マリンバの観てきた!クチコミ一覧

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ひみつのアッコちゃん

ひみつのアッコちゃん

劇団ガソリーナ

【閉館】江古田ストアハウス(東京都)

2009/07/08 (水) ~ 2009/07/19 (日)公演終了

満足度★★★

さよなら江古田ストアハウス
じんのひろあきの作・演出なら大ハズレはないだろうということで観劇。去年亡くなった赤塚不二夫の漫画がタイトルになっているが、漫画のストーリーをそのまま役者が実演したものではない。

ネタバレBOX

じんの作品で漫画をモチーフにしたものといえば、「デビルマン」のほかに「ドラえもん」も見たことがある。いずれの場合も漫画の主人公は芝居には登場しなかった。
今回は「ひみつのアッコちゃん」が映画化されることになり、その主役を選ぶオーディションの最終審査のようすを描いている。選ぶ側は5人。女流監督や脚本家やプロデューサー。一方、審査を受けるのは、これが候補に残った5人の子供ではなく、彼らの親だというところがミソ。たしかに親の話を聞けば自然と子供のようすもわかってくるが、逆に子供が相手だとなかなかそうはいかない。子供が自分の親のことまで充分に語るのはかえって不自然だし、だいいち演技のできる子役を5人も集めるのは、それこそアッコちゃんのオーディション以上に大変かもしれない。
ということで、母、母、父、母、両親という順番で、5組の親が登場する。審査員5人は机を横一列に並べてすわり、その向側の椅子に親がすわるという面接形式。ただし、それぞれの表情が観客に見えるように、審査員の机と親の椅子は場面ごとに角度をずらしてある。
全体的には動きが少ない芝居で、そのままラジオドラマとしても使えそうな脚本だった。そのせいもあり、4番目に登場する母親の、ミュージカル「アニー」への熱い思いと熱唱がよりいっそうインパクトを増した。
5組の面接が終わったあと、残った審査員の間でさらに一悶着。原因はもっぱら最終決断を下せない監督にあるのだが、その優柔不断さに対して、どちらかというと共感よりも苛立ちを覚えてしまった。個人的には、オーディションの場面だけで充分で、最後の審査場面はちょっとクドいと感じた。

考えてみれば、ミュージカルとオーディションは関係が深い。「コーラスライン」はオーディションそのものだったし、現在上演中の「スペリング・ビー」も子供のコンテストを描いている。劇中の「ひみつのアッコちゃん」は映画だけれど、これも最終的にはミュージカルになるだろうと私は推察する。
上海異人娼館-チャイナ・ドール -

上海異人娼館-チャイナ・ドール -

青蛾館

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/07/08 (水) ~ 2009/07/12 (日)公演終了

デカダン
寺山修司が亡くなったのが1983年。その2年前に作られた映画「上海異人娼館」をもとに、岸田理生が今から20年ほど前に構成・脚本を担当した舞台劇。
私が芝居を見始めたのは寺山の没後だし、岸田理生が関わった芝居を見るのもこれが初めて。古典を見るときのように、予備知識ゼロで見るのはなかなかむずかしい作品で、見ているうちにもその時代背景が気になってくる。
映画はポーリーヌ・レアージュの「O嬢の物語」の続編を寺山が上海を舞台に置き換えたものだという。城館で繰りひろげられる退廃的でエロチックな世界というのは、ジャンルとはいわないまでも、映画や文学作品の系譜としてはそれなりにある。王侯貴族による酒池肉林の宴なんてのがそもそもの始まりではないだろうか。

ネタバレBOX

時代は1920年代。場所は上海の租界にある娼婦館。そこに新顔としてやってきた少女が目にする、妖しくもおぞましい人間模様。
娼婦館の女主人は黒蜥蜴という。美輪明宏主演のアレを思い出したけど、そもそも両者に繋がりはあるのだろうか。女主人が銃弾に倒れたあと、少女がやがて2代目を継いで幕切れというのが面白い。
娼婦たちのエピソードには寺山らしさがのぞいていた。娼婦と客との関係は、一種のRPG(ロール・プレーイング・ゲーム)だなと思う。

