タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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『ゴールデンバット』『セブンスター』

『ゴールデンバット』『セブンスター』

うさぎストライプ

アトリエ春風舎(東京都)

2017/11/29 (水) ~ 2017/12/09 (土)公演終了

満足度★★★★

上演前には「青春時代」「なごり雪」などの昭和歌謡が流れており、その時に青春時代を謳歌、過ごした人達には懐かしい曲ばかり。歌手を夢見て上京した女の半生を喜怒哀楽をもって描いた一人芝居である。自分では何故か”悲哀”という言葉が浮かんでしまう。
「ゴールデンバット」(国内で販売されているタバコの中では現役最古の銘柄らしい。翻って人の夢…時代は移ろうともそれを持つことは変わらないということだろうか?)
(上演時間1時間10分)

ネタバレBOX

セットは、中央に逆さまにしたビールケース、やや下手側に折りたたみパイプ椅子・マイク・ペットボトルが置かれ、天井にミラーボールという、ほぼ素舞台である。

全体観…当日パンフによれば、かつて歌手を夢見て宮城県から上京した「海原瑛子」の人生を、現在東京の地下アイドル「憂井おびる」(元:梅原純子)の視点を通して追っていく物語と説明されている。菊池佳南さんの一人芝居であることから、瑛子(60歳前後)とおびる(実31歳、自称26歳)という人格を行き来し昭和歌謡曲を挿入しつつ物語を紡いで行く。舞台空間を菊池さんが縦横無尽に動き回り、明るく楽しく、時に切なく悲しく演じ分ける。その表情・表現力は実に見事であり、歌謡ショーのようでもあった。

物語は、純子が池袋パルコ前でビールケースの上で歌っている瑛子のことをマネージャーであり恋人である角田義晴に語りだす。それがいつの間にか”瑛子”自身の語りにすり替わってくる。昭和時代に遡り「木綿のハンカチーフ」「かもめが翔んだ日」「喝采」「イエスタディ」などの曲が歌われ出す。曲によってはミラーボールの輝き、葉影の照明など舞台技術にも工夫が見られる。

演技は、瑛子と純子で声トーンや口調・速さを変え人物の違いを強調させていた。またビールケース上での歌はもちろん、パイプ椅子に片足を乗せたり、舞台裏に回り込むなど躍動感溢れる動きが人物を生き活きとさせていた。

構成は、純子の視点で始まり瑛子の半生に移り、再び純子へ戻る。そこに倒錯的な意味合いも感じられ、今の純子-喪服の似合う未亡人アイドル-という売り込みは、瑛子が夢見た歌手での栄光に繋がるのか。現在と過去のアイドルの意識が入れ替わるようで、同じような途を辿るのか、少し悲哀を感じてしまった。

次回公演も楽しみにしております。
サンタクロースが歌ってくれた

サンタクロースが歌ってくれた

演劇ユニット百酔sya

ウッディシアター中目黒(東京都)

2017/11/30 (木) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★

劇中で演じられている出来事が、劇から飛び出してくるような立体型のミステリー物語である。魅力的な脚本・演出であるが、劇中の設定である大正時代の登場人物(芥川龍之介、平井太郎(後の江戸川乱歩)が、いつの間にかその役を演じている役者に代わる。そのことによって有名作家という魅力的な人物像が失われるという勿体無さが感じられた。
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

セットは横一面に段差を儲け、上手・下手側にギザギザに切り抜いたような厚手の布(奥から黄・緑・赤色)が掛けられているだけのシンプルな、端的に言えば素舞台に近い。全体イメージはクリスマスツリーを連想させる。この劇場ならではの下手側の別スペースを利用し、別空間を現している。

梗概…ゆきみはクリスマス・イブに友人すずこに中目黒の映画館で「ハイカラ探偵物語」を観に行こうと誘う。しかし、すずこが約束の時間に来なかったことから1人で中へ。「ハイカラ探偵物語」は、大正5年のクリスマス・イブ。華族の有川家に怪盗黒蜥蜴から宝石を盗みに来ると予告状が届く。警部が来たが何となく頼りない。有川家の令嬢サヨは友人のフミに、小説家芥川に探偵役を依頼できないか相談し、芥川は友人の太郎と共に有川家を訪れ、怪盗黒蜥蜴と対峙する。
映画は序盤のクライマックスシーンにさしかかり、芥川は犯人の名前を言おうとするが口籠る。本来ならその場に居るはずの黒蜥蜴が突然消失する。部屋は厳重に警備されていて、外に逃げる事は不可能。何処へ逃げたのかと焦る登場人物達だが、突然芥川は黒蜥蜴が「銀幕の外」に逃げたと言う。そこで芥川・太郎・警部の三人は銀幕から飛び出し、ゆきみは彼らと一緒に黒蜥蜴を追いかけることになる。一方、すずこは映画館から出てきたメイド服の女性とぶつかる。その女性は映画から出てきたと言う。

有名作家である彼らが、映画監督に事情を聞こうと訪ねる過程を、現代の東京見物と重ね合わせている。時代(感覚)の違いは人の見方、考え方にも影響する。現代の見知らぬ東京の街を右往左往しながら監督の家へ。いつの間にか芥川・太郎という人物が、それを演じている役者に代わっているようで現実的なイメージへ変化してしまう。映画という現実、その中の登場(役名)人物という架空(実在したが、故人という意で)、その虚実綯い交ぜの世界観のまま観せて欲しかった。

役者の演技は確かでバランスも良い。それだけにファンタジー感を大切にしてほしかったと思う。
次回公演を楽しみにしております。
暮れゆく箱庭の中で

暮れゆく箱庭の中で

PAPADOG

下北沢Geki地下Liberty(東京都)

2017/11/30 (木) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★

タイトルやチラシは叙情豊かな感じを思わせるが、内容は難解にも思えるような。人によって解釈や楽しめ方が分かれそうな作品ではないだろうか。
正気と狂気を行き来するような展開の先にあるのは…。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

舞台は素舞台に近く、クッションのような椅子が数個あるのみ。
物語は1人の少女が学校(教室)から帰らないため、男子生徒が一緒の帰宅を促す。何回か同じようなシーンが繰り返され、その合間に学校の風紀委員なる者たちが自己アピールを兼ねたパフォーマンスをする。このシーンが冗長に思え、劇全体のコンセプトや雰囲気を曖昧にしていたようだ。

