満足度★★★★
陰と陽のしなやかなバランス
東京に暮らすことの断片が、いくつものの影と日向をを創り出していきます。
戯画化されているような部分と繊細に表現されるものが織り合わされて、
東京に生きることの質感につながっていく。
終盤の空気感に包まれるようなリアリティを感じることができました。
ネタバレBOX
八百屋舞台に線で区切られた3つの部屋、
その中に置かれた3人の女性たちの生きる姿や心情が
物語の枠の中にはめ込まれていきます。
狂言回しのピザ屋さんが
物語を導き、
そこからひとりずつ女性たちの心情が現わされていく。
どこかコミカルでラフな部分と
ビビットで繊細な内心の表現が
絶妙なバランスで舞台に広がっていく。
個々の想いの現れ方が、それぞれに異なっていて、
それ故に3つの部屋が並ぶマンション(?)に
不思議な実存感が生まれる。
男女の距離感やつながりも、
東京の日々の個々の事情の範疇として
繊細に切り取られて、
それらがとてもゆるくつながって行きます。
かなり大胆にデフォルメされている部分があったり
刹那の感情を鮮やかに浮かび上がらせたり、
都会に暮らすことの陽の部分と影の部分が
上手く言えないのですが、
縛られることなく描かれていく感じ。
それらが重なりあって、
個々のエピソードが同じ東京の空の色に染められて。
やがて東京に暮らし続ける感覚へと醸成され
ひとつの感慨となって観る側を染めていくのです。
役者たちも様々なロールの色を
しっかりと踏み込んだお芝居で作り上げていて、
あわせる感じではなく、膨らませる力でのお芝居が
しっかりと功を奏していて。
居酒屋さんや先輩のカップル、
刑事さんも含めたそれぞれの生活や物語が
まるで街の細胞のようにひとつの世界に取り込まれて。
終盤に3人の住人たちが
互いに「はじめまして」と挨拶するシーンが
なんかとても良い。
そこには都会で暮らす距離感のリアリティと
居心地やぬくもりがしなやかに現わされていて。
終わってみれば、
一つずつのシーンとはまた別の
作品としての質感にも染められていて。
初日で多少の硬さを感じる部分があったとはいえ
時間を感じることなく
舞台上の街に訪れた
季節の感触に浸ることができました。
満足度★★★★
無い光
以前に観たものよりも
色に染められることなく
戯曲の骨組みがそのままに演じられているように
感じました。
その分、人物たちのあからさまな気持が
しっかりと伝わってきたように思います。
ネタバレBOX
以前観たものは
物語全体をヴェールのようなものが覆っていて
それがキャラクターたちの個性をひとつの雰囲気に束ねていたような
印象があったのですが、
今回のバージョンでは
ひとりずつの個性が前面にしっかりと現れていて
戯曲の骨組みは変わっていないにも関わらず
かなり異なった印象を持ちました。
役者たちの演技にしなやかさと腰が併存していて
それぞれの色のデフォルメに無理がない。
エッジがしっかりと効いているのです。
それは、立場の表現にとどまらず
内心までもまっすぐに観る側に伝える力があって。
高校の時の屋上での出来事にしても
それからの心情にしても
あからさまと思えるほどに
説得力をもってやってくる
なんだろ、ひいて観るのではなく
思わず頷いてしまうような実直な想いが
伝わってきました。
けっこうドタバタした部分もあるのですが、
それを違和感なく取り込むような力が
舞台にあって。
役者たちの舞台上での
ベクトルの作り方やそのぶれのなさが
とても秀逸なのだとも思う
以前のヴァージョンと
どちらがよいということではなく
一つの戯曲から二つのアスペクトを観た感じがして、
それも面白かったです。
満足度★★★★
変な穴(女)
演目初日を拝見。
女性たちの個性や想い、
時にちょっと滑稽でもあるのですが、
女性たちそれぞれの何か欠落した部分が
しなやかに浮かび上がってくる。
その中でさらに触媒になる女性が現れることで
男性の欠落したものが輪郭を見せ始める。
明確ではないけれど明らかに存在する
男女それぞれの感覚に次第に浸されていきました。
ネタバレBOX
冒頭のシーンから
その場のルールがしたたかに伝えられる。
ちょっと奇異な感じもするのですが
ドレーという感覚はしっかりとした形で
観る側に伝えられていきます。
男性が使う、
鞭にあたるスプレーがちょっとチープで
でも、きちんと場をコントロールしていくのが
おもしろくもあり、物語のエッジを作ってもいて。
その中で個々の女性たちの色や個性、
そして内外に抱える現実が
抽出されていきます。
4人の女優たちそれぞれに
キャラクターを広げる足腰がしっかりとあって
それぞれのはみ出したような部分に実存感が生まれ
足りないものと持てあますものそれぞれが
観る側に残されていく。
さらに、5人目のドレー、
支配する側と重なるものを持った女性がその場に置かれることで
視野が大きく広がって・・・。
それまで、4人の女性たちに求めていたものなどから
曖昧に浮かびあがっていた
男性の抱える「穴」のようなものの輪郭や
他の女性たちのその世界につなぎとめられる
鎖やボーダーのようなものを
しなやかに堀り出していく。
物語で表現されることは
あからさまに出来るものの外側というか
観る側の常なる感覚とずれたような
非日常な部分で組み上げられているのですが、
そうであっても観る側のどこかに
共鳴する部分が潜んでいて。
時には様々な顛末が滑稽にも思えたりもするのだけれど、
一方でその先に存在する不思議な普遍性を感じたりもして
自らにとまどう。
ドーナツの穴を意識させるような感覚というか
そこにないからあるというか・・・。
マスターを演じた役者や
彼女たちの外側に置かれたコンビニ店員を描き上げた役者、
この役者たちのそれぞれの語り口だからこそ
醸し出され浮かび上がったであろう
感覚に浸されてしまいました。
冒頭からちょっと色のつ表現されるべき男性の感覚は
きっと言葉で表現できる類のものではないのだと思います
