旗森の観てきた!クチコミ一覧

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カタルシツ演芸会「CO.JP」

カタルシツ演芸会「CO.JP」

イキウメ

SuperDeluxe(東京都)

2018/12/19 (水) ~ 2018/12/28 (金)公演終了

満足度★★★★

イキウメの番外公演。最初に安井順平が口上で、ドラマとコントの融合を狙ったが、コントの比重が高くなってしまった、と話していた通り、イキウメ的コント集であった。
ドラマとコントの違いをどこに引くかは、キマリがあるわけではないだろうが、確かにリアリズムと合理性、継続性(脚本から演技までの)を基盤としている演劇と、抽象性を基盤に即時性、身体性、偶然性を笑いにつなげるコントとは、同じステージ表現としてもお互い逆行する思考法で成立している。
イキウメの舞台は、ときにそこを何もなかったように越えているところがあるのが魅力だが、そこを意識的にやってみようということか。
今回の演目は7コント。ニ三分のものもあるが、やはり劇団が作ったものだけに、コミュニケーション不在をネタにした「霊媒師」(背後霊ならぬ前方霊がある)「インタビュー」(あいづちの打ち方)、言葉についての「手術」(カム、ということ)が面白い。コントとしては、芸人では面白くならない風変わりな面白さである。それだけ、理に落ちてはじけきれないところもある。
出演者では、紅一点の東野洵香が、独特の無神経キャラを押し強く演じて(少し気味悪くなるくらい)出色だった。
しかし、こういう劇団的に言えばエチュード集、みたいなものを集めて、面白く見せることもできるのではないだろうか。先刻見た30年続いた「アラカルト」も最初はエチュード集から出発している。うまくショー化して興行的にも定着して観客が楽しめるよような【演芸会】にしてほしい。

あゆみ

あゆみ

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/12/15 (土) ~ 2018/12/26 (水)公演終了

満足度★★

新宿のはずれの雑居ビルの4階の小スペース。ほぼ、四角のスペースを囲んで30席。約10席はどうやら出演者のご両親と見えるかたがたで、10隻は空席。何だか身内感横溢のヒルの回だった。現代女性のありようを、8人の白い同じ衣裳の若い女優が中央のボンを回りながら、リレーのように次々と演じていく、という趣向。主人公も、飼い犬まで演じるわき役も、次々に代わるのは新趣向だが、肝心の女性のあり方が、意図的なのかもしれないが、徹底的に平凡である。この演出形式だと、性格を立てた役を作れないのは仕方がないが、その退屈さは、演出の趣向や音楽を演奏してみたりしたくらいでは防げない。幕開きで生まれた女性の人生の60年くらいの年月が語られるが、舞台の時間の設定はあいまいである。地方から出てきた女性が新幹線の車窓の富士山に感銘する、なんてのは、まるで漱石時代の古めかしさで、現代感がない。学校でミステリ読書会に入るなどという極めて特殊な設定も出てくるが、学校のミステリの会は、早慶京以外は、現在は壊滅状態である。恣意的なのは普遍につながらない。ただの行き当たりばったりである。俳優たちも個性を立てない演出に加えて、動きも円形の場に限られ、役も変わるので、俳優個性を生かす場がない。振り付けも平凡。90分。

ネタバレBOX

舞台を見るのは退屈だが、この本を高校演劇などでやってみるのは、演劇が総合的なものであることがよくわかっていいのではないかと思った。今の子供たちなら面白がってやりそうが、そこは早く抜けて、別役や野田のように歯ごたえのある戯曲に取り組んでほしい。きっと、この舞台よりずっと面白い世界が待っていると思う。
音楽劇 道 La Strada

音楽劇 道 La Strada

梅田芸術劇場

日生劇場(東京都)

2018/12/08 (土) ~ 2018/12/28 (金)公演終了

ファン集会で「見る」ものじゃない、と言われている公演に幸いチケットが(定価で)手に入ったので劇場へ行った。昔ルボー演出のベニサンピットのイプセンがよかった記憶が残っている。
グローブ座も敬遠する人は多いが、舞台だけ見れば、健闘している公演もある。打率はそう悪くはないのではないだろうか。今回も、かつて、海の夫人を両サイドの客を入れて上演した同じスタイルを日生劇場でやっている。おなじみのジェルソミーナの話を軸にして音楽劇にしている。やはり狙いはファンご機嫌伺いの公演なのだが、サーカス団の群衆演出(綱渡りの使い方等うまい)とか、振付とか、衣装とか、舞台が独特の様式性でまとまってその期待には応えている。しかし、この本だと、肝心の主演者が場をさらう場はほとんどない。まさか裸を見せればファンは満足だろうとおもっているわけではないだろう。テレビなどでは芝居のうまい人だけに、ここはファンでない外国人に脚本を任せたのが拙かった。もうひとつ、音楽劇と言うなら、もう少し音楽に神経を使ってほしかった。映画の名だたる名曲があるのだから点が辛くなる。これでは主演者の実演を見に来たファン以外は納得しない。
ジェルソミーナを薄幸の少女にしたのもよくわからない。どうせ、ジュリエッタ・マシーナのようなことはできないと、ハナからら思っているのなら、この企画は再考すべきだった。添え物扱いで可哀そうでもある。

アトムが来た日

アトムが来た日

serial number(風琴工房改め)

