櫻井氏だけでもすごいのに・・・。
そこに有川まことさんと小椋あずきさん・・・。
先日ソロ公演がすごかったコマツ企画の川島さん・・・
で、誰の個性も殺さずに舞台を成り立たせるのがすごい。
開演前に上演時間を聞いて、MCRの本公演より
ちょっと物足りないかなと思いましたが、とんでもない
十分おなかいっぱいに楽しむことができました
ネタバレBOX
根本にあるのは
ボケと突っ込みだと思うのですが・・・。
とにかく会話の中身の飛び方というか外し方が
並はずれていて
それだけでもう十分魅了されてしまう・・
というか、あの会話のかみ合わなさや
ものすごい切り返しは
櫻井作劇ならではのものかと・・・。
サリバン先生とヘレンケラーの比喩なんて
私的には本当にツボで・・・。
で、すっと良い話にまとまったかと思いきや
その物語の屋台崩しみたいなことをさらっとやってくれるわけですよ。
ほんと、すごいなと思います。
満足度★★★★
骨太で深い
とある人の死から
さまざまな人生の綾がほどけ
その店の夕凪の時が
けれんのない想いに満たされる・・・。
男女それぞれが抱えていた想いが
役者たちの実直な演技で骨太に語られて・・・。
女性たちの一番芯にある
飾り気のないすごく正直な想いに浸潤されました。
ネタバレBOX
男優たちのしなやかなお芝居から醸し出される時間と
女優たちのまっすぐに語られる心情の深さに
取り込まれてしまいました。
女優の二人が
キャラクターが抱えているものを語るシーンでの
芯のしっかりしたお芝居には
観客をまっすぐに凌駕するような強い実存感がありました。
それぞれの学生時代にたまたま共通して起こったこと、
でも、起こった事象への想いよりも、
その重なりの先にある、
人を想う気持ちの普遍性がしっかりと浮かび上がってくるところに
二人の女優の力量を感じました
彼女たちのお芝居は、
別のトーンでしたたかに想いを表現した
男優たちの目鼻立ちの明らかな演技によって一層際立って・・・
終盤のふたつのカップルに溢れる想いの瑞々しさを
息を詰めるように見つめてしまいました
満足度★★★★
物語がしっかりと収束して
前回公演に続いて2回目
物語がきちんと収束していて、テーマにも
しっかりとした説得力がありました。
猥雑な部分も多かったのですが
男女(?)間のもう一言があれば、あるいはもう一歩踏み出せばという話には
まっとうな力を感じたことでした。
ネタバレBOX
よしんば、それがデフォルメされたものであっても
個々の女優の芝居力が
不思議なリアリティを作り出していて・・・
多少強引な物語の運びはあるものの
男優たちの演じるあいまいさとのマッチングにも旨さを感じました。
適度な荒業と客いじりも、とても好ましくて・・・。
いろんな意味で、前回公演からかなり進化しているような気がします。
余談ですが・・・・。
前回の冒頭といい、今回の客出しといい
ここのダンスからは
麻薬的ななにかがやってきます。
役者は凄く体力を消耗しそうなダンスなのですけれどね・・・。
観ている方は確実にハマります。
満足度★★★★★
厳然とやわらかな距離感の超越
初日を観ました。
完成度の高い作品で
なにより、シーンごとに伝わってくる
人同士の想いのしなやかさに心奪われました。
物語には現実からのデフォルメが加えられているのですが、
それゆえに、見えるものがあって。
不要な重さを削ぎ落とした語り口がもたれることはなく、
でも、想いの交差は、観る側に生々しくやってきて。
べたな言い方ですが、見事にキリンバズウカの世界に取り込まれてしまいました。
ネタバレBOX
登米作劇に魅了されました。
また、役者が本当によいのですよ。
ゴミを集めることをやめない女性と、
そのゴミを整理することによって東京での暮らしを続ける人々、
さらにはその娘からも広がる人の繋がり・・・。
架空の条例によってデフォルメされた世界の中に、
帰る場所があってもその場所に住みつづけたい気持ちや
住むことができても帰る場所がない不安定な想いが、
高い解像度をもった表現のなかで観る者を浸潤していきます。
観客に沁み込んでくる様々な想いには、
さりげない表層と裏腹に常ならぬ深さがあって。
人の間の距離感が絶妙。
で、縮められたとき柔らかな想いが降りてくる・・。
その色に引き込まれる感じ。
