満足度★★★★
まっすぐに伝わってくる
原文ということで
理解できるのかかなり心配していたのですが、
物語のアウトライン等もあり、
内容が理解できないという心配は
杞憂にすぎませんでした
それどころか
まっすぐに押し寄せてくる
平家物語の世界に
しっかりと身をゆだねることが
できました。
ネタバレBOX
リーディング的な構成なのですが、
日頃見慣れた演劇よりは
世界がドカンと直球でやってくる感じ。
原文のままということから
独特の味わいが生まれるに留まらず、
耳になじみにくい部分もある言葉であることで
より、一生懸命に聴こうという気持ちが生まれ
一層まっすぐにその世界に浸されていきます。
演者の声に腰が入っていて
900年以上前の世界が
ぐいぐいと押しこまれてくる・・・。
ウッドベースの力にも感嘆しました。
ゆたかな低音たちが
空間に絵を描いていくよう・・・。
窓から見える外の緑が見事な借景となり、
素の声に、聴く側も凛として
暑さを忘れて。
終演後には
京都や屋島、さらに壇ノ浦と
それぞれにそよぐ風の香りが
しっかりと残っているような
そんな心持ちに浸っておりました。
満足度★★★★
半生を語りきる力も凄いけど
押し込めた感覚も、
端折られた雰囲気もなく、
語られていくものの厚みに引き入れられて・・・。
戯曲や表現方法、
さらには役者たちの秀逸からやってくる
女性の半生のボリューム感に魅入られつつ・・・。
でも、そのふくらみから
精緻に浮かびあがり
溢れだしてくるものの質感、
さらには、
あからさまになった深淵と向き合う
女性の姿に訪れる心情にこそ、
息を呑みました。
ネタバレBOX
開演前から、
役者たちがときどき舞台で衣裳を扱ったり・・・。
やがて舞台中央の台に6人の役者が乗って・・・。
舞台上手に座った女性の語りから
物語は始まります。
その語り口が、いきなり飛びきりのしなやかさ。
誘いこまれるがことく
彼女の世界に包み込まれる。
女優達によって演じられる記憶たちが
冒頭の女優の語りに束ねられていきます。
エピソードの一つずつに
その女性の個性が織り込まれて・・・。
幼少時代の記憶、彼女にとってやさしい兄へのあこがれ、
母親への想いと、母親からの距離感。
ランドセルのこと、
縄跳び歌とともに広がるその時間たち。
断片から、家族の肌合いが浮かび上がる。
やがて中学生になって、
兄の引きこもりの顛末や
母親が出ていくシーンの違和感なども、
しなやかに織り込まれていきます。
さらには高校生になって
男性とのこと、サークルや友人のこと、
バイトとのこと、そして就職のこと。
彼女の匂いを感じさせる表現が
時間の流れにむすばれていく。、
役者たちが舞台上で衣裳を次々に変えながら
ロールを組み替えて演じていくことで、
舞台上に様々なアスペクトと変化が生まれていく。
その広がりが
そのまま彼女の人生の質量というかボリューム感として
伝わってくるのです。
すべてが暗い色合いに塗りこめられているわけでもなく、
明るい刹那もしっかりと描かれていきます。
幼いころの毎日も、世間から見れば格別不幸だったわけではない。
学生の頃のことにしても
バンドの抜けるような明るさに目を奪われたり・・・。
(演奏がしっかりと作りこまれていてびっくり)、
花嫁衣装を夫に見せる時の小芝居の
心浮き立つ感じなど、
どこかこっぱずかしくて
観る側までときめかせてくれる。
でも、それらの日々が浮かぶのと同じ肌合いで、
彼女の奥底の満ちていない部分が
自身が解きほどく記憶のなかに
しなやかに込められていて。
その欠落感にゆがめれた事象たち、
兄の留学や母の出奔への誤解、
遠距離恋愛の拒絶、友人への依存、
就職を決め方も・・・。
抱えきれず溢れだすそれらの感覚が
ときには深くから滲みだし
あるいは突出して観る側を染めていく。
きっとそれは、
そこまで語って部屋に戻る
語り部が思い出すのと同じ色をしていて・・・。
そう、そこまでが、
そこまでに語られ描かれているから、
結婚後の時間を思い出す彼女の内心も
観る側にそのままに伝わってくるのです。
兄の留学のことも、
兄の死のことも、
自らの抑制から離れるように
満たされない部分に流し込まれる自責の想いも、
抑制の出来ない部分が招いたその事件のことも・・。
終盤の、彼女から醸し出される想いには、
冒頭から綴られる物語の背景を悟った観る側を、
さらにしっかりと捉える力がありました。
最後に彼女からやってくるものは
観る側にとって、
言葉に置き換えたりとか、
涙を流したりとか、
怒りを感じるとか
そんなことができるほどシンプルな感覚ではない。
しいて言えば、感覚の失せたような、
立ちつくすような、
抑制できないものに
抗い疲れたような感じなのですが、
それは、彼女の半生を潜り抜けない限り
きっとわからない(表現されえない)類の質感にも思えて。
彼女の遺書のような手紙の言葉や、
そのあとのひと時の所作の間が
すうっと腑に落ちて息を呑みました。
よしんば、
話題となった前回の公演とは違ったテイストであっても、
この作・演出の手練、
さらには浮かび上がらせる空気や質感の非凡さを
終演後の余韻のなかで
しっかりと再認識することができました。
まあ、作品として、さらに昇華する余白が
皆無ではないとは思います。
初日の常で、
前半は役者にかすかに空気を探るような部分も
感じられたり・・・。
でも、公演を重ねるに従って
必ず伸びていくお芝居でもあるようにも思う。
APOCシアターも
慣れれば
思ったほどは遠くない劇場でもあり・・・・。
木崎さんの語り口には、
最初の一行からがっつり魅せられるし
お芝居を貫く存在感を感じるだけですごい。
他の役者たちの舞台を構成する力も秀逸で、
張りをしっかり持った演技や、
主人公の半生の質量を感じる段階で、
もう、常ならぬものにたっぷり満たされて・・・。
そして、終演前の長い暗転に至るまでのあの想いは、
この舞台でしか、体現できない気がする。
ほんとお勧めの一品かと思います。
○○○●●◎☆☆
満足度★★★★
貫かれる寓意に目を見張る
冒頭のシーンから、
その表現に一気にとりこまれて・・・。
貫かれていく寓意の鮮やかさに目を見張り、