ザ・スズナリ(東京都)

2018/12/20 (木) ~ 2018/12/29 (土)公演終了

満足度★★★★

新鮮で面白い芝居の誕生である。素材の中身的には社会劇だが、形は討論劇とか、SFと言ってもいいかもしれない。しかし、この舞台が新鮮なのは、今までの社会劇や討論劇にありがちの政治性や、結論目配せ型から抜けて、その素材を巡る関係者の生活実感の断片の集積を芝居にしていることである。
素材は原子力エネルギーと人間との関係である。1950年代、被爆国日本が原子力利用にかじを切った時代に原子力を推進した人々と、近未来の2040年、北海道の過疎地に使用済み燃料の保管庫が出来、そこの職員とが交錯する。二つの時代を交差しながら原子力エネルギーに向かう人間たちの生き方(考え方)が問われるが、議論が一方的になることはない。13名のキャストが何十もの役をこなしながら、二時間余り休憩なしで、台詞のシーンが続くが、原子力エネルギーについての概論から、現状や未来まで、多くの幅のあるデータが無理なく提供されていく。飽きることはない。結論も示唆しない。今までも多くの社会劇が、「幸せな」問題解決をアピールしてきたが、それで幾何の解決がなされたか。実は結論を決められないところに現代の問題があると作者は言っている。そこが画期的に新しいと言えるだろう。だが現実に問題は起きているのだ。
作者がかなり我慢強くなければこういうドラマは書ききれないだろう。ことしは海外から「チルドレン」国産では「テンコマンドメント」のような原子力をめぐる新しい舞台が上演され、ともにいいドラマであったが、既成の劇の延長線上だった。これはちょっと違う。
この芝居を「クリティカル」な場にある人々に見せてみたらどうだろう。例えば、国会の科学の専門委員会、とか、現に原発がある地域の公民館とか。委員会や住民集会とは違った人間的な新しい反応が出るのではないか。そういう反応を生み出すのは、やはり、そこが演劇の力なのだと思う。詩森ろぼ、急成長である。現代のブレヒトだ。




ネタバレBOX

作劇上二つ課題があると思う。劇の前提として、2024年に浜岡で南海地震による第二のメルトダウンがあったことで45年の場が成立していること。もう一つはエネルギー枯渇が世紀末には必ずやってくる設定になっていることである。この前提がエクスキューズになって、舞台がSF的な甘さになっている。それで観客もその場を楽しめると言う事はあるのだが、70年代のローマクラブ予想がSFにすぎなかったことが現実にあるわけだから、そこはもう一つ配慮がいると思った。
グッド・バイ

グッド・バイ

地点

吉祥寺シアター(東京都)

2018/12/20 (木) ~ 2018/12/27 (木)公演終了

満足度★★★★

文芸作品のラップ版とでも言えそうな舞台だ。地点の舞台は、作品ごとに舞台構成が凝っていて、今回は舞台一杯に横に長いカウンター置かれ、その上にズラリと和洋酒の瓶が並んでいる。その上に草木が垂れている植え込みのある二重があり、そこで3名のバンドが終始、演奏を続ける。俳優は7名、そのカウンターの前で、リズムを踏んだ「グッド・バイ」という言葉を軸に、太宰の作品を引用しながら、太宰の死に至る経緯をラップ調に語っていく。75分。ずっと演奏は続くから、合わせるバンドも大変だが、俳優も息を合わせながらの動きもあるし、一時間を超えると、言葉が聞き取れにくくなる。それでも、太宰の言いそうなことはわかっているので、ついてはいける。
太宰の世界は、酒飲みのご託にすぎぬ、というクールな場を設定しておいて、そこから太宰のおなじみの言葉を次々と例の地点的振付とともに俳優が語る。バーの上に飾られたのは玉川用水の土手の草花と言う事も解ってくる。太宰の世界の相対化である。
それはそれで、面白く見ていられるし、その音楽とテキストと動きを統合したな独特の舞台の完成度は高く評価できるのだが、仕掛けが解ってくると、太宰の世界の中をぐるぐる回っているだけで、地点らしい批評性が見えてこない。飽きてくるころに、太宰の生涯もおわる。バンドも俳優も、75分演奏を続け、歌い(語り)続けるのだから、その迫力はあるのだが、全体は、いつものような硬軟取り混ぜた舞台の批評性が乏しく、一本調子なのが残念だった。
それにしても、地点のような若い劇団でも太宰に惹かれてクールになりきれない、というのは意外だった。私は、太宰の甘えた被害者意識も、その裏がえしのエリート意識も、日本人の根底に巣ぐっている情念とは思うが、あまり同感できない。グッドバイだ、ということを、地点らしい表現で期待していたのである。





移動レストラン 「ア・ラ・カルト」

移動レストラン 「ア・ラ・カルト」

遊機械オフィス

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2018/12/14 (金) ~ 2018/12/26 (水)公演終了

