豊後訛り節
劇団1980
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2023/03/25 (土) ~ 2023/03/29 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
「別府三億円保険金殺人事件」…別名「荒木虎美事件」を描いた骨太・重厚な物語。緊迫感と臨場感、その圧倒的な演技力に観(魅)入らされる。事件の特異性を濃密に描き出した作品は、第23回テアトロ演劇賞特別賞」を受賞するほど高評価されたという。
主人公は強烈な個性を持つ容疑者、彼を取り調べる警察署の刑事たち、その息詰まる攻防が見どころである。そして警察=国家権力に見え隠れする体面と実状、その危うい均衡が現代社会に繋がっているかのようだ。偶然にも 公演前に東京高裁による「袴田事件」の再審開始が決定した。そのニュースと照らし合わせると、作品に描かれている”疑わしきは罰せず”という台詞、刑法の大原則 法諺に疑問を抱いてしまう。
タイトルにある豊後=大分県(別府)で起きた事件、それが全国的に有名になったわけは、多額の保険金額、容疑者の前科といった蓋然性、状況証拠の積み重ねだけで有罪に出来るのか否かが焦点。容疑者にとって、信じられるのは自分だけ。切羽詰まった状況から浮き彫りになる心情、それを荒々しい態度と行為で表現する。全編 豊後訛りで紡ぎ 地域性を表すが、内容は一地域に止まらない。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 追記予定
卍珠沙華
ヅカ★ガール
レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)
2023/03/22 (水) ~ 2023/03/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
未見の団体。全員女性で禁断の世界を描く。
満席の人気公演。キャスト全員での出迎えとお見送り(物販兼ねて)といった心配り👍
谷崎潤一郎の「卍」を、「令和5年の新解釈にて再哲学し、ズカ★ガール流に描き出した意欲作」という謳い文句…観(魅)せるといった華やかさが印象的であった。新作を書く”先生”の原稿用紙の上、四つ巴の恋愛悲喜劇を爛漫と乱れ咲くという執筆<行為>、それと作品<物語自体>として同時並行して展開していく。原作の「卍」<まんじ>は、その文字の形が、主要な登場人物4人(園子、光子、孝太郎、栄次郎)の輻輳した関係を暗示している といったもの。基本はそれを準えている。
今でこそ LGBTQはあまりスキャンダラスといった驚きはしない、というか 逆に現代の多様な性の在り方〈性的マイノリティ〉として注目されている。「卍」が連載された昭和3年当時は かなり刺激的だったのではなかろうか。「同性愛」という異常なる性愛奇譚、とは言えドロドロとした愛欲・溺愛といった執着心がない。そこが少し物足りない。むしろ或る種の清々しさ 華やかさ 幻想さが前面に出おり、その着飾りが裸の心を見えなくしている。
谷崎作品=耽美的と捉え、禁断の逢瀬をエロティシズムに満ちたものと勝手に思っていたが…。
(上演時間1時間15分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は雛祭り的な印象。場内は赤い幕(布)が飾られ、両端に雪洞が置かれ、花弁が散らばっている。中央にソファ、上手にアンティーク電話、下手側に机や書籍がある。所々に台詞(文章)が書かれた紙が貼られている。
配役は次の通り。
柿内園子:結崎あゆ花さん〈孝太郎の妻〉
徳光光子:妃咲歩美さん〈奔放・蠱惑的な女性〉
孝太郎:かまくらあや さん〈真面目な編集者〉
綿貫栄次郎:来栖梨紗さん〈光子の婚約者〉
先生:石黒乃莉子さん〈現実と劇中の小説家〉
原作「卍」は、両性愛の女性と関係を結ぶ男女の愛欲の話で、2組の男女の関係が交錯する まんじ模様の倒錯的な愛を描いた作品として紹介されている。面白いのは、作者<先生>が歪な愛の行方、その終着をどのように書くか自問自答する様子。自分で物語の世界へ入り込み、登場人物に問い 答えや体験を聞くようなスタイル。作者が物語の登場人物の一人になり、独白する。飄々とし悠然と煙草を燻らせるが、実は倒錯世界の未体験者=作者が、作品<艶話>のために苦悩するような。女の情念というよりは、愛とは何か、その”あるべき姿”に翻弄される姿を描いているようだ。
ズカ★ガール流の新解釈、再度哲学した「彼女たちの愛に教訓などない」は、現代性と結び付く。そして倒錯した愛からすこし離れたところから見守る、そんな別の愛情表現が女中:お梅(日替わりゲストキャスト:三葉彩夏サン)の存在である。曼殊沙華という天界の花ーおのずと悪業から離れることらしいが、それを「『卍』殊沙華」に置き換えて倒錯〈背徳?〉した愛を描く奇知〈皮肉?〉ある作品。
演出は、女性…園子と光子は着物姿、それから逢瀬を重ね 日々の移ろいを表す洋服姿へ。園子は白地、光子は赤地といった対象色で彩る。暖色照明が服地を鮮やかに映す。照明の諧調によって妖しい雰囲気を漂わし、その中で着物を脱ぎ肌を合わす艶めかしい肢体。かと思えば、男役(男装した)と溌剌とタンゴを踊る、といった変化ある観(魅)せ方に女性演劇団体としての特長をみる。
『卍珠沙華』 初めて様ご招待ー感謝です。
次回公演も楽しみにしております。
幸福論
wonder×works
新宿シアタートップス(東京都)
2023/03/15 (水) ~ 2023/03/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
観せ方が妙というか演出が上手く、それを表す舞台美術も見事だ。
先に少しネタバレするが、劇中には 説明にあった核廃棄物の最終処分場候補地に賛成する者は登場しない。敢えて登場させていないと思う。それでも町中が紛糾している様子は、登場人物の台詞によって巧みに描き出している。
舞台は町の外れにある小高い丘にある家、そこからは町の光景が眺められる。
終盤、主人公・医師の三谷昇が家(舞台)から姿なき者(観客)に向かって、核廃棄物による悪影響について熱弁(長台詞)を揮う。核廃棄について観客に考えさせる、そんな意図をもった公演に思える。同時に劇中で核廃棄反対を声高々に叫ぶ人々が、いつの間にか本性を丸出しにした人間性を表す。そこに「核」同様「人」の怖さが垣間見え、考えさせるという幅広で奥の深い内容になっている。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術はチラシの絵柄のようなサン・バルコニー。上手は出入口、中央にテーブル・椅子、奥の壁一面は棚で色々な物が置かれ、下手に冷蔵庫や被った三輪車が見える。外は芝生、低木が植えられている。上演前には小鳥の囀り 蜩や蛙の声が聞こえ、長閑な光景が想像できる。季節は夏から晩秋であろうか、薄着から厚手の衣裳へ変わる。舞台技術は丁寧で、照明は午前・昼・夕方・夜といった情景が浮かぶような諧調、音響は雨・風、音楽は宮沢賢治「♬星めぐりの歌」といった印象付けである。
冒頭、現町長が二年前、核廃棄物の最終処分場候補地に名乗りを上げ、町は反対派、賛成派(登場しない)で二分し いがみ合っている様子。近々 町長選が行われるが、施設誘致の是非が焦点になることから、多くのマスコミが注目している。反対派の中心人物の一人である三谷昇に窪という新聞記者が取材しているところから始まる。
核廃棄物の危険性は、医師である三谷から色々な切り口で説明する。例えば人体や土地への悪影響を縷々説明し、どんなに安全・安心を訴えても誰も保障出来ない。一方足元を考えれば国から巨額の交付金が給付される。劇中での台詞…今日明日の暮らしか(遠い)将来の心配か、そこに地元住民ならではの問題に追いやる。当日パンフに作・演出の八鍬健之介氏が「距離と関心(或いは安心)というのは、やはり関係があるのでしょうね」と記しているが、まさに自分事でなければ無関心と言えるかも知れない。
説明では報道によって生まれた火種とあるが、三谷が依頼した地質調査の結果、ここは核廃棄物処分地には不適格であることが判った。処分地にならないのであれば、調査だけ受入れ、交付金を得るという目先の欲が働くのは人間(商工会職員)の業(立場)か。
また賛成・反対派による夫々の暴力行使、それを表沙汰にせず穏便に済ませたい町議会議員の立場。そこに核廃棄反対派における人間関係・絆の綻び、同時に自己本位、エゴといった人間の怖さを観せる。
この地を離れられない理由、それを三谷夫婦や家を貸している大家に担わせている。三谷夫妻には病死した子がおり、この地へ埋葬している。大家は ここで長年暮らし、花々を育てきた。姿なき人々(農家)は、この大地の恵みに といったことを連想させる。
