落伍者、改。
ラチェットレンチF
南大塚ホール(東京都)
2015/09/26 (土) ~ 2015/09/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
芸の道...観応え十分
2014年の公演は、劇場_てあとるらぽう であったが、今回は第26回池袋演劇祭優秀賞受賞を祝し南大塚ホールでの上演であった。舞台スペースが広くなったことで、動きも多く取り入れ、躍動感が増したようでもあった。同時に人物像がより鮮明で落伍から落語へ成長する姿...相楽亭爽雲(山口太郎サン)と相楽亭爽太(大春ハルオ サン)の2人に迫力があった。
落語の世界に生きるとは、その芸を全うすることの難しさ、そのためには命をも懸ける厳しさを描く。落語会に名を残したい、極めの演目が古典落語「死神」である。表層的には古典落語と新作落語の対比の中で、その芸に邁進する過程を描いているが、その姿を通して人間の生き様を見るようである。
ネタバレBOX
舞台セットは、舞台奥を4~5段高い2層にし、上手は客席に、下手は袖口に向けてそれぞれ階段が設けられている。そしてそこには落語の演目を書いた半紙が重ねるように貼ってある。舞台中央には高座を設けている。
物語は、咽頭がんで噺家としての命、声を失うとしている。さらには自身の命を懸けて芸を極めようとする相楽亭爽雲。その生き様は落語界では鼻つまみもので、残った弟子も2人のみ。余命幾ばくもないが、後世に名を残したい。その噺は不思議と力強く、魅力に満ちている。
そのライバルとして新作落語の鉢巻家ろく紋(山﨑巌サン)である。この現在の2人の相克を横糸、若い時に愛した女・小百合(南口奈々絵サン)... 親友との鞘当で、図らずも身を引くことになり、その後小百合と親友との間に生まれた娘を引き取り面倒をみる。こちらを時代軸とした縦糸とし、糸が織り成す見事な着物(物語)が出来ている。そこに落語に因んだ「品川心中」をイメージするような話を紋様として織り込まれ、濃密で重厚な物語が展開する。観客は弟子の相楽亭爽太の寄席を通して師匠の心を聞くことになる。
古典落語、新作落語の違い...犬猿の仲といわれた噺家2人が互いに認め合うが、決して妥協しない芸筋。息苦しくなるような台詞の応酬、一方色恋に見せる艶やかさと寂寥に心打たれる場面も秀逸である。
桎梏に捉われそうな世界を自由に泳ぐ大魚を大舞台で観た。
次回公演も楽しみにしております。
回転木馬は歓びの夢をみる ~未解決事件の終幕~
削除
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2015/09/25 (金) ~ 2015/09/29 (火)公演終了
満足度★★★
テンポよく飽きない
それほど広くない絵空箱の空間が、ベートーヴェンの交響曲(第九番)を演奏している音楽ホールのように感じた。もちろん、その音楽を聴かせているという効果もあろうが、舞台・客席の組み方がよかった。このBarに併設されたスペースで行っている芝居を何回も観にきているが、その客席作りは、囲む又は一方向側かにしても、多くは雛壇であった。今回は段差をなくして、客席はフラットである。逆に演じる舞台は、高低差のある階段状になっており、その一段高くなった所で指揮を行う。それは憑依している人物であるが...。この実在指揮者と憑依の幻覚(厳格)指揮者の投影から同化へ、その鬼気迫る姿が印象的である。しかし...
(上演70分)
ネタバレBOX
この人物・松山コウスケ(町屋圭祐サン)の表裏一体と化している、その原因・要因が理解し難い。一応、同一人物における二面性(二重人格)として捉えたが、ラストは清浄されたような姿...どのようにして自己変革を成し得たのか、それまでの自信に溢れていた人格が簡単に変わるのかという疑問も残った。
この物語で松本清張の推理小説「砂の器」(1974年、野村芳太郎監督で映画化)を思い出した。15年前の一家惨殺事件...その犯行の隠蔽、富豪令嬢との婚約、栄誉と欲望など人が内包している醜悪な面を描く。本作では、人格形成される過程が、過度な期待、裏切り、誤解などの要因が散りばめられており、納得性も十分ある。疑問もあるが、ラストの心情は悔悟であろうか。
気になったのは、この物語を担う役者陣である。演技は皆熱演であり観応えがあったが、特に松山コウスケ、アイツ(蛸谷歩美サン)の2人が目立つ。演技のバランスが悪いというほどではないが。回転木馬の如く心地良い(酔い)テンポは、最後まで飽きさせない。
次回公演も期待しております。
人魚姫
Project Nyx
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2015/09/18 (金) ~ 2015/09/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
ファンタジーな世界...見事
寺山修司の世界観をしっかり観せているが、その耽美・幻惑という雰囲気は少し抑えられているようだ。もちろんデフォルメオブジェや象徴する小物は登場する。しかし、他の寺山作品で観られるような、比喩的な表現やその置物自体にあまり意味が感じられなかった。
逆に、舞台は華麗にしてファンタジー色の濃い、そして誰にもわかり易い”愛と悲しみの世界”を描いていた。
冒頭、舞台上手の壁が回転し、口上を述べる人物が「人魚姫」の台本を見せ、これからの物語は劇中創作を示す。
この舞台の最大の魅力は、脚本の面白いさはもちろん、その雰囲気であろう。それを形成しているのが、衣装、照明・音楽という技術。特に音楽は生演奏であり、その音色は東京芸術劇場(シアターウエスト)内に心地良く響く。
また、役者陣...特に人魚姫の新星シンガー青野沙穂、その恋焦がれる相手、元宝塚歌劇団男役スター・悠未ひろ の二人は抜群の存在感を示す(情緒纏綿)。
その物語は...。
ネタバレBOX
梗概は、人魚の姫は15歳の誕生日に海上で、船にいる人間の王子を目にする。嵐に遭い難破した船から溺死寸前の王子を救い出した人魚姫は、王子に恋心を抱く。人魚姫は海の魔女の家を訪れ、声と引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。その時に、「もし王子が他の娘と結婚すれば、姫は海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。王子と一緒に御殿で暮らせるようになった人魚姫であったが、声を失い王子を救った出来事を話せず、王子は人魚姫が命の恩人だと気付かない。
王子は親の決めた許婚との結婚が決まり、姫の姉たちが、髪と引き換えに海の魔女に貰った短剣を差し出し、王子の流した血で人魚の姿に戻れるという魔女の伝言を伝える。人魚姫は愛する王子を殺せずに死を選び、海に身を投げて泡に姿を変えた。
