いよいよ決戦です、その際の心構え。
タイガー
OFF OFFシアター(東京都)
2011/08/10 (水) ~ 2011/08/14 (日)公演終了
満足度★★★★
お盆公演らしいゆるさ
今回、「お盆特別公演」と銘打ってあり、これは江戸時代の「夏芝居は見物衆の肩がこらない息をつめて観るような芝居を避ける」という興行慣習とも合致している企画だと思った。
私が子供のころも新宿コマの喜劇人まつりなど、夏休みにはゆるいお笑い公演があったものだ。
観るほうも固いこと考えず、リラックスして楽しませてもらった。
まぁ、下ネタはないが、家族向きとは言えない。
俳優が全員個性的で面白く、笑っているうちに時間が過ぎていった。
ネタバレBOX
ドドイツの佐々木充郭が、バジリコFバジオの作・演出家で、俳優ではないと知って唖然。
これも納涼公演ならではの配役なのだろうか。
オタクのような究極の脱力系キャラで、億劫そうなしゃべりかたに味がある。
フェロもん(榎原伊知良)とお七(高野あさな)のコンビがチャーミング。
アケミの酒井若菜が終始真面目な演技でひきつける。
宿泊先のご主人の永山盛平が、最初のうち、棒読みで気のない演技なのだが、だんだん面白くなっていく。
ピロリの横島裕は、相変わらずきっちりした演技で笑いをとる。
行儀がよく、コメディアンのお手本のような人で、いつ見ても、彼のキャラクターははっきりしているのに、作品世界を的確に表現できるクレバーな俳優だ。
もっといろいろなコメディに客演して活躍してほしい人だと思う。
野仲真司を観ると、いつも個性派俳優の田中要次を思い出すが、爆弾みたいな独特な存在感の俳優だ。
今回は隠し芸的に、天狗のお面を使って全裸に近い状態でパフォーマンスを見せる。
これもバカバカしい趣向だが、こういう公演の企画としてなら許せるといったところ。
野仲の芸を、ふき出しもせず、呆れたようなそぶりのおかみさんキャシーの生原凛々子の表情が可笑しい。
予想したようにあっけない結末だが、戦隊ものらしい稲田徹のナレーションが効いている。
弥々
ジェイ.クリップ
赤坂RED/THEATER(東京都)
2011/08/09 (火) ~ 2011/08/09 (火)公演終了
満足度★★★★★
心揺さぶる演技
昼夜両方ご覧になったたかたが「普通の出来」とおっしゃる昼の部を観劇しました(苦笑)。
東日本大震災を受け、「どんなときにも絶望せず明るく生き抜いた弥々を演じること」が毬谷さんなりの応援メッセージなのだと思う。
私は一人語りとか、一人芝居というのがどうも苦手で、一人何役も演じるのが何となく観ていて気恥ずかしく、落語を除いてあまり観に行かないのだが、これはぐいぐい惹きこまれ、心揺さぶられた1時間30分だった。
初演をTVの録画中継で観たきりだったが、こういう公演はやはり生で同じ空間を共有しながら観るのが一番だと痛感。
彼女を初めて舞台で観てから約30年の歳月が流れた。宝塚退団後の舞台も観ているが、役者の引き出しを広げ、改めていい女優さんになったなぁと痛感した。
パンフに父の矢代さんが毬谷友子の魅力を「幼児性」と語っているのが印象的で、宝塚歌劇団在団中、「幼児性を何とかしなくちゃね」と彼女が先輩から注意されていたのをよく覚えている。
童女のようなピュアなところが毬谷友子の魅力なのかもしれない。
16歳から72歳までを演じ切るが、俳優の成長とともに今後どのように変化していくか楽しみな作品。
父から娘への最高の贈り物。ライフワークであろうから、また何年かしたら観てみたい気がする。
小劇場の女優さんにとっても勉強になると思うので、機会があればぜひ生で観ていただきたい公演である。
ネタバレBOX
魚の「カレイ」を描写するところの語りがちょっとグロテスクかつエロチックでなぜか一番印象に残った。
老若男女を緩急自在、一人で演じ分けるが、若い男性の芝居などはやはりルーツの宝塚を彷彿とさせる清潔感がある(彼女は男役ではなく、娘役だったけれど)。
抜群の美声と歌唱力で評価された人なのでミュージカル女優になるのだとばかり思っていたが、女優としての彼女にいままで以上の興味を持った。(旧東京宝塚劇場に流れる「さようなら皆様」の歌声は長く彼女の歌唱によるものだった)。
初演の時は八代さんが演出したと思うが、ろうそくを吹き消して場面転換するなど、身一つで演じながら自分で演出していくわけで、一挙手一投足に目が離せない。
潮騒の音が効果的で、頭上の1つのライトが月明かりのようで、シンプルだが洗練された舞台。
シーンとした緊張感の中での観劇だけに、隣席や周囲から聞こえてくる遠慮のない大いびき、バッグをごそごそまさぐる音、さらには背後で仕切り板をドンドン蹴る若い男性客には本当に腹が立った(振り返ってもおかまいなしである)。
最近、観劇マナーがどんどん悪化してる気がするが、時に私個人への意図的な嫌がらせなのかと邪推したくなってくる。
【全ステージ無事終了!ご来場ありがとうございました】みきかせプロジェクトvol.3 「流星群アイスクリン」
みきかせworks
ワーサルシアター(東京都)
2011/08/03 (水) ~ 2011/08/07 (日)公演終了
満足度★★★★
ラムネ組観劇
みきかせリーディングは初体験です。
個人的に、朗読劇と通常演劇の中間にある「詠み芝居」が好きで、以前はそういう企画によく行ってたのですが、みきかせプロジェクトは、固定ファンが多い印象で、私のような個人客は招かれざる客のようで敷居が高い気がして、遠慮していました。
今回、チャリT企画と8割世界、どちらも気に入った作家の劇団の組み合わせだったので、この機会にぜひと思い、出かけました。
チャリT企画は脚本・構成・演出が絶妙で、「みきかせ」の特徴を生かし切って、独自色を出した。
8割世界は俳優たちは熱演したが、作品に無理を感し、精彩を欠いてみえた。
私の感想としてはチャリTが☆5、8割世界が☆3で、2作平均で☆4の満足度でした。
「みきかせ」という上演スタイルも親しみやすいし、未知の劇団を知る、あるいはお気に入り劇団の別の顔をみることができるという意味でも、大変優れた企画だと思うので、
主宰のかたには、ぜひこれからも続けていただきたいです。
ネタバレBOX
<チャリT企画>
3月11日直前から今日までのチャリT企画をめぐる出来事と、周囲の社会状況を並行させ、ドキュメンタリータッチで描く。
日頃から楢原拓のツイッターを読んでいたので、「ああ、そうだった」と懐かしい気持ちで聞いていた。
劇団員の独白部分は楽屋落ちと言えなくもない内容なのだが、エピソードの一つ一つが面白いので気にならない。
特に松本大卒の独白は最高に面白い。
淡々と時系列で震災や原発事故の状況を読み上げる熊野善啓の格調高いリーディングが全体を引き締め、ユーモラスな劇団員たちのエピソードと好対照を成す。
水素爆発を思わせる煙の効果とあいまって、刻一刻と深刻さを増していく原発事故の状況が観客にも伝わる。
地震発生当初、目先の公演のことに関心が集中していたが、否応なく震災後の社会状況の変化に巻き込まれていく様子を表すように、劇団員の個人的な話が消え、全員が社会状況を語り始めるラストへの収束が見事だ。
キャンディーズネタはご愛嬌。楢原自身が「キャンディーズ誕生の1973年9月1日の翌日」に生まれ、「僕はキャンディーズのたった1日違いの弟、僕の人生はキャンディーズと共にあった」という内容の台詞があるが、彼はもっと若い人だと思っていた。それともこれは誕生日だけ1日違いという洒落でしょうか?