客席に向かって熱弁と思ったのは、劇中 (客席)通路を使用し家路へ という地続き演出から。出演者だけではなく、観客を巻き込んで考える。だからこそ「小さな町が背負ったのは、この国の幸せ」に繋がるのでは…。
次回公演も楽しみにしております。
レプリカ
ハツビロコウ
シアター711(東京都)
2023/03/14 (火) ~ 2023/03/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
或る事情によって山奥の里に移り住んだ父娘と 2人に関わる人々の歪な思惑を描いたサイコ スリラーといった物語。公演の魅力は、俳優陣の圧倒的な演技力、その迫力と緊迫感ある雰囲気が観る人の関心を惹き付けて離さない。その雰囲気を醸し出す舞台美術、そして光と音の芸術とも言える舞台技術が怪しく不穏な雰囲気を倍加して表す。
山奥の一軒家ということから、ある意味 密室劇のようでもあり、逃げ場のない切迫感が犇々と伝わる。その得体のしれない恐怖と二転三転する展開に目が離せない。登場する人物の表情や態度が段々と変化し、皆怪しく誰を信じればよいのか。一方、己自身も本心と建前のような二面性ー意識してなのか無意識なのか曖昧な観せ方が益々謎を深める。人々の心の奥底、その虚々実々が漂流しどこに漂着するのか分からないといった人間心理と物語性、その二重の謎を秘めた作品。根底にあるのが人の愛<情>と欲望、それだけに哀切が…。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、全体を底上げしたような平台。中央にテーブルと椅子、その奥<壁際>に置台や棚、上手にドレッサーと扇風機、下手には台所と冷蔵庫、そして客席側に黒電話が置かれている。さらに下手には見えないが玄関や窓があるらしい。客席と舞台の間に空間を設け別場所<外>を表す。室内の暗さは、日中でもカーテンを閉めているから。中盤に誕生日プレゼントとして現れる人形=レプリカがリアルで怖い存在になっていく。
物語は、主人公・並木潤子(松田佳央理サン)が10年ほど前からストーカー行為をされ続け、やむを得なくこの地へ父(松本光生サン)と移り住んでいる。精神を病み主治医的存在の宮田(井出麻渡サン)、月に一度 絵画教室へ絵を教えに行っており、そこの自称芸術家・谷村(田辺日太サン)とその甥・楠(新垣亘平サン)、さらに父が働いている兼業酪農家・矢島(高田賢一サン)といった人々が登場する。姿なきストーカーに怯える潤子と彼女を心配する人々だが、いつの間にか…。サスペンスミステリーでもあるため梗概はここ迄(チラシ文言で推測できる範囲)。
上演前から雷雨を表す雷鳴と閃光、その音と光が物語の先行きを象徴するかのよう。薄暗がりの中で潤子は不安げに蠢く。照明は、停電による懐中電灯やランタンの灯、それから潤子の誕生祝のケーキの蝋燭<火>などが効果的に使用される。また室内の傘電灯やライトスタンド その暖色照明が柔らかい雰囲気を漂わす。一方、音響は雷鳴以外に、時を刻む音や梟、蜩といった動物の声が会話を邪魔しないよう微かに聞こえる。しかし、その音声が実に不気味な効果を発揮している。勿論ストーカーの存在を示す黒電話の音が不安と苛立ちを煽る。
物語の奥底に潜む「愛と欲望」は、純粋というよりは歪んだ愛情表現とも言える。その切実さゆえに感情の制御が利かなくなる怖さ。拘束したくなる思い、一方 自由になりたい思い、その反作用する感情<愛情>と2人の関係の親密さ。その線引きが上手く出来ない故の悲劇が公演の肝。
他方、表面的な設定のストーカー行為<社会問題というか犯罪⇒無言電話や盗聴等>は、警察は”何か”あってからしか動いてくれない。他劇団の公演でもあったが、民 刑曖昧な状況に対処する術、その不完備のような社会状況が垣間見える。その社会性と先の歪な愛情表現…人間性に重なる面白さ。
次回公演も楽しみにしております。
Laghu prarthana
中央大学第二演劇研究会
ザムザ阿佐谷(東京都)
2023/03/09 (木) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
2022年度卒業公演ということもあり、多くのキャストが登場する。勿論 出番の多い少ないといった違いはあるが、それでも物語の舞台が中国と日本、宗教団体と警察組織、そして現在と過去を交差させ、さらに夢現のような情景まで現れると筋が分かり難く、頭の中で人物相関の整理が忙しかった。何しろ場所と時間を縦横無尽に動かすのだから。
公演の魅力は、スピード感ある展開とキャストの熱量でグイグイと引っ張っていく、そのテンポの良さ。多少の分かり難さ、辻褄が合っているのか疑問があっても、何となく分かった気にさせる。逆にスピードと熱量ゆえか、滑舌の甘さと早口のため台詞が聞き取れない場面がいくつかあった。
舞台美術は手作り感いっぱいで、何となく仄々とし温かさを感じる。構造的には中央に階段を設え その上り下りによって躍動感が生まれ、エネルギッシュな演技を観せる。オフホワイトの明るい舞台であるから、全体の隅々まで観ることが出来る。自分が観た回は、舞台<舞台袖 下手>の一部が剥離するというアクシデントがあったが、何とか途中休憩まで持ちこたえた。
(上演時間2時間30分 途中休憩15分)
ネタバレBOX
舞台美術は架空の神殿のような。中央に幅広の階段、上手 下手の上部は非対称だが、夫々 別空間<場所>を設える。上手下部は回転壁、下手は箱型発泡スチロールで石垣を表しているよう。そして休憩直前にこの場所が突き破られ、アッと驚くような仕掛けが…。神殿両脇に隠し階段があり、そこからの登場が場所と時間の変化を表す。
中国西部のとある国。そこでは国を挙げて1つの宗教が信仰されていた。教祖は寿命を終えるごとに輪廻転生を繰り返し 人々を理想郷(シャンバラ)へと導くとされていたが、新たな転生者は現れなかった。教団は、その内<世界>から外の世界へ行くことが許されていない。信者の1人が病に罹り、その家族(娘)が外の治療を受けさせたいと思うが…。一方、現代の日本…出所不明の銃が使用された事件の捜査が難航。女新人刑事は署内で煙たがられている先輩刑事と事件を調べていくことになる。先輩刑事は15年前の ある事件の資料を女刑事に渡す。ある宗教団体が起こしたという事件は今回捜査している事件と類似点が多いようだ。
捜査は囮・潜入捜査、さらに捜査打ち切り、再捜査など 離合集散を繰り返すような展開で目まぐるしい。それによって人物が入れ代わり立ち代わり登場する。主要な人物だけを追えば、何となく粗筋は解るが、折角の脚本が勿体ない。
この宗教団体は、何となくオウム真理教を連想し一連の事件を思い出す。単に虚実綯交ぜの劇作にするのではなく、輪廻転生や彼岸・此岸の狭間、現在・過去の往還など複雑だが、面白く展開させようとする志向や工夫が好ましい。それを上手く整理し、場面ごとのメリハリがもう少し出来れば…。
物語に直接関係しているのか分からないが、ライヴショーとして歌う場面がある。歌やアクションなど色々と観(魅)せるシーンを挿入する。その意味ではエンターテイメント性も盛り込んでいるのか。
舞台技術ーー揺れ流れるような照明、そこに妖しげな雰囲気が漂う。また音響は水滴が落ちる音、それをピアノの単音で表現<孤独と淋しさ>するなど工夫が感じられる。
次回公演も楽しみにしております
Light on TennesseeWilliams
一般社団法人 壁なき演劇センター
シアターX(東京都)
2023/03/11 (土) ~ 2023/03/15 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
『靴』をモチーフにしたと思われる公演、面白い。
当日パンフによれば、プロローグ、オープニングから、最後はエピローグまで12の話で構成されている。
公演の特徴というのか、客席が2種類用意されており、主観的な席と客観的な席となっている。どちらの席で観るかは観客が選択する。自分が観た回は、ほとんどの人が主観席に着座していた。勿論 自分もその一人である。その主観席はShoes Barという設定で、店内では靴を脱ぎ用意されたスリッパに履き替える。このような客席の選択は初めてで新鮮であった。この席(場内入口は1か所のみ)への誘導もスムーズで、制作サイドの対応が丁寧だ。
公演の説明では、Tennessee Williamsの戯曲や回想録、友人や家族が書き残した伝記を手掛かりとして、彼自身を描き出す…というものであったが、その人物像は明確ではなく陽炎のように揺らめきながら立ち上がる。輪郭がはっきりしない、敢えて曖昧な観せ方にすることで、人物評価を固定もしくは誘導しない巧さ。かと言って暈けたままの人物像ではなく、彼の家庭環境や作品(戯曲)を通して 核となる内面を鋭く抉る。彼を語る上でShoes Barという舞台(客席)にも意味があり、その構造を利用した舞台技術<音響・音楽、照明>が秀逸だ。
