カブ太が嘘をついた
劇屋いっぷく堂
新宿シアターモリエール(東京都)
2009/02/18 (水) ~ 2009/02/22 (日)公演終了
満足度★★★
ゆるいスタートだけど、ちょっといい感じのライトコメディ
最初から笑う体勢で舞台に臨んでいたのだが、どうもそのチャンスがなかなか現れてこない。
しかし、進むにつれて、徐々に面白くなってきて、くすっとした程度の笑いも生まれてきつつ、話の中に取り込まれていった。
ドタバタさ加減も含め、なんかいい感じ。
大笑いしなくても、「ああ、面白かった」といい気持ちで帰宅できる感じなのだ。
ネタバレBOX
いろいろなエピソードや思惑が、とても素直で気持ちのいい解決(エピソードによってはお決まりの解決・・ということも含め)に向かうので、見終わった後、柔らかい顔でいられる。
ラストは、そうなるだろうと思っているのに、なかなかそうならないところが、少し憎い仕掛けだったような気がする。
カブ太の携帯ストラップとかあったら、観劇後、うっかり買ってしまうんじゃないか、というぐらいの気に入りようである。
シンフォニー・M
大駱駝艦
世田谷パブリックシアター(東京都)
2009/02/19 (木) ~ 2009/02/22 (日)公演終了
満足度★★★★
無音の中の王は、麿赤兒
音楽が鳴らないシーンが多く、そのヒリヒリとするような無音の中で、観客の強い視線を全身に浴び、ゆっくりと踊る麿赤兒さんは、王だった。
一緒に踊る踊り手たちは、あくまでも王を中心に据え、自らがあたかも舞台装置の一部のように踊っていた。
観客の強い視線を全身に浴び、緊迫感の高まる中で、ゆっくりゆっくり踊るというのは、キツイのだろうか、気持ちいいのだろうか、そんなことを観ながら思った。
以前、少したぶついているなと感じた麿赤兒さんの身体は、シャープに研ぎ澄まされており、力強さだったり、年齢だったり、柔らかさだったりを感じさせてくれた。
舞台装置も一緒に踊る人たちの踊りも、意外とシンプルだが、強い印象が残った。
ネタバレBOX
前方の5列ぐらいの座席を取っ払い、さらに舞台の段差をなくすことで、観客が舞台全体を見下ろせるようになっていた。
それが、「近さ」を感じさせ、どことなく小劇場の舞台を観ているような感覚にとらわれた。
その近さと舞台装置などのシンプルさ、そして無音(音楽の鳴っていないシーン)が相まって、踊り手との距離がさらに縮まり、挙動の1つひとつ、呼吸の1つひとつまでが強く伝わってきた。
たぶん犯人は父
ゴジゲン
こまばアゴラ劇場(東京都)
2009/02/18 (水) ~ 2009/02/22 (日)公演終了
満足度★★★★
ファンになっちゃったなあ
前作『神社の奥のモンチャン』もそれなりに楽しめたのだが、今回は、それを上回る面白さだった。
話の展開が面白くて引き付けられた。
ことの発端となる出来事の視線が、登場人物たちと観ている側とがうまくシンクロしていて、そこから一気に舞台の中に引き込まれてしまった。
話の展開に、謎解き的な要素もちょっとだけあったりして、パズルのような組み立てがうまい。
いゃーホントによくできてるなあ、と思った。
さらに、いい感じの笑いが適度に随所にまぶされていて、とにかく楽しい。
どの役者も、役にはまった、いい味出していたし。
この作品で、どうやらファンになってしまったようだ
ネタバレBOX
『たぶん犯人は父」』というタイトルであり、ちょっとしたミステリー仕立てになっているので、どこで犯人が父であること、もしくは、父が犯人とされるのか、に興味が向かってしまった。
そういう意味では、途中いろいろな展開があっても「いやいやいや、だって犯人は父だろう」と頭にあるので、犯人捜しの展開が一見意外に見えるてるな、と思っていたのだが、最後に父にたどり着く(ストレートに「犯人だ」と、たどり着くわけではないが)というところで、逆にこのタイトルはどうなのかなと少し思ってしまった。
話の軸となる、父と息子の関係がもう少し、ほんのもう一歩だけ、深く見えてきたのならば、かなり良い舞台になったと思う。そこが少し残念。
だから、ありがちな「だから母さんが出て行ったんだ」的な台詞はちょっとなあ・・・なのだ。
銀河鉄道の夜
TOKYO NOVYI・ART
東京ノーヴイ・レパートリーシアター(東京都)
2008/12/21 (日) ~ 2009/05/10 (日)公演終了
満足度★★★
宮沢賢治は、やっぱり素敵だ
物語自体は、やはり面白い。
闇や光の使い方は雰囲気があり、よかった。
前半はテンポはいまいちだったが、後半は少し良くなった。
真摯な印象を受けたので、とりあえず、ほかの演目も観てみたいとは思った。
ネタバレBOX
主人公のジョバンニのモノローグがすべてスピーカーから聞こえるといういうのには、ちょっとがっかりした。