満足度★★★★

劇場の空気が他と違って柔らかだ。普段あまり劇場には通っていない二三人連れの客が年に一度の師走興行を楽しみに集まっている。常打ちだった青山円形で、ほぼ一月打てていた興業が劇場の閉鎖で、いろいろな劇場を転々とすることになって、今回は池袋の東芸の地下で半月。少しスペースが狭いがまずは青山の雰囲気である。ほぼ満席。
レストランを舞台にしたコントと音楽のショー、という形式で今回は30周年。劇場の閉鎖だけでなく、組んでいた白井晃との離別、とか一見楽しげなショーの裏側には多くのナマナマしい困難があったと思うが、高泉敦子が今なお、遊機械オフィスと名乗っているからには、小劇場を見取る後家の頑張りでこのユニークなショーを30年続けてきたのだろう。遊機械の考え方は、いまは多くの演劇人に受け継がれ発展しているし、即興コントから発展したこのショーも、少し規模は下がるが、昭和のパルコの「ショーガール」に比す平成の「アラカルト」と誇っていいだろう。
高泉敦子は柄は小粒だし小技がうまい役者だから、セットもレストラン一つという場でショーを成立させるためにずいぶん細かい工夫をしている。本では、ほとんど種も尽きているのだが、キャストも少しづつ変え、音楽の編成も工夫し、ゲストも日替わりでも行けるようにして、3時間の長丁場なのに、とにかく客をそらさない小技満載である。
今日のゲストは落語家の昇大。こういうゲストが違和感なくハマるところが、このショーといいところでもあるのだが、せっかく旬のゲストを呼んでいるのに、しかも、話が「都都逸」にまで行っているのに、この江戸文藝の面白さを専門家の昇大に話させない。惜しい。そういうところも、学生劇団上がり(というには年月がたっているが)の小劇場の甘いところでもある。
既に三十年、客席には若い人は少ないし、多分それ程共感もしないだろう。舞台は残酷でどこかで潮時がある。ここはいい退け時かもしれないし、たとえ、小さくなってもつぶれるまでやる、という手もある。つくづく三つ目の曲がり角、うまく曲がってくれと、ファンは思うのである。
それにつけても、こういうショーを定着させるのはものすごく難しいのだ。キャストだけではない、スタッフ、劇場、観客の息がそろうのは珍しい。あとはコマの地下でやっていた「ショー泥棒」位しか類例が浮かばない。ショーでなくても芝居でもいい。こういう季節と共に上演される劇場が作る風物詩はもっとあっていいと思う。歌舞伎には昔からそういう演目があったしいまは京都で師走興行が行われている。夏には椿組の花園神社興業もあるが、客が季節で楽しめる興業が欲しい。かつて竹中直人の会の晩秋の岩松芝居のような。いまなら、イキウメの図書館的人生かな。そういうことで芝居が市民生活の中に入っていくだろう。今日のアラカルトの観客こそ、いま演劇界が最も開拓しなければいけない市民層だと思った。




エダニク

エダニク

ハイリンド

シアター711(東京都)

2018/12/07 (金) ~ 2018/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★

先週見た三鷹の星のホールが見事だったので、同じ作者の舞台を追っかけ気分で見にいった。期待にたがわず。いやぁ、旨い作者は何でも書けるんだ。
こちらは三鷹の「逢いにいくの、雨だけど」とはがらりと変わって、喜劇調。松竹新喜劇の座付も勤まりそうな笑いのシチュエーションに、台詞の運びも「超」うまい三人芝居である。この戯曲は09年に自分の劇団でやった作品の再演と言うが、まったく古びていない。食肉処理場と言うなにかと難しい舞台を使いながら、笑いの中に、今も続く(これからも続きそうな) 社会問題から哲学的問題まで、現代社会の課題を生活者の目で巧みの潜らせている。関東の小劇場のように、声高に主張したり、これ見よがしに斜に構えたりするところもない。観客が芝居を見るたのしみを心得た心憎い大人の作りなのである。
登場人物は三人でその居場所も狭いものだが、その生活の場から笑わせながら大きなテーマにに広がっていく。類型的な人物設定ではあるが、キャステキングがうまくハマって、扉座の有馬自由など、久しぶりに生き生きしている。初めて見る比佐一平も、現代青年のガラを抜けた演技をする。この二人が芝居の進行とともに、観客の期待を裏切りながら変わっていくところが面白い。最後の四分の一ほどは少しドタバタになりすぎたかとも思うが、上滑りはしていない。90分。
この作者、私は今年3本目、どの作品もそれぞれによかった。いまは百人級の小屋だが、来年は、たちまち売れて200人級の小屋を席巻しそうだ。さて、そこから次が難しい。多くの期待を背負った関西の人たちがここで失速している。しかし、この作者は、戯曲の木目が細かいから折れないとも思う。年末の来年への愉しみが増えた。


「月に憑かれたピエロ」「ロスト・イン・ダンスー抒情組曲ー」

「月に憑かれたピエロ」「ロスト・イン・ダンスー抒情組曲ー」

KARAS

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2018/12/01 (土) ~ 2018/12/04 (火)公演終了

満足度★★★★

現代音楽にコンテンポラリーダンス。充分新しいのに、古典的な風格のある舞台で、唯々その「完成美」に圧倒された(月につかれたピエロ)

評決-The Verdict-

評決-The Verdict-

劇団昴

あうるすぽっと(東京都)

