明けちまったな、夜。
ゴセキカク
王子小劇場(東京都)
2022/08/13 (土) ~ 2022/08/16 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
二十代後半の若者が、今までの生き方を振り返り、今後の生き方を模索するといった一夜の物語。「生き方」について悩み、自分と向き合うといった内容は、等身大とも思えリアリティがあった。しかし、設定が有り触れており新鮮味に欠け、既視感ある話に思えたことが残念。
鬱屈または重苦しい気持を解き放ちたい、その表現し難い感情を如何に上手く表わせるかが肝。物語の見せ場は思いを激白するシーンであろう。同時に特段の夢や希望を持たず過ごした男の後悔とも思える呟きが印象的だ。十代の頃のように無鉄砲な事は出来なくなり、かと言って分別臭くなるには まだ早い。そんな中途半端な年齢(情況・環境)の自分探しを上手く表現している。
(上演時間1時間35分) 22.8.19追記
ネタバレBOX
舞台美術は、カラオケ部屋…ソファとテーブル、そして別場所にある喫煙所(2階)という シンプルなもの。物語は、高校演劇部の友人の結婚式の二次会という有り触れた設定。そこに男女5人(男2人が同学年、残りの男女3人が後輩)が集まり昔話と近況を語り合うが、何か気まずい雰囲気が漂う。実は、もう一人来る予定の男が二次会は勿論、結婚式にも現れない。冒頭から曰くありげな様子、それが謎めいており話の展開が気になるが…。
物語は等身大の若者の姿を描いているようだが、高校時代に親しかった男2人の「確執」と「思い」、後輩女性の「恋バナ」と「思い」、夫々の建前と本音を激白する2シーン以外は、深堀したシーンがない。逆に激白シーンを際立たせるために、他は淡々と描いているようだ。
何者にもなっていない27~28歳の男女の過去と現在を見つめる。見せ場はラストの激白シーンだから印象的とも思えるが、何となく既視感というか経験があるような。
自分は、女性同士…夏目瑞季(岩本紅葉サン)と飯塚ゆかり(岩井美菜子サン)と男同士…奥川太一(岡本セキユ サン)と村松衛(後閑貴大サン)が激白する2つのシーンが見所だと思う。男女とも根底にある思いは、自分の方が相手より優れている、なのに何故か相手の方が上手く出来てしまう。そんな相手を見下した感情を露骨に表したシーンである。瑞季は高校の時にモテる女であり可愛いと自惚れていた。そして密かに奥村に好意を抱いていたが、今は ゆかりが奥村と同棲している。そのことが許せない。ゆかりは、瑞季からそんな風に思われていたことにショックを受ける。人の建前と本音、そして外面菩薩 内面夜叉が表れる。奥川は、演劇部 部長であり脚本も担当していた。しかし書けない時期があり、代わりに松村が書き評価を得る。見下していた男、そして 畏怖と嫉妬の思いから去ってほしい。そんな自分の身勝手な思いに嫌悪するが…。村松は母親が(若年性)認知症になり、介護や経済的な理由で大学を中退し演劇も止めた。松村は、引き留められるような言葉を期待していたのか。「そうか」といった素っ気ない返事に怒りを覚えた。こちらも自惚れている。いや互いのプライドなのだろう。
奥川はホッとしたのか?喫煙所で漏らす言葉は「わからない」「分からない」「解らない」を繰り返すだけ。そこに社会(世間)との折り合いだけではなく、彼なりの苦悩が見えてくる。あとカラオケルームで二人きりになる強引さ。流れ的には喫煙所で…演劇的には無理な場所かな。
高校演劇部から商業(市民)演劇を続けているが、そろそろ30歳代を意識し、周りを見渡せば結婚し子供が生まれている。このままで良いのか、その思いは表現者だけではなく、別の道(例えばサラリーマン等)を歩んだ人も多かれ少なかれ考えるのではないか。自分が本当にやりたかった事は何か?立ち止まり考える時期でもある。カラオケ店バイトの杉山(七里海流クノー サン)は高校の時は帰宅部で、夢中(仲間)になれるもの(者)がなかったと呟く。ここに公演の肝があるようだ。
色々な衝突や苦悩などがあったと思うが、それでも確執を抱えながらも仲間がいる。
次回公演も楽しみにしております。
今は昔、栄養映画館
みやのりのかい
OFF OFFシアター(東京都)
2022/08/12 (金) ~ 2022/08/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!
表層的には、漫才のボケとツッコミのように可笑しく観せ、内容は5分間の出来事を70分かけて不条理のように描く、といった印象だ。早送りのようなテンポの良さだが、事は遅々として進まないといった不合理さ。その相反するような不整合こそが、この公演の面白さだろう。
そう思いつつも、自分の好みとして、観せ方に注文を付けたくなるのだが…。
(上演時間1時間10分)
ネタバレBOX
舞台は武蔵野推理劇場のホールといったところ。上手に捥ぎりの受付台 入場料や飲食物の料金表がある。そして多くの洋画チラシが貼られ、下手奥の壁には「風と共に去りぬ」、下手 客席寄りに「ブラック・レイン」のポスターが画架に立掛けてある。試写会や初日舞台挨拶の時に よく見かける光景だ。後々 重要になってくる固定の黒電話の置台。そして中央に7~8脚の木製椅子がランダムに置かれている。椅子だけを動かしていく。
登場人物は礼装した二人の男。映画監督役の宮地大介さんと助監督兼諸々係のジョニー高山さん。映画の完成披露パーティ、その開始5分前という設定。監督は袖ボタンを縫い付けたい、挨拶文も覚えたいといった落ち着かない様子。一方来賓が来るのか来ないのか不安な気持のところへ黒電話が鳴る。突然姿なき第三者が入り込み、それから頻繁に電話がかかってきて、(来賓)席の確保が依頼される。その場にいない人物に翻弄される二人。登場人物以外の居ない人物の言動に、右往左往し慌てふためく姿は滑稽であるが、冷静に考えてみれば、社会(もしくは世間)の曖昧・不確かな情報に踊らされている自分達の姿のようにも思える。
当日パンフに演出の小宮孝泰氏が、「『栄養映画館』を読んですぐに感じたのは、『ゴドーを待ちながら』へのオマージュである」と記し、続けて、しかし台詞も修正し、ト書きにも大鉈を振るったとある。その根底には、小難しい「不条理」を描くよりも観客に喜んでもらいたい、楽しんでもらいたいとの思いがあるようだ。舞台となった映画館の(レトロな)雰囲気、台詞に 映画に関する小ネタが散りばめられ、映画好きの自分には至福の時であった。映画タイトルを相互に言い合う場面では、関連し合う映画を次々に言い、知識・造詣の深さを感じさせる。そこには、単に楽しむだけではなく、映画愛ある業界人としての姿が立ち上がってくる。
台風接近という悪天候にも関わらず、観劇に出掛けた。劇中、監督が 雨が降って思い出が地面に吸い取られる、雨で思い出が滲む、といった しみじみとした台詞は、台風という状況こそ違うが思い出深い公演となった。全体的にスラップスティック場面が多い中で、滋味ある場面を入れたことで、小宮氏が意図した面白味8分、深み2分になったと思う。何故、敢えて「ゴドーを待ちながら」とは別のテイストを選択したのか、その思いも当日パンフの前段に記しているが…。
最後に、来賓席確保のために礼服を脱ぐといった行為、その笑わせ方が安易に思える。舞台(完成披露)の設定や映画愛といった上質な面白さが、別な面白さ(脱ぐ脱がないといった逡巡する滑稽さ)にすり替わる。出来れば、裸(の勝負)ではなく、演技や台詞で映画の芸術・大衆・娯楽性といったところを面白可笑しく観(魅)せてほしかった。
次回公演も楽しみにしております。
蝶々結び
LUCKUP
上野ストアハウス(東京都)
2022/08/03 (水) ~ 2022/08/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
人生の最初にして最大の選択、それを夢想または追想のように描いた物語。一見、抽象的とも思える出だしは取っ付き難いが、少しずつ物語の輪郭を表す。表現し難い内容、それを独特な(不思議)感覚と謎めきをもって描いており上手い。
実際の 蝶々結び は解けないようで容易に解くことが出来る。この公演のタイトルは意味深で、解けそうで解けない。説明にある旅人・あなたはかけがいのないものを手に入れた は、心の迷い 彷徨から少し解放されたようだが…。
