満足度★★★★
なんで自分たちが?
晩餐会と言うと真っ先に想像するのが、やはりキリストの最後の晩餐会だろう。
そう、今夜はその晩餐会のように長いテーブルに6人の男達が招待され、最後の晩餐の話にも及ぶのです。
以下はネタばれBOXにて。
ネタバレBOX
招待された6人は秘密の地下社会に関わった人達です。
彼らは何故自分たちがエヌ氏から招待されたのか、理由を知りたがります。誰もエヌ氏に会った事がなかったからです。
自分達は優秀な人材、つまり平凡な人達と違いビップだから。と能天気に解釈する男。
もしかしたら、この秘密のアンダーワールドを誰かにしゃべってしまった裏切り者を探すため。
・・・などなど、キリストの最後の晩餐にひっかけ、裏切りもののユダを見つけようと詮索し始めます。
6人の男達はそれぞれ相手の性格や考えを瞬時に判断し、6人の役割のような空気が作られていきます。
どの世の中でも必ず、指示する立場の輩が出てくる一方でそれに従う輩も登場します。(^^;)
新宿の地下の図面が出てきた時は思わず苦笑。
実際のデパートや書店の名前が登場します。
映画館や学校や、レストランもあり、地上に出なくても困らない地下社会です。そして彼らの晩餐会の真下には大江戸線が走っています。
8年前にこの地下社会で迷ってしまった男がスープを飲んだ話はまるで仲間を殺してその血肉で生き延びたかのように想像され、ドキドキします。
6人の男達はあらぬ想像をし始めるともう止まりません。
想像は遥かに自分たちの意識の許容範囲を超え、自分達は殺されるんじゃないか?なんて結論に至ってしまいますが、それらを払拭するように、ケーキが運ばれ実は全員の誕生月でエヌ氏からのお祝いだった!というオチがついたストーリーでした。
殆どが会話劇ですが、その会話だけで、人間性やそこに潜むドロドロ感もリアルに表現します。
中々面白い!
結局薬局、このアンダーワールドが警察にばれて6人の男達はここから逃げる!という終わり方だけれど・・・まあ、芝居の世界ですからーーー!(^0^)
こういう、心理をついた作品は好みです。
6人のキャラの作り方が面白い作品でした。
満足度★★★★
遊郭での人情もの
大阪の劇団って聞いただけで、「ほならテンション高うなりますな~」って地球の真ん中で叫びたくなるように気合が入りまくって、正門から入場したその芝居は。
続きはネタばれBOXにて。
ネタバレBOX
オープニングから、観客に渡してあったうちわでパラパラなる(苦笑)踊りを教えます。
東京の上品な観客は「やりたくねー。」っつーて、これまた上品な聞こえないセリフを吐いた輩もいたはず・・はず!(^0^)
そんな内気な情緒は気にする風もなく「はい。宜しいですかー皆さん!」なんつーて、拒否する間さえ与えません。
上品な観客はしぶしぶ・・・または、仕方ないな~・・・中には気恥ずかしそうに・・・という表情で言われたままに自分の意思とは関係ナシにうちわパラパラを真似して、踊ります。
いあいあ、そりゃあ、あなた、そこのあなた!
悲しからずや日本人の習性で全員がうちわパラパラを踊ります。
踊らないと、むしろ目だって、目だちたくない日本人は自分だけが異質なんて思われないように、踊ります(苦笑)
ってな訳で最初から私たちは、まんまと劇団員に抵抗する力を取り上げられた結果、大人しくねずみのようにちょこんと座って黙って観ることになります。
このねずみはねずみーランドにいるキャラクターでもなければ、トッポジージョのようなトリッキーなねずみでもなく、大人しい静かなねずみたちです!(^0^)
さてさて、舞台は大坂のとある享楽街。遊郭のお話。
矢場「はしひめ」と「ひこや」での女郎たちの人情話です。
ある日、杏という少女がかっぱらいをして、「はしひめ」の女将ゆうに助けられます。杏は両親を亡くし今まで自分だけの力で生きてきました。そんな杏を女将のゆうは人として大切な事は何か?を教えていきます。
舞台の後方に押入れのような部屋を作り、そこに「おじい」が住んでいますが、このおじいのキャラがまたいい。仙人のような味のあるセリフを吐いたり、コミカルな事をしでかしたりして笑わせます。
杏はこのおじいとも話すうちに固まった心が解けていきます。
女将のゆうもかつての悪行の数々をしている時におじいに救われた過去がありました。
ある日、女将のゆうを殺そうと刺客が現れます。かつての仲間、雷蔵です。雷蔵は般若の夕霧(現在のゆう)が隠した大枚を奪いにきました。それを聞いた杏は、杏の両親を殺したのは、その時の夕霧だと知ってしまいます。
杏はゆうを殺そうとします。親の敵と言って。
しかし、そこでおじいは「殺したいなら殺すがいい。しかし、お前はこれからの人生をゆうの現在の人生をも背負うことになるんだぞ。ずっとな。」と杏に言い含めます。
杏は葛藤しながらもゆうを許します。
夜の街を舞台に、繰り広げられる情と恋と義の物語。
遊郭に息づく自分の身一つで暮らす女郎。
義理や誇りに重きをおき分相応な事を考えて、何かでっかい事が出来るんとちゃうかな?と考えてしまう男達。
「開店しま~す!」と賑やかに始まり、色町の女郎の着物や豪華絢爛そうに見える表の裏の仕組みなど、とても面白い舞台でした。
これをエジンバラで公演されたなら、きっと着物という武器と色町という設定が異人の目からは好奇心と異国情緒という面で絶賛されたはず。
楽しい舞台でした。涙も誘うシーンがあり盛りだくさんでした。
(おまけ)一人だけ素人っぽく恥ずかしそうな芝居をしてる役者がおりました。セリフも棒読み(苦笑)舞台監督らしいから、急遽ピンチヒッターだたんでしょか?(^0^)
満足度★★★★★
憎らしいほどに温かい物語
セットといい、蚊取り線香やうちわなどの小物の使いからが絶妙です。
私たちが忘れかけた何かがここには存在する。
そんな優しい物語。
以下はネタばれBOXに。。
ネタバレBOX
東京隅田川の佃島の勝どき橋あたりに、ホームレス達が住んでいるバラック小屋があった。
名を「蛍茶屋」という。
ここでは社会に適合出来ない人達がおばちゃんを中心に自分たちの秩序の下、ちっさな社会を築いているのだった。
そんな折、区役所職員の月島が、バラックの立ち退きの話を持ってくる。
町の美観と風紀が損なわれるとして地域住民が反対しているからだ。
月島は、ホームレス達と関わるうちに、彼らの人間の温かさに触れ、すっかり仲良くなっていた。
更に、月島の父親が「関東自動車道の勝っちゃん」と呼ばれていた流浪のホームレスだったという過去も解る。
月島のそんな状況がここのホームレス達を親切にしている理由の一つだった。
月島が語る父親の思い出は、涙なしでは見られません。
タオルで顔(涙)を拭く仕草など、涙をこらえてる芝居が涙を誘います。
ここで一番の長老のおばちゃんが絶妙な味わいを出しながら、ホームレス達の相談相手になったり、癒しになったりしています。
現実の社会で傷ついた彼らは、「俺たち二本足で生まれた者は生まれる前から傷ついてる。」と吐くシーン。
美しいセリフです。
ここまで、音の導入はありません。
しかし、この状況で音は必要ないです。
むしろ、ない方が心地いい。。
静かで暖かい温度のある物語です。
ホームレス達は自分の心の闇を隅田川に向かって叫びます。
心の暗闇を吐きだすように。
ときえは「何も言うことがない。」といい、何もなければ「かあちゃん」と叫べ。と教えられ、
「かあちゃーーーん!」と叫ぶシーン。
前後のやりとりの合間のこのセリフ、泣けます!
