花を灯す
劇団水中ランナー
駅前劇場(東京都)
2022/11/11 (金) ~ 2022/11/14 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
死は魂が別の所へ行くだけで、その人を忘れなければ、そんな思いを強く感じさせる公演。劇団水中ランナーが紡ぐ物語は、切ないが同時に温かく優しい気持にさせる。タイトル「花を灯す」は、キクの開花調節を行うため、電照栽培をしている。その光景を近くの丘の上にある公園から眺めながら育った家族、母が、そして父が亡くなり、花農家の経営が行き詰る。思い出が多い家を処分することになり、両親の遺品を整理することになる子供たち。その思いを切々に描くとともに、その家族と親交のあった遺品整理士たちの思い、それぞれの観点から「想い」を描いた秀作。
死、そして遺品整理という「想い」が「重く」なりそうな内容だが、時に笑いを挿入し、ある小道具が沈んだ気持を癒してくれる。脚本は勿論、演出や舞台技術も巧みで、見事な心情描写を観せる。
ちなみに、遺品整理業を営んでいる代表の名前は木村拓哉、有名人と同姓同名であることを揶揄われるが、そこには悲しさ切なさが…。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台は宮野家、空間を二分し、上手は玄関や土間を設え、棚には花農家らしい作業具が乱雑に置かれている。下手は居間で 障子戸や茶箪笥、TVや座卓が置かれている。本当にそこで暮らしているかのような造りである。上手 客席側に別場所として遺品整理士たちの事務所<机・パソコン、ソファ>を設える。
座卓の上には「フラワーロック」が置かれている。音・声に反応して動く玩具。寂しさを紛らわすために話しかけ、クルクルと回る様子に癒される。そして葬儀時の木魚の音に反応して腰をくねらし踊るーその台詞は胸にグッとくる言葉、そんな心情をサラッと言わせる上手さ。
物語は花農家の先代が亡くなり、その葬儀に娘・由紀恵が帰ってきたところから始まる。由紀恵は離婚し、ここで働いていた宮野英太と再婚する。由紀恵・英太共に再婚で、それぞれ一人息子の連れ子がいる。そして二人の間にも2人の子供が授かり、家族6人で暮らしていたが…。13年前に母が亡くなり、今度は父が亡くなった。花農家の経営は行き詰まり、家を手放すことにした。4人兄弟・妹はそれぞれの事情を抱えており、遺品の整理と自分たちの心(気持)の整理が必要になっている。思い出の詰まった家は勿論、遺品の整理(処分)はしたくないが、やむを得ない事情を切々と説明していく。
家族一人ひとりの事情、遺品整理士が抱えている思いを丁寧に描き、それ故に身動きが出来ない もどかしさが痛いほど伝わる。劇団水中ランナー公演の特徴は、人物の過去・現在を巧く説明することで、今置かれている状況をリアルにしているところ。本公演も例外ではなく、長男の眼病、次男の引籠り息子、独身長女の将来、家業を継いだ末っ子(三男)の責任感と苦悩、そして長男夫婦、次男夫婦という、それぞれの家族の問題を絡めた多面的な事情が物語の広がりと深みを感じさせる。この花農家で代々働いている山下玄・清の二役(作・演出:堀之内良太さん)が重くなりがちな雰囲気の中で、コメディリリーフとして笑いを誘い、硬柔のバランスを見せる。
遺品整理士の木村拓哉は、学生時代に火事で家族を亡くしている。一瞬の出来事で遺品どころではない。整理する遺品がなく、大切にしているのは父が付けてくれた「拓哉」という名前だけ。そこに、家族の想いに寄り添った遺品整理士としての矜持を見るようだ。夜でも明かりを灯す…美しい光景の中に、ちょっぴり切ない思いを描いた公演は、ぜひ劇場で。
次回公演も楽しみにしております。
「潜水艦とクジラと・・・」
椿組
雑遊(東京都)
2022/11/10 (木) ~ 2022/11/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
原作は野坂昭如の「戦争童話集」、昨年も観劇しており 本公演で2回目。椿組としては3回目であるという。タイトル「潜水艦とクジラと・・・」は、語られる物語の中の一話+αの意である。そして何より大切なのは、副題「~忘れてはイケナイ物語り~」に込められた思(重)いであろう。文字で書かれた物語は、読み手の想像力で如何様にも思い描けるが、演劇は視覚を通してどのように描くのか?それを手作りという温もりをもって表現する、その発想の豊かさと工夫に感心する。
表層的には面白く、そして楽しそうに描い(演じ)ているが、勿論その中に描かれた内容は戦争の悲惨さ、命の尊さなどである。公演は、童話集からの話など6話(冒頭と最後の歌も含め)を休憩なしで緊密に繋いでいく。それは舞台正面に「8・15夏」と書かれた意味、そこから地続きであることを強調する、そんな演出のように思う。演出といえば、先に記したように 舞台美術は手作り感いっぱいで、戦時下という冷たさとは対照的に、仄々とした温かみが漂う。
椿組主宰の外波山文明氏が読み上げる「戦後なんて、この地球上に一度もおとずれていません。いつも戦時中です。今もどこかで戦争が行われている限り、永遠に『忘れてはイケナイ』物語りなのです」は、上演の意義そのもの。その言葉はウクライナ侵攻〈現実〉が如実に現わしている。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
「戦争の悲惨な極限に生まれえた非現実の愛とその終りを“8月15日”に集約して描く万人のための、鎮魂の童話集」である。
舞台美術は、段ボールを切り抜き、雲や卓袱台・TVなどを形作る。基本は素舞台であるが、話の内容に応じて色々な小物を搬入したり衣装を着る。シンプルな中に 大切な「思い」を多く盛り込み、悲惨な現実の先ー未来の希望を描いている。
6話は次の通り(上演順)。幕間にコントというか宝塚歌劇団風の寸劇を挿入する。
▶「8・15夏」
歌というか歌語りといったプロローグとエピローグ
▶「ソルジャーズ・ファミリー」
南の島に取り残された兵士二人を飢えがおそう。多くの将兵がいたが、今では二人になった。若いが足を負傷している兵士は、故国 日本への郷愁を募らせ、夢の世界を彷徨い始める。二人の風貌と衣装が何となく敗残兵といった雰囲気を漂わす。
▶「赤とんぼと、あぶら虫」
赤とんぼと呼ばれる飛行機に乗ったまま敵機に突っこんでいく特攻隊。しかし 失敗し帰るところもなく南の島に不時着した飛行士は、一匹のあぶら虫と友達になり命の尊さを知る。被り物があぶら虫に見えないことから、ボケとツッコミのような漫才仕立て。
▶「年老いた雌狼と女の子の話 」
年老いた狼が死場所を求めて歩いている時、病気(「麻疹」感染を防ぐため)で捨てられてたキクちゃんに出会う。キクちゃんと会ったことで再び生きる勇気を取り戻した狼と、一人ぼっちのキクちゃんの運命は如何に。
▶「小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話」
日本海軍の潜水艦を自分の仲間だと思いこんで恋をした一頭のクジラが、その恋人を守るための行為の美しくも哀しいラブ・ストーリー。人間を疑うことを知らないクジラの、一途な思いが胸を打つ。ラスト 潜水艦が宙に浮き、上手上空へ その姿を消していく。
▶「死んで神様と言われましょう」
TVを見ながら家族団欒の食事どき、客席通路から一人の男が何度も現れる。そして老若男女問わず一人づつ食卓を離れる。もちろん召集令状の配達と出征で、家族は当たり前のように送り出す。TV内からは色々な情報が流れているようだが…。
幕間には、宝塚歌劇団風の男役・女役が現れ、それらしい衣装で面白可笑しく喋る。勿論、戦時中 歌劇団は奉仕隊を組織し慰問公演を行っている。戦時中と戦後(今)を繋ぐかのような寸劇は、平和(今後 コロナの収束含め)だからこそ出来る、そんな意味ありげな役割を担っているようだ。
次回公演も楽しみにしております。
UTOPIA
coconkukanunity
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2022/11/09 (水) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ミステリー要素を含んだSFファンタジーといった作風。雨の日だけ出現する街はずれにある古物商が舞台。上演前からキャストが動き回り、時にストレッチする様は何を表現していたのだろうか。そして絶え間なく滴る水の音、こちらは容易に雨を連想することが出来る。役者陣は上手・下手に椅子を並べ控え、登場シーンに現れる。
全体的に透明感、浮遊感を漂わし曖昧な印象を与える。それは物語の不思議な世界観を巧みに表しているように思う。
(上演時間1時間20分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、心象風景とも言えるような配置。天井部からは長いモール紐(または縄暖簾)のようなものが吊るされ、上手に形の異なる四角い台3つ、下手にテーブル〈白いテーブルクロス〉かある。四隅に傘立てがあり、場景によって持ち歩く。薄暗い照明に、裸電球の暖色が輝き幻想・夢幻といった妖しい雰囲気を漂わす。