何故か、ある映画を思い出してしまうのは、線路・冒険・友情といった断片的ではあるが、そこに かけがえのない宝があるからだと思う。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
-monochrome side.-
ネタバレBOX
舞台は地方にある木造駅舎。中央は少し高くした1番線ホーム、上手に回って降りてきたところに改札口。上手が駅室、上に時刻表が掲げられている。下手にトイレがあり駅員の使用頻度が高いよう。中央客席寄りにベンチ。上演前から蝉の声が聞こえているから、時季は夏であろう。
物語は、一人の男が郷里へ帰ってきた、そんなどこでも見かけるような光景から始まる。この街、駅舎に集まる人々は明るく陽気で、屈託がない。歌って踊って、旅人を歓迎しているような光景だが、何となく違和感を覚える旅人。そして久しぶりに帰郷した理由は母からのハガキ。しかし、その家はなく途方に暮れて駅舎に戻るが、終電はなく、駅待合室で翌朝まで過ごすことになる。
街の人々は、駅員を除けば、高校生の男女4人グループ、医師と看護師、歌う女性。夜にこの人々との不思議な会話や交流が、自分の中の何かを目覚めさせる。昔の記憶のドアをノックされ少しずつ開けた心から見えたものは、今 話し相手になっている高校生と同じ年頃の自分である。何もない田舎町、ここから出て都会(東京)で働きたい、生きたいといった希望を抱く。一方、何ものでもない自分が郷里を出て成功できるのか。端的に言えば、上京するか郷里に留まるのか といった人生の選択に思い悩んだ末に出した結論は…。この悩みは理解出来る。
東京での暮らしは、必ずしも煌びやかな生活ばかりではなく、孤独に苛まれることもある。そんな思いをして帰ってきた旅人が、今 目の前にいる高校生たちが自分と同じような人生の岐路にいる。何か言葉(思い)を伝えなければ、しかし自分の真意がうまく表現できない。まるで夢の中、もしくは心を閉ざした闇の中にいるようだ。
整理できないモヤモヤとした気持。謎めきと不思議な世界観を一役二人でしっかり描き出す巧さ。その表現を 高校生グループが、夜陰に乗じて線路を歩いて冒険に出ようとしている。どこか見た光景だが、それこそが自分で過去に経験した出来事。選択した結果の善し悪し、実行して初めて知ることになる。街を出る出ないの選択と決断、その結果を知った後悔の念に苛まれ 心を閉ざした。が、ある切っ掛け(迎えの女性)によって、高校時代の友情や母の気持、そのかけがえのない思いを知ることになる。そんな描き方で心の内を具現化してみせる。それこそが答えのような…。
何となく、映画「スタンド・バイ・ミー」を連想してしまう。田舎町、線路を歩く冒険、なにより友情を深める。その体験を追想する滋味溢れるところが重なる。
次回公演も楽しみにしております。
月虹の宿 (げっこうのやど)2022 東京公演
日穏-bion-
シアター・アルファ東京(東京都)
2022/08/05 (金) ~ 2022/08/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。〈2022 東京公演〉
脚本・演出・舞台美術、勿論 演技も素晴らしい!
命とどう向き合うかといった重いテーマ、その捉え方、考え方の選択と決断を描いた重厚な物語。多様な観せ方は、地域活性化や性癖といった別の観点からも描き、裾野の広さとテーマの深さ といった両面を見事に成立させた秀作。しかし劇風は重苦しいだけではなく、笑いの場面も挿入し、それが人の優しさ温かさを感じさせるといった上手さ。
物語は、前半の 寂れた温泉街に立つ老舗旅館「月の荘」に関わる人々の話、後半は 次女の真希が海外から帰国した理由と家族(姉 妹 弟)の話、といった二幕で展開していく。自然な流れ、細やかな変化や季節の移ろいを丁寧に演出する。ゆったりとした日常の光景、柔らかい雰囲気の中で緊張と味わい深い会話が繰り広げられる。余韻と印象付けが実に見事だ。笑って泣けて心が温かくなる日穏-bion-の世界…病み付きになる(コロナではない)。
2021年にコロナで中止になったリベンジ公演。当日パンフに主宰・脚本の岩瀬顕子さんが「日々流れるコロナ関連のニュースに正直心が折れそうですが・・・」と記しており、うかがい知れないほどの辛苦があったと思う。それでも一年間大切に温めてきた作品、上演してくれたことを嬉しく思う。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし)22.8.13追記
ネタバレBOX
場内に入ると舞台美術の見事さに圧倒される。老舗旅館「月の荘」のホールといった場所で、中央に玄関や客室に通じる出入口、上手に段差ある畳所、ラジオ・小机等があり、横に極楽ノ湯へ通じる出入口、下手に暖簾が掛けられた月の湯。暖簾は色違いで殿方、御婦人と染め抜かれた文字が見え、暗転時に掛け替え時間の流れを表す。板床には囲炉裏、籐椅子や茣蓙布団が置かれ、天井部には桁(けた)のような木材、その奥に竹林が見える。電波の入りが悪い山奥、自然豊かな雰囲気が漂う木造家屋内を出現させる。
物語は、ここで働く人や出入りする人、その個性豊かな人々の性格や暮らしぶりを生き生きと描く。「月の荘」の主人・天野亮太(内浦純一サン)は東京で働いていたが、故郷に戻り旅館主を継いだ。長女・加代子(柴田理恵サン)も都会で助産師として働いていたが、今では地元で助産師をしている。板前の笹川徹夫(剣持直明サン)は妻を亡くし、息子は仕事が忙しいのか会えていない。従業員の鳥居ひな子(中島愛子サン)の客案内はガイド調で笑わせる。真希の友人で山根奈津江(清水ひとみサン)は認知症の父親の介護とクリーニング店の仕事で忙しい。芸達者な役者陣の面白可笑しい仕種や会話は、長閑な光景を観せる。この地には、玉金(たまがね)温泉郷が近くにあり、イベントで町興しに役立てようと企画。二週間前に赴任してきた地域おこし協力隊・下駄屋勤務の米田正彦(小林大輔サン)が色々なアイデアを出す。そして客層を考え「終活ツアー」はどうかと…。前半で色々な伏線をはり、後半へ繋ぐ。
アメリカでデザイナーとして活躍している二女・真希(岩瀬顕子サン)が12年ぶりに娘の凛(種村愛サン)と一緒に帰国する。同時に真希の友人・医師の藤倉信明(伊原農サン)もやって来る。真希は不治の病に侵され、自分の終活の仕方を考えていた。この事実が明らかになった所で、物語の様相が一変する。自分の意志で決められるうちに死を受け入れたい真希(前半介護の話が肝)、最期まで生きる意志を持たせたい加代子(助産師という設定が妙)の思い。理屈で語ることの出来ない感情の世界。生身の人間(役者)が観せる”力”に舞台としての醍醐味、面白さがある。「『いのち』の選択をめぐって巻き起こる家族の葛藤」…その結論は ぜひ劇場で観てほしい。自分は兄弟姉妹ではなく、親との関係で同じような選択を迫られたことがあり、その当時を思い出し苦しくなった。
選択肢という点では、米田の地域おこし協力隊としての働き方・生き方、また彼が亮太に向かって新宿二丁目で働いていませんでしたかという一言で、LGBTQという性癖へ話題を広げる。「玉金温泉郷」のポスターが「奇跡の月虹ツアー」に張り替えられ、終活と極楽ノ温が相まって前向きになれる。「死」と向き合った重いテーマだが、2年後(さらっと米田が来てからの年月をいう)のラストシーンは清々しささえ覚える。出来れば、高校生になった凛が方言で喋ってくれると その地に馴染んだと真希も安心したかもしれない。
時間の流れは、照明の諧調で日中や夕刻、そして夜を巧く表現している。そして衣装の違いはその人が生きている世界を表している。旅館の従業員は地味(和)装、一方 真希は洗練された洋装で雰囲気の違いを醸し出す。音楽はラジオから流れるDJの声、オーバー・ザ・レインボーの曲が少し物悲しく聞こえる。
これらの様子を訳ありな宿泊客 田部次郎(演出 だんじだいごサン)が小説として紹介し、自分自身も生きる勇気をもらったと…。余韻と印象が強く残る作品だ。
次回公演も楽しみにしております。
最後に、スタッフの対応(メールも含め)が実に丁寧で感謝いたします。
ダイバシティーファミリー
A.R.P
小劇場B1(東京都)
2022/08/03 (水) ~ 2022/08/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
物語は、自殺したと思われた夫であり父親が生きていた という奇抜な設定から、身近な夫婦、親子の在り方や捉え方へ巧く誘い込む。面白可笑しい場面を小刻みに展開させ、テンポ良く観せることで観客の気を逸らせない。
