タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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俺の屍を越えていけ

俺の屍を越えていけ

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/05/12 (土) ~ 2018/05/20 (日)公演終了

満足度★★★★

会社の方針に躍らされる若手社員、その結果リストラされる管理職。内容は会社の非情や厳しさを思わされるが、観せ方は緩い笑いも交え飽きさせることがない。その演出は実に上手い。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

舞台を囲み四方向から観るような客席。舞台設定は青森市に本社がある老舗放送(ラジオ)局。セットはその局の一室、ロ字型に横長テーブルが置かれ会場入り口近くにコーヒーメーカーがあるだけのシンプルな作り。

梗概…経営難のラジオ局立て直しのため新社長が断行しているのがリストラ。現在、部長職以上の職位(高給取り)の人をリストラする。その人選は入社5年以内の若手社員6名に密命を与え行わせる。この話し合いの前日、同僚が1人辞め送別会が行われていた。後々これが伏線になり、ラストへも繋げるという巧みな構成である。
集められたのは、制作・報道・技術・放送・営業の各部署からであり、話し合いでは部署間の利害関係はあまり観えてこない。むしろ同期入社の男性社員2人の立場が、会議進行の肝になっている。1人は制作ディレクターで会議の進行役、もう1人は営業部 しかも労働組合執行部(青年部長)で雇用確保も含めた労働条件の向上に尽くす役割を担っている。立場の違いにより組織内の役回りや構図が垣間見えてくる。登場人物に役割や役回りの違いを担わせ、そして幹部社員(非組合員)をリストラ対象に設定するあたりは上手い。リストラを若手社員に行わせるという、現実の社会への皮肉とも思えるような手法も面白い。労働組合を前面した台詞は少なく、単純にリストラ=労使対立という観せ方にしていない。

社員は、仕事に対する日頃の不満、人間関係の悩み等についてリストラ案件に絡めならが心情を話し出す。入社時の希望配属先とは異なるところで遣り甲斐を見出そうと足掻いている。会社という組織への不平不満を抱えつつも業務を行う。それを長年勤めてきた幹部社員、その人達をリストラしようとしているが、その方法が無記名投票という多数決。誰もリストラしたい者を名指しして後味の悪いことはしたくないのは人情だろう。

物語(リストラ)は、ある決着に辿り着く。前日退職した社員は別グループでの幹部社員のリストラ会議のメンバーだった。そのグループでは幹部社員の代わりに若手社員が辞めて人件費削減の帳尻を合わせたようだ。会社の方針は人件費削減、まず複数の幹部社員をリストラする、それが若手社員で実行出来なくても当事者に責任を取らせる。悪習の骨絡みになるような…。直接リストラの原因になったか否か判然としないが、セクハラや放送技術(スキル)が時代遅れという尤もらしい説明が…。

会話劇であるから、特に照明や音響効果による観せ方はないが、それが逆に自然な緊張感ある雰囲気を漂わせていた。
次回公演も楽しみにしております。
カッター

カッター

シアターノーチラス

RAFT(東京都)

2018/05/10 (木) ~ 2018/05/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

狭い事務所(空間)内、そこで巻き起こる不快な会話劇。不穏が積み重なり、緊張感が自分の心を揺さぶるようなサスペンス・ミステリー。近い距離・存在と思っていた人間について、本当はその人物のことは何も知らないという不気味さを感じさせる、実に観応えのある公演。
(上演時間1時間25分)

ネタバレBOX

セットは、デザイン事務所らしく後方の壁全体が白い飾り棚。前には事務机が2つ並ぶ。机上には事務用品等の小物が置かれている。その配置は、映画「家族ゲーム」(森田芳光監督)の食卓に見られたように横並びの事務机に社員が座っている。その観せ方は、観客に物語の進展、登場人物の真情や感情表現が分かり易い構図になっている。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐 」(仲間内)のような、アットホームのように思っていた小デザイン事務所の人間関係、実はその中には異端(常)のような人物が居た。

公演には「人」と「間(距離)」を考えるという大きなテーマを据えているようだ。内容は人間描写であり、心の叫びであるが、それを演劇的な音響で補足はしない。日頃思っている本音等は言葉に出さず心の中で呟き叫んでいたが、ある出来事を境に人を疑い、陥れ、蔑み、嘲笑等の負の感情が溢れ出し人間関係が崩壊していく。

梗概…事務所の社員・榎本亮生が2週間前に屋上から飛び降りた。地下鉄でスカート切りの犯人として疑われたのが理由らしい。しかし今また事務所の女性・守谷貴織(萩原愛子サン)が何者かにスカートを切られた。真犯人は別にいたのか、自殺した男を巡り色々な憶測が飛び交う濃密な会話。いつの間にか事務所内の人間関係を壊すような本音の応酬に変わる。
貴織の暮らしは同じような日々の繰り返し。家と事務所を満員電車を利用して往復するだけの何の変化もない暮らしが続く。そんな中、淡い愛情を持ったことで平凡な日々が大きく変わっていく不気味さ。好意から愛情へ変わる感情、相手のことをもっと知りたいと男の生活を観察したことから生まれた悲喜劇のようだ。彼女が行った行為が事務所内に波紋を起こし悪口・誹謗・中傷の言い合い、さらに独話が…。どこの会社、組織でもありそうな心底の吐露。登場人物のキャラクターはその典型的な人物像を表現しているようだ。また人の立場・役割の延長上に苛めを受容することで自己防衛する、そんな本能があるという深層心理が興味深い。

映画「桐島、部活やめるってよ」(吉田大八監督)では、タイトルにある中心人物は登場しないが、本公演でも自殺した榎本は登場しない。しかし話の中心には彼がおり、事務所員の言動によって彼が形成される。その観せ方は観客に人物像をイメージさせ、生きていた頃の事務所の雰囲気の再現を想像させるという巧みさ。人の暮らしを思わせる一方、デザイン事務所というクリエイティブな空間には日常の生活感というニオイを感じさせない。舞台は一方向からの観せ方であるが、物語の広がりは観客にイメージさせるという懐の深いものになっている。

次回公演も楽しみにしております。
火遊び公演「焔の命--女優の卵がテロリストになった理由」

火遊び公演「焔の命--女優の卵がテロリストになった理由」

オフィス上の空

恵比寿・エコー劇場(東京都)

2018/05/09 (水) ~ 2018/05/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

何者でもない自分が社会でどう生きるのか。自らの手・足で自分の居場所を模索し築き上げようと悩みもがく姿…その心の叫び”命の燃やし方は自由だ”が痛々しく描かれたテアトルノワール。人間心理の不可解さが劇として見事に具現化された秀作。
(上演時間2時間20分)

