工場
青年団リンク 世田谷シルク
こまばアゴラ劇場(東京都)
2019/08/13 (火) ~ 2019/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★
二三年前の横浜公演が最後だったか、久々の世田谷シルク。もっとも初観劇は「赤い鳥の居る風景」(座高円寺)だから大した数を見ていないが...気になる作り手の一人。修行を経ての現・世田谷シルクをアゴラで鑑賞した。
今作は身体パフォーマンスを封印し、主宰自身も結構喋る現代口語劇は世田谷シルク的に新鮮だったが、師匠の土俵に敢えて乗っての勝負だろうか。演劇人やるのも「楽じゃない」オーラが堀川女史の小さな体躯から滲むせいか(勝手なイメージ)、題材へのこだわりもそぐわしく、そしてその期待を裏切らぬ酸味と渋味の効いた一編だった。
無論、架空の国の設定ではあってもリアルの芝居なればリアル基準での評価は避けられないが。
4 A.M.
青年団若手自主企画 川面企画
アトリエ春風舎(東京都)
2019/08/08 (木) ~ 2019/08/12 (月)公演終了
満足度★★★★
経験と実績を積んだ若い演劇人が修行のために門を叩く青年団併設無隣館。ハイバイ川面千晶の名を見てオヤと思ったが、確かハイバイで川面作品をやった何か公演があった(未見だが)。骨のある俳優というイメージは滲み出る人柄だろうか、狭いアトリエ春風舎とはいえ早々に完売なのには驚いた。
この企画は菊池明明と二人で立ち上げたという。パンフの協力者欄には豪華な演劇人の名前が並び、一体何の協力を?と興味が湧く。
舞台「4 a.m.」は2時間に及ぶケラ作品。(先般モメラスが上演した同名の短編ではなかった。)成長株山田由梨の演出も見ものだったが、初めて目にするケラでない演出によるケラ作品舞台には様々発見があり、芝居としても(春風舎だと忘れる程。失礼)面白かった。
川に沿った国境を南から北へ移って来たある夫婦の家のお話。屋根は持ち得ているが食糧難、政情不安定。場所(国)、時代とも、どこかに重なりそうで重ならず(虎が出てくる等着想は北朝鮮に違いないが)、荒唐無稽だが一定のリアルを保ち、信憑性あるドタバタ故に深刻になる暇がない、ケラ流ディストピア劇をが現出していた。
役者も大奮闘、また「奇妙な現象」を起こす舞台上の仕掛けたち、とりわけ赤いアレを作った小道具に拍手。
名探偵ドイル君 幽鬼屋敷の惨劇
糸あやつり人形「一糸座」
赤坂RED/THEATER(東京都)
2019/08/08 (木) ~ 2019/08/12 (月)公演終了
満足度★★★★★
こいつぁケッサク。ハチャメチャだが好みである。
例を挙げれば、以前観た名取事務所「背骨パキパキ回転木馬」の感じが近い。これは別役実の「新作」ではあったが、演出ペーター・ゲスナーに拠れば病床にある別役氏から渡されたのは殆どエッセイに近い短文のコラージュのようなものだったとか(逐語的ではないがそういう趣旨)。要は別役戯曲の醍醐味たる「会話」が殆どない。しかし、脈絡のない場面の連なりの中に通底する気分や雰囲気は確かに流れており、これが何とも言えず美味であった。
さて作・演出天願大介、幽鬼屋敷が舞台と来れば、冷気が漂うmetroの隠微で猟奇な世界を想像したが、真反対とも言える乾いた笑いのある舞台。文脈無視スレスレの際どさがあり、自由と言えばあまりに自由に様式の壁を超え、拡散気味であるが私には「散漫」でなく包摂を感じさせる「気分」があった。
人形劇の懐の広さの秘密に接近した気もする。操る人間と、人形との関係が既に見えている(晒されている)特質が、人形の出ない場面にも波及していた。
「ドイル君」では、人間と人形というサイズ的(だけではないが)開きの間にドワーフが加わる事により、何でも可という条件が整い、最大化しようというベクトルが働いたかも知れない、と想像する。役というより本人そのものであるマメ山田の役との距離感・遊び方は唐十郎の域。言わば「素」場面がシュールに成立する事が最大の現れで、ヒール役がマイクを持って歌えば本来味方役である綺麗どころ2人がノッてライブノ盛上げ役をやるというハミ出し場面まである(ここだけはとっつき兼ねたが)。
