満足度★★★★
さりげなく強く、染み込んでくる感覚
舞台上の時間が
ひとつずつ
魔法のように実存感を与えられて。
さらにその時代を受け取る別の時代と重なっていきます。
いとおしさを感じても
閉じ込められることがない、
過ぎた時間への感覚に浸潤されて。
遅れて降りてくるかすかな高揚の匂いにも
心惹かれました。
ネタバレBOX
冒頭の空気が、観る側をすっと捉えます。
舞台隅に見える雪を模した美術と
毛布に包まる人が季節を伝えて・・・。
そして、二人の時間、ちょっと古風に見える大人の世界。
それは時間の断片。
物語が重なっていきます。
昭和30年代に生きる人々、
そして昭和が平成に変わる頃にその時代を俯瞰する。
昭和30年代の日々のスライスが、
昭和60年代の色に時間をやさしく磨かれて。
舞台上の空気につつまれて、
折り目正しく丁寧に観る側の今に手渡されていきます。
昭和30年代って
まだ一般に家族の愛情や男女の愛情に
ある種の箍がしっかりとはまっていた時代だと思うのです。
父親が帰宅するときの一家の雰囲気など
今からみると滑稽ですらあるけれど、
それは当時のホワイトカラーの
ありふれた家族の縛めであったはず。
次第に家族の規律がほどけていきながらも、
中産階級の家ではまだ父親と母親、あるいは夫と妻が
それぞれのロールをステレオタイプに担っていた時代。
今とは隔絶したような感覚もあるのですが、
そこに事象だけではなく空気が演じられているから、
観ている側に奇異な感じや違和感がない。
姉妹たちのそれぞれの結婚観や愛情の色に加えて、
日々の暮らしの肌合いまでが
キャラクターの体温とともに伝わってくるのです。
父親がその場をはずしたときの
母親と姉妹たちのほどけたようなかしましさ。
お見合いに失敗した末娘に
父親が用意したバター飴からつたわってくる愛情の愚直さ。
さりげない道具立てがその場を瑞々しく際立たせて・・。
そこに役者たちの解像度の高い演技が重なり合って
向田家の日々が香り立つ。
向田邦子自身から滲む、
その家の枠をさらりと踏み越えたような
愛情にも息を呑みます。
琥珀のような色に染められたしなやかでに濃密な時間。
冒頭の足をなぜる仕草にはじまって、
相手を強く想う気持ちと
相手を愛おしむが故の距離感が、
男と女の普遍的なつながりの重さから
さらに溢れるようにそこにあって。
食べ物や日々の暮らし、
スープや昔ながらの駄菓子に編み込まれた心の交わりが美しく光る。
日々の買い物の値段が下世話に流れる毎日を映し、
その繰り返しが男が病に蝕まれいく時間軸にかわっていくなかで、
一つの毛布の内側のぬくもりが
皮膚だけではなく包み込むように心を温めていく。
刹那の慰安。
そこに宿る感覚の実存感が、
時代の感覚をそっと隠して
観る側を深くやわらかく浸潤していくのです。
そんな時代や邦子のことをを受け止める昭和60年代の向田家も
実にしなやかに描かれていました。
家の匂いを残したなかに、
流れ着いた時代のあるがままの空気があって。
昭和の終りという見知った時代での質感から、
さらに過ぎ去った時代が垣間見え、
その時代の座標が観る側にも浮かんでくる。
とまどいながらも
邦子の愛猫の死をきっかけに
30年代を一つの時代として受け入れる妹の変化に、
昭和という時代の滅失への諦観と柔らかな受容を感じて。
気が付けば、
観る側も同じように時代を俯瞰する場所に置かれている。
ただ過ぎ去った時代への愛惜だけに閉じこもるのではなく
いたずらに、過ぎた時間を捨て去るのでもなく
そこから昔を袋に詰めてさらに歩き出すような感覚。
過去の人々や時代の記憶を今として
力まずに自然体に歩き始める三女の姿に
柔らかい高揚を感じながら
終幕を迎えたことでした。
で、ですね・・・
アロマのように染み込んできた
作り手の想いが
終わってしばらくしても、驚くほど消えないのですよ。
さりげなく強く観る側を取り込んでいく
吉田作劇のしたたかさにも、改めて舌を巻いたことでした。
満足度★★★★
素敵に薄いのに・・・
偽悪的に薄っぺらくしたような台本だからこそ、
役者達の足腰の強さが見える。
うふっと楽しんでしまいました。
ネタバレBOX
役者一人ずつの足腰が強くて、
それぞれが戯曲のレベルをはるかに超えて
無駄にうまい。
その無駄なところがじわじわとおかしさに変わっていく。
台本も半ば当て書きのごとくで、
観客に何を与えるかなどということより、
いかに役者の美味しい部分を炙り出していくかに
主眼が置かれている感じ。
でも、いい加減な土台なのに
舞台上がちゃんと満たされつづけ
観る側をあきさせないのがすごい。
よしんば、
駄目なお芝居の典型のような
意味のないダンスが挿入されたり
芝居の原則を反故にして、
舞台上で堂々と本名で名前を呼び合ったとしても、
ダンスはそれなりのクオリティできちんとシーンをつなぐし
舞台のお約束が気持ちよく崩されるシュールさもすごくよくて、
舞台が全く揺るがないどころか、がっつりと膨らんでいくのです。
ひとつずつのシーンが、
台本の薄っぺらさに似合わないほどにちゃんと作りこまれて
そのギャップが表現にまで昇華している感じ。
まあ、スキルの浅い劇団は真似しちゃいけない
作りのお芝居なのでしょうけれど
こういう遊び心って、