モノローグの量が多く、しかも重要なので、それがすぐ目の前にいる俳優の生の声で聞こえないということで、観ていて主人公へ気持ちが入らない。
しかも、この劇場は、観客と役者の位置が極めて近いだけに、モノローグを言ってるはずの本人が舞台の真ん中にいるにもかかわらず、その声は、舞台の端にあるスピーカーから聞こえてくるのだ。
また、座った席が悪いのかもしれないが、正面にどかんと壁があり、本当は近いのに、実際に演じているメインの場所がやけに遠く感じてしまった。
舞台の使い方自体は面白いとは思ったのだが。
ジョバンニは悲しむところで、役者が本当に泣いてしまって、しかもいつまでも涙を流しているのには、ちょっと驚いたが、最後に全員が登場するときに、舞台では顔が見えなかった俳優まで、明らかに泣いていたという顔をしていたのには、かなり驚いた。
それだけ、芝居に入り込んでいたのだろうか。自分たちの芝居に感動してしまったのだろうか。ちょっと不思議な感じだった。
「同じ演目を違うキャストで」というのもこの劇団のウリのようだが、実際に自分が観た日は、誰が何の役なのかぐらいは知らせてほしいと思った。
配役が簡単に書いてあるチラシを当日配布されたのだが、例えば、ジョバンニならば、3人が演じているのがわかるだけで、この日はそのうちの誰が演じていたのかがわからなかったのだ。
俺の宇宙船、
五反田団
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2009/02/06 (金) ~ 2009/02/15 (日)公演終了
満足度★★★
私は宇宙船に乗り遅れたのか、それとも、そもそも私の乗る宇宙船などなかったのか
こう言えばいいのだろうか、
「かなり期待して観に行ったものとは、なんとなく違っていたようだ」と。
個人的には前の『すてるたび』がハマっただけに、そんな感じを期待していたのだと思う。「そんな感じ」にこだわらなければ、それなりに面白かったとも言えるのかもしれない。
アトリエヘリコプターよりも広いからセットもそれなりで、出演する人数も多いし、なにより座席の感じがアトリエヘリコプターを大きくした感じだし。
話を箱のサイズに合わせたということなのかなあ。
それなりに面白かったのだが、大満足とは書けない。実に残念。
ネタバレBOX
そもそもの発端となり、ラストに繋がる、妻が夫の変化を病的に見つけ(あるいは変化と思い込み)、「夫そのものが変わってしまった」=「夫は宇宙人と入れ替わった」というのは、なんかどこかで観たこと、読んだことあるようなそんな感じがする。
例えば、夫が宇宙人に変わってしまったと訴える妻を、周囲の人は、妻が気が変になったと思う。ところが夫は本当に地球侵略を狙う宇宙人だった的なストーリーや、やっぱり、単なる妻の病的思い違いだったという話は、どちらもどこかにありそう。
だから、あえてそんなどこかにありそうな話を持ってきた以上、何かもっと予想外の展開&ラストが当然待っているものと思っていたら(もちろん中間部分は、いろんな展開と終息があるのだが)、ラストになって暗転。
いわきの女子高生のときに使われた「ちょっとびっくりして笑ったアイデア」をちょこっと絡めて笑いをとって暗転。
・・・ただし、ラストのそのシーンで、夫が発した「降りてきなよ」の一言が(妻自身の台詞と絡めたりすると、なお)、憎いと言えば憎いのだが(憎いというより、ずるい、かな)。
もちろん「衝撃のラスト!」なんぞを望んでいるわけではないのだが、ラストのそこだけで、さりげなくどうにかしたということなのだろうか。
いずれにしても、「期待していたものと違っていた」ということだ。
最初のOLのくだりは、もっと笑えそうな雰囲気だったのだが、実際は「長いな」と思っただけ、それほど後半に絡んでこないし。
聞き取りにくい台詞もあったので、台本を購入してそこを読み返すと、やはり少しは笑えたのかもしれない。
出てくる人ほとんどがキャラが強いせいで(特に混血ロシア人)、妻のキャラの強さが際立たなかったのか、会場の大きさに強さが吸い取られてしまったのかわからないけど、妻の行動がもっと常軌を逸していて、ところどころでエキセントリックになっていく米平少年との相乗効果で加速していったとしたら、私はそれに引っ張られ(話の強い軸となり)、満足していたと思う。
逆に少年じゃない少年探偵団との絡みを含め、もっとゆるゆるな話だったら、それはそれで楽しめたような気もする。
そして、どうでもいいことかもしれないが、今回の座席は、アトリエヘリコプターを大きくしたような舞台と観客の位置関係だったけど(舞台を見下ろす、舞台の正面だけでなく、脇の片側にも座席がある)、あの感じにはこだわりがあるのだろうね、たぶん。
フェブリー
あひるなんちゃら
サンモールスタジオ(東京都)
