満足度★★★★★
結末まで引き付けられて
ファンタジーの世界の密度が
そのまま物語の深さにつながっていきました。
物語の移ろいが具象化するものに、
ひたすら心を奪われて、
息を詰めるように見入ってしまいました。
ネタバレBOX
冒頭のフェアリーテールのサマリー、
さくさくと物語の大枠が示されて・・・・。
とても歯切れのよい物語の語り口に
まず引き込まれます。
そして、冒険が始まる。
童話的な高揚感とお気楽感がきっちりと作られていく。
でもそこに童話の世界とかかわりのない少年が現れて。
少しずつ、物語に外なる世界と交錯していく感覚が
注ぎ込まれていきます。
それぞれのキャラクターが
少しずつ、丹念に現実の色を塗りこまれていく。
フック船長もティンカーベルも
インディアンも人魚も
子供たちも・・・。
空を飛びたいという高揚感と
空なんて飛びたくないという抑制感。
童話の世界に表される登場人物達の葛藤が
そのまま、主人公の内心に置き換えられるなかで、
現実が少しずつ観る側にその色を現わしていきます。
ファンタジーの枠組みが残る中での葛藤だからこそ
混沌からはなれて浮かび上がってくる心情があって。
その葛藤からファンタジーの塗料が剥げ落ちていく中で
心塞がれるような主人公の現実と心情が観る側に次々と積っていく。
しかも、ファンタジーの内側でのできごとと現実を縫いつける糸には
ステレオタイプではない、体温のような触感が内包されていて。
たとえば主人公が構築するファンタジーの世界が、
実は、昔の、ちょっとすてきにいい加減な母親との
暖かい時間に裏打ちされていたり。
ファンタジーの内側に
主人公の現実での嘘が編み込まれていたり。
終盤に明らかになるその温度が
あらかじめエピソードに貫かれているから、
空を飛ぼうといざなうピータパンと
空が飛びたくないという登場人物たちの綱引きに
絵空事ではない切迫感を感じ、、
その行く末を
祈るような気持ちで追いかけてしまうのです。
ファンタジーの世界を構築する役者たちには
舞台の世界観に入り込むことを観る側に躊躇させないだけの
豊かな切れと表現力があって、
波の満ち引きのように繰り返される葛藤を
ぶれなくしっかりと表現していく。
終盤、
崩れていくものの厚みや
ラストシーンの密度が
あざとさを持たずにそのまま観る側を浸潤していきます。
その場面を構築する舞台美術も実に秀逸。
終幕には
冒頭の物語の口当たりからは
思いもよらないほどのものが
心の内側に残って。
きっとファンタジーの世界を同じように彷徨しなければ
感じることができなかったであろう
主人公が眺める世界やその心情に
深く瞠目したことでした。
満足度★★★★
惹きつけ続ける力
物語の構成も、役者のお芝居も
観る側を舞台に引き込み続ける力を持っていて。
最後まで前のめりで観ることができました。
ネタバレBOX
作・演出・出演の須貝氏が、
役者をうまく引き出していると思うのですよ。
ひとつずつのシーンに役者の表現する時間とスペースが
十分に与えられている感じがする舞台でした
パーツのように提示されていく個々のキャラクターの側面に
流されない強さがあって、
ゆっくりと、でもしっかりと観る側に物語が組み上がっていく。
中盤までの森の中の彷徨感には
物語の見通しが立ちにくいことへのとまどいを感じたりもするのですが
それがいらだちになるのではなく
物語の中心へ観客を押し込むような力に変わっていくのです。
ちょっと、現実からはみ出した設定も、
物語りに敷かれた時間の流れの冗長さも、
主人公が抱える秘密も、
その世界に観る側を取り込めるかどうかで
両刃の剣になりかねない部分もあるのですが、
作り手が役者を強く信頼し
その役者たちが個々のシーンをしっかりと
つなげてくれる。
個々のさりげないお芝居が
空気を残し豊かに物語を作っていくのです。
空気が満ちた中で
淡々と置かれる物語のコアの部分。
解きはなれた主人公の感覚が
やわらかく強く観る側を包み込むような終幕でした。
満足度★★★★
せりふにリズムがあるから
舞台に表現される感覚はちょっととっつきにくいのですが、
台詞にリズムやある種の韻が縫い込まれていて、
観る側が次第にのせられてしまう。
舞台上の旋律が染み入ってくるにつれて
いろんな感覚が観る側に置かれていく感じ。
どこかシンプルな感じもあって、
いろんな魅力を感じる作品でした。
ネタバレBOX
表現しようとしている感覚は
ナチュラルだと思うのですよ。
デフォルメの仕方も実はシンプルだったりする。
水が加わると死んでしまうことにしても
乾かすと生き返ることにしても、
実はまっすぐな表現だと感じるのです。
要はスタイリッシュな質感の世界に生きることはできても
下世話であったり、どろっとした感情の世界には弱いという
感覚なのだと思う。
ナイフを刺されても死なないということも
ナイフを抜かれることによって血が噴き出すということも
とてもわかりやすい。
具象化されるさまざまな感覚は
それぞれにとても骨太で根の部分でのまっすぐさを感じる。
でも、それらを届ける台詞や役者たちの表現に
観る側を引き込むリズムや
時間をつないでいくような韻(というか言葉のかかり)があって。
