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逆手本忠臣蔵(公演再開&追加公演決定!)

逆手本忠臣蔵(公演再開&追加公演決定!)

劇団バッコスの祭

池袋小劇場(東京都)

2009/09/30 (水) ~ 2009/10/12 (月)公演終了

満足度★★★★

巧みな演出による、まったく別の忠臣蔵
どんな忠臣蔵を見せてもらえるのかと思っていたが、なかなかスピーディで物語も面白い。
生粋の忠臣蔵ファンにはかなり辛いストーリーかもしれないが、よく似た別の物語として割り切って見ることができれば、楽しめるのではないかと思う。

正直、冒頭は「う〜ん」だったが、先に行くに従って、どんどん物語に取り込まれていった。
笑えるはずのところはあんまり笑えなかったりしたけれど・・・。

ネタバレBOX

いわゆる正調の忠臣蔵が好きな人にとっては、激怒モノあるいは噴飯モノかもしれないが、人のタテ、ヨコの糸の繋がりや、因縁をうまく配しており、物語としてもなかなか楽しめるものになっていた。
ただ、あまりにも全部が全部繋がりすぎるのはやりすぎかもしれないのだが。

それにつけても、演出がスピーディで観ていて心地よかった。
開始直後の繰り返しの多さには、「これでずっと行くのならばかなり辛い」と思っていたのだが(ここが説明にあった「コミカル」なところなのかもしれないが、まったく笑えず)、尻上がりに良くなってきた。

無駄な説明台詞がなく、回想シーンの入れ方もうまいし、狭い舞台ながら、芝居的ないろいろな約束事をうまく使った、舞台の使い方もなかなかいい(逃げ出した大石を探すシーンなど)。特に唐傘を使ったシーンのうまさには舌を巻いた。

脚本的には、単にストーリーを追いつつ説明するだけでなく、主要な登場人物それぞれにきちんと光を当て、その人を少しずつ浮かび上がられていくのもうまい。

松の廊下で浅野を止めた梶川の気持ちや、討ち入りの日を知らせる吉良の娘に花を持たせる心配りあたりの、ちょっとしたエピソードもなかなかいい。

もちろんそれは、役者の健闘もあると思うのだが、役者の多くは、なんとかそれについ行くのが精一杯に見えるところもあった。ここはこれから先、少しずつ良くなっていくのだろう。

役者の中では、吉良の憎々しさが際立っており、通常の忠臣蔵で見るような老人ではなく、脂ぎった感じもなかなかいい。

大石は、「まるで手本にならない最悪のダメ人間として描きました」と説明にあったが、それほどダメという印象はない。ダメな人なのだが、殿様との関係で討ち入りを決意する、という大元が弱く感じてしまった。
演出のせいもあるとは思うが。特に立ち回りの後の勝ち誇ったような表情のときには、なんとなくチンピラ風にしか見えないのが残念。
ダメだったり、自信がなかったりのはずが、割とキリっと前を見ている表情が多いからかもしれないし、眉毛の形(笑)もあるかもしれないなと思ったり。

それと女性陣の何人かの着物の着崩れはちょっと気になった。

演出だけでなく、台詞も、顔に痣のある妻あぐりと一緒に月見をする浅野内匠頭が「少し欠けている月もいいものだ」というあたりを含めて、なかなかいいものが多い。

笑わせたいところできちんと笑わせてもらえたり、役者たちにもう少し余裕が出てきたりするともっと良くなっていくだろう。
これからが楽しみな劇団に出会えたと思う。

しかし、討ち入りに、大石の妻りくや内匠頭の妻あぐりも参加したり、堀部が討ち死にしたり、松の廊下で浅野を止めた梶川が吉良の用心棒として雇われたり、さらにお軽は、なんと吉良の娘でソバ屋でバイトしていたり、その恋人の名前は勘平ではなく、三平のほうだったり、なんていう物語は、忠臣蔵ファンにはどう映るのだろうか。
パンクック

パンクック

9-States

OFF OFFシアター(東京都)

2009/09/25 (金) ~ 2009/09/29 (火)公演終了

満足度★★★★

秋の日に、夏のほのぼの海の家
事件とか起きたりするのだが、なんとなくほのぼの。

失礼な話、こりゃ凄いと思わず唸る演技があるわけでもなく、物語も現代を切り込むようなテーマが鋭く現れてくるわけでもないのだが、105分ぐらいの上演時間はまったく長く感じることもなく、気がつけば舞台に集中していた。
声を立てて笑えるところはなかったが、その雰囲気がとてもいい。

ネタバレBOX

いろいろなことを抱えながら海の家にやってくるバイトたち。彼らには、「人生の休憩」が必要なようなのだ。それは、都会から帰って来たオーナーの息子(リーダー)も同じ。それぞれの抱えていることがそんなに深刻ではないところもいいのかもしれない。それはとても普通なことに思える。

海の家は、オーナーというお母さんがいて、きちんと叱ってくれるリーダーというお兄さんもいる。そして、互いのことを、ずけずけ言い合える友もいる。そんな中での「人生の休憩」が悪いはずはない。
そこは、ごちゃごちゃしていても、言わば「癒し」の場所でもあるわけで、居心地がとてもよさそう。他人にかかわったり、口出ししてくれるような、こんなコミュニティは、今やもうどこにもない。

しかし、一夏のアルバイトだったり、そもそも海の家というのが期間限定だったりするわけで、モラトリアムというか、休憩時間がいつまでも続くわけではないのがいいのだ。休憩時間にはきちんと終わりがある。
その期間だけは、少し休んで、自分のことを考えてみようという時間であったわけで、夏が終わればそれぞれにまた自分の人生を歩み始めるわけだ。

事件があっても謎解き的な要素はまったくなく、あっさり終わる。えっ? そうなの? という感じ。だけど面白い。
口クラッカーや警官の張り付けなど、行き過ぎているところや、TVの「奇妙な〜」の音楽を使ったシーンなど、それは・・・と思うシーンもあったのだが、それでもなんとなく許せてしまう雰囲気があった。

翌年の夏らしきラストのほのぼの感が、この舞台のすべてを表していたと思う。

本筋とは関係ないが、オーナーの胸はなんか変だなあと思っていたら、ラスト近くでその真相が明らかになる。劇中でいろいろいじらないところに好感。

これからもっと面白くなっていきそうな予感がする劇団だと思う。星は3.62ぐらいなのだが、その予感の分0.38を加えて4つにしてみた。
中国の不思議な役人【寺山修司×白井晃】公演終了

中国の不思議な役人【寺山修司×白井晃】公演終了

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2009/09/12 (土) ~ 2009/10/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

スマートに現れた寺山修司の混沌
30数年前の初演は知らないのだが、寺山修司さんの世界をスマートにして再現したように思えた。

寺山修司さんらしい、詩的とも言える台詞が要所要所できらめく。

アングラ度は低いけど、濃厚な舞台を堪能した。

ネタバレBOX

この物語の舞台となっている中国に限らず、歴史には死体の山が築かれていく。その場所・時に現れて、死ねずに死んでいく中国の不思議な役人。死ぬために死ぬ男。その男は、純愛にのみ死ぬことができる。


「影」「鏡」という、本体とは別の「本人」がキーワードとなって、全編を覆う。
自分の影を切り抜く、光のないところの影、絶えず現れる鏡売り、少女に贈る手鏡、過去や未来を映す鏡の間、こうした要素が物語の厚みを増していく。

そして「仮面」。

それらによって、自分が自分であることの不確かさ、不安さが醸し出される。取れない仮面、影に染みだしてしまう自己、鏡に写らない自分。

舞台の隅々まで神経が行き渡り、隙がない。見事なフォーメーションで進行する様は見事としか言いようがない。
20年代の上海の混沌さ、猥雑さのイメージを、パルコ劇場の舞台の上に登場させたのだが、それは「バルコ劇場の」がミソで、かなり清潔で整然とした雑然さ、猥雑さであったとも言える。
本来の戯曲の持ち味とは変わってしまっているのかもしれないが。

今回のためにつくられた、三宅純さんの音楽もいい。おしゃれとも言える。
舞台上では、パーカッションと管楽器の生演奏がプラスされ、口当たりのいい音楽にライブならではの良さ、緊張感や雑音感、生々しさが加えられる。その選択がとてもいいのだ。
特にラストでは、楽器としてのグランイダーの登場で、火花という視覚的効果も加わる。