ネタバレBOX

舞台セットは、石角柱のようなものが立ち並び殺伐感が漂う。場面に応じて、上手側に主人公:佐伯真理子(福永マリカサン)の家、下手側には彼女のバイト先を出現させる。

梗概₋2020年、東京五輪の目前の都内でテロ爆破事件が起きる。犯行に及んだのは【焔の命】という劇団員達である。何故そのような行為をしたのか、物語は事件から2年後に1人のフリーライターが劇団員の真理子に面会・取材した回想録として展開していく。テロ行為に至る事実が淡々と語られると同時に、真理子自身の心中は別次元で語られていたようだ。また佐伯家という加害者家族の立場、特に母と妹の苦悩と苛立ちが描かれる。いくつかの視点から切り出した場面は、一様に居場所が見つけられない不安定な様子がうかがえる。

真理子は自分が何者なのか、何者にもなっていない焦燥。母親からは”普通”を強要され反発する姿。居場所は所属する劇団、そこでの活動に生き甲斐を見出している。劇団の公演に向けての合宿、少人数による共同生活は段々と異常な環境下に包まれる。合宿中に演出家の森洋平(辻響平サン)の独特な理論展開に陶酔・高揚するようになり、いつの間にか激しい感情が押し寄せる。それが狂気な行動へ駆り立てるが抗うことが出来ない雰囲気。合宿-共同生活における自己主張の難しさが伝わる。
時代や状況が生きる方向性を決定付けていた時、劇中では終戦間際の特攻隊員の死生観、学生運動、イデオロギーという台詞に象徴される。今は自分で考え見つけなければならないという自由という不安、自己決定という心の負担が見えてくる。一方親の立場…公演では母親が娘・真理子との接し方、育て方が間違っていたのか、これからどう向き合えばいいのか苦悩と諦念の姿が切ない。

この狂気な行動は、映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(若松孝二監督)を連想する。内容は反権力的な学生運動が盛り上がっていた頃の話。彼らは何に突き動かされ、どのような経過でリンチ(粛清)事件やあさま山荘事件に至ったのかというもの。
ちなみに、本公演の登場人物(名字)は、森・永田・坂口・重信などで連合赤軍メンバーを意識したような。
公演は社会派のように観えるが、27歳の女性が自分自身に向き合い、必死に生きる途を模索している。人間の理屈では説明出来ない不可解な思考と行動に焦点を当てているような...。社会や状況に向けた批判は、合宿中の森の説明台詞そのもので真の社会性は観て取れない。社会性というよりは家族の在り方、個人の生き方を問うような感じを受ける。

舞台技術、諧調させた照明、効果的な音響など観せる工夫が素晴らしい。それらはセットの殺伐とした雰囲気にマッチしており物語に深みをもたらしている。
次回公演も楽しみにしております。
昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~Vol.9

昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~Vol.9

昭和歌謡コメディ事務局

ブディストホール(東京都)

2018/05/10 (木) ~ 2018/05/13 (日)公演終了

満足度★★★★

定型化した2部構成の公演…第1部は喜劇「動物たちがやってきた!」 第2部が昭和歌謡「歌と笑いのバラエティショー」である。
今回の見せ所は、人間の生まれ持った個性を12種の動物に置き換えて分類する「個性心理学」(どうぶつ占い)とコメディが合体して、観客参加型の楽しめる公演になっている(楽しめるのはいつも同じ)。
(上演時間2時間強 途中休憩15分)

ネタバレBOX

第1部「動物たちがやってきた!」(55分)
セットはいつも通り、築地の老舗ソバ屋「ひろや」の店内。上手側にカウンター、テーブル席、下手側に店出入り口がある。今回は笑福寺主催で「占いフェア」を催すという。色々な占いが登場するが、その中に怪しげな占い師が現れ、近々この店にある出来事が…という不吉な予言をする。
それは店主ヒロトシ(江藤博利サン)の亡き母の話。母は実父が亡くなった後、再婚した。そのことへの わだかまり、それでも思慕する気持がますます強くなっている。この母が傍にいるような。妹まるみ(白石まるみサン)は亡き母と義父との間に出来た娘である。この兄妹の互いを思い遣る気持が、亡き母も含め普遍的な”家族愛”のように思える。その2人を取り巻く人々は、少し変わっているが優しい。今回はそんな人々を、まるみが「動物占い」で人柄なりを診断するという面白ネタを用意していた。
公演全体は、昭和歌謡コメディと謳っているように、”昭和”という時代の雰囲気がしっかり醸し出される。

第2部「歌と笑いのバラエティショー」(50分)
昭和歌謡が満載で、懐かしく思わず口遊んでしまう。モノマネや笑いネタの歌謡ショーは世代を超えて楽しめるもの。入場時に配られるペンライトを振り一緒に歌っている。何となく抱えている鬱憤を晴らしているような、爽快な気分にさせてくれる。本当に青春時代に戻ったような…。

次回公演も楽しみにしております。
ルナ・レインボウ

ルナ・レインボウ

うわの空・藤志郎一座

紀伊國屋ホール(東京都)

2018/05/03 (木) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★

タイトル「ルナ・レインボウ」とは、満月の夜、ごく稀に見える奇跡の虹のことらしい。その奇跡の虹をありふれた家族の物語と絡めロマンチックコメディとして描く。それを台本がない「口立て」で作品としている。
(上演時間2時間15分 休憩なし)

ネタバレBOX

後景はヒマワリ畑。青空だが所々に雲も見える。1年に1度だけ家族が集まる(28)日。場所はあるキャンプ場、父(小宮孝泰サン)と娘、その夫や孫が集まり賑やかにハシャギ、喋っている。この地は父と亡き母が出会った場所であり、その日でもある。その記念日を家族で過ごす。深い物語性が描かれるわけではないが、家族、特に夫婦の関係をコミカルに描いている。
父と母が出会った時の様子を回想シーンとして挿入し、過去と現在を交差しながら展開して行く。よく見かける演劇手法であるが、若かりし日の父・母の姿を通して現在の娘たちとその夫の関係を描く。金目当て?で相当年上の男と結婚、家を出て行って消息不明の夫、写真家で世界中を駆け巡る夫など、必ずしも円満とは言えない事情がある。

一方、この地には河童がいるという噂があり、TV局の取材陣がきている。家族と河童の話が絡みドタバタ騒動が起きる。河童はもちろん、その名の由来を意識しての子役(童)で相撲好き。河童という妖怪?未確認生物を登場させることで、現実の家族の問題を茶化すようにも思える。現実に距離を置くことによって見えてくる取るに足りない夫婦関係。その関係はそれぞれ違い、幸せの捉え方も様々である。

コミカルな観せ方、それが少し落ち着きがなく散漫に思えてしまったのが残念。ラストは家族団欒で奇跡の虹が見える、という余韻を残す展開だけに勿体無かった。
次回公演も楽しみにしております。
LADYBIRD,LADYBIRD

LADYBIRD,LADYBIRD

アリー・エンターテイメント

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2018/05/02 (水) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★

虫かごの中のムシたちによる寓話劇。寓話というと理屈っぽくなるが、観劇しているのはゴールデンウィーク中ということもあるが、大人から子供(小学生ぐらい)まで幅広い。そのどの年代にも楽しめるよう制作されている。
タイトル「LADYBIRD,LADYBIRD」は劇中でよく聞かれるが、「気にしない,気にしない」といった意味のようである。
(上演時間2時間10分 休憩なし) 【チームバッチ】

