満足度★★★
結局、落語は面白い
「噺劇」とは、落語の演目を数人の役者が普通の着物で、特別な小道具や舞台装置なしで演じるというものだという。今回は噺劇2本と落語2題の内容だった。
今回の内容の説明文に、「落語は究極の一人芝居」と書いてあるのだが、それをあえて芝居のように数人で演じてみせるというのは、面白そうなアイデアなのだが、面白さではやはり落語にはかなわない。
それは、上記の説明文にもわざわざ書いてあるように「落語は観客の想像力で成立する」ということで、一人が演じる落語に比べ、数人で役を分け演じることで、観客側のせっかくの想像力が弱まってしまうからだ。
今回の演目で言えば、「こんな変な顔(鼻の穴が前を向いている等)をしている奴だ」と顔の造作を説明する台詞があり、落語ならば、それはあくまで想像で面白がるところなのだが、実際に役者がいて、そんな顔をしていないからその台詞が生きてこない。
役者が目の前で演じているのだから、見えるところをさらに想像して補うのは少し無理がある。そのような想像力を必要とするのならば、わざわざ役者に演じさせる意味がないのだ。目を閉じて観るしかなくなる。
また、芝居であることで、例えば、場所を移動したり、動作があったりという間ができ、それが落語のように要点のみを詰めたスピーディな間にならず、落語に比べ間延びを感じてしまうところもあった。
確かにそういう間延びは、鳴りものの生演奏でうまく調整されているのだが、それでも間延びを感じてしまう。それは、噺劇の前後に落語が演じられるので、それと比べ、その点が強調されてしまうことによる。
また、噺劇は、1つの上演時間が短いためか、話の流れを進めていくことが主で、脇になるような、くすぐりの要素があまり入れられなかったようで、笑いがもうひとつ起きなかったのも残念だ。
落語のほうはといえば、かなりの笑いが起こっていた。
こうなると「やっぱり落語のままのほうが面白い」となってしまうのだ。
ちなみに芝居を担当した役者さんたちは、安定感があったので、よけいに残念でもあった。
落語と交互に上演しなかったならば、また違ったものになったのかもしれない。