歌のパートでは、オリジナルの寺山さんの歌詞も使われているようだが、こうなると、オリジナルの音楽も聞いてみたいと思った。今回のこのテイストとはまったく違ったのだろう。

平幹二郎さんの存在感はやはり素晴らしいのだが、彼が登場するシーンはそれほど多くなく、ちょっともったいないとも思った。登場するシーンでは大仰な音楽と彼の重く響く高笑いがあるのだが、何度も繰り返されるとギャグのように思えてしまったのだが。

また、小野寺修二さんの動きには当然のようにキレがあり、明らかに他と違う輝きがあり、それには目を見張った。
さらに、大駱駝艦からの出演は、身体の使い方、立ち方ひとつをとっても、舞踏的であり、普通の舞台俳優とはまったく違い、場面ごとの雰囲気を高めていたと思う。
女性のコーラスとソロの歌もよかった。

女性将校役の秋山菜津子さんは、背筋がピッと伸び、ダンスも歌も華があり、大切な役の軸となっていた。
岩松了さんは、他の登場人物とは違う軽妙さを演出していたと思うのだが、発声なのか佇まいそのものなのか、他の重厚さのある登場人物たちと比べてやや浮いていたように思えた。

兄と妹の2人がもっと華があれば、言うことはなかったのだが。

私の行った回は、後ろのほうにかなり空席が目立った。これだけの舞台なのだから、満席にするためにも料金の高さはなんとかならなかったのだろうか。
観客全員が拍手をしても、これでは聞こえる音があまりにも寂しい。
青木さん家の奥さん

青木さん家の奥さん

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/09/11 (金) ~ 2009/09/27 (日)公演終了

満足度★★★★

笑いつつも、なんだかちょっと怖くなる
後半へ物語がヒートアップしながら、かなり面白くなってくるのだけれど、ちょっとずつ怖くなってくる。

怖いというか、不気味というか・・・。

ネタバレBOX

ヒマな酒屋のバックヤードで、新人のバイトがからかわれる、と思いきや、なんとなく不気味な様相。

ヒマそうに酒屋の倉庫で佇む配達のバイトたち。
そこへ格好のからかい相手として、新人のバイトが入ってくる。
それに対して、かなりのハイテンションのバイト仲間たち。

まずこれがちょっと不気味さの前兆だった。いくつかのバイトをやったことがあるけれど、活気のある職場でのハイテンションというのは体験したことがあるのだが、そうでないバイトでこんなとんでもなくハイテンションになるというのは見たことがない。
すでに何かおかしな人たちだ、という印象。人の話を全然聞いていないし。かなりの乱暴者。

とにかく、何もわからない新人バイトを、さらに煙に巻くように、いろんなことを吹き込むバイトたち、そして、お嬢さん。
追い打ちをかけるように現れるニセ美人双子姉妹に、ニセ青木さん家の奥さん。
このたたみ掛けるような連続攻撃に笑いは止まらない。

ところが、ラスト近くに、青木さんの奥さん家に配達をするためのシミュレーションに熱が入ってきてからは、笑えないと言うか、なんというか。もちろん舞台の面白さに顔はちゃんと笑っているのだが、何か単純に笑えない感じ、不気味さの振動がじわーっとやってくる。なんだろこれって?

その変なシミュレーションをするのに、あまりにも一生懸命すぎるのが不気味なのだ。
よくよく考えるとニセモノの3人の女性たちだっておかしい。三河屋のバイトたちの会話にリンクした都合のいいようなニセモノを演じて、勝手に入り込み、ビールを飲んで、歌って、振り付きで踊る。笑っちゃうけど、変だ。不気味だ。まるで、単に新人くんをからかうためだけにやって来ているようだ。

ニセ青木さん家の奥さんが、本当の青木さん家の奥さんの、いつもの注文内容を把握しているのも変だし。青木さん家の奥さんの伝言なるものを伝えるのも変だ。
・・・ヒマなバイトたちの手配による、凝りに凝った新人歓迎なの??

日常みたいなものから少しズレているようだ。

もともとはバイトが5人必要なほど忙しいけど、この日はたまたまヒマで、体力のいる仕事だから、ヒマだとその体力をもてあましてしまい、そこへ格好のエサともいえる新人くんを標的にして、思いっ切り体力を使って遊びました、ついでに、ニセの人々も手配してみました、ともとれなくはないのだが・・・うーん、どうだろうか。

・・・・不条理?

新人バイトの脇田くんは、どうやら恐ろしいところに入ってしまったようだ(笑)。今までのバイトが辞めて行ったのもわかる気がする。

床下にビールケースを置いて、さらにその上に板を敷くことで、ドタバタ音を演出したのは見事。
向かって右のほうには、ビール瓶が立ててあって、糸のようなものが張ってあったように見えたのだが(私の席からは遠くてよく見えなかった)、あれは一体何だったのだろう。気になった。

そして、なぜか女性キャラだけアルコールを摂取する。女性だけ無法地帯。男性は、犬の首輪は極端としても、女性に振り回されるだけ。これは演出家の実感なのかもしれなかったりして(笑)。
「極み唄」

「極み唄」

LIVES(ライヴズ)

タイニイアリス(東京都)

2009/09/15 (火) ~ 2009/09/20 (日)公演終了

満足度★★★★

そこに「人」がいる
短編集の楽しさは、それぞれ短時間で観客をいかに物語の世界観に取り込むかということなのだが、どれもほんのわずかの間に、連れていかれた。
舞台の上に照明が点いたとたんにニヤニヤしてしまったり。

短編のつなぎも意外と(笑)スマートだった。

ネタバレBOX

とにかくうまい。誰もが「いかにもいそうな人」になって、舞台に現れる。
「いかにもいそうな人」と言っても、明らかに「そんな人いないよ」という人も中にはいるのだが(無口なのに15年もやっているホストとか)、やっぱり舞台の上で観ると「いかにもいそうな人」になっているのが素晴らしいと思う。

つまり、舞台の上にきちんと「人」がいる。いろいろなことを考えたり、悩んだり、うれしがったり、悲しんだりを繰り返しながら、毎日生活をしている「人」がいると感じられるのだ。・・・それはちょっと言い過ぎかもしれないけれど(笑)。

そんな人たちが笑わせてくれる。笑わせると言っても、しょーもないギャグとか、笑いを取るためだけに変なことを無理して言って笑わせるのではなく、実際の生活の中でもあるような、本人たちは普通に話していても、端から見たらおかしいということをきちんと押さえた上で、笑わせるてくれるというのがいい。

どんなキャラクターでも、ストーリーでも嫌な感じにさせないところは、ある意味品がいいとも言える。

ラストの短編に、前のキャラクターがうまい具合に姿を見せるあたりもいい感じ。

人の生きて行くときの、おかしさと哀しみは紙一重かもしれない。
赤紙 JAPプライド ご来場ありがとうございました。

赤紙 JAPプライド ご来場ありがとうございました。

獏天

SPACE107(東京都)

2009/09/15 (火) ~ 2009/09/20 (日)公演終了

満足度★★★

熱く骨太の物語
そして、なかなかの大作。
だけど長い。長く感じるには理由がある。

ネタバレBOX

もっと正攻法な演出できちんと見せてほしかった。
だからこそ、昔のテレビ番組「フィーリングカップル」のパロディに代表されるような笑いのセンスはつまらない。しかも今どきこれ? と思ってしまう。

また、頭にアンコ(!)を付けた陸軍将校はひどすぎ。二役の海軍の部隊長との差を出したいためなのだろうが、あれはないと思う。それで笑ってほしくもあったのだろうが、まったく笑えない。彼だけ衣装も中途半端だったし。ほかにも強いキャラクターはたくさんいるので、彼はあんなにアクを強くしなくてもよかったのではないかと思う。

そんなところもあるのだが、骨物の物語が見せてくれる。
鬼塚4兄弟の境遇やそれぞれの感情が見え出してきてからが、特にいいのだ。

ただし、脇の登場人物の物語まで、どんどん取り込んでくるので、それはもっと簡素にして軸となる物語を際立ててほしかった。
脇も中心も同じテンションで描かれるので、中心がぼけてくる。
キャラクターごとにいちいち、スポットライトを当て、同じBGMで盛り上げ、独白させることはないと思う。