婚姻届けを出した夫婦、優しい父親といったことが”普通”なのか分からないが、この物語では戸籍に拘らないパートナー、厳しく突き放したような態度にも 親なりの思いがあること、そんなダイバーシティの考えが立ち上がってくる。
コロナ禍で延期を余儀なくされたリベンジ公演、A.ロックマン氏が当日パンフで「今、とてつもなく演劇がやりずらい状況も、父が僕に課した試練のように思えば、ありがたくその試練と向き合い・・・」と書いているが、それを実行 乗り越えたかのような公演、しっかり楽しませてもらった。
なお、小劇場B1はL字型客席であるが、役者の立ち位置や目線は 一方の客席を意識しているように思われたのだが…。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は入隅に平行二段の板があるだけの ほぼ素舞台。場面に応じミニテーブルや座布団、BOX等の小道具が持ち込まれ状況を作り出す。また壁面への照明で枝葉を思わせる風景を描き出す。場面転換の素早さと効果的な情景描写を両立させる見事な演出だ。勿論、ミラーボールや壁の電飾に彩られたショーも同様。
雨の中、慌てふためいている男女の短い場面から物語は始まる。6年後、青木ヶ原に遺書を残して失踪した父・竹富拓郎(Hibikiサン)の七回忌法要が営まれている。その席で母・さちこ(中村容子サン)が再婚を考えており、その相手を呼んでいると…。そんな時に父が生きているとの電話が入る。竹富家には一男三女がいるが、息子・カズヤ(タカギマコト サン)は父の連れ子で妹たちとは腹違い。彼は結婚し妻は臨月を迎えている。長女も結婚し、二女は父親想い、三女は浮気性の男と付き合い、といった夫々が抱えている事情を手際よく説明していく。また冒頭の男女との関係も明らかになり…。
父親は、ショーパブで郷ひろみのモノマネ歌手・レッツゴーひろみ になっており、家族が知っている口数が少なく寡黙な性格とは違っており戸惑うばかり。再婚を考えていた母さちこ、優しくされた記憶のない長男カズヤ、父親思いの二女ともみの夫々の感情が揺れ動く。自分の思いも大切だが、相手(パートナー)の気持にも配慮する、そんな思い遣りや気配りに心が温まる。苦手だった父の思いを母から知らされ、自分の子が生まれて初めて知る親心…子が可愛くない親なんかいない。全編コミカルかと思えば、ほろり とさせる憂事もしっかり描き印象に残る作品に仕上っている。
夫婦や恋人もしくはパートナーといった2~3人で紡ぐ話を小刻みに入れ、関係の多様性をさりげなく描いているかと思えば、一転 家族全員を登場させて深い絆を観せる、その場面構成が実に上手い。同時に役者陣の演技の確かさ バランスもよく、舞台の雰囲気に親しみが感じられる。
次回公演も楽しみにしております。
私の下町〜母の写真
Brave Step
サンモールスタジオ(東京都)
2022/08/03 (水) ~ 2022/08/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
不思議と観(魅)入らせる“力”のある公演。観劇日は満席、全回とも予約 完売のようで人気公演というのも肯ける。
昭和初期(昭和11年)から終戦(昭和20年)までの期間を描いた人間ドラマ。時代背景を考えると もっと重苦しい内容になると思っていたが、意外と淡々とした庶民の暮らしに重点を置いた描き方になっている。敢えてそのような演出にしているのかも知れないが、軍靴の音が高くなり きな臭い情勢、更に戦争へといった時代背景を上手く取り込み、それでも東京のど真ん中で暮らす人々の逞しさが全(前)面に出ている。重厚イメージを持って観ると違和感を覚え、評価が分かれるかもしれない。しかし生き抜くことの大変さは十分伝わる。どんなに辛く苦しい状況に追い込まれても、明るく強かに生きる、それは今(いつ)の時代にも当てはまるのではないか。
脚本・福田善之氏の自伝的な物語であるが、冒頭の案内にもあるように、記憶と言うには曖昧で、追憶という郷愁さもあまり感じられない。自伝とは言え、4歳から13歳という年齢では鮮明に憶えていないところも多々あるだろう。それでも、自分の家の隣近所を懐かしんで説明する、そこにこの作品に対する強い思いを感じる。主観を交えつつも、傍観者的に物語の案内役として、家族とその周りの人々を温かく見守る、そんなスタイルで紡がれる。
(上演時間2時間45分 途中休憩15分)22.8.6追記
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に下手から上がる横向きの階段があり二階へ通じる。上手・下手に黒板塀、「案内役」は上手客席寄りのスペースに座り、時々 舞台を歩き回る。また蓄音機やラジオも操作する。基本はシンプルな造作であるが、休憩を挟んで第一部は弓屋旅館の帳場、第二部は家族の住居(居間)となり、文机や卓袱台といった小道具や小物で場の違いを表現する。さらに季節の違い、例えば二・二六事件があった冬には火鉢などが置かれる。第二部の家族が暮らす所には障子戸が取り付けられる。そのほか細かな違いで時代の流れや季節の移ろいも感じられる。
説明にある通り、「案内役」と称するひとりの男(磯貝誠サン)が古いアルバムの話を語り始める。昭和初期、東京 兜町にほど近い古綱町の弓屋旅館では、女将の甲野初(春風ひとみサン)と娘の友子(新澤泉サン)、息子の泰治や番頭の武田、女中たちが日々生き生きと暮らしていた。弓屋には、株屋・職業不詳・逃亡者といった怪しげな人たちが逗留し、色々な人間模様をみせていた。やがて、時代は日中戦争から太平洋戦争へ。戦時下、身を寄せ合い、助け合い、明るさを失わない弓屋の人々。しかし戦況は悪化の道を辿っていく。ついに空襲の目標となった東京下町にも爆撃機B29が飛来し…。
直接、悲惨な戦争光景は描かれない。しかし戦中 戦禍は確実に人々の心をむしばみ、生活は軋み始める。生と死、希望と絶望の狭間を掻い潜ることで、より強い絆で結ばれていく。ユーモアを織り交ぜつつも、エッジの利いた公演。昭和初期の活気ある東京兜町、そして日中戦争の混沌とした状況、太平洋戦争 戦時下の不安や混乱を鮮やかに描きだす。
この芝居では、歌や踊りが重要な要素となっている。歌は時代や社会を雄弁に語るもので、単なるアクセントではない。下手で役者が、ラジオ放送、大本営発表などを口語説明する社会情勢、一方 当時の流行歌やダンスシーンは世相光景といった違いを思わせる。社会性に富み人間(自伝)を綴った作品であると同時に、エンターテインメントとしても質の高い、観応えのある公演になっている。
次回公演も楽しみにしております。
風のサインポール
劇団俳優難民組合
下北沢 スターダスト(東京都)
2022/07/22 (金) ~ 2022/07/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
ベンチシリーズ第二弾。前作は、別役実「いかけしごむ」で孤独と寂寞といった世界観を観せてくれたが、本作は同じようにベンチを使用しているが、また違った雰囲気を漂わせている。どちらかと言えば、分かり易いストレートな内容で前作ほどの味わいは感じられない。しかし心情・情景描写といった演技力・舞台技術(特に音響効果)は印象的だ。
(上演時間1時間)
ネタバレBOX
会場に入るまでの階段にキープアウトテープ、そして舞台と客席の間にもある。上演前に取り外し、奥は暗幕で囲われ中央に青ベンチ、その下に何故かホームベースがある。ベンチの右に持ち運びできるサインポールが置かれている。物語の進展によって、ここは立ち入り禁止になっている野球場であることが分かる。別役作品で用いられる街灯は、この物語では客席側上部に設えた、球場内を照らすライトといったイメージだ。
出演者は男優二人。役名は「床屋」と「青年」で、敢えて抽象的な存在にすることで、個人ではなく“人間性”を浮き彫りにしているかのよう。
真夜中 風が吹きすさぶ中、一人の男・床屋(山田隼平サン)はベンチに座り髪型(分け目)9:1分けを説明している。取り留めのない独り言、そこへ上手 客席側から一人の男・青年(福本雄樹サン)がホームスチールしてくる。偶然か必然か分からないが、二人は出会う。実は床屋は青年を知っているようで、親しげに話しかける。青年は、床屋が思い込んでいる男ではなく人違いだと説明するが….。