<8割世界>
かなり期待が大きかっただけに、自分が想像していた完成度との落差が激しかった。
「お客様を疲れさせてはいけない」というのが鈴木雄太の持論と聞いているが、正直観ていて長さを感じ、途中で疲れてしまい同行者も同じ意見だった。
ラジオドラマの収録風景を観ているようで、SFをラジオドラマでやるのと同種の難しさを感じた。ラジオと違い、演じ手の姿が見えるだけに表現の限界を感じ、作品世界の面白さがあまり伝わってこなかった。
短縮版だけに、名場面をつなごうとして焦点がぼやけてしまったかのよう。
本編を観ている人やヒーローものが好きな人は楽しめるのかもしれないが、初見には優れたダイジェスト版ではあっても訴えるものが弱い。
俳優陣では鈴木啓司が群を抜いて巧い。
情報局員の大士蓉子は滑舌がよく聞き取りやすい。
小林守も個性的ないくつもの役を達者に演じ分けた。
作品世界の一端が一番伝わってきたのは、コヤスミ課長の高宮尚貴の演技。
家族を失った憎しみから復讐を誓う台詞に説得力があり、非常に演劇的で重厚感がある。しかし、前後のストーリーが駆け足なので、この重厚感が生きない。
ミササギの佐倉一芯も緊張感を保つのに精一杯の印象。
他の芝居で観た飛山裕一のキレのある演技を楽しみにしていたが、今回はかすんでしまったように感じ、残念。
ケレン味の強い作品を選び、才気走って足をとられたように思えた。
黒猫【公演終了しました!誠にありがとうございました!】
声を出すと気持ちいいの会
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2011/07/29 (金) ~ 2011/07/31 (日)公演終了
満足度★★★★★
初演より洗練度が増した
「観たい」にも書いたように、声きもを知ったきっかけはこの『黒猫』の初演。
70年代から続いてきた明大の老舗劇団「螺船」が活動休止中で後を受け継ぐ形で、声きものDMが送られてきた。
その時代の既存の名作を上演してきた螺船が観られないのはさびしいが、声きもは脚色上演スタイルで、肉体を駆使して斬新で面白い演出だなぁと注目し、毎回楽しみに行っている。
主宰の山本タカさんは若手の中でも私が最も注目しているホープで、学生演劇の中でも頭一つ抜きんでた存在に思える。
かなり観る目の厳しい人にお勧めして観てもらっても、みなさん、初見で一様に「想像していた以上」と感心しておられる。
現代口語演劇とは対極にある作品を作る人だが、この独自色は保ち続けてほしいと思う。
『黒猫』の再演をずっと希望してきたので、今回の上演はとてもうれしかった。
初演と大筋は変わらないが、見せ方がより洗練された印象で、ダンスもとりいれ、すっきりとリズミカルで、初演より疲れなかった。
ネタバレBOX
音楽の一部に「黒猫のタンゴ」をクラシック調にアレンジしたものと、皆川おさむのボーカル版と両方使用しているが、私はめりはりあって悪くないと思う。
山本さんの作品はどこかアングラ芝居の香りがあり、クラシックできれいにまとめないところが声きもらしくて好きだ。
ポオの後藤祐哉以外は、5人の俳優が黒猫とさまざまな役を演じ分ける。
ポオの妻を演じる紅一点の加藤みさき、声きもには欠かせない草野峻平が好演。
主婦たちの噂話の場面は、初演のほうがよりリアルな演出で好きだった。
後藤祐哉は声きもの顔ともいうべき俳優で、狂気をはらんだ熱量の高い演技に特徴がある。
ただ、ややもすると硬直化する危険もあり、今後、役の幅を広げていってほしいと思う。
前回の『被告人ハムレット』も素晴らしかったので、次の新作が待ち遠しい。
ケージ
ミームの心臓
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2011/08/04 (木) ~ 2011/08/07 (日)公演終了
満足度★★★★
テーマに感動した
ネタばれにならないように感想をどう書けばよいかなかなかまとまらず、偶然観ていた知人とも意見交換しているうちに遅くなってしまいました。
パンフに「一人でも多くの人に観ていただきたいので、良いと思ったらクチコミしてください」という趣旨の一文があったので、主催者の方には申し訳なく思います。
自分のツイッターのほうでは、先にポイントのみ感想を書きましたが。
まず、テーマがよく、人物のキャラクターもはっきりしていて、よくまとまっていたと思います。
何よりも、娯楽として観るだけでなく、社会的な視点が裏付けにあり、手法にも好感が持てました。
舞台美術もセンスのよさが感じられ、音楽が控え目で、演出も抑制を聞かせてわざとらしく盛り上げることをしなかったのもいまどき珍しく、私の好みです。
若い人が演劇を通して、前の時代にも思いを馳せ、こういうメッセージを届けてくれるのも大変うれしく思いました。
日本の未来もまだまだ捨てたものじゃないぞって心強くなります。
次回作も期待できそうです。
ネタバレBOX
全共闘世代の3人がいかにもその時代の人らしく見えたのがよかった。
実際、あの時代にこういう若者をリアルタイムで見ているだけに、よけいにそう思った。
薙乃(朝戸佑飛)の革命への一途さ、官僚の家を捨て、出自を隠して革命に加わる中で薙乃に思いを寄せる藤間景子(小林依通子)の清冽さ、革命への迷いを持ちながら時代の渦に巻き込まれる織部(池田周大)のナイーブさ。
口調や雰囲気にあの時代の若者をよく再現できていると思った。
薙乃がお嬢様の黒岩(毛利悟巳)を見て、「40年後にもまだブルジョワ階級が存在してるのか!」と失望する場面、大真面目なだけに可笑しい。
世代間の断絶とよく言われるが、当然、我々は年長者と若者という図式でしか前の世代とは出会えないわけだが、その時代の若者として、前時代の人に対峙したらどうなるかという、この手法に関心を持った。
中心の男性2人、薙乃と現代人、結里(中田暁良)の白熱した議論がもっと聞きたかった気もするが、主軸が「イデオロギー対立」ではなく、「人間的アプローチ」にあり、それも学生らしく悪くはないと思った。
もし、将来、もっと広い世代向けに芝居を作られる際には、さらに深く切り込んだ姉妹篇を観たい気もした。
SFの定式として行動的リアリティーの描写に欠ける点が気になったという知人の意見に私も同感だが、それを超えてテーマに感動したという点でも知人と一致した。
具体的には、夏と冬という違う季節で、この山荘の一か所でワープし、次元的なひずみがあるわけだが、小屋と言いつつ何部屋もある山荘で、若者たちは一緒に部屋を移動する。
ならば、体感気温の差は?とか、食事をしないのはなぜ?と思ってしまう。
須藤(笹木皓太)が「身も蓋もない」と言うべきところを「根も葉もない」と表現した台詞があり、これは須藤がまちがえている設定なのかもしれないが、必然性がないので気になった。
3億円事件や佐世保事件を盛り込んだり、終盤で結里と祖母の関係が明らかになるなど、工夫のあるストーリー。
薙乃たちは浅間山荘事件を想起させるが、それだけに、次の世代に思いを託して命を捨てる決意をする場面では胸が詰まった。
サラリとした幕切れで、もうひとつインパクトがほしい気もしたが、これもそうする演出意図は伝わってきたので納得できる。
憐・哀-ren・ai-
オトナの事情≒コドモの二乗
APOCシアター(東京都)
2011/06/30 (木) ~ 2011/07/03 (日)公演終了
満足度★★
期待が大きかっただけに・・・
期待が大きすぎたせいか、正直がっかりした。
ナンチャッテ歌舞伎としては、成功してるとは思えない作品。
私は浅利ねこの衣装が好きだが、今回のは違和感が強かった。