物語は知られた内容通りであるが、その観せ方がファンタジックで美しく浮遊するような演出が印象深い。本筋の表層に観える”一途な(悲)恋”を超越して、普遍的な”真心の尊さ”に感動する。そこには「人魚姫」という空想上の生き物を通して、生きているもの全てに向けてのメッセージが込められているようだ。
次回公演も楽しみにしております。
OZ♀4♂3
チームジャックちゃん
ザ・ポケット(東京都)
2015/09/23 (水) ~ 2015/09/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
ドロシー旅立まで 【道チーム】
「オズの魔法使い」という有名な童話...ドロシーが旅立つ13年前に遡る物語である。
大胆な発想と豊かな感受性で紡ぎだす、ファンタジーの世界観は観応えがあった。しかし、そのファンタジーという語感からイメージする浮揚感とは大きく違い、どちらかと言えば重厚な人間ドラマのようであった。
また舞台美術が素晴らしく、この物語をわかり易く観せる最大の効果を発揮していたと思う。
上演時間2時間15分(途中休憩なし)。
ネタバレBOX
舞台セットは、中央に2階相当の高さまで2並行(繋ぎ)の階段があり、場面によってそれが斜め左右に開く。舞台中央にも出入り口があり、2階部・1階部から役者が出入りする。さらに中央客席側にも舞台の一部を張り出(盆のよう)させ、占い(祈祷)祭壇をイメージさせる。スモークなど幻術・幻想場面の演出を魅せる。
さて、「オズの魔法使い」原話は、アメリカ・カンザス州に暮らす少女ドロシー(Dorothy)は竜巻に家ごと巻き込まれて、飼い犬のトトと共に不思議な「オズの国」へと飛ばされてしまう。途中で脳の無いカカシ・心の無いブリキの木こり・臆病なライオンと出会い、それぞれの願いを叶えてもらうため「エメラルドの都」にいるという大魔法使いの「オズ」に会いに行く。
それに先立つ話であり、原話にどう結びつけるか、その物語の構成とそれをしっかり印象付ける演出は見事。さらには、それを体現する役者の演技力も感情移入してしまうほどである。物語の展開はそれほど難しくないが、当日パンフは見開きオールカラーで、人物相関図もあるので、上演前に観ておくのもよいだろう。そして本作でオズは、東の国エメラルドの宰相、同じく宰相(のち南の魔女)、そして東の国の王妃の3人を中心に物語はエメラルド国における権力闘争というファンタジーとはかけ離れた人間臭いドラマになっている。しかしその演出・雰囲気は夢...そのギャップも面白い。
この団体「チームジャックちゃん」は、多くの人に親しまれてきた童話をベースに大胆な構想と演出で「誰もが知っている物語の見たこともない姿」を描き出す、ことを目指しているという。本公演は本当に原話と連動してループしている、そんな楽しめる作品になっている。
その描く本質は、壮大なロマン(政治的思惑)の中に、しっかり人間の本質を描き込んでいる。それは綺麗事だけではなく、嫉妬・裏切・羨望などの醜悪な面も見える。それでもその根底にあるのは人間愛である。その結晶として生まれたのがドロシー...彼女の冒険の旅の始まりは、この公演・団体の飛躍の始まりでもあろう。
次回公演も楽しみにしております。
MAMORU
モーレツカンパニー
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2015/09/16 (水) ~ 2015/09/22 (火)公演終了
満足度★★★★
笑い!
劇団としては、身近な題材…自虐ネタのようであった。しかし、それでもしっかり観させる力のあるコメディであり、笑いとホロッとさせる常道の芝居は素晴らしかった。
何となく、映画「ロボジー」(2012年・矢口史靖監督)を想起した。
そのMAMORUとは...。
ネタバレBOX
主人公の名前という単純なもの。もっとも物語もわかり易いが、その笑いの連続の中に人間...家庭人としての哀しさも描く秀作。素晴らしい公演の中には光る...印象に残る台詞がある。物事は”真剣に本気でやっていないから続けるか辞めるか判断が出来ない。納得するところまで自分を奮い立たせ、その結果判断が出来ると思う”そんな趣旨の言葉は心に響いた。
梗概(説明から)は、主人公・久留島守、職業は役者。 仕事は無いが、配偶者有り。 ひょんな事からスターとなる。 しかし、役者・久留島守は無名のままだった。 何故ならスターになったのは彼の外側。 〝ゆるキャラ〟ならぬ〝ゆるロボ〟のMAMORU君として第二の人生を送る事となるが...。
その言葉を体現するような疾走 ユルロボ・コメディは観応えがあった。ストーリー展開は予定調和...安心感があるものであるが、けっして飽きさせない。表層的、平面的な描き方であるが、芝居を多くの観客に観て楽しんでもらいたいという思いが伝わる。その姿勢の表れがこの展開になっている。
また、キャストの演技はしっかりキャラを立ち上げ、軽妙なセリフのやり取りは見事。そしてキャスト陣の演技力もバランスが良く楽しめた。
少し気になったのが、冒頭の映像シーンである。キャスト紹介はわかるが長い。もう少しコンパクトにしたほうが良い。もう1点はラストへの収束シーン...映像フリップで説明し、劇中劇にしていた。しかし、それまでの芝居の雰囲気で出していた好感と余韻を失なってしまう。出来れば冒頭の映像シーンのカットとあわせてラストシーンの充実を図って欲しいところである。
次回公演を楽しみにしております。
俺、HEROらしいよ。
演劇ユニットちょもらんま
pit北/区域(東京都)
2015/09/18 (金) ~ 2015/09/20 (日)公演終了
満足度★★★
面白いが、少しもったいない
企業においてコンプライアンス遵守は、その活動の最重要に位置づけられると思う。その現実に突きつけられた問題とそこに登場するHEROの存在に違和感を覚えた。
現実的には、職場内での人間関係をコミカルに描き、一方ある物を使用しHEROが現れる非現実的な描き方...もちろんHEROは、その人が持っている人間性を意味することは分かるのだが...。
ネタバレBOX
現実の会社では、中間管理職として対応しなければならない場面の数々...上司と部下の板ばさみ、上司の無理難題の命令、扱い難いお局的存在、部下の勝手な行動、古参で仕事のできる派遣社員という、仕事の出来と職場内での立場のねじれが、少し悲哀も含め感じられる。笑うに笑えない状況であろうが、そこはコメディ...次から次に起こる問題や人間関係を誇張してしっかり笑わせる。
梗概(説明から)、主人公はさえないサラリーマン。昼食を食べそこね、定時には帰れない。 仕事といっても雑務ばかり。上司も部下もわがままばかり。 平和な職場を維持するために「僕やっときます」と言うばかり。 そんな思いだけを抱えて仕事をこなす日々。 そんなある日、世界を守るヒーローに選ばれる。
