テネシー・ウィリアムズ短編集
有機事務所 / 劇団有機座
阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)
2013/01/26 (土) ~ 2013/01/28 (月)公演終了
満足度★★★
T.ウィリアムス
作品のセレクトの仕方と志の高さは良い。然し、T.ウィリアムスの生きたアメリカという国の特殊性、南部という地域の特殊性、カソリックとプロテスタントとの歴史的経緯、アメリカに渡ったピューリタンの特異性とWASPに象徴されるアメリカでのピューリタンの意味、更にキリスト教シオニズムとシオニスト「国家」イスラエルの関係及びイスラエルがグローバリゼーションに於いて果たした役割などまで含めて考えなければ、今回、選ばれた短編が、現代日本で、ウィリアムス本人が抱えていたような深刻な問題を個々の観客に提起することは、不可能だろう。
彼の作品世界では、植民者と被植民者の関係が、社会的弱者個人と社会的強者とに投影されて描かれるが、弱者は”狂気”という表現形式しか持ち合わせていないことに注意すべきである。その弱者を宝石のように際立たせたいなら、舞台上で演じられることの10倍程度の知識は不可欠、表現するための技術も考え抜かれ、身体化されたものが滲みでるようでなければなるまい。
一層の努力を期待する。
休んでいる暇もない
パセリス
シアターシャイン(東京都)
2013/01/26 (土) ~ 2013/01/28 (月)公演終了
満足度★★★
更に深みを
パセリス作品の暫く前までの特徴は、社会に対して取った距離感をそのまま保ちながら距離感を持つに至った原因に対して直接反射角を設けるのではなく、わざとずらしたり、屈折させるという方法を用いて描かれていたように思う。その微妙なずれや屈折が頗る新鮮だったのだが、今回、“働く”をテーマに作られ、オムニバス形式で上演された三作品は、より直裁、世の中へのサービス精神に満ちた作品になっている。
今後は、洋の東西を問わず古典や歴史も学びながら深みを増すと共に、自ら、真面目に向き合う自分を茶化すような方向性を併せ持つ広いと同時に深い、更に現代と歴史に棹差す劇団に育ってほしい。
サンタクロースが歌ってくれた
演劇ユニット パラレロニズム
しもきた空間リバティ(東京都)
2013/01/25 (金) ~ 2013/01/27 (日)公演終了
満足度★★★
もっと絞れる
約2時間15分の舞台だ。説明過多が原因である。結果、冗漫になってしまった。2回目の公演としては、結構、役者陣が頑張ったが、シナリオに内容的繰り返しが多いとそれだけで、ミステリーとして質が落ちる。また、演劇は、役者の身体を通して観客に肝心なことだけ示唆すれば、それで足りる世界だ。シナリオをもう少し練り、本質を提示すべく頑張って欲しい。
新・新ハムレット2013
劇団キンダースペース
シアターX(東京都)
2013/01/23 (水) ~ 2013/01/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
必見
舞台美術がいい。入場するといきなり身が引き締まる。そういう作りである。質感が、城の石造りの重々しさを表現しているばかりではない。ここで、これから繰り広げられる作品の内容を暗示するよいうな緊張を孕んでいるのである。
シナリオもシェイクスピアには、無い部分が付け加えられている。大岡 昇平「ハムレット日記」、太宰治「新ハムレット」、志賀直哉「クローディアスの日記」から付け加えられている。
この劇団が、シェイクスピアを現代日本に蘇らせようと格闘し、その切実さそのものを俎上に載せたかったからである。その企ては、成功している。
シェイクスピア自身が恐らく西欧的な自意識の問題について悩み、世界と世界を認識すべく位置づけられた自意識のギャップに引き裂かれる主人公としてハムレットを描いた、その切実を現代日本の政治、文化、メディア情況の中に埋め込み、我ら自身の問題として捉えようと図ったのである。この企てについても成功している。
これら壮大は企画を成立せしめた高度な演出、演出に応えた役者陣、音響、照明も勘所を掴み、無駄の無い効果的なものであった。科白回し一つとってみても、劇場の大きさや舞台の使い方に見合った発声であった。観ておかなければ悔やむことになる舞台だろう。
世界を終えるための、会議
タカハ劇団
駅前劇場(東京都)
2013/01/23 (水) ~ 2013/01/27 (日)公演終了
満足度★★★★
