GREAT CHIBAの観てきた!クチコミ一覧

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疫病流行記

疫病流行記

吉野翼企画

北千住BUoY(東京都)

2019/06/13 (木) ~ 2019/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/06/14 (金) 15:00

開場から、まあ、ドキドキ感が横溢。
暗い通路を歩いていると、別の観客とあわや接触?と思いきや、上半身裸で血の染みた包帯を巻く役者さんにビックリ。音楽流れる中、ビニール袋に閉じ込められた女性たちと、先のように徘徊する男性たち。女性たちは「いらっしゃいませ。商船パゴパゴへようこそ。お待ちしておりましたわ。」と繰りかえす。

舞台が始まると、疫病者のいる家は釘付けにされ、キャバレーというか娼館というかパゴパゴを舞台に話が展開しはじめる。パゴパゴの過去と自らの過去を探る刑事、あるいは北のない羅針盤で、ひたすら南の島を目指す2人の男。

どうやら、パゴパゴは、元は野戦病院と称した疫病をまき散らすための疫病患者製造所だったらしい。しかし、終戦とともにその患者たちは放擲され、疫病が蔓延しはじめる。疫病は静まったのか。果たして生存者は?
ほのめかされる神の存在。神は降臨するのか。

とにかく観てみなさいよ、という意味で「お薦め」

地下の音響設備のない劇場ということで、音楽の圧がすごい。
特に、序盤の疫病名をメロディに流すところから、しばらくセリフも聞き取れないのには、ちょっと困ったものだったけれど。

ネタバレBOX

メタ芝居としての舞台。「疫病流行記」という芝居を終えて、役者たちは家路につくのだった。また彼らは、どこかで「演じる」ことを宣言しながら。そうか、「疫病」とは「芝居」のことだったのかな。

追記:リオ・フェス第一弾「アリス採り」との共通点を1つ。
   火曜水曜がなく木曜日だけが続く、という表現がどちらもあります。
   平時の時間の流れが失われて、同じ日が続くという比喩なのだけれども、理生さ   ん、木曜日好きだったのかな。
六月大歌舞伎

六月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2019/06/01 (土) ~ 2019/06/25 (火)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2019/06/16 (日) 11:00

座席3階3列6番

「寿式三番叟」

幸四郎と松也との三番叟、幸四郎の芸域の達成度がよく判る。
さすが、日本舞踊松本流の三世家元。
きっと、2人の呼吸も日々良くなっているんだろうなと感じさせる。
とにかく、気軽に楽しめながら、奥行きを感じさせる演目。

「女車引」

打って変わって、こちらは艶やかな舞。見た目に、心和む。

「梶原平三誉石切 鶴ヶ岡八幡社頭の場」

「熊谷陣屋」「寺子屋」など、吉右衛門はこうした仕切りの芝居をさせると、
とにかくうまい。人間の大きさを感じさせる。
ふと微笑む表情、あるいは悲しむ表情。人間の慈愛や哀惜といったものが、
そこはかとなく滲んでいる。力強さと柔和さの見事な融合

「恋飛脚大和往来 封印切」

やはり、ここは仁左衛門ありきと思っての昼の部の眼目。
しかし、なぜだろう流麗には演じているのだろうけれど、今日の芝居には今一つ
和事の芝居を運ぶ上での、キレが感じられない。アクセントがない。ちょっと残念。
(ただし、友人の女性は色っぽく、大昔のハムレットを思い出したと言っていました)
一方で、愛之助が全開。とにかく嫌味な役をフルスロットルで演じ切る。
台詞の高揚感が場を盛り上げる。一方でちょっと大げさに驚いたり、ちょっとした一言をひっそりとつぶやいたりで、後ろを向いて舌を出すような狡猾さを表現し、役柄の嫌味をうまく演じ切っている。この後、夜の部では出ずっぱりなのだからすごいテンションだなあ、と感心しきり。

オレステイア

オレステイア

新国立劇場

新国立劇場 中劇場(東京都)

2019/06/06 (木) ~ 2019/06/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/06/09 (日) 13:00

座席1階7列33番

1幕と2幕の間の休憩時、フロアに出てきた若い女性たち。
やはり、生田斗真人気かな。ギリシア悲劇を元ネタにした芝居にしては、年齢層が若く、女性が多い。
そんななか、「神の信託って何のこと?」という言葉が耳に入ってきた。
ああ、古代ギリシアの話で、神託の位置づけが判らないのだなと思う。

かくいう私も、そんなに理解などしていないし、アイスキュロスの原作を読んだこともない。ただ、作品がその翻案だということは理解し、役の関係は理解していないと、ちょっと導入からして苦しいことになる。

4時間20分の古代ギリシア劇、さて、眠らないか心配したものの、それは杞憂に終わった。3幕目のアテナイでの裁判を成立させるために、第1幕と第2幕は、オレステスの記憶を医師が呼び戻すという構成。2回の休憩も、幕間で話を整理するにはちょうどよく、オレステスの精神状態を読み解くのに助かった。

ネタバレBOX

なぜ夕食の席に、エレクトラの席がないのか。
なぜエレクトラの髪と足跡が、オレステスのものと同じなのか。
伏線を張りながら、最後まで魅せる物語は、弛緩なく面白かった。

