Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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太鼓たたいて笛ふいて

太鼓たたいて笛ふいて

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/11/01 (金) ~ 2024/11/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

大竹しのぶ以外はキャストを一新した舞台。歌える俳優が目立つ。音楽プロデューサー(福井晶一)のバリトンが印象的。母親役の高田聖子が娘役の大竹しのぶより10歳若いと知ってびっくりした。こま子役の天野はなも薄幸を見せつつ凛としていてよかった。文学座あたりの出身かと思ったら、イキウメで、意外だった。

「ひとりじゃない」「ハレルヤ」などカギとなる、口ずさみやすい曲は宇野誠一郎の「ひょっこりひょうたん島」挿入歌だとわかった。今回は、宇野誠一郎の劇中歌が大変気にいって、「ひょうたん島」のCDを入手して聞き直した。
同じく宇野作曲の「滅びるにはこの日本、あまりに素晴しすぎるから」の大竹しのぶの切々たる歌唱が圧巻だった。

諸国を遍歴する二人の騎士の物語

諸国を遍歴する二人の騎士の物語

劇団青年座

吉祥寺シアター(東京都)

2024/09/28 (土) ~ 2024/10/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

最初はなんてことない話なのだが、途中からどんどん人が死んでゆく(殺されていく)。その殺し方がクールでブラック。

ネタバレBOX

最後は騎士二人だけが残った気がする。自分たちが死にたいのに死ねない退屈とあきらめでおわった……気がする(観劇後2カ月たつので、忘れてしまった)
ピローマン

ピローマン

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/10/03 (木) ~ 2024/10/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

凄い芝居。戯曲も俳優も演出も。対面式舞台のシンプルな美術

ネタバレBOX

2年前に円が俳優座劇場でやった時、見なかったのだが、その後の評判がよかったので、英語の戯曲を入手して読んだ。すごい話だと思ったが、記憶では弟が兄を殺して終わりだった。ところが舞台を見て、それは1幕の終わりで、まだ2幕があるので、びっくりした。帰宅後、戯曲を引っ張り出したら、ちゃんと2幕まで線を引きながら読んでいた。1幕の兄殺しの衝撃で、2幕をすっかり忘れていたらしい。それが何よりの驚きだった。

それにしても、なぜ弟の作家は最後、警察に殺されたのだろうか。たぶん、10年以上前の父母殺しと、弟殺しの罪なのだろう。独裁国家だから、裁判にかける手間を省いて。
こんばんは、父さん

こんばんは、父さん

ニ兎社

俳優座劇場(東京都)

2024/12/06 (金) ~ 2024/12/26 (木)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★

闇金に終われる父(風間杜夫)と、取り立ての金髪青年(堅山隼太)、破産して身を隠す息子(萩原聖人)の3人のやり取り。落ちぶれているがプライドの高い父親と、意外なダメ息子の関係は、「セールスマンの死」のウイリー・ロ-マンを連想した。息子が、福島の第二工場に父を追いかけていくところなど、「セールスマンの死」のニューヨークのホテルで息子が父の浮気を知って、何もかも投げ出してしまう場面と重なった。

ネタバレBOX

永井愛の作品には珍しく、結末が結末らしくない。意外とまだ続く感じで終わる。

手ぶらで帰れない取り立て青年は、「ゆびわ」探しにすがるのだが、実はもう指環はない。すると、息子が奥の箱から高級腕時計を出してきて、渡す。息子の進学費用にするはずだったものを提供した。いわばその場しのぎである。このラストは物足りなく思った。途中「そんな取り立ての仕事なんてやめて、逃げろ」と勧めるように、もっとスカッとする解決をしてほしかった。贅沢かもしれないが。
白衛軍 The White Guard

白衛軍 The White Guard

新国立劇場

新国立劇場 中劇場(東京都)

2024/12/03 (火) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ロシア革命後の内戦期のウクライナ・キエフが舞台。時代は違うが、見ていると、コサックでウクライナ民族主義者の司令官ゲトマンが、ゼリンスキーに見える瞬間がいくつかある。ボリシェビキ軍(ロシア)に圧迫され(当面の敵は農民軍だが)、ドイツ軍(今なら西側諸国)を頼りにするところなど、今も変わらない。現代のゲトマンは逃げないけれど。

