ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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逆鱗に触れるまでの細くて長い道《真昼間の章》《真夜中の章》

逆鱗に触れるまでの細くて長い道《真昼間の章》《真夜中の章》

Cui?

STスポット(神奈川県)

2013/02/27 (水) ~ 2013/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★

情報過多とアイデンティファイ
 「真昼間の章」を観た。我々を取り巻く情報量は大変なものだ。目覚めていようがいまいが、寝る必要のある我々の生理に無関係に情報は我らに関与する。金融、デマ、政治、法、食糧、健康、医療、飲み水、仕事、生き方等々総てに亘って情報があり、多かれ少なかれ我らはそのネットワークの中で起き且つ眠るのである。情報がかように我らに影響を及ぼすにも拘わらず、我らの方では情報の全体像を掴むこともできなければ、真偽を確かめることさえできないのが、多くの人の持つ実感だろう。結果、人々は自己を守る唯一の方法として“知らんぷり”を決め込むのであるが、それは同時に、孤立をも意味する。その孤立が、社会性を失った時、孤は、孤のみを増殖する。他に方法は無い。そのように孤絶を強いられた孤のあがきを表象化して見せたことは大きい。

あんかけフラミンゴ2

あんかけフラミンゴ2

あんかけフラミンゴ

王子小劇場(東京都)

2013/02/28 (木) ~ 2013/03/05 (火)公演終了

満足度★★★

評価
 良い悪いというより生理的に受け付けるかどうか分かれる作品かも知れない。話としては、グロテスクだと感じた。

ネタバレBOX

 母の死の弔いに三姉妹、長女の元彼などが集まるが、末娘をレイプした父も参列していた。姉二人は、父と母が8年も付き合っていたことも知らなければ、妹が父にレイプされたことも知らないが、父は、マゾヒズムを売りにする会社の経営者であり、母もマゾヒスト、長女もマゾ、二女もDVに耐え、楽しんでいるマゾヒストである。長女の元彼はサディストであるが、一応、長女との間のSMでは愛が主題になっている。長女の癖は首を絞められることを喜ぶことと言った内容の中で、件の会社のスタッフが、元彼に殺され、それを長女が庇いだてすると、死体処分に300万掛かるから、それをSMモデルをすることで支払え、と父に強要され、二人とも豚として生きることを余儀なくされる。が、電気ショックなどを加えられ、困憊気味の姉に代わり二女をモデルにしようと画策した父により、妹夫婦が、新たな餌食になる、といった具合だ。更に、元彼はお笑い芸人を目指していた過去を持つが、その相方は、末娘とセックスフレンド関係にあり、この関係も父にレイプされた妹のトラウマ絡みで異様なものである。近親相姦とSM、近い者同士の人倫を根こぎにする肉体関係と凶悪犯罪などを妙にベタに描いているので、自分には、グロテスクに見えた。
 音響の使い方も、もっと抑えた方が、自分には好みである。ディスコ並みの音量を出して、音を歪ませる効果を狙っているのかも知れないが、自分は、ただシラケタだけであった。
Pink Punk Pamper~ピンクパンクパンパー~

Pink Punk Pamper~ピンクパンクパンパー~

アフリカ座

劇場MOMO(東京都)

2013/02/27 (水) ~ 2013/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★

芸能というもの
 肌理の細かいジョークで異世界に引きずり込み、妖怪が跋扈する不可思議な世界を自然に楽しむことができた。妖怪の大立者、九尾の狐・尾裂狐役の存在感も中々のもの。所謂、冒険譚の基本を忠実に守りながら、詰めを怠らず緊迫感のある科白で責めた点でも、芸能の奥深さを感じさせた。

後ろの正面だあれ!

後ろの正面だあれ!

