満足度★★★★★
きっちりと作りこまれた緩さ
ぞくっとくるほどにしっかりと作りこまれた「緩さ」に
持っていかれました。
観終わって、あとから、
実は凄いものを観ていたのではと思わせるだけの
クオリティもあって・・・。
観にいけてとてもラッキーだったと思います。
ネタバレBOX
会場の雰囲気にしても、
冒頭のコーラスにしても、
「30代女性によるの文化祭」の態を作りこんでいて。
なんというか「文化祭」がもつどこか仮作りの雰囲気が
うまく醸されているのですが
なにせ、30代の、キャリアのある
それぞれの分野での技量をしっかりと持った演じ手たちですから
出し物たちの作りには
しっかりとした品質があって・・・。
ダンスには、
洗練されたエスプリやエロティシズムに
鳥肌が立つような躍動感が
しっかりと織り込まれていく。
短篇の芝居(4日のみ)には
作・演出(シンクロ少女・名嘉友美さん)らしい
したたかな構造があって。
役者たちの舞台の組み上げ方や空気の醸し方にも
舌を巻く。
これ、マジでおもしろかった。
歌のパフォーマンスにもエスプリがあって
半歩突き抜けた感じに
じわじわ引き込まれていく。
短編映画の後のパネルディスカッションも
どこか虚実が入り混じっていて
ふくよかに可笑しい。
こちらも、演じ手が、カルチャーの態を崩さずに、
ある種のクオリティを持ったゆるい笑いを創り出していて、
観る側がその世界にするりと取り込まれてしまう
マトリョミンなどという
テルミンの応用みたいな楽器も初めて観ました。
その何ともいえない音質が
ウクレレとの合奏で醸し出すものにも
30代女性の少しの諦観と
たくさんの想いの肌触りがあって。
選曲も良くて
「30代女性」のナチュラルな質感に
さりげなく包みこまれる。
また、入場時や休息中に観た会場のインスタレーションにも
遊び心のなかに、30代女性の過ごしてきた、
あるいは過ごしている時間を感じることができるのです。
この催し、際立った派手さはないのですが、
連休中にふらっと足を運ぶのには
実におすすめな企画だと思う。
肩がこらずに楽しくて、
で、気が付けば
「なんかおもしろいものを観た!」みたいな感覚が
さりげなく残っているのが
凄く良い。
がんばって数年間、
この時期に開催を継続していけば
同じ場所でお正月に定例化した新年工場見学会のように
演劇界の一つの風物詩として
定着するような気もします。
それだけのアイデアと品質をもった
催しでありました
満足度★★★★
作品ごとの力と両編上演の力
花編⇒犬編の順番で観劇。
まっとうにいくなら、逆の順こそが
正道だったような気がします。
しかし、一日で(一時間程度のブレイクで)
この順序で両編をみたことで
正道では見えなかったであろう
それぞれの演出の巧みさを感じることができました
ネタバレBOX
実際にやったわけではないので
確信を持って言えるわけではないのですが、
多分犬⇒花の順で観る方が物語自体への理解は
より深まったように思います。
でも、花⇒犬の順序で観ることによって
花側で受け取ったイメージが
犬を観終わった高揚のなかで
フラッシュバックしてくるような物語のエキスの蘇りを
体験をすることができました。
・花編
入場すると舞台上に白衣や看護婦姿の出演者たち。
心中をしたように倒れている医師と看護婦がいて
他の看護婦がその髪をレイアウトして遊んでいたり・・・。
また、観客の知り合いに挨拶する出演者がいたりで
会場全体に、どこか常ならぬ雰囲気が満ちていきます。
実は描かれるシーン達の脈絡が希薄な舞台なのですが
でも30歳を超える役者たちの洗練を持った演技は
刹那のニュアンスをいろんな強さや形態で
空間に満たしていきます。
語られる物語に強いFuzzがかかって
その流れに意図的な歪みが作られているような気がする。
この時点では元々の作品の構成があまりわからないから
どうデフォルメされているかすらさだかではないのですが、
それでも感じる舞台上の肌合いがあって
見え隠れする物語の印象が
キャラクターを超えてダブり、
ときにはいくつもの想いがひとりの役者にかさなり
あるいはひとつの想いが何人もの役者に分散して
歪みの感触とともに伝わってくる。
舞台的な手法の範疇での
戯曲が含有する世界のアブストラクションなのだろうし
テキストやシーンには
役者たちのしっかりしたベースで担保されているので
物語の質感がすべて滅失するわけではないのです。
だからこそ
白を基調とした舞台に
役者たちそれぞれの醸し出す個性、
洗練と何とも言えない下世話な感覚が
物語から抽出されて
観る側から抜けていかないし消えない。
どこか掴みどころのない
でも明らかに実体を持った不思議な感覚につつまれて
呆然として、劇場を退出したことでした
・犬編
花編から1時間強の間をおいて拝見。
非常にくっきりとした印象を持った舞台でした。
物語が本来持っているであろう匂いが舞台から伝わってくる。
人間関係というか、
犬までを含めた
舞台上の構造が次第にあからさまになっていくに従って
その汚れのような部分を超えて
個々のキャラクターたちの生々しい想いが溢れだしてくる。
個々の台詞のしなやかさと強さ、
音、犬の肉を押し込んだ布袋、
戯画化されて演じられる犬の姿・・・
ばらまかれる写真から垣間見える猥雑さ。
物語の流れのなかに形として描きこまれたものを
的確に舞台に具現化させる
演出や役者たちの手腕に目を奪われる。
ただ、そこから醸し出されるものを、
そのままリアリティと呼ぶには少々違和感があって、
それは、強いて言えば、リアリティの色と輪郭を強調したような感覚。
焼き鳥(?)屋の女の恋心にしても、
犬とりの兄弟それぞれの想いにしても、
その兄を思う女が内包する炎にしても・・・。
エロ写真を盗み売る弟の心情にしても。
言葉では表現しにくいのですが
舞台上に溢れるものと
舞台から流し込まれてくるもの感覚が
どこか違う。
目と耳と空気の肌触りで受け取る舞台づらが
