タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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OPTIMISM

OPTIMISM

アブラクサス

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2018/09/05 (水) ~ 2018/09/09 (日)公演終了

満足度★★★★

ヘレンケラーを題材とした公演は3作目。前2作はせんがわ劇場で上演しており、この劇場より広い。本作におけるヘレンケラーの人物像なりは前作をも凌ぐ見事な造形であったが、芝居的にはこじんまりとした印象を受けた。
劇場の規模を比較して意味があるのか分からないが、少なくとも せんがわ劇場では素舞台に近い。あるのはテーブルと椅子が数脚。周りは暗幕で囲い、脚本・演出・演技で魅せる力作であった。本作は屋敷内を作り込み過ぎたようで、言葉はおろか自分が何者(人)かさえも認識できていない”子供=ヘレンケラー”の行動が舞台セットによって妨げられている。何気にテーブルの周りを回ったりしているが、”痛い”という感覚本能を持っていたか否か判然としないが、観客としては作為的な動きに見えてしまったのが勿体ないところ。
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

セットは屋敷内_中央にテーブル・椅子や飾り棚が置かれ、下手には窓。客席寄りに階段がある別スペースを設けている。当然、有名なシーンである井戸も見える。
梗概…ヘレン・ケラー(羽杏サン)とアン・サリヴァン(坂東七笑サン)との出会い、結びつきが中心に描かれる。その意味ではヘレン・ケラーの人生に大きな影響を与えた人物との関わり、言葉の認識というプロセスが中心であり、その見せ場として井戸での水汲みシーンが有名。見せ場における2人の演技は上手い。その臨場感は圧巻である。

この公演でもその描き方は他の劇団公演と変わらない。しかし、ここではその後のヘレン・ケラーをも描き出す。人(障碍者)として社会との関わりを持った人生も丁寧に描く。多くの劇団は水汲みシーンで終幕とするが、それは演劇的な見せ方として魅力的であり、評伝(記)にも差し障りがないからではないか。この劇団では、文献では知りえない事柄を独自の解釈・演出によって表現しようと試みている。

しかし、公演ではヘレン・ケラーの人種差別に反対する運動や労働条件改善の訴え、南部黒人集会での演説や講演を紹介する。そしてライフワークになる社会福祉活動。自身の経験を踏まえた公演は、世界中へ。また経済的な困窮からボードビルショーにも出演したことが描かれるが、これらは彼女に関する文献を調べれば知れるところ。評伝の内容を演劇化する、それはそれで面白いかもしれないが観る人の感性や主義主張に左右されることがあるような。

それよりは、”人格形成後(者)”としてのヘレン・ケラーではなく、社会との関わりを持つ前のまだ学生としての未成熟でどん欲に知識を習得する。そんな彼女の上級学校に進学してからの考え方、物の見方など成長する”過程”を観てみたい。そこには完成された人物の評伝記ではなく、まだ知られていない生身の人物の生き様が刻まれそうだ。それこそヘレン・ケラーの人間的魅力(例えばダンスのシーン等は秀逸)が潜んでおり新たな人物像の形成になると思う。芝居ゆえにその自由(発想)度を広げても良いのではないか。そんな芝居を観てみたい。

次回公演を楽しみにしております。
マナナン・マクリルの羅針盤 2018

マナナン・マクリルの羅針盤 2018

劇団ショウダウン

シアター風姿花伝(東京都)

2018/08/11 (土) ~ 2018/08/16 (木)公演終了

満足度★★★★★

海洋冒険浪漫活劇…林遊眠1人芝居は楽しく、そして凄い。第26回池袋演劇祭(大賞受賞)の時にも観ているが、その時に比べると情感が増したように思う。1人で多くの老若男女を演じ、ト書を加えるから膨大な台詞になるが、物語が進むほどに世界観が広がり人間性に深みが増してくる素晴らしい公演であった。
上演時間2時間10分(途中休憩10分)

ネタバレBOX

前に見た時は、冒険活劇としてのシャープ・スピード感という鋭い面が強調されていたように思うが、今回は外観というよりは人の内面を強調したような、いわば包み込むような包容力を感じさせる。もちろん「冒険浪漫活劇」という謳い文句であるから、その醍醐味はしっかり味あわせてくれる。

さて、当日パンフに劇団代表で作・演出のナツメクニオ氏が「今回、林遊眠がほぼ全編に渡って一人で稽古し、自己演出を突き詰めて構築した新たなママナン・マクリルの羅針盤」と書いている。そうであれば、彼女は物語を通じて”人の内面”を描きたいと思ったのであろうか。その意図は十分に伝わる…物語は1700年代初頭という背景であるが、その時代の「自由」という命に代えても守りたい…それは時を経た現代にも通じるもの。

演劇でいう第四の壁のようなものを乗り越え、劇中で林遊眠さんが観客に声掛けする。劇中人物が突如、身近なところに舞い降りるような、舞台と客席を一体感に包み盛り上げた後、物語の世界へ戻っていく。関西の劇団ゆえ、東京方面の演劇ファンに馴染みがないとのこと。だからこそ観客(関西でも同様だと思う)を大切にするパフォーマンス(You tube 配信あり)。

次回公演も楽しみにしております。
悪い芝居vol.20.5『アイスとけるとヤバイ』

悪い芝居vol.20.5『アイスとけるとヤバイ』

オフィス上の空

ブディストホール(東京都)

2018/08/08 (水) ~ 2018/08/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

元気いっぱいに若い女性が軽快なテンポで紡ぐ(夏)物語…でも少し背筋が凍るような示唆?もある。
(上演時間2時間強)

ネタバレBOX

舞台セットはおとぎの国を思わせるようなファンタジックな張りぼて造作。アイスコーンや変形刳り貫き窓など、見た目の面白さ楽しさ。セット色調や多色彩の照明、カラフルな衣装が演技と相まってポップ調に仕上がっている。