椿組

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2013/02/27 (水) ~ 2013/03/05 (火)公演終了

満足度★★★★★


 この公演にも亜空間、亜時間が成立している。開演早々、雨音を背景に座敷童子と見まごうアマノウズメが、坐って黙ったまま小さく四角い物を長い間覗き込んでいる。

ネタバレBOX

 観客はこの時点で、長い間(ま)に込められた手管に掛かる。嫌でも応でも、想像力の総てを注ぎこまざるを得ないからである。結果、現実と異界の間に引きずり込まれる。それは、誰もが持つ幼少期の、神話的・御伽的時空の追体験だ。
 ここは、明日取り壊される家で、兄弟5人全員が集まることになっている。ところで、集まって来た兄弟が其処で発見したのは、古い写真だ。ウズメがずっと見ていた物である。観客にはウズメがずっと見え続けており、彼女の妖精的な世界は観客と共にある。亜時間・亜空間を追体験しているのであるから、当然だろう。
 一方、役者陣には、ウズメは見えない設定だ。無論、アメノウズメは日本書紀に登場する女神であるが、天の岩戸を開かせたことで、芸能の神としても祭られているのはご存じだろう。役者や演劇関係者は総て芸事に関わる者だから、ウズメは、芸能の神としても、初脚本、初演出の出し物を寿いでいると考えてよい。但し、この劇の中では、座敷童子の役も担っていると考えられる。
 何れにせよ、観客は特化された時空体験をしており、とても不思議なテイストなのだが、心地よい。友達と悪戯をし、遊び、喧嘩をしたりしつつも何時も一緒に楽しく過ごしたこのユートピアのような世界は、ウズメの過ごす時間としては非常に短いにも関わらず、子供達は大きくなり大人になってちりじりばらばらになってしまう。ウズメの寂しさはいかばかりであろうか? 何より、この充実し楽しく夢のような世界は、1964年のオリンピックを境に急激に変化して行く。日本列島改造計画が実行され、それまでの自然な河川敷や海岸は悉く失われ、しもた屋はみるみる消滅、代わりに高層ビルが林立するようになる。道路・ハイウェイの整備の名のもと、子供達の遊んだ道路が、空き地がどんどん無くなっていった。声高に叫ばれる文明批評など何一つ語られないこの作品の、鋭く激しく、根底的な批評が素晴らしい。
 また、いつも無駄を省いて本質を掴んだ舞台美術を作る加藤 ちかさん、センスの良さが光る振付のスズキ 拓郎くん、ラストの素晴らしい効果を盛り上げた諸子、自然な演技で臨んだ役者陣、シナリオ・演出も巧みである。座長の独特のリズムも、勘を得て良い。

壺を割った男

壺を割った男

舞台芸術集団 地下空港

恵比寿・エコー劇場(東京都)

2013/02/20 (水) ~ 2013/02/26 (火)公演終了

満足度★★★

嘘と真心?
 前説が入れ替わり立ち替わりのドタバタで幕開けという趣向は面白い。これが、最後のシーンの悪戯と響き合って、間に入る物語をサンドイッチしている。当然のことながら、前説のドタバタは、本編の予告も為している。

 嘘が嘘を呼び、その嘘が新たな嘘を呼ぶ連鎖構造を丁度マトリョーシカのように入れ込んでいるのだが、その外壁は、嘘で固めた原発推進派の説明のように危うい。無論、この作品がそんなにシリアスな事を演じているわけではない。単なる比喩である。
 

ネタバレBOX

 唯、作家は、敢えてシリアスな世界をシリアスに描くことは避けたのだろう。漸く年間自殺者が3万人を割ったと報じられた我が国の自殺率が高いことは言う迄もないが、中でもポスドクの自殺率は際立っている。3万人を越え続けた高い自殺率のアベレージの確か20数倍以上であったと記憶している。この問題をきちんと扱えば、大変大きな問題を提起する作品になることは誰にも分かるだろうが、喜劇に仕立てるのは相当の才能と困難が伴おう。それもあってか、主人公はマスター出で元カノを追い掛ける嘘つきだ。彼の嘘でない所は二つだけ。いや、一つが二つに分かれたとも取れる。彼女を本当に好きなことだけだ。彼女をゲットする為なら、どんな努力も厭わない。それで彼女が進む大学へ、更に院へと進んだのだ。勉強は決して好きでもないのにこんな努力をしたことをもう一つの真と考えるか否かで意見が別れる所だ。この位の軽いノリで見ると楽しめる。