2回語られる母親の「許す」という言葉が実に秀逸。
1度目は
場当たりのようにも思えるのですが
でも、物語全体をすいこんだようなその重さが
一瞬遅れて観客におりてくる。
それがあるから、2度目の「許す」にはやられました。
人間が抱えたどうしようもないなにかと、
それが苛むもの。そして癒すもの。
舞台からやってくる様々な感覚の解像度に目を奪われ
時間が経つのがあっという間でした
たっぷり観賞
見所の多いイベントでした。
たっぷりと楽しむことができました
ネタバレBOX
女湯で行われたパフォーマンスは
出演者たちの素での演じる力を
観客にたっぷりと伝えてくれました。
加藤和也の紙芝居は
多少のぐだぐだはあっても
場の空気を和らげる力を持っていました。
大道寺梨乃の落語、
ひとり芝居的に演じるという部分が
満たされているから
落語として危うい部分があっても
観客をだれさせることがない。
さすが3代続いた江戸っ子とのことで
語り口もすごくよくて、気持ちよく聴き入ってしまいました。
中林舞と野上絹代のパフォーマンスは
脱衣所の空間を
彼女たちの演じる世界に塗り替えていく
抜群の切れと安定感のある演技に加えて
お風呂屋の天井の高さを生かした
台詞の響きがすごく効果的で・・・。
木村洋一氏によるハング演奏は
本当に聴けてよかったです。
スティールドラムを思わせるその音色は
浴場の残響と抜群の愛称で・・・。
いつまでも聴いていたかったくらい・・・。
エアー入浴のパフォーマンス、洗髪時に水が見えたような
そんな秀逸さがしっかりあったり
その表現の
パワーにも圧倒されました。
展示されているアートも、ちょっとドキッとするものもあるけれど、でも創意がすごく楽しくて・・・。しかも、ある種の洗練を感じることができて・・・。
ほんと、めちゃ楽しく興味深かったです。
満足度★★★★
まっすぐに倒れないドミノの魅力
前半の重い舞台が
次第にほどけていく過程が秀逸
緻密に仕組まれた物語のほどけ方に
ぐいぐい引き込まれていきました。
ネタバレBOX
とある地方都市の喫茶店が舞台、
雨の夜に現れた同窓会帰りの3人。
喫茶店のマスターは彼女たちが卒業した
学校の先生らしい。
しかし彼が同窓会に参加することはなかった。
もう一人、同窓会に参加しなかった女性、
彼女は東京で中堅のタレントをしているらしい
坪田文の脚本はなにげに
絶妙なフォーメーションを作り上げ
そこから彼女たちの物語をほどいていく・・。
前半の新人演歌歌手とマネージャーを
まるで鑿のように使って
少しずつ固まったものに割れ目を入れていく
手腕が絶妙。
さらにタレントになった女性が加わり、
彼女たちのもう一人の友人だった女性の妹が
登場することによって
物語が一気にほどけていく。
しかもばらし方を一本道にせず
いくつもの糸をほどきあいながら全体を広げていくところが
坪田作劇の凄さで・・・
前半部分は、演じられていない部分の空気が停止してしまっていたような感じがして、そこだけがひっかかりましたが、それとて後半の勢いをさらに強調するための手腕にも思えて・・・。
メロン記念日の4人も、物語内でしっかりと自分の旋律を演じきって大健闘でしたし、それを支える役者たちの演技が実に安定していて・・・。
演出の深寅氏も、しっかりと抑制の効いた演出で、観客を舞台に引きずり込んでいたと思います。
満足度★★★★
遊び心と緻密さのバランスがよい
パターンBを鑑賞
ひとつずつの短編にも密度があって
それぞれに楽しめました。
折込のパンフを観ると、3バージョン全ての作品がそれぞれにどのような
位置付けになっているかわかる仕組み。
その説明はちょっとスノブな感じがないわけではないけれど、
それもテイストのうちかなとも・・・。
パターンBを観終わってみると
他のバージョンを観ることが(個人的なスケジュールで)できないことが
かなり残念に思えました。
ネタバレBOX
3本の20分強の短編として観ても
それなりにニュアンスがこめられていて
楽しめました。
女優陣もそれぞれに見ごたえがあって。
あの場所での緻密なお芝居ですから
そりゃ観ていて引き込まれました。
個々のキャラクターのテイストが
ほんのすこしあざとく出ているところも
すごくよい。
一方で
伊藤伸太朗のキャラクターに統一感があるので