登場人物はクラスメイトと担任教師と先に記した風紀委員(3人)である。ラスト近くに解ってくるが、それまでの内容は主人公自身の経験・投影した姿のようでもある。劇中で語られる分身(ドッペルゲンガー)であるとすれば、現在と過去のバージョンがお互いを照らし二重人格的な描き方になっている。一方、現世ではなく、苦悩・苦痛からの逃避を試み臨死的な世界にいるとすれば、自分自身を別の場所から俯瞰しているとも思える。”こちらの世界へ”という台詞が意味深であった。
一つの舞台からこれだけ解釈・印象の異なる作品を作っている手腕は素晴らしい。人の底深さ、底知れなさを覗いたようで少し不気味に思った。

具体的には少女・朱音(天野麻菜サン)の心の嘆き、その流れを静かに受け止めているが、いつの間にかぐにゃりと歪められてくる怖さ。クラスの男子生徒・蒼太(石田達成サン)が親から虐待を受ける、女子生徒・真白(鶴田まこサン)が担任との不倫やその過程で起こる援助交際などは、朱音自身の体験か妄想か?一種のサスペンス風に展開しているところは面白い。ラストは、先に記したような朱音の脳内をあたかも現実のように表現させて行く。それまで見たシーンを幾層にも絡め深層の世界に誘い込むような感覚にさせる。

しかし、描きたい内容をある程度ストレートというか素直に展開させなければ、観客にその意図は十分伝わらないと思う。例えば、シリアスなシーンと風紀委員のコミカルなシーンが交互というのはどうだろうか?緩衝と緊密の落差狙いであれば、ワンパターンの多様で冗長であり違和感を覚えたのは残念。

次回公演を楽しみにしております。
ホテル・ミラクル5

ホテル・ミラクル5

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/12/01 (金) ~ 2017/12/10 (日)公演終了

満足度★★★★

ラブホテルでの痴態の数々を覗き見るような感覚である。新宿歌舞伎町という日本有数の歓楽街の中にある「ホテル・ミラクル」で繰り広げられる内容は、妖しい官能マジック。それは脳を刺激し胸底にある禁断の欲望、いや人間の本性を曝け出させるような心理プレーで観応え十分であった。
(上演時間2時間5分)

ネタバレBOX

客席はL字型の半囲い、その中の上手側にベット・置台(赤電話)・ミニ冷蔵庫、下手側に丸テーブルと椅子、中央奥に革張りのソファーが置いてある。会場入り口近くに磨りガラスのバスルーム。

この部屋では、いつもなら決して人に見られないようなコトをして、自分を曝け出しているのだろう。そこでの丁々発止な台詞と行為が観客(自分)の心をみるみる裸にして行く。ホテルという密室での千夜一夜の物語…4話がそれぞれ味わい深く、観ることはもう止められない。4話は統一感で括るというよりは、人それぞれの生き方があるように、行為のバリエーションを重視したようだ。

第1話-ミラクル戦隊(作・坂本鈴)…ホテルでの一室でミラクル戦隊のブルー(男)とピンク(女)が見つめ合っている先の出来事。 
第2話-クロス・チーム(作・川西裕介)…ラブホテルが舞台の脚本執筆。その脚本家に憧れる新人女優の思いが除々に恋心へ変化する。 
第3話-やっちゃん×チャーコ+ミズオ(作・藤原佳奈)…女性映画監督のやっちゃんは、本当に興奮するシーンを撮りたいと渇望し、それを男優・女優に求める。 
第4話-きゅうじゅぷんさんまんえん(作・屋代秀樹)…レズビアン風俗の女と客(女)の洒脱な会話、その店には90分3万円コース以外にも色々なバリエーションが用意されているらしい。

物語の構成・演出は池田智哉氏、それぞれの話は大人の男女関係の本質を鋭く抉っているが、その観せ方は軽妙で色香のある会話が楽しめる。坦々としたリズムから耽々とした妖しさに変化し、予想を超えるような展開になる。その独特な演出が病みつきになりそうである。登場人物が表面的な殻を破り、人間の本音・本性を露呈・変貌していく姿は実に面白い。

次回公演を楽しみにしております。
~ 上海ラプソディ ~ ミステリアス・ミス・マヌエラ

~ 上海ラプソディ ~ ミステリアス・ミス・マヌエラ

サンハロンシアター

テアトルBONBON(東京都)

2017/11/29 (水) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★

戦前の上海で活躍した舞姫の半生を、編集者・近江真亜子の取材する視点から描いた物語。現在と過去を行き来して、人間的な魅力(個人)と時代背景(社会)を交え重層的な展開として観せる。

ネタバレBOX

セットは中央に両開扉、上手・下手側の壁に色々な張り紙、部屋番号・食堂・リネン室等の表示から或る施設であることは直ぐに分かる。下手側に古いオルガンが置かれおり、ラストに響く音色は美しく優しい。セットは大戦前後の時代変遷、日本と上海という地の違い、舞(歌)姫としての全盛期と特別養護老人ホームでの晩年の暮らし等の対比を表現するため移動・変形をさせ、観客が理解しやすいような工夫をしている。
デジャブのような、意識が意識を飲み込むような描き。演出はオルガン演奏という音楽効果、照明はラストに雪を降らせる、星の輝きかツリー(豆電球)の点滅という印象付けを行う。

梗概…1939年12月、上海のジェスフィールド公園近くの歓楽街、愚園路に軒を並べるナイトクラブの一つ、「アリゾナ」で踊っていたマヌエラは1月まで踊る契約をしていた。クリスマスイブの夜、最後のショーを終えて休んでいるとボーイから客が呼んでいると言われる。ミス・マヌエラ(YOSHIEサン)は断ったが、ボーイは「行った方がいい」と言う。彼女は客の名前を聞いて驚く。上海で一流の客を集めるナイトクラブ、「ファーレンス」の社長だった。テーブルに着き会話をした後、ジョー・ファーレンが、「一曲だけ踊ってくれないか」と言う。これはオーディションだった。彼女は疲れていたが「ペルシャン・マーケット」と「タブー」を踊った。ファーレンは、翌月からの契約をその場で申し入れた。こうしてマヌエラは上海のトップダンサーとしての階段を上がり始めるが…。

1人の女性が時のうねりに翻弄されながらも、その時々の情況に応じて必死に生きる。喜び悲しみ、哀愁などを伝えようとするが、それを体現するキャストの力量がアンバランス。マヌエラは全盛期の容姿・美声を披露していたが、演技は硬い。老人ホームの職員は外国人らしき口跡で違和感を覚える。現代日本における介護事業(職員不足)の課題を思わせる。全体的に物語に溶け込んだ表現力が不足し、せっかくのセットが活かされていないのが残念であった。

次回公演を楽しみにしております。
舞台ナルキッソス2017

舞台ナルキッソス2017

舞台ナルキッソス2017

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/11/28 (火) ~ 2017/12/03 (日)公演終了