個人的には、こういう時代がかったものを、いかにも凄みをきかせた演技・演出で見るのはあまり好きではない。
「ロメオとジュリエット」「令嬢ジュリー」

「ロメオとジュリエット」「令嬢ジュリー」

谷桃子バレエ団

新国立劇場 中劇場(東京都)

2009/07/04 (土) ~ 2009/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★

文芸バレエ
バレエを見始めてまだ日は浅いのだけど、チケット代が安ければもっと見たいと思っている。文字通り、バレエは高値の花だ。
谷桃子バレエ団は今年が創立60周年だという。見るのはこれが4度目くらい。そのうちの2回は団員による創作バレエの発表会だった。BATIKの黒田育世が所属していたこともあり、古典だけでなく、創作ものにも熱心なカンパニーなのかなという印象がある。
今回はスウェーデンの女流振付家ブリギット・クルベリ(1908-1999)の作品を2本立てで上演。彼女の名前は今回初めて知ったが、スウェーデンではバレエ・カンパニーにその名前が冠せられているくらい有名な存在らしい。現在も振付家として活躍しているマッツ・エックが彼女の息子だったというのには驚いた。
上演された2本はどちらも有名な戯曲が原作。一つはシェイクスピアの「ロメオとジュリエット」、もう一つはストリンドベリの「令嬢ジュリー」。言葉そのものといっていい戯曲を、言葉をまったく使わないバレエに置き換えるのは、ある意味で乱暴な行為だと思うけれど、実際にはドラマ性がより濃厚なほうが、無言のダンス表現では観客に内容がよく伝わるようだ。

「ロメオとジュリエット」は芝居だと2時間以上はかかるはずだが、バレエ作品では約1時間に収まっている。舞台装置はまったく使わず、照明と衣装による色彩の変化だけで雰囲気を盛り上げている。対立するキャピュレットとモンタギューを青と赤で色分けし、そのなかでジュリエットだけは白い衣装を着ている。シェイクスピアの芝居を観客が知っていることを前提にしているとはいえ、鍵となる10の場面をダンスで演じることによって、「ロメオとジュリエット」の物語をわずか1時間で観客に伝えてしまうというのはすごいことだと思う。ソワレで主役の二人を演じたのは永橋あゆみと齊藤拓。ともに好演。

「令嬢ジュリー」はストリンドベリが1888年に発表した戯曲をクルベリが1950年にバレエ化したもの。上流階級の女性と使用人の関係を軸にしているところは「チャタレイ夫人の恋人」を連想させる。発表当時は大胆な内容がバレエ界では相当話題になったらしい。(スウェーデン映画がハードコアなポルノ映画の代名詞だったなんてことは、今の若い人には想像もつかないだろうなあ。)1本目の「ロメオとジュリエット」とは違い、こちらは舞台装置を場面ごとに転換させていく。しかし悲劇的な内容にもかかわらず、色彩が派手なのはどちらにも共通している。こちらの主役二人は髙部尚子と三木雄馬。こちらも良かった。

クルベリの振付は、音楽のリズムに合わせてマイムを演じるせいか、どことなく人形振りを感じさせるところがあった。バックのダンサーをストップモーションで静止させて背景化するのも特徴的だった。


合唱舞踊劇「ヨハネ受難曲」

合唱舞踊劇「ヨハネ受難曲」

O.F.C.