暴走列車
サンデルの暴走列車の例題を援用しながら、現代、我々が暮らす状況の底に潜む不信と、コンピュータを用いたシステムの不可避な限界をぶつけることで、被造物の立場から人間を描き、その存在の曖昧、面白さを照射し考察した近未来作品ということができよう。話がストレートで分かり易く、テーマの追求方法にも合理性があって、ITに起こる諸問題についても素人が充分ついてゆけるレベルに噛み砕いている。人間のいい加減さを機械が真似ることの困難も面白く描かれているが、旧タイプ、新タイプのレベル差とアップデイトなどを手掛けるプロ集団と、ブラックボックスの内実も分からず使っている人々との関係も示唆されていて、楽しめる。
嘘ツキタチノ唄
企画演劇集団ボクラ団義
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2013/01/18 (金) ~ 2013/01/27 (日)公演終了
満足度★★★★
更にエキサイティングにするには
1977年正月明けに青酸コーラ事件が起こった。36年前のことである。一方、極めて珍しい“嘘の日記”が綴られていた。物語は、一見、何の関係も無さそうな二つの迷宮入り事件の相互関係を明らかにしてゆくサスペンスという体裁である。
但し、単なる推理の面白さだけに終始しているわけではない。人間感情の機微や恋愛、ライバル意識、嘘をつく心理と真が交錯して中々面白い展開になっている。
更に演劇的効果を高める為には、要素をもう少し絞り、対比を更に強調して、推理を働かせる余地を絞り込んで良いように思う。これだけ複雑な内容を上手く纏める力のある作者だ。可能だろう。
【公演終了!】望遠ノート【ご来場誠に有難うございました!!】
演劇ユニット「クロ・クロ」
劇場MOMO(東京都)
2013/01/23 (水) ~ 2013/01/27 (日)公演終了
満足度★★★★
memento moriの射程
メメント モリの意味くらい誰でも知っているだろうから、このことばの解説はしない。唯、我らの存在している現代は、端的に不信の時代である。シニシズムに陥った世界内存在として、当然のことながら、ヒトは孤立している。どんなに親子を装おうが、友人や恋人を装おうが基本的には、誰も信じていないのだ。ハッキリしていると感じるのは、不安と不確定だけだ。信じられるものが成立すべき土台が壊れてしまっているのに、信頼だけが蜃気楼よろしく立ち上がるわけが無かろう。(立ち上がっているのは、プロパガンダの世界だけである)
このような厳しい状況の中で、実体験に乏しい若者たちが、自らの知恵と努力や夢でどのように立ち上がってゆけるのか。それを問う作品でもある。
賢治の「銀河鉄道の夜」をベースにしながら本当のもの・ことを求めて流離うこの作品のジョバンニは、シニシズムから脱却しようとして、不信とは反対の概念、信頼に至りつく。その心的流浪に呼応して、我ら命の故郷、宇宙の成立についての議論が戦わされる。ビッグバンは、本当に検証に耐えうる仮説なのか否かについてである。そして、理論的には、成立し得るという所まで来た。ステップは上がる。ミクロコスモス、マクロコスモス二つにとって問題は、“実践”に移らなければならないということである。この作品自体は、その答えを舞台上で既に出している。どのように出しているのかは、舞台を見て欲しい。
第32回手話狂言・初春の会
社会福祉法人トット基金日本ろう者劇団
国立能楽堂(東京都)
2013/01/23 (水) ~ 2013/01/27 (日)公演終了
満足度★★★★
歩き方
先ず目を惹いたのが演者の歩き方であった。これは凄い。立ち居振る舞いの基本になっているのであろう。背筋がすっと伸び、動きがスムースで上下動が殆ど無い。裾捌きも見事である。
聾者が演じるので手話の動きは入るのだが、同時に狂言の科白も流れてくるので健常者もリアルタイムで楽しめるのだが、数百年前に使われていた言葉が、変遷はあるものの、その場で類推でき、解説など不要であったことは、ちょっとした驚きであった。日本の古典がからっきしの自分は、分からないだろうと覚悟していたのである。但し、ここ数年の言葉の乱れは半端ではないので、今の若い人たちに、解説なしに分かるか否かについては、おぼつかないが。笑いの質が素直なので、所作を観たり、雰囲気を掴めれば、それでも楽しめよう。
飲み会死ね(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)
宗教劇団ピャー! !
