ヤポネシア 公演情報 サイマル演劇団「ヤポネシア」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    当日は電車検索の入力時刻を誤り、余裕ぶっこいて本命と次点共に逃し、急遽三番手のこちらを観劇。
    内容全く未知数(舞台スタイルは予想の範囲)、「ヤポネシア」という概念を提唱した(よくは知らないのだが)島尾敏男にまつわる作品という事ではるばる板橋へ。
    また前回の「狂人と尼僧」で怪演を見せていた葉月結子(先刻シアターXで予期せず舞台上に発見したが普通に演じていた)を見る楽しみもあったが期待通りであった。
    ただし舞台はリアル・ナチュラルな喋りは皆無、二組の男女の会話(一応そのようにも見れる)を一人の持ち時間長く詩のボクシングよろしく力強く金梃子を押し付けるように発する。単調と言えば単調だが「気」を張り詰めた演技の成果は4名とも。
    なお男女二組はそれぞれ交わらず(一方は島尾+夫人らしいが一方は不明)、今どちらの組の会話であるかは照明等で分るようにはなっている。前作同様に、背後では時計の無慈悲な秒刻が鳴り、舞台は抜き差しならぬ空気を醸しているが、どういうドラマであるのかは良く分らず、しかしそれでも良いのではないかと思ったりもする。
    夫婦の気持ちのすれ違い、妻の精神的逼迫が、目の前の役者の姿から窺えるが、しかしその具体的な原因や、解決策を考える材料が説明される事はなく、人物の心模様が何やら言葉を連ねているらしい「声」に乗って伝わって来る、それ以上のものではない。
    今なぜこれをやったのか演出者に訊いてみたい気がするが、劇場では思い至らなかった。(65分)

    ネタバレBOX

    島尾敏男と言えば私には小栗康平監督『死の棘』、奄美の土っぽい風にさらされた家の縁側に、雨だか無風の時、岸部一徳演じる男(島尾の分身)とその妻(松坂慶子)が一つ距離をおいて正面を向いて座っている、心が渇いて掠れた声を立て、並んだ二つの像が夫婦という実体もろとも蜃気楼のように消え行く予感が漂い・・、あれはラストシーンだったか。映像詩人・小栗康平の(『泥の河』に次ぐ)魂のこもった映画であった。

    ヤポネシア(日本群島の意)とは島尾氏の造語らしいが、昔見たヤポネシア弧という言葉=概念は恐らく「日本」という国を自己相対化する試みだったのに違いない。日本を一つの国家と言うなら、それは地理的条件によりたまたま生み落とされたもので、まず大きな島である本州、相対的小さい九州四国北海道、次に小さい佐渡、隠岐、壱岐対馬、奄美、沖縄、さらにその衛星のように散らばる島、島、島・・これら全体が、一つの「弧」として表現し得る「地域」を形成している。新大陸を「発見」したり「未開」のアフリカ・アジアを植民地化した大国中心主義の対極にある概念。「互いを見合う」(こちらが一方的に「見て」いるのでなく向うからも「見られて」いる)事を意識すると、日本本土から沖縄を、さらに島々を支配者面して眺めていた自分に気づく。
    芝居とは無関係な話だ(と思う)が、作り手はどうだったろうか。

    0

    2019/12/08 00:48

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大