物語として大したカラクリは無いが、この気分と雰囲気は希少であり、買いであった。そして「幽鬼」屋敷の住人である(人類を異種配合して改造したという)異形の生物らの「存在じたい阿鼻叫喚」の造形はやはり人形劇ならでは。嫌悪に笑うしかない。
そう言えば物語には関わりのない、人形だけで演じる情緒たっぷりな無言劇など挿入されるが、なぜか違和感なくウェルカムであった。
ただしこれは全て計算ずくの成果だろうか・・偶然の要素も幾分ありそうに思う。いずれにせよ演劇の「不思議」の賜物であり、言うまでもなく、実力ある演者の芸の賜物でもある。
楽屋 流れさるものはやがてなつかしき
新宿梁山泊
ザ・スズナリ(東京都)
2019/08/08 (木) ~ 2019/08/11 (日)公演終了
満足度★★★★★
パンフに書かれた「楽屋」の上演歴(5回ばかり)の中程に2003年満点星(新アトリエ)とあるのを見て、当時劇団から届いていた案内葉書に『楽屋』とあったのを朧ろに思い出した。この時足を運んでいたら『楽屋』は果してmy favouritレパとなったか。。(否、と思う)
しかし私の初演劇体験のテントに確かに居た、度会久美子と三浦伸子、以後20年以上梁山泊の舞台に彩りを与えてきたレギュラー残留組二女優を幽霊コンビに据えた「楽屋」は開幕から魅せた。
細部の処理によって無限に近い正解がある(が不正解もある)この演目の、今回も目から鱗の発見があり、主宰金守珍にはその確かな演出力を改めて見せつけられた。そして4女優の細やかな演技、金氏がつけただろう細かな動きや趣向。幸福な70分であった。感謝、感謝。
怪物/The Monster
新国立劇場演劇研修所
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2019/08/03 (土) ~ 2019/08/05 (月)公演終了
満足度★★★
作者A・クリストフが「悪童日記」で小説家デビューする以前(70年代)に寓話的な短編戯曲を物していて、邦訳されたのが2巻に収められている。舞台で観たのは「エレベーターの鍵」と「道路」で「怪物」は初めて。しかも新国立の本公演より面白い事もある研修所公演だけに期待大であったが・・
アゴタ戯曲は、読んでその喩える所を考えるには楽しい読み物だが、舞台化は難しい(不可能ではないだろうが)と思っている。「怪物」は、未開時代のとある村に現れた「怪物」を廻る年代記で、時間経過を挟んだ数場面から成る短編。各章の記述も最小限なので、読む分には想像力で余白を埋め、もしくは保留しながらでも読み進む事はできる。結語に皮肉を読み取ってにんまりしたりゾクッとしてみたり。
だが舞台上の時間を進めるとなると、演出的工夫を要求する粗さがある。
戯曲を大きく分ければ二つ。前半は異臭と醜さを放つ「怪物」(ある日獲物をしとめる罠にかかっていた)を、最初村人は退治しようとするが手を尽くして叶わず諦め、やがて怪物の背中の花が放つ匂いの虜になってしまう。そうして幸福感に満たされた人間が怪物の口の前に姿を現わすと怪物は人間を食み、大きさを増して行く。後半は、怪物が肥大して二つ目の村も飲み込まれてしまったのを受けて、敢えて怪物を避け花の匂いを嗅がずにいる(怪物を憎み続ける事が出来ている)主人公の青年と村の長老が、「村が消えた」村人の不安感を追い風に、怪物の周囲に高い石塀を作り、近づく者は容赦なく殺す、という取り決めが作られた。時が経ち、二人を除いた最後の村人だという男が塀の前に現われ、村人たちは全員殺され生き残ったのは自分だけである事、生きていても意味がないので怪物に食われて死ぬために禁を侵してやってきた事を青年に告げる。男は、「最後に花の匂いを嗅がせてくれ」と懇願するが、青年は無慈悲に答える「あと一息で怪物はようやく消える。今人間を食べればまた膨れ上がり、元に戻るのに何十日も掛かる。私はここに近づく人間を殺してきた、村人も、自分の肉親さえも。勝利は目の前だ」