2009/02/04 (水) ~ 2009/02/11 (水)公演終了
満足度★★★★
ゆる面白くって、顔もゆるんでしまっちゃら
前説の「携帯、PHSは切らなくてもいいです。大切な連絡が入るかもしれませんから。ただ着メロだけはやめてくださいね」みたいな感じのゆるさから始まり、「あひるなんちゃらー」と入るオープニング曲(?)で、すでに顔は少しゆるんでしまった。
「ひょっとしたら、その間を少し変えたら、もっと笑えたのでは」とか、「そのキャラもっとシツコクしたらどうかな」なんて、素人考えでいろいろ突っ込みながら観ていたのだが、そんなことおかまいなしに舞台は進む。
でも、徐々に「ま、それでいいんだ」と思えてきて、くすっと笑ったりしてしまう。
こんな感じもいいものだと思う。
家に帰ってから「思い出しくすり笑い」が起きてしまう。きっと次の日も「思い出しくすり笑い」が起きるだろう。そんな舞台だった。
しかし、「あひるなんちゃら」とは、見事に「名は体を表す」的な劇団名だよなぁ。
ネタバレBOX
出てくるのは、すべて変な人ばかりなのだが、誰もがあまりキツくない。特にキャラの押し売りもない。実にゆるい雰囲気。
回想シーンの入り方とそのすかし方、ラストあたりのアノ感じもよかった。今、こう書いていてもちょっと顔がゆるんでしまうのだ。
床下のほら吹き男
MONO
吉祥寺シアター(東京都)
2009/02/06 (金) ~ 2009/02/15 (日)公演終了
満足度★★★★
床下に潜む不気味さとホンネと笑いと
期待して行ったらやっぱり面白かった。
馬鹿笑いの舞台とか、抱腹絶倒の舞台とかではなく、ゆるさの中にちょっと潜む不気味さとともに笑いが生まれている舞台だった。
ネタバレBOX
タイトルのまんまの「床下のほら吹き男」の話や話しぶりは、「面白い」を通り越して、ちょっと「怖い」ほどだった。
特にラストの独白は、つい笑ってしまうのだが不気味さが際立っていた。
その不気味な男の存在が、登場人物たちに、不安定ながら、なんとなく受け入れられていってしまう話の運びはうまいなと思った。
ほら吹き男という異物の登場で、真実があぶり出され、どうにか成立していた関係(リフォーム会社や四姉妹)が危うくなっていくという話であり、リフォーム会社のほうはそうでもなかったのだが、四姉妹の様子(佇まいというか関係性)がイマイチしっくりこない印象があった。
台詞が噛み合わないというか、最初の登場から違和感を少し感じてしまった。
それは、「実は仲が良くはなかった四姉妹の関係を演出しました」というわけでもないのだろうけど。
噺劇と落語の会
北沢タウンホール
北沢タウンホール(北沢区民会館)(東京都)
2009/02/05 (木) ~ 2009/02/05 (木)公演終了
満足度★★★
結局、落語は面白い
「噺劇」とは、落語の演目を数人の役者が普通の着物で、特別な小道具や舞台装置なしで演じるというものだという。今回は噺劇2本と落語2題の内容だった。
今回の内容の説明文に、「落語は究極の一人芝居」と書いてあるのだが、それをあえて芝居のように数人で演じてみせるというのは、面白そうなアイデアなのだが、面白さではやはり落語にはかなわない。
それは、上記の説明文にもわざわざ書いてあるように「落語は観客の想像力で成立する」ということで、一人が演じる落語に比べ、数人で役を分け演じることで、観客側のせっかくの想像力が弱まってしまうからだ。
今回の演目で言えば、「こんな変な顔(鼻の穴が前を向いている等)をしている奴だ」と顔の造作を説明する台詞があり、落語ならば、それはあくまで想像で面白がるところなのだが、実際に役者がいて、そんな顔をしていないからその台詞が生きてこない。
役者が目の前で演じているのだから、見えるところをさらに想像して補うのは少し無理がある。そのような想像力を必要とするのならば、わざわざ役者に演じさせる意味がないのだ。目を閉じて観るしかなくなる。
また、芝居であることで、例えば、場所を移動したり、動作があったりという間ができ、それが落語のように要点のみを詰めたスピーディな間にならず、落語に比べ間延びを感じてしまうところもあった。
確かにそういう間延びは、鳴りものの生演奏でうまく調整されているのだが、それでも間延びを感じてしまう。それは、噺劇の前後に落語が演じられるので、それと比べ、その点が強調されてしまうことによる。
また、噺劇は、1つの上演時間が短いためか、話の流れを進めていくことが主で、脇になるような、くすぐりの要素があまり入れられなかったようで、笑いがもうひとつ起きなかったのも残念だ。
落語のほうはといえば、かなりの笑いが起こっていた。
こうなると「やっぱり落語のままのほうが面白い」となってしまうのだ。
ちなみに芝居を担当した役者さんたちは、安定感があったので、よけいに残念でもあった。