たとえばモンティパイソンを彷彿とさせるような部分があって、
なにかをブレイクする力にも繋がっているような気がする。
平日1日のみの3回公演というのも、
観る側からすると決してやさしくはないのですけれど、
ちょっとやり逃げ的な感覚もまた味のうちで・・・。
このユニット、
回を重ねれば重ねるほど、
それに追従するような
コアなファンが増えていくような気がします。
次回の公演もすでに決まっているようで、とても楽しみです。
満足度★★★★
重なる世界に見えるもの
どこか断片的に表現されているいくつかの世界を追いかけていると、
ふっとひとつにまとまった世界がみえてくる。
なにか魔法にかかったように
わくわくと
その世界を旅してしまいました。
ネタバレBOX
最初はちょっと迷路をあるいているような気がします。
おばあさんが亡くなった後、その場所に暮らし始める姉妹の世界。
その猫や動物たちのこの世とあの世の世界。
ちょっと危ない匂いを感じるお隣さんの世界
そして時間を縦に貫くような教授の世界・・・。
個々の世界にそれほどの密度があるわけではないのです。
油絵ではなくパステル画のような感触。
でもラフな表現の感覚が
観る側にとってとても近くにある生活感と
この世のものでないなにかを
違和感なく一つの世界に同居させていきます。
それらの世界をつないでいくエピソードも
どこかラフ。この世とあの世の扉もあけっぱなし。
でも、それらのごった煮が
とてもすっきりとした居心地のよさを作り出していく。
なにか理屈ではない心の安らぎや
温かさがこのお芝居にはあるのです。
よしんばカリカリした雰囲気が舞台を満たしても
それはポタージュスープのクルトンのようなもの。
役者たちのお芝居からやってくる深い味わいや
時間をまたぐあたたかでちょっとビターなエピソードに心を動かされて。
常ならぬ世界のかけ金をさらっとはずす北村ワールド。
たっぷりと楽しむことができました。
満足度★★★★
情に囚われず強く淡々と
吉村昭氏の原作どおりの芝居にもかかわらず、
降りてきた印象にはまったく別の色が宿って・・・。
演者のしなやかな強さが印象に残りました。
ネタバレBOX
原作を読んだのはもうずいぶん昔のことなのですが、
観劇前から内容はそれなりに記憶に残っていました。
突然の病死、そして躯を献体という名目で親に売られる。
さらには、遺骨の受け取りすら、母親に拒絶されて・・・。
諏訪友紀はほぼ原作どおりに
物語を演じていきます。
そのお芝居には、
粗い質感もあるのですが、
その粗さこそが
鋭角な感情を
やわらかく擦り込むように観る側に伝えていく力になって、
吉村昭が綴った言葉を、紙の上ではなく、
舞台上にあるもののぬくもりとして
膨らませていきます。
シーンごとにその少女の思いが
ひとひらずつ観る側の感覚に重なっていく。
その重なりが、文字から伝わってくるものよりも
ずっと細密でやわらかく淡くて深いのです。
諏訪の演技が持つ奥行きが
それらを崩したり散らせることなく
観る側に積み上げていく。
即興演奏も効果的。
直感的な感覚の描写を音にゆだねることで、
演者の台詞から不要なデフォルメが消されて・・・。
少女に去来するそのままの感覚で、
言葉が舞台から観る側に染みとおっていきます。
肉体を切り取らるたびの喪失感、骨格標本との時間の比較・・・。
その積みあがりが行き場のない時間の長さとなり
観る側を押し込んでいく。
物語が進むごとに
透明な閉塞感が粒子のようにつもって
行き詰まるような鈍さをもった痛みとなっていく。
それらを全て燃やし尽くすような荼毘の刹那には
ある種の高揚感に満たされてとても美しかったです。
舞台美術や照明も秀逸でしたが
その身が燃え尽きることによって
解き放たれる感覚が圧倒的で・・・・。
そして、その先、死の世界にまで冷えていく感覚にも
ぞくっとしました。
静寂であるはずの死に訪れた喧騒も
透き通ったまがまがしさをもって
観る側の心を凍らせたことでした。
このお芝居。、さらに育っていく余白も感じられて・・。
ここが頂点ということではなく
もっと磨き上げられていくお芝居なのだとは
思います。
間の取り方や想いの出し入れの変化でいろんなニュアンスが
さらに強い光を放ちそうな気もするし・・・。
純白の仮面(少女の独白と第三者の会話を切り分けるために使用)はないほうが(落語のように上下を切る仕草だけのほうが)より強いインパクトを観る側に与えるのではとも思ったり・・。
充分に浸潤されつつ、さらなる可能性を感じた舞台でありました。
満足度★★★★
観る側の時間を失わせる力
物理的に考えると
一人芝居としてはやや長めの上演時間だったはず・・・。
しかし、冒頭から挑まれ引き込まれ
時間の概念なんてどこかに飛んでいってしまいました。
ネタバレBOX
冒頭のダンスのシーンから
取り込まれてしまいました。
流れがひたひたとやってくる。
大爆笑したり腹を捩ったりと
あからさまに声に出るような笑いではないのですが、
独特のウィットが舞台に満ちてきて
観ている側が、なすすべもなくどんどんその世界にうずめられていきます。
前回同様個々のシーンが独自の完成度を持っていて。
シーンたちのルーズな束ね方も絶妙。
全体を通しての流れのようなものはあるのですが、