男がフラフラと石塀に近づくと青年は容赦なく撃ち殺す。長老は青年を讃え息絶える。
この話は「怪物」も花も姿を見せないし(見せてみたとしても象徴的提示にしかならないだろう)、村人の生業や慣習、人間の三大欲求と怪物の放つ香りとの優劣や棲み分けなど、全体として理解する(リアルに想像する)ディテールがない。従って、観劇においては全てを象徴と捉えその含意を汲み取る、という事が求められる。
ではどう読めば良いのか。(長文につき後半はネタバレで)
『熱海殺人事件』 vs. 『売春捜査官』
燐光群
ザ・スズナリ(東京都)
2019/07/26 (金) ~ 2019/08/06 (火)公演終了
満足度★★★★
燐光群とつかこうへいの取り合せは以前沢野ひとしをやった時のような意外性からの成功のパターンか、失敗かのどちらか・・迷ったが好奇心には勝てず千秋楽を観た。
つかこうへい作品のエッセンスは、あるアマ劇団の気合いの入った舞台を一度観て辛うじて片鱗に触れたのみだが、それでも十分なインパクトがあり、当時の日本演劇の画期であった所以を了解した(つもり)。従って今回はつか作品の換骨奪胎が勿論狙いではなく、つか演劇という実体を掘り起こして現代という土俵に据える試みに大いに期待をした。
(続きは後程)
月がとっても睨むから
Mrs.fictions
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2019/08/03 (土) ~ 2019/08/12 (月)公演終了
満足度★★★★
Mrs.fictionsの数少ない長編作、それも昨夏上演がお流れとなった新作の仕切り直し公演。どんな様相であろうか、若干尻込みしつつも興味が勝って近ごろ桟敷童子以外の利用も盛況のすみだパークスタジオへ赴いた。
昨夏の穴埋め企画で見た「花柄八景」(映像)、再演「伯爵のおるすばん」そして今回と、短い期間内に長編Mrs.舞台を立て続けに鑑賞する事に。
このユニット固有の持ち味それは実直さと丁寧さだろうか。笑いとシリアスいずれに関わらず、どちらかと言えば間を取る方を選ぶ場面の作りにその表れを見るのは単に錯覚だろうが、それが長所に思えているのは舞台の成功の所以だろう(もって回った言い方だが)。
書き手目線では、作者が力を注ぎ込んだ痕跡と成果を劇作の随所に見た。錯綜する多様なideaを一本の筋に織り上げ、言葉に息を通わせ、一つの物語世界を作り上げる。お蔵入りには惜しいと言わせるレベルに(当然ではあろうが)仕上げた。
涙目コント
MONO
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2019/08/01 (木) ~ 2019/08/04 (日)公演終了
満足度★★★★
前川氏のみ既成作品、横山・平塚両氏が書き下し、短編を入れ構成した土田氏と合わせ、四名の作者による「屋上」で展開するドラマ。企画に惹かれて観た。
やや時代がかった6階建て雑居ビルのさほど広くないリアルな屋上が、星のホールに組まれ、互いに関連しない人物が出て系統の異なる芝居をやる。同じ装置を別物として使い回すのでなく、同じ(ような)ビル屋上(一般人が入れる設定)として使われており、その点では趣きのある写実的な装置が用意でき、それでいて多様なドラマが展開するので不思議な感覚である。
星の王子さま
B機関
座・高円寺1(東京都)
2019/08/02 (金) ~ 2019/08/05 (月)公演終了
満足度★★★★
「~機関」の名に何処となく時代的な響きがあり、古手と思っていたが、2016年始動したばかりという。年一回公演を打ち、今年4回目、今の所全て寺山修司作品である。主宰の舞踏家・点滅(という名)自身は90年代からパフォーマーとして活動。不勉強だが寺山と舞踏を近しく感じるのは共にアングラの出自からか。(天井桟敷は確か見世物小屋の復権などと唱えていたような。白塗り裸体が妖しくうごめく隠微と、舞踏=身体性への遡及?とは形は似てるが果して...?)