キャストは、皆 白を基調としたゆったりとした衣装、それゆえ薄暗さに映え揺蕩うような演技がますます幻想さを増す。
物語は、少女が雨の日に古物商を訪れ、自分の記憶を呼び覚ます、そんな依頼をするところから始まる。過去と現在が往還するのか、現実と夢幻の世界が交錯しているのか、はたまた自分探しという迷路に佇んでいるのか、その漠然とした世界観が興味を惹く。古物商に置かれている不要な品々、その商品が擬人化して思い思いの話をする。それぞれの商品の特徴が、物語を掻き回していく。
また別の少女が古物商を訪れ、店主や商品と話をし出す。先の少女とこの少女の話は別次元であることは後々判明する。先に登場した少女は現実のしかも少し将来の話。後に登場した少女の正体が分かった時に、何故 商品と話が出来ているのかが解る。品物(物質)は不要になれば捨てられ、新しい物に取って代わられる。そして捨てずに何でも取っておくことは、いろいろな意味で不都合が生じる。今の世は情報過多、そして混合玉石の情報の中にいる。不要な情報と商品を同一視した説明には疑問もあるが…。そして物質の不要=捨てると人間の不要は同一視出来ない。そこに生き物=動物としての感情が生まれる。
先の少女は亡くなった古物商の娘、そして後の少女は、自分の正体を知らなかった擬人化したネコであった。亡くなった古物商を何とか助けたい少女ネコは、助けを求めて街中(舞台回り)を走る。この光景が説明の中にある「私は走っていた」である。店主と称していた男は、生きていた時の店主が妻から貰った懐中時計という品物。擬人化した懐中時計に少女ネコは言う。時間を戻して店主を助けてほしいと…。生きている動物と生〈せい〉なき品物とでは考え方、価値観が違う。不要〈寿命〉ならば捨てるが前提なのだから…。そして品物にも持ち主との思いがあるという。時間の遡及は、商品とその持ち主との断絶を意味する。全体を通して文明批判(古物商⇨リサイクル⇨代替を連想)を表した物語であろうか。
次回公演も楽しみにしております。
『黄泉の国でも愛してる』
縁劇ユニット 流星レトリック
ザ・ポケット(東京都)
2022/11/09 (水) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
初日観劇。
物語は感動系であるが、その設定は 何となく演劇や小説等で既視感や既読感があり、新鮮味はない。一方公演の魅力は 生演奏で心の内、その想いや情況など、言葉で表わし難い情景を表現して(奏でて)いる。そしてアイドル系の若いキャストが溌剌と、そして情感豊かに演じているところであろう。小説ならば視覚情報がなく、想像力が働くが、演劇となれば観せる(演技)力が必要だ。「泣ける内容」といっても、恋愛ものや余命を描いたものなどジャンルは様々ある。この物語はタイトル「黄泉の国」とあるから、あの世とこの世を紡ぐものであることは容易に想像がつく。
さて、生演奏は音楽としての魅力は感じるものの、演出としては少し気になることが…。
スタッフ対応について、当日は長い列の客が並んでおり、人気公演であることは分かった。観客が全員入場していないにも関わらず、(当たり前だが)開始時間には上演を始めた。そのため 途中入場者が多く、前列席へスタッフが案内する際の 人影や物音が気になった。何より途中入場者は、物語の肝の(黄泉の国へ逝った)原因・理由が解らず、面白さが減じたのではないか。スタッフ対応の不手際は、カーテンコール後に謝罪したほどだ。残念。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術、二階は紗幕 そこにヴァイオリン(竜馬サン)とピアノ(真島聡史サン)の生演奏。一階部分は喫茶店、上手にアンティーク風の窓とテーブル席、下手奥がカウンター、客席側に洒落たライトが飾られている。全体的に瀟洒なイメージで、フライヤーの絵柄とマッチしている。
冒頭、2人づつ 3グループが間隔をあけて横に並んでいる。中央は夫婦、上手に恋人同士、下手は擬人化した猫(姉妹)である。ひょんなことで交通事故が起こり、3グループは亡くなるが、天使か悪魔の戯れで夫婦以外は助ける(現世へ生き返らせる)。夫婦だけは助けることが出来ず、天使は 夫婦に20年後に2時間だけ現世へ戻すと約束する。残された子供4人は叔母さんなどの協力を得て、健気に生きている。しかし、それぞれ我慢もしている。冒頭の3グループ、桐島夫妻の事故の起因と関係しているが、物語の本筋ではない。
そして10年後、妻(母)の桐生菖蒲(沢田美佳サン)だけが 1日(2時間)だけ帰って来る。逢えないと思っていた母の姿、子供一人ひとりの思いを乗せた望みごとが切ない。実は夫(父)の生き返る分も菖蒲が利用し、10年後に1人だけ帰ってきた。子供たちの独り立ちという年齢、そこへ合わせたような慈しみを描く。子供たちだけで生きるには、「我慢」という重しが付い回る。長男は、自分だけの胸だけに秘めた 父の先妻の子(異母姉)への遠慮、長女は弟妹の生活の面倒を見るため、恋人との結婚を諦めようかと、そして次男は好きな道への進学を、末っ子の二女は大学進学を諦めようとしている。
この兄弟姉妹を中心に、喫茶店に出入りする人々を絡めて日常の暮らしを紡ぐ。子供たちは、それぞれが優しく思い遣りがあるが、それだけ相手のことを思いすぎて自分は遠慮・我慢している。それを解(説)くような母。そこに「長くて短い奇跡の1日命あるモノたちの希望へ向かう」という意を込める。逢えないと思っていた母の姿、そこに感情移入することが出来れば観応えある物語になるだろう。
全編 生演奏が奏でられ台詞に被り聞き取れないところがある。特に感情表現(演技)で、小声になるシーンでは肝心な言葉が…。音楽は心情を代弁するような優れモノだと思うが、逆に台詞で生演奏の魅力が半減するようだ。台詞と生演奏のバランス、夫々の魅力を上手く引き出す演出が欲しかった。
次回公演も楽しみにしております。
Machi Note マチノオト
演劇ユニット思考動物
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
未見の団体…「Machi Note マチノオト」は「街ノート」と「街の音」というWミーニングのタイトル、そして街の風景を撮った写真が美しいフライヤーに興味を持った。その直感は見事に当たり、面白く そして考えさせる内容であった。
コロナ禍を正面から捉えた物語であり、このようにストレートに表現した公演は初めてである。コロナ禍の光景を地域(コミュニティ)ラジオ局の放送を絡めながら点描する。物語は大きく4つの話を交錯させ、その街に生きている人々の暮らしを繊細に紡いでいく。演出は丁寧で、例えば もりかつ亭の引き戸の音と喫茶店の開き扉の音(ドアベル)を違えるなど実に細かい表現をする。そこに観せるといった工夫を感じ好感を持った。
少し気になったのは、演劇という「額縁」の中を観ているようで、生活臭というリアルさが弱く 十分伝わらないのが残念なところ。演技力の問題なのか、行儀(整理)よい展開なのかはっきり分からないが、何となく客観的な観せ方に止まっていると思う。もっと突っ込んでコロナ禍に起きた出来事=今まで経験したことがないような事をリアルに描いてほしかった。物語でも密閉・密集・密接という三蜜を避けるような場面ー市民文化祭ーがあったが、従来の緊密・親密・濃密という人付き合いも大きく変化した。街の人々のリアルな思いがもう少し感じられれば…。
それでも、コロナ禍における街風景の変わりようは解る。未見の団体であったが、思考する姿勢は志向をうかがわせる好公演であった。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、上手にラジオ局放送ブース、下手には もりかつ亭のカウンター、中央は2つのテーブル席、そして近くに入口を表す暖簾が掛かっている。勿論、カウンター席にはコロナ感染防止用のアクリル仕切版が立ててある。
ラジオパーソナリティ柴崎あかり が街の人々をゲストに招き、時々のトピックを聞き紡いでいく。次のような話がオムニバスではなく、同じ地域、コロナ禍という同じ状況下で並行または交錯して展開していく。そこには特別な人々ではなく、庶民の暮らしが描かれている。ただ新聞やTVで紹介されたような出来事を表層的に並べた、といった感が拭えないのが残念なところ。
第一話は、もりかつ亭とイベントヒーロー〈カーブマン〉の話。
イエロー、レッド、ピンクの衣装を着た3人組は、イベントでよく見かけるヒーローショーで街興しに一役買っている。イエローは、亡父が遺してくれた もりかつ亭2代目、レッドは彼の幼馴染、そしてピンクは小学校教師だ。イベントも減り、もりかつ亭も営業時間の自粛で経営が厳しい。
第二話は、街〈皆川市民〉文化祭をめぐる話。
コロナ感染防止の観点から開催を見送ろうと主張する人々、一方 Zoomや展示といった工夫で市民交流を図りたい人々の対立を観せる。どちらの主張も正しく、街の活性化に対する思いと苦慮が描かれる。新しい取り組みは苦手で抵抗感がある。もしかしたら、コロナ禍が発想の転換を推し進めたかも知れない。
第三話は、小学校(教育現場)におけるコロナ禍の影響。
中央のテーブルを離し、職員室の机に見立てる。子供達(人形操演)へは、クラブ活動(太鼓の練習)の中止、六年生を送る会では密にならないように、といったコロナ以前とは違う取り組みを強いる。子供、教師とも精神的な負担は大きい。
