沈黙の音
演劇企画アクタージュ
参宮橋TRANCE MISSION(東京都)
2018/02/15 (木) ~ 2018/02/18 (日)公演終了
満足度★★★★
チラシの説明…ある地下室で起こった男の事故死 はたして男の死は本当に事故死だったのか。彼らを待ち受ける真相とは…とミステリー風であったが、内容的にはサスペンス劇に近い。彼らとは、実際に登場しない”死体”を含め6名であるが、”沈黙”の死体によって崩壊していく人間関係の”音”が聞こえてくるようだ。
(上演時間1時間20分)【Bチーム】
ネタバレBOX
舞台は死者の自宅の地下室。そのイメージはコンクリートむき出しの壁、上手側にソファー、ダストまたは排気口、下手側奥に外への出入り口の階段があるが、今はその蓋(扉)に鍵が掛かっている。客席寄にテーブルがあり雑多な小物。そして地下室にトイレが…。上演前は立ち入り禁止のテープ、死体があったことを示す跡。
暗闇の中で目覚め…何処にいるのか、今何時なのか、という日時場所が解らないまま其処に居る人物紹介が始まる。見知らぬ同士、何故ここにいるのか、そして密室という特別な状況下で疑心暗鬼になっていく心理状態を描く。その不安と焦りのようなものが怒声に表れる。サスペンス風に緊迫と緊密な関係性が次々と明らかになっていく。
密室ミステリーの謎解きを期待したが、登場人物それぞれに殺人動機のようなものが見え始め、互いに疑いと詮索の目を向ける。その動機に基づく、各人の心理状態をシュミレーション回想として挿入してくる。その時に死体が生前の姿として現れるが、それはもう一人の登場人物が…。当初ミステリーとしていた密室が案外簡単な、というか元々密室では無いような。
男の死を巡り虚々実々の会話が繰り広げられるが、時にまったく関係ない方向へ誘導するのは、観客操作であろうか。例えば「News23」が始まる時間帯のこと、ペットボトルの差し入れの如くである。
ラスト…ある登場人物へスポットライトが朱色、まさに血に塗られたようで、そこに佇んでいる姿は狂気の様。そして流れる音楽が印象的であった。
次回公演を楽しみにしております。
私信/来信、ユートピア
青色遊船まもなく出航
シアター風姿花伝(東京都)
2018/02/09 (金) ~ 2018/02/12 (月)公演終了
満足度★★★★
チラシにユートピアとは「素晴らしく良い場所であるが、どこにもない場所」と書かれている。現実には有り得ない永遠平和だが、あの世と対話する行為を”祈り”と呼ぶ人もいる。
この公演では死者も出るが、物語の主要な役柄はオカマで、死者との関わりで魂を失った人物として描いている。
それにしても観念的で一筋縄ではいかない思索を要する公演であった。
(上演時間1時間40分)【来信、ユートピア】
ネタバレBOX
舞台はオカマBar「純」_日常とはちょっと異なる場所であるが、そこで働く人の過去や現在の心境を通して生活感が浮き上がってくる。繁華街にあるであろうBar店内、そこで働いている人々の孤独、悲哀といった感情を賑やかな場所(街)と対比させることで、より空虚感が強まる。妻を癌で失ったオカマ・ユキ(大竹崇之サン)は、ひょんなことで知り合った家出少女・アコ(川島まゆかサン)との出会いと触れ合いによって魂を再生させていく。その過程を、過去と現在を往還させて紡いで行く。
この店の来店客の苦しみ悩み、店員(オカマ)と客の双方の苦悩から見えてくる生き難さ、そこで披瀝されるのが”化粧”の話…化粧とはゲーム、過去を隠して自分を隠して(言い換えれば偽り・誤魔化す)、自分を好きになる。時々発せられる禅問答のような台詞。その会話が観念的で深い。さらに化粧は色が分からない、感じる心は奪われないと進む。虚飾は化粧だけではなく、衣装さらには女装へ広がる。ユキは妻・雪乃(長谷川景サン)を失い魂を失っていた。因みに、色は色弱者のデザイナーとの関わりもある。
舞台セットは、奥にユキの部屋(現在と過去に雪乃と暮らしていた所)、そこには所狭しと衣類が散乱しており、その中にベット。客席寄はオカマBar「純」の店内…下手側にカウンター、上手側にBOX席があり、カウンター・テーブルの両方にボトルが置かれている。その舞台セットを黒の紗幕で閉め、客席との間に別空間(街中)を出現させ立体感を演出する。
回想への恐怖がノイズ、現実の生活を雑踏・列車の軋みという効果音で表現している。また紗幕全面やボトル内に電飾を施し点滅させることで幻視的な効果を生む。ラスト、ユキは鬘、女装を解き新たな一歩を…。
しかし、せっかくのオカマとしての存在と独特な会話が生きてこないのが残念。単なる化粧という外見の虚飾を装うだけに止まったように思う。
次回公演を楽しみにしております。
南大塚演劇市2018
としま未来文化財団
南大塚ホール(東京都)
2018/02/10 (土) ~ 2018/02/11 (日)公演終了
満足度★★★★
「南大塚演劇市2018」…今回で6回目になるという。コンセプトは「自分たちの作品を地域の人に観てもらいたい」「いろんな団体と知り合いたい」「演劇に関わってみたい」「身近で演劇公演を楽しみたい」 、演劇サークルや劇団と地域の人々との交流の場を願い始まったらしい。
今回観劇したのは、劇団東俳 劇団員による「こちら、オフィス堂島」(ちなみに前日「劇団東俳 サークルかぐや姫」が別演目を行っているため「劇団員」としている)。
演劇市のルールで1時間以内の上演時間という制約があるにも関わらず、分かり易い展開で、しかもラストはミステリー要素が加わり観応え十分であった。
(上演時間55分)
ネタバレBOX
舞台セットは、上手・下手側ともに段差のある棚台、客席寄りにテーブルと椅子というシンプルなもの。もっとも置いてある意味合いは異なるようで、上手側は家庭内(三國屋家)のテーブル、下手側は事務所(堂島会社)の机といったイメージである。
物語は、何をやっても中途半端な男・岡崎雄太28歳が就職活動を始めるところから始まる。説明には、この会社は普通の会社とは違う裏の顔を持っていた。この会社の仕事とは?そして岡崎雄太の運命は如何に?という意味深なことが書かれている。物語が進展するにつれ、ブラック企業の様相を帯びてくる。会社の活動として2例が描かれるが、いずれも会社が仕掛け、その依頼に基づいて仕事を進めるという出来レースのようなもの。そのやり方に疑問、抵抗感を持った雄太の感覚は正しいと思うが…。それに対して社長・堂島玄介は”言葉でなく感じてほしい”と観念的な返事である。そしてこの世には必要悪がある、とも言う。