因みに髪型9:1分けは、その人の(強烈な)個性を表現しているような。
二人の ちぐはぐな会話、しかし少しずつ状況と心境が変化し、なぜ床屋が青年の正体に拘るのか、といった謎が明かされる。この噛み合わない、いや惚ける会話と展開の妙が見せ所であろう。出会い方こそ不明確であるが、以降の展開は分かり易い。前作のような孤独・寂寞といった雰囲気はなく、不条理といった味わいとは別の、どちらかと言えば未来志向を思わせる内容だ。床屋(父親というワンクッションを入れず、自分の現実〈過去〉の話の方が説得力がある)としての生き様は青年と共にあり、青年のリスタートは床屋の生き甲斐にも通じている。青年の野球人としての活躍、そして期待外れの結果は、その後の人生を一変させる。世間に背を向けて、ひっそりと生きる。
青年が野球選手であったことは分かるが、プロ選手ではない。高校野球とも違うようで実業団野球か?世間に背を向けることは、自分が所属していたチームメイトとの関係性へ及ぶ。ホームベースの存在の意味、そこに隠された謎こそ青年が背負った苦悩のように思える。終盤、二人の道行きは「サインポール」の仕掛け、どちら(赤or青の切断)を選ぶのか。それは人生の岐路の選択のようでもある。
男優二人の演技は確かで、ベンチに座ったり、その上に立ったり存分に活用しており、“ベンチシリーズ”に相応しい観せ方だった。
次回公演も楽しみにしております。
普通じゃない普通【7月20日~24日公演中止】
劇団水中ランナー
劇場MOMO(東京都)
2022/07/15 (金) ~ 2022/07/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。【重ねた人々】観劇
葬儀場の待合室を描いた「重ねた人々」は、同時上演中の出産の待合室を描いた「迎える人々」の”生”を強く感じさせる内容だ。悲しいはずの「死」、それを「生」との対で表し、人の普通ではない感情を丁寧に描いている。葬儀という非日常に、ありそうな情況を絡めた人間ドラマ。設定の妙は言うまでもないが、死を通して生の尊さが伝わる、その意味で2公演の同時上演は説得力あるもの。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は中央奥に黒っぽい背景、左右は湾曲したオフホワイトの壁。上手にベンチスツール、下手はクッションスツールがいくつか置かれている。全体的にスタイリッシュな印象であるが、白と黒の配色は鯨幕=葬儀場といった感じもあり上手い作りである。
男関係が激しかった母の死を悲しめない主人公・佐藤育美(天羽莉子サン)、一方 長兄の死を素直に悲しめず、逆にホッとした気持の小林佐和子(小林風生子サン)が、葬儀場の共同控室で知り合う。佐藤家の長男・恭介(高品雄基サン)は、同時上演中の「迎える人々」へも出演しており、妻が出産するため葬儀を抜け出し産婦人科へ。葬儀場の係(担当者)・外崎泰子(大曲美依サン)は、育美の知り合いで葬儀の進行を遅らせるなどの便宜を図っていた。葬儀場のモットーは”使(利)用者に寄り添う”らしく融通が利くらしい。
育美の母は自分たちの父と離婚し、スナックを経営しており男関係にだらしなかった。葬儀場には今付き合っている男(育美たちと同年代)も参列しており、嫌悪感を露わにしている。小林家の長兄は障碍者で、両親が亡くなった後、誰が面倒を見るのか?といった老親介護とは別の問題を抱えていた。次兄は家を出て行方不明、将来的には自分(佐和子)が面倒を見るのかといった不安から解放されて、ホッとした心境に戸惑いがある。逃げた次兄を羨む気持と同時に非難する気持、その本音と建前を区別できない曖昧な気持を整理するのは容易ではない。
実は、佐和子の父は次兄の行方を知っており、長兄が亡くなったことも知らせていた。それでも葬儀に参列しない。代わりに次兄が働いている店の人・吉田将真(堀之内良太サン)が来て手紙を…。"長生きしてほしい、しかし出来れば自分より先に死んでほしい"。切実な胸の内を明かす。両親は障害のある長兄の面倒を見ることで精一杯、次兄や妹のことは といった ひがみも生じる。両親は障害がある子が生まれて、次の出産が不安 いや怖くなるはずが、次兄や妹が生まれている。子が愛おしくないはずがない。
恭介は佐藤家の長男であるから喪主だと思う。母の死、その葬儀と妻の出産が重なったという稀な設定であるが、「死」を通して「生」を語るという見事な人生ドラマ。恭介は、自分が父親になって初めて知る子への愛情、生前は母と距離をとっていたが、それでも母の名前の一字をもらい「愛恵」と名付ける。離婚し女手一つ、子供2人を育て上げた苦労が少し分かったのかも知れない。
物語はスナックで働く従業員が、娘とは逆に良く面倒を見てもらったこと。小林家では祖父が議員で世間体があることから次兄の代行業を依頼するなど面白要素も入れるが、根底には人間(親族)の理屈では語れない深い愛情が見えてくる。
繰り返し出てくる台詞…心の貸し借りは無し=後悔しないように生きる。公演は「死」や「生」の時だけではなく、今を大切に生きることを力強く伝えるようだ。
次回公演も楽しみにしております。
abc♢赤坂ビーンズクラブ
エヌオーフォー No.4
赤坂RED/THEATER(東京都)
2022/07/07 (木) ~ 2022/07/18 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
子供の頃の夏祭りを連想させるような公演。色々な屋台が出店し、ワクワク ドキドキするような楽しみ、そして興奮があった。そしてクライマックスは、夜空に打ち上げられる豪快でキレイな花火。この公演も、コント、ショートドラマ、歌、楽器演奏そして圧巻のラスト ダンスと盛り沢山の出し物で魅力満載だ。
出演者は10代から30歳までの女優10人。冒頭、前説を担当する1人が、楽屋裏で準備する他のメンバーに口上する”注意事項”の相談をするところから始まる。が、既にこの段階から面白可笑しい。何より驚いたのは、客席(自分の隣)に小・中学生集団がおり、しっかりこの場面を楽しんでいること。それだけ分かり易い内容であり、コント ネタということ。休憩時間なしでも飽きる様子はなく、ダンスなどは食い入るように見つめていた。
(上演時間1時25分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
セットは、周りがモールの幕壁、4つの白い箱馬が置かれただけの素舞台。出し物によって小道具を搬入搬出させるが、基本は10人の体現力で表現する。
コントはネタの面白さで一瞬にして笑わせ、歌は聴かせる力が半端ない。演奏は動き回りながらクラリネットとアルトサックスを吹き奏でる。ほとんどの出し物が1人から5人程度の少数で演じ、その間に他のメンバーが次の出し物の準備をする。なにしろ数分程度の演目が次から次に演じられ、目先の変化に飽きない。場転換で暗転する都度、「赤坂ビーンズクラブ」の🎤アナウンス、さり気なく?宣伝しているような。
やはり自分はショートドラマが気に入った。特にメイド喫茶と小演劇界を扱った題材は、短時間だが観応えがあった。
まずメイド喫茶…30代の女性がメイド服を着て、面接と説明を受ける。この店は、巣鴨と築地/月島に店舗を構えており、客層は70歳以上が大半だという。提供する飲食は、コーヒーや紅茶よりは抹茶や煎茶、ケーキやスイーツ・デザートよりは饅頭や善哉といったもの。コンセプトはお年寄りに寄り添うこと。その名も「冥途(メイド)喫茶」らしい。面接を受けた女性は、親族の介護に後悔があるらしく…。
次に小演劇界…もともとは同じ小劇団に所属していた女優2人。1人は退団し東京の事務所に所属した。そして帝劇の舞台に立ちたいというのが夢。もう1人は今だ小劇団に残りフリーで演劇活動を続けている。小劇団の舞台に退団した女優が出演することになるが、事務所マネージャーが小劇団なんか、そして売り出しに支障が、という態度に怒った2人が立場を越えて…。
場面(出し物)転換の多さに伴って、衣装替えも素早く行っている。ダンス衣装から浴衣、パジャマ、スーツ、先にも記したメイド服等、様々で目を楽しませてくれる。
照明の諧調、歌・生演奏も含めた音響、それら舞台技術も出し物に合わせて見事な調和を成していた。
しかし何といっても出演者(女優10人)の表現力によって魅力的な舞台になっていることは間違いない。特にラストのダンスシーンは、振付そしてキレ・スピードなど申し分なく見事!