観る側はその流れに頼って舞台と対峙しているわけではなく
あくまでもその刹那に現れるものを受け取って
結局舞台側の世界に閉じ込められてしまう。
で、その空気の中に
気配すらなく突然見る側の守備範囲を超えるような
センスが現出するのです。
違和感を感じたり身を引いたりすることすらできないような感覚が
光臨してすっと観る側をすり抜ける。
それこそセキセイインコにあれよあれよと蹂躙され
縄文時代になすすべもなく踏み潰されてしまうのです。
でも、不思議なことに、
蹂躙され踏み潰されることによって
観る側の目が開く。
そうして初めて見える作り手の世界の広がりがあって。
何かを越えてあふれてくるような感覚がやってきて、
その驚きにますます目を見開いてしまう。
それが、彼が表現の中で本当に見る側に渡そうとした感覚なのかは
わかりません。
彼が伝えようとした感覚は、
実はもっと先を行っているような気もする。
でも、すくなくとも、作り手が
見る側の視点にあわせるのではなく
妥協をせずに彼の感覚で挑んでくることで
何かが突き抜けて、解き放たれていくのです。
もちろん観客にとっては
役者に豊かな想いを正確に舞台に落とし込んでもらって
見える物もたくさんあるのでしょうけれど、
逆に観客に対して挑むように表現をしてもらわないと
見えない世界もあるのだとおもう。
よしんば、観客が作り手の感覚にぶっちぎられたとしても
観客にはなにかが伝わり広がっていく。
すべてではないけれど、作り手が観客に与えるのではなく、
勇気を持って挑んでくれることによって
見えるものってあるように思うのです。
そういう演技に接して、
前のめりになった瞬間に
観る側の時間の感覚などどこかへすっとんでしまう。
★が一つ少ないのは、今回でフルマークにしてしまうと
彼がもつ世界の広がりに対して失礼に思えたから。
もちろん、一度のパフォーマンスで表現できるものとしては
今回はいっぱいいっぱいだったのだろうし
観ている側もおなかいっぱいに満足はしたのですが、
今後の継続のなかで
もっと、観る側の目を見開かせてくださるようにとの
お願いの意味をこめて・・・。
満足度★★★★★
圧倒的な面白さ
べたな言い方ですが
本当に面白かったです
巧みな導入部分に惹きこまれ
その空間に閉じ込められて・・・。
ほんと、もう、観る側をがっつりと凌駕する物語の展開に
我を忘れて見入ってしまいました。
ネタバレBOX
導入の部分がまず秀逸。
連作の推理小説の最新刊、
読みふける読者たちにメッセージがはさみこまれていて。
一度でも時間を忘れて物語を追ったことがあれば
その気持が本当によくわかる。
舞台の導入部にしなやかに間口が開かれて違和感がないのです。
集められた読者たち、
ゲームのルールが明らかになっていくときのわくわく感に始まって、
そのゲームと現実のリンクの緻密さ、
さらに物語が現実を食べ始めるような緊張感が
観る者をぐいぐいと釘づけにしていきます。
ベストセラーの推理小説という前提が鮮やかに具現化されて、
当日パンフの言葉に偽りなし、
気がつけば観客が「この、ストーリーから、逃げることは、許されない・・・」
状態になっている。
観客に配られた地図、緻密で流動的で有無を言わせない物語展開、
閉塞したその場所に凝縮される、街全体に広がった恐怖。
ルールは必ず守るという部分が底辺をかため
限られた外枠の時間と、移動の距離や所要時間のリアリティが
物語に捉われた観る側のグルーブ感を
したたかに膨らませていく。
しかも、それだけでも出色の展開なのに、
物語が現実を食べつくしても舞台は終わらないのです。
さらに突き抜けて、走る中で観客に生まれた物語の澱までも
見事に一掃してしまいます。
ほんと、最後まで妥協なく突っ張りぬいてくれる。
終わりの世界観がじわっと観る側を包み込んで・・・。
役者たちも本当によくて、個々のキャラクターが
強く深く観る側に伝わってきます。
それぞれの色が観客に体感的に見えることで
物語の展開から淀みが消えていく。
しかも、舞台にグルーブ感が醸しだされても、
いたずらに走らせることなく
その感覚を広げていく着実さがあって、
だから、観る側は最後まで物語に寄り添っていける。
観終わって、走り抜けたような感覚に満たされて。
極上の推理小説を一気に読み上げて、
すべてが腑に落ちたような満足感。
なかなかこんな舞台に巡り合えるものではありません。
ちょいと奇跡のような、極上のエンタティメントに巡り合った感じ。
がっつりと楽しませていただきました。
満足度★★★
全体として伝わってくる空気
ばらばらに見えるいくつものイメージが
その街の
雑然とした空気を現出させていました。
ただ、寄りかかる場所がない舞台空間というか、
観る側が居場所を見つけるのが難しい感じがしました。
ネタバレBOX
インスタレーションというのでしょうか、
劇場全体が雑然としたイメージの中・・・。
まるで美術作品のなかに取り込まれたような
感じがします。
よしんば他の惑星から人が集まったとしても
(この会話はとてもおもしろかった)
その中に流れる時間は
ある意味とてもリアルな渋谷の風景だとは
思うのです。
作り手が受け止めた街のイメージが
シーンに織り込まれ
