満足度★★★★★
面白さを組み上げる骨太で繊細な仕掛けたち
ラストシーンをずるいと思わせることなく、
それを「超越」として観る側を得心させる舞台の底力に凌駕されました。
ほんと、面白かったです。
ネタバレBOX
4つの部屋の物語のどれにも、絶妙な塩梅での語り口のバイアスがかかっていて、それぞれの色ですっと観る側に訪れ、大雑把な事実関係と刹那を作りこむ繊細な表現が、そこに暮らす男女の印象を少しずつ広げていく。
観る側に其々の世界が、雑になることも、重くなることも、抱えきれなくなることもなく置かれ、それぞれの世界の異なる質感に交じり合うことなく取り込まれていく。
そうして、作り手の世界観が観る側にも定まったこと上で、時間を動かし、物語をきゅっとひねって、キャラクターたちに別の光をあて、それぞれの個性を描き出していく。
その企みには、一時の思いつきではないしっかりとした意図が裏打ちされていて、骨組みが歪むこともアイデア倒れになることなく、それまでの、表層のイメージの先にしなやかな厚みと風景が生まれ、従前のシーンの記憶とリンクする新たな気づきが訪れる。
だからこそ、再び戻った時間でのロールごとに異なる閉塞や行き詰まりに理が生まれ、概念でなく観る側の行き場のなさにまで歩みを進めラストシーンの超越へと突き抜けるバネになり、観る側を凌駕してしまうのです。
あのラストシーンをずるいと感じさせないのは実は凄いことで、観る側にロールに抱かた想いが吹き飛ぶことなくついてこないとないと成り立たないことなのだと思う。役者たちがその力を解き放ち4人ずつの男女の異なる個性を導くことができる戯曲の仕掛けを随所に感じ、観終わって高揚感の中でも霧散することのない物語の骨組みの確かさに舌を巻き、観終わってと引きこまれたその「超越」感に更にはまってしまったことでした。
思い返してみれば、これまでの作り手の公演もいろんな超越に溢れていたのですが、今回は、これまでの、その世界までたどり着いたことへの簡単に加えて、ここから何が訪れるかの期待がより大きく膨らみました。
作り手がこの「超越」で至った場所はたどり着いた場所である以上に、新たに作り手が様々な作品をt紡ぎ出すスタートラインの姿のようにも感じられたことでした。
満足度★★★★
両バージョンを観ました
戯曲の仕掛けは従前の公演で知っていて、
それが舞台にどう組みあがっていくかを楽しみました。
それぞれの舞台に異なる魅力がありました
ネタバレBOX
平成⇒昭和の順番で観ました
平成バージョンは戯曲の枠組みを台詞や所作にしっかりとのせて組み上げていく感じ。一つずつのシーンが戯曲のディテールにそって組みあがる。従前に感じた戯曲の良さを再確認することができたし、その中に役者が作る個性がしっかりとはまり、そこにくっきりとした舞台の色やエッジをもった厚みが生まれていました。
昭和バージョンは、戯曲を足場にして役者たちが想いを異なる色で膨らませていく。戯曲から外れているわけではないし、その仕掛けは舞台に織り込まれているのですが、それが台詞などよりシーンごとに役者たちが醸す想いのありようとそれを支える空気の重なりに浮かび上がってくる。
平成バージョンよりも物語の末梢のディテールがぼやけている感じはするのですが、なんだろ、その時間の実感は物語の歩みにうめこまれるのではない、ロールたちの想いの推移に顛末がのこされてくような感触がありました。
まあ、戯曲自体の強度があるからこそ、できる試みなのだろうなとは思います。両バージョンを観たあとの感慨が足し算ではなく、ちゃんと掛け算になっておりました。
満足度★★★★
絶妙なボリューム感
場所やロールの数など、
いくつかの縛りを守りながら、一方でそれぞれの作品に全く異なる個性があって。
個々の作品のボリューム感も絶妙で、まるっと楽しむことができました。
ネタバレBOX
時々目を惹くようなシーンもあるし、その顛末を負わせる作品もあるし。
いろんな刺激やペーソスが作品ごとに異なるテイストで差し入れられていることで、舞台を見飽きることがありませんでした。
複数の作家による短編集の場合、それぞれの作品の力に加えて、観る側を舞台から離さないプロデューサーのバランス感覚が大切なのだと思う。
役者たちもよく踏ん張り、
作品の個性も生き、観終わってふくよかな充足感が残りました。
満足度★★★★
家族の普遍と時代の変遷
たまたま小津安二郎の「東京物語」をBSで観ていて、
それとは異なる舞台だからこそ描きうる精緻さもしっかり感じることができました。
