満足度★★
肌に合わない
この作品に関してはキャストは4人まで。そんな思い込みをずっと前から持っていたものだから、こうも多い登場人物に面食らう。
でもって、たどたどしい日本語をしゃべり、はちゅおんもちっと違うんじゃね?なんつって聞き取り難い外人のセリフに閉口してしまったのだった。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
開演と同時に舞台上空で逆さ宙吊りに浮いている謎の男。「ワシ、インディアン!」なんつってセリフが聞こえてきそうな雰囲気。その異様なくらい髪の長い男の髪が真っ直ぐ下に伸びて男の顔全体を隠す。あまりにも異質な空気感が漂う。と、同時にその男の後方、高いところではドラムのセットが2つ。このドラムの音が響き、やっぱアパッチじゃね?なんて観客椅子に響く音響に興奮したのもつかの間、奇妙な日本語をしゃべる外人が・・。
これはないよなー、興ざめしちゃうじゃん!英語で話して字幕の方が良かったような気がする。物語の筋は元々の原本「4.48サイコシス」自体が遺書のようななぶり書きと・・・・・・・・。が続くわけだから、この舞台ほど演出家の感性が試される本はない。生きてることへの罪悪感と罰を常に心に持ち続け、その精神的不安から自分を責め、人として生きていてはいけないんじゃないか?と思い込み、自分を殺したいと考える。その考えの元は孤独であり、満たされない愛であり、誰も愛せない心であったのだと思う。人間、人よりも頭が良すぎると稀にこうなる。あまり物事を考えすぎない愚鈍のほうが案外、幸せに生きてるのだ。
最後は神に懺悔して自害するが、今回の演出の奇抜な部分は、この吊り下げられた人体と赤いプールに入っていく男と壊れた電話BOX,、そして髪の長い男がプールに沈む場面は衝撃的だったが、他の場面ではまったくのれなかった。ワタクシの感性には合わなかった。という事だけだ。
満足度★★★★
面白い!(^0^)
毎回、思うことだけれどハイリンドは一つの題材に対しての作りこみが匠なんだよねー。そんなこんなで両方とも楽しめた。
セットに大きなレゴブロックを組み立てて、それを家としてる。作られた家だ。こんな感覚もたのし。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
「華々しき一族」
一つの家族に一人の男(須貝)の居候が居た。この家族の構成は母の連れ子(姉)と父の連れ子(兄・妹)で家族になっていた。父も母も50過ぎの設定らしい。だからその子供達もそれなりの年齢。
花も恥らうじゃあないけれど・・・いい年頃の娘のところに、いい年頃の須貝が住み込めば、やはりそこは、自然の力というか、はたまた、おせっかいと言おうか、恋愛沙汰になる。
須貝は結婚なんてそんなつもりはないのに、妹のみなが須貝を好きになってしまったから、さあ大変!それを義理の母親に相談したことから、この不条理劇はそれぞれの思惑が違った方向に勝手に走り出し、家族の感情は彷徨う。みなから相談を受けた母親は、みなと須貝をくっつけようと企むが、須貝は、「僕は結婚なんて考えた事もない。僕が結婚したくない理由は、貴女ですよ。奥さん!ジュテーム!(はあと)」と須貝に告白される。笑
母親はすっかり動揺して・・だけれどまんざらでもなく、娘たちに勝った感情がほとばしり、勝ち誇って歌なんか歌ってしまう。しかし、兄が帰ってくると、「先ほど須貝さんに会って、『僕はみお(姉)さんと結婚したいと言ってる。』」と家族に告げる。それを聞いた母親は、「なんてことなの。軽薄で嘘つきで浮気者でひょうろくだまよ!須貝さんに出て行ってもらいましょ。」と自分のプライドだけでものを言う。母親は自分を好きだと言っていた須貝が、直後に今度はみおと結婚したいと言った心変わりが許せなかったのだ。
須貝はどの女性にも良い顔をして結局、自分からこの家を出て行く羽目になったが、この家の女性たちも、みな須貝に心惹かれていたのだった。面白いのは、人間の感情というのは相手の出方によってコロコロ変わると言う事だ。出て行くときに須貝は「もう少し放っておいてくれたらみな君を細君にしたと思う。」と去っていく。
いつも思うことだけれど、誰かを好きになったら第三者に相談したり話したりしちゃあ駄目だよね。他人が介入すると思わぬ形で壊される。良い方向に育った例がない。自分の恋は静かに当人たちだけで育めばいい。
おせっかいが元で壊れた心理不条理劇。
「お婿さんの学校」
スガナレルは悪いやつじゃあないけれど、ちょっと何かが極端な人だった。そんなスガナレルには監禁状態の婚約者・イザベルが居たが、彼女は別の男性を好きになってしまった。そんな事はまったく理解出来てなかったスガナレルはイザベルの思惑通りに恋のキューピット役をやらされ、ついには婚約者のイザベルを別の男性と結びつけてしまった。というおまぬけなコメディ。
「世の中は大抵の人に上手く廻るように出来ているのです。そして、お嬢様は大抵の人です!」こんなお茶目なセリフをふんだんに盛り込まれ、たのしいったりゃありゃしない!笑
満足度★★★
被害者が加害者になるとき
加害者の家で起こっていた物語。加害者が被害者への償いの為に己の身を差し出す。一方でこの風景は被害者の生きる糧となる。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
寺尾の息子を殺してしまったマサトは寺尾夫妻に賠償金が払えない。思いついたのが寺尾から何度も暴行を受けることで賠償金として相殺するという方法。だから、ケンタ(殺された息子)の母親は毎晩、マサトに暴行を加え、返り血を浴びない為にゴミ袋をかぶる。そうして受け取るべき賠償金は少しずつ、目減りしていく。マサトは自らの体を犠牲にすることで賠償金の代償として寺尾に支払うことができ、また、自分の傷を見て、罪を償っているということを意識して安心する。マサトの兄はこんな方法でも賠償金を払い終わったら、弟の為になる、と考え、こうすることで被害者が生きる糧になればいい。と思う。
この物語は被害者の心理と加害者の心理、加害者の家族の心理を描いた作品だ。しかし、観ているうちにいつのまにか三者の立ち位置が私の中で逆転してしまう。ケンタがどんな殺され方をしたのか、ここでははっきりとした描写はない。しかし、現況のマサトが受けている暴行を想像したとき、さっくり殺されたほうが楽なんじゃないか?と思うからだ。
そんな妻の行為を止める夫。しかし妻は「貴方は誰かが死なないと向き合えない人なのよ。」と夫を詰り夫の愛人の存在をも攻撃する。そして妻は暴行を加えてるとき、マサトをケンタだと錯覚してしまう。だから、この暴行を止めたらケンタに会えなくなる。と奥行きのない、乾いたレモンのような目で前置きなしに訴える。唇だけを動かすような話し方だった。