2018/11/29 (木) ~ 2018/12/11 (火)公演終了

満足度★★★★

ミステリのベストセラーで、映画にもなってヒットした原作の舞台化である。ただし、それは四十年ほど前のこと。(原作は78年、映画は82年。脚本・マメット 監督・シドニールメット、主演・ポール・ニューマン) 今回は海外で脚色された台本の日本潤色版である。クレジットに構成・演出となっているから,かなり手を入れて2時間半(休憩10分)にまとめたものだろう。
原作の舞台は保守色の濃い東海岸のボストン。若気の至りで周囲に構わず正義に走り、中年に及んでアルコールにしかいき場がなくなった弁護士ギャルビン(宮本充)が、一念発起、教会のバックアップのある大病院の名医たちの医療過誤裁判の被害者の弁護人となり、勝訴するまで。その間に、アメリカ社会の基盤である保守的なさまざまの勢力(宗教(キリスト教)、裁判官制度(弁護士制度)、最新医学システム、民族・人種差別、などなど)が拮抗するアメリカの国情が告発されている。映画もその辺に重点を置いて、一種の社会ドラマとして評判にもなったが、今、日本でそのまま芝居にするには苦しい。
劇場の無料パンフレットによると、演出の原田一樹も原作と日本の観客の間でかなり悩んだようだが、結局はミステリ調裁判劇を選んだ。(少しわき道にそれるがこのパンフレットは充実していていいのだが、薄い黄緑の地に白抜きの字と言うのは劇場の明かりでは読めない。家へ帰ってからでも読むのに苦労する。意外にこういうところに無神経なのも昴らしくはあるのだが、折角のパンフレットが無駄になる)
不利な状態の中で、どうやって裁判で勝つか、というゲーム的な面白さを軸にしているわけで、幕開きはまず事件現場の手術室から、始まり、訴訟の中心点となる4分半の心臓停止からの回復時間、手術予備の記録が正しいか、などなど、医療過誤の焦点も解りやすく、それを守ろうとする病院側とそれを破ろうとする弁護士側、の攻防のサスペンスも面白い。裏では被告側大弁護団が送り込んできた女スパイ、などという原作の設定も生かしていて(この話をカットすると丁度いい時間になると思ったが)、裁判劇としてはよくまとまっており、飽きさせない。登場人物30名近く。配役キャストで22名だから、大劇団昴の大作である。もともと翻訳劇はやりつけている劇団だから、翻訳調台詞には日ごろ吹き替えで稼いできた実力もあって、よくこなして、まるで、映画の実演を見ているようだ。
それはそれでいいが、この原作や映画持っていた、原作の医療と裁判の告発劇としての苦渋や、映画のアメリカで生きる人々の造形はなくなってしまった。例えば、主人公を支える古くからの先輩弁護士モーとの交流、証人として金で買うトンプソン博士が黒人であること、などは落ちてしまっている。主人公の裁判に立ち向かう動機も、被害者への同情と正義感だけになっていて、解りやすいがそれだけ薄くなってしまった。
原作の終わりは、皮肉で秀逸な終幕になっているのだが、それは映画でもこの芝居でも採用されていない。
医療や裁判を巡る功罪はいまも大きな問題になっていて、時宜を得たものではあるが、裁判劇の面白さを越えて訴えるものにはならなかった。

逢いにいくの、雨だけど

逢いにいくの、雨だけど

iaku

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2018/11/29 (木) ~ 2018/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

本年度屈指の舞台である。テーマは、現代社会に生きるために誰もが直面する‘意図しない「加害者」と「被害者」の関係’である。奇しくも、今週は同じテーマで青年座の「残り火」(瀬戸山美咲・作)も上演された。ともに、今までの社会問題劇を超える秀作だ。素材は残り火は交通事故、こちらは、児童の集団生活のなかでの事故である。
二組の親しい家族の子供がキャンプに出掛け、子供らしいいさかいから一方は加害者になり、一方は被害者になる。被害者は左目を失った。これをきっかけに親しい家族は別れる、27年経つ。(残り火は12年後である。こういう時間の設定も共にうまい)
この事故は、二組の家族にどのような痕跡を残したのか。作者は、家族と本人、さらに周囲の人々それぞれの生き方の中にその痕跡をたどっていく。劇のなかの時間は、事故のあった27年前(事故の前後)と、現在(加害者が社会的な評価を受け、それをきっかけに被害者に会う)の二つの時間だが、そこへ二つの時間を並行させながら、ドラマを集中させていく技術は、とても若い作家とは思えない巧みさだ。2時間、観客はどうなることかとハラハラしながら見ている。
小道具の使い方も、よく考えられていて観客の心をつかむ。凶器になるペンが母の形見とか、十二支の年賀状とか、心憎い。よくある社会劇が、社会の反応をメディアや官のシステム(警察、裁判、福祉など)を鏡にするが、そういう安易さが一切ない。どこまでも人間のドラマとして押し通す。見事としか言いようがない。
俳優は、Monoからナイロンまで、小劇場からの混成群だが、それぞれの柄と経験がこの芝居によく生かされている。演出が行き届いていて、まだまだこれからよくなりそうだ。
舞台には、野球場の観覧席を思わせる円形の階段が大きく組まれている。その階段と、観客席出入り口を使ってドラマは進行する。この色がブラウンと言うのもうまい。階段セットはこのころよく見るようになったが、ここでは、野球という競技からのスポーツ事故も絡めて、このドラマのテーマに即してうまく使われている。衣裳も的確で、小劇場によくある、そこまでは手が回りませんでした、という言い訳がましいところがない。
要するに、あの暗い田舎道をわざわざ三鷹のはずれの小屋まで行った観客に正面から向かい合っている潔い舞台なのだ。



