各団体の採点
過剰とか無駄とか言われかねないほどの、様々な要素を詰め込み、それを終盤に向かいぎゅっとまとめていくところなど、ケラさんの影響を感じますが、とてもそれを上手く消化しているように思いました。ただし、観劇した回が映像機器のトラブルがあり、オープニング映像からきちんと出ていなかったようです。途中で、これ以上は難しいと判断した演出家が出てきて中断し、映像機器を調整して再開しましたが、やはり本調子には戻らなかったようでした。
映像がある種重要な役割を果たしていたと、他の回を観劇した方から聞いただけに、その点はちょっと残念でした。
以降の公演への振替招待もアナウンスされましたが、三鷹という距離の問題と、スケジュールの問題でそれも出来ず。ブルドッキングヘッドロック本来のポテンシャルを測り切れず、ちょっと残念。
太宰治作品やその登場人物、太宰自身と彼の周囲の人々のエピソードと平行して、ブルドッキング・ヘッドロックという劇団の成り立ちや内部事情、たとえば脚本家(喜安浩平さん)の脚本執筆が遅いことや劇団員の生活が厳しいことなどを、暴露するように見せていきます。
私小説を書いた太宰と劇団史(部分的に私戯曲)を書く喜安さんが重なり、太宰作品および太宰の人生と現代の若者の群像劇が相似していく脚本がとんでもなく面白いです。
台を山車のように、壁を障子のようにスライドさせ、動画や文字映像を壁に映すなどして多くの場所、時代へとすいすい場面転換していきます。装置による演劇的演出がとても巧みです。今では見慣れた、もしかすると少し古さも感じる演出方法かもしれません。でも太宰を見る私、私を見る太宰、その双方を見つめる私(観客)という多層空間が力強く立ち上がっており、オーソドックスな手法から生まれるマジックを再確認できました。
しかし、いかんせん全体的に役者さんの演技は上手いわけではなく・・・作品として拝見する体勢を整えるまでに長い時間がかかってしまいました。
男子高校生役を演じた時の津留崎夏子さんの、思い切った振り切れっぷりには見入りました。津留崎さんのことは他劇団の公演でもよく拝見していましたが、違った面を見せていただけました。
制作面についてはロビーでの物販が充実しており、10周年記念のTシャツの色が豊富で、思わず物色してしまいました(笑)。DVDだけでなくサウンドトラックも作ってらっしゃるんですね。
総勢17人という劇団体制は、今の小劇場の状況から考えると大所帯だ言っていいと思います。大人数のマンパワーを今後も大いに見せつけていっていただけたらと思います。
劇団創立10周年記念公演。破天荒に生き、破天荒に死んでいった太宰治の人生と作品をを下地に、舞台上のフィクショナルな登場人物と、劇団員の青春像が絡み合い、多重構造を作っている。
全体から伝わってくるのは彼らの演劇に対する熱い想い。
初日ゆえの固さはあるものの、作品のエネルギーはものすごい。2時間半という大作を全員で駆け抜けたドラマ。見終わった後、爽快感のある舞台である。