ながいながいアマビエのはなし
劇団 枕返し
小劇場メルシアーク神楽坂(東京都)
2022/03/31 (木) ~ 2022/04/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
タイトルこそ「ながいながいアマビエのはなし」だが、上演時間は60分とコンパクト。その時間で描くアマビエの物語は、相当の想像力を要するが、それでも分かり難い。「人生大逆転ツアー」に参加した人々。途中でバスが故障し、何かに追われるように森へ。森の中へ行く人、止まりバスに戻ろうとする人、そんな選択から物語は始まる。
(上演時間60分)
ネタバレBOX
ほぼ素舞台。後方は暗幕、森林イメージを出すため 数か所の柱に蔦を絡め、上手に椅子2脚、下手に箱馬が2つ。
役者(ツアー参加者、アマビエ役)は客席通路から登場。バスが故障し何かから逃れるため、森までやってきたというシーン。このツアーに参加したのは、ガイドを含め8人。結局全員が森の中へ入る。人生をやり直したい、そんな期待を込めて参加したが、思うようにいかない。追いかけていたのはアマビエ兄妹、容姿はペンギンに似ている。「アマビエ」とは妖怪らしいが、その存在すら知らなかった。Wikipediaによれば、江戸時代に出現した日本の疫病封じの妖怪らしい。勿論 予言も行い、それを現代のコロナ禍に結び付ける。
ツアー参加者の挫折、苦悩、そして抱えた問題が描き切れていない。1人 2人の失敗談はあったが、表層的なもので掘り下げがない。本筋は、そのツアーに参加していた人物(女性)が、皆の記憶から欠落したこと。居た事=あった事をいつの間にか忘れる。アマビエを通して、現在(コロナ禍)の苦難も、やがて忘れ去られてしまう、を描いたものか。
ツアー参加者の中に新婚3か月で妻から離婚を言い出された男(金野優樹サン)…他人と比べる(サウナの時間)、外面が良い(妻の女友達への対応)の人物像を立ち上げる。コロナ禍でどこにも出掛けず、巣籠状態に嫌気がさした妻との気まずさ。
もう1人(飯沼誠治サン)、子供の頃の 遊び”かくれんぼ”で気が遠くなるほど数え(耐え)る。「もう いいかい」「まあだ だよ」はコロナ感染防止対策の解除を巡る動向を連想する。
コロナ禍を揶揄したような内容だが、描き方が表面的で深堀出来ていないのが残念。またアマビエの存在感(特に兄)はあるが、予言できるだけという役割に物足りなさ。森に逃げ込んだ8人のうち3人を取り込んで喜ぶ、その意味は何か。
ラストは、ツアー参加者夫々が地に足をつけ、前向きに生きていこうとする予定調和。もう少し捻りがあると印象に残ると思うが…。
次回公演を楽しみにしております。
風がつなげた物語
グッドディスタンス
新宿シアタートップス(東京都)
2022/03/31 (木) ~ 2022/04/06 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
「珠子が居なくなった」…可笑しみの中に、じわっとくる温かみ 滋味ある好公演。お薦め。
前作「風吹く街の短篇集(第五章)」の「朝、私は寝るよ」は55分、二人芝居で素晴らしかったが、この公演は少し時間軸を長くして、家族の物語を紡ぐ。
常識という概念からズレているような主人公・珠子の思考や行動、それに振り回される周囲の人々の可笑しみ。表層的にはシニカルな感じもするが、ラスト 父との会話によって滋味溢れる物語へ変転させる上手さ。珠子も その家族もどことなく変な人達だが、全否定できない微妙な感覚のズレを見事に表している。少し変わっている家族に対し、珠子の夫を常識人(対比)として描くことによって、一層変なズレを際立たせる。家族であるが、家族になりきれない夫の歯がゆさ、苛立ちは観客の共感を得るところ。しかし家族には家族にしか分かり合えない絆・繋がり、そして歴史がある。それがラストシーンに…。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台セットは、二段平行構造で場所の違いを表す。一段目は珠子の実家。二段目は外の光景で、バス停(「月と座る」のモチーフ)であり温泉旅館の一室。実家の上手には炬燵、下手にはダイニングテーブル・イスがある。時間も並行に流れる演出の妙。時々、状況を説明する字幕あり。
物語は、ずいぶん前に家出した母が孤独死をした、その葬儀の日から始まる。父(モロ師岡サン)は自失なのかどことなく所在なげで、食事の心配をする。三人姉妹の二女(既婚)・珠子(ししどともこサン)は、母の遺骨と遺影を放さない。出前を取ることにしたが、なかなかカバンから携帯電話や財布を取り出せない滑稽な姿。ここに作劇の意図を籠める。父は葬儀の翌日、〈定年〉退職を迎える。寝付けない父、長女(田口朋子サン)、三女(鈴木朝代サン)がいけないんじゃない、と言いつつ駄菓子やコーラでプチ宴会。そして乾杯(父の定年)いや献杯(母の冥福)といったどちらが大切かの言い争い。一方、珠子は夫(益田恭平サン)と共に遺骨を持って自宅へ帰ろうとバス停へ。夫がタクシーを探しに行った間に出会った男(若狭勝也サン)と…。
珠子が居なくなっても、心配しない家族。小さい時から変わり者。小学生の時、学校に牛乳びんを投げ停学!になった。少しくらいのことでは驚かない。夫は、そんな家族にイライラを募らせる。捜さないのは、非常識なのか?噛み合わず漂流するような会話の可笑しさ。台詞というか言葉の妙を至る所に散りばめ、会話劇の面白味を引き出す。
珠子は親(母)離れできないのか。自分が幼い頃、家出をして結局帰ることなく、孤独死をする。可哀そうという気持、一方 妹(三女)は自由に暮らせて幸せだったと言う。同じ姉妹でも母への想いは異なる。なぜ珠子は居なくなったのか、直接的には夫への欲求不満のようであるが、自分の生(存在)の確認のように思える。母から、父は男の子を望んでおり、珠子の誕生は喜ばれなかったと。三女は堕胎して、とまで言ったそうだ。しかし、父は野球が好きでキャッチボール(別シーンで車のキーのキャッチ伏線?)がしたい、そんな単純な願いだった。遥か昔のこと、母は亡くなり本当のところは分からない。そこで父がとった愛情表現が切ない。
さて、珠子は戻ってくる。夫は詰るが、家族はホッとし「お帰りなさい」ではと、逆に夫を非難する。珠子はひょんなことで骨壺を壊してしまい、それによって母から解放されたような。居なくなったのは、母の思いと行動に重ね合わせたかった、かのようだ。逆に母は登場しないが、珠子を通して母親像が立ち上がってくるような面白さ。
物語が寄り添ってくるのは、定年〈諦念か〉で時間を持て余す「父親がボケ始めた」の台詞。行く所は母と出会った「バス停」だけという悲哀。そんな父親の面倒を見るのは誰か。一方、父親は「子供には迷惑をかけない」、施設への入所も考えている。面倒を見ることを嫌がる長女を三女が非難する。身近に聞く話、それを会話に取り込み観客の共感を誘う。
役者は、夫々の人物キャラクターを立ち上げ、バランスも良い。特にモロ師岡さんの飄々とした演技が、可笑しさと滋味の両方を巧く表現しており、公演の印象そのもの。
次回公演も楽しみにしております。
片生ひ百年
ハコボレ
新宿眼科画廊(東京都)
2022/03/26 (土) ~ 2022/03/28 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
落語と芝居…第漆回ハコボレ落語研究会公演。お薦め。
今まで王子の劇場(現在は佐藤佐吉演劇祭開催中で劇場確保が難しい?)で聴き観ていたが、今回の小屋は新宿眼科画廊(スペース地下)である。落語噺は「紺屋高尾」で、舞台は江戸時代の不夜城であった“吉原”、それを現代の不夜城”新宿”で上演する。
藍 染職人が 会い たい思いを貫き 愛 を実らせたという噺。サゲは「<秘密>観て確認してほしい」であったが、芝居へは早染めの「かめのぞき」(バレ噺<下ネタ>)ではなく、その穴を覗き込んで観た あの世とこの世を繋ぐ「香」から始まる物語へ。調香職人・リンネの語りを抒情的に描く。公演は「香」を強調、もちろん嗅覚への刺激、同時に「時間」や「色香」といった物語の重要な要素を連想させる上手さ。勿論、落語噺と劇演技は見事!