それも一本調子ではなく、
シーンを動かしていく動力になるような
バリエーションやずらし方が内包されている。
よしんばそれがベタな比喩であったとしても、
表現される感覚に膨らみが生成されていくのです。
表現の荒さがないわけではないし、
幸田尚子などの目を見張るような演技に
助けられた部分もあるとは思うのですが、
観ていて、きちんとうなずける世界観があって、
質感に惹かれるものもあって。
まあ、好みは分かれる作風だとは思いますが、
笑いのセンスも含めて私的には結構好み。
次回公演がとても楽しみになりました。
満足度★★★★
まずはCを拝見
浮かび上がるキャラクターのコアにフシギなしなやかさを感じる「ゴージャスな雰囲気」、アンニュイな色にどこかメッキが剥がれた感じが加わる面倒くさいひと。
確信犯的にこういう色を作れるのは、作り手側の足腰がしっかりしているからなのでしょうね。凄くデフォルメされているわけでも、著しく奇をてらっているわけでもない。でも、しっかりとした物語のニュアンスと厚みがそれぞれの舞台にあって。
他のバージョンも楽しみになりました。
ネタバレBOX
「ゴージャスな雰囲気」は時間の流れ方や醸し出される雰囲気の統一感が崩されていく感じがうまい。途中で隠し事の企てがぼろぼろっと崩れていくあたりから、一気に面白くなりました。
「めんどくさい人」はお金の編み込み方がうまいと思う。物語はどこか薄っぺらいのに、にやっとするような真理が物語に含有されていて、最後まで好奇心が途切れない・・・。紙袋の種類と金額の比例の仕方や、金額に頓着しないお金の渡し方などから生まれた常ならぬ感覚が、キャラクターの一番ベースにある柔らかい部分にひねりを与えて、滲んできた何かが観る側をとらえる感じ。
観終わってみると、かなりのボリューム感に浸されていて、その一方で、観る側にストンと落ちる部分がある。
気がつけば、同じ原作の他のバージョンに興味を抱かせるに足りるなにかが心を満たしておりました。
満足度★★★★
素敵な押し込み感
前半はそれぞれのシーンの
刹那的な面白さを楽しむだけでしたが、
後半から最後にかけて、ぐっとひとつの箱に物語を押し込むような感覚があって惹かれました。
ネタバレBOX
びっくりするような大ネタはないのですが、
中ネタ、小ネタ、下ネタがどんどん入ってきて
程よく舞台がおもちゃ箱化していく・・・。
当てられ書きにて作られた様々なキャラクターの、
看板に書かれた設定と舞台上に現れるものの距離もおもしろくて。
がっつり当てられた定義そのままのキャラクターもあれば
なかなかにこじつけられたキャラクターもあって、
いろいろとあきさせない。
それぞれのキャラクターが、
舞台上で小気味よく高い精度で演じられていく・・・。
ぶれがないお芝居ができる役者が集っているのは
とにかく強い。
女優陣だけを見ても
鈴木麻美は「妹」から逸脱していたけれど終盤に醸成するグルーブ感だけでも十分眼福、
菊地奈緒が自らの設定をそのまま台詞にするのも本当に可笑しくて。
萱怜子の宇宙人は観る側をうふっとさせるような狂言廻し、
山本まゆみのロック歌手も見目麗しく、
鈴木アメリの切れ方もがっつりと観る側をスウィープしていた。
如月萌のヒロインの忘却は潔く
安川結花ののみっぷりには根性が座っていて。
で、刹那的な面白さに目を奪われているうちに、
次第に舞台の色が生まれてくるのです。
1日ごとに全てを忘れる生活にルーティンガあったり
幸せになることが宗教に繋がっていったり・・・。
ちょっと強引な物語の持っていき方にも
不条理を感じさせない
不思議な必然が編みこまれていて・・・。
最後にその流れを歌でぎゅぎゅっとひとつにまとめて
観客に預けてしまうようなエンディングにも
さりげなくしなやかな谷演出のセンスを感じてしまう。
毎日欠かさず 見つづけたい種類のお芝居ではないにしても、
たまに禁断症状が起こるほどに
観たくなるタイプのウィットや質感が内包されたこの公演、
たっぷりと
楽しませていただきました。
満足度★★★★★
「F」というトリガーから広がる世界
近未来の話として観ていたはずなのに・・・。
とても、近しく切ない感覚に浸潤されました。
ネタバレBOX
舞台が始まって少しの間は
近未来の話をのほほんと観るような感覚でした。
冒頭のお花見の感覚、
男性がアンドロイドであることから
それが近未来の話であることがわかる。
執事ロボット杓子定規な言葉づかいから
急に砕けた言葉に代わって、
少しずつ互いの理解が生まれていきます。
ちょっとヴィヴィドで楽しげな雰囲気さえある。
でも、二人の会話から
女性の背景が明らかになるにつれて
彼女の口調とは裏腹の、
舞台上の心を締めつけるような世界観が明らかになっていきます。
明日がこない、
永遠に今日が続くような貧困から
命と引き換えに抜け出した彼女。
彼女の利益を守るという前提の中で
次第に彼女の感覚を理解していく・・・、
でも彼女の愛を受け取るすべを知らないアンドロイド。
彼女が通過する四季、
季節のシンボルと交わる、
切ないほどにいびつな感覚が
観る側の心を繊細に強く締めつけます。
浴衣の着付けをするふたりの滑稽さ。