劇団については全く知識0だったが、顔を知る役者の出演で足を運んだ。流山児・伊藤女史、我が神奈川の若い劇団より鈴木千晴。後で気づいたが名に覚えのある近童弐吉はガッツリ新宿梁山泊の俳優(ほぼ20年前中野の新アトリエで『愛の乞食/アリババ』をかぶりつきで観た朧気な記憶)。
さて出し物。開演前から白塗りが4体蠢いている。寺山戯曲に絡めた「双子」の逸話は主宰が絡めて翻案したらしい(となると相当な改稿だから違ってるかもだがパンフにそれっぽい記述)。舞踊プロパーと演技プロパーが別個で判り易く、ドラマ語りの生硬さが舞踊表現で緩和されている。最後の最後に飛び出る論理の混線、反則スレスレ(?)の処理は、「時代の産物」たる戯曲の限界を超えようとの試みだろうか(戯曲を知らないので何とも言えないが)・・それでも時代がかった印象を拭えない展開であったが、二女優のイノセントの佇まいがこの反則による空白を埋め、どうにかこうにかラストを迎えた。
試みは場合によっては大変刺激的になった可能性があるが、論理的タフさも詩情も、私の納得に達せず、疑問符を残した。
座高円寺のステージを埋める大装置と、壮大な音楽は酔わせるものあり。ちょいちょいエロあり(どちらの翻案か不明)。
『怪人二十面相』
サファリ・P
こまばアゴラ劇場(東京都)
2019/08/01 (木) ~ 2019/08/04 (日)公演終了
満足度★★★★
観劇過去2作品のみだが期待を裏切らず、流麗な動きとドラマの文脈を示唆する華麗なアンサンブルが、目の前に展開していた。
が、アゴラの最上段最奥で条件悪くもあっただが、隣の迷惑客のために理解は半減、終演に向けての高揚も(あったなら)味わい損ねた。
怪人二十面相。恐らくは一編のストーリーを組み立てる形ではなく、江戸川乱歩のこのシリーズの何に着目し何を抽出して呈示するか。それを見極めるには一定密度の集中を要し、特に数少ない台詞の場面がその大きな手掛かりである。初日ゆえか役者たちは若干甘噛み気味もあって、台詞を聞き取るのに懸命だったのだが、、隣は相撲観戦でもするかのように落ち着きなく、注意を殺がれる事度々。初め音が気になり次に態度にムカつき、どのタイミングで空咳をかますかも読めて来るとお手上げであった(自分の神経を制御し難いのは免疫反応=花粉症に似て始末が悪い)。
これしきでは収まらないので後日詳述。
朝のライラック
彩の国さいたま芸術劇場
彩の国さいたま芸術劇場・NINAGAWA STUDIO(大稽古場)(埼玉県)
2019/07/18 (木) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★
ITI主催の年末のリーディング企画「紛争地域から生まれた演劇」で紹介されている中東や第三世界の戯曲には興味津々だが、多忙な時期で中々行けない。さいたまネクストシアターでこれを舞台化する試みが今回で3回目。初年は知らず逃したが、昨年と今年の二度彩の国さいたま芸術劇場くんだりまで訪ねた。NINAGAWA STUDIOというから稽古場のような場所かと思いきや、立派な小劇場である。
演目は一昨年末のリーディングの一つ。惜しくも逃したという私的伏線と、演出家の名が後押しして遠方へ出張ったが、見応え十分。シリア内戦の一場面を切り取った激しいドラマだが、情緒を揺さぶるものがあり、客席に鼻水をすする音が聞こえていた。
この話には、芸術を愛しそれを生業とする若い夫婦と、内戦以降彼らに受難を強いる非寛容な原理主義の対の図式がはっきりあってその意味では判りやすい。
ISを想起させる勢力は一定距離を置いた存在であるが、直に夫婦に理不尽を迫るのは「長老」と呼ばれる地元の宗教者、言わば強者にすり寄り、あわよくば美人の人妻を我が物にしようと画策するのがいる一方、救いの手を差し伸べるのは夫の元教え子で現ISメンバー。決して単純でない状況をシンプルな構図に落とし込んだ。夫婦の最後の選択には異論もありそうだが、教え子の台詞を引き出し、一つのドラマに昇華させる組立であった。
戯曲に書かれた微妙なニュアンスを芝居にどの程度反映できたのかは判らないし、意外な光景から色々と想像が膨らむ余地もあった。何しろ我々はアラブ世界を知らない。単純図式化を拒絶するささやかなディテイルが、台詞の端々にあったようにも思う。
偉大なる生活の冒険
五反田団
アトリエヘリコプター(東京都)