仕事を首になったリーマン。
夫に暴力を振るわれて逃げてきた女。
一人で頑張ってみるといって家を出て来た女。
それぞれが辛くなったり悲しくなったりすると隅田川を向こう岸まで泳いで渡ろう!と水泳大会を開きます。
なんだろ・・なんでこんなに温いのに涙がでるんだろ?
後半の導入音楽も素敵です。
そう、、ワタクシはこの芝居で忘れかけたものを思い出したのです。
満足度★★★★★
素晴らしいですってば!
初見の劇団でした。聞けば、もう本公演だけで30回も公演してるという老舗の劇団屋。
ワタクシってば、なんで今まで知らなかったんだろ?
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
今から35年前、来日中の韓国の元大統領候補・金大中(キム・デジュン)氏を暗殺せよとの密命がKCIA(韓国中央情報部)へと下った。
韓国は金氏の外遊中に戒厳令が敷かれてしまっていたので、金氏は韓国への帰国を断念し、日本とアメリカで韓国民主化運動を行っていたのである。
そんな折、飛ばしやと呼ばれる元公安部の加納錠率いる国外逃亡の幇助を仕事にしている組織と、金大中(通称DJ)、DJ暗殺の情報を入手した警視庁公安部がKCIAとDJの内偵を進める様をからませながら、物語は進む。
警察が国際問題へと発展する事を恐れての裏取引など、醜い部分も表現し、ひじょうに緻密に練りこみながら芝居はスリルとサスペンスに満ちている。
DJと飛ばしやの仲間の娘・よんすを救う為に暴力団を巧みに利用する様。
また、その暴力団と共にタグ・ボートに乗って、囚われの身の二人が乗る船に向かうシーンは赤い照明と風を上手く取り入れ、まるで映画のワンシーンさながら、画になってる。
そんでもって、カックイイ!!
対立する敵・暗躍する元自衛隊調査部・坪井など登場人物も複雑に絡み合い、ひじょうに良く練られたストーリー仕立てに感服する。
推理・妄想・アクション・暴力・取引・絶望・・・。
それらの全てを絶妙に取り入れた高度なハードボイルドだ。
DJは韓国自宅前で、発見されますが死刑囚でもあり大統領でもある彼の運命はまるでメリーゴーランドのようにくるくる回って安住することがない。
これらを説明するナビ役が大人になったよんすが担当するが、このナビの仕方も切なく悲しく強い!
素晴らしい!!
舞台の装置もブリッジを組み立て、海の場面や埠頭のシーンをリアルに表現してました。
最後は元自衛隊調査部・坪井は利用されるだけ利用されて捨て駒のように殺されるが、その場面も情景が目の前に広がってきます。
そうして、その時代の物語は終わり、現在のよんすは母親と同じように飛ばしやになっています。
強くありたい。と幼いころ願ったよんすは強く優しいリーダーになっていました。
物語は繰り返されるのです。
満足度★★★★
高度な会話劇
いあいあ、とにかく膨大なセリフの量、半端ないです。
以下はネタばれBOXに。。
ネタバレBOX
ジャックとその主人は旅をしていた。
ジャックは世の中で起きるすべてのことは前もって天上に書かれていることだと主張する。主人は無類の話し好きだったので、二人は切っても切り離せない仲だった。
ジャックは主人に乞われ、自分のたった一度きりの恋について語ることにした。それは兵士の頃、膝に怪我を負って運ばれている最中、ある一軒の家の前にたどり着いたことからはじまる。
ジャックが主人に自分の恋物語を話し、主人はそのあとで自分の恋物語を話すって語り芝居なんだけれど、主人がとにかく話を聞くのが好きな人だから、旅先で出会う宿屋の女将、居合わせた貴族など、とにかくいろんな人から別の話を聞きはじめちゃって、脱線や中断の連続なわけ。
ジャック自身も恋の物語を話していたのに、主人に乞われて別の人の話をはじめちゃったり、はたまた、宿屋の女将が貴族の夫人の恋愛復讐物語を強引に始める始末。三つの恋が劇中劇として演じられ、その最中にも聞き手が勝手な意見を言っては、じゃまをするから、劇中劇と舞台上の現在が交差する不思議な感覚に満ちた作品だった。
ジャックは友人の恋人と結ばれ、主人は思いを寄せる女性を親友に寝取られた話をする。
貴族も庶民も、等しく恋の情熱につかれ、理性の手綱を失って愚かな行動をとる。嫉妬(しっと)や憎悪、裏切りのもたらす狂騒をユーモアたっぷりに描いた作品だ。
主人、ジャック、宿屋の女将が語る3つのよく似たストーリーがお互いの表裏を照らしあうにして進み、大団円へとたどり着く。それはちょうど、複数の異なるメロディーが響きあいながら絶妙の調和を生み出す楽隊のようだ。
ユーモアと皮肉、洒脱な台詞の合間に軽妙でコミカルな動きも、加味する。
今回の芝居、語り芝居と表現しても良いほど、台詞を吐くスピードが速い。
殆どが台詞だけで繋がっているといっても過言ではない。
だから、言葉の意味、役者の表情、動きなど動体視力がかなり必要です!(^0^)
そこに持ってきて相変わらず、休憩後の役者のセリフと日本語解説の画像が合わない!(^^;)
いあいあ、ワタクシまで目をグリグリさせながらハイテンションで事の成り行きを追ったのでした。
結果、非常に疲れた芝居だった。
思考との戦い、頭の体操でしたーーー!(^0^)
本を読んで観劇したからいいものの・・・読まなかったらでんでん解んねーー。
満足度★★★
上演90分
一幕、「ひとさまにみせるもんじゃない」。二幕、「いそうろう」
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
まず、「ひとさまにみせるもんじゃない」はかつて、「恋人としては無理」のようなセリフ回しで、誰が誰であるかを見分けるためにも、各人物を象徴する形があった。
それは、2本の指を目にあてて、今、自分が演じてるのは女子高生役のリナですよーみたいに。。
