独りの国のアリス〜むかし、むかし、私はアリスだった……〜
ことのはbox
シアター風姿花伝(東京都)
2023/06/15 (木) ~ 2023/06/19 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、自分好み。
ファンタジーにしてラビリンスといった感覚であるが、まったくの浮遊感という訳ではなく、何となく地に足がついて といった絶妙感が好い。タイトル「独りの国のアリス〜むかし、むかし、私はアリスだった」は「不思議の国のアリス」を意識、そのメルヘン的な雰囲気を 少女ならぬ現代の中年女性の心の彷徨として描いている。
劇団遊◎機械(ゆうきかい)/全自動シアターが1995年(28年前)に初演、確か岸田國士戯曲賞の候補作品にもなったと思うが、今 観ても独特の世界観に浸れ楽しめる。いや 現代風にアレンジしているといったほうが正しいか。
舞台美術は女性の心模様を巧く表しており、アタシ(アリス)の荒廃した気持を的確に表出している。どちらかと言えば都会的なセンス、一見スタイリッシュと思える光景が次々と変化していく。ここは…そこは何処といった自分の居場所が定まらないといった空虚さが堪らなく切ない。
卑小だが、<Team葉>初日ということもあるのだろう、少し演技が硬い。台詞の噛み 言い直し、肩を組んで踊るシーンも少し揃(合)わない。しかし公演回数を経れば改善するだろう。それよりも物語を牽引する不思議な力(チカラ)、アリスの孤独と彼女を取り巻く<奇妙な>人々の陽気さ、そのアンバランスというか雑多さが現実と虚構(虚空)綯交ぜの世界観を立ち上げる。今まで観てきた<ことのはbox>公演とは一味違った面白味がある。
(上演時間2時間 途中休憩なし)【Team葉】
ネタバレBOX
舞台美術、上手に階段(雑多な物で上れない)、壁にはレース生地 白、階段下にテーブルと椅子1脚、床にも衣類やペットボトルが散乱している。奥壁には動かない時計、天井には斜めに吊るされたシャンデリア、下手にカウンターとハイスツール。周りの壁には蔦類が垂れ下がり。アリスの心の荒廃を表すような雑多さと真ん中には何も無い空虚さが同居したような光景(世界)。前に進めず止まっている姿であろう。
その後、場面に応じてテーブルや椅子を搬入搬出させ情景を作り出す。因みにテーブルや椅子の形状が異なり、そこにも個性(奇妙な人々の印象)が散りばめられている。
間違い電話が何度か鳴り、苛立つアリス。今日は誕生日だが、一人で過ごしている。そんな彼女のところに 陽気に騒ぐ奇妙な人々が現れ、アリスの心の内を嘲るような振る舞いをしだす。何時しか10歳の誕生日シーンへ。母はいないが、父をはじめ親戚の人々が誕生日を祝ってくれる。ケーキの蝋燭、その火を吹き消すと大切な人がいなくなる。誕生日毎に1人また1人と ワタシのもとを去っていく。それが怖い。幸せになる前に自分で<幸せ>を壊してしまい、辛い思いをしないように現実逃避する。いつの間にか自分の周りには誰もいなくなり孤独が…。
奇妙な人々によって、こんな人生もあるのでは、といった楽しいシミュレーション人生が展開していく。現実/空想の世界なのか、その迷宮にして混沌とした世界観が実によく表れている。それは外見の衣裳…アリスは地味な服、奇妙な人々の衣装はトランプ柄など奇抜で明彩色の服で 居る世界が違うような。そして表情の陰(鬱)・陽(気)にも表れている。アリス(花房里枝サン)は勿論、奇妙な人々の演技は熱演、ぜひ千穐楽まで持続させてほしい。
時間は<無限>にあるわけではない。人生は色々なことを考えて選択する、が 考え過ぎて行動が出来ない。子供の頃からの誕生日の悪い思い出、現実逃避し(自己)殻への閉籠りなど、自分自身に向き合えていないアタシ。そのアリスの合わせ鏡のようにして現れる奇妙な人々の個性溢れる魅力。勿論 歌い(ケセラセラ等)踊るという観せる演出が魅力を支えている。
この世界観は、期待を裏切ることなく、カーテンコール後のアリス(姿)でしっかり表(明か)す。
次回公演も楽しみにしております。
ホテル・ミラクルThe Final
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2023/06/08 (木) ~ 2023/06/20 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。〈R15指定〉
「ホテル・ミラクル」シリーズは、このThe Finalを含めて全8回、うち6回観ることが出来た。逆に言えば観れなかった第1回と第3回が悔やまれる。
新宿歌舞伎町という歓楽街にあるホテル・ミラクルの一室で繰り広げられる痴態を覗くような感覚 いや官能公演。室内で起こる男女の濃密な痴話を通して人間の、それも身の下相談を見聞きするような面白さ。勿論 隠微な感じはするが、全編を通じて「男・女」というよりは「人・間」の本音、心情が奇妙な感覚を以って迫ってくる。妖しい官能マジック、それは脳を刺激し胸底にある禁断の欲望、いや人間の本性を曝け出させるような心理プレー。
過去シリーズで上演した作品もあれば、新作もあり この間の社会事情・世相の変化も織り込み、変わらぬ男女の<恋愛・痴話>物語もあれば、移ろいゆく心の変化などが紡がれる。色々な男女 いや人間関係を濃密に描き、本来は人に知られたくない くらくらするような短編。もう観られなくなると思うと コトが終わったような虚しさ寂しさが…。
ちなみに 今回観た作品の1つ、その脚本家と帰りがけ話をしたが、役者によって作品イメージが変わる と。自分も前に観た時と印象が異なり、やはり舞台は<生>ものということを改めて認識。
繰り返すが、あ~ 1回と3回が…。<「ホテル・ミラクルThe Final」見逃がし厳禁>かもね。
(上演時間2時間40分 途中休憩あり)【REST ver】
ネタバレBOX
入口側に磨ガラスのシャワールーム。舞台美術は、壁際にミニテーブルと椅子2脚。中央にベット、サイドテーブル、ソファーが置かれている。テーブル・ソファ下の照明が室内を妖しく(ピンクに)照らす。
客席はL字型。ベットを横から、そしてシャワールームで着替える姿を観るには、奥角の席に座る方が観やすいだろう。どの方向からから観るかは好みであるが。
前説「おし問答」(坂本七秋 氏)は男女がシャワールームで交わす会話…携帯電話電源off、飲食禁止など、喘ぎ声での注意喚起。既に始まっているので、トイレは我慢するようなプレイだが…。
①「シェヘラザード」(窪寺奈々瀬)
何でも話し合う親しい関係の女性2人、新堂沙良は大物議員の娘でお嬢様的な存在。恋人と別れ すぐ職場の先輩張本信也とラブホへ。そんな話を聞かされる大貫亜希子だが、彼女の恋人と言うのが…。恋人 以上と未満は肉体関係の有無だろうか、と意味深さを問うような。
②「よるをこめて」(笠浦静花)
清原凪子と藤原行成は係長と主任という上司部下の関係の恋人。社内には秘密にしている。最近はセックスレスで諍いが絶えない。冷静に話すために第三者を、それを平社員 関泰一をラブホに来させて。社内的な立場が歪になり奇妙な会話が漂流し出し、どこに辿り着くのか興味を惹く巧さ。
③「きゅうじっぷんさんまんえん」(屋代秀樹)
レズビアン風俗の話。ぎこちない女性2人の会話と動き。風俗嬢というには あまりにウブで不器用な仕草、そして卑下し続ける風俗嬢を慰める客。シャワールームに一人ずつ入って気を落ち着かせて…ラストの客の一言が切ないような(世間的に見れば幸せなのだが)。
④「グリーブランド」(河西裕介)
酔い潰れた女とラブホで一夜を過ごすが...。ヤるチャンスがあったのに行為をしない男に向って女は、明日遠くへ行くという。それはグリーブランド...それってどこにある国なの。女の誘惑にも優柔不断な態度の男。親しくなり過ぎて、もはや男と女という異性を乗り越えた友達・同士といった間柄。そのラフさが可笑しくも切ない。
⑤「獣、あるいは、近付くのが早過ぎる」 (服部紘二)
アレは姿を現した。 ゆっくりとその首をもたげる中、新宿歌舞伎町のホテル街で、男 村田ケンジは年上女 早瀬マナミをホテルに誘う。 不可解な足音が鳴り響く中...草食系男子も目覚めるか。この街はおろかこの世の終焉のような雰囲気、それでも男は踏ん切りがつけられない。
部屋に入ってからの、男性、女性の振る舞い、落ち着かなさ、照れと恥じらい...など雰囲気のエロ、妖しさと挙動のコミカルさのアンバランスも有りがちで笑える。そして、実際は密室で濃蜜な場所、そんな淫靡な処を覗いている。普段そんなことが出来ない非日常性と背徳感が高揚させる。その生身の人間...男女を感じさせる脚本・演出はそれぞれ面白い。ラブホテルという部屋のシチュエーションでありながら、やはり脚本家の感性というか描き方の特長が出るようで、一袋に色々な飴が入っており、違う味(甘いだけではない)が楽しめる、そんな公演であった。
どの物語にもクスッと笑えるオチがある。全作品にラブホという少し妖しげな雰囲気の中で、男女の距離感が伸び縮みする。また話を適度にねじり、巧みに流れに渦を作り掻き回す。室内の濃密な関係が、軽快なテンポで繰り広げられる。構成の絶妙さ、脚本の内容を斟酌した上でのアンバランスな演出(池田智哉サン)がたまらない。
これが最後の公演だと思うと残念でならない。
初老の血
劇団 枕返し
北池袋 新生館シアター(東京都)
2023/06/09 (金) ~ 2023/06/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
昭和時代に流行った任侠映画、その美学(義理 人情)と妖怪を絡めた物語であろうか。今一つ 何を描き伝えようとしているのか分からない。自分の感性が初老を超えて枯渇したか?