映画に描かれた想いの肌触りが舞台の空気に新たな感触として広がっていて、映画が紡がれた時代と演劇に描かれる今の視座から描かれる家族の姿の異なりに、この国の家族という概念の変遷を感じたことでした
ネタバレBOX
中央に東京とその家のスペースがおかれて、舞台上手と下手が兄弟たちの家。
未亡人の主人公紀子について、その命日なのでしょうか、同級生たちが話を始めて、そこから物語に導かれていきます。
東京にやってきた亡夫の両親を兄弟たちはそれぞれの事情で世話することができない。で、在京中、紀子は甲斐甲斐しく世話をするのは映画と同じ。
ただ、舞台でしか描き得ない温度があって、舞台の作りや、シーンごとの重さのバランスが、物語の構図をすっと観る側に落とし込む力となり、その中に登場人物の距離感が息を呑むほどに丁寧に編み上げられていく。
中でも紀子と義理の両親の時間が圧倒的、紀子が何度もつかう「いえいえ・・」という返事が一度ごとに異なるニュアンスを編み、場ごとの空気の細微を描き出していくことに心を奪われる。紀子、そして彼女と呼応してその想いを受け取る両親の一瞬ずつにがっつりと捉われてしまう。
また紀子の義理の兄弟たちの家庭にしても、キャラクターの風情をすっと立ち上げる役者の力量に裏打ちされていて、雰囲気がまず訪れ、そこからそれぞれの事情が解けていくことで、彼らの日常がとても自然に観る側に伝わってくる。その感覚が紀子と両親の時間マージして、気が付けば、紀子を取り巻く世界がすっと観る側の腑に落ちてくる。
実を言うと、描かれているものは、スカイツリーがあるような今の肌触りからすると少し古風な感じがします。家族の事情や紀子の家に義理の両親が泊まっていることは今の感覚からすると少々奇異にすら思えたりもする。にもかかわらず、舞台にはかつての家族が当たり前に抱いていた感情を解ききほどく力があって、その違和感を溶き、やがては観る側を浸していく。冒頭の同級生の風情にしても、子供たちの遊びにしても、少々セピアががかった色を感じたりもするのですが、作り手はかつてこの国では当たり前だった温度の記憶を観る側にしたたかに蘇らせていくのです。
観終わって、役者達の人間描写のしなやかさに感じ入りつつ、その先に、舞台に醸された感覚に浸り自らの幼いころの親戚などのことを思い出していました。
ただ、この舞台に小津安二郎が映画に描いた世界を重ねると、家族や親族のありようを次代の流れの向こう側とこちらから見ているような気がする。
随所に登場人物たちの家族という概念に対する想いの普遍を感じたりもするのですが、そうであっても、映画を観終わって残ったのは、作られた時代(1950年代)のそれまでの日本の濃密な家族の絆が東京という街や核家族化の時代の流れに崩れていく中での孤独や不安だったし、この舞台に描かれたものは、そんなものをはるかに通り越した時代の、むしろそのような家族のつながりですらオールドファッションというか懐かしいぬくもりに思える感覚だったりする。
たとえば東京を訪れた母親がすぐに亡くなるのは映画も舞台も同じ。でも、その先に紡がれる、紀子や残された家族の心情は二つの世界で全く逆の歩みのように思えた。そこに、この国が歩んできた時代の揺らぎや変遷がすっと浮かんできたりもして。
実は、終盤に現れる映画にはない設定の未だ自らの家族を持たない末っ子が、今の家族の感覚を一番背負っていて、それは不安定だけれど、でもとても今のありようにも思える。
舞台に描かれた家族の感覚が、この先の時代の時代にどのような変遷を遂げていくのか、劇場を出ての帰り道、吉祥寺の人の流れに身を任せながら、家族の形というものは、いつの時代にもどこか定まりきれずに、でもきっと時代の歩みに折り合って、崩れることなく移ろい、変っていくのかもしれないなぁなどと思ったりしたことでした。
満足度★★★★★
毒気を抜かれる
主人公の視点から家族の関係が明らかになっていくその歩みにぐいぐい惹きこまれ、行き場のなさや鈍色の痛みにも浸潤されつつ、その先に訪れるものに一気に持って行かれました。
母親、凄かったなぁ。唖然とし、苛立ちもし、でもそれを全否定できない感覚に心を奪われました。
ネタバレBOX
父が残した手紙に従って指輪を渡すためにその家の長女が母を探す前半、彼女の夫、妹の存在、依頼をした弁護士によって示された異父姉弟、長女が突然家を出ていった母親に向かっていく中での、複雑な家族関係がそれぞれの想いと共に少しずつ解けていく歩みに、次第に嵌りこむように捉われていきます。