落語と交互に上演しなかったならば、また違ったものになったのかもしれない。
それでつくります。
キリコラージュ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2009/02/04 (水) ~ 2009/02/06 (金)公演終了
満足度★★★
楽しそうに踊る姿を観るのは、やっぱり楽しい
ダンスなのに面白い企てがあり、ダンスなのに音の使い方が面白く、ダンスなのに表情が面白い。そしてちよっとチャーミングであり、愛嬌があるな、とも思った。
いろいろな要素が次々に現れる。そういう意味では、カンパニー名の「キリコラージュ」になっていた。1つひとつは面白いのだが、全体を貫く「幹」のようなものが見えてこなかった。
ネタバレBOX
ダンスなのに台詞らしきところが結構ツボだった。すごく面白いと思った。
評論が先で、舞台があり、ラストはチケットをもらって帰るという、「逆転」のような今回の企ては、面白いと思ったのだが、劇場に入って、説明を受けるまでにその企てをみんな気がついていたのだろうか。
私は、HPどころかチラシもちゃんと読んでなかったからか、開幕前の説明で「あ、そうだったんだ」とわかったのだ。「それでつくります。」のタイトルの意味も。
しかし、気がついた時点では、評論は読めず、観ながらすこし悔しい思いがした。
でも、その企てが実際のダンスにどう作用されたのか、いつもとどう違っていたのか、ということが判然とはしなかった。
何回もキリコラージュを観たことのある人ならば、「おお」とわかるところがあったのだろうか。
判然としなかったので、私にとって今回の企ては「へー、そうなんだ」としか感じられなかったのが残念。
プロセスを知ってそれを楽しむというだけでもいいのかもしれないけど、面白い企てなので、「なるほど」と思わせてくれることを期待してしまう。
数人で踊るというときには、「揃う」という快感や「揃えない」という面白さがあるのだが、観ていて「これは揃えるつもりが揃わなかったのか」あるいは「揃えないつもりが、ちょっと揃ってしまったのか」が見分けがつかず、そのあたりがもうひとつだった。
どうやらダンスだけガチガチにやろうというわけではないらしい(たぶん)。
でも、企ては面白いのだけど、まずはダンスに集中してほしい気がした。
結局、とても気になるグループなので、また観たいと思うのだ。
深沢ハイツ302
ルドビコ★
サンモールスタジオ(東京都)
2009/01/23 (金) ~ 2009/02/01 (日)公演終了
満足度★★★★
シンプルで楽しい
今回のようなSF仕立ての話であると、設定の説明のための話になってしまうところなのだが、テンポ良く話が進み、話の中心となるSF的要素や状況の説明がシンプル、最小限でわかりやすくなっており、脚本・演出の巧みさを感じた。
演じる役者も各々のコンビネーションが良く、観ていてすんなりと内容に入り込めた。
今回の公演は、anotherと銘打っており、通常とは違う脚本・演出によるものだということだそうだが、本公演のほうも観たくなった。
ネタバレBOX
登場人物の1人(今回は中学教師)が何から何まですべて説明・解説するというスタイルは、本来ならばあまりにも単純すぎてどうかな、とも思えるのだが、今回は、上演時間の適切さや観客の「なぜ?」のタイミングにマッチした提示の仕方のためか、それを感じさせなかった。
実は騒音おばさんも仲間だったというのは、確かに面白いのだが、結構無理があったように思える。騒音おばさんが騒音を出している目的あたりと結び付けた上での関係であれば、納得度も高かったのではないだろうか。
深大寺ヒルズ、調布ケーブルテレビなどの微妙な設定にくすりと笑う。
天の空一つに見える
髙山植物園
アトリエ春風舎(東京都)
2009/01/23 (金) ~ 2009/02/01 (日)公演終了
満足度★★★
土俵の下には何が潜んでいるのか
設定が女相撲の話である。
前半の進行でほのぼの系の話と思いつつ見た。が、そうではなかった。
ネタバレBOX
日曜日に集まり、相撲仲間と汗を流し、ちゃんこでお腹を一杯にし、ときにはたわいのない会話をしつつ、日常のうさを晴らしていた。それが前半にあたる。
このままのほのぼのとした雰囲気で進むのかと思っていた。
ところが、親方の妻の死をきっかけに、誰にも言えなかった想いを1人が話すことで、死と生(生命)をめぐる、それぞれが心に秘めていた悩みや感情が一気にマグマのように噴出する。
土俵の上では楽しげにしていても、その下には、それぞれが抱える悩みが渦巻いていたのだ。
各人が自分が今まで思っていたが口にしなかったことを、同時多発的に叫び、訴える大混乱ともいえる終盤の様子は、爆発のようだった。言えなかったことをいったん口にしてしまうと、止まらない。
