旗森の観てきた!クチコミ一覧

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「かくも碧き海、風のように」

「かくも碧き海、風のように」

椿組

ザ・スズナリ(東京都)

2019/02/27 (水) ~ 2019/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★

賑やかな椿組春公演だが、内容は暗い。昭和11年から20年までに青春期を送った学生や演劇人の青春譜なのだが、この時期彼らにとっては非常に不幸な時代である。
戦後新劇が散々描いてきた時代と人々で、人物像は近いところでは、宮本研、斉藤憐、少し古くは森本薫や木下順二で見てきた人物たちだ。しかし彼らが実体験に基づいて書くところが、この座組みにとっては、調べて考証したうえでの時代劇だろう。そういう時代になったと言う事には感慨がある。
金澤の廻船問屋の息子が、実家の没落で東京に出て、浅草のレビュー団に出会い、同時に左翼学生のバーにも出入りして青春を重ねていく。その生活の方は本当に参考文献通りという定番のものだが、今の人々にとってはこう設定しないと、この時期の青春が実感できないのだろう。この舞台は椿組らしい多くの小劇場のメンバーの参加も得て、華やかに苦い青春時代がつづられる。いいところを挙げれば、軸になるカップルの新人二人・三津谷亮と那須野恵は新鮮でしかも、度胸もあって今後が楽しめそうだ。
苦言を呈すれば、この時代と今を安易に重ね合わせるのは、最近の流行だが、それで思考停止をしてしまうのはなによりも危険だと思う。今は、当時よりはるかに多様化された社会で、それでこそいろいろな問題が露呈しているのだ。最近、皇太子や退位する天皇の非常に考え抜いた発言の中にそういうニュアンスがある。時代は変わったし、新しいモラルが求められている。


ネタバレBOX

公演自体はテンポもよく皆一生懸命で、矢野洋子などという知られざるいい俳優を発見できて好感が持てるのだが、いかんせん、一生懸命調べました、という本の古めかしさが邪魔になる。それを若い人に言うのは酷だとは知っているが、もう少し絞ってものを考えないとこの時代乗り切れないぞ。
世界は一人

世界は一人

パルコ・プロデュース

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2019/02/24 (日) ~ 2019/03/17 (日)公演終了

満足度★★★★

異色の顔合わせの大劇場公演だ。オリザ派・岩井の作・演出、無頼アウトローの松尾スズキが作演出ではなくて主演、ハイソの女優・松たか子がつきあう。音楽に生バンドと前野健太の歌。興業元は劇場休館中のパルコの制作、小屋は東芸プレイハウスへと打って出た。
それぞれの分野で個性の強い活動をしてきた顔合わせだから、さぞ、舞台裏は大変だったろうと同情するが、結果は、お互い忖度配慮の挙句、すくんでしまっている今の社会を反映している。
平成の末とあって、この日本の三十年を回顧するような筋の運びになっているが、松尾スズキが主演ではどうしてもアクセントがそこへ寄ってしまう。明らかに北九州らしい故郷から出てきた主人公が、都会でコンサル業で成功するが、家族も精神も空洞化、再び故郷に帰り家庭を持つ。所詮世界は一人、というストーリー。これではこの顔合わせを生かすパンチがない。
鉄鋼都市が高度成長期に多くの産業廃棄物を海に沈殿させて、繁栄してきたが、この三十年で、その残渣は浚渫された、だが、あの沈殿した廃棄物はどうなったのだろう、とテーマを振られるが、物語がついていかない。三十年にわたる細切れの思わせぶりなシーンを並べ、そこに歌だかなりの数で入ってくる。大劇場向きの本ではない。いつもはキャラの立つ俳優たちも役をつかみかねて、手探りで、姿勢が、前のめりになっている。セットはパイプ管の構成でそっけなく、これで二時間十五分は苦しい。(まだ四日目だから、そのうちにどこか突破口が見つかるかもしれないが)
パルコの意図はよくわからないが、とにもかくにも、いろいろの顔合わせで新作をやってみようという壮図は買おう。今までは、この種の企画はほとんどシスカンパニーの独占で、安全第一でしかも当ててしまうというところが心憎いのだが、東宝・松竹・四季以外で、有力で冒険を辞さない演劇製作の会社がもう一つは欲しい。新国立は絶望だが、ホリプロ、文化村、池袋、三軒茶屋の公共劇場は、失敗を恐れず、頑張ってほしい。




オルタリティ

オルタリティ

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2019/02/22 (金) ~ 2019/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★

時代を打つ社会劇を旗印にしたこの劇団らしい快作だ。
さまざまな正義がせめぎ合う現代の閉塞感を、いくつもの面からドラマにしていて、面白く見られる。最初はもっと客席笑えば、と思いながら見ていたが、いや、結構この問題若者にとっても切実なのだな、と問題の根の深さを感じた。社会劇と言うより、後半は風刺劇みたいな展開になっていくのだが、そこでようやく笑いが出る。
だが、劇としては、その三幕がいささか性急で、説得力にも欠ける。この作者なら、「背水の孤島」で見せたような見事なエピローグも考えられただろうに。前半のタテマエ合戦が面白く、喫煙と言う小道具の使い方や、町長が変わってしまうあたり、ニヤリとさせる。
ここのところ少し、方向を失っているように見えていたこの劇団だが、復調の兆しが見えた。時代としっかり向き合って観客を興奮させるような作品を期待している。

