タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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ヴァギナ・デンタータ

ヴァギナ・デンタータ

芸術集団れんこんきすた

ART THEATER かもめ座(東京都)

2015/12/03 (木) ~ 2015/12/06 (日)公演終了

満足度★★★

女性視点の…
舞台セット、その雰囲気が妖艶、耽美そして幻想という印象である。そして枠囲いのある前面ガラス部屋...額縁内のショーを見るようである。タイトルから意味深であり、しっかりその意味するところが明かされる。しかし直截的で共感し難い。女性の“性”を中心とした体・心の苦悩が描かれるが、その痛切さが今一つ伝わらない(自分が男だからか)。
このシチュエーションになった経緯、理由のようなものが漠然としている。逆にそれが説明できれば謎解きの納得性が得られるが、神秘性が損なわれる。本公演では、状況説明は敢えて割愛したのだろう。

さて、女性6名が繰り広げる世紀(セイキ)の晒し話とは...。

ネタバレBOX

舞台は、段差を設けて中央奥にファッションソファー、クッション、上手・下手に椅子2脚ずつ配置。その真ん中にテーブル、その上に観賞花が置いてあり、(日時)経過で取り替えられる。床には赤いファッション絨毯が敷かれている。

出入り口のない一室に閉じ込められた女性、その状況・経過が分からず不安と恐怖を募らす。そのうち、他人ということを前提に一般的な心情(職業等)を話すうちに、性癖に関することまで激白する。30歳過ぎで処女、“性”質の悪さ、同性への愛などが切々。キャラクタ(化粧も含め)の濃淡があり過ぎて、特定の人物(女優役)にフォーカスしがちに感じた。

最後になって静観していた女子大生がタイトルを...「ヴァギナ・デンタータ」とは陰部に歯が生えている、ということ。魅力的な仕草で男を誘惑し交りの後、陽根を噛み切り殺す。強姦等に対する戒め、教訓のような俗説。そしてギザギザ葉が象徴...。それゆえテーブルの上の花...ハーブという台詞が活きてくる。

刺激ある雰囲気、女優陣の魅惑な演技は良かったが、それを収める物語という器がはっきりしない。伸縮自在な迷路にいるようで...手応えがもう少しあればと残念に思った。

次回公演を楽しみにしております。
てくてく。

てくてく。

Nuts Grooove!

シアター711(東京都)

2015/12/03 (木) ~ 2015/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★

心温まる
本公演は約20年ぶりの第2回公演、そして再演である。雰囲気は昭和テイストであるが、物語は平成28(2016)年8月中の一週間という設定(掲示しているカレンダーに山の日が既に祝日)であろう。
一軒家(夢見荘)...大家、猫(♀)一匹、住人(男2人、女1人)のシェアハウスに、5年ぶりに新しい入居者が来ることになり盛り上がる人々。そして舞台セットは物語にピッタリ。その新人と住人達の交流を通して描かれる人情ドラマは秀逸。

ネタバレBOX

この家に住んでいる人達は、みんな心に様々な苦悩を抱えている。しかし、新入居者の拒絶した態度と住人達の交流を通して改めて心の深淵を覗き込み、一方新しい住人は心を氷解させていく。その過程が擬人化の猫・ナナ(田中優希子サン)を緩衝としてゆっくり変化していく。

舞台セットは和室。上手寄りに共用部屋、そこに丸卓袱台・茶箪笥など、下手が新入居者の部屋。その間には仕切りがないため、パントマイムによるドア開閉。できれば開け閉めの音があると効果的だと思う。
 
さて、登場人物・動物は、5人と1匹であり、そのキャラクターと心に闇を丁寧に描き出す。大家さん(かとうずんこ サン)は、夫の浮気相手の女性にコンプレックスを持ち、女性恐怖症になる。住人男(40歳過ぎ)・タカヤマ(山崎いさおサン)は、男色で未婚、親に嫌われたくない。住人女・リョウコ(黒崎雅サン)は浮気し、不毛な愛に嫌気がさしている。男(23歳)・ミナミ(イワム サン)は、親と喧嘩し18歳で家出した。この新人(23歳)・アイ(石井玲歌サン)との会話を通して、心情を吐露し、逆に新人が住人達の心の痛みを知ることで、自分を曝け出す。この坦々とした暮らしの中に台風が急襲し、その後には青空が...。そんな清々しい気持ちにさせてくれる。

アイは、父が浮気をし両親が離婚。母は父に徐々に似てくるアイにその面影を見て苦しむ。 慟哭“母がだんだん女になってくる”は印象的な一言。会話が途切れた時の雑踏、路面電車の音など、日本の原風景がその先に見えるようだ。
当日パンフに役名が記載されているとうれしい。

次回公演を楽しみにしております。。
やさしい森の雨

やさしい森の雨

立体再生ロロネッツ

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2015/12/02 (水) ~ 2015/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★

ブラックジョーク
常道、常套のようなプロローグ、エピローグで繋げる公演…15人が登場する群像劇であるが、主人公に当たる人物の描き方は、最近多く観る手法のようだ。
チラシには、昭和30年代、東南アジアのジャングル、サラリーマン達という抒情的な文字が記してある。もっともその内容は現代社会に通ずるものであり、多くの示唆が…。
この公演の見所は、物語性とそれを展開するテンポの良さであろう。
舞台セットは暗幕に素舞台である。その中に劇団名にもある立体した世界観(思い、ジャングル風景、追跡時間)を築いていく。

ネタバレBOX

梗概は、親会社から関連(子)会社へ研修という名目で派遣されたサラリーマンが、研修で見る映像。社畜から社遂されるような感じ。それは昭和30年代に会社の機密資料を持ち逃げした同僚を探すため会社から派遣されたサラリーマン達の冒険物語。サラリーマン達の同行者…東南アジア某国高官による軍人とガイドの同行、別に不正のスクープを狙うジャーナリスト、更にはジャングルに住む先住民、この三辣みのグループが逃走した男と機密情報を追うというもの。機密資料にはODA(政府開発援助)に絡む利権の不正処理が書かれているという。グループのうち軍人とガイド、及びジャーナリストには各々思惑がある。表層的には、癒着・不正の隠ぺい、貧困からの脱出(金品取引)、抜駆けの偽正義が見える。この公演の主人公は逃走したサラリーマンであるが、その人物は登場しない。主人公不在であるが、その概形は徐々に印象づける巧さ。

