満足度★★★★★
こんなに泣かせてどーしてくれんのよ!
ってなくらい号泣しちゃった舞台。芝居が幕引いた時点でのワタクシの顔は、「はれ?いったいどなた?」みたいになっちゃってた。
親子の情を描いた涙なくして観られない舞台。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
基子とその娘・喜子、そして基子の内縁の夫・渥見の3人は基子の中学生の同級生だった留美の家の屋根裏部屋に引っ越してくる。基子はパチンコ狂で手元にいつも金がない。その上、自由奔放で男に色目を使っては内縁にしていた。22歳の喜子は幼少の頃から、そんな母親に引きずられるように、金が無くなっては夜逃げをする生活を強いられ、気の休まる暇がなかった。更に自分の顔にも自信がない。
そんな喜子はふしだらでまともに働かない母親を嫌い、同じく頭の螺子が緩そうな、バカな渥見も好きにはなれなかった。そんな底辺の環境も起因してか、喜子は普通の人のようにすらすらとしゃべることが出来ない。そして大嫌いな母親とも話したくない。それで、喜子は紙に言葉を書いて伝達する方法をとっていた。そんな状況下、喜子にとっては生きることは苦しみでしかなかったのだった。
一方、留美の方にも問題を抱えた家族があった。この二つの家族を絶妙に交差させながら、描写していく。喜子の心理、貧乏でも自分の人生を「悪くないよ。」なんて言いながら、どこまでも明るい基子、そして渥見役のキャラクターの立ち上がりが今回の芝居の見どころといっても過言ではないくらいの見事さ。更に留美が抱えている憂鬱さを余す所なく表現していた。
渥見が夏樹にほれられて屋根裏を出て行く場面から基子が死んでしまう場面の大きな展開は生きるということ、を考えさせられた。そうして喜子からみたら、母親は自分にとって目の上のたんこぶ以外のなにものでもなかったのだが、母親が死ぬ間際の会話とお互いの思いやりで親子のしこりは氷解される。
「あんたも子供を生みなさい。そうしたら、女にとって人生は意味のあるものになるからね~。」と言い残して死んだ基子の言葉が素敵だった。基子も喜子も渥見も・・・、すべてのキャラクターを好きになれるはず。
そんな優しく心に響く舞台。
悪くないよ。
満足度★★★
正直申し上げて
ポータブルダンスパフォーマンスユニット(ビビ)の【Ceremony】は好みではなかった。ダンスパフォーマンスという分野がいまいち、ワタクシの感性に響かないのも起因かと。
以下はネタばれBOXにて。。
そんな訳でセリフもあまりないし、パンチもない。感覚が快快っぽいなぁ。。
ネタバレBOX
で、後半の岩ロック座バージョン。
こちらは相変わらずの涙ぐむシーンあり。(再演)
死んでしまった夫のことを本当は好きだったのだと気づく妻の心境が悲しい。生きてさえいてくれれば・・・。死んでしまってから夫の度量の深さや相性の良さに今更ながらに想う妻の心理を描いた作品。これ、いつ観てもいいなぁ。
よって2つの作品の総合評価は3になります。
満足度★★★★★
芸術的なセンス
あっぱれ!という言葉以外に賛辞の表現を思いつかないほどの秀逸な舞台だった。特に「悲しみ」の演出は叙情的でもありギリシャ神話をも思わせるような美しく甘美でもありながら、現実に襲い掛かる悲しみと後悔の負の感情表現を見事に表現していた。なにより、演じたキャストらが素晴らしい。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
「風変わりなロマンス」
孤独な独身男・ウェアーは何をやっても上手くいかない。他人と関わること自体が苦手で、自らも殻に閉じ込めてしまう。そんな男がある日、下町の古びた宿屋に泊まるも、そこの女主人・べラと情を交わしてしまう。女主人も家族がありながら孤独だったのだが、自由奔放な女でもあった。
ベラはそんなウェアーに対して「男に必要なのは女なのよ。家族を持たない男は家族に捧げる愛情を他で埋めようとするから、気がつかないうちに変人になってしまうの。」などと会話をしながら楽器を奏で心を開かせようとするも、既に妄想のなかで生きてるウェアーは猫のニチボーにしか心を開くことが出来なかった。そんなウェアーに苛立ち、ベラはニチボーを捨ててしまう。
ショックで精神的に病んだウェアーは精神科の病棟に入院するも退院して宿屋を訪れると、ベラは既に宿泊客とデキておりニチボーは相変わらず、行方不明だった。ベラに追い出されたウェアーは必死になってニチボーを探し、再会する。
宿屋の部屋でベラが奏でる楽器が一番美しいシーンだった。癒しを求めていたウェアーはベラの強引なアプローチによって関係してしまうも、この後のニチボーを巡っての言葉による傷つけあいの展開は、「だから俺は人間が苦手なんだ。」といわんばかりのウェアーの心の叫びが聞こえるようで、脱力感、失望感や挫折感を伴った舞台だった。最後の希望としてニチボーと再会できたのが救い。