すみだトリフォニーホール(東京都)

2009/07/04 (土) ~ 2009/07/05 (日)公演終了

満足度★★★

たまにはクラシック
バレエと合唱と管弦楽の合体をめざす、O.F.C.という団体の公演。バレエの振付は今年77歳になる超ベテラン、佐多達枝が以前からずっと担当している。
彼女の振付作品を見るのは3年前の「庭園」以来これが5回目。作品の内容も、カーテンコールで見かけるその姿も、実年齢よりはずいぶん若々しい。先日のさいたまゴールドシアターだけじゃないね、元気なお年寄りは。
バッハの「ヨハネ受難曲」は演奏時間が2時間ほどの大作。佐多とコンビを組んでいる河内連太という人が台本を書いたらしいので、バッハの曲をそのまま演奏したのではないようだが、それでも上演時間は2時間くらいあった。
このホールはクラシックのコンサート専用で、普段はダンスや芝居はやらないのだが、今回はステージの手前側にオーケストラ・ピットを設け、残りのステージの後方に合唱団が並び、オケピとコーラスに挟まれた中央部分が踊り場になっていた。かなり狭い上、手前に傾斜のある八百屋舞台なのでダンサーたちは大変だったと思うが、大したトラブルもなく無事に終わった。
以前、「ヨハネ受難曲」をコンサートで聞いたときは歌詞の意味が字幕で映写された。コーラスとソロからなるこの曲はオペラに近い形式だし、歌詞の内容も聖書に基づいたドラマチックなものなので、その意味がわからないと面白さが半減する。しかし今回の公演では、演奏のほかにダンスが加わるので、これに字幕を付けるとそちらに気をとられて肝心のダンスが目に入らなくなる。だから字幕はつかなかった。
見ている途中では字幕があればと思う瞬間もあったが、それでも歌詞の内容をダンサーの動きがある程度補足してくれたので、字幕も踊りもなしで聞くよりはだいぶましだった。
バレエと演奏、どちらに重点を置くかは客の興味次第だろう。私自身はダンスが主、演奏が従で、基本的にはコンサートを聞きに行ったというよりもバレエ公演を見に行ったという印象が強い。
ダンサーはキリスト役と13人の弟子がメイン。コーラス隊の一部が群集として振りをこなす場面もあった。20列目という座席ではダンサーの顔はオペラグラスなしではなかなかわからないし、私はメガネが邪魔なので基本的にオペラグラスは使わない。余談だけど、オペラグラスを使いたいがためにメガネからコンタクトレンズに替えたという人を私は知っている。
それでもいちばんの目当てだった井上バレエ団の島田衣子は、目を凝らして捜すまでもなく、動きのよさで自然と目にとまった。
あとで調べたら、ヨハネ受難曲よりもさらに長い、同じくバッハ作曲の「マタイ受難曲」もすでにバレエ化されているという。しかし、生きている間に見る機会はたぶんないだろうなあ。

あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-

あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-

川崎市アートセンター

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2009/07/03 (金) ~ 2009/07/05 (日)公演終了

聴覚的実験
役者が独特の台詞回しをするのが特徴の劇団、地点の新作。とはいっても今年の5月、7月、9月、来年の1月と、場所を変えながら作っていく感じなので、今回はその途中経過、あるいはワーク・イン・プログレスといったほうがいい。

それでも美術はかなり本格的に作られていて(by杉山至+鴉屋)、これは今後もそのままなのか、どうなのか。どんな美術だったかについては、とりあえず百聞は一見に如かずということで、ここでは説明を省略。

今回は太田省吾の全テクストから抜粋したという断片的な言葉を使っている。以前に見たチェーホフ作品との比較でいえば、今回はドラマとしてのまとまりもなくなっているので、役者の発する台詞を聞いていてもストーリーは浮かんでこない。

それでも日本語なのでいちおう言葉の意味はわかる。「ゴジラ」とか「お父さん」とかいっていた。ただ脈絡のない言葉群に耳を傾けていると、脳みその中でたぶんスイッチの切り替えが起きるのだろう、やがて言葉の意味にいちいち反応しなくなり、役者の動きとか照明の変化とか、声の響きや調子へと集中の矛先が移るようだ。中には意味を失ったせいで眠気に襲われる客もいたようだが。