第四話は、かぶ農家ー地域生産・地域消費による生活防衛の話。
コロナ禍との直接的な関係は弱いが、もりかつ亭の食材に繋げる巧さ。2代目は、父の味を踏まえつつ、自分の(独自)味を模索している。同時に、テイクアウトといった営業努力を描くことによってコロナ禍へ繋げる。単にコロナの影響だけではなく、よく聞くシャッター商店街を意識した街の活性化を描くことによって、物語に広がりを観せる。
演出は、フラダンスやヒーローショーという動き、ラジオ番組で流す音楽、そして先に記した人形操演等、多彩な観せ方で観客を飽きさせない。全体を通して 真摯な印象、優しく心温まる公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
仮面音楽祭
藤原たまえプロデュース
「劇」小劇場(東京都)
2022/11/02 (水) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
「仮面音楽祭」らしく、受付やプロデューサーの藤原たまえさんが、仮面を頭に付けてお出迎えしてくれる。まずは、祝祭の雰囲気作りをするといった配慮が愉しい。
可笑しくて 大いに笑った。この面白さを 自分の拙文で表現しようとしても無理だぁ。
常態と狂態が混じり合った混沌とした世界、そこに足を踏み入れた男女が巻き起こす抱腹絶倒の物語。快と楽の迷路の果てに見えた光景は…。
劇団ポツドールの「愛の渦」のような見知らぬ男女による一夜の狂乱だが、「愛の渦」のような性欲ではなく、何方かと言えば性抑であり生欲という 前向きな人生を思わせるラストだ。結局名前も分からず別れていく、そこに大都会 東京の哀愁を観るようだ。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台は、相席酒場「ミラクル」という合コン専門店。中央にソファとテーブル、その上にはカラオケのリモコン、上手奥に別場所を表すクッション、下手に部屋ドアがある。シンプルであるが、物語を描くには十分なセットである。面識のない男女が出会いを求めて夜な夜な集まってくる。
男女各4人の客と店員2人の計10人の歌とダンスで綴る人生の悲哀であり応援歌のような公演。ラストはしみじみと余韻を残す秀作。面白いのは人物造形で、(心に仮面を付けたような)お互いの素性を知らない 個性豊かな人々が、いつの間にか自分の悩みや苦労を語り出す。知らない者同士(役名はなく 男女とも1~4、店員も1~2である)、遠慮しつつ様子見の会話(常態)であったが、店員が勧める 銘酒「飲んだら危険」というアルコールを飲んだら、一転 泥酔した狂(嬌)態になる。
序盤、同棲しているカップルが、それぞれ相手に内緒でこの合コンに参加し鉢合わせをするという波乱の幕開け。この修羅場が圧巻で見どころの一つ。お互いが顔に水をかけたり頭から流したりと、体を張った演技をする。気まずい雰囲気から、それぞれの人間性ー本性へ、その化けの皮が剝がれていく。裏表がないのは、山田瑞紀サンが演じる流しのタンバリニストぐらいか。彼の短パン衣装や風貌・タトゥーが強烈で、一瞬にして空気(感)が変わる。
人生は傷つくことの繰り返し、それを何度も乗り越える。別れ話に准えて、人生は何度でもやり直せるは、リストラされた男や非モテ男への励ましか。江上剛の小説「人生に七味あり」〈うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ・いやみ・ひがみ・やっかみ〉の人生七味唐辛子を思い出す。それが人生に深い味をつけ、人間味を増していく。それこそが、人間の祝祭〈生存〉を意味しているよう。
勿論、歌はその場景に合った選曲をし、情感たっぷりに歌い上げる。
次回公演も楽しみにしております。
オーガッタジャ!
発条ロールシアター
阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
終演後、何人かが異口同音に 大人の演劇だ と話していた。そう言えば、説明にも「大人たちの 青春真っ只中な群像劇」と記していた。何が大人の演劇だか解らないが、廃墟という役目を終えた建物を通して、人生の応援を謳った、一見 矛盾した観せ方の物語だ。そこには発条ロールシアターらしい、硬派な中にも優しい思いが観て取れる。
表層的には面白可笑しく描いているが、奥底にあるのは、諦念とは真逆の再生・再起と言った前向きな姿勢だ。滅びの美、ましてや頽落のダンディズムなんてこれっぽっちもない。あるのは男の それも中年男性の悲哀、それは仕事=生き甲斐、遣り甲斐を失(喪)った後の人生をどう生き残(遺)るかが…。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は暗幕で囲い、上手に何か隠されているような幕、下手に壁に見立てた衝立があり、その一部が簀子(窓枠)のような板が打ち付けられている。この暗がりが廃墟内であり、簀子を外して中へ侵入する。上演前から照明を諧調させ、闇に輝く外灯もしくは星空を表しているよう。実は暗幕の奥には紗幕がある。下手での会話は廃墟ビルの階数を説明しており、同じ舞台であるが空間の違いを表す。
登場人物は、リストラ(クビに)された中年男・環が、廃墟ビルに忍び込んで一時的に寝泊りしようとしている。そこへ着物を着た〈男〉、一見どこかのご隠居のような飄々とした佇まいを醸し出ている。また廃墟マニア・白河清澄やフリーライター・西まごめ、そしてスリの一団…拝島・是政・美園が偶然に出会う。さらに ふらふらと侵入してきた男・津田沼と中年男・環が知り合いだった。廃墟という“不思議な力”によって集められたかのよう。訳ありの人々の人生模様を描きながら、この廃墟に現れる 霊 の話が交錯する。
終盤は怒涛のような展開…廃墟ビルが建つ近くに江戸時代の刑場跡がある。着物姿の〈男〉、実は斬首の役人・山田浅右衛門であり、明治時代になってその斬首刑が廃止になって、生活の糧を失う。会社を馘にされた男と斬首してた人の<クビ>繋がりが、過去と現在を結ぶ。実はふらふらと侵入してきた津田沼は、環を解雇した会社の社長である。社内で人望のあった環を解雇したことで 社員が次々に辞め、会社は倒産寸前の危機に瀕している。それぞれの人の人生模様に各人の思惑を絡め 味わい深い話になっていく。
因みに、登場人物の名前は駅名だが、山手線のように知られた駅名ではない。そこに名も無き一般人…特別ではない人々を表している。
スリの一団は、師匠と男女の弟子といった関係のよう。過去回想、美園の幼少期に師匠・拝島と会話する場面は、その立ち位置(向き合わない)で場景を描いているが、ここは想像力を膨らませないと分り難いだろう。スリだが、美園には仕事?をさせたくない。訳アリの人物ばかりだが、真の悪人は登場しない。廃墟という役に立たなくなった建物の中に、役に立たなくなった人々を集めるが、そこには やり直せるという強いメッセージが込められている。浅右衛門の余生は俳句短歌を詠でいたのだろうか。ラスト 紗幕の奥は大木であろうか、若しくは短冊の山かもしれない そんな余韻を残す。
ラスト、ほんの僅かなシーンに〈女〉役で 則末チエさんが登場する。みすぼらしい着物姿で這いずるような姿、浅右衛門に腕をつかまれ、次のシーンでは斬首される。浅右衛門が最後に斬首した女という説明から、有名な 高橋お伝 ということが分る。一瞬のうちに憐憫を表す演技は見事だ。則末さんは悲哀だけだが、他の役者陣はコミカルに演じながらも、その奥底に滋味ある人柄を忍ばせている。初演は観ていないが、この公演でのキャストは見事な演技力であった。
次回公演も楽しみにしております。
VANYA‼︎
人間劇場
SPACE EDGE(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」を刺激的・印象的に演出した野心作。
人間の生きる、特に労働という社会的な問題を根幹に据えた戯曲。人には色々な顔(面)、階級があり、そして様々な出来事がある。フライヤーの絵柄はそんなことを表しているのかも知れない。勿論 四幕ということも関係しているだろう。出来事といえば、観た回はチョットしたアクシデントがありヒヤッとさせられた。
今まで何度か「ワーニャ伯父さん」を観劇したが、この公演のような身体的なアプローチを加えたものは初めてである。それだけに新鮮でもあったが、違和感(取入れる疑問)もあった。ジャンルの違うARTとの融合を目指し、更なる芸術性というか可能性を模索している。同時に、チェ-ホフの戯曲は日常生活の中にある人の営みが根幹になっており、刺激的な出来事や事件は起きない。その変哲のない情景を少しでも印象付けようとしている。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セット、冒頭は ほぼ素舞台。あるのは下手にピアノとハンガーラックのみ。大きな空間になっているが、人物が登場して各々が上着を着る。そして激しいダンスを披露するが、何を表現しているのかは分からない。上手ドア(入口)が開き、テーブル、椅子そして梯子を場内に運び入れ、そこから物語が始まる。