「悲しみ」
実に美しい場面だった、コロス達の天使の歌声に神的な震撼を覚えたほど。老人グリーシカは女房のマトリョーナを酒の勢いを借りて、殴ってしまう。倒れるストリョーナ。驚いたグリーシカは老いぼれの牝馬でドクターの元に走るもマトリョーナは息を引き取ってしまう。この時になってようやく己のマトリョーナの対する仕打ちを後悔するも、どうすることも出来なかった。
若かりし頃の夫婦の生活情景から、やがて、グリーシカが働かなくなり酒に溺れ、女房のマトリョーナを母親と勘違いして甘え、挙句、殴って殺してしまった愚か者の老人の描写の仕方を過去と現在を交差させながら、コロス達の歌声とともに詩的に演出する。この演出の仕方が実に美しくこの世とは思えない場面だった。ドクターの顔の演出も素晴らしい。ファンタジー的でもある。
グリーシカはマトリョーナを失ってはじめて、「人生はなんとあっというまに過ぎて行くのだろう。もういっぺんやり直せたらな~。。酒と喧嘩と貧乏に紛れてあっというまに過ぎてしまった。そういやマトリョーナな奴、物乞いしたこともあったな~、俺をこんな奴だと思ったまま逝っちまった。もう10年生きてたら、俺だって・・・、ああ、もういっぺんやり直せたらな~。。」と呟く。
愛情、友情、依存、共栄の対象が失って初めて、「悲しみ」を感じ、対象と自身とのつながりが強い程、深い悲しみが訪れたグリーシカだったが、彼の最大の悲しみは過ぎ去ったものへの後悔と大事にしてやれなかった対象が失われた深さに大きく起因し、そして自身の孤独だ。
だから・・、自身の脳でその現実を受け止めるとともにこみ上げてくる感情は事実を否定したいほど悲しむのだが、現実は今を拒絶する。
清水理沙の天使の声が破壊的なほど美しい。役に見合った年齢のキャストらはこの舞台を崇高なほど完璧に仕上げていた。芸術的な舞台だった。。
満足度★★★
とんでもないものとは、
そ、それか?!!みたいなモノなんだけれど、隠せば隠すほど、物語はにっちもさっちもいかない方向に転がってしまう。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
レイ・クーニーのコメディだけあって、ベタなコメディ。ホテルでの浮気最中に窓に引っかかるようにして張り付いた死体を発見しちゃったから、さあ大変。こんな死体が浮気現場で発見されたとあっちゃあ、議員の名前に傷が付く。そう考えたリチャードは試行錯誤を繰り返しながら、嘘を積み重ねて、重ねきれないほどに、その場限りの嘘をついてしまう。
その死体こそがジェーンとリチャードの浮気を調査する為にジェーンの夫・ロニーが雇った探偵だったのだ。リチャードの部下にすべての汚点を押し付けようと画策するリチャードに呆れながらも、渋々身代わりになるジョージの悲壮感はただ事ではないのだけれど、海外のコメディって大抵、こんな風にごちゃごちゃしながら物語を展開させていくわけだ。笑
劇中、ロニーのヅラが落ちそうになったシーンがあって、役者がその風体に似合わず、必死こいて直してた場面がとにかく可笑しかった。舞台ってこんな風に生の予想もしない展開があるからこそ、楽しいのだ。
衣装といいキャストらといい、まったくソツなく魅せたと思う。メイドの演出はちょっと引いたけれど、まあ、本がそのようになってるのだから仕方がないとも思う。
初心者にもお勧めの舞台。
満足度★★★★
プロの技!
三猿の登場の仕方といい、導入音楽といい、照明といい、効果音といい、とにかくカッコイイ。
そして目を見張るのが衣装だ。特に三猿のボロボロの衣装は、これまでどのように生きてきたかを物語ってるようでしっかり主張していた。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
三猿は、恩のある親方を殺され、自分たちの身体も傷つけた白鷺新三郎に復讐をするために日夜、修行を重ね三身一体の殺陣をあみ出していた。やがて復習の時と悟った三猿は白鷺のアジトのある山を目指す。
そこにたどり着くまでに勿論、多くの殺陣や見せ場はあって、切りかかる際に刀が風を切る効果音で更に舞台に凄みが加速される。三猿の殺陣は流石に見せ場を掴んでおり彼らの愛刀はまったく形の違う刀で風を切りながら、はたまた、鞘に刀を納める効果音で、ますます舞台を巧みに魅せ飛んだり跳ねたりしちゃうのだから、正に野猿そのものだった。
プロの殺陣を魅せながらも「笑のつかみはOK!!」みたいにコメディとしてのテイストも忘れていない。流石だと思う。
ただ、残念だったのは白鷺新三郎のキャラクターがこれらの雰囲気から逸脱しており、場にそぐわない。つまり、悪役なのだけれど、その独特の持つ雰囲気がおちゃらけているというか、ふざけてるというか、ナメテルというか・・、ウザイのだ。セリフまわしが・・。だから、一人だけ浮いちゃってて浮きまくっちゃってて、「浮曇」の主人公のようなキャラクターなのだ。