劇場でもらったパンフの中で、演出家の三浦基がこう書いている。
「せりふを発することは、たとえば、歌をうたうこととは違うのだろうか?というようなことを私はよく考えます」

地点の芝居を見たことがある人ならわかると思うが、この劇団の役者は普通の芝居とはかなり異なったしゃべり方をする。通常の芝居では役者の解釈に基づいて、登場人物の感情にもっともふさわしい台詞まわしが採用されるのに対して、地点の場合は、感情表現というものをまるで無視したようなしゃべり方をする。

視覚面でテキストから飛躍したことをやっている劇団はそれなりにあるが、聴覚面で実験的なことをやっているのはここがピカイチだろう。今後も要注目。

新しい男

新しい男

城山羊の会

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2009/06/26 (金) ~ 2009/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★

絶妙の脚本と演技を満喫
この劇団の芝居を見たのは深浦加奈子の(たぶん)遺作になった「新しい橋」が最初。舞台を見るかぎりこのときは病気の気配などまるで感じなかったのに、その半年後に彼女は亡くなってしまった。
そのあと「新しい歌」「新しい男」と似たようなタイトルが続いている。見続けているのは別に深浦加奈子に義理だてしているからではなく、ただ作・演出を担当する山内ケンジの芝居が面白いから。
今回も期待を裏切らない内容だった。

ネタバレBOX

三鷹にあるこの劇場では太宰治にちなんだ芝居をシリーズで上演していて、選ばれた劇団の作家はいわば、出されたお題に答える形で脚本を書かなければならない。しかし誰もが太宰の作品を愛読しているとはかぎらないわけで、いまさらあわてて読んでもそれは付け焼き刃になるだけかもしれない。
実際に作者の山内ケンジがそうだったかどうかは知らないけれど、出演者の一人、三浦俊輔をそのまま本人という形で登場させ、彼が太宰治の役を演じることになったので、それまでまったく読んでいなかった太宰作品にチャレンジするというちょっとメタフィクション的な設定は、作者と太宰治の関係をそれとなく感じさせる。
登場するのは3組の男女と、ホモっぽい編集者の合計7名。女3人はどちらかというと男女関係がもつれたとき、自殺や心中に走りそうなタイプで、いわゆる自立した強い女性ではない。
古舘寛治と石橋けいの演じる夫婦は元は大学教授と教え子という関係だった。妻はいまだに夫を先生と呼んでいる。
三浦と初音映莉子は恋人同士。三浦の浮気にショックを受けた彼女は思いつめて自殺をはかろうとする。彼女は石橋の妹で、彼女を追いかけて三浦が大学教授の家にやってきたという設定。
もう一組は岡部たかしと山本裕子が演じる夫婦で、岡部は古舘の弟。彼は小説家志望だが認められずに行き詰っている。妻の山本はそんな夫とあっさり心中をしかねない、生への執着が妙に希薄なところがある。
3組の男女の関係を描くだけで充分に面白い恋愛劇になると思うが、芝居を複雑にしているのは、本人として登場している三浦俊輔が、途中で熱に浮かされて妄想を見始め、その妄想が現実の場面とまったく切れ目を見せずに展開するところ。現実では歯止めがかかっていることでも、妄想の中ではそれが実行されてしまう。見ている側からすれば、最初は実際に起きている事を見ているつもりが、いつのまにか三浦の妄想を見せられていることになる。

本村壮平が演じるもう一人の登場人物は、大学教授の著書を出版しているそこの編集者。3組の男女の面倒な関係から距離をおいて、傍観者としてそれを眺めている。非常に控えめな表現ながらも、彼がホモであるということは見ているうちにわかってくる。気に入った男が付き合っている相手ともめているということは、彼にとっては単なる好機にすぎないわけで、その辺のドライさがいいアクセントになっていた。出演者7人の中では彼だけが初顔。チラシによると、Live Naturally Activelyという劇団で作・演出をやっているらしい。これだけいい演技を見せられると、そっちのほうも機会があれば見てみようかという気になる。