この職場の清掃員が、実はエイリアンで、このコンプライアンス室が管理している資料室内にある物が...それを奪取したく潜入しており、この主人公・田中明(山本啓介サン)の前職場(営業部)の後輩社員も巻き込んで、というか主人公が巻き添えになる。資料室に入れる権限は特定人物(コンプライアンス部長)の承認が必要だとか。そして5分遅刻しただけでも、その承認書類が、という徹底振りである。
些細なところは気にしない。その物語は、資料室の入室を巡ってエイリアンとの攻防、このドタバタが少し冗長に感じる。それよりも部下を叱れない気弱な中間管理職の主人公、エイリアンのボスは、高圧的に部下を叱ってばかり。この攻防の中心にいる2人の気質の違いが現実の職場ではあり得て面白い。アイロニを感じるところである。HEROになるのが選ばれし者…田中明である。この変身姿...全身タイツが情けなくなるほど可笑しい。
このエイリアンは同一次元で存在しているという設定である。ここに違和感を感じる。なぜ、この会社の清掃員に、そしてエイリアンの仲間割れのようなことが出てくるのか。
例えば、主人公が疲れてうたた寝をしている時に見た、夢の世界のことであれば分かるのであるが...この現実社会と非現実事象の同一次元で描くことに無理を感じた。
次回公演も楽しみにしております。
私もカトリーヌ・ドヌーヴ
『私もカトリーヌ・ドヌーヴ』を上演する会
上野ストアハウス(東京都)
2015/09/16 (水) ~ 2015/09/20 (日)公演終了
満足度★★★★★
濃密な舞台
すでに劇場内は薄暗い照明に照らされ、沈鬱な雰囲気が醸し出されている。そして、この照明がわずかな変化が、登場人物の人柄なり...その本質を描き出すような効果をあげる。
全体的には、それぞれの役者のセリフ...会話のようでもあり、独白のような抒情的な印象も受ける。その繋ぎが物語を展開して行く。動きで観せるというよりは、力強いセリフが最小限と思われる役者の動きを確かなものをイメージさせる。まさに心魂に響かせるセリフで観(魅)せるという公演であった。
ネタバレBOX
舞台セットは、中央に長方テーブルと椅子、上手にボックス(中に座人が入れる)、下手に飾り4階段とミニステージ(1人が立つ程度)、スタンドマイクがあり、舞台奥に窓がある小部屋、またはアナウンス室をイメージする仕切りがある。当初はこの配置であるが、物語が進展するに従い、奥の部屋を除き、移動・変化する。それも役者が自然な振る舞いで動かすのである。
芝居は、それぞれが勝手に不平不満を吐露するようであり、それがいつの間にか家族の歪んだ生活状況を浮き彫りにする。濃密な会話があるような、そして独り言でもあるような不思議な感覚が新鮮であった。
そして、その雰囲気作りは、証明...基本的には淡い自然光、赤、青の3光射で最大限の効果をあげていた。そして役者が劇中で心情をしっとりと歌い上げる。大人の芝居という印象...そして余韻が素晴らしい。
梗概は、姉は、自分を大女優カトリーヌ・ドヌーヴだと思い込む、妹は、台所でリストカットをしたり、歌ったりする。そして息子は、沈黙の殻に閉じ篭り、ほとんど外に出ない...母親は、そんな子供たちにイライラする。さぁ、説教、小言など等。そして母親は一人孤立し疲れ果て、終いには自分に向けて希望を失った哀しい愛のシャンソンを口ずさむ。
母親の思いと子供たちの小煩いと感じるギャップ感が、わざと笑いを取るのではなく、自然と笑みが...姉だけではない、勝手「カトリーヌ・ドヌーブ」は映画の中だけの肢体ではなく、確かにこの劇場にもいたようだ
次回公演も楽しみにしております。
愛すべき部屋
GOLDENBOY
吉祥寺櫂スタジオ(東京都)
2015/09/21 (月) ~ 2015/09/22 (火)公演終了
満足度★★
歪んだ部屋に変人家族が…
愛すべき部屋であるが、歪んだ部屋でもある。旗揚公演として、観てもらいたいとの思いは伝わる。それは、舞台セットを芝居のテーマなりコンセプトをイメージするよう努力しているところ。
しかし芝居は、気になるところが多かった。
ネタバレBOX
この公演で描かれた場所はどこだろうか。そして何のために行っている行為なのか、という疑問符がいくつも付くような話であった。
この舞台セットはファンタジーの世界観を演出するためか、「愛すべき部屋」というタイトルからは想像もつかない歪んだ...そうビックリハウスのようである。壁はダーツ的のような絵柄が歪み、床もその影のように、こちらはオセロの白黒格子のようになっている。下手壁には緑枠(枠上部には蛇)の開閉ドアが斜めに作られている。そして舞台中央に脚高のファション丸テーブル、その下に兎頭のオブジェなどの小物。
この歪んだ部屋を訪れた普通のメイド、アユミが体験する奇妙な出来事が物語であるが...。
そこに次々と人が現れ、いつの間にかテーブルでトランプゲームを始める。この時の演技も黙々とカード操作を行い、次の人のプレイを促すためにチェス駒を1騎動かすのみ。その時、カッカッと乾いた音がするのみでテンポがない。また、大きくない劇場での大声は必要ない。怒鳴り声と感情のある叫びとは違う。
公演全体としては、脚本・演出・演技で観せきれていないようであった。
当日パンフの挨拶文(手紙)から推察すると、この家に普通のメイドとして働きに来て、そこの住人…私、夫、娘、義父とトランプを、そして紙面には家族は人見知りがあり、もしかしたら突然怒ったり、泣いたり、あなたを銃殺したりするかもしれません。…アユミさんに関心がないだけなのです、となる。
この物語をもしかしたら、不条理劇のように描いているとしたら、どこか迷路に迷い込んでいるとしか思えない。”この場所はどこ”、”どの方向に行くの”が明確にできていない。自分の立ち位置をしっかり見極めることが必要だと思われる。迷子から早く脱出することを願うばかりである。
なお、先にも記したが観客に観せようと舞台セットに工夫を凝らしたりしており、その姿勢には好感を持っている。
次回公演を期待しております。
ホテル・ミラクル2
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2015/09/18 (金) ~ 2015/09/23 (水)公演終了
満足度★★★★
覗いている感じ
新宿歌舞伎町にあるホテル・ミラクルで繰り広げられる男女の痴態のような物語...全5話である(当日パンフ)。
この劇場の新宿シアター・ミラクルという名をネーミングとして使用し、その舞台セットおよび雰囲気はよく(欲)出でいた。
エレベーターホール受付(狭い)は、既に厚地の朱紅色のカーテンが、そして劇場内は...