どうも個性的なキャラクターが多すぎて、それぞれが我を主張しすぎるので、実際の長い上演時間(2時間超)もあり、疲れてしまう。
エネルギーが溢れる舞台なのだろうが、「物語を見せる」という点において、全軍突撃みたいな感じはプラスにはならないのではないだろうか。

前半に乱闘シーンが何度かあるのだが、どれも長く同じに見えてしまい、途中でまた乱闘か、と飽きた。ここぞ、というところだけ丹念に見せたほうが効果が上がったと思う。ホントにそれはもったいないと思う。

そういった要素が積み重なって、時間的に長くなり、観ているほうの気持ちとしても長く感じてしまうのだ。
鬼塚兄弟だけに的を絞り、物語そのものはすっきりと見せてほしかった。

ラストに赤紙について語る台詞があるのだが、主軸になる鬼塚4兄弟のうち、赤紙をもらったのは1人だけで、あとは志願、しかも赤紙をもらった彼の破綻は、赤紙とは関係のないところで起こったのだから、そこにこだわる必要はなかったのではないだろうか。赤紙を配達する役人と、今回の芝居の中心となる航空兵とは結びつきにくいので(徴兵と志願)、どちらかを取るのならば、もう片方をやめるべきだったのではないだろうか。

ラストにセットが崩壊し、白菊の機体らしきものが現れるのだが、観客はそれに気づいたのだろうか。つまり、役者の立ち位置とライティングの関係で気づきにくいのでは? 白い塗装ではなく、特攻機らしい塗装にし、日の丸が付いた主翼か胴体の一部でも見せたほうがよくわかったのではないだろうか。
その「白菊」についても、劇中で本来の用途や性能について、きちんと説明したほうがよかったと思う。

大事な役にもかかわらず、感情的な台詞を早口でしゃべる役者の何人かは、滑舌が悪すぎてまったく聞き取れないところもあった。だったら、そんなに早口にしなくてもいいだろうと思う。せっかくの大事な一言が聞き取れないところもあったりした。
そんな中でも、鬼塚兄弟の長男役の発するエネルギーは、観る者を惹き付ける力があった。
『轟きの山脈』(公演写真を掲載中!「写真」をクリック◎→→次は6月中野ポケット☆★)

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舞台芸術集団 地下空港

劇場MOMO(東京都)

2009/09/11 (金) ~ 2009/09/20 (日)公演終了

満足度★★★★

とにかく物語が面白い
山が舞台ということで、一体どんな物語になるのかと思っていたら、こんな話だったとは!
幹となる話の展開に目が離せない。どう収束していくのかが気になるのだ。
役者も熱演で見せる。どの登場人物もヒトクセありそうな感じもいいし、彼らの一体感も素晴らしい。

ネタバレBOX

中心を貫くのは「愛」。それも、種族というより、生物、無生物を超えた愛の物語。

愛し合う2人がたどり着く先、物語のラストが美しい。
カンブリアの化石だの鉱物だの全動物だのという登場人物(?)の登場よりも、一気に世界観が広がった気がする。
愛の深さだけではなく、広さまで感じさせるようなラストだった。
しかも、単に恋愛ものとして、愛や恋の話で全編が進むのではないところがなかなかうまいと思う。
最後に2人はどうなるのか? と思わせ、きちんと主軸となる物語を進めながらの、サブストーリーの盛りつけがうまいのだ。

そして、ところどころに細かい笑いが挟まる。かなりベタだったり、たんなるダジャレだったりしても、その挟み方がうまく、ギリギリの線で、ダメな感じにならないのもよい。

さらに、舞台装置はシンプルながら、それをうまく活用していた。
衣装の使い方もうまいと思った。

ただ、ラストに他のカンブリアの化石(母と娘)が人間になるというところは、ちょっとだけ蛇足な感じがしてしまったが。
ハッピーエンドクラッシャー

ハッピーエンドクラッシャー

ゴジゲン

シアターブラッツ(東京都)

2009/09/09 (水) ~ 2009/09/15 (火)公演終了

満足度★★★★

哀しい馴れ合い=友だち
単に笑わせるのではなく、人の哀しさみたいなものを、笑いの中に見せてくれる劇団になっているのかもしれない。
さらに「笑い」は、中心ではなく、芝居の一要素になっていくのかもしれないとも。

各キャラクターのバランスもとてもいい。

ネタバレBOX

タイトル見て、「ついに開き直ったか」と思った。前回もラストでは、それまでの雰囲気を壊してしまうような壮絶なものを持ってきたりしていたので。
でも、そうではなかった。
今回は、タイトルに偽りありの、ハッピーエンドだったかもしれない。

友だちの1人自殺して、その命日に呼ばれたかつての友だちたち、ということから、浮かび上がるのは、彼らにとっての友だちのあり方だった。

友だちだから、そいつが見てほしくないこと、知ってほしくないことは見ないフリ、友だちだから、そいつが傷つくのでホンネは言わない、友だちだから、とにかくかばい合う・・・そんな「友だちを失ってしまうことに対する恐怖心」のみで、彼らは緩やかにつながっている。

また、今回も「童貞」&「恋愛」がキーワード的に登場するのだが、それらと「友だち」の根底にあるものは一緒だろう。
人と接することの不器用さ、言ってしまえば恐怖心があり、逆に言えば、とにかく傷つきやすいということもある。
頼まれると断ることのできない女も同じ。

友だちの1人が、自分たちのことで自殺してしまったと思っているので、それはなおさら増幅する。
だって、失いたくなかった友だちの1人を本当に失ってしまったのだから。
取り戻せない現実、謝ってすむことではない。どうしたらいいかがまったくわからない。
それは、自殺した友だちの兄も同じ。今も元気にしている弟の友だちにどう接すればいいのか、何をどこにぶつければいいのかがわからない。ホンネは心の中に渦巻いていても、その出口が見えない。

互いにそんなフラストレーションとストレスフルな状況の中で、自分の心の中を探るように、どうでもいい漫才のことや恋愛のことを能天気に話す。

必要以上に能天気になるのは、黙っていると深刻なところに陥ってしまいそうだからだ。人が死んでいるのだから、やっぱり怖い。死んだ友だちの家族もそこにいるのだから、たまらない。
できれば、その話題には直接触れたくないし、この場から去りたい。去りたい気持ちと、何も言わずに去ってしまってはいけないという気持ちもあり、両者が彼らの中でせめぎ合う。
その微妙な感じが、ハイテンションなドタバタ行為につながってくる。

ラストに少しだけホンネを言って(この展開はベタだけど、ホンネを言えない兄も含め、お互いの心情をうまく表していてうまい!)、多少はすっきりしたのだろうが、たぶんまた次の日が来れば、今までと同じように「友だち」をかばい合って、お互いの傷をなめ合うどころか、傷には目も向けず、だけど、友だちは大切にしたいし、友だちは好きだ、という不器用さで生きていくのだろう。

これは、劇団の一貫したテーマではないかと思ってしまう。

ただ、一点気になったのは、自殺した兄の台詞だ。
『歩いても、歩いても』という映画の中で、見ず知らずの子どもを助けたことで命を落としてしまった息子の母親が、毎年毎年命日に訪れる、そのときに助かった子どもに言う「また来年も来てくださいね」がある。家族が「もうかんべんしてあげたら」と言っているのにもかかわらずにそう言うのだ。そのときの母親役の樹木希林の演技はとにかく恐ろしいものがあった。
それをこの舞台を見ながら思い出していたので、まさかそんな台詞はないだろうな、と思っていたら、あった。自殺した友だちの兄が、自殺の原因をつくったのではないかと思っている、命日に集まった人たちに言うのだ。
残念ながら、樹木希林の迫力にはまったくかなわなかった。映画観てるだろうに。

どうでもいいことだが、役者は、文字通り頭が相当痛かったのではないだろうか。毎日続けると大変そう。
夜と森のミュンヒハウゼン【9/20千秋楽】

夜と森のミュンヒハウゼン【9/20千秋楽】

サスペンデッズ

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2009/09/11 (金) ~ 2009/09/20 (日)公演終了

満足度★★★★

夜の森は現実逃避のメルヘン
一見、メルヘン。
現実を見たくない、現実を直視できない、そんな現実逃避が生んだようなメルヘン。
メルヘンの皮を被った現実が暗い森のように口を空けていた。