。
満足度★★★★
求心力を持った空間
物語やその顛末にたいして
ずっと前のめりで観ていました。
タイトルどおりのお芝居だとはおもうのですが
観る側を巻き込む力が舞台にありました。
ネタバレBOX
新宿眼科画廊の空間が
開演前から出演者たちによって
次第に染められていきます。
床を埋め尽くしたたくさんの服。
台に置かれた原稿用紙とペン。
そして会場が出演者たちの空気に満たされて。
書くことが出来ない作家と
物語の世界をたどってやってきた編集者。
その会話から
やがて引き出されていく
彼女が出版した物語・・・。
連作のように書き綴られたという
短篇が舞台上に現わされ
彼女の想いと交差し
やがて彼女の現実に翻っていく。
舞台のシーンの現れ方、
音やライトがメリハリをつくり
観る側にしなやかにその場の立ち位置を
伝えていきます。
だから入り組んだ多層の世界に
迷うことなく
浸りこんでいくことができるのです。
舞台に現わされたものと観る側がひかれるものが
乖離せずに撚り合わされるなかで
世界が姿を現わしていく感じ。
この世界の持ち主の
醒めた部分も浸った部分も
そして見えない部分までもが
そのままに伝わってきて
やがて書くことができない彼女の姿に至る・・・。
終盤、さらに物語は踏み込まれて
彼女が取り戻した感覚の肌合いが
しっかりと伝わってきて。
観る側にも解けた感覚がやってくる。
ただ、そこまでに伝わってきただけに
最後のシーンへの広がり方だけ
すっと因果が消えたような感覚もあって。
個人的にかもしれないですが
そこだけ、ちょっと取り残されたような感覚が残りました。
とはいうものの、
作り手の世界を組み上げていく手腕と
役者たちの空気の作り方の切れと密度の秀逸に
取り込まれ、
むさぼるように
舞台を見続けた95分でありました。
満足度★★★★
足跡を描き上げる確かさ
1週間の間にB・Aと両チームを観ました。
切り取られた時間が醸し出す実存感のなかで
浮かび上がってくる科学の歩みや
その足跡の人間臭さに
心を捉えられました
ネタバレBOX
97年の初演ということで
多分時代背景なども変わっているとは思うのです。
かなりアップデートされているのでしょうけれど・・・。
昨今の状況の様々な変化を観るにつけ
近未来という感覚は多少色褪せていて・・・。
それでも、戯曲が持つ
科学が歩む雰囲気とか
その根底にある普遍性のようなものは
じわじわと確実に伝わってきました。
いろんな分野での事象の観方の相違や
互いの連動と軋轢のようなもの。
それが概念ではなく
空気というか人間臭さのなかで
普段着の姿で伝わってくる。
二つのチームを観て、
それぞれの空気の違いのようなものから
伝わってくることもあって。
なんだろ、科学のアカデミズムのようなものが
それぞれの研究者たちの個性から
醸し出される姿がくっきりと感じられて・・・。
若手といわれる役者たちの個性が
とてもよく生かされた舞台でもあり
この激動の時代には
それほど時を経ることなく再演されるべき
舞台であるとも感じたことでした。
満足度★★★★
強く描く底力
しっかりと身体を使った表現で
舞台上のテンションをがっつりと作りだして・・・。
そこにある遊び心がしっかりと機能していました
ネタバレBOX
戯曲の構造をきちんと取り込んで
そこに足場を作って・・・。
一つずつの演技に抜群の強さがあって
ぐいぐいと世界が広がっていく。
台詞回しが凛としていて
客席が是非もなくさらい取られる。
身体の安定性が時間をしっかりとコントロールする。
よしんばロールが誇張され
演技がデフォルメされていても
役者の演技に観る側がゆだねられる品質があって。
舞台の空気が静動それぞれの時間にテンションに満たされていて
常ならぬ見栄えのようなものが舞台に感じる。
たぶん、ぎりぎりの配分なのだと思います。
もっとメリハリが強くなれば
それに眩まされてとても平板に感じられる気もする。
メリハリがずっと続くことで
塗りこめられてしまうリスクも
あるような気がするのですが、
そこを補う遊び心にも踏み出しがあって・・・。
さらには
ずっと居続けの女性の存在が
物語の大外に枠を作り、
世界を多層化させて、
無言のうちに舞台を平面から
解き放っていて。
見応えがたっぷりあって
それがさらに昇華する可能性を感じて。
表現の座標をしっかりと持った
見応えのある舞台だったと思います。
満足度★★★★
物語を引っ張る力
勢いにくらべて
緩急のバランスがしたたかに組まれた舞台で
終盤まで物語のコアを悟ることなく
観続けました。
決して明るいだけのお芝居ではなく
でも軽いテーマでもない。
でも、それを包括するような、
鮮やかさを持ったラストの収束の仕方に
作り手のセンスが感じられました。
ネタバレBOX
シーンの差し込み方がとてもしたたかで、
冒頭のシーンや家族の風景、
さらには看守と囚人の関係などが
個々のテイストを生かしながら
全体をゆっくりと見せるように積みあがっていきます。
所長と看守のねたや
模擬家族のシーンなどに
緩さがあるのは事実なのですが
そこから染入るように
物語に隠された事実への伏線が張られていく。
窃盗の罪で死刑とか、
家族が毒殺されたとか、
物語の流れのなかで
許容できうるとはいえ、確実に芽生えた違和感が
現実に返っていくテイストが
息を呑むほどにしなやか・・・。
若干のクオリティのバラツキはあったのですが
個々のシーンが単にタイトなテンションを持つのではなく
必要なルーズさをしっかりと湛えているから、
観る側が主人公の心情の変化を
まっすぐに受け止めることができる。
要所要所のグルーブ感もあり
役者達もキャラクターをみせるお芝居を
きっちりと舞台上に上げていて・・・。
エンタティメント性とシリアスな表現のバランスが
とてもよく取れたお芝居でありました。
満足度★★★★★
緻密さに加えてペースが秀逸
ちょっと遅れてしまいましたが