三鷹芸術文化センターのスタッフである、たしか渡辺という人も、面白い役で起用されていた。あれも作品にメタフィクションな味わいを付加している。
寛容のオルギア Orgy of Tolerance

寛容のオルギア Orgy of Tolerance

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2009/06/26 (金) ~ 2009/06/28 (日)公演終了

満足度★★★

挑発的な悪趣味
刺激的なパフォーマンスを繰りひろげるベルギーの作家ヤン・ファーブル。さいたま芸術劇場で見るのはこれが4回目。
楽しいことや面白いことよりも、頭に来ることや苛立たしいことを表現するときに活気付くという意味で、今回はパンクなスピリットが漲っている。
(なぜかしら関西弁でいうと)
ファーブルのおっちゃん、今回は相当怒ってまっせ。ほいで何に怒ってるかっちゅうたら、ほれはもう世界の現状に対してやね。

ネタバレBOX

下着姿の4人がいきなりオナニーを始めるという衝撃の出だし。ゲリラというか見た目はパルチザンと呼びたくなる別な4人が、付き添うようにそれを見守る。長々と続くオナニーシーンのあと、終わった4人が啜り泣きを始めるところで、彼らがどうやらゲリラあるいはテロリストの人質で、オナニーを無理強いされたらしいことがわかる。
性と暴力。消費と物欲。それらをモチーフにして、いろんなものが槍玉に上がる。タバコをふかし、飲み物をこぼし、イエス・キリストをおちょくり、股を開き、服を脱ぐ。人種も国民も、日本も埼玉も、観客も批評家も、作者も作品も、あらゆるものに噛み付いていく。
ダンス作品だと思って見たら大間違い。終盤でそれなりの動きがあるとはいえ、これまでに見たヤン・ファーブルの作品のなかではいちばん演劇的。そしてこの過激さはかなり賛否両論というか、否定的な意見を生みそうな気配。
アンドゥ家の一夜

アンドゥ家の一夜

さいたまゴールド・シアター

彩の国さいたま芸術劇場 小ホール(埼玉県)

2009/06/18 (木) ~ 2009/07/01 (水)公演終了

満足度★★★★

老人力
オーディションで選ばれた年配者の劇団、さいたまゴールドシアター。ナイロン100℃のケラが脚本を提供したというので第3回目の今回、初めて足を運んだ。ふだん小劇場の芝居を見ている者ほど、老人一色に埋め尽くされた舞台に面食らうのではないか。「老人力」という古い流行語が頭に浮かんだほど。
ケラの脚本は少人数の芝居も悪くはないけど、やっぱりこういう出演者が40名を越えるような芝居をやらせたら本領を発揮する。多くの若手を起用したケラマップの芝居「ヤング・マーブル・ジャイアンツ」などはある意味でこの芝居の若者版だったような気がする。
カーテンコールで拍手をするときには「みなさんいつまでもお元気で」という、およそ芝居の観劇後とは思えない感慨が湧いた。

ネタバレBOX

設定は比較的シンプル。学生時代、演劇部にいたメンバーが、数十年後、ポルトガルで隠居生活を送るかつて演劇部の顧問だった教師のもとを訪ねてくる。集まるきっかけは教師がすでに死の床に就いているから。
話を面白くしているのは、危篤のはずのアンドゥ氏が健康な姿であちこちに出没し、そしてその姿がアンドゥ氏の会おうと思った人物にしか見えていないという怪奇テイスト。
大勢の登場人物をそれぞれに個性を持たせて描き分けるケラの脚本が冴える。約3時間という上演時間は、ケラの芝居では普通とはいえ、役者たちの演技のテンポともいくらか関わりがあったのではないか。老役者たちの健闘を讃えつつも、同じように大人数の役者が登場する劇団、柿喰う客の芝居を思うとき、激しい動きはやはり若さの特権だということをあらためて感じた。