折込パンフレットにかかれていた世界観にも
それなりに説得力を感じることができて・・・。
台本も
いろいろとプチエロなイメージで飾ってはありますが
物語自体に骨がきちんと隠されていて・・・・。
それほどチープな感じもなく楽しめました。
こういう遊び心、個人的に決してきらいではありません。
満足度★★★★
融合していく中で浮かび上がってくる
たくさんの台詞が漣のように舞台を覆う中
眠りと喪、リズムと休息が舞台全体を包み込んでいく感じ
シャープなライティングや時間を俯瞰するような映像
切れのある役者達の動きに息を呑みながら、
舞台からやわらかくあふれ出る揺らぎのようなものに
時間を忘れて見入ってしまいました。
ネタバレBOX
大叔母の葬儀の朝
少しずつ喪に染められていく心情の表現、
或いは5人の姉妹を律するような執事が
もうやめようとつぶやく姿
はしゃぐ気持ちや浮き立つ思いの狭間にある
どこか不安定な心情が
広がりをもって伝わってきます。
闇の中で語られること、
重複する言葉や仕草・・・・
たわいのない姉妹喧嘩や
心にひっかかる一言・・・。
乾いたイメージの連続の中で
少しずつ喪の色を身に付けていく
登場人物たち
具象化や繰り返し、
さらには映像やライティング、
舞台装置の位置なども含めて
極めて細密に描かれた心の動きに
デザインされた色の抑制はあっても
色のぶれがまったくない。
くっきりした表現だからこそ浮かび上がる
意識の外にあるような揺らぎが
見事に伝わってきて。
それは5人の姉妹の物語でありながら
一人の女性の多面性とも重なって・・・。
流れ行く時間の中で
染み入ってくる女性の心情の瑞々しさに
時間を忘れて見入ってしまいました。
満足度★★★★
圧倒されました
この凄さの根源は
ケラリーノ サンドロヴィッチ氏の筆力か、
蜷川幸雄氏の演出力か、
役者たちの演技力か・・・・。
誰が、あるいはなにが観客をこの3時間を超える物語に閉じ込め、
魅了したのか・・・???
小雨そぼ降る与野本町駅までの帰り道
ずっと考えてしまいました。
いやぁ、おもしろかったです。
ネタバレBOX
場内に入ると
公開稽古場のような雰囲気にまず圧倒されます。
さまざまなシーンを繰り返し練習する
老人たちの群れ
そして、それをサポートしていく若いスタッフたち
よく見ると蜷川幸雄氏もあちらこちらを回りながら
一生懸命役者たちを指導している
それは、とても「小」とは思えないスケールをもったさいたま芸術劇場小ホールの空間を十分に満たして余りある風景・・・・。蜷川氏の魔術にその時点で翻弄されていたのかもしれません。
やがて、潮が引くように役者たちが下がって物語が始まります。
役者たちの演技に多少優劣が観られるのは事実。でも、観客になにかを伝えようという変な力みやあざとさがないのがすごくよい。観客にきちんとそれぞれが演じるキャラクターが積み重なっていきます。物語が語られるのではなく空間が重なり合っていく感触がちゃんとある・・・。プロンプターが一応ついてはいるのですが、よしんば台詞が飛んだとしても、それが大したことではないと思わせるほどの空気の醸成が舞台上にあるのです。
ケラ氏が紡いだ物語も、なんというかカードの切り方が絶妙で・・・。飛び道具的なエピソードも盛り込んではあるのですが、たとえばナイロン100℃の公演などのように、力技を織り込んだ勝負はしていない。すごくマイルドで理になかったシーンの積み重ね・・・。役者も観客もピンボールの離れ業でポイントが上がっていくのを楽しむような高揚ではなく、絶妙に設計されたコルフコースを一つずつ難易度を楽しみながら征服していくような充実感に満たされていきます。
前半の表層的な部分の多い人物の表現が実直に演じられているから、次第に個々がもつコアの姿が浮き彫りになっていく後半の展開にも無理がなく、さまざまな伏線が着実に物語を広げていく。
たまたま、私の席が馬蹄形の席の一番下手側、しかも前から2列目だったもので、舞台をサポートする蜷川氏も近くで拝見できたのですが、台詞を舞台に声掛けしたのは一度だけ。それも立ち往生をなんとかするという感じではなく、ここ一番の部分をがっちり支えるための応援のようなサポートでした。プロンプターというよりはむしろコンダクターといった感じ。