ネタバレBOX

このタイトルの英語はどういう意味だろう。オルターまではわかるが後半はタダの名詞化のつもりだろうか? そういう単語はないだろう。日本語で、「ああいえばこういう」でもいいのではないか。
芸人と兵隊

芸人と兵隊

トム・プロジェクト

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2019/02/13 (水) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★

作・古川健、演出・日澤雄介、とくれば、チョコレートケーキ。タイトル「芸人と兵隊」とあれば、これは芸能と戦争に関する秘話をもとに反戦大討論会か、と予期して見に行ったら、そこはまるでこちらの見当違い。当代の売れっ子の方が一枚上手だった。
かつて、中間小説にならって、中間演劇と言う商業演劇のジャンルがあって、新派や新国劇、新劇のプロデュース公演には楽しめる作品 (そういえば、中野実などという達人がいた)があったものだが、ここ三十年ほどで駆逐されてしまっていた。ところが、最近、中劇場プロデュース公演や地方まわりの興業になどで、この路線の作品を見かけるようになった。
「芸人と兵隊」は「南の島に雪が降る」のような戦時中芸能秘話で、笑で戦争をなくす、とか、戦地でこそ兵隊には平時の芸が必要だ、とか、いかにものテーマはあるが、纏めは人情劇。いつもの古川節とは異なり、呆気ないほどわかりやすい。だが、中間演劇は全体の座組みも重要だ。本と演出はこれでいいとしても、このキャスティングには大いに疑問が残る。村井、柴田はさすがベテランで畑違いの戦前の芸人世界らしい雰囲気を出しているが、あとの四人は期待の新人ではあろうが、戦地に駆り出された場違いの芸人を演じるにはキャリアが足りない。これは本人たちの責任ではなく、キャスティング・エラーである。今は芸人ばやりなのだから、芝居の出来る芸人や落語家が、せめて半分(四人うち二人)入っていれば、戦地の慰問隊の楽屋の雰囲気も出たことだろう。中間演劇は大人の芝居で、こう青臭くては折角の柴田の好演も飛んでしまう。中間演劇はウエルメイドで、しかも時代をはずさない、商売になる、という課題がある。ややこしい問題劇ばかりが能ではないから、トムプロジェクトのこの路線の作品も円熟していくともっと劇場は楽しくなる。。

拝啓、衆議院議長様

拝啓、衆議院議長様

Pカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/02/06 (水) ~ 2019/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

いくら作者がこれはフィクションと言っても、歴然としたキワモノである。それが成功して珍しく補助席もでる大当たり。テーマが現代社会の倫理を打っていて面白いのである。
こういうものは手の内の作者らしく、主人公の設定を弁護士の去就に据えて、犯人の性格付けもうまく、周囲の人々も、冷酷派、人情派とうまく散らしてサスペンスのある展開になっている。80年代に山崎哲の転移21の犯罪シリーズを思い出した。犯罪は世相を映すから、時代瓦版の演劇には欠かせない。キワモノと言われようと、臆せずにこの罪と罰でもどんどんやって欲しい
残念なのは、力演の俳優さんには申し訳ないが、みなさん演技スタイルが古い。五十年前の新劇三劇団風で、これではひとり犯人役の役者ががんばっても現代の風は吹いてこない。

シェアハウス「過ぎたるは、なお」

シェアハウス「過ぎたるは、なお」

渡辺源四郎商店

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/02/08 (金) ~ 2019/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

地方で劇団をやっていくのはさぞ大変なことだろう。その中で、そろそろ二十年、地方の要請にもこたえ、中央でも一目置かれる作品を、地元のキャストスタッフで作っていき、それを地元でも東京を含めて全国で打つ。想像しただけで気が遠くなるような仕事を成立させてきたことに頭が下がる。
こんかいはSF仕立てで中央の地方への勝手な押し付けを喜劇的寓話にしているが(75分、まだまだ練った方がいいとは思う。役割の振り付けが性急だ。こういう地方に身近な社会問題も手早くやらなければならないところが難しいところだが、この劇団にも日本在住の東南アジアの女性が居たりするところが現代日本の実体が透けて見えて面白いのである

Le Père	父

Le Père 父

東京芸術劇場/兵庫県立芸術文化センター

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2019/02/02 (土) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★

良く出来た喜劇である。流石フランス随一のヒットメーカーの戯曲だ。それに役者がハマった。この芝居はこの二点に尽きる。
老人ボケをテーマにした芝居は、高齢者社会を反映して今や若者小劇場ですらよく扱われるテーマになった。社会問題でもあり、家族問題でもある。芝居にはいい素材で日本で行けば「三婆」と言う事になるが、この芝居はドライに乾いている。役を客観的に見ていて、べとつかない。ストーリーとしては、夫の都合でイギリス暮らしをしなければならなくなった娘(若村麻由美)が呆けていても一人暮らしをするとがんばる老父(橋爪功)を、若いヘルパー(太田緑ロランス)の手を借りながら老人ホームに送り込むまで、というだけなのだがその間に、現代の親子の亀裂、娘やヘルパーの職業的環境、同居する娘夫婦の問題、などを矢継ぎ早に取り込んで笑いと共に登場人物を追いこんでいく。テンポがいい。技術的には、ときにシーンが客観から、主人公の主観になったりする。そういうことが可能な設定になっているところが面白い。
役者がいい。橋爪はお手の物だが、やり過ぎになるところをうまく抑えている。いいのは若村麻由美・現代のクールな職業人が問題に直面するときの空気がよく出ている。太田緑ロランスも暗くならないで芝居のアクセントになっている。長い公演だが、客も楽しんでいる。