激しさと粗っぽさと熱に汚れていく中で
観る側にはキャラクターたち個々の
純化された心情のコアが浮かび上がってくるのです。
終盤、
姉と弟と犬を演じる3人の女優が
それぞれの心情を観る側に流し込みながら
一つの空間に作り上げた空気が圧巻。
兄弟たちと焼き鳥屋の女それぞれにも
一つの時間を踏み越える存在感があって。
舞台の空気感にがっつりと取り込まれ
でも、その熱にもまして
後に残ったキャラクターたちの繊細な想いに
席巻されたことでした。
で、両作品の印象をそのまま抱いての帰り道、
ゆっくりと化学反応がおきるように
電車の中で、犬編のキャラクター達の
繊細でくっきりした心情が
花編で表されたキャラクターたちの
アブストラクトされたような想いと重なるのですよ・・・。
理性の領域では二つの作品が繋がる感じがしないのですが
最初は少年のキャラクターに
ふたつの舞台からやってくるひとつの膨らみを感じて
やがては全く違ったテイストで描かれた
登場人物のそれぞれが
共通したひとつの個性として描かれているように思えてくる。
そうすると、上手く言えないのですが
花編のいろんなシーンがすっと解けて
そこで描かれたキャラクターたちの想いが
犬編と同様に細かい粒子で表現されているような
感じがするのです。
ひとつの戯曲から表された二つの世界、
その違いと共振するものそれぞれに
ゆっくりと強く心を捉えられたことでした。
満足度★★★★
魅力的だが、さらに昇華出来る部分も
歌舞伎などを別にすると、
こんな感じの時代劇って
実はほとんど見たことがありませんでした。
物語自体が良くできていて、
見せ場もしっかりとあって・・・。
まっとうな物語を正当な語り口で
楽しむことができました。
ただ、舞台のクオリティには
さらに進化していく余地も感じたことでした。
ネタバレBOX
靴を脱いでお芝居を観ることが
これほどにリラックスできることだとは知りませんでした。
ゆったりとした感じで物語を追う。
通常だとちょっと気になる暗転の多さも
このテンポの時間の流れだと
ほとんど気にならない。
衣裳や結った髪もあるがごとく感じられて
所作やメリハリの作り方もしなやかで・・・
すいすいっと物語が観る側に入ってきます。
居心地よく物語に浸ることができて
エピソードの展開がしっかりと観る側に残っていく。
その当たり前の如くの舞台の展開に
作り手の力を感じることができる。
ただ、この舞台、
さらに昇華する余地もたくさんあるように思えて。
役者たちの台詞などにしても
クオリティにばらつきがあって
噛むのはある程度しょうがないのかもしれないけれど
演じるなかで咀嚼されきっていないのではと
思われる部分があったり・・・。
間の取り方や
舞台の空気の密度などにも
スムーズでない部分が少々見受けられたり・・・。
きれいな舞台だし、
その魅力を認識することはできました。
物語ることに関しては秀逸も感じたのですが
一方でこの集団の舞台が
さらに昇華した姿を
観たいとも思ったことでした。
満足度★★★
劇女一番、役者をみせる段取りは生きるが
物語をみせるというよりは
物語を使って役者をお披露目するような印象がありました。
ひとつにくくることができない
いろんな個性が
舞台の設定のなかでしたたかに押し出される。
ただ、舞台の仕組みだけで染めてしまうには
かなりもったいない魅力が役者たちにはありました
ネタバレBOX
物語は太い線でシンプルに描かれている感じで
それだけを伝えるだけだったら
多分60分の尺すら必要ないのだと思う。
むしろ、その物語を纏って
個々の役者の個性や魅力に光を当てる
お披露目公演のような印象がありました。
で、その視点でいくと
公演にはそれなりの成果があったのだと思う。
12人の役者たちの個性が
かぶらずにそれぞれのベクトルを持って表現されているというのは
ある意味凄いことだと思うし、
キャラクターへのあて書きであったとしても
個々の役者にきちんとした見せ場が作り上げられているのも
それはそれで、作り手の才能の表れだと思うのです。
ただ、表現される役者たちの個性は
そこで押し出されている部分のほかにも
ピックアップされずにこぼれている部分がかなりあるようなきがして・・・。
このお芝居でライトを振りあてられた以外の部分での
個性の片鱗もいろいろに垣間見える舞台でありました。
すでに輝いていたり
これから埋もれたものが光り始めたりと
一つのフォーマットでは個々を表現しきれない
集団なのだとおもいます。
集団の中でのロールを単純に定めるのではなく
彼女たちの奥行きに対して柔軟に光を当てていく甲斐性が
作り手に求められる次回公演なのだろうなと
感じたり・・・。
また、今回のように
全員でワンストーリー・ワンステージということだけではなく
いろんなオムニバスをやったり
いくつかのグループに分けて短篇集などをやってみたりで
個々の場数を増やしていくことも
おもしろいのではないかなぁなどと思ったり。
満足度★★★★★
重なりがべたつかず、クリアで深い
物語の進行から
次第に垣間見える時間や想いが
場の空気を重くするのではなく
深くしていく感じ・・・。
重なってはいくけれど
澱まない刹那の
いくつもの空気感に捉えられました
ネタバレBOX
初めての場所だったので
ちょっと早めに会場近くまでいって。
日が長いこともあり、暮れきる前の街の雰囲気に浸る。
会場は坂の途中にあるカフェ。
日もとっぷりと暮れたころ
主宰の方の凛として心地よい
職人技のような客入れを経て
静かに舞台が始まります。
カフェの感触がまずつくられる。
その場のお客さんが去ったり
物語の前半を担う常連さんがやってきたり。
トイレットペーパーのエピソードなども
キャラクターの出掃けの裏付けに留まらない
その店のニュアンスを創り出していきます。
トイレを借りに来てバイトを志願する男の存在も
したたかに差し込まれて
その店の開かれた部分と閉じられた部分が