卑小だが、落語噺は情感たっぷりに聴こえたが、芝居は少し急いだのか台詞が聞き難かったのが少し残念。
(上演時間60分)
ネタバレBOX
舞台セットは、高座、その前(客席との間)に三途の川又は殺生後の白残骨のようなもの。また所々にロウソク、名物裂(敷物)のようなものが舞台と客席最前列に敷かれており、 あの世と この世を表しているようだ。これによって三途の川のような隔たりが活きてくる。簡素だが世界観を表すため、よく考えられている。
落語は まくら<ここで羽織を脱いで>、本編(噺)、オチという基本のスタイルで演目「紺屋高尾」の恋愛成就を聴かせる。芝居は一転、悲恋もの。高尾太夫は吉原での源氏名。落語はその5代目、芝居は2代目の「反魂香」へと関連付ける。また両想い、片想い(片生ひ)という対になる構成でもあり巧い。
2代目高尾太夫は伊達藩主によって、嫉妬の挙句斬殺されたという内容。高尾と恋仲だった男…落語「死神」を連想させる命の灯、そこに吉原遊郭の遊興「香」=「時」を関連付け、あの世とこの世の間<ハザマ>で彷徨する。芝居は、男と死神らしきものを一人で演じるが、袖口を引っ張る仕草などで<男以外>の造形を立ち上げる。その演技は臨場感があって上手い。
舞台美術、落語噺、芝居内容を緊密に繋ぎ表現した公演、実に見事であった。
敢えて言えば、芝居の台詞が急ぎ足になり聞き取り難かった(自分の耳が悪くなった?)。上演時間1時間に拘っているのか?今まで観た公演は、「はこづめ〈東京〉」以外は、全て1時間前後だった。
次回公演も楽しみにしております。
彷徨いピエログリフ
9-States
駅前劇場(東京都)
2022/03/25 (金) ~ 2022/03/28 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
観応え十分。お薦め。
自分に引き寄せず、公演の世界観にどっぷり浸りたい。しかし正義とは何か や情報配信等の要の問題については、自分で考えることが大切。それは終盤の違和感、もしかしたら観客に委ねた結果のようにも思えるから…。
ネットニュース配信を行っている、大手出版社の子会社が舞台。新人記者の成長を通して描いた「誰のためなのか、正義の情報」とは何なのか、多角的視点で捉えた骨太作品。よく言われる 真実は一つではないが、事実は一つ。物語は、多くの主観や客観(事件)を通して、伝える上で大事にしたいことを浮かび上がらせる巧みな構成。また関係ないような描写が、実にさり気なく挿入され、成長する姿を映し出す。
子会社でネットニュース配信会社という設定の妙、さらにサスペンスミステリーといった描き方が観客の興味を惹きつける。ただ先にも記したが、終盤はそれまでの「理」の世界が「暴」へ一転する、その荒い展開が少し勿体なかった。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台美術は編集部内、真ん中に大きなテーブルと椅子、周りに3か所作業スペース。そのオフィスを白枠(飾り棚のよう)で囲み、スタイリッシュな雰囲気を漂わす。上手・下手に別スペースを設え、外の世界とも地続きを表現。
冒頭、主人公・杉野くるみ(松木わかはサン)が、編集長・四天王寺正志(小池首領サン)にSDG’sを思わせる環境問題(汚染処理)に係る記事配信を申し出たが、却下。時勢に合ったテーマのように思われるが、後々、この街に住んでいる親子が編集部に現れ説明する。街で暮らしていく上で必要な施設。住民にとって暮らしを支える存在である。くるみと親子、どちらも真実であろう。鳥のように空を舞い、(大局的)なところから見ても、地を這う虫(現地)が見えないこともある。その土地ならではの問題と全国的な視点/捉え方では異なる(原発も同様)。
一方、15年前の轢逃げ事故に関する訂正記事を求めて、1人の青年が編集部へ。警察官が飲酒運転で事故死させたもの。記事を書いたのが、まだ出版社にいた頃の編集長。この記事によって飲酒運転の減少にも繋がる社会的な反響大。物語の本筋はこちら。
先輩から取材方法や資料のまとめといった、一見雑用に思えることを押し付けられるが、そのことが書く(配信する)上で大切なことが解ってくる。物語は くるみの記者としての成長を通して、主観的な考え、客観的な物事の捉え方を巧みに観せる。
先の汚水問題は脇筋で、くるみの取材不足、資料の読み込み不足(自分でも、まとめるのが遅いとぼやく)といったことをさり気無く描き、本筋へ巧く誘導する。脇筋を深追いすると話が散漫になり、描きたい事が暈ける。構成はサスペンス/ミステリィーの様相を成しており、15年前の記事の訂正を巡って、加害者・被害者の真実と事実の解明といった展開に興味を惹かせる。ちなみに記事は「~らしい」といった伝聞で、責任追及されないような逃げ道を用意している。そこに出版社という紙媒体と配信という微妙な違いを表す。
終盤は、くるみが編集長と互角に議論出来るまでに成長した姿を観せる。しかし、ラストの「理屈」ではなく狂気の沙汰といった、破壊するような展開に違和感を覚えるのだが…。敢えて理屈的なことはまとめず、観客に委ねたのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
本気の本読み!ビブリオライブ
本気の本読み!ビブリオライブ
NOS Bar&Dining 恵比寿(東京都)
2022/03/26 (土) ~ 2022/03/26 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!
観客が参加(質問)する場面もあり、終始 観客目線(気を逸らせない)での運営が良い。植松愛さん(プロデュース)と ガクカワサキさん(演出)の進行で、朗読者4人が登場。2人による2作品の朗読劇+α。打ち合わせなしの本番(ガチンコバトル)ということもあり、全員が緊張している様子で、観客もワクワク ドキドキといった気分。とは言え、観客は昼時ということもあって軽食とドリンクで和み、会場・客席側はリラックスムード。
(上演時間1時間30分 植松さんのサービス?もあり15分ほど延長)
ネタバレBOX
飲食店(NOS Bar&Dining 恵比寿)を劇場代わりに使用していることから、本来の舞台装置はない。1テーブル4人席であるが、2人席とし間をアクリル板で仕切る。モニターの前、上手側に進行役の2人、下手側に朗読者4人が座り、真ん中にハイテーブルとスツール2つ。2人づつ登場し、真ん中で朗読劇(脚本は2作とも菱沼康介サン)を始める。
1本目「THAT’S 衝突」
(行平あい佳サン、森谷勇太サン)
岡山県の山を越えたコンビニ 煮尾古店にコーヒーを買いに出かける。深夜3時、最寄りのコンビニまで車で10分かかるが、その走行中の会話と正体不明の…。舞台化よりは映像向きの作品の印象。
2本目「いききれない二人」
(鈴木太一サン、レノ聡サン)
深夜、ある9階建てビルの屋上で自殺しようとしている男、その男の次に自殺しようと順番待ちする男。はじめの男が躊躇し なかなか自殺できず、いらいらする次の男。2人は見ず知らずだが、偶然にも役者と演出家。自殺出来るようなシチュエーションを考えるが…。こちらは、完全に舞台向け作品。
エチュード(即興劇)や ある場面設定で役柄の上下関係を表現する寸劇、舞台(演出)の面白さを堪能させる。観客は自分が演出家だったらどうするか、と言った観点で見ると面白さが増す。ちなみに、2本目の読みの中でアドリブが少しあった。観客から本読みの段階でアドリブがあるのか と言った質問が出た。映画と演劇では違うようだが、実に丁寧な説明があった。
また、このような企画を楽しみにしております。
石を投げる女がいて
ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)
2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
観応え十分、お薦め。
物語はストーンハウスという場所を中心に、そこで働く(中心)人物が次々に変わり不安・不穏をおびて展開していく。足(許)を掬われる得体の知れないもの、それは噂・憶測・中傷といった実態がつかめない不気味さをもって描く。
都・邑、企業的(組織)か家族的(仲間)といった違いを背景に、人の情実を上手く絡めて物語の中へグイグイと引き込んでいく。本公演の魅力は脚本の 力が凄いところ。
(上演時間2時間30分 途中休憩なし)
【GR<グランドロマン>チーム】
ネタバレBOX
舞台美術は手前と奥、そこに橋が架かるよう行き来できる路。所々に木々があり森の中を連想させる。後景は黒幕、時々開閉することによって、別の場所ーパワースポットの存在を表す。上手・下手にも別の場所があり、物語の進行を促すシーンを挿入する。上手は、ストーンハウスを盗撮する男。下手は村人の語らい場。
森の中にあるロッジ、一時は賑わっていたがオーナーが亡くなり現在は使用していない。オーナーの娘・みずほ(石井澄代サン)が大学時代の友人・薫(天笠有紀サン)に貸し、薫が数人の仲間(全て女性)とストーンハウスを立ち上げた。顧客のニーズに添った商品作りをしていたが、経営は伸びず、大阪のアクセサリーショップと経営提携する。しかし市場・競争原理を強行され、薫ほか創業メンバーが退職に追い込まれる。残ったメンバー(第一次加入組)の美月(糸原舞サン)が逆にショップの詐欺まがい商売を糾弾する。が、この地のパワースポットを利用し、第二次加入組の音(上村愛サン)を中心に、石に神がかり的な力を備え商売を始めた。本当にそんな力があるのか疑心暗鬼な美月は経営能力・部下からの不信で失脚。