自らが夏にいることを確認するようにはしゃぐ女性が
火のつかない線香花火をもって花火と確認する姿から、
彼女のうちに刻まれたどこかうすっぺらな時間への
切実さとはかなさを感じて。
彼女が命と引き換えに得た富で得られるもの。
命が満たすものの重さ。
正しい意見はいらないと女は言います。
楽しくないからと・・・。
その感覚がとても自然でナチュラルなものに感じて、
近未来の感覚がふっと消えて
その世界の今で彼女を観ていることに気がつく。
秋の味覚、
一緒にできない食事。
彼女が求める時間とアンドロイドが差し出す満足の乖離。
ただ、食事をしただけで、
それを秋と自分を言い含める彼女の姿に
涙があふれてしまいました。
「小さい秋みつけた」に編み込まれた
うつろうような秋の気配が
劇場内を満たすひととき。
彼女の唇から発せられるその秋が
数口の味覚に置き換えられてしまうことが
あまりにも切ない。
あまりにも切ないのですが、
でも、その数口がまるでモルヒネのように
彼女のひと時の痛みを和らげていることが
観る側に諦観を与えていく。
冬、クリスマスツリー、
彼女に漂う終末の雰囲気。
七夕の偽物で
クリスマスツリーに祈る。
その祈りに、彼女の想いが溢れる・・・。。
彼女のうちに膨らんだ愛する気持ちが
静かにまっすぐその部屋に広がっていく。
その言葉の行き場のなさを覆い隠すように
彼女に言われたアンドロイドが
かりそめのクリスマスを祝う。
その死は,物語のなかではしごく当然にやってくることで・・・。
だから、アンドロイドのチアと裏腹の
彼女の最期自体は淡々と観ることができました。
でも、抱きあげられた彼女の姿を観て
彼女が刻んだ思い出の行く末が
どこにもないことに気がついて。
アンドロイドの言葉に再び目頭が熱くなった。
帰りの電車の中で、本当にいろんなことが頭をめぐりました。
貧困が奪うもの、命の重さ、人の平等という建前と現実。
思い出ってなんだろう。彼女は不幸だったのだろうか。
すこし醒めた見方をすれば、
よしんばリアルな世界であっても
愛されたいと思う気持ちや人を思う気持ちの虚実って、
実は彼女とアンドロイドの関係にも似ているかもしれないとか思ったり。
さらには、アンケートにもありましたが、「F」ってなんの象徴だろうか・・・。
Fake,Future、Feel, Feed, Fortune, Free, Forget, Fear、Fare。
さまざまな[F]がこの物語に溶け込んでいることに気づく。
「F]のトリガーから浮かび上がる物語の奥深さに
再び息を呑んだことでした。
満足度★★★★
すっと重なる
ガロアの時代の織り込み方が
学生運動の時代に
沁み入るむようで。
二つの時代がしたたかに重なって
広がっていきました。
ネタバレBOX
客入れ中に、
その時代の録音風の会話が流れます。
あの、テレビで時々流れる火炎瓶と放水のシーンとは
ちょっとイメージの異なる淡々とした最後通告・・・。
その呼び水があるから
学生運動のさなかに芝居をするという雰囲気も
なんとなく呑みこめて・・・。
東大紛争の経緯も、
ガロアの人となりも知らなかったけれど
外枠をしっかり固める洪明花の狂言回しのうまさで、
二つの革命の顛末がが観る側にピシッと重なります。
その動機のピュアな部分、
人々を巻き込む高揚、
さらには革命を利用しようとする人の介在、
革命の変容と収束・・・。
舞台に設えられた建物内の梁や壁が
そのまま黒板になって、
冒頭に説明される数式の上に
学生たちの思いが重ねられていく。
チョークがボードに当たる音が
場内に響き、想いは壁面全体に拡散していく。
その書き散らされ方や音は、そのまま、
ガロアが共和主義に惹かれていく内心にも
等しく思えて・・。
紛争のさなかに演じられるガロアの生涯が
最後まで闘争を続ける学生たちの姿との
したたかな表裏となって
観る側にひとつの時代の様相を示し
その意味を語りかけてくるようにも感じて・・・。
ガロア役の女性を演じた宮嶋のお芝居には
リズムがあって、
定められた運命に思いを馳せるその刹那に瞠目。
2台に渡る学長を演じた宍戸の
お芝居の切れや
体制側のしたたかさのデフォルメ具合にも
秀逸さを感じました。
満足度★★★★
剥ぎだされ感のすごさ
舞台の狭さを武器にして、
関係性の晒される部分と隠される部分が、
絶妙に編みこまれていく。
そこに流れる時間から次第に醸し出される、
剥ぎだされるような感覚に息を呑みました
ネタバレBOX
化粧品会社に勤めるとある男性の物語。
エビス駅前バーの小さな空間を逆手にとって、
いくつものシーンを同じ場所に重ねて
彼と彼を取り巻く人々を会話を中心に描いていきます。
見えるものと見えないもの、
舞台に透明なパーテーションが巧みに出し入れされるような感覚。
その囲いの中で、
八方美人のように周りとの関係をやりくりして
自分の立場を作る男・・・。
さらに男には見えない周囲の会話。
うまくやっているつもりの彼なのですが・・・。
彼の癖、携帯電話のメッセージ、
チャイナブルーというライチ系のカクテル・・・。
それらのアイテムが、シーンに組み入れられて
まるで魔法のように
それぞれのキャラクターの