会話となったり、イメージとなったりしていく。
多分、その街は多重人格で
それゆえ、舞台全体が
心に病を持つ人が、
夕方から朝までに眺める景色の連続にもみえて。
妄想と出口を失ったような閉塞感が
街が持つ高揚や倦怠、さらには狂気と重なる・・・。
ただ、舞台からその色が見えても、
観る側をその空気に取り込んでいく力が
今ひとつ感じられないのです。
観る側が客観的に眺めるだけというか・・・。
繰り返しとその中でのコンテンツの変化で
街に取り込まれた人々の
景色は伝わってくるのですが
それを眺める観客の場所が
内側に入っていかないのです。
作り手には感覚を具象化する豊かなセンスがあったし
役者たちのお芝居も安定していて
退屈をするということはなかったですけれど・・。
その感覚を観客の内側に留める
ピンが抜け落ちているような気がする。
なにか、すっと流れていってしまう
舞台でありました。
満足度★★★★
笑いの間口の広さ
物語がしっかりあって
曲がりなりにもその中に
笑いがおりこまれていて・・・
好き嫌いはあるのかもしれませんが、
さまざまなバリエーションの生きた笑いが
生まれていました。
作り手の志が感じられる舞台でもありました。
ネタバレBOX
主人公の生い立ちからはじまって
笑いを離れまた取り戻すまでの話。
そこに天上の世界の神様の確執の話が重なって
物語が流れていきます。
物語のテーマが笑いに絡んでいるので
細かく丁寧にストーリーをくみ上げようとすると
よりたくさんの笑いが必要になる。
そのために、さまざまなタイプの笑いが
舞台に編み込まれていきます。
その間口が広いのですよ。
単純にナンセンスなものから
物語としてのコミカルさまで・・・。
下ネタも盛りだくさん・・・。
その下ネタにもバリエーションがあって
単純に尻を見せるお子様向け(?)のものから、
観客ではなくむしろ女優にいけないものを見せて
そのどんびきさを供するものまで・・・。
高度な大人の下ネタもたくさんあって・・・。
しかも、ギャグによっては
吉本も真っ青になるほどの切れがある・・。
おっぱいとティッシュで作る笑いなど
がきデカのような突っ込みの鋭さとスピード感があって・・・。
観る側は笑いながらもとにかく物語を追うことに飽きない・・・。
笑いが物語の表現手段という枠に
ちゃんと収められているのです。
こういう感じ、私は大好きです。
きっとこの劇団は同じ力量で
いろんなものを見せてくれる気がするのです。
今回の充実に加えて
期待もいっぱいに感じさせてくれる作品でありました。
満足度★★★★
滅失していく感覚とその先
ブログなどとも連携した作品、
姉妹作品ともいえる「夜の口笛」までが
呑みこまれてしまって・・・。
その滅失感と
醒めることへの戸惑いのような感覚が
こころをゆっくりと満たしてくれました
ネタバレBOX
物語の構造が見えるまでは
個々のシーンが持つテイストを
一つずつ味わっていくような感じ。
あらかじめ連携するブログを読んでから観劇したので
舞台上の展開にもそれほど違和感はなく
改めて読み上げられる日記の世界と、
舞台上に起こることが
少しずつ混ざり合って、色を成していく。
でも、舞台上で日記が読み進まれ
さらには物語が留守番をしている女性の日々から
その家の場所の貸主の生活に
呑みこまれるにつれ
見える世界が多層化しやってくる感覚から
瑞々しさが失われ
感じられる色がグレースケールに
変換されていきます。
あらわれるものはいずれも示唆に富むのですが、
けれども、観る側を物語に束縛ような強さはない。
生演奏に彩られながら
やがて滅失していく舞台は
一方で物語る人の覚醒のようにも思えて・・。
それは夏の香りが消えるころから
冬の気配が始まるころまでの記憶と妄想の端境が
混濁して色を失い消えていく感覚なのかも。
すごくクリアな舞台には
重さのない実存感があって。
時間には歩みがあって
でも足跡はどこか揺らいでいて・・・。
日記を書く女性とその世界で部屋を預けた女性。
それらの世界を日記に内包した一人の女性、
さらにその女性の世界を見つめる観客にまで
空間が至ったときに
ふっと世界に風が通って・・・
しばらくしてから
その多重構造の感覚が自分の世界に翻って
浮遊感のようなものが降りてきました。
自分のなかにある
想像とか妄想の世界と
現実とよばれる世界のボーダーの
存在感とあいまいさ
そしてそんな自らを表すことに含まれる虚実。
帰宅して時間がたつほどに
あるいはそのブログを読み返す中で
想いが広がっていきます。
軽いのに、すっと霧散していかないなにかの存在が
少しずつ色濃くなっていく。
作り手の表現のしたたかさに舌を巻いたことでした。
満足度★★★★
いくつもの刹那に輝きがあるが・・・
関西の劇団がもつ良さがあって
しかも内藤演出ということもあり
いくつものシーンに
ただで済まさずに一歩踏み込んだような笑いがありました。
物語としてもよくまとまっていたと思います。
ただし、この戯曲が持つ力を十分に発揮していたかといわれると
多少疑問が残りました。
ネタバレBOX
決して悪い出来ではなかったと思います。
一人ずつの役者に大きな舞台を維持する力があり
演技もしっかりと安定していました。
エjキストラを演じる役者たちの一人ずつに