ラストは、逆にそれらの物を奥の壁際へ運び、空間を確保する。人物は上着を脱ぎ、薄暗がりで淡色衣装が跳ね踊り、同時にその姿が後の壁に影となって妖しく蠢く。冒頭と最後をダンスで観(魅)せ、物語はその中(間)で展開する。勿論、劇中でもダンスシーンはあるが、それは演技の延長線にあるような動きである。例えば2人で愛を表現する場面では、ソシアルダンスのような優雅さ、そして全体的にはポップで軽やかなダンスで魅せる。
登場人物は、杖つく老教授・セレブリャコフと若く美貌なその後妻・エレーフ、一方、領地の管理に生涯を捧げたワーニャ(伯父)とその姪ソーニャ、そして自然環境の将来を気にかける医師アーストロフ、元地主・テレーギン、乳母のマリーナ、色々な立場の人物を配置している。立場は階級に置き換えることもできる。
物語は、淡々とした日常生活とその会話で舞台の雰囲気を漂わせた静劇であり、そのため身体表現や音楽等の効果的な観せ方が必要かもしれない。ジャンルの違うARTとの融合は、その意味で有機的な役割を試みているようだ。
公演では、身体表現のみならず、抒情的とも思える美しい台詞、工夫や計算された対話の妙など、様々な技巧が観てとれる。巧みな演出によって、チェーホフの人生観が垣間見える。終盤、勝手な言い分(提案)のセレブリャコフを銃で威嚇するが、そこに今までの労働(管理)を蔑ろにされた怒りを描く。チェーホフの「かもめ」では、〈芸術〉の中に生きる意味を与えているが、「ワーニャ伯父さん」では、もっと直接的な〈労働〉に生きる意味を見出している。日常の暮らしは、物静かだが 挫折、忍耐、そして働いて生きていくを実感させるに十分な迫力、緊迫感を漂わせていた。
次回公演も楽しみにしております。
闇にただよう顔 【満員御礼!11月6日17時追加公演決定!】
岩崎企画
シアター風姿花伝(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
硬質で骨太なノンフィクション作品。約60年前に起きた女子高生殺人事件を扱った法廷劇。舞台美術は四角いコロシアム内のような すり鉢状、何となく奈落を思わせる。色彩は黒一色、薄暗い照明ゆえ重苦しく緊張感を強いられる。実事件だから判決結果は分かっているが、公演を通して改めて事件の捉え方などを考える。けっして心地良い緊張感とは言えないが、それでも満足度は高い。
事件の詳細は知らなくても、名前ぐらいは聞いたことがある有名な刑事事件、その法廷審理を順々に展開していく。同時に差別問題を糾弾している。「闇にただよう」とは、判決結果だけではなく、その事件に潜む背景と真実とは を暗示しているような。この背景等を描かないと、ただの裁判の再現ドラマに終わってしまうし、逆に描き過ぎると啓蒙もしくは警鐘劇になる。その微妙なバランス感覚の上に成り立っているようだ。
演劇的な観せ方として、法曹三者の場所は固定せず、審理日に応じて変わる。時間的経過を表すとともに視点の違い、つまり差別・被差別(の立場)が解る巧さ。母と息子(被告)の回想シーンは、底である奈落で語り合う。上部(権力)からの睥睨・軽侮と見上げる姿という構図に問題提示が観て取れる。
37年間の教職生活を終えた岩崎正芳氏が企画した公演であり、当日パンフに自身を「暴走老人の青春」と記している。教職から演劇界へ、ご自分も弁護士役を熱演していた。その姿から第二の人生とも言える演劇ーその遣り甲斐・生き甲斐を強く感じる。そして「青春は続く・・・。」とある。次回公演も楽しみである。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし) 追記予定
ラビットホール
劇団昴
Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)
2022/10/28 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
傑作。
物語の悲痛さは、説明(あらすじ)から何となく(頭では)理解できるが、それを舞台でどう表現するのか。それも海外戯曲(翻訳)を…そんなことは杞憂であった。
舞台美術は、本当にその空間で暮らしているかのような精緻な造りであり、照明や音響といった舞台技術も上手い。しかし何といっても役者陣の熱演が凄い!台詞というか言葉に込められた真意、それを激情・激白する姿に感動する。瞬時に反応した台詞の応酬は、本当にそう思っているかのような、ゆずれない芯のある言葉となっている。家族という緊密な関係、そこに亡くなった子への想いを繋ぐ緊張した状況、共感必至の現代劇である。
(上演時間2時間15分 途中休憩含む)
ネタバレBOX
舞台美術は、円を描くような丸みを帯びたフローリング風の舞台。入口側からダイニング・キッチン、反対側に回り込むようにしてリビングルーム、ソファや本棚がある。舞台中央の客席側に丸テーブル、そして玩具・絵本・ぬいぐるみが置かれている。同一空間に亡くなった子供部屋を作ることによって 子を思う悲しみを漂わせる。精緻な造作だけではなく、そこに込めた想(重)いが切々に伝わる。
ニューヨークに住むベッカ(あんどうさくらサン)とハウイー(岩田翼サン)。1人息子(4歳)のダニーが事故死して8か月経つ。同じ喪失感を抱いているはずだが、ベッカは子供の遺した服や玩具 絵本を捨て続け、ハウイーは思い出を残そうとする。悲しみを感じる場所が違うかのように衝突する2人の言葉は重苦しい。自由奔放な妹イジ―(坂井亜由美サン)は妊娠し、11年前に息子を亡くした母ナット(要田禎子サン)は今も思い出に浸る。そんな2人の会話も交え、ベッカとハウイーは ますます亡くなった子を思う悲しみと寂しさを増していく。かみ合わない嘆きと悲しみを抱え苦しむ二人。そんな時、ダニーを轢いた少年ジェイソン(町屋圭祐サン)からの手紙が届くが…。
米国戯曲を翻訳劇としてどう表現するか。日本語の語感が、心理劇としての色濃い内容の真意をどこまで伝えることが出来るのか。頻繁に使われる「OK」は、短い単語であるが、そこには肯定であり、これ以上の会話を拒絶するような意思表示を表す。日本語の中に英語を発する違和感、そこに たんなる感情とは別の意図を感じる。事件ではない、やむを得ない出来事だったとはいえ、誰かをそして何かを責めたくなる感情は抑えられない。その表し難い感情-心の想いを的確に表現した英単語で、上手い翻訳?だと思う。
登場人物は5人。それぞれが負っている、もしくは負うことになる想いが、一語一句に込められている。同時に言葉に表せない心の内を、表情や仕草で体現する。子供服をたたむ、子のビデオテープを観る、玩具等をゴミ袋へ、何気ない光景のようだが、母であり父である想いが伝わる見事な演技である。勿論、妊娠したイジーの腹部、ナットは孫のジミーと息子を知らず知らず重ねて話す。そんなリアルさスキの無さが巧い。
ジェイソンとベッカの会話。自分なら息子を轢いた少年と会うだろうか。そんなことを考えた。
彼が書いた手紙ー小説、その仮(空)想の物語に入り込む。宇宙は無限、そこに存在すると信じているパラレルワールドは、悲しい世界(だけ)ではない。しかし 今いる世界では、子供の物を処分しても、けっして子がいたという事実は消せない。ミラーボールの回転によって星空のような世界が出現する、ベッカは その中をグルッと回って何かを感じる。今後、ベッカとハウイーがどのような生き方をするのか気になってしょうがない。
次回公演も楽しみにしております。
狼少年タチバナ
劇団牧羊犬
恵比寿・エコー劇場(東京都)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/31 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
2015年初演の舞台映像は、門真国際映画祭2020舞台映像部門で優秀作品賞はじめ4つの優秀賞を受賞…この舞台の映像はどのように映っているのだろうか。「再演を望む声も多かった『狼少年タチバナ』を、キャストを一新して7年ぶりに上演」、その謳い文句から、自信作ということは分かったが、なるほど 力作であった。
当日パンフに主宰で作・演出の渋谷悠氏が「嘘と事実をごちゃ混ぜにされるのが一番タチが悪い。自覚がないなら猶更のこと。そこに悪意はない。しかし被害はある。この物語はそんな人物と接した僕の実体験から生まれた」とある。それだけにリアルであり、舞台としての力強さ芸術性を高めた原動力があるようだ。
少しネタバレするが、嘘の力と信じ抜く力は 何度も嘘をつく男とそれを最後まで信じようとする男の友情のよう。ラスト、2人の男の悲哀でもあり滑稽でもある人生模様がしみじみと描かれていることに気づかされる。これはウソではない。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、半円形の舞台を場面に応じて回転させる。冒頭は主人公・嘘の力-橘史郎(徳岡温朗サン)の家の中、半円台の右手壁に大きな抽象画、左側に窓・カーテンがあり、円台外の上手に木製のテーブルと椅子、下手に座卓が置かれている。一方 信じ抜く乾六郎(長部努サン)が服役していた刑務所、妹とその同棲相手の家、更に煉瓦作りのワインバーの店内というように場景を変え、その場景内で一つの物語を作り、全体を構成する。別の場所だが、同じ時間が流れているような観せ方は、人物の置かれた状況や心境の違いを比べるような効果がある。そこに自覚なき嘘つきの楽天さ、嘘と知りつつ庇う悲愴さ、人生で味わう喜怒哀楽を2人の男にそれぞれ喜楽と怒哀に分けた理不尽を負わせる。