登場人物のキャラクターは濃く楽しめるが、ヤクザの抗争というよりは昔馴染みの諍い。それを何故だか定食屋内には持ち込まない不文律のようなものがある。コメディだから細かいことは気にせず楽しめば良いのだろうが…。
一方 劇団のコンセプト?妖怪(作品には必ず登場)…今回は「ぬりかべ」で、一般的に知られる形とは異なる。その異形の存在と舞台美術という両面で巧く活用している。一種の被り物で、ずっと舞台上にいるという 体力的に厳しい役柄だ。
「ぬりかべ」の役割は 「何か」若しくは「誰か」を守りたい、という<思い>であり、時を遡行し戦時中へ。個人的にはこの場面をもう少し掘り下げ、任侠の世界と絡ませて観(魅)せてほしいところ。先のヤクザと ぬりかべの話がラストに少し絡む程度で…。表層的にドタバタしただけのコメディ、それなりの繋がりで もう少し心に響くものがほしい。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、上手(阿過組)と下手(死路組)は非対称、しかしどちらもビールケース(サッポロVSアサヒ)で居酒屋の雰囲気を漂わす。中央に壁(ぬりかべ)があり仕切っている。中央(客席寄り)は、別のビールケース(キリン)が置かれ 立場の違いを表す。下手に別空間を表すカウンター席。
長年諍いの絶えない2つのヤクザ組織ー阿過組と死路組だが、それぞれ世代交代の時期を迎えている。阿過組では二代目が引退をし、三代目に孫娘を考えている。一方 死路組は末娘が四代目の跡目を継いだばかり。暴対法の影響で組員も減少し、といった昨今の事情が描かれる。諍いの原因は シノギ にあるらしい。第三者(牽制 中立?)的な立場として地元警察を絡ませる。冒頭 先輩刑事が新人刑事に、地元ヤクザの実態を教えるという構図でこの店に来る。それぞれの組の事情を親分と幹部組員の会話で紡いでいく。
物語が動くのは、阿過組の組員が死路組の組員に向かって発砲したこと。双方が負傷しどう修羅場を収めるか。阿過組の跡目を渋っていた孫娘が、「誰一人欠けてもいけない 」といった啖呵を切る。二代目も ヤクザは「誰にも相手にされなくなった者の駆け込み寺のような世界」と言う。一見 昭和の義理人情の世界が観えるが、深みがない。ちなみに二代目が引退したいのは、刑事に惚れという自分都合。そのため孫娘を呼び返す我儘ぶりである。孫娘(35歳)は、若い時(25歳)に流産し子が産めないよう。嫁ぎ先では辛い思いをしていた。
この孫娘の「命」の話…誰一人欠けてもいけない、発砲騒ぎを起こした若い組員を赤ん坊の時から面倒を見ている、そして妖怪「ぬりかべ」の守(護)りたい者(モノ)のため、戦時中へ遡行したい思い。それらの場面を縦横無尽に紡ぎ、もう少し広がりと深みのある物語にしてほしい。
表層的なドタバタコメディ(先輩刑事を投げる等)に止めておくには惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
「その先の闇と光」
ISAWO BOOKSTORE
雑遊(東京都)
2023/06/03 (土) ~ 2023/06/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。【A・B】観劇
濃厚な骨太作品…内容的には全国的に知られた刑事事件をフィクションとして描いているが、そこには(刑事)司法への警告も込められている。物語を虚実綯交ぜにすること、その客観化によって興味・関心を持たせる上手さ。背景や状況を被害者・加害者側という(対決)構図とは一歩引いた立場の人物を絡ませることで、どちら側にも偏ることなく観せる。刑事事件という性質上、笑う要素を排除し冷徹に描き切った秀作。
勿論 俳優陣の熱演、その演技力に負うところが大きい。同時に A「壁の向こうの友人ー名古屋保険金殺人事件ー」は、シンプルだが 被害者(遺族)・加害者そして刑務官という3者三様の立場が一目瞭然の舞台美術が見事。一方、B「明日は運動会ー和歌山毒物カレー事件ー」は加害者の子供たちという残された家族の辛苦。刑事事件としては動機不明、状況証拠のみという曖昧な捜査に照らしてみれば納得のいかない判決、そこに問題を投げかける。事件が世間の注目から遠のき、穏やかな暮らしが…あえて波風立てる行動を起こす必要があるのだろうか。その選択を自らしよう 「もう逃げない」と…。
基本的に 両作品とも心情劇。Aは、決して許せない<心>とは別のところで疼く<思い>のようなもの、その揺れる気持があるのも事実。Bは加害者(母)の子供であり、決定的な物的証拠がない以上 信じたいが、しかし長女の「(母)眞須美を信じられない、娘だから言え(分か)ること」には驚愕する。ちなみに、Bはいつ時点での話であろうか。
A「壁の向こうの友人ー名古屋保険金殺人事件ー」
B「明日は運動会ー和歌山毒物カレー事件ー」
(上演時間1時間45分 途中休憩なし 舞台転換5分)
ネタバレBOX
A「壁の向こうの友人ー名古屋保険金殺人事件」
拘置所 面会室…中央にアクリル版越しに面会する椅子2つ、上手に刑務官が座る場所があるだけ。冒頭、刑務官・岡本(江刺家伸雄サン)が拘置所と刑務所の違い、分り難い法律用語・制度等を説明。
被害者親族(被害者の実兄)・原口(虎玉大介サン)と加害者・長谷(幸将司サン)が面会し、何となく情を交わすことはないと思うが、ここでは加害者の〈死刑判決〉を巡るドラマという観点で描いているようだ。加害者の自己利益(会社経営)のために弟を殺された兄が減刑嘆願をする。仮に弟に妻や子がいたら、その家族は加害者を許せるだろうか。確かに兄も加害者に向かって「絶対許さない」と叫ぶが…。
しかし、理性という建前の扉に隠された、人の奥底に潜む 剥き出しの本性が引きずり出されるのではないか。その意味では 一歩引いた立場、そこに真のエゴイズムが見えなかった。理論の「死刑廃止論」…その賛否は色々あろうが、どちらにしても その理屈は被害者家族の悲しみを超えることは出来ない。そこにあるのは理論 理屈ではなく激情・滂沱という心だから。この物語で物足りないとすればキレイごとのようで<心>が迫ってこないこと。
B「明日は運動会ー和歌山毒物カレー事件」
加害者の子供たちが集まり、母の冤罪を晴らそうと相談する。そのため長女の家へ。中央にソファ、ローテーブル・椅子が置かれた一般的なリビング、それゆえリアルでもある。
長女・森田真子(丹下真寿美サン)は結婚し子もいる。勿論 夫・清水(阿紋太郎サン)は妻の母が殺人を犯し死刑囚であることは知っており、それを承知で結婚している。長男・高史(二神光サン)は、母の事件が動機・物的証拠なし、さらに自供もしていないことから冤罪の可能性を疑っている。二女・裕子(永池南津子サン)はプロポーズされ 近々結婚する予定だが、相手には母の事件のことは伝えていない。三女・由梨香(福井花耶サン)は幼い頃のことで良く分からないが、長男が言う金になるなら…。子には子の夫々の生活があり、今の状況を語り合う。
世間から忘れ去られたであろう事件、それを今更蒸し返したくない、というのが本音。しかし、もし冤罪であればという肉親(子)であるがゆえに揺れる心情が痛いほど伝わる。一方 母のことを忘れることによって自分の小さな幸せを掴むことが出来る。その天秤の傾きの如きあちこちに漂流するような濃密な会話。そんな中で放った長女の言葉が衝撃的だ。
フィクションとノンフィクションの絶妙な境界をなぞった秀作。
次回公演も楽しみにしております。
風景
劇団普通
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2023/06/02 (金) ~ 2023/06/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