観る側に肌合いとして伝わってくる。
そのベースがあるから
常連の客と昔の恋人の再会にしても
あるがごとくにすっと入ってくるのです。
二人の関係が
作りこまれ置かれるのではなく
時が次第に場に解けるなかに自然と伝わってくる感じがして・・。
その店の女主人と帰って来た娘が
ひととき常連客に店を託して場を外す空気にも
不思議なくらい違和感がなく
あとには二人だけがその店に置かれたことの
細微でやわらかい揺らぎや
あるがままに広がっていきます。
二人がそれぞれに過ごした時間が
美化されることことなく感情に流されることもない
互いの姿をその場に表す。
満ちていく想いが
場の密度をゆっくりと高めて。
そして、店に男が現れて想いの交わりがさえぎられる時の
すっとテンションが切れる感じが
場の揺らぎにさらなる振幅を与えて。
女性が店を去った後
やってきた客をひとりにして彼女を追う常連客に
観る側の想いまでが一つのベクトルのなかに
しっかりとおさまっていく。
ひとり残された男が、
静謐で居心地の悪そうな時間を過ごす中に
常連客が残していった携帯がなって
カップルの想いの重なりが暗示されるあたりも
上手いと思う・・・。
その、残された男は店の主人の娘が見つけてきた婚約者候補で
やがて戻ってきた女主人と面会を果たします。
母親は男を挑発して試す。
がむしゃらさのないその男は
母親のお眼鏡にはかなわなかったよう・・・。
そこには、母親が過ごしてきた時間とともに編み上げた
人生や結婚に対しての感覚があって、
その枠に捉われることにも、
でも、踏み出し破ることに逡巡する娘の想いが
常連客の想いと同じように、
あいまいな、でも確実に存在するベクトルの中に重なり
そのカフェの時間にゆっくりと吸い込まれていきます。
その場に生まれたいくつもの想いが
したたかな重なりをもって
でも、互いが色を染め合ったりべたついたりすることなく、
それぞれに淡々と深く
店に流れる時間を彩っていく。
終演後にカフェタイムがあって
その場に暫く居させていただいたのですが
なにか、舞台の延長線上の時間に
ふっと置かれているような感覚が残って。
なんというか、観る側としての
舞台上の時間と場所の座標軸が
現実感を持って交わったように思えたり。
私が3・4・5と観た
劇団のhummingシリーズは一応これで終わりのようですが
このような作り手のやり方はさらに続けられるとのことで、
ふたたび作り手が供するであろう
どこかの場所とそこにつくられる時間の揺らぎに出会うことが
益々楽しみになりました。
満足度★★★★
パンチラインの足枷がもったいない
いくつもの秀逸な場面のあるお芝居で
見る側を兎に角最後まで引っ張り切る
力量を もった舞台ではありました。
その一方で
その秀逸さにはもっと大きな伸びシロが
あるように感じました。
ネタバレBOX
前半は新人の面接に始まる
草野球球団のミーティング風景。
ここで物語をしっかりと仕込んで
中盤以降の試合風景では、
いくつものシーンにグルーブ感が醸し出され
物語が引っ張られて行きます。
ダンスがしっかりと機能して
よしんば草野球の設定であっても
シーンのそれぞれに
見る側をゲームの成り行きに縛りつけるだけの
高揚感が生まれていて。
ただ、その中盤以降のノリのようなものが
一つのシーンを抜けて次の局面へと足を踏み入れると
すっと消えてしまいます。
ひとつのドミノが倒れるときの力が
いくつものドミノをなぎ倒すように
つたわっていかないのです。
ある意味、舞台はとても丁寧に
作られているのだとおもいます。
例えば監督の代理が登場するシーンにしても、
折り目正しくしっかりすぎるほど前フリがされていて
だから、そのおかしさは
客席にいる100人がしっかりと拾うことができる・・・。
でも、その時観客は椅子に背中をつけて笑うのです。
本当に見る側を巻き込む笑いというのは
30人が正面で受け止めて笑い40人がその笑いを拾おうと
前のめりになり、
残りの30人はその時に拾いきれず
次の笑いの波で追いついて
纏めて笑うようなものだと思う。
いろんな笑いの要素が
仕込まれているのに、
それをシリアルに一つずつ倒していくことでの
もたつきのようなものが作品に混ざりこんできていて
それが舞台の躍動を阻害している印象を受けました。
アイデアは決して悪くないし
キャラクターの個性も作り込まれている。
場面転換でのダンスを絡めた
屋台崩しに近いようなやり方にはぞくっときたし、
女性へと性を変えたピッチャーが
自らが捨てた男の部分を求める下りなども
うまいなあと思った。
試合のオチもそれなりに機能しているとおもう。
冒頭から同じトーンで重ねられる役者のツッコミや
マネージャーが奥ゆかしく作り出す基準線のようなものに対しての
男たちの駄目さ加減も
台本と役者たちのお芝居で
しっかりと描きこまれている。
それだけに、なおのこと、
律儀に物語を組み上げることによる
シーンの重さというか
観る側を引きずって持っていっても良い場面での
もたついたテイストが散見されることが
この上もなく勿体無く思えるのです。
役者や作り手の才が垣間見えるだけに
一層、作品としての、さらに踏み込めるであろう一歩を
観たい気持ちになりました。
満足度★★★★
岡本太郎の思索のリアリティ
場所、音、そして役者たちの語る力がしっかりと融合して
岡本太郎の思索の流れが
しっかりと足腰を持って浮かび上がってきました
ネタバレBOX
場所は画廊というか美術館の展示室のようなところ。
地下のスペースなのですが、
中央には上階へあがる階段があります。
中央にチェロ奏者が配され、
奥側に20席程度の客席
その中で、役者たちが
岡本太郎の文章を空間に組み上げていきます。
役者達の動き・・・、
始動、停止、方向、緩急・・・
岡本太郎の少年のころの言葉が響く
チェロの音が空間に色を醸し出して・・・。
その部屋はどこか無機質な印象があって
それ故に眼前の絵面が映える。