この公演は、”人体冷凍保存実験?”といった物語。表層的には、少女視点での夏とアイス、そして地元愛、段々慣れ親しんできた東京という地が溶け混じったラブコメディのようだ。
現在から過去または未来を往還して観た時、同じ場所、または同じ少女世代であっても時の情勢や事情によって感じ方が違うかもしれないし、同じかもしれない。しかしこの公演では変容なのか不変なのかという二極を思い巡らせるのではなく、”現在”を大事にする。悩んだら、とにかく自分の中の”ギャル”を呼び起こして“今”を全力で生きればいい。そんな前向きな物語である。

そう思わせるような展開、それが”人体冷凍保存”という発想を借りて表層ポップの裏に潜む思索として説明しているように思われた。
公演の魅力は観客を楽しく元気にさせる、そんな魅せるところ。この明るく笑う、ポジティブな姿勢こそ、時代情勢や状況が変わろうとも「冷凍保存」されたように必要で大切なものではないだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
顔!!!

顔!!!

艶∞ポリス

駅前劇場(東京都)

2018/07/18 (水) ~ 2018/07/25 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

人間、それも女性の内面を浮き彫りにしていくが、そのあぶり出す題材が「顔」という、外面の代表格を用いる発想がユニーク。
さて、「顔」で思い出すのが、二枚目俳優・長谷川一夫(当時は林長二郎)が暴漢に襲われ、刃物で顔面を切りつけられ重傷を負った事件である。そしてそれをモチーフにした映画「貌切り KAOKIRI」である。心が豊かで美しければ、などという綺麗ごと建前など白々しいと言わんばかりの物語は、観応え十分であった。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

セットは、芸能人のメイク室。客席側に向かって鏡があるというイメージ設定。下手側に更衣スペースがあり、いくつかの騒動(恋愛沙汰)で利用する。この狭いメイク室で美人女優、演技派女優、そして各女優のメイクを担当する職人が繰り広げる嫉妬・羨望などの不快感情が交錯する物語は面白い。また出羽恭子(井上晴賀サン)の顔(顎)ネタも挟み込む。さらにはアシスタントやマネージャーという脇役が女の別一面を観(魅)せてくる。


梗概…美人女優の専属メイクは男、演技派女優のメイクは女。このメイク担当者の男と女は師弟または先輩後輩という縦社会の典型を表す。逆らい難い環境に我慢し、ようやく1人前になった主人公・小尾千恵子(岸本鮎佳サン)が、偶然にも同じ楽屋・メイク室で師・先輩と仕事をすることになるが…。
男の身勝手と勘違い、女の媚と思わせ振り、その間にある溝は深く気味が悪い。かろうじて橋渡しをしているのが”仕事”という生活の糧という味気無いもの。

さて、美人女優は”美人”というだけで何の努力もしない、一方、演技派女優は努力を欠かさないという定番設定である。そして美人女優に事件(ここで長谷川一夫事件を連想)が起きる。芸能関係者にありそうな思惑と人間関係、それを女性という視点から、笑いを纏いながら繊細、丁寧に切り取る面白さ。”コンプレックスのフィルターを通し、気まずく、切なく、恥ずかしい、人とも距離感を、何気ない会話からあぶり出す”という艶∞ポリスの真骨頂が観られた。

本当に居そうな厚顔な女、そして男の図々しさ。役者は、その分かり易いキャラクターをしっかり立ち上げ面白可笑しく観せる。表層コメディであるが、手放しで楽しんでいては足許が…そんな怖さも垣間見られる秀作である。
次回公演も楽しみにしております。
分別盛りたいっ!

分別盛りたいっ!

ひとりぼっちのみんな

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2018/07/11 (水) ~ 2018/07/16 (月)公演終了

満足度★★★

自分の妄想、その脳内を三面鏡に映った姿を見るような形で展開していく。タイトル「分別盛り」は、当日パンフによればカミーユ・クローデルの作品に刺激を受けたことが記されている。本公演は、自問自答するような騒めきが多少煩わしく感じられるが、それでも描きたい内容はしっかり伝わる。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは、中央に横長テーブルのようなもの。上手側にピアノ、下手側に扉がありその壁は白色で映写幕の代用にもなっている。

物語は、自分自身を多角的に捉えるための三面鏡のような展開に思える。もちろん第1は現在の自分自身の心との葛藤、第2は子供時代に形成された心、第3は本人とは関係ない第3者という客観的視点で見る。この3つの視点を本人の職業-作家としての行き詰まりの苦悩を本筋にし、子供時代に受けた心の痛みを脇筋として絡めて人物像を形成している。この2つが交錯し本人の妄想の世界を築いている。主要メンバーはパジャマ姿であることから一夜の出来事としているのだろうか。客観的な場面は、女子会のようなノリで一見主人公との関係性が見えてこない。一般的な情景、人間(ここでは女性を強調)であれば悩み苦しむ”恋”という普遍的なテーマを与え、自己が抱える色々な問題・課題の断面を面白可笑しく見せている。その会話を横長テーブルを炬燵に見立て寛いで観せるなど巧い。

物語としては重層的な見せ方を意識しており、その点は成功していると思う。しかし同時進行するような2分割の場面構成で、役者の演技(声量)が同じ。そのためどちらが本筋で脇筋なのか分らなくなり騒がしいだけの印象を与えたのが残念。カミーユの「分別盛り」は内なる叫びを表現しているとすれば、本公演は素直に心の葛藤を叫んで表現しているようだ。その対比のような演出は上手いが…。

一方、音楽は生ライブ(アコーデオン、ピアノ、ドラムなど多種の楽器)、同時にダンスパフォーマンスを観せることで楽しませる工夫は良かった。粗削りのような公演であるが、逆にこじんまりとした理屈の枠に収まらない自由な発想と構成は面白く、次回公演が楽しみである。
青色文庫 ー其四、恋文小夜曲ー

青色文庫 ー其四、恋文小夜曲ー

青☆組

ゆうど(東京都)