壊れてる。何か世界そのものを壊されたような感覚だ。ぽたりぽたり・・・と私の胸に冷水のような感情が一滴一滴、ゆっくりと滴り落ちていた。心臓がずぶぬれになっていく感覚に耐えながら、その歪んだ物語はクライマックスをむかえる。
やがて、娘を殺された被害者・北田は「自分の生きてる糧は娘だった。いくら加害者に暴行を加えても生きてる糧にはならない。もう終わりしよう。」と言って、マサトを殺して自分も自害する。ぽたりぽたり・・・と今度は北田からまだ生温かそうな鮮血が一滴一滴、ゆっくりと滴り落ちていた。肋骨の内側で心臓がどくんと鳴った。その音が自分の耳に聞こえた気がした。
どうやらここは被害者と加害者が集まってるような場所らしい。だから、途中から母親に連れられてこの家に訪れた優子は「自分の親友を切り刻んで殺しちゃった。」と作り物のような目で罪悪感なしに告白する。そんな彼女が北田の死体を見て、「隠しましょう。」と言って、まるで相手を諦めさせる殺し文句みたいな口調で告げる。それを受けてその場にいたカメラマンや針谷たちは優子の指示に従って死体を細かく切り刻むことを決意する。この時に見せた優子の二ヤリ・・と薄く笑った表情が恐ろしい。膿んだような二つの眼だけはねばついて宙を見ていた。それはきっとこれから死体を切り刻む様子を想像すると嬉しくて堪らない表情だった。「サボらず細かく切るのよ!」
彼らの黒い闇は増殖し完璧に舞台を支配し、その闇は浴室へと移動したために舞台の前の観客は音だけで自分の感性を刺激させながら切り刻む場面を想像する。奥でがたりと何かが鳴った。それとほぼ同時にノコギリで骨を削る音。大きな物音。何かがひっくり返ったような音。唐突にバタバタと床がふみならされる。唸るような低い声。ばん!と音。
急に静かになったかと思った矢先、島尾夫妻が現れる。マサトが死んだ。と告げられると、急に今までの憎悪が沈んだように納得して帰っていく。しかし、「北田はどうした?」と自害した北田の死体を気にしていた内海はあっさりと優子に包丁で刺される。この殺しは北田を死体処理した皆の合意の元だ。
そうしてたぶん、内海もみんなによって切り刻まれて処理される。集団の殺意はまるで、底に溜まっていた泥が水の中に散ってたちまち全体を茶色く濁らせていくようだった。
この物語はホラーなんでしょか?歪な人間関係と、共犯という意識の中で、歪んだ信頼関係が芽生え、今まで存在しなかった闇の中の獣が蠢いて成長しているようだった。そして誰かが「この世は完全犯罪だらけですよ。やったことを他人に気付かれさえしなければ、それは完全犯罪なんです。」という声が響いてくるようだった。
この舞台が好きか嫌いか?で判断すると決して好きな舞台ではない。狂気というには何かが足らない。それから場面設定が弱い気がする。これが陰鬱な倉庫だったり、あるいは隠れ小屋だったり、森の中のほら穴だったり、樹木がうっそうと茂った下の祠だったりしたら、もっと臨場感が味わえたような気がするからだ。ところがこの場所は窓に緑の木々が映し出された天気のいい日の台所なのだ。「さあ、皆さん、お茶でもいかが?」みたいなほのぼの感があるんだよね。そして登場人物に危機感がない。誰も吠えないし叫ばない。コメディみたいな描写だってある。だからか、ホラーとみるには弱すぎて、深層心理を追求するには薄い。ただただ闇があっただけ。
満足度★★★★
訴えの定義
まあ、中尾ミエでも観に行くか・・、そんなノリで観に行った舞台だったけれど、これがびっくり!とんでもないメッセージが含まれた舞台だっただけに観客も中尾に対して惜しみない拍手を送ってた。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
なんでも中尾のバンドのリーダーの山口君とはもう20年年以上の付き合いだそうで、舞台を作りたいねっ。って中尾のような大御所と話してたそうだ。
まあ、雇われ身の山口君としては、反対する勇気なんてない。そんなことをしたら、自分の首が危ないからだ。しかし、山口君は偉かった!自分の仕事をしながら、いつ中尾に切られてもいいように介護の学校へ行ってトップの成績で卒業したってのだから、なんとも頭の下がる紳士ではないか、諸君!
そんな山口君の影響を受けた中尾は今回の企画・プロデューサーを担ったわけだが、ワタクシにとってコレだけの研修会みたいな舞台は始めてだった。だからこそ、自分も介護の学校へ入学したかのような錯覚に囚われ、いつのまにか夢中になって中尾たちと一緒に学習していたのだった。
舞台は中尾の歌で始まる。
「なんだこれっ!ショーですかっ!?」なんて毒舌を吐きそうになるのを喰いとめ、しばし大人になって我慢したワタクシ。しかし、それは中尾自身が高齢のスターという設定で、舞台から下がった中尾がマネージャーに「介護学校へ行こうと思う。」と相談したことから物語は始まる。
マネージャーはどうせ売名行為ととられるんだから・・と反対するも中尾は、そう取られたって自分が動けば世の中の関心が集まる。スターという立場を利用しても世の中がもっと介護に意識が集中すればいいと思う。と訴える。
そんなこんなで中尾は介護学校に通い出す。しかし、そこには現場で働くヘルパーしか解らない厳しい制限があったのだった。例えば買い物一つをとっても難しい。介護者から煙草の購入を頼まれても煙草を買ってはいけない、とか電球は買ってもいいが取替えを手伝ってはいけない。とか雑多な規則に縛られる。介護をしながら、制限時間の中で組み立てられたプランをこなさなくてはいけない。とかとか・・。(厳しいっす^^;)
それでもヘルパーの仕事として排出介護やら身体援助やら、生活援助やらの学習をしながら、生徒も私たち観客の生徒も、うんうん(。。)(・・)(。。)(・・)と頷きながらもいつのまにか真剣に真面目な生徒になってご教示されているのだった。そんな教室は舞台全体の空気を取り囲み、介護する側、介護される側の心情も含ませながら、決して重くならないようにコメディの風も吹き込み芝居に命を吹き込んでいく。
中尾は、「どんな人間でも一人では生きていけないと知るべき。だから、動けない人の周りにはいつも誰かがいて直に手を差し伸べられるようになって欲しい。誰もがヘルパーになるべき。 いつか、障害者の傍にはいつもヘルパーがいるような世の中に・・。」と訴える。 そうして歳をとるって素敵な事じゃない。と笑う。
やがて・・舞台の終演が近づくと、教室で講師をしていたキャストが
「皆さん、決して忘れないで下さい。全ての人間は「老い」に向かっています。全ての人間は「事故」や「病気」と隣り合わせで、「障害」があったり、なかったりするのです。」と。
中尾のようにスターという立場を利用してこんな風に世の中の役に立つ形もあるのだなー。ってちょっと感動。
だからか・・、中尾は神々しかった!笑
仕事をリタイアした時には何かやらなきゃ!と感じた舞台。生音楽も良かった。そして中尾自身が終演後、グッズを販売してる姿は更に神々しかった!笑
仕事をリタイアした諸君!