洋服もいれば、和服もどきもいて、女性陣の着こなしがだらしなく、ある程度統一感がほしかった。
この衣装の違和感が作品自体を象徴している印象。
4組の男女の恋が描かれているが、人間描写に説得力を感じないので、4組出す必然性を感じず、悲恋の感動が薄かった。
古典に挑戦するユニットということで、今後に期待。
ネタバレBOX
本編が始まる前に、登場人物が三々五々出てきて、ファッションショーみたいに舞台をぶらつく。
これはこれでよい思うが、客席誘導係の岩田裕耳が「役者、舞台にいますけど、別に何かするってわけじゃないですからね。まだ始まってませんから」と説明したのがいかにも現実的に聞こえて興ざめで、何も言わなくてもよかったと思う。
歌舞伎で言う「塵鎮め」みたいな効果を狙っているのかどうか。中途半端な印象には思えたが。
現代は人形浄瑠璃の「伊達娘恋緋鹿子」の本編を知ってる人がどれだけいるだろうか。
それなのに中村梨那がお七の人形振りを見せ、ここだけ取ってつけたように「古典」で、効果的に見えない。
しかも、お七はビスチェで、娼婦のような衣装。人形振りの所作とマッチしない。
附け打ちも打ち方が下手なので、耳障りなうえ、必ずしもきめどころに入れないので、演出効果が出ていなかったように思う。
役者に歌舞伎の所作をさせているが、腰がすわっていないので、グラグラし、あれでは体に負担がくるだろう。
素養のない人に無理にやらせても、きれいに見えないし、逆効果だ。
ストーリーもダラダラして盛り上がりがないので、正直飽きてしまった。
玄朴と長英
ピーチャム・カンパニー
ART SPOT LADO(東京都)
2011/07/23 (土) ~ 2011/07/30 (土)公演終了
満足度★★★★
好感が持てる真摯なチャレンジ
小劇場の若手が眞山青果の戯曲を取り上げるとあって、楽しみにしていた。
元禄忠臣蔵のような大作は観ているが、本作は初見。
夏の演劇界は、昔から若手の勉強会が多く開かれてきたが、この公演も若手が難物に真っ向から取り組んだ有意義な二人芝居で好感がもてた。
青果ファンにも、青果を知らない人にもお勧めしたい。
これを機に、眞山青果に興味を持って、新歌舞伎の公演も観てもらえたらうれしいのだが。
この会場、多いときは週3回くらい前を通り、工事中も見ていたが、画廊に改装されたとは知らなかった。
まさか、ここで上演するとは思っていなかった。
外から見ても戸が閉まっているとわかりにくいのだ。
このことを含め、詳細についてはネタばれで触れます。
ネタバレBOX
開演前、出演者2人が洋服姿で立っていたのには驚いた。時代劇で上演するとばかり思っていたので。
出演者は開演前には出てこなかったほうがいいかなとも思う。
何しろ、長英の八重柏泰士は顔左半面ケロイドのメークをしているのだし。
ストーリーは公演ページに書いてあるので、省略します。
青果の劇は独特の台詞術で、歌舞伎俳優でさえ、技量を問われ、誰でも演じきれるというわけではない。
お2人も苦心されたろうと思う。
息の合った劇団員同士、伊東玄朴を岩崎雄大、高野長英を八重柏と、白と黒、オセロのようで、両者の色に合った配役で楽しませてもらった。
現代の服装で演じたので、所作に気を配る必要もなく、俳優は台詞に没頭できたと思う。
現代の煙草を吸ったり、ワインを飲んだり。特に煙草を吸う場面は、芝居の流れで間を持たせる効果もあり入れたのかと思うが、やはり仕草から現代劇のように感じて、話の内容との違和感を覚えてしまうのだが。
八重柏の長英は、終始ワイルドなラテン系の男みたいで、「うざい!」と言ったのにはびっくり。
だが、役を彼のものにしていて、不思議な説得力を感じた。
岩崎は日舞や狂言を習得しているだけに、洋服を着ていても歌舞伎俳優のような風情があり、なかなか見せる。
お互いに尊敬できる部分、反発し合う部分を相手に感じながらも、微妙な連帯感や友情で結ばれ、それゆえに苦悩も背負っているということを1時間という短時間の芝居で伝えたのは、原作が優れていることはもちろんだが、川口典成の等身大的な演出のなせる業といえよう。
人間関係が希薄で特定の人間と関わりを持ちたがらない傾向にあると言われるツイッター世代の若者に観てほしい佳品だ。
こういう公演は、劇団の意図は知らないが、私は劇団の常連ファン以外、日頃演劇に縁が薄い人や学生にこそ観てもらいたいと思うのだが、いくら中身が濃くても1時間の芝居に当日3000円の料金は、演劇通なら気にしなくてもそういう層には割高感が否めないと思う。
ギャラリーでの実験的公演だけに上限2000円くらいで気軽に見せてほしいと思う。
ツイッターで劇団関係者が宣伝ツイートをしきりに行っていたが、時間ばかりで料金は書いてなし、指摘するまで場所の説明もなかった。
多くの人に観てもらいたいとツイートしながら、宣伝の仕方がよくないと思った。
会場前も特別の催事があるのかなという感じで、受け机だけで、フラッと入れる雰囲気ではなかった。
今回、DMも来なかったのでチラシも手にしてないのだが、コリッチの公演情報と重複しても、当日、コピーの紙1枚くらい配布してもよいのでは。
私なら、簡単な作家紹介や時代背景の説明くらいはした印刷物を配る。それだけの料金を取っている公演なのだから。
この劇団、前身の学生劇団の頃から、ソフト面が不親切というか「勝手に観なさい」と言われているようなところがあって気になっているが、現代は多少のサービス精神は必要だと思う。
このまちのかたち【終了致しました。ご来場くださいました皆様に心より感謝致します。有難うございました。】
机上風景
タイニイアリス(東京都)
2011/07/08 (金) ~ 2011/07/10 (日)公演終了
満足度★★★★
抑制のきいた佳品
九州・大分県の小さな港町で起こった食中毒事件を芯に、4人の人物の関わり合いを描いた佳品。
声高にではなく、淡々と語られる事実の重み、心の傷、他者へのいたわり、後悔、怒り、憎しみ、戸惑い。
ドキュメンタリー・タッチで凄惨な事件がテーマだが、どぎつさはなく、水彩画のような味わい。
舞台装置を使わないシンプルな黒い舞台面に、人物がくっきりと描き出され、余白の美しさを感じ入る。
饒舌な芝居が増えているなか、たまにはこういう静かな作品を週末に鑑賞するのもいいと思う。
1時間20分という上演時間も抑制がきいている。
ネタバレBOX
舞台となる町にはみかん畑があり、みかんジュースの地元製造メーカーがある。そのみかんジュースに殺虫剤と同成分の毒物(当初農薬とも思われたが)が混入され、お祭りの日に
20人以上の被害者を出した。
この設定が、狭い地域社会を端的に表現している。
一命をとりとめたが後遺症で不自由な体の戸部友里(石黒陽子)が、自主映画を撮る友人の本橋理恵子(浜恵美)に事件当日の様子を思い出しつつ、静かに語り始める。
夫が勤める会社のみかんジュースを娘と分け合ったが、帰宅後、気分が悪くなった友里が病院に行っている間に娘は苦しみながら亡くなってしまう。
ひとり娘を失った友里の深い悲しみが観客の胸をえぐる。
娘の死の床での夫・隆昭(古川大輔)の様子を語る件がこの物語の眼目となる。
意識がもうろうとして病院に行く前後のことをよく覚えていないというが、同じものを口にしただけに、なぜ、念のため、娘も一緒に病院へ連れて行かなかったのか疑問が残ったが。
夫は心を病んだ妻から離れ、妻は実家に身を寄せ、夫は給料を妻のもとに振り込みながら、家に帰らず会社に寝泊まりしている。
取材の途中で声をかけてきた風変わりな女性、寺門(長島美穂)を、友里から聞いた話の断片から事件の加害者と推測した理恵子は、隆昭と寺門を引き合わせ、事件の核心に迫ろうとするが・・・。