避けて通れない現実の澱のようなものが無限に込められた、まさしく「風景」劇。
祖父の葬儀に親戚が集まり、それぞれの近況などを語り合う光景が淡々と紡がれ…。劇の特徴は 全編茨城弁で、必ず相づちか同意を求めるかのような その繰り返しの ゆったりとした間(ま)と 伏し目がちに遠くを見るような表情。一見 無感情・無表情のように思えるが、話の内容は結婚・出産・子育て・跡継ぎ・老後、そして老親の面倒を誰がみるか、といった暮らしに付きまとうもの(普通の「風景」)。
必ずしも欲深い、遺産相続的なものではないが 心の奥を抉るような不気味さを感じる。喪主を父か叔父、その兄弟のどちらが務めるか。結局 親の面倒を見てきた弟の叔父が務め、遺品の整理(処分)まで行う。親戚の中には、高価なモノはいらないが、せめて思い出となる形見分けはしてほしかった と呟く。
何年後かの 墓参り。喪主を務めた叔父は、親戚が参るであろう盆の日に行かない。会う気まずさより、孤独を選ぶといった頑なさ。墓参りに行かなくても、心の中では いつも思い出している、と強がりを言う。家族・親族といっても だんだんと疎遠になっていく寂しさ。何か(大きな)出来事が起きるわけでもなく、淡々と過ぎ行く日々が…。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、上手に座卓、下手にテーブルと椅子、後ろに壁といった ごく普通の光景。情景に応じて壁が少し動くが、その場面に紡がれる内容と連動しているかのよう。上手と下手は場所は勿論 時の経過といった違いを表している。その切り替えは、照明の薄明・暗で巧く変化させる。
下手での風景、祖父の葬儀のために帰省している娘 由紀(安川まりサン)と両親の取り留めのない会話。母(坂倉奈津子サン)が座っている後ろを父(用松亮サン)が通ろうとするが、壁があり狭くて通れない。由紀が思わず母に椅子を動かすようにと(親近・親密さ?)。
上手の風景へ移り、祖父の葬儀に集まった親戚一同…孫(従妹同士)とその配偶者、そして喪主を務めた叔父 利夫(浅井浩介サン)とその息子 蒼太(岡部ひろきサン)を交えた近況話。壁の左右の広がり方が違い 少し歪になった感じ。
壁が全体的に後ろに動き、空間的な広がりが出来る。祖父が存命の時には集まっていた実家、しかし今では叔父 利夫の家に親戚は集まらない。蒼太が孤老の父に向って(葬儀以来)従兄姉に会っていない と零す。
会話の内容が壁の動き、その空間的な広がり(距離=疎遠)にリンクしているような、勝手に解釈しながら観る楽しさ。そして上手 下手の明暗する照明によって場所と時間が動くが、それがどこまで隔たっているのか 定かではない。
母が由紀に子を産まないのか、と やんわりと問う。由紀には由紀の考えがあり、母は娘の将来もしくは世間体を気にしているのかも知れない。先々 1人は寂しいといった台詞が独居老人を連想させ、もっと卑近には少子化といった問題が見え隠れする。その母娘の微妙な、そして気まずい緊張感が漂ってくる。茨城弁だが、全国のどこにでもあるような、<風景>が浮き上がってくる。
由紀が祖父とだけ共有した思い出…祖父の兄夫婦には子がいなかった、そして「ピアノの手だね」には、子がいない淋しさ、弟(祖父)の孫娘への優しい言葉掛けのように聞こえるのだが…。淡々とした語りの中に 滋味溢れるような感情。長年寄り添った夫婦ー父と母のそれぞれの「余計なことを…」と言った とぼけた会話の絶妙〈珍妙〉さが笑いを誘う。そして兄 広也(岩瀬亮サン)や由紀との親子会話が実にリアルで〈日常風景〉そのものだ。
次回公演も楽しみにしております。
だから君はここにいるのか【舞台編】【客席編】
階
調布市せんがわ劇場(東京都)
2023/05/31 (水) ~ 2023/06/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
第12回せんがわ演劇コンクールグランプリ受賞公演。
昨年はコンクール参加ということで、【舞台編】だけを40分の時間(コンクールの規定)で上演したが、本公演では55分と少し長くなっている。その時間だけ やはり物語における状況が分かり易くなっている。そして【客席編】と併せて約2時間の公演、どちらも観応えのある二人芝居、これぞ<小演劇-真骨頂>と言えるもの。
どちらの作品も劇場が主体となり、そこに現れる舞台の関係者が紡ぐ話である。その劇場で上演されるであろう架空の公演チラシを配付するという手の込んだ演出、笑えた。また共通しているのが照明…どちらもモノトーンで舞台上の役者(心情)に焦点をあてている。
(上演時間各55分 休憩兼転換10分)
ネタバレBOX
【舞台編】
昨年のコンクールを観た時の感想は次の通り。
「冒頭は、観念的といった印象。舞台は、劇場の公演準備前の舞台。仕込みが遅れている舞台上で、一人の俳優が、スタッフのために缶コーヒーを両腕に抱え待っている。と、台本の台詞を正確に喋る見知らぬ男が現れる。その台詞は、舞台上にいる俳優が喋るはずだったもの。すでに削除され無になった台詞と台詞がなくなって出番が無くなった俳優が いつの間にか同化してくる不思議感覚。劇に登場しなかった登場人物(台詞)とその役を演じるはずだった俳優の物語はシュール。他方、台詞とは誰のためのものか?観客に向けてであれば、観客不在の前説は何なのか。スタッフが声のみ出演という劇中内の前説アナウンスが笑える。」と記した。
今回の【観客編】と併せて観ると、その面白さは倍加する。やはり両作品あって、その相互作用が演劇としての深みを増す。
今回観て補足する。
1人の男が 上演前に口笛を吹き 鼻歌を歌いながら舞台装置を調整している。「満月だったんですね、今夜。だからこんなに明るいんですね」(満月伝)という台詞がなくなって、出番がない<缶コーヒーを持つ男>がスタッフ業務をしている。そこへビニール傘を持った<ヒーローに見えない男>が客席通路から現れる。台詞がないヒーローとは、その存在価値を巡る問答を通して人の悲哀が浮き上がる。<缶コーヒーを持つ男>が話す 暗闇での自分犠牲の他者救い の例え話に納得する<ヒーローに見えない男>。
登場しない主人公は、映画「桐島、部活やめるってよ」を連想し、最後まで存在が気になった話題作だったが…。
【客席編】
舞台は、幕が閉じたままで、客席前方の2列を舞台に見立て紡いでいく。舞台関係者という男と観劇2度目という女性観客(客席通路から登場)との二人芝居。男は、「沈黙の森」(再演)を観に来た彼女に向って、再演と言っても まったく同じ作品が上演されるわけではないと。暫し演劇論、やがて例え話のように 森の中の木が倒れた音を聞いた、いや聞こえないと言った比喩問答へ変転する。舞台上から見える光景と、客席から見える光景は違う、その相容れない位置関係を同一視するため、彼女を舞台にのせ客席側に椅子を向ける。
<三日月を背にする男>と<A-6の女改めA-5の女>の奇妙な会話は、女の恋愛話へ。前に観た時同様、自分の隣席に別れた彼?が座るかも、そんな願望を<再演>へ込めたかのよう。まるでヨリを戻せるかのような。
さて前説のアナウンスに、携帯電話の電源はオフに…など聞き慣れた説明のほか、「お客様の姿は、劇の登場人物には見えておりません。上演中は、劇の登場人物に話し掛けたりせず、驚かせないよう静かに見守ってください」と。当日パンフにも記してあるが、この言葉が肝。そう言えば、舞台転換時に幕の奥から騒めきが聞こえたが、【観客編】とあるから観客がいると思わせるためかと思っていたが、幕が開いてアッと驚いた。そういう理由(ワケ)だったのか。
一貫して唯一無二、存在するか否かといった舞台(虚構)の世界…同じものはない「たったひとつの かけがえのない世界が 劇の数だけあるのが 劇場なんです」…来た時とは反対側の客席通路を通って帰る女性、見事な劇中劇だ!