叫びのそれぞれの細かい内容はすべて聞き取れるわけではないが、観ている人にとって、その人の中にある気持ちに共鳴する言葉だけは、(たぶん)聞き取れたり、耳に残ったのではないだろうか。
その耳に残った台詞(音)が人によっては、嫌悪感を生んでしまうのかもしれない。
それは、言葉そのものを覚えていなくても、聞きたくない言葉が逆に残ってしまう。生々しくて、他人の口からわざわざ聞きたくないような言葉だったりするのかもしれない。
「女」と「血」の関係が、「生(生命)」と「死」に絡んでくるのだろうが、生(命の誕生)は、女と結びつくが、死は、女のものだけではない。そこを頼りに男女の枠を超えて進むように見えて、かなり女に軸足が残っているため、そこまで進めなかったような気がする。
「女」に軸足を置いている話の部分は、男が共感を持ったり、理解したりしづらい。もちろん、男女以前に他人のことは、理解などできないのだが。
ただ、演劇である以上、子宮のない者には理解できない、という態度ではなく(そう感じさせてしまうのではなく)、他人(男)にも理解の糸口を見せてほしいと思う。
今回、その糸口は「身近な人の死」であった。「女」についての考察はまったくわからないに等しいが、「身近な人の死」については観ながらいろいろ想いを馳せた。
そして大混乱。その気持ちは少し理解できるような気がした。
男の中には、こういう叫びはあるのだろうか、とも思った。
身近な人の死に対して、「忘れてほしくない」「忘れたほうがよい」という2つの意見が衝突し、その結論めいたものがないように、ラストの混乱は観客に投げっぱなしのようだったが、下手に結論めいたものを示されるよりも、これでよかったように思えた。
そんな一気に加速したようなラストは好きだ。
細かいことだが、方言への作者の想いは理解できるのだが、なんとなくそれが板についてない役者もいるので、逆に違和感を感じてしまったのが残念。
ROPPONGI NIGHTS 2009
LIVES(ライヴズ)
吉祥寺シアター(東京都)
2009/01/22 (木) ~ 2009/01/25 (日)公演終了
満足度★★★★
気持ちよく笑って楽しめる
期待を裏切らず、チラシの雰囲気そのまま。
それぞれの役者がそれぞれの役にぴたっとはまっていた。
2時間超える長さであったが、まったく飽きさせることなく、最後まで気持ちよく楽しめた。
ネタバレBOX
ザ・ダンディ・ジャックスの面々の髪型、衣装などの風貌は見事。
その歌を聞くと思わず笑みが溢れてしまう。特にコーラス部のところに。
終演後、6曲入り500円のお得なCDを迷わず購入した。初演のときの録音なのか声がなんとなく若い。
劇中ではお正月だったが「愛人クリスマス」は、カラオケなんて行かない私をして、カラオケで歌いたいと思うほどいい曲だ。「きつねくん」も。
鉄人28号
梅田芸術劇場
天王洲 銀河劇場(東京都)
2009/01/10 (土) ~ 2009/01/25 (日)公演終了
満足度★★★
押井守による押井守のための鉄人28号
良くも悪くも押井ワールドが炸裂していた。
それほど多くの押井作品を観ていない私から見ても、多くの「押井守」が舞台に溢れていることを確認できるほど押井ワールドが炸裂していたと言える。そういう意味では、いつもの自分を押し通した凄い人だ、とも言える。
もちろん、大もととなる設定自体が、「別の昭和史」というところが押井節で、組織や時代から「外れてしまった者」たちの哀歌という、実写やアニメと同じの印象だ。そこは面白い素材だと思うのだが。
レビューと称する舞台なのだが、肝心の歌も歌詞がイマイチ聞き取れない。リフレインが少ないからだけでなく、台詞のように内容を込めているからだろう。
とても大切な役の南果歩は、台詞のところはさすがと思ったが、歌が下手だった。ただ、曲はとてもいい。
舞台は拡散するだけでまとまりがなく(まるでサブストーリーの第二弾を作るつもりのような「えーっどうなったの?」が散りばめられているだけ)、一部の押井ファンと押井自らのためだけにつくったものとしか思えない代物であったと言わざるを得ない。
ただし、上演時間も長くなく、変な雰囲気のまま進む舞台は、「あれっ? 思ってたよりも面白かったかも」という感想もあった。
押井守の舞台はたぶんこれで最後だろう。だから「アレ見たよ」とほんの少しだけ自慢できる舞台であったとも言える。
で、結構楽しんだのだ。
ネタバレBOX
「正義は時代や立場によって変わる」ということが主テーマなのだろう。
「科学」とオリンピックに代表される戦後日本の成長とその動きに反する人狼党、その2つの「正義」に挟まれ、そして「現実」を見せつけられることで混乱する正太郎。「純粋無垢は罪である」というポスターのコピーがここに繋がるのだろう。現実を知ってしまい純粋無垢でなくなってしまった正太郎は、果たしてどちらを選ぶのかがラストとなる。