そんなだから、三猿らが殺陣してる状況下ではドキドキハラハラしながらも、その立ち振る舞いに圧倒され唸りながら観てるのだけれど、白鷺が登場する場面では、なんだか、ギャフン!としちゃうのである。
それでも最終的に三猿が恋も家族も捨てて、今までどおり生きていく姿勢は、こういった復讐劇の幕引きとしては安心するのである。
満足度★★★★
殺人の連鎖
内容は決して希望の持てる舞台ではないが、秀逸な舞台だった。キャストらの演技力は素晴らしい。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
神戸の榊原事件を思わせるような殺意の連鎖の物語。
美川の娘・京は生きてきた意味が解らない。京の双子の片割れは父親がパチンコに興じている時に、車内で熱中症で死んだ。美川はそれがきっかけになって会社はクビになり女房には逃げられた。そんな父を京は憎んでいる。こんな育ち方をしたからか、高校生の京は捻くれて屈折した精神を抱え、猫を殺した後にも殺人への欲望を募らせてゆく。
興信所に勤める里見は他人を詮索するのが趣味でテラスに集る人たちの会話を盗聴する。
一方で17年前に静岡バスジャック事件で6人を殺した犯人・当時17歳だった向井に女房を殺された仲西は向井にヒルのように執拗に取り付いて罵り、暴力を振るい蔑む。ついでに向井の恋人・美紀にも同様に罵倒する。仲西も人間としてクズだったのだ。そんな仲西が里見に説教をするセリフは、まるで自分の事をそっくりそのまま描写しているようなものだから、この部分は滑稽で可笑しくてシリアスコメディそのものだ。笑
京は仲西と向井の話を盗み聞きしながら、6人も殺した向井を伝説のヒーローのように憧れてしまう。そうして、「命なんてモロイんだと思った。」などと殺人への予兆のようにのたまう。これに危機感を感じた向井は京の殺人を止めさせる為には京を殺して自分の伝説の一部となるべきだ。と死の同調を求めるも、里見が止めに入り、あっけなく阻止されてしまう。
そして京は遂に仲西を殺したのをきっかけに、次々にムカツクという理由だけであまりにも残忍な殺人を繰り返していく。
京を一流の殺人鬼にするべく、世界を震撼させる殺人鬼に作り出すことに精力を傾ける里見は京のマネージメントをしながらサポートしてゆく。云わば教団が教祖を奉るように、主犯・京を「我々の神」と呼ぶ里見は1年後、京の父親と向井の恋人の美紀に彼らの現状を報告するも、里見の破壊的精神に危惧し反抗した二人に里見は殺されてしまう。
登場人物の全てに共感できない。誰もが誰かを罵りながら終に連鎖的に殺してゆく。陰鬱とした悪の魂のようなものを全員が持ち合わせており、全てが悪いほうへ、悪いほうへ・・、と転がってしまうのだ。
人間として感情のない、つまり、怒りもない悲しみもない愛情も持ち合わせていない、ただただ、淡々と生きてるだけの向井が京の殺人をサポートしている側の人間を一人ずつ殺していくのは彼にとっての正義なのだろうか?
暗黒にのさばる狂気と殺意が渦巻きながら、精神が破綻した人たちの物語だったが、ワタクシが一番興味があったのは京でも仲西でも里見でもない。向井の無限に閉じた無気力な何も求めない感情や、生きてる意味も死ぬ意味も解らず、何も世の中に期待していない精神に興味があった。それでも淡々と生きているのだ。
決して楽しい舞台ではない。舞台ではないが、演劇という芸術の一端にもこんな芝居があってもいいと思う。そう思えるほどのめり込んだ。キャストらの演技は秀逸だと思う。アイドル的存在の板倉の演技もしっかりとしておりセリフの歯切れも良かった。評価は割れると思うが、あくまでもエンゲキとしての評価だ。
満足度★★
そこそこつまんない
大人計画初観。リサイタルだから芝居とはまったく違うのは理解していたけれど、当のご本人・宮崎吐夢のコメントでは今年になって演劇らしい演劇はしてない、とのこと。つまりは演劇人ではなく、過去の人なのだった。。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
宮崎吐夢座頭市のカッコで登場した時点では、「おっ,、もしかしていいんじゃね?」なんつって期待に胸膨らましちゃったけれど、時間がたつうちに、その大きく膨らみ過ぎた胸は急激にシボム。まるでナニかが終わったあとのよう。
リサイタルだけあって殆どがエロ歌。だけれどその売りのはずのエロ加減は、ただただ、マン汁、チン汁、といったシモ単語を羅列しただけ。オモチロ可笑しく台詞で酔わせる手法ではない。そんなだから客席で退屈しながら、そんでもって舞台をまるごと飲み込めるほどの大あくびをかましながら、終盤まで観ていたけれど、ついぞオモチロクない。
リーマン風の男性が途中退場したけれど、気持ちは痛いほど解る。これを観るなら明日のために射ち帰って風呂入って一杯引っかけて寝た方がマシなのだ。
女性客が大半だったから、大人計画は女性に人気の劇団なのだろうか?