ネタバレBOX

虫かごの中という設定。舞台は段差を設け奥全面は切子硝子柄のような両引き扉。天井には変形四角縁取りしたオブジェが横に吊られている。全体的にはシンプルな作りであるが、劇中でのダンスや歌を考慮しスペースを確保している。

物語はワタナベさんという女性宅の虫かご中のムシたちが悩み苦しみ、それでも仲間を信じ強く生きる姿を描いている。虫かごの中はセミ、オス・メスのカマキリ、メスのカブトムシ・ゴキブリ(2役)そして新しく天道虫、揚羽蝶、女王蜂が加わる。虫かご内は臭いカメムシが仕切っている。虫たちにはそれぞれ名前が付けられるが、それは人間ワタナベに何らかの関わりを持った人の名前が付けられている。思い入れを虫に擬えて…。その虫たちにも気持があり人間が思っているような行動はしない。さらに虫の生態が絡み自然界の厳しい営みも見えてくる。

虫という生態を描くと同時に、人間の気持を擬人化した”虫たち”が心情豊かに紡いで行く。演じているのは若いキャストであるが思わず舞台に集中させる表現力は素晴らしい。若いキャストを盛り立てるベテラン俳優とのバランスも良い。先に記した虫以外の”ムシ”(全員、触覚を思わせるというヘアスタイル)アンサンブルが多数登場するが、そのダンス・パフォーマンスはコミカルでありスタイリッシュでもある。また主要”虫”による歌唱も上手い。子供ミュージカルということであるが、脚本はもちろん、演出・舞台技術など総じてレベルは高いと思う。

寓意…人の思いはそれぞれ違う、その違うことを認める。別離を「諦めること」と「忘れること」の違いで描き出す。また虫かごではないが屋根裏の蜘蛛(登場は天井から紐、蜘蛛糸イメージか)が現れるが、そのキャラクターはマイノリティを思わせ差別等を考えさせる。色々な問題意識を投げ掛けるが、観ている子供にも解るような描き方である。理屈を言えば、前提が人間都合で虫を捕ってかごの中というのは生かされている。誰かのために生きるのではなく、自分のために生きる。自然界で生きる”力”、その自由と厳しさを観せても良かったのでは…。

次回公演も楽しみにしております。
Starting Over

Starting Over

“STRAYDOG”

ワーサルシアター(東京都)

2018/04/29 (日) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★

タイトル「Starting Over」…若者の希望と不安はある出会いによって明確になり、力強く人生を歩き始める、そんな応援歌のような公演である。
逃避したい気持を変える転機となる出来事をコメディタッチで観(魅)せる。
(上演時間1時間30分) 【Aチーム】

ネタバレBOX

舞台セットは、山梨県の大月にあるアパートの一室。和室6畳、中央に小さい丸卓袱台。正面に押入れと天袋が見える。上手側が出入り口、奥に通じる廊下。下手側は窓・カーテン、そして別スペース(ベランダ風)が設えている。

梗概…この部屋を借りようと不動産屋と一緒に来た若者・大田茂樹が、敷金・礼金が払えず何とかならないか交渉するところから物語は始まる。茂樹には霊感があるらしく、この部屋にいる霊を感じることが出来る。そこで地縛霊(イメージ的には自縛霊)・(生前名)小菅陽二の存在を不動産屋に示すことが出来れば金銭面の配慮をしてもらえることになった。そこで巻き起こるドタバタ騒動が、いつの間にか茂樹の部屋を借りることになった理由、霊・陽二のこの世での未練が浮き彫りになる展開へ変わる。この部屋には陽気な地縛霊が何体かいるが、そのキャラクターが時代、性別等に関係なくユニークである。

茂樹は恋人から結婚を意識していることを聞き、何者でもない自分が本当に相手を幸せに出来るのか。その迷いと自信のなさが見知らぬ街(自分を知る人がいない場所)での暮らし。自己逃避のような行動であるが、いつの間にか弟や友人、さらには恋人まで訪れる始末。
一方、陽二は生前に付き合っていた彼女が、まだ自分のことを想っているのでは…彼女には自分を忘れて新しい人生を歩んでほしいと願う。その気持を伝えるため、茂樹に彼女をこの部屋に連れてきてほしいと頼む。
生身の人間と空身の霊、それぞれの思いを遂げるために起こすヒューマンコメディ。もう少し物語に深みがあると好かった。

総じて若い役者が一生懸命演じている、その熱量は十分伝わる。しかし感情表現が演じるというよりも役者自身が前面に出ていたように観えたのが残念だ。
物語にある人間の弱さ優しさが滲み出るところは現実。一方、時代を超越した女霊、戦時中の兵霊、自傷する女霊などは仮想現実空間であり仮想人格を構築している。その異なる世界を交差し成長する様へ変わっていく。そんな心情が観えると好かったが…。
明るく前向きな姿に励まされる。巣立つ若者が多いであろうこの時期にピッタリの公演である。

次回公演も楽しみにしております。
「カワサキさん家のかたち」

「カワサキさん家のかたち」

お芝居空間イスモナティ

ART THEATER かもめ座(東京都)

2018/04/26 (木) ~ 2018/04/29 (日)公演終了

満足度★★★★

父親の葬儀翌日におけるありふれた家族の物語。普通であれば淡々と過ごすところであるが、小さな騒動が起きる。その騒動を通して家族の絆の確認、再生、そして出発、そんな心温まる公演であった。
自分の好みもあるが、演出で少し気になるところが…。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

舞台セットは、暗幕で囲い正面に白い家型の衝立(壁)、間隔を空け両端にも白い衝立。中央に白いテーブル、椅子が置かれている。舞台と客席の間には白い仕切り板。まるで額縁状の舞台、鯨幕の中での公演のようだ。

父の葬儀が昨日終わり、ホッとした様子で姉と妹がお喋りをしている。何気にラジオの番組が聞こえてくる。この家族(カワサキ家)は姉・ハルナ、妹・マミ、そして家出中(独立して生計する)のタケルの姉兄妹である。母は妹を産んだ時に亡くなり、姉が母親代わりにタケル、マミを育ててきた。この3人は、それぞれの立場で思いやりを育んでいる。姉はタケルやマミの母親代わり。タケルはそんな姉が疎ましく家を出る。マミはハルナが自分のせいで結婚できないと気を使っている。そんなハルナに結婚を申し込んだ男が現れ…。

ハルナは自分の気持より家族優先という気負い、タケルとマミはそんな気持は分かりつつも鬱陶しい。もっと自分の気持を大切にしてほしい。そのお互いを思い遣る気持のズレ、空回りが面白可笑しく描かれる。そんな状況を見透かしたように、亡き父(生登場しないが、遺影としてテーブル上-電球頭と呼ばれていた)はラジオ番組にあるメッセージを投稿していた。それがDJによって読み上げられ号泣する3人。