今回もあの時同様、6人の役者がその形の主を演じるという方法をとった為、人物の象徴の仕草をした劇団員が箱の上に乗って演じてました。
要は役者6人全員がその登場人物の役柄のセリフを吐くという手法。。
いつものことながら、セリフのスピードがハンパないです。
セリフの量といい、物凄いハイテンションで、本日初日の為役者のカミカミが目立ちました。
たぶん、回をこなしていくうちに良くなるかと。
ストーリーは朝の目覚めから始まります。
女子高生のリナは遅刻しそうになったので、極楽メトロという電車に乗った事から、おっぱいを狙ったチカンに出会う。当然の事ながら自分もタッチされると思っていた矢先、スルー。
スルーされるとなんとなくムカッ!ときた。
何故自分だけ?と憤慨したが、そのチカンは幼いころ別れた母親を探す為に、唯一つの手がかりだったふわふ~わのおっぱいを探すための手段だったのだ。
そんなチカンに恋をしたリナは彼に告白する。私のおっぱいを触ってみて!と。
すると、そのおっぱいは母親のようにふわふ~わだった事から、めでたくバカップル登場!・・・・のはずが、そのトリンキーな出来事は全て夢だったというネタ。
柿の好きな方にお勧め。
二幕「いそうろう」
これは9月初旬にザ・スズナリで上演した富士山アネット「EKKKYO-!」でのショートだった物語の本編。
いそうろうを決め込んでるイチコはももこが買い置きしてるビールや他の物を当たり前のように食べて、散らかして、働かないぬるい生活を送っているが、そんなイチコを見て、切れるももこ。
喧嘩になって出て行って!と言ったものの、イチコが居ない生活はやはりさびしい。
そんな感情の動きを表現した作品。
かつて「偉大なる生活の冒険」だったかな?
タイトルが間違ってるかも。
そこのヒモみたいな男が精神的にゆとりがあってヒモのくせにやたら偉大に見えたけれど、その時と同様に、働かないでのらりくらりと暮らすイチコの方がゆとりがあって偉大に見える!(^^;)
明らかにももこが働いたお金で生活し養って貰って、更にごみ出しや食事の用意までしてるのに。
以上2本。
満足度★★★
ちょっと荒削りだったけれど・・。
音楽劇と聞いて遥か彼方の道のりを行ってきました。
ストーリーは子猫ナイトの冒険の物語。
以下はネタばれBOXに。。
ネタバレBOX
不思議な力を持つジュールは息子の黒猫ノッテを失ってしまった。
それは心無い人間がノッテを川に投げてしまったからだった。。
ジュールはノッテを助けられなかった事に落胆し後悔して、「神様、あの子を生き返らせてくれたら、自分の命を捧げます。」とお祈りをしました。
ある日、飼い猫の黒猫ナイトは大きな震災にあい、飼い主まみちゃんと逸れてしまいました。そこでジュールと運命的な出会いをしますが、ノッテと同じように額に三日月の模様があったナイトを見てジュールは自分の息子と思い込んでしまいます。
ジュールはナイトの願いどおりまみちゃんの下へ帰る手助けをしますが、無事に帰るまでの間、仲間になった野良猫達の人情なる猫情に触れ合います。ナイト達は遠い東の地からまみちゃんの住む町まで途中、保健所の車に入れられ窮地になったりしますが、その経緯をへてナイトは沢山の事を学び大人になっていきます。
一方、ジュールもナイトや他の猫達と色んな目に遭いながら共に成長します。やがて、ジュールはナイトが自分の息子ノッテではないことを悟りますが、命の連鎖をかみ締め、魂は繋がっている。と思うようになれました。
実はジュールにも前世があり、前世はレインという名の薄幸の白猫だったことや、そのレインを愛したヨルという不思議な力を持つ猫が転生した現在のジュールを陰で支え、力になりながらもずっと傍で見守っていた理由が解ります。
ナイトはノッテではないけれど、ノッテの命は魂は受け継がれ繋がっていると、ジュールは確信します。
そんな折、ナイトは無事にまみちゃんの家に辿りつく事ができました。しかし、そこにまみちゃんはおりません。まみちゃんは亡くなっていましたがまみちゃんの姉がいました。彼女はかつてノッテを川に投げてしまった事を後悔し、ナイトと一緒に暮らす事を誓います。
ピアノの音色と共に上演する音楽劇。
やはり、生のピアノを聴きながらの芝居は癒されますね。
ただ、芝居は全体的に荒削りでした。この手のストーリーも珍しくないベタな物語だと感じました。
それから、歌を歌うシーンが最後にあるのですが、この歌がマズイ。
カラオケで歌ってるような音程です。
仮にもミュージカルを前面に押し出すなら、もっと歌を勉強して欲しい。
むしろ、バックコーラスの方が上手い!というのは、どーゆうことでしょうか?
ここのところ、歌を導入する劇団が多くなりましたが、何処もレッスンしてるのか、すんごく上手です。。
最後、ちょっとがっかりしました。
満足度★★★★
弱い自分との対峙
今回、TRFのYU-KIが怪我の為、降板したからその分、鈴木亜美が歌う曲目が増えた!(苦笑)
篠田光亮は、先日のどツボっで好演してた俳優でした~。
デーモン小暮閣下って、あの世の年齢っていくつでしたっけ?(^^;)
以下はネタバレBOXにて。。
ネタバレBOX
で、今回ひじょうに光ってたのがYU-KI(TRF)の降板劇で代打で登場した中村真知子だ!
彼女の演技が実にいい。
コミカルな表情は元より、ひたむきな演技がいい。終盤はもう汗だくでの演技。実力を見せ付けました!
素晴らしい!ひじょうに素晴らしいです。
今回の代打劇で相当のプレッシャーがあったのだろうか?
芝居が終わって舞台に登場した瞬間、うるっ!(;;)としてましたが、ここで泣いたらアカン!と思ったのでしょうか?涙を堪えて健気にスマイルを作る表情!なんとも言えません。(萌える!)