2018/07/13 (金) ~ 2018/07/19 (木)公演終了

満足度★★★★★

古民家「ゆうど」での至福のひと時。とても素晴らしい朗読劇で大いに堪能した。たまたま観劇した日、この古民家の主が紛れ込み場内がざわつくこともご愛嬌か…。

(上演時間1時間30分)A『恋文小夜曲』

ネタバレBOX

基本は朗読劇であるが、動きや音楽(歌)があることで「総合的な感覚」…聴覚・視覚という基本に加え、味覚(ゆうどの井戸水を使用した麦茶の振る舞い)、臭覚(庭の木々の匂い)そして身近での朗読という息遣いが感じられる触覚という五感をフルに刺激される好公演であった。
それでも台詞は,朗読表現の唯一の直接的な手段であり,筋や役の性格を含めて,劇的な内容がそれを通じて行われる。その意味で、この朗読劇の水準は格段に高い。

この朗読劇は、劇公演と違ってセットの作り込みは少なく、逆にこの古民家ゆうどの持ち味である和風家屋の特長を生かした雰囲気の中で語られる。第1部は大正時代に綴った恋文と女性を称えた手紙の二本立て。第2部は、吉田小夏女史の戯曲から、恋に纏わる台詞達をセレクションした抜粋劇。「詩情溢れるダイアローグとモノローグで紡ぐ、恋物語の短編集として再構成」という謳い文句通りの印象深い内容だ。

客席エリアの左手にある廊下が役者の出はけ通路、こちらからはガラス戸を通して和風の小庭が見える。客席の対面となるステージ、その上手客席寄りに別室への隙き間があり活用する。正面に床の間、いつくかの段組み棚があり小物が置かれている。そして硝子椀の中の灯りが仄かに照らす。

朗読。第1部1篇は文豪の文(ふみ)の朗読、島村抱月が松井須磨子へ宛てた手紙は、言い訳というか泣き言のような滑稽さ。第2編は女性同士の文の往還、抒情性の中に感情が潤ってくるような繊細さ。第2部は吉田女史自身の戯曲からの抜粋。劇中場面の再現という発想はユニークだが、その場面の選択(尺も含め)が難しい。劇は全編を通じて観客の感情を揺さぶっており、たとえ山場と言われる感動シーンであっても、前後関係を省略した朗読劇が聴衆の感情を刺激するだろうか、という危惧があった。結果的にそれは杞憂であった。ここでは公演-劇中の感情を同じように”刺激”するのではなく、朗読によって情景場面を”詩劇”し抒情的な味わいを出していた。

アナグロの代名詞のような「手紙(恋文)」をあえて現代に披露する。現代では同じ文字・言葉をメールという手段で瞬時に相手に送る。手軽さや料金においては手紙より勝ると思う。手紙とメールは同じコミュニケーション手段であるが、手紙は書き手の心を伝える温かさと肉筆による味わいがある。もっとも朗読劇ではその肉筆による温もりは感じ取れない。しかし、手紙を投函して相手からの返事を待つ、その一連の時間が愛おしい様な気持が伝わる好公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
夏の夜の夢

夏の夜の夢

mild×mild

新宿スターフィールド(東京都)

2018/07/11 (水) ~ 2018/07/16 (月)公演終了

満足度★★★

戯曲「夏の夜の夢」は古今東西、数多く上演されている。表現は相応しくないかもしれないが、この手垢のついたような芝居をどう観(魅)せるか。本公演は、原作を分かりやすく、熱量(パワー)を持って観せているところが魅力である。
一方、少し気になるところも…。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

まず気になるところは、役者が役柄を超えて素で楽しんでしまっているように感じた。もちろん、楽しんで演じることは重要だと思うが、脚本(訳本)に設定された役柄、人物像をしっかり立ち上げ、その人物が持つ特性に面白さがある。その上で人物にどう役者としての経験なり人柄を反映させるか。その意味で役柄を作り上げる前の役者の顔が出てしまっている俳優が何人かいたのが残念であった。

セットは、周りを工事現場で見かける黄黒色のポールのようなものを吊るし、中央は素舞台。基本的に原作同様の展開であり斬新さは感じられなかった。演出というべきか?表面的な見せ方として、登場人物を滑車を利用し吊り上げるなどのシーンがあったが、このままでは面白みがない。
物語は、森に足を踏み入れた貴族や職人、森に住む妖精たちが登場する。人間の男女は結婚に関する問題を抱えており、妖精パックの悪戯によって…。

舞台技術としての照明や音響は良かった。特に冒頭の缶、モップ等を利用したラップは聴かせるもの。シェイクスピアの原作の持つ面白さは、訳本である以上、色々な表現ができる。この物語の持つ面白さを先人の力を借用しつつ独自性を示す、という柔軟な発想がほしい。少なくとも滑車利用は妖精が飛び回るという浮遊動作へ繋げ、同時に地上にいる人間の地歩が感じられる工夫が必要だと思う。
一方、森の中という設定は、照明による陰影。幻想的で浮遊感ある演出である。その妖精が森という神秘的な場所にいるという感覚がある。それだけに演出に見合った演技力の物足りなさが勿体なかった。

次回公演を楽しみにしております。
ホテル・ミラクル6

ホテル・ミラクル6

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/07/05 (木) ~ 2018/07/10 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

4編のオムニバス、新宿歌舞伎町にあるホテル・ミラクルで繰り広げられる会話劇。もちろん多少隠微な感じはするが、全編を通じて「男・女」というよりは「人・間」の本音、心情が奇妙な感覚を以てして描かれている。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

セットは新宿歌舞伎町のラブホテルを想像させる。客席はL字型で舞台を半囲いし、ダブルベット、置台、革ソファー、少し離れた所に丸テーブルと椅子が置かれている。入口近くに浴室。ホテルという密室空間を覗き込んでいるという感覚になる。