長島美穂の寺門が秀逸。ユーモラスな感じさえする語り口が歪んだエキセントリックな性格をリアルに浮き彫りにしている。
最後の「妻の映像」の再現部分が、この夫婦関係の再生の糸口をも暗示し、見事な余韻を残して終わる。
天守物語
SPAC・静岡県舞台芸術センター
舞台芸術公園 野外劇場「有度」(静岡県)
2011/06/18 (土) ~ 2011/07/02 (土)公演終了
満足度★★★★★
宮城聰の演出が冴える
SPACの野外劇場はいつ来てもその景観とすがすがしい雰囲気に感動する。
演劇ファンを自認するかたには、一度は体験をお勧めしたい。
背後に迫る夜の森が幻想的な雰囲気を醸し出し、吹き渡る風も天然冷房のように涼しく心地よい。
今回の「天守物語」にふさわしいロケーションであった。
コロッセウムのような階段式の客席通路を花道のように使い、舞台との高低差を生かした演出。
宮城さんが好む民族調の打楽器の演奏で始まるのが祝祭的でよかった。
一部カットして1時間5分にまとめあげているが、原作の世界はじゅうぶんに堪能できた。
小劇場で古典をモチーフにした作品は上演時間が長いものが多いが、長いことが必ずしも作品の価値を高めるとは限らない良きお手本のような公演だった。
「天守物語」のファン必見の贅沢な舞台だと思うので、ぜひまた再演してほしい。
ネタバレBOX
棕櫚を編んだような傘を差して、富姫が客席上段から現れる。いかにも、妖怪らしく効果的な演出だと思う。
おどろおどろしい朱の盤坊がなまはげのように客席になだれこんで、客を驚かせ、怖がらせ、笑わせる。
俳優はスピーカーとムーバーに役割分担し、動いて演技をする俳優と、セリフをしゃべる俳優、2人で1つの役を演じる手法が文楽のようで面白い。
女性の役はムーバーが女優で、セリフは男優が、男性の役はムーバーが男性で、セリフを女優が担当する逆転の妙。
「天守物語」は舞台化が難しいとされ、「お金を出してもよいから上演してほしい」と鏡花が切望したにもかかわらず、
長く上演されなかったことで知られる作品。
歌舞伎や新派などで腕がある俳優が上演する分にはあまり問題がないが、最近、小劇場で上演された作品などを観ると、鏡花の独特の台詞の魔力に完全に負けてしまう俳優が多いようで、
力量不足を感じていた。
その意味でも、今回の演出は非常に効果的で成功していたと思う。
男女で1役を受け持つことにより、富姫の魔性や怪しい迫力と、図書之助の清冽さがよく表現されていた。
富姫と亀姫のドレスは、鯉のぼりの生地を縫ったようなどこか京劇やアジア風の個性的な扮装。
特に後ろのフォルムが、俳優が動くと可愛らしい。
眼目となる獅子頭が獅子というよりデザインが「龍」に見えたのも面白い。
桔梗が舌長姥の役も兼ねている。
播磨守の手勢を桔梗が覗き込む場面、位置的に舞台中央後方で、俳優が後ろ向きになり、語りのスケール感が伝わらなかったのが惜しく感じた。
やはり正面を向き、城を見下ろすように語ったほうがよかったように私は思う。
FUNKY SISTER BABYS
Theatre MERCURY
駒場小空間(東京大学多目的ホール)(東京都)
2011/06/24 (金) ~ 2011/06/27 (月)公演終了
満足度★★★★
この劇団では異色の作風
東大の学生演劇で、俳優として独特の存在感を示していた金澤さんが「自らの卒業公演」として上演。
改めて演劇への深い愛を自覚したと、DMの挨拶文に書いてありましたが、もう演劇活動には別れを告げてしまうのでしょうか。
金澤さんは、出てくるだけで何かやってくれそうという期待感が持てる俳優でしたから残念に思います。
何人かの先輩たちのように、何らかの形で続けてくれるといいのになぁと思いますが。
俗に駒場3劇団といわれるシアターマーキュリー、綺畸、劇工舎プリズムは、それぞれ団風がはっきりしていて、シアターマーキュリーはシリアスな芝居のイメージがあり、前回公演の「永久機関」はマーキュリーらしい作品だっただけに、今回の芝居はどちらかというとコミカルな劇工舎プリズムに近い気がして驚きました。
この芝居でも、金澤さんは俳優としてものすごくインパクトがあり、大いに笑わせてもらいました。
ネタバレBOX
サウンド・オブ・ミュージック」のファンで娘にヒロインと同じ「マリア(真理亜)」という名前をつけた母親の期待にそえず、反抗して家出した少女が家から近い「さいたま奥ちちぶ女子修道院」に見習い修道女として入るが、そこは「YESキリスト教」という怪しげな新興宗教が経営する修道院だった。
学院長(金澤周太朗)は「秋元康をさらにデブにしたような人物」と言われ、多角的に怪しげな事業を行っている。
修道女たちも個性的で変わった人物ばかり。
下ネタに極度に弱く気絶してしまうマザー(高木和沙)、元レディースで真理亜の教育係の竜子(小山田友理)、身長が高すぎる小2の子役さくらまな(布施まゆみ)、広報担当のアイドルMEGUMI(中原ひかる)と張り合う「美しすぎる修道女」カナ子(鷲山要子)、キレると凶暴なジャック(針谷紗代)。元流行作家の尼僧・瀬戸内を演じる笠浦静花が飄々として抜群に面白い。
修道院の「ご神木」である「エンジェル様」(久保田謙)が春夏秋冬、体につける花や葉で季節感を出していくのが面白く、最後はクリスマスツリーになってしまう。
学院長が考えたインチキなレジャー企画で、修道院にやってきた電通の社員(実名でいいのかな?)、辻本をめぐって修道女たちは大騒ぎになり、マザーの目を盗んで六本木で合コンをするが、プレイボーイの辻本に騙された竜子は妊娠し、捨てられてしまう。
辻本に談判に行った真理亜が、修道女は私財を持てないため、辻本に出産費用の現金をめぐんでもらい、泣きながらお札を拾う場面が切ない。
竜子の妊娠で、修道女たちの間には気まずい空気が流れる。
産気づいた竜子は、修道院で出産することになるが、マザーが実は過去に出産経験があることがわかる。
「出産って痛いんですよね?」と訊く真理亜に、マザーが「痛いけど、とても素晴らしいことなのよ」と告げる場面が心を打つ。そこで真理亜は反発していた母のことを思う。
「エンジェル様」が竜子との死闘で意識不明になった元恋人で対抗暴走族グループの首領だったことがわかる意外性も可笑しい。
修道院の脱税で学院長が逮捕されるが、ビデオレターのメッセージ場面がまた爆笑もの。
バカバカしいだけでなく、きちんと人間が描かれていて、異色の作品。リピーターが多かったのもうなずける。
おもいのまま
トライアングルCプロジェクト
あうるすぽっと(東京都)
2011/06/30 (木) ~ 2011/07/13 (水)公演終了
満足度★★★★
不思議な夢を見たような
感想をひとことで言うと、レビューの題のようになります。
同じような状況で、一幕と二幕がまったく異なる結末の芝居で、違うテイストなんだけど、終わった後、爽やかな気持ちになりました。
佐野さんの演技にぐいぐい惹きつけられていって、それだけでも観る値打ちがあったと思います。
石田さんは初舞台のときから落ち着いた女優さんで、舞台向きだと思うし、
穏やかな笑顔が印象的でした。
舞台美術が、90年代に見た飴屋さんの前衛的攻撃的アート作品とは違い、普通の落ち着いた感じなのが意外でした。
素敵なインテリアなんだけど、この劇場も間口が広いので、下から見上げる前方の席からは、中央部分がごちゃごちゃした印象にみえたのが残念。
でも、自分は視力が弱いので、後方だと俳優さんの表情が見えないのでしかたありません。
ネタバレBOX
同じ設定の芝居が2編。前篇が悲劇、後篇は多少笑いが混じる。