お芝居の強さがあるし、
カメラウーマンの存在感もある。
女優役の二人には女優足らしめる説得力があり
さすがの演技。
撮影スタッフのそれぞれに、
事情や思いがあるのが
とてもスムーズに伝わってくる。
だから見ていて飽きることはないのです。
また、乱闘とはいかないでも混沌としたシーンの作り方や
ギャクの切れもすごくよくて・・・。
それぞれの場所で笑いをしっかり回収している・・・。
それも役者の腕のなせる業かと思います。
でも、内藤演出の魅力が本当に生かされていたかというと
そうは思えないのです。
ひとりずつの演技が機能しても、
シーンとしての突き抜け方や懸り方が十分でなく
戯曲に含まれる本来のテイストを十分に
生かし切れていないように感じました。
女優と助監督の恋にしても、それぞれのお芝居が全うであるにもかかわらず、
お互いの歩み寄りや反発が全体のお芝居から完全には抜け出てこない。
エキストラの思いにしていも、表現されてはいるのですが
それが舞台に色を与えきっていないというか・・・。
納得はするし、納得をさせるだけのお芝居はできている・・。
だけど、この戯曲の本当のパワーを呼び覚ますためには
そこからさらに突き抜けるような役者たちの貫くような粘り腰が必要だと思うのです。
もっと汚くてもまだらでもよいので、
見る側を染めてしまうようなお芝居の力がほしいところ。
そこがないから、装置を崩すほどの乱闘をしているにもかかわらず
この戯曲が内包しているであろう突き抜けるようなパワーが
しっかりと燃え尽きない・・・。
こっけいでおかしくても、そこから生まれてくるはずのペーソスが
十分含まれていないから
騒ぎ自体がとても軽い感じがしてしまうのです。
たとえば槍を振り回し突き刺したというカン違いからくる
周りの放心などもっと強くてもよい。
でも強さを作るのは、その刹那のお芝居だけではなくて
それまで観客に積み重ねたものの総和であって・・・。
最後の雪は本当にきれいで、
舞台スタッフの勝利でもあるのでしょうけれど、
それが見栄えだけではなく、
観客の内側に膨らんだ物語を飾るためには
きれいなお芝居に加えた
さらなる密度で個々のキャラクターをあぶりだす力が
求められているのだと思います。
満足度★★★★
実は自然な感覚
人物の描き方がとてもしっかりしていて、
核心が無駄なく豊かに捉えられています。
そのパーツで築かれた世界が
自然な重さで降りてくる
観ていてそのままに引きこまれてしまいました。
ネタバレBOX
要所がしっかりとしているお芝居で、
よしんば多重構造的な部分があっても
すっと観る側に負荷なく伝わってきます。
登場人物がうまくパターン化されているので
風通しがすごくよいのです。
視点がキチンと固定されていていることが
物語をしっかりと安定させていていたように思います。
小説の登場人物というフィルターが効いていて
その喫茶店で時をすごす女性たちが、
作り手が自然体で見えている感覚で
描かれている。
だから、終盤、観客が物語を俯瞰する場面、
とても、ナチュラルに
作り手が表現しようとする感覚が
受け渡されてくるのです。
それぞれの役者たちが自らの役割を
豊かに演じきっていて・・・。
人物の背景がよく見えなくても
薄っぺらくなっていない・・・。
歌やダンスなども、気持ちよく決まって
感覚にふくらみが生まれて・・・。
観終わって、その質感を自然に羽織らせてもらったような感覚が、
とても印象的でした。
満足度★★★★
荒っぽくリアル
あまり見やすくとかよく伝わるようにとかいう配慮は感じられないのですが、伝わってくる物の生々しさはすごい。
清濁まとめてどんどん流れこんできて・・・。
作り手から溢れてくる感覚に押し流されてしまいました。
ネタバレBOX
観る側がけっこう大変で、
いくつものエピソードが舞台のあちこちから三つ編のように織り合わされてていきます。
常に視野を広く持っていないと・・・。
たとえば下手側の物語に集中しているうちに上手側でしらっと別の物語が進んでいたりする・・・。
でも、それは、時間軸ということからすると超リアル。時間軸がそんなに緻密に作られているわけではないのですが、同じ時間に起こっているという表現としては生々しい。
で、ずっと見ているうちに、観ている側が注視していないようなもの、なんというかぼんやりと目にしていたものまでがボディブローのように効いてくるのです。
実は15年目の時効という設定がすごくしたたかで、そのラインを超えるという意識が、キャラクターですらよく見えなかったものを浮かび上がらせる。一旦浮かび上がったその感覚を観る側に押しつける絵の描き方を、作り手側はがっつり熟知していて、物語の整理も荒っぽいままでばんばんとエピソードを重ねていく。これが、観る側を確実に押し込んで行きます。
終盤に向かって観る側にやってくる水の感覚や油の感覚がどんどん生々しくなっていくのです。
寺井と青山が舞台の屋台骨をしっかりと背負い切ったことで、他の役者のお芝居が観る側をしっかりと侵食してくる。
女装や水槽、朝食の天ぷら・・・。それらのものが奇異に思えなくなってくる。
いろんなものが飛び散る舞台ではありましたが、決して散漫ではなく、それどころか終わってみれば作者の思いががっつりと観る側を生き埋めにしておりました。