満足度★★★

終末医療をロードテアトル、シアターを融合させたような展開であり構造である。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

セットは素舞台。上手・下手側に白布、黒布で包んだBOX椅子が数個あるのみ。色合いから鯨幕をイメージさせる。

茨城県内にある終末医療施設(7階)に入所している人々が死に向かい合いながら楽しく必死に生きようとする姿を描く。入所している19歳のミドリ(光河玲奈サン)が10年前に失踪したナツミちゃんの足取りを辿りたいと…。この施設に勤務している看護師のアヤノ(西條美里サン)は友人にそのことを話し、車で旅に出ることになるが、そのことを聞きつけた他の患者も後を付けて来る(その車を運転するのは医師という都合のよさ)。
ナツミの目的地は淡路島だったようだ。そこに咲く水仙(ナルキッソス)を見るため失踪したようだ。今は夏、水仙が咲く季節ではなく、その時季であれば咲いているであろう景勝地へ。そして海が見える断崖で「なぜナツミちゃんが旅に出たのか解る」と言い残し…。

車での乗・下車シーンはもちろん食事などもパントマイム。演技自体はそれほど上手いとは思えなかったが、”死”という現実を観せられると胸が締め付けられる。人間は感情の動物と言われるが、この時の自分の気持にフィットし過ぎて困った。
旅の目的は”死に場所を探すこと”と知ることが出来、夢や希望が持てない絶望感が切なく描かれる。旅先の風景や集合写真はそのシーン毎にバックの白壁(スクリーン)に映像として映し出す。映像・照明・音響で効果的な演出を試みるが印象が薄いのが残念。また物語の最大の謎、ミドリが10年前のナツミちゃんのことを知っていたのか?それが旅に出かける理由になったのではないか。

全体としては子供たちの無邪気、明るさの内に秘められた”死への恐怖”がもう少し具現化出来ていれば良かったと思う。終盤に向け、集合写真に写る子供たちが序々に減り物悲しさが伝わる。ラスト、白黒のBOXが白黄の布に変わりナルキッソスをイメージさせる。

次回公演を楽しみにしております。
月はゆっくり歩く

月はゆっくり歩く

シアターノーチラス

新宿眼科画廊(東京都)

2017/11/23 (木) ~ 2017/11/28 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

人の嫌らしい部分(暗部)を抉り出すような物語。常識、真実として疑わないこと…そこにある漠然とした疑問、間隙を突くような問いを観客に投げかけ一気に物語に引き込む手法は見事である。
(上演時間1時間25分)

ネタバレBOX

セットは廃屋内、上手・下手側にビールケースが積まれ、ダンボール箱、ゴミ袋などが散乱している。そこに次々と人が集まり、常識では考えられないことを言い合う。登場人物の1人はまーさん(浜谷優斗)のTwitterで"2番目の月が見える人、集まりませんか?”の呼びかけで集まった人々(男女7人)の奇妙にしてエゴイスト的な行動が表面化してくる怖さ。

人々が持っている心の闇が次々と明らかにされるが、それを恣意的に利用する人も現れる。物語は見知らぬ人間関係を奇妙に描く濃密な会話劇。軽妙・淡々としたリズムから耽々とズバッと切り込んできたり、人の出入りに伴って予想を大きく越える方向に展開したりして関心を惹きつける。何が常識で非常識なのか、その鬩ぎ合いも見所。

2番目の月が見えること、その思いを吐露することによって異常人扱いされる。そんな似非不安を抱える人達が真の目的を果たそうとした瞬間、別の意味で異常が倍加する怖さ。物語が突然違う様相をおび、嫌な人間の集まりに変化していく。自分本位で自分のことしか考えない人達が多く出ている物語であるが、抽出された”嫌な感じ”がそれで終わる訳ではなく”考えさせる面白さ”に変換されて行く。

作・演出の今村幸市氏が当日パンフで「今回の芝居ではTwitterがひとつの役割を果たします。物語の前面には出ませんが、じつは重要なアイテムです」と記している。神奈川県座間市の事件を意識しているらしい。SNSはヴァーチャルな体験をリアルな出会いに変える。そしてサイコパスはネットワークを利用することで、悶々と悩みを抱えた人間を効率よく勧誘できるらしい。
実際あった事件を見据えつつ、公演では共同幻想、集団催眠、狂気、魔術あるいは詐欺か。戸惑いや不安という状況を「見えないはずのものが見える人々」に設定しての会話劇の行方は…。
次回公演を楽しみにしております。
RISE ~unit of brand new choose~

RISE ~unit of brand new choose~

super Actors team The funny face of a pirate ship 快賊船

萬劇場(東京都)

2017/11/22 (水) ~ 2017/11/28 (火)公演終了

満足度★★★★

新撰組の内部事情、隊員の心情を中心に描いた物語である。本公演は「江戸試衛館編」「京都守護職編」の構成であり、自分は「京都守護職編」のみ観劇した。池田屋事件、禁門の変など新撰組として関わった出来事、新撰組内の人間(対立)関係や隊員自身の葛藤が心情豊かに描かれている。
テンポよく描いているが、それでも2時間20分の大作である。

ネタバレBOX

障子で囲まれた部屋…駐屯地の道場または隊員の部屋をイメージさせる。上手・下手側には立板塀があるだけの簡易な造作である。それは劇団の殺陣演技を十分観(魅)せるため、舞台スペースを確保するためである。もちろん段差も設えているが、今まで観た公演に比べ高低差はそれほどない。躍動感よりも人間描写を中心にしているためであろう。それは近藤勇も含め、江戸(試衛館)時代の呼び名、その親しみさに人間味が溢れる。京都における新鮮組=殺戮集団というイメージを、隊員内の物語にすることによって情緒性が描かれることになる。

池田屋事件と禁門の変の働きで朝廷・幕府・会津藩から感状を賜り、新たに隊士を募り、また近藤勇(清水勝生サン)が帰郷した際に伊東甲子太郎らの一派を入隊させる。新選組は200名を超す集団へと成長し、隊士を収容するために土方歳三(長内和幸サン)は壬生屯所から西本願寺へ本拠を移転する。このことに反対する山南敬助(矢野たけしサン)との意見対立と死別つ。

長州征伐への参加に備え、戦場での指揮命令が明確になる小隊制を組織。伊東らの一派が思想の違いなどから別組織を結成して脱退。新選組は幕臣に取り立てられるが、隊内も分裂する。
後年、近藤が新政府軍に捕われ処刑され、沖田総司(金村美波サン)も労咳のやめ江戸にて死亡。