ネタバレBOX
入り口側に磨ガラスのシャワールーム、奥に進むとL字型の客席配置。舞台にはベット・サイドテーブル、とその奥にはソファーが置いてある。
ベットを横から、そしてシャワールームで着替える姿を観るには、奥(通常は舞台板)の席に座る方が観やすいと思う。どの方向からから観るかは好みであるが。このホテルで繰り広げられる話...部屋は同じ作りであるが、別々という設定であるという(feblabo池田智哉 氏)。
部屋に入ってからの、男性、女性の振る舞い、落ち着かなさ、照れと恥じらい...など雰囲気のエロ、妖しさと挙動のコミカルさのアンバランスも有りがちで笑える。そして、実際は密室で濃蜜な場所、そんな淫靡な処を覗いている。普段そんなことが出来ない非日常性と背徳感が高揚させる。
物語はオムニバスであり、それぞれ独立しており繋がりはない。自分としては、全編(冒頭の「ホンバンの前に2」は前説)を緩くてもよいから、何らかの繋がりがあって、あぁそうだったのか、という納得感というか、オチがあるともっと印象的でったと思う。この構成でもよいが、切れ切れ(当たり前)で、1話毎の面白さに止まり、公演全体の面白さに直結しないのが残念であった(脚本家が4名だから仕方ないかもしれない)。
話の梗概は、次の通り。
「ホンバンの前に2」(池田智哉)
前説...携帯電話等の電源はお切り下さい...と。
「こうかん」 (米内山陽子)
嫁を他の男に抱かせたい。 できれば、目の前で。 それを見ることが出来れば、今行き詰まっている仕事も、訳のわからない虚脱感も、嫁で勃たないことも、全部解決するように思える。
「砂と棒」 (裕本恭)
「私、安部公房が好きなんだ。」 風俗嬢がそう言った。 風俗嬢を見る目が少し変わる。 東京で生きる「普通になりたくない」若者二人を、うっすらと安部公房の「砂の女」がモチーフ。
「初恋は消耗品」(ハセガワアユム)
初恋は結婚まで実るわけないから「する意味なくね?」と気づいたJK1彼女、。初恋練習台として、ランクを下げ妥協した相手(おじさん)と 適当に付き合うも、気づいたら大好きになって修羅場。
「獣、あるいは、近付くのが早過ぎる」 (服部紘二)
アレは姿を現した。 ゆっくりとその首をもたげる中、新宿歌舞伎町のホテル街で、男は年上女をホテルに誘う。 不可解な音が鳴り響く中...草食系男子も目覚める。
その生身の人間...男女を感じさせる脚本・演出はそれぞれ面白い。ラブホテルという部屋のシチュエーションでありながら、やはり脚本家の感性というか描き方の特長が出るようで、一袋に色々な飴が入っており、違う味(甘いだけではない)が楽しめる、そんな公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
傷つくな、鮮やかに浮遊せよ
チョコレイト旅団
Route Theater/ルートシアター(東京都)
2015/09/18 (金) ~ 2015/09/22 (火)公演終了
満足度★★★★
女性の恋愛感が...
ありふれたシェアハウス...少し癖(個性の強い)女性が織り成す恋愛劇...表層的にはそうであるが、同時並行に描かれる狂気が怖い。
人間、特に女性の恋愛感は男性と違うということが、多少デフォルメもしくは本当かも、と思うような展開が面白い。
初日に観劇、些細なことだが気になるところも...
ネタバレBOX
シェアハウスという現代的な住居形態に集まっている女性の恋愛を中心とした双方物語とラジオスタジオ(DJ)の一方会話という二元的な観せ方。
女性に限らず個人の生活(プライベート)を大切にする風潮であると思っていたが、経済的な理由も関係しているのか、この公演に見る半共同生活の需要もあるようだ。もっとも東京砂漠という言葉があるように、醒めているようで、どこか人の温もりや関係を望んでいる、その柔らかい雰囲気が微笑ましい。このシェアハウスに居る住人の暮らしや恋愛をそれぞれの性格や性癖を絡めて、現代女性像の一端を垣間見せるブラックコメディとチョットしたサスペンス。
住人ごとの小話とラジオ局勤務している2人の掛け合い、この人々に起こる、または起こす騒動はどこか日常的なもの(女性の下着泥棒を好きになる、そんな女性もありか?)。
一方、ラジオDJ...2人の掛け合いは本当に流れているようだ。この番組ディレクター(男性)とシェアハウスの住人の1人との結びつき。DJのうち、女性アナウンサーに対する相方(男性)のストーカー行為とその果ての障害事件。
二元場面や恋愛小話が終盤に向けて収斂していく、その演出としてのラジオ放送内容とシェアハウスでの出来事をシンクロさせる手法は面白かった。照明・音響等の舞台技術も効果的であった。
本公演は、女性の立場から見た歪んだもしくは奇妙な恋愛模様をデフォルメして観せている。そして、背景にある(都会)生活の状況・情景としての”潤い”と”渇き”が感じられる。
なお、気になったのは、ストーカーをする原因...女性アナウンサーの声に対する相方男性の子供の時からのヒーロー憧憬のようだが、その無視されたような、という理由で殺傷に至るかという疑問。
次回公演を楽しみにしております。
パイドパイパー と、千年のセピラ
劇団ショウダウン
あうるすぽっと(東京都)
2015/09/04 (金) ~ 2015/09/06 (日)公演終了
満足度★★★★★
ハイドパイパー
笛吹き男の伝承を大胆に膨らませ、現代風に蘇らせた笛を吹く者、「パイドパイパー」...その笛の音に隠された悲しい群像劇。
この物語は、上手・下手対称の大きな館、または城砦をイメージさせるような建物で繰り広げられる。
その物語は大きな舞台を見上げる観客と、見下ろす館・城壁の視線が交差するところで生まれていた。そこには多少の空間があるが、それを感じさせない迫力と臨場感があった。そして雰囲気は、人々が混沌とした時代時代を懸命に生きるが、しかし悠久の歴史の中ではほんの一瞬の出来事。そのような壮大感溢れる物語であった。
ネタバレBOX
冒頭に老婆が孫に語り聞かせる形で、ハーメルンの笛吹き男の物語を聞かせる。しかし、物語は1260年から約30年及び1945年という2時代を跨ぎ、伝承の話とは直接繋がらない。