ネタバレBOX

ただ、この喜劇のキーはだれも逆らえない「老い」である。いつかはわが身にも襲いかかる内容だけに薄氷の上の笑いで、娯楽としての喜劇を大団円で救うには(あまり救う気もなさそうなところもフランス戯曲らしいと言えるのだが)随分あっさりした幕切れた。
夜が摑む

夜が摑む

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2019/02/02 (土) ~ 2019/02/12 (火)公演終了

満足度★★★★

いろいろな面白い見方が出来る異色の公演だ。十年前に亡くなった関西の小劇場作家・大竹野正典の1988年の作品は、当時の風俗を背景にした不条理劇のような趣だ。
まず、脚本。内容は大規模団地に住む孤独な中年男の家族や隣人たちとの距離感・違和感から、現代生活の中の生きづらさを、描いている。タッチは、別役実のような不条理劇のスタイルなのだが、描かれた世界が団地生活のピアノ騒音とか、ごみだしをはじめとする団地の生活とか、児童の生物飼育とか、当時の団地サラリーマンの定型的家庭生活などで世話物風なところがユニークである。主人公の孤独は最後には大きなカタストロフを迎えるが、子供が弾くピアノ曲をうまく使って、情感に抑え、(そこは演出の工夫かもしれないが)何か、現代劇古典のような風格すらある懐かしい味わいである。
演出はここの所話題作の多い詩森ろば。ロシアアヴァンギャルドどのような斜めに交錯した団地のドアの前に、室内の食堂の机とアップライトのピアノ。団地の窓を模様風にあしらった三個の箱をうまく使って抽象的な展開の物語を流れのいい芝居にまとめた。トーンを統一しにくい戯曲なのだが、そこをテンポよく処理して飽きさせない。ラストにつながる、箱を親子で受け渡しながら舞台を一周し、屋上のミニチュアの給水塔からクラゲを取り出すシーン、ここで個人の中に秘めた「夜」が見えてくる。演出の冴えで、うまい。
俳優。役者がハマって生き生きと演じてくれると小劇場は楽しい。この劇場は百人足らずの小劇場だが、その二つ上の四百人クラスの劇場でもよく見かけるベテランの俳優に、新進の俳優が噛ませてあって、制作のキャスティングのうまさもあるが俳優の地力もよく発揮された。皆いいのだが、特に、と言えは、町田マリーの団地妻、塩野谷正幸の子供(秀逸)、有薗芳樹の男女二役、若い方では、主演の山田百次は少し力み過ぎたが、最近目立つ異議田夏葉、ご苦労さんはピアノ演奏の西沢香夏、みな役にはまって個性的だが、息をそろえなければならない台詞や動きも見事に揃う。そういう細かさが行き届いているところが見ていて気持ちがいい。
今となっては昭和回顧のような内容の芝居なのだが、それを現代の生きづらさにも通じるところまで引き出して、いま楽しめる舞台にしたのはこのプロダクションの総合力だろう。すっきり見られ、切なくもあるいい舞台であった。1時間40分。

『スーパープレミアムソフト W バニラリッチソリッド』

『スーパープレミアムソフト W バニラリッチソリッド』

チェルフィッチュ

シアタートラム(東京都)

2019/01/25 (金) ~ 2019/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★

舞台の奥、八分あたりにコンビニの店の陳列棚を描いた紗幕が下がっている。コンビニのアルバイトらしき店員が二人出てきて、個人が孤立している現代社会でのコンビニの仕組みや店長や経営への不満、索漠たる仕事の話を、チェルフィッチュ独特の動きと共に語り出す。これはコンビニを巡る現代劇なのだ。国際共同制作が出来たのだから、こういう状況は世界(今回はヨーロッパだが)に通じる現代の風景と言う事だろう。
「三月の五日間」で鮮烈な衝撃を受けてからもう十五年近い。この作品をきっかけに、岡田は国内よりも海外に仕事の場を求めてきた。国内での消耗を避けるというのは賢明な判断だったのかもしれない。今回の舞台も再演と言う事だ。(初演は見ていない)。
ストーリーは、コンビニの二人の従業員と店長、それに本店の地区責任者と、後半新しく来たアルバイト店員が加わる。客は、深夜になるとアイスを食べずにいられなくなる女(彼女がこのコンビニで買う愛好物が長たらしい名前のスパープレミアムソフトWバニラリッチだ)と、見るだけで買わない客が、二人。慎重に雑狭物は取り除かれているが、「三月」と同じように、ここでは特に変わった事件が起きるでもなく、彼らの生活は続いていく。しかし、すべての登場人物に共通する現代人の「やってられないよ」という根こぎされた生活と心情がユニークな振り付けで演じられる。
丁寧に作り込まれていて、チェルフィッチュの世界に引き込まれた。エピソードごとに休止符を打つスタイルは洗練され、無駄がなく、何より見ていて面白いし楽しめる。背景音楽のバッハも巧みな選曲だ。1時間50分。あまり宣伝もしていなかったのに、見た回は掛け値なしの満席であった。
見た回は英語のスーパー付きの回だった。世界各地で上演するときはこういう形でやるのだろう。よくはわからないが、日本的な現代語台詞を無理にそれらしく英訳しているのではなく、内容を伝える翻訳で、言葉(オトで聞こえる台詞)よりも身体の動きで世界に共通する現代人の状況を伝えようとしていると感じた。国際的な演劇の場も変わっていく。