ストレートさで編みあげられていく
その心情のしなやかな弾力が
舞台を閉塞させずに突き抜けてさせていくことに
息を呑みました。
ネタバレBOX
どちらかというとシンプルな舞台美術なのですが、
タイトルがあからさま、かつ、お洒落に描かれていて、
開演前からわくわくする。
役者の出掃けが見えるところが
心に浮かんでくるものの去来にも思えて。
すっと始まる物語。
男は100人目の女性と別れたという・・・。
相手の
めぐっては元に戻る台詞たちの中で
繰り返し、次第にうすれていくような
別れの感覚が
したたかに表現されて・・・。
前半から、その心情のどこか揺らいだ部分が
しなやかな寓意にのせられてやってくる。
その段階で、すでにある程度舞台に惹かれていたのですが、
風船や殺人鬼、
さらには舞台上での生き死にのニュアンスが
ふっと腑に落ちた刹那、
舞台上に展開する寓意のひとつずつが
強くまっすぐな力となり
一気にとりこまれてしまいました。
いろんな表現が、
一つずつ創意にあふれ本当に鮮やか。
たとえば風船を割るというまっすぐでベタな表現が
記憶や意識の喪失感を、ダイレクトに観る側に注ぎ込んでくれる。
舞台に現れるものそれぞれの意味が
「記憶」とか「愛」と「悲」かいった概念を飛び越えて
その質感として観る側にやってくるのです。
玉ねぎがハンバーグに変わる顛末とか、
生きかえらせた命のシェープや
それが形を作って渡される姿などには、
ぞくっとくるような寓意の奥深さがあって。
さらには
アフタートーク(初日)などでも語られた
場所をすらっと塗り替えるようなその手法に
心の移ろいやしなやかな変化が
体感に近い感じで観る側に伝わっていく。
役者たちにも、それらの寓意を維持する足腰と
舞台の色をもたつきなく変えるだけの切れが備わっていて。
様々に見立てられていくものが
くっきりと観る側の感覚に織り上げられていきます。
内心の閉塞や揺らぎだって、記憶の浮沈だって、
出会いの感覚だって
きっとこの表現だからこそ伝わってくるもの。
個々のニュアンスが、
ただワンショットのアイデアとして提示されるのではなく、
その中にアイデアを動かすさらなる創意があるから
舞台上のどこか薄っぺらい表現ですら、観る側に置かれると
まるで水に戻された魚のように泳ぎだすのです。
だから、終盤の新しい恋に向かう心情の表現も、
ウェルメイドであったり陳腐な感じがまったくしない。
記憶たちをブリッジにして新しい恋に向かう姿も、
羽根をつけて香水までばら撒く満艦飾の装備にしても、
記憶たちに阻まれながら凌駕していく姿も、
全てがヴィヴィッドでうれしくなるほどピュアに思える。
観終わって、柔らかく高揚がほどけていく中、
ここまでに観る側を導いた
作り手の創意の豊かさと
具現化する手練にあらためてぞくっときた。
初日ということで、
細かい舞台の空気の隙間とか
若干の手番のもたつきはあったものの、
物語のコアにある、
素敵に苦くて甘酸っぱいどきどき感が抜けないままに
劇場を後にしたことでした。
○〇○●●☆☆
満足度★★★★
その時間を描きだす力
観ているときにはややラフな感じがするにも関わらず
終演時に残る感覚がとても確か。
表層的な事象の肌触りが
その重なりが崩れるなかで醸し出される感覚を
しっかりと浮かび上がらせて。
観終わってからじわっと降りてくるものがありました
ネタバレBOX
寓意的な表現の使い方が
作品に風通しを作って
物語の質感を柔らかく作りあげていきます。
ふたつの場面が
ミルフィーユのように重ねられることで
生きていく人々の広がりと個性が
しなやかに醸し出されて・・。
劇団の雰囲気にしても、会社の有りようにしても
浸りきっていた雰囲気や空気が失われていく感覚は
ゆるく崩れるようにやってくる。
そのゆっくりと溢れだして瓦解していくものの
質感に息をのむ。
下世話だったり、生々しかったり、
ときにはなにか痛く滑稽だったり・・・。
都会のさまざまな側面を見せたり・・・。
それぞれのエピソードを素直に追っていくうちに、
むしろ突き抜けることなく、
どこか取り残されたような想いが
汐の引いた砂浜の貝殻のように残るのです。
志をもって上京したとしても
結局は突き抜けることなく、埋もれて、
その時々を場当たり的に過ごしてしまった10年の質感が
終演時にはしっかりと観る側に置かれていて。
田んぼで鳴く蛙たちや
飼われていて逃げ出した蛙の姿が
すっと物語の質感に重なります。
役者たちのお芝居には
線の太さが担保されていて、
ここ一番の腰の入ったお芝居も生きる。
時が満ち、
やがて腕からこぼれおちていく・・・。
どこかあやふやで掴みどころのない時間を
くっきりと描き出す
作り手の力に囚われてしまいました
満足度★★★★★
めへぃ~とけた外れの身体表現
とても秀逸な身体表現であり、
ウィットと遊び心に満ちた30分でした。
ネタバレBOX
最初、偶然にその場を通り過ぎて
後半部分だけを観ることができて・・・。
愕然として、
気が付けば、
翌日に再見しに出かけておりました。
大上段に構えることなく
あの、凄いものを目の当たりにした高揚が
とてもナチュラルにやってくる。
演じ手たちの身体の使い方のしなやかさや
30分を演じきる精神的な強さに瞠目したのですが、
それはパフォーマンスが終わった後のこと。
理屈抜きに、その場にいろことが
こんなにも楽しい・・・。
観ることができて本当によかったです。
満足度★★★★
戯曲の可能性と演ずるパワー
一応戯曲をプリントアウトして
持参したことが効を奏して、
作品の枠組みにのって鑑賞することができました。
戯曲のいろんな可能性に思いを馳せることができました。
ネタバレBOX
3人芝居のうち、一人のロールを観る側に委ねるという企画が
成功していたかというと、そこはなかなか難しく・・・。
というのも、二人の役者の圧倒的な切れが
観る側をぐいぐいと取り込んで
そのロールに観る側が浸る暇を与えてくれないのです。
しかし、だからこの企ては失敗かというと
そうも言えなくて・・・。
二人のお芝居が、
本来観る側が作り上げるべき三人目のキャラクターを
その切れの中に浮かび上がらせてくれる・・・。
よしんば10分で台本を追うことを放棄しても