BankART Studio NYK(神奈川県)
2013/01/21 (月) ~ 2013/01/27 (日)公演終了
満足度★★★★
ラディカル
この劇団を観るのは今回で二度目だ。一度目は、いつもの作家が、失踪してしまい、今回とは若干趣が異なるが、二作とも、ラディカルな点では、共通項がある。今回の作品の方が、ポエティックではあるが。
基本的に、インテリが喜ぶ舞台だろう。中島 みゆきの歌詞と同じように。ダ-ザインの根源に視座があるからである。今回の作品も性の問題を水子と名付けられた、つまり流されたという前提の子と彼女の合わせ鏡としての友達を中心に回る。親子関係、生と死、性、男と女、倫理、社会と個など様々なテーマが錯綜して物語が展開するが、ダーザインレベルの話も入ってくる以上、それを表現しうるのは、詩と喩のみである。多くの若手が、安易に分かり易い物にコミットしていくように思える時代にラディカルであること、即ち、本質的であると同時に急進的でもあるような方向性を持っている、この劇団が、どうなってゆくのか、期待しつつ見守っている。
カエルの魔女とネズミの王子【閉幕御礼!】
劇団やぶさか
相鉄本多劇場(神奈川県)
2013/01/19 (土) ~ 2013/01/20 (日)公演終了
満足度★★★★
ぶれない
女性ばかりの劇団なのだが、人間が人間として生きる為に必要な価値観のブレが無い為、作品自体に収束する力があり、メインプロットに対するサブが、自然にコミットしてくる。小気味の良い舞台である。個々の役者のレベル差は無論ある。所作にも、未完成な点はある。然し、これらの欠点をカバーする一所懸命な姿勢と、細かい動きや小道具、誰もが育つ環境の中で感じてきた悔しい思いなどを丁寧に紡いでいて好感を持った。衣装にも随分工夫を凝らしている。今後も精進して、良い舞台を創って欲しい。
【ご来場誠にありがとうございました】桜が散るために降るような雨
東京ポップシップ
戸野廣浩司記念劇場(東京都)
2013/01/18 (金) ~ 2013/01/20 (日)公演終了
満足度★★★
センチ
舞台美術に関して、もう少しシンプルにすべきだろう。カメラマン志望のライターという設定であるにしても、話の展開で、舞台は彼の部屋にもなれば、彼女の実家にも、ロードにもなる。その間中、写真が至る所に貼ってあるのは、想像力を削ぐ結果になりかねない。センチメンタリズムを描いた作品の完成度としては、まずまずだ。引きずらないジョークも面白い。一方、センチメンタルレベルでとどめるのであれば、シーンによってGパンではまずいとの判断を働かせても良い。
この辺り、若い人が多い劇団の割に、既存の演劇に挑むでもなく、徹底して大衆路線を歩むという決意でもないことが出てしまった。新たで、明確な姿勢が足りないように思われる。
追想の穴
劇団破戒オー!!!
シアター風姿花伝(東京都)
2013/01/18 (金) ~ 2013/01/20 (日)公演終了
女のほむら
ピープルシアター
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2013/01/16 (水) ~ 2013/01/20 (日)公演終了
満足度★★★★★
カルマ
黒一面の舞台は至って簡素で、上手下手にシンメトリカルに竹が据えられ、中央奥には、扇の骨状に孟宗竹を配し、其々の骨に絡むように半円、或いは螺旋に殺がれた竹があしらってある。無論、これは、焔のシミリだ。更に床面には、各々二組ずつ観客席側を除く三方に、孟宗竹を丸太状に切り、枕に竹をあしらったオブジェが並ぶ。実にシンプルな舞台だが、役者陣の演技や存在感を高めて効果的である。音響も一工夫が為されている。通常の人工的に作られた音以外に、原始的な楽器や、動物の鳴き声を真似た狩人の発する音のような声が、観客に不思議な感覚を目覚めさせる。
主人公、高橋 お伝は、明治政府の道徳政策によって”毒婦”のレッテルを貼られ、仮名書 魯文作「高橋阿伝夜刃譚」で一躍、悪女として有名になったが、本当に人口に膾炙した俗説は正しいのか? ファーストシーンでは、この俗説を真っ向から否定するように、快活で利発、判断力の非常にしっかりした意見のハッキリ言える女性としてお伝は登場する。因みに今回の舞台でお伝を演じる女優は三人。一人の女の中にある様々な要素を身体化する方法としてのキャスティングだ。
【舞台版】絶体絶命都市 ー世界の終わりとボーイミーツガールー