侵入するTV局の取材記者のコンビの音尾・山中さんが前半で1,2の役どころを替えて演じるのも楽しめる。
ただ、私の印象では、選択によって結果が大きく変わってしまうというよりは途中で起こった状況が少しずつ違うので、違う芝居にみえ、「AorBというような選択のもたらす妙」は感じませんでした。
前半の最後に水の音が高まって大きな潮騒に変わるあたり、冒頭に洗面所の蛇口がはずれて水浸しになる場面を想起し、不気味な効果があった。
後編は夫妻が助かり、ホッとして終わる。
控えめな音楽も心地よく、たまにはこういうお芝居もいいなと思った。
不都合な四日間≪終演致しました!沢山のご来場ありがとうございます!≫
クロカミショウネン18 (2012年に解散致しました。応援して下さった方々、本当にありがとうございました。)
テアトルBONBON(東京都)
2011/06/29 (水) ~ 2011/07/03 (日)公演終了
満足度★★★★
楽しめました
出演者の役名が芸名と同じで、「これはお祭り」とのパンフの説明に、予想していたのと違い、びっくり。
だから肩の力を抜いて、楽しませてもらいました。
このところ、番外企画が続き、その中で加藤裕さんが退団してしまったのはさびしい限り。やはり、ファンとしては野坂さんの新作本公演が早く観たいです。
ネタバレBOX
1日目と4日目が面白かった。
乞局を観たことがないので驚きましたが、3日目の暗く恐ろしい雰囲気から、一転してシチュコメ風ドタバタに転換させてくれる野坂さんはやはりうまいなぁと思いました。
大真面目に演じれば演じるほど面白い浅倉洋介さん、トボケた味わいのワダ・タワーさん、どんなタッチにも見事に順応して存在感を示す渡辺裕也さんが印象に残りました。
セットが本格的で素敵でした。渋い木目調にステンドグラスなどもあって。
齊藤陽介さんが、本当にこの喫茶店で働いてる男の子に見えたのもお手柄。
キャッシュ☆オン☆デリバリー~Cash on Delivery~
ファルスシアター
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2011/06/23 (木) ~ 2011/06/26 (日)公演終了
満足度★★★★
大健闘!
「観たい」にも書いたが、この戯曲、あかぺら倶楽部で昨年の夏、「誰がために金は成・・・ル」という題名で上演されたのを観ている。
レイとマイケルが親子ということで、「笑いのDNA」というタイトルで感想をまとめた。奇しくもあかぺら倶楽部は創立20周年、ファルスシアターは創立10周年の記念公演にこの作品を選んだ。ファルスはあかぺらのちょうど半分のキャリアだが、ともにレイ・クーニー、マイケル・クーニーらに代表されるシチュエーションコメディーを中心に上演していて、先輩・後輩のような劇団だなぁと思って観ている。
ファルスは劇団員が若いだけに配役に苦労があると思うが、今回は大健闘だったと思う。
神谷はつき、堀米忍の看板女優2人がスタッフに回り、女優陣に客演者を迎え、配役にも工夫したようだ。
大いに笑って楽しんだが、劇団員は中年でも若い女性が中心観客層のあかぺら倶楽部のような場内大爆笑といった感じにはならず、反応が鈍い。
こちらはいわゆる小劇場劇団の観客層が来ていたようで、微妙に違うのだろうか。
あまり笑うと悪目立ちしそうで何だか気兼ねしてしまった。
若手ながら頑張っているので、シチュコメファンにはぜひ観ていただきたい劇団だ。
ネタバレBOX
前回の時、詳しくストーリーを説明しながら感想を書いたので、今回は省かせていただく。
主役のエリック・スワンの白土裕也は童顔で、いつも若さがネックになるが、今回はまずまずの好演だった。
相棒役のノーマン・バセットはWキャストで、私が観た回は客演の塩原俊之。塩原は身長も高く顔だちも外国コメディーには適した俳優だと思うが、演技にぎこちなさがみえ、若さが出た。あかぺらではベテランの大西健晴が完璧に演じていただけに、正直見劣りがした。だが、後半になって、いい感じになってきたので場数を踏んでほしいと思う。
チャップマン先生の矢吹ジャンプ(こちらもWキャスト)は、安心して観ていられる。この人はシチュコメを演じるために生まれてきたような俳優だと思う。
今回、特によいと思ったのはジョージおじさんの七樹禄と、ミスター・フォーブライトの仙石智彬(Wキャスト)。
ジョージおじさんはあかぺらの時より色濃く印象に残り、いかにもお調子者の面白いおじさんで楽しめた。
フォーブライトはあかぺらでは青年役で演じたが、こちらは初老の紳士で、仙石は若いのにちゃんとそれらしく見え、藤村俊二のような品のある可笑しみがあってとてもよかった。
クーパー課長(大滝静香)は、あかぺら版とセリフはまったく同じなのに、あかぺら版ではエリックへの疑いが感じられて説得力があったが、今回はそこが弱い。
ジェンキンズ調査員(前村圭亮)もこの役らしく、この人を見るといつもホンジャカマカの石塚さんを思い出すのだが、巨体をフルに動かして熱演していた。
避雷針に落雷し、爆発状態でフラフラになって登場する場面、あかぺらでは大爆笑が起きたが、今回はなぜか笑いが少なかった。
あかぺら版では、屋根に上る場面も屋根で実際に演技し、客が大笑いしていたが、今回の上演では、屋根の場面は声のみ。そのあたりが落雷後のリアクションの違いかもしれない。
今回も壊れた洗濯機が出てきたが、活躍は控えめに見えた。あかぺら版では客席から「ワー!」という歓声が上がったが。
ファルスシアターも、次の10年目指して、続けてほしいと思う。
ノバ・ボサ・ノバ
宝塚歌劇団
東京宝塚劇場(東京都)
2011/06/03 (金) ~ 2011/07/03 (日)公演終了
満足度★★★★
名作は色あせず
「ノバ・ボサ・ノバ」の上演記録をみると、ちょうど日本経済が低成長期にさしかかった71年に初演され、オイル・ショックを経て完全に右肩下がりとなった76年を最後に上演が途絶えた。
バブルが弾けた99年に再演されて以降、上演されていない。
奇しくも東日本大震災、原発事故による大打撃を受けた直後、「ノバ・ボサ・ノバ」を観てみたいと思っていたら、東京公演があると知って観劇を決めた。
先日、「いまの日本には、眩しすぎる作品」との劇評を読んだ。
そうかもしれない。だが、代々、この作品に憧れ続けたタカラジェンヌたちの思いがこもっている名作だ。
初演の真帆しぶきを観て、「いつかソールを演じたい」と切望した安奈淳は76年に花組で念願かなって主演を果たし、作・演出家の鴨川清作と安奈淳の狂おしいまでの師弟愛はいまや伝説となっている。
一方、雪組の汀夏子は何回か出演しているにもかかわらず遂にソールを演じる機会がなかった。
今回も、尚すみれ、室町あかね、御織ゆみ乃、若央りさといった、歴代の代表的ダンサーで本作の大ファンであるOGたちが各場の振付を担当している。
若央りさは「演じたい役、ソール」と言い続けた生徒でもあった。
今回主役のソールを演じた柚希礼音は初舞台が「ノバ・ボサ・ノバ」で私も観ているが、あの研1生がもうトップなんですねぇ。
40年たったいまも色褪せぬ宝塚の財産ともいえるショーである。鴨川は、日本のレビュー演出家としては、やはり不世出の名手と、今回の上演でも再認識させられた。
暗い時代にこそ、眩しくともサンバのリズムは心に響く。
出演者の大半が黒塗りするラテン物は、たいてい2演目のうちの後に持ってくるのだが、今回はなぜか白塗りの西洋芝居が後。
メインの演目とはいえ、後に持ってきたほうが、フィナーレ演出も映え、生徒の化粧の負担が軽かったのでは?