虚実が剥ぎだされていきます。
個々のキャラクターの内も外も
実は観る者にとってフェアというか
あるがままに描かれていて、
にもかかわらず、その姿や変化が、
想像しえないような色で浮かび上がってくるのです。
役者達ののタイトなスペースでの濃縮された演技、
しなやかで絶妙なシーンのつながり。
武藤氏原案のもと
成島作劇と古川演出のそれぞれが目を見開くほどに秀逸。
凋落していく男の姿が
ぞくっとするほどリアルな感覚とともに浮かび上がって・・・。
終わってみれば
一時間強のお芝居の
印象の強さに愕然としたことでした。
満足度★★★★
ルールが見えて、はまってしまった。
2回目はちょっととまどったけれど、
3回目のルーティンあたりから
舞台上のルールが理解できて・・・。
そこからは、
がっつりとはまり込んでしまいました。
ネタバレBOX
昨年末に上演されたプレイルームを観ているので
主人公のバックボーンはすぐに理解できて・・・。
でも、冒頭のシーンをほげっと観た後、
次にやってくるシーンについては
何が起こっているのかその意図がいまいち理解できなかった・・。
しかし、3度目あたりで芝居のタイトルを思い出し
舞台のルールが理解できるようになって
4度目あたりの7分間あたりから一気に面白くなりました。
ルーティンを重ねるごとに主人公のテンパっていく感じが
どんどん見る側を引きずっていく。
周りが多少の変化をしても、それはワンショットのことで
その閉塞から抜けられない主人公のみが疲弊していくという
前半だけでも結構笑える。
しかし、本当に面白いのはそのあと、
主人公がその時間の結末にいたる
いくつもの分岐点に気がつきはじめてから。
主人公がまるでパズルを解くように
苛立ちとともに試行錯誤をしていく姿が
観る側の感覚に共振して
ある種の疾走感とグルーブ感をかもし出し。
最終的に何度そのループが繰り返されたのかは
よく覚えていないのですが、
その世界の外側が明確になったとき
観る側には疲労感がしっかりと重なった
突き抜け感がやってきて・・・。
振り返ってみると
ひとつずつのシーンの作りこみに加えて
シーン間のコンテンツのずらしが、
とても丁寧に為されていると思うのです。
それぞれの役者がきちんと
場に応じたキャラクターの匂いをかもし出しているのも
すごくよい。
観る側を巻き込むパワーと、見せ方のセンスが
狭い空間に充満して、しっかりと機能して・・・。
広瀬×池田ワールドに、がっつりと取り込まれてしまいました
満足度★★★★
歌いきる力
物語にしても歌や振り付けにしても
しっかりと腰に力が入っている感じ。
たっぷりと楽しませていただきました。
ネタバレBOX
どこか閉鎖的で、
ちょっとおどろおどろしい
山奥の村の因習や
人間描写が
音楽や踊りからあふれ出してきます。
ミュージカル風な演出にありがちな
歌でつないで逃げるようなチープさがなく
必要な部分で役者ががっつり歌い切り、
踊りきるところがすごくよい。
ミュージカルナンバーが
腰を据えて物語を運んでいきます。
そこから舞台としてのボリューム感が生まれ
見る側を深く取り込んでいく。
ミュージカルの魅力のひとつでもある
歌自体の力がこのお芝居にはあって。
中里や赤澤などの歌には観客の耳を捉えきるに足りる
力量を感じた。
後半の
佐藤のボディをしっかり持った歌に
芝居が乗っていくあたりなども
見応え充分...。
舞台上の踊りにも切れがあって・・・。
振付も場にあったユニークさがやウィットに満ちて
秀逸だったと思います。
なんというか、ゆとりがあってすきがない。
見る側の気を外させないだけの空気を持続させながら
舞台が進んでいくのです。
役者一人ずつの安定感も抜群で・・・。
見ていて観客がまっすぐに舞台に閉じ込められていく。
で、これだけのボリューム感がある舞台にもかかわらず、
埋もれないどころかさらなる存在感を持って
天衣無縫にキャラクターを演じ切る
牛水里美には
今回もひたすら瞠目。
歌もそうですが、少ないセリフからでも
見る側に与える色の強さがやっぱり凄い。
それにしてもお芝居、
音楽の物語への絡みが本当にしなやかに感じられるのです。
音楽がなじみやすく編み込まれているというか・・・。
その分物語の密度が犠牲になっていない。
素のお芝居に居場所ががっつりあって
独特の雰囲気や色を丁寧に作りこまれていて・・・。
終盤の舞台の仕掛けががっつりと生きるだけの下地が
作られているから
あっけんからんとした
一番ラストのシーンも生きる。
すっと夢から覚めたよう。
いろんな意味で見応えを感じるお芝居でありました。
満足度★★★★★
観る側に立てこまれていく・・・
さまざまな風景、記憶、会話。
記憶のあいまいさと確かさ。
時の流れに変わらないものと変容していくもの。
それらがまるで魔法のように観客の内側に立てこまれていく。
そこから醸成される感覚がとてもいとしく思える舞台でした。
PPDにも瞠目。
ネタバレBOX
会場は、エントランスから
開演前の舞台までいろいろな遊び心に満たされて。
インコ好きの話を聞きながら開演を待ちます。
話を聞いているうちに
なんとなく心がリラックスしていきます。