終演時には、物語の持つニュアンスが
鮮やかに伝わっておりました。
もっとも、最初の10分に台本を持つということは
意外と重要なことだったのかもしれません。
時間を遡ってシーンが積み上げられるその戯曲の構造は、
その10分間の台本なしだと理解するのに時間が掛かっただろうし、
もしかしたら、物語自体を見失ってしまったかもしれない・・・。
一方で、一旦内容がわかると、
この戯曲、いろんな見せ方が出来るのだろうなと感じました。
実際に女優のロールが演じられるだけで
ずいぶんとニュアンスが膨らむお芝居になるような気がするし、
その役のキャスティングでも、舞台上のトーンが
かなり変わりそう・・・。
今回二人の男優が務めたロールを女優で演じるのも
おもしろいかもしれないし・・・。
今回は、素の空気の中に
役者の演じる力が際立ったリーディングでしたが
いろんな工夫とともに
様々なバリエーションで
再演されるとよいなと感じたことでした。
満足度★★★★
熟していけば・・・
当初は尺が2時間20分ということで会場に足を運んだら、
冒頭にお詫びがあり、
上演時間が3時間になったとのことでかなりびっくり。
個人的にはその後の予定がだいぶ狂ってしまいましたが、
飽きることなく、相応のボリューム感を楽しむことはできました。
ただし、シーンというかエピソードごとに、
お芝居の密度に
かなりのバラツキがあったようにも感じて。
もし、この作品がもっとしっかりと熟していけば
観客にとっては、
とてつもない3時間になるような気もしたことでした。
ネタバレBOX
場内に入ると、そこには○テーブルと椅子が並べられて
カフェテリアにでも席を取る感じ・・・。
中央にステージ的な部分が設けられその後ろには大き目の黒板、さらに小さ目の黒板が、左右に3枚ずつ感覚をおいて配置されています。
それは、どこかスタンドアップ・コメディの会場のようにも思える。
前説のあと、その空気の流れのままに、
演者が、少年として、いくつものエピソードを語り始めます。
観る側を内に取り込むような
急がない、どこか親近感のある語り口。
冒頭から、すっと教室と窓の外の景色が
観る側に浮かんでくる・・・。
先生に理不尽に暴力をふるわれた思い出にはじまって、
付き合ったり関係をもったりした女性たちのこと、
両親や親戚のこと、
友人たちのこと・・・。
エピソードが加わるたびに
まるで記憶に刻むように
黒板にチョークで登場人物が
書き加えられていきます。
中央の大きなボードには血のつながりのある人々・・・、
左右のボードは友人や恋人たちの名前で
次第に埋まっていく。
いろんな印象を持ったエピソードがありました。
その中には
10の少年の女性に対する気持ちが
まっすぐに現れたシーンもあれば、
自分を守る臆病さや
相手を妊娠させて、
心が揺れてしまう場面もある。
両親や祖父母、
さらには兄弟に対する距離感や愛情も
とても実直に表現されます。
バスのアッパーデッキで
昔の恋人が麻薬に溺れている姿を目撃する場面などでは、
醒めた感覚と心の翳りが綾織のように広がって
観る側ヲ深くシニカルな思いに染める。
新しい知への純粋な感動や高揚も
青臭さをきちんと織り込んで観る側に
渡されます。
時間が重くなりすぎるシーンがないのもよい。、
それぞれのエピソードで、
観る側が演じ手の表現の力に
しっかりと取り込まれるのです。
でも、正直なところ、
見終わって
なにか膨らみきらない感じがしたのも事実。
なんというか、エピソードごとのテイストはしっかりとあっても
作品として観た時に、
それぞれが微妙に交じり合っていかない感じがして・・。
うまくいえないのですが
この作品はもっと熟して一つのトーンに溶け合わなければ、
観る側に作品本来のテイストはやってこないような
気がするのです。
細かいことを言えば、
物語が誰に向かって話されているのかが、
揺らいだり定まらなかったりして。
物語に対する視点を、
主人公の内側と外側に織り交ぜてながら語ること自体は
長い尺のなかでのよいアクセントになるのですが、
内側・外側それぞれで
誰に対して物語られているのかがぶれると
観る側は迷う・・・。
シーンの時系列も、
キャラクターの成長がもたらす雰囲気の差異で
もう少しくっきりと
観る側に印象付けてもらえればと思ったり・・・。
もっと言うと、
エピソードごとの色が変わることはかまわないのですが
シーンの密度や解像度の差がばらつくことには
かなりの違和感を感じる。
前述のとおり個々のシーンに含まれるものは
時に幼く傲慢で、あるいは純粋で瑞々しく、
もしくはシニカルで痛みを伴って、
観る側をしなやかに染めていきます。
そんなに居心地の悪くない客席だし
舞台にしっかりとした表現力があるから
3時間という尺も苦痛にはならない。
でも、観終わったあとの、
バラついた感触が気になって
結局、100%作品に浸りこめていない感覚が残る。
きっと、この作品の真髄は、
満漢全席のように
個々の素材が料理され供されていく
そのテイストのバリエーションの多様さにあるのではなく、
たとえばサングリアのように
新しいワインに漬け込まれた様々な出来事が
やがて一つのキャラクターに醸成されていく
その質感にこそ存在するのだと思うのですよ。
場内の黒板が登場人物たちの名前で埋められていくのも、
エピソードたちが
一つの樽の中で熟成されるためのこと。
舞台の尺も観る側がその中に一体化してくための
長さだと思うのです。
役者の方にとっては、
ひとりでこれだけのことを演じきるだけでも
大変な作業だとはおもうのですが、
でも、ここまで作り上げて来たのなら、
さらなる豊かな熟成にも手を染めて欲しいところ。
私が観たのは、プレビューもいれて3日目の公演ですし、
比較的長期間の公演ですから、
演じつづけられていく中で
もしかしたら、終盤にはたっぷりと熟成し
とてつもない作品へと昇華しているかも知れないと
期待してしまうのです。
○○○●●☆
満足度★★★★
更なる一歩に踏み込む力
ネタにしても、それを舞台上で具現化する力にしても、
さらにはシーンを束ねて物語に仕立てていく手腕にも、
観る側の期待や予想を凌駕する、