震災の翌日に拝見しました。
非常にしっかりとしたペースと精度を持った作品。
コックピット内での事故のあり様と
機長の人物像、
さらには弁護士の立場、
それぞれの因果というか関わり合いが
ひとつの刹那に集約されていく終盤を
息をつめて見つめてしまいました
ネタバレBOX
会場に菱形に並べられた座席、
中央に電話だけがおかれた飾りのない机と
2脚の椅子。
常ならぬ感じとシンプルさが共存する舞台の中で
機長と弁護士の会話劇が始まります。
舞台は完全に閉塞された空間として設定されているわけではない。
カメラの存在によって
その場所の情報は外部に流され得ることも明示されて。
そのことは物語の外側の枠組みを提示するにとどまらず
観る側の傍観者の位置を担保するような効果もあって、
とても近距離でのお芝居を
どちらかに感情移入をすることなく
見つめていく。
事故の内容は
提示されていくのですが
単純に事実が組み上がっていくわけではない。
設定や二人の会話には
観る側にとって摺り合わないような部分があって
それが羽田沖の旅客機墜落という事実に
つなぎとめられている感じ。
でもその違和感に観る側が捉えられていくのです。
舞台が進むうちに
違和感の構成がすこしずつ解かれていきます。
そのスピードというか段階の踏み方が
急ぐことなく、澱むことがなく、実に秀逸。
順番に解けるというのとも少し違って
登場人物の重なりあった認識から
それぞれの立場がすこしずつ照らし出されていく感じ。
舞台の核心へと観る側を運んでくれる。
事故の現実、壊れた機体、機長の責任・・・
その現実の主体となるべき機長の
プライドや立場の保身への心理や行動、
弁護士の当惑・・・。
シーンが重なる中で乖離していたものが
次第に是正され
二人の立ち位置が
観客にもゆっくりと定まっていく。
面会時の手錠が外され、
事故の現実や彼がもう
機長としての職務につけないことが告げられて。
ここまでに作りこまれているから、
終盤の飛行のシミュレーションのような会話も
しなやかに観る側を舞台の内側に取り込んでくれます。
そこには機長の心の中のフライトのグルーブ感があって。
コックピット内での彼の視座や心の動きが
皮膚にまで伝わってくるような現実感をもって
観る側にやってくる。
やがて飛行機は着陸態勢に向かって・・。
機長の認識に内側に弁護士が事実を重ねて・・・。
観る側に事実が手渡される。
その刹那の真実に立ち会ったような、
閉塞から一歩踏み出した感覚がまずやってきて。
でも、なんだろ、それだけにとどまらない余韻が残る。
登場人物間の相容れない部分がしっかりと残っていて。
浮かんでくる人間の危さのようなものが
鈍く、でも厳然と広がっていく。
観終わって拍手をして
ゆっくりと息を吐いて。
会場を出るときには
作品の完成度と役者たちの一歩ずつ演じきっていく力に
完全に心を占領されてしまっておりました。
クオリティの高いお芝居を観た後の充足感に
そのあとゆっくりと満たされて。
劇団の2人芝居の連作、
もうひとつの方もとても楽しみになりました。
満足度★★★★
つながりや包み込みのしなやかさ
尺としてはやや長めの作品ですが
3幕それぞれの物語のつながりがしなやかで
時間を忘れて見入ってしまいました。
ボリューム感があって
だからといってそれが重たさにならず
時間の流れのふくらみとして
観る側に残る・・・。
おもしろかったです。
ネタバレBOX
エアロビから一気に物語に導かれて・・・。
ばらばらというわけではなく
一つの流れのなかに物語が描かれてはいくのですが
3幕それぞれに
物語の色がしっかりと作られていて
全体として冗長な感じがなく
個々のシーンのニュアンスをしっかりと追って行ける。
たとえば、
1幕の男がまるでぽんと背中を押されたように
競馬に転落していく刹那、
あるいは2幕の男の姿を主人公が悟るときの静的な表現、
さらには、
それらの物語の外側が描かれる3幕の
キャラクターの視座のばらつき感などなど・・・
デフォルメされたいろんなシーンから引き出される
空気の実存感が
舞台を次々に満たしていく。
細密に描くという感じではないのですが、
キャラクターの設定や
それぞれの物語の流れに
無理がなく、
自然にその空気に引き込まれるような感覚があって。
個々のシーンの色が
一様でなくそれぞれに満ちて、
ラストシーンの中に
ひといろに染まらない生きていくことの感覚のようなものがあって。
そのヴィヴィッドさに浸されてしまう。
舞台装置の構造にしても
時間をコントロールするようなムーブメントにしても
間に織り込まれるエンターティメント色をもった部分にしても・・・
それぞれのシーンの強弱が
きちんとコントロールされていて。
役者たちにも
単にメリハリに走らないきちんとした心情表現があって
物語を筋書きからニュアンスに膨らませていく。
個々の実直なお芝居が
キャラクターの色をしっかりと保ち
交わらない強さがあるのが良い。
緻密とはいえないけれど、
むしろ作りこまれた緻密さに縛られないからこそ見えてくるような
父母の世代から子供たちの世代にいたる、
それぞれの生きる感覚のようなものが
しなやかに俯瞰されてみる側に浮かび上がってくる。
まあ、いろんなことを盛り込み過ぎた感も
なきにしもあらずなのですが、
ちょっと勇み足のようなラフさも終幕できちんと回収されて・・・。
2時間超えの作品に
ただただ見入ってしまいました。
*** **** ***
終演後、
携帯にメールが来ていて・・・・。
物語がさらに広がる。
こういう表現もしたたかで上手いと思う。
なにかを一歩踏み越えた
表現の手練の豊かさにさらに心惹かれて。
次の公演が一層楽しみになりました
満足度★★★★
細密に空気を描く
入場したときには
座席の組み方からして
とても、こんなに細密に空気が組まれていくとは
思ってもみませんでした。
わくわくと労働のリアリティを楽しむことができました。
ネタバレBOX