正直いうと、前回公演ほどではないにせよ、なんともいえない嫌悪感がのこる・・・。残るのですが、次の公演があればほぼ間違いなく観に行く。
なんなのでしょうね・・・。しいて言えば角田ルミだからこそ持ちうる視点に惹かれてしまっているのかもしれません。でも惹かれている自分がちょっぴり恐ろしくも思えてしまうのです。
満足度★★★★
微妙なずれの作り方
ちょっと見過ごしてしまいそうな、常ならぬ微妙なずれや感覚が
繊細にのしのしと伝わってきます。
感性を静かに寝かせて
その上澄みを供するような時間。
なにか自然に見入ってしまいました。
ネタバレBOX
ただの思いつきをそのままに演じているように見えて
実は事象にある種のバイアスが
細かくかかっているような・・・・。
あるいは、ちょっとずらした事象が
時間のスパイスになっているような。
舞台というかその空間上微かな浸透圧がうまれ
見る側の時間にほんの少しの色を付けていく感じ。
前半の戦いのしぐさのシークエンスは
後半に素敵に広がる。
きゅうりで計られる休憩の時間も、
そう刻まれるとちょっと楽しい。
とある国の歌・・・。
見る側が意識をするほど重くなくて
しかも心地よい・・。
説教という名前の感覚を作り出すゲーム、
質問という形式でちょいと絞り出す虚実のボーダーのような感覚。
一時間にも満たない公演なのですが、
常ならぬひとときにすっと染められて。
「骨のない男」同様に、
何かひかれてしまうのです。
こちらはお試し
満足度★★★★
ポップアートを観るような
とても自由でポップ。
一つずつのシーンに
たくさんの発想が織り込まれていて・・・。
心地よい緊張感もあり
観ていてころっとはまってしまいました。
ネタバレBOX
早めに着いて席に迷う・・・。
かなり変則的な客席の配置。
暗転はおろか照明の変化もあまり感じられない構成なのですが、
シーンの区切りのようなものはきちんとあって・・。
で、個々のシーンにいろんな発想がつまっている。
それらの一つずつがすごくヴィヴィッドなのです。
繊細さがあって、ウィットに満ちていて
でもなにかから解き放たれていて・・・。
ダンス風の動きの美しさがあったり
ちょっといじわるな雰囲気が醸し出されたり
いつのまにか仲良しだったり・・・。
秀逸なポップアートを目にしたときの
うふっとなるような楽しさが時間を満たしていく。
洒脱な感覚に裏打ちされた遊び心の裏には、
演じることへの緊張が感じられて、
くっきりと締まった感じも心地よく・・・。
得体の知れないものもでてくるし
そもそも、骨がないという発想も
じわっとシュールなのですが
その味がまたちょっぴりスパイシーで
楽しかったりする。
なんか、終演のころには
ルデコを満たした空気に
すっかり浸っておりました。
このセンス、凄く良いです。
ちょっとした時間がすごくヴィヴィッドに思えて。
お試しの方も観たくなるほど・・・。
癖になります。
満足度★★★★
観ていて楽しい
シーンが小気味よく展開していく中で
歴史がコミカルに見えてくる。
落語の言いたてのように
通過していく歴史にわくわくして、あるいは笑って
最後にちょいときゅんとなりました。
ネタバレBOX
音楽があるお芝居って
広がりがあります。
ピアノ目線での歴史というのも
なかなか斬新で・・・。
良くできたお話で
ピアノの渡り歩き方ひとつにしてもセンスを感じる。
ヒットラーからチャップリンにつながっていくあたりに
思わずにやりとなりました。
内山や帯金のお芝居にしっかりとした切れがあって
観ていてもたれないのがなによりもよい。
実は難しいお芝居だと思うのです。
たとえばピアノの音が一つ外れただけでも
お芝居の力ががくっと落ちてしまうような側面があって。
また、人間の天使と悪魔の部分のバランスでも
印象ががらっとかわってしまう気もするし・・・。
正直言うと、
もっと上の精度はあるとおもうのです。
それでも、今回は
大健闘のクオリティだったと思います。
満足度★★★★
貫きうる積み重ね
「王国」は淡々としたシーンの積み重ねに油断をしているうちに
常ならぬ世界に惹きこまれる・・。
「11月・・・」はとても完成度の高い作品。
松枝作劇が見事に機能して、
がっちりボディを作り上げ
物語を貫き通しておりました。
ネタバレBOX
べたな言い方ですが、
2作それぞれに
観る側をしっかりと捉える魅力がありました。
*王国
高校生の戯曲といわれても俄かには信じがたかったです。
冒頭の学生運動の捉え方は、
やや偏った概念に縛られている感があるのですが、
個人の世界に物語の重心がが移りはじめると、
観る側を引きずり込むような力が舞台上に生まれて
すとんと引きこまれてしまいます。
主人公の世界がしっかり見えるところまで
したたかに連れていかれ、
冷徹にその世界を俯瞰させられる。
物語の終盤には
ぞくっとするほどの醒めた視点が
内包されていて
それも衝撃的でした。
初日ということでしょうか、
台詞のやりとりや重ね方のタイミングなどには
いくつか気になるところもありましたが、
青木と野口が手練の演技で物語の枠をしっかり作りこんでいくので、
よしんば台詞が早く出たとしても
舞台の空気にぶれがない。