現代、企業本位によるリストラ、そこにはブラック企業の姿も見え隠れする。最近やっと購入したマンションが傾くという事件があった。原因は不十分な杭打ち。想像もしない不意打ちにあった購入者は、補償云々の話しがあっても “土台” 納得できないだろう。

この公演に出てくるODA…昨年(2014年)で60周年を迎えたが、国民の血税で行うため、その健全にしてその有用性が問われる。国家間の信用は、それを担う人と人の信頼関係が基本。この公演でもラスト…こんなこと(無意味なリストラ推進)して何とも思わないのか、という痛烈な批判を込めた台詞があった。「砂上の楼閣」という言葉があるが、人も企業も土台を疎かにすれば、傾くのは時間の問題である。

内容的には緊密性が感じられるが、演出は緩い関係性と軽妙なダンスで視覚で観(魅)せる。このバランス感覚が良い。
なお初日のためであろうか、演技が硬く、また短時間だが舞台上が空白になるシーンがあったのが気になった。

次回公演を楽しみにしております。
田中さんの青空

田中さんの青空

劇団CANプロ

銀座みゆき館劇場(東京都)

2015/11/27 (金) ~ 2015/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

労作…脚本・演出の妙あり
タイトル「田中さんの青空」とは意味深であり、物語の世界に引き込むネーミングだ。その”田中さん“が気になったら既に物語の中にいる。始めは分割シーンばかりと思ったが、中盤以降にその意図が分かり驚いた。しっかり台割を行った上での脚本であり、観客の意識を刺激する。また演出は、カット・バックし取捨選択したシーンであることが分かる。映画と違い採用数が限定されていることから、脚本と演出は相当練り上げないと物語が伝わらないし、その面白さを組み取ってもらえないと思う。その点について、本作品は成功したと思う。
さて田中さんは、徐々に姿が立ち上ってくるが、そこへの誘導が見事であった。さらに社会性も絡ませるが、そこにタイトルとの関連が…。

ネタバレBOX

約20年の歳月が流れるが、その経過はあまり感じない。映画におけるカット・バックを多用したようで、一瞬での場面転換を繰り返すため時間の流れを体感し難い。その代わり場面の繋がりは、断片的になるがその間は、観客の想像力をたくましくさせる。そのことは観客の受け止め方の違いだけ、想像力の幅が広がると思う。
それゆえ、素舞台に近く、場面によって数個の整理箱が持ち込まれ、テーブル等に見立てたりするだけ。固定したイメージを持たせない演出である。また1場面に登場する人物も基本的には1名であるが、シ-ンによっては2名である。

物語は、上演場面の順番を無視すれば、仲良し3人の女性が子連れでピクニック。その内の2組の夫婦の夫と妻が男女の仲になる。浮気している女が貴方の夫は浮気しそう...とその妻(妊娠中)に親切ごかしに言う。逆に浮気をされていた妻が浮気女を追い詰めて自殺させる。残された女の子(3歳)が冒頭シーンの偽痴漢騒ぎの女。田中さんは仲良しだったころに住んでいた町の(田中)洋装店の名前が通称になったようだ。本当の名前とその後の消息は不明。
時代が流れ、痴漢呼ばわりされた男は会社を解雇され、今はカラオケ店のバイト。その店に毎週通いグループルームを借り一人カラオケに興じる女が痴漢騒ぎの本人。この女が「田中さん」を連呼する件から、田中さんに育てられたのかも...。エピローグとプロローグが逆転して邂逅するような繋がりは見事。

田中さん自身を直接説明するのではなく、周囲の状況から人物像が浮かび上がるような手法は最近よく観かける。見え隠れする姿や場面転換による状況変化を想像する楽しさは演出の妙と言える。元脚本を分解(分割)し、再構築するという、印刷の台割のようであるが、どのように順序立てるか。そこがこの公演が面白くなるか否かの要諦であったと思う。その意味では巧く処理していたと思う。

さてメッセージ...洋装店のマネキンが裸のまま、そして右腕がない、など差別・貧困や平和をイメージさせていることは明白であろう。その社会性を連想(政治関連に興味を持つ方は想像を膨らませるだろう)させる巧みさもある。案外、田中さんは傍にいて色々な事を見ている…明日も含め。

チラシに「右腕がない絵柄」と黒人の子供の写真」などを一緒に掲載しているのはなぜか(劇中の台詞もあった)。驕りが透けて見えるようで気になるが...。

次回公演を楽しみにしております。
中二階な人々

中二階な人々

Theatre☆Company ゆみねこ企画

絵本塾ホール(四ツ谷)(東京都)

2015/11/25 (水) ~ 2015/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

味わい深い...
同級生の男女6人が共同生活している一軒家が舞台で、そこでの暮らしが坦々と描かれる。変化に乏しい内容かと思ったが、30歳前後の微妙に揺れる心情がしっかり伝わる秀作。
映画であればロング、アップなど画面処理で距離感なりを表現することが出来るが、芝居は舞台と客席の距離は一定で、観る範囲は同一になる。それでも映画にはない、役者の息遣い、客席からの笑い声など、場内一体となったライブ感が演じている人物の心の機微、各人の距離感を表現している。
そう、生活は坦々、心の動きは淡々であるが、それぞれが悩み迷っている姿は、その年齢の人の等身大を見事に映し出した。

ネタバレBOX

舞台セットは、同居している一軒家の共同スペース(リビングか?)で、中央にファッションソファー、テーブル、上手にBOX棚とその上にコーヒーカップ等。下手は観賞葉のみ。上手が玄関、下手が別部屋への廊下か階段のようである。