役者の動きの見える部分と
階段や客席の背後に回って見えない部分が
それぞれに意識と無意識の領域に思えたり。
異国の地で
母の危篤や逝去を知ったときの心情。
父への想い。
そこから、美術への開眼、
グルーブ感を感じさせるような
彼の表現の広がり。
独歩し、境地を築いていくなかで
その部屋全体に高揚が育まれ
観る側に注ぎ込まれていく。
チェロは心情のうねりを刻みこみ
役者の歩みの一歩ずつが
彼の思索を織り上げる糸となる。
作家の感性の昇華は、
やがてその部屋を溢れさせていきます。
CMなどで有名になった
「芸術は爆発」という言葉が記憶に蘇る。
劇中に出てくる言葉ではないのですが、
見る側の記憶に眠っていたその言葉が
ぞくっとくるような裏付けをもって
降りてくる。
そこには頂きに達して、なおも歩みを止めない
稀有なる天才の精神世界があって、
彼の言葉に織り込まれたまばゆいばかりの感性の洪水に
観る側はひたすら圧倒されてしまう。
観終わって、暫く呆然。
ほんと、深い感動に包まれた。
包まれたのですが、
その一方で、なんだろ、
目が眩んて、岡本太郎の息使いを
感じきれなかったような
感覚もあって。
自分が抱えたものより大きな感覚が
そこにあるようにも思えて。
あまりの力感に
圧倒されすぎたのかもしれません。
満足度★★★★
重すぎずに奥行きがある
楽日ソワレを拝見。
個人的な事情で
ちょっとお疲れの感じで劇場に足を運んだのですが、
それをすっかり忘れて舞台に集中することが
できました。
。
ネタバレBOX
眠りのリズムの狂った感覚と
記憶の喪失がうまく表現されていて。
シーンの組み上げ方や
ストーリーの流れの作り方が
観る側を飽きさせない。
思いっきり前のめりで観てしまう感じではないのですが、
観る側のテンションが途切れず
うまくつながれていく。
第二ボタンの話や、爆弾の話など
観る側がしっかりと追っていける成り行きが
したたかに過不足なく置かれて、
そこから見えてくるものも
ノイズを感じることなく
きちんと担保されていて・・・。
作り手も役者も力をしっかり出し切りながら
いたずらにテーマを大上段に振りかざして
全面戦争をしていないのが
とても良い。
舞台の空気にしても、
ただ、いたずらに密度をつくるのではなく
でも、切れをもった舞台の展開や
足腰をしっかりもった役者のお芝居で
主人公の内面を濃淡をつけてゆっくりと開示していく。
だから、上手く言えないのですが、
「あっ、そう。」ではなく
「ああ、そうなんだ!」というように
主人公を中心に登場人物の考え方が
とてもはっきりと伝わってくるのです。
役者が創り出すキャラクターの個性も筋が通っていて
それなりのひねりをもった構造の物語が
とてもクリアに見える。
舞台を貫き切った小島明之に加えて
椎谷万里江や長瀬まゆみといったところのお芝居が
役柄ともあいまって目を惹きましたが、
他の役者たちも、所作や台詞のタイミングも
観ていて心地よい。
今年観たこの劇団の3本、
それぞれにクオリティがあって
これなら来月も・・・、と思わせる力を感じることができました。
こういうお芝居なら
たとえば、会社帰りにふらっと寄るのも
とてもよいかも・・・。
満足度★★★★★
観ました
初日に見て、上演時間の長さなどものともせず
楽日前にもう一度劇場に足を運びました。
舞台全体に血がかよい
時代があえぎながらその刹那を歩んでいる感触があって。
非常に印象に強い作品でありました。
満足度★★★★
冷徹な視線が貫かれて
単にシビアな状況を言い連ねるだけではなく
複数の視座から客観的に語られたことにより
作り手が描く世界に立体感が生まれていたように思います。
作り手の舞台を組み上げる様式のようなものが
今回は上手く機能していたように感じました。
ネタバレBOX
開演すると、瞬時に舞台に持っていかれる。
光と歪んだミラーが創り出す世界が
観る側を舞台に一気に取り込んでいきます。
ジグゾーパズルのように
物語が少しずつ組みあがってくる前半部分を
役者たちのメリハリを持ったお芝居が
しっかりと維持していきます。
実をいうと、挿入されるベタな笑いなどが
ちょっと舞台の肌触りを古風な感じにしてしまってもいるのですが、
それでも、観る側を過度に舞台側に引き入れない安全弁の役割を果たし
「鴻上流」のテイストやテンションに劇場が満たされる。
パラレルワールドの話、
共通した記憶をもったままその世界にやってきた男の
戸惑いの描き方や受け入れ方がナチュラルで
観る側は彼を通して次第にもうひとつの世界を受け入れていきます。
現実の世界でいじめを観過ごした彼が、
その世界では、いじめに対してのリベンジをおこなった
伝説の人物のようになっていて。
彼の立ち位置から
役者たちから次第に伝わってくるキャラクター個々の物語を
常態的な出来事として捉える視座が作られていく・・・。
それが、単にいじめや暴力のパターンの羅列であれば
紡がれる物語に
それほど鋭利な切迫感は感じなかったかもしれません。
むしろ、そのテーマに、
言い古されたような陳腐な感覚が付きまとったと思う。
しかし、そこに文学賞を受賞した女性が置かれることで、
物語にもう一つの視野が現出します。
ほとんどの作品がいじめや家庭の問題を描いて落選していくなかで、
彼女はそれらと無縁の生活の感覚を描いて文学賞を取る。
その彼女の存在といじめを書いて落選し続けた男の姿に
不思議な実存感があって・・・。
演じる役者の秀逸が、
いじめによる行き場のない苦悩や
なによりもいじめとは無縁のふくよかな家庭環境がもつイノセンスの色に
リアリティを与える。
彼が解き放とうとするもの、そして彼女が感じようとするもの、
そこには作り手ならではの視座だからこそ
現出する真実があって。
さらには背中を押すという行為、
集団が力を求める構造、
詐欺まがいのことや禍々しいもの。
あっさりと揺らぐ世間、あるいは風潮。
パラレルワールドの別の世界という設定がしたたかに生きて
