満足度★★★★
初体験で感じたこと
コクーンにはずっと距離を置いてきて今回が初体験。
観終わってのまず最初の感想は、勝手な想像で距離を置いてきたのだが、それは自分にとってはよかったということ。
しじゅう同じ座組みで、名作を繰り返し演じていてたまに刺激を求めたい歌舞伎役者と、何か新しいことやってみたいが、古典で冒険するって楽しそう、という演出家、敷居が高そうと敬遠してきた歌舞伎を身近に感じられそうだという現代の観客の三者の思惑が合致したのがコクーン歌舞伎なのだろう。
SUSHIのカリフォルニア巻きを美味いと思うかどうかというと、私はアイディアとしては面白いし、好きな人は食べたらよいと思うが、自分はあえて食したいとは思わないということだ。
昭和のある時期から、歌舞伎の劇評も近代の純文学的難解な解釈をする劇評家が現れて、人気を得たりしたが、私などはそういう解釈はとんと不得手で、字も読めない町人が観て楽しんでいたのが歌舞伎なんだ、という思いが強く、七面倒くさい心理解釈は、現代劇だけでじゅうぶんという気がしてしまう。
もちろん上演意義は感じる。
本編を観てる人が、へぇー、こういう演出もあるのかと思うぶんにはいいが、これしか観なかったとしたら、ちょっと残念な気もする。
もともと、この作品は、南北自身が書いた「東海道四谷怪談」や上方芝居の「五大力物」のパロディーとして当たったのだが、そういう意味では、串田歌舞伎も一種のパロディーと捉えられなくもない。
先日の花組芝居の「番町皿屋敷」のときにも書いたが、ぜひ、純歌舞伎の「盟三五大切」、さらには、この元となった「五大力恋緘」のほうも観ていただくと、よりこの物語の解釈が深まると思う。
ついでに「今様薩摩歌」も観ると一層混乱していって楽しいと思う(笑)。
2011/06/28 07:21
2011/06/27 21:36
2011/06/27 01:21
いえいえ、私も素人で、詳しいことはわからず、記憶も薄れて、昔、勉強したこともだいぶ忘れてしまいお恥ずかしい限りです。
お父様のように、本当に演劇研究をされていた劇評家がいまは皆無に近いですね。しかも、お父上は常に謙虚に勉強され、「自分はよく知っているから」という態度では書かれなかったですからね。根っから、演劇を愛しておられたから、謙虚でいられたのだと思います。
以前、私が別の欄で「お社の先生」について書いたことが、ちょっと誤解を招くような表現をしてしまいまして演劇評論家のご家族であるかたには、大変失礼になり、申し訳なかったのですが、この場を借りてお詫びいたします。
もちろん、KAEさんのお父様は、いわゆる「お社の先生の特権」に甘んじていた人とは対極におられ、矜持の固い、距離を置かれた劇評家でした。
そのことを実際に私は歌舞伎座で目撃しておりますので。