誰かの役に立っているか?そして君の人生は有意義か?!
満足度★★★★★
CHANGE(創価高校)
創価高校演劇部脚本というのだから、すんごい!
コメディ色の強いちょっぴり考えさせられる舞台でした。
以下はネタばれBOXにて。。(これでコンクールの観劇は全て終了!ノルマを果たす!笑)
ネタバレBOX
女子高校生のみゆきは友人関係で悩み、進路で迷い、母の再婚話に嫌悪感を抱く。そんなストレスを抱え気を失ってしまったみゆきが目覚めると、そこは「ソト」といわれる別の世界だった。たぶんこの世界は意識の世界で、黄泉の国と現実の世界の狭間なのだろうと思う。ここでみゆきは不思議な体験をする。
そこでは施設から逃げてきた戦争孤児ら6人で家族のように暮らしていた。彼らはみゆきに戦争の話や空襲で孤児になった経緯を聞かせ、役人によって身寄りのない子供たちが施設に入れられたことなどを話す。しかし、彼らは施設で苛められて逃げて来てやっとここに落ち着いたという。
彼らと仲良くなったみゆきは彼らを通して思いやりや労わりの心を学んでいく。そうして「今までの私は自分のことしか考えてなかった。でもそんなの違う。」と気が付くのだった。すると6人は「みゆきには待ってる人がいるから出口から出て帰るように。」と説得する。
こうしてみゆきは気が付くと、病院のベッドで横になり傍にはみゆきの母、学校の先生、ゆう(みゆきの親友)、学級委員長がみゆきを見守っていたのだった。ここでみゆきは今までの言動を後悔しそれぞれに謝罪をする。ちょっぴり大人になったみゆきだった。という筋。
物語は気恥ずかしいほどに青臭いが、これが青春なのだと改めて感じる。この手の内容は案外多いが、素晴らしいと感じたのはキャストのキャラ立てが確立されていたのと、コメディ色が強い分、楽しかった。そしてそれらを感性と若さで引っ張った舞台だった。6人の孤児の存在感たるもの素晴らしい限りだ。特にダー(熱田幸雄)の運動能力は素晴らしいのでした。猿なみ!笑
満足度★★★★★
見よ、飛行機の高く飛べるを(都立井草)
原始、女性ハ実二太陽デアッタ。今、女性ハ月デアル。病人ノヨウナ蒼白イ顔ノ月デアル__平塚らいてう
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
時は1911年(明治44年)。今よりもっと女性の地位が低い時代。女子師範学校の寄宿舎が舞台となる。光島延ぶは優等生。先生にも生徒にも人気があり,閉ざされた学校生活を充足していた。だが,下級生の杉坂初江と親しくなり,未知の世界に目を向けるようになる。
初江は学校でただ一人新聞を読み,小説が禁じられていることに疑問を持つ人であった。初江の影響で延ぶは自然主義文学に触れ、「青踏」の女たちを知り、女性の地位確立のために、あの空高く飛ぶ飛行機のように羽ばたきたいと願い、生徒たちに読ませる回覧雑誌「バードウイメン」を出そうと計画する。折しも、日露戦争後の富国強兵政策や、大逆事件のあおりから学校はますます生徒に強圧的となり、良妻賢母教育への傾きを露に仕出した。
友人の退学処分もからみ,延ぶと初江は仲間を慕ってストライキを企てるが、今まで彼女らと共に親身に教えてくれていた安達先生がこれに反対する。「この世は力で動いてるんだということをあなた達に言わなかったのを後悔しています。ストライキをすると参加した生徒は退学になり、憲兵に捕まるかもしれません。」
一方でその言葉に驚いた生徒たちは次々とストライキの決意が鈍くなり、最終的に初江が慕う延ぶと二人だけのストライキとなってしまう。しかし初江は「うちね、あんたさえおってくれたら何も恐いものはないんだわ。」と話すも、延ぶ自身も新庄先生への想いが今後の雑誌「バードウイメン」の編集の決意を鈍らせる。
延ぶは「杉坂さん、急ぎ過ぎじゃあないかしら。卒業してから地盤を固めてゆっくりやったらいかが?」とアドバイスする。
しかし、初江は一人で雑誌の編集にとりかかる。強さと高潔を貫くために・・。
衣装、セット、演技、その時代の言葉どれをとっても素晴らしい!に尽きる。
生徒達に新しい風の自然主義が吹いた時、少しずつ革命は起きる。新しい時代は私たちが創る。少女が夢と希望で胸ふくらませる熱い時代があった時のお話。菅沼先生役の浅見佑花があまりにも見事な演技でのけ反った!どのキャストもプロに近い演技力で圧倒された芝居でした。
満足度★★★
夏の庭~風に吹かれて・・かすかに揺れて・・~(都立第四商業)
小学生3人のうちの一人、山下のおじさんが死んだことによって、彼らは死について興味を持つようになる。河辺は複雑な家庭の事情によってかつて自殺も考えたが「死んじゃったら、おまえらに死の世界はこうだって教えられないだろ?だからやめた。」といいながらも、彼らは一人の老人に目をつける。
以下はねたばれBOXにて。。
ネタバレBOX
死ぬということに興味を持った3人は近所の年老いたおじいさんに目を付ける。死ぬ瞬間の様子を観たいのだ。彼らはおじいさんの死が訪れるその日を待ち焦がれて毎日、おじいさんの家の玄関を見張る。しかし、中々死にそうにないおじいさんに早く死んでもらいたいと願う一方で、彼らは徐々におじいさんに対して情を抱くようになる。
彼らは口では「早くじいさんの死ぬところを観たい。」といいながらも、見張りの時間を持て余し、おじいさんの家の前に放ってあったゴミを出してやったり、庭の草むしりをしたりと甲斐甲斐しく働きだす。その様子をにやにやしながら覗くおじいさん。いつの間にか立場は逆転し、何かと手伝う3人。笑
そうこうしているうちに今度はおじいさんの庭に花の種を蒔こう。という話になってくる。そんな経緯を重ねながら彼らはおじいさんと仲良くなって縁側で西瓜を御馳走になる。彼らはおじいさんの昔話を聞かされるうちに、「年をとると思い出が多くなるから楽しい。」と考えるようになる。
いつものように学校が終わっておじいさんの家に来た3人はおじいさんが縁側で眠っているのに気がつく。「おじいさん、こんなところで寝ちゃだめだよ。」と動かすと、おじいさんは死んでいたのだった。
3人は「自分が将来、何になるのかも解らない。何をしたいのかも解らない。そういったことをもっともっとおじいさんに聞いて欲しかった。」と嘆く。
「だけど、それは結局自分の問題なんだ。おじいさん、本当にめいいっぱい生きたんだね。僕も頑張るから。」
こうしてコスモスが揺らぐ庭で夏の思い出をかみしめ、ちょっぴり大人になった彼らは、生と死について学習できたのだった。
おじいさんはろくなものを食べてないんじゃないか?といいながら玄関先に焼き魚を置くシーンは笑えた。まるで猫に魚をあげるような風景。笑
おじいさんと3人の奇妙だけれど深い友情が嬉しくもあり切なくもあり物悲しい。心温まる舞台でした。
満足度★★★★
続くストーリー
以前、 グワィニャオン の番外公演 「池田屋・裏」を観劇していたから、物語が関連してたのが嬉しい。より一層、理解できた!というものだ。
導入音楽、照明、演出は相変わらず巧みだ。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
京都近江屋で、龍馬が暗殺され、その検証を死にそうな中岡に仲間の土佐藩士たちは事の筋を説明させる。もう、この時点で笑うほかない。12か所切られてる中岡は瀕死の重傷に違いないのに、これまた藩士たちの要望どおりに息絶え絶えにしゃべる、しゃべる、しゃべる・・笑
そのうち中岡自身も興奮してきたのか、瀕死のはずなのに龍馬が切られたシーンの解説時では、なんだか急に元気になって立ち上がり、藩士たちに代役までやらせて再現させる。コメディでしょ?この時点でコメディばりばり。笑
そのうちおかめみたいな、あづきという女が登場すると、そのあづきに中岡自身の代役をやらせ、今度は役者も揃ったところで完璧なまでに再現させる。この時、中岡は名監督!笑
一方で舞台の右側ではお龍と千葉さなこが亡き龍馬をめぐって女の戦いに終始する。ここでの両名は、頬に張り手のシーンでも本気で張ってるから、流石に西村の演出だけあるなー。なんてそっちに感動!