最期、カルカスが「君は自由だ」と言いながら、オレステスの両手に何かを乗せる。
それは、ふとした瞬間になくなったようなのだが、私には盆に乗せられた3つの紙コップに見えた。イピゲネイアの時と同じように。
横濱短篇ホテル

横濱短篇ホテル

劇団青年座

カメリアホール(東京都)

2019/06/07 (金) ~ 2019/06/08 (土)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/06/07 (金) 18:30

人生いろいろあるよなあ、という、至極まっとうな言葉が心地よく思われる芝居。
青年座では何度も上演されていることから、かなりブラッシュアップされて、ここに至ったのだろう。

マキノノゾミの話のつなぎの巧妙さに、宮田慶子の安定感のある演出。
役者の演技の安定感が、7つの場の転換にメリハリを付けながらも、5年毎の物語(7話目は、それ以上の年月が経っているようだが)の空白を無理なく埋めている。

ちょっと悲しい出来事もあるのだけれど、それも人生。
主人公2人は、それなりに幸せを手に入れ、夢を叶える。「それなり」というのがよいよなあ。

三島由紀夫の自決、「デルス・ウザーラ」にポケベル、ちょっとした時代描写が洒落ている。

それぞれにきれいなオチがあるのだが、特に2話目の「人間観察」のオチは、バカバカしくも美しい。

ネタバレBOX

6話目ににちょこっと出てくる、怪しげな中東人(南アジア人?)と中国人。
あのスパイス気味の2人は、何だったのかなあ。
Other People’s Money

Other People’s Money

劇団昴

Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)

2019/05/30 (木) ~ 2019/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/06/06 (木) 19:00

フライヤーにあるドーナッツて何?
と思っていたら、これは牧歌的な田舎町に、ダンキンドーナッツやミスタードーナツといった全国展開をしている巨大資本がが入ってきて、地元の小売店の素朴なドーナツを駆逐するという意味であり、ガーフィンクルの好物として「おいしいものは、おなかが一杯でもおいしいのさ」と言わせる対象なのだね。だから、ドーナッツはこの舞台において捨てられたり、お飾りにされたり、投げつけられたり、デスクの引き出しに隠蔽されたり、少しづつ周りに分け与えられたりする。

金融経済を表現した古今の対比・対立を描いた舞台なので、株式や敵対的買収とその対策について、専門的な用語が飛び交う。しかし、それは、舞台上の人物たちが、今、企業乗っ取りで戦っているという構造を示すデコレーションに過ぎない。
描かれているのは、欲望とは何か?ということだろう。その対象が、金だということだ。

登場人物全てが、金に執着しているわけではない。ただ、金を通じて何かに強い執着を持っている。愛情、安寧、自己の過去など。

ニューヨークとニューイングランド、それぞれのデスクを結ぶ舞台上の導線の作りは、シンプルに整理され、時として電話でのやりとりも、この2つの都市間の距離を明瞭に表していた。こうした舞台の作りが、ともすれば、金融用語に翻弄されてしまいそうな会話劇を、落ち着いて見せてくれる。

タイトルの「他人の金」、わざわざ「Other People’s Money」と記載する必要があった理由は、1幕の最後で判ります。

ネタバレBOX

ラストの株主総会、ジョーゲンソン、ガーフィンクルの役員入れ替え投票に向けての演説は、観客を株主に見立てての迫真の演技。株主の心を見抜くように、観客の視線を探っていく。

ジョーゲンソンの死後に、ビーが彼の人生を評して言う「唯一の汚点は、2年だけ長生きしたこと」(違ったかな)、ビルのその後の人生の独白、そして、ガーフィンクルとケートの結婚、悲哀と皮肉に満ちていて、不思議な余韻を残す。日本では、こんな芝居(あるいは結末)は、まだまだ描けないなあ。アメリカ演劇の乾いた感じが、ここでも感じられた。
六月大歌舞伎

六月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2019/06/01 (土) ~ 2019/06/25 (火)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/06/05 (水) 16:30

座席2階8列33番

「月光露針路日本」

三谷幸喜は、自身の演出法について、映画「ザ・マジックアワー」に出演した市川崑から、「しつこいんだよ」と言われたことを記している。(「シネアスト 市川崑」より)

これは、脚本家としての三谷幸喜の簡略さと、演出家としての三谷幸喜としての過剰さの対をなすものとして、至極的を射ている気がする。私は、三谷脚本は大好きなので、テレビドラマを中心に、映画でも舞台でも積極的に観る派なのだが、こと映画での傾向から、三谷演出の作品となるとあまり観ようとは思わない。(そのスター配役にも疲れてしまうということもある)

今回の作品は、三谷幸喜ラブの友人が観ることと、歌舞伎という枠でどんな表現をするのか興味がったこと、初歌舞伎作品(「決闘! 高田馬場」は未見)とは違い歌舞伎座上演であること、そしてみなもと太郎原作であることから観劇した。