2019/07/27 (土) ~ 2019/08/05 (月)公演終了
満足度★★★★
新年工場見学会以外で五反田団を私は観た事があっただろうか、、と思い出してみたがどうやら観てない。生きてるものはいないのか、は読んだだけで。いつだったかポツドールや三条会やで「S高原から」を競演する「ニセS高原から」という企画の事を熱っぽく語る知人から、五反田団なる脱力な劇団名を聞いたのが最初で、10年以上になりそうだ。
ドライな印象しかなかったのが、意外にもドラマチックな要素があったのには驚いた。偉大なる生活の冒険とは、働かない40歳男が最後に勇断を行なったあれだろうか、それともこういう生活自体を冒険と呼んでおるのだろうか。。
妹の死は師匠平田オリザ言う所の後出しじゃんけん嫌疑が濃厚だが、居候先の女と男の関係の「変化」を想像させる仕掛け。だがそれ以上展開が無く想像のフックにとどまる。現代口語劇を師匠に近いテイストで継承する一人と改めて認識した。
再演 マインドファクトリー~丸める者たち~
かわいいコンビニ店員 飯田さん
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2019/07/24 (水) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★
ちらちら気になっていた劇団をこの機に観劇。名を知る出演者が橋渡しに。すみだパークスタジオの横広使い(桟敷童子に同じ)は正解で、客席からしっかり芝居に噛める。
言葉(論理)と物理的暴力が、非力な側の人間を支配するリアルな描写に心疼きながら、成り行きを見守った。終盤、抵抗から敗北へと辿る主人公だが、そこはまだ伏線の段階で、待ち受けるラストの最悪の図が浮かび、それはやめてくれと心中懇願する自分が居た。それだけ入り込んでいたようである。
オーラスの時間はリアルというより象徴的な描写で「思春期の一コマ」と括られるような処理だったが、生々しいのはいかにも学校っぽいモルタル壁の肌合いがこの空間の閉鎖性(さらにそれを擁する小さな町という閉鎖社会)を示し、十代に味わう成長への希求ゆえの無力感をフラッシュバックさせるものがあった。
体罰教師(野球部コーチ)は法に抵触しているため最後には捕まる運びとなるが、悪は滅びる式の結末でもなく水面下に広がる体罰の実態を告発するのでもなく、「この体験とは何なのか」「この実態とは何なのか」と舞台は問うて幕を下す。
若手、かどうかよくは知らないが、地に足のついた堂々たる舞台。
しだれ咲き サマーストーム
あやめ十八番
吉祥寺シアター(東京都)
2019/07/19 (金) ~ 2019/07/24 (水)公演終了
満足度★★★★
サンモールスタジオ公演以来2~3年振り二度目のあやめ十八番。自分が観るようなモンじゃないな、と思ったものだが、昨年の「ゲイシャパラソル」は題名にそそられ(観られず)、今回は吉祥寺シアターでやるというので何故だか観たくなった。
予想通り、ではないが期待を裏切らず、目を喜ばす美術が広がる。目一杯高さを利用して渡された橋、階段、舞台面からは闇に溶ける奥行があり、巨大な月の一部が覗いている。箱庭的なカタチに乗っかって、「江戸」のノリと気分が舞台上に持続する。もっとも「現代」要素も悪びれずに現れて共存し、なんちゃって感を祝祭的に高める生演奏の音曲と、江戸らしい啖呵や口上に導かれ芝居は進んで行く。
ストーリー自体は散漫である。最初からその兆しがあり、結句その通りであった、と思う。最終的に作者がどの人物にフォーカスしたかったかは判らないが、答えの一つは千秋楽終演後の挨拶で作者自身が披露した作品解釈=「3人の誰がオチを取るかの奪い合いのようなもの」。なるほど、焦点は定まらなくて自然な訳である。
各人物は互いを牽制しあう事で人間像や生涯像が棲み分けされ、トータルで群像を形成する。群像はその背後に何かを見せる。彼らがうごめく吉原という土地そして江戸という時代。「終わり」へ疾走する終末の気分が支配するのは、欲と金に追われる者共のはやる心のせいもあろうが、「江戸」がやがて終りを迎える時代区分、もっと言えば消え行く文化である事が影響するのだろう。この劇団が(本家の花組芝居も)なぜ「江戸」をやりたがるのか、の回答が芝居の作りににじみ出ており、ある種の憧憬や願いに観客も同意し、架空世界の構築に加担していく。どんな芝居もそうなのであるが、希薄なストーリーでも成立してしまう裏にはそういう事もあろう。