戻って左側の舞台ではいよいよ中岡が死にそうな時に死んだかのような話をする藩士たち。そんでもって気がつけば龍馬の死体をそっちのけで彼らは龍馬暗殺の証言を書くのに必死だった。
思想が違えば切る時代にいったいどこに真実はあるのか見極めきれず、藩士たちがさ迷ってる様子に笑いが止まらず、一方で龍馬を切った見回り組の今井信郎は西郷が釈放を命じたことにより、無罪放免となってしまう。胡散臭い時代の流れの中、谷(土佐藩士)の記録と田中(陸援隊隊士)の記録と菊屋峯吉(使用人)の証言が微妙に違うのも可笑しい。
いったいあれからこの国は良い方向に変わったのだろうか?
ほたえな!
満足度★★★
道化師は踊らない(翔洋学園渋谷)
殺人容疑をかけられた親友のために一芝居うった屈折した友情を描いた作品。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
殺されたホームレスを刺した血の付いたナイフが千尋の鞄から出てきたことから、殺人容疑者になってしまった千尋を庇おうと親友の小春は弁護士・七瀬の元を訪れる。「千尋はホームレスが殺された時刻には『メイドでにゃんにゃん』でバイトをしていたから無実です。」と証言する。
「メイドでにゃんにゃん」はアキバのメイドカフェで猫耳に猫シッポを付けたメイドが猫をかぶって猫なで声で猫舌の男を猫ばばするところらしい。笑
それを受けた弁護士・七瀬は早速法廷の証言を小春に依頼する。そして裁判当日、小春は七瀬に語った証言を覆し、千尋に不利な証言を発言する。動転した七瀬は千尋の為に別の真実を探すことになるが、その矢先、女子のブル間を盗んだ男子・銀太と千尋が同じ学校の生徒だと気がつく。かねてから千尋は当日の殺人事件の同時刻は自分のロッカーに入っていた誰のか解らないブルマを気持ち悪がって焼却していたから、自分は学校にいた。と証言していたのだった。千尋の話と銀太の話の伏線が繋がり、七瀬は先の小春の法廷での証言が偽証だったことを追求する。
すると小春は「自分の好きな人が千尋と付き合うようになって千尋が邪魔だった。千尋なんか刑務所で踊り狂えばいいんだ。そう、ピエロのように・・。私の心を殺したんだから・・。」と証言する。こうして千尋は無罪になり無事に釈放されたが、後日、本当の真実は大きく違っていた事を七瀬は知ることになる。それはホームレスを殺したのは千尋と銀太と小春の3人だったのだ。そんな折、千尋だけが捕まってしまい、3人で殺したのに千尋だけ捕まってしまったのは不公平だと思った銀太と小春は七瀬を騙し法廷で一芝居うったという。
しかし、真実を聞いた七瀬は「私はあの3人に感謝しなければいけないわ。だって殺されたホームレスは私の両親を殺した男だったんだから。日本の法律って甘いわよね。人を殺しても刑務所を出られるんだから・・。」
脚本は素晴らしいと思う。どうやらかつて顧問だった教師作のようだ。しかし、一部の生徒の演じ方が固い。まあ、高校生だから仕方ないのかも。一方で銀太役の宮城繁の演技は舞台慣れしてるような秀逸な演技に脱帽した。彼の心臓は鉄で出来てるらしい。笑
満足度★★★★★
THE WINDS OF GOD(日本大学第一)
今井雅之の脚本で有名だからもう、ご存じの内容。今井自身が自衛隊あがりだったことも加味して話題になった作品。彼らの舞台はかなり前に観たがその時もセットは木の机と椅子のみだった。今回も同様。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
売れないお笑い芸人の誠と金太は、ある日交通事故に遭う。気がついたときには第二次世界大戦終戦間際の神風特攻隊基地へとタイムスリップしており、しかも彼らは神風特攻隊員として前世の姿になっていた。
彼らは戸惑い、そして突然、突きつけられた現実を否定しながら、時空の渦に巻き込まれ1945年8月という時を彷徨っていく。 戦争という大儀の前、任務遂行のため命を差し出すことを余儀なくされた若者達。 その中で突然に突きつけられる「死」という現実。
ある者は任務に忠実に、ある者は神に祈り、ある者は心の奥に疑問を抱きつつ、それでも愛する人を守るために戦いの空に飛び立っていく。
二人にもついに零戦に乗る日がやってきた。その前に誠と金太はお笑いを一席打つ。今度はミスもなく完璧なお笑いができる。そんな思いを胸に彼らは「おかあさーーん!」と叫びながら遥か上空で散るのである。
今回の演技のためにキャストらは習志野駐屯地へ行き上下関係の厳しさ、敬礼の仕方、日頃の訓練などを学んだらしい。その後、土浦にある特攻記念館に行き、特攻隊本人が書いた遺書、学んでいた教科書、血書などを見学したとのこと。
この姿勢にひじょうに感動し、演技も素晴らしかった。金太役の榎本晃太の涙の演技を観たとき、会場ではあちこちにすすり泣きの音が聞こえ感無量でした。舞台は脚本家の筋に忠実に再演し55分で上手くまとめたと思う。衣装も素晴らしかった!