創り手の空気を描写するスケッチ力のようなものに感嘆しました。
メーカーに勤めていたりするので
現場の雰囲気ってわかるのですが、
その匂いがそのまま場内に満ちていく感じ。
それは、仕事の質感や個々動作にとどまらない
働くマインドのリアリティであったりして。
雰囲気にとどまらないもう一段深度をもった
空気の切り取りがあるのです。
もちろん、
地球を回すという仕事や生産しているもの自体が
多くの寓意に満ちているし
実際の仕事ぶりも
たくさんのデフォルメで形成されているのですが
その組み合わせから滲みだしてくる
場の色にぞくっとくるようなリアリティがある。
前回公演でも強く感じたことですが
作り手の描く力、
特に目に見えるものにとどまらず
肌や感覚を切り取り
それを再び一つの感覚として再構築していく
技量にふたたび目を見張る。
役者たちも
それぞれが素敵に地味な感覚を細かく重ねるように
創りこんでお芝居をしていて
それが架空の工場のなかで
あざとくなく生きる。
どこかそぎ落とされていても
地に足がついている感じがあって・・・。
また、仕事場に漂うものの緩急の切れがすごくよい
引きずる感覚やすっと消える感情などが
くっきりと表現されているから
場がぼやけない。
多分、あるものをあるものに描いたとしても
よしんば職場そのものを見続けていても
絵にならないものが
ノイズなしに確実に捉えられていくのです。
観終わって、
奇想天外な感覚がまったくなく、
さらには日々の暮らしから
社会の歯車の動きや
その集合体としての世界への見晴らしまでが
すっと通ったような気持がして。
初日だし、更なる精度がきっと生まれるのだろうし、
更なる進化の余地はあるのでしょうが、
でも、あっさりしっかりと
彼らのファクトリーに閉じ込められてしまったことでした
満足度★★★★
個々の瑞々しさ
どのシーンにも
息を呑むような空気の実存感があって・・・。
その満ちかたの
深さとやわらかさに
しっかりと包まれました
ネタバレBOX
祖母と孫をめぐる
いくつものシーン。
それらは記憶の断片のように
緩やかに崩れた時間軸の中で
舞台に浮かび上がってきます。
花を育てることや
料理の仕方、
警察官の恋心・・・・、
現実の肌合いが舞台に満ちる中で、
二人の生活の息遣いや感覚が
ある種の温度をもって伝わってくる。
概念で考えると
とても辛くて切ない物語。
日和見のように進んでいく記憶の滅失や
主人公の当惑や抱えるものは
戻ることなく歩み続け、膨らんでいくもの。
それはなす術のない事だし
残酷なことにも思える。
でも、舞台は、
そんな概念に染められるのではなく
時間の肌触りのようなものを
感覚の広がりのままに
観る側に伝えていきます。
交番のシーンに描かれた日常から
その時々の生活の実感が広がる。
祖母の異変に気付いた時の驚愕、
痴呆が進んでいく不安、
とまどい、苛立ち、
忘却のなかにも薫る愛情の質感や
次第に失われていくもの。
祖母や孫を取り巻く
街の雰囲気まで含めて
それらが語られるというよりは
いくつもの肌触りをもった
記憶の質感のなかで観る側に伝わってくるです。
祖母の気持ちの断片が
花の育て方を書きつけた紙片に込められて、
あるいはケチャップを買い込む姿に
よしんば機能しなくなった想いであっても
孫を思う気持ちが孫の諦観と重なりあって。
祖母の抗いや愛情の奥行きが
孫や警察官たちの想いとひとつの時に
編みあがっていく。
それは、
ひとつづつ、それぞれに咲くがごとくの
シーンに費やされた時間でなければ描きえない
感覚・・・。
舞台の上手に創られた造形に
その姿をみつめる存在がおかれて
出来事と共鳴していく姿が
物語の視座をすっきりと現わしてくれる。
なんだろ、
たとえばつらかっとか楽しかったとかいう
感覚のタグが外れて
ひとつずつの刹那の
細かい粒子で描かれた実存感やいとおしさが
そのままに観る側に残る。
気が付けば
ただひたすらに
舞台上の個々の出来事の感覚に
取り込まれておりました
満足度★★★★
劇団の力量がしっかりと伝わる
ちょっと複雑な物語も
すっきりと伝わってきました。
キャラクターの伝わり方が
とてもしなやかで、
それゆえに、
物語のコアとなっている「記憶」の形状
鮮やかに観る側に訪れました
ネタバレBOX
劇団員だけの舞台、
登場人物は5人。
物語は、現代をすこしはみ出した
近未来の態で描かれていきます。
記憶をチップに収めるという
今の技術ではありえないけれど、
すいっと観る側に存在してしまう
その仮定がまず秀逸。
それを戯画化しての説明にも
何かをシンプルに伝える手練が感じられて。
しかも、チップ化という概念は
次第に記憶そのものの確かさや危さ、
さらには自らの記憶のありようや、
そこに紡ぎこまれた恣意の姿にまで
観る者を導いていきます。
あたかもチップのごとく厳然とした記憶があって、
その一方で記憶自体が
抹消されたり改変されていく姿に
人が自らについて積み上げていく物語の
書き込みや読み込みの不完全さの必然が浮かび上がる。
その絵姿や感覚に
観る側が柔らかく深く閉じ込められてしまうのです。
語り口がとても安定していて、
決して単純な物語ではないにも関わらず
内包されたロジックにそのまま惹きこまれる。
コンパクトに観る側の掌のサイズに組み上げられ
その中に彼らが共有する真実が
しなやかにその場をうずめていきます。
ちょっとした仕草をトリガーに
天井に吊られた物たちがその場に降りて
記憶がメインメモリーに蘇る刹那が
驚愕にとどまらない
インパクトをのせた切っ先としてやってきて。
終盤のサザンカとボタンの散りゆく姿の比喩も
観る側に語られた「記憶」の肌触りを
すっと形に束ねて観る側においていく。
様々な表現に込められたニュアンスの
ひとつずつがほんと秀逸。
しかもそれらが単発で訪れるのではなく
重なりあって
生きることの質感にまですら昇華していくのです。
しかも、この舞台、
役者たちの出来が本当によくて・・・。