史郎は嘘つきだが、そんな自覚はない。自己肯定や自己愛性パーソナリティ障害としている。それだけに始末が悪い。一方、六郎は養護施設育ちで、本当の生年月日や名前を知らない。幼馴染の史郎が何気なく、誕生日や名前を付けてくれたことに恩義を感じている。後々分かるが、史郎はそんなことをすっかり忘れている。
やがて史郎の嘘が詐欺になり、その身代わりとして刑に服することになった。4年の月日が流れ、史郎は六郎の出所祝いにパーティを開催するが…。
史郎の妻 のり子(井上薫サン)は、史郎の嘘に耐えられなくなり耳が聞こえなくなる。人の言葉が恐怖なのだろう。彼女はペット(ハムスター)を飼うが長生きしない。徳川幕府の歴代将軍の名を付けるが、既に八代目(吉宗)になっている。実はペット虐待をすることで心の均衡を保っている狂気が怖い。平穏であるはずの家庭が、夫の嘘の身近な被害者が妻という皮肉。嘘がつけず愛想笑いをする姿が痛ましい。薄暗い照明の中で、飼っているハムスターに話しかけ毛を毟る。そこに夫の性質に追い込まれた女、複雑な人間の感情と本質を鋭く抉り出している。
登場する人物は、六郎と史郎に限らず 真偽といった性格というか性質に括れるような描き方だ。史郎とビジネス提携をする宇田川兄弟、兄の雄二は信じて疑わない、一方 弟の伸二は疑り深い、ワインバーの夫婦、夫の茂夫は裏表がなく、妻の深夜子は過去に犯罪歴がありそう。人の両面を何気なく人物像に担わせ、サブリミナル効果のように「嘘の力と信じ抜く力」を物語に落とし込んでいるようだ。ラストが秀逸…イソップ寓話「嘘をつく子供」のように、パーティ参加者が次々に帰ってしまい 最後は誰からも相手にされなくなる。まさしくオオカミ少年だ。
舞台美術は勿論、音響や照明といった舞台技術も効果的な役割を果たす。しかし 何といっても役者陣の熱演がこの舞台を支えている。初演からキャストを一新したとあるが、この公演でのキャストは夫々のキャラクターを表し、実際 居そうな人物像を立ち上げている。言葉としての台詞だけではなく、言葉に出来ない〈思い〉のようなものが表現として伝わる。
次回公演も楽しみにしております。
短編劇集「新江古田のワケマエ」
劇団二畳
FOYER ekoda(ホワイエ江古田)(東京都)
2022/10/29 (土) ~ 2022/11/03 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
【A】「そう言われると今年一番はあの日かな」【B】「咲良を待ちながら」観劇
江古田にある古民家を改造した会場。劇団名からも明らかなように、二畳分のスペースと最小限の音響・照明効果だけで公演を行う。公演は、約30分の2短編の上演だが、実に味わい深い内容であった。
もしかしたら遭遇する、若しくは経験するかもしれない、そんな奇妙な感覚にさせられる作品。現実から少し離れた設定だが、皆無とは言えない微妙なリアルさが面白い。同時に、会場が面している千川通りの車騒が、絶えず日常を意識させるから、何とも不思議な気分になる。
勿論、素舞台で役者の演技力だけで観せることになるが、両作品の出演者とも見事な表現力であった。共通して言えるのは、「間の取り方」 その空白(無言)のような時間の使い方が上手い。何となく隙間は埋めたくなるが、敢えて話(筋)をピーンと張らないで、逆に弛めることで物語に込めたテーマらしきものを表現する。当日パンフにあった「日常とは違う時間の流れを感じて」は十分に伝わった。
(上演時間1時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
【A】「そう言われると今年一番はあの日かな」
場所は埼玉県飯能市、劇中でも言っていたがムーミンのテーマパーク「メッツァ」があるところ。サバイバルゲーム施設にゲームをするために来ていた砧三二六(中込博樹サン)は、尿意をもよおし、サバイバルゲームのフィールドを外れ山道へ。そこで自殺?首に縄を巻き付け、片方の靴が脱げている籾田桜那(丸山小百合サン)に出会う。少し酒に酔っているようで呂律が怪しい。2人が話していると、1日2杯のデリバリーコーヒー、行商人風の滝沢つばさ(たきざわちえ象サン)がやって来る。桜那はブラック企業に勤めているようで、労働条件は劣悪、辞めたいと呟く。しかし辛抱・我慢が足りないと思われるのが癪に障る。周りの評価も気になるが、つばさ は簡単に辞めちゃいなという。命があるから後悔出来る。要は命あっての物種だ。話の内容は重いが、雰囲気は柔らかい。コーヒー1杯2,000円、屋外にも関わらず本格的に豆を挽く。コポッコポッという音が聞こえるだけで、沈黙の時間が流れる。張り詰めた気持ちを和らげる、そんな優しい情景になってくる。
中込さんは会場外から現れ、尿意をもよおしているわりには落ち着いている。二階から縄、それを手繰り寄せると 丸山さんがよろよろと階段から下りてくる。その首に縄が巻き付いている。片手にアルコールの3~4Lペットを持ち千鳥足である。2人の演技は珍妙であるが、観入るほど巧い。ほどなく会場外から たきざわ さんが荷物を背負い入ってくるが、その飄々とした演技が仄々とした雰囲気を漂わす。三者三様の演技は柔らかいが、観る者の心をつかんで離さない研ぎ澄まされた感性 表現力に感心する。
【B】「咲良を待ちながら」
タイトルから「ゴドーを待ちながら」を連想するが、けっして不条理劇ではない。
場所は江古田にある田中家、高校の卒業式の夕方。母 田中和子(五十嵐ミナ サン)、兄 武尊(吉岡圭介サン)が卒業祝いに寿司の出前の話をしているところへ牧田竜也(長谷川浩輝サン)がやって来る。高島平に住んでいる竜也は、三年間片想いの相手・咲良へその想いを伝えたい。しかし、咲良は友人とカラオケに行っており帰宅していない。仕方なく、その家族と共に帰りを待つことになる。そこへ父 正博(小泉匠久サン)も帰宅し事情を聞く。思わず缶ビール2本をたて続けに飲み、気を落ち着かせようとする。暫し無言、その何とも言えない気まずさ 微妙な空気が流れる。結局 咲良は帰ってこず、竜也の帰り際、父は一瞬彼の袖口を掴む。そこには在りし日の自分の姿を見たのかも知れない。父・母も高校の同級生で、母の(義)父からは帰れ!と言われた経験があるよう。そんな懐かしい気持ちになったかのよう。
五十嵐さんは、娘への想いを告げに来たことを素早く察知する、自然体の母親を見事に体現する。小泉さんは、逆にどう対応すればよいのか戸惑う姿が 父親らしい。思わずアルコールに手を出すところは、その心境を上手く表現している。吉岡さんは妹のどんなところが好きなのか興味津々といった兄らしい感情を表す。ある意味 主人公の長谷川さんは、おどおどした落ち着きのなさ、そして ぎこちなくも真摯に接しようとする。それぞれの表情や仕草から溢れ出す感情表現、その場の少し軋んだ音が聞こえそうなほど上手い。
次回公演も楽しみにしております。
インディヴィジュアル・ライセンス
24/7lavo
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2022/10/27 (木) ~ 2022/10/31 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
中年女性が、運転免許を取得する過程を通して、自分のこれからの生き方を模索し、家族とは何かを考えた快作。夫とは職場結婚、子供が出来たことで結婚 退職し、そのまま家庭に入った。子供が成人し手が掛からなくなったこと、自分で車を運転して どこかへ行ってみたい。夫が運転する車(人生)に乗っているだけではなく、自分が運転することで 主体的に生きるという比喩が込められている。当日パンフには「インディヴィジュアル」=「個々の、単一の、別個の」という意味がある、と記してある。家族の話であるが、同時に1人の女性の物語でもある。
家族1人ひとりが物語から抜け出し、俯瞰するような立場で話の流れや状況の変化を説明する演出は上手い。家族であれば言わなくても分かり合える、という訳ではなく、それぞれがしっかり向き合うことが大切。そんな当たり前のことを解らせる説明シーンである。流れということでは、登場人物が衣装替えを適宜行うことによって、時と状況の変化を表す。
「失敗する”権利”を奪わないで!」は劇中の台詞、失敗することで味わう痛み・苦味が無ければ、人間は成長しない。それが運転免許取得=自分で人生行路の家事ならぬ舵を握るに繋がり、深みある内容に仕上がっている。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、登場人物の所在を表す場所をコンパクトに作り出している。客席はL字型、その対角線上に黒座椅子4つ、その前に黒のソファを置き車を連想させる。その右側に主人公宅の木製ダイニング、左側にファミレスを思わせるテーブルと椅子がある。シンプルな造形だが全ての場景を表している。
