トゥーランドット[新制作]
新国立劇場
新国立劇場 オペラ劇場(東京都)
2019/07/18 (木) ~ 2019/07/22 (月)公演終了
満足度★★★★★
3年前に、METライブビューイングで見た時は、変な話だなというのが第一印象だった。ヒロインは血に飢えた冷酷女だし、ピンポンパンの幕間劇は全体の中で浮いているし、それまで誰も解けなかった三つの謎をカラフがいとも簡単に解くのは非現実的だし。謎解きは、昔ばなしでは大体主人公を助ける影の知恵者(特別な老人、ねずみその他)がいるものだ。この作にはそういう仕掛けはない。
そう思っていたのだが、二度目の今回は音楽の見事さに大いに気づかされた。重く凄みのある幕開きの低音のモチーフ、不安と移ろいを表す前衛的な音楽と親しみやすいメロディーの両立。客席を圧倒する豪華なオーケストレーションなど。有名な「誰も寝てはならぬ」のメロディーも、カラフが歌うアリアの場面以外にも効果的に使われている。その前に一度伏線として、またプッチーニ死後に補作されたフィナーレで大々的に演奏されて、この大作のしめくくりになっているのも見事である。
バスチューバ(?)や銅鑼など、超低温を効果的に使って、権力のこわさ、不気味さ、死の儀式を感じさせる箇所が多い。ここには、第一次大戦を体験したプッチーニの暗い気持ちがあらわれているそうで、なるほどと思った。
割と盛沢山なストーリーに思えるのだが、時間は正味2時間10分と、意外とコンパクトなのも発見だった。休憩込み3時間(1幕45分、休憩25分、2幕45分、休憩25分、3幕40分)3幕はアルファーノの補筆をトスカニーニがカットした、もっとも演奏されている版。これがいいと思う。
来日したバルセロナ交響楽団が、ピットに入るというのも驚いた。通常は主要ソリストは海外からよぶものの、オーケストラは在京の交響楽団が交代で入るもの。専門的なことは分らないが、それでもバルセロナ楽団の音楽は素晴らしいものだった。弱音もはっきり聞こえるバランスと、大音響のときも繊細さと豊かさを失わない。なかでも低音の迫力は圧巻で「トゥーランドット」にあっていた。
明日ー1945年8月8日・長崎
劇団青年座
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2019/07/10 (水) ~ 2019/07/17 (水)公演終了
満足度★★★
映画にもなった井上光晴原作の有名な作品の舞台化で、すでに何度も上演されているが、初めて見に行った。ラストの出産シーンではころころとした妊婦役の田邉雅菜の若々しい必死さが光った。その前の、市電の運転手(高松潤)と新妻(田上唯)の、明日の弁当についてのほのぼのしたシーンも、短いが、印象に残る。精神薄弱児の子を明日引き取りに来いと病院からいわれて、当惑する夫婦(五十嵐明、山口キヨ)も、子を思う気持ちと苦しい生活の板挟みをよく演じていた。(最後の方からで申し訳ありません)
観劇後にパンフで知ったが、出産も、市電運転手の家庭も実際にあったことだという。そこまで、事実に基づいていたとは知らなかった。丹念に事実を調べて吟味し、作品として昇華させていることは原作者、脚色家、劇団の大きな手柄だと思う。
休憩なしの2時間弱
チック
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2019/07/13 (土) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★
映画にもなったドイツのベストセラーの舞台化。退屈で友達もいないマイク(篠山輝信)と、ぶっきらぼうなロシアからの転校生チック(柄本時生)。チックが盗んだ自動車ラダで、夏休み、ふたりは旅に出る。篠山は、昔Eテレ「しごとの基礎英語」で英会話に苦労する新人社員役を毎週見ていたので、懐かしかったし、気弱な少年を好演していた。2時間45分(休憩15分)だが、長さは感じなかった。
ほかの方は大変評価しているのだが、私はあまり乗れなかった。場所はどんどん変わるので、舞台は最低限の簡素な装置で、後の説明はマイクの語りでずっと通していく。麦畠の映像や、劇場の天井を使った星空などもあるが、私には案内役のマイクの語りがうるさかった。ロードムービーという舞台にしにくいものを舞台にする工夫だが、やはり舞台に乗り切らなかったものが多すぎた。でも、ドイツではこの舞台が人気で、シェイクスピア以上に何度も各地で上演されているというのだから、不思議だ。おそらく生徒向けの学校公演ではないだろうか。