作劇の企てが随所に冴え、その一歩ずつに、登場人物たちから訪れる温度や頑なさの質感の異なりがあり、丸められることなく、徒に観る側を惑わせることなく、解けるものとその内に隠されたものが刹那ごとに移ろい、観る側に置かれていきます。その展開をもどかしくも感じ、晒されていくものに息を呑みつつ、舞台は広がり、閉塞し、さらに剥がれて、やがて母を探す姉妹と母を隠そうとする姉弟の闇との想いの重なりに姿を変えていきます。
作り手の女性弁護士のロールの設定も、担った役者のお芝居も実にしたたかなのですよ。冒頭から物語を組み上げ、その移ろいに緩急をつけ、舞台に晒すものと隠すものを切り分けていきます。テレビドラマのようなシーンがあったりもするのですが、それがゾクっとくるようなかっこよさを醸してもあざとさにならず、物語のトーンを変えることなく厚みを作り新たな展開を導いていきます。しかも、単なる狂言回しとして物語を支えるだけではなく、終盤には自らも抱くものを切り出し、キャラクターに血を通わせて、その存在を場の色から乖離させないのです。
彼女によって、登場人物たちそれぞれの立ち位置や想いが混濁することなく観る側に置かれ、晒され、そのコアにある母親へと観る側を引きよせていきます。そして、舞台上に母親のピースが差し入れられる。
その母親のお芝居が、もう様々に圧倒的でした。最初、声だけが聞こえてくる演出も上手くて、その段階で二組の家族がそれぞれに捉われた想いに対してこれは駄目かもという予感を感じさせる。しかも予想すら凌駕する彼女の風貌や態度や言葉が、キャラクターそれぞれの救いや癒しを願う観る側の微かな期待さえもしっかりと打ちのめしていきます。自己中心の権化というか、場の空気を読まないし、自分を正当化するし、他の想いを感じることができないし、理解しようとすらしない。挙句の果てには自らの行いを棚に上げて、子供たちにアドバイスすら始めることに呆然。そのありように、苛立ちとか怒りを感じたりしなかったわけではないのですが、なんだろ「毒気を抜かれる」というのはこういうことを言うのでしょうね、なにか彼女を変えることはできないという確信や諦観にそれらは埋もれてしまい、それまでに物語から受け取ったもののやり場を失ったような気持で、母親とその子供たちを、冷静に見つめてしまう。
ずいぶんと酷い話だと思う。でも、その母親を観て、語ることを聴、もうどうしようもないと思うのです。それは、子供たちが捨てられたことも、近親で関係することも、その子がネグレクトされたことにしても、すべては母のモラルハザードからのことかもしれない。、でも、よしんばそうであっても、それを抱きつづけなければならくても、恨み続けても、子供たちは生きていかなければならない。役者には、この母親を通じて観客にそう思わせるだけの力がありました。
母親は冒頭の長女に子供だけは産めという。一人の母親を持つ二組の家族は、次に会うのは母親の葬式の時かもしれないという。でも、それは、二組の家族がとりあえずはそこから歩み出したことにも思われて。
その家族たちや彼らの周りの人物も、キャラクターを自分の肌のようにまとい、演技にしっかりとした密度や想いの遷移の確かさがあってがっつりと心を捉われたけれど、ずいぶんとタフでビターな話ではあるけれど、閉塞や絶望に居場所を作らなかったこの物語の結末に、作り手の新たな境地を観た思いがしたことでした。
満足度★★★★★
ごった煮感から浮かぶリアリティ
描かれることのひとつずつは、どこか奇想天外で、その創意が中々解けてこなかったのですが、でも次第に場を満たしていく質感は、なにかとても覚えがあって、あからさまにも思えて。
このごった煮感でなければ表し得ない今があるように感じました
ネタバレBOX
舞台は海沿いに立つ神社の一室、金髪の巫女さんが、それなりにうまく「粗忽長屋」を語る冒頭に、これはコメディかと思った。
家にあった眷属を納めにきた夫婦を糸口に、その神社のありようが解け、少しずつ様子が明らかになってくると、舞台に置かれていくものを単純に笑うことができない別の感覚に捉われ始め、語られ、描かれていくものから目が離せなくなります。
その神社の裏には納められた眷属などのほかにもさまざまな物が引き取られ収められているという。個人に留まらず廃れた神社などからも引き取っていくばくかの「お気持ち」を業者とわけあいその神社は成り立っているらしい。