相変らずのサービス精神満載。序から出てくる口上の尾上松也が、場を前説宜しく温めてくれる。歌舞伎らしい華やかかつ込み入った舞台装置が、17人の伊勢出身者の流浪の旅を彩る。漂流→ロシアでの苦難の生活→サンペテルブルクでの女王との謁見→帰還という流れを3幕にうまくまとめ上げ、ユーモアも交えた舞台は、ラストの風景描写をもって大団円。
日本の情景はラストしか出てこないのだが、まさに歌舞伎の範疇にこの冒険譚を描き切っている。なんといっても群像劇なので、場毎に見せ場を作り主役が替わる古典歌舞伎と違い、
幸四郎、猿之助、愛之助といった当代人気役者の丁々発止の掛け合いが楽しい。

しかし、三谷演出のサービス精神は、観客に誤解を与えている。(もちろん、誤解をする観客も悪いのだが。)この舞台はあくまでも、故郷伊勢に帰ることに執着した漂流者たちの、艱難辛苦の10年間を描いたものである。ある者は病気で死に、ある者は事故で死に、ある者は体の一部を失う。そして、キリスト教の洗礼を受けて帰れなくなった者もいる。
日本の地を踏めたのは、僅かに2人。彼ら一人一人の想いをどれだけ、観客が感じ取れるか。悔しさ、惨めさ、苦しさ、そして希望、期待、絶望というものを味わうことができるか。
これが舞台の眼目である。

しかし、三谷作品として観いている観客の多くは、作品の緩急として構成されているユーモアと写実性の境界を失って、全てをユーモアに結び付けようとしているように感じた。

白鷗、幸四郎、染五郎親子三代共演を「親子でもないのに」「親子のようだ」といじる楽屋オチ、たくあんや牛肉をめぐる食べ物の小ネタ、八嶋智人の達者な話芸、登場人物と観客の掛け合い、どれも楽しい。しかし、一方で余分なところの刈り込みと、プロセスの書き込みが足りないので、本当に見せたいところがうまく見せていない。

漂着した島でのロシア人と元住民との諍いの件、磯吉がロシア人女性に恋をして帰国を辞めようとする件、共に危機的な状況なのにその結末についての説明はあまりにも言葉足らずではないか。
一方で、犬の交尾のお遊びは必要?古畑任三郎の物まねは必要?ベズボロトコとイワーノヴナの逢瀬は必要?ラックスマン親子の設定は(この舞台では)必要?実はこれらの前後には、かなり深刻な事態が起きていて(庄蔵の怪我、ロシア側の光太郎抑留の策略、庄蔵や新蔵の洗礼、光太夫と庄蔵、新蔵との別れなど)それらがどうも霞んでしまい、どうも緊張感を引き出せていない。

特に感じたのが、光太夫と庄蔵とのキスシーンで、観客から大きな笑いが起きるところ。
このシーンは、永遠の別れとなる強烈な哀切を見せているのだが、観客は男同士がキスをするというのも、ギャグ的要素の1つとして捉えてしまっている。このキスは、10年の長きにわたって苦難を共にしてきた仲間同士、ロシアという地で知りえた慣習を持って気持ちを表現する重要な場面である。

このキスシーンについては、パンフレットで三上幸喜自身が書いている通り、「風雲児たち」を歌舞伎化しようとした最重要シーンとしています。日本に帰りたいと光太夫にすがりつく庄蔵、それにつられるようにして、虚勢を捨て光太夫に涙ながらに心情を吐露する新蔵。
涙ながらの別れの場面、人情話として秀逸です。

サンペテルブルグ内の舞台美術は見事。そこでのエカテリーナ女王、ポチョムキンそして光太夫の3人の掛け合いは、厳かかつ強烈で、ロシアを舞台に歌舞伎的な様式美を見せつけた名場面。3人の力量が歌舞伎界トップにあることを示している。

まだ公演も序盤、歌舞伎上演という難しさはあるがもう少しメリハリをつけての上演を求めたい。パンフレットでも、三谷幸喜は演出時に、毎度、幸四郎、猿之助、愛之助の3人が、とめどもなくアイデアを出し合い、それを次の稽古では半分近く捨て去っていることを「さらなる高みを目指し」という表現で感嘆している。まさに、それがこれからの20日間に求められる。
そうすれば、今年の傑出した舞台の1つになると思うのけれど。

骨ノ憂鬱

骨ノ憂鬱

劇団桟敷童子

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2019/05/21 (火) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/05/31 (金) 14:00

座席1階2列

一平が妻を殺した現代とはいつなのだろう。令和の現代とすれば、東京オリンピックの年に
7歳だった一平は、すでに60歳になろうとしている。ちょっと妻の殺害に至る動機を考えると無理があるような気がするのだ。

僕は7歳で人生を終えたと語る一平。
一平の父が起こしたある事件が、一平の祖父の死を介するように、一族の離散を招く。

原田大二郎氏が、とにかく大きく見える。しかし、ロビーで見かけた原田氏は170cmそこそこの体格で、なぜにあれほど大きく見えたのかが不思議なくらい。一代で財を成した明治の男を、その息子たちと対比させる意味で、演技が大きく見させたのだろうなあ、と推察するばかり。