主人公一家の長兄(白衛軍指揮官)が「俺たちは戦わないで、酒におぼれてばかりだ」という自嘲には、滅びゆく者のどうしようもなさを描いたチェーホフに通じるものがある。トウルビン家に集まる白衛軍の人々は、ウクライナのロシア貴族なので、階級的民族的に旧時代の存在なのである。「俺たちが戦うのは、ツアーのため。ウクライナのためじゃない」というセリフもあるし、中の一人は「ニコライ二世は生きている」というフェイク情報にすがる。ろくでなしばかりの白衛軍を(若者の一途さは純粋だが)、戯画化しつつ、哀惜をこめてえがいている。その「白鳥の歌」が切々と迫ってくる。

これをソ連時代のモスクワでやった時、当然見て喜ぶのは旧貴族やインテリであって、労働者はそっぽを向いたということだ。批判的劇評ばかりだったらしいが、スターリンが気に入って上演できたとは、意外だ。スターリンは10数回もお忍びで見にきたとか。この登場人物たちの滅びゆく姿が、赤軍の力を裏返しの形で描いていると思ったらしい。それなら、そういう劇評を出すように指示してほしかったが。

1場 戦闘前夜のトウルビン家 2場 ゲトマン司令部 3場民衆派のペトルーラ軍の残忍(負傷兵を足手纏いと射殺し、ユダヤ人は共産主義者だと追い出す) 4場白衛軍司令部(士官学校)5場トウルビン家(1場と同じ) 6場 同、2ケ月後(赤軍勝利の祝砲の中)
元オペラ歌手の副官(上山竜治)の歌う声がいい。ふらっとやってきた従弟のラリオン(池岡亮介)の場違いな世間知らずぶりもよかった。
終盤、エレーナ(前田亜季)が「情熱なんて駄目よ。情熱のせいで私たち沈みそうになったんだから」と、軽挙をいさめるのが教訓的。
(アプトン版の戯曲翻訳は『悲劇喜劇』1月号掲載)

ネタバレBOX

ブルガーコフは池澤夏樹版世界文学全集で知った。「巨匠とマルガリータ」を読んだが、その中盤にある、精神病院の窓がノックされる場面を、加藤典洋が「ここでスターリンが電話してきたのだ」と解釈していて、びっくりした。この電話は実話で、ブルガーコフの数奇な人生の象徴的場面と言える。

去年、鈴木アツトが「犬と独裁者」という芝居でブルガーコフを描いた。それに触発され、去年「トウルビン家の日々」(=「白衛軍」)の小説と戯曲を読んだ。まさかその時はこれを舞台で日本で見られるとは思わなかった。今回の舞台は期待していたものだし、予備知識があったので、大変面白かった。(私の感想の背景として書いておきます)
天保十二年のシェイクスピア

天保十二年のシェイクスピア

東宝

日生劇場(東京都)

2024/12/09 (月) ~ 2024/12/29 (日)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★

4年前の藤田俊太郎演出の初演を見た時も「面白い!」と思ったが、今回も同様に面白かった。二度目(蜷川演出版のDVDも入れれば3度目)の観劇である。今回は音楽がいいと感じた。藤田版は「祝祭音楽劇」と銘打っているように、宮川彬良作曲・指揮の音楽が非常に雄弁に物語を引っ張っていく。冒頭とラストはロック民謡調、恋人同士のデュエットは演歌調、ヤクザの親分たちの歌はジャズ調と、曲想も多彩で豊かである。

初演と同じく3時間半(休憩20分)だが、全く飽きない。
唯月ふうかのドスのきいた女侠客と華やかなお嬢さんの一人二役が面白かった。

ネタバレBOX

シェイクスピアをパクった名場面集なのだが、「間違いの喜劇」から本歌取りした、双子の姉妹(唯月ふうか)を同一人物と勘違いする場面が、非常に笑える。「オセロー」の嫉妬から妻(土居ケイト)を殺し、自分(章平)も死ぬ場面は、コメディーが基本の本舞台の中では、シリアスな凄みをきちんと出していた。続く、ロミジュリからとった花魁と青年の死は、軽さがあった。
正三角関係