1260年、ハーメルン市とミンデン司教軍のふ間で激しい激戦の末にハーメルン市民軍が壊滅する。その背景にはエーフェルシュタイン家と敵対関係にあるヴェルヘン家の勢力抗争が潜んでいる。舞台はそこにシュピーゲルベルグ家やエジプトの若きスルタン、それにテンプル騎士団が絡む壮大な物語になっている。
エーフェルシュタイン家の娘であり不死の存在のミリアムと、「千年のセピラ」で彼女を守るためパイドパイパーとなった夜の女王の娘…それが1945年では、歴史を変える力を持つ少女とパイドパイパーは時代を経ることで不死を感じさせる。その橋渡として歴史教師が登場し、子供たちに真の歴史を教えることになる。
物語に登場するのは、「命」のあり方、それにどう向き合うかという人間本質を問うているように思える。死なない...永遠にいき続け使命を果たさなければならない。それはいつ終わるとも知れない、その限りない「命」...不老不死を願う話もあれば、この物語のように苦悩と苦痛が際限なく続く、という宿命。「命」のあり方は、人間の幸せとはと鋭く問う。
「笛吹き男」の伝承をこうも大胆に解釈し脚色する、その発想力に驚かされる。この歴史エンターテイメントの面白さは、もちろん脚本、演出、舞台美術・技術の総合的な素晴らしさと賜物であろう。
そして、この内容をしっかり体現させるキャストの演技。この制作サイドと役者陣の両輪がうまくかみ合った素晴らしい公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
深海で聴くリリーマルレーン
劇団ガソリーナ
ザムザ阿佐谷(東京都)
2015/09/16 (水) ~ 2015/09/20 (日)公演終了
満足度★★★★★
ブラックコメディ...面白い
ザムザ阿佐ヶ谷劇場には何回も来ているが、このような舞台配置は初めてである。立体感があり躍動的な演技も観られるが、一方、醒めた目で俯瞰するような感じも受ける。最近話題になった出来事や人物を取り入れ、軽いギャグを発するなどコメディのようであるが、その描く内容は近い将来起こるかもしれないと思わせる、少し怖い話である。
その底流にあるのは人間讃歌であろう。
ネタバレBOX
舞台は階段状の客席も含め、上手・下手に二分し、出入り口側を舞台にし、その反対側(通常の下手側)を客席にする。舞台には事務机が3つとそれぞれに対面するようパイプ椅子が置かれている。
物語はハローワークでの職紹介という面接場面から序々に不穏な情勢に変化していく。仕事に就くという当たり前のような行為が、超インフレによって金の価値が失われ、それと同時に働くことの無意味さも示す。経済・金融至上主義が破綻し紙幣は紙くず同然。なにしろタバコ1本が600万円の時代である。そんな中、金を稼ぐため女達は一番古い職業へ...逞しい。
また季節が夏日、それも43℃、47℃という猛暑日が続く異常気象...ハローワークの中は涼しいと何かと集まってくる。
そして、不穏な情勢...いつの間にか沖縄県が独立し琉球国となり、パスポートなしでは自由に旅行できない。箱根の山々が噴火し要警戒指定地域になる。
極めつけが、中国・韓国・台湾の3カ国連合軍が攻めてきて、果ては東京に空襲警報が鳴る。
この平和で、小市民的な出だしから経済金融問題、自然環境問題、軍事政治問題などが、パラレルワールドとして描かれる。ハローワークで情報交換していた人々が、この破壊的な状況においても、なお活き活きとして前向きに生きようとする。出征の赤紙が来る状況でも、それぞれ想っていた男女3組が合同で挙式する。その結婚式...通常であれば紙吹雪であるが、札束が舞う。それも1千万円札、5千万円札、1億円札、5億円札、さらには5千億円札(肖像は松田聖子、裏面は印刷する余裕がないため白紙)という。札がゴミ袋に入れられ捨てられるくらい価値が無いのだ。
一見あり得ないような展開であるが、もしそうなったらという仮定の積み重ねと各トピックスが絡み合い、まったく否定できないのではと思わせるところが素晴らしい。些細な場面の云々よりも大局的に楽しめる、ブラックコメディである。そして、不穏な状況になっていることを誰も教えてくれない、教えてもらっても理解できない、というセリフは心に刺さる。
そして、この場面ごとに暗転する際にかかる曲...タイトルにある”リリーマルレーン”は本当にマッチしており心に沁みた。
次回公演を楽しみにしております。
龍 -RYU-
劇団ZAPPA
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2015/09/02 (水) ~ 2015/09/08 (火)公演終了
満足度★★★★
少し龍馬の魅力が...(雷)
龍馬が龍になる前の物語。どちらかというと土佐藩内における上士、郷士という身分制度の理不尽さに目がいくようであった。その主人公の龍馬は、その魅力ある姿がなかなか観られなかったが、そこは演出の妙であろう。ラストにはしっかり龍が天に昇る...そんな印象を持たせる幕末土佐における群像劇であった。
ネタバレBOX
もう少し早い段階から龍馬の魅力を出しても良かったのではないか。先にも記したが、龍馬の魅力がなかなか伝わらない。その脱皮する、または成長過程がわかり難かった。この「龍」という字は、”人との思いを繋げる”という意味があるらしい。その繋げる、という場面は郷士仲間との語らいの中で十分表現している。また裏切者と言われている郷士・岩崎弥太郎(雷・北崎秀和サン)との繋がりも心温まる。
柵(牢)内に閉じ込められている郷士が脱出(結果、脱藩)する、それまでの方策、それを阻止しようとする上士との攻防は面白い。その中で見える人間性...このあたりから龍馬の存在感が出てくる。この人の繋がりは、舞台の色々な場面で出てくる”蛍”が印象的である。一輝から無数に輝く、その美しさは幻想的であり、少し哀しい。この哀しさは、言葉を変えた土佐女...いやこの時代の女性全般に言えるのだろう。夢を持ち大志を抱くなど、考えもしない。坂本乙女の「男に生まれたかった!」は心に響く。
これから活躍する「龍馬」誕生までの、あまり知られていない脱藩までの芝居は観応えがあった。特に脚本・演出も面白いが、その役者陣の殺陣は迫力があり、最前列で観ていたが緊張感溢れていた。役者陣の演技力もバランス良く安定しているようであった。