この公演の時代背景は、2002年。主宰・演出家の秋葉由美子女史が当日パンフに「2002年は、内閣府の調査でニート(就職する意思がなく、職業訓練もしていない若者)数が85万人になったことで話題になった年だそうです。大学に行って、就職して、結婚して、子どもを産んで...という”人生のレール”に疑問を持つ若者が、それだけ増えてきた頃。」と記載している。
まさにその書いたこと、感じたことが、この公演に現れている。変化に乏しい物語のようであるが、上演時間2時間は飽きさせない。そこには日常の中にあるちょっとした出来事が、ざわざわ、もやもや...表現し難い心境を同居人宴会の中で吐露する。そのキッカケは外部のバイト後輩・ワタナベミユキ(古河遥香サン)を同居人・タカギ(奥村俊サン)への愛告白という形で刺激を与える。その小さい波風を立てる演出が巧い。
仲が良い時ばかりではないだろう。嫌悪の部分を描けば、メリハリは出るだろうが、敢えてそのシーンは使わない。そこに優しさ、信頼というポジティブ面だけで描くという信念のようなものを感じる。

タイトル「中二階な人々」は、若者と呼ばれる年齢ではなく、もう少し自立を迫られそうな中途半端な感じが読み取れる。”今”の居心地は良い、しかし本当にそれでよいのか、日常に流されているのでは、自分が本当にしたいことは、その疑問の数々と自分でも捉えきれない本心...その”もどかしさ”が、その年齢を通り過ぎてしまった自分には愛らしく思える。今だから言える”ガンバレ!

この舞台設定の前年(2001年)には、アメリカ同時多発テロ(9.11)が発生しており、日常の生活に埋没して苦悩する姿も描く。平和集会から帰ってきたであろうシーンは少し唐突感があったが、さりげなく911をイメージさせるTシャツを着るなど、細かい所にも配慮している。

物語に変化が少ない分、演技力が試されると思う。会話する面はテンポがあるが、無言...いわゆる”無の間(ま)”は若干長いシーンもあったと思う(自分感覚)。
繰り返しになるが、日常をしっかり捉え、そこに内在する人の揺れる危うさのようなものが共感できる、そんな秀作であった。

次回公演を楽しみにしております。
燦の夜を征け

燦の夜を征け

劇譚*華羽織

東京アポロシアター(東京都)

2015/11/26 (木) ~ 2015/11/29 (日)公演終了

満足度★★★

広がりも深さも感じられず...
風営法強化で危険地区指定された「歌舞伎町」...という謳い文句に惹かれたが、内々の小さな物語であった。近い将来あるかもしれない、そんな先見性を感じるだけに勿体ない。
演出や演技でグッと引き寄せられる力強さがあればよかったのだが、それも物足りなかった。初日でかたくなったのだろうか。

ネタバレBOX

舞台セットには、「KEEP OUT」の立ち入り禁止テープが張り巡らされて、異様な雰囲気作りになっている。その物語は、名門家族における兄・妹の歪な恋愛感情の縺れが原因の「歌舞伎町」危険地区指定である。
登場人物もホスト、キャバクラ、オカマという風俗店代表の面々、それにチャイニーズマフィアが絡み、少女一人を巡って抗争が起きる。兄側と妹側という対立構図、そしてアクションシーンで観せることになる。物語はあくまで兄・妹が中心で、なぜその妹を執拗に狙うのか、というミステリー風なところがあるが、その理由は強引、偏執という類で説明するに止まる。それゆえ歌舞伎町という歓楽街を舞台背景にしながら、物語に社会的な広がりが持てない。また兄の妹に対する一方的な愛情による行動だけに、”何故”も描かれず人間的な掘り下げも弱い。かろうじて歌舞伎町の風俗で働く人々の仲間意識は強いのかな~と感じたかも。
せっかくビジュアル的に化粧、女装、派手な衣装など見た目は賑やか。その身なりでアクションを上手く観(魅)せてくれたら、と少し残念に思った。

次回公演を楽しみにしております。
Only Lonely Rose

Only Lonely Rose

My little Shine

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2015/11/18 (水) ~ 2015/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★

面白いが…
過去と現在の境界に紛れ込み、不思議な体験をする女性の物語。ミステリー・サスペンス要素を織り込み、浮遊感、意識の混濁のような世界観を描き出す。空虚な過去、虚脱の現在、復活の未来へと導く。心底にあった思いが、ベールを剥ぎ取るように形象化される。
この公演では「大切なものは失ってから分かる」という台詞に見られるような、学習的な言葉によって物語が紡がれるようだ。世界は在るがままの目に見えるものだけではない。意識の潜在下に本音があり、行動していると...。
良い子ぶってもダメ!、あんたどうしたいの?
知っているようで分からない本当の気持とは...

ネタバレBOX

舞台セットは、図書館をイメージさせるため、変形階段の上辺の上手・下手に書架をイメージした張りぼてが立(建)てられている。基本的には、その階段の昇降の行動で場所と時間の変化を現す。物語は、複雑な様相を呈するが、場面転換の前には妖精のような妖しが現れるため、混乱することはない。
主人公の女性が、現在(図書館勤務)と過去(高校生時代)の境界に紛れ込む...今昔の意識が混濁したような世界が現れる。”良い子”でいるのは本当の自分、という自問自答するような姿。良い子を演じているのか否か、実は本人も気が付かない。他人(友人)を通した評価で一喜一憂する。自分探しのような話が中心であり、周りにいる人々と出来事・事件はその彩りに過ぎない。
高校時代の女友達は、一緒にいるだけで友達と言えるの? 彼氏は、私の気持を理解しているの、束縛していない? 図書館の閉鎖はどうなるの? ストーカーは? など色々絡み、それを収束させるため強引な展開になっている。印象としては、辻褄合わせに終始したように思える。

主人公の人物像の掘り下げを行い、人のあり方のようなものを描いて欲しかった。先にも記したが、自分のことは自分がよく知っていると思っているが、案外知らない面もある。自分の大切な気持、思い遣りは、その先にあるものを失って初めて気づく。

ラストシーン、懐中電灯オジさんとの会話が、それまでの話のすべてを凝縮するような言葉...”一つの星だけでなく、すべての星を愛す大らかさ”、という教訓臭も鼻に付く。このオジさん、殆ど登場しないだけに違和感がある。それも浮浪者のような風体・格好にする意味もわからない。真の姿は外見ではない、というような比喩か?