劇は①娯楽であり②時代を映す鏡、その社会的・世相的な側面があると思うが、その両面が楽しめる作品である。場所はともかく女子会の喋りなどはリアルであり、女性ならではの特徴と同時に人間的な深みも感じさせる内容だ。一方、パラドックスの世界、現実には起こり得ないような世界を描き、社会的問題を揶揄している。その意味で演劇の醍醐味をしっかり味あわせてくれた。

物語の概要は次のとおり。
①「ビッチの品格」(脚本:岩井美菜子(劇団人間嫌い))
ありそうな女子大生のお喋り。もちろん話題は恋愛だが、男性との付き合い方の色々が性格や考え方によって違うという典型的な展開。自己の経験や考え方の違いを許容できるか否か。その濃密な会話に引き込まれる。
②「ホテル・リトル・ミラクル」(脚本:小西耕一(Straw&Berry))
ホテル営業日最後の日、部屋の清掃をしようと布団をめくると、そこには見たことがあるような無いような女が横たわっている。成仏できない女、その理由を聞く一方、若い女性の面倒を見るという虚実の間を右往左往する男の滑稽さ。それが現実の世界(社会)でも巻き込まれる悲喜劇に重ね合わせることができる。
③「カッコ悪いオトコ(悪)」(脚本:島田真吾(あんかけフラミンゴ) )
見栄の張り合いなのか、冗談笑いに包んだ本心なのか分かり難い内容。この編だけ多くの男と1人の女で描く意識の違いが何となく分かる。その意味で男と女という性が感じられる。
④「最後の奇蹟」(脚本:フジタ タイセイ(劇団肋骨蜜柑同好会))
地球最後(消失?)の時を冷静なのかシニカルなのか判然としないが、いずれにしてもジタバタしない男女の知的にして痴的な会話が面白い。ホテルという極めて緊密性のある空間で、2人以外の世界・状況を描き出すという演出が上手い。ある意味、メッセージ性ある内容かもしれない。

それぞれの作者が、ホテル・ミラクルの一室で紡がれるであろう人間の”物語”をそれぞれの感性で描く。その広角的な取り組みは面白かった。
次回公演も楽しみにしております。
Mの肖像

Mの肖像

劇団ヤリイカの会

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2018/07/07 (土) ~ 2018/07/08 (日)公演終了

満足度★★★

高校時代の友人とのルームシェア、日常の淡々とした暮らしに隠された鬱憤晴らし…不穏が積み重なり変な緊張感が生まれるサスペンスもしくは心理劇といった公演であった。
旗揚げ公演、作・演出の島ハンス女史の心情を濃密なプライベート空間で描く女2人の三人芝居である。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

セットはルームシェアする2部屋と共同スペースであるダイニングという構図である。上手側がプロのバンドマンを目指し上京したムツ(島ハンスサン)の部屋。引越してきたばかりでダンボール箱が積み重なっている。一方下手側は、先に住み銀行に勤務しているミズキ(阿部沙也加サン)で、テーブルその上にパソコンが置かれている。

梗概…2人は高校時代の友人でルームシェアを始める。入居1日目にして知らされる、衝撃の事実。ミズキはムツの前にエムという女性と同居していたが、エムは1ヶ月前突然いなくなった。実は自殺したと言う。その部屋にムツを住まわせ、ムツは気味悪がらず居続けるところにも驚かされる。さらにムツは、天井裏でエムの日記を発見し彼女とミズキの過去を知る……。

ミズキは、どちらかと言えば堅い職業に就いており休日出勤も厭わない真面目な女性。一方、ムツや亡くなったエムは芸術家肌でエムは美術系大学院に通っていた。分り難い人間性のようなものを、善し悪しは別にして職業的な外的要素で判別させる。その間にある溝のようなもの、それを自分との価値観、考え方などの相違として表現する。ミズキは何となくムツやエムを見下しており、その2人がネット上で話題になることに耐えられない。嫌悪・嫉妬・不快など自分を制御できない、自分自身を見失った感情に捉われる。同一空間に居るが、ネットという別手段で友を裏切るような行為の怖ろしさ。

劇中に出てくるエムの自画像は、チラシの袋を被ったようなものであるが、さらに多くの目が描かれている。他人を意識、気にするような示唆など、小物の利用は巧い。またムツの部屋のダンボール箱が段々整理されるあたりは、上手く時間経過を表している。
一方、現在のムツと回想もしくは日記の中のエムが島ハンスさんの1人2役であるが、その人物の違いを暗転・明転によって状況の区別をさせる。その頻度が多いことから物語に集中し難い。物語は面白いと思えるが、その面白さを引き出す工夫、演出が不足しているようで勿体なかった。
次回公演を楽しみにしております。
熊ん子リバーバンク

熊ん子リバーバンク

桃尻犬

OFF OFFシアター(東京都)

2018/07/06 (金) ~ 2018/07/08 (日)公演終了

満足度★★★★

表層は根拠が弱い敵意、その曖昧な感情を以ってして人を貶め怒鳴りつけ、暴力を振るうという理不尽な情動に思えるが…。チラシに「暴力に巻き込まれ呑まれていく人の話」とあるが、自分勝手な苛立ち、不快感、不安定という感情が日常・常識を破り奇妙な世界へ誘うようだ。その特異な世界観は、観客の好みによって評価が異なるかもしれない。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

セットは、上手側から中央にかけてソフトベンチのようなものが置かれ、下手側にはテーブル、その上に電動バイブが立っている。ここは男(1人)女(2人)の3人でルームシェアをしていたが、その関係に気まずい状況が生まれ別れ話が持ち出される。冒頭、ラジオであろうか、街に得体の知れない獣が出没し被害が出ているニュースが流れている。

梗概…看護師のサヤ(徳橋みのりサン)、その彼氏で調理師見習のミヤイ(海老根理サン)、サヤとミヤイのルームメイトのアイコ(橋爪未萌里サン)がルームシェアしているが、サヤとミヤイがあることが原因で別れ話になった。そのかみ合っているような いないような会話、そのすれ違いの意識が面白い。また別れ話からサヤの元彼クマザキやミヤイの高校時代の友人シゲルが部屋に訪ねてくる。2人の男はルームシェアの3人とはほとんど無関係であり、一種の闖入者のように描かれる。しかし、いつの間にかサヤ・ミヤイの別れ話に絡み出す。その先は奇妙な出来事が続き、実体のない世界との関係が…。