一回目の観劇ではそれ(ストーリー性の問題)がネックになったが、今回は「話」に入り込もうとせず冷静に筋を追いながら観た。ヘタに整理をつけようと言葉数が増えるより、ノリの持続を選った潔さ?を快く受け止めた次第。
美しく青く
Bunkamura
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2019/07/11 (木) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★
赤堀新作戯曲inコクーンは何作目になるか(調べりゃ判るが)、年々こなれて来たように感じるのは「見慣れた」せいもあるかも知れない。きわどい人間像を炙り出しながらそれを包摂していく世界観が赤堀作品の一つの特徴で、ピンポイントなシチュエーション描写がツボだ。今回は「8年前」という台詞が仄めかす東北の、猿害に悩んでいるというから農業人口が一定数あるどこか。農業が生業でない主人公の住まいはマンションの一室のようであり、彼と同世代(アラフォー)や20代の若者が自警団を構成してもいる。主人公夫婦と妻の実母、自警団に同道している役所の男、飲み屋のママ、そこで働く地元の若い女性、農業を引退した頑固老人等等が個性的かつ普遍的な人間像を見せ、典型的でない言動の背後に今この瞬間を浮かび上らせていた。
五場面の大転換も何気に美味しい。
芙蓉咲く路地のサーガ
椿組
新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)
2019/07/10 (水) ~ 2019/07/22 (月)公演終了
満足度★★★★
「毒おんな」(@スズナリ)以来の椿組観劇(@花園神社は2年振り)。汗まみれを覚悟して出掛けたが、夜になると気温は落ち、そのせいか劇場に近い集中度で芝居に入る事ができた。土着性を扱う中上文学の世界が、椿組「夏の野外劇」の祝祭性をも飲み込み、厚みのある芝居になっていた。
今回で4回目の野外劇体験だが、劇的高揚感は最も大きかった。サイドの自由席でも比較的前列の内寄りに陣取る事ができ、距離感は最適で台詞はよく聞こえ役者の表情も見えた。主役級の常連俳優の他、久々に見た佐藤銀次やこの所ご無沙汰の張ち切れの二女優、初見の役者も力を寄せ合い弾け合う一夏のお祭り公演である。
舞台の高揚は、劇作のうまさというより取り扱う対象、中上が描く土着的神秘性に由来したのだろう。中上健次の小説はどれも未読だが、映画では幾つか観た(『青春の殺人者』『火まつり』『千年の愉楽』等)。ザッツ中上と言えば二番目になるか。三番目のは近作で(高良健吾主演)、血にまつわるスキャンダラスな筋書は追えていたが空気感まではフィルムに捉えていない。殆ど説明のない(台詞も少ない)『火まつり』が忘れ難い。その他評論等で言及された中上論から作られた私的中上像を、見出そうと構えて芝居を観たが、正体不明の土着に踏み入れた作家と「向かい合う」のでなく、同じテーマに迫ろうとする作り手のベクトルを見出した事で、良しとした所がある。
舞台は紀州の新宮という地名が出てくるので南西部(中上所縁の熊野に近い)である。
母の手で育った路地の青年・秋幸(主人公)の実父は、かつて織田信長に協力し、後に対立して討死する浜村一族の末裔を自認する。秋幸にとって「悪」そのものである父の人物像は後半変化し、浜村一族の末裔としての自覚(?)へ向かうか否かという物語の線がある。一方、彼らが育ち様々な出来事が生起する「路地」は彼らの生活世界そのものであり歴史を形成しており、ところがこの路地を消失させる張本人が父であり、土地を取得して財を成す父は「皆は恨みを自分に向けるが、皆路地を出たいと思っている」と秋幸に言う。路地を愛した秋幸の葛藤は極まる。ところが旅から戻った秋幸が目撃したのは父の自死の瞬間であった・・筋を見て行くと相当な端折りがあり、小説ではどう書かれたのだろうと想像する時間がある(劇中ではナレーションで小説の文が読まれる)。あらゆる有機物質を分解する土壌のように猥雑さを許容する「路地」が、彼の屈折の源でありながらも包み込む母胎である、これを主題とすれば、父の浜村一族信仰は寄る辺に過ぎず、行動規範は近代の拡張主義のそれで、いずれ破綻を見るものである・・といった文明批評を読み取るのが作品の正しい読みだろうか。しかし舞台で見ると、織田信長に反旗を翻して戦わざるを得なかったという浜村一族の歴史紹介に始まり、その霊魂が超然と語ったりする。一方、秋幸の他にも二人の女を孕ませていたという父こそ路地の権化に思われ、浜村信仰に寄って行くべきは秋幸で、やがて父と対峙する、という図をなぞろうと劇を見ていた所もある。