暗くなるまで待って

暗くなるまで待って

日本テレビ

サンシャイン劇場(東京都)

2019/01/25 (金) ~ 2019/02/03 (日)公演終了

満足度★★

「罠」「検事側の証人」と並んで「ミステリ劇」の代表作と言われている戯曲。あとは、「スルース」とか「デストラップ」とか。いかにもウエストエンドで役者を変えてはかかりそうな著名ミステリ作家の筆になる作品たちだが、この作者ノットは「ダイヤルMを回せ」とこの作品だけが著名。ほかには一作しかない。それで十分の資産家だったようだ。
原戯曲はサスペンスとしてよく出来ていて、日本でも何度も上演されていてる。主人公が交通事故で視力を失った視覚障碍者(凰稀かなめ)の若妻。見えないと言う事以外は一般人の女性が、たまたま自宅に持ち込まれることになった麻薬犯罪のブツを狙う犯罪者たち(加藤和樹、高橋、猪塚)と対決することになる。主人公が見えないと言う事や、事件が起きるのが一般家庭であること、主人公の夫が写真家で自宅に現像室がある、などの条件を生かして、ドアがドンドンとノックされるたびに、主人公に何か起きるのでは、とサスペンスが高まっていく。
今回の美術はかつてパルコ劇場での上演の朝倉摂の美術を踏襲して、中央に階段があってそこが出入りになっている。半地下の部屋は、作品が書かれた1966年当時の市民生活を良く写しているのだろう。介助のために訪れる上の階の少女(黒澤美澪奈)とはつながるパイプ管をたたいて連絡するとか、現像室の作業中には赤ランプがつくとか、冷蔵庫は別電源になっているとか、細かく一般人の生活を生かしている。五十年前の話だから、電話が固定しかないとか、麻薬運搬の手法が牧歌的なところは致し方がない。それを認めてもうまく出来ている戯曲なのだ。
ところが、俳優たちがそろって大振りで、サスペンスが生きない。細かいリアクションが出来ないし、セリフ術が拙い。今はマイクがあるのだから、小声の会話も成立するのにその技巧がない。悪役三人組が平板で面白くない。加藤はみえをはりすぎ(2・5ディメンション出身らしい)、高橋、松田は力不足。主役の凰稀かなめ、目が見えなくとも凛と立つ役なのだが、芝居が細い。対決する主役同士がこういう調子だからハラハラしない。
少女(黒澤美澪奈)は脇のいい役どころなのだが、どういう位置なのか、芝居が定まらない。芝居を見ていると、外を見るときにブラインドを下げて下を見る。おや?、ここは2階か三階か、と感じる。そういう小さな違和感が随所にあって、行き届かないから芝居がますますつまらなくなる。そこは演出が決めてやらなければいけないだろう。
戯曲は、ミステリ劇の商業演劇ながら、突然交通事故で失明した若い女性の自立物語でもあり、何かというとすぐバッシングの対象となる今のご時世でも障碍者を主役にしたいい芝居だ。もっとうまくやれなかったものかと残念だ。
それにしても、これが8,800円は、どう贔屓目に見ても高すぎる。




暗くなるまで待って

暗くなるまで待って

日本テレビ

サンシャイン劇場(東京都)

2019/01/25 (金) ~ 2019/02/03 (日)公演終了

満足度★★

「罠」「検事側の証人」と並んで「ミステリ劇」の代表作と言われている戯曲。あとは、「スルース」とか「デストラップ」とか。いかにもウエストエンドで役者を変えてはかかりそうな著名ミステリ作家の筆になる作品たちだが、この作者ノットは「ダイヤルMを回せ」とこの作品だけが著名。ほかには一作しかない。それで十分の資産家だったようだ。
原戯曲はサスペンスとしてよく出来ていて、日本でも何度も上演されていてる。主人公が交通事故で視力を失った視覚障碍者(凰稀かなめ)の若妻。見えないと言う事以外は一般人の女性が、たまたま自宅に持ち込まれることになった麻薬犯罪のブツを狙う犯罪者たち(加藤和樹、高橋、猪塚)と対決することになる。主人公が見えないと言う事や、事件が起きるのが一般家庭であること、主人公の夫が写真家で自宅に現像室がある、などの条件を生かして、ドアがドンドンとノックされるたびに、主人公に何か起きるのでは、とサスペンスが高まっていく。
今回の美術はかつてパルコ劇場での上演の朝倉摂の美術を踏襲して、中央に階段があってそこが出入りになっている。半地下の部屋は、作品が書かれた1966年当時の市民生活を良く写しているのだろう。介助のために訪れる上の階の少女(黒澤美澪奈)とはつながるパイプ管をたたいて連絡するとか、現像室の作業中には赤ランプがつくとか、冷蔵庫は別電源になっているとか、細かく一般人の生活を生かしている。五十年前の話だから、電話が固定しかないとか、麻薬運搬の手法が牧歌的なところは致し方がない。それを認めてもうまく出来ている戯曲なのだ。
ところが、俳優たちがそろって大振りで、サスペンスが生きない。細かいリアクションが出来ないし、セリフ術が拙い。今はマイクがあるのだから、小声の会話も成立するのにその技巧がない。悪役三人組が平板で面白くない。加藤はみえをはりすぎ(2・5ディメンション出身らしい)、高橋、松田は力不足。主役の凰稀かなめ、目が見えなくとも凛と立つ役なのだが、芝居が細い。対決する主役同士がこういう調子だからハラハラしない。
少女(黒澤美澪奈)はいい脇役なのだが、どういう位置なのか、芝居が定まらない。芝居を見ていると、外を見るときにブラインドを下げて下を見る。おや?、ここは2階か三階か、と感じる。そういう小さな違和感が随所にあって、行き届かないから芝居がますますつまらなくなる。そこは演出が決めてやらなければいけないだろう。
戯曲は、ミステリ劇の商業演劇ながら、突然交通事故で失明した若い女性の自立物語でもあり、何かというとすぐバッシングの対象となる今のご時世でも障碍者を主役にしたいい芝居だ。もっとうまくやれなかったものかと残念だ。
それにしても、これが8,800円は、どう贔屓目に見ても高すぎる。