ネタバレBOX
「ノバ・ボサ・ノバ」
宝塚を代表する名曲のひとつ「アマール、アマール」、柚希礼音も歌唱は上手だ。
だが、真帆や安奈に比べ、いま一歩、この主題歌のドラマ性を表現できていない気がした。
屑拾いのユーモラスな場面は、男役の色気と愛嬌をみせる名場面で、柚希はなかなかよかった。
「シスターマーマ、あれはなんでしょう?」思わず口真似してしまう有名なセリフ。
浮世離れしたルーア神父がシスターマーマに目にした俗世のさまについて尋ねる。今回のマーマは組長の英真なおきで、ルーアは名前の通り涼やかな涼紫央。
私には、いまや国会議員の松あきらのルーアが印象に残っている。
冒頭の、わきあがるように男女が登場する場面の振付がいつ観ても懐かしい。
各場面、大筋は印象が変わらないが、ショー的に最高に盛り上がるはずの大詰めシナーマンの場面など、ちょっと地味な印象。
恋敵のオーロを刺そうとして、誤って婚約者のブリーザをマールが刺してしまうクライマックス的場面も、あっさりしすぎていたように感じる。
男子禁制のクラブ・バーバの場面、男役が娘姿、娘役が禿げ頭の男の姿でダンスを踊るのが、滑稽だが怪しいエロスがある。
この作品では、歴代ドア・ボーイが出世役と言われ、ジンクスというより、歌劇団が意図的にスター候補に演じさせている。
今回は期待の新人、麻央侑希(巨人OBで元西武ライオンズ監督の広岡さんの孫娘だそうな)が演じ、新人公演の主役ソールも射止めたので、たぶん彼女が将来トップスターになるのでしょう。
私が観た例では、寿ひずる、貴城けいがそうだった(寿は、トップ内定を辞退して結婚退団したが)。
「めぐり会いは再び」
18世紀のフランスの劇作家、マリヴォーの「愛と偶然との戯れ」より小柳奈穂子が脚色・演出。
星祭伝説にちなみ、貴族の男女にまつわる伴侶選びのラブ・コメディー。
美しい中世風の音楽に乗せ、美男美女が集ういかにも宝塚らしい、肩がこらない少女マンガのような物語。たまには、こういう作品もいいですね。
主題歌を平井堅が提供している(ホォーッです)。
ヴェニスの商人
劇団四季
自由劇場(東京都)
2011/06/05 (日) ~ 2011/06/26 (日)公演終了
満足度★★★★★
当代最高のシャイロック
この作品を知ったのは小学生のころで、お芝居で観るより先に、子供向けに書かれた物語を読みました。
男装のポーシャの機智に富んだ胸のすくようなお裁きに心を奪われたものです。
浅利さんの演出では、評判に聞く民藝の滝沢修さんのシャイロックは残念ながら観ていません。
レトロな雰囲気の自由劇場にはぴったりの美しい舞台美術に幕開きから見惚れてしまい、最初から最後までわくわくして観ていました。
家族に誘われての観劇でしたが、平さんのシャイロックが観られて本当に良かった。私にとっては最高の『ヴェニスの商人』となりました。
これぞ“磨き抜かれた名人芸”と形容するにふさわしい作品だと思います。
ネタバレBOX
平幹二朗という俳優さん、最初に認識したのは映画で、まだTVの「三匹の侍」に抜擢される前で、「そうだ、そうだ、庄屋さまの言うとおりだ」というセリフひとことの百姓その1で出ていた新人の頃。
そののち役がつくようになっても東映作品では悪役か、ヒロインに嫌われる役が主で、善人役は「家光と彦三と一心太助」の柳生十兵衛役しか記憶になく、当時は主役を演じる俳優さんに出世するとは想像もしていなかった。いやはや、観客としては長いおつきあいです。
このシャイロック役、新聞には「平幹二朗が一世一代で」と書かれていたが、役者で「一世一代」というのは、その役を演じるのがこれで最後という意味に使うのが常なので、もうシャイロックを演じるのは最後ということになるのだろうか。
冒頭、街頭で群衆の行きかうなか、アントーニオとすれ違う時の嫌悪に満ちた一瞬の目の輝きで、シャイロックという男を印象付ける演技が素晴らしかった。
セリフのひとつひとつが心に染み入るようで、シャイロックに焦点を当てた浅利版を鮮やかに体現されていた。
シャイロックは、借金のかたに人の肉を1ポンド要求するようなユダヤ人の強欲な金貸しで、ゆえにポーシャに裁判で完膚なきまでに打ちのめされて、3組のカップルがめでたく結ばれるハッピ-エンドの結末に人々は喝采し、シェイクスピアもそのようにこの劇を書いたのだという。
しかし、「ユダヤ人であるために金貸しになった」という歴史的背景を考え、シャイロックのセリフに耳を傾けるとき、シェイクスピアはユダヤ人への一抹の同情心とその悲劇をも表現しているということに浅利氏は着目した。
「ユダヤ人だってあなたがたと同じ人間なのだ!」ということを訴えながら、裁判に負け、人々に愚弄されながら舞台を去るシャイロックの背中からあふれる悲しみが胸を打つ。
シャイロックの悲劇の対極にある明るい恋愛劇の主役であるポーシャを演じる野村玲子の美しさも魅力的だった。
プログラムに掲載された経済人としての浅利氏の中東問題分析やアメリカ経済との関連説明もなかなか興味深かった。
書割にウィリアム・ターナーの絵を使用し、橋や階段を使って運河の町、ヴェニスを表現した舞台美術もシンプルな中に写実味もあって記憶に残った。
『十二人の怒れる男』/『裁きの日』
劇団チョコレートケーキ
ギャラリーLE DECO(東京都)
2011/05/25 (水) ~ 2011/06/05 (日)公演終了
満足度★★★★
見ごたえあり“小劇場版『十二人』”
「十二人の怒れる男」千秋楽を観劇。ギャラリー公演で緊迫感があるので、前
に観た蜷川版より疲労感が少なく、審議の経緯を楽しめた。
既存の作品のため、「裁きの日」の動きの少ない演出とは対照的に、多分に
演劇的である。このへんの対比を考えた日澤雄介は巧い。キャスティングも考慮され、よくぞ小劇場界の人材を集めたと感心した。
ネタバレBOX
蜷川版と違い、ダークスーツで衣裳を統一。
何より残念だったのは核となる役の根津茂尚が何度か台詞をつっかえたことで、言い直したりすると、この芝居は興がそがれてしまう。
演技力は申し分ない人で、昨年の「葬送の教室」では、大いに存在感を示しただけに惜しい。
血管が切れるのではないかと心配するほどの大塚秀紀が激昂型人物を熱演。
菅野貴夫の役も、蜷川版ほど自分勝手な人物には感じなかった。
小笠原佳秀がたぶんこの役との推測通り、広告会社の男で、こういうちょっといやみでチャランポランな男を演じさせると巧い。
古川健が移民の男の静かな悲しみを表現。
塚越健一の年配の男が歌舞伎俳優の客演のように重みがあり、印象に残った。
