ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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恋 其之参

恋 其之参

テラ・アーツ・ファクトリー

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2015/07/08 (水) ~ 2015/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★

詩人 岸田 理生
 詩人という特異な種族に対する普通の人々の圧力・圧迫に対して特異な者が追い詰められた果てに最後っ屁する物語。

ネタバレBOX


 因みに最後の方に洲崎の娼婦街(現在の東陽町辺り)が出、ダンサーが足を天井に向け、肩、後頭部を床につけ肘を曲げてアングルを作って身体を支え、痙攣するような表現をするのは、無論、男女の営みでの女性を表していよう。と同時に、飢饉の度、女衒に売られ苦界に身を落とした女性の多くを占める貧農の娘達の、言葉にならない煩悶、苦悩、怨恨、忍び泣き等をも表していよう。
 物語は、この洲崎跡地に建てられた団地での少女強姦事件に纏わるからである。団地妻達の淫靡で執拗で陰湿な会話は、彼女達の欲求不満の捌け口であり、隠微な慰めである。
 これに対してレイプされた少女は、人身御供そのものである。背景には1582年から98年に亘って行われた秀吉の所謂太閤検地及び1588年の刀狩りによって自らを守る武器を奪われ、人別帳をハッキリさせられた上、一揆をおこすこと自体の困難を民衆サイドが負った歴史があり、更に江戸時代、朱子学の徹底によって、お上優位のイデオロギーによって洗脳され、五人組制度によって連帯責任を負わされた武器を持たず、檀家制度によって人別帳を民衆管理の道具として牛耳られた村社会に暮らす大衆に落ちぶれた人民は、道理を以てお上の非を糺す道を閉ざされ、互いにスパイ行為である相互監視を強めた。無論、大衆支配の方法として優れたこの方法は、明治・大正・昭和・平成の今に至るまで脈々と生き続けている。こんなベラボウな支配の方法が未だに生き続けているのは、無論、日本に暮らす大衆が愚衆でしかない証拠であり、この植民地で頻繁に問題化される苛め、排斥・排除、無視、蔑視、差別、集団による一個人への噂話の形を採った悪口等々、陰湿、淫靡、凄惨を極める愚衆達個々人の内面の塵捨て行為である。
 アメリカの植民地であるこのエリアでは、お上もまた奴隷根性を発揮し続けている。戦前、現人神として据えられた天皇・裕仁に跪拝することでその命脈を保って来た、官僚・政治屋という下司集団は、天皇の権力が失われたとみるや、跪拝の対象をアメリカに転じた。本質は下司のままである。
 このようなお上も含めた下司にとって、自らの存在をその最も深い所から照らし出すのが、詩人という種族なのである。そして、詩人の社会的位置は、今作ではレイプされた少女に重なる。否、岸田 理生は重ねたのだ。その真っ直ぐな視点によって。而も、彼女は、詩人のアイデンティファイを作品中で達成している。自死に追い込まれた、ケニア単身赴任の夫を持つ主婦が、詩人をそう在らしめているのである。つまり、彼女は内気で、下司共の会話には入ってゆけないというキャラクターとして設定されているが、その内的な精神性と排除される人生によって、この村社会の外部者として、詩人を見出す目を持ち、詩的感性を享受し得る存在として詩人をアイデンティファイしているのだ。
 だから、作中、詩人として機能する少女は、彼女の死の責任を、彼女を追い詰めた自死に追いやった者供に果たすのである。

 ところで、詩人は風になった。諸君の直ぐ傍らを吹き抜けるかも知れないぞ!
「月暈とメスシリンダ」(公演終了 ご来場ありがとうございました)

「月暈とメスシリンダ」(公演終了 ご来場ありがとうございました)

Sky Theater PROJECT

小劇場B1(東京都)