ネタバレBOX

終盤、被害者の生き方の「許し」で、観客も救われる。しかし、それはかくも大きな「許し」と「犠牲」によって、辛うじて成立している、それが今の社会なのだと言う事を忘れさせない。そこがドラマ、演劇の力でもある。本年屈指の秀作と言う由縁である。
唯一、筆の走りでは、SNSまがいの野球場の管理人ではないか、とは思った。スポーツ障碍者と言う設定も捨てがたいし、SNS風と言うのもよく時代を表しているのだが、他の人物に比べると類型的にとどまった。。
青いプロペラ

青いプロペラ

らまのだ

シアタートラム(東京都)

2018/11/29 (木) ~ 2018/12/02 (日)公演終了

満足度★★★★

結局この芝居のキモはラストシーンだろう。そこはネタバレで。
トラム推奨の若い劇団と言うのに、芝居は過疎化の進む地方都市のスーパーマーケットのバックヤードである。近隣都市にt都会の大型スーパーが進出してきた地元密着のスーパーはたちまち立ちいかなくなる。そこに勤める従業員のさえない日常が1時間40分。登場人物もどこかに絞ればいいと思うが、集団で行く。話題も新聞などで知っている話ばかりで切実さが迫ってこない。地方都市を車で通りすぎていて、ここでどんな暮らしがあるのだろうと、部外者が想像する域を出ていない。若い集団らしさがまるでない。演技は新劇団と青年団の中間あたり。パンチがある俳優がいない。演奏者が三人舞台に出ていて演奏するが、これがクラッシク楽器でなく電子楽器に打楽器と言うのも切ない。
で、大型スーパーに押されて、ついに地方スーパーは運命の日を迎えるのだが(以下ネタバレ)

ネタバレBOX

そこで、唐十郎張りに正面の大きなシャッターがゆっくりと上がっていく。
と、その奥には、霧の流れる緑の山野が飾りこまれて広がっているのだ。誰もいない。
これは予想外だった。そうか、これは人類の自然帰りの話だったのかと納得したが、それにしては、現世の話が取り留めなくてこの幕切れにはうまくつながっていない。
でも、自分探しドラマにも、ダンスに逃げる芝居にも、グニャグニャと現実をなぞって嘆くのにも、空しく正義の声を上げるのにも疲れた若者がこういう自然回帰の芝居を作るのも何となく同情できる。
残り火

残り火

劇団青年座

ザ・スズナリ(東京都)

2018/11/22 (木) ~ 2018/12/02 (日)公演終了

満足度★★★★

息をのんでみているうちに芝居は終わった。時計を見ると1時間40分。テレビの二時間ドラマと同じ時間で、誰もが忘れていたい人間ドラマを見た。青年座が部外の作者に委嘱する作品は、劇団と息が合わず、お互いすくんでしまう作品も少なくないが、これは、今年一番のヒットだろう。
まず、脚本がいい。交通事故加害者と被害者の事故12年後の対決である。よくある話を両者の家族の対立に絞ったところがうまい。相似形の家族というのも、作りすぎた感じがしない。その家族を直接対決させる。鋭い対決の中でそれぞれの人生を動かしていく。第三者の加害者の面倒を見るやくざ者、被害者を押し出す週刊誌記者が家族の物語に効果的に噛んでいく。加害者と被害者にはそれぞれ法律のバックアップもあるわけだが、このドラマが優れているのは、そういう法律を越えた現実の社会の建前と実体の中に現代人の生き方の難しさをきちんと描いている。よくある「社会劇」のように、問題を政治や法律や社会階層やメディアのせいにしていない。日々の生活の中で誰もが巻き込まれる恐れがある事件そのものが、現代の人々の心と生活の荒廃を生んでいることを鋭く描いている。だからこそ、この異様な事件を観客は息をのんでみている。
青年座の老練な俳優がいい。中流の下あたりの市民の生活を活写する力がある。この舞台では主演の山本龍二(加害者)もいいが、脇のやくざ者〈山路史人〉、被害者の父(平尾仁)が動と静の対比を見せて、ことに平尾は抑えた演技で卓抜だ。女優陣もいいが、これだけ巧者に囲まれると若者は全員苦しい。しかし、これは若い俳優にとってはいい経験になるだろう。そこが劇団の良いところだ。
殆ど小細工なしで、劇的対立で押し切った演出もいい。
難を言えば、音楽が仰々しすぎる。テンポよく次へ、と行くには音楽は重要だが、これほどサスペンスタッチでなくてもドラマは深まったと思う。



サイパンの約束

サイパンの約束

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2018/11/23 (金) ~ 2018/12/02 (日)公演終了

満足度★★★★

長年舞台を勤めてきた役者というのはすごいものだ。渡辺美佐子、とても85歳とは思えない。老優が出てくると、それなりの配慮が観客にも見えてしまう舞台(それが当たり前、配慮でもあるのだが)が多い中で、この舞台でも配慮はしてあるが、ほとんど舞台の三分の二には出ていて新しい台詞を言う。どれほど早く脚本が出来たかは知らないが、この分量のセリフを覚えるだけでも大変なはずだ。激しい動きはないが、デリケートな表現は必要な役だ。歳を感じさせない動きもすごい。色気さえある。
大体、女優の方がすごいのは洋の東西を問わずのようで、ロンドンでも、ジュディ・デンチ、ヘレン・ミレン、などなど、いまも堂々新劇の主演を務めている。日本にも杉村がいた。人生百年時代、新しい老年世代をテーマに、これからの演劇の先達になってください。