開演前から役者たちが舞台に出ていて、それぞれが演じる場面を稽古している。演出家の蜷川幸雄もそのなかに混じってアドバイスをしている。平床をすべて使った広々とした舞台。そこに蠢く数十名。台本を持った若い人が何人か混じっているのはプロンプタだろう。さすがにドクターの姿は登場人物としてしか見られなかった。台詞覚えはともかく、定年後に舞台に立とうなどと考える人は普通の人よりもよっぽど丈夫な体の持ち主ではないだろうか。
プロンプタをあからさまに待機させたり、開演前から役者を舞台に上げて稽古をさせるというのは、必ずしも脚本の上がりが遅かったからではなく、素人くささも人間くささのうちだと割り切った演出のねらいではないかと思う。先日、フェステバル/トーキョーで来日したリミニ・プロトコルなどはまさにそういう作り方だったし、さいたまゴールドシアターもこのフェスティバルには別の作品で参加していた。
開演前から役者を舞台に上げるというのは別に青年団の専売特許ではない、蜷川幸雄も以前からよく使う演出だ。
鳥の飛ぶ高さ

鳥の飛ぶ高さ

青年団国際演劇交流プロジェクト

シアタートラム(東京都)

2009/06/20 (土) ~ 2009/06/28 (日)公演終了

お尻がムズムズ
30年前に書かれた上演時間約7時間のフランスの戯曲を、平田オリザが日本を舞台にして2時間強の芝居に翻案したもの。演出はフランス人。テキスト自体は労作だと思うけれど、演出や演技は翻訳劇くさくてあまり好みではない。

ネタバレBOX

外国企業の進出という外圧によって、日本のある会社で経営者の交代劇が起きるという経済ドラマ。
原作ではトイレットペーパーを作るフランスの会社がアメリカ企業の脅威にさらされるという話らしいが、翻案では便器を作る日本の会社がフランス企業に脅かされるという設定。日産とルノーの関係を連想したりした。
ルワンダの虐殺や日本の古代神話などを絡めてあるが、これはあまり有機的に繋がっているようには思えなかった。ただ、異質なものと対立してもそれを排除してしまうのではなく、最終的には内に取り込むのだという見方は面白いと思った。原作でも同じなのだろうか。

便器の開発をめぐって行われるブレインストーミングの場面では、大竹直が出ているのを見てサンプルの「地下室」を思い出したり、フランスの現代美術家デュシャンの「泉」を連想したり。

芍麗鳥(シャックリ)

芍麗鳥(シャックリ)

乞局

駅前劇場(東京都)

2009/06/17 (水) ~ 2009/06/22 (月)公演終了

麻生首相でも読めないだろう
乞局の芝居は5年前の「勿忘」以来、欠かさず見てきたけれど、今回はどういうわけか途中でウトウトしてしまった。会場でもらうパンフにときどき作者の近況が綴られていて、それによると少し前に結婚して、今年の8月には子供ができるという。芝居を見るうえで作者の私生活などいちいち気にすることはないとは思うものの、独特の気持ち悪さが特徴の劇団だけに、プライベートの変化が芝居に与える影響というのもついつい考えてしまう。

ネタバレBOX

たぶん今は過渡期なのだろうと思う。正直なところ、最近の作品には変化と同時に、やや物足りなさを感じてしまう。
生理的なものと政治・社会的なものをいっしょに描こうとして、うまくいっていないのではないか。
シリタガールの旅

シリタガールの旅

本能中枢劇団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/06/20 (土) ~ 2009/06/27 (土)公演終了

満足度★★★★

なにはともあれ、祝復活
ベターポーヅとの涙の別れから早2年近くが経つ。その涙もすっかり乾ききったころ、帰らぬはずの人が名前を変えてもどってきた。喜び勇んで初日に出かけたが、40席ほどの客席はどうにか満席という程度。自分の期待と世間の反応の温度差にやや戸惑う。
作者にとってはそれなりのブランクだから、今回はウォーミングアップという面もある。前半は短いやりとりを反復する変態シュールなコント集の趣き。後半は人物や状況の設定がそれなりに定まってくる。
さすがにここの芝居は誰にでもオススメというわけにはいかない。いってみれば、好きな人の、好きな人による、好きな人のための演劇。