正三角関係

NODA・MAP

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2024/07/11 (木) ~ 2024/08/25 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

「カラマーゾフの兄弟」を下敷きに、父殺しの裁判劇(野田秀樹と竹中直人の一人二役の早変わりの繰り返しが面白い)の向こうから、何かが立ち上がってくる。

父と息子が奪い合った女性グルーシェンカ(=長澤まさみのアリヨシとの一人二役)と、長男富太郎(松本潤=熱演)の婚約者・生方莉奈(村岡希美)の二人の女性が出てくるが、生方に当たる人物はドストエフスキーの原作にいたかどうか覚えていない。

「大審問官」や少年コーリャの話はない。スメルジャコフもほんの端役になっているので、父殺しの犯人が誰だったのかは、原作を知らない人にはわかりにくいだろう。
今回は隠れた大テーマ以外にも、戦争中の竹やりでB29を落とす訓練のばかばかしさとか、科学者の軍事研究の倫理問題、軍需物資の横流しなど考えさせる素材がちりばめられている。アリヨシの同性愛の告白もある。

グルーシェンカは火薬につけた名前なのだという弁護士(野田秀樹)のツッコミがあり、男女関係・父と子の対立が、火薬・軍需物資をめぐる争奪とかぶらされているのも、今回の目立つ趣向である。生方と富太郎が婚約するのも火薬がらみのやり取りが関係しており、火薬の調達は、表面の父殺しの裏の重要なサブストーリーになっている。(結像が少し弱いが、でも最後の父殺しの真相で、生きてくる)

「一粒の麦、もししなずば…。一粒の麦がもし地に落ちて死ねば多くの実りをなす」のアリヨシのセリフが序盤、中盤、終盤で繰り返され、大きな意味を持つ。が、戦争の大量殺戮を語るこの作でどういう意味なのか、考えなければいけない。
12月2日夜に配信で鑑賞

ネタバレBOX

爆縮の火薬の仕掛けが早めにあり、光の公式E=mc2が出てくる。「長崎」という地名が中盤で出てきて、隠れたテーマがくっきりする。
8月9日が日めくりをめくるように近づいてくるとともに、人形峠(火薬原料の硝石が取れるとは知らなかった。もちろんウラニウムが取れる)と日本の原爆開発に関わる威番(いわん)の話も進行する。ソ連領事夫人ウワサスキー夫人(池谷のぶえ)の(大声で)もらすソ連の思惑もあり、日米ソの三国の糸が絡んでいく。彼女の超越した大げさな演技は、日本とは異質な存在であることを語り、舞台の幅を広げる。

最後に原子野に、赤ん坊を背負って立つ少女は「焼き場の少年」の写真を意識したもの。ロンドン公演に向けて、長崎を語る国際的イコンとして使っていたのだろう。
花火で「みんなが空を見上げるとき人は幸せになる」冒頭が、原爆で「空を見上げた時、人々が死んでいく」ラストの対比がこの作品の骨格である。
ロボット

ロボット

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2024/11/16 (土) ~ 2024/12/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

100年前の戯曲とは思えない、現代と近未来を予見したところがいくつもある。
「一番役立つ労働者は?」…「安い労働者さ。給料上げろとか、疲れたとか言わない」と言うところで、まず資本主義批判と階級闘争のテーマがある。そんなロボットに何もかもやらせて人間は「好きなことだけする」と無能化していくのは「主人と奴隷」の弁証法そのものだ。
科学、進歩が人間を幸福にするのかと言う問題提起もそこに重なっている。ロボットが反乱を起こすのは「2001年宇宙の旅」のHALに繋がり、現在のAIの進化の行き着く先の暗示のようでもある。人類絶滅に直面するのは、核戦争の隠喩のように見える。