雄太の目を通して、社会は世間の良識や善意だけでは成り立っていない。それを若さとユーモアを絶妙に織り込み人生の迷路に明かりを灯すような話。物語としては分かり易く、ラストにしっかりオチもあり面白い。
自分の呟き…もっと正攻法な方法で仕事に取り組めないかなぁ~。まるで社員を偽り、試すような仕組みの仕事は…まぁ、芝居ならではでしょう。
次回公演を楽しみにしております。
いずこをはかと
PocketSheepS
TACCS1179(東京都)
2018/02/08 (木) ~ 2018/02/11 (日)公演終了
満足度★★★★
タイトル「いずこをはかる」の意…劇中の説明によれば日本の古典に求めることが出来るようだ。意味は” どこを目あてにして”という曖昧なものらしい。
物語は、チラシの説明に書かれている通り、大正というデモクラシーが高揚してきた時代を背景に、少し大げさに言えば家訓という縛りと自由・解放という「家制度」と「個人」という対比構造が透けてくる。タイトルは家制度と個人の両方に係るような意味合いを持っているような…。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セット…左右の壁はステンドグラスまたは寄せ木細工の模様のような小片を結合し、形状・模様を表現したものが描かれている。正面は両開き扉でその上部の壁も形状・模様が施されている。セットはいたってシンプルなものであるが、これは多くの場面が繰り返し登場するため、観客に情景・状況の固定観念が生まれないような配慮とアクションスペースを確保するためであろうか。
梗概…その昔、主人公が居る財閥先祖が主君へ献上(生あるもの)したが、大事に仕舞い込み餓死干乾びた。逆上した殿から厳罰、呪いが…。以降この家では大事な者(長女)は屋敷奥へ閉じ込め、外部との接触をさせなくした。外に出れば必ず周囲の人々も含め"災い"が起きるという言い伝え。
しかし、四六時中家の中では退屈、刺激もないことから外に出てみたいとの欲求も自然の成り行きであった。そんな時、金目当ての泥棒(スリ)集団が屋敷に侵入し手違いから娘を連れ出してしまう。いや、娘が連れ出して欲しいと懇願したというのが正しい。
その道行きは…。ちなみに”災い”とは、希望を持つから絶望が生まれる。初めから希望などという幻想は抱かないこと、自由恋愛もなく決められた相手と結婚すること。ここに大正期へのアイロニーも垣間見える。
人それぞれの境遇や立場がしっかり説明され、それに従って行動している。躍動的な体現、時に観念的な台詞、理路整然とした理屈では追いかけられないストーリー展開、そしてミステリー要素も加わる。泥棒の生活感と財閥令嬢の自由奔放な考え、妄想がうまく対比され、大正という明治期と昭和期の狭間にあった短い期間の特徴を表現していたようだ。それは壁に描かれた模様等によっても印象付けられる。
財閥家の当主は妹(瑠璃=和泉奈々サン)を閉じ込めておきたい、一方泥棒(珊瑚=植草みずきサン)と変な友情が芽生え、双方とも自由に成りたいとの思惑は一致し遠方への旅立ちを試みるが…。そこに刑事、泥棒仲間やその親代わりの女親分(銀子=きむらえいこサン)、この出来事に便乗したい新聞記者、瑠璃の婚約者(当事者同士は面識もない)、使用人、さらに神父、修道女等、多くの人物とシーンが登場する。
全体的に演技が大げさ、騒がしいイメージが強く、当主・鋼太郎(内堀克利サン)が現れる場面が説得、説明場面ゆえ落ち着いて見えた。特長として、珊瑚役がストーリーテラー的な役割も担っているようで、物語の展開や心情描写への導きとしては効果的であったと思う。ラスト、遠く南の地で観たいと願った蝶が舞い余韻が…。
次回公演を楽しみにしております。
瀬戸の花嫁
ものづくり計画
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2018/01/31 (水) ~ 2018/02/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
瀬戸内海にある小さな島、その島の高齢化、人口減少さらには経済活性化という問題が散りばめられた公演…まさに現代日本が抱える問題そのもの。
前回公演が好評であったことから、3年越しの再演というが実に面白い。物語は島という限られた所、時間は順々に経過し分かり易い展開で気軽に楽しめる。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは瀬戸内海に浮かぶ小島…戸美島の公民館ホールといったイメージ。その室内、正面に窓ガラス、壁には島民の集合写真や表彰状が飾られている。下手客席寄に階段を設え別スペースを作り出す。
梗概…高齢化、少子化さらに島の若者は島を離れ都会へ。その状況を何とかしようと結婚相談(所)会社を通じて集団見合いを企画する。島の男たちの願いが叶い、都会暮らしの女性5人が応募して来た。その紹介映像を観て、さらに期待膨らむ男と島民。その準備の過程…見合いの時の話題、趣味趣向などをシュミレーションする姿が滑稽に描かれる。そして若い島民同士の男女・男男の恋愛事情、誤解・勘違いも絡んだドタバタ騒動。そして見せ場である見合い当日を迎える。一方、都会から来た女性たちにも色々な事情があるようで、果たして集団見合いは成功するのか…。
島という閉鎖的と思われる土地で、行き違いがあれば気まずい思いを引き摺りそうである。しかし、この島の人達はみな優しく温かい。島が一つの家族であり助け助けられという相互扶助が見えてくる。しがらみと閉鎖性というネガティブなことを連想しがちだが、ここでは真逆の「しがらみ」⇔「親和性=家族的」、「閉鎖性」⇔「受容性」としてポジティブに描いている。都会…東京砂漠・隣人何する人などという言葉は無縁である。娯楽施設や大型スーパー等は考え難いが、それでも島の良さが溢れている。そんな島に嫁が…。1人で島民になる不安が集団見合いで解消されるか。そんなところも見所かもしれない。
過疎化の島が抱える社会問題と、男女の出会いが乏しい人口減少のテーマを明るくポップに伝えるコメディ…という謳い文句。島民同士のカップルについて、一般的には身近で人柄も知っているから恋人関係へ発展しそうであるが、それが逆に幼い時から兄妹のようにして育ってきたという特殊?な環境下の悲哀という細やかな感情表現も自然で上手い。ほんとうに堪能しそして楽しめた。
さらに第二の故郷が広島である自分にとって、全編本格広島弁はリアルな世界観であり懐かしくも感じた。
次回公演も楽しみにしております。
ちょうどいいひと。
Nuts Grooove!