河井克夫,が三味線担当、ユキユキロがピアノを演奏し、本来なら優雅な絵なのだけれどおぼっちゃまくんみたいなナリの宮崎吐夢のガナリ声がアニメ的で低俗だった。
まともに料金支払って観るリサイタルじゃあないわ。正当な料金は500円くらい。
満足度★★★
いつの時代も
場面は48歳のおっさん(横山)がギャル女子高生とカラオケBOXで歌ってる情景から。どうやら、おっさんとギャルは今、出会ったばかりのようだ。おっさんはギャルと話しながら、自らの高校生活に遡る
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
横山は県立厚木高校に在籍している。勉強漬けの毎日で忙しい最中、文化祭での催しものについて討論する。ここでのデブの宮城のキャラクターが実に面白い。笑の殆どを宮城がサラウ。大学受験を控えている彼らは誰もが文化祭の運営の中心にはなりたがらない。
しかし、半ば強引に宮城が仲間に引きずり込んでしまう。青春ものには付き物の、仲間意識が芽生え、全員が協力し成功に導いていく。その中で東大入学を目指す一人が学習スランプに陥り、ゲームセンターで遊んでいる最中、ビーバップハイスクールバリバリのリーゼントにカツアゲされる。
反抗するかと思いきや、素直に大人しく現金を差し出し、この後に吐くセリフが「痛い目を見るだけ損だろ?どうせアイツラ、将来は道路工事か工場で働くしかないんだから、威張ってるのは今だけだ。俺らが大人になったら逆にアイツラを使う立場になるんだから、今は大人しくくれてやれ。」と言う。笑
ワタクシなど、高校生という大人と子供の中間のようなこの時期は、自分がどんな人生を歩むのかなど何も解らず気楽にけれど頼りなくふらふらとへらへらと毎日を過ごしていたものだ。けれどもここでの彼らは「今は辛いかもしれないけれど一生懸命勉強して東大にさえ入れば、勝ちだ。入ってから遊べばいい。そうして東大卒の俺たちは官僚になって国を動かす立場になれる。」などとのたまう。
凄いな、と思う。
世の中の厳しい現実には身も蓋もないほど現実的であらねば立ち向かえないが、高校生の彼らは意外に現実的であった。一方で精神的に不安定な同級生、レンアイになりそうな男女、演劇部での情景を織り交ぜながら、大人と子供の中間のような彼らは「自分では何も言わないくせにさ、そのくせ、他人には自分を解ってほしい。大人じゃないよ、そうゆうの。」なんてセリフを吐かせながらも高校生特有のあやふやさも垣間見せる。
こうして横山の哀愁的高校生活のお話は「故郷とは風景の事ではなく、絆の事だと俺たちは知る。」なんてカッコよく〆ようとした矢先、ギャル女子高生におやじ狩りされて48歳の横山は財布をカツアゲされた。という筋。笑
全体的に2時間は長すぎ。削れる場面はいくつもあって90分くらいが妥当だと思う。それから2人の女子のかちゅぜつが悪すぎ。もっと音楽を巧みに使って欲しかった。校歌とか「夏休み」とかを取り入れて観客を酔わせる仕掛けが欲しいとも思う。更に終焉後、一番感動していたのは演じ手のキャストらだった。それでも横山の演技力は他を引き離すほどずば抜けており秀逸だった。女子の演技力はイマイチ。
過去の出来事って時がたつと記念バッジみたいにピカピカに磨かれてワタクシ達の手の触れられない場所に飾られがちだけれど、どんなバッチにも必ず裏側はあるよね。
その裏の描写が弱かった気がする。。
満足度★★★★
た、た、楽しい!!
前説から人形劇ばりばりの美輪人形なんか登場しちゃって、ユルユルで各席を暖めてから本題に入るのだけれど、もう、この時点でワタクシの好みなわけよ。だから、もしかして本編より前説のほうがオモチロ可笑しかったらどうしよ?。。。なんて心配したのも束の間、本編も実におもろい。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
主役はフリーターの夏目なのだか、児童書の押絵画家・斉藤なのだか、はたまた、ホームレスの櫻田なのだか良く分からない。笑
とにかく物語自体も断片を繋ぎ合わせたような・・、これで収集がつくのだろうか?と心配するほどのバラバラっぷりなのだけれど、終盤はあたふたとマトメテしまう。
その収束の仕方が、「いつの~♪ことーだかぁ~思い出してご~ら~ん♪あんなーこーとー、こーんなーこーとーア~~ったよね~♪」なんつって懐かしい合唱とともに強引に終わらせちゃう。
これって、一人ひとりの観客が歩いてきた道のりを想像させ、郷愁をソソル。観客はみな、過去の思い出に酔いしれて、「ああ、あのころは楽しかったなぁ」なんつってめくるめく時代を遡って眼の前の舞台の状景と合体させてしまう。
河童の話や人形劇や、レンアイ時代や出産や、リストラやホームレスなどのキャラクターの立ち上げは一人の人間が人生を通して目にする光景だ。だから・・・、ドタバタコメディか?と感じた面白さが、ある時期からそれぞれの人生の生きた証に変り、なぜか全ての登場人物が好きになってしまう。
人生は一回しかないから頑張って生きようね。そんな風にパワーを貰える舞台だった。人形劇とそれぞれの人生の交差の仕方も絶妙で、緩くて楽しかった。終盤にかけてのうねりはパッションを感じたのに、なぜか小学校の放課後の校庭を思い出して、懐かしい香りも運んでくれた。
要するに玉手箱のような舞台だった。素晴らしい!