なお、本公演は2回(9月3日、9月6日)観たが、初日では冒頭 郷士脱藩して途中川に足を入れるシーンでSEと合わない、また龍馬が江戸に出向く際、旅仕度(薬を渡す)シーンでは、初日はマイム、6日には小物箱を用意するなど、日々観やすく修正しており好感が持てる。
龍馬が初めから”龍”ではなく、段々と仲間の思いを知り受け止め成長していく姿が印象的である。今、意味を深く考えない行動・行為は大きな過ちまたは破綻を引き起こす危惧がある。今幕末ほどの転換期ではないが、不安定な情勢によって社会不安が広がると、多くはわかり易い世界観を説くほうに傾斜する傾向があるようだ。幕末における龍馬が日本または世界を見据えて、自分で考え行動したことを改めて自分の中で反芻したいと。
次回公演も楽しみにしております。
おおきに龍馬
劇団Spookies
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2015/09/16 (水) ~ 2015/09/20 (日)公演終了
満足度★★★★
有言実行させた、素晴らしい舞台
坂本龍馬亡き後、その大きな存在を失った若き海援隊士が自立しどう生きていくかを見つけるまでの再生(再構築)物語。その青春群像劇...ストーリーの展開に無理または疑問を呈するところもあるが、それを上回る役者陣の熱演が素晴らしかった。
ネタバレBOX
冒頭、褌姿の男たち(女性隊士1名は着装旗手)が舞台狭しとキレのあるパフォーマンスを観(魅)せる。この段階で隊士全員が登場し、その立場や性格が紹介される。それまで龍馬の夢の下、自分たちで考え、行動していなかったことに気づく。今後何をすべきか、どう行動するかという、自分自身への問い掛け、もがき苦しむ姿...それを克服し成長した時、終盤間際に自分の夢として生き生き語られる。
その描く舞台セットは、正面に聳える塀、もしくは帆船をイメージする作り。正面上部には舵、左右にはマストロープ。そしてアクション(殺陣)が迫力あり観応えがあった。そして、いつの間にか海賊との死闘の最中、丸腰になり暴力では人を屈することは出来ないと叫ぶ。心魂に響くセリフである。
この物語で無理または疑問に思うところは、隊士たちを再生させる試練(手段)のような場面である。海援隊士にして海賊である山本琢磨(小坂逸サン)が勝海舟(飯山弘章サン)の要請を受けて若き隊士たちを殺傷しようとしている。観ている限り、放銃・砲弾しているようであったが...。再生試練として有り得たのだろうか。さらにそれを龍馬の姉・乙女(おぉじのりこサン)も知っていたようだ。自分の中ではうまく辻褄が合わなかった。この展開に違和感が残った。
本公演は、龍馬亡き後だから龍馬は登場しないが、しかし自由に疾風するような姿なき龍馬が芝居の中心にいるような...魅力ある人物像が浮き彫りになるような素晴らしい演出であった。
実はこの公演、現代社会も鋭く問うような...この若者たちの見据える夢は様々。一人ひとりが違った見方で世界を眺めることで、初めて世界は正しく見えるのではないだろうか。みんなの意見が一致することも大切であるが、それぞれが違った意見をぶつけ合っている状態の方が正常かもしれない。そのためには自分をしっかり持っていることが...そんな思いを感じさせてくれた。
次回公演も楽しみにしております。
パイドパイパー と、千年のセピラ
劇団ショウダウン
あうるすぽっと(東京都)
2015/09/04 (金) ~ 2015/09/06 (日)公演終了
満足度★★★★★
千年のセピラ
大きな舞台に小柄な女性が一人...しかし演じるのは登場人物とストーリーテラーの役割も担い、10名もの人物を演じ分ける。
さて、舞台は同時上演する「パイドパイパー」との繋がり、その物語と興行の両方をうまく牽引するところは、作・演出 ナツメクニオ 氏の手腕の優れたところ。
ネタバレBOX
物語は、伝承でしか残っていない古代ローマの建国期におけるカピトリウムの砦を舞台に、そこで起きる謀略・戦争・愛情が壮大なスケールで描かれる...そんな前口上から始まる。このリードは、これから始まる一人芝居をワクワクさせる。
物語は先に記したようにローマ建国期に実際に起きた事件をモチーフにしているらしい。砦を舞台にローマ人とザビニ人の争い、その昔にローマ人の奸計によってザビニ人の男子が殺害され、女子は奪略された。そしてローマ人に育て上げられた(ザビニ人)少女...。時は流れ、ザビニ人が今度は復讐のため砦を攻める。その少女は攻撃してくるザビニ人の新王に恋し、城壁を開門する。その後、恋した新王に裏切られ...。
その霊魂はいつの日にか再びこの世に蘇り...パイドパイパーへ引き継がれる。一瞬、輪廻転生のような感じもする。
さて、本公演は第26回池袋演劇祭大賞受賞を記念したものであり、東京公演のみハイドパイパーの舞台裏で進行する、もう一つの奇跡の物語であるという。
伝承の世界であるから、そのモチーフを利用しつつも、大胆に発想し好きなように膨らませる。その内容は壮大なドラマであるが、一方細部に人間の愛憎というドラマも観える。悠久の歴史の中でも、なお一人ひとりの人間の営み無くしては刻まれない想いがしっかり伝わる。脚本、演出、舞台美術・技術は素晴らしかった。
また、林遊眠サンが表情豊かで躍動感溢れる演技で魅了してくれた。全体的には素晴らしかったが、序盤から前半にかけて台詞と動きに精彩を欠いていたように観えたが、杞憂であろうか。
次回公演も楽しみにしております。
3年G組
劇団だるま座
アトリエだるま座(東京都)
2015/09/08 (火) ~ 2015/09/16 (水)公演終了
満足度★★★★★
心に沁みる
27年ぶりのクラス会は、その年齢が45歳という人生におけるエポックとなるような時期を設定し、それを卒業した富山(とみやま)高校3年G組の教室で行うというシチュエーションも面白い。芝居の中でも、最近はホテル、飲食店で行い、二次会はカラオケというのが多いのに...。しかし、この教室内で行うことに意味があった。