戦中の決戦兵器としての鉄人28号が、平和の象徴としてオリンピックの空を飛ぶという軸も用意してある。
さらに、私の見方が間違っていないのならば、正太郎はもうひとつの大きな問題の狭間で揺れ動いている。
それは、ある意味驚愕のラストである。つまり、正太郎少年は、「女」として生きて行くことを選択した(あるいは「女として目覚めた」)のである。
霧島博士と人狼党のリーダー犬走一直の狭間で揺れているときに、女立喰師から「自分を生きろ」というメッセージを受けての選択なのだ。正太郎は、なんとラストに真っ赤なドレスを着て、東京湾の荒れ地に埋もれる鉄人の前で浪々と鉄人を歌い上げるのだ(この女性が正太郎であるという説明等は一切ない)。
ここで見ている側が混乱してしまうのが、南果歩が少年・正太郎と、女・立喰師の二役を演じているのためだ。わざとそういう配役にしたところが憎いところである(見方が間違っていないならば)。
この正太郎=女性については、途中の伏線らしきもので、「おやっ?」と思ったのだが、「いやいやいや」「まさかまさか」と否定しながら見続けた。
つまり、「正太郎くんには好きな人がいるのでは?」という台詞があり、それがどうやら敷島博士らしいことが匂ってくる。さらに「正太郎くんは、敷島博士が自分好みに育てた」という内容の台詞もある。また、敷島博士と人狼党リーダーとが正太郎を奪い合う様は、どこか異常だ。
いずれにしてもいろいろと盛り込みすぎて、正太郎=女性は、余計な設定であると言わざるを得ない。
こういう正太郎の自己の中のいろいろな対立と葛藤が、本来「リモコンを持つ人によって、どちら側にもついてしまう」鉄人という象徴にもっとうまく集約されていくべきだったのだろうが、実際のところ、舞台のど真ん中に圧倒的な存在感を見せているだけで、鉄人がもう一歩話の前に出てくることはなかったように思う。そこが残念だ。
そのほか気がついたことをいくつか挙げてみる。
押井らしいと思ったのは、犬(野犬)、立喰師、ケルベロスなどといった押井用語的なものが飛び交い、さらに、大塚署長の皮のロングコートと、「毒」と書かれた赤い腕章、同じく毒と書かれた、旧ドイツ海軍の軍艦旗を彷彿させる旗、やはり明らかに旧ドイツの8輪装甲車を彷彿とさせる大塚署長の指揮車等(軽自動車よりもさらに小さい妙なサイズ)、などが次々に舞台に現れるところだ。
まったく意味不明(なぜそこに入るのかが不明)の歌と踊りがある。これは(たぶん)もとは上演時間が長い舞台を予定しており、その休憩時間の幕開けの賑やかしとなったのであろうと推測できる。ただ、そうだとしても意味不明なのは同じだ。
政府側が躍起になって捕らえようとする、反政府勢力の象徴的存在である野犬「有明フェリータ」は、藤原新也の著書に登場し、毒団子によって殺される野犬の名前である。押井の野犬に対する思い入れの現れだろう。
ラストに人狼党が鉄人28号のいる研究所に乱入するが、彼らが手にするのは、AK-47。旧ソ連が開発し、東側諸国で使われた銃であり、押井守が無自覚に銃の選定をするとは思えないので、人狼党の背後には共産勢力の影が見えるのである(人狼党の武装蜂起が第二弾?)。
そして、もっとどうでもいいことだが、幕が上がって空き地にうずくまる鉄人28号を目にしたとき、ヨーロッパ企画の『やさしかったゴーレム』を、さらにラストに立ち上がる鉄人28号には同劇団の『昭和島ウォーカー』を思い出し、ひとり笑ってしまった。
伝記
サンプル
こまばアゴラ劇場(東京都)
2009/01/15 (木) ~ 2009/01/25 (日)公演終了
満足度★★★
執念のぶつかり合い
ある男の伝記を綴っていく過程での、その内容に関して執拗にこだわる者たちの引きつったような執念が全編を覆う。
執念みなぎるどの登場人物も「怖い」という印象。
観客はそれをすこし遠巻きにして観るという感じ。中には入りづらい。物語に入り込む糸口が見つからなかったとも言える。
ネタバレBOX
伝記と称する人の生きた歴史は、残った者の思い込み(思い出)によって成り立っている。それは人によって異なるし、また、過去となってしまってからは、その正確な全貌をつかむことは難しい。というより、無理だ。
つまり、個人個人の思惑によって綴られるある個人の歴史(伝記)は、決して1つにまとまることはない。
個人個人のこだわりと伝記に込めようとする想いはわかるのだが、それが自分の中では、どうもすっきりした形を持たなかった。
観終わってからも、形をなさない。それでいいのだろうけど。
終盤の壮絶な展開は、執念と怨念が入り交じったようで、観ていてこの世界にちょっとだけだが、やっと近づけた気がした。