が、そうした筋立ての問題はともかく、中上文学が発掘した太古に繋がる人間像に現代人である私は見入ってしまう。そこには理性がとらえがたい活力があり、逆に現代とは何なのかを捉え直す入口を示すようにも思われる。
命、ギガ長ス
東京成人演劇部
ザ・スズナリ(東京都)
2019/07/04 (木) ~ 2019/07/21 (日)公演終了
満足度★★★★
話題性のある公演だろうに「スズナリだし..」と理由なく油断していて気づけば完売。千穐楽を当日券に並んで観た。選挙結果に依っちゃ芝居にうつつを抜かす日々もそう永くはないぞ、と気もそぞろながら、敢えてそんな不安を拭ってくれそうもない公演を選ぶ天の邪鬼。
1時間前のスズナリには二十人余りの列だったが入れた(当日券21枚、残りはキャンセル待ち数名)。足は痛かったがベンチ席で役者2名を舐めるように見た。体調悪く序盤に何度か気を失ったが、奇妙でフシギなスズキワールドを噛み締めた。
『その森の奥』『カガクするココロ』『北限の猿』
青年団国際演劇交流プロジェクト
こまばアゴラ劇場(東京都)
2019/07/05 (金) ~ 2019/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★
「北限の猿」・・以前同じアゴラで観たはずだが印象は随分違う。横長に設えた客席からは役者の肌の具合も見える。「この森の奥」はこの作品の姉妹編(国際バージョン?)という所。「猿・類人猿」ウンチクがやはり面白く、3作品の中で最もバランスの良い脚本、そのせいか演者も伸び伸びと演じていると見受けた。割と核に据わる役に坊薗女史、これがダブルでもう一組では川隅女史、こちらも観てみたいが。
この作品を書いたきっかけが前年に出版された立花隆著『サル学の現在』という。
人間とは何なのか・・この問いを別角度から投げる類人猿研究の、20年後の現在は?
ハムレット
しあわせ学級崩壊
nagomix渋谷(東京都)
2019/07/17 (水) ~ 2019/07/17 (水)公演終了
満足度★★★★
昨年のいつだったか当日券を求めて(確か御徒町へ)赴いた際は満員で入れず、気になっていた同劇団を今回機会を得て観劇。都内音楽系ライブスペース3軒ハシゴ公演の最終会場渋谷に来た。1drink=500円で入場3000円。開演前からビートの効いたサンプリングサウンドが流れ、立った客が体を揺らし結構盛り上っている。ステージ上のテーブルで楽器の代わりに機材を操作するメインとサブの背後にはコラージュな映像も流れ、客はステージ側と対面してライブの様相である(一昔前に初入場して以来のクラブの雰囲気)。最初は戸惑いつつも耳と体を慣らし開演時刻を迎えると、ステージ上には先のパフォーマーに代って劇団主宰が立ち、女3+男1の役者陣から演技エリア(登場箇所)の説明があり「舞台」がステージでなく客が立っている平場である事を知らされる。客の顔も見え、僅か3~40人の中に見覚えある俳優や作家、劇評家もいた。
噂に違わぬ大音量の中のパフォーマンスはマイクを持った黒い四人(直前まで場内スタッフとして立ち働いていた)によって展開、音の摩擦熱の充満する空間に身を委ねる1時間が始まった。
台詞聞こえの難を超え、言葉と心情表現の「立ち方」が背景の音に拮抗する具合を味わう内に、同時空での出来事に同期し飲まれていく感覚がある。
(物語=ハムレットについては後日追記、のつもり)
そう言えば公演最終日は同会場21(日)18時だとか。
明日ー1945年8月8日・長崎
劇団青年座
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2019/07/10 (水) ~ 2019/07/17 (水)公演終了
満足度★★★★
KAAT地点の当日と迷った末こちらに決めた。青年座らしい、新劇色濃い役者たちの立ち回りだが、「明日」という作品が持つ独自の構造ゆえ、リアリズムな時間がファンタジックな色を帯びている(生の演奏が貢献)。この題材の舞台化の一着地点を認めた。