舞台は主人公の人生を俯瞰するような終盤に至ります。そこで、役者たちの年齢がしっかりと武器になって生きてくる。そりゃ、ナイロンの役者たちが演じればもっと大きな笑いの中でクリアに物語を表現してくれるのでしょうけれど、でもこの役者の、あるいはこの座組でなければ絶対に伝わってこないであろう色が間違いなくあって・・・。それは唯一無二のなにかで・・・。
3回のカーテンコールをした観客の拍手、決してご祝儀心ではなかったように思います。
これだけの物語を生みだしたケラリーノ・サンドロヴィッチの評判も、それを舞台に描きだした蜷川幸雄の名声も、そしてこれだけの空間を満たしきった役者たちの年齢の重みも、それぞれに伊達じゃないことを強く感じたことでした。
満足度★★★★
お互いを触媒として
キャラクター設定がすごく緻密でふくらみを持っているのだと思います。
それぞれのキャラクターがふれあいぶつかり合う中で
浮かんでくるいろいろなものが
常ならぬ力で観客をとりこんでいく・・。
時間を忘れて取り込まれ
終演時には大満足でございました。
ネタバレBOX
安藤玉恵の演じる女性から漂ってくる
ひとりよがりさと芯の思いの強さ。
前田司郎の演じるタクシードライバーの
奇妙な気の弱さとなれなれしさ・・・。
二人のキャラクターが
台詞によって定められていくのではなく、
予め細かく作り上げられたキャラクターが演じられるなかで
台詞が次々と溢れていくような感じ・・・
しかも溢れた台詞が、今度はそれぞれのキャラクターをさらに深く晒していく。
それぞれから滲み出てくる人間臭さがすごく良い・・・。
観ていて、ゆっくりと深夜の時間の流れの渦巻きに
巻き込まれていくような感覚がありました。
また、江本純子の短い登場が効くのですよ・・・。なにげに、調子よく演じているようで、タクシーの客と運転手というふたりの客のうまいつなぎ役を見事に果たしていく。川口というキャラクターに江本の脚本と演技両方でのしたたかさを感じて・・・。
3人の役者が三様の演技で、それぞれにヴィヴィッド。
安藤さん、ポツドールのころから底力のある役者だとは思っていましたが、今回のお芝居では深い円熟すら感じました。携帯電話を見られたことがわかったときのその表情の秀逸さ・・・。凄く近かったこともあって、彼女からやってくる言葉にならない感情に、釘付けになりました。
前田司郎の演じるキャラクターの軽さも、ほんと常ならぬ色があって、
ちょっと駄々をこねるような部分に不思議な実存感を感じたり・・・。
その二人と江本のキャラクターがびっくりするほどかみ合う。彼女のお芝居のユーティリティの広さに舌を巻いたり。
終わってみれば心地よいボリューム感がしっかりとあるし、なにか一流の肌触りがあって。
こういうお芝居大好きです。
満足度★★★★
目が覚めるようなつかみどころのなさ
生き生きとした舞台の表現に
あいまいなものが、
次第に輪郭を表していく・・・。
冗長な部分もありましたが、
概念のつかみどころのなさには
観ているものをひきつけていく大きな力を感じました
ネタバレBOX
冒頭のハイテンションや
創意溢れる舞台装置に目を奪われますが
実は鳥肌が立つほど深い含蓄を持った話。
「ハルメリ」という言葉が指し示す概念が
次第に顕わになっていく姿には
観客を強く引き入れる力がありました。
必要悪であったり慰安であったりセーフティバルブであったり、連帯感のツールですらある「ハルメリ」の概念がしだいに現れてくる中で、ぬめっとやってくる居心地の悪さと麻薬のような危い感覚にぞくっとして、でも目を離すことができなくて。
しかも後半になると「ハルメリ」は単にその概念を明らかにするだけではなく、まるで鏡面のように「ハルメリ」とかかわる家庭や友人、職場、さらにはメディアやネットの世界に至るまで、時代の姿をクリアに映し出していきます。
「ハルメリ」発信源となったClub内の高揚感や、
TV内部のちょっとウィットをもった表現も目を惹いて。
夫や妻が次第に変容してく姿にどんどん取り込まれていく。
一方で遊び心が冗長に思えたり、
物語のふくらみにメリハリがなく散漫さや密度のむらのようなものを
感じる部分もあるのですが、
最後の女性が堕胎を決めるシーンには
ぞくっとするような説得力があって、
終わってみれば物語のコアにある「ハルメリ」の質感のようなものに