次回公演も楽しみにしております。
最後に招待ありがとうございました。
私、のはなし
まばゆいみちで
オメガ東京(東京都)
2022/07/13 (水) ~ 2022/07/17 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
旗揚げ公演とは思えないほどの力作。また楽しみな演劇集団に出会えたことを嬉しく思う。同時に今後の活動、そして伸びしろに期待大。
物語は長野県の とある街で生まれ育った私 多田唯似 22歳の人生、その心の彷徨であり、荒ぶる感情を咆哮するといったリアルを描いた内容。当日パンフに脚本の香月蛍 女史が、この物語は「どこまで私(香月)の話で、どこから私(唯似)の話か考えながら観ても楽しいかも」と記している。実話ベースであるからリアルなのは当たり前か。冒頭、唯似が あくまで舞台上の物語であることを説明するところから始まる。
さて、「当たり前」「普通」といった感覚は何か、比べようのない不安や苛立ちといった表現し難い気持・感情を主人公の生き様を通して浮き彫りにしていく。公演は唯似役の うさみみずほサンの熱演、一方 その人間性を冷徹に観察・見つめるような演出、その熱・冷相俟って観応えある作品になっている。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは、上手に箱馬2つ、下手に赤いカウチソファ。後ろに整理BOXや洋服掛けが置かれているシンプルなもの。場面毎に缶ビールやコーヒ等の飲み物や小物が使用されるが、場面転換時に後ろのBOXへ収納していく。そこに過去の積み重ねを見せる。終盤の心の崩壊や生き方を否定する、その表現をそれら小物を ぶちまけるといった象徴的行為で示す。
物語は、唯似の小学生から高校生までの学校生活、進学せず働きながら舞台女優の活動といった過去・現在を交錯させて展開していく。小学生時代は母との買い物光景、兄が求める禁断の遊び、中学時代は八方美人(相談相手)的な存在、同時に独りでいることの心地良さ、高校時代は文化祭の遣り甲斐といったトピックを現在の生活と絡めて描く。過去の出来事を点描するといった描き方ではなく、生きてきた時々の活動や気持の積み重ねによって、今の自分がある。しかし自分肯定がなかなか出来ず、不安や焦燥若しくは葛藤といった負の気持が大きくなり心の崩壊が始まる。
仕事(風俗含め)・演劇活動・恋人との同棲生活等、本当に色々な場面を挿入し、うまく向き合えない苛立ちを表現。例えば、恋人・高橋哲太(久地かずやサン)との会話…彼は普通で当たり前の生活に慣れてしまったが、唯似は楽しくドキドキした暮らしや気持で居たい。些細な感情のすれ違いを表した言葉。表現し難い気持、それを色々な場面で積み重ね、時々のストレートな言葉(台詞)で紡ぐ上手さ。
心療内科の診断、通院してもあまり心配しない母との通話。「そんなこと」は心の持ちようと一蹴され…。
ラスト、頑張ることはいけないこと?自問自答に正解はなく自分自身を追い詰める痛ましさ。そうなるまでの心の彷徨を実に丁寧に描いている。22歳女性の繊細な気持、現実に立ちはだかる問題を誇張することなくリアルに突きつける。時の経過は演技力だけではなく、衣装の早着替えによって視覚的に補足する。全体的に繊細かつ丁寧な印象、同時に心が抉られる様な不気味さと圧迫感。
集団のコンセプト…「コミュニティでの生きづらさや、夢・目標と現実の間で押しつぶされそうな現在の自分を見つめ、現代社会において言葉にしづらいことや、あいまいに揺れ動く境界線をテーマ」は見事に成立していた。良い意味で印象に残る公演だ。
次回公演も楽しみにしております。
ことし、さいあくだった人
藤原たまえプロデュース
シアター711(東京都)
2022/07/14 (木) ~ 2022/07/18 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
Barで繰り広げられる悲喜交々、というか ドタバタといった娯楽劇。「ことし、さいあくだった人」にはある共通したことがあり、抗えない運命的な背景を上手く利用している。その情況を逆手にとって強かに生きる姿がなんとも逞しく魅力的だ。
何となく、コロナ禍で失速・閉塞感ある状況(背景)が重なるが、そんな世相を吹き飛ばすかのようなコメディ。人の滑稽な姿を見て笑って笑って、明るい気持にさせてくれる好公演。
(上演時間1時間20分)22.7.17追記
ネタバレBOX
舞台はBar店内…下手にカウンターと酒棚、上手は椅子席がある。この店は、あまり流行っているようには見えないが、それでも店主・松阪(桑山こたろうサン)は学生時代の友人・柴田(西野優希サン)を雇い仕事を教えているところから物語は始まる。柴田はネット小説でデビューしようと奮闘しているが、なかなかアイデアが浮かばない。そこで この店に来る人たちの面白話をネタにしようと思い付く。
近所の会社で働く常連客 明子(松尾彩加サン)が、友人の麻美(今出舞サン)の相談事を聞くため来店している。2人の話…恋愛話に興味を示した柴田は、それとなく事情を聞き出す。社内恋愛、それも上司が絡んだ面倒な話だが、それこそ刺激的な小説ネタと柴田は小躍りする。彼と上手くいかないのは、大殺界のせいだと思い込む。六星占術でよくないとされる運気の流れらしいが、こればかりは本人の力ではどうしょうもない。残業している彼・向井(熊坂貢児サン)を呼び出し、本心を探ったり、風俗遊びを問い質したり面白ネタを次々ぶち込む。圧巻は明子が向井と付き合っていることがバレるという、三角関係の修羅場へ加速していく。もっと刺激的な小説ネタにしたく、柴田はそれぞれの人物の不平不満、心配事を煽り続ける。
痴話状況が一段落したところに、別会社の上司・同僚らしい男性3人組の客が来店する。こちらは やたら死にたがる男・木佐貫(五十嵐山人サン)、それを宥める課長・小谷野(用松亮サン)、木佐貫に好意を抱いている和田(スイスイ サン)、その3人の取り留めのない会話が続く。そこに先の痴話喧嘩が絡みドタバタの様相へ。ここに居る人達は皆、大殺界中ということで、良くない運気が漂っている。ラストは年越しシーンで大殺界を終えるが…。
この大殺界とコロナ禍が抗えない状況として重なり、何とか脱しようと足掻いている姿が、今現在の社会情勢ではないだろうか。俯瞰してドタバタしている人の姿を眺めるのは滑稽で笑えるが、本人にしてみれは真剣そのもの。登場人物を今の社会情勢に置き換えてみたら、と考えたら笑うに笑えない足元が見えてくるようで複雑な気持だ。案外、今の時期に上演するに相応しい内容かも知れない。
次回公演も楽しみにしております。
Diary
FREE(S)
ウッディシアター中目黒(東京都)
2022/07/12 (火) ~ 2022/07/18 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
初見の団体、好感が持てる劇作だが…。
高校ダンス部を舞台に丁寧にまとめた青春(高校)群像劇。社会的偏見や教育現場の荒廃、勿論この時期の恋愛を描いた裾野(幅)の広い物語だが、深堀という点では少し物足りない。好感を持った公演だけに残念でならない。
ダンスはソロやアンサンブル等、観せ方を変えたシーンを挿入し、どれもキレもスピードもあり観応えはある。しかし 例えばラストのダンスシーンそのものは上手く迫力もあるが、盛り上がりに欠ける。そのシーンを際立たせるための過程や対立軸が弱いまたは見えないのが、少し勿体ない。
(上演時間1時間50分 途中休憩10分)追記予定
ランボルギーニに乗って
劇団鹿殺し
あうるすぽっと(東京都)
2022/07/08 (金) ~ 2022/07/18 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
二つの時代を交錯させた現実世界と登場人物が空想する世界、さらに現実世界で抱える強迫観念(幻覚)を擬人化させるなど、多重構造で描いている。とは言え、そんなことを意識せず自然体で観られるエンターテイメント作品だと思う。公演の魅力は、タイトルにある「ランボルギーニに乗って」に表れる疾走感、そのアップテンポな展開が物語性と相俟って心地良く観られる。見巧者を意識せず、理屈抜きに多くの人に楽しんでもらいたい、そんなサービス精神・娯楽性を感じる。
(上演時間2時間5分 途中休憩なし)追記予定
ネタバレBOX