満足度★★★★
終わってみれば・・
う~ん、終わってみれば、第一幕のドクター編が一番面白かった。医者の癖を看護師が解ってることで医者の言うことが嘘か本当かを癖をいちいち確認しながら笑いをとる展開は面白かった。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
第2幕では容疑者の夫と容疑者の間を弁護士が行き来しながら、手紙によって二人の関係を裂いてしまう。これは容疑者の夫の話から容疑者が自分の理想の女と勘違いした弁護士が夫から容疑者を横取りしようとした行為だったが、その後、夫から妻のダラシナイ癖を知ることによって幻滅してしまう。弁護士の悪意によって仲たがいした夫婦はお互いに自棄になって更に悪意の方向に流れてしまうという不条理劇。結末があやふやに収束されており、インパクトはないが、人間の業の部分を露呈した作品。
第3幕はTVのニュースで間違いの報道を流されてしまった2人の女性がその報道関係者に訂正を求めて報道されるも、逆に利用されてしまう結末。おばあちゃん殺しの真犯人かのような描写の仕方で終わった女性は犯人だったようだが、ここでも結論づけた収束の仕方ではなかった。
観終わって直ぐの感想では、余りにもインパクトがなくてどうしたものか・・?と感想を書くのに戸惑ったが、時間の経過とともに直球勝負とはほど遠い構成の切り口が「本当にあった怖い話」にも似てるようで、なんとなく余韻を残している。つまり、第1幕も2も3もメッセージの仕方によっては人々を不安にさせるし今まで構築されていた人間関係もあっけなく破壊出来る、そうして一人の人生までも変えてしまう恐れもあるという警告のようなものだ。
だから、ワタクシ達は対人関係に於いて、くどいほど誠実に向き合わなければ誤解され思いもよらない違った方向に流されてしまうという脚本家のメッセージに唸るばかりだ
満足度★★★★★
愛と引き換えに
宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」を題材に宮沢賢治自身が深く科学技術に係わっていたこともあって、科学者、研究者の生き方について綴られ、深く考えさせられた作品だった。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
イーハトーブの森に木こりの子どもとして生まれ冷害による一家の離散や火山噴火、干魃などの苦難を経験して育ったグスコーブドリがイーハトーブ火山局の技師となり火山噴火被害の軽減や人工降雨を利用した施肥などを実現させる。
しかし、その技術を兵器として軍事利用しようと企む軍はクーボー大博士率いる技術者に技術開発の為の国防費からの資金援助を提案する。資金援助を受ければどういうことになるか技術者らは解っていながらも、「我々科学者は人々の幸せの為に開発をすればいい。豊かな資金がなければ開発が遅れてしまう。」というブドリの強い推薦によって資金援助を受けてしまう。
使っても使いきれない予算の中で、やがて科学者らは自分たちの置かれた状況に麻痺してゆく。このように、科学者というものは開発の為にもっと、もっと・・、と引き下がる術を忘れてしまうのだ。資金の面で軍を利用したかにみえるが、逆に技術者らは軍に利用される結果となってしまう。いつのまにか科学者たちを支配する軍とそうされまいとアガク、科学者としての明暗の別れ道だ。
やがて、ブドリは27歳の時、冷害の再発を目の当たりにして苦悩しながらも、カルボナード火山島を噴(ふ)かせるという最後の一人となって世の中の人たちへの愛の為にわが身を犠牲にする。
残された科学技師らと共に開発に関わっていたペンネンをクーボー大博士は解雇してしまう。この後に予想する軍の行動に対しての予防策だった。残ったクーボーは案の定、軍の兵器開発に協力しなければ軍の大義によって抹殺すると軍から告げられる。しかし、クーボーは軍からの要請を拒否し人間と世界の為に命を引き換える。これも大義だ。
そして「男」はここでのナビ役を担う。男は幼くして父を失った傷を心に持ちながらも父を慕い、同時に父を憎むが、ブドリの小説を書くことによって次第に父に対する自分の愛情を確信してゆく。
全てのキャストの演技力が実にお見事だった。粒ぞろいのキャストらだったお思う。科学者と家族愛のなかでブドリは揺れ動くも人間は家族に囲まれて生きるのが幸せだと結論づけてるように思う。ブドリの一生を通じて関わった人たちを一人のキャストが複数の配役を担うが、全く違和感はない。全てのキャストらに拍手を送りたい。特にペンネンの役を演じた菊池敏弘の演技は秀逸で鳥肌が立ったほど。導入音楽も照明もいい仕事をしていた。全てにおいて職人技!素晴らしい舞台を観られて幸せでした。
ブドリの妹ネリの言葉「兄は人間と世界を、そして自分自身を愛していた」とのセリフが心に響く。
満足度★★★★★
球体の穴
とにかく面白い!画像のまんまの登場人物たち。序盤から妖しさ(怪しさ)満点の舞台は江戸時代の香りのする湿った黄泉の世界。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
出島から出てきた男が出島での体験を物語る。序盤、肉を喰らう輩たちのシーンから。その肉の種類は白子鼠か片目猫、まばら犬の赤い肉。なんつっておどろおどろしいセリフとこれまたおどろおどろしい牛男やら青猫、酢の蝿、顔なし男らがヨドミなく登場するのだから、観てるワタクシだってヨドミなく目をパチパチさせちゃうわけよ。
でもってこやつら、どーにもこーにも怪しさ満点でオバケのようなメイクしながら、自分に付いてる影の話なんかしちゃう。オバケでもオバQとか、パケラッタ!が口癖のオウジなら可愛げもあるものの、ここではそんなかわいらしいキャラクターはいない。
自分の影を盗まれないように魔よけの鈴を持たせ・・、なんて言いながら影の国、影の裏町、影の通行証を持参しないと入れない。の行から、ゲンナイの発見のエレキテルやら羅紗綿や寒暖機の行まで絶妙に使用するセリフの数々で魅せる。
役者の吐くセリフでめくるめく妖しげな世界を連想させ、神秘的な香りとともにアヘンの煙が漂う中、悪夢的な奥深さを醸し出しておりました。アゴラの空間はもはや琥珀色の光に満ち満ちて、あな恐ろしや!摩周湖の霧のように濃い白煙が漂ってゆき、ワタクシたちの座る一角へも流れ出して琥珀色の明かりに照らされた舞台まで舐めてゆきます。
その情景は生体の研究から始まって我が子を死なせるシーンまでの一種不思議な荘厳さがあたりを包み、反してにじみ出る胡散臭さ。笑) つまりは妖怪の宴のような、降臨した化け物を見たごとく目眩を感じたのでした。
観れば解ります。どんなに妖しい世界かが。ちょっとエロリズム。演出がサイコー!(^0^)
満足度★★
大きなうねりはない
物語に奇抜な展開もパンチ力もない。でもってこういう脚本なら特に「ボディーガードマン 」というタイトルでなくても良かったような気がする。タイトルから想像して、それなりのアクションやデンジャラスな暗転があるのではないかと、想像を膨らませると軽く裏切られる芝居ではある。ワタクシははっきり言って途中で飽きた。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
ボディーガードマンの日常を描いた作品。「そよかせ警備保障」ではスーパーなどの警備を受け持つ。そよかぜ・・・って警備保障のネーミングからかんなり外れていることから、もしかしたら、これはコメディではないかい?!(^^)なんつって大きな期待を抱く。
しかし物語が進むうちに、一人の家出少女が絡んできて、芝居の殆どはこの家出少女と山崎ことガードマンだけの世界観で溢れてしまう。まるで昼ドラだった。しかも、主役となる少女の演技力が観てられない状態。立ち上げ劇団一発目で、集客を考えるあまり、客寄せパンダでこの少女を起用したのだろうか?