さて、ストーリーです。
恋愛マンガを得意としていた少女漫画家・カノコ(中村真知子)は、最近は筆が思うように進まず、ついに連載を打ち切られてしまう。
更に、編集担当者であり恋人であったエイジ(西島隆弘/相葉弘樹)さえ、アシスタントのナナ(鈴木亜美)に奪われてしまった。
自暴自棄になったカノコが「逃げたい」と願ったとき、突然目の前にイリエ(馬場徹)という不思議な人物が現われる。彼は神なのか?はたまたアラジンなのか?ランプの精なのか・・?(^0^)
イリエは「お前が望むなら、開いてあげよう。『何処か知らない世界』への扉を…。」
別世界へ飛んだカノコ。するとそこはまったく見たこと
もない異世界だった。
その世界で出会った、支配者ダーク(デーモン小暮閣下)、ダークの手下エイフ(西島隆弘/相葉弘樹)やエマ(渋谷亜希) らは、人間の弱さにつけ込んでその心を奪いダークの思い通りに操る事が出来る。
一方でダークに敵対する女盗賊ナナジ(鈴木亜美)、や反乱軍の錬金術師のシャープ(小笠原大晃)とその師匠B・B(篠田光亮)はダークと戦っていた。
そんな時カノコはクリスタルに閉じ込められたシーとそっくりな事から民衆に祀られてシーと言われるようになってしまう。この世界を救う救世主シーは民衆の希望であり女神だったのだ。
カノコはシーの意思を受け継いでシーになりきり、この醜い世界を変えようとする。「大切なのは争う事ではありません。愛し合う事です。」
その言葉を受けて民衆は「シーが目覚めた!シーは邪気を払い平和を愛するんだー。」と叫ぶ。
ところが戦いの最中に本物のシーは宝石から作られた人形だったという事実が民衆にばれてしまい、シーのクリスタルは人の心の結晶だった事も判明してしまった。そう・・シーは小さな心のカケラだったのだ。
今度は民衆から批判される立場となったカノコはまた、元のようにこの場から逃げたくなってしまい、カノコはイリエにこの世界から出られるように頼むが、イリエは「例えどんな世界に行こうとも又、同じ世界が表れる。カノコが変わらなければ世界は永遠に変わらない。」と言われてしまう。
女盗賊ナナジ(鈴木亜美)も、逃げようとするカノコに「待て!この世はどうなる?責任をとってから行け!」と窘められ、カノコは今までの弱い自分に気付き、反省することに・・。「元の世界に居場所がなくなって本当はどうでも良かった・・。」と。
同時にカノコの下へ民衆が帰って来る。彼女の言葉には勇気とか優しさとか痛みとか色んなものが詰まっている。彼女の力が人の心を解き放つ、と。
そう・・・シーとはカノコ自身だったのです。全てはカノコの心の中に生まれた弱さ、怒りや悲しみの結晶、つまりこころのカケラだったのです。
カノコは誓います。
この世界は私の心。出口を見つけた!
私は私の意志で生きていく。心の醜さも弱さも全部受け入れて。
手話で歌ったエンディングも素敵でした。
満足度★★
ショートカットを繋いだコント
今回のぬいぐるみはどちらかというと断片的でした。
これは好き嫌いが激しく別れるでしょうね。。
以下はネタバレBOXにて。。
ネタバレBOX
とにかくはちゃめちゃです。
舞台上では殆ど走り回ってる感じ。
だから、今回はストーリー自体がはっきりした訴えもなければ、感動もない。
客席の様子をみてると、それほど爆笑してるシーンもないから、受ける!という感覚ではないような気がする。
観客の表情は「やれやれ」とか「まったくもう」とか絵文字でいうところの「(^^;)」で結局のところ「苦笑!」なのだ。
舞台は中学生らしいコトリがバケツの中の赤い水を頭からバッシャーんとかけられるシーンから、始まる。
どうやら、コトリは生理が始まったらしく、トカゲ(兄)に相談するが、ソレを聞いたトカゲはコトリを犯そうとする。コトリはびっくりして鋏でトカゲのピンコ(ここではチンコをそう呼ばせる)を切り落としてしまう。
ここからのストーリーがはちゃめちゃになってくる。
ムクミとニモツのバカップルの登場や、オサレというエロ満開のホストばりの男やカリスマと呼ばれる元カリスマの登場、コトリの通う学校の先生でエキセントリックなキズキなど、どーでもいいような連中がバタバタバタバタ、たまにコネタを入れ込んで、また走り回るのだ。
そんなだから、髪型がどうのこうのなんてどーでも良いことで、とりあえずタイトルは「髪型がぁっ!!」ってことにしておけ。みたいに付けたようにしか思えないのだ。
第3回の本公演はきちんとしたストーリー仕立てや思春期の淡い思いや迷いやそれでいてそこに味付けとして乗せるトリッキーさが新鮮だったのだが、今回はそれらがない。
結局、どんなふうに終わらせるんだろう?
と思っていたら、コトリのアソコにトカゲのピンコが入ったまま、大事にしまっておいた。という設定なのだ。
トカゲは当然の事ながら女になる。
トカゲとコトリの兄弟は孤児で地域に見守られながらこれまで生きてきた。という設定にはほろりとさせられるが、それでも今回は何が何だか解らず、ただ走りっぷりを見に来た印象だけが残る。
うーーーん??
個人的には友人や知人にお勧めは出来ない芝居でした。
まあ、好みの問題なんでしょうけれど・・・。
満足度★★★
過去の縛り
「僕は日記を追いかける」というタイトルは、どういう意味なんかなー。と思っていたけれど・・・
以下はネタバレBOXにて。。
ネタバレBOX
主人公の友人が自殺した。
どんな理由があるにせよ、死ぬ時に両親の事や周りの事を考えなかったのだろうか?と主人公は疑問に感じると共に憤りを感じる。
そんな鮮明な記憶も3年たった今、しっかり記憶は薄れてしまっている。
人間とは時と共に色々な沢山の事を忘れてしまう生き物なのだ。
そうやって忘れることによっていくつもの悲しみや苦しみから逃れてきた。
だけど・・・自殺した友人そのものまでも忘れてしまったらいけないのじゃあないのか。と考える。
だから、彼の足跡を、生きた証を残す為にも、作者は日記を綴ることで、彼の存在を失わないようにしようとした。
その日記には彼の友人や、あの時彼はどう思いどう感じていたか、を議事録としてまとめる、という手法をとった。
要は自殺した友人の回想録だ。
最初、この芝居を観たとき、この物語に中々入れなかった。
それは、いったいどんな状況でどんな光景なのか理解するのに時間が掛かったからだ。
芝居が始まって少しの間、導入音楽は全くない。
ないものだから、やたらシーーーンとして落ち着かないのだ。
更に、役者の発音が悪い。
間の取り方やセリフの吐き方に問題があるのだと思う。
段々、ストーリーが理解できたのはなんと、中盤になってからやっとだった。
構成に問題があるのか、ワタクシの頭脳に問題があるのかは定かではない。
終盤、「ベルベット・イースター」の導入音楽はこの物語にしっくりきた。
この物語を作った北川はたぶん、物凄く真面目な人で生きる!とう事に特に真摯に真っ向から向かい合いながら生きてる人なのだと思う。
かつての友人の傷を自分の中で抱えながら。
しかし、この物語を舞台化した時、多くの観劇者に感銘やら、共感やら、感動を与えられるだろうか?