一方、暴力を振るう恋人から逃げてきた女、遭難しかけた男がストーンハウスのメンバーと思惑などが絡み、人間関係の歪さを増幅させる。さらに村人達からは怪しい集団と見做され、迫害を受け出す。八方塞がりのストーンハウスの行方は…。
戦国時代の下剋上を思わせる様相。そこは現代版として、ちょっとした行き違いや誤解が大事(おおごと)になることで説明。勿論、悪意を込めた作為も潜む。同時に、表面的には逆観点が想像出来ない巧みさ。例えば、美月が みずほ に懐妊祝いとしてストーンアクセサリーをプレゼントしたが、流産した途端、この”石”のせいだと豹変する。人の感情の揺れ、そこを微妙な設定で鋭く突く面白さ。
終盤、村人・逃げ込んだ女の恋人などがストーンハウスのメンバーに詰め寄る場面は、双方の主張が際立ち、今までの もやもやした思いが整理されていく。人々の感情を理路整然と説明するのではなく、状況や情況を通して食い違いが解ってくる。それでも、家族にしてみれば胡散臭い商売、もっと言えば新興宗教に嵌ったのではと不安になる。ストーンハウスという仲間、その中での対立、さらに地域(村人)や家族といった部外者を巻き込んで実態が掴めない”何か”を実に上手く表現した、一種の心理劇のようだ。
公演の心象付けは音響ーー上演前は鳥の囀り、微風や強風が 和らぎや緊張として風景に溶け込む。もともと都会生活、競争社会とは違う環境を求めたのに、やはり人間関係に翻弄される。興味深い内容であった。
次回公演も楽しみにしております。
赤き方舟
風雷紡
小劇場 楽園(東京都)
2022/03/19 (土) ~ 2022/03/21 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
観応え十分。上演時間こそ、この劇団にしては短い方だが、内容的には力作。
芝居屋風雷紡らしく歴史的事件を通して現代にも通じる問題、その理不尽を骨太に描いた作品。物語は連合赤軍の事件ー山岳ベースを外観に装いつつ、底流には不平等、特に女性蔑視を中心に鋭く指摘・糾弾する。弾丸は重く深刻、だからこそ観ている者のハートを射抜くのである。
さて、公演の外観を成す連合赤軍のことは、生半可な知識では書けないが、描きたかった芯の部分は十分伝わる。同調しなければ生き残れなかった同志・仲間、しかし 本当は他人がどうであろうと自分で考え行動する信念がなければ、いつの時代も生きられない、と思わせる。
因みに映画「実録 連合赤軍あさま山荘への道程」(若松孝二監督)は、3時間を超えるが概要は分かるかも…。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
舞台美術は、ほぼ素舞台。後方に暗幕があるだけで、演説時に箱馬が置かれる。また劇場の中央にある柱に布幕・縄が巻かれ山岳イメージと国外ーパレスチナという地理的違いを演出する。全体的に薄暗く、重苦しい雰囲気が漂い、観客に緊張感を強いる。
タイトル「赤き方舟」から「ノアの方舟」を連想するのは容易であろう。方舟には全ての番(つがい)を乗せること。その「全て」に平等性があるのだと言う。
物語は連合赤軍の足跡(そくせき)を描いているが、芯は(女性)差別を強調しており、冒頭から問題提示する。重信房子(前澤里紅サン)が生まれたときに父は女の子でガッカリした。後々分かるが、重信、遠山美枝子(吉水雪乃サン)、永田洋子(増田さくらサン)はヒジャブ(中東諸国の宗教的意味合いは別)を覆い登場する。また雑誌「an・an」を持ち、ファッションに関心があること、化粧をすること、長い髪などが、殊更 女性を表すと批判される。男性だけではなく、遠山美枝子は同志で同性である永田洋子からも嫉妬・虐め・暴力を受けることになる。それが山岳事件-総括シーンとして描かれる。その前段で永田洋子は奇麗ではないーお姫様ごっこの遊びに入れてもらえなかった悔しさ。連合赤軍の活動においても お茶汲み、雑用といった差別を描き、今の時代にも蔓延る不平等をしっかり語らせる。
山岳ベースでの残虐さ・・同調圧力によって理不尽な行為を誰も止めることが出来なくなる。歪んだ理屈が人を支配する怖さ。それは半世紀前の連合赤軍事件当時よりも現代の方が怖いかも知れない。インターネットを通し同志・仲間でもない見ず知らずの人々からバッシングされる風評・中傷の方が遥かに恐怖。例えばコロナ禍にあったこと等。
不平等・理不尽なこと、今の世の中で当たり前と思っていることが、将来の人々からどう思われるのか。1970年代ー70年安保闘争、ベトナム反戦、さらに全共闘の「東大安田講堂事件」など学生運動が盛んでテロ・ゲリラへ転戦した。現代から見た当時と同様、将来(例えば50年後)の人から見た2022年はどう見えるのだろう。「世界を変えたいと思っていた」ことは、真に正しい行動であったのか。その命題を現代人の喉元に突き付けた、と思う。
次回公演も楽しみにしております。
「震災演劇短編集」宮城・東京ツアー
Whiteプロジェクト
こまばアゴラ劇場(東京都)
2022/03/18 (金) ~ 2022/03/21 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
Whiteプロジェクトは、2011年東日本大震災の年、演劇による心の復興をめざし「被災地の想いを演劇で世界へ」を合言葉に結成されたという。
2万人以上が亡くなり、いまだ2,500人以上が行方不明、故郷に帰れない人が何万人もいる。その方々に寄り添うような素晴らしい公演であった。家族を失くす悲しみ、それを乗り越えて生きよう、生き続けようとする力強さを感じた。
観たのは、Requiem三部作「前夜」「海月と花火」「ニライカナイの風」…それぞれ趣が異なるが、底流には 勿論「鎮魂」が描かれている。
(上演時間1時間10分)
ネタバレBOX
短編集3話は次の通りで、実話をベースに創作している。東日本大震災で亡くなった方々のことを忘れないこと、その人々のことを語り継ぐことが大切。そんな思いを強く感じさせる3作品。しかし、けっして暗く沈んだ物語ではなく、亡くなった方々の思い出の中に、優しく滋味溢れるエピソードを挿入し、生き残った人々が寄り添えるような物語にしている。だからこそ、多くの人に共感と感動を与えるのだと思う。
「前夜」
震災で婚約者を亡くした男・濱田博幸(五浄壇サン)と婚約者の妹・櫻田早雪(恋宵サン)。2人が愛を育み結婚する、その前夜と震災前夜が重なる。早雪はもし姉が生きて帰ってきたら…。彼女の気がかりと男の 死んでしまったさ、という諦めと優しさ。テーブルには早雪の亡くなった両親と姉の似顔絵。結婚式には陰膳として用意しようとする2人の心遣い。両親・姉を偲び暫し話し込んでいるうちに、結婚式当日を迎えてしまう。
「海月と花火」
ベンチに腰掛ける女性2人。ここは 仙台うみの杜水族館クラゲの水槽前。後景の黒幕に白っぽく揺らぐ影がクラゲを思わせる。高校のソフトボール部のエースでオリンピックに出場した女(フラッシュ智恵子サン)とその部のコーチだった男の叔母(西澤由美子サン)。いまだに行方不明の男の取り留めのない話を続ける。叔母は教師でもあり、2人の思い出話は尽きない。特に食事…そこに生きてこそ という力強さを感じる。
「ニライカナイの風」
男(井伏銀太郎サン)が1人、椅子に座り灯篭に絵を描いている。男は潜水士の資格をとり、津波で行方不明の妻を自分で探すタクシー運転手。震災後初めての みなと祭りの夜、流し灯篭に想いを込める。ラストは、「前夜」「海月と花火」の人物も登場し、花火の打ち上げを観ている。照明効果で場内いっぱいに花火が広がる見事な余韻付け。
井伏銀太郎氏がカーテンコールで、公演の数日前に東北地方で大きな地震(震度6)があり、上演が危ぶまれたことを話した。本当によく上演していただいたと感謝しかない。
次回公演も楽しみにしております。
カトラリ
現ア集
ART THEATER 上野小劇場(東京都)
2022/03/20 (日) ~ 2022/03/21 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
初見の団体。
「シアターグリーン学生芸術祭や道頓堀学生演劇祭での受賞経験のある劇『かけっこ角砂糖δ』のメンバーを中心に結成された団体」ということで、学生演劇団体としては実績があるようだ。過去には、達磨だらけの銭湯、ゆで卵製作機設置済みアパート、常に移動する町工場、機械じかけの神社などを上演してきたらしい。
本作は「交番」が舞台。警官3人コントのようだ。取り留めのない会話が1時間続くが、クスッと笑わせる小劇にして笑劇的な公演。しかし、全体的に単調で会話が漂流しているのか止まっているのか判然としない。過去公演は観ていないが、タイトルから非日常空間のように思えるが、今回は交番という現実(現場)、その中でどう会話を面白可笑しく転がせるか。確かに笑えるが、インパクトが弱い。そういう劇風かもしれないが…。見所は説明にある「規律」と「リズム」、それをもっと強烈に!