劇場内に入ったときから、夜の森にのまれていた。

ネタバレBOX

客席に案内されて驚いた。なるほど森の中。
これだけで期待が高まる。

普段はまずそんなことをしないのだが、タイトルにある「ミュンヒハウゼン」って、「ほら吹き男爵だっけ?」と思いつつ、ちょっとネットで調べてみたら、「ミュンヒハウゼン症候群」なる言葉が出てきた。

どうやら、病気であることで自分に関心を持ってもらいたいばかりに、より重症であることを装う精神的な疾患のことをいうようだ。

さらに、「代理ミュンヒハウゼン症候群」というものもあるようで、これは、自分ではなく、自分に近い者、例えば、子どもなどを病気に仕立てて、それを看病する自分に関心を集めるというものらしい(先日観たコマツ企画の「新釈ヴェニスの呆人」がまさにそそういう内容だった)。

これが頭の片隅にありつつ、この舞台を観たのだが(観ていて途中からそのことを思い出した)、物語そのものが、確かに「ほら吹き男爵」よりも、「(代理)ミュンヒハウゼン症候群」のほうが腑に落ちるエピソードが散りばめられていた。
そもそも、「ミュンヒハウゼン症候群」は、「病気に関わる事、関わらない事に関係なく独特の世界を作り上げるエピソードを創作する空想虚言癖を伴う事が多い」(Wiki)ということもあるというのだから、より意味深。

もちろん、その症状そのものが出てくるわけではないのだが、殺されてしまい、そのことを自覚していない妹サキを育てる犬クロは、もともとサキに飼われていたのだが、兄だと言い、さらにサキを病気だと偽り、森から出ないようにしている。
その行為は、サキを傷つけないように、というよりは、自らの存在価値を妹を世話することで見出しているのであろう。本当ならば、サキを成仏させてあげて、両親のもとに帰してあげなくてはならないのにだ。

看護士アユミは、不倫相手の子どもを病院で担当している。子どもは、アユミが提案した別の薬により、快方に向かっており、子どもの父親に感謝されている。
しかし、実は、子どもが完治し、退院してしまうと、子どもの父親、つまり不倫相手と人目をはばからず会える機会がなくなってしまうという矛盾をはらんでいる。
そこで、子どもの快方に向かう中での、アユミの妊娠も病気ではないのだが、本当なのかどうかが疑われる。

森では、ホワイトソックスの一見無差別な殺戮が続き、それは、森に住む者同士の疑心暗鬼を生んでいる。

誰の話が本当なのかわからない。ホワイトソックスの幼少のエピソードは、誰がウソをついているのかわからないし、バニーがホワイトソックスに手紙を書いているのもウソかホントか不明。
そもそも、手紙によってホワイトソックスが殺して回っていると言ったユニコーンの言葉だって、本当なのかどうかわからない。
ジュンク堂でバイトをしているキンタが医者であるのはもちろんウソだし、兄と言っている犬も、兄であることはウソ。
誰が何を考えているのかわからず、そのことが不安を呼ぶ。そして、その不安は、ホワイトソックスという具体的な恐怖で現れてくる。

暴力に対抗するために、結局、ホワイトソックスごと森を焼くという選択をするのだが、それは、とりもなおさず、ホワイトソックスが殺戮の最終段階として選択していたものと同じだったという皮肉。
正義の暴力はあり得ないのだ。

ウソと現実(しかも厳しい)と虚構がないまぜになった夜の森。
無差別に殺されてしまったサキのエピソードとホワイトソックスによる無差別の殺戮がシンクロしている。
アユミが不倫相手につかれている「ウソ」も森の中にはたくさんある。

森は現実社会の鏡なのかもしれない。
現実逃避のためのメルヘン(森)の役割は終わってしまった。
役割を果たした森は、焼き払わなければならない。
それは、サキの解放にもつながる。

看護士のアユミが、死者の世界でもある森の中に迷い込み、本当は見えないはずの動物たちの姿が、人形(ヒトガタ)に見えるということは、もちろん、アユミにはサキを連れ出す役割があったのだろうが、それよりも「死」に近づいていたことにほかならない。
妹サキの切なく哀しい現実、後味のよくない現実が、文字通り太陽のもとに晒される。しかし、そのことによって、サキだけでなく、アユミも救われたのだ。

そうなると、アユミが持つスーツケースの中身が、とても気になる。

ストーリーとは直接関係ない、個人的な感想なのだが、アユミの演技はうますぎると言うか、きれいにすべてが流れていくように感じた。美人看護士という仕事は十分果たしているのだが、ベタな不倫関係ながら、問題を抱えて、森の中を迷い、本来見えないはずの姿を見てしまうのだから、何かもっと「ひっかかり」のようなものを、その姿に感じたかった。
神様はいない(公演終了・ありがとうございました・御感想お待ちしています)

神様はいない(公演終了・ありがとうございました・御感想お待ちしています)

MU

新宿シアターモリエール(東京都)

2009/09/10 (木) ~ 2009/09/13 (日)公演終了

満足度★★★★

舞台の空間、舞台と観客との間にある「虚無」
前回の公演は、会場のサイズと1本の上演時間の短さで、凝縮され、こちら(観客)側と舞台との一体感を強く感じたのだが、今回はそうではなかった。

クールなのだ。

いい意味でスカスカ感、冷めた感が漂う。「虚無」とも言えるその感じ。それはまるでエーテルのように存在する。その感じは、演出によってコントロールされたものだと受け取った。

80分なのに短編を観たような印象。

演技がきれいに流れていかないところに、少し苛立ちを感じたが。

ネタバレBOX

作家である女性の熱が、兄弟や恋人、宗教関係の人たちのヒートアップに比べて、徐々に冷めていく。それはまるで諦め、というより諦観の域に達しそうである。

新興宗教「自由の会」も、カジュアルという名目で、神すらいない。というより、持ち回りで神(の役?)になるという。
宗教活動・勧誘に熱を帯びているし、入信する作家の兄たちも熱心なのだが、その本体・本質が、空しいのだ。

書きたい小説を出版するために、マーケティング的に魂を売って、書きたくない小説を書く女性作家。しかし、その新しい小説は出版されそうにない。
母の記憶と足の不自由さ。どちらも単に心のキズとは言い切れない、本人にもたぶんわからない深さがある。

個人的な恨みを晴らすためにテロを考えている外国人留学生。しかし、それがどれぐらい本気なのかは計り知れない。彼は、女性作家が信じる「神」を守るために罪を犯してしまう。彼はイスラム教徒なのに。

女性作家と付き合っているはずの出版社の男は、最近その作家が相手にしてくれないことを嘆く。
女性作家を密かに思う大学生のバイトは、その作家には付き合っている男がいることを知っている。しかし、教団に潜入してまで、作家に尽くす。
2人の男は「愛」という実感を求めているのだが、そこには「愛」という言葉さえまったく存在しない。
女性作家は外国人留学生と関係を持つが、「愛」があるとは思えない。朝、同じ蒲団から起きて「すみません」と謝る留学生にもそれはない。

兄が継いだソバ屋は商売がうまくいかない。下の兄は、外国をふらふらしていて、とりあえず帰って来て、ソバ屋を手伝っている形をとっている。そして、初版しか刷ることのない小説を書いている妹(女性作家)。

閉塞感の漂う中に、空しく光るのは、新興宗教「自由の会」のみ。商店街や警察までに信者を確実に増やしている。

空しい心を埋めるのは、「神」なのだろうか。「神」しかないのだろうか。
作家の女性が信心しているのは、お守りの形をした「母の記憶」だったのだろうか。

どこにも誰にもよりどころがなく、よりどころとしてすがりついたものの正体は、「空(くう)」だった。

タイトルですでに答えが出ている舞台。観終わって、新宿の街に出ると薄ら寒い。それは、秋になったから、というだけではないのだろう。

しかし、本作の説明にある「胸がざわざわするハートウォーミングストーリー」とは、一体どこで上演していたのだろうか?
悪趣味

悪趣味

柿喰う客

シアタートラム(東京都)

2009/09/04 (金) ~ 2009/09/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

もう、なんつうか、アレなんすよアレ
つうか、ストーリーとか、もうどーでもよくって、投げた球は全部拾うわけでもなく、一見悪趣味に、いろんなトコやコトを広げたりしているけど、ま、なんつうか、アレなんすよ。
デスってやつ? ブラックってやつ?