がっつりと浸されていたことでした。
ウォーリー木下氏の演出も創意溢れる部分が多く、舞台美術も秀逸。
役者も多少の優劣はあるものの、充分に及第点だったと思います。
ただ、この戯曲にしたたかに織り込まれている普遍的な部分、いろんな演出家の表現で観たいなとも感じました。
アフタートークで劇団鹿殺しの菜月チョビ氏が、何度も戯曲にかかれている部分と演出の区切りについて質問をしていましたが、見方によっては、作品からやってきたパワーを原作と演出の力に切り分ける作業をしているようにも思えたり。
よしんば一観客から見ても、演出家によって様々に異なる色を発する力がこの作品には内包されているような気がするのです。
滑らかに表現される会社の内幕劇、だけど・・・
よく出来た話だとは思います。
ビジネスの一面を、確かな感性と裏付けを持って捉えた作品だし
役者達の表現もすっきりと的確だったと思います。
海外の役者についても、台詞回しの可否はわからないにしても、演じるものはしっかりと伝わってきた・・・。翻訳の提示も凄く見やすかったし・・・。
でも・・・・、やはり何かが足りない気がするのです。
ネタバレBOX
シンプルな舞台装置が会社のピラミッドの役目を果たし、社長・経営陣・社員と分けられていく前半部分・・・、その広さにあわせた社員の動きなどがすごくスムーズで、観ていて物語がどんどんと客席に広がっていく感じ。
会社が凋落していく姿も、また、カリスマ経営者によって再生していく姿にも、真理が含まれていて、そこからの力強さも確実に伝わっていたと思います。
日本書紀と会社の関係も良く出来ていて、観ていて飽きることはありませんでした。ミュージカル仕立てにした部分もとてもしっかりと機能していて・・・。
作者の分身であるという狂言廻し役の社員の存在も旨いと思った。
でも、観終わって、満足したかというと、かなり微妙。
なんというか、深いところにまで舞台の感動が染みとおっていかないのです。
元々この戯曲は7時間くらいの長さが合って、そこから上演時間に合わせて4つのバージョンができたとのこと。今回の上演はそのなかの一番短いバージョンだったそうで、原本を削ぎ落としていく際に舌足らずになった部分があったのかもしれません。
一番気になったのは、企業が活性化する仕組についてダイナミックに描かれていたのに、人についての描き方が足りないこと・・・。
親子(社長も営業担当者も含めて)の距離や兄弟間の確執、社内の人間関係・・・、それが事象にとしては非常にしたたかにに描かれてはいるのですが、それらのバックボーンにある人間の想いが、なにか書割のように感じられるのです。
不思議なことに役者の芝居がしっかりとしていればいるほど、そのキャラクターから伝わってくるものの希薄さが浮き立ってきて・・・。また、希薄であるが故に、ダイナミックに動く会社の根本が人であるという終盤のスピーチに説得力がやや欠けるように感じたり・・・。
決して悪い芝居ではないと思うのですが、昨今の秀逸なお芝居たちに比べると、大味な部分を感じてしまうのです。
淡々としたなかに鋭い切っ先が
人間の一番やわらかく弱い部分の
匂いが伝わってくるような作品。
作品のテイストがそれほど重いわけではないのですが
なんというか
粘着性をもった比重の高いなにかが
ずっと心をひっぱりつづけるような・・・。
この作品、残ります・・・。
楽しくて豊かで、すごい。
展示物も
パフォーマンスも楽しくて・・・
他愛のなさのオブラートにつつまれた
深さを感じ
なにかが無意識のうちに
解き放たれるような感覚がやってきて・・・。
床の落書きも
いろんな手作り感も
ほんとヴィヴィッド・・・。
でも、それらを裏打ちする表現の力は
半端じゃなくて・・・
べたな言い方ですが
とても楽しませていただいきました。
ネタバレBOX
ダンボール箱を組み合わせて作られた
大きなオブジェに隠された
いろんなもの発見するたびに
心がなにかの色に染まる・・・。
アイデアは下世話なものやベタなものもあったのですが
それを瑞々しく具現化していく力がすごくて・・・。
大きな絵から伝わってくるものも
のぞきこんだ箱のなかに潜んでいるものも
封筒の中の世界も
床に書かれたいろんな仕掛けも
遊び心に溢れ
不思議に記憶をやわらかく揺らして