新撰組史を辿りながら、隊員(本公演は近藤、土方、山南、沖田が中心)の江戸の試衛館道場時代を懐かしみながら、幕末という時代の奔流に飲み込まれていく姿を生き活きと描いている。
殺陣は交わる刃の効果音(SE)も含め緊迫感があり楽しめた。人物描写を効果的に観せるため、照明(時刻や時季)の工夫も印象に残る。

次回公演も楽しみにしております。
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engel(エンゲル)カフェ&フリースペース(福岡県)

1990/01/01 (月) ~ 1990/01/01 (月)公演終了

満足度★★★

チラシに作・演出は藤目怜子女史と記載されている。自分はどこかで観たこと、または読んだことがあるような気がした。
公演はストーリーらしきものはあるが、抽象的な感じで雰囲気は透明感というか淡々としている。
(上演時間1時間)

ネタバレBOX

基本的に素舞台。周りはカーテンのような幕で囲い、一瞬後ろ幕が捲くられ姿見が置かれているのが分かる。衣装は男性はサラリーマン風、少女は赤い服で腰あたりに襞(尾ひれ)のようなものがある。もう1人の女性は白い服、3人三様である。

全体的にはミステリアスな感じであるが、端的に表すとすれば”人間”と”金魚”(擬人化)の日常会話を通して淡い恋心を観ているようだ。登場は男、女、金魚であるが、この設定は室生犀星の小説「蜜のあわれ」(2016年には映画化)を連想する。小説(映画も同様)は、耽美・妖艶といったイメージである。犀星(闘病期)の理想の“女ひと”の結晶・変幻自在の金魚と老作家の会話で構築する艶やかな小説であった。
本公演は精神的で無邪気な浮遊感がある。若い男と赤い金魚、とめどない会話をし仲睦まじく暮らしていた。特に切羽詰まった感情は見受けられなかったが、いつの間にか若い男は素っ気無い態度をとる様になる。自分以外の存在に興味を抱いたかのようである。そして自分の姿はもちろん、魅力にも気が付かない金魚、それでも別の姿(視点)から己の正体を気づかせるような展開である。

役者の演技は、その存在感と立場を現していたが、物語性や特別な演出が見られず印象が薄くなったのが残念だった。
次回公演を楽しみにしております。
火山島

火山島

劇団演奏舞台

九段下GEKIBA(東京都)

2017/11/25 (土) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★★★

物語は、舞台を3分割してオムニバスを入れ子構造のように展開させ、深層を抉るように紡がれる。テーマ性が色濃く観客に訴える公演。タイトル「火山島」は日本のどこかの島ではなく、日本という国そのものであり、テーマは国へ警鐘を鳴らすもの。消え入るような闘いの灯は、時を越え鮮烈な光として蘇ってくるのだろうか。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

上手・下手側にそれぞれ大きな台座のようなスペース。中央は廊下のようで奥に段差があるスペース。上手側の登場人物は老女と孫娘、漁で生計を立てているようで、老女は網を編んでいる。下手側は商売を営んでいる夫婦。中央は風車守をしている老男、亡き妻が、その取り壊しに抗議している。

3場面は、時代や設定の共通点は観えないが、ラストにはそれぞれの主張が同じ方向に向いていく。老女と孫娘の会話…老女の憂いは環境問題等もあり漁村の生活は厳しい。”砂山が動く(崩壊)”という言葉には、太平洋戦争で英霊になった人々の墓が埋没していく危機感の表れ。孫娘は村の活性化のため駐留軍の誘致を言い出す。まさしく軍需活況であり、意識の違いである。
下手側は、妻は戦争中に敵の攻撃から逃げ回るうち、赤ん坊が泣き出し居場所を察知されないよう沼に沈めて殺してしまう。夜な夜なその悔悟に悩まされるが、夫は止むを得なかったと慰める。今は娘たちも生まれるが…。忘却への懼れとも見て取れる
中央は風車を取り壊して、その跡地に原発を誘致する。その地で風力エネルギーを担ってきたが時代遅れといった感で描かれる。この風車守の男は妻を早く亡くしたが、3人の男の子を育て上げた。しかし戦争で…。

3話から反戦・反原発への問題提起が浮かび上がる。必ずしも相互に緊密さは感じられないが、それぞれ単独話(2人会話劇)としても十分説得力のある内容である。演技は、抑制された素晴らしいものであるが、キャストによって力量の違いが観え感情移入がし難くなったのが少し残念だ。
この劇団の特長は、生演奏の迫力と心地良さであろう。今回もその魅力を十分堪能した。

これらの話によって理不尽な社会状況が重層的に浮かび上がり、何時マグマが爆発し人々を暗澹たる気持にさせるか、そんな予兆を思わせる不気味な状況を描く。そこに現代日本の姿が垣間見えてくる。ラスト、孫娘が「今度の戦争はいつ起きるの?」には戦慄する。

次回公演を楽しみにしております。
ネイティブ・バラエティ!

ネイティブ・バラエティ!

劇団金馬車

キーノートシアター(東京都)

2017/11/23 (木) ~ 2017/11/25 (土)公演終了

満足度★★★★

プレミアムフライデーの日に観劇。ジグソーパズルのように散らばったピースを回収し、物語として収束させていく過程は見事であった。少し荒削りといった印象を持ったが、確かに”力”は感じた。プレミアムかどうかはさて置き、観てのお得感はあった。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台はほぼ素舞台、シーンに応じてBox椅子を運び入れるなど、必要限の物で観せる。また分割映像等を利用し、それを見せている間に着替え場面転換を図るなど観客の気を逸らせない工夫は巧み。冒頭は人形劇や歌唱シーンがあるが、何となく学芸会風で失望してしまいそうだが…。全体的に序盤は拙く緩い感じがするのが残念だ。ラストの歌謡シーンへ繋げたいという思いは分かるが…。
しかし、地方(地元)から東京へ上京してきた以降、登場人物ごとの生活を描きながら某事件に巻き込まれていく、その場面あたりから魅力的になってくる。

物語は、都会と田舎の違いを上手く利用(表現)することで、都会(東京)での暮らしに人柄が変化する様を多方面から見せる。具体的には登場人一人ひとりを主役のように扱った小話を交錯させ、それを収束させる構成は見事であった。

梗概…故郷での祭りで神様への祈願事。仲間5人(幼馴染)が一つで(仲良く)いられること、それが東京と都会での暮らしの中で変わっていく。いつの間にか気持ちがバラバラになり、人の道から外れるような行為を平気で行うようになる。例えば某国会議員が秘書に向かって「このハゲー!」と叫ぶなど時事的、それ以外に童謡詩人・金子みすゞ計画(詩「星とたんぽぽ」の一節だろうか)、TV番組「ごくせん」(主演:仲間由紀恵)や戯曲「熱海殺人事件」(つかこうへい)での口調、口跡の洒落、パロディを多く盛り込み滑稽に描くことで鋭い批判をオブラートに包み込む。また東京の秋葉原、上野、渋谷等の地名と登場人物の色々な演出手法を駆使し、観客に楽しんで観てもらおうという思いが伝わる。東京という地の象徴である「東京タワー」での(事故or事件)死は、収束させる方法として推理仕立ての展開として関心を持たせる。