さらなる一歩の踏み込みがあって・・。
しっかりと切れをもったその時間に
がっつりと持っていかれてしまいました。
ネタバレBOX
冒頭の漫才が
リアルにしっかりと笑いを取れていることで
物語の基礎の部分ががっつりと固まって・・・。
それが単にネタの秀逸にとどまらず
演じる切れや絶妙な間のセンスに支えられているから、
物語を常ならぬように膨らませても
観る側がしっかりとついていけるのです。
創意が浮足立つことなく、
演者の切れを受け止めひろがっていく。
シーンごとのシチュエーションの作り方が
とてもしなやか。
束縛感や息苦しさのないネタたちの整合は
足し算ではなく乗数として
ある種のグルーブ感とともに
舞台の世界を膨らませていきます。
ネタの広げかたは
がっつりと観る側の想像を凌駕してくれるのですが、
それが、舞台の空気を拡散させず
密度を薄くしないのがすごい。
銀貨と引き換えにキリストを裏切ったユダのエピソードが
魔法のように話に溶け込んでいきます。
その演じ方にもバリがないので
彼らが旅をする2000年の質感が
不思議な立体感を持って観る側に伝わってくる。
創作の発想を縛らない演じる力が
観客をしっかりと舞台上の発想に縛りつけてくれて、
ぐいぐいと運び続けてくれるのです。
終演部分もしっかりとした着地で
観客を醒めさせることなく
たっぷりの笑いの余韻と物語の感触をそのままに残して・・・。
舞台美術や衣裳も
無駄に凝ることなく洗練がありました。
照明や音の使い方も小気味よくコントロールされていて・・。
なによりも
どこかソリッドな部分を持ちながら
二人芝居とはとても思えない
厚みにがっつりと取り込まれてしまう。
まあ、昨今の猛暑ですから、
かなりばて気味で劇場の階段を下ったのですが、
終演後はその常ならぬクオリティに
なにかしゃきっとして長い階段を上ったことでした。
満足度★★★★
距離感と関心度の描き方
表層的に齢を重ねていく感覚と、
その内側に積もっているものの存在感に目を見張りました。
タイトルがしっかりと物語の骨になり、
観る側の目を惹きつけて・・。
でも、観終わって、
回収されているものの
内側に埋もれていた様々な感覚にこそ
心を奪われました。
ネタバレBOX
10年とか15年という時間は
ディテールを着実に風化させる力があって
一方で十分に昔ではあるはずなのに
心に深く残されたものについて
埋め込んでしまうほどの力はない・・。
作り手は
数字の謎を物語のベースにおいて、
登場人物たちの小学校時代を掘り起こしながら
一方でその記憶にかかわった人々の今を
しなやかに描いていきます。
卒業担任の先生が事件に巻き込まれたことから、
次第にあからさまになっていく
当時の記憶たち。
15年たってから仕返しをするような
心の傷への囚われ方や
不治の病のなかでの想いの告白から露出する
異性の友人に対する距離感。
また、その一方で、
現在の親子、兄弟や恋人たちの関係から、
背負ってさらに次の時間に残るものや
風化するであろうものそれぞれの、
成り行きや必然までがしなやかに描かれて・・・。
それは、
距離感や関心度のデリケートで決定的な差異の表現。
心のなかで固まって時間に埋もれていくものと、
ほどけて時間の中に、霧散していくもの。
一つの刹那や事象から派生する、
個々の想いや感覚の差異が
それぞれの質感とともに
観る側にしっかりと伝わってくるのです。
タイトルの数字のなぞ解きも
したたかに回収されます。
理詰めで提示され
さらに偏光板を回すように
角度を変えて浮かんでくる別の画像に
目を見張る・・・。
作り手の鋭利な二つの質感の具象化の手腕に瞠目。
役者たちもメリハリがしっかりと効いたお芝居で
作品から滲み出る色をコントロールしておりました。。
タイトルの数字のなぞ解きに引っ張られていたはずが
終わってみれば
予想もしない感覚に心を満たされていて・・・。
作り手のどこか淡々とした表現に織り込まれた
深く鋭利な感性に、すっかりやられてしまった・・・。
この劇団、今回が旗揚げとのことですが、
もっとたくさんの果実を観たくなりました。
○○○●●☆☆
満足度★★
捕まえきれない尻尾
インパクトは存在するのですが・・・
作品の表現や
それを伝えるためめりはりのバランスの意図が
観る側が受け取るものと
どこか乖離しているように思えました。
ネタバレBOX
前半もワンショットの密度はあるのですが、
それがぐたぐた感にまでひきのばされていて。
一方後半の高揚には
腰があるのですが、
前半に描くものの冗長に妨げられて
表現の深さが見極められない上に
表現を理解するに足りる十分なトリガーが与えられていないので
観る側がその尻尾を捕まえきれない。
ある種の感覚や高揚は伝わってくるのです。
つながれているものや
三角関係などが何を見立てているのかも
ゆるやかにわかるし、
作る側が抱く表現の意図が
終盤近くの高揚につながっているとは思うのです
ただ、キーになる部分が、
抽象化されすぎているように思えて・・・。
不条理というわけでもなく、
ロジックは貫かれているのですが、
個々の要素への色の付け方や
ふくらみの意図を
観る側に伝えるしたたかさが足りない気がする・・・。
美術や衣裳には目を見張るものがありました。
遊び心と創意がしっかりと結びついていて。
ただつまらないというわけではないし、
やろうとしていることが、
なにかが加わることによって化けそうな気もするのですが・・・
舞台上のモチーフを観る側に展開するやり方が
もっと工夫されてもよいのではと感じました。
**** ****
当日ゲストは柿喰う客主宰の中屋敷法仁さん。
物語にすっと風を入れてくれて、
舞台の見晴らしがずいぶんと良くなりました。
そうそう、
ピンクパンサーを背負っての登場だったのですが、
彼のお芝居の後ろ側で
女優さんがぷにぷにとピンクパンサーの手で遊んでいる姿に
不思議な物語の存在感が浮かんで・・・。
あれは演出だったのか、
役者の遊び心だったのか・・・、
ちょいと知りたくなりました。
満足度★★★★
役者をたっぷりおいしく味わう
緩やかな物語なのですが、
空気がしっかりと作られていて・・・。
秀逸な役者たちのお芝居を