宇宙を表す冒頭の言葉の重なり方にまず惹かれて・・・。
観る側の概念にすっと麻酔をかけられて。
そこから長原の街やその部屋に至る道のりが
描かれていくのですが、
別に舞台に街が立てこまれているわけではないのに
観客の内心には風景や距離感や空気までもが
しっかりと作りこまれていくのです。
相変わらずの八百屋さんや
以前その部屋を訪れたときにそこにいた黒猫の記憶。
そして同級生たちが久しぶりに集う部屋。
シンプルなのにちゃんと生活の香りまであって。
季節や風の肌触りまで伝わってくる。
それらの感覚は3年間を隔てた記憶と重なりながら
さらに立体化していきます。
インコ達とのかかわりや
料理を作るという同じ感覚から浮かんでくる
変わらない気配と変質していくもの。
役者たちの表現力で
舞台上の
洗練とあからさまさと洒脱さと下世話が
透明感を持った感覚として束ねられていく。
インコ達が持つ動きや擬人化の切れ味には
軽さと豊かさがあって。
買い物の高揚感の目を奪うようなデフォルメ。
二つの時間の差異から浮かび上がる
女性の心のナチュラルな揺らぎ。
いろんな出来事が埋もれ、表されていくなかで醸成される
その世界や時間の空気が醸し出す質感が、
とめどなくいとおしく感じられるのです。
その後のPPDも実に秀逸。
、
いくつもの関係のエッセンスが
洒脱でウィットを持った表現でくっきりと示されて。
それらの重なりが、
ボレロの高揚を取り込むように
一つの空間を作り上げていく姿に息を呑みました。
おまけなんてとんでもない・・・。
本編と双璧の極上の表現にわくわくしてしまいました。
満足度★★★★
うまくのせられて・・・
物語の展開にうまくのせられて
次第に変容していく舞台の雰囲気に
引き寄せられて・・・。
物語が貫かれ、全体が見えたときの
すっと焦点があったような統合感に
取り込まれてしまいました
ネタバレBOX
冒頭に
レポートを読むようにバベルノトウという
植物の定義が提示され
物語が始まります。
学校と研究所のシーンがなんども行き来する。
最初はそれぞれのシーンから醸し出される
不可思議な設定や会話の面白さを楽しみながら
ほげっと観ているだけなのですが、
それぞれの世界にバベルノトウが浸透していくなかで、
裏表のようなシーンが
まるで2匹の蛇が互いを尾から呑み込むように
他側を幻想として
取り込んでいくように感じられてきて・・・・。
その感覚にぐいぐいと惹きこまれる。
やがてその虚実が混沌としていくなかで、
ふたつの世界が熟れおちるように崩れ始めます。
二つの世界を繋ぐ時間軸が観る側に顕わになっていくのですが
その表現も秀逸。
何かから醒めるときのあやふやな感覚が
次第に実像を結んでいくような感じ・・・。
伏線が鮮やかに効いて、二つの流れが一つの時間軸に
統合していくその一瞬に、
抱えていたものがすっと腑に落ちるというか・・・。
こういう物語の見せられ方、
癖になる。
しかも、ひとつに結ばれた物語の俯瞰だけでは終わらず、
さらに、浮かんでくる
幻覚のコントロールでは隠し切れないような、
人間の根底にあるものの気配に
空恐ろしさを感じて
ぞくっとしてしまいました。
まあ、舞台上の個々のシーンに込められた密度が前回公演より若干粗い感じもあったのですが、今回の内容には、そういう質感の方が表現できるものが多い感じもして。
また二つの世界をひとつに寄り合わせる物語の骨組みや流れのしたたかさに、作り手側の創作的粘り腰の強さを思ったり、表現のセンスを感じたり。
初日ということで、会話のリズムが崩れた部分もあったのですが、作り上げる色の確かさはきちんと維持できていて。
公演期間の後半には、さらに安定感が舞台に醸成され
いまより強いグルーブ感が生まれる感じもしました。
役者の方々の持ち味もそれぞれにがっつりと出て、
時間を感じさせない舞台でありました。
どちらが現実でどちらが幻想なのか・・・、
その虚実を思いながら観ているうちに
舞台にどんどんと引き込まれていく。
満足度★★★★
惹きつけられて捕まる
ちゃんと見てしまうような冒頭、
でも、そこをきちんと観てしまった段階で
作り手側の手のうちに
がっつりと閉じ込められてしまいました
ネタバレBOX
劇団初見。
いろいろと噂は聞いていたのですが、
イメージが全然湧かなくて、
まさかこんな内容だとは思いませんでした。
それゆえ、
冒頭からどんな展開になるのだろうと
かなり真剣に舞台を見る。
でも、冒頭の流れをそのまま見せられた時点で
がっつり作り手側の手のうちにはいりこんでしまったよう。
もとになる物語が
したたかにわかりやすいのです。
後で思えば
冒頭の舞台の流れが、
何気に観る側に印象強いように仕組まれていて。
何度か繰り返されるルーティンの
ベースの作り方がとても巧みなのです。
で、観る側に記憶が適宜刻みこまれたところに
妄想が重ねられて
いろんな動作に言葉がのせられていく。
その妄想の展開力がかなりすごい。
発想に対する笑いと
ネタが積み重なっていくことでの笑いの
バランスがすごくよいのです。
いろんなパーツが次第に一つの形を成していく。
前のルーティンの記憶をたどっているのだけれど
先読みができなくて、