観る側に、個々が抱え押さえこんでいるものの、
もっといえば抑え込まざるを得なかったものの
箍が外れた先の姿が
一つのシミュレーションのごとく
舞台に現出していきます。
作り手によって
その仮定から導かれるものの終焉に
変わることなく続いていく
現代の構造と、解放されえないことへの失望と
でも、下を向くばかりではなく
前に歩もうとするその世界の人たちの姿が置かれます。
何も変わらないなかでの絶望と、
それでもついえることのない望みが
文学賞を取った女性と取りえなかった男が生み出した視野の先に
浮かんでくるのです。
男は、パラレルワールドから
作り手が編み込んだ視野とともに
観客と同じ世界にもどる。
パラレルワールドでの如く晒されるのではなく
秘され閉じ込められた想いに向き合う彼の姿には
イメージに浮き上がらないボディを持った説得力があって、
浸潤されました。
作り手の作劇には
いわゆる90年代演劇のテイストが残されていて
笑いなどで醸そうとする軽さなどには、
必ずしも機能していない部分もあるのですが、
それでも、冷徹に何かを描き出す力には
初めて第三舞台を観た時の切れ味を思い出させるものがあって。
また、シベ少や空想組曲への客演で
秀逸なお芝居を見せた役者たちを観るにつけても
役者たちが一作ごとの力をつけていることを実感。
劇団の次の作品も観たいと思わせる、
舞台だったと思います。
満足度★★★★
滲み出す個性
キャラクターたちそれぞれから滲み出てくる個性が、趣深く可笑しい。
あり得る設定というか下世話感に上手く取り込まれてしまいました。
ネタバレBOX
20代後半から30代後半の4人の女性、
チームで働いているという設定。
その事務所での人間関係の顛末が
描かれていきます。
キャラクターそれぞれに
実存感というかありえるなぁと思わせる匂いがあって、
しかも、ひとりずつの個性に
しっかりとエッジが立っている。
仕事の先輩後輩という規律が
舞台上にちゃんとあって、
個々から垣間見えるプライベートも仕事場の枠に
つなぎとめられていきます。
キャラクターたちが醸し出す個性も
前半にはそれほどあからさまな感じはない。
でも、作り手の仕掛けが
絶妙に場の空気を変えていきます。
遅刻のことだったり、旦那の浮気の話だったり
カラオケに誘う話だったり・・・。
さらには舞台上のふたり、三人、全員のシーンから
それぞれに違った色あいが生み出され組み合わされていく。
個々の裏側が見えてくる場面や
それが場の空気に収束していく中での
キャラクターたちの距離感の作り方がうまくて、
そこには、なんとも可笑しくて、
でもぞくっとくるくらい生々しい
女性たちの生活感覚が現出していく。
シチュエーション設定、さらには
伏線の貼り方や外し方の秀逸に
演出や役者の力がしっかりと編み込まれて・・・。
終盤、それぞれの個性が互いのリアリティを照らし出すシーンに加えて
物語の収束にも余韻があって・・・。
実を言うと
タイトルの「淑女」の意味はいまだによく理解できないのですが、
そんなことに関係なく、
前作に続いて、「ブス会」を、
しっかりとクオリティを感じさせるブランドに押し上げる力をもった
作品だったと思います。
満足度★★★★
なじみ深い感覚が斬新に映る
川がちゃんとそこにあるから
空気も、感じることも自然にやってくる。
演じ手の方々の汗や
筋肉が働く気配までが伝わってきながら
感じるものはその動きを通り越して
観る側が持つ川の肌触りの記憶と共振していく。
とても不思議なイメージのコラージュを体験することができました。
ネタバレBOX
アトリエ春風舎、
ここのスペースのフレキシビリティには
いつも驚かされます。
今回は、通常の粗い板張りにさらに床材が施され
板張りの広いダンスステージが確保されている。
入って奥側に客席が設えられ、
そこから観た正面に大きなスクリーンが掲げられて。
映像や写真で川の風景が映し出されて
それを借景にパフォーマンスが重なり始めます。
バレエ、ダンス・・・。
舞台を横切る形で流れていくパフォーマー達の動きが
次第に川の感覚に膨らんでいく。
ひとりずつの動きが決して均一ではなく、
クラシックバレエはもとより、ダンス、体操、格闘技といった
それぞれが自らのメソッドを生かして動いていることで
川の流れに様々な複雑さが構成されていきます。
観る側が個々の動きを追うことに慣れ
やがて全体を包括して感じることができるようになったころには、
舞台に自然な感触の川の流れがあって
パフォーマーたちの動きをそれぞれの動きに目を奪われているうちに
風景が生まれ、
さらには肌に川面からの風を受けるような感覚がやってくる。
シーンの重なりはそのまま
川が内包するイメージの豊かさとなって
観る側に伝わってきます。
映し出されるあちらこちらの川、
土手の景色、桜が映える川面、
街のタイトな雰囲気、
東京、京都、ヨーロッパ、世界・・・。
そのなかでのモノローグは
言葉としてではなく透明感のあるイメージとして
観る側に伝わってくる。
身体表現と言葉で編み上げられる河童(?)のイメージまでが
精緻に創られ川からやってくるものとして浮かび上がる。
川の表現とそこから繋がっていくものが
互いにさらなる膨らみを創り出し広がっていきます。
ふっと気が付けば、
その風景を客観的に眺めている
観客の自分の中にある川の記憶までが
その風景に一体化していて・・・。
終わってみれば驚くほどに
心を掴まれておりました。
余談ですが、クラシックバレエの動きを
あんなに近くで観たのは初めてかも。
その華麗さと同時に
しなやかな動きをを支える筋肉の力や
つま先で全身を支え切るバランス感覚の
力感にも息を呑む。
やってくるイメージは馴染みのあるものなのに
常なるものの新しい表情を見つけたような感動が残って。
作り手がさらに築いていくであろう
表現の方向性にも強い興味を持ちました。
満足度★★★★
池袋と青山、それぞれの家族