たっぷりと味わうことができました。
ネタバレBOX
描き出される夫婦の機微、
それがふくよかに時間を絡め取り
心をとらえるのは、
役者たちが舞台で目を見張るほどにしっかりと生きているから。
本当に秀逸な役者のお芝居は
決して観る側を重く押し切るのではなく、
軽く深く余韻を持って観る側に残るのだと実感しました。
戯曲にも、役者にゆたかにお芝居をさせる部分が
したたかに盛り込まれていて。
一瞬「えっ」と思うような歌の場面も、
役者がしっかりと貫きとおして
舞台のふくらみにしていくし、
「うそっ!」と思うような、
新国劇を見立てたような夢のシーンも
役者たちの肝の据わったお芝居が
ぞくっとくるような時間を作り出し、
完成度を持った見応えのある小芝居へと
舞台を昇華させていく。
また、ベテランの役者たちは
自分が世界を作るだけでなく
若手の役者さんのお芝居までも
大きく引き出していくのです。
会話の中で
相手の言葉を散らせないというか、
ひとつずつの台詞を、
自らの台詞とともに、しなやかに観る側に置いていく。
そのお芝居の質感に息を呑みました
実は比較的編み目の粗い
余白の多い戯曲だと思うのですよ。
その分、物語のメインディッシュとなる
夫婦の質感が大きく盛られて、
観る側をより深く包み込んでくれていて。
月の大きさも含めて、
作り手のラフさのセンスのようなものも
上手く機能していたと思います。
ただ、ここまで信じるに足りる役者をそろえたのなら、
ト書き的なモノローグや
状況を説明するような台詞は不要かなとも思ったり。
それらの台詞が、
役者たちが舞台で育んだ世界を広げることなく、
むしろ型に押し込めてしまった部分も何か所か・・・。
エンディングについても
よしんば伏線がきちんと張られていたとしても、
役者の洗練や、物語のふくらみに対しては、
安易というか、多少役不足かなと感じました。
○●●●☆☆
満足度★★★★
その時代の空気を描写する力
ミステリーのテイストがあって
ぐいぐいと惹かれていきます。
それは、時代のテイストへ観客を導く誘導灯にも思えて。
やがて包み込まれる
まさに墨を塗りこめていくような、
滅失感のようなものにこそ
がっつりと浸潤されました。
ネタバレBOX
場内に入ると、
精緻に作られた日本家屋の雰囲気に圧倒されます。
終戦の玉音放送を聴く
その家の人々の描写から物語が始まります。
教科書などだと、多分1~2行で描かれる
「終戦」の空気の緻密さにいきなり引き込まれる。
その緻密さが失われることなく
終戦直後からのその家の時間が流れていきます。
病に伏せっていた当主が亡くなり、
後を継いだ兄と、奇跡的に復員した弟、
さらには二人の妻と使用人たちが
戦後のどこか呆然とした、
でも、ドラスティックに変わるわけではない
あるがままの時間を紡ぎあげていく。
特に兄の妻の死のあたりから
その中に縫い込まれた絶妙な不可解さが
あからさまに膨らんでいくのですが、
場の空気がしなやかに作られているから
それが場から浮くことがない。
障子などを使った見せ方が
観る側を一層前のめりにさせます。
よしんば、それが外連であったとしても
観る側は強くその世界に取り込まれて
もう一歩奥へと視座を運ばれる。
その家の造作や、
家人や使用人たち、さらには訪れる者の
それぞれの所作の自然さが舞台の空気を支え切って。
ミステリーのなぞ解きは、
人の死の真実を語る中にとどまらず、
戦時から終戦を超えての
その家の空気を解きほどいていきます。
戦時の価値観が崩れていく中で、
閉じ込めていたものの箍がはずれたような
まさに墨で塗りこめていくような想いが
ぞくっとくるような感触で観る側にやってきて
息を呑む・・・。
役者たちが
舞台上でキャラクターたちの想いをしっかりと持って演じているのが、
きめというか舞台の解像度を作り上げます。
観る側にその感覚が腑に落ち、
教科書に数行で語られる事実とは異なった
戦時や終戦の質感に心を掴まれて・・・。
ミステリーの顛末に取り込まれながら
その世界で供された終戦時の滅失感にこそ
瞠目したことでした。
満足度★★★★
独特の感性
劇団初見です。
一風変わったテイストを持った舞台で、一つずつのシーンに織り込まれた創意のようなものにぐいと引き寄せられました。
ただ、着地点についてはすこし違和感がありました。
ネタバレBOX
冒頭から、なにかシュールな感じの舞台。
ちょっと常ならぬ色をたたえていて
観る側を引き寄せます。
舞台美術もそれほど凝った印象はないのですが
どこかユニークで、
重なっていくエピソードたちのどの風景にもなりうる感じ・・・。
ちいさな魚を上に仰ぐ球体とそれを照らすライトもきれい。
ばらけてしまうような危さを秘めた物語の構成ではあるのですが、
支配するロジックのようなものが
個々の場面にしなやかに縫いこまれていて、見飽きることがない。
別れさせ屋のことについても、自分の恋人のことについても
劇団のことについても、絶妙なデフォルメから生まれる
不思議な実存感と説得力があって・・・。
観る側は
それぞれのシーンが次第に常軌を超えた色や深さを持ち始めても
むしろ前のめりになって追いかけてしまうのです。
役者たちには安定した力があって
よしんば強いデフォルメがあるシーンや
ニュアンスが強調されるような場面でも、
あるいは何かが滅失していくような感覚も
実にスムーズにすいっと演じて
観る側を取り込んでしまう。
やまない雨、
仮面の裏表、
メビウスの輪を歩き続けるような
舞台上に存在する彼女についての痴話げんか、
存在していたものが
猫のようにすっと逃げていく感覚・・・
多重構造が柔らかく崩れていくときの質感。
どこかアンニュイなのに、
多様でぞくっとするほど鋭い。
それらは、作り手の内面をめぐるものたちの、
あからさまな、でもしたたかに作りこまれた
表現にも思えて。
ただ、
ラストシーンについては、
すこし安易かなという感じがしました。
そこまでに舞台はしっかりと満ちているのですが、
さらに昇華したり収束したりするには
何かが足りないような気がして。
それまでのクオリティがしっかりあるからこそ、
最後に広がりでなく平板さを感じてしまったのかもしれませんが・・・。