韓紅の音(カラクレナイノオト)&韓国民族伝統芸術パフォーマンス

韓紅の音(カラクレナイノオト)&韓国民族伝統芸術パフォーマンス

Unit航路-ハンロ-

タイニイアリス(東京都)

2013/02/22 (金) ~ 2013/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

金 哲義氏のシナリオ
 金 哲義氏のシナリオは、何処を切っても血が噴き出す、生きたシナリオである。役者の演技もこのシナリオに応えて質が高い。更に演出家としても優れた手腕の持ち主である哲義氏が、今迄表面に出て来なかった役者の新たな才能を掘り出す点にも注目したい。
 作劇の中で、象徴を上手に使う点でも既に実績を築いてきた彼ではあるが、今回は、その象徴を重ね、新たに重層的な意味を付与してもいる。

 釜山民芸総による民族伝統芸術
サムルノリ、パンソリ、韓国民謡、仮面を用いたパフォーマンス、伝統舞踊など、韓国の無形重要文化財に指定された最高峰の芸人達が繰り広げる芸の質の高さ、エネルギッシュな演奏、身体鍛錬の凄まじさ、民衆の底力を感じさせる、諸芸。時を忘れて楽しめた。

ネタバレBOX

 幕開き当初、ハルモ二が故郷を離れ、海を渡ってくるシーンがあるが、ここで用いられた水音と舷側の波を示す薄布は、終盤、朝鮮的であること・ものの総てを嫌って片道2時間もの遠回りをして住んでいる地域を隠したオモニの、日本と朝鮮、北と韓国、ハルモニとオモニの融和を示唆して意味深長である。無論、在日一世のハルモニ、二世のオモニ、三世の視点と在り様もこの象徴に関与している。但し、終盤で使われた薄布は、水音の無い分、在日として生きてゆく彼らのこれからを暗示してもいるだろう。

コスモノート

コスモノート

実験劇場企画公演

明治大学和泉校舎第二学生会館地下アトリエ(東京都)

2013/02/23 (土) ~ 2013/02/25 (月)公演終了

満足度★★★

しなやかな感性

 コスモノートはカフェの名前、店の名物は、ドーナッツとお話。という枠で、三つの物語がオムニバス形式で進行するが、演じられている世界、世界観が個人レベルに留まっている点が気懸り。感性がしなやかで、演劇が好きだ、ということが分かるだけに、その気になれば、時間は結構あるのだから、世界の中の日本という視点も持ってほしい。外国語も英語のみならず、独、仏、スペイン、露、中、ハングル、アラビア語等々にチャレンジし各国語で情報を入手、分析できる程度の事を目指した上で、シナリオを書いて欲しいのである。

超訳古事記 やまとたける

超訳古事記 やまとたける

劇団 祭氏

STスポット(神奈川県)

2013/02/23 (土) ~ 2013/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★

蝙蝠
 設定されたエルマフロディットとしてのやまと たけるは、いわば蝙蝠の立場である。鳥でも無く獣でも無い。薄気味悪いとされ、忌み嫌われ、恐れられ、蔑視もされる者の代表格だ。
 
 古事記をベースとしているということもあろうが、物語の文法をキチンと踏まえたシナリオと、出口なしのエルマフロディットが、自身納得できる人生航路への出口としてのアイデンティファイの方法を発見した点に、作家の才能の芽と方向の正しさを見る。役者陣は若く、まだまだ修練を積まなければならない者も多いが、一所懸命に役に体当たりしている姿勢に好感を持った、主役の女優は、変幻するヲウス・たけるを好演。