場面場面にいいところはある。チックが秘密を告白する場面や、ラストのプールの場面など。それでも私が乗れなかったのは、結局父は破産で母はアル中の、うだつの上がらないマイク少年に感情移入できなかったからという気がする。チックはラスト近くまで、自分をさらけ出さないわかりにくい少年であったし。私が変にすれた大人だから少年の冒険に乗れなかったのか、狭い舞台に広々とした田舎をみる想像力の不足か、家庭の不幸や自意識過剰の解決はこんな簡単じゃないよと思うせいか。
一緒に見た連れは「面白かった」「最後のプールがきれいだった」とほぼ満点の評価だったので、なぜ私が乗れなかったのかが引っかかる。
ガラスの動物園
文学座
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2019/06/28 (金) ~ 2019/07/07 (日)公演終了
満足度★★★★
足が悪く内気な姉と、それを気に病む母、家を出て行きたい弟。母に頼まれて、弟は同僚の男を夕食に誘う。身の丈以上のおもてなしに見栄をはる母は滑稽だが可愛い。その男は、姉の高校時代の憧れの人だった。夢のような一夜が、ガラスの動物園のように輝いた後、何も変わらない朝が来る。夢を見た後だけに、その朝の変わらなさはは一層つらい。
一度だけでも夢を見られて良かったのか、夢など見ない方が良かったのか。作者が精神病の姉への贖罪意識から書いたと言われる作品。見終わって何かスッキリすることは何もない。いつまでも頭の片隅にこの劇の問いが引っかかっている。
朝のライラック
彩の国さいたま芸術劇場
彩の国さいたま芸術劇場・NINAGAWA STUDIO(大稽古場)(埼玉県)
2019/07/18 (木) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★
ISに支配される中東のある街で、不信仰者と烙印を押された若い教師夫婦。離婚して妻を差し出すか、処刑されて妻を未亡人にするかという理不尽な要求を突きつけられる。
後半になって、教え子のフムードがIS戦士になって出てきてからが、緊密で、葛藤もはげしく、大変引き込まれた。
IS支配とイスラム教という馴染みのない舞台で、どれくらい入り込めるか、事前には心配していたが、生きるか死ぬかをギリギリの選択が、宗教に関係なく、自らのものに感じられた。ISがくる以前の、美しい妻に、田舎の男たちが色めき立って、長老が暗い欲望の炎を燃やすあたりも含め、大変普遍的な舞台になっていた。100分、目が離せない。
美しく青く
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2019/07/11 (木) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★
とある田舎町の猿害対策の自警団を軸に、人々の日常の些細な出来事を描き、寂しさやつらい過去や感情の波立ちを一瞬垣間見せる。認知症、老人の一人暮らし、青年の離村、夫婦仲のひびなど、誰もが思い当たる出来事を、一つ一つ小さな短編のような場面にしながら、それをネックレスのようにつなげて全体を2時間10分の芝居にしている。最後まで説明しない過去の謎があったりして、カタルシスは得にくいが、最後は夫婦仲に希望を見せて、後味はよい。
あらすじが、事前の紹介と全然違うので書いておく。
農作物や人家まであらす猿の害に苦しむ田舎町。青木保(向井理)が団長の自警団が、猟銃やおもちゃの銀玉マシンガンをもって、森で猿狩りをし、村内をパトロールするが、あまり成果は上がらず、村人からは疎まれている。
保は家に妻(田中麗奈)と、認知症の義母(銀粉蝶)がいて、家では妻がいつも義母に口やかましく指図している。順子(秋山菜津子)が営む居酒屋では、自警団仲間(役場の箕輪=大倉孝二=もいれて)6人が毎日のように集まって盛り上がる。
妻を亡くして一人暮らしのがんこな片岡(平田満)は、保たち自警団から、アパート住民のゴミ出しを、猿の餌にならないようにしっかり管理しろと再三注意されるが、従わない。さらに保は、片岡の庭の柿の木が、実を取らないまま放置されて、サルのえさになるから伐採するとすごむ。無口な片岡は黙って聞いているが、最後に「狂ってる、お前ら。正義面したやつが一番危ない」と、保たちの行き過ぎた行為を指摘して、良識を垣間見せる。
村の海辺では巨大な防潮堤が建設中で、東日本大震災の被災地らしいが、その被害については特に何も出てこない。作・演出の赤堀雅明が公演プログラムで「書き進めるうちに、震災の部分は戯曲の水面下に潜む要素となり」と書いているように、執筆過程で大きく変わったらしい。「被災地をドラマの都合、感動の材料にしない」と心がけた結果のようだ。