コフレリオ 新宿シアター(東京都)
2018/02/01 (木) ~ 2018/02/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
時間と技術を使い仕上げたであろう公演、これから(今後)観るであろう人達のためにも筋の紹介は簡単にしておく。本格ミステリーではないが、ラストシーンはアッと驚くような展開であり、本公演は再々演であり今後も上演の機会がありそうだ。
ちなみに「ちょうどいいひと。」とは、説明によれば「感情的じゃなくて、聞き上手で、自分の意見を言えるほど強くはないけれど、でも優しくて。前に出過ぎず、後ろにも行き過ぎず。社会の輪の中に、ちょうどよく存在している。」という人のことらしい。その曖昧な人物像を独特な切り口で描いた物語は観応えがあった。
(上演時間1時間45分)【Bチーム】
ネタバレBOX
舞台はあるレンタルルームと喫茶店の2光景。登場人物は僅か4人(常時登場は3人)で、そこで展開される物語は、”ちょうどいい人”ならぬ”聴(努)言い人”になってみたかった3人の話。人の手の平の上で踊る、そんなシュールでブラックユーモアが感じられる公演。
梗概…「ちょうどいいひと。」になるための啓発セミナーに大金を支払い参加したが、肝心の講師が現れない。男女1人が一枚テーブルに座って待っているが、お互い存在を意識しているが声は掛けない。そのうち遅れて別の女性が現れ時間だけが経過していく。もしかして詐欺かも…。別の日にもセミナーがあり、改めて参加してみようか。セミナー室から喫茶店に場所が移り、この時も些細な言い争いが繰り返される。この時点で人間関係が上手く築けない人達であることが解る。別の日にも顔を合わせるが…この間にそれぞれの人のプロフィールが自己紹介という形で説明される。
男(由原誠)…48歳・会社員。会社で上手く立ち回れず精神的な病になった。女(藤崎いずみ)…39歳・スナックママ。自転車乗車禁止の商店街で、後ろから自転車に乗った小学生に”ジャマ”と叫ばれ対人恐怖(トラウマ)に。女(山本絵理亜)…40歳代か?幼い頃から人間関係は苦手。コスプレで外見を装い内心を隠す。そしてレンタルルームの清掃員のおばちゃん(愛ちゃん)が仄々とした雰囲気を醸し出す。全員が一見、一癖二癖もありそうな人物ばかりであるが、底には人が持っているであろう承認欲求という普遍的な願望が透けて見えるようだ。
基本的には会話劇であり、物語の面白さは構成・展開に左右されるだろう。日常生活(過去も含め)や対人関係の良好を目指すというささやかな願望を軽妙でコミカルな会話で紡いだ秀作。それを細やかな演出…例えば窓を開けると街の雑踏が聞こえるなど、室内の異空間と室外の日常空間が区別させる。そこには世の中の”普通というレール”を走るのか?という自問自答への回答が見つからない。その区別のようなものが室内外の音響で表す巧みさ。
観終わってみれば、セミナー主催(首謀)者の思惑か、それとも偶然か判然としないが、いつの間にかセミナー効果が…。
次回公演を楽しみにしております。
小鳥たちのプロポーズ
劇団しゃれこうべ
ザムザ阿佐谷(東京都)
2018/02/02 (金) ~ 2018/02/04 (日)公演終了
満足度★★★
「劇団しゃれこうべ」の旗揚げ公演「小鳥たちのプロポーズ」、それはニール・サイモンの「求婚」(邦題)が原作になっている。
ある避暑地での出来事、そこで繰り広げられる不器用な愛のカタチが紡ぎあう人間模様といった物語である。夏の魔法にかけられた小鳥たちのプロポーズの結末は如何に。”ハートフルフィーリングコメディ”との謳い文句であったが…。
(上演時間2時間20分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台セットは、1950年代のアメリカ、ポコノ山脈にある別荘地をイメージさせる。周りには緑色の平板を立て、いかにも森の中を思わせる。上手側に別荘が建ててある。その上部にはテラスであろうか、別スペース。下手側は切り株をテーブルに見立て、籐椅子が置かれている。
場内に入ると一気に森の中の別荘へ導かれる。そして上演前は小鳥の囀りが聞こえ、雰囲気作りに努めている。
梗概… 病気の父バートと独身の娘ジョージー、家政婦クレンマが住む山荘に、離婚し別の男性と結婚している元妻アニー、ジョージーから婚約解消されたが未練が残るケン(ケニー)、実はジョージーが愛する相手でケンとその父親に恩義を抱えているレイ、勝手にジョージーを追いかけてきたヴィニーという粗野な男、レイの恋人であるモデルのサミイも加わり、複雑な愛情模様を繰り広げる。
人物紹介で、父バートはユダヤ人、家政婦クレンマは黒人という人種的な事が触れられたが、物語の展開には無関係のようだった。あくまでひと夏の恋愛、その騒動をコミカルに描き出した公演であり、人間ドラマとしては表層的で物足りなさが残った。
一応ハッピーエンドという結末だが、行き場を失ったケンがもっぱら笑いを誘う道化の役割を担う。そこには面白さより哀感が漂うような。また実際の家族ではない、家政婦クレンマの少し距離を置いた存在がスパイスのように効いている。しかし総じて人物像の立ち上げが弱く、人間的な深みと係わり合いが感じられなかった。
演技がぎこちないのかテンポが単調なのか、いずれにしても上演時間が長いことも相まって冗長と思えてしまう。せっかくセットと雰囲気作りに努めており、その環境下で紡がれる物語に魅力が持てなければ勿体無いと思う。
次回公演を楽しみにしております。
iaku+小松台東「目頭を押さえた」
iaku
サンモールスタジオ(東京都)
2018/01/30 (火) ~ 2018/02/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
因習・風習という社会的な要素に、人間が持つ様々な思い・感情(愛憎)という極めて人間的な要素を融合させている秀作。因習などに縛られながらも、その土地と風習を受け入れ愛する人々の姿を様々な感情を交えながら描く。閉鎖的で逃げ場のない地域社会が人間関係を少しずつ変化させていく恐怖。またその環境が恋愛(対象)にも影響を及ぼすという多面的な描き方も見事だ。
チラシは遺影を思わせる構図、そしてタイトル「目頭を押さえた」は単なる泣くだけではなく、別の意味が…。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セット…旧家の居間であろうか。中央に囲炉裏。後方の上手側に衝立、下手側に別棟(正面の格子ガラス窓)が建っている。この別棟が”喪屋(母屋ではない)”という今では特別な場所であることが説明される。死者の血族 が一定期間,葬地の近くで忌籠りをするための小屋。現在では忌籠りの習俗が廃れ喪屋もほとんど痕跡がないらしい。
物語は、この喪屋が残る地方(ヒトミ村?)で代々林業を営む家族(ここで育った従姉妹同士2人の女子高生を中心とした人達)に集落に残る葬送の因習を絡めたもの。冒頭、女子高生が全国高校写真コンクールで優勝し喜んで帰ってくるところから始まる。この従姉妹は一人は撮影者でもう一人は被写体(モデル)の関係であり、幼い時から行動を共にして来た。
物語は大別すると2視点で描かれている。1つは因習という地域・社会という生活基盤と世襲という制度の柵(しがらみ)である。もう1つは、一人ひとりの人間性、特に思春期の女子高生2人の恋心と誤解・嫉妬による微妙な距離感が生じたこと、さらには親子(父と娘)関係の強い思いのすれ違いである。