因みに主観席は、至近距離で観るためキャストとの阿吽もあるようだ<毎回あるかは不明>。自分もキャストから同意を求められたり、<紙巻>花束を預けられるという弄りがあった。少しネタバレするが、アメリカの話でありながら、時に日本の方言や麦焼酎が登場するなど遊び心もある内容になっている。そこに異国の有名戯曲家という距離感を抱かせない演出<脚本も EMMA(豊永純子サン)>の上手さをみる。
(上演時間1時間10分)
ネタバレBOX
主観席と客観席の間は紗幕で仕切り、上演が始まっても変わらない。主観席は舞台に近く、半囲いするような配置、客観席は教室<通常>席のよう。舞台まで距離があり、紗幕越しということから、広角的に俯瞰し シルエットとして観(映)るのではないか。
舞台美術は 段差を設けた上、そこに靴を預ける横長カウンターを設え、中央に音響ブースがある。その後ろに横三段のシューズ棚があり、ブーツ、ハイヒール、スポーツシューズ等、色々な形の靴が並ぶ。ウィリアムズ(松田崇サン)は戯曲家になる前は靴職人であったこと、しかし仕事になじめず鬱積していた。この靴、その用途や形状、勿論大きさ等も違う。それは人にも体型や性格の違いがあり といった比喩のよう。履く靴も自分の足に馴染んでくる、または足に合わせた工夫をする。例えばウィリアムズの姉ローズ(安田早希サン)が、片方の靴に中敷きを入れて歩きやすくしていると。ウィリアムズは裸足を好む、そこには型にはまりたくない、自由でいたいという願いがある。靴の存在…後ろのシューズ棚へ原色照明を照射することで色々な形のシルエットが浮かび上がる。その光景が実に幻想的である。
ウィリアムズと母(蔡へみサン)の確執、それは詩などに現を抜かさず、靴職人として地道に働いてほしいと願う親心。同時にローズの存在、内気な彼女の将来を心配し 結婚相手の紹介を頼む。紹介したのは同僚で、ハイスクールの先輩・通称 大統領(森山光治良サン)である。この場面は代表作「ガラスの動物園」を用いて描いている。
蔡へみ さんは、ときどき方言(博多弁?)で話し、森山光治良さんは個人的なことを話し出す。それぞれ可笑しみと場転換をスムーズに行うための演出だが、不思議と物語の一部を成しているよう。
全編に流れる音響・音楽が素晴らしい。舞台中央で山中透さんが担当するが、音楽は勿論、効果音である靴音<乾き>・水滴が落ちる音<潤い>、鹿威し<風情>あるものまでバラエティ豊かに聴かせる。公演全体を通して言えるのは、シルエットに表されるように観客の想像力に委ねる幅の広さ、奥の深さだと思う。
次回公演も楽しみにしております。
Dramatic Jam 5
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2023/03/10 (金) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
コントとあったが、感性または感覚の寸劇「演劇ワークショップ」といったところか。演劇ワークショップ…失礼な表現になるが、全体を通してのメッセージ性ではなく、演劇の色々な描き、観せ、伝え、感じ方などを9作品に分散し詰め込んだみたいだ。
そこには逆転の発想と思い込み、一瞬の閃きとアドリブ風、古典戯曲を通しての新旧の間(ま)、現代的な切り口、早口言葉のような台詞、言葉遊びといった演劇の魅力的な要素を連想させる内容だ。
キャストの衣装は、全員 白ブラウスに黒ズボンというシンプルなもので、外見でコント内容の違いを表現しない。また舞台美術はテーブルと椅子、または素舞台で簡素、舞台技術<音響・照明>も印象付けない。すべては表現力で対応す(観せ)る。そんな状況の中でどれだけ観客の心へ”何か”を届けることが出来るか、それを試しているかのような…。
(上演時間1時間弱)
ネタバレBOX
9作品のタイトルと概要は次の通り。
1.「女子会の3人」
3人で集まるが、遅れてきた女性は登山用リュックで、もう1人は普通のハンドバック。しかし必要な物はハンドバックから出てくるという逆転の発想。見た目の大小で決められない、その先入観の怖さ。
2.「ラーメン」
2人 カウンターに並んでラーメンを食べようとしている。女が「フラメンコショートッテ」と言うが、頼まれた男は「フラメンコショー撮って?」と意味不明の顔。改めて女が ほら「胡椒取って」と言う。ダジャレ…機転<アドリブ>による一瞬の笑い。
3.「紙風船」
女2人による古典作品の稽古光景…岸田國士「紙風船」のパロディで、新旧作品における間(ま)の違いを無言の長さで強調する。そして遅れている仲間へのイラつきで劇中劇であることを表す。
4.「良いお知らせと悪いお知らせ」
医師が患者に 良いお知らせと悪いお知らせ どちらが先に聞きたい?癌の告知が悪い知らせ、明日 隕石が落ちるという良い知らせ。余命ということでは逆かも…というオチ。
5.「カツアゲ」
高校構内におけるカツアゲ、といっても金品ではなく 相手が持っている個人<秘密>情報を脅し取る。級友、教師さらに校長の弱みを見つけて盗った、現代的な恐喝<切り口>をシュールに描く。
6.「ジュモン」
有名ラーメン店に並ぶ人々。油少なめ 野菜多め ニンニク云々と呪文のように続く。ラーメン通を気取るには、呪文のような注文を滑らか<早口>に喋ること。見栄・衒気の裏に隠された苦労が笑いを誘う。
7.ぜひもの
女性4人による作品だが、唯一印象にない。ぜひモノにしてほしいところ。
8.「タオル」
自分の彼氏、その名前を「トオル?」と紹介したが、男は「タオル」だと訂正する。今まで「トオル」だと思っていた女は思わず、どんな<漢>字を書くの?男は何気に「体(躰)を拭く」と答える言葉遊び。
9.「殺し屋」
闇組織に応募してきた女、彼女が別組織のスパイではないか。それを確かめるためにテストを行うが、それがサンリオに係るマニアックな質問責め。主宰の池田さんが前説の時にさり気なく触れる。
短い作品群…”山椒は小粒でもぴりりと辛い”かも。
鉄音、轟然。
M²
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2023/03/10 (金) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
三里塚闘争を空港建設反対同盟 ーいわゆる地元住民の観点から描いた骨太<回想>作品。この団体のコンセプト「歴史上の事件を題材に、そこから紡ぎ出される重厚な人間ドラマ」は、見事に描き出されていた。大きな事件の中に息づく人々を冷徹に見つめ、事<コト>の本質を炙り出す。<当時>渦中の熱き闘争と それを<現在>冷静に観察し解説するような構成によって紡ぐ。
三里塚闘争の経緯等は、(取材)資料や映画上演で ある程度知ることは出来るが、本当のところは解らない。劇中の台詞…報道に関して、遠くから回したカメラだけでは窺い知ることは出来ないと。物語は、空港建設反対同盟の立場から描くこと、そこで暮らしていた人々の悲痛な叫びを訴えることで、同じような事ーー例えば沖縄米軍基地問題、原発などへの問題提起として捉えている。国の理不尽な行為には声を上げること、決して黙してはならない。
反対運動が過激になる中で、一人の老女に焦点が…。始め よね(内海詩野)さんとしか呼ばれていなかったが、後々、仁王立ちになり激烈な言葉を吐くようになる。その苗字が”大木”と知れた時、机上の資料とは違う、舞台ならではの面白さ。そして歴史<事件>の中に感動的な人間ドラマがしっかり立ち上がった。
彼女の家に集まり、地に足が(愚にも)つかない理論や理屈を話すのではなく、これまでの彼女の生き様(地に足をつけた)を聞き出す。彼女が、この地で暮らすことの意味、それがこの地で暮らす住民〈農民〉の総意を表す。当たり前の暮らしが脅かされることに対する怒り、雄叫びが観客の心を揺さぶる。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央を一段高くしその真ん中にパイプ組した塔のようなモノ、そこにヘルメットや布地が巻き付いている。舞台と客席の間に潰れた空缶や三角コーンが散乱している。三里塚闘争現場のイメージだが、何となくスタイリッシュな印象をもつ。
女性記者が三里塚闘争の当事者・菅本(住民で反対闘争をしていた人物)から話を聞く、そんな取材⇒回想劇として描く。物語は闘争の経過を順々に展開していくが、あくまで観点は反対住民の側である。この種の演劇で国<行政>側の観点として描けるだろうか。そして闘争は住民以外の勢力を巻き込んで激化していく、というのは周知のこと。武力衝突、国は上手の高台(2階部)から拡声器を使用して「大量輸送時代の幕開けと高度経済成長によって日本の航空需要は急激に増大しており、旅客需要の伸びと航空機の発着回数の増加傾向に対応する」といった一辺倒の説明しただけの描き方である。