気になるところは、どうして過去・現在が陥穽するのか、そのキッカケ、理由が明確でないところ。
公演を通して、シーンごとの出来事のコミカルな演出、緩いサスペンスは楽しんだが、物語の展開がご都合的のようであり、残念に思った。

次回公演を楽しみにしております。
ドアを開ければいつも

ドアを開ければいつも

演劇ユニット「みそじん」

atelier.TORIYOU 東京都中央区築地3-7-2 2F tel:03-3541-6004(東京都)

2015/11/21 (土) ~ 2015/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

秋バージョン
一つ屋根の下、日々起きていた出来事は今は昔。面倒くさくて、やっかいで、温かくて懐かしい。
亡き母の七回忌前夜に集まった四姉妹の他愛無い会話、綺麗ごとだけではない波瀾の家庭史を、静かに時に激しく繰り広げる珠玉のホームドラマ。

今は父と二女の二人だけが実家で暮らしている。人は現在だけを生きてきた訳ではない。時空を越えて過去の家族との心を通わすことができる。それを仲立ちしているのが、長い時を一緒に積み重ね、やさしく見守ってくれた家の存在。その家の風景が家族の思い出とともにある。舞台となっている家も老朽し...唯一の物理的騒動であるが、父が登場しない家にあって5番目の登場(人)物のように思える。このお座敷公演は、その雰囲気にピッタリである。

ネタバレBOX

今、この四姉妹はそれぞれの生活を築いており、少し距離がある関係になっている。それでも会えば一瞬にして時が逆戻りする。そして、さりげなく近況も見せる巧みな演出。

さて、「人」という漢字は、背を向けるように2本の線が左右逆方向に払われながらも互いを支えあっている。他人とは違い、家族(母は亡く)...それでも姉妹は、日常的に会わなくなった分、お互いの近況が気になり、思いやりも増す。もっともそれが、お節介、煩わしいという反発を生むこともある。姉妹のキャラクターがしっかり立ち上がり、遠慮のない本音がぶつかり合う。観客(自分)は、それをそっと覗いているような感覚である。

公演によってキャスト(役柄も含め)が変更になるが、それにも関わらず濃密な会話が聞こえる見事な公演。

今回は秋バージョンということで、ホトトギスの花が咲いている。できれば、音響として、窓を開けたら雨の音、そして止んだら虫の音が聞こえたら...風情があったかもしれない。

次回公演を楽しみにしております。
ときのものさし

ときのものさし

HOTSKY

遊空間がざびぃ(東京都)

2015/11/20 (金) ~ 2015/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

心が揺さぶられる珠玉作
初見の団体...「介護」という説明文に興味を持って観たが、滂沱した。観る年齢層によっても捉え方に差があるかもしれないが、人はいずれ老いる。その時までどう生きるか...この公演でも特別な出来事は起きない。ただ坦々と日常の生活が...しかし、だからこそ身近で味わい深いものがある。

芝居の魅力は波瀾万丈か、虚実皮膜の世界を描くだけではない。その物語性も大切であろうが、芝居の丁寧、細密にもその魅力を感じる。本公演は言葉に力強さがある。その輝く台詞が公演全体を覆いつくし観る者の心を揺さぶる。
なお、認知症が進むと言葉が少なくなるが、そこに演出の工夫が…。

ネタバレBOX

介護施設「緑風荘」にいる母は認知症が進み、息子や嫁、孫の名前まで忘れがちである。自分の思いは、「後悔先に立たず」という諺があるが、本当にそのとおりであると実感した。認知症になると会話が著しく困難になり、意思相通が難しくなる。公演では「こえ」という役柄があり、無音になる芝居を観(魅)せていた。

また、公演の構成の巧みさに感心させられた。約60分という短い上演時間を前半・後半に括り分け、その前半...心の彷徨は、既に故人となっている離婚した夫、実妹に向けられる。その会話は方言や標準語が交わり愛らしく聞こえる。丁寧な展開の中に深い思いやりが見てとれる。今になって言える、または聞かされる本音の数々。”生きてきた”という実感がこもる。
後半...実の息子夫婦との関係は、自分の覚束ない記憶への諦め、苛立ち、息子への気遣いが痛いほどわかる。親密(親子)であれば向き合いたくない現実がある。その突き放したような描写が切ない。

この”夢・現”で繰り返し呟く言葉...胸の中で自分の支えとなる「しょうがないね~」は、”自分を許すお守り””大事な人を安心させるおまじない”という。慎ましやかな響きは、彼女の人間性をしっかり印象付ける。

最後に「認知症は、英語でロンググッドバイ」というそうだ。長い別れであるが、大切な思い出もたくさん残してくれた。そんな余韻を感じさせる見事なラスト。
次回公演も楽しみにしております。
家族カタログ

家族カタログ

B.LET’S

小劇場 楽園(東京都)

2015/11/19 (木) ~ 2015/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

ゲネプロ拝見
「雨降って地固まる」という諺があったが、この公演は”台風が来て血固まる”ような家族再生の物語。もっとも固まるのは結束というか、その思いやりという目に見えない”気持”。家族だから知っている、しかし案外知らないことも多い。そして時として鬱陶しくなる存在をしっかり感じさせる。
BLET’S得意の会話劇が、楽園という小空間を濃密に満たしている。それは観客(自分)の心にも面白いという満足感を与えてくれた。

ネタバレBOX

梗概は、向井醤油専門店(家族)の濃口ならぬ恋愚痴の話…始まりは三女・友布子(如月皐サン)が付き合っていた男が二女・友美(永島広美サン)と結婚し、その当時、家族内でしっかり話し合わなかった結果、三女が家を飛び出した。その憎悪ある三女が法事で帰ってきたことから騒動が起こる。家族という内に現れた台風は激しい爪痕を残し、一過した後は…。