冬のカーニバルシリーズ Mann ist Mann (マン イスト マン)

冬のカーニバルシリーズ Mann ist Mann (マン イスト マン)

KAAT×まつもと市民芸術館

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2019/01/26 (土) ~ 2019/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★

キャバレー演劇の趣向でブレヒトを見せる。串田和美らしい演出で、本人もお気に入りの道化語り手の役を楽しそうに、一方では周囲に厳しい目線を送りながら演じている。2時間。
ブレヒト作品の中でもあまり上演されない演目のようで、多分初見。
舞台は幕を引いただけの見世物小屋風、前に10ほどのテーブルが置かれ、客が二三名づつブランチを食べている。客席はその後ろで階段状で250位か。客席には拍手用とブーイング用の玩具が渡され、開演前には予行演習までやる。最近はやりの観客参加型を志向している。バンドが3人。これが芝居につかず離れずでいい。
串田の口上で幕が開くと、コック姿の役者たちのダンス、中から安蘭が出てきて歌う、オンシアター以来の手慣れた演芸会風舞台である。だが、今回の舞台は英国植民地時代のインド。駐留地の英国兵のグループ(昔で言えば「分隊」か)から脱走兵が出て、分隊の仲間のメンバーが、旅団がアジアの奥の聖地に向けて進軍を始めるまでに見つけ出そうと、さまざま手を尽くす、という馴染みのない話である。象が出てきても、地元風俗がエキゾチックでも、ここが辛い。舞台では客席にしきりに乗れ!とけしかけるが、なかなか飯食いながらの客席の温度が上がらない。仕込みなのか一部だけが盛り上がる。しらけ気分で見ているうちに、おや、これ、どこかで見たな、という気になった。横浜からの長い帰りの電車の中で、思い出した。地点が数年前にやった「ファッツアー」である。同じブレヒトだが、追い詰められた軍隊の閉塞状況は同じ。表現方法は随分違う。真逆と言ってもいい。どちらも出来てしまうところがブレヒトの融通無碍なところで、ここでその議論をすればきりがないから止めるが、専門家はこの機会に、それをネタに啓蒙してもらいたいものだ。
串田、安蘭、以外はおもに松本在住の俳優が出ているが、舞台経験が少ないので、声の出し方が揃わない。マイクの使い方も習熟していない。台詞にリズムが生まれない、ブレヒトの寓話性が表現できない。現在の舞台芸術の基礎になる俳優訓練も重要な課題だと思った。ここを地方だから仕方がないと放っておくと、止まってしまう。ここへ来るまで串田はかなりの年月を松本で費やしてきた。オンシアターを客席80からコクーンまで引き上げた力量をここでも見せてほしいものだ。

ミュージカル レベッカ

ミュージカル レベッカ

東宝

シアタークリエ(東京都)

2019/01/05 (土) ~ 2019/02/05 (火)公演終了

満足度★★★★

演劇大手・東宝の基幹劇場クリエの十周年記念公演。東宝が開発したオーストリーミュージカルによるイギリスのサスペンス・メロドラマだ。20世紀最高の大衆ロマンとされているが、80年前のイギリスの階級社会や女性の地位を背景にしたロマンスで、今の女性観客は来ないのではないかと思うとさにあらず、10年間で三演、再演は最大の劇場・帝劇が開いた。もっとも、時代に合わせ少しづつ変えて長持ちさせるのは東宝のお家芸だから、今回もAKB48出身の桜井玲香をヒロイン・トリプルキャストの一人に組んでいる。大入りである。見たのは、大塚千弘、涼風真世の組み合わせ。
筋書だけだと、西洋時代劇かというメロドラマだが、心細い純情薄幸少女{わたし}も、前のご主人に忠誠を尽くすと見せながら、実は悪党の執事・ダンヴァ―ス夫人も、妻に振りまわされる夫も、姿を見せないレベッカも、誰もが乗りやすいキャラで、今も読み継がれ、こうして舞台化されるのもうなずける。
舞台化されたミュージカルは、長年、東宝が作ってき歌を柱にした作りで、脚本も、一幕は身分違いのロマンス、二幕は豪邸に潜む謎とサスペンス、に絞ってあり、2時間50分、20分の休憩をはさんで飽きさせない。一幕では、ロマンスにはさんで、雇い主(森公美子)、夫の姉夫婦(出雲綾・好演)、貴族仲間のゴルフとかコミックリリーフもうまい。二幕のマンダレー館は、正面に遠見に大海の荒波が打ち寄せている大きな窓と、カーテンで顔が隠れている前妻レベッカの肖像画を壁にかけているセットがいい。シ-ンも多いが道具の出し入れ、音楽のつなぎもスムースで破局の火事のシーンまで一気に進んでいく。
夫マキシムは山口祐一郎、少しお疲れ気味か、以前のような男の色気に陰りが見える。ダンヴァ―ス夫人の涼風真世、コワい、歌がうまい。私の大塚千弘、演出の山田和也。どうということはなのだが手堅い。しっかりした脇役たち。そこにも今迄になじみのない俳優もキャスティングされていて、結構力を見せている。こういう周囲を育てて、今の東宝ミュージカルがあることを実感する。安易にジャニーズを呼んできて混乱を起こす愚挙をしなくても大入りにできる、老舗の価値はある。贅沢を言えば、ダンスシーンに縦横の動きだけでなく、立体的な振り付けが欲しい、とか、オケピが半端だなぁ、とか、山口にもダブルキャストがあってもいいじゃないか、とか思うが、それはそれで難しいことでもあろう。