ネタバレBOX

父の事件と一平の妻殺しに、何の関連もない。けれどもし関連付けるとすれば、期待、希望、愛情を一身に受けた者も、その未来に何らの保証もないという極めて単純な、そして残酷な事実。それとも、骨ノ憂鬱またはトマトかな。
意外に地味に思える舞台。舞台中央の池(時として滝壺)を使った、ちょっとした大立ち回り、あるいは悲劇。(ちょっとした、最前列の観客向けのお遊びもあり)
しかし、ラストに登場する、光輝くような森と眩い光、息づくような色彩、そこに登場する7歳の一平を取り巻く人々。ああ、そうか、やはり7歳の時に、、、、、
ある種の取り留めのなさが、桟敷童子の魅力である。

立体映画館『東京物語』

立体映画館『東京物語』

立体映画館

小劇場 楽園(東京都)

2019/05/29 (水) ~ 2019/06/01 (土)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2019/05/29 (水) 19:30

上演時間は、75分。
かなりばかばかしく笑える場面もあるが、驚くほど「東京物語」のエッセンスを詰め込んでいて、感心させられる。
本来の余韻こそないものの、まさに「東京物語」。
亡次男の妻の所にとまる件や、熱海に泊まる件など、かなりはしょられているが、それぞれの重要な場面は、サンプリング的に取り込まれており、けして不足感を感じさせない。

尾道訛りのセリフ回しも巧みだし、繊細な配慮がここかしこにみられる。

ただ、着替えなど、もう少し落ち着いてくれないかな。
笑いは笑いとして、スカートをズボンに押し込みながら登場するところとか、せっかくの場面設定が台無しになってしまう。

それと、三男の平山敬三こと大坂志郎の存在がなしにされたのは、ちょっと残念。
まあ、葬儀の場面のみの登場で、話として拾うのは難しいのだろうけれど。

「映画好きには」お薦め。

た ま ゆ ら

た ま ゆ ら

Fallen Angels

シアターシャイン(東京都)

2019/05/23 (木) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★

鑑賞日2019/05/23 (木) 19:30

座席1列4番

別荘地から離れた一軒家、奥深いところでの土砂降りの雨、電話が通じず。
偶然による密室状態。屋内にいる人々が次々と死亡していく。さあ、犯人は?というミステリ―。
配られたパンフレットでは、様々な伏線が張られているらしいし。期待は最高潮。

導入部では、これからその一軒家に向う人々が、紹介的に登場。
ここにも、何か伏線?犯人を想像させる何かがある?

天使の泉という、超常現象が見られるというその場所に、オカルト研究会のOBで先輩後輩が集まってくる。
後輩はその友人たちを誘って。その場所は、知られざるパワースポットで、天使の泉を発見したのも、一軒家を建てたのも、オカルト研究会の初代部長、赤塚という人物(存命中、ただし舞台には登場しない)、天使の泉について書かれた、部に伝わる通称「Aノート」を読み、皆惹かれるようにこの地に来るという。
しかし、過去には、その天使の泉を巡ってある失踪事件が起きていた。

うわあー、王道のホラーミステリー。

ただ、人が死ぬのは開演後1時間も過ぎたころ。しかし、そこから次々と。
外傷は全くない変死。毒殺か?何かの呪いか?(ここがミステリーとホラーの別れ道)
どうよ、どうよ。

現れたる天使の泉。さて結末は!?犯人は!?

ネタバレBOX

と煽っておいて、つまらない結末。
死亡は殺人ではなく事故(食中毒)。全員が死ななかったのは、飲酒の有無。
事故の要因を過剰に庇う地元に住むオカルト研究会元部長。
過去の失踪事件の顛末も判らないまま。
失踪した元同級生が突然現れて、ってなぜ?
その同級生を含めた闖入者2人の関係は?

おいおい、警察もさあ、生存者をまずは病院でしょ。事情聴取は後、後。

毒殺の動機を探り、各自の犯行の可能性を探り、停電や電話不通の工作を匂わせ、って。登場人物たちはいったい何をやっていたの???

何はともあれ「たまゆら」はどこに反映されているのだろう?

なお、初日でしたが、須藤さんちょっと噛みすぎです。

どうも、期待値の高い舞台は、裏切られた感が強く、愚痴っぽくなってしまうなあ。


ご馳走

ご馳走

西瓜糖

ザ・スズナリ(東京都)

2019/05/18 (土) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/05/21 (火) 19:00

座席1階I列3番

相変らず丁寧な舞台づくりだ。
毎公演、満員になる理由がわかる。

西瓜糖の公演は、タイトルの妙があり、そのタイトルの意味がラストで明らかになる。
(「レバア」でもびっくりした)今回は、何が「ご馳走」なのか。
それにしても、小説家と言うのは因業な職業だな、とラストでドキリとさせられ、ただただその描き方に感心。

秋之桜子さんお脚本には、得も言われぬ優しさがあり、それを体現する奥山美代子、山像かおり両名には脚本に対する深い理解がある。(案外自分で書いた作品でも、よく理解できていない、指摘を受けて気づくということはよくあること)

