育方針に翻弄される。今も言える真の教育とは?を考えさせる。平仮名しか書けない大工・亀山正(永井博章サン)が、英語を話し通訳的な存在になる。まさに生きた「教育」とは何ぞやといった皮肉も描く。
日本の教師責任…例えば、戦前であれば当たり前の体罰(ビンタ)を行った教師・西条和子(紗織サン)は、悩み退職を考える。しかし生徒の調査票では、これからも「(西条)先生から教えてもらいたい」という結果。一方、教師・浦島繁太郎(千代延 憲治サン)はペリーに戦争に絡めて、罪なき人々を死に追いやり、故郷を焼け野原にする、そんな教育をしたアメリカを非難する。重い遣り取り、その濃密な会話が物語の核心を突いていく。
役者(登場人物は8人)は、それぞれの性格や立場を鮮明にしており、バランスも良い。ほぼ出ずっぱりで、その場(教員室)から逃れられないといった雰囲気を漂わす。本公演は、久し振りに吉祥寺シアターでの上演。物語に出てくる国民学校名が何となくこの地を連想させるような…。
次回公演も楽しみにしております。
ツインテールドールハウス
四日目四回目
北池袋 新生館シアター(東京都)
2022/04/08 (金) ~ 2022/04/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
メルヘンチックな光景の中に観念的な物語を紡ぐ、そんな奇妙で独特な世界観。不思議と観入ってしまう公演である。女生徒4人と男生徒1人による、高校二年生三学期の話。
自分探し、それを或る媒体を通して確認する。女生徒の性格付けはチラシ 説明にあるが、女性らしい(偏見かもしれないが)特徴をもって表すところも面白い。それが物語の肝になるという巧さ。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
舞台セットはメルヘン的な絵柄(花、リボン、額縁に蝶々、タンス等)の光景幕、上手にピアノ、中央に新聞束の台があるだけ。
登場人物は、花の名が付いたかわいらしい名前。完璧主義者・林桜子(金曜日のアイ サン)は、ツインテール。林桜子の親友・加藤桃(鈴木彩愛サン)は勤労学生、髪型はポニーテール。優等生・梅澤静香(井澤佳奈サン)は音楽好きで、ショートヘア。愛川家長女・愛川杏(水落燈李サン)はお嬢様で おさげ。4人のヘアースタイルは夫々の性格を表し、髪型を変えることによって自分自身も変わるような。自分探しへの切っ掛けは、自称アマチュアカメラマン・西海渡(越石裕貴サン)が、桜子へ写真モデルを依頼したため。それも人形の格好という変わったもの。その撮影を密かに覗いていた杏も被写体として撮影されるが…。
人形の姿をすること、それは今までの自分と違う感覚を目覚めさせた。本当の自分とは という模索が始まる。桜子は、外見=体(見えるもの)と心(見えないもの)を見つめることによって、今まで、こうしなければいけない、こうあるべきだ、といった枠、固定観念を自分で築き生きてきた。また杏は、家族からの期待など、知らず知らず意向に沿うといった不自由な生き方。凝り固まった杏、その面倒を見る桜子。写真の被写体になることで知った本心、同時に髪型を変える(おさげ を下す)ことで、心身ともに解放され自由へ…。そんな少女の揺れる気持がメルヘンチックな光景の中に描かれる。外観の浮遊感に比べ、内容は心の彷徨といった硬質な心象風景。そのアンバランスな公演は不思議と魅力的であった。
桜子は、自分のアイデンティティを喧伝するよう、新聞束の上に乗り拡声器を使って叫ぶ。一転、モデル(人形)姿は、フリルの付いた可愛い衣装。演出は硬軟(柔)といった対照を意識した工夫。
次回公演も楽しみにしております。
いかけしごむ
劇団俳優難民組合
下北沢 スターダスト(東京都)
2022/04/08 (金) ~ 2022/04/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
別役実「いかけしごむ」は何度か観ているが、また新たな観点で観ることが出来た。公演の魅力は、舞台の雰囲気作り。なお、登場人物の女を男優が演じているが、その演出の必然性がもっと感じられれば…。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