満足度★★★★
老後の風景
舞台は廃墟のような海辺のレストラン。そこに20年前に旧東側のスパイだった男と旧西側のスパイだった男がスープを作りながらの会話劇。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
見た目も実年齢も歳を喰ってる土井の方が演技も迫力も上をいく。決して龍昇が負けてる。というのではなくて、加齢してこそ、この味わいが身につくものなんだと感じるし、土井には独特のトボケタキャラが味方するのだと思う。
お互いのスパイは定年後の時間つぶしに日向ぼっこでもしているかのごとく、緩やかな話に花が咲く。その内容はアニメ・ゴルゴだったり、題名の思い出せない映画の話だったり、ダヴィンチ・コードだったり・・。かつては危機迫るスパイの仕事なんかしていなかったような風景。だけど、よく解らない会話は成り立ってしまうから、可笑しい。笑
「この20年で大抵の不自由なものを手に入れた。」なんていいながら、二人は浜辺に置かれた野菜で形作られた世界地図から人参やらじゃがいも、玉葱、葱、カブなどを細かく刻みスープの中に入れていく。スープに国境はない。だから彼らがベルリンの壁の崩壊の話をしている間にも、世界地図の日本に置かれた日本(人参)やら、ドイツやら、それぞれの国の野菜を刻んで入れていく。
その間も彼らは年金の話になり、「共産主義はいいよなー。年金があって。資本主義だったから年金がないから、将来不安だよ・・。」なんつって年寄りじみた会話をしながら、滑稽にも将来を約束されてなかったスパイ達は将来を心配する。苦笑! 緩い喜劇ですね?そんな確認をしたくなる。笑
そして、女の話やホモの話や、ゲイの話に及び、気が付くとそれらの話には男とか女とか性別を超えた、こちらも壁がない。そんな国境のない話をしながら、二人はスープの中に入れる野菜の刻み方が段々雑になって、そのうち、石油の話をしてるときに油のボトルを入れちゃったり、包丁を入れちゃったり、まな板も入れちゃったり、布巾も入れちゃう。
つまり、スープは国境のない世界なのだ。
旧西側のスパイだった男は「年金がないから、気が付いたら住宅ローンだけが残ってたよ。今じゃあ、月々の返済を支払うのに苦労してるよ。」なんて、こちらもローンに国境はない!笑
土井の芝居は小刻みに観たいと考える。だってあと10年観られるかどうかも解らないでしょ?笑 それでも最後の最後まで頑張って芝居して欲しいと願う。そして、いつまでも人々の記憶に残る仕事って素晴らしいな。って、つくづく思う。
満足度★★★★★
それぞれの運命
全く期待していなかったけれど、本当に素晴らしかった!衣装、音楽、キャストの演技、照明、どれをとっても本格的ミュージカルでした。
特に、王妃マリーとロザリーの演技は目をみはるものがありました。
本来ならもっと詳細にUPしたいのだけれど、メモしておいた用紙を失くして、一緒に挟んであったフライヤーも失くすという失態の為、ワタクシの記憶のみのUPになります。(^^;)
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
舞台はフランス王妃マリーの最後の牢獄で女中としてつかえたロザリーとの場面から始まる。マリーは明日、処刑されるという日にロザリーに「貴女のことを聞かせて。」と持ちかけ、その事で二人のお互いが生きてきた過去の話に及び、ロザリーの生きざまとマリーの生きざまを交互に紹介する形で舞台は流れる。
ロザリーは貧しい平民出身で父親は殺され、母親は父親を追うように自殺してしまう。残った姉妹は生きる為に働いていたが、いざ食べるものが無くなってしまうと、ロザリーの姉は知り合いの貴族に体を預けてしまう。結果、姉には貴族との間に男の子が生まれるが、姉は一人で育てることを決意する。一方ロザリーは酒場で掃除婦として働いていたが、貴族にむりやりに強姦されてしまう。ロザリーは失意の中セーヌ川に身を投げるが、革命派の青年に助けられ、おのずと革命派の中心的存在となって動くことになる。全ては貴族に復讐を!の誓いのもとだった。
一方、王妃マリーのベルサイユ宮殿での放蕩ぶりはどなたも御存じのはずだから割愛するが、ルイ16世が男性として不能だった事や、マリーの周りではびこる貴族が、マリーに対する振る舞いも紹介される。そしてフェルゼンの登場も。
やがて、民衆は立ち上がり、大きな革命のうねりと共に宮殿に向かっての行進の場面となる。このとき、ロザリーが先頭に立って、勇ましい姿を演出するが、この場面でのロザリーの演技が神々しいのだ。素晴らしいキャストだ。
こうして宮殿になだれ込み民衆自身も被害を受けながらも貴族の切首を掲げながら倒していく。この時に、ロザリーの姉は貴族に撃たれて殺され、ロザリーは姉の息子の消息を捜しまわる。そののち、姉の息子に偶然にも出会えたロザリーは「をを!神様、感謝します!」と姉の子を抱きしめ、「さあ!行きましょう!」と光輝くスポットの中、二人は手を繋いで歩きだす。力強く。
劇中、マリーもロザリーもそれぞれの運命に逆らえなかった経緯も紹介され、相反する二人の生きざまは、お互いの想いの中で許しあう。ロザリーはマリーを獄中から逃がそうとするも、マリーは「ワタクシを処刑することで新しい時代がやってくるのだということを民衆に知らしめることこそが最後の与えられた使命だと思っています。ですからワタクシは逃げません。ここフランスで処刑されます。」と毅然と話す。
全く境遇の違う二人の女性が処刑の前日に話す場面は緊張感のなかにも二人が信頼のもと確立される精神的な揺らぎのような微妙な空気が漂い、胸が打たれる。ロザリーがマリーに対して持つ複雑な状況に心が乱れそうになるのを懸命に抑え込む演技は崇高でさえあった。一方、明日までの命と知ったマリーは死への恐怖やいら立ちを消し去り、淡々とロザリーに話を聞かせるそのセリフに迷いはなく、むしろ私たちは屈伏しそうになる。そしてマリーは「貴女を抱かせてくれる?」と話し、静かに抱きしめる。「ワタクシを許してね。」と。
マリーは死の直前にロザリーという女性に逢えたことで、彼女の命そのものが癒されたのだろうと感じる。演出もお見事ならキャストもお見事で素敵なミュージカルでした。キャスト全員が歌が上手い。
ああ、舞台って素晴らしい!
満足度★★★★
川添美和の熱演に鳥肌が立った!