また、与えられただろうか?
もう一ひねり欲しかった。
自分で感じたこと、表現したかった事を表現するのではなく、どうやったら観客の賛同を得られるか?
もう少し、観客側の視点で作品を作ってもらいたい。
好みか好みでないか?と問われたら好みでない作品だった。
しかし、今回の作品と次回の作品はどう変わるか?にひじょうに興味はある。
だから、次回も観に行ってみようと思う!(^0^)
満足度★★★★
家族の物語
中華料理屋「チュンチュン」を舞台にそこに息づく家族と仲間達の人情劇。
以下はネタバレBOXにて。。
ネタバレBOX
まず、舞台のセットがレトロ感溢れる作りです。
中華料理屋のカウンターとその向こうに一つの部屋を作り、その部屋では両造の義母が亡くなるシーンを上手く演出してました。
両造は訳あって、本当の両親でない「チュンチュン」の義母と義父にとても大切に育てられました。両造自身も、とても素直な良い子でしたが、中々「お父さん、お母さん」と言えなかったのです。やがて彼は大学を卒業し、この中華料理屋を継ぐ事になりますが、ある日、義母が癌だと言うことが判明しました。両造は本当に心配で心配でずっと義母の傍に付き添っていましたが、ある日、義母は喉を詰まらせて亡くなってしまいます。
両造は「おかあさん」というたった一言が言えなかった事を生涯、後悔することになります。
月日は経ち・・・両造は中華屋の大将と言われるようになり、義母の好きだった笛を練習して「音の森」という大会に仲間と共に出演する事になりました。
そこでもかつての自分と同じように義理の両親に育てられた上条ヨシオが両親との確執によって中々素直になれないでいたのでした。
両造は「本当の子供じゃあないとか、本当だとか関係ない。親子とは心の繫がりだ。本当の親不孝とは素直になれない、ありがとうと言えない、ごめんなさいといわない事だ。親が生きてるうちに感謝の言葉を伝えておかないと後悔するぞ。」と言い含めます。。
解り易いベタな芝居です。
だけれど、泣ける!
「音の森」のタイトルには意味があります。この芝居の中の大会がこの舞台そのもので、観客は私たちなのです。
そう・・・私たちは舞台の観客であると同時に芝居の中の観客でもあるわけです。
最後の場面、役者の全員が「音の森」という大会で笛を奏でます。
曲目は「カノン」
笛でカノンを聴いたのは初めてですが本当に素晴らしいです。
美しく優しい音色。
素晴らしい!!(^0^)
満足度★★★★★
運命の二人
るぼわーる・・初見でした。どんな劇団なのか少々不安ではありました。
しかし、しかし、そんな不安はきれいさっぱり払拭しました。
オープニングといい、運命の二人の幻想的なシーンといい、導入音楽も照明も完璧でした。
江戸川乱歩といえば明智小五郎とともに事件の究明の為にいくつもの謎解きをするので有名ですが、スリルとサスペンスさながら実に良く練られた作品でした。
この手のものを芝居と言う媒体を通してよくぞここまで表現できたものだ!と感激しました。
まるで映画を見ているようです。
いあいあ、この作品!みんなに観てもらいたいな~。
物凄く素晴らしい作品だから!
予定のない方は騙されたと思って行って見て!(^0^)
以下はネタバレBOXに。
ネタバレBOX
榊家の心臓が悪い朝子の下に、田舎から奉公にやってきた一人の少女がおりました。少女は朝子と仲良くなって姉妹のようにしていましたが、朝子の婚約者の馨に私の代わりに会って欲しいと朝子から頼まれ、会っていましたが馨は少女を朝子と思い込み、少女も朝子のふりをしてしまいました。
そんな折、少女はただの奉公人としてではなく朝子の為の臓器提供者だったという事実が判明してしまいます。
少女は自分が殺される為だけにここに来た事を呪い、朝子の立場に嫉妬し、自分のそんな運命を変える為に、ドクターや榊家当主を殺害し、更に朝子を操り少女の顔を知ってるお手伝いの美和を追い出してしまいます。
しかし、そんな成り行きを怪しいと感じた江戸川乱歩と明智小五郎は事件の究明の為に乗り出します。
二人が榊家に駆けつけた時には朝子が少女に刺され息も絶え絶えの時でした。
馨は目の前の朝子が本当の朝子ではないと分かった今でも、名前なんかどうでもいい、自分は目の前のこの人が好きなんだ。と言い、一方で本物の朝子は少女を庇い、自分は少女だと言い張ります。
物語はクライマックスを迎え、少女は初めから朝子と入れ替わるつもりだったと暴露し、朝子は「違う。私は朝子ではないの。」と主張します。
この場面、もう、涙なしでは見られません。
切なく悲しい二人の運命に心が張り裂けそうになります。
こんな、こんな出会い方でなかったら良かった・・。
二人はきっと、励ましあい、喜び合い、傷付き合い、慈しみあいながらも、ずっとずっと仲良くしていられたのに・・・。
二人は、歌を歌いながら抱き合いました。
抱き合って歌いながら・・・そのうち、朝子の声が聞こえなくなります。
シーンの一つ一つが絵画のように美しいです。
キャスト陣も実力のあるキャストばかりで魅せます。
場面場面の展開にダンスでも見せます。
構成と言い、セット、美術、どれをとっても非の打ち所がありません。
こんなに実力のある劇団とは想像もしてなかっただけに、仰け反るほど驚きました。
本当に素敵なものをみせて頂きました。
作・演出の浅沼絵里子さんにお会いしてお話してくるんだった。
その事が悔やまれます。。
満足度★★★★
サードラブ!