中盤で、妹がゼブラにつかみかかるとき、その包帯の隙間から見える「眼」が怖いほど狂気に満ちていたように見えた。
劇場の座席を長辺のほうにとっているため(つまりアゴラの入口から入って右が舞台、左が客席という形)、舞台が横に長く、また、2階の部分も使うため、台詞をしゃべっていない役者の様子を一緒に観ることができないのがもどかしい。
台詞をしゃべっていない役者も、その場面に合わせた表情や、まったく違った動きをしているのに、見られないのはもったいないような気がするからだ。
蒲団生活者
劇団あおきりみかん
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2009/01/16 (金) ~ 2009/01/18 (日)公演終了
満足度★★★★
あおきりみかんの世界にようこそ
ちょっとオカシく、怪しげな設定で、ヘンな空気が舞台に漂う。
舞台が開いて、のっけからニヤニヤしてしまう。
これが、あおきりみかんの世界なんだろうな。
面白かったのだか、今回は、もうひとつびたっとこなかった。ただ、「慣れれば美味しいくさやの干物(by こまわりくん)」という先人の格言もあることだし、何回か別の演目も観ていけばさらに美味しくなってくるのだろうと思う。・・・もちろん、あおきりみかんがくさやのように、非常にクセがあるというわけではないけど、また食べたいと思わせるものは十分にあった。
でも、あのヘンな感じが面白かったなあ、とちょっと思い出し、くすっとしてしまう。
そして、笑いだけでない、何かを伝えようとしていることがうっすらとわかってくる。
「ふとんの国に行くのだな、あそこはいいぞ」で始まる吉行淳之介の短編を少し思い出したりもした。
それにつけても蒲団生活は、体力がつきそうだし、仲間もできる。そんなに悪いことではないなとも思った。
ネタバレBOX
いろんな依存が、ちょっと(いや、かなり)カルトな蒲団生活=「蒲団依存」に取って代わるという治療法。
で、それを支持していた人たちは、結局、それぞれがどこに行き着いたのかがイマイチわからなかった。
「普通」の生活に戻ったようなラストなのだが、そのロジックがやっぱりイマイチわからない。単に「蒲団生活は無理だったのだ」とも思えない。かなり順応している人もいたのだから。
主人公のエノキも自分の依存に気づくのだが、蒲団から離れられず、で、それでどこへどう向かうのか、ということがやっぱりスッキリしない。本人もわかっているとは思えないけどね。
もやもやのまま終わるのはいいのだが、主人公の抱えているものや、主人公の中のもやもやは、もう少し観ている側にも伝えてほしっかったと思う。
つまり、蒲団はなんとなく母を思わせるので、主人公の母親が蒲団に嫉妬したのではないかと思ったり,構ってほしい人たちが蒲団生活に集っているのだろうと思っても、肝心の主人公のことがつかみづらい。
いろいろな情報がちりばめられているのだが、頭の中でうまく組み立てられなかった。独自の文法が必要だとは思えないのに。単にこちらの理解不足なのだろうか。
観客は、主人公だったり登場人物の誰かだったりに「共感」という触手を伸ばしているのだから、もっと触らせてほしいと思った。
「蒲団」との関係については、「そりゃそうだな、そんな効用があるかもしれないな」という共感があるのだから。
改訂版 ディア・パーヴロヴィチ
ttk
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2009/01/08 (木) ~ 2009/01/12 (月)公演終了
人を笑わせるのって難しい
再演で、桜金造さんが出てるということで、初笑いできる舞台と思って出かけたのだが・・・。
ネタバレBOX
設定の説明が長く、なかなか桜金造さんも出てこない、ということは、出てきてからはテンポ良くなり、面白くなるものと思って見ていたが、結局そういうことはなく、なんとなく終わってしまった。
喜劇=ドリフだと思っているのだろうか。全員集合のオープニングとバカ殿メイク、タライ落としと、これがあれば笑えると思っているのだろうか。つまり、芝居の中で、チャップリンの格好をさせる演出家に対して「そういう格好にすれば喜劇になるわけではない」という意味の台詞が出てくるにもかかわらず、ドリフにすれば喜劇になるということらしい。
最後まで退屈はしなかったのだが、喜劇が軸になってるだけにさほど笑えないコメディだったので、初笑いとはならず。
宇宙ロケットえんぴつ
とくお組
駅前劇場(東京都)
2008/12/26 (金) ~ 2008/12/30 (火)公演終了
満足度★★★★
師走にほのぼの笑えた
なんとなくほのぼの感があり、いい感じにきちんと笑えて楽しい時間が過ごせた。
楽しかった。次の舞台も観たいと思う。