PANIC×遺すモノ~楢山節考より~

PANIC×遺すモノ~楢山節考より~

THEATRE MOMENTS

上野ストアハウス(東京都)

2019/01/17 (木) ~ 2019/01/21 (月)公演終了

満足度★★★★

演劇の国際交流、さらに共同制作と言うのは本当に難しいものだと思う。ことに、演劇のマーケットを共有していない国とは、とっかかりを見つけるだけでも大変だ。
これは、その難しさがモロに出たマレーシアとの国際共同作品だ。日本とこういう企画が進んだ経験がないのだろう。まずは観客にマレーシアの飴を配って、両国の紹介みたいなことから始まる。納得しやすいと言う事かもしれないが、日本の国際的に知名度のある作品を演目に選ぶ。安倍公房「PAMIC」と深沢七郎「楢山節考」の二本立て。
「PANIC」の方は、マレーシアの俳優が主演で、演出は日本。舞台言語は英語、中国語(マレーシア語)日本語で、三ヶ国語の字幕が出る。前説で、身体言語でやるから、言葉はあまり必要ないと、念を押されるが、この小説は、言ってみれば、不条理劇の世界で舞台に上げて見るとそこはよくわかる。しかし、条理の部分は身体だけでは説明できない。出来たとしてもうすいものになってしまう。台詞がかなり重要な部分になる。やむなく、観客は字幕を見ることになるが、これが三か国語で(全く分からないマレーシア語の部分は字幕に頼らざるを得ない)煩わしく、次第に気分が舞台から離れていく。
マレーシアの俳優は柄も作品によくあって、うまいし、演出も小道具のトイレットぺーパーを上手に使っているが、ご苦労様と言う以上の演劇体験にはならなかった。45分。
続いて「楢山節考」。こちらは日本人俳優・演出だ。大小の白い木枠を持った俳優で場面を作りながら、ほぼ、原作通り。1時間20分。テキストにあまり手が入っていないだけに、この原作の力強さがナマで伝わってくる。俳優のガラが生きたのは、若い嫁くらいで、若い女優がやるりんも、ほぼ彼女と同年齢に見える辰平も、柄を越えて作品を生きて、観客をひきつける力がある。国際的に高い評価を受ける原作だけのことはあると改めて思った。この枠を使うという手法はどこかで見た記憶があるが、そのシンプルさを生かした振付・演出は成功している。ほかに音楽がうまい。曲も説明的のようで、そうでもない、という微妙なところでうまく抑えている。
しかし、二作ともに、国際共同制作という枠のために犠牲を払っている部分も大きい。PANICは言葉でつまずくが、楢山節考は状況説明を紙芝居でやる。この紙芝居でも、前説でもしきりに現代との接点を説明しようとするが、それが非常に浅い理解でこういうものなら邪魔になるとさえ思う。例えば、権力者と言うので英国女王を出してみたり、作家と総理は同じ安倍でも違う、などという「解説」はあまり面白くも、愉快でもない。PANICのほうは、現代の失業者問題につながるところがあるし、楢山は普遍的な老人問題につながる。紙芝居で、現代の建売のような農家の絵で、農村社会時代の日本を解説する必要もないだろう。
この劇団は初見で、マレーシアにつられて見にいったが、結局マレーシアそのものについても新たに発見がなかった。このよく知らない、しかしこれからは労働者から交流が深まりそうな国と人をもっと知りたいものだ。

遠慮ガチナ殺人鬼

遠慮ガチナ殺人鬼

企画演劇集団ボクラ団義

ザ・ポケット(東京都)

2019/01/09 (水) ~ 2019/01/20 (日)公演終了

満足度★★★

ビアホールなどで、一仕事終った後の若者たちが大勢で埒もなくさわいでいる。聞くともなく聞こえる話題のどこが面白いかと横で飲んでいる者は思うが、当人たちは元気よく上機嫌、楽しそうだ。いいなぁ、若いうちだぞ。
ボクラ団義は十二年目というが、初めて見た。小さな劇場ながら十数公演もあり、客席には追っかけファンらしい客も多い。開演前から前説に凝るサービスぶりだ。話は、本格ミステリのパロディみたいな謎解きで、老陶芸家が死んで、葬儀に集まった十三人全員自分が犯人だという、さて、誰が真犯人か。一人刑事役が加わって、小さな舞台にほぼ全員が出ずっぱりである。十三人の役どころは、コミックの人物ように決まっていて、みな懸命に声張り上げて自分が犯人だという。
主な筋は陶芸家の贋作問題と、彼の家族関係。どちらも、思い違いからの筋書きがいくらでもできるから、終始をつけるのは大変で、2時間20分、葬儀参会者が右往左往する舞台である。意外な結末もあるが、そこから何か世界が開けるわけでもない。
とにかくその場を面白くというコミックと2・5ディメンションの影響が濃い。それが悪いとは言わないが、今までの演劇にない新しさがあるかというとそうでもない。前説にこだわったり、やたらと動けばいいと思っている演技はキャラメルボックスで辟易したスタイルだし、行き届かせようとはしている物語も無理が目立つ。これから先、このグループから時代のリーダーが出てくるとすれば、どこなのか、見当がつかない。なにもないのかもしれない。