そんなだから本自体にもインパクトはなく、ベタな座組みの見本市みたいなもの。他力本願でルル(株)ドゥイング・プロのタレントなんか使うからだ。こういうタレントに限って可愛く見せたい、綺麗に見せたいという意識の余り、演技が雑になるのだ。
ワタクシはタレントを観に行くのではなく、芝居そのものを観に行くのだから、本やキャストらの演技力と音楽、構成、照明その他全体で満足出来なければ、評価はおのずと厳しくなってしまうのだが、芝居ってそういうものだと思う。次回は是非、自分達の力で頑張って欲しいと思う。結果を出せば客は付いてくるのだ。
満足度★
なんすか、これは!
タダのアイドルショーでした。ストーリーも幼稚ならキャストらの演技も幼稚。学芸会レベル。よってネタばれは書きません。書く時間がもったいないわ!
満足度★★★
ものすっごくびっくりした!
開演20分前に到着。そしたら開演五分前になるまで外で待て、という。こういう劇団は初めてだった。この炎天下になんだ、ソレ!と思う。小麦色に日焼けすれば焼きサロンに行かなくて済むってかっ!いくら招待だからって酷い仕打ちじゃね?と思う。早速、主宰のヒロセエリに話しに言ったら、「こちらの好意で招待してるんですから、一般のお客様を通してから座って頂きます。こちらはメールでそのように書いて送信してます。」と。その傲慢な態度の裏側に「タダで招待してやってるんだから後から入場するのは当たり前。席も余った席で観ろ。嫌なら観るな!(たぶんこれが主宰の言うところの好意)」とその心が透けてみえるようだった。つまり、ここの主宰は招待客を軽視してました。ごちゃごちゃ言うな!文句言うなら金払え!
ま、そういう事ですわ。
で、公演後、PCを開けて確認したら、招待メールには「受付時間は開演45分前~開演15分前とさせていただきます。15分前を過ぎますと、チケットプレゼントは無効になりますのでお気を付けくださいませ。
チケットプレゼントの方のご入場は、開演5分前からになります。受付順でご入場頂きます。予めご了承くださいませ。」、確かに書いてある。ならそんなに早く来させなくても・・。と思う。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
舞台は亡くなった父の遺品を片付ける四姉妹の場面から。借金と女癖が悪かった父を四姉妹は憎しみながらも心底憎めない心の内を姉妹らの会話の情景で想像させる。その絵は確かな家族の風景なのだが、どこの家族でも多少の問題を抱えてる様も演出する。不倫を臭わせる長女の夫。次女朋美の恋人は20以上も年上の無職男。三女の望美は幼馴染に気があるものの、肝心の幼馴染は朋美に好意を寄せる。そして婚約が決まった四女の美子。
彼女らを主軸に喧嘩したり仲良くなったり威嚇したりしながら舞台を回す。相変わらず望美役の菊池美里の演技が愉快だ。彼女のキャラクターは他のキャストらが持ち得ない確かな味のある存在感がある。表情もいい。実に素晴らしい役者だ。
四姉妹は最後まで自分たちに迷惑をかけて逝ってしまったどうしようもない父を恨み、そして解りあえなかった胸の中の思いが・・、父への想いがいつも言葉からはみ出してしまうように届かない。そして、なんとなく喉の奥につっかえている感覚がある。しかし、彼女らは父が自分たちに財産を残そうとして詐欺の被害者になっていたことが分かると、父に抱いていた今までの感情が氷解していくのだった。
それはゆっくりと塗り薬を傷に擦り込むように、彼女らの感情が緩やかに溶けていくと彼女らの周りにも幸せが訪れる。二女の無職の恋人が彼女のウエディングドレスをレースで編むとセリフるシーンはそこはかとなく穏やかで美しいシーンだった。
物語は全体的にほのぼのとしていた。主宰との押し問答がなければきっと楽しめた舞台だったはずだ。舞台とは観客と劇団との両輪の上に成り立つと日頃、思っていたのだが、どうやら、招待客は客とみなさないようだった。
満足度★★★
迷惑な客
柏木が新たな職場、介護事務の面接に訪れた老人ホーム「極楽荘」でのお話。ちなみに、ARAHAN とは、108の煩悩を自由に操る者達のこと。とあるが、煩悩の雑音は恩田陸の「きのうの世界」に似てる。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
面接に訪れた柏木だったがそのまま、採用される。中盤までの筋立ては変な外人ジェニーの水戸黄門寄りの日本語の可笑しさ、それぞれの老人のキャラクターの立ち上がりなど絶妙で愉快千万だった。
海原幸代のマネージャー・桐沢がセリフはトチルし、もうやりたい放題。笑) 桐沢の必死の交渉の末、「極楽荘」でのオンステージを開催するまでにこぎ付けたのに、当の海原は肝心の歌は歌わない。苦笑!) ドジョウ掬いのような踊りとも似使わない踊りをどらえもんのようなメイクで踊る。とにかく緩い、どこまでも緩くバカバカしい芝居だった。
ところが後半の展開はあまりにも急に、急激に格闘シーンへと移行してしまう。まあ、確かにテクニカル・アクション・コメディなのだが、その展開に無理があったように思う。今にも死にそうだった老人たちが急に肉体が若返ってしまうのだ。その理由は柏木がアラハンの力を持っていた為に、金剛地を介して皆に影響を与えてしまったという筋だ。
その力のせいで入所らたちは凶暴になり、それを抑える側との格闘シーンに移るのだが、このテクニカルアクションは別のストーリーに合う気がした。つまり、近未来の物語とテクニカルアクションは絶妙に融合するような気がするからだ。老人ホームの老人がいきなりアクションを披露する場面はドン引きしちゃった。今にも死にそうな老人だけに・・苦笑!)