2015/07/07 (火) ~ 2015/07/14 (火)公演終了

満足度★★★

アンチテアートル?
劇的でないものを描いた、極私的な作品。

ネタバレBOX

描かれるのは、実際、どこにでも転がっている日常だ。ツグオは、12年ぶりの帰郷である。単に仕事が面白くなくなった。3人でやっていた仕事を1人でやらされたりのハードワークも好い加減嫌になったので、母の具合が良く無いのを逃げ口上に帰って来ただけである。
 ところで、実家は、駄菓子問屋で、元カノのみゆきはツグオの親族の経営するこの会社で働いており、遠距離恋愛がぽしゃったことを愚図愚図根に持っている。ツグオ不在の間に無論様々な変化があった。社長だった父は亡くなり、現在は叔母が社長だ。みゆきは、バリバリの有能社員ではある。他に橘という女子社員が居て、中々優秀なのだが、彼女には不思議は特技がある。他人が生涯、どのくらいの酒を飲むか、とか容器に入った液体の量が何ccあるかなどを正確に言い当てるのである。母の病気を見付けたのも彼女であった。酒好きの母が、今後どれだけの酒を飲むかを透視した所、酒好きの彼女が今後飲む量が異常に少なかった為、受診を勧め、その結果、母の体調が悪いことが判明したのだった。
 演劇的な設定は、橘の特殊能力くらいで、後は、ホントにありそうな話がだらだら続く。
青色文庫 -其弐、文月の祈り-

青色文庫 -其弐、文月の祈り-

青☆組

ゆうど(東京都)

2015/07/07 (火) ~ 2015/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

Aを拝見
目白にある古民家を利用したギャラリーでの公演。門構えにも風情があり、門を入るとアプローチの傍は庭、トクサ等も植えてある。奥ゆかしさが偲ばれよう。手入れが行き届きすぎていないのも良い。上がり框で履物を脱ぐと正面が受付。楚々たる美女が、対応してくれる。

ネタバレBOX

 左へ進むと蚕農家のような高い天井には明かり採りの窓が設えられ詩的なイマージュを喚起する、板の間である。更にその奥が畳の敷かれた六畳間。上手、奥には凹みが作ってあるので、部屋を使う者のイマジネーション次第で如何様にも変化させることのできる自由空間である。尤も、上手中ほどの自由空間には、蛇口が取り付けてあり、水の神様と言われるツチノコのような形をした木像が鉄の舌を出している。他に、埴輪で表現された馬のような形のオブジェ、書籍の入ったエリア等々。
 奥のフリースペースには、今回、硝子の器に入った蝋燭に火が灯され、風が吹けば揺れそうな、か細く極めて脆弱な守りの壁にもガードされて、命の火が燃えているようにもとれる。
 作品は二点。小川 未明の「野薔薇」と太宰 治の「十二月八日」である。無論、二編とも戦争に纏わる作品だ。だからといって、自分のように、蝋燭の炎を命と読むことは強制されない。
 何れの作品も最初と最後に風鈴の音が聞こえる。脚本レベルで、未明の作品には殆ど手は加えられていない。太宰の方は、ある程度、手を加え、アレンジされているが。
 演者たちの巧みな朗読とゆったりした時間を存分に楽しむことができる。
役者陣の朗読レベルの高さ、シナリオの的確と雰囲気を作る巧み、また、椅子の用い方、役者のオンオフが横向きに座る、正面を向くという単純で明快な所作によって表現されている点でも、暗転を少なくし、緊張を程良く継続する手法として作品内容ともあった手際の良さと同時に品を感じさせるものであった。
KM

KM

7度

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2015/07/03 (金) ~ 2015/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★


フランツ・カフカの「万里の長城が築かれたとき」と安戸 悠太が「KM」の為に書き下ろしたテキストが用いられる。出演は、カフカ作品を担当する女1人。安戸作品を担当する男、女各1人の計3人。

