孤天 第二回「ボクダンス」 公演情報 コマツ企画「孤天 第二回「ボクダンス」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    観る側の時間を失わせる力
    物理的に考えると
    一人芝居としてはやや長めの上演時間だったはず・・・。

    しかし、冒頭から挑まれ引き込まれ
    時間の概念なんてどこかに飛んでいってしまいました。

    ネタバレBOX

    冒頭のダンスのシーンから
    取り込まれてしまいました。
    流れがひたひたとやってくる。
    大爆笑したり腹を捩ったりと
    あからさまに声に出るような笑いではないのですが、
    独特のウィットが舞台に満ちてきて
    観ている側が、なすすべもなくどんどんその世界にうずめられていきます。

    前回同様個々のシーンが独自の完成度を持っていて。
    シーンたちのルーズな束ね方も絶妙。
    全体を通しての流れのようなものはあるのですが、
    観る側はその流れに頼って舞台と対峙しているわけではなく
    あくまでもその刹那に現れるものを受け取って
    結局舞台側の世界に閉じ込められてしまう。

    で、その空気の中に
    気配すらなく突然見る側の守備範囲を超えるような
    センスが現出するのです。
    違和感を感じたり身を引いたりすることすらできないような感覚が
    光臨してすっと観る側をすり抜ける。

    それこそセキセイインコにあれよあれよと蹂躙され
    縄文時代になすすべもなく踏み潰されてしまうのです。

    でも、不思議なことに、
    蹂躙され踏み潰されることによって
    観る側の目が開く。
    そうして初めて見える作り手の世界の広がりがあって。
    何かを越えてあふれてくるような感覚がやってきて、
    その驚きにますます目を見開いてしまう。

    それが、彼が表現の中で本当に見る側に渡そうとした感覚なのかは
    わかりません。
    彼が伝えようとした感覚は、
    実はもっと先を行っているような気もする。

    でも、すくなくとも、作り手が
    見る側の視点にあわせるのではなく
    妥協をせずに彼の感覚で挑んでくることで
    何かが突き抜けて、解き放たれていくのです。

    もちろん観客にとっては
    役者に豊かな想いを正確に舞台に落とし込んでもらって
    見える物もたくさんあるのでしょうけれど、
    逆に観客に対して挑むように表現をしてもらわないと
    見えない世界もあるのだとおもう。

    よしんば、観客が作り手の感覚にぶっちぎられたとしても
    観客にはなにかが伝わり広がっていく。
    すべてではないけれど、作り手が観客に与えるのではなく、
    勇気を持って挑んでくれることによって
    見えるものってあるように思うのです。

    そういう演技に接して、
    前のめりになった瞬間に
    観る側の時間の感覚などどこかへすっとんでしまう。

    ★が一つ少ないのは、今回でフルマークにしてしまうと
    彼がもつ世界の広がりに対して失礼に思えたから。
    もちろん、一度のパフォーマンスで表現できるものとしては
    今回はいっぱいいっぱいだったのだろうし
    観ている側もおなかいっぱいに満足はしたのですが、
    今後の継続のなかで
    もっと、観る側の目を見開かせてくださるようにとの
    お願いの意味をこめて・・・。






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    2009/12/05 11:57

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