赤堀作品は初めて見た。「芝居」的な大げさな誇張や作為を極力排す作風らしい。舞台上で、素でいてくださいと。出演のベテラン俳優にとっても普段と勝手が違うというが、見ながらあまり特別フツウには感じなかった。平田オリザの舞台を見慣れているからかもしれない。そういえば、二組の会話を同時に進めて、聞き取りにくい場面など平田オリザのようだと思ったところがあった。ただ、言われてみれば、平田満や銀粉蝶など、もっと柔軟に動ける俳優が、ただぼーっとしている動きが多かった。それはそれでよかった。
舞台セットが、森の中、保の自宅、居酒屋、片岡家の庭、防潮堤の下と、全く違うものを5つも、それぞれリアルに作り込んだものを転換させていて、その美術の方が印象的だった。けっこう大がかりな転換だが、回り舞台ではない。ひとつのセットを4つか5つの大きめのパーツにし、それぞれが車輪で動くようにして出し入れし、スピーディーで感心した。
エダニク
浅草九劇/プラグマックス&エンタテインメント
浅草九劇(東京都)
2019/06/22 (土) ~ 2019/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★
序盤から終盤のクライマックスへと、笑いがどんどん増えていくと同時に、登場人物3人の葛藤も最高潮へ。2時間弱だったと思うが、このテンション・チャートの見本のような盛り上げぶりはすごかった。
横山拓也戯曲は三度目。前二つが、家族の不倫(夫婦仲の亀裂)も絡んだ話だったが、今度は汗臭い(だけではなく、本当に臭い)男の職場のドラマで、スカッと見られた。
歴史的には差別問題など難しさもあると殺場をネタに、これだけ労働者の滑稽と悲哀を描き、笑いではじけさせたのはすごい。演出の鄭義信の見せ方もうまかったと思う。俳優陣もみごとな熱演だった。
笑う門には福来たる〜女興行師 吉本せい〜
松竹
新橋演舞場(東京都)
2019/07/03 (水) ~ 2019/07/27 (土)公演終了
満足度★★★
面白かった。主演の藤原直美の間と存在感は別格だった。前進座の津上忠さんは「小道具は三回使え」というのが口癖だったと聞いたが、この舞台の「冷やし飴」の扱いは、まさにそのセオリー道理で感心した。
「興行主には間が大事屋」というセリフや、駆け落ちした芸人も、吉本せいの人生の節目節目に現れて、まさに3度繰り返される中で、主題を深めていた。
藤原直美演じる一代記なので、年齢に応じて、衣装やかつらをどんどん変えなければならない。そのための時間をとるための、場面作山熊のコントも巧みだった。そうした芝居作りの上でも、いろいろ教えられるところが多かった。ただ、思ったよりも笑いが少なかった。
骨と十字架
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2019/07/06 (土) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★
ヒトの進化論の研究者で、かつイエズス会司祭であったテイヤール(神農直隆)を中心に、信仰と科学をめぐる議論と葛藤を描いていた。テイヤールを審問するドミニコ会道士(近藤芳正)との対立が、一番の対立軸だが、作劇上はそこが少し弱い。
テイヤールの真面目な人格を信じているイエズス会の総長、弟子、同僚神父がテイヤールを支えている。力関係は1対4なので、どうしてもドミニコ会士の分が悪い。神による人間創造説の非科学性とあいまって、対等な対立にならないので、あまり議論に引き込まれなかった。これは少々マイナス。
しかし、一緒に見た同僚は大変感心していた。大学がキリスト教系で「キリスト教概論」の天地創造やアダムとイブの荒唐無稽についていけなかったそうだ。「聖書の話はすべて比喩ではないですか」というセリフに、「そうだったのか。そう考えれば悩まずに済んだのに」と膝をうっていた。信仰と科学の一体化を目指すテイヤールの話に、かつて疑問を覚えたキリスト教の神とは違って、親近感を覚えていた。
三人姉妹
地点
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2019/07/04 (木) ~ 2019/07/11 (木)公演終了
満足度★★★★
全く斬新であっけにとられたまま終わる75分。九人の登場人物は、四つん這いで現れ、くんずほぐれつ、相手を変えながら、二人組で絡み合い転げ回りながら、コラージュされたセリフをしゃべる。
舞台の上には舞台はばほぼいっぱいの透明の2メートルほどの高さのアクリル板の壁がある。それを登場人物たちが力一杯押したり引いたりするのも、舞台の運動量をあげる。セリフは叫ぶような大声で、チェーホフと聞いて思い浮かべるような陰影はない。衣装も体操着のような動き回りやすい気能的なもの。韻を踏むような、単語を解体するような独特のセリフ回しは、音楽性の回復なのか、意味の解体なのか。