ハイバイの「て」をほぼ踏襲した内容でしたが、
役者達の味がしっかりとしみ出して、
東京芸術劇場とは肌合いの異なるこの家族の質感があって。
それはそれで、時間を忘れて、
青山円形の家族の刹那にとりこまれることができました。
ネタバレBOX
この作品のハイバイバージョンは
東京芸術劇場での再演にすっかりはまって、
めり込むように公演の2度観までしています。
それは鳥の糞を目印に重ね合わされる物語の表裏に
単なるネタバレ的な時間の繰り返しにとどまらない
家族のぞくっとくるような関係性や
伝わってくる個々の内なる想いの鮮やかさに圧倒された
舞台でした。
その時の「て」と観たものと今回での作品の構造は
概ね変わるところはありませんでした。
にもかかわらず、
青山円形劇場の舞台からは
ちゃんと円形劇場の家族の匂いがする。
父と子の関係にしても
夫婦間の想いにしても
台詞が同じでも
円形の舞台に立つ役者達の個性が
東京芸術劇場の家族達とは違う雰囲気を醸し出していて。
比較になってしまい恐縮なのですが
どちらかというと、舞台上から、
家族の過去から積み重なってきたものの色が減じられ
わだかまりのテンションが薄められる一方で
家族のナチュラルな質感が誇張を少なくして描かれ
空間を満たした感じ。
ハイバイバージョンで垣間見えた
日々を暮らす空気のエッジが
観る側に飲み込みやすいように丸くされて、
その家族独特の歪みの鋭角さに心を捉われるのではなく
一般的な家庭の普遍的なレベルでの関係性や不器用な愛情、
さらにおかしさやその先にあるペーソスが
観る側を柔らかく浸潤していくような作りになっていました
それは、
ユースケ・サンタマリアがマイクを持って部屋に乱入する
事情が明かされた時の可笑しさや
研ナオコが自らの死を演じる時の遊び心なども
さりげなく舞台にとりこむ土壌ともなっていて。
なんだろ、演劇としての歯ごたえを抑え
食べやすくされているような感覚があったのは事実。
でも、一度目の時間の流れに
二度目の時間が裏地として縫い合わされていく構造から伝わってくる
家族の想いの表裏や奥行きが鮮やかに浮かび上がってくることは
池袋でも青山でも変わりはなくて。
家族という集団がもつ普遍性を滴らせる
戯曲の秀逸はなんら損なわれていない。
舞台にしつらえられた街灯がとてもよい工夫で、
したたかに空間が作られていきます。
家の内と外、家族の建前と本音、時間の表裏、
さらには芝居の範疇への入り方と出方・・。
なにげなく観る舞台に
様々な切り口が組み上げられ
役者たちのお芝居がその中で
個々の色合いをしたたかに醸し出していく。
観終わって、この舞台本来の面白さに加えて
ハイバイバージョンを観た時と
同じ形で違う色合いの想いが注ぎ込まれていたことも興味深く、
また、それを成し得る戯曲の強度のようなものにも
改めて舌を巻いたことでした
満足度★★★★
「悪」の色ぞろえの魅力
ひとつの出来事から現れる
キャラクターたちの個性に引っ張り込まれつつ
その内側にある、
善悪の色の豊かさにどっぷりと浸って。
劇場の大きさを感じさせないくらいに広がった
一歩踏み出したようなグルーブ感に
ぐいぐいと捉えられていきました。
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発端は漫画家にモーテルに連れ込まれた女性が
OBLと名付けられた非合法ドラックのオーバードースで
死んでしまったことなのですが、
裸の女を持ったその男(漫画家)が
担当の編集者に助けを求める電話をかけたことから
いろんな世界がその出来事に絡まってきます。
編集者は自らのつてでその処理を他の人間に依頼し
その人間はさらに仕事を丸投げする。
実際に処理をする人間にとっての死体の処理は
すでにニュアンスが違っていて・・・。
そこに薬物がらみのスキャンダルでマスコミから逃げ回っている女優や、
パパラッチの男、
さらには風俗嬢やモーテルの管理人親子(?)、
薬物によって現れる妄想までが入り込んできて
物語があれよと広がっていく。
全員がある意味悪人という設定なのですが、
その悪さというのが
必ずしも物語のなかで一色に貫かれているわけではない。
むしろ「・・・の視点から見たら」みたいな但し書きを
個々に背負った悪さで。
その「・・・」には「世間」とか「法律上」とか「道義的な」とか「モラル」
いろんな言葉が入るのでしょうけれど、
ひとつの価値観で物語が染められてはいないのです。
悪いことの色や一線を跨いでしまったという自覚の程度は違えど、
なにかを踏み越えてしまった態のキャラクターが
舞台を満たしていきます。
その踏み越える線やベクトルがいろいろで、
なにか個々の「悪いこと」が
今という世界を膨らませて満たしてしているようにすら感じる。
キャラクターたちの個性の作りこみが
したたかで大胆で繊細でとてもよい。
まさにクロムモリブデンならではのもの。
善悪の境界線に対して
ずかずかと踏み出す姿に
作りこまれたその色ががっつりと浮かび上がってくる。
しかも、なにかの事象を表層的に戯画化するにとどまらない
普遍的な感覚が役者たちのお芝居に編み込まれていて。
一人ずつの役者のお芝居を観ているだけでも
十分に面白いのですが、
それぞれの個性や立ち位置から伝わってくるものが
物語の中に
シーンごとの刹那の味わいとは異なる奥行きを
しっかりと創り出しているのです。
前半から何度も登場するドライブのシーンが
ラストでは高揚とともに舞台に熱を作り出し、
その先には
一つの出来事につながった
様々な個性や事情が引きずられる絵面が残される。
終演時のその絵面から
膨らみの毒の甘さや苦さの連鎖に
知らず知らずのうちに
観る側までが巻き込まれ、強く引き付けられていたことを知る。
帰り道、当パンに作者が書かれた文章を読むと
きっちりと作者の思惑通りに運ばれたようにも感じて
少々(好意的な意味で)悔しかったりもするのですが