劇団エリザベス
ワーサルシアター(東京都)
2013/01/13 (日) ~ 2013/01/16 (水)公演終了
満足度★★★
引用
初中盤での安易な引用が、折角の作品をだめにしている。ゲームのヴァーチャルリアリティーを演劇的に処理できていないということである。舞台版と言う以上、そういった点にも丁寧な演出と脚本化が必要だろう。ファーストシーンの空間が歪むような感覚を引き起こすシーンはとても良いのに残念だ。
全体的に、頭でっかちで、役者の身体性をどう捉えているのか疑問である。最低限、「風姿花伝」くらい読んでおくべきだろう。当然のことながら、関係者全員である。更に突っ込んだ隙のない舞台に仕上げて欲しいのだ。
何となれば、我々の生きている時代は、情報過多な時代だ。その情報を如何に絞り込んでゆけるかということ自体、既に一種の才能を要する。このようにして選択された素材を用いて緻密なシナリオを創り、想像力に訴え得るだけの仕掛けを施した後、役者の身体に落とし込む。これができて初めて舞台の入り口に立ったというべきなのである。従って、この過程で安易な引用や他人の手垢に塗れた「表現」は慎む方が良い。持ち込むならば、それが作品の全体構造の中で、新たな意味を獲得するようでなければなるまい。それが、引用する者、後から来た者としての先達への礼でもあろう。
骨相学第三章~恐怖~
劇団メリケンギョウル
荻窪小劇場(東京都)
2013/01/18 (金) ~ 2013/01/20 (日)公演終了
満足度★★★★
工夫
役者のレベルはまちまちだが、そのことを充分認識しているのだろう。本番を含めて、舞台裏を明かして見せる手法を取り入れ構成自体も良く考えて、
オムニバス形式を纏めている。その知性と向上心が良い。自分の好みでは、二本目、三本目は、シナリオ、演出、演技それぞれに楽しめた。
FACE
NAT
戸野廣浩司記念劇場(東京都)
2013/01/11 (金) ~ 2013/01/13 (日)公演終了
満足度★★★★
パスカルの悩んだこと
中々、緻密なシナリオである。人という生き物の中間性に着目し、その位置を確定しようとした作品と見た。従って、ヒーローもヒロインも登場しない。普通の人々の中にドラマ性を見出そうとするTV番組「face」の取材によってKの生い立ちが明かになってゆくが、市井の人々の中間的あり様の苦しさが、苦しさとして理解できないと、作品との出会いが無いだろう。宙吊り状態を悩むことのできるポジションの方々にお薦め。
パブリック・リレーションズ
JACROW
OFF OFFシアター(東京都)
2013/01/07 (月) ~ 2013/01/14 (月)公演終了
満足度★★★★★
創業・操業戦国時代
こういった状況の中でこれまでのしきたりと新しい価値観や倫理観の対立を、男女関係の微妙な綾や、社内の人間同士の野心、傾向の差、利害関係に絡む謀略などと絡み合わせ、アーサー王の円卓の騎士よろしくラウンドテーブルを囲み、夢を同じくし、理想にすら燃えたはずの新会社の理念を破綻させてゆく展開は、スリリングでリアルだ。日々、社会で体験していることの裏にあるであろうと皆が感じていることを、きちんと想像力で紡いで見せた力作。
シナリオも役者のキャラが立っていた点も、ふっと見せる目つきの寂しさなど、細かな点にも注意の行き届いた舞台であった。惜しむらくは7カ月以上の時を扱っているのに、衣装が基本的に変わらなかったことだ。予算にめどがつけばこういう点は、改善してほしい。内容的には、隙のない、だが、こせこせせずに本質をぐっと掴んだ良い舞台であった。
ALICE in Wonderland
STUDIO D2
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2013/01/05 (土) ~ 2013/01/06 (日)公演終了
満足度★★★
読み込み
出演者の身体能力は楽しめたが、いかんせん。原作の読み込みが浅い。テーマが、”苛め”であるならば、その辺りをもう少し深く追求すべきであった。その為に、原作に出てくる芋虫の登場は割愛すべきではなかった。なぜなら、アリスは伸び縮みしたり、首が蛇のようになって、自分の変化に耐えられなくなり大泣きして、涙の海を作ってしまったりするわけだが、問題は、そんなことではない。アイデンティティの崩壊にある。苛めが、やはりアイデンティティそのものを他者が否定するという本質を持つのであれば、芋虫が伸び縮み後のアリスに対して投げかける”Who are you?"の質問こそ、この作品の中心的テーマであったはずである。ドッジソン自身、弱々しい人物であったようだから、己自身もアイデンティティ問題では随分悩んだであろう。このような点に気付いていないとしたら、演出は、非常に問題である。