タケルは、当初エロ漫画を描いていたが、今は少女漫画の流行作家になっている。次回の掲載テーマは「普通の家族」らしいが、自分は普通の家族に育った自覚がない。しかし葬儀、姉の結婚問題、父の思いを知ったこと、それによって「家族とは?」を改めて考えた様である。ラストは予定通りのハッピーエンドである。

脚本は葬儀・家族を扱った定番、それこそ”普通”であったが、心温まる公演である。しかし演出は、葬儀という雰囲気の中、激情したかのような大声に違和感を持つ。また葬儀ということを知らずに来た婚約者オオガミ シュウイチの衣装が喪服のようで不自然に思う。自分の好みであるが、必ずしも葬儀=厳粛という雰囲気に描く必要はないと思うが、もう少し落ち着いた穏和な展開であっても…。

次回公演を楽しみにしております。
CRIME

CRIME

劇団伍季風 ~monsoon~

Geki地下Liberty(東京都)

2018/04/25 (水) ~ 2018/04/30 (月)公演終了

満足度★★★

チラシの説明から銀行強盗を面白可笑しく扱った物語と思っていたが、段々と銀行=信用業務を揶揄するような展開へ。あり得ないと思える所がいくつもあるが、それは承知の上での展開であろう。上演時間90分、しっかりと楽しませてもらった。

ネタバレBOX

舞台セットは、営業店を横断して観た配置。通常、銀行に入ると受付、テラー係が対応するが、公演で登場する銀行員は受付、課長、店長の3人のみ。奥全面に耐火金庫をイメージさせる囲い、その中にダンボール箱が置かれている。

梗概…五和銀行本店の業務中という設定。銀行の自慢は、核シェルターになるほど堅固な(耐火)金庫。その銀行に3人組(渡辺光、妹の千奈津、高橋達也)の強盗が現れ金庫から金を盗んで帰るはずが、予想外のトラブルが起こる。金を奪おうと金庫に入ったが、一定の時間経過後、自動的に金庫の扉が閉まる。閉じ込められたのは千奈津と人質にした課長、受付、そしてたまたま銀行に来ていた客・坂上登、山川信司の5人。この山川が自己肯定されない苛立ちから独力で爆弾を作り持ち歩いていたが、はずみで作動してしまった。爆発まで約1時間...。 緊張が続く銀行内。極限状態の中、人々の持つドラマが次第に明らかになる。

爆発まで約1時間と言うのは上演時間を意識した設定であろうか。時限・密室空間という集中させる状況設定、その中で犯人を中心とした人物描写をして行く。しかし金庫内と執務室における演技が分断されていたように思える。別空間であるが同一次元に存在している以上、何らかの観せる工夫が必要ではないか。

さて、リアリティを求めていないのは解かるが、犯人の目的は物語の肝になるところ。犯人の両親が経営していた工場に過剰融資を行い回収不可能にして倒産させた。そのため両親は幼い子を残して自殺。当時、この銀行は経営危機にあり吸収合併されそうな状況にあり、大手企業と共謀して工場跡地を接収したかった。その後、娯楽施設が建設されて...。時は相当経過しており、現在店長であっても当時の肩書はたかが知れている。吸収合併に絡むほどの重要案件は処理出来ないだろう。にも関わらず犯人は店長をターゲットにしているのは目先(当時の担当者)しか見ていない。もう少し銀行という組織の暗部にメスを入れてほしかったような...。

次回公演を楽しみにしております。
ラーメン

ラーメン

宇宙論☆講座

スタジオ空洞(東京都)

2018/04/27 (金) ~ 2018/04/30 (月)公演終了

満足度★★★

「ラーメン」という料理を軸にして現代社会を批評したような寓意ある公演。一見混沌とした世界観を思わせる、その物語は面白いが観せ方に難があるような。
非現実でキャラクターも曖昧だが、そこから悪意に満ちたリアリズムのようなものが観えてくる。リアリズムとファンタジーが混在しているような感覚になる。
(上演時間2時間10分) 

ネタバレBOX

セットは客席に対し上手側にラーメン店のカウンター、下手側に楽器ハープ、舞台技術機器が置かれている。舞台左右の壁には役者が座るBOX椅子が並んでいる。全体的に雑然とした雰囲気が漂う。

物語は、中華料理店に入ったサラリーマン2人の注文時から始まる。舞台設定は「覚せい剤一色村」という場所、完全に怪しい名前が連記された村名であるが、この名前は作曲・演出・台本の五十部裕明氏の小学校遠足時の体験が元になっているという。
この村にある秘密、隠蔽された何かを感じ始めた子供達の冒険譚。村から東京へラーメン修行をするために上京する。場面転換毎にラーメンを成している要素_例えば麺、スープ等のパートを描き紡いで行く。表層的には面白く観せているが、場面の繋がりが凝っており分かり難いかもしれない。
さて、村で隠されていたのは、覚せい剤を作り東京貯水池に混入していたこと。音楽に合わせて ♪美味しいラーメンの最高の調味料は水に混入した覚せい剤♪ だと言う。音楽劇として肉声で聴かせるのは、場を盛り上げるというもの。

身近な食べ物になった「ラーメン」の生成過程、それを料理する人間の修業時いや成長過程迄を突き詰める。個人的な出来事から覚せい剤を水道水に混入するという社会性へ物語が増幅していく。そのシュールな展開、ブラツクユーモアが面白い。

少し残念なのが、16名の登場人物の関係性が分かり難いこと、誰がどの役名なのか、1人ひとりの人物像を描いておらず、物語の勢いで牽引しているようだ。
もう1つ、ラーメンという「食」を扱った物語であるが、それ以外のスナック菓子や生卵の扱いが雑であり汚い面もあった。
物語は冒頭のサラリーマン2人による会話…ラーメンを巡る思い、その劇中劇としての構成は面白く観応えもあるだけに勿体無かった。

次回公演も楽しみにしております。
~ラビット番長ノワール短編集~

~ラビット番長ノワール短編集~

ラビット番長

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2018/04/25 (水) ~ 2018/04/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

蠢き合う人間模様、行き場を失った濃密な思いが煮詰められたような強烈な印象を残す。それは悪意と不器用な感情等が息つく間もなく襲ってくるような感じである。
2話とも共通する台詞は「花言葉」。そこに込められた一言が物語を象徴する巧みさ。
この公演、作・演出の井保三兎氏によれば「いつものラビット番長とは違う公演を」という要望に応えるため、ノワール公演に挑戦したと…。モラルの内に収まるか否かで「シロ」「クロ」を区別させるのだろうか…。
(上演時間2時間 途中休憩10分含む) 【夜明けの歌/パンジーな乙女達】