カムヰヤッセンの役者たちひとりずつが
単にシーンを支え広げる筋肉のようなものに加えて
空気の粒子を個々に染めていくような繊細な表現を
しっかりと身につけていることを実感できました。
客演などで鍛えられた側面もあるかもしれません。
とにかく観る側がそれぞれのお芝居へと
そのままにゆだねられるのです。
父子の物語として、3人の男優がきっちりと
個々のキャラクターを作り上げていきます。
2人の女優は物語のなかでは
傍系の位置にあるのですが、
彼女たちの醸し出す空気が
物語の枠や色をしなやかに編み上げていく。
それぞれがそれぞれに映えるようなバランスのとり方が
しなやかで、安定していて、ぶれない。
初日ということで
多少のギクシャクらしきものはあったものの、
作品全体としてはまったくの許容範囲。
作・演出の才能の発露に加えて
劇団としての演じ伝える実力を
しっかりと感じることができる舞台であったと思います。
満足度★★★★
大人のテイストに魅せられて
ふらっと観に行くにしては
ちょっとお芝居が面白すぎるかも(褒め言葉です)
物語も役者のお芝居も、
ごまかしがないというか
お酒の酔いなどどっかに吹っ飛んでしまうほどの
しっかりとした作りがあって。
引き込まれて、
モスコミュールに口をつけるのも忘れて見入ってしまいました
ネタバレBOX
ルーズにつながる会話劇の連作なのですが、
それぞれの男女関係が
けっこう大人の味で、
後味に甘ったるさがないのがよい。
創り手が、
男女の関係を切り取るやりかたが、
単純にあるがままを描写したり
その質感を醸し出したりといったのとは
一味違っていて、
個々の関係がすっと一皮よけいにめくられている感じ。
まずは
強がったりいきがっている男の薄っぺらさの向こうに
それを上手に掌にのせている女性のしたたかさが
見えるという構図にしっかりと捉えられる。
令嬢とホストの関係にしても、結婚詐欺の間柄にしても
金貸しと債務者の関係にしても・・・、
第一印象とは裏腹に
女性の方が一枚上だったり、大人だったり。
その部分だけでも、
通常の劇場で演じて
陳腐化したり白けたりすることはないであろう
内容なのですが、
リアルなバーで演じられ、
カウンターごしの女性バーテンダーがからむことで、
その関係の基準線がすっと引きなおされると
今度は女性側の想いの生々しさや頑迷さのようなものが
浮かび上がってくる。
道化や狂言回しを担うにとどまらず
観る側の感覚が彼女によってなにげに後押しされることで
物語の見え方がすっと広がり
男と女の距離のありようや、
感覚の相違、
そして二人の間にあるものの機微が
鮮やかに伝わってくるのです。
ラストの、
バーカウンターの内側のエピソードも
さりげなく秀逸で、
それまでの物語たちの余韻をそのままに、
お酒の美味しさが損なわれない終わり方。
単に腕を見せつけるるだけではない
創り手の懐の広さを感じたり・・。
役者も一級品、この空間でみるお芝居は
とても贅沢だと思う。
まあ、それにしても、バーというのは不思議な場所で・・・。
もし演じられる場所が喫茶店のような場所であれば
これほどまで男女の機微が
骨太には表現できなかったように思う。
あるいは劇場だったら、
なにか別の工夫がないともっと物語が生臭くなったかも・・・。
この雰囲気かだから現出してもあざとくならない
キャラクターたちの本音のようなものを感じて。
公演期間の比較的前半に観に行っているので
できることなら、後半にもう一度拝見したいのですが・・・。
秀逸な作品なのに
さらに満ちる余白を感じたりもしていて。
とはいうものの、さて、時間がとれるか・・。
満足度★★★★★
抜群のセンス
お芝居の質感というか肌触りが抜群によくて、
時間を忘れて見入ってしまいました。
昔の映画に出てきそうなアメリカの香りを失うことなく
でも、しっかりと斬新さが織り込まれて
さらには人生を俯瞰するような場所にまで
観る側を導くしたたかさを持った
出色の舞台でありました。
ネタバレBOX
恣意的にどこか薄っぺらい装置、
一幕はそのなかで、
物語の仕込みがしたたかになされていきます。
舞台装置にどこか似合った
平板を装いながら、
隠しきれない表現の豊かさとともに
物語の骨格が組み込まれていく。
お芝居がきっちりとなされていくなかで
たとえば登場人物の説明口調や主人の独白などが
心地よくリアリティを踏み出して、
観る側を飽きさせない小ネタが
ジャブのように効いて。
役者たちのお芝居が場を凌駕するほどに豊か、
登場人物それぞれの、
どこか人を喰ったような人物表現の秀逸に目を奪われる。
びとりひとりの人物像がくっきりとふくらみを持って描かれ
舞台装置や照明、さらにピアノの効果も抜群、
作りこまれた間や演劇的な約束や嘘までもが
舞台の深浅をシーンに合わせてしやかなに操って。
そのなかでキャラクターたちのロールが観る側に
実はとても丁寧に渡されていく。
この物語の狂言回しの存在もさりげなく埋め込まれて、
気が付けば必要なものはちゃんと観る側の手のうちにあって
舞台の流れに心地よく浸されているのです。
その仕込みが2幕以降に、
さりげなく、でも、目を見張るほどに機能していきます
翻訳劇ってシチュエーションを理解したり
人物の名前を覚えることに
集中を裂かれたりするのですが
この舞台にはそれがない。
原作が持っているであろうコメディの底力が
観る側をがっつりとつかんでいく。
物語の構造が見えているから
ベタな舞台の造りが
安っぽさにならず
ニュアンスを強調するメリハリになっていく。
その強弱が物語の表層的な部分を笑いに変えていくだけでなく
登場人物たちの背負う普遍的な心情を
現出させていく。
帽子屋のドタバタのリズムの良さ。
ベースは一幕でもらっているから
広がっていくシチュエーションに迷うことがなく
その先にある帽子屋の女主人の
最高のレストランへの執着にも唐突さがなく
突き抜けたように可笑しい。
舞台に醸し出される