次回公演も楽しみにしております。
最後にご招待ありがとうございました。
引き結び
ViStar PRODUCE
テアトルBONBON(東京都)
2023/05/31 (水) ~ 2023/06/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
大雨という悪天候だったが、<ReStart>観に行ってよかった。
テーマは明確…副題にもあるようにー紬ぎ結ぶは「命」の糸ー。
子は親を選べないというが、本当はこの親のもとで生まれ育ちたいと、そんなことを思わせる物語である。この世に生をうけた命もあれば、そうでない といった愛憎の観点で描かれているが、現世にいるか いないか いずれにしても親と子の命の紬ぎ にかわりない。
中盤までは ドタバタと慌ただしいが 緩い観せ方、しかし 終盤は「命」という重い、そして思いテーマがしっかり伝わる感動劇へ。少しきれいに纏めた感があるが、説明あらすじ にある「生まれた時からなぜか一緒にいる”雪江”」の存在がラストに明かされ、涙腺がゆるむ。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 【結チーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、左右非対称のカラー(アイボリー、ピンク、ブルー)箱を階段状に積み重ね、二階部へ通じる。手摺があり屋上という設定であり、別場所の道路でもある。舞台は、主人公 高松一輝が通う ホシノ大学構内であり、彼に関わる人々の生活空間。この上り下りがスピード感・躍動感を生みテンポ良く展開していく。
故郷 北海道の地を離れ念願の一人暮らしを始めた一輝。同じ大学(医学部)に通う彼女 後藤香澄ができ幸せキャンパスライフを送るはずが…。大学の友人、不思議な存在(もじゃ神様)原田、そして雪江、個性豊かというかキャラの濃い人々が巻き起こす騒動を面白可笑しく観せる。大声、緩い笑いは日常の光景を表したかったのだろうが、少し冗長に感じられた。
一輝と香澄の間に子が授かり、まだ学生同士で産み育てることが出来るか。それぞれの親の生き・考え方、そして今後の2人の対処を通して<命>の紬を描く。特に香澄の母 香織(産婦人科医)も学生結婚をしたが、早くに夫と死別し 1人で彼女を育ててきた。それだけに経済的・精神的な苦労は身に染みて分かっていた。
物語では、一輝の友人 望といつも一緒にいる雪江の存在が肝。香織の大学先輩の雨宮夫婦も学生結婚。妻は妊娠症状を訴え、夫は気遣っているが…。望の本心が知れてから、物語は大きく動き出す。実は望と雪江は、この世に生まれてくることが出来なかった「命<霊>」である。しかし雪江と望の思いと行動は逆で、そこに愛憎の深さを描きこむ。さて雪江、望の両親は…劇場で。
舞台技術…ラストの照明は、ピース模様で人と人の繋がりを表すようだが、少しばらけている。そこに色々な出会いがあるような。音楽は優しいピアノの音色に癒される。衣裳…雪江はフワッとした白地服、望はピッタリとした黒地服で対照的に表し、同じ霊という存在だが思いの違いを示す。最後は望も白地服、そして2人が赤い糸ならぬ紐を持って人々を紬(繋)ぎ結ぶ。実に清々しい印象、余韻を残す。
次回公演も楽しみにしております。
La Vita é Bella ──とある優等生と壊れた世界
劇団東京座
中板橋 新生館スタジオ(東京都)
2023/06/01 (木) ~ 2023/06/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「La Vita é Bella」…イタリア語を邦訳すると さしずめ「人生は美しい」だろうか。
しかし、物語はそう美しく簡単なものではなく、今を生きる若者たちの<現在>ある世界(情況や状況)ができる背景や要因について、その親の世代が若者だった頃に起きた<出来事>に遡ってリアルに描く。バブルに浮かれ、その崩壊で人生が狂う。今あるのは失われた20年の世界、これから真面目に生きても夢や希望が持てるのか。いや そもそも「真面目」に生きるとは…その価値基準は誰がどのように決めるのか。今の高校生たちは生き方を模索し始める。
少しネタバレするが、物語は1988年から2008年頃の社会情勢とか世相を背景に、高校生という年代特有の悩みや葛藤を軸に瑞々しく描く。そして今後の人生の選択をどのようにするのか。黒猫 幽霊の予言…お前の世界はもうすぐ壊れる。そして<扉>を見つけるだろう。その扉を開けるか否か。
劇中、アコースティックギターを弾いたり イタリア音楽が流れる。抒情的なシーンが思春期の甘酸っぱさを演出する。
当初 2時間30分の上演時間(予定)が15分程延びているが、敢えて高校卒業後の世界まで観せたかったのだろうか。ラストの描き方は観客の好みによって評価が分かれるかも。
(上演時間2時間45分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台美術は、上手に段差ある台、中央奥に透明なフィルム張の壁枠、中央から下手にかけていくつかの白い箱。場面に応じて箱を並べ 積み上げることで情景を変化させる。この劇団らしい手作り感に温かみを感じる。また時代を考慮し、小道具はガラケーを使用するなど細かい。
高校2年までの聡介は、地方の公立進学校に通う成績、素行の優秀な優等生だった。しかし、3年生になってから、アコースティックギターを弾き、酒を飲み、タバコを薫らせる。そんな不良生徒へ変わっていた。親友の綽名 キョーダイは家族全員が京大卒というプレッシャーの中で京大を目指している。もう一人の親友 将太はユキにラブレターを書く。聡介の恋する涼子は、予備校の講師と不倫をしているが、そのことを聡介は知らない。この5人の男女高校生が織りなす青春群像劇。
聡介は、髪を金髪に染めタバコを吸っているところを教師に見つかり停学処分。教師に染めた髪、喫煙は誰にも迷惑をかけていない。校則は自由を縛る拘束のようだと、教師に突っかかる。一方、涼子の不倫相手には、結婚しているのに女子高生と恋愛するのは といった倫理観を口にする。相手からは理屈ではなく感情が…自分の行動と思考の矛盾、その自己本位な姿が高校生らしい。
後半は1988年バブル期、聡介の父は株投資で儲け破綻した典型的な庶民。この時 聡介は10歳で、両親の苦悩する姿を見ている。派手な衣装、ジュリアナ扇子を振り踊る、札をばら撒くといった演出が当時を象徴している。一転 地味な割烹着、質素な暮らしへ。親は聡介に進学高校⇒難関<一流>大学⇒大企業といった希望を託し、聡介もそれに応えようとしていたような。
高校最後の夏、どこからかライオンが逃げたとのニュース。聡介と仲間たちは、ライオンを探すべく、ネット上で目撃情報のあったという山へ出かける。その夜、5人で語り明かす夢や希望が、その年代特有の苦悩や葛藤に苛まれながらも、懸命に生きようとする姿に重なる。そして夜明けにライオン(勿論 比喩)が現れ―。青春時代の印象深い思い出がクライマックスかと思ったが、10年後迄描く。
今28歳になった彼ら彼女らの姿、自己同一性は…ぜひ劇場で。
次回公演も楽しみにしております。
海の木馬
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2023/05/30 (火) ~ 2023/06/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
物語は、海の特攻隊「第128震洋隊の悲劇」を 昭和20(1945)年初夏から同年8月16日迄を中心に描いている。”人の噂も75日”というが、今年で戦後78年になるが けっして戦争という<不条理>を忘れてはならないことを訴える。今まで観た桟敷童子公演に比べると舞台装置はシンプル。しかし それゆえ人物が焦点になり、心情が鮮明に浮かび上がってくる。
舞台は高知県の秘密軍事基地と周辺漁村。特攻隊員が出撃するまで民家に投宿したことで芽生えた心情、民間人との交流を通して自分の家族への思いを馳せる。電波状況が悪く玉音放送が聞き取れず、情報が混乱したことで悲劇が…。演劇という虚構と実際の出来事、その虚実を実に巧く紡いでいく。軍人・民間人それぞれの立場や情況等の違いによって抱く思いは異なる。その心情を情感豊かに演じる役者陣の演技が凄い!