ネタバレBOX

「夜明けの歌」(60分)
舞台セットは、駅舎という設定。中央に白いバラ(純潔・誠実という花言葉)が咲いている花壇。いつしか赤いバラを咲かせたいと願っている。

戦時中、都会からこの村へ赴任してきた教師の杉田夫妻、慣れない夫妻を何かと面倒を見る北川。その杉田と北川が出征し戻ってきたのは北川だけ。杉田の妻・瑞江(南井貴子サン)は生きていくため、いつしか村長と男女の仲という噂が…。その事で子供は苛められ、成人すると家を出てしまう。戦中・戦後という時代、村(地域)という環境、そんな社会性を背景に人間の欲望が蠢く愛憎劇。村という閉鎖性や悪風評の流布という怖さが見える。

ノワールに相応しい展開と同時に、それを観せる演出・舞台技術が素晴らしい。モノクロームな雰囲気、さらに白・黒の衣装(喪服をイメージ)が不安・不穏を醸し出す。時々聞こえる汽車の音、同時に車輪が回るような影(照明)が時の経過を示すようだ。衝撃的なラスト、真実が明らかになった時に咲いたバラは鮮血に染まり…その花言葉は「あなたを愛しています」。

「パンジーな乙女達」(50分)
舞台セットは、先の「夜明けの歌」の花壇が室内のソファーに変わった。設定はラジオの生放送とある作家の家に集まった見知らぬ女性たちの疑心暗鬼な会話、の二元同時進行。ラジオのDJは作家の妻/・是澤(山本綾サン)で、集まっている女性たちは作家の日替わりの恋人のようだが…妻は夫に恋人がいることは知っていて黙認している。今夜の放送が妻にとって最後、ラジオ局ADから送別としてパンジーの花が贈られる。ラジオ放送という限られた時間、一方室内という限定空間で交わされる会話が濃密に聞こえる。

作家は女性たちから小説ネタを聞くために会っており、真に浮気をしている訳ではない。妻は夫が書く小説にはいつも自分が存在しているとが認識できる。しかし近著では自分が確認出来なくなった。その寂寥感のようなもの、夫婦の信頼関係が裏切られ、妻という存在が蔑ろにされた悔しさ、寂しさが漂う心理劇。

基本的に女性しか登場せず、一見明るく華やいだ雰囲気である。それを暖色照明を諧調し、音楽は心中を表すような歌詞が流れ、ラジオ番組と連動させる演出は上手い。ちなみに妻・是澤は殆ど後ろ向き。ディレクター、ADと向かい合うという座り方でも良かったのではないか。
パンジーの花言葉「私を思って下さい」…ラスト、妻は自分が行った行動を番組を通じて告白する。

次回公演を楽しみにしております。
渇生

渇生

HIGHcolors

「劇」小劇場(東京都)

2018/04/25 (水) ~ 2018/04/30 (月)公演終了

満足度★★★★★

重いテーマを2家族の視点を交差させて描く骨太作品。
涙も叫びも嗄れたが、それでも生きている、生きようとしている、そんなことを思わせるタイトル「渇生」。観応え十分の公演であった。
(上演時間1時間55分)

ネタバレBOX

セットは、上手側と下手側にそれぞれ柊家と岸川家のダイニング(基本はテーブルと椅子、岸川家には冷蔵庫等)、中央上手側に少し高くしたアパート・阿久津栄吉(新納敏正サン)の部屋。

物語は交通事故の被害者・加害者家族の苦悩・憎悪を軸に据えているが、もっと広い犯罪絡みの被害者・加害者の関係として捉えて観ることも出来る。さらに家族の有り様についても問題を投げ掛けている。
物語は24年前に子供の出産時に交通事故を起こし、幼子を轢き殺してしまった男・阿久津とその家族(離婚し岸川姓)。その苦悩と悔悟に苦しむ日々。一方、被害者(柊家、特に母親)はもって行き場のない悔しさ、刹那さの日々。加害者家族に対する恨み、復讐という憎悪を生きる糧にしている。事故時妊娠していた子・鈴木奏多は無事に産まれたが、24年後、今度は自分の夫が交通事故で亡くなるという皮肉。
被害者の母・柊麻衣子の「もう帰ってください!もう二度と来ないでください」という台詞は、諦めと踏ん切りをつける自分自身への決着の言葉。一方、加害者(栄吉と岸川澄子)は謝罪が受け入れられたという安堵と救いの思い。

2家族の視点以外に、栄吉が住んでいるアパートにいる若い女性・旭陽葵を登場させているが、重くなるテーマのクッション的な存在であろうか。実は交通事故を主軸にしているが、そこには「家族とは」という視点も潜ませている。岸川家の長女は養子のようであり、柊家では息子が事故死した後、特別養子縁組をし血の繋がりがない息子がいる。しかし血の繋がりがない子に向かって”家族”という言葉を繰り返し言う。一方、旭は実親から自分の利用価値(バレーボール選手としての名声等)が無くなったことで両親が不和・離婚したという。家族とは 血の繋がりとはを考えさせる。

死んだ人を忘れることによって前進できるのか、死んだ人と共に生きる方法は_分からないもどかしさが痛いほど伝わる。心情描写は、演技の確かさ、舞台技術-照明の諧調、音楽「夕焼け小焼け」が物悲しく響く様で感じさせる。公演全体は重苦しい雰囲気であるが、ラストシーンはホッとさせる、そんな余韻が…。

次回公演を楽しみにしております。
青春超特急

青春超特急

20歳の国

サンモールスタジオ(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

青春期の悩める人物像に寄り添う、そんな等身大で描いた青春群像劇。
焦燥・不安と希望・充実という混沌とした状態が若者のエネルギーとしてスタイリッシュに描かれ、観終わった後に爽快感のような余韻が…。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは、パイプ机・椅子で教室内をイメージ。冒頭の配置は、下手側に机・椅子を下手奥に向かって斜めに置き、その先に椅子をゲージ状に宙に吊るしている。その奥にミラーボール。シンプルなセットであるが、配置を変えることで高校生活における情景・状況が浮かぶよう工夫されている。

物語は高校3年生、卒業間近に控え卒業式に出る出ない、将来どうするのかという近々の進路を話しているところから始まる。部活動、恋愛という高校・青春期の定番の話題を散りばめ情熱や甘酸っぱい気持が伝わる。いつの間にか話は高校入学時に戻り、順々に高校生活が展開していく。部活動では負け続けても諦めない事、勝利を味わいたい”力(過程)”が大切である。恋愛では一緒に過ごした何気ない日々を忘れないで、忘れない、いや忘れてもまた思い出を作れば、といった台詞が抒情的に聞こえる。人生という片道切符、人はそれを持って一生懸命に生きる。その瞬間瞬間、隣にいる人に助けてもらっているかも…。綺麗ごとのような台詞に聞こえるが、劇中での「部活動」「恋愛」という青春期の普遍性に代表される場面では説得性があった。
”青春期”は案外早く過ぎて行く、その意味でのタイトル「青春超特急」はしっくりするし、その観せ方もアップテンポであった。

青春期という不安定は、セットにおいて表現されていたように思う。机や椅子の上での演技、時にはその上を歩くなど不安定な場所での演技が気持の表れのようだ。また上り下りの動作が躍動感を生み、青春期というエネルギーを感じさせる。所々に歌を挿入し、場の盛り上げ若者の気持の高揚感を示すという演出も巧みである。

演技は動作も良かったが、青春期の若者…その行き場のない苛立ち、衝動、力強い決意、淡い甘酸っぱさが伝わる表情が上手い。ラスト、卒業式での答辞は長台詞であるが心魂震える様な言葉の数々、掬い取って持ち帰りたいと思うほどである。また卒業時に見られる呼び掛け、役者同士の息の合った発声が見事だ。
ちなみに、”水戸”という地名を出すなど、東京近県というリアルなシーンもあったが…思い入れでしょうか?