そして冒頭、文化祭で「シンデレラ」を上演した思い出を語っているが、このシーンがこの芝居の底流にある友情、人間愛に繋がって行くようだ。
黒板に書いた「頑張れ!中年 我らが青春!」は、当日集まった卒業生それぞれが歩んだそれまでの人生を、本当に喜怒哀楽が鮮明になるような描き方で観応えがあった。
ネタバレBOX
人生に向きあう、友情を確かめ合う...という予定調和であるが、そこには27年経ても変わらぬ友情が確かに存在する。45歳という年齢は、仕事、夫婦、子供、親の面倒・介護、や将来に対する思いなどが錯綜する時期であろう。けっして若くもなく、無理も利かない。しかしまだ先のある人生にどう向き合うかも考える、という悩み不安が尽きない。それが当日集まってきた同級生の近況を通して浮き彫りになる。同級生同士で結婚した夫婦の平凡生活に対する自問、実家の店を継ぎ、いまだ独身男性、エリートコースから外れ虚栄する男、そしてやはり同級生同士で結婚したが、うまく営めない夫婦など、個性豊かな人々が時代を生きてきた。その人間くさいドラマに涙する。
恩師も参加する予定であったが、病のため代わりに娘がテープを聞かせる。この場面は声の出演のみで、その内容が少し教訓のようにも感じた。
恩師の指示で黒板に数学の問題(1÷1、1×1、5÷1、5÷2、∞×X)が...1の答えは自分自身を意味し、自己を持つ、5はその人間関係の広がり、少数点が出る答えは、余りとし小数点以下(人)を切り捨てない。そして無限の広がりが...。この場面は少し長いが、声のトーン・口調が実に柔らかく、聞き入るようである。
当日パンフで演出・美術の菊地一浩 氏が「個性豊かな面々。 それは、12色の色鉛筆のよう…」と記しているが、人は一人ひとり違うから、それぞれの力を掛け合わせたほうが面白いものができる。だから18歳の時の「シンデレラ」は記憶にあるのだろう。
最後に、教室でクラス会を行った理由は、数学担当でありながら音楽も好きで、クラスの歌まで作った担任が、その思い出の品(縦笛)を黒板の後ろの壁に埋め込んでいるため。その笛で合奏...クラスに馴染めなかった男も落涙する感動シーン。
なお、そのクラスの仲間に溶け込めない男とその子供の確執のような理由は、何だったのだろうか(子供が謝りたい?)。
実に見事な脚本・演出、そしてキャスト陣がそのキャラクラーになり切り、しっかり色をつけた演技をしていた。
次回公演も期待しております。
Unbreakable -アンブレイカブル- 第二章
演劇レーベルBo″-tanz
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2015/09/10 (木) ~ 2015/09/14 (月)公演終了
満足度★★★★
戦いの続きを観たくなる内容
本シリーズを昨年観ているから、前説で第一章概要を聞いて思い出した。初めて観るとその言葉・台詞に翻弄されるかもしれない。
なにしろ、旧約聖書偽典、ギリシャ神話、物理学・地質学、そしてその雰囲気テイストは、昭和の香り...その色々な材料(要素)をしっかり混ぜた豪華料理は、美味(上手)く堪能した。
その内容とは...
ネタバレBOX
ダーク・ファンタジー...ではあるが、そこにはしっかり脱力系ギャグも盛り込まれている。敢えて失笑を覚悟した、観客サービスである。
しかし、この公演の面白さはその脚本はもちろん、観せる演出、音響・照明という技術が素晴らしいところ。この独特の世界観が観る者の心を放さないのだろうと思う。
さて、この劇団の特長として映像を利用した描写が美しい。天使の翼...Wスクリーンにすることでその迫力を増し、観客も観やすくなった。前作を踏まえ、単にその続章公演ではなく、ステップ・アップさせてくるところが好ましい。
梗概は説明「天界を裏切った堕天使〈グリゴリ〉とそれを追う翼をもがれた天使〈殺戮天使〉との戦い。" グリゴリ達が堕天した時、天界からの追撃によって致命傷を負った〈サタナイル〉は醜い虫の姿になり地に潜っていた。 メルトダウンにより目覚めた〈サタナイル〉は地上に現れ”ある場所”を目指し暴走を始める。 ネフィリム事故の後始末にそれを利用しようと画策する〈石間興産〉の陰謀が絡む」というもの。
この話...どうしても原発を想像(創造)してしまう。この公演の物語性だけでも面白いのだが...。
最後に、芝居の展開上、辻井純奈(羽生田早穂サン)の件が唐突で混乱してしまったが、伏線があったのだろうか。”アマダスの弾丸”発後の説明セリフしかわからなかった。
次回公演も楽しみにしております。
第三章があるような含みの終わり方ですからね。
【ご来場誠にありがとうございました!】ギンノキヲク FINAL
ラビット番長
南大塚ホール(東京都)
2015/09/11 (金) ~ 2015/09/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
再演...やはり素晴らしい。
公演は特別養護老人ホーム「紀陽の里」で、そこで働く人々と利用者および家族の方々の心温まる内容である。「ギンノキヲク」シリーズは全四作あり、すべてを観させていただいた。それぞれの公演は一話完結になっているので、どの公演からでも楽しめる。
本「ギンノキヲク FINAL」は、昨年も池袋演劇祭参加作品として観劇し、その素晴らしさに感激したことを思い出す。昨年は別の観点で観ていたが、本年は純粋にその優秀賞作(再演)を楽しんだ。
ネタバレBOX
この公演で一番関心しているのが、井保三兎 氏の当日パンフに書かれている序文「家族が倒れて実家で24時間体制の介護を1年半体験しました。再び東京に戻って来た時…以前と同じように介護の仕事をしようと思って出来なくなりました」という箇所である。
介護…それは高齢化社会において行政はもちろん個人の生活においても大きな課題である。それは、芝居の中でも家族を介護することは、仕事以上に大変であったと悲哀をもって語ったことに凝縮されている。
自分も両親の介護を...自宅での介護の限界は十分承知しているつもりである。しかし、施設へという選択をするまでは相当の勇気というか覚悟を要したことを覚えている。