「海の木馬」は、震洋一型と名付けられた機体が海上を進めない<木馬>のようだ と。名は、太平洋を震わす を意味するが、実態はお粗末な機体に人を乗せて特攻させる。そこには期待もなく、<死>だけが横たわる という皮肉が込められている。天井から一筋の滝のように流れ積もる砂、その高さの分だけ悲しみが…。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、葉に覆われている または氷柱が重なった様な妖しげな光景。まるで海中のシダ洞窟にいるような感じ。青白い照明があたると実に幻想的だ。この世とは思えない、そう、登場するのは18~19歳の震洋一型に乗る特攻兵4人、うち1人青柳周平(小野武彦サン)は生き残った。当時と今を生きる青柳を通して時代間隔を表している。物語では<戦時中>を遠くに追いやることなく、地続きの現代の事として描く。この4人と部隊長・艇隊長・整備隊員2人が軍人、投宿先は村上旅館、訳あって今は営業していない。そして勤労奉仕隊の女性たち。その軍人・民間人の温かく仄々とした交流を無情に引き裂くのが戦争(特攻)。
飛行機での特攻を志願したのにと …しかし震洋一型は薄いベニヤに車のエンジンを搭載という粗末な機体で、既に戦闘能力ある武器が製造できないことを物語っている。そして終戦の翌日、混乱した情報に翻弄された隊員達が出撃しようとするが、燃料引火による爆発で111名が死亡。自分はこの事実を知らず、この公演で知った。当日パンフでサジキドウジ氏が「あまり報道がなく、責任も追及されず、歴史の闇に埋もれた」と記している。この公演では「記憶の蒼が引き裂かれ、繋ぎ合わせてあの日辿る…」が謳い文句、同感である。
国家機密も軍事機密も軍民一体となった暮らしでは隠しようもない。同時に 人としての情愛が生まれるのもあたりまえ。焼酎をふるまい、少ない食材でカレーを提供する、軍人さんは 生き神様と崇める。逆に、特攻隊員は民間人を守るため 自分の命を…。ラスト、村上家の次女 珠子(大手忍サン)が青柳のあんちゃんに向かって「卑怯者、生きるのが怖いのか」と叫ぶ。青柳は、自分だけが生き残った無念、声にならない心の慟哭が痛ましい。そんな姿を見せる演技に心根が震える。
舞台技術、特に照明は 壁面に人影を映すことで多くの人の存在を表す。そこには地元民だけではなく、日本のいたるところにある光景を観せている。そして椅子を振り上げた人影こそ、無言の怒り。椅子に座る青柳、天井の至る所から砂が流れ落ちるが、それは人骨、その高さだけ悲しみがある。胸がしめつけられる思いだ。
次回公演も楽しみにしております。
いきてるみ
安住の地
調布市せんがわ劇場(東京都)
2023/05/26 (金) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
第29回OMS戯曲賞佳作受賞作にして 第12回せんがわ劇場演劇コンクール オーディエンス賞受賞の記念公演…見巧者向けのようだ。
物語は四章で構成されており、何となく関連していることは分かるが、意図しているところを読み解くの(自分に)は難しい。チラシに「あなたの痛みも苦しみも、他人だからわかりっこない」、そう 脚本家の脳内を覗いているわけではないので、何を描き伝えようとしているのか本当のところは解らない。それは どの公演についても言えること。しかし 本作は、独特な身体表現・台詞回し、曖昧な背景など、具体的な説明を削ぎ落し緊密・抽象的に描いており、その表現手法に手強さをおぼえる。
言えるのは、2021年に京都で初演した時、「身体感覚による身体感覚のための演劇」と銘打ったとあり、身体を巡る物語であることだけは分かる。当日パンフには、四章のサブタイトルもなく、一~四章という構成と登場するモノ(者)が記されているだけ。内容<世界観>の面白さは、観客の感性に委ねているため 評価が割れるだろう。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
初演時に「小説から戯曲化された濃厚な言葉たちと身体表現の融合」とあり、演劇の<骨格>だけを提供<観せ>、そこから派生する 若しくは想像することを観客に楽しんでもらう といった公演、ではなかろうか。
舞台美術は、章によって異なるが、基本は ほぼ素舞台。
【第一章】
上手 下手に衝立、下手に箱2つ。登場するのは「生」と「声」のみ。
ニオイから始まると前置き、照明で暗闇がだんだんと明るくなり、ムーヴメント<動作>が見えてくる。片足がなく という身体性が語られ、またフェードアウトするように暗闇へ。ラストは母親の胎内にいる赤ん坊のよう…仰向けになり 両腕・両足を天に向かって伸ばす姿。
【第二章】
上手 下手に衝立、椅子が2脚ある診察室内。登場するのは、医師・看護師・患者・子ども。
医師と患者、患者と看護師、患者と子ども、子どもと医師といった、何となく連環するように二人芝居が続く。夫々の心情は直接 台詞と舞台上にいるプロンプターのような存在によって情況・状況が語られる。内面を読み取る<読心術>の攻防、手術によって切断した片足をどうするか。生=身体は生<ナマ>もの、切断した足は焼骨し骨壺へ。生きている人間が 自分自身<足>を供養するような奇妙さ。
【第三章】
雑多な段ボール箱、その中にある薄布に包まれた楕円物体。登場するのは、7・24・205という3数字で呼ばれる人?
新たに205が配属され、先任に作業手順を聞くことで物語が進む。ここが何処で、ナイフで薄布を取り除き 剥いているモノは何なのか、そして居るのは 人かロボット(定型的な動作)なのか といった得体の知れない不気味さが漂う。そして時々リーダー<7>が別場所へ呼び出され、24が突然居なくなる。何となく臓器の保存・保管業務のような…。
【第四章】
素舞台。登場するのは発表者・胎児。
第一章へ、といった展開。そこには生命の誕生が連想できる。
作・演出の私道かぴ さんが当日パンフに「他者はもちろん、自分のことだって何もわかりません」と。人の内心は勿論、身体的な痛みー身体欠損をしたこともない未経験者が、身体表現を通して人間<生>を描いている。四章を通して、見えない<心>を見える<身体>で表現する。その奇妙というか奇抜な発想がこの芝居の特徴であろうか。
次回公演も楽しみにしております。
最後に、公演へのご招待ありがとうございました。
龍と虎狼-新撰組 Beginning-
FREE(S)
ウッディシアター中目黒(東京都)
2023/05/23 (火) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
坂本龍馬と土方歳三が兄弟という設定、その奇知をもって 何となく史実と結び付けるような展開へ。そして映画・舞台・TV等でイメージ作られた風雲児と冷徹漢という人物像を逆転させたかのような描き。
見どころは、やはり殺陣シーンであろう。スピードと腰が据わり 刀をしっかり振り下ろす動作に迫力がある。特に複数の剣士の交刃、その間合い(距離感)をしっかり見極めているところが見事。また 沖田総司役を女優の市瀬瑠夏さんが演じているが、なかなか凛々しく 青年剣士を好演していたのが印象的。
気になったのが2点、まず 近藤勇 役(鈴木つかさ サン)がちょいちょいコメディリリーフとして笑わせるが、個人的にはあまり好まない。新撰組局長として、剣技は堂々としており、その延長線上での人物像でも良かったのでは…。重厚・骨太になり過ぎないため、敢えて笑いを挿入したのだろうか。次に、卑小と思いつつも、同じ武士でも大小二本差し と大刀のみの人物がおり、舞台上で並ぶと不自然なのだが…。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
物語としての見どころは、土方歳三という人物像…映画やTVでは冷徹といった印象を持っていたが、そのイメージを一新し組織内を如何に融和するか腐心する。勿論 新選組の体制を整える迄の話、芹沢鴨と近藤勇という二人局長の対立、それぞれのグループの思惑がよく知られている史実へ変転していく。新選組内で土方歳三という人格・人物像が形成されていくまで、その人間性を殺し 冷徹に成らざるを得なかったかを描く。
何方かと言えば芹沢鴨の未来(展望)観と刹那的な生き方を通して、幕末という混沌とした時代をどう生きるか、その大義のようなものがあるのか。そんな自問自答が殺生悪人としてのイメージが強い彼の別の一面を描く。その意味では、土方歳三や芹沢鴨といったイメージ先行型の人物像を覆し、時代に翻弄された武士の多面性を観(魅)せる。土方の優柔不断の慌てぶり、芹沢の先見性といった新たな魅力、そして敢えて近藤のコメディリリーフ的な役割を挿入し、娯楽時代劇として楽しませる。
勿論 殺陣シーンは見どころの一つ。しっかりした足の踏み込みがあるから迫力と臨場感が半端ない。単に芹沢暗殺シーンだけではなく、新選組として その技量(剣技)を磨くため稽古シーンも取り入れ、実戦と稽古の緊張感の違いを表す。
もう一つの見どころは、女優陣…飲み屋の着物姿や隠密的な役割の くノ一としての艶やかさ。武骨さと色香という 違う雰囲気を上手く融合させた世界観が心地良い。
次回公演も楽しみにしております。
夢見る無職透明
演劇プロデュース『螺旋階段』
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2023/05/26 (金) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