舞台セットは左右対称に鋼板のような門衝立、そこから斜め(スロープのよう)に縞鋼板が延びている。真ん中に可動式の鋼板が置かれている。場面に応じて可動変形させ、また色々な装置を搬入搬出して場景をを作り出していく。
場所は大阪。時は、2022年7月(現在)と1999年7月(主人公が中学3年)を交錯せる。主人公・三国輝雄は鉄工所勤務、時々 人生のアドバイザーと称する幻覚に襲われ、中学生の時は その都度空想の世界に逃げ込む。それがマイケルが死んだ謎解きであり、世界滅亡に係る覇権争いといった小説を綴ること。
畳屋のあけび
CROWNS
シアター代官山(東京都)
2022/07/06 (水) ~ 2022/07/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
昭和32(1957)年夏から昭和34年頃の物語。物書きの主人公とその妻の夫婦愛と質素な生活、そして周りの人々との心温まる触れ合いを描いた秀作。当時の社会情勢や問題を背景に、市井の人々の暮らしがしっかり描かれる。そして、何と言っても夫婦愛に若年性認知症という問題を突き付けて、人としての考え方や営みを感動的に紡いでおり、世代を超えて多くの観客の共感を得る作品になっている。
日々の暮らし、それは当たり前のように思っているが、それが少しづつ失われていく怖さ。自分が自分で無くなっていく恐怖心、それを支える妻の辛い気持が手に取るように解る。実際、その介護を…。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)追記予定
ネタバレBOX
舞台美術は、当時を思わせる和室、上手が外に通じており、沓脱石や伸縮門扉がある。中央に卓袱台、その後ろに箪笥、下手は襖、文机と山積みの書物。廊下や障子戸も見える。
月の金魚
鵺の宴
内幸町ホール(東京都)
2022/07/07 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
抒情的な…。
物語は、二重構造の恋愛ものらしい。直接的には、訳あり女性と神社の青年の恋物語、そして女性に宿る恋を成就させる魂(金魚)が織り成す ちょっぴり切ない思い。しっとりとした和風 静かな流れの物語だが、人は、時に激しく燃える想いを抱くことがある。全体的に纏めたといった印象が強く、もう少し刺激的に描いても好かった。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
【金魚チーム】
ネタバレBOX
舞台セットは、場面毎にいくつかの衝立等を搬入し情景描写をするが、基本は変わらない。上手に高さある台(天空イメージ)がある。下手は神社の柵や腰掛が置かれているシンプルなもの。神社には本殿とは別に小さな祠があり、縁結びの神様が祀られている。お参りした人が縁あって「恋」をすると、その人の心に”恋の金魚”が生まれ(芽生え)る。金魚はふわっとした赤い衣装(鰭イメージ)で優雅に踊る様が、ゆったりと泳いでいる感じだ。
目の手術後、療養のために母親の田舎に両親とやって来た主人公・静月(西条美咲サン)が、"小さな祠"に参拝を終え 帰ろうとした時、神社の次男で跡取り(仮)息子・宵乃亮(村田直樹サン)に出逢う。
静月の心に宿った金魚(松井珠紗サン)は、宿主の恋において一心同体。金魚は宿主の恋が”叶う”ように願い、育てていくのだが…。ちなみに静月が自分の恋心の化身でもある金魚と向き合う時は白い衣装。舞台上で女性二人が白・赤の衣装で戯れる様子が いじらしく も美しい。
静月は視覚障碍者という設定であるが、弱視で少しは見えるという。その世界は灰色で、逆に夜の暗闇のほうが見えるという。本来見えないものが見えるという、独特の世界観の表現だが、塞ぎ込んでいた気持を素直に表している。宵乃亮との語らいによって、彼の優しさや気遣いに触れて恋心が芽生えるが、同時に 自分が障碍者で同情されている、のかといった疑心暗鬼な気持ちになる。一方、宵乃亮は自分の気持と向き合わず、何事にも逃げようとする。その優柔不断な態度が静月の心を搔き乱す。そして金魚も宿主の恋する相手を見てみたいと願うようになり、恋の不可思議な様相を呈していく。そして神社の祭りの日に起きる出来事が少し切なく…。
登場人物は全て善人。時にちょっと意地悪をしたくなる気持もあるが、そこが人間らしくもある。その行動が思わぬ波紋をひろげるが、同時に自分の正直な気持に向き合う切っ掛けにもなる。縁結びの神様と金魚の遣り取りも絡んで神秘的で抒情的な作風に仕上がっている。また音響では心情や状況の変化の際には水滴が落ちる効果音、照明は目つぶし的な照射によって場転換を容易に行うなど、舞台技術の工夫も好ましい。
次回公演も楽しみにしております。
正義の人びと
オフィス再生
六本木ストライプスペース(東京都)
2022/07/02 (土) ~ 2022/07/05 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
物語は、二十世紀初頭(1905年)のロシアで起きた事件がモデルになっている。原作はアルベール・カミュ、それをオフィス再生が独自の演劇的な観せ方によって 重い内容を抒情的とも思えるような公演にしている。
事件は、圧政に苦しむ何万人の人々を救うために一人の人間を殺す。その人を殺せば何万人もの人が助かる。その「正義」とは、を問うもの。同じ年、ドイツのマーネスが著書「保険論」において「一人は万人のために、万人は一人のために」という名文句を書いている。書かれた背景や状況は違うが、「一人」と「多数」を並(比)べて考察している点が興味深い。
オフィス再生の公演は、深い内容を緊密に紡ぎ、照明や音響といった舞台技術で効果的に観せるという印象を持っていた。本公演も例外ではなく、さらに六本木ストライプスペース(初めて行った)という会場の構造的な空間を上手く利用し、より印象深く観(魅)せてくれた。勿論、心地良い緊張感を持ってである。
登場人物は、カミュ以外は女性キャスト、だからこそ「僕」という表現によって立場、考え方が鮮明になってくる。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
会場は地下、中央に階下に降りてくる折り返し階段(客席に向かって降り、途中で反対方向へ降りる)があり、全身が見えることはない。正面から見ると階段柱が十字架のようにも見える。奥に装置が見えるが、何を意味しているのか。多くの姿見があり、その角度によって人物の見え方も違う。一人の人間の多面性であり、物事の捉え方の多角性を表しているようだ。階段脇に丸テーブルにポット、椅子が二脚あるだけのシンプルなセット。ここはテロリストのアジトという設定である。
物語は、四部構成のように思う。
第一は、二十世紀のモスクワ。ロシアの圧政を憂い、革命を志す若者たちが、権力の象徴であるセルゲイ大公の暗殺を企てた。詩人カリャーエフ(岩澤繭サン)は、人民に素晴らしい人生が訪れることを信じ、大公の馬車に爆弾を投じる大役を申し出た。一方、過去に拘束され獄中で拷問を経験したステパン(加藤翠サン)は、憎しみこそが任務遂行上 重要であり、自分こそが適任であると主張する。ドーラ(あべあゆみサン)はカリャーエフに言う「爆弾を投げる時、大公もあなたと同じ人間だと知る」と。世界を揺るがす革命の息吹が渦巻く中、大公を乗せた馬車が走り出し…。血気盛んな若者の行動が中心。
第二は、綿密な計画、しかし馬車に子供が乗っており想定外の状況によって、爆弾を投げることを躊躇、断念した。アジトに戻って総括をする中で、意識の変化を見せる仲間。その濃密な会話が「正義」とは、というテーマに繋がっていく。「子供など関係なく決行すべき」「革命が全人類の憎しみの的になる」「人民のために戦っているというが、その人民が自分たちの存在なんか知らないのでは」と議論は続く。しかし、リーダー・アネンコフ(磯崎いなほサン)は「再決行する」ことを告げる。爆弾製造が怖くなったヴォワノフ(嶋木美羽サン)は後方支援へ願い出る。人間(弱さ)らしさも描く。テロリストの議論は核心に迫らず、決行を前提に物語が展開していく。
第三に、決行後のカリャーエフと大公妃との牢獄越での(手紙?)話。夫(大公)は人民を慈しんでいたが、同乗していた子供たちはそうではなかった。個人という観点なのか、為政者という立場として判断するのかを表すシーン。多くの姿見によって、人物や物事の捉え方の多面性・多角性を見事に表現している。同時に、テロリストとして「自分自身を見つめること」そして誰のための「正義」なのかを深く考えさせる。愛と憎しみの間を揺れ動きながら、最後は爆弾を投げ、処刑される道を選択した。