観る者の鎖をはずしてくれます。
有料のパフォーマンス、時間を忘れて見入ってしまいました。
めくりにお題があって観客の興味をひく中
食べ物を作る姿がきりっと描かれたり
「お辞儀」から伝わる様々な舞台芸術の質感の鮮やかさ・・・。
とにかく、表現する力が圧倒的なのですよ。
ダンサーたちの力量が半端ではない
イメージに含まれた豊かな遊びが
ぞくっとくるような表現者たちの技量に
支えられていて見事に昇華していく。
ダ・ヴィンチやアンディー・ウォーホールたちの作品も
こんな感じで残されたのだろうななどと
ふと考えてしまったことでした。
顔の微細な変化から
満足度★★★★★
潔くシンプルで深い
会話に独特な質感や
それぞれのキャラクターの鮮やかな個性に目を奪われているうちに
物語がどかどかと積みあがっていく感じ。
決して複雑ではないのだけれど、
言葉にできないような
深く不思議な感覚が残りました
ネタバレBOX
キャラクターはそれぞれに、
何かを具象化したような強いイメージを発しているのですが、
一方でバックグラウンドが
心地よいほど潔くそぎ落とされていて・・・。
それらが面と向かって深く絡まりあうことがなく、
色をそのまま保ちながら物語を進めていくのです。
饒舌に語られる言葉に対して、
短いイメージのような言葉がまるでダンスのように返されて
(短い言葉がリズムを刻むように繰り返される)、
個々のキャラクターの色が一層強調されていく。。
ストーカーの息子の犯罪を、
「物を買って出したお金よりも多いおつりがくるような方法」で
かばう母親、
その冤罪にさらされた男や無実を証明する劇団の振りこめ詐偽、
さらには誘拐・・・。刑事にも独特の趣があって・・・。
嘘と本当を見分けることができるようになるという
丸くて四角くて三角のオブジェが配布されていくその中で、
不揃いのドミノがそれぞれの形状を保ったまま倒れていくような感覚で
つながっていく物語。
思いっきり惹き込まれているうちに、
虚実の色分けが独り歩きをしていく中で現出した終盤の世界に
取り込まれてしまうのです。
それにしても、役者達の演技の緻密なこと・・・。
たとえば奥田ワレタの母親役からやってくるある種の「ピュア」さなどにはものすごい実存感があるし、
ケイっぽく劇団の主宰を演じる板倉チヒロから伝わってくる「したたかさ」の質感にはぞくっとくるようなきめ細かさがあって・・・。
他のキャラクターにしても役者がしっかりと背負いきっているので、強くデフォルメされた表現が連続しても舞台の流れが揺らがない。
だからこそ、最後のシーンたちからあざとさを感じることなく、
絡まった紐がすっとほどけるような心地よさがやってきたのだと思います。
この作品、人によって好みは分かれるかもしれませんが、
少なくとも私にとってはツボを連打されたような部分があって
むさぼるように観てしまいました。
笑いのセンスも個人的には大好き・・・。
あと、衣装に舞台の色を維持する洗練があって旨いと思う。
用事ができてしまい終演後あわただしく劇場を出たのですが、もう少し劇場で余韻に浸っていたかったと思わせるような魅力がこの舞台にはありました。
満足度★★★★★
身体表現のごとき饒舌さ。
その饒舌さはしなやかな身体表現のよう
表現されるべきものが
単なる言葉の積み重ねから溢れ出し
面になり空間に昇華していく感じ・・・。
言葉の意味として重ねていたものが
意味を超越して世界になり
さらにはそれらがつながって・・・。
後半は目が見開きっぱなしになりました。
ネタバレBOX
パンフレットによると「一人芝居ではなくひとつの表現としてみていただきたい」とのこと・・・。で、私なりにですが、おっしゃっていることが理解できたような気がします。
作り手側の注文どおり、演技の積み重ねから浮かぶ物語ではなく、溢れ出すような言葉から湧き上がるイメージの重なり合いに見事に凌駕されてしまいました。
個々のパーツの完成度がとにかく高い。
牛乳パックを材料にはがきを作る男から滲み出る色も秀逸ならば、その内心として裸電球の下で話し合う4人の男たちの法則で抑制された表現もじわじわと染み入って来る。
同窓会の恩師がもつシュールな無関心さや愛を語る姿が新興宗教への高揚に変わっていくグルーブ感、さらにはしなやかに穿き違えられた芸術の排他性には鳥肌が立ちました。