タイトルにある「無職」であれば、先行き不透明で不安であろう。しかし、物語はそんな40歳男が夢を持ち、逞しく生きようとする人生応援歌を謳い上げる。歌といえば、舞台がスナックということもあり、上演前から昭和歌謡 デュエット曲が流れており、懐かしさを誘う。
あらすじ にある理不尽な理由で解雇…残業代不払い、有給休暇が使用できないブラック企業、それでも真面目に働いていた男が味わう悲哀。同じような夢を繰り返し見る、そのデジャブのような展開が少しづつ変化する。突付けられたコトを受け入れるだけではなく、その状況に対処 抗う姿を通して男の成長をみる。
再就職の面接シーンが秀逸。当初、男はマニュアル的な志望動機・理由を語っていたが、だんだんと日常の些細なことの中にも夢を抱くことが出来ると。固定観念や常識に縛られた思考や行動から脱し、自分の思いを熱く語る。スナックでの面白可笑しい夢物語と現実生活をリンクさせ、<螺旋階段>から見るように 同じような光景に見えて 実は違う が描かれている。まさに 夢と現実が交錯する人間ドラマ、観応え十分。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台美術はスナック内…上手にはカウンター・ハイスツール・観賞植物、後ろの壁はボトル棚、下手はコーナーソファとカラオケセット、天井にはミラーボールが吊るされ雰囲気は十分。これが夢の中だとすれば、現実は 舞台と客席の間の上手スペースにキャスタ付のベットを搬入搬出させ、万年床という侘しいイメージを作り出す。主人公 柏木祐樹(根本健サン)は、40歳独身、そして突然 無職になった。1人でベットを慌ただしく出し入れする姿が滑稽であり、同時に悲哀を誘うという巧い演出だ。
ブラック企業がホワイト企業へ転換するため、先輩から任意退職を勧められる。あまり深くも考えず受け入れてしまうが、実際退職したのは柏木1人だけ。取り敢えず失業保険で生活しようと…。ある日、サラリーマン時代に通っていたスナックの夢をみた。スナックママ 夏樹、従業員の まい、常連客の木下忍や佐山俊之など個性豊かな人々が夢に現れドタバタ騒動が起きる。いつの間にか 柏木は まい から責任を取ってと結婚を迫られる。現実の願望が夢の中では逆になって表れる。嬉しいような困ったような複雑な思いが擽ったい。
同じようなドタバタの夢が繰り返されるが、ただ状況に流されるだけではなく、その場に応じた対処をする。繰り返し=少しずつ 成長していく様子を表す。人はそう簡単には変われない。そして就職面接シーンへ繋げる。40歳独身男が夢を持ってはいけないのか と熱弁する。
精神的にも肉体的にもまだまだ頑張れる。ミラーボールの光のシャワーを浴び カラオケを熱唱、登場人物がそれを応援するように踊る、そこにスナックらしい光景をみる。
舞台技術…音響音楽は、上演前に ♫「男と女のラブゲーム」「3年目の浮気」♫などスナックでのデュエット曲の定番を流し、雰囲気を醸し出す。(パント)マイムに合わせてドアのノックやチャイム音。照明は設定にあったミラーボール。出来れば、柏木のアパートが火事になった時、照明を少し朱色へ、併せて けたたましい消防(車)サイレンが聞こえるとよかったかな。
演技は 皆さん熱演で、人によっては水をかぶるといった 体を張ったことまで。
次回公演も楽しみにしております。
マミーブルー
劇団Q+
萬劇場(東京都)
2023/05/24 (水) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
ファンタジーを突き抜ける<力>を持った作品。
表層的には、画のようなビジュアルとして観(魅)せるが、内容はエッ!そういうことを描いているの とシャレにもならない問題・課題を突き付ける。
チラシに「水には記憶が宿る」とあるが、人の記憶は曖昧で、時間とともに薄れ忘れ去られてしまうかも。その良し悪しはあろうが、物語から連想するのは 環境破壊、自然災害や紛争戦争といった忘れてはならない事だ。
物語(内容)としては面白いが、シーンの描き方にバラツキというか調和・統一性が感じられないのが憾み。(自分)感性の問題であろうが、抒情的なのか叙事的なのか といった劇風が迷走しているような気がする。冒頭の設定や背景を特定させないようなファンタジー色から、急に災害・廃村といったリアル世界へ。それが黒服集団の登場によって、今度は時代背景を特定するような。そのシーンを境として前半・後半とみれば、前半部分は冗長に感じられ 惜しい。描きたいコトが盛りだくさん、その溢れる思いに演出が追い付いていない といった感じだ。
観(魅)せるのは、独特なメイクや衣裳、その格好は異彩を放っている。物語の着想は鋭いだけに、非現実の世界観の中で どれだけ現実に引き付けて描き出せるか。今後が大いに楽しみ。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし) 追記予定
星の果てまで7人で
トツゲキ倶楽部
「劇」小劇場(東京都)
2023/05/24 (水) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
トツゲキ倶楽部版「2023年宇宙の旅」…不思議な感覚を抱かせつつ、国・過去・想いを乗せ(背負っ)て飛行を続けている。宇宙の物語だが、そこに独特の人間模様を紡ぐ。が、未来とか希望が紡げるのか?可笑しくも切ないクルーたちの旅物語。ぜひ劇場で…。
タイトルは<7人>で とあるが、登場人物は8人、そこに未知との遭遇(未確認生物体?)を想起させる面白さ。
(上演時間1時間40分)【チームハイパー H】
ネタバレBOX
舞台美術は暗幕だけの素舞台。
地球を発って4年、クルーは一人ひとり箱を持ち、下手から上手に一列に進むように登場する。暗転すると暗幕にある電飾が光り宇宙空間が出現する。その幻想的な雰囲気の中で、クルーの一人・マリナ(田中ひとみ サン)の「地球へ帰りたい」という禁句。理由は単純...地球にいる彼氏に逢いたいという。忘れていないか心配だという。この思いが公演の機微に触れる重要なところ。ラストの感動シーンに繋がる伏線になっており見事な演出である。宇宙というSFをイメージさせるタイトルであるが、根幹は人間ドラマである。
クルーと地球(基地)との交信は「新年」と「誕生日」の年2回のみ。そこへ不思議な交信が...それを契機に東西南北の各国からの代表という自国(民族)意識が目覚める。地球を俯瞰しながらも、国の代表という自覚に捉われるところが人間くさい。祖国に何かあったのでは、という疑心暗鬼がホームシックに結びつき、会議で帰還するか探索続行か決めることに。決議は全会一致というルールであるが、会議の都度、賛否票が分かれる。この混迷を通して、過去から現在まで、世界のいずれかで起こっている紛争を考えさせ、その愚かしさを警鐘する。まさに宇宙的規模の考え方に収斂していく。
冒頭の箱は衛星機(基)という設定であり、クルーは意識人格(AI)という非実在性、地球には実在する本人がいる、という奇知。地球に帰還すれば心身一体になるのだろうか?クルーの一人・さくら(前田綾香サン)は地球を発つ時には末期癌に侵され余命わずか。今はもう亡くなっており、帰る場所(体)がない。それでも残された家族は彼女のことを忘れず、いつも想っているだろうと...。結局、7機(基)の衛星基は永久の宇宙探索を続けることになるのだが、8人目は時折意識下に入ってくる”おばちゃん”、その正体は如何に(エイリアンか?)
この宇宙における人間ドラマ、キャラクターをしっかり立ち上げ観せる公演になっている。劇中の台詞「重力」、その言の意味合いを借りれば、公演は「温かで大きな心に抱かれているような気がした」である。ただ一つ、自分的には大きな盛り上がり、インパクトという印象付けが弱かったような気がしたのが残念であるが。
次回公演を楽しみにしております。
進
演劇制作体V-NET
TACCS1179(東京都)
2023/05/24 (水) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
タイトル「進」でテーマが「卒業」…そういうコトかと納得。根底には生・死があり、それを乗り越えて力強く生きろ といった人生応援譚。
猿組「猿組式 雪女」、大和企画「実家で不幸がありまして」の2作品。勿論テイストは異なるが、両作品に共通しているのは人生の滋味。若者を通して描いているところに 優しさ、温かさが滲み出る。
演劇制作体V-NET公演であるが、今回はどちらが面白いか勝敗を決めるガチンコバトルではなく 投票もない。しかし演劇レベルは高く観応え十分だ。
(上演時間2時間 休憩兼転換10分)
ネタバレBOX
舞台美術は、照明の位置(中央階段奥)が若干違うぐらいで、ほぼ同じ。中央に階段を設えたドーム型の出入り口があるだけの素舞台。
●猿組「猿組式 雪女」
小泉八雲「雪女」の後日談といった物語…雪女と巳之吉は愛し合い子を授かる。しかし13年前 子の佐吉を残して家を出る。その佐吉も気立てが好く優しい大人に成長した。雪女は、妖怪の長である ぬらりひょん によって幽閉されていたが、ひっそりと人里へ帰ってきた。母の愛情と子の思慕が情感豊かに紡がれる。母(雪の化身)の最期、息子と手を取り合っているシーンは、蒸気が立ち上るような照明で昇華する。
妖怪と妖怪退治屋のスピードと迫力あるアクション・殺陣が見どころ。妖怪の出で立ちも妖しく奇異な感じが出ており、独特の雰囲気を表す。特に 尾山ねこ さん(雪女)は白地着物で冷気と妖艶さを漂わす。