全体的に薄暗く、この先はないという路地裏の雰囲気をよく表している。天井、板(床)や壁に透明なシートが敷か(張ら)れ、その下に新聞紙が敷き詰められている。ほぼ中央に運命鑑定と書かれた占机と手相の行灯等、何故か赤電話(受話器)が吊るされている。下手側には木製ベンチと灰皿スタンド、後ろに「ココニスワラナイデクダサイ」の張札が立っている。舞台と客席の境は明確にしていないことから、演劇という虚構と客席の現実(新聞紙によって日常の出来事)が地続きになっている。その舞台構造に新鮮さを覚える。
女(ふじお あつやサン)が現れ、構わずベンチに座る。その後 男(竹岡直紀サン)が現れ女とのチグハグな対話が始まる。女は次々と男の状況等を言い当て、男を不安と混乱に陥れる。平行線を辿る会話は珍妙でコミカル。何が本当で何が嘘かも分からないままミステリアスな対話が連なる。そのうち男が持っていた袋の中身に言及してくる。男曰く、イカで消しゴムを製造できることを発明し、そのため秘密結社・ブルガリア暗殺団に命を狙われていると。そんな事実があるのか、女がリアリズム=現実もしくはリアリズム≠現実と向き合うことになるが…。ラスト、女の独白は自分自身の身の上話。
さて、赤電話は「命の電話」で、何事か相談した結果「死ね」という回答だったらしい。そこに姿・形のない世間が突如として表れ、無関心と無責任といった冷たい風が吹く。会話劇に状況が入り込み、物語が立体的になり広がっていく。
女は男が持っていたビニール袋の中身をぶちまけるが、出てきたモノが不気味。そのモノや喫煙シーンなど、今そこにリアルを観せる。
卑小だが、男優2人の役を逆にしたらどうなのか?女役の ふじお あつやサンは大柄で声は低く、一方 男役の竹岡直紀サンはふじおサンより小柄で、声は高いような。男女の性差、その特徴を一般的な固定観念で云々するつもりはないが…2人のイメージから そう思えた。
次回公演も楽しみにしております。
ELEMENT DD
元素G
調布市せんがわ劇場(東京都)
2022/04/09 (土) ~ 2022/04/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
二部構成のダンス公演…観たかった公演の1つ。観応え十分。
第一部(11演目)と第二部(11演目)とでは、明らかに観せ方が違う。第一部は、出演者全員のフォーメーションダンスから2人のダンスまで、基本的なダンスが楽しめる。第二部も同様の形態であるが、明らかに意図した演出を施しているところが異なる。同時にフォーメーションダンスの怖さも知ることになった。とても参考になる公演であった。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
二段平行舞台。全部のダンスにはタイトルが付いており、それぞれに意図した振付があると思うが、はっきり分かるものと、そうでないパフォーマンスがあった。受け止め方(感性)の違いであり、自分の感受性は乏しくなった かも知れない。
第一部、冒頭のダンス(Parade)は上手から下手へのウォーキング、ここで全員のお披露目をする。踊るメンバーの多い少ない フォーメーションの違いはあるが、曲に合わせてのダンスパフォーマンスは同じ。
第二部、ある意図(ドラマ)を持ったダンス、身体表現はもちろん衣装や音楽・照明といった舞台技術を駆使した演出が素晴らしい。例えば、先日亡くなった藤子不二雄Ⓐさん(藤子・F・不二雄サンとの共作)の「オバケのQ太郎」をイメージしたダンスでは、ダンサーが白くフワッとした衣装を身に着け、曲は勿論「オバケのQ太郎」主題歌をアレンジしたもの。照明は衣装に合わせて淡白色(アイボリーホワイト)という拘り。
公演の見所は、勿論 ダンスパフォーマンスであるが、ダンス(タイトル=意図した表現)に合わせた選曲や照明効果が、ダンスだけで1時間30分を観せ 惹きつける。その演出力に感心する。同時にフォーメーションダンスによってダンサーの力量差が鮮明になる怖さ。そして細かな仕草(例えば、手首をクランク状に曲げる動作等)、それは演技力の差と言っても過言ではない。
色々な意味で学ばせていただいた公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
LAST RENTAL VIDEO
!ll nut up fam