まあ、でも、べたな言い方ですが
おもしろく拝見させていただきました。
この劇団の独自の作風に、もう少し触れてみたくなりました。
○○●●●▲
満足度★★★★
導入の勝負
幾重にも層を重ねていく構造のお芝居を
ばらけさせることなく、
しっかりとひっくり返し続けた役者の力には
感心しました。
ただ、最初の部分の構造が
もう少ししっかり作れていればと
感じました
ネタバレBOX
後半から終盤にかけて
あれよあれよとひっくり返っていく展開には
見応えがありました。
役者の踵を返すようなお芝居も
乱れがなく切れを持っていてぞくっとくる・・・。
ただ、劇中劇の位置づけに変化していくとはいえ、
冒頭の下地となる物語が、
いろんな意味でちょっとラフに過ぎる感じ。
後から浮かんでくる説明的な伏線が
あざとく感じるところが何か所かあったり、
ストーリーとして貫かれていない部分もあって。
お芝居的には、冒頭の部分が結局仮住まいのようになるので、
「綿密に作りすぎてもねぇ・・・」みたいな感じがあるのは
わかるのです。
ただ、仮住まいのなかでも、劇団側が守ろうとしていることの
動機付けがなんともいえず弱くて違和感が残る。
ここがもっと鮮やかに作られると、
きっとベースになるものに巻き込むような力が生まれ、
そのクオリティが
終盤で舞台に起こっていたことがなんだったが明かされるときの、
その「女優」の
想いと現実のさらなる落差を作ってくれるように思うのです。
劇中劇団は、
役者たちなども普通に上手い印象が舞台からやってくるので、
よしんば仮住まいのピースであったとしても、
その部分がしゃきっとしていれば
観客がさらに、しっくりと深く戯曲の構造に入り込んでいける
感じがしました。
そうは言っても、前述のとおり
中盤からの物語の返し方には勢いがあって
惹きこまれました。
役者の力ががっつりと生きる。
物語の観点が変わった時に
舞台上に設定の乱れがなく
もたつきや矛盾が上手く回避されているし、
役者一人ずつがかっちりと色をかえてくれるので
観る側がそのままのっていける。
シーンを作る力量があるから
シーンの意味合いが一気に変わっても
バランスを崩さないで
その世界がすっと成り立つ。
いくつもの場面から女優という人たちの「業」が
滲みだしてきて
その感じがとても良い。
どこか泥臭く戯画的ではあるのですが、
塗りつけられるような感触というかある種の臭みが
舞台自体の虚飾になじんで
コアにあるものが
観る側に押し込まれるようにがっつりと伝わってくる・・。
そう思い返していくと
劇中劇の物語設定のあいまいさが
とてももったいないと思えてしまうのです。
○●●□
満足度★★★★★
地球の時間、10年の感触
映画のごとく地球の中での人に至る時間が描かれ、
さらにはタイトルの10年が刻まれていきます。
夜空の下、拡散することなく
むしろその場所の広がりとともに
過去、現在、未来が観る側に膨らんでいく。
当日ゲストたちの作りだす「今」のテイストも秀逸で。
ちょっと鶴瀬は遠いけれど、
足を運んだ甲斐がありました。
ネタバレBOX
劇場の建物に囲まれた池に、緑の島があってそこが舞台。
ちょっとしたボードウォークのような板張りの場所が
客席になっています。
歩いて劇場まで来た身には
風がとても心地よい。
冷たい飲み物をいただきながら開演を待つその時間に
すでに眼前に広がるスペースの広さに抱かれている感じ。
映画のごとく、人類の黎明の歴史が描かれ、
この星の長大な時間軸が降りてきて、
メインディッシュとなる10年の座標が定められます。
様々な事実や人物の言葉や文章がコラージュされ、
気がつけば、作り手のしたたかな時間の遠近法に
がっつり取り込まれている。
過去の重さをグッズまでつかって背負って
立ち続ける夏目年代記にがっつりとした力があって、
そこに、観る側にとってなじみの深い世界の流れが
違和感なく共振するように重なっていく。
世界の広がりと一人の役者の生きる姿が、
あたかも遠近法の魔法のごとく
すっと一つの絵面におさまって・・・。
しかも世界と個人が、それぞれに埋もれることなく
互いの質感を強調し合っているのが凄い。
そこには、劇場の建物たちに囲まれた広い空間に拡散しない、
むしろその広さを物語のスケールに変えるだけの
力量があるのです。
当日のゲスト3人(山縣・大倉・田中)も、「今」の感触を
構成のシュールさに負けない演技で
作りあげていました。
パフォーマンスに時間を絡める力があって・・・。
投げ銭を集めて水にバラマキ、再び拾い集める感覚、
ラジオ体操を踊り続ける姿、
「今」を語ること、今を生きることの
どこかPopで無機質な感覚も伝わってきて。
「今」感覚がベースになって、
未来が動き始める・・。
登場人物というか役者ひとりずつのたちの姿が
彼らの架空の年代記とともに遠ざかっていく。
空の闇にまで届きそうな
その時間軸の広がりに深く浸潤されて・・・。
作り手の作劇の手練にがっつりと取り込まれてしまいました。
☆☆☆★★◎○●
満足度★★★★
ラインを跨いで歩き始める感覚
キャスティングの工夫も功を奏して、
今へと続く道の緒というか、
黎明の雰囲気がしなやかに伝わってきました。
戯画化されたようなシーンにも洗練があり、
地味な感覚も埋もれることなく実存感を持ってやってきて。
びっくりするほど大きな高揚とか衝撃的な印象はないのですが、
不思議なくらいに自然に、
舞台上にその時間から踏み出す感覚が満ちて、
浸潤されました。
ネタバレBOX
それはプロローグ・・・。
作者の昔を投影したような大学生の男性を、
ふたりの女優が演じ分けます。
外側の姿と内心をそれぞれ受け持つ二人の演技が重なり、
そのころの作者が投影されたであろうキャラクターの、
どこかシャイで、
どこかつかみきれないような感覚が生まれて。
また、女性が演じることで、
男としてのカオスのような生々しさがすっと洗い流されて、
漠然と何かを求めても行き場のない想いの襞や揺れが
歪むことなくすっきりと浮かび上がってきます。
自分のベクトルが見つからないいらだちや、
その世代の男子に当然に訪れる妄想などが、
時には戯画化され、
あるいは二人の女優による葛藤としての形になって