妻であり母であるが、1人の女性でもある。大沢みのり(新井友香サン)は、子供たちも独立するような年齢になり、家族旅行の時に見た富士山の景色に何かを感じ、自分で運転免許を取得しようと決意する。夫・宏作(有馬自由サン)は、心配という思いやりのような気持の裏で 家庭内へ縛り付ける、そんな男の勝手さを描く。子供たち…兄・達也(平井泰成サン)は、ブラック企業勤務なのか 自宅ではイライラし不満をぶちまける。妹・絵里香(環幸乃サン)はゲームという仮想世界にハマっている。夫々の思いを抱き、一つ屋根の下で暮らしているが、まとまっているとは言い難い。
どの家族にも家庭の味というものがあるのだろう。大沢家では皆で作る餃子が物語の隠し味になっている。そして、いつの間にか 夫婦はお互いの名前ではなく、「母さん(ママ)」「父さん(パパ)」と呼び合い、その役割のまま過ごしている。1人の人間としての人生、それをいつの間にか置き去りにしてしまった。象徴的な台詞として「母親養成ギブスで自分自身を縛っていた」と言う。
一方、教習所教官・島原結衣(森谷ふみサン)は、夫と離婚し自立している。元夫・柴田勝(金田一央紀サン)は、漫画家で己惚れ 自意識過剰の性格のようだ。別れて7年、まだ結衣に未練があるようだ。コロナ禍という今状況も物語の中に落とし込み、リアル感を表す。
大沢家の みのりと 宏作は久し振りに名前で呼び合い、少し照れ臭いが新鮮な気持も甦る。結衣と勝、この元夫婦も現状を見直し、夫々が自立し始めようと…。
物語は順々に展開するが、登場人物が適宜 衣装替えをし 時と状況の変化を表す巧さ。
さて、教習所教官と教習生、2人の女性が意気投合して向かう先はどこなのか。当面は北海道 斜里町の絶景ルート「天に続く道」を目指すが、それから先は自分の時間と生き方を更に模索するような清々しさ。
次回公演も楽しみにしております。
立飲み横丁物語
劇団芝居屋
ザ・ポケット(東京都)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
昭和の日本映画(界)を牽引した仁侠映画、その象徴的な言葉が「義理」と「人情」。そのヤクザの世界と縁を切った 正統派の的屋組合とその周りの人々のコロナ禍における悲哀と奮闘を描い物語。芝居屋は現代の「世話物」の創造を目指し「覗かれる人生芝居」というコンセプトの下に役者中心の表現を模索している。その覗かれる立場から、逆に庶民が見(置かれ)ている今の状況…コロナ禍、物価高そして戦争という台詞がポロッともれる。
演劇という「見世物」だけではなく、そこには社会を冷静に見詰め、庶民が置かれている状況を過不足なく描く。芝居屋の公演は 表層的な解り易さだけではなく、ヤクザの世界とは違う地域や職域に密着した「義理」と「人情」という諦観と情感、それを役者の演技力で力強く そして魅力的に表現する。そこに芝居屋・演劇の真骨頂を観る。
(上演時間2時間20分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
冒頭、立飲み屋のカウンター内で的屋の口上ー七味唐辛子のレシピを小気味よく喋る花村凛子(増田恵美サン)の観(魅)せる掴み。長台詞だが立て板に水のようで聞き惚れてしまう。そこに本当の的屋姿を見ることができる。
舞台美術は、冒頭は立飲み屋のボトル棚やカウンター、そしてビールケースが置かれているが、開店と同時にビーブケースを3段に積み重ね立飲みらしいテーブルを作り出す。
経営(高利貸しが絡んだ経営危機)や地域活性化といった庶民の暮らしが描き出される。まさしく芝居屋のスローガンそのもの。
全体を通して分かり易く、現実にもありそうな物語。それに現在の地方都市が抱える地域事情を絡め、しかも人情と義侠ある人々で豊かに紡ぐ。その社会性と人間味を丁寧に描く公演は観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
Amazing Musical Concert
ZETUBI
よみうり大手町ホール(東京都)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/26 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「新しいコンセプトでお届けするミュージカルコンサート。魅惑的なキャスト11名がバラエティ溢れるミュージカルナンバーを存分にお贈りする」という謳い文句。何が新しいコンセプトなのかと思ったら、ミュージカル曲を選びメドレーで歌っていくもの。説明にある通り「アナと雪の女王」でハンス王子役を務めた津田英佑サン、元劇団四季で数々のヒロインを務めた沼尾みゆきサン らのミュージカル コンサートというもの。11人の歌手は、それぞれの歌声で聴かせ、同時にダンスやコミカルな演技で観(魅)せてもくれた。例えば、沼尾サンは声学科卒であるが、ソプラノとポップスを見事に歌い分けていた。
構成・演出は、自分でも歌うtekkan サンである。曲名は歌う前か歌った後に紹介するので、知っている曲ならばすぐ分かるが、聞いたことがなければ後から調べなければならない。せめてミュージカル名・曲名の一覧を配布してくれると嬉しかった。歌はスタンドマイク、ワイヤレスマイク等、振付けの有無によって使い分ける。演奏は、後方 上手からヴァイオリン:松本由梨サン、パーカッション:森拓也サン、ピアノ:小澤時史サンが並んでいる。三者三様で楽しく演奏しており、歌い手のパフォーマンスと演奏者のパフォーマンスの競演を見ているような。
歌い手は、曲目の都度 衣装替えをしており、演奏者も適宜 音響に変わることによって舞台から姿を消す。
歌だけではなく、合間にトークを挿み面白可笑しさで和ませる。その場で思い付いたような会話のようだが、実は用意周到に話題を提供している。例えば、津田英佑さんが煌びやかな衣装を着ている話題…ビーズを使って自分で舞台衣装を縫っていると話す。このビーズ、当日配付された袋の中にフライヤーと一緒にビーズが入った小袋、そこには「ビーズの宝石箱」と書かれている。どこかと協賛だったのだろうか。
カーテンコールで、エンターテインメントは、演者と観客がいて成り立つ。コロナ禍では有観客での上演は難しくなり、その意味では本当に嬉しいと…。観客からしてみれば、こんな素晴らしい一日(夜)を過ごすことが出来て満足だ。
(上演時間2時間 途中休憩含む)
ネタバレBOX
ソロで朗々と歌う、男性・女性・混成の重唱など、様々な聴せ方をする。それに伴って衣装を着替える。例えば、初めの曲はアンサンブルを担う女性は白い衣装に黒ベルト、男性は礼装、ソロ担当はそれぞれ個性ある衣装を着ている。勿論、その色合いに合わせた照明効果も上手い。
先に記したトーク以外に、声のケアはどうしているのか。こちらはミュージカル俳優にとって真面目で切実な質問。あまり神経質にならない、睡眠をよくする、そして質問者自らは白湯を飲む と話す。ボーイズトークがいつの間にかオヤジトークになったと自虐的な釈明で笑いを誘う。
素晴らしい一日と記したが、自分の視界に記録機材(カメラ)と担当者が入る。それだけであれば あまり気にしないのだが、途中でトラブルがあり、担当者が慌ただしく調整し出した。その動きが どうしても気になった。
次回公演も楽しみにしております。
テノヒラサイズの人生大車輪2022
BALBOLABO
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2022/10/20 (木) ~ 2022/10/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
当日パンフに作・演出のオカモト國ヒコ 氏が「情報解禁が2週間前という訳のわからない公演、『そして誰が来るんだよ、2週間前の告知で』」とあるが、それでも最終日の残席は僅かという状況だ。やはり面白い演劇は待ち望まれていることの証だろう。
「世界一優しい監禁サスペンス!椅子だけですべてを表現する、奇跡のパフォーマンスコメディ!」という謳い文句、誇張なく上演時間がアッという間に過ぎる。さてコメディとあったが、劇中の台詞ではないが、右か左か行く判断を誤ると喜劇が悲劇になるような怖さを孕んでいる内容だ。公演という車輪が順調に回るか脱線するか、それはキャスト・スタッフの熱量次第ではなかろうか。僅か2週間前の情報解禁で この評判の良さ、見事であろう。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術はパイプ椅子が7脚、横に並んでいるだけ。そこに赤いツナギ服の男女7人が縛り付けられている。
此処はどこだ、どうして監禁されたのか、お互いに面識がない、どうしたら脱出できるのか、といった謎が広がり そして深まる。ミステリアスな展開の脱出劇は、車輪のように重なり合うというもの。謎解きは、一人ひとりの生き方に関わっており、それぞれの人生を回想していくと…。結末は ぜひ劇場で観てほしい。
物語の展開は、ジグソーパズルのピース(人)をはめていくような感じである。個々のピースの形は確かであるが、それを全体でみると うまく収まらない。人々のキャラクター、過去状況は鮮明になっていくが、それを組み合わせても釈然としない。その空白のような感覚を”余白”か”隙間”で捉えれば、”余裕”と”理屈”に分かれるかもしれない。ストーリーを重視すれば、キッチリ隙間は理屈で埋めたくなる。しかし、敢えてのパフォーマンス重視の観せ方にしている。その演出...外見上は全員ツナギ、パイプ椅子という同じものだが、人の内面を見れば、様々な人生模様が見えてくる。