また、表現のデフォルメなどから生まれる笑いには豊かなバリエーションと切れがありました。ピストルのごとく至近距離から来る言葉遊びのようなものもあれば核弾頭ミサイルのようにイメージのフレーム全体で揺すぶってくれるものまであって、それらが使い捨てのようにして織り込まれ、時には観るものを突き抜け、時には内側をくすぐりつづける。
しかも繰り返され有機的に連携するシーンが、
緻密な構成のなかで
回って回ってのバターのようにならず、
多彩な色の広がりとして
演者が表現する人物の包括したイメージを支えて・・・。
こういうのって、観ていて、理屈抜きに引き込まれてしまいます。
そして、常習性をもったわくわく感として観るものに残るのです。
斬新さが支える物語
双数姉妹は大好きな劇団のひとつなのですが
同時に毎回驚嘆を与えてくれる劇団でもあって・・・。
今回の表現も
「鏡の国」のタイトルに偽りなく
しかも斬新。
目を奪われて、物語に取り込まれて・・・
さらには舞台からやってくる
透明感と安定感のあるトーンに
魅了されました。
ネタバレBOX
観客に鏡をみせる演技に目を奪われました。
冒頭、鏡を隠していた(?)カーテンが引かれた時、ほんとうに息をのみました。嘘でも誇張でもなく鏡が認識できた。2チーム(?)のシンクロ、本当にすごい。
舞台に対して斜めに切った鏡ライン、衣装や小道具にも細かい工夫があるにせよ、役者たちの鏡に見せようという意思に観客がのみこまれていく感じ。
しかもこの表現が単に見世物というか「珍しいもの」にならず、物語にしなやかに取り込まれていくところが双数姉妹の底力。鏡への驚嘆に負けないだけの登場人物たちの閉塞が、強く、あざとさもなく、そこにあるがごとくに観客に伝わってくる。
さらには、鏡の存在を観客に植え付けているから、鏡の向こうの物語展開にもストレスがなく、わかりやすい。こちら側で重ねられるルーティンにも存在感と質感を与えてくれるのです。
鏡の向こう側に違和感を感じていた女性が、最後にゲートすら通らずに鏡の線をさらっと越える姿を見たときぞくっときました。「解き放たれる」ことがウィットをもってこんなにさりげなく表現されるなんて・・・。しかも10年の鎖からの解放に、さりげなくリアリティが感じられて。
まあ、しいて言えば、下手の部屋の入口をはけるとき、役者の最後の動きが鏡の法則と異なっていたのが少し気になったくらい。(上手に座っていたからみえてしまった)。会場的にしょうがないのでしょうけれど・・。
こういう表現が力まずにできる劇壇の力量に改めて驚嘆しました。
主宰の小池氏も折り込みパンフに書かれていましたが、2年前に入団してきた役者たちが、シーンを支えるだけではなく深さを作るだけの力をつけてきたことも大きいのだと思います。前回の公演と比べても舞台が醸し出すクリアな感じに一層の磨きがかかったりと、まだまだ成長を続けていく予感もあるし。
次回の公演が今から楽しみになりました。
広がりには欠けるけれど
それぞれの物語、すごく実直に作られていて・・・。
でも、その分深さや広がりには少々かけるような気もしました。
「カシオペア」の物語運びが実にしたたかでちょっとやられた・・・。
ネタバレBOX
・カシオペア
物語は別れの準備を大きな軸にして進んでいきます。
部屋のものをくじで分け合うという、かなりビターなシチュエーションが演じられていく妻と夫の時間・・・。
二人の会話は生き生きとしていて
でも、その会話やちょっとした工夫で回顧される時間のなかに、二人の別れる理由がなかなか見当たらないのです。
早産で亡くなった子供のこと、互いの生活のすれちがい・・・。別れるための炎のような理由なんてないという。
水があふれだしてくるような感覚、
伝わってはくるし、なんとなくわかる・・・。
わかるけれど、そこには二人の記憶を凌駕するほどの十分な厚みがなく、ラストシーンで二人がそのまま別れるのであれば、きっとこの物語には欠けているものがあまりにも多いと感じたに違いない。
その足りなさが、物語のベクトルから踵を返して、最後のシーンへのしたたかな説得力になるなんて思わなかったです。や・ら・れ・た・・・。(誉め言葉)