ネタバレBOX
ラストは、てっきりオープニングのように作ったアニメが出てきて、もうひとオチあったりして終わるのかと思っていたらそうじゃなかったのが少し残念。
でも、「歴史に残るようなアニメ」じゃないと、レコードに残らないという設定だったけど、浪人生がまた浪人してしまったことがレコードに記録されていた。えっとこれは、歴史に残るような出来事だったのか? と突っ込みを入れておこう。
その人を知らず
東京デスロック
こまばアゴラ劇場(東京都)
2008/12/26 (金) ~ 2009/01/05 (月)公演終了
満足度★★★★
この物語の幹は、かなり太い
どんなに手を加えても揺るがないような「とっても太い物語」を感じた。
デスロックだからたぶん80分、長くても90分ぐらいかな、と思い出かけた。ところが、なんと休憩を挟んで180分に迫る長さであった。
確かにお尻は痛くなったが、物語には引き込まれた。台詞ごとにちょっと感動していたりした。
物語は強く、魅力的であり、それだけでも先へ先へとひっぱる力があったことは間違いないのだが、このような刺激的で予測のつかない演出だったから、よけいに、どうなるのか、どういう結末へ向かうのか、といった牽引力が増加したのだろう。それは、普通に舞台セットがないだけ、よりストレートにこちらに届いてきたこともあるのだろう。
ああ、面白かった。
ネタバレBOX
終わって考えたのは、今、この芝居が我々に示すものがあるとすれば、それは何なのかということだ。
空気の読めないほどの主人公の盲進は、一見、世界から戦争がなくなることに通じるような気もするのだが、逆に戦争に進めるのもそういう盲進(あるいは妄信)がなせることで、主人公のことを手放しで「良い」と言うことはできない(主人公が徴兵拒否に立脚するのが「宗教」ということもあり)。
主人公よりも、空気を読みすぎる一般の人々、簡単に転向してしまう人々にこそ、問題であるということなのであろう。この戯曲が発表されたその時点ではそのことは、多くの観客が痛いほど感じたと思うが、今、それがピンとこない我々も考えなくてはならないのではないか、と思ったりした。
それにつけても、とてつもない長台詞と、無理な体勢などなど、役者は大変だなと思った。
今回は、日の丸のもとにある、数台の机がセット代わりだったが、戦中は、それが整然と置かれ、隣近所や公権力との密接感、閉塞感が感じられ、戦後の雑然と机が置かれる様は、戦後の混乱期を思わせた。
机が孤立してそれぞれに乗るシーン(しかもぐらぐらとしていたりする)に、家族や地域のつながりの解体を感じたというのは考え過ぎだろうか。
あらわれる、飛んでみる、いなくなる。
五反田団
アトリエヘリコプター(東京都)
2008/12/11 (木) ~ 2008/12/14 (日)公演終了
満足度★★★★
笑って笑って面白すぎて、ちょっと複雑な気持ち
こういう言い方は大変失礼なのだが、まあ、たぶん良く出来てはいるだろうけど、女子高生のクラブ活動的な舞台でもあるんだろうな、と思って出かけたのだが、とにかくよく笑った。とても面白かった。それが正直な感想だ。
こんな舞台なら、また観たいと絶対に思う。
プロの劇団を観て、そう思わないこともあるので、ちょっと複雑な気分でもあるのだ。
いや、面白ければ、プロであろうとそうでなかろうと、観る側には一切関係ないのだが。
笑いのための、間とか台詞回しなんかがとてもよいのだ。
演じている存在感というか、その役者の醸し出す雰囲気が物語にうまくマッチしている。
これは本と演出の良さもあるのだろうが、そう思わせる役者の力も当然あるのだろう。どれが欠けても面白い舞台にはならないだろうから。
そういう意味では、舞台を見事に支えた彼女たちには最大限の拍手を送りたい。
とにかく笑って、楽しんで、驚いた。
ネタバレBOX
舞台が終わって、出口でお見送りする役者たちがあまりにも、普通の、その年代の女の子たちだったりして、また驚いてしまったりした。
雨と猫といくつかの嘘
青☆組
アトリエ春風舎(東京都)
2008/12/17 (水) ~ 2008/12/23 (火)公演終了
満足度★★★★
とても上品な印象
気になっていたのだが、ちょっと遠いな、と思いつつも、ここでの評を読んでもっと気になり、とにかく行った。
そして、観てしみじみよかったと思った。
観ながら、自分の数十年後や両親のことなどを思った。
雨に生まれ去る者の話を実に上品に演じていた。
短いのに豊かな時間だった。
ネタバレBOX
舞台は非常に良かったのだが、この日はアフタートークがあった。
その内容が、なんだか、いわゆるガールズトークの雰囲気であり、ちょっと辛かった。もちろんほとんどの観客は興味深く聞いていたのだが、個人的には、舞台の余韻のまま、すぐ帰るべきだったと反省したのだった。