萬劇場(東京都)
2022/04/06 (水) ~ 2022/04/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
表層的には面白いが、主体がRENTAL VIDEOという”媒体”というところが難。これがVIDEOの作品そのものを捉えていれば、違った描き方になるだろう。
物語は、流行らないレンタルビデオ店に足繫く通うカップル、借りたVIDEOを楽しく鑑賞する光景。一方、閉店後に借りられなかったVIDEOの諦念、憤懣が漏れる。個性豊かに擬人化したビデオは作品イメージ、例えばミュージカル、極道、怪獣映画の衣装や雰囲気を醸し出す。そして呟く…RENTAL VIDEOは借りて観てもらえなければ意味がない、そこに存在意義があるという。VIDEO達がとった行動や行為が人間臭く変転していくが…。
終盤になると、”媒体”そのものが(価値ある)主体のような描き方に変わるが、本来は映画(作品)自体がメインになるのではないかと。物語として上手く流れていたのだろうか。ここで少し混乱(自分の思考力が硬化したか?)。
映画の歴史は100年以上で、いまだに多くはフィルム作品。しかしフィルム映画は、一般家庭での設備や取扱で鑑賞することが難しい。フィルムは、国立アーカイブ等で適切に管理し映画(作品)の保存に努めている。一方、デジタル化が進み、VIDEO媒体で家庭での映画鑑賞が容易になった。作品の選好によってレンタルされる頻度が異なるのは当たり前。終盤は、RENTAL VIDEO店の衰退を通じて 人間が製作した媒体(物質)の要・不要、もっと言えば文明批判に話が変容していく、と観せかけて…。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは、上手にRENTAL VIDEO店の受付カウンター、中央から下手にかけて雛壇(三段)になっておりVIDEO置棚イメージ。シンプルであるが十分情景は想像できる。
物語は劇中劇の構成。借りてもらえなかったVIDEOの存在意義をかけての行動であり行為、という内容のVIDEOを観て楽しむ男達。VIDEO達の行動は店の外へ行くこと、しかし店前は大通りで、車の往来が激しく渡り切れるか。一方 外に出ないVIDEO達の行為は、夫々が借りてもらえるよう他のVIDEOを傷つける。逃避と足の引っ張り合い、傷つけ合いといった人間社会の縮図を持ち込む。凝った展開で、冒頭は鑑賞しているVIDEOのリード(字幕)を雛壇上部に巻き上げるようにして観せる。時は2023(令和5)年という1年後の設定である。媒体で映画鑑賞するのは時代遅れ、そんな現在を翌年から俯瞰する。同時に媒体(物質)を製作し、不要になれば見向きもせず 打ち捨てる。合理・効率的な経済至上からみれば当たり前かもしれないが、そこに何かしらの問題意識を潜ませる。
劇中…カップルの彼女・りこ(熊手萌サン)は、サブスクリクションを利用し手軽に映画鑑賞ができると言い、一方 彼氏・たつや(奥田龍平サン)には、RENTAL VIDEOに拘りたい思いを語らせる。同じとは言えないが、コロナ禍における(小)演劇を考えてしまう。コロナ禍以前にも、DVDの販売はあったが、配信公演は少なかったと思う。それが今では多くの劇団(公演)で行っている。それでも”生”演劇を観たい、と思うのは自分だけではないだろう。そこには劇場という器に主催する側と観客の”思い”が凝縮する、そんな表現しにくい魅力がある。
翻って、RENTAL VIDEOは何を借りるかといった選択の楽しみ、持ち帰って機材にセットするワクワク感といった、手間暇がかかるが、それが魅力かも知れない。だからこそ、公演での主体は作品=媒体ではなかろうか。VIDEOの擬人化は作品イメージ、それが物質(VIDEO)そのものの廃棄という悲哀へ変化、という内容。伝えたい事はその劇中劇で描いており、物語の展開が上手く繋がり流れていたのか疑問だ。勿論、表層的な面白さや演技の確かさは見事、それだけに少し残念だ。
因みに、劇中劇を観終わったシーンが、前説をしていた役者達の姿(光景)と重なるのだが…。前説でネタバレOKと話していたが、この前説(話題は毎回違うだろう)も含めて芝居(本編)であれば、随分と凝った仕掛け、と感心する。
次回公演も楽しみにしております。
民衆の敵
ハツビロコウ