しかも、引き取るものが、そういった神社のものだけではなくなっていて、仏像も狐、さらには猫やマリア様の像もいっしょくたん、出入りのテキヤの女性に喧嘩しないか心配されるのかおかしくて笑ってしまったのですが、でも、ふっとそれって今のこの国の当たり前の姿であることに思い当たる。
神社には歯止めを失ったように様々なものが置かれようとしていきます。寺を管理する人間がいなくなったから水子供養の人形を全部とか、時流が変わって自治体が教育から外したものとか、挙句の果てには二度と過ちを犯さない気持ちを込めて織り上げたものまで、別段の罪悪感を感じさせることもなく、節操もなく、「お気持ち」を原動力に集められ、引き取られ、神社の裏や他に積み上げられていく。
そんな中、巫女たちはテキヤのお姉さんまで巻き込んで古式ゆかしい手法にのっとりつついい加減に生米をはみ酒を作り始め、その一方で神社が少しずつ水辺から侵食されていく。一の鳥居が崩れ、二の鳥居や狛犬なども落ち、だからといって神主はそれらを直すということもなく、漫然と成り行きにまかせてしまう。
多分、差し入れられたすべての寓意を受け取ることはできていないと思います。もしかしたら、半分にも満たないかもしれない。
でも、よしんばそうであっても、受け取ることのできたものはひとつずつがぞくっとくるようなリアリティへと解けていきます。。人のつながりの切れ方から、教育のありよう、失われる伝統、地方の荒廃から核廃棄物移動に対する感覚、そして、それらに対する無関心さや崩れていくことへの無自覚・・・。
一つずつの事象から訪れるものの切っ先にも驚くのですが、それよりも、それらが舞台にごった煮のように重なり、歪み、捉えようななくなったその先で神主とその一家が無感覚に平穏な時間の質感に戻っていくこと愕然。
冒頭に金髪の巫女さんが語っていた「粗忽長屋」は自分そっくりの死体と生きている自分の区別がつかなくなって自らが不条理な世界に入りこんでしまう噺、その感覚が舞台とすっと重なって、なんともいえない行き場のなさに捉えられてしまう。この金髪の巫女さん、なにかクールジャパンの匂いを感じたりもするのですが、そのまっとうでズレた日本語のことわざや言い回しが絶妙に描かれていくことへの客観的な視座を差し込んでくれたりもして。この作品、多分1ミリでも道徳的な怒りや教条的な価値観、あるいは思想やイデオロギー的なものが台詞として観客に主張されると腐ってしまうわけで、滑稽さの中に描かれるもののありようを鮮やかに切り出すこのやり方は上手いなぁと思ったりも。
また、役者たちの適度にバイアスのかかったお芝居も、シーン其々にうまく風通しをつくり、塗り込めることなく舞台を描き出しておりました。
ラストの奇想天外な会話を聞きながら、また、神社が水に侵食され崩れていく音が聞こえてくるようで・・。観終わってからもしばらく描かれたことを反芻しつつ、その能天気さと漠然とした不安の重なりに浸され続けておりました。
満足度★★★★★
シーン0の内側に引きこまれ・・・
開演時間とほぼ同時に入場。
最初は観るともなしに眺めていた、板付き役者がひたすら林檎の皮をむく姿に、少しずつ、やがてどっぷりと惹きこまれる。
そのまま開演時間を通り過ぎて現れる世界のありようにそのままはまり込んでしまいました。
ネタバレBOX
舞台は中央に2階建てのスペースがあって、開場時から女性が一心不乱にりんごをむいている。
その姿にすっと取り込まれるような引力があって知らず知らずのうちに見入ってしまう。
やがて、そこにすっとひとりの男が現れて、世界が動き始めます。
ちょっとした二人の会話のパターンというかシークエンスがあって、最初は何気なくみているのだけれど、その繰り返しや、さらに話す側と受ける側の変化に世界の曖昧さと深さが同時に醸されていく。
シーンの現れ方やどこか終わりの定まらない収束の仕方、二段舞台の上の世界と下の世界、その不器用でするっと入り込むようなつながり方。
最初は、ひとつの刹那として眺めていた光景に、ルーズな連鎖が生まれ、単なる物語の展開では捉えきれないすっと軌道をはずれた印象が差し込まれたり、あるいはナチュラルな所作や会話へと戻ったり。
その会話にしても、いくつもの距離や密度が組み合わされたり、舞台の中ででの座標が変化していて。
やがては世界は観る側が舞台との受け渡しで追いかけていく歩みから解き放たれた、どこか抑制の効かない、日和見な、シーンの揺らぎや行き来となっていく。その確たる意図や意味をつかめぬままに、でも舞台に訪れるものに共振するなにかがあって、やがてはその組みあがりに取り込まれてしまう。。