ネタバレBOX

 やまとの大君に子が生まれる。ヲウスと名付けられた子は、予知能力を持ち、異様な力を持っていたが、肉体的には、男でも女でも無いと同時に男でもあり女でもあった。所謂、エルマフロディットである。
 大君は兄のオオウスに長の地位を譲り、ヲウスは、兄を助けて統治せよと命ずるが、オオウスは、特別の力、能力を持たず、神の血を引いただけということがコンプレックスとなって、男として育てられたヲウスを妬み、大君の主催する会議を無断欠席し続けた挙句、ヲウスを襲うが、逆に殺されてしまう。大君は、ヲウスに、西に住み、大和にまつろわぬ熊曾討伐を命ずる。ヲウスは父母からも国からも追われ、女の衣装を身につけて熊曾の地へ向かう。偶々、彼の地で難渋していた折、熊曾の王、タケルに気に入られ、預かりの身となるうち、ひょんなことから、具合の悪い民を助けた。このことが幸いして、皆の信頼を得、タケルの求愛を受けるが、ヲウスは半陰陽の身、タケルの子を産むことはできない。初めて愛した男に、初めて愛された身でありながら、愛する男の子を宿すことのできないヲウスは、熊曾の因習である名を魂とする風習に従い、己を己として生き抜く道を選ぶ。
 それを実行するのは、婚礼の宴。この席でタケルの腰の剣を抜いて舞うヲウスは、その剣でタケルを殺し、タケルの魂を自らの名とする。但し、苗字は大和だ。こうして大和 尊が誕生する。
 
せいれん

せいれん

EgofiLter

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/02/23 (土) ~ 2013/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

言葉の力
 日本語の使い方が正確で美しく、言葉の力によって亜空間、亜時間を作りだす力は大したものだ。言葉を言わば化学変化させているのである。而も変化を正確にコントロールしながら。これら化学変化の0ベクトルに”名付ける力”を考え、実際、置いていることも成功の理由だろう。演技空間の特質も良く理解し、抑えの効いた発声、タメの効いた演技も良い。音響効果も良く計算されている。全体のバランスを適確に纏めた演出もグーだ。

浅草紅團 ASAKUSA RED GANG

浅草紅團 ASAKUSA RED GANG

劇団ドガドガプラス

シアターX(東京都)

2013/02/22 (金) ~ 2013/02/25 (月)公演終了

満足度★★★

シナリオとパフォーマンスの連関
 ダンスやレビューを売りにしている劇団のようであるが、残念ながら、シナリオとダンスやレビューの結びつきが弱い。ダンスはかなり上手いのだから、この辺りをきっちり詰めてゆけば、格段に良くなることは請け合いである。その為に、脚本家は、演劇の基本をもう一度キッチリ見なおして欲しい。
 例えば、場の設定は、弁士が登場するような小屋、ということにでもすれば良いのである。後は、場面転換で、今回言われているような内容は、総て表現できるだろう。1930年頃の話なのだから、弁士が居ることはちっともおかしくないどころか、浅草であれば、必然ですらあろう。
 噛み合って来たのは、パート2の中盤以降だ。この位の連関を最初から作ってほしい。

【 解 散 】ふくすけ【ご来場ありがとうございました】

【 解 散 】ふくすけ【ご来場ありがとうございました】

劇団PaPrika

駒場小空間(東京大学多目的ホール)(東京都)

2013/02/22 (金) ~ 2013/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★

ふくすけ という事件
  劇団PaPrikaは、今回で解散ということだが、良い作品にチャレンジした。未だ、役者としては未熟な点も多々ある。然し、解散とは言え前向きに取り組み、体当たりで傑作に挑んだ志を評価したい。解散したにしても、今後、演劇に関係したり、興味を持ち続けたりして欲しい。ひとまず、お疲れさまでした。