第四は、処刑されるまでの様子を聞くドーラ…物語の真(心)情的な核心に迫るもの。ゆっくり階段を昇るカリャーエフの姿が見えなくなり…。
物語は、大公という個人の殺害を中心にしているが、真は「専制政治を殺す」ことで「人民の幸せを得ることであった」。「正義」は多数(立ち位置)で判断するのか、だれが正義だと判断するのか、それは今なのか後世(時代)なのか一様ではない描き方が、観客の脳内を刺激し思考を求めてくる。宗教色も見え隠れするが、国家体制・社会を正面に据えた「大義」「正義」を確かに考えさせる骨太作品だ。
キャストの迫真演技。赤や青といった原色で強烈な目つぶし照明、壁を叩く苛立ちであり鼓舞するような音、そしてピアノの旋律。眼前で繰り広げられる光景、しかしその奥で黙々と作業している男の姿が気になる。勿論、物語を綴っているであろうカミュ(長堀博士サン)が物語の世界に入り、問い掛けをしてくる気配は感じられるが(視覚に入ると、どうしても気になる)。暗闇にペンライトを照らし、カリャーエフへの語り掛けは観客への問い掛けでもあるような…。
次回公演も楽しみにしております。
『Drunk-ドランク-』
singing dog
サンモールスタジオ(東京都)
2022/06/30 (木) ~ 2022/07/04 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
警鐘・喚起劇のような印象。
アルコール依存症の問題を過不足なく、しかもリアルに描いた物語。けっして後味の良い作品とは言えず、どちらかといえば嫌悪感すら抱きかねない。それだけ現実に向き合っているということ。アルコール依存症の症状、そうなった原因、そして周りにいる人々、特に家族との関係が痛ましい。
夜ごと集うDrunker、彼らをBarのマスターが傍観者的に観察することで、アルコール依存症者の異常さを際立たせる上手さ。同時にラストの衝撃さが…。
なお、過不足なくと書いたが、未来(明日)は観客への投げかけであり、そこまで描くか否かは評価の分かれるところ。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは、劇場が公演の期間中だけ「Perfect Day Bar」を開店していると思わせるほど作り込んでいる。ほぼ中央奥にボトル棚・カウンター・腰高スツール、上手にトイレや深紅のソファ、下手に店の入り口や丸テーブル等が置かれており、酒場の雰囲気は十分だ。
この店に来る客はアルコール依存症で、自分でも認識している人々だ。この界隈の店は出入り禁止にしており、集える場所はこの店しかない。そんな人々に酒類を提供するマスター・大崎(楢原拓サン)は、酔客を冷静に見つめ観察しているようだ。時に観客に向かって観察したことを説明するような口調になる。一見 不可思議な態度であるが、これはマスターの必死の虚勢、カモフラージュした姿である。ラストには驚愕の事実と姿を見ることになる。
登場人物の苗字は、山手線の駅名と同じ。当日パンフに主宰・藤崎麻里さんが「これには大きな意味があり、終点がない、つまり終わりがないというメッセージを込めています」とある。そして二十年前には「私自身がアルコール依存症です」と告白している。劇中でも、同様の台詞をマスターが呟いているが、途中下車すること(人)もあると…。
アルコール依存症になった原因などを一人ひとり独白するが、多くは仕事のストレスによるもの。飲みたくて飲んでいる訳ではない、という常套句のような言い訳が虚しい。本人の苦痛も然ることながら、周りにいる人々をも苦悩に陥れる怖さ。物語では、恋人(同棲している彼)が酒浸りで家に帰ってこない、夫がちょっとした切っ掛け(奈良漬けを食べた)でアルコール依存を再発した、といったリアルな事例を紹介する。
物語では、医療機関から抜け出した者・上野(浅倉洋介サン)、家庭ある者・大塚邦夫(山城秀之サン)、恋人・渋谷美紀(山下智代サン)がいる者・田端(吉田雅人サン)、そして断酒を決意した者・馬場(井内勇希サン)・自分は違うと言い張る男・目黒(岡田篤弥サン)が登場するが、全て男性。アルコール依存症は性差に関係なく、女性の依存症者(の問題⇨妊娠・出産、キッチンドリンカー等)はどうなのか、といった観点も欲しかった。
本人の精神的なイライラ、不安、焦燥感、身体的な震えや幻覚といった特徴、他方 家族全体が病んだ影響については、大塚の妻・麻衣(前田綾香サン)の苛立った言動や態度で示す。本人に強く断酒を迫る、半ば脅しの離婚を仄めかす強硬手段など、いかにも ありそうな現実を突き付ける。妻が実家に帰った数日で「日常がものぐさになってゴミの中で飲んでいた」「言行不一致、約束を守らない」といった行為は見捨ておけない。妻は「酒さえやめてくれれば」「酒を隠したり捨てたりする」という家庭内地獄が見える。
解決策として、「医療機関」での治療や「断酒会」といった場での交流・相談を通して1人では難しい断酒への取り組みへ導こうとする。しかし、事はそう簡単ではないようだ。物語では1人のアルコール依存症の男・神田(坂井宏充サン)の末路を描きつつ、残った依存症者達は立ち直れるのか、といった明日を描こうとするが…。
全体的に役者陣の演技力は確かでバランスも良かった。初日 冒頭の酩酊シーンは 少しぎこちなく違和感があったが、それ以外は安定していた。
また劇中歌うシーン、カラオケを別にすれば2場面ある。依存症者皆で「アル中の行進」を歌う場面は、それでも断酒できない諦め または勇み、そしてマスターのソロには哀惜が…。
次回公演も楽しみにしております。
何待ってんの?
ほっぺ向上委員会
新宿眼科画廊(東京都)
2022/06/24 (金) ~ 2022/06/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
物語(脚本)は、サミュエル・ベケット作「ゴドーを待ちながら」(二幕の悲喜劇)を擬えており面白いが、観せる(演出)工夫がほしいところ。せっかくの観せたい内容が、観客に十分伝えきれないようで勿体ない。
(上演時間1時間40分)6.27追記
ネタバレBOX
この物語も『ゴドーを待ちながら』と同じ2幕劇(途中で暗転)。中央に信号機(柳橋)が立ち、下手に公衆電話があるだけのシンプルなもの。
第1幕は浦尻湊(小山田匠サン)と虎後凛(井澤佳奈サン)という男女が待ち続けている。誰を待っているのか、もしくは何を待っているのか?2人は待ちくたびれて、たわいもなく滑稽で実りのない会話を交わし続けている。そこに泉夫人(太田華子サン)と召使ロボット・ラッキー(内川大輝サン)がやってくる。ラッキーは首にロープを付けられており、ラッキーは夫人の命ずるまま ぎこちなく踊ったりする。しかし「考えろ!」と命令されると突然、哲学的な演説を始める。夫人とラッキーが去った後は…。
第2幕においても浦尻と虎後がまた何者か何かを待っている。1幕と同様に、夫人とラッキーが来るが、夫人は盲目になっており、ラッキーは何もしゃべらない。そして2人が去る。今日も何も起こらず…。人が「今この場所に存在すること」「この瞬間を生きること」を描いており、先の見えない不安、確かなものなど何一つないという恐怖、それでも同じ繰り返しの毎日を生き続ける。
「ゴドーを待ちながら」(当初のタイトルは「待つ」らしい)では、ゴドーが何者であるかは劇中で明言されないが、何となく人であることは、容易に解釈出来る。しかし本作は更に曖昧な設定である。何もない空間は空虚感であり、同じような展開を2度繰り返すことで時間の経過と永続を暗示させる。物語は大きく畝らず、分かったような分からない会話が延々と続く。ただ、時々鳴る公衆電話によって意識の変革なり待つ必然性を表現している。2人の間には恋愛感なり依存し合う何かがあるよう。それぞれ自己にある葛藤なり苦悩らしきもの、そして孤独感を感じる。
2人は生きているのかといった疑問…繰り返しは此岸同様、彼岸でもあるのか?何となく太宰治を想像し、玉川という地名、信号機(柳橋)という花街がさらに膨らませる。彼の短編小説「待つ」も重なり2人の関係性を連想してみる。公衆電話は彼岸と此岸を結ぶ年に何回かの連絡(宗教的、文化的な儀式)のように思える。