っていうか、イイカゲンってやつっすかね。
っていうか、コントロール抜群なんすよね、そのイイ加減さってやつがぁ。

ネタバレBOX

注意事項の場内アナウンスからふざけているだ、これが。
ああ、この世界なんだと確認しても、しょっぱなのハイテンションには、少し疲れた。
けど、人間っていうのは、環境に順応しやすいから、あっと言う間にこの世界に違和感なくとけ込めた。

とにかく、お下品というかなんと言うか。
つまり、単に内容や台詞が下品というわけではなく(いやいやもちろん下品っぽい台詞もあるんだけど)、台詞を言わせるのに、わざと誰でも知ってるような下世話な歌にしてみたり、スベることを約束した幕間コント的なものを入れてみたり、話を脇道に逸らせて主人公に「本編のほうへ」などとメタなこと言わせてみたり、休憩を入れてみたり、「それからどうした」なんていう、話の腰を折るような合いの手を入れてみたりと、その様、見せ方が実にお下品なのだ。
とにかく面白がっているだけで、まるで「なんすか? っていうか、品とか関係ないんすよ、こっちは」と言ってるよう。
そこが狙い。笑わせようとしているだけでなく、状況を楽しんでいる感じ。

見事にコントロールされている下品さで、観客を手玉にとる。
役者も真剣にお下品で美しくもある。
しかも、観客との共犯感覚の造成中。

ボー読みの台詞、中腰でいつも力んで言う台詞、ストーリーにまったく関係ないキャラクター。
どれをとってもけたたましく、楽しい。

家族愛的な背骨がある舞台なのだが、お下品さの延長にそれがあるバランスがいい。ただし、本気で家族愛がテーマなんだと納得したら誰かの思う壷なのかもしれないのだが。

どうにかするとバカバカしさを突き抜けて、相乗効果、シナジー効果で笑いと悪趣味とがクライマックスに向けて増長していくものだが、これは違う。あえて増長させない。あえて? そう、あ・え・て。

なんつうか・・・
そう、メタルだね、デスメタルというか、今回はブラックメタル。
最後に大盛り上がりなんてないデスメタル。
どこかおしゃれなNWOBHMとは違うメタルだ。
ただし、B級、下手すればC級メタル。

泥臭く、悪魔を讃え、デス声でがなる。
デス声だと観客に台詞が聞き取れないので、聞こえる程度に声を張り上げる。

デスなんて歌詞が聞き取れず、聞き取れたとしてもたいしたこと言ってるわけではなく(たぶん・想像の域)、音の暴力、リフの気持ち良さに身を任せるのみ(たぶん)。

柿喰う客もそんなデスメタルな集団で、今回はブラックメタル増量中。

デスの歌詞だって、聞き取れないとは言え、何でもいいようで何でもいいわけではない。テイストが大切なのだ。
だから、舞台の中に詰め込まれているのは、どーでもいいようなことなのだが、それの個々のテイストは非常に大切。

そのテイストが、観客がヘッドバンギングするに値すると思えば、頭を激しく振ればいいだけで、そう感じなかったら、そこを去ればいいということなのだろう。
感性とは違う、波長のようなもの。
数多くのデスメタルバンドがある中で、あれだけは「ネ申」というバンドがいる代わりに、「クズ」というバンドもある。でもそれは個人個人の感覚なので、一般的なものではない。まったくそれを真逆に感じる人もいるのだ。

この舞台には、ギターソロやドラムソロ、ブレークや休符みたいなものもあったりしつつ、適度な音圧も感じる。それは単に音が大きいということではない、メタル的な精神(そんなものがあるとすれば、なのだが)が込められている。

だから、やっぱ、アレなんすよ、デスなんすよ、たぶんですけどぉ。

でも、個人的には、重〜い、うんと重〜い、ドームメタルな柿喰う客も観たい気もするんすよねぇ。
11月15日の夜空に(演劇祭大賞受賞!)

11月15日の夜空に(演劇祭大賞受賞!)

劇団Peek-a-Boo

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2009/09/02 (水) ~ 2009/09/06 (日)公演終了

満足度★★★★

龍馬さんに惚れてしまう
話の展開と脇のエピソードの立ち上がりにより、どういうふうにこの話は収束していくのだろうと思いながら観たのだが、それをすべて包み、見事にラストまでいったのは素晴らしい。
しかも、スタートからは想像もつかないような、美しいストーリーに仕上がっていたのだ。

ネタバレBOX

Bキャストで観劇。
龍馬役がとにかくよかった。とても大切な長台詞を見事に観客に届けたと思う。龍馬役は、若い頃の役もあるのだが、こちらも無邪気で、スケールが大きな人物になっていくのだろうなぁという予感もさせ、とてもよかった。

彼らが繰り広げるエピソードがうまく繋がり、結果、大切なシーンが見事な果実になっていったと思う。
もちろん、龍馬を取り巻く友人たちもよかったということであり、エピソードの的確さとでもいうか、積み重ねて見せる演出が巧みだったということもある。
多くの友人たちを失っていった、龍馬だからこその台詞だと観客が思え、それを重く感じさせてくれるところがとてもよいのだ。

話の中心となるのは明らかに龍馬なのだが、ストーリーを最初から最期まで進めるのは、鈴木という役。もちろん龍馬の引き立て役的な位置づけなのだろうが、大切なポジションであるにもかかわらず、もうひとつ惹き付けられなかったのは残念。
小説の締め切りが迫っていて困っていて、プライベートでも妹のことに胸を痛めているはずなのに、特に後者は切実さが伝わってこない。それはとても大切なことなのに。キャラクターがきちんと固まっていなかったのだろうか。または台詞のせいなのだろうか。

しかし、一番残念だったのが、鈴木を演じている「役者」の携帯を持ってきて、そのメールの内容を云々というくだりだ。まるでTVのバラエティ番組のノリのような雰囲気で、笑えないだけでなく、呆れてしまった。このままこの調子だったらどうしようかと思ったほど(続いて一発芸になったときには目眩が・・・)。
しかも、こんなことしても、妹のことを想うと・・・という雰囲気が出ていないのだ。そういう気持ちの振り幅が表現できないのならば、中途半端でつまらないことを挟むのは良策とは思えない。

演出は、映像的なものをかなり意識しているのか、タイトルが出て、役者のクレジットが出るだけではなく、龍馬の最期のシーンでの若い頃の龍馬やその仲間たちが現れてくるところなどは本当に涙ものだった。

また、龍馬の襲撃シーンの1度目と2度目、本来ならば、同じ出来事なのだが、ちょっとしたエピソードを2度目に加味するあたりの気の配り方も、素晴らしい。

これだけの演出と役者が揃っていながら、残念なところが強く悪い後味のように残ってしまった。
トラベリング・オン・ザ・シャーレ

トラベリング・オン・ザ・シャーレ

カムヰヤッセン

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2009/09/02 (水) ~ 2009/09/06 (日)公演終了

満足度★★★

面白くなりそう
だった。

話は、比較的よくできているし、演出の手際もいいと思う。
ただし、スピーディさがあればもっとよかったと思うし、メッセージ部分のクローズアップが足りないように感じた。

ネタバレBOX

最初のほうで、「ウイルスによる病気のワクチンを、誰がつくったのかを知りたい女医が、時間を遡り過去行く話だ」ということがわかってから、まさか、それってこんな安直な話ではないだろうなぁ、と思った通りのストーリーだったのがちょっと残念。
つまり、そのワクチンを作ったのは、過去に行った自分(女医)だったというストーリーだ。

ストーリーそのものよりもそれを繋ぐエピソードや演出に面白みがあるのかと思ったのだが、もうひとつ残念な感じだった。
(たぶん)笑わせようとしているところではあまり笑えず、感動させようとするところは、長いと感じてしまった。
例えば、主人公の女医が死んで、そこで看護士の独白があるのだが、いろいろ盛り込みたいのはわかるけど、その台詞が長すぎて途中で飽きてしまった。

さらに、その看護士の現在である老人を、妹が迎えに来るというシーンがラストにあるのだが、これってこの場所なの? と。
家族の再会、再生なのかもしれないが、彼があまり話の中心に位置づけられていないからそう思ってしまったのだ。