ネタバレBOX

 この作品は多くのタブーにチャレンジしている。はしたない、不都合だと余り大きな声では語られない、女性差別、不具、売買春、麻薬、レスビアン、堕胎、新興宗教、詐欺、精神障害等々。何より現実に存在するこれらの事象に対する頬かむりに、またこれらの問題を抱える人々に対する差別、蔑視、排除と見世物化に対して、先ずは、タブー視されるものの裸形を示そうとするのだ。結果、当然のこと乍ら、良風美俗からは顰蹙を買う。
ならば、問おう。実際に目の前で起き、見えているものに頬っかむりすることは綺麗なことなのか、と。倫理的には遥かに穢れたことではないのか? と。穢れた魂を内に抱き、表層のみを見て差別し排除した上で虐げることは、立派なことなのか? と。このように問い掛けることは品のないことなのか? と。
 原作者はそう考えなかったようである。この作品が被虐者達の怨念を舞台上で昇華させた結果、この復讐劇になったからだ。ベートーベンの第9が、何度も鳴るが、使われ方が異なっている。ふくすけ誕生の際には、歓喜から衝撃へ、更に哀しみ、安堵、罪障感などを通してアイロニーへと、その意味内容は変奏されている。ラストでは、殺害された胎児達の、苛められた父の、躁鬱で苦しんだ母の、そしてふくすけの健常者に対する復讐成就の雄叫びにも似た歓喜が描かれる。然し、この復讐は余りにも素直である。そのように観客に捉えられることで、この作品は告発しているのではないか? 即ち、苛める側に立つ我々の心の奥、魂の闇の中にとぐろを巻く欺瞞を!
幻戯【改訂版】

幻戯【改訂版】

鵺的(ぬえてき)

「劇」小劇場(東京都)

2013/02/20 (水) ~ 2013/02/26 (火)公演終了

満足度★★★★

上手い
 飛び石を配し、上がり框には靴脱ぎ石を据えて風格を表した遊郭。無論、体裁は旅館である。男と女を描くのに、何も現代の高級マンションの一室を選ぶ必要など更々ない。ヒトの歴史始まって以来の古くて新しい関係なのだから。寧ろ、ここで用いられたような風情のある遊郭の方が遥かに相応しかろう。開演直前の音響も効いている。照明も見事だ。更に劇中、玖美子が白熱球から赤い照明に変える辺りも、気の利いた遊女の客あしらいの巧みが現れ、良いシーンだ。他にも上手い、と思わせる個所が何か所もあった。
 頭でっかちになり過ぎずに、頭でっかちの失敗や滑稽を余韻として残す手法も見事である。何より、男と女の間にある存在の位相を通して、我らヒトの持つ原存在の闇を浮かび上がらせることに成功している。この為、終演後、観客の心に深く残る余韻を残した。

サージェント・ロック

サージェント・ロック

ピストンズ

山王FOREST 大森theater スタジオ&小劇場(東京都)

2013/02/21 (木) ~ 2013/02/24 (日)公演終了

満足度★★★

テーマの掘り下げを望む
 劇団としては若いのだろう。皆、感じが良いが、生き残ってゆくのは、至難の業というのがこの業界だ。今回のメインテーマが“苛め”にあるのであれば、もう少しシナリオで掘り下げて欲しかった。着眼点は良いし、公演時期もドンピシャなのだから、先ずは、苛め問題を深く掘り下げ、対峙して、逃げを打つならその後でも遅くはあるまい。そうしていれば、更に作品は深みを増すはずである。

トランス

トランス

演劇ユニット 虹色cafe

JOY JOY THEATRE(東京都)

2013/02/14 (木) ~ 2013/02/17 (日)公演終了

満足度★★★★

とっくに送稿したはず
 Je est un autre. Rimbaudの一行であるが、余りにも有名なフレーズなのでご存じの方も多かろう。“私とは他者だ”と訳せる。但し、通常の仏文法では、be動詞に当たるêtreの一人称単数形の形はsuisであってestでは無い。後者は三人称単数形の形だからである。然し乍ら、この表現にこそ、Rimbaudの天才が見て取れる、と見るのが正しかろう。  