人生の恋に順番をつけるとしたら、初恋がファーストラブで、まだ青い恋だろう。
セカンドラブは結婚を意識するちょっと打算的な恋かもしれない。
そうして、サードラブこそが、大人の恋。本当の意味でのトゥルーラブだと感じる。
今回の芝居は人生を長く生きた者達への応援歌なのである。
以下はネタバレBOXに。。
ネタバレBOX
若いときって、将来の夢や希望を思い描くたびに、キラキラと輝いていた。
夢は必ず叶う!頑張れば希望通りになる人生だ、って自信に満ち溢れていた。
そうやって夢を見ながらも、違う方向に進んでいる自分を、やれやれ仕方がないよね。まあ、人生ってこんなもんでしょ。と、どこか大人びた言い訳をして慰めてたよね。
慰めながら、会社でリーマンになって普通に働いて普通に結婚して普通にオヤジになって普通に老いていく。
トウの昔にオヤジを過ぎて、野心も夢も無くなってしまった老人たちが公園に集まってなんとなーく、黄昏てる。
「世の中がどんどん便利になったけれど、何故か満たされない。何をどうすればいいんだ・・・。」と、ひとりごちる。
そんな時にバルダック星からやって来たというミニ星人や少年と関わってるうちにカササギは再び宇宙飛行士の夢を夢見、他の老人たちはゲートボールで優勝を目指す。
そんな風に老人たちが集まってる公園に盲目のシラトリというご婦人が訪れる。
彼女は目が見えなくても明るく朗らかで、真っ直ぐだった。
シラトリは目が見えないことを気遣うカササギに対し、「私は目が見えないことは全然気にしていないの。世の中には心のめくらがたくさん居るでしょう?目が見えても心が曲がってしまった人がたくさん居るわ。私は目が見えない分、心で見ることが出来るの。」と。
公園に座ってカササギとシラトリが話す穏やかなシーン。
素晴らしいです。
セットも証明も質素で地味だけれど、むしろそれらの地味さが、おだやかで優しいセリフの数々を、ゆっくり砂に染み込む命の水のように心に染み入ります。
まっすぐに、まっすぐに。。
そんなシラトリの為にカササギは目の手術費用を捻出します。
やがて、ゲートボールの試合は優勝し、その副賞として宇宙飛行士の権利が付いてきます。カササギはその副賞によって夢が叶い、シラトリは目の手術が成功し、カササギはシラトリに告白します。
「あと少しの人生を貴女のその目で見守っていてくれますか?」
「カササギさんも、私を見ていてくれますか?」
「勿論!」
こうやって、迷いながらも人生の終わりに近づいて楽しく生きる術を得たのです。
じーーーん!とさせられる本でした。
そう、私たちはもうちょっと頑張ろうね☆
坊主のセリフや舌足らずの言葉が個人的にツボりました。
まるでウッドペッカーみたい(^^;)
満足度★★★★
同類!
まず、言いたい!
折角の字幕付きなのに、字幕の出し方が役者のセリフと合ってない。
セリフに対して、字幕が遅かったり早かったりして、チグハグなんだよね。練習不足です。
以下はネタバレBOXにて。。
ネタバレBOX
コンゴに生息する類人猿「ボノボ」を飼育する人々が一室に集まっての会話劇。
ここではサル研究者や言語学者、農学者、心理学者、観光業者が真面目に研究成果やプロジェクトの実現に向けて話し合ってる。
ボノボ同士を掛け合わせて猿を人工的に進化させて人類化しようというもの。
ネアンデルタール人やピテカントロピスは人間に進化するのに500万年かかった。我々はボルボの人類化を50年で進化させよう、というもの。
それぞれの学者は成長ホルモンに詳しかったり遺伝子操作のエキスパートだったりするから、やけに自信に満ち溢れちゃってる。
一人の学者が言うには、人間は猿が突然変異して幼児化したものだ。と説明する。
それって・・・(・・!)人間は猿以下なんじゃあ??
学者達は、ボノボ同士の掛け合わせはクローンボノボとは違うレベルとか、ジャングルの人たちは普通にボノボを食料にしてるとか、同じ種同士で殺し合いをするのは人間だけだとか、風刺的なセリフも飛び交いながら、ボノボの多夫多妻制度にまで話が及ぶ。
要はボノボのセックスは乱交型で一夫多妻制に見られるような非対等ではなく、オスもメスも対等な乱交型との説明で、だからこそ、チンパンジーに見られるような子殺しはボルボの世界ではない、という。誰の子か分からないからだ。
もしも、殺してしまった子が自分の子、という可能性も含んでいるから。という説明だ。
観光業者はこの地を猿のテーマパークにしたい。と収入面を考え、一方で心理学者は自分の5歳の息子が自閉症なのを理由に、自閉症のボノボ、つまりノックアウトボノボを作って研究したい。と言い出す。更に他の研究者達は研究費捻出の為に、多少の猿の尊厳を見逃しても観光業者の考えを受け入れ、研究費の援助を希望する。
それぞれが自らの思惑通りに要求する。要するに猿だ!(^0^)
お堅い話ばかりでなくシンデレラのかぼちゃの馬車に話が及んだり、日本の島の伝説をしたり、日本は組織を組みたがると耳が痛い話もする。
最後の場面では二人の学者が「たまにこうやって解放したくなるんだ!」と猿真似をする。
ワタクシ、この時、思いました。
もしかして・・・この学者達は本物の学者が作った、ボノボを人工的に進化させて人類化した「新型ボノボ」なのかと・・。
もしそうだとしたら、新型ボノボ学者が自分達の更なる進化の為に研究してる図、ファンタジーでしょう?(^0^)
ボノボも人間も大差ないです。
もしかしたら近い将来、新型ボノボが人間を超えます!
ファンタスティック!(^0^)
満足度★★★★★
安定した演技力!
1973年、軍部がクーデターを起こして軍事独裁政権下となりました。その後チリが民主主義を取り戻すまでの17年間、軍部の独裁政治に反対した民衆はことごとく、拉致、監禁、逮捕され拷問を受けた挙句、殺害されたのでした。この物語は残された女たちが命懸けで立ち上がり、「男たちを帰せ!」と切実に訴えた姿を描いたものです。
以下はネタバレBOXに。。
ネタバレBOX
とにかく、ひじょうに素晴らしいです!