男と女の関係、女友達の関係、元恋人同士、記憶の彼方にある友達、それぞれの(物語)関係性に脈絡があるような無いような不思議な距離感を思わせる。
3人関係は心地良い時は上手くいくが一端拗れると修復不可能になるところだが、本作は何故かうまく軟着陸(解決)する。恋愛の不可解さが劇として見事に具象化されていた。その表現はポップで心地良いもの。

一方、人の本音は相手がこの世とは別のところに旅立って初めて吐露するような、そんな独白めいた姿を淡々と描く。その意味で、非現実的な状況下になって自分の曖昧な気持が分ってくる。真っ当な社会人であると思っている自分、女は感情の赴くままに暴力的な言動を男に発し快適になり、男は女の何かに目をつぶって快適さを得ていた。そして友達の彼氏と関係を持つ不自由な恋をして快適・優越を有している女もいる。

さて、チラシのモデルはサヤ役の徳橋みのりさんであるが、その手に持っているのは熊の餌でもある魚(鮭?)のような…街にいるのは人間という”獣”化もしれない。
次回公演も楽しみにしております。
蒲田行進曲

蒲田行進曲

ふれいやプロジェクト

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2018/07/04 (水) ~ 2018/07/09 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

映画にもなった「蒲田行進曲」は、今の時期にピッタリ合うような応援歌。つかこうへい作品らしい「言葉(台詞)と音響そして肉体」をもって物語の世界へ導く。本公演はさらに照明の印象付(雨の表現など)を意識し小道具の傘をもって抒情豊かに紡いでいく。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

セットは素舞台。
物語は、京都の撮影所、映画スターの倉岡銀四郎・通称:銀ちゃん(丸山厚人サン)が妊娠させた恋人水原小夏(倉地裕衣サン)を大部屋俳優の村岡安次・通称・ヤス(關根史明サン)に押し付ける。ヤスは小夏を受け入れ、どんなに無視、無理難題を言われ、足蹴にされても銀ちゃんに付いていく。一方小夏は銀ちゃんのことが忘れられず、しかしヤスの優しさと子供の将来を考えると、今のヤスとの生活も大事にしたいという複雑な気持ち。銀ちゃんは小夏をヤスに押し付けたが寄りを戻そうと…。

3者三様の思いが痛いほど伝わる情景描写は見事であった。それは「愛」と「情」という感情が混在しているようだ。自分が傷つく、一種の自虐行為に笑いを含ませる。人の本心の見え隠れ=照れ隠しが笑いと同時に哀切を帯びて見える。心情形成と同時に照明による情景描写も秀逸であった。例えば暗幕で囲った舞台、登場人物への照明諧調することで内面を、また玉模様の陰影で雨などの情景を描く。そして透明なビニール傘の照明反射効果など演出効果を計算していたようだ。もちろん「階段落ち」も見事に観(魅)せてくれた。

素舞台だけに役者の力量が試される。主要な役柄は先の3人、その感情表現が作品の良し悪しに直結すると言っても過言ではない。本作では”決め”と”容赦ない”台詞の熱量と情感、その両方とも感じ取れた。そこには差別的な情景・状況を映し出す背景がしっかり刻み込まれている。大スターと大部屋役者にある差、そこには人間である前に役者(立場)という芸事が優先する。だからヤスは銀ちゃんの言うことは何でも聞き入れる。もっとも人間的な魅力も感じてはいるが…。

差別される人々を自虐的な笑いに包み、彼らが懸命に生きている姿を描く。4月に社会人になり、ようやく生活や仕事に慣れた頃。何者でもない自分が社会で何をなせるのか。希望と不安が表裏一体。しかし自らの手と足でしっかり自分の場所を築く、つかこうへい作品全体に言えることだが、特にこの時期、何者でもない新社会人に相応しい応援歌のように思えた作品である。

次回公演を楽しみにしております。
Mad Journey

Mad Journey

@emotion

ブディストホール(東京都)

2018/07/01 (日) ~ 2018/07/08 (日)公演終了

満足度★★★★

表層は「西遊記」物語であるが、そこには悲しい別の話が隠されていた。その想いが強く吹っ切れない…それを七夕伝説も絡め抒情豊かに描いた物語。それを見事なアクションで観せる、いや衣装や照明も含め全体で魅せるエンターテイメント作品である。
物語は心の旅路のようであり、その行方は…。
(上演時間1時間45分) 【後日追記】

ネタバレBOX

気になったところだけ先に記しておく。冒頭に近い場面…孫悟空が三蔵法師に付き従い旅に出る、その旅立ちの店のシーン。このシーンは日替わりゲストによって異なるであろうが、自分が観た回は敢えて笑えを得ようとしていたような。笑いも必要であるが、公演全体を通してみればこのシーンが浮いてしまったようで勿体無かった。
緑色のスカート

緑色のスカート

みどり人

新宿眼科画廊(東京都)

2018/06/29 (金) ~ 2018/07/03 (火)公演終了

満足度★★★★

表層的には恋愛のほろ苦い思いが綴られているが、単に恋愛という男女の仲もしくはLGBTだけではなく、人間の関わりが見て取れる物語。シンプルな舞台美術であるが、役者によって情景・状況がしっかり描かれており観応え十分であった。
(上演時間1時間25分)

ネタバレBOX

セットは映写幕、その前に丸椅子6つあるのみ。上演前に部屋や電車窓の風景などが映し出されるが、それは物語に繋がる情景・心象形成で、物語が始まると映像は写さない。もっと言えば照明や音響という舞台技術はほとんど使用せず、唯一あるのは劇中のスナックで歌うシーンぐらいである。すべては役者の体現(パントマイム含む)によって描写される。