青春劇は卒業とのことでしたが、次回公演も楽しみにしております。
ヴィテブスクの空飛ぶ恋人たち

ヴィテブスクの空飛ぶ恋人たち

劇団印象-indian elephant-

シアター711(東京都)

2018/04/18 (水) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★

翻訳劇は、原作と翻訳家(鈴木アツト氏)が思い描く解釈の狭間でどう新しく生まれ変わるか、または変わらないか、その世界観を楽しみたい。公演は画家シャガールと最愛ミューズ・ベラの半生を生演奏にのせて生き生きと描いている。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

客席で挟まれた舞台。ほぼ素舞台で場面に応じて小物が持ち込まれる。公演はシャガール(村島智之サン)と妻ベラ(山村茉梨乃サン)の半生を順々に展開して行く。ただし芸術家としての”画家”に関しては絵画が登場しないので、その面については印象が弱い。逆にシャガールが生きた時代、ユダヤ人として迫害を受けてきた出来事を重厚に語っていたように思う。

ロシア革命と社会主義という時代の奔流が渦巻く。第一次世界大戦前、シャガールはサンクトペテルブルグ、パリ、ベルリンを移動し活動をする。第二次世界大戦が始まり、ナチスのユダヤ人迫害が始まると、シャガールはアメリカへ移る。戦後、ユダヤ人虐殺を乗り越えパリを活動拠点にする。転々としなければならない状況、環境がそのまま物語として動いている。
妻ベラを愛し、ベラへの愛や結婚をテーマとした作品を多く製作したと言われており、その様子は妻をモデルに描いている様子で表現している。

シャガールは、様々な角度から見た物を一つの画面に収める画法で、一点透視図法とは一線を画すと言われている。いわゆる「キュビスム」の影響を受けたと。この公演は舞台を両側(客席)から観るようにしている。その意味(多角視)でシャガールの絵画の見せ方に似ているように思ったが、鈴木氏はそのことを意識したのだろうか。

素舞台にも関わらず情景がしっかり浮かび上がる。もっとも地理(場所)的なことではなく、情景描写としての時代・社会的なことと妻との愛という個人的なことである。役者はそれをしっかり体現して観(魅)せてくれた。また絵画ではないが、”芸術”繋がりで、ヴァイオリンの生演奏も適所で奏でられ印象深くなるのも好かった。

次回公演も楽しみにしております。
美愁

美愁

The Vanity's

APOCシアター(東京都)

2018/04/24 (火) ~ 2018/04/28 (土)公演終了

満足度★★★★★

”生”そのものが過酷な運命に翻弄された母と娘の残酷な物語。一見、中国風な舞台空間であるが、実は仮想世界であり、耽美な雰囲気を漂わせている。
物語も面白いが、アフタートークならぬアフターライブも楽しめる、という1公演で2度美味しい。
(上演時間1時間40分+20分)

ネタバレBOX

セットは、天井にあるサークルから何本かの綱を垂らし、部屋空間を作り出す。その円真ん中に腰高程のテーブルが置かれている。後景は葉が生い茂り森をイメージさせ、またこの家の別部屋のようなスペースも設ける。

物語は、家族という集団の愛憎渦巻く人間模様と(個)人の心に蠢く邪悪な思い。富豪・柳家に女の子・呉葉(作・瑞生桜子サン)が生まれたが、生れつき顔に痣があり父にして当主の龍仁は妻・美羽に始末するよう命じる。美羽は苦悩するが、美羽の姉・鈴の機転により別の生き方をさせる。後に呉葉の妹にあたる柚杞が生まれ、妹の付き人として呉葉を用いる。母・美羽は薬物中毒でそれが原因で呉葉の顔に痣が…美羽が苦悩する理由である。そんな時、新しく柳家にきた奉公人から立入禁止の森に住む魔女なら痣が消せるかも、そんなことを聞いた呉葉は…。

実母に愛されたい娘、痣がなければ愛するという言葉を信じ魔女と取引する呉葉、代償は生まれたばかりの自分(命)を助け、教育係として育ててくれた伯母・鈴の命。実は柚杞はこの鈴と龍仁の娘という錯綜した関係にある。家族という関係、身近であるが故に愛憎の増幅が見えてくるよう。ラストは呉葉が椅子に腰掛けたまま小瓶を落とすが….
惑乱-娘・呉葉の諦念、行き場のない衝動がある不確実な情報によって希望を芽生えさせる。母の”愛”という呪縛に捕われた_愛情を得るためモラルという心の壁を壊した行動が切ない。母・娘の愛情という普遍性を鮮明に切り取った骨太でありながら繊細な作品。
ラストは痣も含め自分自身を抹殺するような、生きていればこんな人生だったかもという、全ては夢の中-劇中劇のようにも思える不思議な展開でもあった。

「音楽劇」と謳っている通り、劇中歌も物語の雰囲気(耽美と寂寥)にマッチした選曲である。また呉葉が劇中から抜け出し、キーボード奏者と連弾するなど、謳い文句である音楽のバリエーションで楽しませてくれる。先に中国風のセットと記したが、楽器には二胡を用いるなど細かい配慮が観られるのも好い。

次回公演を楽しみにしております。
激熱

激熱

ユーキース・エンタテインメント

STUDIOユーキース(東京都)

2018/04/21 (土) ~ 2018/04/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

ドッペルゲンガーのような心理劇またはパラレルワールドのような異世界の観せ方…等身大の女性の本音と苦悩が切実に伝わる。若い女性だけの芝居であるが、その熱量は半端ではなく、物語の中へ観客をグイグイ引っ張り込むような力強い公演であった。
(上演時間1時間30分) 【Aチーム】

ネタバレBOX

セットは、基本は左右対称であるが微妙に変化を加えている。物語は上手側と下手側に分かれ、その間に見えない壁のようなものがあることをイメージさせる。両側の登場人物や音楽活動を行っている設定は同じであるが、その活動スタイルや方向性が異なる。2グループ(どちらも「響屋」)の登場人物は姿かたちは異なるが、同一人物による心情吐露を描いている。自分自身の心を見つめるような合わせ鏡である。