そういったバランスには欠けていたが、柏木が現実の世界から逃れ、虚構の世界への幻想によって自分の望む架空の友人を作り上げる場面が実に美しい情景を想像をさせる。ピアノの練習のシーンと川辺での友人との会話の行は繊細で淡い夕焼け色の思い出のシーンだ。
やがて、園長が荒れて収まりの付かなくなった煩悩を滅却することで幕引きとさせる。
煩悩滅却に至るまでの筋立てに無理があったが、アクションはそれなりに魅せた。なによりも前半の緩いコメディがバカバカしくて好みだったが、初心者にはお勧め出来ないように思う。ワタクシの観た回は子供がグズッテ立ち上がるは、歩き出すは、役者のセリフはお構いなしにしゃべりだすは、コイツを育ててる親も子供と同レベルだから、周りの迷惑を考えられないらしい。公演の3分の2、つまり半分以上、グズッテタにも関わらず退席しないのだ。「親の顔を見たい」と思って顔をみたらやっぱ弱そうだった。スタッフは他の常識のある観客のために最善の策を練って欲しかった。第一、チケットを渡す時点で対処すべきだ。なので星三つ。
満足度★★★★
素晴らしい演技でした、満足!
ボストンバッグを持った女が道でうずくまっていたところをアロママッサージの女が声をかける。やけに疲れているようだった。アロマの女はこの女にフットマッサージでもどうかと自宅に連れて帰る。何やら感じたものがあったようだった。
以下はネタばれBOXにて。。
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アロマの女はマッサージをしながらテラピーもする。するとボストンバックを大事そうに持った女の生霊が現われる。この場面がゾクゾクするほどのド迫力でいったいどうやったらあんな演技が出来るのか、と感服したほど。怨霊と化した魂がそこに存在していた。
黒髪はおどろに乱れ地の底から響くような声で凄まじくも美しい、まさに夜叉の顔だった。美しい夜叉が男を恨んで鬼となった場面、恐ろしい女の情念のおどろおどろした情景だった。更に生霊独特の体の動かし方が想像を絶する。貞子・・?あんな恐ろしい化け物を見たのは後にも先にもこの舞台だけだ。演じたのは加屋安紀子。この役を自分のものにするのに相当、努力をしたのだろうな、とも思う。
聞けば、自分を捨て若い女と不倫した挙句、自分に暴力を振るう夫を取り殺そうとの怨念から、女の呪いに転じたようだった。生霊は夫への恨みを訴え、まず相手の女の命を奪ってしまう。その亡骸はボストンバックの中だ。
生霊は人間本来の持つ欝の部分、嫉妬、復讐、孤独感を表現しながらもテラピー女との会話から少しずつ浄化されていく。その浄化の証がワインボトルから流れるさ砂だ。そうして我に返ったボストンバックの女は人生をやり直す展開で終盤を迎える。
不倫が先か、夫婦の破綻が先か?なんて場面もあったけれど、それよりも何よりも今回は加屋の演技を観られただけで幸せというものだ。
満足度★★★★
ホロリ・・
借金だらけで解散することになった浅草亭一座の最後の公演場所は夢見が丘総合病院での慰問だった。出番前の控え室で織り成す人間模様。終盤に歌う萌にヤラレル。
以下はネタばれBOXにて。。
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序盤、コメディにしてはインパクトもなく、笑の芝居がちょっと古い。ダイジョブなの?(・・;)なんつって心配したのもつかの間、そこは登場する濃いキャラクターの面々でどうにかカバーする。苦笑) しかし、後半からのうねりは流石!泣き所のツボもしっかり掴んで、観客席からのすすり泣きがあちこちから聞こえた。
控え室ではこれが最後の出番ということもあって、それぞれの胸のうちは複雑だった。出し物は「落語」「ウクレレ漫談」「手品」「漫才」「腹話術」などだ。これらの公演を打つ為に駆けずり回った一座のマネージャーの想いが心を打つ。それでもチャンスに恵まれず一向は解散となり15年の歴史を閉じてしまう。一方、座を抜けてTVの世界に入って成功を収めてる元浅草亭の三角。
慰問先の病院では座長の元妻が働いており、離婚した後も元妻を忘れられない座長の為に、最後の慰問先をここに決めたマネージャー萌。しかし萌自身は座長に密かに想いを寄せていて献身的に支えてきたのだった。
これらの人間模様を喜怒哀楽を織り込みながら、沸々と人の心の中に渦巻く真意を魅せる。三角の成功を喜びながらも自分たちの置かれている境遇になにかしら納得出来ないでいる彼ら。しかし、元妻の「誰かの心を楽しませてあげるって凄い事!」という言葉を受けて、彼らの心にも灯が点火する。