べたつかず小気味よく重ねられていく。
同学年の女性との出会いにしても、
あるいは電車でよく見かける女性への妄想にしても、
ペーソスすら感じる滑稽さの中に、
不思議なリアリティが醸し出されていて。
シナリオを書くこととの出会いも
原稿用紙を選ぶときのこだわりも、
シンプルに作られたシーンだからこそ
その質感がしなやかに観る側に伝わってくるのです。
心に浮かぶ物語の「へたうま」さも秀逸。
なにかウッディアレンの映画をみるような・・・。
未熟な発想から生まれる
べたでわかりやすいチープさというか底の浅さが
恣意的にそのまま、でもくっきりしっかりと描かれていて、
観る側にウィットの効いた、
エッジの立った感覚を与えてくれる・・・。
物語を読み聞かされた幼い頃の記憶に含まれる
叔母の語り聞かせのアバウトさも
どこかコミカルでちょっぴり切なく心に残ります。
絵本を読む体で語られるお話の
微笑んでしまうような自由さと
主人公がうちに育てる物語を育む感覚が
心地よくリンクする。
友人のこと、恋人未満の異性のこと
頭の中に繰り返し訪れる
物語の欠片たち・・・
ゆっくりと、
主人公が内外に抱くいろんなことが
つかみ所ないものから
少しずつ形をとりはじめて・・・。
中盤以降に醸し出される
まるでゼリーが固まっていくような感覚もとても秀逸。
ゆっくりと繊細に定まり始める、
その質感を掬い取る
作り手の語り口には、
その豊かな軽質さを具現化するだけの
しなやかな洗練があって。
キャスティングも絶妙。
役者たちそれぞれに、
ニュアンスをくっきりと出しながら、
それぞれのキャラクターを
観る側の内に馴染ませるような手練があって。
主人公を演じた二人の女優から
女性を感じさせる所作がひとつもこぼれなかったことにも瞠目。
まだしっかりとは固まりきらないなかで、
パーティが始まる。
主人公がそのラインを超えるときにも
自分から勢いよくというわけではなく
先を歩んだ女友達に手を引かれるような体たらくなのですが、
その、あるがままのぐだぐだ感が、
観る側にほほえましくも感じられて。
見終わって、
作り手の衒いを感じつつ
でも、なんだろ、作り手の歩き始めた頃への
感慨のようなものにも触れた感じ・・・。
舞台や客席の作り方にも創意を感じました。
主人公たちの衣装もうまいと思いました。
女性的な感覚で組み上げる劇団競泳水着のテイストとは異なった
どこか自叙伝的な作者風男語りの物語を、
たっぷり楽しむことができました。
☆☆☆★★○○
満足度★★★★
女性のロジック
突き抜けてはいても
5人が描き出すキャラクターの個性に
観客を押し切るだけの実存感があって・・・。
それぞれのシーンに現れる
女性たちの想いの色に潜む強さと脆さを
顛末のおもしろさとあわせて
たっぷりと楽しむことができました。
ネタバレBOX
5人の女性それぞれに
自分の世界がくっきりと示されていて
それぞれから現れるモラルや価値観のようなものが
調和と反発をくりかえすのが
理屈抜きにおもしろくて・・・。
互いに共感することはあっても
染まりあうことはない
それぞれのキャラクターの個性に
観る側がそのまま持っていかれてしまいます。
それも単純に強さに塗りつぶされているのではなく
脆さを透かして見せる手練が
個々の役者にあって。
お互いにありのままであることで
刺を相手の柔らかい部分に刺しあうような部分に
作劇の妙を感じ
それが空々しくならないところに
役者の秀逸を実感するのです
女性たちの魅力に前のめりとなり
男性が入っていけないような生臭さにまで
とりこまれながら。、
ちょっと野次馬根性でみているうちに
女性たちの根底にある、
何かが欠けた感がゆっくりと沁みいってきて、
愕然とする。
なんというか、終演時には
洗練された異性の猥雑感に
圧倒されておりました。
満足度★★★★
くっきりと面白く
切り口に馴染んでしまえば
男子・女子のそのことへの感覚が
直球で伝わってくる。
POPな見せ方や
笑いのクオリティにも惹かれ
中盤からは前のめりで観てしまいました
ネタバレBOX
大小3つの○台はいろいろと人でにぎわっているし
人の動きも通常のお芝居とちょっと感じが違う。
しかしながら
ゾンビ化にしても
ウサギにしても
それほど難しい見立てをしているわけではない・・。
何組かのカップルから
やってくる世界は、
よしんばデフォルメされていても
いまどきのとても日常的な感覚なもの。
トランポリンを使ったり
フワフワした舞台にしてみたりといった
感覚の部分が
描かれていくものに上手くマッチしていて。
なぜ質問と相撲が引き換えなのかは
残念ながら観きれていませんでしたが、
それはそれで、ある種の突き抜け感があって
絶妙に可笑しかったです。
チンパンジーだの相撲だのがちりばめられなかでも
役者たちには、
実は実直な気持たちを
ぶれなくまっすぐに演じる力があって
笑いのオブラートやダンスの動きに
耳や目を奪われながらも
観る側には
思う気持ちに裏打ちされた
男女の営みへのまっとうな模索の志が
ある種のグルーブ感を伴って
伝わってくるのです。
集団の動き、ダンスの振り付け、衣裳など
いずれも洗練があって
観ていて楽しい。
笑いの品質も、しっかりと抜け出ていて
非凡さを感じる。
観終わっても、
したたかにコントロールされた
作品のパワーのようなものが観る側に残って
なにか、わくわくしておりました。
満足度★★★★★
ゆたかな創意、へたれない刹那の秀逸
創意の中に緩急とメリハリがしっかり利いた舞台
狭いギャラリーを逆手にとって
日々の閉塞感をがっつりと醸し出し、
ルーティンのなかで
次第につもり溢れていく感覚を
がっつりと表現していく。
たっぷりと時間をかけて構築される
圧倒的な密度には
観る側をへたれさせない
目を見張るような完成度があって。
驚愕の舞台でありました。
ネタバレBOX
白を基調にした空間、
鰻の寝床のようなスペースの
両サイドに2列の座席。
客入れ時から
生ギターが場内の空気を作り上げていく。
客入れが終わるとシャッターが降りて
すっと舞台が始まります。
オフィス・風俗店・家庭と
3つの世界が重なりあうように演じられていく。