ネタバレBOX

 何でこんなことを書くのか? 疑問に思われるかもしれないので理由を説明しておこう。所謂、統合失調症に至る過程の離人症の話がメインになっているからである。この作品の書かれた当時の精神病理学では、何処からが異常で何処までが正常なのか線引き出来るような段階に達していなかった。現在でも、脳の働きには未解明な部分が大変に多く、明確な線引きが出来るようになったとは聞いていない。何れにせよ、別の見方で正常、異常の判断を下しているのが実情である。例えば、社会参加できるなら正常と看做すなどである。M.フーコーの定義に従えば、“狂気とは純粋な錯誤である”とは言えるが。
 グダグダと以上のようなことを述べたのは、原作にはない問い掛けが、最後の最後に仕掛けられているからである。終盤、3人のうち誰が医者で誰が患者なのかを巡ってくどい程に主客が入れ換わるのだが、3人を残して鉄の扉が閉まるような音がするのである。ということは、3人とも患者ということになるだろう。最後の最後にこのようなどんでん返しが仕組まれていることの意味は何か? それこそ、観客である我々が、狂っているのではないか? との問い掛けではなかったか?
ハイエナ

ハイエナ

沢井正棋プロデュース

タイニイアリス(東京都)

2013/02/13 (水) ~ 2013/02/19 (火)公演終了

満足度★★★★★

継承
 原作者の悩みや苦しみを通して紡がれたシナリオは、生きることに新たな可能性を見出して爽やかささえ漂う。

ネタバレBOX

 敬一は、おじいちゃん子である。おじいちゃんは、父兄会でも、遊びでもいつも敬一の為に出掛けてくれた。然し、父、母は二人とも一度も敬一の為に出掛けてくれたことは無い。警察の厄介になった時もである。両親の愛を得ていないと考えた彼は、自分の朝鮮人としての血に迷い、その血を嫌って、朝鮮高校の生徒を見付けては喧嘩を売り、叩きのめしていたが、終に、何故、父母が、自分の為に外へ出ないか、その理由を知ることになった。彼の母は、密入国者であった。
 母は恐らく4.3事件の被害者である。足が不自由なのは、親族を総て殺され、自身も足を銃で撃たれて負傷して以来である。だが、何とか命だけは助かり、済州島から大阪への直行便があった船で密航して来たのであった。言葉も分からず知人も無い国へ脱出したのは、故郷では生きることができなかったからである。然し、やっと辿りついた土地でも密入国という負い目があり、中々人前に出ることはできない。如何に他所の国とは言え、彼女の流れ着いた土地は、今では北、南と分断され敵対する同一民族が、複雑な情況を各々背負いつつ生きる場所であった。まして、4.3事件は、島民が北に組みしていると疑われたことが原因である。15世紀迄は独立した王国であった済州島出身ということが分かれば、今、流浪の果に、どちらからもスパイと看做されかねない。まして、この地で子供が出来た。母にとって唯一人の血を分けた家族が、その為に犠牲にでもなったら。そのような不安が母を必要以上に内向きにしていたのかも知れない。然し、それは、恐れねばならない歴史を背負ってのことであった。この国のマジョリティーからは、マイノリティーであるが故に自らの誤ちの故でなく差別され、同胞には、政治的情況、イデオロギーの違いによっていつ何時攻撃されてもおかしくない位置に立たされた母の苦しみ、母を愛し幇助した父の苦しみ、二人の傷の深さ、そして耐えている世界の重さを息子は理解する。そして、おじいさんが亡くなった時、父に諭された言葉が、敬一の魂を撃つ。父は言う。「ハイエナになれ、ハイエナは、他の者が食べられないような物も噛み砕いて生きてゆく。お前も人の噛み砕けないような物を噛み砕いて生きてゆけ」と。何と美しく、強く、尊い言葉だろう。
更に、半分は朝鮮族の血、半分は日本族の血を引いた場合、どちらにも属せないのではなく、どちらをも継承しているのだという発展的な回答を、敬一の友が、自分自身の苦悩の中から築きあげてゆく力強さ、肯定してゆこうとする勇気が、魂を撃つ。
 4.3事件は、分かる者には分かるという形でしか描かれていない。つまり、個々の事件というより、虐殺という情況の普遍化が為されているのである。例えば、母、ウネが故郷を離れる船旅でも、窓が一つも無いことで船倉を表し、1週間の船旅の最初はぎゅうぎゅうだった船倉にゆとりが出来ることを書くことで、亡くなった人々が魚の餌になった事を表すといった次第だ。ここにも、表現者としての苦労の跡が見える。作者のこのような労苦の過程が、作品にも反映している。アイデンティティーと血の問題で悩み続けて来た個人史が、作品をしっかり地に足のついたものにしている。
 現在描かれる日本の若者の作品には、このように世代を繋ぐ経験が無い。共通の分母はとっくの昔に崩壊してしまったのである。この作品は、そういった我々、日本人の足元をも照らしてくれた。
範宙遊泳展