梗概…冒頭は登場人物全員が足を踏み鳴らし、苛々歩き回るところから始まりラストも同様の仕草で終わる。電車内で1人ひとりの呟くシーンは、実際の車内でも見かけるような姿。その限定空間から生まれた人間関係を軸に物語は展開する。色々な恋愛の形態、不器用、自分勝手、自意識過剰の男の都合が描かれる。主筋は同じ喫茶店で働く2人の女性の恋愛またはその前段のありふれた物語。それが芝居的な見せ方になると、男の身勝手な思い-自分はエリ-トで付き合うのが当たり前、彼女が持っている化粧道具を勝手に捨て素顔を求める男、どちらも自分好みの女性(像)になることを強要するなど-実態を無視した空虚な影が忍び込んでくる。日常ありふれた恋愛が1つ間違えば異常な、という皮肉な情景をしっかり描き出す。

感覚と意識も現代的で等身大のような物語。それゆえ感情移入して心身の内側から蕩揺されて観ていたかと言えば、少し違う。現実的な設定であるが、距離を置いた醒めた目で観劇していたというのが正直なところ。たぶん自分が男で登場人物ほどではないが、多かれ少なかれ抱いているであろう感情を突き付けられたからかもしれない。別の言い方をすれば、人間の特に男・女の間における微妙な思い、感覚に感興した芝居であった。

淡々とした恋愛物語を芝居にするのは難しいかもしれないが、その内面に潜み沈んでいる暗いものに着眼するところは見事である。
少し気になるのがラストシーン。話の流れでそういう関係になる可能性はあるが、自分ではあまりに短絡的に思えて…。人-男によって傷つけられた心を癒し慰めるのが人-女になるのか。もっと違うものに救いや希望を見出し、世界観を広げられないものだろうか。

次回公演も楽しみにしております。
Cherry Boy / Cherry Girl

Cherry Boy / Cherry Girl

どんどんチェリー

劇場HOPE(東京都)

2018/06/26 (火) ~ 2018/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★

旗揚げ公演、その意味で「Cherry =初めて」をテーマに「Cherry Boy」「Cherry Girl」の2作品を上演することにしたという。
当日パンフに、本団体は「初心者だからこそできる常識や型に囚われない思考と、新しいことへどんどん挑戦する心を常に持ち続ける」をモットーにして立ち上げたと書かれている。「型があるのが型破り、型がないのがかたなしよ」という長唄があったが、本公演、男の心情・本音が緩い笑いに包まれながらしっかりと描かれていた。その意味では、既存の型は破り、新たな型(カラッとした「エロ」が匂い立つような)を創ったような。
(上演時間2時間弱) 【Cherry Boy編】

ネタバレBOX

セットは、ファンタジーを思わせる額縁舞台。後方に簾のようなものに球形が吊るされ、浮遊感が漂う。上手・下手にBOXを連結させた置物があり、場面によって運び込まれる。このセッティングを薄暗の中で作・演出の奥田咲女史が1人で行っているのに驚かされた。この公演への思い入れが窺える。

物語は小学校時代にひょんなことから女子生徒の乳房を掴んでしまい、蔑みと揶揄われがトラウマになり、それ以降女性と付き合ったことがない。そんな30歳目前で童貞という男・花岡悟(中太佑サン)が主人公である。仕事は自宅で行い、外出の機会は少ない。女性には興味はあるが、付き合いたい女性は理想が高く現実的ではない。そんな彼のあだ名は”バベル”、そして小学生の時のトラウマの原因を作りあだ名の名付けた友人・木本康平(後藤真サン)が何とか女性と付き合えるようにサポートするが…。

男性の視点から見た女性像、逆に女性からどう思われるのか先回りして心配する姿、その純情過ぎる気持ちが薄気味悪く見える滑稽さ。また男性心理の核心とも思えるような台詞に同感する部分も多く感慨深い。男の第一印象は外見の装い、その女性の一言一言に敏感に反応する素振りが情けなく描かれる。その悟が婚活パーティで出会った女性に惹かれだした。それを契機に段々と男、というか人間的魅力が見えてくる。自覚なしの成長する過程が面白可笑しい。

物語は奇を衒った構成ではないが、それでも悟がどう変貌を遂げるのか楽しみであり、それに近い形で結末を迎える。それが「Cherry Boy」は「Cherry Girl」と連動しており、両編を観ると一層理解出来るという展開、その誘導が小憎らしい。
次回公演を楽しみにしております。
硝子の獣

硝子の獣

雀組ホエールズ

「劇」小劇場(東京都)

2018/06/27 (水) ~ 2018/07/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

犯罪、特に少年犯罪に潜む課題等を鋭く鮮やかに浮かび上がらせ、法律・正義や生きていくことの難しさを観客に問いかける力作。少年犯罪を通じて法律の不十分、不完全さ、そして少年たちを更生させることが難しい社会、現実であることを描く。同時に人間の行動の不可解さ、心の闇のようなものが垣間見える。法律で裁ききれない心の闇、そこに巣くう”悪意こそが人間の姿を借りた獣”そのものだという。
シンプルな舞台セット、心情描写のある照明、抒情豊かな音響効果など、物語の魅力を最大限に引き出す舞台美術・技術も良かった。
(上演時間1時間55分)

ネタバレBOX

舞台セットは、後方は2段差ある舞台、前方は丸テーブル2つとBOX椅子のみ。磨りガラス状の平柱がいくつかあるのみ。全体的に白っぽい配色であるが、それは照明色の効果を最大限引き出すためであろう。また磨りガラス状の柱を通る人影等の陰影も心情形成に役立つようだ。

梗概…少年犯罪の弁護を行っている弁護士・村井正義(阪本浩之サン)は妻を亡くしたばかりで、高校生の娘・あおい(中村光里サン)と2人暮らし。その娘が刺殺された。その犯人が17歳の少年であったことから、少年犯罪弁護士としての職業”信条”と被害者の父親としての”心情”の葛藤を描く。そして犯人が少年院から5年で出院(所)し、真に更生したか見極めるために加害者少年と会うが…。