なにかが解き放たれたような混沌は
彼らにとって場違いな
バッテリーパークのガーデンレストランで
慇懃で洗練されすぎたギャルソンたちや財布の流れに煽られながら
問答無用な面白さとともに
さらに満ちていくのです。
そこまでに作りこまれているから
終盤、
舞台がコンサバティブな雰囲気から
リフトオフして現わされるものが
物語から乖離せずにしっかりと伝わってくる。
さりげなく壁の部分に物語のタイトルを書きこんで、
観客を内に入れず外において
物語の収束を俯瞰させて・・・。
ちょっとしたこと、馬鹿と分別、そしてお金・・・、
冒頭に主人公の一人として
あざとくしたたかな台詞にのせられ紹介(!?)された
その女性の言葉が
物語をエッジの効いた小粋な人生のエッセンスへと
昇華させていく。
冒頭から終幕まで
役者たちのお芝居には抜群の安定感があって。
美術にも物語が映えるような工夫や創意に加えて
広い舞台をきゅっと濃縮させるような力もあって。
場ごとの雰囲気にも魅せられて
一つずつのシーンに飽くことなく取り込まれて。
すっと拡散していく笑いと
コンテンツをしっかりと持った笑いのそれぞれの洗練に
2時間ごえのお芝居があっという間。
良い舞台を観たときの
ほっこりと満ちた高揚感とともに
劇場をあとにすることができました。
満足度★★★★
愛情の匂い
客観的に見れば、
決して幸せになれそうもない男女なのですが、
そこには、愛情の陰陽が発する香りが
甘いとか苦いとかではない
もっとリアルなフレーバーでえがかれていて。
じっくりとその雰囲氣にひたってしまいました。
ネタバレBOX
劇場にはいると、そこには互い違いに3つの空間が並べられていて、
その間に客席がおかれている。
正直居座る場所にはかなり迷いました。
でも、舞台が始まって観ると、
会場にはある種の空気が満ちて行きます。
何だろ、すれ違った想いが
同衾している時の
男女の求める気持ちと、
すれ違う感覚が
醸し出す肌触りがそこにはあって。
物語が流れていく中で、
男女のチグハグさに惹かれて
やがて、それぞれの空間での顛末に
観る側が釘付けになっていくのです。
それぞれのエピソードを
緩やかに束ねていく
一人の男の存在なども
部屋の内側の二人だけの世界を
劇場全体の空気にしなやかに織り込んで
したたかだなと思う
ホテルの物語ですから、
艶かしい声色も、
露出度高めの部分も必然的にあるのですが、
観る側の視線を肌にとどめない力が
舞台の流れにはあって・・・。
そこには、危うい事情や
刹那の感情だけでは説明できない
男女のもう一歩踏み込んだ想いをえがこうとする
作り手の視点の確かさがある。
よしんば、それが男女のフィジカルな関係の描写になっても、
そこには細微な心情が満たされているから
シーンが浮かないのです。
ホテルを舞台に
男女のつながりの脆さにとどまらず
強さや断ち切りえないものこそが
しなやかに描かれて・・・。
鮮やかな終幕に息を呑む中、
作り手が見据える愛情の質感が
深く伝わってきたことでした。
満足度★★★★★
創作する姿にとどまらず・・・
初日を拝見。
寓話と現実を編み上げながら、「創作」という行為に真摯にむかいあった作品でありました。
作り手の内面を浮かび上がらせるにとどまらず、
それらを裏打ちするものの普遍性までも描き切る作家や役者たちの力量に圧倒されました。
ネタバレBOX
物語はオズの魔法使いの冒頭から始まります。
竜巻で飛ばされたドロシーが、
自分の家に帰るために魔法使いに会いにいく。
その物語が一つの柱として提示される。
下手には作者が物語を紡いでいく姿。
舞台のファンタジーに観る側を惹きつける力があって、
観る側が物語にすいっと入り込んでしまう。
その一方で、喫茶店では「トキワ荘」よろしく
創作を目指す男女が作品の批評を互いにしていて・・・。
そこに、冒頭の物語の作家が訪れることで、三つ編のように舞台の世界が織り上がっていきます。
オズのエピソードと作家の卵たちが抱えているもの、
互いが互いを照らし出していくような表現の鮮やかさに息を呑む。
エピソードは本の世界を抜け出して
作家の姿を寓意化してしなやかに描き出し、
作家の卵たちの姿はエピソードに
リアリティや細密なニュアンスを与えていきます。
それぞれが縫い合わされるにとどまらず、
表裏にならなければ見えないものが双方に広がっていく。
やがて、その融合は溢れるように進み、
ドロシー/作家はもちろんのこと、
まほうつかいや魔女たちや魔物までが喫茶店を訪れる人物たちの世界と縫い合わされ、
舞台は観る側をがっつり凌駕していくのです。
浮かび上がること、
それは創り手や彼らを支える側の現実であり、
行き場を見失った想いでもあり、
苦悩でもあるのですが・・・。
観る側が心打たれるのはその姿にとどまらない。
なにかを創作していく構造、
何かが欠けていること、
欠けているものが満たされないこと、
でも満たされないからこそさらに書き続けていくということ。
それはきれい事などではなく、
時にシビアで残酷で、
どろどろと混沌として作り手を捉えているもの。
オズの世界と縫い合わされた作り手たちの世界は、
その混沌をもしなやかにエピソードに織り込んで
普遍性を持った創作のメカニズムとしてみる側に伝えていく。
作家は家に帰ります。
でも、それで欠けたものが満たされたわけではない。
作家の卵たちもひと時バラバラになります。
でも、それは、欠けたものが埋められたからではない・・・。
目をそむけて諦めることもできただろうに、
彼らは創り続ける。
時の重なりのなかでさらに歩みをすすめる彼らの姿から醸し出される、
それぞれが「創作」を背負うことの質感に
強く浸潤されたことでした。
役者たちの演技も実に秀逸、
ステレオタイプではない
一歩踏み込んだようなキャラクターに対しての貫きがありました。
そのことで、舞台から醸し出される寓意が概念ではなく、
瑞々しいリアリティに落とし込まれていて。