軽妙な会話の裏にテーマの社会的問題・普遍性を忍ばせ、若手演技陣のパワー、演出・構成の巧みさで実に興味深く見せる。都会の人が田舎に抱く憧れは理想・抽象的で、田舎の人が都会に向けて持つ野望・欲望は具体的であろう。それを祭り、願い事と不祥事、事件という対比で見せる。
ラスト、SMAPの「世に一つだけの花」の歌詞に物語のテーマが…。

次回の公演を楽しみにしております。
青森県のせむし男

青森県のせむし男

B機関

ザムザ阿佐谷(東京都)

2017/11/22 (水) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

天井桟敷の上演第1作。上演前から怪奇的な雰囲気が漂い、錫丈が鳴るような音、不気味な風音が阿佐ヶ谷ザムザという劇場内にピッタリとしていた。
(上演時間2時間)【◆チーム】

ネタバレBOX

舞台セットは、段差を設け後景に大きな扉、そのイメージは古びた額縁。両側には高い位置から段通風の幕が吊るされている。下手側には蔦が絡まった鳥籠、その中に女学生(女浪曲師、ストーリーテラーの役割)が鎮座している。

物語は、青森県の名家、大正家の跡取り息子に手篭めにされ子を孕んだ女中マツ。世間の目を恐れた大正家ではマツを嫁として籍を入れるが、生まれてきた赤子が肉のかたまりのようなせむしであったため大正家は下男を使って赤子を闇に葬った。生まれた子、その存在が無かったことにするため、戸籍(大正2年7月10日生)を抹消する。しかし、生まれた事実は抹消できず30年後、マツが女主人となった大正家に謎のせむし男・松吉が現れるが…。説明を鵜呑みにすることなく、観客自ら感じ考えさせるような公演。

親子の確執、女の情念、子の思慕という人の本質とも言える感情を抉るようだ。母・息子という親子関係がなければ、単に女と男という”禁忌の性”関係が浮き上がる。そこから見えてくる欲動という行為が物悲しく映る。
生まれてくる赤ん坊の背中に母の肉で出来たお墓を背負わせ、醜いせむしの男(息子)を通じて大正家に復讐しているのだろうか。しかし、憎むべき大正家を継いだ自身が、家制度を固守する矛盾に陥る。
公演は「古事記」を引用しつつ、歴史の陰・陽や人間の内・外を表現する。史実に記された事実、一方闇に葬られた真実。人の外見・行動と心に秘めた深淵を大正家の家史とそこで蠢く人間、存在(陽)のマツと闇に葬られた(陰)の松吉に準える。その展開は、回想シーンに拠るものではなく松吉30歳になった現在だけで描き切る。その30年に別の挿話…戦争、差別などの不条理を独特な表現(デフォルメ)として観せる。例えば義眼、義手という不具者のような者を登場させる。それを嘲るシーンをギミック・フェイクとして滑稽に茶化すところなどはシュールだ。また松吉と鳥篭から出てきた女学生が踊るシーンでは緩い笑いを交え、怪奇な雰囲気の中に和みを入れ込む。

物語に観える不条理は、その表現…演出の素晴らしさで際立ってくる。演出・点滅氏の身体表現、冒頭の同氏(役名:ヒルコ(棄神))の背中(肩甲骨)に描かれた羽絵を蠢かせる強靭・異様さに息を呑む。一方、女性2人(役名:巫女(狂女))の軽妙・嬌態という対比は印象付けという効果があるのだろう。
”舞踏的技法を用いた演出で新たな演劇の在り方を目指す”、その謳い文句はしっかり体現しており、実に観応えあるものにしている。 ラスト…蠢かせた背中、肉の塊が白鳥の羽のように生え変わり、羽毛が天から舞い散るシーンは、醜から美へ昇華されたかのようだ。

次回公演を楽しみにしております。
グランパと赤い塔

グランパと赤い塔

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2017/11/18 (土) ~ 2017/11/27 (月)公演終了

満足度★★★★★

「雨と猫といくつかの嘘」の時同様、本公演でも観劇後は雨が降り出した。太宰治の小説「富嶽百景」に 「富士には、月見草がよく似合う」の一句があるが、吉田小夏女史の世界は雨が似合うのかも知れない。その”しっとり”感は情緒豊かで観終わった後の余韻が実に心地良い。
ちなみに、物語には「月」も出て来るし、「月見草」は竹取物語を表現していると云われ、その意味では宇宙も登場する。しかし、言葉のイメージが持つ浮遊感はなく、どちらかと言えば地に足が着いた物語である。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は上手側に洋室、中央に廊下とその先には二階への階段がある。下手側は和室。中央の廊下から和室前にかけて廊下もしくは縁側へ続くような回廊。二階部は場面ごとに自宅ベランダや外の道路をイメージさせる。冒頭のみ傾斜した三階部も出現させる。洋室には応接セット、和室(畳敷き)には木机・卓袱台・座布団・古い型のラジオが置かれている。もっとも、上演前には白い布が被せられており、その存在は物語が始まってから観ることになる。この布は、演出上重要な役割を果たしており、観終わってから合点する。

時は昭和44年。物語は高杉ともえ(高校3年生)が、母:貴子・妹:幸子と祖母の一周忌法要のため生まれ育った家に来たところから始まる。彼女の視点を中心として見る家族とその時代。今はお手伝いしか住んでいない家を処分する。この家に居た頃、昭和33年(小学1年生)へ遡る。その頃は祖父母、父母、お手伝い2人、さらには祖父が経営する会社の従業員3人、運転手も同じ敷地内に同居。そしてタイトルにある赤い塔(建築中の東京タワー)の工事のため一時寄宅していた男性と私、計12名と賑やかである。物語の別の主人公は、この”家”と言えるかもしれない。

昭和33年…戦後から13年を経ているが、戦災の爪痕をしっかり織り込んでいる。一方、電波塔の建築、それに携わる人々の暮らしや何気ない会話(戦時中の苦難からアポロ11号の打ち上げ等)を通して、時代の流れが見えてくる。過去と現在は地続きであり、家はその時々の時代背景を見ている。Grandfather(グランパ)が、ともえに買い与えた天体望遠鏡。そのレンズを通して見る宇宙は暗闇、しかしその先に僅かな光明が…それは”希望”という光だと言う。繁栄(タワー)であり平和(反戦争・原爆)を意味する。また当時の夫婦関係(亭主関白)について、直接的な”声が聞こえる”と”気持が伝わる”を日常会話に溶け込ませるという伏線で描き、夫の戦地からの手紙に結びつけ余韻を残す。