(上演時間60分)
ネタバレBOX
舞台美術は、交番内ーー奥からカウンター・机・ロッカー等が配置され、雰囲気は伝わる。上手のカレンダーは2022年3月だが、台詞は夏だったような。
物語は1人が交番内で報告書を書いており、パトロールから帰った2人を交えて雑談が始まる。いつも見かける人がいなかった、いや、それは昨日のことだ…記憶がチグハグする。1人がパトロールになると膝が痛くなると言い、他の1人が心理的なことかと応ずる。また注意喚起のため指差し確認をするが、その後の行動に繋がらない。忘れないために、予約アプリを利用しているが、何を予約したか忘れる。本来の目的を果たせない間抜けな悩み。その間に近所の人(登場しない)から騒音についての謝り、落とし物が届けられるという部外者(第三者)も登場させ、空間の広がりを観せる。
間違いをしないための手段・行動、それを一般人に比べて厳しい規律が求められる警官(交番)を通して描く。ところが、大切な行動が伴わない危うさが露呈する可笑しさ。極めつけは、事態が発生しても自分たちは動かず、マザーポリスのモニター指示によって小型ロボットが出動する。言動不一致なところに面白さを表す。
終盤は、落とし物を届けた人物を巻き込んでのストリートミュージック、肩たたき、鍋裏、ダンボールへの打突で盛り上げる。しかし、盛り上げたままアッサリと収束してしまい、印象が弱い。
せっかくのセンスある会話が生きてこない。例えば、騒音を謝った人が、逆に音楽が「うるさい!」(声だけ)といった注意をする。そんなシュールな展開があれば、「規律」にも結び付くと思うのだが…。
次回公演も楽しみにしております。
Oh my STARS!
むさしの芝居塾
武蔵野芸能劇場(東京都)
2022/03/19 (土) ~ 2022/03/21 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
全員が善人、だから自己主張が苦手な主人公・関口雪乃は困ってしまう。夢は童話作家になること。何度も懸賞応募をしているが、世の中そう甘くはない。そろそろ見切りをつける時が来たようで、何か理由を付けて夢を諦めて、現実と折り合いをつけようと…。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
舞台セットは、中央にアパートのドアに見立てた衝立があり、上手が外、下手が室内。室内は引っ越しの最中で、荷造りダンボールが積まれている。全体的に簡素な作りで、演技中心の公演である。
関口雪乃は、7年住んだアパートを引き払い実家に帰る、その引っ越しの準備中。上京する際、母は言った。「夢が一つ叶うと星が一つ生まれるのよ」。私も星を生みたかったが…。そんな雪乃の前に現れたのは、ジョウロから出てきた自称”ジョーロの精”だった!何でも望みを叶えるという。雪乃が望んだものは…。
何でも相談に乗る大家・日向花、商売(生命保険の勧誘)もあるが、何かと気にかけてくれる糸巻真紀、引っ越し業者を値切る島崎茜、オカマ風の郵便屋は、自分たちの良かれと思うことを率先して行う。全てが善意の行為であり、雪乃は断れない。何となく居そうな人物が、周りに振り回される様子が面白い。母(祥子)の病気、その面倒を一身に看る姉(七海)、その現実も突き付けるが、皆が夢を叶えることを願っている。ただ、ご都合的な展開ではなく、もう少し波乱を起こし、物語に深味と興味の引(惹)き付けがほしい。
物語は、単純明快で分かり易い。夢を叶えたいという思いを淡々と描くが、ハートフルコメディという謳い文句であれば、繰り返しになるが、もっとハラハラドキドキ感を盛り込み、観客の心情を揺さぶってほしい。ラストの星空の演出は美しく余韻を残す。
次回公演も楽しみにしております。
OM-2×柴田恵美×bug-depayse『椅子に座る』
OM-2
日暮里サニーホール(東京都)
2022/03/17 (木) ~ 2022/03/19 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
タイトル「椅子に座る」であるが、冒頭、観客を立たせての観客参加型はどうなのかなぁ。
さて、OM-2×柴田恵美×bug-depayseのコラボ公演であるが、共通して描いているのは「人」であり、もっと言えば「生きる」である。「異端」=「自分の存在」を切り口に「椅子」という物を使用して表現しようとしているが、一部字幕があることによって、視覚をそちらに奪われた感じだ。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは競演によって異なる。
100㎏を超えるパフォーマンス/佐々木敦さんの宮沢賢治の心象風景。幾つかの小道具ー椅子、旅行鞄、傘がある。教材として「公演にあたって」という20ページもの冊子を配付し、観客にその一部を朗読させる、という実践講座付きである。教材に宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」や構成演出の真壁茂夫氏が書いたもを含め、再構成したと書かれている。またNHK番組「宮沢賢治銀河への旅~慟哭の愛と祈り~」というドキュメンタリーで彼への印象が違ったと、そして彼の生き方にOM-2の在り方と共通する部分があるような気がして、とある。ドキュメンタリー番組を見ておらず、真偽は分からない。あくまで表層的に観た公演から…。
さて、宮沢賢治が同性愛者という内容であるが、真偽は分からない。佐々木敦さんのパフォーマンスからはその片鱗さえ窺えない。身悶える様な狂おしさ、逆に大地を力強く踏みしめる足音、無声の身体表現の中に宮沢賢治の人生・世界観という内面を表出しようとする。始めは椅子に座り、だんだんと立ち上がってのパフォーマンス。側面の壁には人影が妖しく蠢く。後方 上部に字幕を映し場景説明。味気ない演出にも思えるが、一方スーパーボールや紙吹雪を降らせる情景描写というアンバランスが気になる。音楽は、共振・共鳴など響くもので心を揺さぶる。
吠える孤独、狂気…異形をもって概念を破壊する障碍者の俳優/野澤健さん。後方 横一列に置かれた椅子に出演者が座り、中央に旅行鞄。野澤さんは宮沢賢治の同性愛者と言われた保阪嘉内を連想させ、虐められているような。しかし同性愛という「異形」に止まらず、弱き者たちといったー当時も今も変わらない市民(宮沢賢治の時代であれば農民か)に思える。野澤さんの椅子は、その足代わりにもなる車いす。そこから降り(離れ)た姿、赤く塗られ(染まっ)た顔が痛ましく慟哭しているよう。「銀河鉄道の夜」のカムパネルラでもある。音楽は郷愁を思わせるもので余韻付け。
柴田恵美さん率いる舞踏集団。ダンスという観(魅)せる演出の中に、「生命」を表したパフォーマンス。横一列に9椅子を配し、ダンサーが椅子に座り、転び落ち、床を転げる。その繰り返しをしつつ少しずつ変形していく。横並びは人間というか命の平等性を感じる。同時に一人ひとりのダンス・タイミングは異なり個性を強調。プリエの表現ーー後ろを向いたまま椅子に手を付き、床をストンプする力強い足音は、(コロナ禍)生きていく を表現しているようだ。また後・横(転がる)・前を向いた姿は、過去・現在(苦悩等)・未来を観る。和太鼓の音楽もマッチしており印象的だ。
宮沢賢治の小学生時代の成績は相当優秀だったらしい。本公演も当日パンフ(冊子)に成績表があり公演採点するようだが…。
次回公演も楽しみにしております。
What's your destination?