表層的には、暇つぶし的な時間経過の中に「ゴドーを待ちながら」の演劇的な面白さがあるらしい。さて当日パンフで、金曜日のアイさんが「自分がより有意義だと思えることに時間をを費やしたい」、太田華子さんは「無駄が生きる上で結構大事なのかも」と書いており、二人の思いが伝わる“暇つぶしではない”公演であった。
演出で2点気になる。
第一に、会場に段差ある客席を用意しているが、演者が板(床)に座り寝そべった演技をした際、客席後方では観づらいと思う。特に客席よりで演技をすれば前席の人影に隠れてしまう。
第二に、空調・換気によるfan(ファン)が回る音によって、演者が小声で呟くような台詞が聞き取り難い、もっと言えばかき消されてしまう。
観せるために、何らかの工夫(例えばベンチを置く等)が必要だろう。
次回公演も楽しみにしております
たぐる
ここ風
テアトルBONBON(東京都)
2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「父はこの浜で一人 何を思って暮らしていたのだろうか」を、父を知る人々によって思い巡らす(たぐる)物語だが…。出来事やちょっとした台詞の端々に文学的な香が漂い、何気ない日常、それも夏の数日間を描いた秀作。
物語は大きく畝る展開は観せず、どちらかと言えば さざ波のように穏やかな日々。そんな何気ない暮らしの中に喜びや幸せがあるのかもしれない。その平穏が脅かされ壊された時に、初めて足元の幸福をかみしめることになる。この物語は、その穏やかさに、小石を投じちょっとした波紋が…そんな印象を持たせる公演。
同時に気になることも…。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは、この劇団らしく丁寧な作り。上手に少し段差を設け 住居(玄関戸)・パーゴラ、そこにテーブルや籐椅子、下手は奥に葉が生い茂り、手前にテントが張られている。後ろの葉影と手前のワンポールテント(横柄)が遠近法のように奥行きを感じさせる。所々にあるランプ型の灯があり、実に趣のある光景である。また遠くに聞こえる波の音が優しく 心が洗われるようだ。
物語は、以前父が住んでいた、この家に三か月前に引っ越してきた元女医・市橋一花(もなみのりこサン)が主人公。冒頭、見知らぬ男・瀬能幹夫(岸本武亨サン)が勝手に家の前のスペースにテントを張って、その経緯等を二人で話すところから始まる。幹夫曰く、一年前にもここにテントを張り寝泊りしており、一花の父の許可は得ていたと。一花は、「あの人らしい」と呟く。この言葉には、物語の背景にある自分や母を捨て(別れ)た父の「いい加減さ」なのか「融通が利いて少し良い人なのか」、その後の物語の展開の肝になる上手い描きである。父の捉え方は、肉親である一花と、この地の人々とでは違う。だからこそ一花は父を「あの人」と呼び、地元民は名前で呼んでいる。人が持った感情の距離感は、呼び方で変わる。それが終盤でさり気無く分からせる巧さ。
一花の親友で看護師・野田明日美(天野弘愛サン)、その息子・純(岡野屋丈サン)、そして一花を命の恩人という鶴谷七恵(はぎこサン)が遊びにやってくる。町役場の蝶野翼(斉藤太一サン)は面倒見が良いが、実は好意を抱いている。街で食堂を経営している島茂雄(霧島ロックサン)、従業員ジョニー(香月健志サン)の仄々とした雰囲気、そして勝手に家に住み着いてしまった久右エ門(花井祥平サン)の肉体美と不思議な存在。登場人物によって、登場しない人物(亡き父)のエピソードを点描していくが…。同時に一花の心に残った出来事(傷)が、医師を続けられなくした。
役者の演技力は確かで、バランスも良く安心して観ていられる。
父の死因は溺死。海で溺れる母娘を助けるために、自分が犠牲になった。
蜘蛛を逃すこと、そして幹夫が書いている未完成小説の粗筋を聞く一花、二人の会話が小説内容と相まって滋味溢れる。父は妻(母)と娘(自分)を捨てて生き、一方、他人の母と娘を助けて死んだ。贖罪なのか「蜘蛛の糸」を思わせる。
一花は助けた患者が、退院後 多くの人を巻き込んだ交通事故を起こした。何ら道義的責任はないが、それでも…。蜘蛛の糸にぶら下がった人を助けたつもりが、何ら関係のない多くの人の命を奪ってしまう。人々が話す父の思い出が、いつしか幼き頃に別れた父の面影を求めるかのように懐かしい。「あの人」が「父」へと表現が変わり、自分の気持に向き合うようになるような。がんじがらめ の関係から少し解放されたのか。
気になるのは、影の主人公である「父」の姿がぼんやりしており、立ち上がってことないこと。人命救助のエピソードが強く、この地で暮らしていた姿、その日常(冒頭の文句)が想像できないこと。特に自業自得とはいえ、父であれば娘に会いたいであろう気持が伝わらない。その何とも表現しにくい感情を演劇としてもっと観たく、そして感じたかった。
次回公演も楽しみにしております。
もんくちゃん世界を救う
U-33project
王子小劇場(東京都)
2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
お伽噺 桃太郎をベースにした寓話のようだが、話の展開は違うもの。何方かと言えば現代的な問題を前面に出し模索若しくは自省しているよう。しかし、まぁ理屈で考えるより観たまま素直に受け止め、楽しみたい作品。
「文句」という感情を切り口にして、発想の転換によって思考や物の見方が変わる、といった内容がストレートに伝わる。訴えたい内容は分かり易く、更に視覚的に面白可笑しく観せる演出の工夫、そして主人公もんくちゃん役の ゆでちぃ子。 さんの独特の雰囲気、それら全体をもって物語の世界観を醸成している。
さて、もんくちゃんが言うところの「世界を救う」とは…。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)6.26追記
ネタバレBOX
舞台セットは、奥を一段高くし、色違いの箱馬が置かれている。中央に花道、冒頭は桃の張物がある。上手 下手は敢えて非対称の張物絵柄。上手正面は雲、側面は高層ビル群、下手正面は太陽、側面は大木が描かれている。因みに箱馬の色は青と赤であり、格闘技のコーナーを表しているよう。
物語は、ストーリーテラー(絵本の読み手のよう)が話を分かり易く案内してくれる。おじいさんと きくちゃん(おばあさん)が、仲良く暮らしていたが、長年一緒にいれば喧嘩することもある。つい強い口調で詰ることもあるだろう。おじいさんは「文句」を別の言い換えが出来ないか考える。そこで知り合った もんくちゃんに「文句」集めを依頼する。斯くして もんくちゃんはピンクの上着を着て街に出かける。街には相手の意見に逆らえない人(犬井)、自分の考えがなく、言いなりになる人(猿渡)、誰とも関われない孤独な人(雉谷)がおり、その3人が抱えている心の問題が見えてくる。一方、鬼と称される人達は、高圧的に命じる(青鬼)、情実に訴え言いなりにさせる(赤鬼)、そして無視を決め込む両鬼として対峙(退治)させる。この構図は、社会問題にもなっているハラスメントを表している。それぞれの立場を鮮明にした戦い(ディベートみたい)が始まる。この時の観せ方が面白可笑しく秀逸だ(カーテンコールで表現に注意してとあり)。
ハラスメントを受ける人たちの特徴、文句を言われ傷つきたくない、優しいだけで自分の意見が言えない、自己表現せず自分の殻に閉じ籠ってしまう。「文句」=「意見」に置き換えることで違った印象を相手に持たれる。発想の転換によってネガティブがポジティブへ、といった表現が…。しかし行き過ぎた正論もまた怖い描き方をしている。鬼退治=仕返しが出来たことによって、今度は逆に苛めの側に立つ。負の感情の連鎖は止まることを知らない、人の弱さを露呈する。単純に「文句」を「意見」に置き換えただけでは世界は救えない。しかし意見を言わなければ、世界が(何事も)変わらないのも事実だ。「世界の終わり」を「世界を救う」へ導くことは並大抵のことではない。その問題を観客に投げかけているようだ。
演出は全体的にポップで、時に漫画調になる。描かれている内容は重く厳しいものであるが、そこは上手い演出とキャスト陣の演技で楽しんで観ることが出来る。公演は絵本と異なり、ストーリーテラーがもんくちゃんの代わりとして、物語に入り込む。困ったら他人に押し付けてしまう、そんなもんくちゃんの弱さを描くことも忘れない。
先の演出と相まって童謡 唱歌「桃太郎」が実に効果的な音楽として流れる(ピアノ)。
次回公演も楽しみにしております。