昭和33年と44年では家にある調度品が異なる。それを白い布(一周忌法要の白引き布?の意味もある)で目隠し、観客に時代背景の混乱をさせない細やかさ。また舞台美術は、骨格(柱)にすることによって、家の概観を見せつつ、客席のどの位置からも演技が観える巧みさ。その演出が独特の空気感を漂わせる。また演技は、役者一人ひとりのキャラクターが立ち上がり、繊細で瑞々しい会話、生き活きした動きの中に逞しい市井の人々の暮らしが感じられる。ラスト、鬼籍の人々が現れ優しく18歳のともえを見守る。
「富嶽百景」は、疲れた魂が富士と向き合う事によって再生する物語だったが、こちらは、ともえが進路で悩んでいたが、東京タワーと向き合い小学生の時の夢、国際ジャーナリストを目指すのだろうか。

次回公演を楽しみにしております。
RUIKON

RUIKON

アロック・DD・C

アロック新宿アトリエ(東京都)

2017/11/20 (月) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★★

ダンスだけで物語を紡ぐというコンセプトの下、その難解さを少なくするためチラシはもちろん、上演前の舞台上の衝立にも古書風に見せた説明(あらすじ)書きがある。
その説明により筋立ては理解しやすく丁寧な感じがする。一方、観客はその筋立てにダンス表現を当てはめることになり、物語のイメージがある程度誘導されるのではないか。観客一人ひとりが持つイメージを狭め、心象の自由度が少なくなったように思えたのが残念。
ダンス、それによって表現される物語はしっかり寓意を含み、タイトル通り宗教色の濃い作品になっていた。
(上演時間2時間 途中休憩10分含む)

ネタバレBOX

舞台は暗幕で囲い、上演前は先に記した古書風の説明文が書かれた衝立のみ。物語が始まると衝立を回転させ、赤布が両端から無造作に掛けられ、中央に不可解な文様が見える。同じようなものが上手側の暗幕にも取り付けられている。一瞬、月が欠けているような、また歯車が壊れたようにも見える。その漠とした形が不気味さを表し、物語の印象付けにもなっている。

梗概…魂をふきこむ事のできる錬金術師によって、オートマタ(自動機械人形)は異世界のねずみと変わらぬ暮らしをし、子を生み家族を持つこともできた。しかし、人間社会同様、貧富の差があり財力でオートマタを差別することもあった。富豪だが孤独な雌ねずみ(カギヌワ)は唯一、子ができぬ事が悩みであった。そこで財力をもって雄ねずみと交尾する。そしてその毒牙が、貧しいながらも幸せなオートマタの家族(父親:テテ)に向けられた。 物語はカギヌワと一組の家族が交錯する寓話というもの。

演者はねずみをイメージさせる化粧、衣装も灰・黒2色を基調としており、紐で尻尾を作っている。貧富の差は衣装の色(富豪は赤色も着用)で表す。観せる工夫、それはダンス表現にも表れていた。特にラスト近く、暗闇でペンライトを点滅させながら群舞する光景は、鬼火のように見え魂魄にも思える。ペンライトに照らし出される姿は、まさに”イコン画”のようだ。その時に流れる音楽も宗教曲で荘厳な感じである。演出は照明・音響等も含め宗教色の濃い作品にしているのが特徴である。その意味では”宗教画をダンスで再表現または再構築”しているようだ。
少し分り難いのが、道化師の役割とオートマタのペンダントのような意味は何か。そしてカギヌワとテテの子・モナキリの誕生は、無理やりの「生」というか「聖」に繋がり、神への冒涜とも受け取ることもできるような…。

物語は説明文を当てはめて観れば、容易に内容は理解できる。その意味では説明過多になり、観客がイメージする世界観が狭くなる。台詞のない身体表現のみで紡ぐ、そんな謳い文句であれば、もう少し説明内容に工夫があっても良かったのではないか。とは言え、少なすぎれば抽象的になりすぎて物語性が理解できず、面白みが失われてしまう。その匙(さじ)加減が難しいと思うが、この公演の生命線(楽しみ)はそこにあると思う。

次回公演を楽しみにしております。

 唱劇「レコードに刻まれた唱 - Victor 春香」

唱劇「レコードに刻まれた唱 - Victor 春香」

駐日韓国文化院

駐日韓国文化院ハンマダンホール(東京都)

2017/11/16 (木) ~ 2017/11/17 (金)公演終了

満足度★★★★

韓国では有名な春香伝、その実演を録音してレコードにする、その過程を1937年という時代を背景に描いた珠玉作。当時の技術では、レコードは数分しか録音できなかったらしい。春香伝は3時間を超える大作らしく、それをどう収録していくか、人々の知恵と苦労が垣間見えてくる。もっとも公演は、裏方作業よりも春香伝というドラマの魅力を伝えるという観せ方である。その意味では劇中劇と言える。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

中央に集音マイク、その後ろに腰高の横長台が置かれている。収録に参加しない、出番待ちの人達の控え場所といったところ。上手側には洋楽器、下手側には小太鼓(つづみ)という和洋の楽器を奏でながら物語は展開していく。衣装は洋装・韓服など違う衣装を着て、目を楽しませてくれる。1900年代、蓄音機の普及により現場でしか聞くことが出来なかったパンソリをどこでも楽しめる大衆芸術に発展させ、当時の名唱たちはレコードを通じ、爆発的人気を博し全盛期を謳歌した。

春香伝…府使の息子・李夢龍(イ・モンニョン)と、妓生(キーセン)である月梅(ウォルメ)の娘・成春香(ソン・チュニャン)は、広寒楼で出会い愛を育む。しかし、父の任期が終わり、夢龍は都に帰ることになる。夢龍と春香は再会を誓い合う。新たに赴任した卞(ピョン)府使は、春香の美貌を聞きつけて我がものとしようとするが、春香は夢龍への貞節を守ることを主張して従わない。激怒した卞府使は春香を拷問し投獄する。一方、夢龍は科挙に合格して官吏となり、暗行御史として潜入してきた。夢龍は卞府使の悪事を暴いて彼を罰し春香を救出する。二人は末永く幸せに…。