遊々団★ヴェール
TACCS1179(東京都)
2022/03/17 (木) ~ 2022/03/21 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
観応え十分。ハートフルコメディ風作品で、コロナ禍の今だからこそ観たい! お薦め。
強雨にも関わらず満席。中には小学生らしき子供連れの親子もいた。描かれているのはズバリ家族愛、特に母親との絆を強調している。場内に入ると、アッと驚く舞台セット、何を表しているのか一目瞭然、そして開幕して役者が舞台通路から現れた途端に、その世界観が一瞬にして解る。
2018年に上演した作品で、いつか再演したいと思っていたらしい。なるほど、多くの人に観てもらいたい作品というのも肯ける。
(上演時間2時間強 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは、真ん中を少し開け、階段状に上方に向かって2列づつ並んでおり、客席側に大きなハンドルがある。そぅバス車内の光景である。全体は白い敷物で覆われている。役者は客席通路を使って登場するが、7人が喪服で他の7人が私服。一瞬にしてこの世ではないことが解るが、まだ三途の川を渡っていないことから、あの世とこの世の間(ハザマ)らしい。白い敷物と黒い喪服が、何となく鯨幕のように見える。因みに六道バスという名。客席は3方向(コの字型)、正面とバスの両側面からの観劇。
チラシに書かれている人々は、何らかの理由で亡くなったが、その記憶がない。このバスは六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天道)で、生前の業(ごう)に従って死後に赴くべき六つの世界。喪服の名前は小獄、鬼瓦、畜場・我修院・間・天音で、夫々が亡くなった人を自分たちの世界へ導くために派遣されている。亡くなった者は、どこへ行くのか選択を迫られる。そこで生前の己の行いを一人ひとり回想(御霊観)していく。自分の人生(行い)を俯瞰することで、生前気付かなかった事が見えてくる。
共通して、自分のことを いつも思っている人ーー母との関係が浮かび上がる。あまりに身近で当たり前な存在。しかし切っても切れない母子の絆が切なく悲しい。一人ひとりの人生を通して、今(コロナ禍)を考える公演。離れ離れで暮らしている肉親、移動もままならない環境下で、せめて思いを馳せることが出来ればという気になる。コロナ禍以前に上演された公演だが、地続きで 今こそ大切な人を思う、というピッタリの作品。
演技ーーキャラクターを鮮明にし、人物描写を少し誇張する。何となく類型化した人物像を立ち上げることによって、観客の共感を誘う観せ方。先の死んだ者、六道からの使い以外に、六道への案内役・六花(矢治美由紀サン)の明るい天然ボケ風の演技、運転手役・地蔵(中村雄三サン)は台詞が少ないが、温かく滋味溢れる表情が良い。このバスツアーの行先(六道)への落ち着かせ方は巧みで、逆に六道に合わせた人生行路を描いているとも言える。ラストシーン…死への旅路であるが、同時に生への力強さを感じさせる清々しさ。7人乗っていたのだから、おのずと結末は知れよう。
次回公演も楽しみにしております。
リムーバリスト―引っ越し屋―
劇団俳小
萬劇場(東京都)
2022/03/12 (土) ~ 2022/03/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
説明で気になっていた伏字はだいたい分かった。ところが、今度は何故「リムーバリスト ー引っ越し屋ー」というタイトルなのか。確かに引っ越し屋は登場するが、多くは語らない。表層的には、暴力と隠蔽、貧富格差、愛憎と崩壊といった嫌悪内容を、圧倒的な迫力(演技)をもって描いている。嫌悪の中心的人物・シモンズ巡査部長は、その地や環境にいることによって得た権力であり、それを背景に やりたい放題の悪行が透けて見えてくる。人は一度権力という甘い蜜を味わうと感覚がマヒするのだろうか。1970年代 オーストラリアが舞台であるが、現代日本にも通じるところがあるような…。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
回転舞台。冒頭は荷物がほとんど運び出された後の部屋(カーター家)。次に警察派出所で舞台美術の表裏凹凸を生かした出入り口や窓の作りは上手い。そして回転する都度、情景が変化し物語へ集中させる(舞台回転中も興味を持って見入ってしまう)。再びカーター家へ戻った時には、TVを始めいくつもの家具がある。冒頭の舞台は、愛の終わり その果てである。その崩壊の経過こそが引っ越しにおける荷物の搬出行為であろう。物語は信頼(もしくは愛情)関係とその不信・崩壊が根底にある。終焉のきっかけが暴力であり背信行為である。
カーター家・夫ケニーは妻フィオナに家庭内暴力を加え、フィオナの姉ケイト・メイソンと一緒に被害を派出所へ訴え出る。派出所には、ベテランのシモンズ巡査部長ーパワハラ、セクハラ気質の男と警察学校を出たばかりの新米巡査ロスがいる。
フィオナは夫と別れたいと言い、シモンズは姉妹への下心からケニーがパブで飲んでいる間に引っ越し屋を呼んで家具を持ち出すと提案する。しかし、ケニーはその晩に限ってパブに寄らずに帰ってくる。そして引っ越し屋が現れ、寝耳に水のケニーが逆上したところにシモンズとロスが入ってきて…。
いくつもの観点がある。もちろんシモンズ巡査部長の暴力や理不尽な行為。それは派出所、管轄地域内での職業的地位を利用した行き過ぎた権力の行使。そしてケニー夫婦、その結婚生活の崩壊を引っ越し作業を手伝うが下心ありあり。シモンズ部長刑事は、この地に長く勤務しており、街の恥部を知り尽くし悪用している。一方、貧富格差や自分の自尊心を傷つけられることに異常に反応する。公演では、シモンズ部長刑事の人間性を掘り下げることで、社会の理不尽さと照合させる。異動がない、2人しかいない逃げ場のない派出所という場所は、小さいながらも権力を保持しやすい。社会(組織)の欠陥によって人が作り上げられた典型的な物語。
キャストは6人で、それぞれの性格と役割はしっかり観える。
シモンズ部長刑事(斉藤淳サン)は、威圧・威喝する圧倒的な存在感を出し、厭らし感たっぷり。新人巡査・ロス(北郷良サン)は、正義感あるが融通が利かない小心者。ケニー(八柳豪サン)は、ゲスぶり、強かさが十分伝わる。フィオナ(小池のぞみサン)は、おっとりしているようで芯の強い女性。ケイト・メイソン(荒井晃恵サン)は、色気 エロっぽさムンムンの姿態。引っ越し屋・ロブ(大久保卓洋サン)は、朴訥とした口調、稼業に誇りを持つが、何となく不気味な存在。控えめな存在こそ、我関せずの傍観者である。ロスに作業を行わせ、困った事(運出し順が不明)があれば指示を求め、決して表立たない狡猾さ。が、他の人物に比べれば普通の人に見えるところが怖くもある。
表層的には破壊力ある場面、そこに色香というかエロさを漂わせ、舞台的な絵図としては男女の物語といった印象。しかし、根底には人が持つ本能というか本性が描かれ、その先に社会システムの歪さ、弱点を垣間見せる秀作。