この話のキーとなる、ウイルス性の病気(あきらかにハンセン病を下敷きにしているような印象)に罹患した者は、人間性を否定され、医学が追いつかないことで、迫害を受けたり、誤った治療をされてしまう。
過去に行った女医は、過去と未来を知っているからこそ、過去の病気への対処方法や患者の扱いに、苦悩や憤りを感じる。
その死に至る病に、人はどう対応するのか、という個々のケースを見せているのだろう。

中でも重要なのが、病気になり、看護士となる男だろう。彼は、病気になり、家族から離され、去勢という治療をされてしまいながらも、ワクチン作りに手を貸し、生き延びる。さらにラストのシーンに繋げるためにも重要な役どころなのだ。つまり、彼のエピソードや彼そのものを、もっと印象的に見せるべきだったのではないだろうか。

確かに、蒲鉾会社の社長と秘書のエピソードや、怪しい宗教を信じる患者と教祖の話も人間臭さがあるのだが。看護士になる彼のほうに観客の意識が集まるようにすべきではなかったのだろうか。

老人も、もちろん現在の看護士なのだから同様に重要だ。過去の彼(病人で看護士)と現在の彼(老人)とのギャップをきちんと描き、それが徐々に同一人物であるということが明らかになりながら、そのギャップを埋めつつ、交差していくように描けば、あの再会のラストの場所、その位置づけも明確になったと思う。
この場合、主人公の女医は、ある意味狂言回しなのだから。

一番気になったのは、ハンセン病に対する反省もある2009年(この舞台では過去の時間)に、どんな病気であれ、病気にかかってしまった患者の名前を変える、なんて扱いが起きるとは思えないのだが。
自由を我らに

自由を我らに

44 Produce Unit

ザ・スズナリ(東京都)

2009/08/28 (金) ~ 2009/09/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

踊る会議で日本国憲法を考え、コトバの力を信じる
再演ということらしい。再演するだけあって、とてもよくできた話だと思う。
リズム感があり、うねりがある。
観ながら日本国憲法について、もう一度考えようという気にさせる。
役者のキャラクターもはっきりしていて、わかりやすい。
各キャラクターについてくどくど説明しないところもよい。
たっぷり楽しんだ110分。

ネタバレBOX

GHQがつくった日本国憲法の草案を、限られたわずかな時間の中で、推敲するために集められた、小説家、広告文案家、新聞記者、劇作家、詩人など、言葉を仕事にする人たち。言わば、言葉を信頼し、言葉の力を信じている人たちだ。
話は脱線しながら、実際の時間と同時進行で(特に夜の公演はまさにオンタイムで)日本国憲法の問題点と要点を明らかにしていく。

戦争が終わり、今まで言いたいことも言えなかった、言葉を仕事にする人たちは、終戦とともに解放された感があるのだろう。
ほぼ全員が浮き足立っている。言葉を自由に使える解放感を満喫している様子だ。
したがって、会議は脱線の連続である。
憲法を推敲しようという重い仕事の場で、そこまではどうかな、と思うほどではあるのだが(悪のりとも言う)。

戦中には偏向報道をしたであろう新聞記者の発言が面白い(特に9条関連が)。また、戦中も戦争スローガンをつくっていて、今も広告の宣伝文句を書いているという広告文案家という設定も面白い。

踊る会議に笑わせながら、本質に切り込み、日本国憲法への疑問を投げかける。
当然、観ているわれわれに投げかけているのだ。
その問い方の内容は、やや直接的であり、というか、言わばベタなのだが、これぐらい基本的なところでもいいのではないだろうかとも思った。中学生ぐらいに見せてもいいのかもしれない。

伝え方ととらえ方、言葉を仕事にしている人たちだからその解釈が面白い。「基本的人権」の「的」の話なんて考えてもみなかった指摘だ。

敗戦直後の日本人が考えたであろうことや、初めて触れる「基本的人権」や「自由」や「権利」そして、「戦争放棄」をどうとらえるのかということ。
言葉の難しさ、表現の難しさ、理念や希望、そんなことを踏まえつつ、ラストを迎える。
第9条の解釈は、戦勝国の思惑はどうあれ、そこには戦争を体験した者だけが語ることのできる、未来への願いが込められているのだということを強く再確認するのだ。
ここへの議論の重ね方がうまいと思った。一対多の状況の中にあっても正論をきちんと主張し、誰もが納得するような、心に響く言葉にしていくところがいいのだ。

もちろん、「言葉」は「言葉」でしかないのだが、言葉を使う人たちだから、それを、つまり「言葉」を信じることができるというところが、キーポイントなのだろう。
単に正論が正論であるから反論できなかった、ということではないということなのだ。

登場人物たちの個人名をあまり重要視しないこと、その人の人となりをくどくど説明しないあたりに「12人の怒れる男」が思い浮かんだ。
特に、ラストへの収束感と波が引くような静寂感に、それを強く感じた。
L・I・V・E vol.3

L・I・V・E vol.3

エムキチビート

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2009/08/28 (金) ~ 2009/08/30 (日)公演終了

満足度★★★

熱演のおもしろイベント!
本公演と今回の舞台との関係はわからないのだが、本公演とは異なるアプローチでお客さんに楽しんでもらおうというイベントのようだ。

ここの本公演を観ている人たちには、かなり面白い舞台だったのではないだろうか。
(たぶん)役者の普段の舞台とは違う姿が観られるのだろうから。

ネタバレBOX

主宰がいないということで、劇団を乗っ取るという体で始まる。
そして、いくつかの短編がそのストーリーに挟まれる。

それぞれはいかにもありそうな、いろいろなタイプの舞台(のパロディ)であり、その感じがとても面白い。あえて熱演しているのがいい。

白塗りの顔に学ランの主人公が演じる母子劇という、いかにもありそうなアングラ芝居。そして、双子の奇妙な話という、これもいかにもありそうな設定で、オチがだじゃれ(!笑)という芝居。ホームレスが主人公で、人間の悲哀を描いた風な芝居。最後は、ヒーローのアクションモノ(か?)で、ラストはまず自分たちが大切にしている人を守ろう、なんていうありがちなメッセージ(?笑)で締める芝居。

こんな具合に、いかにもありそうな設定で、ありそうな展開(とは言え、とてもよく考えられている)、そしてありそうなラストに結びつける話(お芝居のバロディ)を、実に一生懸命真面目に演じる。こういうパロディができるということは、本来の公演では自信があるということの証なのだろう。
そして、バロディを真面目に演じるからこそ面白いのだ。

各短編を繋ぐ、元のストーリー(劇団乗っ取り)も、ちょっとしたグダグダ感を演出し、結構面白い。このあたりを観ていると、うまい役者がいるんだろうなと思わせる。

普段の彼らの舞台を観ている人には、もっともっと面白いんだろう。前回(?)の台詞が出てきたり(あのハプニング的なものも演出なんだろうな・笑)、そんな設定を匂わせたりというあたりでそれを感じた。

劇団の乗っ取りの話のラストは、もちろんきちんと予定調和で迎える。

今回の舞台は、やはりあくまでも劇団がファンに贈るイベントなんだろうと思う。
だから初見の私はちょっと乗り切れないところもあったかもしれない。

もちろん、面白かったけど、劇団の本来の姿や力を観るなら、たぶん本公演のほうから観たほうがよかったのだろう。
風と共に来たる

風と共に来たる

劇団テアトル・エコー

恵比寿・エコー劇場(東京都)

2009/08/21 (金) ~ 2009/09/02 (水)公演終了

満足度★★★★★

ああ、いい舞台を観たぁ
映画「風と共に去りぬ」はどのようにつくられたのかを、メインキャスト3名で見せる充実の舞台。

序盤からボルテージが上がり、このお年の方が、果たしてこのまま行くのか、行けるのか、と思ったのだが、それは大変失礼な感想だった。

エネルギーをほとばしらせ、あるときは、重さを加え、あるときは辛辣に、そして突っ走る2時間(途中休憩10分含む)。

情熱だ! 全編情熱溢れる舞台だ! しかも楽しいコメディなのだ!