愛した人に先立たれて、残った男が自分の心に巣食う闇と戦い、悲しみを誤魔化しながら快楽に逃げた生き様を描く。そしてそんな彼らに関わる伊藤羽美。
それぞれの思いを交差させながらも「生きる」について真摯に描いた作品だったと思う。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
カサゴはイワナという婚約者を失ってからというもの、その悲しみから逃れるように僻地に快楽主義論者を集めて「エピクロスの園」を開設する。その一方でカサゴの弟・ユキマスは「過剰性的表現防止法案」を条例化する。
この二人はイワナという女性を愛していたのだったが、イワナが選んだのは兄のカサゴだった。イワナは猥褻な画家を兄に持ち、兄の希望通りに猥褻な画のモデルになっていたが、兄はあまりの品行の悪さに告発されて投獄されてしまう。そんな折、イワナも迫害を受けて自殺してしまう。しかし、イワナは最後まで兄と兄の描く絵に敬意をはらっていたのだった。
そんなイワナを失ってからカサゴはイワナの為に園を立ち上げたが、弟・ユキマスはイワナの為に今後そのような悲劇を生まないようにとの思いで、条例を施行したのだった。兄弟の思いは同じでも、立ち上げる方向性が違ったのだ。
そんな環境の中、ユキマスは兄の為にカウンセラーの伊藤を依頼する。しかし、伊藤は株式会社自殺本舗の社員でその職は、依頼主の希望に沿った死に方に協力して死なせることを生業にしていた。
伊藤は園に居住する狂気に満ちた快楽主義者と兄弟の間に入って絶妙に活躍する。その行為は決して死なせ屋ではなく、生かせて彼らの生き様そのものを見届けようとしているかのような慈善事業だったのだ。
残った者は死んだ者の分まで生きて死者のの誇りを守る事が死者に対しての敬意なのだ。
風俗嬢をしながら弟の生活を守ったウイカも、そんな姉の風評「お前の姉さんは便器みたいな女なんだぜ。」と言って見知らぬ男に殴られた弟・アカザの傷ついた心も、愛おしいのだった。最後に二人の結ばれた手はやはり感動だった。
満足度★★★★★
なぜかふるふると涙が出て止まらなかった
男子バージョンを観劇。宮沢賢治の世界感を彷彿とさせた作品だったと思う。オープニングとエンディングがお見事。このエンディングで泣けた。泣いた。
雪深い山間の高校の教室が舞台。雪が降り初めて止む気配がなく、教室に閉じ込められてしまった高校生らの話。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
予選会での演劇の脚本起こしの為に6人の男子と1人の女子が教室に集まる。ここで彼らは山太郎やもみじさんと呼ばれている鬼女の話題になり、びびる。物語とは・・皆から恐れられていたもみじさんは、その昔、深山郷(部落)の人たちに親切にされた経緯があったことから深山郷の人たちだけには悪さをしなかった。しかし征伐隊がやってきて、もみじさんとその子供は殺されてしまったが、もみじの力は山太郎に受け継がれている。・・とこんな話だ。
一方で彼らはそれぞれの進路について東京に行くもの、地元で公務員になるもの、家業を継いで畜農をやるもの、何もきまってないもの・・、それぞれが将来に向けて抱える不安を抱きながらも、その未熟な精神がゆえに不安に押しつぶされそうになった男子はついつい他人を攻撃してしまう。狡猾そうで、不躾な態度を取りながらも、彼の内面には憎しみを抱えた子供が潜んでおり、言動にはその子供の怒りが反映してるかのように・・。
恰好の攻撃相手となったのは深山郷出身の男子だった。彼は役場に就職が決まったが、彼には部落出身という問題があり、だからこそ、他に就職口はなく、むしろ公務員になることしか選択肢がなかった。と知らされる。今まで人間扱いされてなかったのだった。役場では「部落の人が入ったら、皆と同じ扱いをするように・・。」とのおふれが出て、むしろ、同じ扱いってどんなか恐い。と不安に感じていた。
「ああ、卒業したくね。そんでもずっと教室に居られるわけでねえ・・。何になるんかやー、おら達、何になるんかやーー。」
ある男子生徒の父親は「生まれてこうやって生きてきたけど、何もええことなかった。」と毎日、息子に愚痴る。その息子は「東京に行きてー。」と嘆き、一方で東京からやってきた男子は
「同じだって。どこに居たって同じだって。」
「それでも行かなきゃわかんねえし。」
「おんなじだから・・。」
そんな希望と不安の入り混じった話をしながらも彼らの希望は山太郎だった。山太郎は皆が困ってるときっと来る。そんな幻想と妄想の狭間で、会長と呼ばれる男子は他の教室で10年後の柴田みはるに出会う。高校生だった柴田は東京に出て夢を実行するという希望があったが、「いざ、東京に出てきたら何もかも上手くいかなくて・・、何にもなってない。だけど、会長、柴田に会ったら伝えて。柴田があの頃、どんな思いをしていたか、それを忘れないで。10年経ったけどええだねえか、ええだねえか。今日ここにきて君に逢えたから・・。柴田みはるに伝えてほしい。」こう言って不思議な少女は居なくなってしまう。。
そうして彼らは
きっと大丈夫だ!これから先、10年20年経っても歩き始めるその為に。
そして全員で元気に歩くシーンで完結する。(この部分で堪えてた涙が一気にあふれ出る)
そう、未来は希望に溢れてる。そしてそれは自分次第だ。
満足度★★★★★
確かな演技力で魅せた「劇団め組」
照明、音響、衣装、セット、どれをとっても全く欠点のない素晴らしい舞台でした。元来時代劇も苦手なら日本史だって苦手なワタクシが、久しぶりにのめり込んで真剣に観た芝居でした。ぶれのないキャスト陣の演技も秀逸で、こちらもまったく欠点はありません。ワタクシの中で、今年のベスト10に入るかも知れない作品でした。
ネタバレBOX
舞台の始まりは岡田以蔵がお縄になったシーンから。
このシーンが最後の舞台で伏線として繋がります。
足軽出身の岡田以蔵は武市が弟子と迎え育てていたが、岡田の頭には剣の勝負しかなかった。強くなりたい一心で、また、先生(武市)に褒められたい一心で、河上に勝負を挑み勝利するが、「人間ならば人間らしく心を学べ。人を切る時、そこに正義がなければただの人切りだ。」と先生に叱られてしまう。自分が勝ったのに、褒められるどころか叱られた岡田は、何故自分が叱責されたのかが理解できない。
そんな折、武市半平太率いる土佐勤皇党が、幕府に対し、流血による粛正を挑んでいた。そこで武市は岡田に名刀を与え「この国の為に正義の剣をふれ。吉田を暗殺せよ。」と命じる。岡田は先生の言いつけどおり何人もに天誅を下すが、岡田の暗殺剣はやがて武市の目的を超え、暗い暴走を始め狂犬と化す。勤皇の獅子たちは、そんな岡田と武市の天誅に対して「先生、いくらなんでも、ちと切り過ぎではござらんか?」と疑問視する。
そんな中、岡田の暴走を止めようとする武市との間の師弟の溝は次第に深まって行く。それによって、自分を受け止めて貰えないと知った岡田は武市の元を飛び出し「人切り以蔵」としての名が広まっていたことから、人切りの依頼を受けてしまい身を持ち崩していた。
観るに見かねた坂本龍馬は「うちの先生の所に来い。」と岡田を連れていく。
一方で武市を慕っていた菊松と岡田は桜の季節の小雨のぱらつく日に、ばったりと会うことになるが、そこに武市も訪れる。武市は岡田を自分の傘に入れ、もう一つの菊松の傘と、2つの傘がバックの桜に浮かび上がって、本当に絵のように美しい情景だった。「わしゃ、ずっと先生の傍におってもええかよ?」と岡田。「好きにするとええ。」という武市。
師弟は清水寺の参道を登っていくのだった。
しかし、武市は河上の「岡田はしゃべるぞ。捕えられたら何もかもしゃべるぞ。」という言葉を受け、土佐勤皇党を守るためにも、岡田の粛正を決意し、「大義の為に岡田を切る。」と断言する。それでも武市を慕い続ける岡田は、土佐勤皇党に狂剣を振るうも、いざというときに武市を殺せない。「それでも先生が好きだーー。」といって逃げるも、捕らえられてしまう。武市を慕いながらも武市の決意を知り、絶望の果て、ついに武市の罪状を告発するが、「先生はただ尊皇の命に従っただけだ。」と進言する。
やがて岡田は張付け獄門、武市は切腹を命ぜられ、最初のシーンと重なる。
師弟は付かず離れず目に見えない糸で結ばれたかのような愛があったが時代に翻弄され、ついぞ叶わなかった師弟愛を表現した舞台だった。
そうして舞台は師弟が歩いた清水寺の参道のシーンに戻る。
「わしゃ、ずっと先生の傍におってもええかよ?」
「好きにするとええ。」
はらはらと舞い落ちる桜の場面でのことだ・・。
満足度★★★
優しい物語ではあったけれど・・。
先に書き込まれた投稿者の評価があまりにも高いので、そのほうがびっくり!(・・!)