観終わって、しばし呆然。
やがて創り手の冷徹な視点と繊細な感性、
さらには創り続けていくことへの熱がゆっくりと心に降りてきて。
この作品、ずっと記憶にとどまると思う。
それほどに、秀逸な舞台でありました。
満足度★★★★
単なる群像劇にとどまらない秀逸さ
2つの世代の群像劇なのですが、
世代を越えて醸し出されるサークル活動の感覚に加えて
単に人間関係を綴るに留まらない
「表現する」才能が浮かび上がる為の
軋轢の普遍性にも目を奪われました
ネタバレBOX
物語は大学の映画研究会、
新校舎への移転ということで部室も引越しをするらしい。
現役世代の準備の風景と、
さらに同期の結婚式もあって、
その場に集うOBの物語が、
観る側をあきさせない語り口で綴られていきます。
OBたちが部室に残したダンボール箱を入り口に
今の時間に、その時代の物語が差し込まれていく。
何かを作り上げたいという想い、
作品を作り上げ、認められるがための
様々な苦悩・・・。
さらには、作品が力を持ったとき、
浮き彫りになる、
仲間同士の思いの違い。
仲間を抜け出して
ひとつの才能が世に認められるための
様々な葛藤。
学生生活の感触に加えて
同期や仲間という感覚のなかでの、
お互いを想うことと利用することの端境の曖昧さや
仲間内での思いや才能の差異が、
物語にしなやかに織り込まれていて。
二つの世代の物語が交わることで、
時代や雰囲気は違っても、
何かが抜きん出て世にでる中での
軋轢や戻ることの出来ない時間の普遍的な側面が
鮮やかに浮かび上がってくる。
部室にかもし出されたその感覚に
さらに失われるその姿を記録し、
何かを作り上げようとする
もう一つ次の世代の姿がそこにはあって。
それらが一つの光景として
創作の志を持って映像に収められて行くラストシーンも
とても秀逸。
役者達のナチュラルにテンションを持ったお芝居に支えられ、
単なる群像劇にとどまらない、
その時代の才能が生まれていく泥臭さまでもが
しっかりと伝わってきて
心を奪われたことでした。
満足度★★★★
刹那をくっきりとあからさまに
比較的シンプルな舞台装置の中
とてもオープンに役者たちの描く世界に導かれて。、
そのコンテンツには意外なふくらみがありました
ネタバレBOX
日本語字幕の回だったので、
アドリブなどまったくなく
台詞はすべて台本の通りだったことがわかりつつ、
とても自然体に感じられる空間の
その広がりが醸し出す、
即興のような肌触りがとても好印象。
実はとてもしたたかな台本で、
幾重にも感性のベクトルが重なった作品。
それを4人の女優たちが
どこかPOPに、観る側に負担をかけず、
リラックスした感じで
舞台に広げていきます
冒頭の読書から広がっていく世界。
まあ、ところによって
いろいろと下世話な内容だし、
それがあっけんからんと語られることが
けっこう印象に残ったりもするのですが、
でも、思い返すと、横浜と川崎の話や
さらにはちょっと不可思議ないろんな場所の位置や
いろんな知識や揶揄や
生理的にやってくるものまで
さまざまに浮かび上がるものが
ルーズにつながって流れていく感じに
そのまま引き入れられてしまう。
ふっと浮かんだようなのりや
戯曲の一部分や
いろんな概念や知識、
ジャブのようだったりちょっと毒のある悪口、
歌のワンフレーズ、
そのたもろもろ。
読書をしていた時間が解けて
そこから解きほどかれたものたちが
心を占めていくような感触がしなやかに伝わってくるのです。
間の使い方がとても効果的・・・。
話題がすっと塗り替わる感じにも
心の移ろいと同質の滑らかさがあって。
想像でしかありませんが
ガールズトークののりって
女性たちの想った事がそのまま供されて
連鎖していく感覚なのかとか
妙に納得したり。
椅子の位置で
読書をはなれて思うことのふくらみが
次第に広がっていくような
感じもやってきて。
で、満ちたなかで
四人の女性たちがさらに解けて
素に戻っていくその醒め方にも瞠目。
コーヒーを飲んで読書をしている
ひとりの女性に収束していくラストにも
それまでの広がりを受け取るだけの
クールな切れがあって鮮やか。
終幕して拍手をするなかで
目の前に広がっていたものの向こうにある
女性のありふれた瑞々しさにとりこまれていることに気づく。
なんだろ、まさにファミレスの隣の席で
読書をする女性の心の内を垣間見たような・・・。
そのビビッドさに
作品の秀逸さを強く感じる。
まあ、舞台のクオリティを支えているに足りる
役者たちの表現の確かさがあるから
成り立った世界だと思うのです。
でも、それと同じくらいに
作り手の描く切り口と
観る側の視点がさだまった瞬間に
違和感が消えてしまうようなその語り口のしたたかさにも
舌を巻いたことでした。
満足度★★★★★
デフォルメはされているけれど、
そして、そのデフォルメぶりが
とんでもなく面白いのですが、
それを腰を据えて面白いと感じられるのは
きっと、母なり恋人なり、
男なり女なりに織り込まれた普遍性が
作品をしっかりと支えているからだろうと
おもったり。
単に笑い転げるのとは少し違って
心に残る味わいのある
文句なしの面白さでありました。
ネタバレBOX
いろんな意味で設定の突飛さと
リアリティのバランスが絶妙にとれた作品だと思います。
たとえば、ジャンボな子供を産み落とす女性の男性との関係にしても
元夫、職場、一夜の出会いとオールラウンドなのですが、
役者のお芝居から
それを観る側に納得させてしまう
キャラクターの実在感ががしっかりと作り上げられていて。
どこかクレバーな部分や強さ、
そして揺らぐ気持ちや脆さが
ひとつの個性のなかに違和感なく作りこまれている。
観る側が、そのあるがままに、
ゆだねることができる秀逸さがあるのです。
それは、彼女をとりまくキャラクターたちの現わし方にしても同じこと。
元夫のスタンスの取り方にしても、
元勤め先の上司にしても、
スタンスの取り方に絶妙なふくらみがあって