喪屋は特定の人しか入れない、即ち家督相続人しか入れないが、この家長は女子高生に暗室として使用することを認める。今の時代、柔軟な発想が必要だと説く。この家の跡取り(長男)は中学生であるがゲームに興じてばかりで頼りない。そんな時、事故が起きて…。一方、進路に悩む女子高生だが、当初2人とも地元の短大へ進学しようと考えていたが、1人はコンクール優勝を機に上京し美大(写真学科志望)へ気持が揺れる。この2人と高校写真部顧問との関係に誤解が生じ…。さらに上京させたくない父親の思いが絡む。
しっかりとした構成は、綿密な取材や研究の成果の表れであろうか。偏りのない視座、主張も情緒も抑制し坦々と地方生活が描かれるが、ラスト、事故後の対応にはやはり因習に帰する展開。この公演には独特な品格を感じるが、それは今でも残る日本的な感覚であり、その地で生きている普通の人々へ思い、因習(歴史)に対する謙虚さの表れであろうか。
次回公演を楽しみにしております。
おせん
サスペンデッズ
シアター711(東京都)
2018/01/30 (火) ~ 2018/02/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
井原西鶴・好色五人女の巻二「情けを 入れし樽屋物語」のおせんをモデルにした創作で、江戸時代に実在した大坂・天満の樽職人の女房せんの話…それを題材に劇中劇のように仕上げているが、それも単なる劇中劇ではなく、物語性を別の角度から捉え芸術性豊かなものにしている。
観劇当日は雨が降っていたが、前説で「雨から雪になるかもしれない天気予報にも係わらず(中略)観て良かったと思えるような公演にしたい」とあったが、その期待は裏切られることなくとても素晴らしい公演であった。
3人芝居、その演じる主体が特徴で原作の悲喜交々とした物語を別次元の高みへ導いていた。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
舞台セットはシンプルで、大きな衣桁のような衝立(所々に唐草模様の布が縫いつけられている)、折りたたみ式の木机3つ。劇団員三人が複数の役を担い、サスペンデッズの「おせん」を創っている。物語は、木机に折り重なるように横たわっているところから始まる。
梗概...貧しい農家の娘おせんは、14歳の時、麹屋に女中奉公に出される。姿かたちがよく、働き者のおせんは麹屋で重宝されている。そのおせんに出入りの樽屋は惚れているが、しがない職人の樽屋はそれを言い出せない。樽屋の気持ちを知った産婆は、樽屋のためにおせんがお伊勢への抜け参りに出かけるよう仕組み、樽屋を同行させる。しかし、やはりおせんに気のある久七も一緒に旅をする事になってしまう。邪魔は入ったが何とか夫婦になった樽屋とおせん。数年後、麹屋の法事の手伝いに来ていたおせんは、麹屋主人の長左衛門との仲を女房のおきちに疑われてしまう。そして…
物語を紡いでいるのは人形3体。それを役者3人が擬態(体)化した設定であり、冒頭、横たわっているのは、用済みで廃棄されたような格好に思える。3体は主役になれない、端役のような存在であったらしく、主役人形は出て行ったという。勿論、主役人形は登場しない。その状況で芝居が出来るか心配な3体は、そのうち自分たちで全てを演じてみようと…その演目が「おせん」である。既にボロボロに傷んでいるがまだ役に立つ、廃棄されたくないという危機意識のようなものが働く。主役も含め自分たちで複数役(女形あり)を割り当て必死に練習する姿(勢)に圧倒される。練習という設定であるから、自分たちでダメ出しをし始めのうちは貶し合っていたが、いつの間にか励ましあう。生身の人間という設定より、人形という視点で捉えることによってより人間(社会)を客観的に観察することが出来るという優れた演出。
また舞台技術が効果的で、和物らしく拍子木を用い、照明はモノトーンを意識し暗・明の強調で引き立たせる。演技も素晴らしく、思わず人間劇と思い勝ちであるが、人形による芝居練習であり、体が時々軋むような擬音を織り込む細やかな演出によって人形芝居ということを確認させる。人形によって人間の情や社会の在りようが浮かび上がる秀作。
次回公演も楽しみにしております。
Do Munch
みどり人
新宿眼科画廊(東京都)
2018/01/26 (金) ~ 2018/01/30 (火)公演終了
満足度★★★★
上演前にスクリーンに静止集合写真(チラシの人物写真)を蠢めかせるように小刻みに揺らしながら、ムンクの絵画に重ね合わせるような、スクリーン-プロセス手法で見せ続ける。公演は、どこにでもいるような人々の暮らしを坦々と描き、些細なこと…「これからは、息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描く」(ムンク-副題)する様子を描いたもの。序盤はパントマイムと擬音が大仰な演技に思えたが、それも始めのうちに状況と情況を説明するためで、公演時間に占めたのは短時間であった。少年時代に受けた肉親(母・姉)の死、その悲しい思いが心の傷になっている男、それをムンクの人生と重ね合わせて観せた珠玉作。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
客席はL字型、舞台は素舞台である。上演前はスクリーンへの映写があるが、あくまで心象形成に止まる。また壁には何枚かのムンクの絵画が飾られている。ちなみに、当日パンフ中面のムンクの絵「カール・ヨハン通りの夕べ」は、本公演チラシ(登場人物7人)写真の構図に似ていることから意識したもののようだ。
登場人物は7人(アパート大家、コールセンター勤務の男性1名、女性2名、コンビニ店員男女1名、コールセンター、コンビニ店員の兼職1名)で、生活・仕事ぶりを通して人柄なりが自然と表現される。疎外的なイメージの人間による濃密な会話劇がアンバランスでありながら、目が離せないのは巧みな演出だからであろう。冒頭から女性3人が別空間でありながら横一列に並び出勤する準備をしており、孤独感が漂うようだ。
登場人物は基本的には独り者、アパートに一人で住んでいる。そこには都会生活の寂寥感が漂う。また仕事はコールセンターという相手の姿が見えず、受身一方の仕事のストレス。またコンビニ店員という接客業は、客に気を使う勤務、ローテーションに苦慮する責任者の姿。仕事への生き甲斐というよりは、坦々と時間の経過に身を委ねているだけという無為な様子(=都会人の表徴か)が窺える。頻繁に早退する、在日韓国人アイドルへの虚妄など、第三者には分かり難い、理解し難い行為であっても、生きていくための自己防衛本能かもしれない。その行動をよく観察し弱い人間性を上手く表出している。
暮らしの中で小さな事件が起き、人間関係を大きく揺さぶり、人の心の闇に迫っていく。この行為にこそ孤独と独善、不気味さを孕んでおり、過去(幼い頃)のトラウマが垣間見える。独身女性の部屋に大家が合鍵を利用し忍び込み、ムンクの絵画を眺める。責任追及する周囲の人々が発する言葉…エドヴァルド、茂道はムンクであり大家の名でもある。この過去回想への強烈な印象付は、2人の人生を重ね合わせた見事なラストシーンだ。
次回公演を楽しみにしております。
ハラカラ・コエダス・レクイエム
GAIA_crew