反対住民の集会へ頻繁に現れる老女、彼女の行動に興味を抱いた青年が菅本に取り次ぎを依頼したところから、反対同盟という組織から、その中の個人の戦いへ軸足が移った描き方へ変わる。何となく違和感を持って観ていたが、老女の名が「大木よね」と分かった時、記憶の底に眠っていた、というか 燻っていたことを思い出した。勿論 後日読んだ記事か何かである。公演は、反対同盟という組織ではなく、個人の意思で反対する理由と必然性を説明し、反対運動によって生き甲斐を得た老女の姿を生き生きと描く。それは遠くから眺めたニュースとは違って、リアル(切実)な思いが伝わってくる。反対に説明不十分で強権発動した国<行政>の理不尽さが強調される という巧さ。
舞台技術…冒頭、色々な所の小電球が点滅を繰り返し、何やら不吉な印象を与える。同時に滑走路の進入灯かとも思えた。一方、音響は鉄を打つ音、その重い響きが印象的だ。また武力衝突時に焚かれるスモーク、そして何より団結を示す雄叫びやシュプレヒコール、その肉声に緊張と迫力が漲っていた。
たとえ鉄塔が倒れても人<心>は倒れない、そのメッセージは今も続く。
次回公演も楽しみにしております。
マギーの博物館
劇団俳小
サンモールスタジオ(東京都)
2023/03/03 (金) ~ 2023/03/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
公演は、タイトルにある「博物館」としたマギーの家、そこで力強く生きた人々の「証」を紹介もしくは回想した力作。同時に、人によって捉える観点が恋愛劇であり社会劇といった違い、そんな幅広い受け止め方が出来る作品でもある。
当日パンフに翻訳者の吉原豊司氏が「時代背景は1940年代後半、場所はカナダの東海岸にある炭鉱町グレースベイ。今の日本とは地理的にも時間的にも遠いところの話」と記しているが、何となく現代的なような気もする。
人間はどんな劣悪な環境下でも生きる、そのために無くしてはならないのがプライドである。生きる原動力にもなっているプライドの激しいぶつかり合い、その中に さり気なくルーツの大切さも描く。それがバグパイプの調べであり ケルト語で書かれた祖母の日記帳である。言葉を発しなくなった祖父の意思表示は、<英語>で祖母の日記帳へ殴り書きをする。何もかも上書きし無かったことにする、その虚しい行為に自分自身憤っているかのような態度=後ろ姿。
脚本(翻訳)の力は勿論、視覚的に観せる舞台美術、そしてマギーの主観的な追憶であり客観的に俯瞰するような語り、その複眼的な演出が秀逸。それによって炭鉱労働者の劣悪な労働条件・環境、経済的貧困、労働組合による戦いなど、悲惨極まりない出来事を一時の感情的な事としてではなく、事実として伝える。この掘っ立て小屋は、今では 勝手に思っている「博物館」であり、冒頭は 、陳列している「弁当箱・ヘルメット・ヘッドランプ・・・」と説明し、ラストシーンは「覚えていてもらうってのは大事な事」というメッセージで結ぶ。劇中ナレーション風になるのは、回想場面から抜け出し、現在<今>の心境で語るためであろう。
また場面転換をしても、いつも母の床拭きから始まる。いつまで経っても状況は変わらない、そこから一歩も進めていない様子が一目瞭然。その一家の暮らしを支えているのがマギーの弟、炭鉱労働者である。使用者対労働者という典型的な資本主義の構図をあてはめた物語へ展開していく。
気になったのが配役である。マギーに兄がいたが、彼が16歳の時に炭鉱の事故で亡くなった。その子は今8歳…と言うことはマギーやその弟は20歳代前半だろうか?<自分の聞き違い又は勘違いだろうか>
(上演時間2時間15分 途中休憩15分)
ネタバレBOX
舞台美術はマギー一家が暮らした家、今では更に廃屋同然な状態であるが、壊さず当時の状況を伝えるための”博物館”として遺している。舞台<家屋>と客席の間には、海が見える小高い丘、そこは お花畑のような美しさ。家屋内は中央にテーブルと椅子、上手奥からベット、中央奥は窓ガラスと玄関ドア、下手はトタン壁、炊事場が見える。そして陳列台には弁当箱、ヘルメット、ヘッドランプ等が置かれている。天井は平板が何枚か吊るされているが隙間だらけ。全体的に煤け、炭鉱労働者の貧しい生活ぶりを端的に表している。
マギー(小池のぞみサン)の回想、それは後に夫になるニール・カリー(加賀谷崇文サン)との出会いから始まる。偶然 2人ともスコットランドからの移民で、何となく意気投合するような。この移民という設定が肝で、今ではその文化、例えば文字や言葉、音楽が忘れ去られている。郷愁よりも今の現実ーー生活していくこと、もっと言えば生きていくことが最優先される。移民の悲哀は後ろ姿だけで声を発しない おじいちゃん(大久保たかひろサン)に担わせている。この件が気になるのは、外国(翻訳劇)を通して、アイヌや琉球、世界に目を向ければウクライナといった地に思いを巡らすから。
ニールはマギーの家に入り込むが、働かず復員兵に支給される生活保護も受給しない。日の当たる場所、農業労働に理想を見ているが、この一家では明日の生活もままならない。一家の生活を支えているのがマギーの弟・イーアン(大河原直太サン)<炭鉱労働者>である。亡き父・兄と同様 暗い炭鉱に潜って低賃金を稼ぐような生活。何とか労働環境・条件の改善を目指すため精力的に労働組合活動を行う。物語は、登場し<見え>ない資本家との対決姿勢を通して自己実現<信念に自己陶酔>しているイーアン、プライドだけは高いニールとの激論によって資本主義の弊害を浮き彫りにしていく。そして社会は一層不景気になり炭鉱労働者に過酷な試練<争議>を負わせるが…。
この公演だけではなく、俳小の最近作に言えることだが、小市民的ながら強か<いわゆる反骨的>な生き方をする人々を描いているような気がする。本作でも「洟ッ垂れ」と綽名で呼ばれた小柄なマギーが、自分の生き様を語り、力強く生きて行こうとする姿を観(魅)せる。掘っ立て小屋を遺し後世に伝えるーー別意味だが、死者はその人を忘れた時に、本当の意味での”死”になると聞く。
弱きモノの視点として、1つは 母キャサリン(荒井晃恵サン)が、場面転換ごとに床拭きをしている。雨が降っている時に、雨漏りがひどいが、屋根があるだけましかと自嘲気味。文句言い=虐げられながらも黙々と拭(働)く姿。そこに現状からの脱却(きれいにする)を見る。
もう1つが、湾に鯨が打ち上げられイーアンとニールが助けにいく場面。イーアン曰く 一生懸命に生きようとする、そのためには戦わなければならない。それを助けるのは当たり前だ。勿論 炭鉱夫である我が身に置き換えての言葉である。そこに労働者としての矜持を見る。
次回公演も楽しみにしております。
無償の愛
Orgel Theatre
東中野バニラスタジオ(Vanilla Studio)(東京都)
2023/03/03 (金) ~ 2023/03/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
なるほど~ 思いの丈をぶつけたといった感じの物語である。女性二人の或る意味 特異な情況を濃密に描いている。物語の面白さは、それをどのように表現するかがカギになる。少しネタバレするが、そこに登場しない同じ名前の女性<2人>を それぞれ1人二役で立ち上げることで、悩み苦しむ今の状況を描き出す。勿論 違う人物を表現するため 細かい仕草<外見含む>や別人としての性格<演技>が求められる。そのため、現に登場しているミヅキ(阿久澤菜々サン)とイツキ(伊藤梢サン)には、或る設定をしている。二人の演技力は確か、その設定によって更に明確な別人が立ち上がり、それによって奇妙な関係が鮮明になる。全体としては「無償の愛」ならぬ「無性に会い」たい といった印象である。
物語は、病院の休憩室で出会った清掃員のイツキと看護助手のミズキの奇妙な会話が 漂流するように展開していく。互いに抱えるジレンマがいつの間にか錯綜し、それによって問題が複雑化したり単純化したりする。その揺れる想い…可笑しみと感傷的という絶妙の心情を織り込んだ珠玉作。
(上演時間1時間10分)
ネタバレBOX
舞台美術は中央奥に屏風のような衝立、その前に横並び椅子とテーブル、上手にベット、下手にカウンターがあり、縫いぐるみ等の小物が置かれている。その小物は全て劇中で使用する。病室内の休憩室という設定であり、二人の会話劇としては十分なセットである。
物語は、ひょんなことで知り合い 自然と心を通わせていく過程が微笑ましくもある。そのうち、読み書きが出来ない清掃員 イツキと同性愛者で看護助手 ミズキの思うようにならない日々、その鬱積した それぞれの思いをぶつけ合う様な会話へ変転し切なさが溢れ出す。その〈人物〉設定の妙と情況が秀逸である。
イツキには10歳になる娘サラがいるが、事情があって一緒に住んでいない。その娘がもうすぐ10歳の誕生日を迎えるのを心待ちにしている。一方 ミズキは同性の恋人サラがいたが、自分が看護師を目指すことによって、別れを告げられた。或る出来事を契機に、二人はそれぞれが抱える秘密を打ち明けることになり、図らずも自分自身と向き合うことになる。「なるほど」は、劇中 ミズキが頻繁に発する言葉で、自分を納得させ 他者を肯定〈共感〉するかのようだ。