その関わり方の可笑しさをたっぷりと醸しながらも
物語が奇異なものに乖離していくことがなく
観る側の感覚にどこか馴染む。
その空気があるから、
医師の終盤の行動にしてもしっかりと物語に刺さっていくし、
よしんば女性の超常現象が絡んでも、
その踏み込みがしっかりと物語に絡んで浮くことがなく
ある種の感覚を伝えてくれるのです。
そんななかでも、
特にフリーターと路上ミュージシャンの二人の存在が
様々な舞台上のデフォルメを
さらにしっかりと観る側の感覚に縫いつけていきます。
その関係は終盤に逆転して、
デフォルメされた世界から、
ありがちな「出来ちゃった結婚」プロポーズの
互いに踏み出す心情を
素敵なインパクトとともに浮かび上がらせていく。
ジャンボベビーの献身的な演技の秀逸さにも瞠目。
仕草の一つずつがやたらに可笑しく、
それが親戚のハイハイを始めた子供の姿に重なると
可笑しさがさらに増して・・・。
実は、とても実直につくられた物語だと思う。
役者たちが紡ぐシーンのひとつずつが
観る側が内心に持つ感覚に紐づいていて
だから、様々な誇張やとほほな感覚すらも
心を引っ張ってくれるのです。
苦笑系喜劇とはよく言ったもの。
その苦笑を引き出しうる作り手の描写力に取り込まれ、
役者たちの秀逸なお芝居に
自らの感覚をゆだねて。
暖かさとどこか凛と醒めた感覚のそれぞれに
たっぷりと浸されたことでした
満足度★★★★
高揚にドライブがかかって
しっかりと作りこまれた前半によって
中盤以降の展開が崩れることなく
文字通り観る側を巻き込んでいきました。
終盤、その場の高揚は
さらに、強く鮮やかに昇華して・・・。
終幕にがっつりと取り込まれてしまいました。
ネタバレBOX
イヨネスコの戯曲が上演されるのをみるのは
これが初めて。
劇場にはいると左右に3列の客席。
舞台に当たる部分の上方と入口にモニターが並べられていて。
椅子が二つおかれたその場所で
静かに物語が綴られ始めます。
前半、老夫婦の生活の実感が
しなやかな役者の演技からしなやかに満ちていきます。
台詞や動きの一つずつが
繊細な描写と絶妙な身体によるデフォルメで場を形成し、
そこに暮らす二人の人生のあり方を浮かび上がらせていく。
夫の仕事のこと、
妻の夫への愛情、
変わらずに繰り返される暮らしのこと、
息子のこと、
人生に満たされたことと、裏返しの後悔と・・。
夫婦が一つに束ねられるのではなく
そこにはそれぞれの想いがあって。
だからこそ、夫婦の実存感にぐっとひきこまれる。
そのなかで、夫が語るべきことがあり、
伝えるために人が招かれる予定であることが
次第に明らかになってきます。
客人たちの前で
夫のメッセージが発表されるという。
そのメッセージはとても有意義で、
大切なもので、
それゆえに夫自身からではなく
有名な弁士によって語られるというのです。
そして
愛情にあふれた、
でもどこか閉塞した
二人の空気が十分に満ちて、
さらなる行き場を探し始めたとき、
ほぼ素舞台であったその場所が
一気に色を変える。
突然ラップで演出家が現れて
ブレイクタイムのような感じで
段取りが定められて行きます。
なんだろ、突然、
今様の演劇マシーンが舞台に持ち込まれたイメージ。
それでも
場はなめらかにテイクオフをしていく。
そして、客人のロールを持った観る側が舞台に導かれ
演劇としてのその場所に客が訪れるのです。
少しずつ加速度をつけて
観る側が舞台の一部に取り込まれていきます。
最初はひとり、
呼び鈴がなって、また、ひとり。
彼らは夫の旧知の人物にも思える。
続いてカップルが訪れ、
新聞記者の団体が現れ、
妻はその場に並べる椅子を忙しく探し始めて。
それは夫婦それぞれの記憶や想いが
溢れだしていく姿にも思えて。
さらに留まることのない来訪者に
妻は椅子の調達に奔走し、
夫は対応に追われていきます。
映像や音が舞台の高揚をがっつりと煽り
気が付けば舞台は並べられた椅子で満ち
来訪者に満たされ
立ち見が出ていることまでが語られ
挙句の果てにはパンフレットまでが売られ、
夫婦それぞれが互いの居場所さえ見失っていく。
次第に加速度をつけていく
狂騒とも思える状況に誘われて
椅子に移動してみると
坩堝の中でのしっかりした混沌がそこにはあって・・・。
最後に皇帝が現れるに及んで
その広がりの常軌の逸し方が
まるでドタバタ喜劇を観るがごとく
どうしようもなく滑稽ですらある。
そこまでに場が満ちたなかに
満を持して弁士が登場。
舞台上での老夫婦の高揚は頂点に達して。
でも、舞台の熱や、
夫婦の死を引き継いだ弁士の言葉は、
聾唖者の態で語られるのです。
彼は一生懸命伝えようとするのですが、
よしんば何かの想いがあることは伝わっても
それは言葉として明確に伝わるわけではない。
想いに加えての苛立ちまでが
喧騒が霧散して静まり返った舞台に
貫かれた表現で醸し出されて。
その、どこかシニカルな風景から
夫婦の天に召されたすがたが現わされていくのには
ぞくっとなりました。
弁士の想いが突き抜けて、
明確な言葉へと昇華した刹那、
観客に老夫婦のともに生きた時間の軽さと重さが
ともに降りてきて。
観る側が自ら過ごした、
さらには自分が今過ごしている時間の軽重に
重なっていくのです。
初日ということでもあり、
演じる側にも多少のとまどいはあったように思います。
観客を導くあたりで空気が一瞬止まったり、
ラストのシーンで弁士が表現の場を作るあたりに
若干の躊躇を感じたり。
とはいうものの、
それは、きっと公演を重ねるに従って
進化し解消していくことにも思えて。
役者たちの演じる力の確かさを思いおこすにつけ、
さらにいろんなベクトルに育っていく
作品なのだろうと思います。
観客の間でも
それなりに好みが分かれるお芝居なのかもしれませんが・・・。
すくなくとも
私にとっては
作り手の常ならない創意と
役者たちの秀逸に
しっかりと圧倒された舞台でありました。