上手側は音楽が持つ”力”でライブ活動を行っている3人(はるか、なな、ことえ)。一方下手側は、女性らしさを強調した”姿”でライブ活動を行っている3人(遥、奈々、琴絵)。それぞれに悩みがあり、グループ内でも喧々諤々という状態である。音楽の力を信じているが売れず、メンバーはバイトの掛け持ちでどうにか暮らしている。一方姿(外見)を売りに活動をしているメンバーは売れているが、歌は録音で水着姿になったりし自分自身を切り売りしている。音楽の力だけの売り方で良いのか、もっとアイドル的な魅せ方も必要では、一方のグループ内では魅せるだけで良いのか、エアバンドに対して疑問が出る。
この2グループ内の心情が交互に描かれ、それぞれの音楽活動のスタイル・方向性等がグループ内の喧々諤々の意見によって浮き彫りになる。

立ち止まったら、前進していなければ不安、押し潰されそうな気持になる。そこに25歳という女性の微妙な女心が揺れる。男優は登場しないが、恋に対する羨望・嫉妬などが垣間見え愛らしさを覚える。しかし女性である前に人間であり、その感情-焦燥・不安・願望、見えない壁…自分自身の限界という壁に立ち向かっている。女優陣による感情表現が豊か、そしてそれぞれの人物像をしっかり立ち上げており、思わず感情移入をする。

2グループによる共鳴するような同一曲の歌合せ、学校卒業時に見られる呼び掛けのような台詞の交差は、互いへのエールの交換のようであり、自分自身への励ましかも…。中学の時に聞いたライブの感動が忘れられない、その芯が失われない限り音楽活動は続けそうだ。物語では指を怪我したりグループ脱退などの試練も描いていたが、ラストには希望が見える。
劇場内は小さく、演技での大声が響き少し閉口するが、それでも自分は彼女たちの心の叫びとして受け止めた。

次回公演を楽しみにしております。
アラクネの恋

アラクネの恋

劇団もっきりや

ART THEATER かもめ座(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★

見えない「神(正義)」という名の落とし穴、自分に素直に生きる難しさを突き付ける。からっぽな情景に濃密な気配と閃光。心の奥深くに語りかけるような奇妙な世界に誘われ、段々と孤独な心だけが観せられる。いつしか他人との関係は表面的になり、煩わしい事には関わらないという傍観者へ…。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは、中央に小さなテーブル・椅子3脚。上手・下手に衝立風の幕が2つずつ掛け、下手側に2階段が置かれている。場面に応じて色彩ある毛糸が中央奥に放射状に張られたり、また入院ベットが運び込まれる。

物語は老いた元高校美術教師・サクタ先生(石渡孝サン)が教え子・ヒナドリ(作・演出:杉浦久幸サン)から恨み憎まれ口を言われるところから始まる。元教師は美術部の顧問をしており、ヒナドリともう1人女子生徒・ねえさん(門岡瞳サン)(部員は2人だけ)を指導していた。ヒナドリの作は絵画コンクールで絶賛されたが、いつの間にか評価されなくなり、逆に不遜絵画のような扱いに変わる。同時に教師も教え子を庇わなくなり、悲観した教え子は自殺する。教師も含めた3人の関係は、ねえさんの教師への思慕、ヒナドリのねえさんに対する恋心という表面的には三角関係を描いているが…。

タイトルの「アラクネ」はギリシャ神話の人物で”神”と機織で腕比べをし、果ては蜘蛛の化身に変えられた娘の名。チラシの説明にその件…傍観者たることが書かれており、本公演ではそれをテーマに据えているらしい。物語は過去の出来事を心の奥深くに閉じ込め、忘却しようとしていたが、いつの間にか想いを巡らせ真実に近づこうとしていた。

冒頭の淡々とした描写から滲み出る喪失感と哀愁、人生における記憶の断裂と忘却を描いていたが、段々と現実とシュールな異界が共存する不可思議な空間・雰囲気に変わる。物語の”肝”は”神”であるが、物語には登場しないし正体も明かさない。
記憶と悔悟のような会話から呼び出される現実、過去に囚われ行き惑った男、魂が彷徨する教え子・ヒナドリが世の不条理に立ち向かう。全部さらけ出すのが誠実か、記録されたものだけで判断する。そんな問い掛けを感じる。

登場しない”神”は多数を占める意見、事柄のことであろうか。物事を決める上で多数意見等は重要であるが、一方少数の意見にも耳を傾けることの大切さ。例えば現代のインターネットの世界では瞬時に大量の情報収集が可能だが、内容は混合玉石でもある。世間という”神(風評)”に惑わされ、臆することの怖ろしさも感じる。
脚本的には正体を明かさない”神”をどう観客にイメージさせるか、その点が弱いような気がした。演出ではアラクネに因んだカラフルな毛糸を使用するところは観せ方として面白い。

次回公演を楽しみにしております。
逃げぬれて、夜

逃げぬれて、夜

くちびるの会

調布市せんがわ劇場(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

「2017年 せんがわ劇場演劇コンクール オーディエンス賞」受賞団体の記念公演。
夢・希望と焦燥の挟間で生きる衝撃的な青春物語。社会・地域の澱んだ日常の中で、爆発寸前の不穏な何かを膨らませている。諦念と再生にちょっと冷たいが、希望の光が射し込むような…。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは衝立のような仕切りを可動させ、アパートの一室、スーパーやコンビニの控え室を出現させる。その情景・状況を観せ、またラストにはブルーシートを利用し多摩川河川敷、川の氾濫というダイナミックな演出は巧み。場面に応じた舞台転換は観客を飽きさせず、物語に集中させていた。

物語は、ある雨の日に少し怪しげな女性が古いアパートの一室を訪れ、「あなたは今、幸せですか?」と問うところから始まる。部屋にいた女性・幸子(橘花梨サン)は少し考え、身近なものを説明した。絵本作家であるが売れずスーパーのアルバイトをして生計を立てている。生活圏内はアパート-スーパーの徒歩15分の往復で、世間から取り残されている。一方、新聞配達をしている伸夫(佐藤修作サン)は、世の中で起きている悲惨な事件(テロ・紛争等)が書かれている新聞を配るだけ。自分は何もしない・出来ないという忸怩たる思いを抱いていた(ロボット化し動けない)。ある日、幸子が捨てた絵本を伸夫が拾い、2人は絵本交換日記のようなことを始める。それぞれの職場で起こる不条理のような出来事、その愚痴ともつかぬことを書き綴り…。

焦らない、闘わない、無理をしないから生きられる。しかし、ある雨の日を境に覚悟を決めて一歩を踏み出す。人間心理のパラドックス。伸夫が乗っている自転車を”リンリン丸”と名付け、理不尽な社会へ警鐘を鳴らすため、「予言新聞」(場内で配布)を発行することにした。しかし大風呂敷的発想は、2人の経済的な破綻を招くようで…大空から鳥の目のように俯瞰すること、地を這いずり回る虫の目で見ることの大切さを知ることになる。少し長く、途中で終わりかと思わせるシーンもあったが、自分は”俯瞰”と”目先(近)”の両方を描きたいためと受け止めた。