時と場所は、1937年の某日・日本VICTORレコード社の録音室。当時の名唱たちが集まった。そこに集まった名優によって春香伝が演じられ、それを収録している。春香伝を一気に演じきるのではなく、場面を区切り、その合間を設けることによって収録しているという本筋に意識を戻す。春香伝のイメージは、濃密な恋愛(感情)と悪弊な社会(制度)という異なった観点から成るようだが、録音室の様子は明るくカラッとしている。

物語の構成とそれを印象付けて観(魅)せる工夫、また演じている役者一人ひとりのキャラクターが魅力的で室内が、緊張・優雅そして微笑ましい雰囲気に包まれているようだ。当時を思わせる場面として、レコード録音完成を祝って集合写真を撮るシーンがあるが、その一枚が貴重であると思わせる。人の記憶に残る記録が出来たという達成感が、写真撮影をイメージさせる照明(照射)枠に収まったポーズに表れていた。
「15」

「15」

雀組ホエールズ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2017/11/15 (水) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★★★

建前と本音、制度と心情といった対立しそうな軸を鮮明にすることで、問題の所在を明らかにして事の本質を鋭く突くような物語。しかし、観せ方は喜劇仕立てにすることによって楽しませながら考えさせるという巧みなもの。実に面白い。
物語は予定調和か、はたまた以外な結末か…。

ネタバレBOX

舞台は「SUZUME BANK」の某支店内。上手側に通路、正面奥が出入り口(閉店後はシャッター)、客席寄りにはクッション椅子数個、下手側に受付カウンターを設えロビーといったイメージ。床は白・赤・黒の太線格子模様、上手側壁には窓があり全体的に明るく、スラプスチツク・コメディのイメージと合致する。

物語はスクラム工業?の2人(社長と幹部社員:高校時代のラグビー部の先輩・後輩の関係)が新規技術開発のため融資相談のため来店しているところから始まる。結果は融資拒絶で社長は逃走してしまう。当時の金融背景として、ギリシャ国家破綻、大企業優遇の取り扱い等、典型的な銀行姿勢が描かれる。それから4年が経過した同銀行・支店で起こる事件を通して社会の理不尽・不道理、人の虚栄・無力を思わせる展開が次々に起こる。その都度、世の儚さと楽しさを輻輳して展開する。銀行強盗に押し入った兄弟、15歳の妹が拡張型心臓病で手術費用欲しさの犯行である。閉店間際(15時)にいた来店客を人質にして3億円を要求するが…。シャッターを閉めた後の行内は、一種の密室状態である。

人情に対して建前を主張する支店長の対応が当時の銀行の姿勢を如実に表している。自分で考えず、慌てふためき右往左往する支店長の姿は銀行の実態そのもの。コンプライアンス(法令順守)という尤もらしい説明は、銀行組織を守ると同時に顧客保護という謳い文句にもなっていると思う。義理人情で融資は実行できないだろうが、そこに知恵を絞ってという発想が求められるようになってきた。そんなことが最近の金融庁の行政方針(例えば、「ベスト・プラクティス」の追求)に見られるが…。そんな堅い話(金融庁、警察機構という国家権力との対峙)を軽妙洒脱なコメディとして観(魅)せる演出は見事。さらに冒頭の融資拒絶した真の理由を明らかにし、いつの間にか全員を善人のように描く、というヒューマンドラマ仕立てにホッとする。

次回公演を楽しみにしております。
穴ザワールド

穴ザワールド

発条ロールシアター

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2017/11/16 (木) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★

”穴にはロマンがある”というのは劇中の台詞。何となく意味深であるが、穴ザワールドいやAnother World(外の世界)と捉えれば視野が広がる。外の世界を見てみたい、その興味というか欲求は人間の本能かもしれない。そんな面白さがあった。
さて穴の目的とは…。
(上演時間1時間25分)

ネタバレBOX

舞台は老朽化したアパートの一室。和室(畳敷き)の中央にミニテーブル、その上は雑然としている。周りにはダンボール箱が置かれている。
自称、小説家(志望)の男・コノシロ(江戸川良サン)が寛いでいるところに見知らぬ男・鯵ケ沢(加茂克サン)が闖入して自分の部屋だと主張する。実は家賃を半年も滞納し夜逃げした前の住人。どうしても同居したいと懇願するが、その目的は部屋の真ん中に穴を掘ること。そして掘ること数ヶ月、深さも数メートルになったが…。

何のための穴掘りなのか、その疑問が観客の関心を惹き物語を牽引する。同じように宅配便のスズキ(花見卓哉サン)も穴の中の事、欲の下心もあり強引に手伝う。たかが”穴”されど話の中心としての存在感を示す。そこに物語の不可思議な魅力がある。

部屋には、コノシロの別居している妻と暮らしている高校生の娘・新子(かどのまるサン)も出入りしている。学校では苛められているらしいが、父には友達との間に線があるという表現で説明する。父は親子であっても線はあると、やんわりと娘の悩みを聞く。ギャンブル好きで不真面目と思える父親だが、杓子定規ではない態度が心地良いのかもしれない。ちなみに別居している妻の仕事は弁護士だという。少し強引だが、穴の意味や父親の威厳というよりは、その存在自体が重要だという描き方である。

コノシロの飄々さ、鯵ケ沢の仄々さ、スズキの熱量、新子の溌剌さ、そして時々突っ込んでくる大家のイワシタ(則末チエサン)の演技が、物語を生き活きとさせている。ドタバタ騒動だけではなく、大家以外の人が台風の夜に肩寄せ合い毛布に包まって話をする。その少し不安な姿が、何となく微笑ましく滋味さえ覚える。また畳を返し穴から出てくる、後幕を捲り地中の岩場を見せるなど、観せる工夫に観客サービスが感じられる。

さて、穴堀りの目的は…徳川埋蔵金、日本の裏側(ブラジル)まで掘り進めるか?いくつか荒唐無稽な紹介がされるが、答えはなし。観客の心に委ねた”ロマン”ということだろう。

次回公演を楽しみにしております。
秋来にけらし

秋来にけらし

もぴプロジェクト

吉祥寺櫂スタジオ(東京都)

2017/11/17 (金) ~ 2017/11/21 (火)公演終了

満足度★★★★

下平康祐、椎名マチオの両氏が紡ぎ出したテクストは、役者の熱演、心情豊かな演技によって観客の心を揺さぶる。少しネタバレするが、物語はある事情で集まった男女6人が自らの思いを語る、3話オムニバス+αの構成で描かれる。秋深まってきたこの時期にピタッリの公演である。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは廃屋または木材・資材置き場といった場所。そこに見知らぬ男女が次々と集まってくる。全員で7人になるらしいが、最後の1人がなかなか来ない。ある目的で見知らぬ者が集まる、そのミステリアスな(状況)説明は最後まで明かされないが、何となく「死」を想像させる。雑然と纏まりのない部屋が心の荒んだ様子を表しているようだ。描写(舞台美術も含め)による伏線の張り方は巧い。