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2018/01/25 (木) ~ 2018/01/29 (月)公演終了
満足度★★★★
「グリーンフェスタ2018」特別公演、この芝居は再演(再葬)で初演は「グリーンフェスタ2014」で、その時に”BASE THEATER賞”を受賞している。初演も観劇しているが、今回は微笑ましいシーンも多く、作・演出の加東岳史氏が当日パンフに「会話劇ベースのチョット不思議な話なのですが、やはり初演より少しエンタメっぽい演出になってしまいました」と書いており、その延長線上での再演らしい。
面白いにも係らずカンパ制(気持ちの香典)。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セットは中央に祭壇のみ、上部に遺影(破顔で滑稽な姿)が飾られている。ちなみに初演時には白木の祭壇でレンタル料が高額なこともあり、他の劇団と共同で借りていた。
交通事故で亡くなった女性が成仏できず、この世を彷徨い自分の葬儀を別の世界から眺めるというもの。根底にあるのは「腹から声出すレクイエム(鎮魂歌)」か、もっとも主人公は”肥えだす”人であったが、いずれにしても思わぬ事故で亡くなったことへの慟哭がしっかり伝わる。公演は映画「生きる」(黒澤明監督)を連想してしまう。もっとも映画は病死(癌)で、死ぬことが分かっていた主人公(地方公務員)が、それまでの人生を顧(省)み、後悔しないような生き方に改めた姿が映される。公演では交通事故で亡くなった後の家族や職場(銀行)等、周囲の人々の思いの中で主人公の人柄なりが描かれる。人間的な深みというよりは、日常を坦々と真摯に生きて来た、特別な人や出来事ではなく普通の人が描かれているところに共感、親しみを覚える。それは故人を偲ぶという荘厳な儀式ではなく、儀礼的に執り行うといった感じである。それが段々と意識の変化が生じ、家族の絆、職場での評価など良い方向へ展開して行く。
故人を描きながら葬儀を通して人の嫌らしい面、例えば次女は葬儀に託けて彼を紹介しようとする。過去に結婚詐欺に遭い、今度の彼の見栄えを良くしようと容姿(鬘)や職業を(警官と)偽る、三女は姉(故人)の遺産を探し回る等、欲望・虚栄・偽善などを断片的に織り込み、物語を単なる回想から重層的な物語に仕上げている。そして動かぬ故人は、他者の動作で存在感を示す(体重が重たく棺桶を動かせない)。
もう一つの見所は、主人公は霊であることから生者とは話すことが出来ず、その思いは死神(女の子)の力を借り、葬儀社のアルバイトを通じて意思疎通を図ることになる。アルバイトは、ヤル気がなく少々頼りないが、段々と周囲の人の勝手気ままな言動に呆れ、一方主人公の真面目な性格などに心が動かされる。アルバイトという中途半端な気持から、死者と残された人の気持に寄り添う葬儀の仕事に遣り甲斐を見出すという成長の姿が描かれる。
葬儀という儀式を通じ一人ひとりの人間性を炙り滲ませる演出は見事であり、同時に第三者(葬儀社の社員-アルバイト)を巻き込んだ成長、一種のサクセスストーリーは仄々とし心温まる公演であった。ラスト、死神ならぬ別の正体が明かされ余韻が…。
次回公演を楽しみにしております。
np tempo(ナップテンポ)
!ll nut up fam
萬劇場(東京都)
2018/01/26 (金) ~ 2018/01/28 (日)公演終了
満足度★★★
1月にクリスマスというシチュエーション、時季外れであるが描きたい内容は…。一見もっともらしい主張であるが、果たして描かれているような心を持ち続けていられるのか、と思うような疑問が生じた。
公演全体は、子役も出演しファンタジーの雰囲気が漂うが、アクションシーン等はエンターテイメントとして楽しめる。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは、全体的にピンク色、中央に2~3段の段差を設け、その上下動作によって躍動感を演出する。中央に出入り口があり、その左右にクリスマスツリーが飾られ、さらに両壁に非対称にツリーが置かれている。それを電飾点滅させ美しく柔らかい雰囲気を漂わせる。
梗概…白衣を着た青年の独り言…ナップ研究所に勤務している。この研究所は不思議な出来事を科学的に解明することだが、どうしてこの職業を選んだかは忘れたと言う。サンタクロースを中心にトナカイとスピナ?で構成された世界がある。最近のクリスマスは子供の夢ではなく、大人が楽しんでいるだけのようだ。サンタクロースはクリスマスが夢を語るものではなく、現実の商業ベースでしかないといった最近の風潮を嘆く。自分の存在・活躍する意味を問うような問い掛け。一方、スピナは人間界へ行ってみたいという望みがある。唯一、サンタクロースが持っている人間界へ通じる鍵を手に入れ…。場面転換し、某所で27歳の男女が語らっている。そこへスピナが現れ、子供(12歳)の時の気持を思い出させる。スピナはこの人間達の化身(童心)であり、社会の荒波に翻弄され、夢・希望を見失っている今こそ、子供の頃の純真なそして希望に溢れる心を取り戻させる。イメージとしては、サンタクロースがいる天上界のような所から下界を俯瞰し、地上に舞い降りた天使の如くである。スピナとの交流を通じて童心を思い出し、希望を持って生きていこうとする姿。そして何故、ナップ研究所で働いているのか、自分自身の初心を思い出す。
クリスマスを通じて、荒んだ人の心を再生する、そんな姿を見せるヒューマンドラマ。しかし、契機がサンタクロースの愚痴のような繰言が気になる。クリスマスは主に子供(童心)のためと言うが、たとえ商業ベースで本来のキリストの誕生を祝うという宗教色が薄れて別の意味合いを持ったとしても…サンタクロースの存在意義、その思惑は何も子供でなくても良いのではないか?「サンタクロースは煙突からではなく、心から入る」という台詞からすれば、全世代に向けたメッセージの発信、そのうち子供に的を絞った描き方のほうがシックリした。
サンタクロースがいる世界は格差(階級)社会のような…。サンタクロースを頂点にトナカイ(その中でも序列がある)、スピナ(同様に順位付け)がピラミット型に構成されており、人間社会と変わらぬ、いや日本では少なくとも制度的に階級制(実質的な格差は感じる)はないので、それより劣っているようだ。
演技、特にトナカイとスピナがサンタクロースの鍵を巡って戦うシーン、そのアクションスピードや拳の空を切る効果音に迫力があり観応えがあった。
次回公演を楽しみにしております。
パラダイスロスト
TIARA-FRONTIER Presents
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2018/01/25 (木) ~ 2018/01/28 (日)公演終了
満足度★★★
物語としては、映画等で見かける内容(「学校の怪談シリーズ」等)で意外性は少ない。怪談ものではあるが、ホラーというよりはファンタジー要素が含まれた冒険ジュブナイルものといった趣きもある。またノスタルジックな雰囲気もあり大人層にも支持されるかもしれない。