全ての出演者の演技力は勿論のこと、女たちが撃たれるシーンの照明、形、情景、その場面は一枚の画にすっぽり入ってウフィッツ美術館あたりに展示されてるかのごとく美しい絵になります。
きっと、すべての細部に渡って計算された場面なのでしょう。
さてさて、この「双ノ会」、毎回のことですが、ワタクシの中では沢山の観劇数の中でも5本の指にきっちり入っている劇団なのです。
一人一人の演技に一分の落ち度もなく完璧に観せる、という意味に於いてひじょうに高い評価をしております。
それは・・・東京には本当に沢山の劇団がありますが、それなりに有名でも毎回の作品が、いつもいつも、これだけの実力を持って安定した演技をみせる。というのがとても難しい事だと理解しているからです。
さて、本題です。
ある日の事、拉致された男たちを待っていた女たちの下に一体の死体が川から流されて浮いているのを見つけてしまいます。
フェンテス家と村の女たちは大騒ぎになり、その死体を墓に埋めようとしますが、軍隊の追及により没収され焼かれてしまいました。
その死体の処理の仕方をめぐって、軍隊の隊長は副官のなかば強制的な態度に疑問を感じて、村の女たちの感情を逆撫でしないように人情的な配慮をしますが、かえって住民達の側に立って配慮した事がきっかけで軍隊の統制が乱れてしまいます。
そんな隊長を見かねた反対派の副官は「住民は権力でもって押さえつけておかないと、どんどん図に乗って押さえつけられなくなってしまう。いいのですか?そんな事になったら隊長、貴方の立場も悪くなるし、村を統制できないという事実も公表されてしまうのですよ。」という言葉によって気持ちがぶれてしまいますが、それをあおるように村の女たちが結束して立ち上がります。
そこへこの地を牛耳っているカストリア家の一言で、軍隊の隊長の意思は固まり、真っ向から軍隊と村の女たちは対立する事になってしまいます。
村の女たちは隊長の「大人しく家に帰ってくれ!」との説得の言葉にも耳をかさなくなってしまった経緯から隊長の心理状態はどんどん変化していきます。
この時、カストリア家の正義、軍隊の正義、村の女たちの正義がぶつかります。
ここでの正義とは・・・その立場の人達が考える正義であって、見方によってはどの正義も正しいのだと言う事が分かります。
やがて女たちは命を懸けて軍に抗議しますが、しめしのつかない軍は女たちを殺害してしまいます。
この物語のみどころは、隊長(高橋耕次郎)の住民側にたった考えから、どんどん感情が変化していくさまです。人間の底の部分にひっそりと流れている優しさや悲しみ、哀れといった感情を押し殺して役職の為に鬼になろうともがく苦しみです。
戦争が続く限り未来は犠牲にされるのは常ですが、こうやってチリの女たちは戦ってきたのですね。現在の幸せの為に。
人が人と共に生きる限り、どこかでせめぎあい、どこかで摩擦を起こしどこかに歪みが生じる。
人間とは実に愚かな生き物なのです。
満足度★★★
上演時間2時間30分!
今回ほどスタッフの丁寧な案内に感激した事はなかったですね。
とにかく、大塚駅の方から劇場案内が出ており、受付に行ったら行ったで会場までスタッフが案内してくれて、懇切丁寧に対応して頂きました。
以下はネタバレBOXに。。
ネタバレBOX
さてはて・・・勿論ここでは上演時間について触れなければならないでしょうね。
小劇場上演時間2時間内という、なんとな~く、無言のうちに出来上がっちゃってるこの掟に逆らうかのごとくの2時間30分!
これが長く感じるか短く感じるかは芝居の内容によります。
ドラマはとあるアパートの中での出来事です。
良くも悪くもこのアパートから離れて壮大な場所に移るという事はありません。
1960~1970年代のベトナム運動から始まって学生運動、更には街にたむろするフーテン、ヒッピーと現在の団塊世代の方達が主役となっていた時代の設定です。
このアパートでは下宿屋風に大家が皆の食事の用意をしている所をみると家賃+食費がセットのようです。
このアパートには、女優になりたいという雇われママや強制的に学生運動に加担させられた学生、チンピラ、普段は公務員だがそれ以外はヒッピーという二つの草鞋を履く男・・・と様々な若者が見えない明日に向かって模索する姿を描きます。
たぶん・・・あの時代の人間関係や背景は実にリアルに表現しているのだと感じる。
が・・・とにかくアパート内での出来事が延々と続くのである。
壮絶なクライマックスも、まさに樹海レベルの磁場が狂うような出来事もなければ、脳が溶けそうになる熱い出来事もないのである。
かといって、「父さんの背中、けっこう小さかったんだね。」みたいな哀愁を漂わせるシーンもないのだ。
スポコン魂丸出しの生きてる事が精一杯って状況でもないし、ダイナミックな展開もなければ極限状態に陥る訳でもない。
とにかくアパート内での会話劇を延々と丁寧に紡いでいく手法だ。
今、フライヤーを確認しながら記憶の呼び水をたっぷり与えても、コメディだったのか、それとも何かを心理的に訴えたかったのか、ただ単にあの時代はこうでしたと説明したかったのか、今もって分からない。
ワタクシにとっての芝居とは、時代の説明だけなら、じつにどうでも良い事なのだ。
説明だけならニュースやビデオで理解できる。
どこまでも暴走するくらいのロマンチック・エンジンやあまりの恥ずかしさに鼻から血を噴出すような設定に「ああん」と我ながら会心の色っぽい溜息を漏らして卒倒する物語か、夏空に呵々大笑するような物語か、あるいは、死体を数えるくらいの陰気な声で妖怪たちが宴をしている場面とか、そういう怒涛の設定が欲しいのだ。
だって、芝居ってそうゆうことが出来るからお芝居なんでしょ。
今回の芝居はあの時代の背景と人情溢れるアパートでの出来事。というのが正解なんだろうか・・。
良くも悪くも大きなうねりはなかったです。
満足度★★★★
た・楽しい!(^0^)
愛に満ちたおともだちパンチをくらったよう・・。
観客を楽しく帰らせる。という点は素晴らしいです。
以下はネタばれBOXに。。
ネタバレBOX
北海道の田舎町の農家を舞台に かつての高校の同級生の通夜に参列した30代とその同級生の家族と母校の後輩が繰り広げる 温かい物語です。
まず、セットがアートっぽくて素敵です。
長谷川直樹の通夜に集まった37期生は高校生の頃、完全自殺マニュアルなるものが話題になって、その影響を受けて集団自殺しようとした仲間だった。
集団自殺の決行の日に、葬儀屋の島崎が察知して皆を止めて今に至っている。
彼らはそんなかつての心の闇を背負っていて、同級生の直樹がなぜ、今になって自殺してしまったのかを考える時、気持ちが重くなるのだった。
一方、直樹の兄の大輔は葬式の時には気丈にも明るく対応していたが、たった一人の肉親を失った事の重みは計り知れなく、葬儀が滞りなく終わった後、軽い鬱に陥り、農業をする気持ちが萎えてしまう。
そんなおり、妻の智子は直樹の同級生達に農業の応援を頼み、またまた、この長谷川家に皆が集まる事となった。
皆と関わっているうちに大輔は症状が回復し、やる気がでてくる。農業を手伝いに来ていた母校の後輩が学校でいじめに遭ってる事や、学園祭に「チャモロダンス」を踊りたい。という意思を知り、37期生達もその学園祭に参加しダンスを踊る事になる。
会場入りすると、ごっつい男達が前列に陣取っていて、「なんか、やばいなー。」と思ったら、たぶん、この露出度85%のチャモロダンスが目当てのようだ!
まあ、本能的に前列でプリプリを観たいのは分かるけれど・・・観えないっつーの!デカイ男が壁のように立ちはだかってちゃ!