上演後に書いたアンケートを見ると、この2~3年の公演はほとんど観ている。脚本・滝本祥生 女史に作品の良し悪しを聞いても、多分どの作品も思い入れはある、と答えるのではないだろうか。脚本を書くことは子を産むと同じようなもので、大変なことだと思っている。子にもそれぞれ特長があるように、作品にも...。
本公演は、家族という内側の世界を描いており、現実的に考えれば、特異な出来事(事件)を展開するのは難しい。その意味でありそうな話を愛憎表現で牽引しているため、スリリングさは感じられない。また暴露話の応酬に終始しそうになるが、家族ともなれば内輪の思い出や出来事が頻繁に出て来るのは当たり前かもしれない。ここが他人との会話の違うところだろう。

全体は予定調和のような気もするが、二女が三女に向かって「将来、私の前に現われないで!」という本音が怖い。そこには姉妹を超えた、人間(女)としての感情が顕になっている。この公演は演出・演技で見せる”常識や理性で律しきれない思考や感情”表現が素晴らしい。

さて、作品(子)は、他人(観客の自分)から観ると、「春の遭難者」のような社会性が垣間見えるのが好みである。例えばこの作品でも、不景気にも関わらず商売が成り立つ老舗...世間の目、悪い噂のような、家族外との関係、影響はどうであったのか気になる(視点が散漫になる危惧はあるが)。

次回公演を楽しみにしております。
あたしのあしたの向こう側

あたしのあしたの向こう側

トツゲキ倶楽部

d-倉庫(東京都)

2015/11/18 (水) ~ 2015/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

パラレルワールドが…
人は色々な選択や判断をして生きている。それが間違った選択だとしても過去は変えられない。SFの世界ではない…いや芝居なのだからやり直しは出来る。そんな別次元の自分が目の前に現れる。
これから起こる不思議体験は…。

ネタバレBOX

交番内の一場面...舞台セットはその後ろにピラミットのような階段。
交番勤務の警察官が「パラレル宇宙論」という雑誌を読んでいるところから物語は始まる。

時空管理をする組織(局)の誤作動により、パラレルワールドが出現する。その結果、現在の私も含めて9人(同じ名前のため女1~9という番号で識別)の自分が現れる。私以外の自分の存在が理解できないという不思議感覚。そこで起こるコミカル騒動は、笑いが渦巻くにも関わらず哀切を感じてしまう。選択が違った結果、ベクトルが拡散し勝手な会話(思い出話)で収拾できないかと思われたが、あることをキッカケに収斂していく。過去に選択した結果が今の私...しかし、今の私はやりたいことが分らない(明確にできない)。恋人と思っている人との関係も進展しない。もどかしく思う過去の自分たちが今の私を叱咤激励する。

女優9人が同一人物であるにも関わらず、個性豊かに”私”もしくは”自分”を演じる。特に女5(前田綾香サン)の存在感、女9(佐竹リサ サン)のコメディアンのようなストーリーテラー役は秀逸。まさにシャレではないが、5(ゴ)・9(ク)=極上の輝きである。そして、この女優陣を始め、取り巻く登場人物の生き活きとした演技力がこの公演の魅力だと思う。

気になるところは、時事...政治ネタが少し強引のようで白けてしまいそう。例えば「地域紛争の後方支援に行ったきり帰ってこない」とか、もうワンフレーズくらいのほうがインパクトがあり、印象にも残るのではないか。
最後、女5が着ている「青幕」のような服が悲しい...余韻のある見事なラストシンーンであった。

次回公演も楽しみにしております。
音無村のソラに鐘が鳴る

音無村のソラに鐘が鳴る

演劇企画ハッピー圏外

TACCS1179(東京都)

2015/11/13 (金) ~ 2015/11/19 (木)公演終了

満足度★★★★

最先端科学技術を緩く…
物語は、最先端科学技術の話題であるが、その観せ方は軽妙コミカル。また舞台セットもその演出の延長線上にあるようなマンガに出てくるようなもの。
公演全体の雰囲気は、ハッピー圏外らしい温かみと優しさに包まれている。現実の宇宙開発事業はロケット発射場のある自治体、政府機関、民間企業における様々な思惑が絡むようであるが、この公演でもリアル社会を投影しているような...。

ネタバレBOX

梗概は説明引用させてもらい「民間・音無宇宙開発局はロケット事業の岐路に立たされている。 それまでの無人探査衛星打ち上げから、 宣伝目的の名目だけの有人ロケット開発への移行を迫られていた。 技術、費用、人材、時間不足など、とっても不可能な状況。 局員もやる気を失いかけるが、音無宇宙開発局へやってきた青年により事態は急変する。」という。

さて、芝居には細かい疑問等が多くある。例えば青年の正体は、なぜ前科者ばかりが集まっているのか、この人数で遂行できるのか、さらに言えばあんなに簡単に脱獄できるのか...等々。
しかし例えば、母親の胎内にいる赤ん坊が足蹴にするとお腹が凹凸するように、胎内という宇宙の中で暴れているのが「ハッピー圏外」という劇団であるとすれば、大きな流れは大切にしつつ、些事と思えるようなところにも工夫を凝らしもっと大きく成長するだろう。その結果、遊び心という自由”度”は縮小しないでほしい(スケール感は大切)。

このロケット打ち上げ...宇宙開発には軍事戦略、テロ対策という国家的側面と軍需産業、宇宙産業という資本市場がしっかり観える。この社会的な問題の捉え方が鋭く、一方人間の優しく人情という味が感じられる。この”鋭く 緩い”公演は面白い。

ちなみに、ある新聞によれば、観劇した2015年11月には今まで打ち上げてきたロケットを改良し、人工衛星に優しいロケットを打ち上げる予定であるとか。その意味で、脚本・演出の内掘優一 氏の先見性に驚かされる。

次回公演を楽しみにしております。
メガネ温泉

メガネ温泉

劇団オンガクヤマ

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2015/11/13 (金) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★

行ってみたくなる温泉
未見の劇団であり、温泉での会話劇というシチュエーションに興味を持った。その話は面白いしテンポも良い。温泉に浸かっているような心地よさを感じる。このメガネ温泉の効能が舞台正面に掲げられているが、本当にあったら行ってみたい。このステージカフェ下北沢亭という小さな空間が、本当に温泉宿の一空間を醸し出している。簡素な作りであるが、そのイメージ作りは見事である。