卑小だが、カーター家の問題を契機に派出所(刑事)と繋がるが、それ以降の繋がりに緊密さが見えないところが残念。
次回公演を楽しみにしております。
売春捜査官
KURAGE PROJECT
高田馬場ラビネスト(東京都)
2022/03/16 (水) ~ 2022/03/21 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
観応え十分。お薦め。
脚本は同じでも、演出や役者(演技)によって面白さが違って観える。KURAGE PROJECY「売春捜査官」は、今まで観てきた公演と異なり新鮮であった。木村伝兵衛部長刑事(月海舞由サン)の演技ー圧倒的存在感は言うまでもなく、彼女を支える男優陣ー井上賢嗣サン、塚原大助サン、鹿野祐介サンの熱演が素晴らしく、その熱量の相乗効果が本公演の魅力であろう。そして舞台技術の照明や音楽が実に効果的に使われ、印象深く観(魅)せる。
何度も「売春捜査官」を観たが、それだけに観慣れたといった先入観を持っていたが、表現しにくい新鮮さ斬新さがあった。この公演は、既視感のようなものを敢えて払拭し再構築した「売春捜査官」を観せるんだという気概を思わせる。そして初めて観る人物が…。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは、お馴染みの古びた机、その上に黒電話、捜査資料、そして洋酒瓶が雑然と置かれている。音楽は冒頭の「白鳥の湖」は定番であるが、それ以降の劇中音楽は情景場面に応じて流すが、その選曲が実に良い。
物語は、警視庁の木村伝兵衛部長刑事の取調べを中心に熱海の殺人事件の概要をなぞりながら、その過程で事件の底流にある問題を抉るもの。
つかこうへい のペンネームの由来と言われている”い つか公平 に”を強く意識した公演のように思う。人間を鋭く観察し、心理描写と情況表現が中心であることは間違いないが、本公演は故郷という心の拠り所も強調している。人間、社会そして自然といった世界観の広がりを思わせる。
在日への人種差別への思い(代弁)を独白・激白、その故郷を追われた慟哭が胸をしめつける。また同性愛者を登場させ、その性への偏見差別、職業・職場、さらには社会進出における男女差別、権力至上への揶揄など、色々な問題・課題を浮き彫りにしてくる。一方、人が感じ持つ優しさ、哀しさ、孤独、気概などの人間讃歌とも受け取れるシーンの数々。大山金太郎(容疑者)を一流に仕立て上げることが、事件の底流にある本質を炙り出す。この硬質で骨太い描きの中に、女性ならではの純粋と情念の心情を垣間見せる。またちょっぴりあるお色気シーン、この緊張・弛緩のほど良い刺激が1時間45分という時間を飽きさせない。
つかこうへい の思いは、やはり役者の演技力という体現なしでは伝わらない。特に主人公を演じた月海舞由さんの力強く凛とした姿と愛嬌ある仕草、また山口アイ子の切なくも強かな女、その異なる女性像を自在に演じ分ける。またアクションもキレがあり身体の強靭性に驚かされる。男優陣は、熊田留吉刑事(井上賢嗣サン)、万平刑事(塚原大助サン)、大山金太郎(鹿野祐介サン)との絶妙な遣り取りに人間味が…そんな滋味溢れるものがしっかりと観てとれる。今まで観てきた公演の男性陣も熱演であったが、それは主人公・木村伝兵衛を引き立てるといった印象。本公演も基本的には同じであるが、単に月海さんの盛り立て役に止まらず、一人ひとりの人間性を立ち上げている。体躯のよい井上さんは、厳つい風貌と剛腕を見せつつ純情な面を併せ持つ熊田刑事、塚原さんは顔付こそ野性味あるが、やはりホモらしい繊細さを見せる万平刑事、鹿野さんは2人に比べると体は細いが、強情で熱い男-大山金太郎。最後に中島勝利さんが演じる役は、初めて観るが笑える。相乗効果を発揮した役者たちの演技は絶賛もの。
原作の意を表した脚本、それに魅力付けした演出(髙橋広大サン)、そして充実した演技、さらには舞台美術(音響・照明)など全体が調和した公演は観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
其ノ街の涯ル
中央大学第二演劇研究会
シアター風姿花伝(東京都)
2022/03/10 (木) ~ 2022/03/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
終演後、客席から「難しかった!」との声があり 同感だ。「其ノ街の涯ル」の3つの街は、それぞれ穏やかな終わりに向かっている。3つの街は、当日パンフに概要が書かれていなければ、分かり難い。その上で自分なりの解釈をする。物語は3つの街を入れ子のように展開するが、本来交わるのか否か、時空を隔てた3つの街を同じ土俵(舞台)で楽しめるかによって印象が異なる。観客を選ぶ公演だろう。
卒業公演ということもあって、33名のキャストを登場させるため、3つの街を表しているが、少し無理がある設定だ。3つの街にある共通した何らかの問題を重層的に描こうとしているようだが、今ひとつピンとこない。
この世の終わりという凄まじい危機に直面した時、人はただ普通に生きることが出来るのか、それとも…。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは世紀末を表すかのような不気味な雰囲気を漂わす。中央に変型階段があり、上部を設え空間的な広がりを観せる。上手には洞窟風の出捌け口、下手には布で被われたテントのような廃小屋。その上部に穴があり、何度か落ちるシーンがある。ここが別の世界へ通じる穴(途)らしい。側面の壁には布切れが括られている。何カ所かに字幕が映る。
3つの街の名は「荒ビ」「和ギ」「果テ」であり、それぞれ特徴がある。「荒ビ」は、砂嵐吹き荒れ五感の失われる街、「和ギ」は、水に沈む色付きと色無しの街、「果テ」は、月の落ちる満たされない街、である。この3つの街は時空を隔てているが、ある穴によって繋がっているようだが…。
第一「荒ビ」のアケビという青年が街を出る道を探し、穴に落ちる。街の名「荒ビ」=「遊び」の通り、妖によってアケビは気まぐれで慰み者にされていた。
第二「和ギ」=「凪」に通じ、本来穏やかであるはずが、色付き(特別)と色無し(普通)に区別されている。街にいるマチは、病気の妹を救うため教会へ背き改革派へ加わる。一見 人類平等を説く神父は、洗脳によって歪な支配を行っている。偽宗教色。
第三「果テ」はその名の通り年月の経過した後、ある土地の「端て」である。明松紅(コウ)は、世の中に嫌気が差し、山に籠ることを決意。娘は何らかの理由で父と確執がある。
冒頭、あと7日間で滅びる。3つの街とは別世界…「最後にあなたの大切な(愛する)人と過ごしましょう」と呼び掛けている。この台詞に呼応するシーンが、終盤に 3つの街を重ねるように描かれる。三方の場所で、アケビは恋人、マチは妹、コウは父と語り合っている、そのスポットライトの中の光景は尊く美しい。
逆境や絶望の淵で、それぞれの生きるための選択を描いており、人と人との関りが生きる希望に繋がる。厳しい現実に立ち向かう人に勇気と希望の光を指し示す。そんなヒーマンドラマをSFファンタジー(もしくは怪奇)風に描いた公演か?