思春期における揺れる不安定な心の在り方、誰もが通過するかもしれない迷いや悩みを不思議な出来事(学校の7不思議の1つ)を通して描く学園ドラマ。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セットは、教室、上手側に立方体の角面を客席側に張り出させ、その上部を骨組みだけにして屋上を出現させる。下部に鏡が飾られ、その中は別次元へ通じるらしい。その案内人が”3階のシホさん”という呼び名で、学校では伝説化している。
梗概…平凡な学園を舞台にした平凡な日常。そんな毎日から抜け出した少女、ミチル。彼女を探すため、親友のサオリは”3階のシホさん”と出会う。行先は別の世界で、パラレルワールドを思わせる。
自分が何者かを探す旅の途中で出会う大切な人たちを忘れないでほしい。迷い込んだ、もう一つの世界で経験する出来事が、今(元)の世界を別の視点から眺められる。
高校3年生という将来(進路)の選択に揺れる時期、不安・焦燥・虚無・希望等のいろいろな感情が自分の意思とは関係なく表れる。その制御が難しい感情を別の世界の自分と置き換えた時、今の自分の情況が見えてくる、という心理劇のようでもある。現実に直面している不安定な感情、それを乗り越えて未知の世界(鏡)の中へ飛び込む。先にどのような世界が待ち受けているのか、想像出来ない場所に立ち向かう。その姿こそ、将来をどのように切り開いていくのか、現実の世界から逃避しそうな気持を未知への探究心が勝る、という展開は寓話のようでもあった。
演出は、特に今の世界へ呼び戻す、その還元シーンは圧巻であった。鏡の中には相当数の世界が作り上げられており、それを鏡の中へ入った高校生たち全員を同時に還元させることは難しい。ある一つの方法を試みるが、そのパワーを集中させる3階のシホさん(渡辺有美サン)の演技、それを支える照明と音響効果は迫力があった。
高校生の揺れる心情と同時に教師としてはどのように対応すべきか、その人間的な悩みも垣間見せる。個々の人間性と関係性は描かれるが、学校という組織は立ち上がってこない。学校内の伝説には目を瞑っていたのであろうか。学校の体面をどう取り繕うかという騒動があっても…。
次回公演を楽しみにしております。
楽園の怪人
トツゲキ倶楽部
小劇場 楽園(東京都)
2018/01/24 (水) ~ 2018/01/29 (月)公演終了
満足度★★★★
普遍的なテーマ(平和、人権←男女平等など)を親子5代に亘って受け継がれた秘密を紡いでいく物語。その血筋を巡っての家族の話を縦軸とし、太平洋戦争中の戦局を一変させる発明を進める科学者の傷害事件(江戸川乱歩原作「偉大なる夢」をモチーフ)を横軸として、それを交差させて描く。奇妙な構図の中に普通の人々の暮らしを描き込む。
「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」とはフランスの生化学者・パスツールの言葉だったような。公演では、同じ国内において発明の兵器化を急務とする考えと兵器化そのことに疑問を呈する研究者の議論と対立を通して戦時下の状況を現す。どんなイデオロギーも過度な正義はつねに危険であり、政治にすべてを集約させることは多様性を失うかもしれない。
公演は現代日本社会に強い警鐘を鳴らしているようだ。同時に推理劇としての物語性に妙味を持たせる。結果、発明グループのリーダーの真の目的とは…。物語の発想の豊かさに驚かされるが、同時にトツゲキ倶楽部の特長、独特な人間模様の可笑しさに推理要素を加えエンターテイメント化して観(魅)せており楽しませる。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台セットは、会場出入り口の対角の角隅に一段高くした小スペース。そこに机・椅子(上演前は演出も担当)に横森文サンが座っている。また別の場所で丸椅子に高橋亮次・関洋甫サンが座り、何やら資料を読み込んでいる。上演後は、別スペース以外は素舞台で役者の演技力で物語を紡いで行く。一人ひとりの場面に応じた高揚と抑制の効いた演技は安定し、バランスの良さ、テンポの心地良さと相まって充実していた。
梗概…五十嵐東三博士の大いなる夢は、東京・ニューヨーク間を5時間で飛ぶ超高速機の試作であった。軍の援助で長野県某所で、博士を首班とする秘密開発(試作)班が集まった。そこに怪しい人影、怪人物はスパイか!?博士は何者かに頭部を殴打され重傷。
当日パンフ、脚本の飛葉喜文氏によれば、時代背景から「原作は戦意高揚的傾向があったようだが、そこで生きた人々に興味を持って膨らませたら戦意高揚とは真逆のドラマが立ち上がってきた」と記している。そこに明智小五郎と怪人二十面相の立場・役割を逆転させて表現するところは、原作以上に奇想でありアイロニーを思わせる。
先の最新兵器の開発を巡って国家(軍部)利益を優先させるために早く完成させたいが、中心人物の五十嵐博士が何者かに重傷を負わせられる。新兵器の早期完成(国家利益優先)とそれに疑問(平和思想)を呈する研究者の苦悩。そこに五十嵐博士の家系(代々に亘る血脈)の秘密_スパイ容疑が絡み物語が重層さを増していく。米国は新開発の計画妨害のためにスパイを送り込んだとの噂が広がるが、その真偽は…。そして博士を傷つけた犯人は誰か?事件の真相は明智探偵によって解決される。
明智自身が実は怪盗二十面相だったというオチを付ける。真の明智探偵は登場しないが、怪盗二十面相の説明によれば、国家(軍部)の依頼事で忙しいとのこと。正義である明智探偵が戦意高揚側に位置し、反対立場(国家の敵-犯罪者)である怪盗二十面相によって事件が解決されるという皮肉。現代社会にも通じる問題を鋭く批判、それを教訓臭にならないよう(ブラック)ユーモアに包んで娯楽として観せる演出は見事であった。
次回公演を楽しみにしております。
ここから
ソラカメ
王子小劇場(東京都)
2018/01/24 (水) ~ 2018/01/28 (日)公演終了
満足度★★★★
当日パンフに主宰の江田恵女史が「『ここから』というタイトルは皆で決めました。この言葉はいろいろなことを連想させます」と記している。ここから始まる…同趣旨で作・演出の岡本苑夏女史も書いているが、本公演の内容はそれを心の迷い、彷徨するという形で表現している心象劇といったところ。
(上演時間1時間10分)
ネタバレBOX
挟み客席で中央舞台の四方に、脚立・自転車の後輪部分・廃机・ゴザ、そして水道管(流水する)等の雑貨類が雑然と散らばっている。1カ所のみ台座・黒BOXが置かれている。廃墟のような場所を連想させるが、実は森の中だと言う。安心する場所らしいが、子供の時の秘密基地といった存在だろうか。
登場人物は、高校生2人、教師とその連れ、機関銃を持った少女、ギターを持っていた少女の女性6名。
上演前は小鳥の鳴き声など鳥のさえずり穏やかな雰囲気、ところが物語が始まると全員が舞台狭しと走り回わ回る。そして爆撃機であろうか飛行音が不気味に響く。何らかから逃げる、その理由(わけ)が分からない、戸惑いが苛立ちとして疾走する姿に表れる。途中、穴を見つけ入った時、時空間が異なるのかと一瞬思わせるが、現在進行形で爆音は心の内にある不安・焦燥・強迫観念のようなものから逃れるための自己暗示のようだ。ちなみに機関銃は自己防衛、ギターは未来への希望の象徴だろうか?ラストは全員が前進(希望)するという同一ベクトルで収束していく。
心の内の世界(思い)は、一人ひとり違うもので表現し難い。何かを模倣・再現・コピーするのではなく、人々の営みの表徴を体現しているかのような公演である。雑然としたセットは心内の色々な葛藤など未整理状態の表れか?