この芝居の面白いところは、それでも結末の方向によっては喜劇が悲劇に変る可能性があること。自分の知らないところで、人の役に立っていることもあれば、恨み妬みといった悪感情を抱かれている可能性もある。そこに懐が広く深いものを感じる。案外、喜劇が奇劇で、悲劇が飛劇かもしれない。公演(情報解禁が遅くても)を通して、小演劇の世界は口コミですよ、改めて演劇愛ある人の繋がりの大切さを知る。
もう一つ、パイプ椅子を自由自在に組み合わせ色々な情景・状況等を作り出し、素舞台に豊かな世界観を演出する。役者は、その椅子を手際よく動かし、背凭れにある空間を潜り抜けといった身体表現で観(魅)せる。ほぼ全員が出ずっぱりで、名無しの役を演じ切る。その熱演こそがこの舞台を支えていると言えよう。勿論、照明効果で臨場感を表す。
さて、”パフォーマンス”という身体性で観(魅)せるだけではなく、そこに社会性などとあまり堅いことは言わないが...。それでも現実と空想のような出来事を綯い交ぜにし、演劇的な興奮を加速させた快作。
次回公演も楽しみにしております。
SessionYoshiya・語り
かわせみ座
プーク人形劇場(東京都)
2022/10/18 (火) ~ 2022/10/22 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
㊗創立40周年公演。
「かわせみ座」公演は、たぶん初めての観劇だが、人形と人間が織りなす壮大・深淵な物語に上演時間を忘れるほどだ。が 少し気になったことが…。何か違和感のようなものが残ったが、帰り際にスタッフに確認して納得した。
アンコール…薄暗い中で 白い羽が舞台空間を自由自在に飛び回る、その優美で幻想的な光景にウットリする。そして谷川賢作さんが これでお仕舞いと告げる。舞台には演じてくれた人形が並んでいるが、そのうちの一体が登場していない。何故という疑問、それが少し気になったので、思い切ってスタッフに聞いてみた。毎回内容が異なり、操演する人形も違うという。登場しなかった人形は「森の妖精」というらしい。あぁ、人形にも名前というか役割を表す名があったことを改めて思い出した。人間同様、一体一体に個性や役割があるのだ。谷川さんが内容・粗筋のようなものは用意していないと説明していたが、せめて今回観(登場し)た人形の名を知ることが出来れば、想像力に羽ばたきが出来たかも知れない。そう、当日パンフにあった「何もない舞台が、果てしない空に海原に、そして森になる。あなたの想像力の翼で、軽やかに宙を舞い、身をゆだねたゆたう」ように…。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
上手に姿・形の違う人形が(吊り)並んでおり、下手は演奏スペース。観た回 パンフレットでは、谷川賢作氏(ピアノ・作曲)、高瀬”makoring"麻里子さん(うた、朗読)、大坪寛彦氏(ベース)となっていたが、もっと多くの役割を担っていた。というかご本人も楽しんでいるように見えた。その様子が観客にも伝わり、公演全体が優しく温かい雰囲気を漂(ただ酔)わせていたような。
名前は分からないが、童女・一角鬼・木馬・少女・(狐顔の)龍のような・熊(ぬいぐるみ)・老女・河童・アバター女(ネイティ)・箱の少年・天使(全て自分のイメージか人形の姿から勝手に命名)が、山本由也さんに操られ次々と登場する。「操られ」と言うと語弊があるかもしれない。薄暗い中、人形に光が照らされ、命(魂)が吹き込まれたかのように動き出す。勿論、本体だけではなく手指や足先の細かな動き、目が開き表情が作られる。例えば童女であれば、可愛らしい仕草や飛び跳ねるような動きをする。それは他の人形にも同じことが言える。そして光が消えると眠りに入るかのように元の場所へ戻っていく。
当日の演奏者は、単に楽器の演奏や歌を歌うだけではない。人形との掛け合いをすることによって、物語の世界を広げ深堀するような役割を果たす。歌であり語りでもある。演奏は谷川さんのシンセサイザー、大坪さんのベース、そして高瀬さんは歌と小物アンサンブル(楽器)で色々な効果音を奏でる。勿論 3人のハーモーニーは見事で、人形の操演と演奏のコラボレーションを楽しんだ。谷川さんが悪ふざけをしたと言っていた 河童の操演、酔った動きに合わせた某日本酒メーカーのCMソング、良し悪しはあっても人生に酒はつきものか?そう考えれば、(順序不同であるが)登場する人形を人間の人生に準えた物語であったのだろうか。
箱から出てきた小人サイズの少年、舞台だけではなく(最前列=指定席の)観客の頭を撫でたり、寛いだりするといった客弄り(サービス)に笑いを誘う。何となく正月や祭で獅子舞に頭を噛まれたり、頭を撫でると知恵が付く縁起物を連想した。その表現は人形操演という見事な演技(技術)だけではなく、いかに観客が楽しみ喜んでもらえるのか、を考えたもの。
次回公演も楽しみにしております。
高島嘉右衛門列伝4
THE REDFACE
横浜関内ホール(神奈川県)
2022/10/20 (木) ~ 2022/10/20 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
令和4年度(第77回)文化庁芸術祭参加公演、観(聴き)応え十分で堪能した。SOLDOUTの人気公演というのも肯ける。
前回公演の乾惕編も観ているが、今回の総集編・上では、幕末という激動の時代の中で、稀有な商才や易占を発揮した高島嘉右衛門という人物の半生が鮮やかに描かれる。物語は、長州藩・松下村塾の吉田松陰と その門下生との親交、そして明治新政府の近代化の一翼を担う活躍をした易聖の嘉右衛門のトピックを交錯させて展開する。時代という中に、人物伝が生き生きと綴られる。
勿論、役者陣の朗読は素晴らしいが、音響や照明といった舞台技術もその効果を発揮し映える舞台にしている。
(上演時間2時間 途中休憩10分含む)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に少し高くした平台、その上に大きな枯れ枝と中央部分のみ赤い花オブジェが置かれ圧倒的な存在感を放っている。その両脇に椅子、そして上手 下手にも椅子がある。役者は舞台を行き来したり、花がある所の椅子に座り、場所という空間の違いや情景・状況といった光景を観せる。また舞台幕の開閉で、上手 下手の椅子に座り状況の説明や心情吐露で、物語と一線を画す観せ方もする。シンプルな舞台セットだが、もともと朗読劇であり 多くの身体表現をしないから理に適っている。そして想像力を喚起させるには抽象的な造作の方がよいのかも。
前半は、尊王攘夷を声高に叫んだ吉田松陰とその門下生を中心とした幕末動乱、その中で嘉右衛門が果たした役割が紹介される。列伝となっているが、あくまで志士たちと知り合いであり、表舞台での活躍とは言えない。幕末では事業の成功、失敗の繰り返しという破天荒さが描かれている。休憩後の後半、明治維新後の新政府との関わりに高島の人間性が表れてくる。商才に長けていたこと、巨万の富を得るが、欲得だけではない懐の深さを描く。それが東京・新橋と横浜を結ぶ鉄道敷設に関わり、海面埋め立て工事を請け負ったこと。また旧南部藩の借金減免を新政府に嘆願助力したことを熱く語る。
さて、同じ「高島嘉右衛門」でも前回の乾惕編に比べると、今回は「時代の流れ」の中で人物を描いている。人間としての魅力は、その時代(背景)の中で、どう生きたかといった生き様、そこに魅力を見出すのではないか。その意味で、潜龍編・見龍編(2編は未見)・乾惕編ーー何回かに分けて高島個人のトピックや、同時代の人物との交流を時代に沿って順々に描いてきたようだが、「(明治)時代の黎明というか息吹」が細切れになり、時代のうねりというダイナミックさが十分伝わらなかったのではないか。前回公演の「観てきた」で、「『高島嘉右衛門列伝(全編)又は(前編/後編)』を上手く纏めることが出来れば、更に時代の流れの中に高島の偉業が(次々)表れ魅力ある人物像が立ち上がると思う」とコメントした。激動の時代を駆け抜けた嘉右衛門の生き様が、生き生きと描かれており、その魅力ある人物像が目の前に立ち上がってくるようだ。
勿論、役者の演技は1人ひとり登場人物の特徴(容姿も含め)らしきものを捉え、物語の中で生き活きと描き出している。衣装…男優陣は黒っぽい上下服に同色シャツ、女優陣は着物姿といった外見上はほぼ同じで、あくまで朗読・演技の中で個々の力を発揮している。1人複数役を担っているが、例えば嘉右衛門の妻・庫(鈴木杏樹サン)は亡くなると、舞台を下り客席通路を通り姿を消す。「亡くなる=舞台を下りる」を重ねるが、そこには観客へのサービス(通路を通るから 間近に観られる)のようなものを感じた。そして別の役として舞台に上がる。朗読劇であるが、男優は汗が流れるほどの熱演、女優は妖艶さを漂わせた、見事なバランスで観(魅)せていた。
次回(総集編・下?)公演も楽しみにしております。
「Post Tenebras Lux. (ポスト・テネブラース・ルークス)」
Antikame?