ナイフの使い方の違いに疑問が呈されて流れが変わるところや、息子と断絶を感じて、少年への偏見を持つ男の偏狭さなど、俳優の力量もあって、不十分に感じるところもあった。
岡本篤はいつも冷静沈着な生真面目な役が多いが、作品ごとに、その生真面目さが微妙に違い、常に役に説得力があるところに感心する。
コクーン歌舞伎第十二弾 盟三五大切
松竹/Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2011/06/06 (月) ~ 2011/06/27 (月)公演終了
満足度★★★★
初体験で感じたこと
コクーンにはずっと距離を置いてきて今回が初体験。
観終わってのまず最初の感想は、勝手な想像で距離を置いてきたのだが、それは自分にとってはよかったということ。
しじゅう同じ座組みで、名作を繰り返し演じていてたまに刺激を求めたい歌舞伎役者と、何か新しいことやってみたいが、古典で冒険するって楽しそう、という演出家、敷居が高そうと敬遠してきた歌舞伎を身近に感じられそうだという現代の観客の三者の思惑が合致したのがコクーン歌舞伎なのだろう。
SUSHIのカリフォルニア巻きを美味いと思うかどうかというと、私はアイディアとしては面白いし、好きな人は食べたらよいと思うが、自分はあえて食したいとは思わないということだ。
昭和のある時期から、歌舞伎の劇評も近代の純文学的難解な解釈をする劇評家が現れて、人気を得たりしたが、私などはそういう解釈はとんと不得手で、字も読めない町人が観て楽しんでいたのが歌舞伎なんだ、という思いが強く、七面倒くさい心理解釈は、現代劇だけでじゅうぶんという気がしてしまう。
もちろん上演意義は感じる。
本編を観てる人が、へぇー、こういう演出もあるのかと思うぶんにはいいが、これしか観なかったとしたら、ちょっと残念な気もする。
もともと、この作品は、南北自身が書いた「東海道四谷怪談」や上方芝居の「五大力物」のパロディーとして当たったのだが、そういう意味では、串田歌舞伎も一種のパロディーと捉えられなくもない。
先日の花組芝居の「番町皿屋敷」のときにも書いたが、ぜひ、純歌舞伎の「盟三五大切」、さらには、この元となった「五大力恋緘」のほうも観ていただくと、よりこの物語の解釈が深まると思う。
ついでに「今様薩摩歌」も観ると一層混乱していって楽しいと思う(笑)。
ネタバレBOX
小万の腕の彫り物の「五大力」を「三五大切」と書き換える趣向は、「五大力恋緘」を映しており、元が上方の話だから、住吉大社の五大力信仰や手紙の封じ目にかけた願いが遊女の心中立てに転用されたとか、そういう「遊び」がわからないとこの芝居は面白くないのだが、プログラムにもそういう解説がほとんどされていないのは残念だった。
三五郎が死ぬ間際に女房の名前の「お六」と写実に呼ばないのも、あくまで「五大力」といえば「小万」を意識しているからだと思う。
小万の菊之助はふとしたところにお父さんの若い頃やおじいさんの芸風をも思わせるが、意外に2人よりもこってりとした味があり、それが南北物には合っていて、玉三郎が南北物で見せる江戸前の伝法さとも違う個性を感じた。
三五郎の勘太郎は、父の勘三郎によく似ていて、こういう南北物に必ず登場する小悪党の愛嬌がよく出ている一方、忠義者の側面もきちんと出しているのがさすが。そうでないとただのお調子者のチンピラになってしまう。
小万を惚れ抜かせる色気もあり、この若さでこれだけ演じられるのは努力もあろうが、やはり名優の血筋だと痛感する。
源五兵衛の橋之助は、辛抱立ち役から殺人鬼へと変化する難しい役を丁寧に見せた。いい人でも豹変するということだが、他方で、これは「東海道四谷怪談」の世界とも微妙につながっていて、そういう不気味さを橋之助は体現できていた。
源五兵衛の忠義な若党八右衛門を橋之助の息子で丸い体つきの国生がけなげに演じている。彼のゆっくりとしたしゃべりかたは古典歌舞伎の子役の口調が多分に残っていて、この芝居の中では少し浮いた印象に感じてしまう。
年齢的にも、古典歌舞伎の修行が精いっぱいという時期だと思うし、コクーン歌舞伎に出すのは技量的に酷な気がした。
橋之助は子役の頃から達者で、10歳くらいで法界坊の丁稚を器用自在に演じて拍手をさらった人だが、国生はおっとりしたお母さん(三田寛子)似なのかもしれない。
坂東彌十郎は家主と富森助右衛門の2役だが、若手の頃に多く観たせいか、この人もそういう年になったかと感慨深い。
助右衛門が忠臣蔵の人物らしく見え、よかった。
伊之助の片岡亀蔵も名脇役だった父の片市っぁんこと片岡市蔵を彷彿とさせる。
笹野高史は三五郎の父、了心と道化役ますます坊主の2役だが、了心がなかなか良かった。
ますます坊主は、「メルトダウン」だの、「シーベルト」を「シーボルト」と言っておどけていたが、なぜこんな深刻な話題を時事ネタとして笑いにしなくてはいけないのかわからない。かえって冷やっとさせられた。
新聞の劇評ではチェロ演奏が効果的と褒めていたが違和感もあった。
コクーン歌舞伎は初めてだっただけに、幕開きは印象派の絵のような舞台美術とともに「ほぅー」と思っていたのだが。
ツケ打ちも使うところと使わないで音楽伴奏のところがあり、本来「バッタリ」で見栄を切るところが、ホワーンとなってしまう。
また、源五兵衛が二軒茶屋で五人切りに及ぶこの惨劇が人生の契機となることを強調するあまり、走馬灯のようにグルグル回り舞台で追想にも持っていくのが、女の首の前で据え膳を食って仇討に出立するという歌舞伎特有の異様な光景をぼかしてしまっている印象。
現に「源五兵衛の殺人は夢想の世界」などと解説してる劇評もあり、新演出の難しいところだと思った。
本水の雨を降らせるが、あまり本水である必要を感じなかった。
忠義のために悪事を働いたら、かえって主の仇となるというよくある歌舞伎のパターンだが、違う名前を名乗っているから気づかなかったり、案外、似たような因縁話は現代にもあるのかもしれないと、ネット社会に思いを馳せたりもした。
【ご来場ありがとうございました!】Loss / Recover
劇団パラノワール(旧Voyantroupe)
サンモールスタジオ(東京都)
2011/06/07 (火) ~ 2011/06/15 (水)公演終了
満足度★★★★
Lossバージョン観劇
このあいだの坂上忍の芝居や、「NUMBERS」でのDART’Sのように、極限状況に放り込まれた男女を描いた猟奇的な芝居が続くが、これは「夢」を扱うことで、サバイバルゲームが一段と面白くなっていた。