知的障害のようなイツキのピュアだが、どことなく危うい言動と行動。ミズキの知的で思慮深さを思わせるが、精神面では脆さも見える。人は完ぺきではない、その揺らぐような心の彷徨と咆哮、それを瑞々しく描いている。共通しているのは、葛藤を抱えながらも前進しようとする〈日常の〉姿。静かな心の交流を観せつつ、冷徹な観察眼によって ぎこちない感情の機微を丁寧にすくい上げる、そんな描き方が上手い。
一人二役は、髪の毛を結う 梳くことで、サラという娘や恋人という別人を表す。移動しながらさり気なく別人格を立ち上げる。このサラや入院患者、その観えない人物との関係〈演技〉が巧い。
どのような生い立ちで境遇なのか、そこは説明を省くことで理解することが難しそうな〈気になる〉過去を観客の想像力に委ねる。本作は今を切り取り、人が人とどう繋がりをもち、どう生きていくかといった未来を描いている。
次回公演も楽しみにしております。
カミサマの恋
ことのはbox
萬劇場(東京都)
2023/03/01 (水) ~ 2023/03/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
人の優しさ温かさ、そして自然の厳しさ寒さ、そんな反対の情景が浮かび上がる。それらは目に見えない雰囲気であり、物語の”カミサマ”も同様である。その目に見えない 物語の根底にあるのは人を思い遣るといった気持、それを実に上手く描き出している。
勿論 脚本の力もあろう、しかし会話の絶妙な間<ま>や、落胆・激情・驚異といった感情表現の豊かさに驚かされる。誇張した演技ではなく、その場面の素直な気持を巧く表す、そんな自然体の情景が心地良い。
自然と言えば、舞台技術である音響 音楽は太鼓の音だけ、照明は ラストの春先を思わせる階調のみ。それでも舞台効果は十分に発揮しており見事。
上演時間2時間10分 途中休憩なし)
【Team 葉 チーム】
ネタバレBOX
舞台セットは 広間のような和室。その周りは板張りの廊下で、そのまま上手奥は玄関へ通じる。和室内の上手に応接セット、下手に棚<茶器等が並ぶ>、経机の上には祈りの際に使う太鼓。簡素な造りであるが、物語を紡ぐには十分な配置である。
春が感じられるようになってきた津軽。舞台は「竜神さま」なる神の声を聴いて、土地の人の悩み事に助言する"カミサマ"遠藤道子(木村望子サン)のもとへ嫁姑問題、引篭もりだった者の受験、孫の結婚相手探しなど身近な悩みごとを抱えた人びとが日々やってくる。悩み事を聞き、神様の言葉として助言し相談者の心をほぐしてゆく。多くは60歳以上の高齢者、そこに地域性を見るようだ。またTVへも出演したことから 東京からわざわざ訪ねてくる者もいる。
一方、道子のもとへ 何年も連絡がなかった息子・銀治郎(如月せいいちろーサン)、が突然帰ってくる。道子は未婚、結納までした婚約者がいたが、火事で事故死した。彼の生まれ変わりとして銀治郎を引き取り育てた。しかし放蕩息子で、道子の内弟子であった女性と結婚し子まで生まれたが…。その娘・しのぶ も34歳、東京で働いていたが訳あってと、こちらも問題がありそう。父娘の確執など、道子の家でも悩み事は尽きない。突飛な出来事ではなく、日常(身近)にある悩みや問題を点描することで共感を誘う。
恐山のイタコは死者の声を聴く「仏おろし」で知られるが、津軽では、それに似た”カミサマ”なる存在があるらしい。民間信仰で、迷信と思う人もいるだろうが、家族の災厄や悩みなどを聴き、神様におうかがいを立て助言をする役を担っている。いわば人知の及ばない”神の領域”を設け、その声をうまく利用して、ささくれだった人間関係の修復を図る。ウソかマコトか、あいまいな部分をあえて残して、心を和ませる生活の知恵といったところ。
物語は、日常の話題と”仏おろし”といった神事、そこに共感と〈土着〉信仰を描き、特異性を表現する。その特異性の中に、語ることが叶わなくなった亡(愛し)き人の思いを知らせる。生者・死者の変わらぬ思いが観客の魂を揺さぶる。観る者が思うであろう様々な受け止め方、それを〈思考〉狭窄・偏重にさせない幅広さ奥深さを感じる。
道子に弟子入りしている下条由紀(上之薗理奈サン)も訳有りのようであるが、全部を描き切らない。その余白は観客の想像する領域として残す、その余韻が巧い。
役者陣はそれぞれのキャラクターを立ち上げ、バランスも良い。その土地の言葉(方言)を喋ることで土着信仰の要素をしっかり伝える。
死という掴み様のないものに謙虚に向き合っている。その一方で生きている人の悩み事、それも身近な生活にあるところ。その様相を丁寧に映しとって紡ぎ出したこの公演、観応えがあった。
次回公演を楽しみにしております。
幽霊塔と私と乱歩の話
木村美月の企画
小劇場 楽園(東京都)
2023/03/01 (水) ~ 2023/03/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
全体的には、或る有名な映画を連想させつつ、乱歩小説の世界観へ誘う、そんなイメージの物語であった。面白いのは、現在と過去(10年前)を交錯し、ミステリアスで時にサスペンスのような場面を取り入れ関心を惹くところ。不思議な出来事とドキッとさせる感覚、それを簡易な舞台美術で観せようとする工夫。今の暮らしに立ち止まり 昔の(不思議な)出来事を回想する、そんな単なるノスタルジックドラマとして描いていないところが魅力的だ。この公演の主人公は主宰の木村美月さんの姿に重なり、その思いが強いといった印象。因みに主人公は別のキャストが演じており、もしかしたら客観的に眺めたいといった思いがあったのかもしれない。
登場人物は5人。語り手となるのは、ひょんなことで知り合った主人公・権正さとみ(椎名慧都サン)と同じ大学に通う男子大学生・宮知一郎(宮地洸成サン)。主人公は不自由なく育った普通の女子大生で、現実は普遍的な設定だが、乱歩小説に登場する建物や出来事を絡めることで奇妙な世界、その虚実をテンポよく描いていく。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は幾つかの木枠箱が置かれており、始めは門柱と低壁のような配置である。門柱と思えた両側に薄っすら「幽霊塔」と「乱歩の話」と書かれており、後ろからライトを照らし文字を映し出す。その真ん中に主人公が立ち、タイトルを表し本編が始まる。後々、壁全体に網と蔦が絡まり、立教大学のシンボルでもあるモリス館〈蔦と時計塔が有名〉を連想させる。
宮が10年前(2023年⇨2014年)を回想しているような…その時代へ権正が登場する。始まりは大学の側にある旧江戸川乱歩邸を訪れ、その夜 自転車を取りに大学構内へ忍び込んだ日に遡る。そこで出会った宮、清掃員・大月春吉(本多新也サン)、駒込いちこ(木村美月サン)、清掃員室での取り留めのない日々…ここまでが前半の青春記。或る日、さとみが窓から塔…古い時計塔が見えたと思ったが…。
そして現在、さとみは某企業で働いており、客の江戸豊(小泉将臣サン)の部屋へ…。それを契機に久しぶりに会ったメンバー、それから江戸川乱歩に纏わる話ーー「幽霊塔」が次々と絡んでくる…後半の虚構の世界。彼の作品世界と旧邸という虚実、そして乱歩と親交のあった人物との書簡、性癖等、興味を惹くコトを点描する。そこに木村女史の個人的な思いを込めて、そんな劇作に思える。
演出は、木枠箱を並べ替え、清掃員室内、路地・塀上、時計塔等 色々な光景を描き出す。箱上を昇り降りしながら歩く、それによって時間と場所の変化を表す。同時に躍動感と心地よいテンポが感じられる。音響(部屋の鍵音)や照明(夜への諧調)といった舞台技術もさり気なく効果的に取り入れている。
年齢的には少し違うが、映画「スタンド・バイ・ミー」を彷彿させる回想記。大学時代に知り合い、不思議な出来事を共有した”仲間”との甘酸っぱい思い出。映画の郷愁・線路場面は大学<旧江戸川乱歩邸>、事件は<幽霊塔の不思議さ>に重なる。公演…脚本・演出、勿論 演技も良かったが、この映画イメージが重なり過ぎて 斬新さを欠いた、と思えたのが残念(ラストの音楽も含め)。
そしてエピローグのような…10年の年月を経て、社会人になっても掛け替えのない友人<清掃員、ウエイトレス、大学同窓といった必ずしも同じ環境下にいた訳ではない>に変わりはなかった。そして将来も変わらないだろうと…。友情の証として物語化<小説>する は、まさに本公演そのもの。
次回公演も楽しみにしております。
点と線のオブリビオン
9-States
駅前劇場(東京都)
2023/02/22 (水) ~ 2023/02/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