ネタバレBOX

話は、戦前の一時期日本の委任信託統治領だったサイパン島の20世紀一代記のようなもので、そういう地域にはどこにでもあったような問題が、次々と展開される。その問題意識はいつもの坂手節で、それが渡辺美佐子に収斂していく仕掛けになっている。それにしても2時間半は長い、反復もある。渡辺美佐子さんご苦労さまと言うしかない。
十一月新派特別公演 犬神家の一族

十一月新派特別公演 犬神家の一族

松竹

新橋演舞場(東京都)

2018/11/14 (水) ~ 2018/11/25 (日)公演終了

満足度★★★★

久しぶりの劇団新派・新作一本建てで演舞場での公演である。かつては、ここの新派の舞台は、劇場との相性が良く、新派的花街・下町情緒があったのだが、今は無理に大店に入った場違いの店子みたいだ。それだけ、劇団が今のご時世に合わせる演目を発見できていないと言う事だろう。
暦をくれば新派の新作のヒットは「ハイカラさんが通る」が最後ではなかったか。今回の「犬神家の一族」は、ハイカラさんの本をまとめた齋藤雅文の脚本・演出。すっかり薄くなってしまった俳優陣にはベテランB作とタレント浜中がお手伝いに入る。で、映画で名高くなった横溝ミステリを、という企画だが、これが果たして50年前のヒット・乱歩「黒蜥蜴」みたいにうまくいくだろうか。
原作は、ミステリのジャンルとしては本格ミステリ。犯人を捜す面白さで引っ張っていくわけだから、当然、人間関係も複雑、被疑者も数多く、キャラの立った登場人物も多い。湖に面した山間の村で、三人の妾にそれぞれの男の孫がいるバイセクシュアルの大富豪の遺産相続で事件が起きる。その孫たちが家宝・家伝の「斧、琴、菊」にちなんで次々に殺される連続猟奇殺人の謎を巡って、ざっと数えて15人くらいの人物が、それぞれの思惑で動く。探偵役は金田一耕介。
時代は戦争直後。重要な時代背景の「復員」なんて言ったって今はなんのことだかわからないだろう。原作は本格ミステリとして評価が高く、人間関係、見立て殺人、犯人さがし、それぞれの動機背景など、ストーリーの展開に従ってよく考えられているが、現実的なリアリティはない。それを救っているのが、仮面の男とか、池から両足を逆立ちで突き出させる殺人方法など、ふんだんに盛り込まれた猟奇的なビジュアルな面白さである。
ところがそういう面白さは、映画では使えるが、舞台ではネックになる。舞台でできそうなのは歌舞伎の「菊畑」を模した菊人形殺人位で、脚本の齋藤雅文はさぞ苦労したと思うが、舞台脚本はそれらの原作の複雑な要素をほとんど取り込んで、その上、舞台としてわかりやすいように工夫している。原作脚色のうまさは高く評価していい。一部、原作を読んでないとわからないだろうと思う人物の説明不足もなくはないが、これだけ原作を生かせれば上々である。ことに、本格ミステリのドラマ化で本ではクライマックスなのに、舞台では退屈になってしまう最後の謎解きを、一幕の幕切れから二幕にばらして、謎解きを、それどぞれの役者の場をとれるシーンにしたのもお手柄である。
しかし、それで舞台全体が面白かったかというと、残念ながら、そうはいかなかった。
細かく配慮されているのはいいのだが、そこを乗り切っていく作品の情念が舞台化されていない。作品そのものはおどろおどろしいのに情念が足りないのは本格ミステリだからやむを得ないのだが、原作を立てたばっかりに、今の観客に通じる、舞台の芯になる情念が足りなくくなった。別の言い方をすると、猟奇殺人にも、金田一耕介にも、見ていて心躍らないのだ。芯になる八重子も久里子をいい歳になってしまったし、いまさら芸を変えるわけにもいかないだろうから昔通りの新派の芝居だ。懐かしいとも言えるが、そこで新派になればなるほど、浮いてしまう。
折角の演舞場の新派だが、そういうことが舞台全体を半端なものにしてしまった。

光より前に〜夜明けの走者たち〜

光より前に〜夜明けの走者たち〜

ゴーチ・ブラザーズ

紀伊國屋ホール(東京都)