この舞台もそうだけれど、西瓜糖には、ある意味、陰惨な話に陥りそうなところを、澄み切った心根で物語として受けきる強さがある。

今回は松本祐子氏演出ではなく、加納幸和氏の演出。夫婦というものを描くにも、いつもより、固めの目玉焼きに仕上がったようだ。

Taking Sides~それぞれの旋律~

Taking Sides~それぞれの旋律~

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2019/05/15 (水) ~ 2019/05/29 (水)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/05/21 (火) 14:00

パンフレットを読むと、小林勝也氏は、同じ文学座の今井朋彦氏を除いて、他の皆とは初の座組ということだ。
しかし、とてもしっかりとした、調和のとれた舞台。演者各位の力量もあるのだろうが、それぞれのやりとり、セリフのキャッチボールが、それぞれの心情と立場を明確していて観ていて安心感がある。フライヤーの6人の写真で、どの2人を線で結んでも、それぞれの関係性が明確に思い起こされる。

もう少し、感情的なもつれが生じるような対話劇かと思ったけれど、さにあらず。
観衆に是非の判断を強いるでもなく、それでいて直線的なストーリーではなく、平行線に陥る対立もない。皆が皆、何かを知り、何かを信じ、そして何かを理解していく様が、淡々と描かれる。内面の激情を、時として隠しながら。

15分の休憩も、前後半の時間の隔たりと、心の変遷を鮮明にする意味で、よかったと思う。

ネタバレBOX

ちょっと、空席が多かったのが残念かな。
1001

1001

少年王者舘

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2019/05/14 (火) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/05/19 (日) 13:00

座席1階C2列13番

少年王者館初見。井村昂さん、寺十吾さんを除くとほとんど知らない顔ぶれ。

言うまでもなく、新国立劇場初登場。小劇場と言っても、七ツ寺共同スタジオやザ・スズナリとは違う大きさ、ザ・高円寺よりも大きいのかな。
この尺での舞台は、初めてではないかしら。それにしても、細かい芝居に終始せず、群舞や舞台装置の使い方で、奥行を魅せる空間の使い方はうまい。

確かに、かなり特徴的な芝居作りで、パンフレットを読むと、その独特のスタイルが強く慕われていることがよくわかる。でも、他の方もおっしゃっているように、観客を選ぶ舞台であることは確か。

特にループする会話と演技、挟まれる舞台アナウンス(芝居と劇場の狭間の消去)、セリフの末尾と語頭の連続する言葉遊び、こうしたものは嫌いな人は嫌いだろうと思う。

ただ、何にしても驚愕なのは、大きなループの中にまたいくつものループがあり、それぞれで微妙なズレを生じさせ、ただただ役柄の固定を回避するようなストーリー展開、こうした脚本と演出を、30名を超える役者の方々が淀みなくこなしてしまうことだ。群舞にしても、あの奇妙な振り付けを、今にも手足がぶつかりそうな微妙な距離で踊り尽くすさまは、圧巻。

うん、よいものを観た、というのが素直な感想。では、これから常連として観続けるかと言うと、ちょっと判らない。たまに観るからよいのかとも思いながら、中毒性も強そう。次のタイミングで、体が欲するのかなあ。
ザ・スズナリや、七ツ寺共同スタジオに戻った時に、同じ感動は得られるのか?
その時になってみないと、本当に判らない。でも夢のような時間をありがとうございます。


改訂版「埒もなく汚れなく」

改訂版「埒もなく汚れなく」

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2019/05/09 (木) ~ 2019/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/05/14 (火) 14:00

座席1階A列4番

フライヤーの力とは不思議なもので、今回の上演を観ようと思ったのは、まずフライヤーの西尾友樹と占部房子の2人の姿だった。もちろん、オフィス・コットーネの安定した高度な舞台に対する信頼もある。

初演は見ておらず、その時点でのオフィス・コットーネ観劇はわずか1回。初演のフライヤーを見返してみたのだけれど、見覚えがある。でも、このフライヤーでは、観劇の与欲求は動かなかったことも覚えている。

しかし、今回のフライヤーには、西尾友樹と占部房子という当代きっての役者の存在感がこれでもか、と出ていて私を離さなかった。そして、それは見事なまでに、私を裏切らなかった。

大竹野正典の存在を知ったのは、昨年の同劇団作「夜、ナク、鳥」のアフタートークにて瀬戸山美咲さんがお話になった時。その前には、温泉ドラゴンで「山の声」を観ており、最近はまたコットーネの「夜を掴む」を観た。ここに書いた3作とも、優れた舞台だと思うが、実のところ、まだ大竹野氏にあまり興味が持てない自分がいた。

そこでだ、この「埒もなく汚れなく」、役者とコットーネという以外、何の思い入れもなく拝見したのだけれど、これが凄い。全編彩る、大竹野夫妻の会話劇、それを適度に緩和するちょっとした笑寸劇。ともすれば息が詰まりそうな場面を確実に魅せる演出の緩急 。バカバカしさも、この舞台の肝なのだと思う。

ラスト近くの松本社長が、大竹野にかける言葉。
これが瀬戸山美咲が、大竹野氏から受け取った言葉なのですね。「埒もなく」という意味。少し深読みしようと思われる方は、パンフレットをお買いになって、大竹野氏の文章を読まれることをお勧めします。舞台後、そして、パンフを読んで、少しですが大竹野氏に関心を持つようになりました。