ネタバレBOX

すでにクランクインをしてから3週間がたっている映画「風と共に去りぬ」。しかし、プロデューサー、セルズニックが望む作品にはなりそうもない。
セルズニックは、義父であり、MGMの元ドンでこの映画の出資者でもあるメイヤーの重圧に胃を痛めながらも、思い切った決断をする。
それは、なんとわずか5日間で、この超大作のシナリオをすべて書き直し、監督も入れ替えることにするというものだった。
新たな脚本家ベン・ヘクトに白羽の矢を立て、「オズの魔法使い」を撮影中の監督フレミングを降板させて、この映画の監督に決めた。
しかし、頼みの綱の脚本家ヘクトは、ベストセラーの原作「風と共に去りぬ」をまったく読んでいない。
後に戻れないセルズニックは、ヘクトとフレミングを自分のオフィスに呼び、バナナとピーナッツ(!笑)だけを与え、自分を含め、5日の間缶詰にしてシナリオを書き上げようとするのだった。

もうこの設定だけで、楽しさがわかると思う。

当然、原作を読んでない脚本家にどう内容を伝えるのか、また、原作が持っている人種差別などの数々の問題点、それに対する脚本家の良心、脚本家とプロデューサーがユダヤ人であることのそれぞれの想い、そして、プロデューサーとしての夢、元運転手だった監督、映画ビジネスの本質、そんなさまざまな要素が渦巻いていき、当然一筋縄では収まらない。

単に口当たりがいいコメディではなく、厳しく辛辣な要素も盛り込みながらの舞台であるので、生半可の役者では、この味は絶対に出せないだろうと思わせる。

とにかく役者が素晴らしい。観客にまったく隙を見せず、どんどん引き込んでいく。台詞は本当の言葉になっているし、動きにも、何にも無駄がない。

また、同時代の映画好きにはたまらないエピソードも挟まれるのだ。フレミングは「オズの魔法使い」を監督中、ジュディ・ガーランドを1回だけ殴ったとか(真偽のほどはわからないが・笑)。

ラストも美しく終わる(映画とはちょっとだけ違った画面だったような?)。

本当に素晴らしい舞台。ああ、もう次のテアトル・エコーの舞台が楽しみになった。


・・・後からわかったのだが、公演のチラシには3人のメインキャストの写真だけが掲載されているものと思っていたら、実は、もう1人のキャストもちゃんと載っていたのだ。気がついて笑った。
新釈 ヴェニスの呆人 2009

新釈 ヴェニスの呆人 2009

コマツ企画

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/08/27 (木) ~ 2009/08/30 (日)公演終了

満足度★★★★

なんだよそれ!?
台詞がいい、間の感じがとてもいい。
ダークな中に笑いもあり、意欲的で刺激的ではあった。

ネタバレBOX

ダークな話が少しずつ露呈しつつ、実は、そのダークな部分の多くが主人公花子の作り話だった、というのが、台詞からストレートに受け取った内容だ。
もちろん、最後の刑事の言葉がすべて正しいわけでもなく、どこからどこまでが真実で、どこが作り話なのかはわからず、いくらでも深読みできる話ではある。その感じは悪くない。

ストーリーよりも、その見せ方がとてもいい。

主人公が刑事(あるいは観客)に語る、ことの真相は、再現ドラマのように進行する。花子がまるで演劇の演出家のようにそれを取り仕切る。
花子は、作・演出のこまつさんが演じているので、観客にはその様子がとても面白い。たぶん、実際の演出のつけ方はそうではないのだろうが、いかにも演出家が言いそうな言葉を役者に浴びせる。
それに対する役者も、ホンネ的な独り言まで仕組まれていてそれも面白いのだ。
ほんの少しだけ、メタな匂いがする。

スタートは、わくわく感があったのだが、それからは意外とオーソドックスに思えた。ただし、出来事と出来事、言葉と言葉のリンクのさせ方はとても刺激的。
オーソドックスと言えば、例えば、ボールを、人間関係を彷彿とさせるような使い方をしていたのだが、ボールをそんなふうに使うのは、あるなあと、冷静に思ってしまったのだ。少なくとも、このアゴラでも1回は観ていると思う。
幕を落として、観客に向かうという意味付けもどこかで観たような感じがする。

ただし、とは言え、とにかく楽しい90分だったのは確かだ。

しかし、しかしなのだ。
半ば強制的に観客が見せられた(客電が点いて、役者の1人が話し、すぐに始まったし、あの満席の中、出るに出られないし)アフタートークで、こまつさんが、オープニングシーンやラストシーンの意味を語りだしたのには驚いた。「皆さんわかりました?」まで言って。さらに今回の舞台がなぜできたのかまでも語る。なんとホワイトボードまで取り出して、10分では語りきれなかったようだ

別に観客が、「どんな意味だったんですか」と質問したわけではないのにだ。
「なんだよそれ!?」と思ってしまった。

どうして大切なオープニングとラストシーンについて、言葉による説明が必要だったのだろうか。理解に苦しむ。
観客を信頼していないのか、自身の演出に自身がないのか、不思議だ。
そんなに観客が信頼できないのならば、観客が理解できるであろうレベルに「落として」演出すべきでは。また、単純に理解してもらえるかどうか自信がない演出方法ならば、変えればいいのではないだろうか。

と、言うより、どうしても説明がしたかったのならば、今回は「演出する」という体で進むストーリーなのだから、せめて例えば、「ここのシーンはこういう意味だから」と花子に劇中で言わせたほうがよほどスマートで面白かったと思うのだが。

今、舞台で起こったことがすべてで、その説明は本来必要ないと思うのだが。もちろん、アフタートークも芝居の中のひとつの内容であるのならば別なのだが(まさか? そんなはずはないと思うのだが)。
作・演出・主演やってるんだし、言いたいことはすべて舞台の上で済ませるべきでは。

とにかく、事実はどうあれ、私にとっては、このアフタートークの10分で舞台の90分が台無しなったような気がする。

木の箱に薄いクッション1枚だけで、限界に近いほどお尻が痛かったにもかかわらず、「面白かったなあ」と思った気持ちを、萎えさせてさせてしまったアフタートークだった。

アフタートークとお尻の痛さも込みだったら、星の数は2つぐらいになる。
エル・スール~わが心の博多、そして西鉄ライオンズ~

エル・スール~わが心の博多、そして西鉄ライオンズ~

トム・プロジェクト

本多劇場(東京都)

2009/08/25 (火) ~ 2009/08/31 (月)公演終了

満足度★★★★★

登場人物がすべて愛おしい
人がいて(人が生活して)町がある。
町の記憶、町の匂い。
地に足つけて生きる人たち。

作・演出の東節炸裂とでも言おうか、もちろん桟敷童子とは違うテイストだが、根底に流れる、人、生命、絆、町(共同体)への強烈な想いは同じだ。

かなりベタなつくりかもしれないが、登場する人々がすべて愛おしい。
どんな仕事をしていても、チンピラであっても、人が人であること、生きていることが美しいと思える。

美しさの中には、強さと弱さと哀しさが同居しているのだ。

ネタバレBOX

住む人に愛された博多という町と、町の人に愛された西鉄ライオンズ、なくなってしまっても、あるいは、散り散りになってしまっても、それへの人々の想いは、消えてしまうことはない。
たとえ、町を離れても、心の中にはその想いがある。主人公の中には「エル・スール」(南へ)という形で強く刻まれている。

町はどうしても変わっていく。その善し悪しは別にして。
私自身が住んでいた町は、まさに高度成長期の頃から日々大きく変化していった。それは、前がどんな様子だったかを忘れてしまうほどだ。
町が変わることは、もう諦めている。そんなものなんだと。でも、町に対する郷愁や思い入れは多少はあるつもりだ。

とはいえ、私の想いは、この舞台に登場する人たちほどではないだろう。というか、作・演出の東さんの、町に対する想いの強さはどうだろう。

東さん作の「風街」も九州の北部が舞台だったし、桟敷童子の「ふうふうの神様」もやはり九州が舞台、そのこだわりはものすごいと思う。
東京に出て来て、芝居をやっている東さん自身の想いも、やはり「エル・スール」(南へ)なのだろう。それが、たとえ九州が舞台でないときも、色濃く出ているように感じる。

さらに、昭和30〜40年あたりへのこだわり、映画へのこだわりも強い。先日桟敷童子の「汚れなき悪戯」の元となった映画がまたこの舞台で顔を出した。なにしろ、「エメ・スール」というタイトルのスペイン語は、「汚れなき悪戯」がスペイン映画だったからなのだ。