小劇場B1(東京都)
2022/03/29 (火) ~ 2022/04/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
観応え十分。お薦め。
現代に通じる社会派劇であり人間ドラマ。とても古典で他国の話とは思えない。
或る健康侵害・環境汚染問題を糾弾するだけではなく、不条理な人間模様が重層的に立ち上がってくる。単に行政(権力)批判だけではなく、その行為に対する色々な反動を通して人間性を描く。裕福な生活環境を手に入れ、その恩恵を優先する現代社会...そのために将来のリスクに目を瞑り、自己矛盾していることを薄々感じながらも、今の生活水準・富を手放したくない。市民、いや愚衆は今日より明日が少し幸せであれば満足するのだと…。
内容の捉え方は、(現在)社会情勢と人間の内なる思い、そして周りの環境・状況によって一律ではないだろう。イプセンが およそ140年も前にこのようなテーマを身近な設定で描き出したことに驚嘆する。同時に、今 この演目を上演するハツビロコウの着眼にも感服。
(上演時間1時間55分)
ネタバレBOX
舞台セットは、2つの木製テーブルを合わせたものと、隅にミニテーブルがあるだけ。全体的に薄暗く物語の重い雰囲気を漂わす。場景によってテーブルを離したり配置を変形する。
梗概…表層的には、町の財源である鉱泉汚染を巡って、真実を公にしようとする町の専属医で科学者・ストックマン(橋本一郎サン)と、それをもみ消そうとする兄であり町長(井上智之サン)=行政(権力者)との対立。設備の改修費用や休業期間は住民生活を圧迫し、将来的には温泉地としての評判も落ちる。真実を公表すればどうなるのかと迫る町長。経済の悪化や不安定な国(行)政によって社会不安が広がると、大衆は分かり易い世界観を説く勢力に傾斜するかもしれない。しかし、一人ひとりが違った見方で世界を見る大切さ、それによって まともな形で世界が存在していることが解る。だから〈人民の敵〉呼ばわりされても、あくまで戦うストックマンは「正しいのは常に選ばれた少数派だと叫ぶ」。町の新聞社は、「真実」と「正義」という建前で権力批判をするが、実は権力にも盾つけず、双方の間で揺れ動く日和見姿勢。新聞社の存在意義を果たせないことへの痛烈な批判を込める。
コロナ禍において、種々の制限、不寛容な社会になった側面も否定できない現代日本。大勢(マスコミも含め)を背景にし、その正否は十分に検証したのか、といった今に通じる内容だ。
「自分なりの正義」を信じて行動し、家族を始め周囲の人々を巻き込んで集会の場へ...その場での発言は一瞬正しいように思われる。集会後...家族の行く末不安時に遺産の話。やはり足元の生活優先という小心で狡猾な面もチラリと垣間見える。この学究肌、正義感だけではない人間臭い側面も描く。やはり社会批判と人間の内面を抉る、二面性を持つ芝居は考えさせる。
さて、一貫してストックマン家族を擁護する船長・ホルステル(石井俊史サン)の存在が気になる。ほとんど洋上で生活しており、この町(地)との関りが薄いのか。冷徹に物事を見つめる、第三者的な立場の人物を登場させること、それは同時に観客の視点でもある。
上演台本・演出(松本光生サン)は素晴らしい。また演技は、役者が夫々の役柄をしっかり体現する熱演。キャラクターを立たせる演技...役を突き抜け 本当に迫力、臨場感があり観応えがあった。ラスト...向背の決は観客自身で考えてほしい、とのメッセージを投げかける家族の姿。見事な余韻を残した。
次回公演を楽しみにしております。
ながいながいアマビエのはなし
劇団 枕返し
小劇場メルシアーク神楽坂(東京都)
2022/03/31 (木) ~ 2022/04/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
タイトルこそ「ながいながいアマビエのはなし」だが、上演時間は60分とコンパクト。その時間で描くアマビエの物語は、相当の想像力を要するが、それでも分かり難い。「人生大逆転ツアー」に参加した人々。途中でバスが故障し、何かに追われるように森へ。森の中へ行く人、止まりバスに戻ろうとする人、そんな選択から物語は始まる。
(上演時間60分)
ネタバレBOX
ほぼ素舞台。後方は暗幕、森林イメージを出すため 数か所の柱に蔦を絡め、上手に椅子2脚、下手に箱馬が2つ。