被害者と加害者のそれぞれの家族の苦しみ、その原因を作った本人の状況を描くことで、犯罪という行為の虚しさ怖ろしさがしっかり伝わる。同時に弁護士という職業、それも少年犯罪を専門に扱う弁護士の立場、被害・加害という両面の心情から捉えることで偏ることなく課題・問題提起をしている。被害はむろん娘の死、加害はその家族の慰謝料支払いと社会的制裁の重圧、それが一生付きまとうことになる精神的負担である。これは犯人だけでなく家族全員に及び、個々人の幸せは望めないという。
現実的な解決は難しいのではないだろうか。その意味で本公演は観客に考えさせるような問いかけ。物語には結末があるが、このラストシーンは少しの救いと余韻が心地良い。

照明は綺麗な色彩を放つが、流線形の照射が不穏・不吉を思わせるドロッとした渦巻く感情のように思える。また音響は寂寥を思わせるような雨の音、不吉を思わせるガラスが割れるような音。どちらも可視化できない人間の心を心象として表現しているようで巧い。また夜空に輝く星々という余韻付け。
物語はシンプルなセットの中で、状況・情況説明は役者の体現によって見事に表現されていた。約2時間、舞台に集中できたのは脚本・演出・舞台技術はもちろん、演技力に引き込まれたことだと思う。

次回公演を楽しみにしております。
ダイアナ

ダイアナ

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/06/21 (木) ~ 2018/06/25 (月)公演終了

満足度★★★★

"愛”という普遍的なテーマ、それを求めるがゆえに強い衝動に突き動かされる男女3人の不可思議な会話劇。
チラシの内容から何となく幼馴染の三角関係と想像していたが、見事にそのシチュエーションは外れ、別の愛の形を観ることに…。恋愛の妙味、不可思議さが劇として見事に具象されていた。
(上演時間1時間)

ネタバレBOX

舞台は廃校して取り壊し間近の小学校内。あるのは脚立と折りたたみ椅子、そして鉄板が立掛けられているだけのほぼ素舞台。客席はL字型で観る位置によって印象が変わるか?
運命を信じた男と運命を演じた女、その2人を知る"愛と金"に縛られた男の濃密な会話劇。善し悪しではなく、いろいろな説得力に感心させられる芝居であった。

梗概…男2人は中学校までの同級生、いわゆる幼馴染である。賢一(坂本七秋サン)が優(依乃王里サン)を呼び出して話し出したのが恋愛話。いつの間にか優が近々結婚する話になり、婚約者・翔子(石井智子サン)を紹介したいという。賢一と優、賢一と翔子はそれぞれ秘密を抱え、優は賢一に懇願する三竦みの展開。本音とごまかしをブラックな笑いとビターな味わいで描いている。

物語は何となくありそうな現実と日常、夢想と幻影の境界線が曖昧になるが、人の感情はしっかり伝わる。登場人物の会話も熱に浮かされたような戯言から、常識・モラル的な気持へ変わるようだが…。
蠢き合う人間模様、廃校という寂れた場所を背景にほとばしる思いを発散させる。それを暖色照明のコントラストだけで印象的に観せる。また冒頭とラストにタイトル「ダイアナ」(日本語詞)を流し、物語を象徴させるという巧みさ。
次回公演も楽しみにしております。
コーラボトルベイビーズ

コーラボトルベイビーズ

第27班

駅前劇場(東京都)

2018/06/22 (金) ~ 2018/06/27 (水)公演終了

満足度★★★★★

家族物語と旅物語の2元中継劇のようだ。そして家族物語は、さらに子供時代と大人になった現在を往還、交錯させることで登場人物一人ひとりの内面の苦悩が明らかになり鮮烈な印象を与える。上演時間は2時間10分と少し長いが観応え十分の作品であった。
【千秋楽後に追記】

娯楽天国の“お気に召すまま~As You Like It~”

娯楽天国の“お気に召すまま~As You Like It~”

劇団娯楽天国

TACCS1179(東京都)

2018/06/20 (水) ~ 2018/06/24 (日)公演終了

満足度★★★★

本公演、劇団娯楽天国創立30周年記念第一弾である。劇団のキャッチフレーズ”人生は舞台”はシェイクスピア「お気に召すまま」に出てくる台詞”all the word's a stage”を小倉昌之氏(劇団代表)が超訳したものだという。そこで30周年記念にこの作品を上演することにしたという。
昨今、目先の利益や快楽に惑わされて大切なことを見失っているような気がする。物事を心の目で見て真偽を見極めること…シェイクスピア作品は場所・時間を越えてそのことを訴えていると思うのだが。
(上演時間2時間40分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セットは張りぼてのような簡素なものであるが、後景の幕が開くとアーデンの森。ラスト、吊るされている豆電球が点滅し幻想的な雰囲気になる。
当日パンフにしては立派な装丁のもの。そこに原作における人物相関図が載っている。

梗概…公爵は兄を追放してその地位を奪ったが、兄の娘ロザリンドは手元に置き、自分の娘シーリアと共に育てていた。他方、オーランドーは、父の遺産を相続した長兄によって過酷な生活を課されている。公爵主催の相撲大会で勝ったオーランドーはロザリンドに出会い、2人は互いに一目惚れする。
公爵から追放を言われたロザリンドは、男装してシーリアと道化を連れ、追放された父が暮らしているというアーデンの森へ向かう。オーランドーもまた、自らの運命を切り開くために兄の元を離れアーデンの森で前公爵に助けられる。オーランドーは男装したロザリンドの正体に気づかずに、彼(彼女)に恋の告白の稽古相手になってもらうが…。