ネタバレBOX

吉原朱美がソロで踊るときに流れる、ミディアム・テンポの「ハイスクール・ララバイ」が個人的にものすごくツボだった。あれは誰が歌っているのだろう。
空耳タワー

空耳タワー

クロムモリブデン

赤坂RED/THEATER(東京都)

2009/06/16 (火) ~ 2009/06/21 (日)公演終了

満足度★★★

いつものクロムなモリブデン
「次回は静かな演劇をやる」と聞こえたのはどうやら私の空耳で、本当は「次回も長台詞がいっぱいの、終盤でわっと来て一気呵成にカタルシスを迎える、役者の個性でぐいぐい押していく、いつも通りのクロムの芝居をやる」と言っていたのを私が聞きまちがえたらしい。

ネタバレBOX

演劇についての演劇といえば、過去に「なかよしSHOW」という作品で劇団を取り上げたことがある。今回は殺人事件や被疑者のアリバイ証明に絡めながら、JR神田駅の裏手で芝居を上演する小劇場の劇団が出てくる。
地上デジタル放送の開始が迫る昨今、演劇界の、そのなかでもとりわけ演技力の未来について、考えようとしているのかいないのかどうなのか。

いつものように楽しく見たので、とりたてて感想というのもないのだが、劇中に出てきた「オシビー」という小道具について、ふと浮かんだことをどうしても書いておきたい。

オシビーとは実はO・C・B(オー・シー・ビー)が転化したもので、正確には

Ossorosiku (おっそろしく)
Chinkena (チンケな)
Buttai (物体)

の、頭文字を並べたものだ。

というのはもちろん冗談です。(芝居を見た人にしかわかりません)
みなさんも詐欺にはどうかご用心ください。
ボス・イン・ザ・スカイ

ボス・イン・ザ・スカイ

ヨーロッパ企画

青山円形劇場(東京都)

2009/06/17 (水) ~ 2009/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★

見上げたもんだ
初日観劇。期待通りに楽しませてもらった。
この劇場の円形舞台をきちんと使ったうえで、見づらさ、聞きづらさから来るストレスをほとんど感じさせなかったのが素晴らしい。さすがは理系の劇作家、上田誠の面目躍如。ここ何作か、長田佳代子という人が美術を担当するようになって、そっち方面がかなりグレードアップしたのも大きい。

開演前に座席にすわって、舞台のセットを眺めながら、どんな話になるのだろうと想像をめぐらすのも楽しい時間。ゴキブリコンビナートの「ちょっぴりスパイシー」という作品の舞台装置を思い出したのは私だけだろうか。

ネタバレBOX

変則的というか、オフビートなファンタジー作品だ。本来はもっとカッコイイはずの集団が、時代の流れに逆らえず、斜陽産業の悲哀をかこっているという設定が非常に面白い。

全国ツアーの最終ということで、役者陣の演技も安定していた。
熱海殺人事件

熱海殺人事件

一徳会/鎌ヶ谷アルトギルド

atelier SENTIO(東京都)

2009/06/11 (木) ~ 2009/06/14 (日)公演終了

満足度★★★

殺人を解剖する
ここでの評判につられてノコノコと。前日まではその存在さえ知らなかった劇団を、口コミに頼って見に行くのもたまにはいい。
千葉県がベースで、視覚面で飛躍した演出をする・・・といえば三条会が思い浮かぶが、この劇団も同系列といっていい。