檸檬の樹のエピソードが、ベタではあるのだけれど、この物語に見事に映えていて秀逸。終演後もしばらく、檸檬についた実のことが心に残っていました。
「鉄屑の空」
普通におもしろかった・・・。でも、なにか一味足りないような感じがしました。主人公の一家も、従業員たちも、悪くはないのですが、個々の奥行きが良くわからない。
工場の空気とかは何気に伝わってくるのですが、登場人物の個性やかかえているものが、ややステレオタイプであるような感じもして・・・。
物を作るプライドとか、日々をやりくりしていくことのボリューム感のようなものが丁寧に表現されていて、観ていて飽きることはなかったのです。でも、もっと物語りに膨らみがあってもよいのではと感じたり・・。
部品発注数の読み違いもねたとしては笑えるのですが、伏線としては見えすぎていたような気もして。
こちらは何かが足りないという感じが結局最後まで抜けませんでした。
そうそう、二つの物語をつなぐ鎹のようなシーンが最後にあって、これは私的に好きでした。大きな星空の下で、視野がすっと広がるような感じがしました。
よくここまで踏み込んで・・・
ハイバイ、本公演初見。
冒頭の入り方からおばさんたち個々の背景にまで踏み込む物語の流れ、うまいなあと思います。
終盤は、同じ喧騒を聴いていても、リサイクルショップに集うおばさまたちの言葉がずいぶんと入ってくるようになっていて・・・。
表現力のすばらしさに心を奪われ、ほんと、気持ちよく拍手をさせていただきました。
ネタバレBOX
冒頭の演劇がらみのネタがすごく良い。
おばさんたちの演劇という色をガッツリ残しながら、要所を役者の演技力で締める劇中劇のテイストが絶妙でした。マザーコンピューターの表現指導の部分にはものすごい説得力があって。
しかも、前半を討ち死にさせることなく、観客の視座を「おばさんの観察」に固定するツールにもってくるところが実にしたたか。
それぞれの若い頃を話すように作られていくシーンにも、演劇的な創意がてんこもりでふくまれていて・・・。
伊勢湾台風のイメージや結婚に至る経緯の不思議な説得力。
造花をつかったバブルの表現には息を呑んだ。
回想の中の回想で
おばさんが始めて銀座にいったシーンが心に染みたのは、
ミラーボールの効果だけではなかったような・・・。
有川さんの表現のゆたかさに瞠目。
そして子供が独立したり心を病んだりするなかで
孤独の表現にすごくナイーブに伝わってくるなにかがあって・・・。
しかも、それらが透かし絵のようなリサイクルショップの喧騒の上に
描かれているのがすごい・・・。
結局、土曜日(6日)のマチネで目を奪われ、どうしてももう一度観たくて日曜日(7日)のソワレを観てしまいました。
7日のソワレのトークショーでケラリーノ・サンドロヴィッチ氏も心配されていましたが、観ていてもひやっとするようなシーンがあることが少々気がかり。どうか無事に千秋楽を迎えていただきたいものだと思います。
本質がすっと伝わってくる
白を基調にした居心地の良い空間
そこで描かれる満たされなさの表現に
じわりじわりと惹きこまれていきました
お互いの求めるものがすれ違いしながら
ゆらぐ夫婦の関係に見入ってしまいました。
なかむらきりんの紙アートも実に秀逸。
ネタバレBOX
細かい雨ふりだったのですが、新宿眼科画廊の空間が心地よくて。
ウェルカムドリンクの紅茶、本当に美味しゅうございました。
たおやかな気持ちを持って見始めた芝居、
ちょっと変わったテイストが見る側にやってくる。
登場人物たちの強い個性に比して
主人公の夫婦が地味にかみ合わない・・・。
最初は倦怠期の夫婦かともおもったのですが
そういうわけでもなさそうで・・・。
その家に訪れた人々が
自らの個性を表す中で
主人公の夫婦の内側に横たわる不思議な距離が
だんだんと露わになっていきます。
紙アートが並んでいるその空間では
強い個性もすれ違う想いも
その生臭さのようなものが吸い取られてしまう・・・。
その家を訪れる個性の強い人々にしても
良い意味で形骸化した感覚が
観客にはすごくわかりやすくて・・・。
主人公の夫婦の空気というか、
お互いに踏み込むことができない領域の生臭さも
壁に飾られたオブジェが消し去って・・・。
その本質が露わにされているから
終盤の夫婦の会話がまっすぐに伝わってくる。
いろんなことがあとに残る
作品でありました