桜の森の満開のあとで 公演情報 feblaboプロデュース「桜の森の満開のあとで」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    白熱した机上議論
    近未来における日本の地方都市の在り方を示唆するようだ。前提は、あくまで大学における授業であり、架空の地方都市という設定を確認しておかないと、現代の法制度などと整合性がとれない。
    タイトルに惹かれて観劇することにしたが、直接的な関連性ではなくその背景に隠されている危うさ、悲しさが垣間見える。

    ネタバレBOX

    大学ゼミの卒業試験「モックカンファレンス」(通称モック)は、模擬会議のこと。この会議では一定のルールのもとに会議を進め、成績評価されるという。
    この卒業試験は、集大成としてそれまでの年間成績がどのようなものであっても、この卒業試験で優秀と認められれば「A」評価になるという。
    この大逆転の可能性が、この公演のドキドキ感を膨らませる。

    卒業(モック)試験の題材は、高齢者から選挙権を放棄させる条例である。この街の状況が次から次に顕わになり、地元の危うさが露呈してくる。
    ゼミ成績がかかっているため、利益代表役(例えば商店会、漁業連、農業連、行政職員)として喧々諤々と相手(賛成・反対)を論破しようと熱演する。

    この議論は高齢者対策(高齢者の行政に対する口封じ)が声高に問われる。公演の表層とは別に、安保法(案)、原発、特別特区(正式名称別)...今日本が抱えている問題をしっかり考えさせる。学生議論を通じ観客にもその問題提起をしている。

    この登場人物は指導教授(市長役)も含めて12名である。どうしてもこのシチュエーションだと「12人の怒れる男」(1957年・アメリカ)や「12人の優しき日本人」(1991年・日本)という映画を思い浮べてしまう。ここでも映画同様、全会一致が原則だからである。

    物語を面白くするため、家庭の事情で大学に通学しなくなった友人を参加させ、単位を取らせる設定もある。事情とは、卒業試験という恩恵で単位が取得できるか、という興味を持たせる。実に上手い演出である。

    ところで、個人的にはラスト...高齢者から選挙権を奪い、逆に若者は被選挙権を失うという動議のようなもの。一件落着のような...老人・若者の歪な平等感を説くが、若者は行政、ひいては為政への主体的な関わりから遠ざかるようであるが...。責任ある立場、それを牽制する立場などが必要であると思うが自分の勘違いであろうか。

    最後に、タイトルであるが、坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」は、東京大空襲の死者たちを上野の山に集めて焼いたとき、折りしも桜が満開で、人けのない森を風だけが吹き抜け、その寂寥感を書いたものだという。この公演でも切り口は弱者切捨ての発想のようであった。その象徴する言葉...姥捨...言い換えていたが本音といったところ。その響きは本当に悲しい。
    終わってから、年代果林さんと話をさせていただいたが、総じて若い役者が多くて勢いがあるとか。生き活きと演じており好ましい。

    12人ひと幕の濃密な会話会議劇は素晴らしかった。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2015/11/09 09:35

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