16歳の役者二人にも末恐ろしいほどの存在感があり、
観る側が斟酌なく
真剣勝負で舞台からやってくるものを
受け止めることができて。
がっつりと見入ってしまいました。
*11月戦争とその後の6ヶ月
松枝作劇の緻密さと切れが良いほうにしっかりと機能して、
物語に透明感を持ったふくらみが生まれていました。
シーン毎にはっきりとした色が醸成されていて、
舞台のニュアンスが明確に観る側につたわってくる。
そのなかで、物語を単調にしないための、
ウィットや危さが生きていることにも感心しました。
安定した密度が作られているので、
遊び心が物語を育てることができる。
さらには物語の流れにリズムが生まれ
観る側が心地よく運ばれていくことができるのです。
また、この劇団はシーンのつなぎ方がきれい。
ルデコの5Fはこう使うのだというお手本に思えるほど。
個々のシーンの余韻を絶妙にコントロールしながら
次のシーンにつないでいくやり方に
舞台が強く満ちていく。
緻密にデザインされた場面たちが
失速することなくラストのシーンを昇華させる力へと重なって。
終末観の切なさを凌駕するように貫かれていく台詞が、
べたなのにびっくりするほど美しい。
すっと昇華していくような感覚がうまれておりました。
役者も安定していて・・・。
鈴木信二は、艶のある役者さんで、
それゆえ物語の設定に説得力が生まれていたし、
薄っぺらくならないだけの懐の深さも持ち合わせていて。
安川に加えて峯尾や井川が
シーンの枠のなかで何かを伝えるだけでなく
シーンを育てるような芝居が出来ているのも大きい。
要所で物語を動かしていく斎藤の演技にも
観客が身をゆだねるに足りる安心感がありました。
2作とも、
この先さらに育っていく部分があるとおもいます。
でも、初日の段階でも、
休憩をはさんで3時間弱の公演が
あっという間に感じられたことでした。
満足度★★★★
時代を翻訳するセンス
戯曲のもつエッセンスを
観客側でなく舞台側でみごとに時代変換して。
結末が腑におちるというか、
戯曲の世界をしっかりと見る側に納得させる力を持った
舞台でした。
ネタバレBOX
岸田戯曲に加えて
いくつかのカンパニーによるシーンがさしこまれていることが
開演前に案内されて・・・。
そりゃ動員とか出兵など
今の日本にはない感覚ですから、
まともにやれば
どうしても歴史の教科書を読んでいるような
古臭さが出てしまう。
しかし、舞台となる家庭の雰囲気を
今の質感であらわしてもらえると
戯曲の本質となる感覚がとてもナチュラルに
伝わってくるのです。
国という存在もうまく戯画化されていて、
鯱鉾ばった時代の鎧がはずされることで
今の肌合いで出来事を感じられるようになって。
身近な生活の感覚の中での
出兵のインパクトが絵空事ではなく
やってくる。
出征にたいする馬丁の揺らぎや
女房の息苦しいほどの愛情が
平成の目線でがっつりと感じられるのです。
ウィットもたっぷりあって
楽しみながら観ているうちに
戯曲のコンテンツがふかく心に伝わってくる。
客いじりもうまく機能していて。
洒脱さにもひかれ
作り手のセンスにとりこまれ
時間を忘れて見入ってしまいました。
満足度★★★★★
心風景を伝えるイマジネーション
イメージを作り上げ伝えるための
作り手の手練に呑みこまれてしまいました。
観る側の感じる心が悲鳴をあげるほどの
表現の強さがあったかと思うと、
包容力と粘度のある表現がやってくる。
痛みを伴う作品ですが・・・・・・、美しかったです。
ネタバレBOX
この戯曲、
少し前にDull-Colored Popが上演したのを観ていて
そのときには、徹底的に打ちのめされたのですが
(谷賢一氏の演出力もすごかった)
今回は、戯曲の構造が少しはわかっていたので
やってくるものをじっくり見つめることができました。
「4.48 サイコシス」という戯曲自体が
どのように書かれているのかは知りませんが、
シーンがあって、その中で表現すべき物語があることは
間違いないらしい。
どう表現するかは
演出家の裁量に委ねられているのでしょうけれど。
冒頭のボクシング、
戦う自分、励まし、折れる自分・・・。
人間関係のこと、うまくコントロールできないこと。
不安、脈絡のなさ。
主人公の心に浮かぶもの奇異さと鮮やかさ。
観る側は出口のない森に迷い込んだような気持ちになって。
音、過敏になったように聞こえてくる音。
言葉、鎖を外されてさまよっているイメージ。
リアリティを持った狂気の果てに
その時間がやってくる。
バランスが比較的保たれた時間の微妙な不安定さは
薬によってコントロールされているのかもしれません。
その、冗長でどこか慰安に欠けた時間が
じりじりと観るものを浸蝕していく。
7をひくのはシンプルかつ明快で、残酷なテスト。
並んだ様々な意識が数字を刻んでいくシーンのコミカルさに
コアにある意識の自虐的なウィットが伝わってくる。
医師の言葉、統合されないつぶやき、つぶやき、つぶやき
機能しない電話、恐れ、リストカット、血の慰安、甘い死への誘い。
恐怖と慰安の混在した不思議ないごごちに浸潤されるなか、凄くクリアな画質で目の前に広がる。言葉がその空気を導くのではなく、導かれた空気のなかに言葉がちりばめられ、すごく澄んでいるのにどこかぼやけた風景に、いらだちが混ざる。