それぞれの人物の描き方がいい。台詞の端々にその人の生きてきた道が浮かび上がる。単なる説明にならないところは当然としても、その塩梅がとてもいいのだ。たかお少年の純粋さが人を惹き付けるという構造もうまい。誰もに好かれ、誰もを好きな少年時代。

ラストに、その後彼らはどうなったのかと後日談をくどくど見せない潔さがカッコいい。それぞれがどう生きたのかを描くことができたのに、それを観客の心の中にゆだねてしまう潔さ。見事だと思う。

また、今回の舞台は、メインは5名の俳優が演じているのだが、どの役者もうまいと思った。そこにその人が生きているようだ。
たかお鷹さんにも、高橋由美子さんにも、松金よね子さんにも、有坂来瞳さんにも、清水伸さんにも、登場人物のすべてに、生きる強さ、生命の強さと、同時に人の弱さや哀しさも感じた。

たかおさんは、もちろん、どう見ても小学生には見えない姿なのに、なんとなく老けた小学生に見えてしまうというのが見事だ。60歳を過ぎた現在を演じるときに、わずかながら口調が変わるだけで、その違いをはっきりさせたのには舌を巻いた。

笑いも交えながらだが、後半は、涙なしでは観ることができなかった。
風水七味女

風水七味女

タッタタ探検組合

シアターブラッツ(東京都)

2009/08/20 (木) ~ 2009/08/23 (日)公演終了

満足度★★★

キャラクターがとってもいい!・・けど
特に主演の風水七味女のハツラツ感がいいし、風水の先生の納まりの良さ感もいい。そして陰陽道の女将のキリっとした雰囲気もよかった。
他のキャラクターも何かやってくれそうな雰囲気だけはあった。
全体的に元気というかパワーも感じられた。
・・・のだが。

ネタバレBOX

なんと言うか、まず、オープニングの1人芝居が長かった。また、話の設定、登場人物の紹介的な内容に、かなり時間を割いていたように感じられてしまい、本題的な内容というか、盛り上がりがなかなかこなかったのが残念。

確かに、物語に絡めながらの状況と設定説明なのだが、どうも主が説明になっているように思えてしまった。それは、話が前に進んでいる感じがしないからだろう。

物語は、風水や陰陽(おんみょう)が主軸になっているのだが、それらの呪文(?)のような言葉が、かなり面白そうなのだが、結構早口で何を言っているのか、全部は聞き取れない。
滑舌の問題か、それとも別に内容を伝えなくてもいいと思っているのか、とにかくあんまり聞き取れないのだ。
台詞でも早口だったりして、ほとんど何を言ってるのかわからない人がいた。
それはかなりマイナスだと思う。

もっと丁寧にしゃべって聞かせるほうを優先すべきではなかったのだろうか。

一番の問題は、コメディなのに、笑えるところがあまりなかったことだ。後半にドタバタし出してからは、それなりに笑えたりしたのだが、声を出して、というほどではなかった(子どもは笑っていたようだけど)。

登場人物は多いのだけど、それは、「笑い」のための多さだと思うのだが、それがほとんど活かされていない。つまり、キャラクター設定のツメが甘いためか、「笑い」を起こすためのぶつかり合いが弱く、単に人が多いだけに終わっている。これだったら、人数を絞って、物語に集中したほうがよかったのではないだろうか。

唯一、笑ったのは、ストーリーと関係ないキャラクター「冷凍みかん」が出てきて独白するシーンである。これは面白かった。台詞の間やトーンがいいし。こんな感じが全編にあればいいのにと思った。

物語の設定もキャラクターも、とても面白くなりそうな要素が揃っていて、パワーもありそうなのに、ひと味面白さが足りなく、もうひとつ笑えないというのが、非常に残念だった。当日、七味の小袋も配布されていたので、これでひと味足したいぐらい。

どうでもいいことだが、この舞台の設定は、1月から2月ぐらいの冬なのだが、なぜ夏の今この季節設定? と思ったのだが、それには何か狙いがあったのだろうか、謎。

あんまり書きすぎると、風水七味女に「2、3日後、風呂場で死ぬよ」と言われるのでこれぐらいにしておこう。
サマーゴーサマー

サマーゴーサマー

あひるなんちゃら

OFF OFFシアター(東京都)

2009/08/19 (水) ~ 2009/08/24 (月)公演終了

満足度★★★★★

あひるなんちゃら大好き
「大好き」の後にハートマークだって付けていいほど。
ゆるい気持ちで観に行った。
そして、ゆるい感じでずっとニコニコして観ていた。
所々で笑ったりして。
楽しかった。・・・ツボにはまったとも言う。

ある意味メルヘンだね、これ。
な〜んにも起きないけど。

ハートマークの代わりに星を1つよけいに付けよう。

ネタバレBOX

「それはないでしょ」「大丈夫?」って思ってしまう人しか出てこないけど、特にそのあたりをフューチャーするわけでもなく、まるでどこにでもありそうな日常のように描いてしまうので、「ああ、あるかもしれない」と、まんまと騙されてしまう。そんな人たちは、そうそういるわけがないのに。

そんな変な登場人物が大勢いる中で、突っ込みはわずか3名(ぐらい・たぶん)。普通はオカシナ人が1人ぐらいで、皆で突っ込むというのがセオリーな感じなのだが、これは違う。

映画館オーナーの「ああ、もう、うるさいなー」と絶えず思っているような空気と間、最初から来ている本屋の主人の間もいい(映画館のオーナーを憎からず想っているんじゃないかという雰囲気も)。他の出演者も、ちょっとあり得ない人ばかりだったけど、どのキャラクターもよかった。中でも兄の不毛な冗談のときの不気味な目の光が印象に残った。というより怖い。

なんとも間がいい、そして不毛な会話が楽しい。日常なんて、そのほとんどはこんな時間を過ごしているのだから。ドラマチックなことなんてめったに起こらない。
だから、うっかりすると立ち上がってきてしまう、ドラマなんてものもあえて立ち上がらせない。

舞台となった映画館を含む再開発っぽい話題が出たところで、「おっ、今回の下北沢の上演は、ひょっとしたら再開発問題に揺れる下北沢へ一石を投じるために、あえて打った舞台なのか!」とちょっとだけ鼻息を荒くしそうになったが、当然のごとくそんなそぶりさえも見せない。
メッセージがあるとしたら・・・・いや、そんなコト考えるのはよそう。

登場人物たちは、なんとなく不器用に一生懸命。だけど端から見れば、単にだらだらと時間だけが過ぎていく様子。これは人ごとではないかもしれないのだけれども・・・。

こんな町に住んでみたいとちょっと思う。今や、シネコンじゃない映画館があって、さらに2軒の本屋がある静かな町なんてメルヘンでしかあり得ない。

こんな昼間っから暇な大人が集まれる場所ってないんだし。どうやら、とりあえずはお金には困ってない人たちばかりが住民のようだし。

やっぱりメルヘン。そんな純昭和風なメルヘンに憧れるから、この舞台が好きなのかもしれない。

オーナーが「夏が続けばいいのに」と言ったから夏が1年続いて、「夏が終わればいいのに」と言ったら夏が終わったのが本当ならば、このメルヘンの町がある場所というのは・・・いやいやいやいや、怖いからやめておこう。そんな話ではないだろうからね。あり得ない、あり得ない。

どうでもいいことだけど、この映画館、ポスターを貼るとか、飲み物の自販機置くとか、料金表を掛けるとか必要だったのでは? あえて映画館っぽくしない理由もないし。

それと、最近映画館がなくなっているので、若い人は知らないのかもしれないけど、ここってロードショー館じゃないだろうから(名画座? 2番館?)、1800円の料金は高いし、そうすると完全入れ替え制のわけはないので、1日何回観ても料金は一緒じゃないのだろうかと思ったり。
さらに、映写技師はいるのかな? 上映終了してもオーナーは平然と宿題やってたし。
なんてことがずっと気になっていた。

でも、こんな映画館があったら、大昔に撮った私の8ミリ映画を持って行って「上映してください」とお願いしたいと思ったりして(笑)。



・・・ツボにはまった私って、ひょっとしたら疲れているのか?・笑

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