ラスト、上部の照明を太陽に見立て、それに向かって卒業式で見かける「呼び掛け」を役者の強い口調で叫ぶ。まさしくタイトル「ここから」スタートする、そんな決意が感じられる公演であった。劇団員だけの公演…その表現者(女優陣)の志が伝わる新春に相応しい舞台であった。
次回公演も楽しみにしております。
プレイユニットA→XYZ『200億の客船』/東京カンカンブラザーズ『ラブ・シャーク』
東京カンカンブラザーズ
吉祥寺シアター(東京都)
2018/01/17 (水) ~ 2018/01/28 (日)公演終了
満足度★★★★★
「ラブ・シャーク」…外国航路の豪華客船「パシフィック・マリン号」の船内、出航してから1時間の間に起こる乗客・乗組員の色々なトラブルを1コマずつのコメディとして描き、それをサスペンス風にして1つの物語として纏め上げて観(魅)せる。登場人物一人ひとりの立場・性格・思惑が丁寧に描かれ、人間関係もよく分かる。飽きることなく最後まで楽しめる作品である。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台は豪華客船内のサロンといった場所。2階部を設け中央に階段があり、正面に縦長楕円形のステンドグラスの窓。そして左右に客室へ通じる通路。1階部は上手側に食堂、テーブル・椅子の1セットが置かれ、下手側に豪華ソファーセット。本当に豪華客船内を連想させる見事な作りである。
梗概…外国航路(102日間)の豪華客船「パシフィック・マリン号」が出航して1時間の間に起こる人間ドラマ。それを爆弾事件を契機に人間の本性が露になるという定番手法で描く。物語は乗組員が本船から乗客を救命ボートへ避難誘導させるシーンから始まる。見知らぬはずの乗客同士がいつの間にか繋がりを持つ。また乗組員と乗客が知り合いだったりする。その間に乗客(家族)の紹介、乗組員の船内での立場や性格をきめ細かに描いていく。乗客は4組(内1名は一人参加)で、女子中学生がいる夫婦、お笑い芸人とその彼女、夫人が妊娠している夫婦、そして訳ありの一人参加の若い女性である。一方、乗組員は初めての客船船長・機関士・料理人・食堂スタッフ・フロアー支配人とそのスタッフ・船医で、それぞれ強烈な個性を放っている。それらの人物像がみな魅力的に描かれる。特に船長・有村二郎(農塚誓志サン)の適当さ、フロアー支配人・鮫井朝美(棚橋幸代サン)の実直さの対比が面白い。さらに近海を漂流していた漁船の乗組員を救助するが、実はその男が原因で救命ボートを一艘失ってしまう。そして突然起こる”爆弾”騒動を通じてのんびりした船旅が一変する。
見慣れたシチュエーションであるが、事件ともなれば犯人が誰で何の目的で実行しているのか…興味関心を惹起する。そもそも本当に爆弾が仕掛けられているのか、乗組員の隠密裏の確認・探索はいとも簡単に乗客に知られるところになる。それまでの個々の繋がりという人間関係が、いつの間にか全員で対処するという纏まりを見せてくる。船内という密室における究極の心理状態…右往左往するが、それほど緊迫感・切迫感は感じられない。
船内という限られた空間と一定の時限を設けた設定だが、一般的な緊急事象に対しても同様の事があると思うのだが…。例えば、災害時の対応などは、建前としての協力・連携の重要性を説くが、一方、個々人の胸の内は自分を優先する本性・エゴが渦巻く。この外面の建前、内面の本音という矛盾した感情の両方を併せ持つ人間の存在こそが滑稽であり魅力的であろう。その様子をサラッとコメディタッチにして観せる物語はとても楽しく面白い。
次回公演も楽しみにしております。
昏闇の色
BuzzFestTheater
駅前劇場(東京都)
2018/01/17 (水) ~ 2018/01/23 (火)公演終了
満足度★★★★★
自分の立場や都合を優先する、もしくは押し通そうとして人間関係が崩壊していく様を、「子」という存在を通して描いた物語。人間は自分が暮らしやすい環境を求めるが、その当たり前が他者の思惑と相反した時、その人の本性が見えてくる恐ろしさ。その先に決して安穏とした希望は持たせず、楽観視させない。
どこにでもありそうな日常生活に潜む狂気をじっくり観せる力作。
(上演時間1時間55分)
ネタバレBOX
舞台セットは、丁寧に作り込んでおり、物語をしっかり支えている。上手側にベットルーム、クローゼット、部屋出入り口、やや上手側から下手側にかけてメインのスナック内。中央客席寄りにソファー・長テーブル(BOX席イメージ)、下手側はカウンター、スツール、ボトル棚、ドラムが設えてある。
梗概…雇われ店長・高野健一(藤馬ゆうやサン)とその妻、バーテンダーで切り盛りしているスナック(or Bar)が舞台。物語を大別すると3話からなり、それらの話が錯綜しながら進展し収斂されていく。登場人物の立場や思惑等が絡み、それぞれの主張が決して理不尽なことを求めている訳でもないのに人間関係が崩壊していく。その大きな要因が「子」という存在を示しているようだ。
第1は、この健一の妻・愛香(藤澤希未サン)が1年前に流産しその影響で子が産めない身体になった。妻は悲嘆、悲観し、健一に別れてくれと頼む。第2は、この店の常連客・前川直人(満田伸明サン)が高校時代の彼女・佐伯久美子(さとうかよこサン)と結婚するという。しかも妊娠までさせている。久美子は結婚していたが家を飛び出すようにして強引に離婚している。いわば不倫の果ての奪略婚である(前夫・松原哲史(宮地大介サン)と離婚後6カ月経過していないため、正式に婚姻届は提出できない)。さらに久美子には哲史との間に大学生(19歳)の息子・圭司(本田響矢サン)がいる。第3は、健一が結婚する前に付き合っていた彼女に子供が生まれた。健一はミュージシャンになる夢を叶えるため彼女と子・濱本晋平(足立英サン)を捨てた。しかも生まれた子は盲目という障碍があるにも係わらず。
親にしてみれば、子は鎹(かすがい)というが、逆に穏やかならぬ存在にもなる。圭司が、実は精神破綻者で殺人まで犯しており、自室(ベットルーム)で健一の妻の妹・湯川菜々(原田鮎歌サン)を絞殺し、その現場を哲史(実はロリコンで妻、息子から軽蔑)が目撃しているという異常さ。一方、健一が捨てた晋平は育ててもらった祖父母が亡くなり、叔父も地方へ転勤となるため面倒が見られなくなった。そこで実父・健一を頼ることになったのだが…。
奪略婚をした直人は連れ子・圭司が殺人者であることが分かり、その久美子と破談できてホッとしている。一方、健一は自分が息子・晋平の面倒を見ようと妻・愛香に紹介するが、愛香にしてみれば自分が子が産めないのに、なぜ障碍のある他人の子の面倒をみなければならないのか?この2つの結論は別方向になったが、そこにあるのは理屈的には納得できなそうな感情ではあるが、そこに人の本音・エゴが垣間見える。その表現は巧みである。終盤に主筋に絡む健一の息子・晋平の存在をクローズアップさせるあたりは上手い展開である。このスナックの閉店とともに四散する人々はそれまでの人間関係の希薄さの表れか。
ベットルームは殺人息子・圭司の自室であり、健一が上京前に恋人と暮らした部屋でもある。その意味ではスナックとは別の時空間である。その違いはTVの型(液晶・ブラウン管)で表す。親子関係(情)は、必ずしも一緒に暮らした年月の長短だけが重要ではないという。親子の絆、子供という独立した人格、人間関係、それも親子という特別な関係には闇と光がある。健常者にして異常者の殺人鬼(息子)の心の闇、障碍者にして常識人たらんとする希望の光が…。その対比した描き方が見事である。ラストシーン、ソウルミュージックの神様、レイ・チャールズの「目が見えなくても、魂(心)が見える」という言葉が重みを持つ。さらに晋平の言葉「僕は目を瞑ると色が見える、冷たい色。だけど父母は温かい色だから…」。救いのない物語のようだが、タイトル「闇昏の色」には、晋平の言葉通り絶望の淵に射す一筋の光明が…。