役者(ツアー参加者、アマビエ役)は客席通路から登場。バスが故障し何かから逃れるため、森までやってきたというシーン。このツアーに参加したのは、ガイドを含め8人。結局全員が森の中へ入る。人生をやり直したい、そんな期待を込めて参加したが、思うようにいかない。追いかけていたのはアマビエ兄妹、容姿はペンギンに似ている。「アマビエ」とは妖怪らしいが、その存在すら知らなかった。Wikipediaによれば、江戸時代に出現した日本の疫病封じの妖怪らしい。勿論 予言も行い、それを現代のコロナ禍に結び付ける。
ツアー参加者の挫折、苦悩、そして抱えた問題が描き切れていない。1人 2人の失敗談はあったが、表層的なもので掘り下げがない。本筋は、そのツアーに参加していた人物(女性)が、皆の記憶から欠落したこと。居た事=あった事をいつの間にか忘れる。アマビエを通して、現在(コロナ禍)の苦難も、やがて忘れ去られてしまう、を描いたものか。
ツアー参加者の中に新婚3か月で妻から離婚を言い出された男(金野優樹サン)…他人と比べる(サウナの時間)、外面が良い(妻の女友達への対応)の人物像を立ち上げる。コロナ禍でどこにも出掛けず、巣籠状態に嫌気がさした妻との気まずさ。
もう1人(飯沼誠治サン)、子供の頃の 遊び”かくれんぼ”で気が遠くなるほど数え(耐え)る。「もう いいかい」「まあだ だよ」はコロナ感染防止対策の解除を巡る動向を連想する。
コロナ禍を揶揄したような内容だが、描き方が表面的で深堀出来ていないのが残念。またアマビエの存在感(特に兄)はあるが、予言できるだけという役割に物足りなさ。森に逃げ込んだ8人のうち3人を取り込んで喜ぶ、その意味は何か。
ラストは、ツアー参加者夫々が地に足をつけ、前向きに生きていこうとする予定調和。もう少し捻りがあると印象に残ると思うが…。
次回公演を楽しみにしております。
風がつなげた物語
グッドディスタンス
新宿シアタートップス(東京都)
2022/03/31 (木) ~ 2022/04/06 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
「珠子が居なくなった」…可笑しみの中に、じわっとくる温かみ 滋味ある好公演。お薦め。
前作「風吹く街の短篇集(第五章)」の「朝、私は寝るよ」は55分、二人芝居で素晴らしかったが、この公演は少し時間軸を長くして、家族の物語を紡ぐ。
常識という概念からズレているような主人公・珠子の思考や行動、それに振り回される周囲の人々の可笑しみ。表層的にはシニカルな感じもするが、ラスト 父との会話によって滋味溢れる物語へ変転させる上手さ。珠子も その家族もどことなく変な人達だが、全否定できない微妙な感覚のズレを見事に表している。少し変わっている家族に対し、珠子の夫を常識人(対比)として描くことによって、一層変なズレを際立たせる。家族であるが、家族になりきれない夫の歯がゆさ、苛立ちは観客の共感を得るところ。しかし家族には家族にしか分かり合えない絆・繋がり、そして歴史がある。それがラストシーンに…。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台セットは、二段平行構造で場所の違いを表す。一段目は珠子の実家。二段目は外の光景で、バス停(「月と座る」のモチーフ)であり温泉旅館の一室。実家の上手には炬燵、下手にはダイニングテーブル・イスがある。時間も並行に流れる演出の妙。時々、状況を説明する字幕あり。
物語は、ずいぶん前に家出した母が孤独死をした、その葬儀の日から始まる。父(モロ師岡サン)は自失なのかどことなく所在なげで、食事の心配をする。三人姉妹の二女(既婚)・珠子(ししどともこサン)は、母の遺骨と遺影を放さない。出前を取ることにしたが、なかなかカバンから携帯電話や財布を取り出せない滑稽な姿。ここに作劇の意図を籠める。父は葬儀の翌日、〈定年〉退職を迎える。寝付けない父、長女(田口朋子サン)、三女(鈴木朝代サン)がいけないんじゃない、と言いつつ駄菓子やコーラでプチ宴会。そして乾杯(父の定年)いや献杯(母の冥福)といったどちらが大切かの言い争い。一方、珠子は夫(益田恭平サン)と共に遺骨を持って自宅へ帰ろうとバス停へ。夫がタクシーを探しに行った間に出会った男(若狭勝也サン)と…。