ロボットの反乱が新しい未来を切り開かないのは、視野の狭い革命への揶揄のようにも取れて、作者の複雑な社会主義観が垣間見える。
人類が子供を産まなくなる、という展開は絵現代の少子化を予見したように見える。

ということで、非常に知的思索的な芝居なのだが、ヒロインのヘレナをめぐる男たちの滑稽ぶりや、何かが起きそうな不穏な空気、ロボットに包囲されて生き残りのために死に物狂いになる姿など、見ていて面白いシーンもタップリある。メリハリつけて上演台本・演出と、渡辺いっけいのユーモアある芸達者がとくに笑いを産んでいた。

5、6年前に戯曲を読んだのだが、ロボット工場にインテリたちが見学に行くんだというおぼろな記憶しかなかった。それも誤りで、ヘレナ(朝夏まこと)が孤島のロボット工場に行き、案内されながら、人間そっくりのロボットに驚き、工場幹部の男たちに歓迎され、という出だしだった。ヘレナはどこかの社長令嬢で、実は人権擁護協会の代表で、ロボットの酷使、心を作らないことを批判している。この孤島の工場の人間たちの右往左往に限定したところが、芝居としては上手くて、成功している。

ネタバレBOX

ロボットの命を製造する秘密を、ヘレナが燃やしてしまい(なぜ燃やしたかは言わなかった。誰も問わなかった。展開の都合と、観客がおわかってくれるだろうという期待)、たった一人残った建築家は、ロボットたちに命じられても、新しいロボットを作れない。

ろぼっとのへれなと若い男のロボットの間に、「相手のために自分を犠牲にする、離れては生きていけない」という愛AIが生まれて、新しい命を予感させて終わる。

演出では、一人残った建築家を囲む壁(檻)を作り、「サイゴノニンゲン」という看板を立てて終わる。「命は不滅ではない。滅ぶものだと覚えておいてください」の訴えに、科学技術万能論と、戦争、争いあいへの警告が込められていた。
そのいのち

そのいのち

関西テレビ放送

世田谷パブリックシアター(東京都)

2024/11/09 (土) ~ 2024/11/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

静かに地味に始まり、最初は佐藤二朗の「メタボ」を使ったギャグや、大げさな振る舞いが笑いをよぶ。ところが…それは水面下の憎悪と醜悪を隠した、偽りの静かさだった。…ということが最後に突き付けられる。衝撃的な舞台である。佐藤二朗の脚本だが、こんなすごい本を書くとは驚いた。

が軸。「その日の、2日前の午後4時〇分」とはじまる。「その日」とは何か。花の容体が急変?などと思う。ほかにもなぜ山田さんは薬剤師をやめたのか、夫は昔少年刑務所に入っていたが、それはなぜ?と、いくつかの疑問がでるが答えは不明のまな。

花の「賠償金(何の賠償か不明)」で家を建て、生活していることがわかる。夫は賠償金目当て?かと思うと、「愛しているからだよ」と臆面もなくいう。「その日の前日」に、花の「何ふぇち?」という変な突込みから、障害者の性の問題が浮かんできて、かなりきわどい場面も展開する。賠償金をめぐる確執がドラマになるのか、障害者問題が軸なのか、と思うと、「その日」に全く予想外の展開が待っていた。「障害者の性」は、思ってもいない形で、最後の悲劇のひきがねともなる。「その日」衝撃的事実が明らかになって、それまでの穏やかなリビングは一変してしまう。

ネタバレBOX

30年前に、15歳だった和清は、山田のダウン症の7歳の子を、「弱者のくせに」と殺した。山田は、8年の刑期を終えた和清が「償いのために、障害者女性と結婚して一生面倒を見る」というはなしを聞きつけ、復讐のため介護士になってきたのだ。

花は「この人は私には必要なの。許してあげて」と山田に頼み込み、山田も怒りをおさめたかのようだった。
しかし、障害者・弱者をさげすむことで自己のプライドを保ってきた和清の性格は変わらず、花に向けて「犬も濡れるんだよ」とうそぶく。それを聞いて、山田は…まさかの結末だった。