本公演の素晴らしいところは、単に人間味・人情味を描くだけではなく、そこで働く職員の労働環境もさりげなく問題提起している。昼夜の交代勤務、仮眠室のベットの不足、事務机での仮眠...。
最近は介護ロボットの開発も進んでいるようだが、最後は人間的な絆が大切になろう。
公演全体を通して、その人に対する思いやり、優しい気持ち...それが溢れんばかりに感じる。コメディな作風であるが、その底流にある問題提起は鋭く、大変見応えのある公演であった。
あの日はライオンが咲いていた
PocketSheepS
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2015/09/10 (木) ~ 2015/09/13 (日)公演終了
満足度★★★★
心温まるも、厳しい現実
タイトル...「あの日はライオンが咲いていた」は、多くの観客の涙で大輪を咲かせたようだ。心温まる話...とある病院の片隅で一人の少女のために語られる物語、である。しかし、人の思いやりという心温まる面と、一方その現実をどう捉え、対応していくのかを鋭く問う面、その両方が上手く描かれた秀作である。
劇団PocketSheepS 初の再演だそうである。その自信作の内容は...。
ネタバレBOX
本公演の素晴らしいと感じたところ...。
脚本・演出は、病人を主人公「梢」にした、当人だけのために語られる物語...いわゆる劇中劇であるが、序盤から梢が持っている本が「モモ」であることから、時間に関係する話であることを暗示させる。その導入の仕方は上手い。
そのテーマの観せ方は、ファンタジーのようで、淡い浮揚した雰囲気が物語の底流にある重く悲しい出来事を隠しており、徐々にその深刻さが分かってくる。その観せる興味をしっかり最後まで繋ぐ構成・演出は秀逸であった。
「記憶」という、目に見えない事柄の確認・消去という両面から捉え、どちらも当人を思い遣る優しさの表れ。一方、その自分のものである「記憶」を第三者が操られるという危惧と怖さ。
この物語(劇中物語)は、主人公の会社の「エデル」プロジェクトが記憶の一部を預かり管理するもの。その被験者として選ばれた。他にもプロジャクト開発部の人間2人も被験者になり、それぞれ被験者になった理由・経緯などが展開する。その消去(預けた記憶)とは、という謎と、それが何であったのか知りたくなる心理描写も面白い。しかし、これは全て自分側から見た事象であり、そこに隠された真実は...健忘が進む患者を思い遣るプロジェクトである。
また、キャストの衣装がカラフルで上着、タイツなども色彩統一していたようで、その感じもお伽噺を彷彿とさせる。そしてラストにしっかり泣かせてくる。あのエアーデルワイスが舞い落ちるシーンは...やられた。
気になったのが、キャストの演技力である。その力量に差があり、観ていて違和感を持ったのが残念でならない。
「あの日はライオンが咲いていた」は、百獣の王といわれるライオンのごとく鋭い印象を刻み込んでくれた。
ちなみにエーデルワイスは、ライオンの足裏(肉球含め)に似ていることから、その別名を「ライオンの足」と言うそうである。
次回公演を楽しみにしております。
よみ人シラズ
ナイスコンプレックス
吉祥寺シアター(東京都)
2015/09/09 (水) ~ 2015/09/14 (月)公演終了
満足度★★★★
いろいろ考える
この公演は、観ていて胸が締付けられる思いであった。第二の故郷である広島県内で、某高校における日章旗掲揚・君が代斉唱を端に、教師が卒業式前日に自殺した事件(こと)があった。確かこのことが「国旗及び国歌に関する法律」成立のきっかけとなったと思う。
この芝居は、描く内容が観客によって受け止め方が違うであろうことを承知で、それでも敢えて問題提起したと思った。その表れが、タイトル「よみ人シラズ」...実に上手いネーミングである。この公演の素晴らしいと感じたところは、問題の根幹を見据えつつ、しかし直截的に描くことをせず、その思いを観客に委ねたところであろう。確かに主張は垣間見えるが、そこは余韻として受け止めた。
ネタバレBOX
梗概は、2015年生まれのアキラが成人式を迎える2035年。2020年の東京オリンピックを経た本当に近未来の話である。その時に国歌として「君が代」斉唱を促されるが...。
表層的には、君が代を巡り、過去・2021年(小学校入学式)・現在(2035年)という1100年の時代空間を旅する。そして更に自分の生立ちで小学校入学式でのトラウマ(苛められたと誤解)になっていた耳が聞こえない、を成人式において邂逅・誤解が氷解、克服するような成長物語。
その舞台は、ほぼ素舞台であるが、中央上部に日章旗(真ん中部分は刳り貫き、旗後部から出入り)が掲げられている。板上は登場人物分のパイプ椅子が並べられているが、それは常時あるわけではない。
さて、「君が代」の考え方として、時代は文徳天皇の第一皇子惟喬親王の時代へ。親王に仕えていた者が詠み人知らずとして扱われるが、この詞が朝廷に認められ、詞の元となった”さざれ石”...が登場する。
そして時代は下り、紀貫之編纂での取り扱い。ここでの「君が代」の解釈はどうか、という学問史書の内容も披瀝する。
更に時代は下り、明治時代...第二次世界大戦という戦前までの「君が代」とは...万葉集などでは「君が代」自体は「貴方(あるいは主君)の御寿命」から、長(いもの)にかかる言葉である。転じて「わが君の御代」となる。国歌の原歌が『古今和歌集』の賀歌であるため、「我が君」の「君」とは天皇なのかどうかということがしばしば問題にされる、らしい。刷り込みも示唆するような展開もあったが...。
この”君が代”斉唱の時に、起立の号令に従ったのは、アキラだけであった。耳が聞こえないから...しかし、その歌詞に引き込まれた、というのが事の始まり。そして斉唱号令を掛けたのが父親であり、耳が聞こえないアキラを厳しく育て上げた。そのいくつもの思いが「君が代」を通じて描かれた秀作である。
描き方が難しいようなテーマであるが、今、いろいろなことを考える...自分で考えるという姿勢が大切である。この物語では敢えてそれに挑み、主人公の身体的ハンデによる心を上手く使い、自分の成長と同調したようなストーリーに感心した。
次回公演を楽しみにしております。