少し気になったのは、ぬらりひょん が妖怪の長であるにも関わらず、座敷童子の妖力と同レベルなのか。また、ぬらりひょんが人里に近づくのを禁じていたのに、ラストでは自ら掟を破り人里を散策するような。何となく雪女は自分の娘で、その息子(孫)の佐吉を見守るためか、と勝手な想像をしてしまう。
●大和企画「実家で不幸がありまして」
売れっ子作家の有名作品を上演することになった劇団の危機的状況をどう脱するか。作家とその作品だけで もう公演は成功間違いなしと高を括ったか。作家に稽古を見てもらったが、ダメ出しされ咄嗟に劇団員が「実家で不幸がありまして」と嘘をつく。3日間の演出変更の猶予を得るが…。
実は演出家は父が亡くなり、遺品の整理をしに実家へ帰った時に見つけたのが、自分の作品のDVDやパンフレット類。父が一番のファンであったことを知る。亡くなって初めて知る親(父)の思い。
因みに作家のダメ出しはそこか と笑える。
気になるのが、ベテラン演出家が劇団(演劇界)を辞めた理由、劇団よりも大事なことができたから。プロデューサーとの会話で、子供が生まれ5歳の誕生日を迎えると。翻って、後輩(現在)演出家の亡父エピソードから、演劇だけでは生活していくことが難しい(悲哀)?ベテラン演出家の子が大人になった時、自分のせいで演劇を止めたことを知ったら、と余計なことを想像してしまう。
●共通・まとめ
両作品とも照明効果が巧い。それによって情景の変化にメリハリがみえる。
さて、テーマ「卒業」…親子関係、そして親の死によって初めて自立(卒業)し、同時に新たな出発(進)へ。親の死を乗り越えて逞しく生きる、を描いた珠玉作。
次回公演も楽しみにしております。
コスモポリタン
U-33project
王子小劇場(東京都)
2023/05/24 (水) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
あなたは将来 何になりたいの、夢は…といった子供の頃に聞かれたり、文集等に書いた記憶がある。一人の少女の「宇宙の果てを見てみたい」、そんな思いを誰かに話して夢物語を共有したいが…。
何世代にも亘って 友達の なりたいもの、夢と対照させて紡ぐが、時代感覚は敢えて変化させない。その過程は、夢を持ち どのように実現させるか、そして それは職業なのか具体的な目標なのかを自問自答するような描き。
少女の心情は何となく分かるが、<演劇>として どう表現するか、その試み挑戦しているかのような。表層的には楽しめもするが、意図しているところは 手強く難しい(伝えてナンボのもん)。
前作「真っ赤なブルー」同様、物語として紡ぐには、少し難しいような独特の世界観を表現しようとする。そして何となくではあるが肯いてしまう、もしくは共感する、といった妙味を持つ作品。
さて キャストの役名(苗字)は、西武新宿線の駅名になっているが…。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
舞台装置は 中央に階段がある黒壁、その前に3つずつの椅子が2組、上手下手に箱馬が1つずつあるだけのシンプルなもの。上演前は緑色照明で森の奥、木陰といった雰囲気を漂わす。
物語は、夢落ちでも 劇中劇でもない 現実世界を表出している。高校の進路相談、その三者面談を数日後に控えた授業風景から始まる。ボッーとしている主人公・中井ソラ(中村透子サン)は漫然と「宇宙の果てを見てみたい」と思っていたが、その思いは誰にも語っていない。友達は弁護士・ミュージシャン・画家といった職業を目指すグループ、他方、お姫様・インフルエンサー・金持ちといった漠然とだが目標を掲げるグループがいる。どちらにしても具体的な対象(夢)があり、その実現に向けての行動も示せる。
何世代に亘っても夢を実現させる、と実現が困難と判断し気持に折り合いをつけるか。意志と妥協の鬩ぎあい。例えば難関試験への合格=当面の目標と定めた時などが該当しよう。それを2つのグループの夢・目標で対比、叶わない時の言い訳=自分の努力が足りないから、もともと素質がないといった逃げ道を作る。が、それも大切。心情的には分かるが、明確なメッセージとしては伝わらない(感情移入できない)のが憾み。
演出としては、ゴム縄を色々な形に変形させ 心象風景を作り出す。色彩ある回転照明、色花吹雪、アップテンポな音楽で心地好く観せる。夢・目標を語る女優8人が生き活きと、また苦々しく 苦悩する。それを見守るような担任女教師と臨時の男性教師、その少し距離ある存在が妙。
次回公演も楽しみにしております。
Wの非劇
劇団チャリT企画
駅前劇場(東京都)
2023/05/17 (水) ~ 2023/05/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
タイムリーな時事<闇か病>ネタを笑い飛ばすような描き方、しかし その核心は鋭く突き かつ多面的だ。タイトル「Wの非劇」は1980年代にヒットした映画「Wの悲劇」を連想させ、一見 劇構成は準えている様に思えたが、本作ではインターネットやチャットGPT等 現代的な要素を盛り込み、その功罪までを問う幅広さ。勿論タイトルに込めた思いは劇中で明かされるが、演劇という虚構性を逆手にとって今 現実を痛烈に皮肉る内容に驚かされる。
本「Wの非劇」は説明にある性の被害者が別の意味で加害者になり、事がうやむやになろうとする。それは芸能(事務所)界だけではなく、市民が時々の風潮に乗じて誹謗中傷することで更に真実が分からなくなる。性の被害は女性だけではなく男性も、それを現実のJ事務所を連想させるジョニーエンターテイメントの新人合宿所の場面で暴く。
映画「Wの悲劇」は、映画の中で上演されている舞台劇の原作という設定であるが、本作のラストは別の映画を思わせるといった凝りようだ。どのように収束させるのか と思っていたが、お~そう来たかと思わず笑ってしまった。いや それまでも笑っていたが 、やはりラストは秀逸であった。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、家屋の外観をイメージさせる枠囲い、その中に白線があり 椅子4つが横並びしているシンプルなもの。
芸能事務所ウィンプロダクションの若手女優・翔子が先輩女優・鮎川美登莉にセクハラの相談をしている。今売れっ子の映画監督・谷山謙吾(ジョニーエンターテイメント)、彼から知らないうちにホテルに連れ込まれたと。美登莉は怒り訴えるべきだと息巻く。が ウィンプロダクションは別の思惑もあり穏便に済ませたいらしい。現実でも、今世間の注目を集めるJ事務所を彷彿とさせ、今まで闇に潜んでいた問題が次々に表面化している。そんな話題性を舞台にして面白可笑しく描きながらも、問題の<芯>を曖昧にしない骨太さ。
しかし、翔子が学生の頃 クラスメイトを苛め自殺に追い込んだことが発覚し、立場は一転する。もう何年も前のことだが、AIを駆使すれば触れられたくない 過去も暴かれるというネット社会に驚きと怖さを感じる。が、苛めがあったは 捏造された情報操作のようで ジョニーエンターテイメントの差し金のよう。タイトル「Wの非劇」は、性の被害とネットの中傷というWの「非劇」を表す。映画は 薬師丸ひろ子の主演で話題になったが、彼女の代表作「セーラー服と機関銃」のシーンもオマージユとして挿入する。もっとも悲劇は<心>がない「非劇」であり、そこには人が介在する場所がないリアルなドラマがある。現実社会と虚構(嘘)の演劇世界、その両面を融合させた物語だが、単なる演劇手法としてのパロディではなく、チャリT企画らしいオリジナル秀作。
人の本性は状況によって豹変する、それが芸能界だと殊更納得してしまう。メディアに晒されている割にはその実態が分からない。物語は、その不透明感ある世界を覗いて悦に浸る野次馬根性のような、その興味を惹かせる上手さ。同時に現実のタイムリーな話題性と相俟っているから なおさらだろう。色々な問題シーンを点描しながら、どう決着をつけるのか。ラスト「ハイ、カッート。お疲れさま」の掛け声、登場人物が舞台上に勢揃いしホッとした表情は、この物語全体が映画の撮影か何かのよう。敢えて言えば、映画「蒲田行進曲」さながらの劇中劇。まさに演劇という虚構性ーアナログを最大限に活かした結末、何とも洒落た…。
次回公演も楽しみにしております。
「4…」
四分乃参企画
JOY JOY THEATRE(東京都)
2023/05/18 (木) ~ 2023/05/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
タイトル「4…」は、2024年12月に解散することが決まった「社会人劇団threeQuarter」のカウントダウンの意。解散までに過去の作品を蘇らせ「生」で観せるため、配信は行わず劇場公演にこだわりたいと…。
観たのは、「劇団四分ノ三」の「熱海殺人事件~モンテカルロ・イリュージョン~」で、つかこうへい作品らしいマシンガンのような早口台詞と熱量ある動作、その激情に満ち溢れたところが見所であろう。勿論、内容は、つかこうへい らしい、<差別>問題が根底にあることは言うまでもない。ちなみに 当日パンフには、threeQuarterプロデューサーの清水みき枝女史が、解散まで「愛と情熱」をもって劇場<観客>を震わせたいと記している。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央の横長テーブルを木村伝兵衛部長刑事の机に見立て、上手に水野朋子婦人警官の机があるだけ。部長刑事の机に黒電話、マイクが置かれている。