それゆえ、展開からやってくる充足感にしっかりとやられて・・・。
もう大満足でした。
満足度★★★★
発想も面白いけれど・・・。
アイデアも面白いのですが
そこからの展開が絶妙。
単純な妄想・夢物語ではなく、
もっと滴るものがたっぷりありました
ネタバレBOX
男どおし3人のクリスマスという
なんともとほほなシチュエーションから
妄想の彼女を存在させるに至るという
そのは発想が
そもそも凄いのですが、
でも、発想だけでなく、
そこからの展開にこそ
作り手の才能が垣間見えます。
それぞれの彼女との付き合い方が
まるでうぬぼれ鏡に映ったキャラクター達の姿を
あからさまに映し出していきます。
すごく彼女のことに気を使っているように見えても
そこから、見え隠れするのはやさしい男だと彼女に認識されたいという
願望の表れだし・・・。
クレジットカードの返済に追われながら、
その現実から逃避した上に
「いろいろと考えているんだ・・・」とか妄想の彼女に言わせて、
自らを支えるその根拠がとてもプアーなのも
すごく切なく可笑しくて・・。
さらには
モンゴル人の女性が隣に引っ越して来るという設定が
「オチのようになっている」という発想が
妙にまっとうに思えたり・・・。
彼らが妄想のディテールに
拍車をかければかけるほど、
妄想が具現化すればするほどに
その反対にある現実のどうしようもなさが
浮かび上がってくるのです。
部外者ともいえるバイト先の店長の来訪時に
女の子たちが台所に押しやられる表現もうまいなぁと思う。
彼女たちが暗い台所でたたずむ姿に
現実と妄想の乖離の狭間での
ぎりぎりの選択が感じられて。
さらには
架空の彼女の去の去り方からも
それぞれの女性に対する温度というか
コアにある女性観がしたたかに滲み出ていて
その表現のしたたかに舌を巻きました。
気持ちよいお片づけ(あれだけきれいになるとは思わなかった)後の
最後のシーンも秀逸で
男女を超えたどうしようもない満たされなさが伝わってきて。
河西裕介の世界観の広さと
イメージを具現化していく力を感じたことでした。
そうそう、前回公演や15minutesを観たときにも感じた
染み込むのではなく、ざらっと残るようなペーソスが
今回はぐっと洗練されていたような気がします。
前回公演でも
客入れの音楽から、ミラーボールの使い方、
さらには場面の転換にいたるまで、
独自の色をしっかり打ち出せる
強さを感じていたのですが
今回の公演ではそこにデリケートさというか
繊細が加わったように感じて、
荒削りだったペーソスに細かい肌合いが生まれたような。
なにか次の公演も、楽しみになってしまいました。
満足度★★★★
ちょっぴりマニアック
表現の豊かさをたっぷり感じることができました。
参加劇団それぞれの得意技を
盛りつけたよう。
ショーケース的な存在としては
ちょっとマニアックな感じもしたけれど、
それはそれで、ありかなとも思いました。
ネタバレBOX
それぞれの団体に
きちんと眼福な部分があるのがよい。
ライン京急からじわっと伝わる
コアを絞ったような描写力、
ままごとが醸し出す
女性の今の質感。
Castaya Projectが問う
演劇という行為。
ももんがコンプレックスの
ウィットの豊かさと、ここ一番の切れを持った表現。
岡崎藝術座のどこか武骨であからさまでキャッチーな感じ。
冨士山アネットから突きつけられる
表現の切っ先。
休憩なしの2時間弱、
翻弄され挑発されもてなされ続けたことでした。
個人的には
モモンガコンプレックスの
「一日2ステやると辛い」というダンスシーンに
一番強く魅了されましたが(というかぞくっとした)、
他の団体にもそれぞれに見所は多く
観る側としてもいろんな脳内筋肉をつかったような
気がします。
そうそう、
開演前@ロビーでの「あゆみ」の演出パフォーマンスも
とても興味深かった。
演出というか振付(冨士山アネット 長谷川氏)の
ぞくっとするほどの切れが
演じる側の形になっていくのを観ているだけでわくわくしました。
また、他劇団の主宰が場内の観客を
そのイベントに導いてくる感じも
すごくよくて。
作り手側の見せたいという思いが
観る側を作品に向かわせる。
ロビー本番で演出のピースがつながった時には
観る側にも気持ちよさというか高揚感がやってきて・・・。
それと、即興に近い演出の面白さには、
一方で、舞台上の練り上げた本番の完成度を
一層感じさせる効果もあったように思います。
満足度★★★★
空間の重さ
戯曲の骨格については
やや危うくはなっていたのですが、
一方で、戯曲が描いた場所の今を感じさせる
表現の力を感じました
ネタバレBOX
正直なところ、
戯曲が表現する世界観とは
かなり違った印象の作品ではありました。
しかし、その時間を切り取り
表現する力にはぞくっと来た。
映像で渋谷という街を浮かび上がらせる手法自体は
多少力技という感じもするのですが、
そこに生まれる時間は
重ねられていくエピソードの断片に
リアリティを与えていくのです。
それらは、当然に戯曲から導き出されている部分が多いのですが、
舞台上から浮かんでくるのは
戯曲に描かれたような
時間の軽さではなく、