舞台技術は工夫を凝らしており、物語に漂う空気感のようなものを表す。3つの街以外には、雑踏・電車や車エンジン音などが遠くで聞こえる。「荒ビ」では暴風雨のような荒々しい音、「和ギ」は水が滴り落ちるような心細さ。そして教祖を暗殺しようとする際は、鐘の音+ピアノを奏で緊迫感を出す。照明は目つぶしなど強烈な照射、スポット的な心象表現を組み合わせた効果が見事。
次回公演も楽しみにしております。
ハワイ
エトエ
OFF OFFシアター(東京都)
2022/03/12 (土) ~ 2022/03/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
爆笑ではなく、クスクス、ニヤニヤ系のちょっと笑って軽くなるようなデトックス効果のある公演。ユニット「エトエ」は、極力中身のない芝居を目指すらしいが…。
ハワイという のんびりと開放感ある空間をプロローグ(楽園)とエピローグ(楽園<了>)で包んだ小作品。日常にありそうな笑いネタ、それを誇張することで観客の共感を誘う上手さ。
(上演時間65分)
ネタバレBOX
セットは、机・テーブル・椅子など簡易な小道具を作品毎に搬入搬出し、最低限の情景を観せる。
演目は次の8作品。
①楽園
並んだビーチチェアに座っている夫婦。ウクレレに波の音といった穏やかな情景、しかし 夫が寝言で漏らした女性の名を妻が問い質したことから空気感が凍り付く。<浮気>
②カフェにて
相談事がある女性、その相談相手の女性が勝手な思い込みで話が進まない。結局、先入観、想像力が豊かな女性のために相談が出来ない。<余計>
③ウエディングプランナー
元彼が勤める結婚相談所に訪れたカップル。いつの間にか彼女が今の彼と元彼の2股交際していたことがバレるが、さらに3股という交際が発覚し…。<開き直り>
④犯行現場
事件の現場検証する男女2人の刑事。BEGINの犯行が確実視される中、沖縄の至宝を犯人に出来ない、その葛藤らしきもの。<隠ぺい>
⑤友達の友達
女友達の話。そこに別の女性から電話がある。人見知りな彼女は、電話で事前に色々なことを聞く。いつの間にか携帯電話を合わせて話し出すという現代病らしさ。<仲介>
⑥オフィスにて
部下(バイト)の女性から好きと告白され、戸惑う先輩。彼女は二択思考で、一般的に好意を寄せている人=好き、変なジジイと比べればね。色々な二択を示す。<選択>
⑦家族旅行
父が亡くなったというシュミレーションを繰り返す母娘。父は生存しているが、今のうちに悲しみに慣れておく。実は父に生命保険が掛けられているような怖い話。<慣れ>
⑧楽園(了)
冒頭の楽園の続き。夫は包帯巻きになっている。またしても寝言で別の女性の名前を…。<懲りず>
好感度MAX&わかりみ深すぎず、心と体にそっと寄り添う令和のサプリメント・コント。ぜひ継続(シリーズ化)してほしい公演。
次回公演も楽しみにしております。
廻人〜めぐりびと〜
sirenproject
アトリエファンファーレ東池袋(東京都)
2022/03/09 (水) ~ 2022/03/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
江戸時代の吉原遊廓を舞台にした人の悲しみと怒りを絢爛に観(魅)せた物語。上演時間は、途中休憩を挟み2時間20分で、前半と後半で劇風が異なって観える。前半は吉原、遊女(花魁)といった場所や人物の描写を中心にしているが、後半は人が宿す業(ごう)のような情念がアクションを交え立体的に立ち上がってくる。冒頭と最後のシーンに人間の縁を思わせる巧みさ。それがタイトルに通じる。
(上演時間2時間20分 途中休憩10分含む)
ネタバレBOX
舞台セットは中央に階段、上部に衣桁に掛けた色打掛、上手下手に格子窓のようなもの。吉原の見世イメージである。段差があるから、花魁などは優雅に上り下りするが、アクションシーンは逆に躍動感を見せることが出来る。天井には丸提灯、客席側壁には役者の名入提灯で風情を演出する。衣装は人物に合わせ、花魁は俎板帯 着物、警護人の軽装、巫女、そして現代人のスーツといった観(魅)せる丁寧さ。
冒頭、人に必要とされず自暴自棄になった仁科穂乃花さんが飛び降り自殺を図るところから始まる。場面は変わり、江戸時代末期の文久年間?の吉原へ。花魁の矢島かえ さんを始め、他の花魁や警護人の人柄なりを多少コミカルに描く。吉原を覆う不吉な出来事を得体の知れない者と警護人の攻防として挿入し興味を惹く。
後半は、脚本・演出担当の亀井美緒さんの因縁・復讐劇のような展開。自身も以前は花魁でもう少しで年季が明ける時、梅毒(リアリティとして台詞のまま)に罹り吉原(見世)を追い出される。いわゆる年季放棄の仕打ちである。相思相愛だった元警護人隊長・わたなべそう さんとも別れる。今、彼は矢島さんと結ばれ、2人の間に子が生まれようとしている。
亀井さん始め、一見 艶やかな吉原の花魁やそこに居る人々ー人が持っているであろう七味唐辛子「恨み・辛み・妬み・嫉み・嫌味・僻み・やっかみ」を点描して、それらの総体として悪霊的な魔物(者)を作り出す。終盤…巫女の除霊+スピード感ある殺陣シーン、優美な群舞が見せ場だろう。堪能した。なお、吉原・遊女・花魁・梅毒といった女性蔑視の問題も内包しているが、公演の観点としては深追いしない。
演技は、花魁を頭に遊女という女性ならではの優雅さ、一方 アクションシーンでのキレのある立ち回りといった違いで際立たせる。特に亀井さんは扇踊と殺陣を融合したような動きで美しい。元恋人的な存在の わたなべ さんとの殺陣シーンは圧巻。
ちなみに、花魁達の名前は卯月・皐月といった旧暦の異称であったが、全員は覚えきれなかった(失礼→よって役名ではなくキャストの名前で記入)。
音響音楽は和楽器を用いたもので、劇中に流れる音源制作&歌は情緒たっぷりで場面にマッチしたもの。
次回公演も楽しみにしております。
天は蒼く燃えているか
世界劇団
調布市せんがわ劇場(東京都)
2022/03/10 (木) ~ 2022/03/11 (金)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
観応え十分。お薦め。
第10回せんがわ劇場演劇コンクール「オーディエンス賞受賞公演」。
脚本のメッセージ、演出の緻密、演技の強靭、舞台技術の印象 そして舞台美術の奇抜さ、舞台要素のそれぞれが調和し、芸術性を高めている。公演は2020年2月に四都市ツアーをする予定であったが、コロナ禍により全公演が中止になっている。この劇団は、愛媛大学医学部 演劇部を母体に結成されており、代表の本坊由華子さんも現役の医師である。医者の「世界劇団」は なかなか公演を行うことが出来なかった。そんな事情を抱えながらの上演である。しかも東京公演は3回のみ。案内をいただかなかったら、危うく見逃すところであった。
チラシには「世界劇団が全人類に捧げる人間賛歌」とあり、高邁な謳い文句のようであるが、それに見合った内容である。当日パンフに本坊さんは「私は、この世と深く対話したい」「真実の世界を描きたいと願う」とある。人は世の中の出来事や風潮に疑問を持ち、自分で考え行動する自立する力、一方、見えざる手のような神の啓示、その抗いきれない不思議 もっと言えば不条理かもしれない。その混沌とした世界観を舞台芸術として見事に昇華させている。
ちなみに、色々な意味での「火」が表されるが、芥川龍之介の「アグニの神」をモチーフに描かれている。心の奥底に潜む傲慢は、紅蓮の炎で焼き尽くされそうだが、真摯になって見上げれば 蜘蛛の糸 ならぬ希望が蒼く見える、といった印象だ。全体的には抒情豊かな演出。万雷の拍手も肯ける。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
招待公演。
舞台美術は、ベット・椅子・本箱・箒・洗濯物・木枝、そして所々破けた布など、雑多な物が宙に吊るされている。それらが物語が進むにつれて少しづつ降りてくる。途中で突然布が幕状に広がり、人影として心象風景を映し出す。また宙にある本箱を傾け入っていた雑誌や書類を上から落とす。タイミングが狂えば役者の頭上に落下する。全ての物が舞台上に下ろされ、吊るしていたワイヤーが舞台上下に張られた形は、何かを操る・・そぅ見えざる手を連想させる。抗えない何かは、人が知らぬ間に少しずつ静かに忍び寄ってくる。そんな光景を緊張感をもって描く。時に突然(不慮)の出来事、自然災害などを、雑誌を落とすといった比喩で表しているようだ。