珠子が居なくなっても、心配しない家族。小さい時から変わり者。小学生の時、学校に牛乳びんを投げ停学!になった。少しくらいのことでは驚かない。夫は、そんな家族にイライラを募らせる。捜さないのは、非常識なのか?噛み合わず漂流するような会話の可笑しさ。台詞というか言葉の妙を至る所に散りばめ、会話劇の面白味を引き出す。
珠子は親(母)離れできないのか。自分が幼い頃、家出をして結局帰ることなく、孤独死をする。可哀そうという気持、一方 妹(三女)は自由に暮らせて幸せだったと言う。同じ姉妹でも母への想いは異なる。なぜ珠子は居なくなったのか、直接的には夫への欲求不満のようであるが、自分の生(存在)の確認のように思える。母から、父は男の子を望んでおり、珠子の誕生は喜ばれなかったと。三女は堕胎して、とまで言ったそうだ。しかし、父は野球が好きでキャッチボール(別シーンで車のキーのキャッチ伏線?)がしたい、そんな単純な願いだった。遥か昔のこと、母は亡くなり本当のところは分からない。そこで父がとった愛情表現が切ない。
さて、珠子は戻ってくる。夫は詰るが、家族はホッとし「お帰りなさい」ではと、逆に夫を非難する。珠子はひょんなことで骨壺を壊してしまい、それによって母から解放されたような。居なくなったのは、母の思いと行動に重ね合わせたかった、かのようだ。逆に母は登場しないが、珠子を通して母親像が立ち上がってくるような面白さ。
物語が寄り添ってくるのは、定年〈諦念か〉で時間を持て余す「父親がボケ始めた」の台詞。行く所は母と出会った「バス停」だけという悲哀。そんな父親の面倒を見るのは誰か。一方、父親は「子供には迷惑をかけない」、施設への入所も考えている。面倒を見ることを嫌がる長女を三女が非難する。身近に聞く話、それを会話に取り込み観客の共感を誘う。
役者は、夫々の人物キャラクターを立ち上げ、バランスも良い。特にモロ師岡さんの飄々とした演技が、可笑しさと滋味の両方を巧く表現しており、公演の印象そのもの。
次回公演も楽しみにしております。
片生ひ百年
ハコボレ
新宿眼科画廊(東京都)
2022/03/26 (土) ~ 2022/03/28 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
落語と芝居…第漆回ハコボレ落語研究会公演。お薦め。
今まで王子の劇場(現在は佐藤佐吉演劇祭開催中で劇場確保が難しい?)で聴き観ていたが、今回の小屋は新宿眼科画廊(スペース地下)である。落語噺は「紺屋高尾」で、舞台は江戸時代の不夜城であった“吉原”、それを現代の不夜城”新宿”で上演する。
藍 染職人が 会い たい思いを貫き 愛 を実らせたという噺。サゲは「<秘密>観て確認してほしい」であったが、芝居へは早染めの「かめのぞき」(バレ噺<下ネタ>)ではなく、その穴を覗き込んで観た あの世とこの世を繋ぐ「香」から始まる物語へ。調香職人・リンネの語りを抒情的に描く。公演は「香」を強調、もちろん嗅覚への刺激、同時に「時間」や「色香」といった物語の重要な要素を連想させる上手さ。勿論、落語噺と劇演技は見事!
卑小だが、落語噺は情感たっぷりに聴こえたが、芝居は少し急いだのか台詞が聞き難かったのが少し残念。
(上演時間60分)
ネタバレBOX
舞台セットは、高座、その前(客席との間)に三途の川又は殺生後の白残骨のようなもの。また所々にロウソク、名物裂(敷物)のようなものが舞台と客席最前列に敷かれており、 あの世と この世を表しているようだ。これによって三途の川のような隔たりが活きてくる。簡素だが世界観を表すため、よく考えられている。
落語は まくら<ここで羽織を脱いで>、本編(噺)、オチという基本のスタイルで演目「紺屋高尾」の恋愛成就を聴かせる。芝居は一転、悲恋もの。高尾太夫は吉原での源氏名。落語はその5代目、芝居は2代目の「反魂香」へと関連付ける。また両想い、片想い(片生ひ)という対になる構成でもあり巧い。
2代目高尾太夫は伊達藩主によって、嫉妬の挙句斬殺されたという内容。高尾と恋仲だった男…落語「死神」を連想させる命の灯、そこに吉原遊郭の遊興「香」=「時」を関連付け、あの世とこの世の間<ハザマ>で彷徨する。芝居は、男と死神らしきものを一人で演じるが、袖口を引っ張る仕草などで<男以外>の造形を立ち上げる。その演技は臨場感があって上手い。