よしんばそうであっても、
もっとオーバードースしたくなるような
魅力をしたたかに内包した作品でありました。
それにしても、ほんとうに・・・、
この劇団のお芝居は癖になります。
満足度★★★★
物語の運び方に洗練が
演劇かミュージカルかを分類すると
ミュージカルの領域なのかなという
感触もある。
でも、構造というか物語の運び方は
一般的な演劇側にあるような気がする。
いずれにしても
それぞれの表現の特徴の良い部分をしたたかに取り込んで。
歌える役者たちの力に物語がしっかりと膨らんで。
広がりを持った作品に仕上がっておりました。
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冒頭からいきなり掴まれる。
牛たちの群れの描写に
その場所の風がきっちりと吹き抜けて・・・。
史実や現実をそのまま取り入れているわけではなさそうだし
いろんな国のことを想像できても
そのどの国ともどこか違うのですが
でも、それゆえに、
何処の場所にでもありうるような
リアリティとともに
物語が舞台上に現出します。
音楽劇というか
ミュージカルに近い肌合いを持った舞台で
歌や音から広がるイメージが
舞台の屋台骨を支え、色を広げていく。
しっかりと歌える役者がいるから
醸しえる空気があることを実感する。
ただ、物語を運ぶのは音楽ではなく
あくまでも演劇的な表現や構成でなされていきます。
音楽というかメロディーや歌詞は
シーンのイメージを膨らませる彩る要素であって
音楽自体が物語を流していくことはない。
そのことが
多くの日本語のミュージカルが良くも悪くも持つ
匂いのようなものから作品を解放していきます。
音楽からやってくるイメージが語られるべきことと混在するのではなく
物語が語られるなかで、
音楽の余韻が物語を染めていくような感覚。
シーンを組み上げるなかで
音楽のフォーマットで物語がぼやけることなく
登場人物の現わし方や、物語に編み込まれた様々な機微が
音楽と混在するのではなく
音楽が醸し出す場の色に力を与えられて、しっかりと伝わってくる。
音楽に物語の精度が縛られることなく
一方で音楽がそれぞれのシーンを
豊かに広げていきます。
また、音楽にとどまらず動きの構成などにも
多くの秀逸があって。
身体での表現には、また別の力があることを実感。
終わってみれば
本当に素直に
物語の描いた一つのジェネレーションに刻まれた時間の質感に
浸潤されておりました。
この劇団が、明らかに一つの素敵な武器を手に入れたことを
実感した作品でありました。
満足度★★★★
粒ぞろい
それぞれの劇団が個性をもった作品を舞台に上げてくれました。
いつもにもまして時間が短く感じられ、なおかつボリューム感があリました。
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個人的には関西の劇団を観ることに
新鮮さと面白さがあったのですが、
それにとどまらず
全劇団に、個性と魅力を感じることができました。
粒ぞろいだなぁと思う。
こういう催しは、
なにか、よい化学反応を起こして
さらなる作品を生みだす力になるような気がして。
15MM自体が、新しいステージに踏み出したことを
感じた舞台でもありました。
満足度★★★★
個々のシーンがくっきり見えて・・・
作・演出の組み合わせから
どのようなものが作られるのか、
わくわくしながら劇場に向かったのですが
期待をさらに上回る舞台でありました。
役者がそれぞれに映える舞台でもありました。
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場内に入ると鮮やかな色が引かれたスタイリッシュな
舞台が目に飛び込んでくる。
さらに開演し、舞台に光が満ちると
最初の場面から
ぞくっとくるような高揚感に惹きつけられていきます。
シーンがくっきりと綺麗。
役者のしなやかな動きに
すいっと取り込まれぐいぐいと舞台に引き寄せられる。
キャラクターが30を超える舞台、
当日パンフレットを見たときにはどうなるかと思ったのですが、
キャラクターがしっかりと設定されていて
観る側に物語を追うとまどいがない。
しなやかに物語が観る側に流れ込んできます。
決してシンプルでも薄っぺらい物語でもないのです。
人が普遍的に持つ優劣の感覚、
異なるものを排斥する思い、
或いは異なることから広がる
ゆがみのようなもの・・・。
ずるさ、争う気持ち、
愛する想い・・・。
それらを操ろうとする仕組みたち。
物語はいくつもの表裏を抱きながら
組みあがっていく。
でも、個々のシーンが
クリアに作りこまれているから、
物語の骨格が揺らいだり
流れがからまったりしない。
なにより個々のシーンに小難しさがなく、
洗練に加えて
豊かなエンターティメント性までもが織り込まれていて。
観る側が飽くことなく、
物語を取り込んでいける。
役者達も、自らのロールに与えられた武器を巧みに使いこなし
舞台上の感覚を織り上げていく。
たとえば、自転車のハンドルひとつで
キャラクターの生活感を浮かび上がらせたり、
誇張された胸でキャラクターの存在感を鮮やかに醸し出したり、
バナナ一本で狂気を顕したり、
古いギャグを連ねて個性を照らし出したり・・・。
新型義足での走りっぷりにしても
都知事の風貌にしても・・・。
30を超える役柄それぞれに
創意を込めて与えられた個性を
霧散するような刹那の印象ではなく
物語のベースにまで広げていく力が
役者たちにはあって。
北京蝶々の個性が塗り替えられることなく
その力に新しい光が与えられた感じ。
大塩作劇と中屋敷演出の相性がこんなに良いとは・・・。
拝見したのは初日ですが、
客演している「柿喰う客」の役者さんの演技などを観ていると
上演を重ねるに従って
舞台上に更なる洗練が降りてくる
予感もあって。
劇団として新しい扉を開くような
グルーブ感とボディをしなやかに持ち合わせた