舞台転換の巧みさ、タイトルの「逃げぬれて、夜」にある通り雨に象徴される水の音が印象的であった。また強調、余韻付けとしての照明もスポットライトの照射が効果的。どこにでも居そうな等身大の人物の心情を心憎いまでに映し出す。重く湿った雰囲気の内容であるが、演技は多少コミカルにし魅力的に見せ、人物像を引き寄せている。
”せんがわ”という場所を意識した地域設定も微笑ましく、先に記したコンクール オーディエンス賞への謝意が感じられる。

次回公演を楽しみにしております。
タバコの害について/たばこのがいについて

タバコの害について/たばこのがいについて

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2018/04/20 (金) ~ 2018/04/24 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

自分らしい生き方、これで幸せかという問いが投げ掛けられた公演。この公演はタイトルから分かるように「タバコの害について/たばこのがいについて」という2本立てであるが、上演順序は逆になっている。「タバコの害について」(1902年-チェーホフ)「たばこのがいについて」(2018年-劇団夢現舎)であり原作へ敬意を払っているのだろうか。

さて、「タバコの害について」は原作に近いが、「たばこのがいについて」は劇団のオリジナル短編だが、チェーホフへのオマージュが観てとれる。この公演は2編を通じて観ると、文章の倒置法のような構成で”がい”を巧みに描いていたようだ。
(上演時間1時間30分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

セット…、「たばこのがいについて」は、真ん中・客席寄りに白い船形の置き物、上手側に丸テーブルと椅子、下手側に机、その上に灰皿が置かれている。また壁には描いた換気扇。入り口・場内まで「行灯パブ・ろびっち」と書かれた行灯が置かれ、吊るされている。

話は、食事に好き嫌いが多い男、何とか偏食なく食べてもらおうと工夫する女、その2人の不思議で愛らしい、そして時に激しい丁々発止の会話劇。男は悠然とタバコ燻らせるが…。害があるタバコを好む男、一方健康を考えた料理を出す女、その男女の思惑がいつの間か恋愛話へ変わっていく。
「タバコの害について」は、チラシにあるような和風女性が一人描かれた屏風が広げられる。場内は暗幕で囲われ、その中で屏風の女性は紅色の着物で一種の妖艶さが漂うよう描かれている。
話は、男の一人芝居…。
男は妻の言いつけで「タバコの害について」講演をするために人前に立つ。彼自身はタバコを吸うので、言われたから講演をする。だから後ろ向きな発言を繰り返し話は違う方向へ。そして段々、奥さんの悪口に繋がっていき…。人生を嘆いているとも、 妻への思い(想い)とも取れるような公演に聞こえる。

公演は、前半の”タバコの害”は”妻そのものが害”のようにも聞こえるが、後半になるとその悪口に哀愁を帯びてくるようだ。2人会話に出てくる女は黒い服を着ており喪服のように思える。一方、屏風の着物女は対照的で薄暗い空間に別女性がいるようだ。
舟形は浴槽でありピラニアを飼っているというが、男は自分(女)の後輩と浮気をしているらしい。男は小説を書いているが売れない。先の恋愛、小説(芸術)は弱肉強食と言い、ピラニアは比喩のようだ。そんな会話を懐かしむ様子、繰り返される幾つかのシーンは本音等を垣間見せるためのようだ。

”害”のように思っていた女(妻)が亡くなり、煩く思っていた事が懐かしく思い出されるよう。そんな哀愁が感じられる「たばこのがいについて」(劇団夢現舎)である。その意味で、時の経過は逆転しており観せ方は妄想・回想の世界観が広がる。本公演は、チェーホフの「タバコの害について(1902)」に対し講演という形を借りた「ぼやき」「本音」等に対し、「たばこのがいについて(2018)」は「甘え」「慈しみ」で包み2編を通じた劇中劇のようで楽しめた。もちろん、その独特の世界観を出現させた役者2人の演技は素晴らしかった。

次回公演も楽しみにしております。
心は孤独なアトム

心は孤独なアトム

“STRAYDOG”

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2018/01/24 (水) ~ 2018/01/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

「グリーンフェスタ2018」参加作品。
心の彷徨…過去と現在を往還し自己再生を果たそうとする男、それを見つめる少女の心情が静かにそして激しく揺れ、ダイナミックに錯綜していく物語。
(上演時間2時間弱) 【星チーム】

ネタバレBOX

舞台セットは、2階迄ある学校校舎のような外観(窓)、中央には歪な形をした時計。1階校舎前には木椅子が積み上げられている。上手側には男の事務所がある。

梗概…女子高生が天涯孤独になった寂しさもあり、自殺しようとしていたがアトムに止められる。その後、女子高生は売れなくなった中年シナリオライター・ナオト(金子昇サン)の元にライターとして弟子入りするところから物語は始まる。この時点では女子高生(森岡朋奈サン)の名前は明かされないが、ラストに正体が分かった時には大きな感動に包まれる。
場面が転換し、ナオトが小学校の時の苦い思い出を回想する。小学生の時、ナオトは東京からこの関西の学校に転校してきた女の子と仲良くなったが、クラスメイトの関係(強迫観念)によって自分も苛めに加担してしまった。その後、この子は他の学校に転校してしまい、最後まで謝ることも出来ず別れてしまった。
青年期にナオトは演劇俳優をしていた。そして同じ劇団員の女性と付き合っていたが、女性は他の道も模索していた。そろそろ結婚も考え始め、女性はナオトの子を宿しているようなことを仄めかすが、その真偽は明かさなかった。そしてナオトの優柔不断な態度から黙して彼女と別れることにした。先輩劇団員の闘病と死、自分自身も俳優から脚本家になっていたが、以前のように情熱的に書けなくなっていた。そんな時、1人の訳ありな女性がお手伝い(宮地真緒サン)として住み込むことになったが…。

一方、ナオトは小学生の時の苛めを後悔しており、冒頭の女子高生に励まされ自分の人生を取り戻そう、苛めた子を探し許しを得ようと心の旅にでるのだが…。
現在・現実と過去の回想を交差させ魅力的な時間軸を描き出す。魅力的というのは観せ方であり、時々の心情をダンスパフォーマンスで表現する。ダンスも群舞やタップダンス等バリエーションがあり飽きさせない。

人は後悔、その苦い思い出に決着をつけ前向きに生きるか、忘却として心の奥深く閉じ込めるか。ナオトも女子高生が現れるまでは自暴自棄になり自堕落な生活をしていたが、何かを契機に前を向く。人の心は孤独な時もあるが、熱(厚)い志が復活すれば立ち直れる、そこには子供の時のヒーロー・アトムが見守っているという自己暗示。脚本の面白さ、演出の立体的・躍動的な観せ方、舞台技術の効果的な表現そして役者の人物像の立ち上げとバランスの良さ、その全てが公演に集約されていたと思う。
本公演は、明日への元気がもらえるような素晴らしい作品であった。

次回公演も楽しみにしております。

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