喜劇「お気に召すまま」は、あれもあり、これもありという矛盾した世界。女は(男装して)男になり、いけないことを楽しむ。矛盾による混迷・混乱がドタバタとして面白く描かれる。人間は矛盾するところが面白い。機械と違って理屈や論理通りにならない、例えば恋に落ちるというのは反理性的であり本能的な行為だが、その”おめでたさ”が喜劇の祝祭性なのだろう。

人間はそもそも愚かしい存在、そう考えればシェイクスピアの多くの喜劇には道化(フール=愚者)が登場して、登場人物たちの愚かしさを指摘・揶揄している。本公演もタッチストーンという道化が登場する。
さて、何が正しくて本質なのかその判断は難しい。本当に大切なものを知る、「お気に召すまま」では宮廷を追放された元公爵が森の生活を謳歌し”この世はすべて舞台”と云うが、自分の人生を人生劇場として捉えどのような役を演じているのか自覚できれば…。儚さに尊さがあるとすれば、人生という航海(後悔しないため)の意味を模索し続けるのだろうか、そこにシェイクスピア劇の真骨頂があるのかもしれない。

次回公演を楽しみにしております。
裏の泪と表の雨_

裏の泪と表の雨_

BuzzFestTheater

赤坂RED/THEATER(東京都)

2018/06/20 (水) ~ 2018/06/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

初日観劇、公演の象徴でもあるような雨が降り、路上には長蛇の列。上演後、開幕時間の遅れを謝罪するほど盛況であった。
初演時にも観ているが、劇場が変わると印象が違って観え、改めて演劇は”生”もの、その魅力をしっかり味あわせてくれた。
(上演時間2時間強)

ネタバレBOX

舞台はお好み焼き屋の座敷、テーブル席が2組。神棚や提灯、壁のお品書などが店の雰囲気を出している。奥には窓ガラス、それを透してブロックやトタン波板塀が見える。この和の空間で不協和するようなドラマが展開する。店は大阪・西成区太子_いわゆる”あいりん地区”と呼ばれる街にある。

梗概...母が亡くなり2カ月が過ぎた。この機に店主・宮田諭(満田伸明サン)は離婚し、店も譲り念願の夢を叶えようとしていた。そんな時、両親の離婚によって離ればなれになった弟が28年ぶりに訪ねてくる。懐かしいが何をどう話せばいいのか、その微妙な距離感・ぎこちない態度・そぶりや会話が実に上手く表現されている。朴訥な話し方であるが、それゆえに滋味が感じられる。そして弟は別の意味で旅(高飛び)をしようとしていた。

初演時(ウッディシアター中目黒)の至近とは違い、上階段席から俯瞰するような距離で観た。自分の人生、40歳過ぎの男が本当にやりたいこと、そこに家族という壁?が立ちはだかり思うようにならない。一方、坦々とした暮らしにどっぷりと浸かり平穏な日々を望む妻。家族という憂鬱さを周囲の人々も巻き込んでユーモアに描く。そこには”街”という生活空間(感)が大きく影響している。
コメディであるが、底流にはこの街独特の人情(在日韓国人の登場など)を絡める。この街は嫌い、ションベン臭い街を雨が洗い流してくれる。登場する人々は実に魅力的(俚言も含め)で、その街から本当に連れて来たのかと思わせるほどである。特に邦子おばちゃん(山口智恵サン)は、そこに住んでいる典型的な人物像のようだ。

先に記した舞台美術を始め、照明・音響の演出も素晴らしかった。集合、個人(2~3人)の会話劇によって照明諧調、音響は弱いピアノの短音で雨音に重ね合わせるような効果が見事。観客に「人」と「街」の印象をしっかり刻み込み、余韻が残る公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
ムシ研

ムシ研

劇団オンガクヤマ

劇場HOPE(東京都)

2018/06/14 (木) ~ 2018/06/17 (日)公演終了

満足度★★★★

虫の観察ならぬ「ムシ研」における”人間観察”をシニカルに描いた物語。「虫」について分野ごとの縦割り研究ではなく、専門分野の横断的な研究発表という設定、そこに垣間見えて来る研究者という人間像が面白くそして怖くもある。すべては”腹の虫”のせいにする。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

セットは、中央にベビーベットのようなサークル、その周りに客席側に傾斜したテーブル。後ろには収納Boxが重ねられている。下手側にはモニターが置かれており、別室の映像が映る。中央のサークルは階下につながっている。

物語は、日本人は「虫」と特別な結びつきがある。その感覚を解き明かすため国の助成を受けて分野を横断した学際的研究プロジェクトを実施している。しかし研究者の関心や思惑もありうまく軌道に乗っからない。リーダーの御手洗(松本栞サン)は実質的なリーダーを新市氏(立川幸之進サン)に任せることにした。しかし、研究とは別のことで問題が起こり、その対処を巡って研究所は紛糾し...。

当日パンフに作・演出の中野章夫氏が研究を始め色々な事柄を示して「これは、世の中の役に立つの?」という根っこにあることが大切だ、と書いている。そして人間の本性は利己的だとも言う。物語はまさしく自己中心的な人々の集まりのようで、そこで何か成果を見出そうとすると空回りする。空回りによって、自分の行っていることの意味を深く考えない普通の人が途方もない災厄を起こす。

物事の悪化や不安定な状況によって情況不安が広がると人は保身や他者非難する傾向にあるのではないだろうか。「ムシ研」という狭い社会で、排外的な動き、他者への不寛容を誘発するような描きである。それは研究者、事務員という職種・意識区別(無視する)も内在しているようだ。

そして、問題の真偽はうやむやになり、それに憤りを覚えた人が研究所外へインターネットを通じて情報開示してしまう。そこに見えない手によって部外者の関心を引き、他者を巻き込む。いつの間にか問題解決を迫られる立場へ追いやられる新市氏の姿が滑稽に思えてくる怖さ。
学際的な共同研究は、その目的・方法等を明確にし取り組むべきだ、と主張していた男が翻弄され、人々から無視される。この先「ムシ研」はどうなるのか、各人の思考停止への警鐘のようにも思える。

次回公演も楽しみにしております。

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