物語は、東のはずれにある島(暗に日本)での出来事。ある処に今日と明日の狭間に占いをする老婆と軟禁されている娘(タエコ)を巡る話。狭間は生・死をも暗示する。他方、学校で教えることを信じて疑わない青年と何事にも疑問を呈し、自分で考える青年の話。この2つの話が交錯し、人間の本性、社会の欺瞞を暴く。娘と青年たちは同級生。
軟禁されている娘は、視点を変えれば老婆の介護。介護は現実を見つめては出来ない辛いこと。だから別の人格(エレン)になることが必要。この世は一酸化炭素・二酸化炭素=環境汚染され、人の脳は小さくなる。一見 認知症を思わせるが、自立しない果ての姿のよう。後期高齢者という台詞、続けて死ぬに死ねない=無為に生かされているだけの刹那的な話に変容していく。
考えない青年は、先生に教えられたとおり五輪賛成の行進をするが、万歳(バンザイ)の声に交じって微かに反対(ハンタイ)の声が聞こえ、いつの間に賛否が分からなくなる。先生は教師であり医師にもなるが、絶対間違えてはならない、もし間違えれば自分は火だるまになる。自縛するような強迫観念が怖い。
辛い現実を見続けることは惨い、しかしそこから抜け出すことは出来ない。ならば全てに迎合した方が楽。一方、考えなければ環境汚染の悪化や繁栄の謳い文句に五輪を無条件に歓迎する。五輪の聖火、命の灯、誹謗の炎上、そして祈りの煙。何もかも崩壊し無に帰するようなラストだが…。
照明は炎が燃えさかるような、幾本かの赤い照射、晴天を思わせる青い照射は対照的な場面を演出。波間か水の揺れのような回転照明が妖しく蠢く何かを表す。
音響音楽は、大音量で流し高揚感を煽る一方、不穏・不気味な音で不安感を増す。役者の演技は一種のムーヴメントで、実態がある なしという曖昧な姿。しかし 肢体の動かし方は、幕に映し出された人影が実際の姿態と連動した効果を出すから不思議だ。まさしく、身体と言葉を燃やし、炎の創成期を紡ぎ出した。
衣装はエスニック調で、何となく宗教性を感じてしまう。社会問題を背景に、人間を冷徹に見詰めた幻想怪奇譚イメージ。
卑小と思いつつも、ラストのエピローグ的な場面は微かな希望を提示するために、取って付けたかのような印象を持ってしまった。
次回公演も楽しみにしております。
水の行方、夏の端 -みずのゆくかた、なつのはな
カオスカンパニー
中野スタジオあくとれ(東京都)
2022/03/05 (土) ~ 2022/03/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
奇妙な設定、二項対立を思わせる台詞などが物語を難しく感じさせる。独特な世界観だけに選ぶ公演になる。悪くはないと思うが、観せる工夫が必要ではないか。団体としての作劇(方針、方向)があるだろう。勿論、その転換を求めることではなく、台詞回しによってもう少し分かり易くなると思うが…。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台は、前(客席側)と後を仕切るような壁、中央に行き来できる硝子戸のようなものがあり、2つの異空間を繋ぐ。壁には蔦のような植物が見える。
物語が紡がれる場所が、分かり難い。冒頭、舞台奥の施設から逃げ出し、説明にある激しい嵐の夜、町の人に救われる。この場面が客席側の空間で描かれる。空間が違うことで、物語の場所や時間等が異なることを表している。さらにロボット・しのめ(龍澤利恵サン)が私たちは死んだ(壊れた)の?と助けてもらった人に問うことによって、来世と現世の狭間にいるような世界観も示す。物語では季節が廻るが、どれくらいの時が経過しているのだろう。が、それほど季節の移ろいは感じられない。
ナノマシンに係る技術開発は、その方向性の違いからか研究機関の上層部もしくは政府によって危険視される。搭載したAIロボット・しのめは、技術(保護者)的な役割を担った男・小笠原芳信(トモリト・シユキ サン)と共に逃避行へ。それが冒頭シーンである。そこが地続きの地球なのか、また衰退した未来なのか、観ている世界観がはっきりしない。SFらしい不思議な世界の表出とも言えるが、何となく落ち着かない。科学的な装置も出てくるがレトロのような。そこに今いる処と研究施設の新旧という対比を出しているのか?
物語では、二項対立を思わせる場面や科白が散りばめられている。セットにしても2つの空間は科学技術研究所のようであり、一方は長閑な町。舞台奥は人工光景であり、前面は植物がある自然風景。登場するのがロボットと人間。会話は、科学的な専門用語と哲学的な思索を思わせるーーロボットの製作ではなく、生むとなり、作りではなく育てるーーに言葉が置き換わる。科学的な話の中に哲学的な会話が挿入され、何を話しているのか混乱しそうだ。そして、しのめ が走り回る姿が、幼い(旧型)=教育をイメージする。
女性の姿をしたロボットであるが、AIの自己進化にしても ここまで人間と同一化した描き方では、SF世界観の不思議さが十分楽しめない。説明にある「小さな人々の贖罪」とは何を意味するのか、自分では疑問符が付いたまま。世界観をもう少し鮮明にし観客を物語の中へ招き入れ、同時に専門的用語の多用は控えて分かり易い言葉=台詞回しにしてほしいところ。
次回公演も楽しみにしております。
三年王国
人格社
新宿眼科画廊(東京都)
2022/03/04 (金) ~ 2022/03/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
荒削りだが、そこは若さの魅力であり、伸び代だろう。冒頭の緩い会話が、物語の底流を成していようとは…。上手い展開だ。
高校生活の甘酸っぱさを感じるが、描いている内容は深い。それは「自分という存在の確認、後悔のない生き方の模索」といったところ。物語(脚本)は、色々な場面を点描するが、それらを収斂していく怒濤の終盤が凄い!演出は何となく つかこうへい の「熱海殺人事件」の冒頭を思わせる圧倒するような大声+音楽(「白鳥の湖」ではないが)。
説明で興味を惹く「アレ」は、高校での部活動に起因している。自分にはピンとこないが、人にはそれぞれ大切にしているもの、気になるものがあろう。公演でも「アレ」は最後にやっと明かすが、途中で主人公・小田川の大切にしているものを「アレ」と勘違いさせる、そんな誘い方も巧い。
ただ演技は「演じている」といった力みが観えたので、もう少し自然体であれば…勿体ない。
(上演時間1時間10分)
ネタバレBOX
舞台美術は、低い平台をいくつも合わせ、学校(部室)内の板張りをイメージさせる。中央にテーブルと椅子、その後ろにスクリーンがある。状況に応じてテーブルを搬出し、換わりに授業机を搬入する等、状況に応じて光景を変える。
地方の進学高・新聞部が舞台。冒頭、部室で部員(2年)の小田川と写真部の間宮(2年)が自己紹介に関する無駄話。新聞部は旗田が卒業し今では薮(3年)と二人だけ。そこに新入生の権田原が入部し、物語は動き出す。中学まではそこそこ頭が良かったが、進学校では目立つこともない。自己紹介では、自分自身を表現出来ない。制服を着て腕章をしていれば高校新聞部と外見から分かるが、具象的なものがなければ自分をどう表すか?表向きには緩い部活動は楽、一生懸命に活動する必要なし。
何故 廃部寸前の新聞部へ入部したのか、真の目的は自分の存在アピールのため。順繰りに行けば、薮先輩が引退すれば私・小田川が新(第73代)部長になれる。新聞部以外は、傍観というか諦念にも似た虚無に近い高校生活。だから小さな世界でもお山の大将になりたい。しかし権田原は強かな新入生で、新部長へ立候補し…。
小田川が尊敬する旗田も同じような自己主張の気持だったことが分かる。2人して花火をする際、魂を燃やす=ポジティブではなく、焼失=ネガティブという意らしく、怠惰、諦念、無常といった高校生活が浮かび上がる。笑うに笑えないリアルさが垣間見える。
小田川が大切にしている物ーー黒板拭きクリーナー。人に知られず憤まんを大声で発散する時に大音を重ねる。大切に持ち歩くところから「アレ」と思わせるが、実は違う。
高校(生活)はシンフォニー、色々な生徒がいる。それを第九交響曲の合唱団に準えるが、自分は指揮者になりたい。そこに自我・自存を見ることができるが、その期間は3年間だけ。まさにタイトル「三年王国」(3年生のことではない、と思う)である。スクリーンに合唱団映像を映し曲を流す演出は、臨場感があり上手い。
終盤、各人が思い思いに絶叫する場面は、つかこうへいイメージ。さて、気になる「アレ」が分かるが、それは新聞部らしいものとだけ…。
次回公演も楽しみにしております。