範宙遊泳展

範宙遊泳

新宿眼科画廊(東京都)

2013/02/16 (土) ~ 2013/02/27 (水)公演終了

満足度★★★

役者レベルの表現は2 実験性は大
 頗る実験的な作品だ。どう評価するか、或いは、この作品が演劇と呼べるのか、という意見も出てきそうだ。というのも、言葉、身体、空間、時間其々が、互いにある焦点を目指して統合されてゆくのではなく、その反対に競合してゆくからだ。

ネタバレBOX

 先ず、唯でさえ狭い新宿眼科画廊の狭い空間が、設けられた壁によって分断されている。パート1で描かれるのは、2038年3月1日午前5時6分を回ったところ。雨が降っており、外出警戒令が出されている。主人公はそのせいで飼い殺し状態だ。当然のことながら、ここには、3.12以降大量に漏れたセシウムなど放射性核種の影響を見てとることが出来よう。というのも、この日、主人公は結婚式を挙げるはずだったのであり、それが雨でおじゃんになったからである。
 劇場内で渡された説明書にはこうある。外出警戒令が出された時、どうしても外出しなければならない時には、専用スーツを着る。然し、リスキーである、と。それでも若者の中には閉塞感に耐えきれず、普段着のまま外出する者があり雨歩(あまふ)と呼ばれている。今、雨歩が主人公の窓の外を通り過ぎた。
 このような飼い殺し状態の中でもしなければならないことはたくさんあり、各人は、各々の部屋に閉じこもったまま、それらを為すのであるが、その閉塞感の中で、楽しいことを見付けだすのは至難の業になっている。
 パート1は、主人公が楽しい時間を観客から公演開始前に募ったアンケートを引用しながら模造紙に書き出し、楽しみを模索する途中でトイレに立つことにより終了する。
 パート2は、5分間の休憩の後、主人公がトイレへ抜けて行った膝まで位の穴を通って、観客が壁の向こうへ移動することから始まる。
 こちらは、奥の壁にプロジェクターで映像を投影する中に役者が時折入り込んでパフォーマンスを行うという形なのだが、役者の身体の3次元性が、プロジェクターの投影する2次元世界には入り込めないという事実を用いて空間の使用法を変更している。分かりやすい例が壁に投影されたテーブルで食事をするシーンで、役者は壁に直行する床に体の側面をつけ、横向きに身体を横たえるのである。つまり、役者は頭を観客の側に、観客の座った足に直角に横たわっているのである。パート2を演ずる役者は2名。然し、プロジェクターで投影されるのは、何も風景やシチュエイションばかりではない。言葉も投影されるのだが、未だ若い役者陣のパフォーマンスや存在感の薄弱が、映像や言葉の力に勝てない、ということもあって、表現としては、言葉や映像に軍配が上がる。と同時に、生の存在の危機が、観客に戦慄を齎す。このことが、若い表現を彼らのイメージへのめり込ませる。浅田 彰の言うスキゾに近いか。即ち、他世代と共通の分母を失う実験に走らせるのである。ラストの部分で、役者の一人は、TVの中継している場面へ入って行き奇妙な自殺を遂げるが、その血は、溢れて、比喩では無い血の海を作りだすのである。これが、スキゾでなくて何だろうか?
獣のための倫理学