雑遊(東京都)
2022/10/18 (火) ~ 2022/10/25 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。【あいまいなしっそう】
奇妙な設定から垣間見える日常の不安や曖昧さ、その不確かさによって情緒の揺らぎを描いた秀作。見ず知らずの人と ひょんなことから話し出すが、そのきっかけが奇抜である。変哲のない日常の景色が少し違って見える、いや変えたい思いがある。しかし それは錯覚のような事実のような。
ラスト、不安と勇気は背中合わせ。躊躇する思いを奮い立たせ一歩前に進む、その瞳に映る光景はどんなものか。そんなことを問い掛け、想像させる余韻が…。
女優3人による確かな演技が、”表し難い情況”をしっかり形として観せ 感じさせる。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、古い歩道橋の手摺、真ん中にドアが倒れている。舞台下、客席との間に椅子2つと大きなクッションが上手に置かれている。上が外の風景、舞台下が室内を表す。どちらも普段の暮らしで見かける。ただ違うのは、落ちていたドアがあるということ。
毎朝、見かけていたが名前さえ知らない女性2人、向中野蕗子(花島希美サン)と小笠原可奈(永濱佑子サン)が、歩道橋の真ん中に倒れているドアに興味を示す。2人が協力してドアを立ち上げ、蕗子が支え 可奈がドアを開けてみる。同じ空間であるにも関わらず、違った風景が見えたような気がした。このドアが数日間放置されており、2人は気になってしょうがない。可奈の友人・江尻亜美(わたなべ あきこサン)はその話に興味を示しつつも、自分の目下の関心ごと、それは可奈の元カレ<あんどう君>と付き合いたいこと。2人の会話が登場しない あんどう君の人物像を立ち上げ、存在感を増していく。それがドアに繋がっていくという、少し強引な展開だが、序盤のドアを開けたままの光景に結び付ける。
一方 蕗子は理想のような夫と暮らしているが、苛立ちを覚えてしまう。何でも笑って許してくれる夫、その完璧さが鼻につく。隙のない夫と本音で向き合えない悲しさ寂しさ。可奈は出会った時に蕗子が呟いた「しっそう」(状況的には<失踪>)したい という言葉に驚く。そんな蕗子に淡い恋心が芽生えた可奈自身の戸惑い。ドアを開けなかった蕗子は、家庭(夫)という目に見えない鎖に繋(縛ら)れた景色を見ていた。舞台の上に立たせたドアの上手下手は同じ空間だが、開ければ違う景色が見え、閉めれば二つの違う空間に分かれる。
<あんどう君>を通して、可奈と亜美の夫々の思いを遂げる。可奈は、曖昧な態度を改め明確に別れを伝え、亜美は成就させようと必死の工作をする。蕗子は夫と別れる決心をして…。ドア(の開閉)を通して、普段の暮らしにちょっぴり変化をつけて違う光景をみる。曖昧な関係の先にある透明になるまで…こちらは「疾走」する言葉に変換するようだ。
公演の面白いところは、物語の端々に詩的な言葉(台詞)があり情緒を感じるところ。さらに亜美がピアニカの演奏、落語、そして表現しにくい "ぼよよ~ん"という脱力系の仕草で曖昧さ 揺らぎを表現する。敢えて観せるシーンを挿入し、演劇的な面白可笑しさを強調させたかのようだ。勿論、照明の諧調によって時間や状況の変化を印象付ける。
あまり利用されなくなった歩道橋(近くに横断歩道がある)とはいえ、数日間放置されているのは現実的ではない、などとは言わない。出来れば、その数日間の時間的な経過を表すため、せめて上着だけでも衣装替えをしては と思った。
次回公演も楽しみにしております。
『地獄変』
芸術家集団 式
シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)
2022/10/15 (土) ~ 2022/10/17 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
シンプルな舞台美術、というか ほぼ素舞台に近い。暗幕に囲まれ中央に大きな台座、その天板部分が鮮やかな赤色。情景に応じ、役者はその上に座り、立ち上がり、飛び降りるといった演技を観せる。劇団山の手事情社の公演を観たと言えるほど多くは観ていないが、それでも特徴的な身体表現は、らしいと思ってしまう。
原作、芥川龍之介の小説「地獄変」は、ずいぶん前に読んだ記憶があるが、ほとんど覚えていない。公演を観ても、そうだった という記憶のかすりもなかったが、逆にそれだけ新鮮に観ることが出来た。演劇家集団 式では、原作の核を観せつつ、現代に引き寄せた内容にしたように思う。地獄にも色々あり、一般的に連想する厳しい責め苦とは別の光景を描き出す。その新機軸を打ち出そうとする姿勢に好感を持った。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
公演のコンセプトは、「『語り』『会話』『ムーブメント』『抽象シーン』などに分解し、シーンを構成」するというもの。冒頭は、語り部が、観客に向かって あの(地獄絵)屏風が見えますか、という問い掛けから始まる。勿論 何もないから観えるはずがないが、そこは想像力をはたらかせてと言う。冒頭、主人公の娘・露草が子守唄「ねんねこさっしゃれ」を歌うが、何とも物悲しい。
会話は物語の中で紡がれ、粗筋を順々と展開していく。ーー大殿様は伝説的な画師・良秀に「地獄変」の屏風絵を描くよう命じる。良秀は創作に取り掛かるが、屏風絵の肝心所が容易に描くことができない。良秀は大殿様に、檳榔毛の車に上臈を乗せて焼いて欲しいと頼むが…。地獄の描写を描くために自分の娘を犠牲にする。この芸術のためにはどんな犠牲もいとわない姿勢、それが よく芥川自身の生き様と重なると言われている。
黒衣装の男女7人、紡いで見せる世界は、至高芸術を目指す画師を描いた時代絵巻。業火を連想させる赤い色、同時に血をも連想させる。全体が薄暗がり、その中で赤色は印象的であり象徴的でもある。ラストは赤い薄布を左右に渡し、その奥に多くの人々が業火に見舞われ阿鼻叫喚するような人影を映し出す。摺り足のような動き、台座から飛び降り転がる。一見 様式美を思わせるようなムーヴメントが妖しげに観える。
この世は、通勤地獄・受験地獄等、多くの生き地獄がある。例えば、役者が密集し揺れ動き、一言「新宿」と叫ぶ。また女性を両脇から抱え上げ、くすぐるという笑い地獄…そこに人生の喜怒哀楽に伴走する地獄の表現が透けて見える。地獄は、何も描かれている芸術家(画師)や特別な仕事をしている人だけが感じるものではない。少し例えの次元が違うと思うが、今コロナ禍を考えてしまう。感染防止対策の一環として飲食店の営業(時間)自粛や旅行制限等は、感染(防止)と経済(生活)の天秤に揺れた。それでも営業や暮らしに創意工夫を凝らして地獄を乗り越えようとしている。現世でも来世でも地獄は憑いて回るのかも…。
本公演、芸術家集団 式の旗揚げ公演である。当日パンフのご挨拶に「未だ見ぬ表現に出会うために表現芸術の世界でその一端を担いつつ・・・芸術の世界を盛り上げていきたい」と記している。今を生きている証しの創意工夫、独創性の追求という 先のコンセプトをしっかり観(魅)せてくれた。それは役者陣の熱演があってのこと。
次回公演も楽しみにしております。