そして、エピローグ的に花が継父とともに、母と継父の家に引っ越す光景を描いて終わる。
セツアンの善人

セツアンの善人

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2024/10/16 (水) ~ 2024/11/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

娼婦のシェン・タから、いとこの男シュイ・タにかわる葵わかなの一人二役が面白い。仮面をし、衣装もルーズでパステルなシェン・タから、びしっとスマートなシュイ・タと違いが際立ち、めりはりがついた。
テキストレジーのせいか、冗長さはなくテンポよくすすんだ。
脇役もよかったが、とにかく葵わかながきらきら光っていた。

ネタバレBOX

先日の俳優座の「セチュアン」は、社会主義参加がいまはぴんと来ないと大きく変えていた。今回はセリフはほぼそのままである(歌が省かれたり短くはなっていた)。それで見ると、資本主義批判・社会主義参加という社会批判より、この世の中で善人であることは、どこまでいられるのかもつのか、という生き方の問いに収れんされると思う。

最後の裁判場面の中身が意外と印象うすい。最後だけは有名。「この世で善人では生きられません。助けてください」というシェン・テの願いに、神さまは「シュイ・タでいることを段々減らすのじゃ」というだけで、シュイ・タを全否定はしない。最後に老人役の小林勝也が、客席に「皆さんで考えてください。良い結末を、よい結末を」と呼びかけて終わる。

ただ、この劇の善人とは「他人に慈悲を施すこと」「困った人を助けること」に矮小化されている。俳優座の、いとこのシュイ・タを合理的な資本家として描いた芝居を見た後のせいか、この芝居の善人性がただのお人よしにみえてしまって、共感しきれない。「地獄への道は善意で敷き詰められている」とは社会主義者レーニンの言葉である。
芭蕉通夜舟

芭蕉通夜舟

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/10/14 (月) ~ 2024/10/26 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

12年前の公演は見てないので、初めて見た。三十六歌仙にちなんで、36景で描く芭蕉の生涯。こんなに場面転換が多いのは井上ひさしには珍しいと思ったが、実際見てみるとコントの連続のようで、「日本人のへそ」につながるつくりである。

ただし「芭蕉通夜舟」はほぼ一人芝居。内野聖陽が、硬軟取り混ぜ、おかしみや寂しさや決意などを豊かな表情と所作で見せた。セリフ量も膨大だし、内野の(文字通り)身体を張った大奮闘はすごかった。何度もある厠の場面のユーモアや、「俗世間から抜けきれない、脚を片方いれたまま」をごろっと土間にネッ転びながら、片方の足をお座敷の舞台にかけてしゃべるなど、芸も細かい。文机をひっくりかえすと、金隠し付きの便器になる小道具は秀逸だった。

一生の中でも「奥の細道」はいくつも場面を書けて、ボリュームがある。佐渡の場面では、内野が舞台を飛び出し、客席上の横の渡り廊下で演じる。客は首を上にひねって見上げるので、天井横に投影された光の群れを、まさに天の川のように見ることになる。

井上ひさし中期の作品だが、下ネタが多く、結構野卑。若いころの芭蕉が属した談林俳諧は言葉遊びがメインだそうで、ここでも初期の井上ひさし流のダジャレが多くて楽しめる。「わび・さび」を経て最後に芭蕉が辿り着いた境地が「俗っぽさ、滑稽、新しみ」というのも井上ひさしの信条と重なっている。井上ひさしにしては、わが意を得たりと思ったのではないか。しかし芭蕉の高みを目指す三つの要素が、世間に広まると通俗化して、ただの色気と悪ふざけになってしまうのが、今も変わらぬ、人間社会の悲しさだった。

奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話

奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話

イキウメ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/08/09 (金) ~ 2024/09/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

おもしろかった。かつての「散歩する侵略者」のようなSF的異世界とは違う、日本の怪談的不思議世界をたっぷり味わえた。現世の話と思っていると、いつのまにか怪談の向こうの世界に入り込んでいく話の運びは絶品である。