ネタバレBOX

脚本はつかこうへいの有名な作品。装置や衣裳は話の内容から相当かけはなれている。こういう飛躍が苦手な人には向かない芝居だし、こういう飛躍が好きな人からすれば、どれくらい驚かせてくれるかが面白いかどうかの別れ目になる。
「熱海殺人事件」はたしか4人芝居だったと記憶しているが、ここでは5人。場所は取調室だったはずだがここではちょっと様子がちがう。中央の机には水が張ってあり、ときどき溢れて下に落ちる。魚かなにかを解体する作業台のようにも見える。男たちは白いビニールの防水を羽織っている。上手にサンドバッグが吊るしてあるのも意味不明。
女性二人は婦人警官と被害者。婦警は途中で被害者にもなる。二人とも裾の短い薄水色の薄手のワンピース。水に濡れると変に色っぽかったりもする。
ストーリーは原作通り。脚本はさまざまなバージョンがあるなかでいちばん古いものを使用した、とチラシで演出家が解説している。

感想としてはおおむね面白かった。役者の演技も悪くなかったが、ただ若手刑事の役だけはちょっと演技が深刻すぎた。声のボリュームもアンサンブルが壊れるくらいときどき飛びぬけて大きい。まあ、不満があるとすればそれくらい。
---MESs---メス---

---MESs---メス---

Dance Company BABY-Q

リトルモア地下(東京都)

2009/06/12 (金) ~ 2009/06/14 (日)公演終了

満足度★★★★

この人を見よ
去年10月のシアタートラムでのソロ公演から半年ぶりに見た。東野祥子のソロダンス。あのときは怪我で公演が中断してしまったが、私は初日に出かけたので見ることができた。幸い怪我は回復して、その後まもなく踊り始めたが、今回もらったチラシをみると、英語で My head is a mess と書いてあるので、頭のほうはまだ問題を抱えているのかもしれない。
シアタートラムよりもはるかに小さな空間で、それでも従来通りのしなやかさをとりもどした彼女の体を間近に眺める約1時間。照明と音響が加わって、いつもながらの空間演出力を感じさせる。独特の体、独特の作品世界。

ネタバレBOX

前半はフルフェイスのヘルメットをかぶり、顔を見せない。照明はストロボを多用。衣装はシルバーっぽい袖なしのワンピース。カジワラトシオの音楽は以前にも聞いた通りのノイズ系。そういえばあのときも前半は全頭マスクをつけていた。いわば東野流の焦らしのテクニック。

前半はまた、これもカジワラが担当したのだろう不思議な照明を使っていた。夏の夜空に開く花火のような、といえばいいか。ちょっとミラーボール的な色彩だ。それをときどき照射する。一方、隅に立て掛けてあった全身大の姿見を東野が抱え、その照明を鏡に反射させて客席に送ったりもした。

後半はカジワラがステージの端に出没して、あれこれ装置をいじっていたし、映画「リング」に出てくる貞子のような黒髪のかつらで顔を隠し、ステージの下手奥に座ってたぶん即興だと思うが機械を操作して音を出していた。

上手の手前壁際に裸電球が床近くまで垂れていて、それを体で包むようにして暗転して終演。

たとえば地下の駐車場で車の急ブレーキ音が響き、突然ともった車のヘッドライトに照らされて、壁際に追い詰められた美女が浮かび上がる。サンペンス映画に出てきそうなワンシーンだが、東野の体は照明とあいまってそんな雰囲気をやすやすと作り出す。経歴にクラシックバレエが含まれていないのが意外に思えるくらい、しなやかさと強靭さを兼ね備えた体は、日本のコンテンポラリーダンス界でも傑出している。
「リサイクルショップ『KOBITO』」

「リサイクルショップ『KOBITO』」

ハイバイ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/06/05 (金) ~ 2009/06/16 (火)公演終了

満足度★★

これはハズレだった
問題作というよりも、作品としてこれはちょっと問題ありでしょ。貧弱な脚本を演出でカバーしようとして、しきれてない感じ。
こんだけいい役者を揃えておいて、脚本家はなんでもっといい台詞を書いてあげないのよ。

ネタバレBOX

男が女を演じる意味もない。「ヒッキー・カンクーン・トルネード」でやったのをただなぞってるとしか思えない。

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