人の輪と温かさを綴ったヒューマンドラマ。同時に現在と過去を交差させ物語としての興味を惹く上手さ。作り込んだ舞台美術が物語<世界>を具体的に観せる。よく聞く言葉…過去は変えられないが、未来は作(変え)ることが出来る。過去の出来事を描かなければあり触れた光景、逆にあり触れた日常(足元)にこそ幸せがある、そんなことを改めて知る。
タイトル「点と線のオブリビオン」は、点<人>を結ぶ(関わる)と線<絆>が生まれ 新たな世界を築き始めた現在。一方で忘却や無意識といった人の<潜在>や<歴史>を描き出した過去。それを巧く絡め、人に歴史ありーその謎を垣間見せることによって物語を牽引していく。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
柴村酒造が舞台。その舞台美術は中央にカウンター、上手に玄関や二人席のテーブル、下手に座敷<座卓や座布団、明障子>や奥へ通じる暖簾 通路がある。
物語は、この酒造の看板娘で記憶喪失の柴村凛(石井玲歌サン)が主人公。冒頭の怪しい雰囲気、そこで謎めいた過去を垣間見せ、暗転後、一瞬にして現在の暮らしへ。柴村酒造は、代々 辛口酒を造ってきており、今の杜氏もそれを守っている。一人息子の結城はもっと柔軟に酒造をしたいと5年前に家を出たまま。凛は海辺で倒れていたところを助けられ、記憶がないことから<凛>と名付けられ養女になっていた。前半、結城と凛に接点はないが、二人の酒造は似ているような。頑固一徹の父であり杜氏、その親子関係を中心にした周りの家族・人間関係を面白可笑しく描く。
勿論、地元愛らしき近所の居酒屋、グルメ記者による紹介記事など人と切っても切れない土着性が透けて見える。凛の記憶がないことは、新たな家族と今から始まる人生であり、同時に ここが生まれ育った土地でもあるような。
物語は、凛が過去に犯した犯行を暴き 罪を償うことを求める人物が現れ 不穏に動き出す。断続的に過去をフラッシュバックさせ、何時しか自分の過去を思い出す。刷り込まれた犯行のようでもあり、詰め寄る人物と対峙する。そして自ら…。
舞台美術として、舞台と客席の間の上手 下手にモニターが設えてある。冒頭や場面転換時に字幕を映し、情況等を説明している。例えば「我思う故に我あり」などは、現在の心情描写であり、これからの生き様を語るようだ。人生の表裏ーそれを凛の闇過去に負わせることで、生きてきた<証>を描く。同時に社会の裏表ー援助・支援という名の詐欺まがいの犯罪、個人情報の流失(操作)等、一様ではない個人と社会の状況を巧みに描く。ラストは 胸を撫で下ろすような…ヨカッタ。
次回公演も楽しみにしております。
コウセイ
ラビット番長
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2023/02/23 (木) ~ 2023/02/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
㊗グリーンフェスタ2023 BASE THEATER賞受賞
今まで観てきた介護・将棋・野球とは一線を画すノワール作品(敢えて言えば「白魔来る」系か)。
戦後あった実話、それを実在したと思われる棋士と絡め、上手く物語化している。主宰の井保三兎氏が演じた増山棋士、その<増山>を<升田>に置き換えると、将棋界で有名な棋士が連想できる(エピソードは知らなかった)が…。勿論、実話〈岡山県〉と人物〈広島県〉とは地理的に近いが、接点があったか否かは定かではない。それだけに興味を惹くところ。
内容は虚実綯交ぜに紡いでおり、脚本は重厚、演出は抒情、演技は重軽妙といった異なった観せ方をする。それでも全体的にはバランス良く仕上がっている。
特に演出…戦場で見た月、帰還して見た月、そして〈コウセイ〉内から見た月、同じ月だが見る場所や心持ちによって印象が異なる…文学的な情景描写のよう。
少し気になるのは、この舞台化を通して伝えたいことは何か?戦後間もない頃の施設、それを時間・地続きである現代に問うこととは…。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)2023.4.14追記
ネタバレBOX
舞台美術は、いつもと同じ二層、上部に格子窓がある別空間<多くは増山家>、下段 上手は机・椅子、下手は横石のようで、更生施設の寝床にもなる。
この公演は、今までのラビット番長作品に較べ、舞台技術が印象的であった。窓は明り取りのような照明効果、その諧調が時や状況を表す。勿論、劇中 台詞にある月明かりをもって抒情的な場面を描き出す。また音響は場面転換時に水滴が落ちる音、それが不安・不穏を感じさせる。今までのテーマ…介護<高齢化>・将棋<生き甲斐>・野球<反戦>にしてもヒューマンドラマとしての描き、それだけに本作は新鮮な切り口だった。ただ、戦後間もない事件を通して、今 何を伝えたかったのか?
物語はタイトル「コウセイ」から、岡田更生館事件であることは容易に検索できる。そこに将棋界では有名な増山=升田幸三棋士(井保三兎サン)を登場させ、舞台という虚構性の中に2つの事件を<間接的に>結ぶ。1つ目は先の事件、2つ目はGHQによる将棋禁止という動き。どちらも戦後という混乱期に起きたこと。
翻って、今の日本に同じようなことが起きているのか。確かにハンセン病強制隔離、介護老人保健施設での虐待 保育園(保育士)の虐め、更には入管施設の問題等々あるだろう。また新型コロナウイルスに感染した人やその家族への誹謗中傷なども問題になった。公演では直接的な訴えではないが、理不尽なことはまだまだ続いていると、そんなことを連想させる。
しかし、一概に国政批判なのかと言えば、少し違うような。法・制度なのか、運営・運用なのか、人の問題なのか、一方 取材のために潜入することへの慎重さ、躊躇いといったマスコミの姿勢…色々な問題意識を散りばめた内容になっている。ただ、物語は2つの出来事が並列に描かれ、緩く結びつけたといった印象だ。どちらもネット検索で可能なもの。それだけに 底流に流れる太いテーマが感じられ(観え)なかったのが残念だ。
将棋とは切っても切れないラビット番長?…増山家の隣家、そこの長男が復員して来るまで大事にしていた思い「2三と」は、棋譜であることを示す。潜入取材する記者同士が将棋対決をする。その時に増山がさり気なく棋譜をアドバイスする。所々に細かい伏線が仕込まれており巧い観せ方になっている。
次回公演も楽しみにしております。
日記
カリンカ
OFF OFFシアター(東京都)
2023/02/22 (水) ~ 2023/02/28 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
意味合いは異なるが、「子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの」…そんなことを考え始める世代には、滋味深い内容に思えるのでは。
多くの人が〈いずれ〉経験するであろう老親との関係、どう寄り添い面倒を見るのか。その日常の光景を子の視点から捉えた珠玉作。全編 方言で紡がれるが、そこにも人それぞれの生きてきた土地<場所>を表しており、そこに物語の背景<終の棲家の在りよう>が透けて見えてくる。
日常の淡々とした光景だが、飽きることはない。むしろ有り触れた登場人物ー夫婦・親子・姉妹といった近しい人間の微妙な関係、それを実にリアルに描いており共感する。老親と娘の会話では、そのテンポの違いから微妙な間<ま>、ズレ、勘違いなど言葉が持つ又は意味する面白さが感覚的に伝わる。
演技、その設定年齢による身体性の違いー老親と娘夫婦のリアルな動きも丁寧に演出する。同時に場所・時間といった目に見えない空間等も巧く観せる。それによって更に世代間の違いを分からせる。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は中央にテーブルと椅子を配しただけ。そこは娘夫婦の賃貸マンションであり、夫の実家、夫々の居間になる。
物語は、娘あい(橘花梨サン)が地方に住む年老いた両親(父-贈人サン、母-ザンヨウコ サン)を都市部の自宅へ引き取り、同居を始める。エレベーターもない低層住宅、手摺りもない階段をやっと上り、居間で話し出す老夫婦、それが日常の光景のよう。薄暗い室内、そこに格子状の照明ーさながらブラインドを通して陽が差し込み朝が来たことを思わせる。仕事が忙しく帰宅が遅い夫 健夫(森田亘サン)を気遣う老夫婦の〈声を潜めた〉会話。また姉夫婦(姉.優子-Q本かよ サン、夫.浩志-石井由多加サン)も気になり様子を見に来る。そこで高級マットレスを購入してもらったことを知り、複雑<驚きと軽い嫉妬>な感情を抱く。
一方、健夫の父 吉雄(用松亮サン)も病に罹り、妹に任せきりで気になる。
物語は、あいと健夫 夫婦、あいの姉夫婦、あいの両親と娘達夫婦、健夫の父と息子<又は夫婦>という全ての組み合わせ<関係性>の中で、色々な立場と感情の動きを表す。そして方言<茨城弁>で話す相手、そうでない相手を区別し、そこに人物の生まれ育った地が垣間見え、住み慣れた場所こそが暮らし易いと…。