それらが、軋みを伴いながら一つのモラルに再び縛られていく姿も
圧巻でした。モラルが荒っぽくがしがしと積み上げられていく中で、詠唱とも祈りとも聞こえる声が心を揺さぶる。
狂気のぬくもりから抜け出すような高揚が生まれ、でも、正気だからこそ見える行き場のなさがあって。
心が肉体のなかに取り込まれていくようなラストシーン、そしてその場所がステージであることを観客に示す終幕に愕然。観る側の心に浮かんだものの主観と客観が逆転するような、あるいは観客がその世界からサルベージされるような終幕に、ただただ息をのみました。
この秋に観たふたつのサイコシス、胸を突き刺すように作者の風景が伝わってくるDull-Colored Popヴァージョン、深く刷りこまれるように広がっていく飴屋ヴァージョン。お芝居というのは戯曲を受け取って育てる演出家のイマジネーションの賜物であることを、あらためて思ったり。
観る者にとっては、どちらも印象に深く、またふたつの作品がそれぞれを浮かび上がらせることも、とても興味深かったです。
満足度★★★★
あひるはあひる
A面、
されど、あひるを満喫。
さすがに、手練の3人、
その世界に
気持ちよく運ばれてしまいました
ネタバレBOX
実はすごく緻密なことをやっているのだろうと思います。
一つずつの台詞のタイミングや
物語のドミノの掛り方、
いろんなテンションが重なり合って描き出される
一つの空間のアラベスクが
不思議なゆるさを醸し出していきます。
のせられてしまう感覚、
すごくしたたかに導かれる感じ。
舞台上で時間に追われながらやっている作業の目的が
具体的に語られることなどなく、
でも、そのことへのその焦り感や、緊張感の違い、
さらには、個々ら抽出される色に
絶妙に染まる全体。
こう、上質な素材を贅沢にぶちこんで
ことこと煮込まれたスープを
至福の想いとともにあじわった感じ。
すごくデリケートな間が
小気味よく決まっていくので
ありえないような展開が
味わいの深さにかわっていく。
舞台上の役者がすごく気持ちよさそうに
演じている見えるのですよ。
そこまでに舞台上に醸し出される空気が
スムーズ。
人数をもっとかけて
大きな広がりを作る舞台もよかったけれど
3人芝居でのあひるには
ちょいと至芸の趣もあって・・・。
この感じ、
飽きることがありません。
満足度★★★★★
立ちすくむような
じわっと見えてくる物語の構造の中で、
なすがままになっていくような
逃げられない感覚にとらわれて・・・。
ある種の美学に取り込まれて
目が閉じられず、
息を殺して見続けてしまいました。
ネタバレBOX
舞台のトーンに織り込まれるように
次第に物語の設定が明らかになっていきます。
妙に納得できるというか、
受容しうる設定のなかで、
次第に状況が観る者の感覚をくわえ込んでいく前半。
違和感はあるのですが、
そういう感じがありだと思えてしまう
不思議なナチュラル感が舞台にあって。
役者たちの緻密な間の作り方や仕草の積み重ねに
観る側がその世界に取り込まれてしまう。
で、登場人物たちがため込んでいる
滓のような、何かを蝕んでいくような感覚までが
爪の間から伝わるように沁み込んでくるのです。
その感覚が、
雫一粒でコップの水が溢れるがごとく
堰を切って流れだす・・・。
愕然とするくらいに淡々と
刺殺のイメージや
自刃のシーンがやってくる。
そこから、まるで魔物の鎖が外れたように
キャラクターの深層に醸し出された
欲望のなすがままに
物語は進んでいきます。
何かが崩れたあと、
陥没が次々に周りの家を飲み込んでいくような感じ。
役者たちの瞬き半分くらいの絶妙な間が
蟻地獄に落ちていく感覚にしなやかさを織り込んで・・・。
ブランクの舞台にリアリティをもった狂気の気配が流れる時間。
ナチュラルに部屋に差し込む光を見ながら、
手首から流れ出した血をそのままにしておくような、
なすがままに堕ちて染まっていく
逃げ出せない諦観を含んだ感覚がやってくる。
しかも、それだけではすまず
観客は
さらに底がもう一段割れたような
声を立ててしまうような鮮やかなエンディングに
息をのむことになるのです。
観終わって一呼吸おいて、
ハマカワフミエからやってきた
深くてどす黒く澄み切った質感に
ぞくっとする。
それにしても、なんなのだろう・・・、
明らかに何かが外れてしまった世界なのに、
物語の流れを受け入れてしまう自分。
甘い毒を舐めて、蝕まれていく感覚に
抗わず身を任せるような、怠惰な嫌悪感。
蠱惑感に苛まれる自分には
否定する感情が降りてくるのですが
でも、自分をその場から動かさない
未必の故意のようなものも生まれて。
とても笑えないようなひどい話だとも思うのに、
なぜかすらっと笑えてしまう部分すら
いくつもあって・・・。
映像作家を「すらっ」とその家に受け入れてしまうみたいなシーンが
前半にありましたが
その感覚って物語を受け入れる自分にもあるのです。
好みが分かれる作品なのかもしれませんが
少なくとも私は、
作り手側の魔力に囚われてしまったみたいです。
何気に私をその世界に絡めとり幽閉した
マキタ作劇・演出の美学のようなものと
それを具現化させた役者達の力に
鳥肌立つような想いがしたことでした。