物語は、棒高跳び の記録を塗り替えた元オリンピック日本代表選手で、現 東京警視庁・木村伝兵衛部長刑事(鈴木克彦サン)が、熱海で殺された砲丸投げ選手・山口アイ子の事件の容疑者、大山金太郎(斉名高志サン)と再会する。大山もかつては、同じ棒高跳び日本代表の補欠選手であった。同じようにオリンピックでメダルを目指した選手へ敬意を払うような事件へ。
一方、山形県警から転任してきた速水健作刑事(山城直人サン)の兄も棒高跳びの元オリンピック選手だったが、モンテカルロで自動車事故を起こし亡くなった。その時に同乗していたのが、木村部長刑事だったと。その事故死を疑う速水刑事は…。そして木村を愛するが、受け入れてもらえない病身(心臓病)の婦人警官:水野朋子(谷菜々恵サン)。
登場人物は4人、それぞれの心情吐露といった見せ場を設け、同時に他者との関わりを表す敬愛や思惑等といった感情を落とし込むことで より人間性を浮き彫りにする。
二つの事件を交錯させ、 謎解きとオリンピックという栄光の影に隠れた、エリート選手と補欠選手との絶望と苦悩が明らかになっていく。同じ選手とは言え、補欠の男性選手はゴミ、女性選手はコケと陰口を叩かれ、待遇面で〈差別〉されていた。練習に青春期の貴重な時間を費やし、報われないことも多い。それでも愛する人を信じて…。部長刑事の同性愛という設定にも性の<差別>または<偏見>を訴える。
愛欲と名誉さらには金銭といった欲望の渦に身を投じた悲しいまでの結末、しかし純粋に直向きに生きた、を描いた人間ドラマ。
暗転なし、物語の中に突然 音楽<歌>やダンスシーンを挿入し 観客の関心を惹きつけておく。歌は、あまり上手とは言えないが、それでもグイグイと引き込み面白可笑しく聴せる。勿論 戯曲の<力>もあろうが、役者の激情が 迸ったような迫力がそうさせる。照明は単色を瞬間的に点滅させるだけだが効果があり巧い。
次回公演も楽しみにしております。
殺意(ストリップショウ)
ルサンチカ
アトリエ春風舎(東京都)
2023/05/15 (月) ~ 2023/05/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
未見の三好十郎作品、濃厚な一人芝居(独白劇)。
当日パンフにドラマトゥルクの蒼乃まを サンが戯曲を大幅にカットしていると記している。戯曲を読んでいるわけではないので テキレジの効果的なことは分からない。しかしタイトル「殺意」を抱くに至った真情、その吐露が少し弱い(説明不足)ように感じられたのが憾み。とは言え、膨大な言葉(台詞)で語られる心情、その鬼気迫るような情念。
物語は、最後のストリップショウを終えた女の独白。時代は戦中 前後、その激動期に敬愛した男に殺意を抱くことになった経緯を心情面とすれば、彼をじっと観察することで見えてくる男、いや人間の本質とも言える<生>を突き付けた真情面、この深奥を鋭く妖しく抉ってくる。
ミラーボールの輝く光の中で妖しく揺れる肢体、その魅惑的な姿態が妖艶であればあるほど切なく観える。ショウの後の語り掛けであるから、勿論 体だけではなく心の裸も表している。舞台美術は媚態美術と言い換えてもいいような、シンプルだが物語にマッチした造作。
戯曲の力、それを体(表)現した演技、美術や技術に支えられた効果など、舞台という総合芸術に相応しい公演だ。卑小だが、主役の緑川美紗を演じた渡辺綾子サンが自然体で役になりきっていたのか否か、熱演だが何となく淡々の(線が細い)ような 素が感じられた。もっと荒ぶる凄み迫力、激情があってもよかった。
まぁそれだけ本人と役が渾然一体となっており 観(魅)入ってしまったということか。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に下方から照らすライトが埋設された舞台、上手 下手にはパイプが組まれており、上手にはマイク、下手には洋酒瓶とグラスが置かれている。勿論 劇中で使用し飲酒する。時にミラーボールが回転し妖しく光のシャワーを浴びせる。
緑川美紗が語る半生、そこには人間の愚かさや卑小さ、その相反する優しさや大らかさを膨大な言葉で紡ぐ。彼女は南の小さな町に生まれ 兄の勧めで上京し、進歩的思想家で左翼の社会学者である山田教授のもとに身を寄せる。そこで教授の弟・徹男に淡い恋心を抱き、二人は心密かに気持ちを通わせる。やがて日本は戦争に突入すると、教授は、軍国主義に迎合した論調に変わる。ほどなくして徹男は出征し戦死する。そして敗戦。戦後、美紗は教授が再び左翼になったことを知る。高級娼婦となった美紗は、あることから教授の殺害を決意。そして教授の後をつけ日常を観察し、俗的な一面を垣間見る。知的であり恥的でもある本性と本能、それが人間であると…。
「転向」という言葉はもう死語であろうか。戦中戦後で思想や信念を180度変えても恥じない厚顔、そうした人に対する憎悪という<怒り>を浮き彫りにする。物語は1940~50年代であるが、現代にも通じそうな内容である。コロナ対策でブレる施策、臆面もなく前言撤回するという、人間の本性は時代<状況>に関わらず醜悪なのかも…。それでも緑川美紗は強かに生きていく。
シースルーの衣裳から下着が透けて見える、その姿こそ本性を曝け出して と言える。舞台を降り、下手の壁に寄りかかり、また舞台で寝そべったりと自由に動き回る。戦前戦中の思想信条に絡めとられた生き方、一転 戦後の踊り子としての自由な生き方、を対比しているような。生きるのは「強い悪意」がエネルギーになっている、は物語の核心であろうか、鋭くて怖い!
次回公演も楽しみにしております。
糸地獄
劇団うつり座
上野ストアハウス(東京都)
2023/05/11 (木) ~ 2023/05/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
物語は、昭和14(1939)年という設定で 表層的には女性の地位や労働環境の過酷さを表しているが、現在と比べると、などと思って観ると味気ないかもしれない。確かにジェンダーといった 今に通じるところがあるかもしれないが、もっと深いところで感じる<何か>がある。その抽象的で曖昧模糊とした感覚こそ、この公演の醍醐味であろう。初演は昭和59(1984)年、ラストに表現される「風」、そこに「生きる」という生命力を吹き込んでいる。翻って今 本作品を上演する意味を考えてみると、コロナ禍という閉塞感ある状況を如何に乗り越えて 明日に希望を持つか、を力強く伝えるかのようだ。
舞台美術が秀逸で、周りを囲むような板敷、中央は窪み糸車が置かれている。四方の天井から赤い太縄が垂れ下がり妖艶さを際立たせる。下手奥に円形の…。周りは外界であり中央は さしずめ奈落を連想させる。その生き地獄は、いつの世でも同じ生き苦しさが付き纏う を暗示しているよう。同時にこの世はままならず、それは自分の生き方にも言える。その目に見えない定め(運命)のようなものに操られる様、それを赤い縄での操演で象徴している。
本公演に興味を持ったのは、没後20年の岸田理生の代表作だが、未見であったこと。篠本賢一氏の演出という2点であった。舞台美術も然ることながら、役者の動作(例えば、摺り足のような)に独特の様式美を感じる。派手に観(魅)せるのではなく、静かな中に鋼のような強靭さが滲み出ている。昭和という設定・初演から40年を経た今、作品に込められた<思い>は色褪せることなく心に響いてきた。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
全体的に薄暗く、冒頭は外界にいる藁・紐・テグス・水引の4人が四方からペンライトで照らすだけ。そこへ ずぶ濡れになった繭、何を問うても分からない と。記憶喪失で自分の名前しか覚えていない。そして暖を得るため家=糸屋へ向かうが…。糸屋…昼は紡績工場、夜は娼家となり、女たちの衣裳も 昼は白地、夜は赤地の着物へ替わる。見た目の華やかさの裏に隠された身の上話、その悲哀を切々と語りだす。繭はだんだんと記憶を取り戻し、母<記憶or回想>と邂逅するような。
母と娘、親子という関係の前に それぞれ1人の女でもある。そして昭和から令和へ時代を経ようが子を産むのは女、どんなに医学が発達しようが、その現実は否定出来ない。糸屋は、当時の労働環境や女性蔑視を表しているが、同時に女の性(サガ)をも表している。面<顔なし>男は、娼家の女と情交する客であり世間一般の男である。女と男、そこで交わされるであろう<愛>を排除し、飽くまで オ・ン・ナを描くことで、子を産む=生の承継を描いている。が 女という<性>は子を捨ててまで一途なのかも知れない。
糸屋の主人、序盤は外界の板敷から奈落を睥睨するように見ている。その姿は厳然たる立場の違いを表すと同時に、男尊女卑といった当時の社会状況を垣間見せる。しかし、その主人が終盤になると窪みに降り立つ。単に舞台上の位置としてではなく、一貫した世界観の違い、性差<LGBTQは承知>の違いを表現してほしいところ。男女の恋愛を描いた作品は多いが、敢えて<愛>を描かないことで人間ドラマになっている。
シニア世代が演じることで、一人ひとりの人生経験が滲み出ているような。勿論 芝居としては熱演であることは言うまでもない。
糸車、赤い糸でも巻かれていれば運命といった<命>の絆が連想できただろうが、この公演では何も無い。現代的に見れば<空回り>状態なのだろうか。何となくコロナ禍における状況を皮肉っているようにも思えた。そしてチラシには「土俗的なイメージにあふれ」とあったが、どちらかと言えば洗練された、スタイリッシュという感じなのだ。その意味では令和版「糸地獄」といったところ。
次回公演も楽しみにしております。