舞台美術、落語噺、芝居内容を緊密に繋ぎ表現した公演、実に見事であった。
敢えて言えば、芝居の台詞が急ぎ足になり聞き取り難かった(自分の耳が悪くなった?)。上演時間1時間に拘っているのか?今まで観た公演は、「はこづめ〈東京〉」以外は、全て1時間前後だった。
次回公演も楽しみにしております。
彷徨いピエログリフ
9-States
駅前劇場(東京都)
2022/03/25 (金) ~ 2022/03/28 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
観応え十分。お薦め。
自分に引き寄せず、公演の世界観にどっぷり浸りたい。しかし正義とは何か や情報配信等の要の問題については、自分で考えることが大切。それは終盤の違和感、もしかしたら観客に委ねた結果のようにも思えるから…。
ネットニュース配信を行っている、大手出版社の子会社が舞台。新人記者の成長を通して描いた「誰のためなのか、正義の情報」とは何なのか、多角的視点で捉えた骨太作品。よく言われる 真実は一つではないが、事実は一つ。物語は、多くの主観や客観(事件)を通して、伝える上で大事にしたいことを浮かび上がらせる巧みな構成。また関係ないような描写が、実にさり気なく挿入され、成長する姿を映し出す。
子会社でネットニュース配信会社という設定の妙、さらにサスペンスミステリーといった描き方が観客の興味を惹きつける。ただ先にも記したが、終盤はそれまでの「理」の世界が「暴」へ一転する、その荒い展開が少し勿体なかった。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台美術は編集部内、真ん中に大きなテーブルと椅子、周りに3か所作業スペース。そのオフィスを白枠(飾り棚のよう)で囲み、スタイリッシュな雰囲気を漂わす。上手・下手に別スペースを設え、外の世界とも地続きを表現。
冒頭、主人公・杉野くるみ(松木わかはサン)が、編集長・四天王寺正志(小池首領サン)にSDG’sを思わせる環境問題(汚染処理)に係る記事配信を申し出たが、却下。時勢に合ったテーマのように思われるが、後々、この街に住んでいる親子が編集部に現れ説明する。街で暮らしていく上で必要な施設。住民にとって暮らしを支える存在である。くるみと親子、どちらも真実であろう。鳥のように空を舞い、(大局的)なところから見ても、地を這う虫(現地)が見えないこともある。その土地ならではの問題と全国的な視点/捉え方では異なる(原発も同様)。
一方、15年前の轢逃げ事故に関する訂正記事を求めて、1人の青年が編集部へ。警察官が飲酒運転で事故死させたもの。記事を書いたのが、まだ出版社にいた頃の編集長。この記事によって飲酒運転の減少にも繋がる社会的な反響大。物語の本筋はこちら。
先輩から取材方法や資料のまとめといった、一見雑用に思えることを押し付けられるが、そのことが書く(配信する)上で大切なことが解ってくる。物語は くるみの記者としての成長を通して、主観的な考え、客観的な物事の捉え方を巧みに観せる。
先の汚水問題は脇筋で、くるみの取材不足、資料の読み込み不足(自分でも、まとめるのが遅いとぼやく)といったことをさり気無く描き、本筋へ巧く誘導する。脇筋を深追いすると話が散漫になり、描きたい事が暈ける。構成はサスペンス/ミステリィーの様相を成しており、15年前の記事の訂正を巡って、加害者・被害者の真実と事実の解明といった展開に興味を惹かせる。ちなみに記事は「~らしい」といった伝聞で、責任追及されないような逃げ道を用意している。そこに出版社という紙媒体と配信という微妙な違いを表す。
終盤は、くるみが編集長と互角に議論出来るまでに成長した姿を観せる。しかし、ラストの「理屈」ではなく狂気の沙汰といった、破壊するような展開に違和感を覚えるのだが…。敢えて理屈的なことはまとめず、観客に委ねたのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
本気の本読み!ビブリオライブ
本気の本読み!ビブリオライブ
NOS Bar&Dining 恵比寿(東京都)
2022/03/26 (土) ~ 2022/03/26 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!