チェーホフの人物たちの抱えた鬱屈は、表面のベールを剥ぎ取れば、身悶えするような、熱いマグマがたまっているということなのだろうか。心理の熱量を肉体の運動量に変換してみせた。
まだるっこしい駆け引きでできた、19世紀ロシアの社交芝居を3時間見せるより、オブラートを全て取り去って、75分の悶絶パフォーマンスを見せるという潔さがすごい。観客に小手先の演技でなく、文字通り体を張って挑戦してくる。それが、意外にケレンに終わらず、じかに響いてくるものがあった。大音量の効果音やアクリル板を叩く大きな音もその点で効果があった。
六月大歌舞伎
松竹
歌舞伎座(東京都)
2019/06/01 (土) ~ 2019/06/25 (火)公演終了
満足度★★★★★
よかった。期待に違わぬ出来。冒頭、学芸会のようなところから、しっかり笑わせる第二幕、そして、盛り上げて感動を与える第三幕と、素晴らしい作劇だった。
ドライビング ミス デイジー
ホリプロ
紀伊國屋ホール(東京都)
2019/06/22 (土) ~ 2019/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★★
熟練の老名優によるしみじみと人生を感じさせる舞台。映画の名前を知っていたが、元は舞台とは知らなかった。85歳の草笛光子さんの凜とした上流老婦人のたたずまいが魅力的で、彼女が舞台に出ただけで見とれてしまう。最後の97歳の老け込み方にも生への執念というか、ただならぬ迫力があった。
市村さんの朴訥な黒人運転手役もはまっていた。シンプルな戯曲が余計なものをそぎ落としているので、名優の醸し出す雰囲気を楽しむ舞台。場面転換が大変多いのが意外だったが、それも回り舞台でスピーディーに処理していた。演出もよかった。
渡りきらぬ橋
温泉ドラゴン
座・高円寺1(東京都)
2019/06/21 (金) ~ 2019/06/30 (日)公演終了
満足度★★★★
面白かった。小劇場で女性役をみな男が演じると聞いて、どうなるかと思っていたが、思いの外はまっていた。笑いとシリアスのメリハリの付け方が絶妙で、飽きずに見られた。出てくる男は浮気者ばかりで、女はさみしさをまぎらわす(あるいは男を見返すように)文筆や雑誌作りに打ち込んでいく。男女の関係が明らかに非対称な話で、男としては見ていて尻がムズムズした。
長谷川時雨夫婦、生田俊月夫婦、岡田八千代夫婦、それぞれの冷えた仲でもくすぶる愛、という関係がよく演じられていた。ただ互いに「理解」しあった仲なので、大きな修羅場はない。そこが物足りないといえば物足りない。男のわがままをそんなに簡単に許していいのかと。ぎゃふんといわせてくれた方がすっきりするんだけど。
「女と男が対等になった社会では、私たちもこんなに傷つくことはないのでしょうか」というセリフがある。もちろん、現代もまだ「対等」ではない。「対等」になる日など来るのだろうか? もしきたとして、それで男女のもつれがなくなるかと言えば、違うだろう。「対等」になるとしたら、男ばかりでなく、女も浮気するようになって、それで男も傷つくようになる。それで対等になるという構図しか思いつかない。今でも外で働く女性、共働きだとそういうことはかなりある。男も傷つけば、女の傷はいえるのだろうか。とてもそうだとは思えない。
ピロートーキングブルース
FUKAIPRODUCE羽衣
本多劇場(東京都)
2019/06/20 (木) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★
木下歌舞伎の「摂州合邦辻」に感動したので、糸井さんのホーム公演を見てみました。3から4組の男女の寝物語は、正直あまりピンとこなかった。でもすが、歌と踊りが良かった。「摂州合邦辻」と似た動きと曲想もあって、「ああ、コレコレ」という感じで楽しめました。
東京喜劇 翔べないスペースマンと危険なシナリオ~ギャグマゲドンmission~
熱海五郎一座
新橋演舞場(東京都)
2019/05/31 (金) ~ 2019/06/26 (水)公演終了
満足度★★★★★
非常によくねられた脚本とコンビネーションで、大いに笑わせてもらいました。歌と踊り、ゲームまで織り込んで、大サービス。大変よくできた喜劇ショーで、来年もまた観たい。
【八田元夫を読む】 『まだ今日のほうが!』
劇団東演
東演パラータ(東京都)
2019/06/15 (土) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★
めったに見られない戯曲。リーディングということで、台本を持ちながらであったが、きちんと芝居をしていた。