そうして座長は「どんなにつらい事が起ころうが、どんなに悲しい事が起ころうが舞台の上では笑うんだよ。それでお客さんを幸せにしてあげるんだよ。」と自分自身にも戒める。
これは舞台に関わる人たちが観ると励みになる舞台なんじゃないかな、と思う。きっとどこの劇団でも控え室ではこういった会話はしてるような気がする。そしてワタクシも日頃、こうしてその恩恵にあやかっている。世の中に小劇団が無くなっちゃったら一体どうやって生きていけばいいのか・・・。だからリアルにズン!と響く。
余命のない患者に園まりの「逢いたくて」を歌ってあげたマネージャー萌の声が美しく悲しみを帯びていた。座長を慕い続けているのに報われない、想いが届かない感情がその調べに乗って、まるで行き先を見失った風のようにシンシンと静かに響く。素敵だった。これほどまでに美しく胸を打つ声を聞いたことがあっただろうか・・?この劇のこの場面が最高の見せ場だったと思う。萌の心情と声に泣けた。観客の心を打つワンシーンだと思う。
きっと忘れない・・。
満足度★★★★
とにかく緩い!笑
初見の劇団だったけれど、客いじりからショートコントネタなど昭和のニオイのするネタ三昧!酒を飲みながら、燻製イカを頬張りながら観たい芝居。実際、舞台で燻製イカを喰ってました!笑
以下はネタばれBOXにて。。
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これほどの~んびりと観劇したのはひっさいぶり!笑
観劇というより、吉本で観てるような感覚。バカバカしいのだけれど笑える。
笑えるけれどバカバカしい。殆どのネタが古いし、肝心の演技面では同時にセリフる場面など、グダグダ。だけれどそれも笑いのネタにしてしまうところは流石!
要は観客も演者もぐだぐだなのだ。笑
真面目にやってんの?!と言いたいところだが、たぶん、本人たちはそこそこ真面目らしい。笑
そんなそこそこ感がこれまた、そこそこ面白い。
終焉後の挨拶では山口氏が「今日はそこそこお客さんが入ってますが、明日以降はお席に余裕がありますので口コミをお願いします。」とそこそこな挨拶をでっぷりした腹とマッチする狸のかぶり物を着ながら、こそこそとのたまっていた。
そんな狸のおちんちんがやけに立派で眩しかったのだけが記憶に残っているから、舞台はやはり、そこそこだったのだと思う。笑
満足度★★
環境が悪いうえに長すぎ!
リーディングで2時間。しかもアゴラ特有の幼稚園児が座るような低いベンチ椅子での観劇。いやはや、拷問でした。後ろ2列はパイプ椅子席を設置する配慮があっても良いと思う。芝居というのは目の前で公演されてる演劇だけでなく、観客が心地よく観られる環境作りも重要なポイントです。ベンチ椅子での観劇の忍耐所要時間はせいぜい90分です。ご参考に。
以下はネタばれBOXにて。。
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粗筋・・あきらは、死んだ母親の口ずさんでいた手毬唄の歌詞を探して旅をしている。小学校、寺、遊廓などで歌詞を訪ね歩くが、誰もその内容を知らない。あきらが旅の途中で想い出すのは死んだ母親のことであった。
彼の姿はいつしか生きていた母と暮らす15歳の自分と重なっていく。彼が住んでいた裏の土蔵には淫乱狂女がおり、その女に近づくと母親にひどく叱られた。人の話では女は父が手込めにした女中で、怒った母が十年も閉じ込めているという。
ある日あきらは美しい手毬少女に出会うが、彼女を追いかけているうちに、ある屋敷の中に入りこむ。その屋敷には妖怪たちがおり、大小の手毬が飛びかい首だけの母親もいた。そしていつしかあきらの葬いに変ったが、それは夢だった。
あきらはまた、旅を続けるのであった。父親不在の家庭、妖艶な母、性の目覚め、土蔵で男を求める狂女、兵士と心中した少女、青年を翻弄する妖怪たち…。現実とも空想ともつかないイメージが繰り広げる、めくるめく草迷宮の世界。(なはずだった!笑)
この筋に尺八を奏で手毬少女には8人を起用する。この手毬少女のセリフが大半を占め原稿用紙をめくりながら、その裏には習字で書かれたものを詠みながら描写していくという手法だった。その詠みは巻物やカルタを連想させ情緒があるものの、少女の衣装は童特有の着物のほうが良かったような気がする。なにしろ手毬少女なのだから・・。好みの問題だとは思うがワタクシはこの現実味を帯びた少女らが障害となって黄泉の国と現実の世界の狭間にもぐり込めなかった。今一つピンとこないで終盤を迎えた公演だった。