震災後だけに心に響く作品になっていたと思う。
独特の色彩を持つ劇団で、毎回怖いけど(笑)早くも次の作品が待ち遠しくなる。
ネタバレBOX
男は白のTシャツにジーンズ、女は白のタンクトップにジーンズ(デニムと言うべきか)のショートパンツというユニフォームのような衣装も効いている。
数字やキーワードを巧みに使い、「バトルロワイアル」のようなゲームが展開される。
次々にキーパーソンが変わっていくので飽きさせないし、人物配置が巧く群像劇としても楽しめた。
ゲームの冒頭の邸木ユカのキレっぷりが怖くて、緊張感が出た。当たり前かもしれないがコメディのときとはまるで違う印象に感心する。
終始、平和的解決を説くサタンの萬浪大輔がよかった。名前がサタンなのに正反対のキャラクターなのも面白い。この劇団、外国の話でも、日本人的表現が特徴ということだが、サタンが「俺たち、日本人だろう!」と訴える場面は感動して自然に涙が出た。
プロローグとエピローグも凝っていてよかった。ゲームも含め、常に「奥の席に座ること」が重要なポイントになっていて、構成が巧み。
冒頭、川越美和が動きながらの独白は、セリフを早口で言って動く分、やはりぎくしゃく見え、ここは本人のナレーションで動きに集中した方がよかったのでは?と私は思った。
最後の解釈が観る人によって違っているようだが、これはそのようなつくりの芝居なのだろうか。
マチネのおまけについた劇団ひろしの寸劇は、本編とは打って変わって出演者が楽しそうに馬鹿馬鹿しいコント芝居を演じている。
ここでも萬浪が面白く、偉そうに凄んでみせ、情けない捨て台詞を言って退場するのがいい(笑)。
おまんじゅう
多少婦人
OFF OFFシアター(東京都)
2011/06/02 (木) ~ 2011/06/06 (月)公演終了
満足度★★★
特徴ある作品だったけど
毎回テーマを設けているが今回は「おまんじゅう」。全体的に凡打に終わった印象。多少婦人はコントでもなく、普通の演劇とも違う特色ある劇団だけにずっと観続けている人には違和感がないとしても、初見の人は戸惑うかもしれない。
そういう意味では、好き嫌いが分かれ、誰でも楽しめるとは言い難いところがある。
しかし、以前はもう少し入りやすい印象があったのだが。差別化重視でいくのか、観客層拡大を考慮するのか今後に注目したい。
ネタバレBOX
最初のミステリー物がわかったようなわからないような(笑)。山荘の女主人(小泉めぐみ)の扮装が小劇場でよく見かける有名人がモデルなのか、そっくりで驚いた。
遠藤夏子の特徴あるしゃべりかたが芝居のアクセントになっていたが、あの動きを繰り返すとしつこいギャグに見えてしまう。
石井千里のデブキャラには驚いた。学生時代から「ちょっと癖のある性格できびきびしている」という役が多かったせいか、こういうほんわかしたボケキャラをこなすとは意外な発見だった。
オフィスのおしゃべりさん対策。みかんはこういう裁き役が得意。最初は単におしゃべりをやめさせる作戦だったものが、だんだんやりこめる方向に変わっていき、それを楽しむようになっていく人間の心理を描く。酒井雅史らしい作品だと思った。
筑田大介の男性社員がいかにもいそうなタイプで面白く見られた。ただ、ほかのかたも指摘していたように、おしゃべり組がパソコンキーを叩く仕草がいかにも気のない類型的な表現で私も気になった。
ショートコントならまだしも、そうでないなら、写実的にしたほうがよかったと思う。
おまんじゅう星人が出てくる話はナンセンスなSFタッチの艶笑コメディなのか。これも私にはよく意味がわからない作品だった。
山本しずかが大胆な演技で笑わせるが、渡辺は下ネタが苦手と言ってた割には、こういうものを作るとはこれまた驚き。
渡辺裕之の作品は、本人の狙いがいまいち伝わらないときがあるが、これもそう感じた。観ていて落ち着かなかった。
ここでも石井千里のトボケた従業員のおばさんが面白い。おまんじゅうを「気を遣ってもらっちゃって・・・」と口に入れるところや「危ないところだったねぇ」と山本に言う「間」がすごくよかった。
和菓子屋は無神経な小姑(宮嶋みほい)に対する若女将である嫁(國枝陽子)の心理的葛藤を描く多少婦人版「渡鬼」?的作品。
嫁の本心ともいえる分身(小林知未)を出すが、分身を嫁の表情に合わせることなく演じさせることで、顔には出さない本音が見てとれる演出がいい。
酒井という人は、いつもこういう視点で人間観察してるのかなぁと興味深い(笑)。
渡辺が作・演出のみで俳優として出演しなかったが、私は俳優としてもこの人が好きなので、また出てほしいと思う。
番町皿屋敷
花組芝居
座・高円寺1(東京都)
2011/06/02 (木) ~ 2011/06/07 (火)公演終了
満足度★★★
オチャラケ版皿屋敷
オチャラケ95%で、あまりにも入れ事が多すぎる。
少し早目の暑気払い納涼企画という感じで、岡本綺堂の原本を観ていれば、それなりに楽しめる部分もあるが、
ここまで脚色してしまうと、パロディーコントというか、昔の東宝の「雲の上団五郎一座」みたいな感じだ。
贔屓の俳優のはじけっぷりを観るファンには楽しいのだろうが。
まぁ、花組芝居というのは多分にそういう劇団だから、私は昔に観て引いてしまったのである。
最後にいくら真顔になって演じても、哀れさなんて響いてこない。
これを初見でごらんになった方には、ぜひ本家の岡本綺堂のほうもごらんくださいとお願いします。
子供の頃、愛しているならなぜ播磨はお菊を許してやらなかったのだろう?と疑問に思った。
武士の心底を家来の女に疑われるということが、「旗本として男の意地を通す」播磨には許せなかったのだろうし、アイデンティティーがこの時代の武士にとって、いかに大切なものかということがよくわかる芝居ではある。、
女は恋に命を懸け、男は意地に命を懸ける典型のような話。
武士道とは比較にはならないが、男の沽券という意味では、彼女にケータイを見られたという理由で別れる現代の男女の恋愛心理にも相通ずるものがある。
ネタバレBOX
加納幸和のお菊よりも傍輩を演じた堀越涼のほうが目立つ演出になっているのが気になった。
衣装も中間色の淡い総花模様の加納より、花紫の地の縫い取りを着た堀越のほうが主役に見える。
話題の映画「ブラック・スワン」を演じる場面はご愛嬌だが。
お菊の悲恋が生きてこないきらいはあった。
芝居がどうこうより、加納が若手を遊ばせて楽しんでるふうにも見えた。
それならいっそ、小林大介と堀越に播磨とお菊をやらせ、加納は伯母役に引いて、もう少し楷書で演じたものを観たかった気もする。