イキウメおなじみの浜田信也(小説家)の異世界的存在感と、安井順平(警官)の現世的存在感の対比を軸に、短期で荒っぽい盛隆二(景観の同僚)と、会談の中のヒロイン役(「破られた約束」の新妻、「お貞の話」の恋人・生まれ変わり、「宿世の恋」のお露)を一手に引き受けた平井珠生がよかった。できればモダンスイマーズの生越千晴にもヒロイン役を割り当ててほしかったが。

ワタシタチはモノガタリ

ワタシタチはモノガタリ

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2024/09/08 (日) ~ 2024/09/30 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

よかったと思う。基本は横山拓らしいアットホームな会話劇である。多くの場面が1対1の会話でできている。それが主人公の小説がネットでバズり映画化へ!? というサクセスストーリーの上に乗っけられ、面白い「物語」になる。さらに現実のさえない男女が、日記=小説の中の美男美女に置き換えられ、最後には互いにツッコミを入れ合いながら現実と夢がないまぜになって議論をする。

江口のり子のずーッと低体温調子の変わらないボケ的人物。自分がモデルとなった小説が広まって、慌てふためき、少しときめく松尾諭のコミカルぶり。松岡茉優のみごとな美人コメディアンヌぶり。横山作品の常連の橋爪未萠里も、いくつかの訳を楽しそうに演じて、いいわき役だったし、富山えり子の丸い存在が松尾の妻や、ウンピョウのプロデューサーなど、「山の神」的安定感と包み込む雰囲気をよく出していた。

ハートを少したおしたようなL字型の額縁を模した舞台装置、演技スペースを限定するめりはりある照明、俳優の立ち位置の変化などで、広い舞台に空白をつくらない演出がうまかった。

石を洗う

石を洗う

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2024/09/07 (土) ~ 2024/09/19 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ト書きもセリフとして口に出すのが特徴的。いくつかの話がちりばめられたオムニバス的群像劇。白いビニールがっぱを着た黒子たちが、エキストラ的無名の存在として場面をサポートし、それを脱ぐと、その場の登場人物に早変わりする。突然異界が口を開けるような、非現実的出来事が、当たり前のように起きるところが見どころ。突然訪ねてきた若い女が、死んだ妻の生まれ変わりだったとか、時々見かける犬が突然口をきき、あちこちにある丸い石の大事な意味を語るなど。「祈り」がキーワードになるが、見終わってなんとはなしに浄化された気がした。

失敗の研究―ノモンハン1939

失敗の研究―ノモンハン1939

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/09/13 (金) ~ 2024/09/23 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

何のてらいもなく、真面目に愚直にノモンハン事件の愚かさを、関係者の証言であぶり出していく。辻正信の怪物ぶりがなかなか印象的だ。そういう誇大妄想的好戦家を陸軍が愛したというところに、当時の日本のゆがみが最も表れている。
終演後、青年劇場のFさんが「ど直球ですいません」というので、私は「初心を思い起こさせられました」と答えた。

ネタバレBOX

後半、女性編集者の沢田利枝(名川伸子)が問いかけるのは、「どうやったら、戦争を止めることができたか」、関東軍は「東京が止めればよかった」と言い、東京の参謀は「現地の責任」という。責任の押し付け合いである。丸山眞男も言うように、当事者の「責任」こそ大事なカギだ。ノモンハンでは、実際の指揮官・立案者の責任は問われず、現場の良心的指揮官が撤退の責任を取らされて自決を強いられた。

戦争をなくすために必要なことは「生命の尊重を全人類が自覚すること」、「失敗から学ぶことをあきらめてはいけない」の沢田の訴えは、書生論に響くが、でも決して忘れてはいけない、戦後の原点だ。
リア王の悲劇

リア王の悲劇

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)

2024/09/16 (月) ~ 2024/10/03 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