演技は老親のゆっくりとした口調、そして「アレ」「ソレ」といった不明確な言葉、そこに生じる間(ま)が絶妙。阿吽の呼吸というよりは、語彙が喪失しているようで、そこに老いを感じさせる。勿論、会話だけではなく、メイク、ゆっくりとした動き、腰が曲がった姿など外見からも一目瞭然である。
気になるのは、娘<子>視点で描いているから仕方ないが、例えば健夫が実父に「どこか出掛けたか」と聞いても、一人で家に居たと。そこに年老いて出掛けることが億劫になり、孤独を思わせる老人像が立ち上がる。子にしてみれば散歩=運動は健康のためであるが、親の感覚は違う。
物語…肉体的には未病のよう、しかし精神的な内面を描くことによって<老>親の気持、親子<世代間>のすれ違う感情がよりリアルになる。せっかく老親の内面に切り込める場面があるならば、混乱しない程度に相互視点で描いてほしいところ。
次回公演も楽しみにしております。
アプロプリエイト―ラファイエット家の父の残像―
ワンツーワークス
赤坂RED/THEATER(東京都)
2023/02/16 (木) ~ 2023/02/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
父が亡くなり、財産分与・遺品整理に集まった姉兄弟が繰り広げる罵倒合戦、その正面から衝突しマウントを取り合う様子が見どころ。そして登場しない人物、つまり亡くなった父の呪縛から いまだに逃れられない怖ろしさ、同時に滑稽とも思えるアイロニーが透けて観えてくる。この公演が面白いのは、父という見えない存在、父が遺したと思われる×××を連想させる資料、そして家の近くにある墓地、そこに眠る<無念>霊、その登場しない姿なきモノの 力<雰囲気>によって支配されているかのような言動や行動、それを圧倒的な迫力をもって描いている。
舞台美術が秀逸で、部屋の真ん中に父の肖像画<残像イメージ>が飾られ、冷徹に見つめているのか嘲笑しているのか、はたまた睥睨しているようにも思える。それは子供たちの凄まじい罵り合いの場面によって、見えざる力を発揮し楽しんでいるかのようだ。また音響だけでその存在を主張している蝉の鳴き声が印象的である。<13年>蝉の生態を通して人の生き様を準える様な、それはある一瞬で燃え尽きる。そこにあるのは論理や理屈ではなく、人の本能というか根源的な行為でもある。
罵り合いと独白を巧く織り交ぜ、会話劇としての厚みを持たせている。勿論、ちょっとした仕草で、その人物の精神状態や性癖を表現するなど、確かな演技力ー熱演で物語を支えている。登場する人物の性格や立場、今 置かれている状況は、それぞれが抱えた問題ー子供との関係や経済的なことを垣間見せることで説得力を持たせている。姉兄弟という家族ゆえに逃れられない悲哀、だからこそ理屈ではない感情を剥き出し 爆発させる。それをワンツーワークスらしいムーヴメントをもって効果的な観(魅)せ方をする。フライヤーの絵柄がその光景を見事に表している。
ラスト、暗 明転を繰り返し照明を諧調させることで時の経過と状況の変化を表す。その光景は、人々のこれからの関係性を暗示しているようにも思えるが、逆に父の存在、その象徴でもある屋敷<肖像画=残像>や周辺に彷徨う怨嗟の魂、その呪縛からの解放をも表しているようだ。その意味でラストシーンは印象的で余韻が残る。
(上演時間2時間40分 途中休憩10分)追記予定
磁界
オフィスコットーネ
小劇場B1(東京都)
2023/02/09 (木) ~ 2023/02/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
「綿密な下調べを基に俯瞰した目線で創るドキュメンタリータッチの作品」という謳い文句、その緊迫・緊密感に圧倒される。観応え十分。
警察署とそこで勤務する警察官という両観点から、組織とは 人間とは を重厚に描き出した秀作。警察組織の花形は刑事課であろうが、ここでは生活安全課という市民に寄り添った部署ーーその理想と現実の狭間で揺れる男の悲哀が良く表れている。警察という市民の暮らしの安心と安全を担う組織、しかし一皮剝けば<内側から見れば>出世という上昇志向という典型的な競争社会が浮き彫りになる。警察署という設定が妙、いわば市民の協力なしに その機能を発揮出来ないという相互の<信頼>関係の上に成り立つ。物語はその市民からの依頼と警察の事情、どちらも納得してしまう描き方、そこにコトの善悪では解決できない複雑な事情を絡め巧く展開していく。
一警察署という設定から、表れない都道府県本部、更には警察庁といった上層の権力構造が見え隠れし、典型的な組織としての本音<市民の安心安全>と建て前<事件性の有無>がぶつかり合い、どちらの言い分も尤もに思えてしまう。同時に典型的な人心掌握術、飴と鞭というどの組織でも通じそうな言動、そこに人間としての悲喜交々を巧く織り込む。
舞台美術は、警察組織の人間関係や体質を象徴的に表すと同時に、心の虚しさ、殺伐さといった心情光景でもある。一方、舞台としての機能ーー警察内とその外を巧く切り分け、情景表現にも優れている。その舞台で 役者はそれぞれの立場と性格を立ち上げ、濃密な演技を観(魅)せる。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
L字客席、舞台美術は盛り土のようで、客席と舞台の間は溝のような空間<道>がある。奥は一段高くし、テーブルと椅子があり別空間を表す。場景によって弁護士事務所であり酒場になる。上手 下手には色々な形の椅子が紐に括<縛>られている。天井からも紐が垂れ、全体的に薄暗く、あるのは椅子だけ。縛られているのは、署内の色々な人たちを表しているのであろうか。
冒頭 生活安全課の署員が、ある部屋を訪ねるところから始まる。緊迫した様子、警察無線から流れる言葉から一気に物語に引き込む。場転換し、一人の女性が生活安全課に妹の行方を捜してほしいと依頼。生活安全課に自ら望んで配属された署員は、事件性がないと動けない旨説明するが、市民のための警察ではないのかと食い下がられる。対応に苦慮し上司に相談するが埒が明かない。民間企業ならクレーマー処理するような展開であるが、無下にできない警察署という設定が上手い。いつの間にか「市民のため」が蔑ろに、そして事件が…。
警察では事件性の有無によって対応が異なる。その見極めが重要であり、「君には期待している」という飴のような甘言。逆に組織の体面を傷つけるような軽はずみな言動や行動は叱責ーー「君には失望した」「将来を考えたまえ」は鞭のような苦言。署長から課長・主任へ、逆に諫言は出来ない組織体制、その保守的な考えが人間性を支配していく怖さ。<精神的な>病に倒れるか、洗脳されていくか、その究極の選択を迫られるような圧迫感。制服(交番勤務)と私服(署内勤務)の違い、私服は相談する相手がいないこと。その孤独・重圧感を早い段階で示す。
市民の相談、そして権力機構への対峙として弁護士を登場させる。生活安全課の署員と弁護士、その従兄同士であり立場を違えた男二人の激論は心魂震える。二人の議論は 理想と現実のように思えるが、何故か生活安全課署員の心内が引き裂かれた、そんな葛藤する姿を見るようだ。出来れば、続編として、この法廷劇を観てみたいところ。
次回公演も楽しみにしております。
ハンドル握って
StageClimbers
新宿眼科画廊(東京都)
2023/02/11 (土) ~ 2023/02/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
公演は、三短編オムニバスで紡がれ 夫々の話だけでも面白い。が、やはり全編繋げると登場する人々の思いを生き活きと描いていることが解る。タイトル「ハンドル握って」は二話目のサブタイトルであり、繋ぐ話であろうが、これが実に巧い構成となっている。袋小路で迷い、二進も三進も身動き出来ない演劇人の姿そのもの。
登場するのは、劇団員もしくは元劇団員、その家族という等身大の人々で、内容的にもありそうなもの。それだけにリアルであり、その世界で生き 活動する人々の悩みや喜びがストレートに伝わる。公演の魅力は 物語の面白さは勿論、役者陣の演技力の確かさであろう。
また楽しみに出来る団体_StageClimbersに出会えたことを嬉しく思う。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
舞台美術は場面ごとに異なる。説明にある あらすじを参考。
第一話「好きじゃないよ」
劇団コロラド公演の本番前日、小道具を持って駅ホームで電車を待つ3人。朝10時という設定でまだ混んでいる状況を歩き方で表す。そして出演者がケガをしたことで代役を探すことになった劇団員(制作担当)の松田。しかし代役は見つからず…。混雑時の様子、架電等で荷物を他者に預ける動作などで情景を描き出す。
第二話.「ハンドル握って」