むしろその風景に内包された時間の重さに思える。
偶然コンサート会場で知り合った男女に流れる時間、
映画のチケットを売ってくれた男性に高揚した女性の想い、
3人の男たちの、奇妙にデリケートな距離感と、
そこから醸成されるもの・・・。
描かれた色が
揮発することなく舞台に残る。
あるエピソードが演じられるとき
同じ空間に平行する想いの存在が描かれるのです。
想いが混ざり合って、
渋谷という街の空気として
観る者を包み込んでいくのです。
観終わっても、
ちょっと息苦しいほどの質量が
居すわり続けたままで・・・。
演じられたものが
「三月の5日間」であったかというと
違和感は確実にあるのですが
一方で、その違和感にこそ
この舞台の力を感じたりもするのです。
役者なども含めて、
作り手の空間の重さを描き切る力を深く感じる舞台でありました。
満足度★★★★
心地よいデフォルメに潜んだ力
戯曲の流れは
以前に他の劇団で見た通りだし、
ニュアンスもちゃんと伝わってくるのに、
なにか一皮むかれたような
新鮮な印象があって・・・。
おもしろかったです。
ネタバレBOX
三条会初見。
入場して舞台を眺めた時には
一瞬劇場を間違えたかと
ひやっとしてしまった・・・。
そこはどう見ても学校の教室だったから・・・
お芝居がはじまっても、
しばらくはその表現に加えて
学校机や学生服の違和感に縛られていたのですが
デフォルメされた表現のなかに戯曲のコンテンツが伝わってくると
その感覚が逆バネのようになって、
ぐんぐんと面白くなっていきました。
設定された場所の性格上、
当然に存在するであろう
まとわりつく死の匂いや
患者たちの感情などが
ショーアップされて表現されていきます。
普通に演じればすかし絵のようにみえる
サナトリウムに流れる時間の影が
この舞台では
デコレーションを施されて
はっきりくっきりとあらわされていく。
訪問者たちを鎌で排除して、
日常の時間の外側に放り出していくあたりからも、
戯曲に漂うその場所の時間や空気、
さらには患者たちの日々への感覚が
あからさまに伝わってきます。
脚立や積み重ねられた机からつたわってくるもの、
時間の切り方、
会話の強さ・・・。
一つずつが、その場所に流れる時間を
忠実に織り込んでいる。
入所者の姿に加えて
最初看護人に天使の羽が見えたり
鎌をもってまわっていた時には
どうなるかとおもったのですが
見終わってみるとj、
その姿こそが、すごく的を得ていると感じられるのです。
役者もお芝居の色の強さをしっかり支える演技で、
観客をがっつり舞台の世界に引き込んでくれました。
とても面白かったです。
満足度★★★★
厚みがある空気がもたらすもの
描く意図がそこにあって、
しっかりと描き抜けていくような
鮮やかさに魅せられて。
役者たちが作る舞台の厚みにも
がっつりと惹かれました
ネタバレBOX
劇団初見です。
客入れの時から
ちょいとした遊びがあって、
それが、舞台の空気を味わうためのアペリティフのよう。
舞台はとある女流漫画家のアトリエ。
彼女をとりまくアシスタントや、
担当の編集者、
さらには挨拶を兼ねて差し入れに訪れるアシスタントの
母親の姿などが、ランダムなシーンの積み重ねで
描かれていきます。
場面を定義する時間の移動や空気の変化が、
映像や役者達の雰囲気でしたたかにコントロールされていく。
漫画家自身が姿を消してしまったことや
漫画家の過去、
彼女自身がすでにペンを取ることがなくなっていることなどが
次第に明らかになって。
さらには独立した元アシスタントや元旦那、
その旦那を略奪した別の元アシスタントなどまでが絡んで、
彼女自身や彼女を取り巻く世界に深さというか厚みが増していく。
エピソードのひとつずつについての語り口がすごくしたたかなのです。
詳しく語られるというわけではないのですが、
酒乱のチーフアシスタントの鬱屈にしても、
アシスタントを務める実の妹の想いにしても、
アシスタント同士の確執にしても、
ピントがビシっと決まっている感じで
役者達のお芝居とともに
観る側に心地よく伝わってくる。
そのぶれのなさが、
彼女を取り巻く世界の厚みとなって、
終盤、鮮やかに
ブランクとなった彼女の姿を浮かび上がらせるのです。
最後のシーンの作りかたというか
物語の収め方も鮮やか、
うまいなあと思った。
喜安作劇には、
ナイロン100℃的なメソッドも随所に使われていて、
それらがとても効果的に機能していて。
たとえば、
中盤に風景の中の本人がはけて
シルエットだけがのこるという場面が差し入れられるのですが、
その絵面が終盤のシーンと繋がったときには
ぞくっときました。
でも、物語から浮かんでくるのは
ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏が作り上げる
観る側を一気に引き入れてしまうような
圧倒的な俯瞰やさけがたい狂気や虚無ではなく、
緻密な組み立てのなかにも
どこかにまっとうな暖かさやペーソスが含まれていて・・・。
喜安作劇から現れる
物語自身の色や
デフォルメの匙加減にとても惹かれる。
その魅力がベースにあるから
アシスタントの母親と漫画家の一シーンが