ちなみに、どこかに書いてあるのかもしれないけれど、大竹野氏はムーンライダースが好きだったのだろうなあ。戯曲に「真夜中の玉子」「Kのトランク」なんてタイトルがあるし。その点では、劇中に流れる「Suzuki白書」からの2曲は、まさに彼の嗜好を反映した適確な選曲づす。

ネタバレBOX

タイトルは「埒もなく」だけでよかったかも。「汚れなく」なのかなー?
死んだら流石に愛しく思え

死んだら流石に愛しく思え

MCR

ザ・スズナリ(東京都)

2019/05/09 (木) ~ 2019/05/15 (水)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2019/05/13 (月) 15:00

座席1階2列

ヘンリー・リー・ルーカスにまつわるエピソード満載に、時間軸を交錯(というか、次元転換?)させた、謎多き作品。とは言っても、難解というわけではなく、幽夏子を軸とした、もう一方の話がどのような位置づけなのかがよく理解できなかったというだけの話。
幽夏子のいる世界が、我々のいる世界ということで、そこからはみ出すこと(夢見ること)が潤哉や洋平のいる世界という話?
案外、すっきりと入ってきたのが不思議な舞台。否、堀君だけどうも変。
どういう友達なんだ!?

不知火譚 第三章~蜘蛛の子散らすノ陣~

不知火譚 第三章~蜘蛛の子散らすノ陣~

劇団鳥獣戯画

本多劇場(東京都)

2019/05/08 (水) ~ 2019/05/12 (日)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2019/05/10 (金) 19:00

座席1階E列14番

3作連続観劇。2作目はザ・スズナリの手狭さが仇となり、化け猫、大蜘蛛とも窮屈感満載。
上手下手を気にしながらのダンスでは、どうもミュージカルに欠かせぬ解放感も、十分に出せずじまいだった。
今作は、本多劇場に凱旋し、全てに思いっきりできたのはよかったよかった。

ただ、1作目に比べると少しスケールが小さいような。
大ダコ、大グモ、化け猫の登場はあるものの、何ででしょう。

江戸時代の講談に、起承転結や理路整然、歴史検証を求めること自体ナンセンスだろうし、そのナンセンスさを土台にした舞台づくりなのだろうから、細かいところはとやかく言っても仕方ない。

敵討ちは連鎖する、ということでまとめるしかないのだろう。
ある意味、ネバーエンディングストーリーということなのかしら。

ネタバレBOX

おひねりの紙、他のチラシと一緒に回収ボックスに入れてしましました。
確かにそんな流れがありましたよね。とんと忘れていました。
楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜

楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜

Prayers Studio

Prayers Studio(東京都)

2019/05/03 (金) ~ 2019/05/04 (土)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/05/03 (金) 13:00

Wikiによると、(現在はしらないが)累計上演回数が最も多い芝居だそうだけれど、私は未見。
演劇部で女性が4人集まれば、「楽屋」でもやろうか、という話になるらしい。
観なかった理由は、何となく60年代後半から70年代のアングラ演劇に対して抵抗感があるからです。
どうも、ベタベタした感じが嫌で、唐十郎や寺山修司もそれなりのアレンジの妙味がありそうだと思わなければ観ません。(まあ、井上ひさしや別役実もまず観ないので、そのあたりが特に苦手というわけではないのでしょうけれど)

まあ、探せば幾らでも観れる機会はあったのでしょうが、今回観ようと思ったのは、昨年拝見したPrayers Studioの「ダムウェイター」が面白かったから。
ハロルド・ピンターを演る劇団が、並べるようにして「楽屋」を演る。
どんなテイストかなと。

ネタバレBOX

観劇後、観客同士のシェアタイムでは、演出もいろいろらしく、私には今回の舞台がどうだとは簡単に言えるほどの立場ではないな、と思いました。
話は一通り調べて来ていたので、展開に意外性は感じななかったけれど、女優になりたいスクリプターの幽霊が出る話にしては、案外サラッとした感じ。もっと、ベタベタ、おどろおどろしい、情念満載な舞台かと思ったけれど。それと楽屋に棲みいついてる幽霊と「かもめ」にニーナ役の女優との掛け合いがほとんどないのが意外だした。(まあ、生者と死者ですから当然と言えば当然ですが)

さて、終わってドラマトライアル。数日前の「強がる画家たち」は短編だったので、通しで読み合わせをしたけれどどうするのかと思ったら、抜粋部分を演るのね。
さて、他のトライアルは2人1組でしたが、今回は登場人物が4人。そこで掛け合い
の多い、解釈が多様化しそうな、ニーナ役を除いた3人の終盤のシーンを抜粋。

次は舞台です。参加希望は5人。
これでは組分けできないのですが、ちょっと沈黙。
こういう雰囲気は嫌いなので、私が手を挙げました。ここで3人の役を2人ずつ決めて2組に分かれます。
私は2組目、女A役。1組目と同じところを演ると思ったので、前の方の演技に注目していたのですが、別のところの脚本でした。1度通し読み後に演出。
演出をしてもらうという行為は、ほとんど初めてでしたが、確かにいろいろと気付きがりますねえ。この気づきは、意見のシェアとはまた違ったものです。
感じる→解釈するという作業に入ったようです。それも役柄本人になるために。
(もちろん、渡部さん曰く、正解・不正解はないのでしょうけれど)