次回の公演も楽しみにしております。
十文字鶴子奮戦記 外伝
劇団カンタービレ
ウッディシアター中目黒(東京都)
2018/01/17 (水) ~ 2018/01/21 (日)公演終了
満足度★★★★
過去と現在を往還しながらテンポ良く展開する話は、無軌道な青春群像劇といったところ。テンポ良く感じるのは、場面転換の早さだと思うが…。
チラシは公演そのものをイメージさせるもので洒落ている。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
セット…ラーメン店内、上手側奥にカウンターと厨房に通じる通路らしきもの。下手側奥はレジ、前面(客席側)にテーブル・椅子が2セット置かれる。過去場面では、喫茶店「ポニー」…上手側にカウンター席、下手側にゲーム機とBOX席で雰囲気は出ている。それ以外に地元の土手等をイメージさせるもので、シーンに応じて暗転・引き幕の間に転換させる。また会場出入り口(下手側)近くに別空間を設けて、メイン舞台の転換時に繋ぎエピソードを挿入するという巧みさ。
梗概…メイン舞台は東京の下町、坂の下商店街にあるラーメン店「シロクマ」。その店主は十文字鶴子で、息子の亀男と一緒に店を営んでいた。そこへ鶴子の学生時代の悪友が訪ねてくるところから物語は始まる。鶴子は「紅天使」という暴走族のリーダで、そのメンバーだった中野麻衣(旧姓:黒崎)やライバル暴走族「クレイージーハート」のリーダー立川瞳(旧姓:出雲崎)等が訪れたが、肝心の鶴子がいない。帰りを待つ間、昔話で盛り上がる。過去と現在を行き来し、良き時代(暴走族)を懐かしむ。
何故、暴走族になろうとしたのか、その背景は曖昧というか省略して描いていない。女子高校生の内面や実態は明らかにされないので、人間的な深堀がなく人物像が魅力的に立ち上がらないのが残念なところ。一方、確かにその時代を生きているという実感が伝わり、”何か”に一生懸命になっているという”充実”した時間を共有している。多くの(女子)高校生が過ごすであろう無難な、敷かれたレールの上ではない、それこそ無軌道な様子は不安定な青春期の合わせ鏡のように描いている。大人になっても子供っぽく振る舞う商店街の人々、その姿を通して高校生と社会人という年齢の違いはあっても、人の心の根底にある”気持”の大切さを教える。彼女たちも子を生み育て、孫までいる「おばちゃん、おばあちゃん」になっているが、それでも高校時代を懐かしむ。それはどんな形であれ、充実した時間を(共有し)過ごしたという友情がしっかり観えてくる。
気になったのは、テンポ良くするため場面転換を頻繁に行っていたが、その間隔が少し短いような…。もう少しワンシーンでの感情や状況の揺れ、変化をじっくり観たいと思った。
次回公演も楽しみにしております。
昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~Vol.8
昭和歌謡コメディ事務局
ブディストホール(東京都)
2018/01/06 (土) ~ 2018/01/09 (火)公演終了
満足度★★★★
2018年の観劇始めは昭和歌謡コメディ…年初に笑い始めが出来て至福のひと時を過ごす事が出来た。
公演はほぼ定型化…2部構成で第1部は、喜劇「女相撲がやってきた!」 第2部は「歌とコントのバラエティショー」であり、初日ソワレはほぼ満席でコアなファンに支えられていることが分かる。
(上演時間:第1部55分、第2部50分、途中休憩15分)
ネタバレBOX
舞台は築地の老舗そば屋「ひろや」。公演のパターンは定型化されている。
第1部:「喜劇『女相撲がやってきた!』」
「ひろや」を舞台に築地の老舗ソバ屋“ひろや”(上手側に店内、カウンターやテーブル・椅子、下手側に店出入り口ドア・お品書き)を舞台に賑やかな人情喜劇が展開される。
風来坊の兄ヒロトシ(江藤博利サン)は全く頼りにならず、しっかり者の妹まるみ(白石まるみサン)がひとりで店を切り盛りする。ヒロトシの人物イメージ(衣装も含め)は、映画「男はつらいよ」のフーテンの寅、こと車寅次郎である。登場するシーンの音楽も同名の♪男はつらいよ♪である。新年を迎え、“ひろや”に集う人たちは、隣接する笑福寺で開催される新春恒例・女相撲大会(平成30年1月吉日-店入り口に貼紙)の話で持ちきり。そんな中、放浪中の店主・ヒロトシが、半年ぶりに帰って来る。ここからは昭和チックなドタバタ・コメディで「笑い」と「元気」が…。とても楽しい。
女相撲の横綱には両親の離婚によって幼い頃に離れ離れになった姉がおり、その姉を捜すため女相撲取りとして全国巡業をしてきたが…。
第2部:「歌とコントのバラエティショー」
懐かしの昭和歌謡。キャスト総出演の歌謡バラエティショー。ミニコントやモノマネなど笑いも盛り沢山のステージで、観て・聴いて・爆笑の渦の中へ。ペンライトを振って、紙テープを投げて、青春時代にタイムトリップして行く感覚は、新年に相応しく懐かしくも新鮮であった。
次回公演も楽しみにしております。
スピークイージー
やみ・あがりシアター
荻窪小劇場(東京都)
2017/12/23 (土) ~ 2017/12/28 (木)公演終了
満足度★★★★
忘年会シーズンに合わせ、禁酒法に纏わる物語。コメディタッチの観せ方だが、その内容は骨太でシュールであった。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台は都内の雑居ビルの1階にある、居酒屋「たこはち」。恒例、会社(印刷会社)の忘年会だが、今年は少し事情が違う。セットは、中央に床底を高くした畳座敷、そこに横長テーブルが置かれ社長以下の社員が集う。上手側壁には洋服掛け、下手側壁には木札のお品書き。
物語は、東京オリンピックまでは禁酒にするという東京都条例が施行(11月1日)された状況。時は施行直前日の飲み会と施行後の大晦日の水での忘年会を行き来して展開する。そこには人への気持と社会(仕事を初めとしたモロモロ)への思いを絡め重層的に描く。10月31日に飲んだ後、社員の一人・河島が亡くなった。飲んだら記憶がなくなるという女性社員が当日の様子を聞きだそうとするが…。皆、口を噤み教えてくれない。社長は、忘年会は葬式のようなものだと言う。葬式は故人への悲しい思い流すようなもの。仕事関係では嫌な事を忘れ新年を迎える、という含蓄ある台詞。河島は忘れられない、思い出にすらなっていない。
禁酒に関する功罪が社員同士の会話から見えてくる。印刷会社は制度変更等があると、それを周知するため印刷の需要が増し、この会社でも過去最大の黒字を計上したという。また飲酒後の嘔吐が無くなりトイレがきれい。一方、都内から人口が流出し近県の地価や家賃が値上がりした。また盛り上がりに欠け、コミニュケーション不足になっているような気がする。さて忘年会の最中、度々デモの話が挟みこまれるが、これはラストへの伏線として観せる巧みさ。
改めて酒に力を借りてのコミュニケーションは…。酒席では場が盛り上がるが真剣に話しているか、そして聞いているかという問いを投げかける。水による忘年会だからこそ会話が成り立っているような。この真面目な会話も、社員が半裸になったりするなどの酒癖を取り入れ面白可笑しく見せる。どうしても酒が飲みたい…アメリカの禁酒法時代にもあった秘密・違法な酒場が”スピークイージー”と呼ばれていた。
舞台技術…特にシーンに合わせた音楽の選定が素晴らしい。1960年代~1970年代のポップ、フォークソング曲が多いようだ。例えば、河島が亡くなったという時の「帰って来たヨッパライ」、社長が店主に散会した今の時間を聞いたところ午前3時、夜明けまでは遠いと呟く。その時の音楽が「友よ」(♪夜明けは近い♪という歌詞)を流す。この音楽効果がデモという行動の時代背景を違和感なく支えている。ラスト、禁酒法に反対するデモ隊のシュプレキコールとも合致する。
とても観応えのある公演であった。
次回公演を楽しみにしております。