とても納得できるし
心に残るのです。
役者達それぞれのお芝居もたっぷり堪能できて、
こういうお芝居なら2時間強であっても
まったく長い感じがしない。
べたな言い方ですが、ほんと、とても面白かったです。
満足度★★★★★
もろにツボ
物語を置き換える力、そのウィットが醸し出す色、遊び心が編み込む古典の肌触り。
私にとっては、どれをとっても
まさにツボでありました。
ネタバレBOX
下敷きになっているのはW.シェークスピアの「真夏の夜の夢」。
そこに小さなネット関連の会社のエピソードが重ね合わされていきます。
古典をベースにしたりシチュエーションの置き換えたりすることは
それほど珍しいことではないのでしょうけれど、
単純に物語をなぞるのではなく、
そこに現代(いま)を編みこみ
ウィットに満たされたニュアンスの作り込んでいく、
そのやり方がまさに絶品なのです。
椅子で作り上げていくだけの舞台から
シェークスピアと仮想世界が混在する場が生まれ、
電波の入り方に揺らぐように
二つの時間が折り重なっていきます。
そして、 ネットゲームに世界文学が実装されることで
舞台上の今と古典の言葉たちが
魔法のように一つの世界に共存していく。
ありふれた夫婦の浮気心や、恋人たちの恋心、
ネットを遊ぶSEや社長のいたずら心・・・。、
それらが、シェークスピアの言葉との綾織りで
ぞくっとするほどわかりやすく浮かび上がっていくのです。
ネットの世界を膨らませていくことと、「真夏の夜の夢」の森の世界へいざなうことのリンクのしたたかさ。古典に縛られるのではなく、古典の味わいを素敵に膨らませていくだけの遊び心。
しかも、それらを支える表現力がすごいのです。
狭い舞台を逆に味方につけたとすら思える
ウォーキングやダンスの密度が時間をコントロールしていきます。
前回公演でも絶大な効果を発揮した、さまざまなバリエーションでの動きに、観ている側が心地よく翻弄される。
リズムを持った言葉たちと、シェークスピア風の言葉が
役者たちの演技力で自由に折り重ねられていく。
そこに、様々な枠をしたたかに組み替えていく作り手のセンスが加わって、
「真夏の夜の夢」が今風の手足を与えられて
動き出す・・・。
厚みと切れと密度をもった薄っぺらさの混在で、
作り手の、鎖を何本かほどいたような豊かでしなやかな発想が
ぶれのない質感で緻密に具現化されていくのです。
この作品、
人によって好みがわかれるのかもしれませんが、
少なくとも私にとっては
がっつりツボでした。
作り手の発想とウマが合うというか・・・。
こういう感じでの惹きこまれ方って
ここ1~2年、記憶にないほどの極上のもの。
観ていて、不思議な高揚がやってきて、
すっかり虜になっていました。
まったく内容も質感もちがうジャンルの作品なのに、
凄く上質なミュージカルを観ているのと同じような
満たされかたをしていたり、
なにか観る側の感性を解き放ってくれるような
力を感じたり・・・・。
前回の作品も秀逸でしたが
それにもまして今回は堀川炎の才に
がっつりやられてしまいました。
満足度★★★★
実直に伝わる
一昨年夏(だったとおもう)の空想組曲の公演も観ていて、
そのときにも深く感銘を受けた作品。
今回の公演を観て
まったく異なる肌合いに、
優劣ではなく
それぞれの演出の秀逸さを感じて。
作品が描く世界の豊かさを、実感することができました。
ネタバレBOX
空想組曲の公演を観たときには
明らかに物語を外側から眺める感じがしました。
舞台自体がキャンバスの上に置かれていて。
そこには、
観客が外側から向かい合うからこそ伝わってくるような洗練や
個々のキャラクターの
想いの昇華がありました。
一方今回は、観客を空間の内側に置く感じで
物語が描かれていきます。
キャラクターたちと同じ空気感に満たされるなかで
物語が展開していく。
会場にいたる廊下の微かな匂い、
いくつもの部屋に飾られたアートたち、
その建物自体が秀逸な舞台装置の役割をはたして。
どこかシンプルで手作り感のある舞台や照明・・・。
キャラクターたちの想いが瞬時に観る側を浸潤するのではなく、
役者達の肌合いの中から滲み出してくるもので
次第に観る側が染めあげられていく感じ。
登場人物たち自身の想いはもちろん、
よしんば演じられるものが
人物ではなく記憶や想いが具象化されたものであっても、
観る側が立ち向かってその意味を理解するのではなく、
その存在がしだいに寄り添いながら時間をかけて
深く観る側の腑に落ちてくれるように感じて。
良い意味でとても生々しい感覚が伝わってきます。
高揚や孤独や焦燥・・・、
舞台から伝わってくるそれらの切っ先は、
空想組曲版の方が研ぎ澄まされているのですが
後に残る感覚は今回の方が深い・・・。
でも、その違いは優劣としてではなく、
全く異なる質感として、
観る側の物語に対する思いを広げてくれるのです。
どちらのヴァージョンとも
役者がしっかりと舞台を支えきっていて。
今回に関しては、公演二日目で、まだほんの少し硬さが残る舞台だったようにも思いました。でも、そのことが公演を重ねるにしたがってより深い熟成を促していくようにも感じたことでした。