細かめに刻んだ風景の断片が、場ごとに異なる重さを持って現われ、形を変え、色を変え、霧散していくような感覚。上と下、時にはとてもも筋が通っていて具体的、でもそれとおんなじ質感と色合いにもかかわらず、歪んだり、ベクトルが変わってしまった世界が、秩序なく、まことしやかに舞台を満たすのだけれど、その、現われ消える間や、言葉が変容していくタイミングも絶妙なのですよ。
なんだろ、観る側に心地よくその歩みを受け入れさせるリズムのようなものがあって。
やがて、その世界の枠組みやフォーカスもどこか崩れはじめ、移ろいをとどめる枠組みは形を失って。
その先では闇となり、現われる言葉に脳内のシナプスが繫がれていく音が聞こえるようにさえ思える・・・。
ああ、これって脳内の風景そのものだと思う。
そうして、再び林檎を剥く女性の姿を見て、そこまでに紡がれた一心不乱な姿の内側に広がる心描写の実存感に息を呑む。何気なく林檎を剥き終わるラストシーンには、一本の皮の終端のその世界に訪れたものがすっと消えていくような感覚が訪れ、捉われる。
一個の林檎が剥き上がる時間に現われ消えた内なる風景には、役者たちの一瞬ずつをいくつもの加減で精緻に描ききる力にも支えられ、これまでに体験したことのない時間と空間のリアリティが生まれていて。
これ、面白い。
観終わって、一呼吸おいて、心の移ろいを刹那ごとに切り取る描写力とそれを組み上げる圧倒的な表現の創意と力量に、従前の作品とはまた異なる進化を感じ、感服したことでした。
満足度★★★★
評伝とは逆の視座からの漱石
こういう舞台は、ギリギリに飛び込むなんて無粋なことはせず、
ゆったりとシーンOから楽しむのがお勧め。
そこには、舞台のトーンに観る側を導き入れる力があり、
そうして、取り込まれた舞台は、美術にしろ、シーンの密度にせよ、浮かび上がってくる漱石の人となりにせよ、視座がぶれることなく、広い舞台を力に変えて、実に良く作りこまれていて。
猫たちも、物語を漱石のありきたりな評伝に陥れず、その姿に血を通わせ、ありがちな漱石のイメージとの違和感をすっと舞台のふくよかさに塗り替える仕掛けや力となっていて。
頭から尾っぽまで、作品の力をたっぷりと楽しむことができました。
ネタバレBOX
シーン0、舞台上の猫の巧みな所作に、座席に着くなり舞台に誘い込まれる。
主宰による前説があって、そこから物語に渡されるリズムから良い。ものの見事に舞台に引きこまれ、漱石の最後の時間へといざなわれる。
障子の前の猫たちのセリフにそれぞれが背負う漱石とのかかわりが語られて、障子の内側での漱石とそれを見舞う人々の声や影に重ねられていく。
やがて、障子が開き、それぞれの時間を抱いた猫たちからの漱石への視座と、漱石の回顧の情景が随時入れ替わりながら、末期の時間の風景と、そこに解ける記憶に綴られた、漱石の生きたいくつもの刹那が編みあがっていきます。
シーンは、猫たちにも導かれながら時間をさかのぼり、冒頭の時間に戻り、更にさかのぼっていくのですが、それが評伝などの語り口とは全く異なっていて。30代から幼いころまでのその場面の一つずつに織り込まれた彼の風貌とそこから切り出される想いに、しなやかな完成度と、生々しさと、観る側の漱石へのイメージを覆すような面白さがあるのですよ。
それぞれの時間の漱石には異なる印象が描かれていくのですが、襖と障子で組まれる場面や照明にはひとつずつのシーンを支える広さと雰囲気が生まれ、漱石自身やその時間を共に紡ぐ猫たちには、貫かれた漱石の中の異なったベクトルの痛みやビターさや諦観を描き上げていく力量があり、しかも、いよいよの死期におよんでは、廻る記憶と、それを抱く漱石自らと、それらをさらに眺める視座が、縁側の下の猫たちの献身的な所作によって組み上げられていて。
座・高円寺1の舞台の間口や奥行きが、登場人物たちの距離感や次元の異なりを端正に描き出し、漱石自身が抱く苛立ちや孤独を映えさせる力となる。恣意的に差し込まれる演技の軽質さやある意味ベタな走馬灯の寓意も物語の歩みを裏打ちする仕掛けとして取り込まれていて。猫たちの表現のテンションは最後まで揺らぐことなく、回想の歩みにも理の重ね方があって実にしたたか。気が付けば作り手が束ねる舞台の手練にがっつりと捉えられておりました。
終演後に調べてみたら、ラストに近い当たりで漱石の亡霊から芥川龍之介に語った言葉、「牛のように行きなさい」というのは実際に手紙に書かれていたことだったのですね。