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
物語に大した起伏はない。殆どがありそな日常。舞台は「ロミロミ」といわれる癒しのマッサージサロンが舞台。ここで働く従業員と経営者の日常や恋愛を絡めながら、ここに癒しに来る客の過去をも表現した舞台。
設定はサロンの中だけの物語で実際にありそうな本だけに観劇した後に人生を変えるような感動もなければ、号泣するような場面もない。
エステサロンでも似たような感じだろうし、特別に逸脱するような恋愛の展開もない。強いていうなら、最終場面でネイル担当の和田が陣内にハンドマッサージをしてあげたシーンだろうか・・。
和田「もっと楽に生きれば?」
陣内「だって、ずっとこうやってきたんだもん。邪魔にならないように・・、迷惑をかけないように・・って・・。簡単に変えられないよ。」
このシーンがジーンときて今までの芝居をひっくり返すような感動があったが、その他で見せる他人へのちょっとした優しさとか、労わりは、案外、私たち観劇者だって、普通に生きてて、感じてることじゃないのかなー。。と思う。
世の中、捨てたもんじゃあないんだよね。だから、常にそんな愛を感じてるワタクシには、それって普通じゃん!なんて思うわけ。息子を失った前原自身は淋しくて哀しくて、ぽっかり空いた心に埋めるものが見つからないからって、人様の、善意の金を独り占めしちゃうのも許されない事だし、それを正当化しちゃうほど、心が病んじゃってる。
それらの事が表現されていた舞台だったけれど、これは明らかに観劇者を選ぶ舞台だと感じた。だから観劇者の全員が同じ感想を持つとは考えにくい舞台かなと・・。要は観劇者の感性によって共感できる芝居だろうと思う。
ゆるくてちょっとコメディ的な柔らかい物語だったけれど、ワタクシが芝居を観に行くのにはそれなりの理由がある。要は日常からほんのちょっとだけ離れて夢や希望や感動やサスペンスやホラーやコメディを楽しみたい。
それだけ。
満足度★★★★
前々作「ガラスの家族」も素晴らしかったけれど
今回の本も人生を長く生きたからこそ出せるキャスト陣の演技力に魅せられ、こういった本を書いた作家にも拍手を送りたい。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
5人の老女たちだけが居住するアパートに、ダンディな一人のお爺さんが引っ越してきたところから、5人の老女たちと大家は一気にテンションが上がる!笑
でもってこのダンディな爺こと三好は女性を褒めて持ち上げるのが得意ときてるから、大家を含めた6人の女性たちは三好に惚れてしまう。しかし当初は独身と自己紹介していた三好の過去が暴かれてしまい、実は三好には別居中の妻が居て、その妻との仲が悪くなったのは死んだ愛人を忘れられずに、いつまでもくよくよしていた三好が原因だったとバレてしまう。
そんな過去が暴かれた時には、時既に遅し状態で、4人の女性は三好と既に肉体関係にあった。4人の女性たちは自分だけが三好の恋人だと思っていたのに、次々と、「私が恋人よ!」なんつって、挙手するものだから、驚いたのは4人だけでなく三好も、そして観客も!(苦笑!)
要するに三好は超女たらしだったという筋。 しかしそれだけではない。三好が以前、入院していた病院でも次々と入院患者とデキちゃうものだから、院内でも有名だったという。これまた、苦笑!
しかし、三好の言い分は、「皆さんが愛おしかったんです。皆さんがどんどん綺麗になって華やかになっていくのを見ながら、離れたくなかったんです。」とのたまう。この三好の言葉には一理あって、確かにここの住人は三好に恋してから、身なりにも気を遣いだして、どんどん綺麗になっていったんだよね。女性も男性も恋をすると綺麗になる!とは本当です!笑
やがて三好は気まずさから、いつの間にか引越ししてしまい、残された女たちは育てた百合の花を愛でながら、「来年もこうやって皆で百合の花を見ましょうよ。」「そうね、簡単にくたばってたまるもんですか!」と自分自身への応援歌のように話すのであった。
物語は加齢した女たちが一人の男性によって女に目覚め変わっていく様子を描写しながらもそれを、コメディとして表現したことで舞台は始終、コミカルな空気感が漂って楽しい舞台だった。ともすれば男に騙された女たちとして暗くなりがちな題材を何があっても跳ね飛ばし、逞しく明るく生きる。という人生のバイブルのような本だと思う。笑いながらもしみじみとした場面が多く、このキャストだからこそ人生の深さがより増したのだと思う。
素晴らしい舞台でした。まったく卒のない、欠点のない舞台。
満足度★★★★
大きなものには逆らえない?!
舞台の作り方と舞台導入歌が素敵だ。かつては不況の裏で暗躍するプロのコストカッターだった宮本が田舎に帰郷したおりの出来事を描いた作品。
相変わらず小玉久仁子の地球外生命体のような動きが妖しくもハマル!(^0^) でもって今回の髪型のきゃわいらしいこと・・。合うたびに美しくなるってどゆこと?笑
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
人件費カット!光熱費カット!接待費カット!を合言葉に社員の首を切ってきた宮本は、今度は自分の首を切られることに。仕方がなく田舎の実家の都幾川市に帰るも実家では父親が退職して居づらい雰囲気になっていた。
そんな折、かつての上司のコストカッター桂が都幾川市の行政の無駄使いを整理する為に指示されてやてくる。彼女のミッションは市の赤字を垂れ流し続ける天文台を処分する事にあった。
しかし、天文台館長と関わる人たちは地球外知的生命体の存在を信じて疑わない。そんな夢追い人が一丸となって天文台を守ることに宮本が関わってしまい、彼女が勢いから天文台救済運営委員会の長になってしまう。
宮本は天文台存続の為に、「UFOの町大作戦」やら「天文台アイドル大作戦」やら「宇宙人を見つけよう大作戦」やらを提案する。この提案自体が漫画ちっくで、どうにもこーにも可笑しい!(^0^) まるでウルトラマンの撮影現場のようなナリ!(苦笑!)
