満足度★★
「罠」「検事側の証人」と並んで「ミステリ劇」の代表作と言われている戯曲。あとは、「スルース」とか「デストラップ」とか。いかにもウエストエンドで役者を変えてはかかりそうな著名ミステリ作家の筆になる作品たちだが、この作者ノットは「ダイヤルMを回せ」とこの作品だけが著名。ほかには一作しかない。それで十分の資産家だったようだ。
原戯曲はサスペンスとしてよく出来ていて、日本でも何度も上演されていてる。主人公が交通事故で視力を失った視覚障碍者(凰稀かなめ)の若妻。見えないと言う事以外は一般人の女性が、たまたま自宅に持ち込まれることになった麻薬犯罪のブツを狙う犯罪者たち(加藤和樹、高橋、猪塚)と対決することになる。主人公が見えないと言う事や、事件が起きるのが一般家庭であること、主人公の夫が写真家で自宅に現像室がある、などの条件を生かして、ドアがドンドンとノックされるたびに、主人公に何か起きるのでは、とサスペンスが高まっていく。
今回の美術はかつてパルコ劇場での上演の朝倉摂の美術を踏襲して、中央に階段があってそこが出入りになっている。半地下の部屋は、作品が書かれた1966年当時の市民生活を良く写しているのだろう。介助のために訪れる上の階の少女(黒澤美澪奈)とはつながるパイプ管をたたいて連絡するとか、現像室の作業中には赤ランプがつくとか、冷蔵庫は別電源になっているとか、細かく一般人の生活を生かしている。五十年前の話だから、電話が固定しかないとか、麻薬運搬の手法が牧歌的なところは致し方がない。それを認めてもうまく出来ている戯曲なのだ。
ところが、俳優たちがそろって大振りで、サスペンスが生きない。細かいリアクションが出来ないし、セリフ術が拙い。今はマイクがあるのだから、小声の会話も成立するのにその技巧がない。悪役三人組が平板で面白くない。加藤はみえをはりすぎ(2・5ディメンション出身らしい)、高橋、松田は力不足。主役の凰稀かなめ、目が見えなくとも凛と立つ役なのだが、芝居が細い。対決する主役同士がこういう調子だからハラハラしない。
少女(黒澤美澪奈)は脇のいい役どころなのだが、どういう位置なのか、芝居が定まらない。芝居を見ていると、外を見るときにブラインドを下げて下を見る。おや?、ここは2階か三階か、と感じる。そういう小さな違和感が随所にあって、行き届かないから芝居がますますつまらなくなる。そこは演出が決めてやらなければいけないだろう。
戯曲は、ミステリ劇の商業演劇ながら、突然交通事故で失明した若い女性の自立物語でもあり、何かというとすぐバッシングの対象となる今のご時世でも障碍者を主役にしたいい芝居だ。もっとうまくやれなかったものかと残念だ。
それにしても、これが8,800円は、どう贔屓目に見ても高すぎる。