トロンプ・ルイユ

トロンプ・ルイユ

パラドックス定数

シアター風姿花伝(東京都)

2019/01/09 (水) ~ 2019/01/14 (月)公演終了

満足度★★★

この劇団のこの劇場での連続公演も後半になって、今回は正月と言う事もあってか、骨休め娯楽編。地方競馬の話である。
素材選びで工夫する作者だから、地方競馬となれば、動物愛護、とか、公共賭博、地方地自体の財源、とか俗耳に入りやすく、また議論際限ナシの「喫緊のテーマ」が面白おかしく(結構、無責任に)展開するのかと思いきや、今回はそういう難しい話は後退して、走る馬と、走らせる人間のヒューマンドラマである。内容的に新鮮味があるわけでもなく、安易なテレビドキュメンタリーや週刊誌特集のレベルの話題である。地方競馬に回されてきた故障馬、老齢で中央で走れなくなった馬、地方の牧場の経営危機、閉鎖的な仕事場など、こういう物語向きの人物と馬の配置で舞台は進行する。
競馬を舞台に上げる工夫と言えば、競走馬6頭と、競馬関係者6人をダブルキャストで組んでいて、俳優が時に馬、ときに人間になって進行する、と言う点と、瀬戸内海を挟んだ尾道と丸亀の地方競馬に場面を設定していることだろう。第一のかなり無理な設定も、舞台だからこそできる約束事で面白く運んでいくが、やはり、馬に人間的な感情を乗せすぎると、違和感がある。笑っていても、失笑という感じになる。俳優たちが、初日ということもあるが、全員柄に頼っていて、しかも経験が乏しいので百人の客席に(満席だったが)隙間風が吹く。馬に限らず動物を擬人化したいい舞台はたくさんあるが、人と動物の按配が難しい。なかなかキャッツのようにはいかないのだ。
海を挟んだ地方競馬と言うのは、馬が海を見て感懐にふける、最後の根岸競馬は船の汽笛だけが聞こえる、というところをやりたかったのだろう。そこは、競馬場の賭博の空しさを季節に託して効果はあるが、これも寺山修司の詩一篇に及ばない。。

ネタバレBOX

開幕と終演後に作者が出てきて一言あるが、これが上から目線で愉快でない。芝居者は作ったものを差し出してあとは観客のものだ。勝手に飲み物売り場を作って売っておいて、あとはきちんと片づけて帰れ、ここは劇場なんから、などと言われると、カチンと来る。
カタルシツ演芸会「CO.JP」

カタルシツ演芸会「CO.JP」

イキウメ

SuperDeluxe(東京都)

2018/12/19 (水) ~ 2018/12/28 (金)公演終了

満足度★★★★

イキウメの番外公演。最初に安井順平が口上で、ドラマとコントの融合を狙ったが、コントの比重が高くなってしまった、と話していた通り、イキウメ的コント集であった。
ドラマとコントの違いをどこに引くかは、キマリがあるわけではないだろうが、確かにリアリズムと合理性、継続性(脚本から演技までの)を基盤としている演劇と、抽象性を基盤に即時性、身体性、偶然性を笑いにつなげるコントとは、同じステージ表現としてもお互い逆行する思考法で成立している。
イキウメの舞台は、ときにそこを何もなかったように越えているところがあるのが魅力だが、そこを意識的にやってみようということか。
今回の演目は7コント。ニ三分のものもあるが、やはり劇団が作ったものだけに、コミュニケーション不在をネタにした「霊媒師」(背後霊ならぬ前方霊がある)「インタビュー」(あいづちの打ち方)、言葉についての「手術」(カム、ということ)が面白い。コントとしては、芸人では面白くならない風変わりな面白さである。それだけ、理に落ちてはじけきれないところもある。
出演者では、紅一点の東野洵香が、独特の無神経キャラを押し強く演じて(少し気味悪くなるくらい)出色だった。
しかし、こういう劇団的に言えばエチュード集、みたいなものを集めて、面白く見せることもできるのではないだろうか。先刻見た30年続いた「アラカルト」も最初はエチュード集から出発している。うまくショー化して興行的にも定着して観客が楽しめるよような【演芸会】にしてほしい。

あゆみ

あゆみ

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/12/15 (土) ~ 2018/12/26 (水)公演終了