舞台には、そんな漱石の感慨を裏打ちする、漱石の想いと自らの人生への俯瞰がしっかりと描き込まれていて。
それが評伝として語り綴られた漱石のエピソードとして置かれるのであれば、どこか形骸化した印象を受けるのでしょうけれど、漱石自身の視点から現われたこの舞台での言葉には、そこまで描いてきたものの熟した味わいがあって、心を捉われたことでした。
正直に言ってしまうと、夏目漱石なんて、学生のころの宿題などで一気に何作も飛ばし読みして以来、数えるほどしか読んでいないと思う。観終わって、彼の歩みに隠された苦さや、人間臭さをスパイスに、今度はしっかりと向き合って彼の作品を読んでみたくなりました。
満足度★★★★
新春の座興にあらず
もっと、ラフに作られているかと思いきや、作り手がガチに競い研いだ6本の短編集でした。
考えてみれば、王子小劇場の職員という一面はもっていても、普段の彼らの公演はそれぞれに観にいきたいと思っているものばかり。
同じ素材の味わいも、異なる味付けでこんな風に変わるかと思ったりもして、たっぷりと楽しむことができました
ネタバレBOX
6編全部にご出演の劇場代表が、作品群を単なる羅列にしないとてもよい束ねになっていて、よしんば女子高生になろうが、死のうが、脱ごうが、蕁麻疹が出ようが、ベースにぶれない役者としての色を持っていることで、それぞれの作品の個性がより観る側に伝わってきたように思う。
新春公演の気楽に楽しめるという部分を残しつつ、劇団職員の創作力やカラーのお披露目にもなりつつ、劇場としての企画力や創作力を観る側に印象付けるよい企画だったようにも思います
満足度★★★★
したたかにずらす
クリアに物語の顛末を観る側に供するのであれば、明らかにシーンの重さの配分や手数のかけ方が間違っていて、でもそれこそが作り手の企みだと気がつくと、ずれ方というかそのアンバランスさこそがいちいちおもしろくてなりませんでした。
冒頭のシーンはちゃんとラストに回収されて、エピソードたちもなげっぱなしにならずきちんと束ねられる。そのことで、ズレがいっそう際立ち、そのしたたかさにがっつりつかまってしまいました。
ネタバレBOX
ひとつずつのシーンは丁寧に作りこまれた薄っぺらさやラフさで構成されていて、しかも、時にはなんでこんな話が描かれるのかと思ったりもする。
某有名刑事ドラマから引っ張ってきた「殉職」にまつわる話など、たっぷりの時間を割いて描かれていて、おもしろいのですが、観ている時には話のディテールがなぜここに置かれるのかもわからず、流れが滞っている感じすらする。
それが、終盤にパズルにピースがはめ込まれるように描かれたことが物語りに収まっていくと、シーンの記憶は単なる刹那の笑いではない意図とふくらみに満ちたエピソードとして観る側に戻ってくるのです。
ペットショップと言って内実は「カラーひよこ」を売っていたというネタだって、刹那の滑稽さだけに思われた笑いが、思わぬところからしなやかなに物語の流れに撚り合わされていく。
刑事ドラマの撮影現場でサインをねだるエピソードがここに刺さるのかぁとひたすら感心。
一事が万事、そのようにして、舞台に置かれたものが観る側の意表を突き続けてもれなく回収されていくことにぐいぐいと引き込まれてしまいました。
役者たちが、先の展開をおくびにもださず、ぶれることなくそのシーンの色を作り出しているのもうまいなぁとおもう。
最後に舞台が「前説」に戻ってきた時には、とても心地よい「やられた」感に浸っておりました。
満足度★★★★
舞台の美術から踏み出して
こまばアゴラ劇場で田上パル『プロジェクト7』は初日を。
舞台美術は台湾小皿料理のお店を思い出させるものでしたが、
気が付けば、結婚にむかう男女それぞれの想いの揺らぎに
がっつり捉われてしまいました。
ネタバレBOX
流石に開演時は舞台美術を見てもなんの話か分かりませんでした。
しかし、キャラクターたちが背負うものが解かれていく先に
外枠として二人のシチュエーションが浮かび上がる後半には、
息をこらしてその成り行きを見つめていました。
それはビターで心温まる物語でした。
役者達が描くものは、決して最初から素直に、
物語のテーマを語ってはくれません。
むしろ、シーンごとに豊かな寓意に満ち、誇張され、遊び心もいっぱいなのですだが、でも、終演後に振り返ってみれば、そのような表現だからこそ観る側が受け取りうる男女の記憶のありようや、心の闇の質感や、歩み寄りの逡巡や、想いのほどけ方があって。