「強がる画家たち」でも同様な演出方法が取られましたが(組によって脚本の異同に関わらず演出方法が異なるようです)、、、これが辛い(笑)。他の2人は見目麗しき女性。相手の眼を見て、いろんな気持ちを起こさせられます。どちらを見ればいいねん!と迷いながらも、感情の向く対象となる枕女役の方を見ます。すごく長く感じました。こんなに女性の眼や顔の部位をまじまじと見つめたのはいつ以来のことか!
そして本番。無事済みました。
最後に握手。チャンカワイの気持ちが判りました、「惚れてまうやろー」(笑)。

Prayers Studioまた行きます。
「白い象のような山並み」/「強がる画家たち」他

「白い象のような山並み」/「強がる画家たち」他

Prayers Studio

Prayes Studio(東京都)

2019/04/28 (日) ~ 2019/05/06 (月)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2019/04/30 (火) 13:00

「強がる画家たち」でドラマトライアル。
前回「ダムウェイター」を拝見した時は、ドラマトライアルではなく、アフターシェアタイムだったので、お酒と美味しいおつまみで皆でワイワイとやらせていただきましたが、今回は何かやらされそう。うーん、お酒がいいのに、などと思って参加しました。

さて観劇になると、上演時間は15分だという。知らない作品だったので、これには意外感満載。この連休中にドラマトライアルされる「ダムウェイター」「楽屋」もけして長い作品ではないが、それでも1時間半はゆうにある作品だから。(ちなみに「白い像のような山並み」は20分程度らしいが)
ワークショップに時間を費やすために短い時間の芝居なのかな。

芝居は2人の画家の自慢話の応酬という話。そのエスカレートの仕方と、どこまでが真実でどこまでが虚偽なのかという不可思議さが魅力。
演出家の渡部さん曰く、実は芝居自体は毎回、少しずつ変わっていて、基本の演出は変わらないけれど、役者さんが少しずつ工夫をいれてくるようで、シェアの際にいくつか演技に疑問を投げかけたのですが、それは秘密とのこと。渡部さん自身も、何でそんあことするの?と思って、役者さん自身に尋ねてみると、それなりの合理的な理由があるらしく、そうしたアドリブは歓迎とのこと。

全員で2組に分かれて、脚本を通しで読み合わせ、その後に3組の方々が舞台で脚本の一部を演じます。1度は読み合わせ、そして渡部さんの演出が加わり、2度目には役者気分で演じてみます。1人で観に来ていた少年がいて(お母さんに行ってみたらと言われたらしい、素直な子だ)、彼も舞台へ。淡々としながらも中々味のあるよい演技でした。

そして最後に、今度は同じ芝居を女性2人バージョンが演じて(冒頭は、男性2人バージョン)お開きに。約3時間半。

いやあ、楽しい布教活動でした。(渡部さん曰くprayerですから、と)

生ビールミュージカル

生ビールミュージカル

宇宙論☆講座

スタジオ空洞(東京都)

2019/05/01 (水) ~ 2019/05/05 (日)公演終了

満足度★★★★

すでに諸説語られておりますので、内容についての説明は置いておき、思ったことを書き連ねたいと思います。

今回は生ビール飲み放題。2列目通路沿いに陣取った私としては、とてもよいポジション。
とはいっても、前の方で観たい、でも小さい椅子だと腰が痛い、何よりも年齢もありいざもよおした時に迷惑をかけずにトイレに行きたい。そんなこんなで、選んだ席です。さて、実際に芝居が始まってみると、やはり席によっては
ビールを取りに行きたくとも、行きづらい席があるのも事実。回数をやたら重ねる方は、通路近くか、増員で設けられたであろう、ビールサーバー前のパイプ椅子の方々のようです。
同じ女性が数人、何度も行かれる様子は、何か見ていて微笑ましくなりました。
私も、少しずつピッチが上がってしまいました。

さて、お芝居の話。
死んでしまったたま子役は、男性。おしめをして前を開けた姿で、それがちょっとキモイといえばキモイのですが、死者ということでセリフはありません。途中、回想的に喋ったり、歌ったりするだけです。母親に二人羽織風に操られたり、祖父に股間をカメラで連写されたり、父親に棺桶から引きづりだされたり、彼女は様々な形で家族に愛されていたことが、バカバカしいような表現の積み重ねの中から伺われます。

五十部さんの音楽愛が素晴らしい。よくもあれほどの楽曲を作り上げるなあ。
ミュージカルと言いながら、序盤、どこがミュージカルやねん、と思わせるグダグダ感から、ダンボールを掻き分け、投げ飛ばしてから、舞台上部に「生ビールミュージカル」の金色のタイトル看板が登場してからは、立派(?)なミュージカル、タマ子の子供時代からの成長が綴られるのです。
これ、下ネタ満載ですが結構、ツボに嵌るんですよね。