また、制作サイドの対応も気持ちよい。宿のおもてなしを受けるようだ。このカフェのトイレは出入り口の反対側の奥まった所にある。トイレに行く際、舞台上を1~2歩 歩くことになるが、その面にはバスマットを敷くなど違和感のない工夫が施されている。また上演時間は60分という案内であり、その通りであった。時間を守るということは前提にしつつ、自分は多少の開演・終演時間の誤差は気にならなかった。せっかく温泉に来て、のんびりとした時間を過ごすのだから。
良い点が多いが、自分の拘りとして気になるところが...。

ネタバレBOX

梗概は説明抜粋...「温泉効能を知ってか知らずか訪れた一人の女。彼女は どうしても譲れない事情を抱えていた。そこに居合わせた3人の男。 メガネ温泉の湯上り処で、複雑な事情が交錯する。」というもの。登場人物は4人(女1人、男3人)で、女がニット帽を被った男が脱衣所から出てきたことに興味を持ったことが始まりである。その後に現れる男との会話...恍け、誤解、思い込みなど、会話のズレが面白く描かれる。その組み合わせは「男・女」「男・男」「男3人」「全員」という全てのパターンを観せる。

舞台セットは、中央に腰高さの畳縁台1つ、上手は男女浴場暖簾、下手は渡り廊下のイメージである。正面壁にはメガネ温泉の効能が掲げられているが、普通の「腰痛」などの他に「失敗」「失恋」「ストレス」などの文字がある。そして小物はメガネ温泉の名入り手拭、団扇、牛乳瓶のラベルなど細かいところにも配慮している。

脚本や演出、演技も恍けイラッを感じつつも温かく見守ることができる。全体を通じて好印象であるが、自分の拘りとして冒頭シーンのキッカケが不自然過ぎる。違和感がある姿で脱衣所から出てきても、あそこまで興味を示すだろうか。そしてニット帽の意味するところが終盤近くになって明らかになる。この伏線への工夫があってもよかったと思う。
この温泉の近くに霊験あらたかな神社があり、それに対するフェティシズムのようなものらしい。効能と同じように、この近辺の観光案内を貼るなど神社の存在を示めせると思う。

先にも記したが、公演(制作サイド含め)は丁寧で、内容的にも面白い。
次回公演を楽しみにしております。
ニホンオオカミはいなかった

ニホンオオカミはいなかった

十七戦地

小劇場 楽園(東京都)

2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

多角的な思考
表層的な話は「ニホンオオカミ捏造詐欺事件」の顛末が中心であるが、その物語が進展する中で、生態系、自然環境など現代人が考えなければならないテーマが織り込まれ、複眼的に問題提起しているようだ。

本筋は、次の展開を待ち望むようなスリリングさ、テンポ良く観せ飽きさせない。そして登場人物は本当に必要な役柄のみ。その人物像もしっかり性格付されている。

クリミナル・ホームドラマ...それは骨太の内容であるが、観せ方は巧緻である。

ネタバレBOX

梗概は、福岡県の林業一族・辻交(つじかい)家の当主が亡くなり、広大な山林が遺された。同時に莫大な相続税を課せられるが、その納税に”ニホンオオカミの目撃談”をでっちあげ、研究機関や財団から「ニホンオオカミ保護基金」を詐取するが、その足元では破滅の影が忍びよる、というもの。

ニホンオオカミは明治時代に絶滅したといわれている。食料(家畜)被害を防ぐため捕獲し続けた結果だという。しかし、現在では鹿による食物被害が深刻になっているという。本来、鹿の天敵であったオオカミがいないため動物の生態系がおかしくなっている。
ちなみに、観劇した日のある新聞の記事...他国での話であるが、オオカミが馬を常食している。村人は馬が捕食されても放置しているという。実はオオカミを保護している。ヨーロッパオオカミは絶滅の危機に瀕している。野生馬がいればオオカミは無理して羊や牛、鶏を襲わない。馬は肉も多くは取れないから、犠牲にし他の家畜を守ると同時にオオカミの絶滅を防いでいると...。

他方、山林を育てるには50年以上必要で、伐採したら将来その(木の)恩恵を享受することができない。先祖代々守ってきた林木...所有権は辻交家にあるかもしれないが、目先の対応(欲)で将来の自然(環境)は保たれるのか。

この公演では、相続(税)という期限のある事柄を上手く利用し、緊急かつ切迫した状況を自然に作り出している。無理なく進む話、一定期間内に決着させる必要があるための山場作り。しっかりした脚本に基づく観せる演出は見事であった。特に食事シーンは登場人物を一堂に会させ、その役割セリフを言わせる。その濃密な会話がその場の空気を引き締める。

この公演は物語の面白さと、そこに内包している数々の問題を投げかけているようだ。語弊があるかもしれないが、芝居という見世物に知的な問いかけ...実に見事な公演だと思う。

次回公演を楽しみにしております。

【追記(2016.1.9)】
東京新聞に次の見出記事が掲載
「ニホンオオカミ 信じて探す」
早大探検部OB
「百十年前に絶滅したとされるニホンオオカミだが、その生存を信じ、調査を続けている民間グループ「ニホンオオカミ倶楽部」(東京)が、、新たに三重県松阪市の山中で調査を開始する」...と。
国際共同制作ワークショップ上演会

国際共同制作ワークショップ上演会

APAF-アジア舞台芸術人材育成部門

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2015/11/13 (金) ~ 2015/11/14 (土)公演終了

満足度★★★★

濃密な…
三作品の共通した訴えは、平和の希求のようであった。

台湾、インドネシア、フィリピンの三チームが「雨」という共通テーマで創作した小作品(15分)の上演と各演出家のアフタートーク。

テーマ「雨」の選定は、アジアの国の人々にとって「雨」とは、また「雨」が惹起する情感もさまざまだろう。同時に、人が水を飲まずに生きていけない以上、どんな人間にも「雨」が根源的に大切なものであるという感覚は共有されている。
「雨」をめぐって、お互いの差異と共通性を見つけてゆければ...と主催者は語る。