2018/11/14 (水) ~ 2018/11/25 (日)公演終了

満足度★★★★

こういう手もあるかとは思った。
話は前の東京オリンピックのマラソン走者・円谷と君原のオリンピックを戦った後の、次のオリンピックまで。円谷は重圧で自死し、君原は我を通してメキシコでは2位になる。円谷遺書がよく知られているから、おおよそのことは皆知っている。50年前、当時のことだからパワハラもあったし、無責任ジャーナリズムもあった。
それを改めて今、舞台にかけるというのは、オリンピックが近いとか、スポーツ界のスキャンダルがあるとか、時勢を見てのことだろう。
しかしこれほど舞台に不向きな素材もない。42キロのロードレースをやるわけにもいかないし、円谷は自衛隊員、家族は確か30人ほどもいたはずである。遺書はその家族一人一人の名を記したところが泣かせ場のクライマックスだから、どうする。二人のランナーは気質も違うし場所も東北と九州。パワハラも自衛隊と八幡製鉄(新日鉄)だから、ありようも違う。映像は、オリンピック委員会の規制がかかっているから使えないし、ドラマにして、丁寧にやっていたら、時間はともかく、経費はどれだけあっても足りない。
そこを、この舞台は二組の選手とコーチ、ひとりの記者の五人の出演者のノーセットドラマでやってしまう。一種の証言ドラマ、記録ドラマである。朗読の変形と言ってもいい。五人のそれぞれの立場からのほとんどモノローグの中身なのだが、時折芝居になる。下手にやれば、寒々しいだけなのだが、これは事件の面白さで2時間は持つ。作演出は要領もよく、注文仕事を良くこなしてはいるのだが、うわべをなぞっただけという印象は拭えない。役者への注文もほどよかったようで、余計なことをしていないのでまとまってはいるが、この話は本来まとまりきれなかった男の話だから、限界がある。
それにしてもこの、当時の流行歌のようなタイトルは興業元らしいと言ってしまえば、それまでだが、もっと今風に考えないと、客は来ないよ。

遺産

遺産

劇団チョコレートケーキ

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2018/11/07 (水) ~ 2018/11/15 (木)公演終了

満足度★★★★

今年演劇ファンが最も注目している舞台と言っていいだろう。古川健もチョコレートケーキも正念場である。今年の乱作を乗り越えて、その期待に十分に応えた作品だった。
素材は戦時中の日本軍の満州での細菌兵器731部隊である。どの国でもあるが、いったん政府が拙いと秘密にした情報はなかなか出てこない。この舞台では、現在公知の情報に基いて(政府が認めたと言う事ではなく)書かれたフィクションという枠組みで、国という集団と、その中にいる個人、の関係を追っている。戦争が世界各地で目に見える形で行われているいま、極めて現代的なテーマである。
国には、個々の国民にとっては迷惑でしかない「戦争」を行う権力があり、個人には個人の尊厳に加えて、ここでは医学者の倫理と言う国を越えた普遍的なコードがある。
ここでは、戦争遂行のための反倫理的な兵器製造を巡って、両者の様々な尺度から見た対立が描かれ、カタストロフに直面した時の人間の対応と感情が問われる。それぞれの人物も登場人物としてよく書き込まれていて、2時間余だれることなく見せてしまう。相変わらず構成もキャラの設定も旨い。
今回感心したのは、現代の観客、90年代の今井の死、戦時中の満州、という今現在生きている三つの世代に広く網打ちした舞台を作ったことだ。どの世代でも、このドラマが問題にしている対立は続き、それがこの社会の考えるべき問題だ、と演劇の世界から明確に発言している。感動的な舞台でもあった。
しかし、と、ここからは注文になるが、特殊な素材をうまく普遍化することには慣れているはずの古川のはずだが、超特殊な素材だった「治天の君」ほどにも、人間的に広がらない。天皇夫婦に託した演劇性が、このドラマでは中村という医師に託されているが、彼のドラマとしての位置がどうだったのだろうか。また、最後に(以下、ネタバレ欄で)
この公演に先立って、「ドキュメンタリー」と言う公演があったが、これはなくもがなであった。中途半端で意味がない。しかし、情報に立脚している今回の公演が、成立する基礎として、この情報がどう出てきたかというドラマは、別の視点のドラマとして面白いと思う。歴史ドラマを扱うとき、史実かどうかは、今作者が気を配っているほど、重要ではない。デタラメをやれば、ネット攻撃にさらされうっとおしいことは事実だが、たとえ情報操作と言われようとも、世間が納得sる情報で発信するのはやむを得ないし、それでひるむことはない。日本ですら、この731部隊の裏側で、同時期に国内の演劇では、菊田一夫が「花空く港」を書き、森本薫は「女の一生」を書いていた。
現代では、前世代の単眼的視点を複眼で見直すことは必要不可欠である。この作品にはそういう第一歩も感じられた。




ネタバレBOX

最後に李丹の踊りに託したいわば融和のメッセージもあるが、これは無理やりの感じで決めすぎた感じである。かつて、岩松の芝居(水の戯れ)で快演を見せた彼女に出会ったのは嬉しかったが。
ガラスの動物園

ガラスの動物園

東京芸術祭

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2018/10/27 (土) ~ 2018/10/28 (日)公演終了

満足度★★★★

iアメリカの現代劇の代表作が、見事にフランスの芝居になっている。心理劇ではあるが、アメリカの庶民生活も色濃い作品だ。しかしこの舞台には白い大きな蚊帳のような布に囲まれた舞台があり、さらにその前には開閉する大きな白いカーテンがある。シーンによっては二枚の布越しに主人公の家族・母と姉の物語がきれぎっれな記憶によって描かれる。そこにはもちろんガラスの動物園が置かれているが、30年代のアメリカらしい場面はなく、音楽も効果音をミックスした抽象音楽である。この装置と、フランスの俳優たちのの自己完結的な芝居によって、家族の微妙な葛藤が、いままでみたことのない形で浮き彫りになった。演劇は地についたもので、上演の場所や製作の場所が変わると、こうも変わるものかと感じた。フランス版の「がラスの動物園」で、この作品の新しい魅力を楽しむことが出来た。ほぼ2時間半。