芝居づくりは大体前半が難しい。本作も同様で、大仰なセリフがなかなか胸に響いてこない。リア王(木場勝己)の人を見る目のなさが、あまりにも愚かで類型的で、感情移入できないのが大きな理由だ。荒野の嵐の場では、天井からふる本水を使って、見せ場を作るが、感情移入できないのでセリフが空疎に響くのが難点。エドガー(きちがいトム)との小屋での出会いのところなど、長すぎるのではないか。

河合祥一郎の新訳は、原文の韻文の味を日本語に移そうとしている。七五調を土台にしたせりふは格調ある。エドガー(土居ケイト)が女性(姉)になること、道化(原田真絢=コーディリアと二役)が教訓話を歌うことが新しい。

と、ここで配役を書いていて、道化とコーディリアを同じ女優が演じていたことに初めて気づいた。これは前例があるのだろうか。この戯曲、コーディリアが王に寄り添う大事な役なのに、あまりにも出番が少ないことに難を感じていた。たしかに、ちょうど出番が道化と交代する構成になっている(グロスターが目をえぐられた後は、道化はいなくなってしまう)(沙翁時代も二役やったのかもしれない)。
そしてコーディリアも道化も王に「耳に痛い」真実を語る役だ。案外、コーディリアはフランスに嫁いだふりをして道化に身をやつしていたという解釈もあり得るかもしれない。

だが、後半になるとがぜん面白くなる。グロスター伯爵(伊原剛志)が両目をえぐりとられる場面から後は、舞台上の悲劇と嘆きが身につまされ、引き込まれる。(ここで、若い家臣が命懸けで制止に入るのも真実味がある)。リア王が前半の怒りと狂気を脱し、狂気も正気も超越したかのような悟りに達した感じが、木場勝己のひょうひょうとした味によくあっていた。3時間10分(休憩20分)

朝日のような夕日をつれて2024

朝日のような夕日をつれて2024

サードステージ

紀伊國屋ホール(東京都)

2024/08/11 (日) ~ 2024/09/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ゲーム開発メーカーを舞台に、AIやVRなど現代の最先端の話題を存分に盛り込み、まるで新作である。心理学の分析やら、2・5次元病やら情報量が凄い。それを早口にまくしたて、次々に話題が変わっていく。そこにもう一つ、「ゴドーを待ちながら」がオマージュされて織り込まれる。このゴドーシーンは、二人が遊ぶ小道具が面白い。ドッジボールでボールがどんどん大きくなって行ったり、フラフープも巨大化し、ダーツ投げは客席にまで。これならゴドーもばかばかしいコメディとして笑える。

ダジャレも見事だし、コントの連続のような作り、一瞬すべてが精神病院の治療劇のようにどんでん返しするのは「日本人のへそ」のよう。また流行歌を織り込んだり、セリフを早口にまくしたてるのは、つかこうへいに似ているところもある。若さと才能の輝きを失わず、長いキャリアでさらに磨かれた、見事な処女作の再生だった。

星を追う人コメットハンター

星を追う人コメットハンター

劇団銅鑼

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2024/08/28 (水) ~ 2024/09/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

劇団銅鑼はいくつも見ているが、まずはずれがない。とくに誠実でひたむきに生きるドラマが得意だ。小さいながら良質な劇団である。今回も夢を追うことの素晴らしさが、登場人物たちを通して素直に伝わってきた。

実在のコメットハンター・本田実(池上礼朗)が物語の中心。その生涯を、夢を失いかけた現代の若者(山形敏之)に、ミノル君の親友を名乗る老人(舘野元彦)が語って聞かせる。語りたい老人に、青年が渋々付き合わされるうちに、先を聞きたくなっていく。この仕掛けがうまくいった。舘野の老け役が見事で、一瞬、本当に80すぎの老人に見えた。セリフ回しとともに、歩く時の体の揺らし方にかぎがありそうだ。

ネタバレBOX

戦後、すい星を初めて単独発見した時のシーンが素晴らしかった。新すい星かどうか確認するために、通信手段の乏しい中、世界の人々がチームワークを組んで、ついに南アフリカの天文台が本田の発見を追検証する。舞台狭しと並べたいくつものいすのうえに、何人ものひとがたちあがり、連携し、喜び合うシーンはぐっと来た。
旅芸人の記録【9/8(日)13時・9/9(月)14時・9/11(水)・12(木)公演中止】