ネタバレBOX

台湾「焦土」
焼け焦げた大地に囲まれた村で、日常生活を送っている。雨を待ち望んでいたが、雨は焦土をつくり、恵みの大地もつくる。そこには「世を蓋うのも功労も、一個の矜の字に当たり得ず。天に弥るの罪過も一個の悔の字に当たり得ず。」というらしい。

インドネシア「ペットボトルの中の雨」
雨は空と大地をつなげる神聖なもの。ジャバとバリの神話によると空は男性、大地は女性。それをつなげる雨は命を創造する。近代社会とパフォーマーの雨に対する個人的文化的経験をつなげ、断ち切りたい。声と体の動きの力を共に探っていき、言葉に頼ることなく何かを伝えたい。

フィリピン「TERU TERU!」
フィリピンの神話の中の雨は、自然への畏敬の念だけではなく、生きるとは何かということを伝えている。神話は語り継がれ、自分たちが誰なのか分からせる。しかし、気候変動により雨に対する受け止め方が激しく変化してきたのはなんという皮肉か。神話そのものが変化しつつある。大雨による洪水に関するアジアの神話を見せたいと。私たちはどこにいるのか、生きるとは何かを考えたいという。

いずれも素晴らしい”種芋”で、これがどう育つのか期待したい。
『黄金のごはん食堂』

『黄金のごはん食堂』

APAF-アジア舞台芸術人材育成部門

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2015/11/13 (金) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★

「米」は文化…
「アジア舞台芸術祭」は、「アジアの若い演劇人が出会う場所」として構想された、国際コラボレーションの“土俵”だという。
さて「黄金のごはん食堂」は、昨年の「国際共同制作ワークショップ」(15分)で上演したフルサイズ版である。

この公演は、食を通じて自由と管理、裕福と貧困(飢餓)という構図が見える。近未来の不確かで不安定な社会が透かされるようであるが、ラストには一筋の光が...。

ネタバレBOX

場面ごとに時間と場所が異なるが、基本的には2050年(職場・戦場)、2048年(職場・食堂)、2010年(自宅)の三つの時代である。それによって観客の意識が混乱することはないだろう。
この公演は、食べることは生きること、人と繋がること、幸せが感じられること...そんなイメージを持つものであった。

最近、「食」をテーマにした映画「東京ごはん映画祭」(2015.10.31~11.13)が開催されていた。世界には「食」を切り口にした映画祭がいくつかある。生命に直結した物であり、それを題材にしたこの芝居は素晴らしかった。

梗概は、2048年の食事情は管理・統制下にある。私・さんしろう(猪俣三四郎サン)は、食堂で働いている。その「食堂」の食材は従業員たちが窃盗している。
2050年には食料不足で強奪行為が横行している。妻・もえこ(小山萌子サン)が病気、一人息子・ゆうた(遠藤祐太朗サン)は革命軍のリーダー。途方にくれる主人公...この時代のシーンは鮮烈。息子は戦車で轢殺、妻は拉致途中(頭陀袋のような中)餓死する。この母子の死の演出(ナレーション)が印象的である。
2010年新婚当時の我が家。その追憶シーンは「食堂」への就職が決まり、妻が懐妊(息子)する...幸福期である。

この世界共通にある「食」を通じて、不平等・理不尽さが鮮明に描かれる。そこには特定の国・地域ではなく、普遍的な問題として強く主張しているようだ。

ぜひ、このような企画を続けてほしいと思う。
Popn' Mad Effecter

Popn' Mad Effecter

踊る演劇集団 ムツキカっ!!

d-倉庫(東京都)

2015/11/12 (木) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★

エンターテイメントな…
芝居とダンス...観せると魅せるを融合したような公演である。時代背景がはっきりしないところが気になるが、話の内容はきわめて現代的、というか近未来の出来事を暗示しているようだ。上演時間2時間20分は少し長いようであるが、飽きることはなかった。

ネタバレBOX

大学の「忍者研究会」メンバーが忍びの里を訪れるところから物語は始まる。メンバーの一人がその里(忍者)出身であることから、案内役となっている。通常であれば忍びの里に一般人を招き入れないところであるが、そこにはある目的が...。忍者が持っている”癒しのような力”、その効能を取り込んで治験に利用する。この物語の中心となる兄・姉・妹の三人の間にある生き方に対する確執、それが研究会メンバーを巻き込んで騒動になる。この効用をめぐり善悪の考えが披瀝される。善の考えは平和利用、悪は混乱を招き、結果的に人口減(これ以上の人口増を抑止)をもくろむ。

この効用...最新医療で話題になるゲノム編集技術を連想した。遺伝子変異を人工的に作り出し、治療に生かす試みが始まっている(例えばダウン症の研究)。そのための臨床試験(治験)を行い、健康な人や患者に投与して安全性や有用性を調べる。まさに忍者の特性、という効能を利用する手法に似ている。その利用は、人間の心(善悪)で決まるというもの。

本公演では、社会性...科学の発達に関わる功罪、また自然環境の保護をテーマにしているが、それを直接セリフで説明している。言葉にするとその範囲での受け止めになってしまい、せっかく広がりのある訴えが小さく感じられる。その観せる工夫がほしいところ。
また、公演の特長...演技とダンスの楽しみについて、別々に捉えコラボしているようであった。観客の好みもあろうが、公演全体の統一感がほしいような。例えば、和の忍術を表現するダンスは、その衣装が中東のベリーダンス風、モダンバレエをイメージさせる白衣装など調和が感じられない。
また、ラストシーン...忍者研究会メンバーの一人とその子孫(5代目と8代目という時代差)が邂逅するが、その衣装に時代の差が感じられない。
些細なことであるが、公演のエンターテイメント性の豊かさを考えると、物語の面白さに比べ、それを観(魅)せる調和・親和性が足りないように思え、勿体ない。

次回公演を楽しみにしております。
ラバウル食堂

ラバウル食堂

劇団芝居屋

ザ・ポケット(東京都)