きっと、それは直球勝負の台詞で説明されると
急に薄っぺらくなってしまうような類のもので
でも、今回の舞台のような語り口だと、
観ていて魔法のように、その感覚がリアリティを与えられ
観る側を揺らしてくれるのです。、
舞台の表層の作りこまれた風景からは全く想像していなかった物語の組みあがりと、紡がれる男女の想いの繊細な感触に驚いたことでした。
満足度★★★★
2作とも拝見
全く質感の異なる作品でしたが、役者たちが要所をしっかりと支えて、旗揚げではあっても、観る側を作品に繋ぐ力がありました。
ネタバレBOX
『だいなし』は、演劇の題材としてはある意味禁じ手なのかなぁとも思うのですが、その禁じ手ぶりが様々な表現でしっかりと作りこまれているので、作品としてしっかりと成立してしまっているように感じました。
脳内の表現での内外の視座の切り替えや、稽古場にむかう隊列の作り方など、上手いなあと思う。
その虚実はわかりませんが、作品として「禁じ手」の範疇を乗り越えて、描くものを明確に持った演劇として成り立つまでに作りこまれていたように思います。
『本日昔噺』は舞台に勢いがあり、役者達其々の華も作られていて観ていて楽しい。まあ、物語自体には薄っぺらさもあるし、ひとひねりはあるものの予想通りの収束にも感じられ、特に歌などには粗さを感じる部分もありましたが、メインのキャストそれぞれに見せ場があり、それを支える役者達にも舞台の流れやミザンスを支え続ける存在感の出し入れがあって、うまうまとその顛末を追わされてしまいました。
両方観終わって、作り手の物語を歩ませ、必要に応じた空間を編む安定した力を感じることができて。
作り手がなにを表現したいのかということが明確になれば、劇団も更に力をつけていくのではと思いました。
満足度★★★★
新しい表現のメソッド
ベースは明らかにコンテンポラリーダンスなのですが、
それはあくまで表現の手段としてであって、
描き出したいものは身体で紡がれるものの先にあるように感じました。
なんだろ、その身体の絶対評価ではなく相対評価での目いっぱいの頑張りが醸し出す、時間の厚みのようなものが舞台にはあって、その熱とともに語られる時間が、とても瑞々しく愛おしく思える。
観終わって、舞台立つ女性たちの姿に、新しい美しさを感じたことでした。
ネタバレBOX
高校時代の日記の世界のルーズさや真摯さの感触が、
このメソッドだと単に言葉というよりは役者たちが紡ぐ緩急とともに
伝わってくる。
もちろん、若いダンサーであればもっと研ぎうる身体の表現なのだろうけれど、その尺度での優劣ではなく、役者たちがその動きに込める想いと共に訪れる時間の質感があって、それらがこのキャストだととても精緻に伝わってくる。
いろんな表現の語り口があって、キャストそれぞれの得意分野のようなものの重なりで生み出す解像度のようなものに、心を捉えられていく。
今までのコンテンポラリーダンスとはその精度の作り方のベクトルの異なる、
だからこそ、観るものに伝わってくるなにかがある作品でありました。
このメソッドの今後の展開が実に楽しみです。
満足度★★★★★
春の息吹
観る側のすべての感覚をそばだたせ、
春の息吹と廻り来たる命の普遍を描き出していました。
人、花、時、すべてが織り込まれた世界、
微かな気配から始まり、
やがて命が解き放たれ、
人々が集い、
そのなかにも無機質に流れるときがあって、
命の滅失があり、
さらに再生の気配が訪れる。
それらが、パフォーマーの身体や舞台美術、奏でる音、仕掛けられた音、装置の動きにいたるまで
作り手の編む様々な創意や表現とともに観る側を新しい春の訪れと過ぎ行く季節の感覚に誘ってくれる。
村芝居の桃太郎にしても、モノトーンのダンスにしても、
季節の情景として観る側に新たな印象を刻んでいきます。
舞台袖のスピーカーの音や花の動きにも
人が見るものを凌駕した季節のダイナミズムがあって。
そしていったん終わりを告げた春が、
その気配を再び醸す終わりにも強く心を捉われました、
劇場空間全体を使った見事な舞台だったと思います。
満足度★★★★★
戯曲の世界そのもの
舞台を見たときに、何が起こるか想像すら出来ませんでしたが、そこに現出したものは見事に昇華した岸田戯曲の世界でした
ネタバレBOX