旅芸人の記録【9/8(日)13時・9/9(月)14時・9/11(水)・12(木)公演中止】

ヒトハダ

ザ・スズナリ(東京都)

2024/09/05 (木) ~ 2024/09/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

おもしろかった。鄭義信ワールドを満喫した。足の悪い男、愛を求めてるのに喧嘩ばかりの素直でない親子、在日朝鮮人(今回は話に出るだけ)。ラストの旅立ちと紙吹雪は「焼肉ドラゴン」のラストと重なった。戦争中、時流に合わない女剣劇の大衆劇団。俳優もそれぞれに所を得て好演。女形の伯父役の怪演が見ものだった。太ってて吉原の花魁のなりが全然似合わないのが笑える。1時間45分休憩なし。

ネタバレBOX

全体は切なさを絡ませつつ、笑いが基調である。1カ所、感極まってぐっと引き込まれるのがラスト。ズボンの切れ端しか入っていない長男の骨壺を抱いて、こらえきれずに号泣する浅野雅博のシーンが心に残る。
どん底

どん底

劇団東演

シアタートラム(東京都)

2024/08/31 (土) ~ 2024/09/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「なぜいま『どん底』をやるのか」と、プログラムに寄稿者が書いていた。浮浪者が集まる木賃宿など今の日本にはないし、貴族ばかりの観客の前で貧乏人の芝居をやったインパクトはいまはないと。それはシェイクスピアにもチェーホフにも言えることだ。でも、こうした古典が今も繰り返し演じられるのは、舞台の具体的設定を越えたところで、今の人間をも揺さぶる普遍的な何かがあるからだ。

「どん底」の場合、それは「人間讃歌」ということになる。三角関係のもつれの末の殺人と発狂というド派手な悲劇と、社会の落後者たちの愚痴ばかりの中だからこそ、人間の素晴らしさが一層ひかるのだろう。女主人のワシーリサでさえ、「あんたが私をここから連れ出してくれると思った。あんたは私の夢だったのさ」とワーシカにもたれかかるほど、誰もが脱出したがっている現実。そうした絶望的な状況だからこそ「人を救う嘘は真実だ」(サーチン)と。さらに「真実は、自由な人間の神だ」(同)となって、宗教と社会主義思想が架橋される。なんという輝かしい思想の提示だろうか。ゴーリキーはもちろん社会主義者だったはずだが、でも小説は思想劇ではなく、リアリズム小説だった。劇ではこんなファンタジーのような思想劇を書けたのは、ちょっとゴーリキーらしくなく思えるが、だからこそまたすごいのだ。
亡くなった大先輩の作家が1960年に民藝の「どん底」で「人間、この素晴らしいもの」と大きく手を広げた語るシーンに、っ頃から感動したと書いていた。先輩作家は「滝沢修のルカが」と書いていたが、このセリフは、今回、サーチンのものだった。今回、最後の幕でのサーチン(能登剛)の語りは迫力あり、感動ものだった。

今回の舞台の話が最後になってしまった。ベリャコーヴィチ演出のユーゴザーパド劇場の「どん底」を2000年に見た時は、スタイリッシュに生まれ変わった「どん底」に引き込まれた。面白かった。今回はその演出を踏襲した舞台なのだが、今見ると、セリフの途中でベッドで転がったり、不自然な動きは、自然主義演劇破壊の行き過ぎのように思える。それでも、ワーシカが宿主を殺したのを見て、ナターシャが「二人ともグルだったのね」と誤解して狂乱するやるせなさはたまらなかった。

また音楽が効果的。深刻な話が始まると最初ポルカのような音楽が流れ、それが低音の響く重厚な音楽へと引き継がれてテーマの重さを印象付けていた。また、せつない曲が流れるシーンもよかった。冒頭の入場とラストに流れるダンス曲と合わせ、4つの曲でうまく組み立てられていた。
2時間50分(休憩15分含む)

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