新名亜子さんの喪服姿は、とてもよい。
いやあ、暴れるたびに見える太ももが、やたらとエロい。もちろん、中はきっちりガードしているようなんですが、だからか動きがはちゃめちゃで、声を上げて笑う中にも、ちょいエロスが漂います。


そして、開演時からすでに、赤ら顔、やや酩酊されている役者の皆さんは、演技中もサーバーに足繁く通いビールをグビグビ。それだけでは飽きるのか、缶チューハイを振り回している方もいます。そして、遠慮なく、もよおしたらトイレへ駆け込みます。
いやあ、ホントに行くんだ。もちろん、漏らすわけにもいかず、生理現象だから仕方ないのですが。結構、ビールを飲っていた私ですが、この潔い行動に、終演まで全くもよおさなっかたのは、やはり気の持ちようかな。いつでも行ってよいという安心感かも。

終演後は、役者の皆さんへべれけ。それでも、まだ飲むぞー!と雄たけびを上げるのは、潔いというかはちゃめちゃというか。とても素敵。シジミ汁を配る配慮に感謝。

5日間の舞台で、1700以上の段ボール箱を使いまくるというか、破壊するというか。
当日の舞台でも、散乱する段ボール片や紙吹雪、片付けるの嫌にならないかなと、心配して帰りました。翌日の準備もあるでしょうに。

スタジオ空洞の階段を上り、外に出てからの帰り道、道の向こうから五十部さんが歩いてきて挨拶。お客さんが混雑でトイレに困らないように、街道沿いのコンビニにでもトイレを借りに行ったのでしょうか。

CD買いました。到着が楽しみです。

「お勧め!」としますが、お酒の臭いが嫌な方、下ネタが嫌な方には、もちろんお勧めはしません。


不幸探偵

不幸探偵

劇団ベイビーベイビーベイベー

ザ・ポケット(東京都)

2019/05/01 (水) ~ 2019/05/05 (日)公演終了

満足度★★

鑑賞日2019/05/02 (木) 13:00

座席1階5列

「不幸探偵」このタイトルに惹かれて観劇。不幸という要素が、探偵ものでどのように活きてくるのか。
まあ、タイトルからして、コメディ要素が入ってくることは、容易に想像できる。

しかし、、、
この「不幸」というミソが、舞台のどこにも活きていない。
単にドジな探偵助手がいました、というだけだ。

ネタバレBOX

時間系列については、ラストまで見るとわかる仕掛けになっているのだが、途中では何が何やらさっぱり。
それ以上に、私にはミラー警部が犯した犯罪の全貌がよく判らない。どうやら、一族で島に住んでいる人々の1人を殺したらしいのだが、なぜ殺したのか。私の理解力不足か?
一族による復讐劇という設定は、次第次第に判ってきて、それなりのミステリーとしての高揚感は出ていたのだが。
かもめ

かもめ

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2019/04/11 (木) ~ 2019/04/29 (月)公演終了

満足度★★★

鑑賞日2019/04/20 (土) 13:00

久しぶりに拝見した、天宮良、須賀貴匡のご両人、こんな素敵な俳優になられており、正直、自身の不明を恥じ入るばかり、さりげなく漂う男の色香が素敵。

そして、フルオーデションならではの、ワハハ本舗と宝塚の兄妹という異色の配役(偏見かな)をチェーホフの舞台で見られるのも、そこはかとなく楽しい。

今回の「かもめ」は、フルオーデションとトム・ストッパードの英訳を演じるという2点。
それほど「かもめ」を観ていないので、大きな違いをきちんととらえられていないのだけれど、確かに第4幕のエッジの効いた感じは、ストッパードらしいなあ、とは受け捉えられた。

さて、フルオーデションなのだけれど、パンフレットで読ませていただいた、小川絵梨子さんと鈴木裕美さんの対談、私は諸手をあげてご意見に賛成。ただし、6週間もの時間をかけての結果としては、少々残念。
おそらく、それは選考の仕方や選考眼が悪いというよりは、フルオーデションという方法が成熟していないからなのだと思う。

というのも、役者さん1人1人を観いている限り、それぞれの役で最適の方々を選んだであろうことは想像に難くない。ただ、最適というのが問題ではないか。それぞれの役者さんが演じる役柄が、おそらく役者さんにとっての最適の演じ方をしているが故に、個として見た場合、演出家を揺さぶるような演技になっているものの、粒が立ちすぎてうまく調和していないように思える。言い方を変えると、役者さん個々の良さを最大限に生かそうとしたあまりに抑制が効いていないというか。

その中で、天宮良、須賀貴匡のお2人が、うまく調整役となっているからこそ、演技に映えも観られたのではないかと思う。

通常の配役では、まず中心人物を配役し、そこから演繹的に配役をしていくことになるだろうから、その個性に応じた、かつバランス重視の配役が可能だと思うのだが、フルオーデションの場合、同時進行のためなのか、個々の役で最高のものを求めてしまうのかもしれない。

しかし、フルオーデションの可能性は、舞台の可能性を確実に拡げるものだし、その労力、手間に鑑みても、もっと試されてよいものだと思う。日本の演劇プロデュースの在り方を変えるだろう。プロデユーサーの腕の見せ所、何事も経験からしか生まれない。次回以降に期待する。

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