最初は、「紙風船文様」に何ゆえに西洋便器が登場するのかと思ったのですが、そこから手が抜けないという妻の態度が、次第に戯曲に描かれた倦怠とゆるやかな閉塞感と諦観へと折りあがっていくことに驚愕。
最初の態からの物語の解き方もじつにしたたかで、その構図を妻と夫が共通認識していることや、それでもその時間をすごしていく質感が鮮やかに伝わってくる。
舞台を立て直す黒子の存在がおかしいのですが、それとて、夫婦がその関係から踏み出しえないことの暗喩にも思えて。
そのシチュエーションを貫きつつ物語を編み上げた役者達の力量にも改めて目を瞠り、なにより演出の創意に圧倒されたことでした。
満足度★★★★
目から鱗
MCR櫻井戯曲の風合いがちゃんと保たれながら、シンクロ少女名嘉演劇として成立しているだけでも驚きなのですが、それが戯曲にとっても演出にとってもそれぞれのよさを打ち消すことなく、新しさを生み出していることに驚きました。
ネタバレBOX
キャスティングにも冴えがあって、作・演出どちらの色にも偏ることなく、この物語を描きうる役者達が、がっつりとお芝居をしておりました。
作者・演出それぞれが舞台に紡ぎこむ切っ先やペーソスや達観やウィットが、この物語ならではの色としてかもし出されていて、観終わって、それぞれの匂いを感じながら、でも何々風ということではなく、新たな化学反応出生まれた世界を感じることができました。
作品の出来もよかったですが、加えて演劇の面白さを味わうことができました。
満足度★★★★★
ビビッド
なにか、まとまりに欠けている部分も若干あったのですが、
そのことが内心の精緻な描写のようにも感じられて。
不思議にビビッドで描かれた世界にどっぷりと浸されてしまいました。
ネタバレBOX
よしんばデフォルメされた表現であっても、
その刹那や時間の流れのデッサン力を感じる。
印象の切り出しや舞台空間への描き方、
その時間の積み重なりの感覚などが、
女性の想いのありようとして不思議に瑞々しく感じられました。
満足度★★★★
ずらずらと世界に引き込まれる
冒頭の語り口からは、
このような世界に引き込まれることを予想だにしませんでした。
ただ、エピソード(?)にしても内心の広がりにしても
ただの妄想や絵空事でかたずけることのできない
内心のリアリティのようなものがあって。
映像にも圧倒され、すっと自分の立ち位置が揺らぐような感覚にも捉われ、
観終わって暫し呆然としておりました。
ネタバレBOX
実を言うと、描かれる感覚には、
相容れないというか、違和感を感じる部分もあるのです。
でも、それを客観視できるかというと少し違っていて、
描かれるものから、自分が気づかなかったり、奥にしまっておいたような感覚がすっと切り出されてくる。
語られることをどこか距離をおいて受け取っているのに
観ていて自分の意識外の部分が納得したり狂信しているような感覚もあって、終演時には作り手の紡ぐ世界にしっかりと巻き込まれておりました。
面白かったです。
満足度★★★★★
東京バージョンではありますが
大阪公演に先立っての東京Verを拝見。
マクベスの世界を断ち切ることなく、でも借景のような距離感でしたたかに切り取った戯曲の秀逸さに加えて、舞台美術や役者たちの所作のひとつずつに、観る側を取り込む凛としたメリハリがありました。
ネタバレBOX
舞台から眺める客席が海となり、布を使った美術や衣装にも、物語や空間を彩るための創意に溢れ、シェークスピアを遠くに眺めながらその顛末にしたたかに閉じ込められてしまいました。
戯曲にも、観る側から乖離しない絶妙な踏み出しをもった創意が織り込まれ、なにより役者達の所作のひとつずつがエッジを持ち、シーンにぶれることのないニュアンスを与えていて、同じ舞台上の空間に取り込まれることでの様々な感覚が肌から伝わってくるように感じる。
物語の顛末もきちんと織り上げられ、それぞれのキャラクターが抱くものとその交わりが鮮やかな印象として残りました。
満足度★★★★
戯曲の質感と振り付けのビビッドさ
身体の動きの面白さと語られる世界の不思議な実存感に
よい意味で揺らぎを感じ引き込まれました。
ネタバレBOX
空間の作り方で醸される
作り手ならではの質感があり、
時間が常に生きていて、その色がしみこむように変化していて、
見飽きることがありませんでした。
その世界に、木皮振り付けが鼓動をずっと与え続けているようにも思えて。
戯曲に編みこまれた漠然とした行き場のなさというか達観のようなものが
空間にじわっと染み出してくるような感覚に心を捉えられました。