観客が参加(質問)する場面もあり、終始 観客目線(気を逸らせない)での運営が良い。植松愛さん(プロデュース)と ガクカワサキさん(演出)の進行で、朗読者4人が登場。2人による2作品の朗読劇+α。打ち合わせなしの本番(ガチンコバトル)ということもあり、全員が緊張している様子で、観客もワクワク ドキドキといった気分。とは言え、観客は昼時ということもあって軽食とドリンクで和み、会場・客席側はリラックスムード。
(上演時間1時間30分 植松さんのサービス?もあり15分ほど延長)
ネタバレBOX
飲食店(NOS Bar&Dining 恵比寿)を劇場代わりに使用していることから、本来の舞台装置はない。1テーブル4人席であるが、2人席とし間をアクリル板で仕切る。モニターの前、上手側に進行役の2人、下手側に朗読者4人が座り、真ん中にハイテーブルとスツール2つ。2人づつ登場し、真ん中で朗読劇(脚本は2作とも菱沼康介サン)を始める。
1本目「THAT’S 衝突」
(行平あい佳サン、森谷勇太サン)
岡山県の山を越えたコンビニ 煮尾古店にコーヒーを買いに出かける。深夜3時、最寄りのコンビニまで車で10分かかるが、その走行中の会話と正体不明の…。舞台化よりは映像向きの作品の印象。
2本目「いききれない二人」
(鈴木太一サン、レノ聡サン)
深夜、ある9階建てビルの屋上で自殺しようとしている男、その男の次に自殺しようと順番待ちする男。はじめの男が躊躇し なかなか自殺できず、いらいらする次の男。2人は見ず知らずだが、偶然にも役者と演出家。自殺出来るようなシチュエーションを考えるが…。こちらは、完全に舞台向け作品。
エチュード(即興劇)や ある場面設定で役柄の上下関係を表現する寸劇、舞台(演出)の面白さを堪能させる。観客は自分が演出家だったらどうするか、と言った観点で見ると面白さが増す。ちなみに、2本目の読みの中でアドリブが少しあった。観客から本読みの段階でアドリブがあるのか と言った質問が出た。映画と演劇では違うようだが、実に丁寧な説明があった。
また、このような企画を楽しみにしております。
石を投げる女がいて
ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)
2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
観応え十分、お薦め。
物語はストーンハウスという場所を中心に、そこで働く(中心)人物が次々に変わり不安・不穏をおびて展開していく。足(許)を掬われる得体の知れないもの、それは噂・憶測・中傷といった実態がつかめない不気味さをもって描く。
都・邑、企業的(組織)か家族的(仲間)といった違いを背景に、人の情実を上手く絡めて物語の中へグイグイと引き込んでいく。本公演の魅力は脚本の 力が凄いところ。
(上演時間2時間30分 途中休憩なし)
【GR<グランドロマン>チーム】
ネタバレBOX
舞台美術は手前と奥、そこに橋が架かるよう行き来できる路。所々に木々があり森の中を連想させる。後景は黒幕、時々開閉することによって、別の場所ーパワースポットの存在を表す。上手・下手にも別の場所があり、物語の進行を促すシーンを挿入する。上手は、ストーンハウスを盗撮する男。下手は村人の語らい場。
森の中にあるロッジ、一時は賑わっていたがオーナーが亡くなり現在は使用していない。オーナーの娘・みずほ(石井澄代サン)が大学時代の友人・薫(天笠有紀サン)に貸し、薫が数人の仲間(全て女性)とストーンハウスを立ち上げた。顧客のニーズに添った商品作りをしていたが、経営は伸びず、大阪のアクセサリーショップと経営提携する。しかし市場・競争原理を強行され、薫ほか創業メンバーが退職に追い込まれる。残ったメンバー(第一次加入組)の美月(糸原舞サン)が逆にショップの詐欺まがい商売を糾弾する。が、この地のパワースポットを利用し、第二次加入組の音(上村愛サン)を中心に、石に神がかり的な力を備え商売を始めた。本当にそんな力があるのか疑心暗鬼な美月は経営能力・部下からの不信で失脚。
一方、暴力を振るう恋人から逃げてきた女、遭難しかけた男がストーンハウスのメンバーと思惑などが絡み、人間関係の歪さを増幅させる。さらに村人達からは怪しい集団と見做され、迫害を受け出す。八方塞がりのストーンハウスの行方は…。
戦国時代の下剋上を思わせる様相。そこは現代版として、ちょっとした行き違いや誤解が大事(おおごと)になることで説明。勿論、悪意を込めた作為も潜む。同時に、表面的には逆観点が想像出来ない巧みさ。例えば、美月が みずほ に懐妊祝いとしてストーンアクセサリーをプレゼントしたが、流産した途端、この”石”のせいだと豹変する。人の感情の揺れ、そこを微妙な設定で鋭く突く面白さ。
終盤、村人・逃げ込んだ女の恋人などがストーンハウスのメンバーに詰め寄る場面は、双方の主張が際立ち、今までの もやもやした思いが整理されていく。人々の感情を理路整然と説明するのではなく、状況や情況を通して食い違いが解ってくる。それでも、家族にしてみれば胡散臭い商売、もっと言えば新興宗教に嵌ったのではと不安になる。ストーンハウスという仲間、その中での対立、さらに地域(村人)や家族といった部外者を巻き込んで実態が掴めない”何か”を実に上手く表現した、一種の心理劇のようだ。
公演の心象付けは音響ーー上演前は鳥の囀り、微風や強風が 和らぎや緊張として風景に溶け込む。もともと都会生活、競争社会とは違う環境を求めたのに、やはり人間関係に翻弄される。興味深い内容であった。
次回公演も楽しみにしております。