自分でデカイと感じたら後ろに行けよ。観えないじゃん!(・・)
身近な人に自殺され、残されちゃった者たちが織り成す葛藤と再生の物語です。
このチャモロダンスは人は死んでも魂は生き続ける。という意味のダンスらしく、残された者達は直樹の最後の心の中に居た。と思い、直樹の上に私達が生かされてる。と感じる事で、これからの人生を有意義に生きようと決心します。
まるで栄光ある門出を全身全霊で祝しているように楽しくチャモロダンスを踊りながら幕は閉じます。
いあいあ、本当ににんまりしました。優しげで温かみがあって日向でうずくまる猫を思い起こさせる芝居でした。
さて、気になってたタイトルの「青に帰る日」ですが、ここでの『青』はどうやら、心の闇の『青』、未熟の『青』、心の傷の『青』のようだ。
自分にとっての幸せとは何か。それを問う事こそが前向きな悩み方だ。そしてそれを常に問い続けるのさえ忘れなければ人生は有意義なものになる。
そんな事を考えながら、むん!と胸をはって霊験あらたかな気持ちでずんずん歩いたのでした。
満足度★★★
始めに「祝」を観て正解だったかも
「弔」とは全く異色の作品でした。
やはり、両方、観られると人物設定が理解できて楽しいです。。
以下はネタバレBOXに。。
ネタバレBOX
亡くなった母「トメ」の意思を引き継ぎ通夜であっても営業をしていたレストランに、予約をしておいた婚約式を執り行うという家族が集まる。
しかし、主役の雨宮家と三国家の両家のお嬢様は結婚詐欺に遭っていたことが分かって、
両家の父親を落胆させないようにと、レストラン従業員と両家の真実を知っている者だけが、騙し絵のごとく、両父を騙す事に翻弄します。
結果、話の成り行きで新郎の代替案がいつのまにか出来上がり、雨宮真由美には三国家の長男、孝一をあてがい、架空の人物を無理に作るはめになります。
三国亮子にも海外に行ってる雨宮家の長男をあてがい話はややこしくなるが、雨宮家の母(晶)が主導権を握り、見事にトリックを押し通してしまいます!(^0^)
両家の挨拶の場面。
両家が対面し列に並びながらも、雨宮父と三国父、三国次女に分からないように感づかれないように代理新郎を紹介するあたり、仰け反るほど面白いです。
それから細かい演出も素晴らしいです。
レストランでは何の準備もしてなかったのが、リアルバレバレのように祝いのテーブルには白い菊と黄色い菊の花がちょこんと乗ってます。
隣の「弔」の花です!(^^;)
いあいあ、ホント馬鹿らしいけれど、愉快です。
ワタクシは「弔」の方が好みでしたが、他の方はどーなんでしょ?
満足度★★★★★
『屋根の上のヴァイオリン弾き』よりも
みのもんたのお祝い花があったので、思わず記念に写す。 (^0^;)
UPしてなかったのでUPしました。詳細はネタバレBOXに。。
ネタバレBOX
ロシアの寒村アナトフカ村。牛乳屋を営むテヴィエには妻と五人の娘がいた。ロシア革命の波がゆっくりと押し寄せる中、上三人の娘達の結婚話を中心に織りなされる、テヴィエ一家とその仲間達の悲喜こもごもの人間模様。
今も世界中で愛され続けるミュージカルの名作『屋根の上のヴァイオリン弾き』
あの感動が、ストレートプレイとなって、新たな感動を巻き起こす。
この物語は実際にあったユダヤ民族迫害とロシア革命が時代的な背景にあります。
それでもアナトフカ村の人々は笑顔を絶やすことなく、みんなで助け合いながら一生懸命生きています。。
高橋耕次郎演じるテヴィエが抜群!
神的でした。途中から田中邦衛を連想させる演技!
素晴らしい!
本当に素晴らしい!!
2006年2月に日生劇場にて市村正親・浅茅陽子らの『屋根の上のヴァイオリン弾き』を観劇したが、それよりも、はるかに良かった。。
確かにセットは日生の方が素晴らしかったけれど、演技はチケット代4000円の「双の会」の方が良いなんて事が、実際あるんだねぇ。。
信じられる?
市村正親より良い演技だった。。信じられないでしょう?
市村の演技よりユーモアがあって、可笑しくて、そして泣けた。。
高橋耕次郎はナイスガイなのに、演じると田中邦衛のようになってすんごく味が出るの。。
田中邦衛と間違えるほど似てる。。 (^^;)
素晴らしいです。
帰り際、事前に戴いたフライヤーが雨に濡れてしまったので「新しいパンフが欲しいのですが・・」と、言ってなにげに要求した相手が高橋耕次郎氏でした。。
受付の横に立ってたから、スタッフかと思って気軽に言ったのでした。。
彼はカウンターの下に潜り込んでがさごそと一生懸命探していました。
そしたら、もう一人のスタッフ(やはり役者でした)がいとも簡単に棚の上からパンフを差し出したの。。
その気配も解らず、まだ探してる高橋氏・・・
いい人なんでしょうねぇ。。
観劇後、「とても素晴らしかった。。本当に素晴らしかった・」と感想を本人に伝えました。。
そのときもペコペコ何度もお辞儀をしてましたねぇ。
やっぱ、小劇団の方がより親近感が沸きますね。。
ああ、観劇って・・・それなりのメッセージ性がふんだんに盛り込まれてて、抱えてる垢を洗い流してくれる・・
やっぱ、いいね☆
満足度★★★★
弔いの方が面白い!
両方観ましたが、断然、「弔い」の方が面白いです。。
何が面白いって・・・以下はネタバレBOXに。。
ネタバレBOX
お父さん役の猪股俊明さん!ひじょうにいいです。
以前ハイバイの『手』でもお父さん役をやられてて、とぼけた味のある役者ですね。
とにかく演技に気負いがない。
やる気があるのかないのか・・・とにかく自然体だから、観ていて愉快千万なのだ!(^0^)
栗田家の長男・優治は母・トメの葬儀を仕切るが、葬儀屋の「お父様の件ですが・・ショックでオカシナ行動をとる場合がありますが、そういう時は無視してあげたほうが回復が早いです。」との一言が発端となり父・唯吉はいつのまにか幽霊扱いされ、本人もすっかり死んだものと思い込んでしまう。。
思い込んだ時点から彼の振る舞い、行動が途端に怪しくなる。。
怪しいのに何故か落ち着いてみえて飄々とした印象さえ感じる。
馬鹿馬鹿しいのだけれど、偉大に思えてしまう!(^0^)
長男・優治の浮気が原因で、弔問客の関係がややこしくなり、優治はこの客達に早く帰ってもらおうと努力するが事態は更にややこしくなる。
ドタバタコメディです。。
父の即興葬式の場面でインド式テルテルの怪しい葬式やビルマ式スリランカの葬式など、本当に笑った!
とにかく全体的に楽しい!可笑しい!たのおかなのだ!(^0^)
舞台の和室のセットが素晴らしいです。
畳もこの舞台の為に三角畳をオーダーしたようで、隅の三角部分がまだ新しかったです。
いあいあ、ホント楽しい!(^0^)