女性は、学生時代の友だちが入院し病院に車を走らせたが、都心の狭い路地に迷い込み車が立ち往生。この近所に住む男(足をケガ)の力を借りて脱出しようとするが…。男女二人の会話劇だが、細かい仕草ーー例えば男が代わりに車をバックさせる際の視線(バックミラーを見ているような斜め上目線)がリアル。
第三話「元劇団員」
楽屋裏。白いシーツ<スクリーン>があり奥を隠し、同時に映写用の幕として活用する。劇団を辞めて3年、郷里に帰った元劇団員(38歳-微妙な年齢設定)はアルバイト<YouTube>をしている。ある日、劇団からケガした出演者の代役を頼まれて……。そこに居ない元劇団員を配信として登場させる。勿論、場所も時間も異なるから衣裳も異なる。
三話目は全員登場し、その関係性が明らかになる。演劇という魅力に憑りつかれた?人々の苦労と喜び、その生き甲斐、遣り甲斐を切々に語る姿が印象的である。演劇という底なし沼のような世界、そこから脱することは難しい。いや その気になれば出来るのだろうが、その魅力を捨て去ることは出来ない。
一方、二話に出てくる女性は、故郷に帰った元劇団員の姉。演劇という不安定な生き方を卒業させ、就職するよう諭す。演劇人以外の人物を登場させ醒めた見方をする。それでも楽屋裏の演劇人の様子や話、そこに経済的なコトとは無縁な生き方がある、そんなことを感じるようだが…。
公演は細かい演技、そして観せようと工夫する丁寧さ。例えば、三話は楽屋裏でありテーブルや椅子が雑然とあるのは当たり前の光景だが、ボックスティッシュにマジックペンで「楽屋用」と走り書きした小物を置くだけで、一瞬にして場所が分かる(ラストの白シーツを巻上げると…)。そこに公演を通してリアルな演劇愛、情熱を感じさせるモノを見るようで好感を持った。
次回公演も楽しみにしております。
したため#8『擬娩』
したため
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/02/09 (木) ~ 2023/02/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
タイトルの「擬娩」という言葉は勿論、その意味さえ知らなかった。説明にある内容をどのように描き出すのかという興味、そして「2019年の初演、2021年のKYOTO EXPERIMENTにおける再創作を経て、和田ながら/したための代表作が待望の東京再演」という誘い文句に期待して観たが…。自分のイメージとかけ離れた物語、というか会話とパフォーマンスを組み合わせた独自の世界観を築いていた。
説明では「妻の出産前後にその夫が妊娠にまつわる行為を模倣し、時には出産の痛みさえ感じているかのようにふるまうという習俗」とあり、続けて「あまりに奇妙で、あまりに演劇的な習俗に倣って、妊娠・出産を経験していない俳優たちが、想像力をよすがに、妊娠・出産を愚直にシミュレートする」という謳い文句である。
登場するのは4人。自己紹介ー生い立ち 日頃の思いを独白するが、その観せ方は輪唱のよう。妊娠経過を順々と描き、いよいよ生まれてくる子(胎児)との仮想対話へ。しかしこの場面は、シャレなのか笑いを誘っているのか、はっきり言って面白くない。これは個人〈自分〉的な感想であるが、別の観点として「初演の劇評」として「高嶋慈 氏(美術・舞台芸術批評)」や「渡辺健一郎 氏(俳優、批評家)」の高評文<抜粋>を紹介している。その意味で見巧者向けの公演であろうか、とも思う。
経産婦でなければ分からないような感覚劇。それを疑似体験させるのであれば、もう少し出産に対し真摯でなければ と思う。また同じ経産婦にしても、出産という行為は一括りではなく、いつも違うはずである。そこに生まれてくる子の個性やドラマがある。妊娠期間から出産まで、妻に寄り添い『擬娩』することで、少しでもその大変さを共有する。そこに「擬娩」という習俗の意味があるのではないか。もっとも あくまで疑似体験だけに真に大変な思いを知る訳ではないが…。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
素舞台、役者4人は大きさが異なる四角い枠板〈枠内は 幾つもの平ゴムで閉じられている〉を持って独白をする。定かではないが、横にピアノ線のようなものがピンと張られ、それに沿って立ち並んでいる。もっとも一直線ではなく、間隔をあけて、少しずつ動いている。四角い枠は額縁のようでもあり、自己表現をする際に利用している。全体的に薄暗い中での不規則な動き、というか蠢きのようだ。
演劇という虚構の世界の中で、どれだけ出産をリアル体験できるか、「擬娩」そのものが 演劇の題材らしい。出産経験者と未経験者では、現実的な感じ方 受け止め方が違うだろう。出産という現実、それを擬娩という経験していないことを、さも経験したかのように演じる虚構、それを「演じていない」「演じている」というメタ構造として描ければ…。その見せ場が胎児との対話であり産むシーンだと思うが、その重要な場面を茶化したように描いて、いやそう感じられたのが残念。
出産という大変にして至福の瞬間、その「ほんとう」を観たかった。
次回公演も楽しみにしております。
愛犬家
甲斐ファクトリー
ザムザ阿佐谷(東京都)
2023/02/08 (水) ~ 2023/02/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
サスペンス・ミステリー風であり、再々演を考慮して、あらすじではなく概要だけにする。本作は、劇団の旗揚げ<6年前>作品の再演だという。当日パンフに甲斐マサキ氏が「それゆえに劇団の世界観が最も色濃く反映した作品にもなっている」と記している。続けて 大きく改訂してほとんど新作とあるが、自分は未見のため どこが変わったのか分からない。
6年という歳月は平成から令和へ、そしてコロナ禍を経験している。この状況を物語に取り込んでいたのだろうか、少なくとも台詞にはなかった。一方、甲斐ファクトリーらしい描きーー苛めという心身の痛み、見下しながらも見下されているような捻じれーーそれがリアルに立ち上がってくる。変わる環境(状況)、変わらない関係(愛情)が、何か目に見えない うねりによって軋み崩壊していくようだ。
物語は、現在と過去が並列して紡がれる。勿論、演劇的には交差させ、重層的に観せている。
家庭を築きながらも家族としての温もりが得られず、もがき続ける鈴木一家。一方、興味を持ちつつ客観を決め込む隣家の佐々木夫婦。鈴木一家に個人の観点を、そして佐々木夫婦に社会(世間)という観点を担わせているようだ。物語に潜む不気味で得体の知れない怖れは、捉(抑)えようがない人の感情であり、不寛容な社会状況によるものか。
何らかの「家族のかたち」を求めて生きようとするが、いつの間にか正常と狂気の境が崩れて…。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、二層で上部は道であり蔦草が垂れている。上手にドア(鈴木家の玄関)、玄関灯 そして数個の箱馬があり場面に応じて配置を変える。二層の上から滑り台のように傾斜した道ー坂道を表している。この高さの上り下りによって会話だけではなく、単調になりがちな日常<生活>にアクセントを付ける。
凡庸で不器用な中年男が、高嶺の花の女性(20歳も年下)と結婚し子供(女の子)が生まれる。その際、英国の諺にある「犬を飼うこと」にした。幸せを絵に描いたような…しかし妻は結婚前から異性関係にだらしなく、子はあるコンプレックスを抱くことになる。思春期になり、娘は美しい母に嫉妬し自身と比較し悲観する。それが「ママは本当にきれいだね。死んでしまえばいいのに」。一方 友達からの苛めもあるが…。
夫は妻に見下されながら、実は内心 見下しているような捻じれた自尊心が垣間見える。それが洗濯物を仕舞ながら ほくそ笑む表情。日常の不満、偽善に鬱屈しながら家族ごっこをする。そんな仮面家族を”普通”の家族へ、そんな当たり前の気持と行動が…。このへんの描きは、甲斐ワールドらしい。
さて、コロナ禍で労働環境も激変し、テレワーク(自宅での業務)が増えた。夫婦間の物理的距離は近くなったが、一方 精神的な隔たり煩わしさが増したとも聞く。この鈴木家に当てはめてみた時、初演時と今作品との間で変化があったのか否か。
鈴木家の夫:イチロー(トラ丸<伊藤順サン>)の卑小で無様な中年男の哀しみ、妻:カオリ(安藤紫緒サン)の自尊心が高く、厭らしい女性、娘:レイコ(辻村妃菜サン)の激情・激昂する感情。三者三様の迫真ある演技が素晴らしい。勿論、鈴木家以外の登場人物も熱演、全体のバランスは言うまでもない。
舞台技術ーピアノ演奏による音響効果、照明はピンスポットによる心情効果、階調による情景変化、そして ラスト映像による回想シーン〈伏線があり見事な回帰⇨幼い頃 娘のビデオ鑑賞〉が登場しない父の慟哭を表すようだ。
隠れテーマとして、当たり前の日常を生きようとする人々への人生賛歌かも知れない。
次回公演も楽しみにしております。