さて、最後の人物が来るまでの間、自分の思いを語り出す劇中劇という構成である。
第1話は、猫が虎と思い込んで巻き起こす滑稽にして哀切漂う物語。一人芝居の熱演であるが、少し冗長と思えてしまい残念。
第2話は、三好十郎の「妻恋行」。田舎のバス乗合所を人生の交差点に見立てた人間模様。バスを待つ間に交わされる男女の身の上話から、それぞれの苦悩が明かされる。細やかにして心情豊かな演技。子供(赤ん坊)のためにも力強く生きて行こうとする姿が感動的である。この話には全員が登場する。
第3話は、オー・ヘンリの短編小説「最後の一葉」(邦題)。病に伏している友人を励ますために、窓から見える木の葉を”生”に準えて…。3人(女優2人、男優1人)で演じられるが、基本的には女優2人芝居で、状況と心情の変化を上手く観(魅)せていた。

秋の夜長に語られた話を通して「死」から「生」へ。そんな気持の変化がしっかり観てとれる心象劇(これがベースにあたる+α)のようだ。「生きる」に疲れた若者たちが自らの話によって再び生きてみようと思う過程、それを直截的な表現にせず「もう少し待ってみよう」という台詞に光明が差すようだ。衒いがなく鷹揚のある俳優陣の演技が脚本の真情を伝えている。その観せ方は各語りに違い…一人激白、俚言の心情豊かな響き、美しい風景画を思わせる情調等、工夫した演出(下平氏)が素晴らしかった。

次回公演も楽しみにしております。
棄てられし者の幻想庭園

棄てられし者の幻想庭園

中二病演劇集団Schwarz Welt

中野スタジオあくとれ(東京都)

2017/11/17 (金) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★

当日パンフの副題「公式解説書」…そこには「本作品をよりお楽しみ頂くため、ぜひ公演前に本書をお読み下さい(著者:雪名ひかる)」と書かれている。それだけ難解であるのか?さらに「作者からの言い訳」なる文も掲っている。
公演全体は”ストーリーゲーム”の異世界をダークファンタジー風として舞台化した、そんな感じの展開である。何となく寓意、教条的なことが垣間見えるような気もしたが…それこそ中二病のように背伸びした妄想かもしれない。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

セットはほぼ素舞台で、白いBOX椅子がいくつか。場面状況によって組み替えソファーにしたりする。
物語冒頭は事故死を思わせる。その先の世界観は死後と捉えていたが、当日パンフの言い訳からすると「現実世界を舞台に能力者が活躍する話」のようだ。この二次元世界=ギルド(日本には5カ所あるらしい)は民間からの危険な依頼を解決する組織の総称。そして本作では理不尽な死を無くすために暗躍するらしい。そこで活躍する人物は個性豊かなメンバーであり、それぞれ異なったスキルを持っている。そのスキルを駆使してこの世の理不尽な死を無くす行動をしている。本作品の主な舞台は「幻想庭園(ファンタズマゴリア」というギルドの一つ。

主人公アカネがこの世界に来て、色々な人物との交わりを通じて理不尽な死を感じているが、自分自身の存在が忌み嫌われているような。その浄化を果たすため、交わりを結んだ者たちとの対決。その過程を通じて真の自分を取り戻すといった内容であろうか。
初めの世界観の不可思議さ、浮遊感そのものが現実離れしたイメージを漂わす。また各能力(スキル)も魅力的であるが、その表現が十分観客に伝わるだろうか。

作者自身でも、設定もメッセージも盛り込みすぎたと書かれている。その分旨味はギュッと濃縮しているとも。しかしその思いは具体的な世界観をイメージさせるまでにはならず、また魅力的な能力の発動自体も分かり難く残念。当初よりもシーンをカットして再構成したようだが、その分説明が省かれ分かり難くなったと思う。映像やマンガでの能力描写は容易いかもしれないが、演技でそれを表現させるのは難しい。この2つ(物語の再構成と能力描写)の難しさを克服し、しっかり伝えなければ公演の魅力が半減してしまうと思う。

物語の趣旨・内容は面白いと思うが、それを表現し伝え切れなければ勿体無い。役者の熱演だけでは、異次元という世界を描ききれないと思うのだが…。
もう少し「妄想」→「幻想」→「現実」の世界への移ろう風景・姿が見えると面白いだろう。
次回公演を楽しみにしております。
煙が目にしみる

煙が目にしみる

パンドラの匣

TACCS1179(東京都)

2017/11/15 (水) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★

火葬場で焼骨になるまでの僅かな時間の物語。白装束の男2人が軽妙に話しており、「死」という悲しみが感じられない。逆に葬儀という儀式を通して「生」の喜びを浮き彫りにした秀作。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

セットは、田舎町の火葬場。上手・下手側にそれぞれベンチ椅子とテーブル。脇には螺鈿細工の花瓶1つ。後景は桜の大木があり満開の時期。すこし散り始めているが…。

ベンチに2人の中年男性、野々村浩介と北見栄治が立ち話。白装束から2人とも死んでおり、これから彼らの火葬が行なわれる。客席後方から2人の家族たちが、斎場に入ってくる。野々村家は妻子と母、従妹夫妻と賑やかだ。北見家は娘らしき女性と男性の2人だけ。浩介の母、野々村桂は最近惚けてきた。その様子を眺める死者2人の会話に桂が入り込んできた。何故か桂には死んだはずの浩介と栄治が見える。本来、2家族が交わることはないのだが、野々村浩介の遺族への思いや野球部監督をした高校の甲子園での試合を効果音のように従え、一方、北見栄治は死に関する艶福エピソードを次々明らかにし「思い」という感情を交差させる。
遺された家族たちの思い、それに呼応するような死者の述懐、イタコのように生者と死者とを仲介する桂。火葬場に喜劇と悲劇が輻湊していく。

死者は、自然や現実とは異なる時空のようなところに行くだけ。生者と対話できる、と思うことによって死者と魂を通わせ合うことが出来る。カフカであっただろうか…「人は死後に独自の進化を遂げる」と言ったのは。それは生きている者が死者の影響を受けたり、意思を引き継いだりすることを意味するらしい。

桂を通して通じ合う思い…「体」は死んではいるが「魂」は対話している。「死」という普遍的なテーマを扱いながら、情緒に流されず乾いた視点で(家族を)見据える。そして満開の桜が明るい象徴として映え、その散る花びらに余韻が…。

次回公演を楽しみにしております。

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