戦前の党の地下活動を支える「ハウスキーパー」だった若い娘が中心。彼女が、かつて党活動で一緒に暮らした男と再会して、どう決着をつけるかがカギ。昔の男が、結局何の信念もない、かつてものにした女、金でも恵まれたことに今も未練をもっているだけという話をどうみるかで、作品評価は分かれるだろう。「戦前の党のみにくい内幕を描いた」か「破廉恥な男の哀れを描いた」ととるか。
アミとナミ
劇団桃唄309
座・高円寺1(東京都)
2019/06/12 (水) ~ 2019/06/16 (日)公演終了
満足度★★
老いたハンセン病元患者が青年に「木はゆっくりとしゃべる」と言う。そこが良かった。全体は焦点のはっきりしない、ふわっとした話で、期待したほどではなかった。
帰りに前作の「風が吹いた、帰ろう」の台本を買って読んだが、この方が、ハンセン病と現代の青年を巧みに、かつのっぴきならない形で結んでいて、よかった。
今回は前回のような正面からの描き方ではなく、ハンセン病と日常を結びつける形を模索しているが、まだまとまっていないままの、道半ばという感じであった。
キネマと恋人
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2019/06/08 (土) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★★
才人ケラのセンスと、結集した映像、振り付け、音楽、美術のスタッフと、俳優のアンサンブルが見事に結晶した名舞台。単に演劇という枠をはみ出して、総合芸術というべきもの。歌劇を改革して、楽劇をつくったワーグナーを思い浮かべた。ウディ・アレンの映画を下敷きに、大きくはみ出さず、オリジナルで達成したのでない点で、1点減点した
ゴドーを待ちながら
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2019/06/12 (水) ~ 2019/06/23 (日)公演終了
満足度★★★
コミカルで騒々しい舞台。ただ古い作品なので現代の客の前ではギャグが滑ってしまう。二幕目では楽屋ネタのアドリブが増えて、笑いも増えた。
この二人、何かを待っているというが、何も待ってなどいないのではないか。ただ暇つぶしをしているだけ。「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉があるが、それを舞台にしたところが、ベケットの歴史的功績ではないか。
それまでの演劇は起承転結の、なんらかの筋を持っていた。フランス古典劇の三一致の法則はもち論、事件が起きて死や大団円に終わるシェイクスピア劇にしろ、最初に誰かが到着し、最後に出発するチェーホフ劇にしろ。ベケットは何も起きない劇を創始した。
人生はすべからく、今日も明日も、10年後も20年後も、基本は何も変わらない繰り返しに過ぎないと。人間の行いはその平板な時間を埋めることで、無為の不安と恐怖を覆い隠しているのだと。それがベケットの示した人生の真実ではなかったか。
その点で、「ゴドーさんは今日は来ません」という伝言を持ってくる少年は不要とも言える。しかし、これは未来とか、希望と呼ばれるものをの可視化するための仕掛けなのだろう。二人は暇つぶしに疲れて自殺というアイデアとも戯れるが、少年の伝言で、それもやめる。(勿論、首吊り用のロープが切れて、自殺もできない、馬鹿馬鹿しいという形になっていて、単純に少年の登場で自殺をやめるのではないが、そこには表面的な展開以上の意味がある)希望は虚妄かもしれないが、それがあるから人間はまた明日も生きていけるのだと。
アベルとカインの名で「全人類を代表している」というセリフがある。一人では何もできないが、二人いれば、関係が生まれ(多くは上下関係。主人のポゾーと奴隷のラッキーが示している。ウラとエスの二人も、ウラ上位は歴然としている)、暇つぶしができ、全人類に匹敵できるという暗喩である。
「ゴドー」は名前だけは有名で、梗概を聞けばそれでわかった気になる芝居である。最近、河合祥一郎の翻訳で戯曲も読んだ。それでも、つまらない芝居と思ったのが正直なところだった。今回、初めて舞台を見たが、事前には思いもしないほど、刺激を受けた。舞台を見ている時より、終わった後の心の中の波紋が長く続く舞台だった。
2.8次元
ラッパ屋
紀伊國屋ホール(東京都)
2019/06/09 (日) ~ 2019/06/16 (日)公演終了
満足度★★★★★
売れない新劇劇団がアニメ原作の「ミュージカル」に挑む物語。おすすめです。ピアノ、歌がうまくて、笑えて泣ける。演劇論にもなっていて、大衆演劇を道具たてにした井上ひさしに似ているところもある。1時間50分。