満足度★★

新宿のはずれの雑居ビルの4階の小スペース。ほぼ、四角のスペースを囲んで30席。約10席はどうやら出演者のご両親と見えるかたがたで、10隻は空席。何だか身内感横溢のヒルの回だった。現代女性のありようを、8人の白い同じ衣裳の若い女優が中央のボンを回りながら、リレーのように次々と演じていく、という趣向。主人公も、飼い犬まで演じるわき役も、次々に代わるのは新趣向だが、肝心の女性のあり方が、意図的なのかもしれないが、徹底的に平凡である。この演出形式だと、性格を立てた役を作れないのは仕方がないが、その退屈さは、演出の趣向や音楽を演奏してみたりしたくらいでは防げない。幕開きで生まれた女性の人生の60年くらいの年月が語られるが、舞台の時間の設定はあいまいである。地方から出てきた女性が新幹線の車窓の富士山に感銘する、なんてのは、まるで漱石時代の古めかしさで、現代感がない。学校でミステリ読書会に入るなどという極めて特殊な設定も出てくるが、学校のミステリの会は、早慶京以外は、現在は壊滅状態である。恣意的なのは普遍につながらない。ただの行き当たりばったりである。俳優たちも個性を立てない演出に加えて、動きも円形の場に限られ、役も変わるので、俳優個性を生かす場がない。振り付けも平凡。90分。

ネタバレBOX

舞台を見るのは退屈だが、この本を高校演劇などでやってみるのは、演劇が総合的なものであることがよくわかっていいのではないかと思った。今の子供たちなら面白がってやりそうが、そこは早く抜けて、別役や野田のように歯ごたえのある戯曲に取り組んでほしい。きっと、この舞台よりずっと面白い世界が待っていると思う。
音楽劇 道 La Strada

音楽劇 道 La Strada

梅田芸術劇場

日生劇場(東京都)

2018/12/08 (土) ~ 2018/12/28 (金)公演終了

ファン集会で「見る」ものじゃない、と言われている公演に幸いチケットが(定価で)手に入ったので劇場へ行った。昔ルボー演出のベニサンピットのイプセンがよかった記憶が残っている。
グローブ座も敬遠する人は多いが、舞台だけ見れば、健闘している公演もある。打率はそう悪くはないのではないだろうか。今回も、かつて、海の夫人を両サイドの客を入れて上演した同じスタイルを日生劇場でやっている。おなじみのジェルソミーナの話を軸にして音楽劇にしている。やはり狙いはファンご機嫌伺いの公演なのだが、サーカス団の群衆演出(綱渡りの使い方等うまい)とか、振付とか、衣装とか、舞台が独特の様式性でまとまってその期待には応えている。しかし、この本だと、肝心の主演者が場をさらう場はほとんどない。まさか裸を見せればファンは満足だろうとおもっているわけではないだろう。テレビなどでは芝居のうまい人だけに、ここはファンでない外国人に脚本を任せたのが拙かった。もうひとつ、音楽劇と言うなら、もう少し音楽に神経を使ってほしかった。映画の名だたる名曲があるのだから点が辛くなる。これでは主演者の実演を見に来たファン以外は納得しない。
ジェルソミーナを薄幸の少女にしたのもよくわからない。どうせ、ジュリエッタ・マシーナのようなことはできないと、ハナからら思っているのなら、この企画は再考すべきだった。添え物扱いで可哀そうでもある。

アトムが来た日

アトムが来た日

serial number(風琴工房改め)

ザ・スズナリ(東京都)

2018/12/20 (木) ~ 2018/12/29 (土)公演終了

満足度★★★★

新鮮で面白い芝居の誕生である。素材の中身的には社会劇だが、形は討論劇とか、SFと言ってもいいかもしれない。しかし、この舞台が新鮮なのは、今までの社会劇や討論劇にありがちの政治性や、結論目配せ型から抜けて、その素材を巡る関係者の生活実感の断片の集積を芝居にしていることである。
素材は原子力エネルギーと人間との関係である。1950年代、被爆国日本が原子力利用にかじを切った時代に原子力を推進した人々と、近未来の2040年、北海道の過疎地に使用済み燃料の保管庫が出来、そこの職員とが交錯する。二つの時代を交差しながら原子力エネルギーに向かう人間たちの生き方(考え方)が問われるが、議論が一方的になることはない。13名のキャストが何十もの役をこなしながら、二時間余り休憩なしで、台詞のシーンが続くが、原子力エネルギーについての概論から、現状や未来まで、多くの幅のあるデータが無理なく提供されていく。飽きることはない。結論も示唆しない。今までも多くの社会劇が、「幸せな」問題解決をアピールしてきたが、それで幾何の解決がなされたか。実は結論を決められないところに現代の問題があると作者は言っている。そこが画期的に新しいと言えるだろう。だが現実に問題は起きているのだ。
作者がかなり我慢強くなければこういうドラマは書ききれないだろう。ことしは海外から「チルドレン」国産では「テンコマンドメント」のような原子力をめぐる新しい舞台が上演され、ともにいいドラマであったが、既成の劇の延長線上だった。これはちょっと違う。
この芝居を「クリティカル」な場にある人々に見せてみたらどうだろう。例えば、国会の科学の専門委員会、とか、現に原発がある地域の公民館とか。委員会や住民集会とは違った人間的な新しい反応が出るのではないか。そういう反応を生み出すのは、やはり、そこが演劇の力なのだと思う。詩森ろぼ、急成長である。現代のブレヒトだ。




ネタバレBOX

作劇上二つ課題があると思う。劇の前提として、2024年に浜岡で南海地震による第二のメルトダウンがあったことで45年の場が成立していること。もう一つはエネルギー枯渇が世紀末には必ずやってくる設定になっていることである。この前提がエクスキューズになって、舞台がSF的な甘さになっている。それで観客もその場を楽しめると言う事はあるのだが、70年代のローマクラブ予想がSFにすぎなかったことが現実にあるわけだから、そこはもう一つ配慮がいると思った。

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