舞台でありました
満足度★★★★★
本物で遊ぶ
ものすごくラフな言い方ですが、
ダンサーたちの切れや表現のふくよかさが圧倒的で、
一方で差し込まれた演劇的な表現にも
きちんと奥行きを作る力があって。
二つのテイストそれぞれが際立つ、
ウィットと力量に溢れた時間を味わうことができました。
ネタバレBOX
ダンスの領域があって、
演劇の領域があって、
その混在した部分があって・・・・。
たとえば演劇に身体表現が入り込むとか
逆にダンスに演劇的な側面が取り入れられるとかいう舞台は
いろんな形でみたことがありますが、
この作品はそのなかに
融合のための斟酌とか妥協がない・・・。
ダンサーたちの踊る力には
観る側を圧倒する切れに
豊かさがしっかりを包括していて・・・、
レベルを超えたグルーブ感に
場内を包み込む。
その中に一人混じった女優も
同じ動きを同じリズムでついていくのですが
(これはこれで結構凄い)
そこから浮かび上がってくるのは
一体感というよりダンサーたちの「本物」の優越だったりする。
しかし、ダンスから一歩外側に出て
作られていく空気の色は
女優によってかもし出される「本物」。
彼女によって広がる「仲間」的な世界観の物語は
やはり役者の領域なのです。
どちらかがどちらかの領域に入り込んでしまうと
浮いてしまうのですが、
その浮いた部分を誤魔化さずにしっかりと見せる。
手抜きをせずに役者は踊る・・・
同じようにダンサーはダンスの外側でも
その世界に身をおく。
その、両方の本物を
しっかりと見せつけられて
観る側も揺すぶられているから
終盤の動きのシークエンスと会話の融合が
ぞくっとっくるほどに
奥行きを持って、
なによりも心地よく感じられる。
本物から派生した表現の重なりに
心地よいグルーブ感と浸透力をもった感覚が
身体の動きとナチュラルな台詞に乗っかっていく感じが
すごくよい。
その重なりの原点にあるのは
ある種の遊び心だとおもうのです。
でもそれを「・・・っぽいもの」でやるのではなく
本物でやると、そこには力を持った世界が生まれる。
もう、凄く面白くてわくわくしてしまいました。
満足度★★★★
あからさまな距離感
初日を観劇
舞台上に展開するいろんな距離感に
目を奪われました。
ネタバレBOX
舞台の作り方がちょっと変わっていて、
前方の柵状のものも、舞台としては
ちょっと掟破りで目を惹く。
そのなかで登場人物たちの会話が
様々な距離感をもって描かれていきます。
刑務所帰りの女性のキャラクターが
ちょっと常ならぬ感じがする以外は
とりたてて突出した人物はいない。
個性はそれぞれに感じるのですが、
柵で閉じられた世界から飛び出すような感じはない。
でも、淡々と時間が流れるかというとそんなことはなくて
その中の個々の距離感が
時にはあからさまに、或いは少々不器用に、
さらにはすっと踏み出すように
変化していくのです。
書き手のあらわす世界には
ある種の生臭さ(誉め言葉)があって
でも舞台の立てこみ方(上手と3つの島状のスペース)や
演出の味付け、
さらには役者が醸し出すお芝居の質感は
醸されるあからさまさやテイスト、
さらには観る側に浸蝕してくるような苛立ちを
どこかさらっとした口当たりに変えて流しこんでいく。
なんだろ、
その世界のループ感ととてもルーズな閉塞に浸りつつ
どこにでもありそうだとおもってしまう空気に潜んだ違和感と、
でも何か心に引っかかる感覚に
ずっと囚われておりました。
劇団にとっても短篇集などとは違った
ボリューム感をもった外部作家の作品でしたが
そのしっかりと切っ先を持った作意がぶれることのないように、
書き手の世界を取り込んで
シーンたちをしっかりと作り上げていたと思います。
満足度★★★★★
作品ごとの筆使い
初日を拝見しました。
原作(?)をほとんど知らずに観たのですが、
戸惑いはまったくなく
その時間は観る側に組み上げられ流れこんできました。
前回公演とは密度や色調が多少違っていましたが
それが優劣ではなく、
それぞれの表現の秀逸として感じられました。
ネタバレBOX
観劇後にとても興味を惹かれて原作を読んで・・・。
改めて、すべてではないのですが
物語の骨格が
しなやかに取り込まれていることを知る。
ただ、その原作を知らなくても
気が付けば、
舞台上に広がっていく
キャラクターたちの時間に強く取り込まれておりました。
母親の死に対する感覚の
解けない塊のような実感。
何かが麻痺したような主人公の時間、
それぞれの苛立ちの肌合い・・・。
淡々としているなかに、
上手く言えないのですが
個々のキャラクターの重なりの内側にある
それぞれの苛立ちのような感覚が
つもっていきます。
それは、前回の公演のように
すべてを日々に包み込んで
観る側を圧倒するのではなく
日々の質感のラフなつながりのままに
観る側に広がっていく。
前回公演に組み上げられた
濃密な記憶のイメージとは異なる
ひと時の感覚の積みあがりが
舞台からやってきます。
作品の尺も半分以下なのですが、
それよりも
描くものすべてが記憶の質量に積み上がるのではなく
深く濃縮されない素の肌触りのままに
解けて広がる感覚の混在から
前回とは異なる取り込まれ方を感じて。
そして、その密度だからこそ
観る側に渡され
広がる世界があるのです。
太陽を模した電球、窓、おもちゃの電車・・・、
おかまのおじさんや踏みつぶされた鳩が
ルーズに時間を縫い合わせる。
次第に高まるものが
気が付けば終盤の銃声が
その密度でだからこそ
違和感なく観る側をも解き放ってくれる。
観終わって、舞台上に描かれた街を眺めて
さらに演じられた時間を俯瞰して・・・。
描くものごとになされる
作り手の筆遣いや
それを具現化する役者たちの表現の精度の秀逸に
あらためて舌を巻く。
観終わって
それほど長くない上演時間にからこぼれ出した
3日間の量感をもったキャラクターたちの世界に
ふかく取り込まれておりました。