『第三世代』
公益社団法人 国際演劇協会 日本センター
上野ストアハウス(東京都)
2012/12/29 (土) ~ 2012/12/30 (日)公演終了
満足度★★★★★
同化 異化
流石、中津留 章仁。パレスチナ問題の本質を良く理解し、日本の演劇状況も理解した上での演出である。この作品はヨーロッパ各地とイスラエルで上演されてきたが、この時の参加俳優は、総て実名。作者ヤエル・ロネンは第三世代に属するイスラエルのユダヤ人。夫はパレスチナ人である。ヤエル自身は、「プロント」を書くまで、政治的には、メディアの流す情報を信じていれば良いと考えていた。殆ど、ノンポリのスタンスであった。が、イスラエルの第三世代の側から描いた作品(プロント)を執筆するため、占領と戦争、コントロールがいかなる意味を持つのか、リサーチを行った。結果、自分が学校で教えられたことと、事実が異なることに気付き、この作品に到達したわけだ。曰く、「一度目を開いてしまえば、戻れない」。作家自体が本物である。
ただ、ヨーロッパ、イスラエルの公演では、この作品(第三世代)は、英語、ドイツ語、イディッシュ、ヘブライ語、アラビア語の五ヶ国語を用いて演じられた。当たり障りのない内容であれば英語を用い、ちょっと憚られる表現については、それぞれの言語で演じられるという形を取ったのである。こうすることによって、俳優たちは、自らの本音が外在化され、異化されることによって、自らを茶化し観客に考えさせるという異化効果を狙い得たのである。
然し、日本での上演は、日本のガラパゴス的特性を考慮し、たった5日間しかない稽古時間を勘案して反対の方法、即ち同化で作品を創った。中津留は、リーディング公演であるにも関わらず、俳優たちに科白を入れることを命じ、俳優たちも食事を抜くような状態で、科白を総て覚え込んで、原作に仕組まれた様々な状況、関係、人間の尊厳と差別、暴力を恣に振い、嘘のプロパガンダで隠蔽する強者と、えるほかない弱者の内実を内面化することに成功した。無論、これだけではない。彼らにこのようなことを強いる原因を作ったヨーロッパ人をも巻き込んで八方塞がりの状態を正確に描いたのだ。
異化効果を狙える文化圏とは異なる文化圏で、この作品を演出する重責を担った中津留の演出の完成度の高さを表す例をもう一つだけ書いておこう。
パレスチナ人俳優の一人が、ドイツ人から椅子を貸してくれ、と言われて自らの椅子を取られ、その後、またすぐにイスラエル人からも椅子を要求されて、開演中90%以上の時間を床に直接座らなければならない状態に置かれるのだが、これもパレスチナ人が置かれている被差別状況の寓意である。分かる観客には分かるような形でさりげなく、細かい点まで配慮した演出が為されている。見事という他ないではないか。役者陣が、この演出に応え、見事に本質を内面化したことは既に書いたfが、今一度、彼らの労をねぎらう為に、その事実を此処に記しておく。
幻想音楽劇『ジャンヌダルク-聖なる穢れ-』
東方守護-EAST GUARDIAN-
SPACE107(東京都)
2012/12/28 (金) ~ 2012/12/29 (土)公演終了
満足度★★★
憑依
ジャンヌ役の女優、楽日の舞台を拝見したが、登場の際、憑依されているという気配が微塵も無く、何らのインパクトも無かった。全体の流れは、政治というレベルで歴史が動くことを描いていたと解釈したが、それならば、ジャンヌの起こした事象は、もっと神に憑依された状態で表現すべきであっただろう。この点で演出は、登場の時点で役者にしかと注意を喚起しておくべきであった。途中から良くなったとはいえ、登場は学芸会レベル。登場時点でインパクトがあり、今後、活躍できる可能性を感じたのは、ジル・ド・レイ役であった。衣装は豪華であったが、本来、演劇は、幕が上がって以降、役者のものである。その役者が、憑依を含めて内面と身体を神々とないまぜになった空間、舞台に昇華させるには、個々の役者の持つ本質を、外部即ち作品の齎す亜空間、亜時間と不即不離の関係に保たなければならない。ジャンヌの歴史的役割も其処にこそあったはずである。もう少し、本質を見る目を鍛えるべし。