獣のための倫理学

十七戦地

LIFT(東京都)

2013/02/19 (火) ~ 2013/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★

緻密
 殆ど覆すことが不可能と見えた事件を、ワークショップという仕掛けで見事に解体再構成して観客に納得させる手際は見事だ。
 自分が、十七戦地の作品を見るのは、今回で2度目だが、会場は2回とも、ギャラリー空間としても使われる場であった。おまけに、ちょっと探す、というか都会の隠れ家的な場所で、詩人が好む空間領域である。シナリオの密度の高さと演技密度は、作家及びこの劇団のポエティックなセンスを表象しているのかも知れない。

ネタバレBOX

 冤罪を含め、この国の司法は好い加減、という印象を免れない。自分が、今迄出会った切れ者、鬼と言われた検察官の言動を直に聴き、また、様々な冤罪被告関係者からの話を聴いてそう思う。また、責任を負うべき者が負わずに不問に付されるケース、それを追求しても記事として配信されないケースは自分自身の体験として持っている。だから、自分は、この国の力を持った官僚や権威を余り信用していない、と言うより信用できない。選良と言われる連中が如何なる出鱈目をやって来たかも、例えば、原爆に関して証拠を挙げることができる。実際、この国の民度に関しては、近代レベルに到達していないのである。そのことを、前近代の村八分というコンセプトで、この作品は表現して見せた。無論、東電福島第一原発事故に纏わるあらゆる嘘、詭弁、隠蔽、原子力村体制等も含み込み、タブー迄射程に収めた作品と見ることもできよう。 
1929年のルバート

1929年のルバート

創造旅団カルミア

座・高円寺2(東京都)

2013/02/20 (水) ~ 2013/02/21 (木)公演終了

満足度★★★

演出
 もっと役者にタメを要求しなければなるまい。若い役者でも舞台で演じるならば、唯、がなったり、キンキン声をあげれば済むわけではない。劇場の性質も良く掴むべきだろう。高円寺2は、よく声が響く。サイズだけで判断してはいけない。
 更に工夫を重ねて欲しい。
 

ネタバレBOX

 研究を推進させている主体は、我々、観客ということになるのだろうが、このアイロニーは面白く受け取った。
笑う通訳

笑う通訳

電動夏子安置システム

上野ストアハウス(東京都)

2013/02/15 (金) ~ 2013/02/20 (水)公演終了

満足度★★★★★

Vバージョン
 知的でセンスの良さが光る作品。粋で面白い。誤訳、迷訳の見せ方も役者の技量も上々、上質な笑いを誘う。

ネタバレBOX

 経費削減の結果、通訳課にも選別の波が押し寄せて来た。現在は2チーム、各チーム3名体制だが、そのうち1チームは切られる可能性も出て来た。悪くすれば、2チーム共だ。未だ確定では無いものの選別は既に始まっており、どちらのチームも生き残りを掛けて必死である。だが、問題はこれだけでは無い。最近噂に上る情報漏洩に、どちらかの班のメンバーが関わっているのではないか? との疑念である。(以下後送)
ヤバイ!帽子忘れた!何か代わりのモノない?

ヤバイ!帽子忘れた!何か代わりのモノない?

ポップンマッシュルームチキン野郎

千本桜ホール(東京都)

2013/02/16 (土) ~ 2013/02/17 (日)公演終了

満足度★★★★

型とテンション
 この劇団は、既に型を持っている。但し、同一ギャグを演じる時、三度目には、キチンと変化を加え、間の緊張感を保つ。流石、呼吸を心得ている。だが、型は、両刃の剣である。型になるのは、こなれている証拠だが、型が完成した瞬間、それは、観客との緊張感を減ずる。従って表現は両刃の剣の刃の上を歩かなければならない。この、最高度の演技を目指して今後も良い芝居を演じて欲しい。力のある劇団だからこその願いである。

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