一方で桂は相変わらず宿泊するビジネスホテルで「収支表を見せなさい。」なんつって大きなお世話のコストカッター魂で、「このみかじめ料って何?無駄無駄無駄ムダムダムダムダムダムダーーー!!」とケンシロウのごとくコストカットしていく。「都幾川もみじ饅頭クッキー飴」販売店でも同様。ってか、いったい饅頭なんかい、クッキーなんかい?最後に飴がついてるから結局薬局、飴なんかい!?っつってよく解らない!(^^;)
そんなコメディともシリアスとも想像できない展開に殺人遺体が発見される。その遺体は見るに忍びない痛さ!笑 この遺体を確認しながら、「とても人間の仕業とは思えない!」なんて言い、いかにも君が犯人じゃね?なんて面の刑事が登場して遺体をひっくり返したり担いだりしちゃう!笑
そんな中、舞台は既にクライマックスに突入して、夏越親子の宇宙人に対する思いや、そのことで世間からバカにされている父屋の生き様を苦い思いで観続けてきた達也の心の内も暴露する。しかし、宇宙人は本当に居て既に地球に侵入していたのだった。地球にやってきた目的は?すると鴻池(宇宙人)は「この星が必要な星かいらない星かを調査しに派遣されたのです。」とのたまう。 つまり会社で人件費カット!光熱費カット!接待費カットなんつって騒いでいたこと自体が滑稽で道化師だったというオチ。
地球が要らない星と判断されて無くなっちゃったら、元も子もないじゃん!笑
しかし、ここで地球の人たち、いあ、都幾川の住民は頑張る。
「数字だけで計算しないで。1+1=愛です。地球だって愛がある限り、そこんとこナニをアレしてご一考ください。」とお願いして再調査させるまでにこぎつける!ってオチ。
やっぱ愛なんですね。
玉置は恒例通り裸族になり、猪股は人間離れしてる生物、そのものだったし、今回の加藤も活きてた。個人的には好きなキャストの出演と重なって見応えのある芝居だったと思う。欲をいえば、客を寝させちゃ駄目だよね。寝てた客がちらほら・・。客が悪いのか、舞台が退屈なのか、まるで卵が先か、鶏が先か?の行方。笑
満足度★★★
題材が題材だけに・・。
嫁の余命は一時間だった…!という題材だけに物語の流れはすんなりと想像できる。そんでもってその想像通りの流れと結末に。笑
なんせ50分で全てを抑える流れとは?
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
嫁の為の結婚式だったが、なんせ嫁には命の限りがあるわけで・・。
その限りの中で結婚式も披露宴も全部やっちゃうというドタバタ劇。
そんなだから結婚式も披露宴もプログラムの殆どを短縮、またはカットしちゃう。
結婚式場には新郎の元カノが居たり、結婚式場に花嫁に好意をよせ続けている幼馴染が乱入したりと、神聖な結婚式ははちゃめちゃ!
そんな場面でも結婚式場のチーフを口説く花嫁友人や、あくまでも神聖な結婚式に拘る牧師、花嫁に注射を打つドクターなど、もう動物園のナリ!笑
確かにコメディだったが今回は前作ほど、本に練りがなく、割と脚本家が楽しちゃったんじゃないの?って勘ぐっちゃう内容。
花嫁の父親役のキャストの演技力はちょっと酷いんじゃないかなー。素人?
もうちょっと練習してください。観客を式の参列者と扱う場面は観客参加型の芝居で良かったと思う。まあ、それなりに笑えるけれど、物語に深みはない。
満足度★★★★
化身
青森市郊外にある一軒の家では猫と4人の男が暮らしていた。主の富平(80)、その長男・和也(35)、富平の娘婿・万次郎(56)、万次郎の長男・亨(22)。
一家の太陽であった万次郎の妻であり富平の娘であった幸江は7年前にこの世を去った。
そんな男ばかりの所帯に・・・・。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
毎回、思うことだけれどここの劇団って抱えてるキャストたちの年齢の幅があるから、物語に見合った年齢のキャストを登場させることが出来る。だから違和感なく観られる。素晴らしいよね。東京の劇団は年齢の高い役者を探すのに四苦八苦してるというのに・・。
そんな男ばかりの所帯は和也が主婦代わりをすることで、どうにか回っていた。しかし、幸江を失った喪失感は常に4人の中にあり、なんとなく覇気がない。
そんなある日、笹原めぐみというモニター家政婦がやってくる。4人は幸江が生き返ったのかと勘違いするほどにめぐみが幸江そっくりだったことから、最初、戸惑い驚くが、やがてかつての家族の肖像を取り戻すごとく、富平も万次郎も亨も、家政婦の手伝いをがぜん張り切る。そうして一家は幸江が居たころのように明るさを取り戻していく。ここでのめぐみは幸江本人であり猫の化身としてこの家にやってきたのだった。和也だけがめぐみの存在を疑心暗鬼になりながらも冷静に眺める。
そこへ僧侶が訪ねてきて化身を見破り、「しんだ人間は帰ってこない。そうやって人の心を乱してなんになる。」と意見するも「その体じゃ、長く持たないだろう。いよいよという時になったら寺に来なさい。私がちゃんと送ってあげる。」と進言する。
めぐみはいよいよという最後の時に、「亨を大学に入れて、万次郎さんの弁当は毎朝、自分が作る。父さんの面倒もみる。といったのは貴方じゃないの!だったら最後までやりなさいよ。頑張ったね、御苦労さんだったね、なんて私はぜったい言わないからねっ。」と和也に喝を入れながら、遠まわしに労う。
こうしてめぐみは消えてしまったが、残された家族は一時の夢をみて緩やかな日常に戻るのであった。
舞台のセットを見た瞬間に心が和らぐ。白い壁にマジックでタンスやカレンダー、棚などが書いてある。劇中、富平の甥の登場で会場を笑わせる。大阪商人のような言葉と絶妙な早口とギャグ!笑
そうして気弱な万次郎がめぐみに吐くセリフがいい。いつも笑ってた、笑いの絶えない家庭を作り上げてた幸江を想う心情の吐露がズンっ!と響く。
今日のようないい天気の秋、空いっぱいに飛ぶトンボの群れの風景を想像させる。その群れはススキの上空を同じ方向に飛んでいる。そうして、やがて夕暮れに空が染まるころトンボはいつの間にか居なくなる。
青森の方言はいつにもまして心地よかった。
太陽のように明るい女性って、やっぱ、良いよね。(^0^)