2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

市井の中で…
市井の暮らしを通して、戦後の歩みとどのように向き合ってきたかを考えさせる秀作。今年(2015年)は戦後70年であり、そのテーマで多くの演劇が上演されている。本公演では、食堂を開店(ラバウル食堂という店名)した理由が明かされるが、そこには戦中・戦後を通じた悲話が...。

ネタバレBOX

この食堂を開店した故先代店主は、戦時中にラバウルで調理兵(軍隊での正式名称は別)として従軍していたが、病のため帰国することになった。その際、多くの戦友から家族などに宛てた手紙を託された。戦後になり一軒一軒尋ねて手交していたようだが、それも限界になった。そこで逆にこの店名にすることで、遺族等に知ってもらいたいと。

この心温まる逸話とシャッター商店街と言われる地域の街興しを絡める。その手段としてローカルTVが協力することになり、取材などが始まり関係者が狂喜する。その騒動がコミカルに描かれる。登場人物の全員が善人で展開する人情話は、坦々とした日めくりカレンダーのようであり、その日の暮らしを覗き見るようだ。

人は自分が見ている事象からしか現実を判断できないと思う。同じ時代・社会に生きていても戦争・紛争などが見えない人がいるかもしれない。先の戦争が始まる前も、多くの人は悲惨な戦争を予感することなく、日常を過ごしていたことだろう。
この公演では、身近な暮らしを切り取って描いているが、その街は常に変わり、愛着ある風景がリセットされる。そんな不安を抱えつつも明るい未来を模索する人々の姿が見える。
公演全体を通じて、芝居という「箱庭的な世界」を心穏やかに覗いているようで、実に楽しいひと時であった。

次回公演を楽しみにしております。
悪魔はいる

悪魔はいる

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★

不気味な…
輝く言葉、印象的な台詞が散りばめられており、メモしたくなるほどだ。ワクワクドキドキして観ていたが、段々と胸の底に澱むものを感じる。その正体不明の”何か“が分かるように導く演出が妙である。
この「悪魔はいる」の状況は、今年(2015年)出版業界のみならず世間を騒がせた”アレ”のことを思い出してしまうのは自分だけであろうか

ネタバレBOX

回転しないミラーボールがシャワーだとすれば、言葉は珠で溢れ、台詞は「空がわたしを呼んでいる」など魅力あるフレーズが降り注ぎ、実に気持ちよい。

公演梗概は、中小出版会社が発行した書物か記事が原因で、その被対象団体?から圧力、妨害さらには破壊活動へエスカレートする恐怖。それから逃避するように、現在(水商売を行っていたと思われる廃店舗)の場所に居住している。
舞台セットは、中央上手寄に長ソファー、テーブル。テーブルの上は酒、ツマミなどが散乱している。上手には別場所への出入口、また下手側にはテーブルがあり、その奥の壁に「不夜城」の文字(看板か?)が見える。この退廃的な雰囲気が閉塞感を漂わせる。そして、キャストは、この場(末)のようなところに似合う表情...沈鬱、憤怒、諦めなど、その立場をくっきり現すような演技を観(魅)せる。そして台詞、ここでは言葉といったほうが合うかもしれないが、その丁々発止が見所の一つであろう。

さて、その圧力等を受けることになった”標的...書いた内容(本)”はどのようなものか。あえて明確にしないような、暈けるような的に向かって「言葉」という矢を射るようだ。言葉は発した瞬間に消えてなくなり、聞いた者は瞬時に受け止める。その言葉によって人の感情は動く。それゆえそこに「悪魔はいる」かもしれない。

この公演の主体は、「言葉」なのか「文字」なのか、出版会社と出版物が物語の中心のようであったが...誤解であろうか?
そして、アレとは「絶歌」(元少年A)のことである。もちろん本公演とは関係ないのであるが…。

次回公演を楽しみにしております。


ストリッパー薫子

ストリッパー薫子

BuzzFestTheater

シアター711(東京都)

2015/11/11 (水) ~ 2015/11/17 (火)公演終了

満足度★★★★★

タイトルとのギャップに驚き
この公演の最大の魅力は、エロチックなタイトルと物語の脚本、コミカルとシリアスな演出のギャップ...その感情振幅が大きく、良い意味での裏切られが印象的である。芝居の画一化といえば大袈裟であるが、例えば悲劇・喜劇は、泣き・笑いという感情表現が片寄るような観せ方になる。自分もその流れを自然に受け入れていたと思う。
しかし、このリップ座公演はエロカワイイと人間の深淵という異質な状況を見事に融合させていた。

ネタバレBOX

梗概は、説明文から「ストリッパー薫子に近付く、テレビマン・岡本は、 『貴女のドキュメンタリー映像を撮らせてください!』」と懇願する。だが、薫子の心の奥底には、今でも深い深い傷跡が残っていた。 岡本は彼女の闇を消し去ることができるのか。そして岡本の真の目的は、薫子の父(実は養父)が大手芸能事務所代表で、その力で所属事務所にいたお子元の妹を甘言を弄し陵辱した上で自殺に追い込んだ。その復習のために近づいてきたと...。

そして、薫子自身も幼き頃に父から受けた心の傷...その結果、多重人格を形成する。サイコサスペンスの様相を見せるが、その描きはユーモアとグロテスクなシーンが交差し、観ている者(自分)の感情を揺さぶる。

ストリッパーという華やかな表舞台、一方哀愁、焦燥が漂う裏舞台は楽屋である。その両方を舞台セットとして見せる。表舞台(非日常)は、スポットライトを浴び回転盆の上で艶かしく踊る姿態(肢体)。楽屋は化粧台、長椅子、ロッカーなどが乱雑に配置されている。それが現実(日常)生活を物語っている。ここでも非日常と現実(虚実)というギャップを見せるが、まさに薫子の心の多重性を暗示しているようだ。
この公演は、職業こそストリッパーという設定であるが、悲喜こもごもの人間ドラマが垣間見える。
なお、ラストは映画「監督失格」(2011年制作)に見るような悲しい結末であるが、しっかり余韻(ナレーション、音楽)を感じさせる見事な幕引きであった。

次回公演を楽しみにしております。

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