演じ手達には紐が付けられて
下敷きになっている近松文楽を暗示するにとどまらず
その社会への登場人物たちの従属を観る側に印象付ける。
2つの可動式の台の動きが
舞台のさらなるメリハリを生み出して・・・。
シャッターが朝と夜を刻み
また、同じような一日がやってくる。
人形振りのように
想いをすっと内に閉じ込めて演じられる
日々のルーティン。
ノルマに追われるオフィスの雰囲気、
夫の帰りを待ち、戻った夫に語りかける妻の想い。
抽象化された表現からこそ垣間見える
風俗店の欲望処理の質感。
それらの中に縫い込まれた「滓」のような感情が
次第に空間を満たし、
観る側に閉塞感を醸し出していく。
歌で語られるト書きや背景、
言葉と想いの分離が
演じるものと語るものをわけることによって
人形振りの内心が観る側に立体的にやってくる。
動作の均一性が作り上げる時間の希薄さが
役者たちによって作り上げられる
場のニュアンスの絶妙な変化を浮かび上がらせて
観る側がそのまま取り込まれていきます。
気がつけばルーティンの日々に積もり、ふくらみ、
やがてなすすべもなく
枠を超えてしまう感覚が
観る側の内も芽生えていて。
主人公の顧客や友人に対するモラルハザード、
風俗嬢のさらに身を削って稼ぐ決断、
ためらいながら夫の携帯を開く妻・・・。
役者たちそれぞれに
キャラクターの場ごとの感情の解像度の高さに加えて
舞台上での緩急の秀逸があって・・・。
キャラクターたちが盲人のごとく
踏み入れてしまうその一歩が
ただ語られるのではなく、
観る側が抱くものとともにそこにある。
終盤、主人公の二人が向きあう
屋上のシーンが
比類なき程に秀逸。
激しく湧き上がる言葉たちを背負って
想いに更なる密度が加わる中で、
ここ一番のたっぷりとした時間を配し
役者たちがその刹那をへたることなく貫いて
観る側の高揚を
その場が満ちるまで支え切る・・・。
大向こうをうならせるだけの想いに裏打ちされたテンションが
役者にとどまらず観る側のうちでも昇華しきるから
男を帰す女の一言が
乾いていても薄っぺらになることなく
観る側を醒めさせることなく伝わるのです。
これ、凄い・・・。
その前後の、妻と風俗嬢の会話にしても、
屋上の場面が終わって
日々へ戻る場面も
文楽や歌舞伎のように
「xxxの場」とでも銘打ちたくなるような
ゆたかな表現に満ち溢れていて・・・。
オフィスにしても、家庭にしても、風俗店にしても
閉塞の先にやってくる時間がある。、
観客をそこまでみちびき切ったうえで、
手のひらから解き放つ役者たちの演技に
観る側の目がさらに見開いて・・・。
それは「トーキョービッチ・アイラブユー」というタイトルのニュアンスに
観る側がたどり着いた瞬間でもありました。
オーストラ・マコンドー、前回の「三月の5日間」に続いてのこのクオリティです。
11月の公演から目が離せなくなりました。
☆☆★★★★○○
満足度★★★★
その世界に馴染むと・・・
冒頭は、舞台上の世界の唐突さにとまどったのですが、観ているうちに、自然にその時間に馴染んでしまう。
すると、唐突だったものから鮮やかなリアリティがあふれ出し、舞台にあるものすべてが深く強くいとおしく思えるようになりました
ネタバレBOX
きみどりさんはもちろんのこと、
登場人物それぞれの個性がくっきりと描きこまれていて・・。
そのあけすけとも思える表現に
最初はすこし戸惑う。
でも、そのあけすけさこそが
家族の雰囲気を強くしなやかに
観る側に刷り込んでくれるのです。
ジングルのように差し込まれるタイトルコールは
まるで、作り手の記憶の看板のよう。
今を起点に
ミルフィーユのように重ねられていく時間たち・・・。
家族を外から眺めるのではなく
家族の内側に視座を置いて描き出されるその世界は、
ときには露骨だったり、さらけ出されていたりもする。
でも、それが表現されなければ
きっと観る側にとっての本当にならない
それぞれが背負うものや想いがあって・・・。
きれいなばかりではないし、
ごつごつもしているのですが、
観る側は、そのなかでまだらに露出した
隠されることのない
コアの色にこそ浸潤されていくのです。
あるがままにいるきみどりさんの
抜群の存在感が観る側をしっかりと引っ張っていきます。
ばらばらに見える家族のベクトル・・・、
でも、それらが重なりあいぶつかり合いながらも
個々を互いにあるがままに受け入れていく姿が
ひとつの家族の実存感を作り出していく。
理不尽とまでは言わなくても、
常ならぬものを、
そこにあるものとして受けとめていく家族それぞれの姿に
観る側までがすっと染められてしまう。
役者の演技に懐の深さやぶれない強さがあって、
エピソードからあざとさのないニュアンスを
絞り出していく・・。
その一滴ずつが観る側の心をさらに染めていきます。
心惹かれるシーンがたくさんありました。
両親のプロポーズのシーンに目をうばわれ・・・。
破り捨てられる一枚の紙から伝わってくる
その人にゆだね、その人を受け入れる
想いのリアリティに息を呑む・・・。
異父兄弟の末っ子が育っていく姿にも、
それぞれが互いに色を染め合う
ありのままにある家族の姿がすっと膨らんで。
二女がきみどりさんみたいな性格というのも
なにかわかるような気がしたり。
クリームソーダのエピソードは
ペーソスを感じるほどに滑稽にも思えるのですが
でも、そこからきみどりさんの薫り立つような
横顔がふわっと現れる。
彼女のうちにあるお洒落の感覚を注がれて
彼女の人生が二次元の戯画から
三次元へと膨らんだようにも思えたり。
ラストシーン・・・、
あのころの土曜日の夜に
記憶が収束していくのですが、
でも、きみどりさんのテレビから流れる
その番組のように
次の回がやってくれば、きみどりさんのジングルのとともに
ふたたび記憶が巡りだすようにも思えて。
初日ということで
ほんの少しタイミングなどのずれなどを感じた部分もあったのですが、
でも、描き上げたその世界は
観る側をして作り手の世界を彷徨させるに
十分な力があって。
観終わって、
どこか突き抜けた可笑しさを感じ、
その可笑しさが愛おしさに変わる中で、
さらにたくさんのことが
心に満ちるお芝居でありました。