ライク・ア・ファーザー

ライク・ア・ファーザー

自転車キンクリーツカンパニー

OFF OFFシアター(東京都)

2018/10/24 (水) ~ 2018/10/31 (水)公演終了

満足度★★★★

久しぶりのジテキンである。5年の間にスタフだいぶ代わって、いまは鈴木裕美に代わって早船聡の作演出だ。最近は小劇場も主宰者色が薄れて、つまらない、ということもあるが、うまくいく、ということもある。ジテキンは一時元気がよかった女性主宰劇団で以前は、半分大人の三十台の現代人都会風俗劇を女性視点で、という作品が多かった。今回もどんどん強くなる現代女性の意気大いに上がるというドラマだが、仕掛けはびっくりするくらい古い。橋田ドラマ、と言ってもそろそろ通じなくなってきたが、一頃大流行のテレビホームドラマの枠組みである。小劇場でも最近はこういう古い家族ドラマを見ることが多くなったが、このドラマは、主役の内田亜希子、渡辺とかげが今の働く女性の現状をうまく演じて、古めかしい枠を突き抜ける現代性がある。それに比べ、周囲の男性キャストはいささか小劇場ずれ、キャラずれしていて、そつはないが、今の空気が流れていない。ここでも女性優位のところがジテキンの伝統かもしれない。
1時間45分。お客さん大満足で、意外に若い観客も乗っていた。

藍ノ色、沁ミル指二

藍ノ色、沁ミル指二

演劇集団円

吉祥寺シアター(東京都)

2018/10/18 (木) ~ 2018/10/28 (日)公演終了

満足度★★★★

昔懐かしい産業衰退劇である。昭和の時代には、左翼系新劇から、新派に至るまで、よく見た。絶滅危惧種かと思ってていたが、いや、日本社会の原点でもあるのか、なかなか滅びない。今回は極め付き!とも言うべき天然の藍染。東京の染屋一家のホームドラマが噛ませてある。呆れるほど、昔のママの筋立てで、よくこれで企画が通った、と見ていると、やはり、それは仮の姿で、作る方もしぶとく今の芝居にしている。
いまらしさのいいところは、昔は敵味方が明確にあって、金持ちとか行政とかは決まって敵役。善玉には可憐な不幸な娘がいて、というのが王道なのだが、この芝居はそんな野暮はしない。それぞれの登場人物の心の中に敵も味方もいる。これは少し配役上類型的だがかなりうまくいっている。もう一つ言えば、台詞。新派芝居のこってり情緒が似あいそうなセリフなのだが、全員イマ風、平板ぶっきら棒。三人兄弟の男の子が実の子でない、とか、月が出ていて、最後は月光の曲というべたさには閉口するが、そのべたさを救ったのはこの台詞の工夫で、老夫婦(野村昇史、高林由紀子)、親たち(金田明夫、上野直美)を演じたベテランがさすがに意図を呑みこんで旨い。だが、一方では、マイクが常識になった昨今では、生台詞は、かなり聞き取りにくい。台詞足が速いのはいいのだが、言葉に力がない。こういうところは少し工夫が欲しい。例えば、出場が少ないおばの高橋理恵子。舞台の奥での台詞なのだからもっと張らないと。そういう技術はある劇団円であろう。
今の芝居らしくないべたべたの話が、今もあるかもという現代劇になった。関係者も多そうな満員の客席は満足している。だが、多くのいい役者もいる劇団ならもっとやるものがあるんじゃないかなぁ。

The Dark City

The Dark City

温泉ドラゴン

ブレヒトの芝居小屋(東京都)

2018/10/15 (月) ~ 2018/10/21 (日)公演終了

満足度★★★★

国民のほとんどが新しい体制の中で新しい幸せが訪れると信じた幻のような時期があった。終戦直後の一時期。民主主義が新しいモラルとして国民の太陽だった。このドラマの実話・本庄事件は新劇団名優総出演で「ペン偽らず・暴力の街」と言う映画になった。同時期のもっとやさしい例では「青い山脈」の大ヒット。あの主題歌を、ほんの一部の国民を覗いて,みなが合唱して幸せを感じられたのだ。だが、それは幻で、世間はそれほど単純でなく、誰もが生きるモラルを失っている70年後の今の現実だ。この横文字のタイトルの小劇場のドラマは、70年前の地方都市の街の支配者と新聞社支局との攻防の中でジャーナリズムが民主主義政治成立させる基本要素だと言う事を、過去の事件と過疎となったその町を交差させながら描いていく。
昔、昭和20年代から30年代にはよく新劇団が上演したプロテスト劇の味わいだが、その後、この路線はすっかり観客に飽きられて、わすれられて久しい。この舞台を作っている人たちは、最年長の大久保鷹ですら、その実感はないだろう。ドラマの空気が懐メロ風になってしまうのも時代の流れだ。
だが、それは無意味と言う事ではない。歴史の中で土地に沁み込んだ記憶は、どこかで、今を生きる人に影響を与えることは必ずある。劇場はいつ閉館するかと危ぶまれている旧三期会のブレヒトの芝居小屋。何十年ぶりかで、ここで芝居を見たが、古びているが手入れはされていて、機能している。芝居と共にそのことに心を打たれた。

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