ネタバレBOX


 意味が未だ辛うじて成立していたと考えられる20世紀初頭カフカの作品では、万里の長城やバベルの塔などの巨大な建築物の創造に於ける方法論とその妥当性*(非妥当性)、パースペクティブ*(瓦解)が描かれるのに対し、安戸作品では、現代世界最強の軍事力に支えられた国の植民地として機能する私人というレベルに矮小化された、私人同士の殆ど無意味に還元せざるを得ない殺人という営為が対置される。
因みにF.カフカの生きた世界も現代世界最強の軍事力を誇る国にも、其処で暮らす個々人の魂を内側から見透かす神の目があり、そのことが神という絶対に対する人としての彼らのprincipleを根拠づけているのに対し、植民地の私人たちの規範は相互監視だけであるから、己の魂の底の底迄見透かされるような厳しいものではない。従って、誤魔化しの生じる余地が在り、絶対を根拠律とするprincipleは成立しえない。この人達にとって総ては流れてゆくものなのである。己の死さえも。
今作は、このような根拠律の差を、どちらの世界にも共通する項である“無”の意味する所を考察することによって呈示している。どういうことかと言うと、神を発明したのは、無論、人間なのだ。では、何故、人間は神を発明せざるを得なかったのか? 宇宙という広大無辺な、認識の届かない世界に意識存在として存在することの恐怖に耐えかねてである。即ち、無は総ての創造の故郷である。では、通常“無”と呼ばれる「もの」はホントに何も無いのか? 我々は“無”を前にすると、あらゆることを考える。否、考える他無いのである。今作の作家は、遊びを考えた。Kを上下で分割した後上部を時計回りに180度回転するとMになる、だとか、何度も繰り返されるひらがなの“く”と数学の記号~より大、<という読み変え等である。当然のことながら、カフカの頭文字Kと作品タイトルに含まれるMとの間にある“無”を媒介として遊び、KとMを関連づけているのである。この遊びを想像力の遊びと呼び変えることも可能だろうし、無を媒介とする創造の器と考えても良かろう。その縁を画定することは容易ではないが。
 因みに音遊びでKとMを考えると、Kはカフカの頭文字、神をローマ字表記した時の最初のアルファベットであるのに対し、Mは無のローマ字表記最初の音、物語の最初の音でもあろう。
 ところでこのような作業を通じて“無”の本質的属性は、創造性の最も自由な源泉であるというテーゼが逆説的に成立するのではないか? 銃で頭を撃ち抜かれた女の頭部からは、紐のような物が引き出されるが、この作業もイマジネーションによって引き出される創造を意味し、臨界点迄引き延ばされて切れることによって、それが製品化されるなど、現実に役立つ物になっていることを象徴しているとも取れる。何れにせよ作・演出・演技は、観客の想像力を問い掛ける事に今作の眼目を置いていることは確かだろう。
*はバベルの塔に関する評価

『鱈。』の(に)

『鱈。』の(に)

Hula-Hooper

渋谷gee-ge.(東京都)

2015/05/22 (金) ~ 2015/05/23 (土)公演終了

満足度★★★★★

鳥取上演も?
 初見のグループだが、当たり!! おもろかわゆい!! 
何でも鳥取でFESをやりたいそうだ。

ネタバレBOX


リーフレットによると石立 鉄男を尊敬し阿久 悠先生を愛し「大人が本気出して作る学芸会」を目指す。ということだ。名前を「鱈。」と言う。が、発音はタラ? それともタラ マル? 後者だとしたら、タラとマルの間に半呼吸位の間が入るのか入らないのか等々、様々な疑問が湧く。これだけでも面白い。また、鱈は~しタラに通じ、歴史上事実だとされていることを対象化する為にも用いることができる。それとも、鬼婆の「馬喰い干鱈喰い腹太太(ふとふと)や」に通じるのだろうか? この辺りの謎も興味深い。
 作品は、崩しミュージカルといった体。無論、ストーリーはあって物語のプロトタイプを踏襲するような内容だが、それは、大人が本気出して作る学芸会というコンセプトのグループだから、問題あるまい。演奏は生と再生の併用だが、演奏チームは歌唱も含めてキチンとプロの音を出してくる。音楽には結構煩い自分にもすんなり聴けるレベルの高いものである。
 人魚達は、皆、ケンケン王の息女なのだが、人魚なので、当然海で暮らしている。だが、その泳ぎの形態模写が体を波のように動かす仕草で表されている点、両足部分は魚の形で一体化しているから、足はピッタリ揃えて動いてゆく。この動きが何とも新鮮である。臍出しルックなので、お臍が可愛い。雷が、臍を狙う訳である。下らない冗談はさておき、使われている楽器もユニーク、携帯用木魚(こんなもの初めて見た!)名前は分からないが、凹凸のある板をU字近いV字に曲げて叩く顫動音を楽しむ楽器だとか、小型シンバルや密教の祈りに用いる仏具等々。楽器も楽しい。ありきたりの楽器、リコーダーはわざと外す人が一人居たりして笑いを誘うし、ホンマおもろいねん。こんだけおもろい仕掛けをしておきながら、舞台袖に当たる場所迄来て暗転する迄キチンと演技をしているし、遊びと真面目の境界領域が実に波に反射して揺らめく光のようで巧みである。
 途中、10分の休憩があったのだが、この休憩時間中に舞台美術も海中の景色から海岸、即ち陸に変わっているし、どこかポップな美術センスも作品内容にマッチしているので浮かず、さりげない所が凄い。
 一人だけ♂の人魚が登場するのだが、彼のはおるベストには、何匹も蟹が貼り付いているのである。無論、鳥取名物の松葉ガニをアピールしていると見るべきだろう。松葉ガニと形は違うのだが(これも愛嬌だ)。
Full Of Liars!

Full Of Liars!

劇団ICHIGEKI☆必殺

シアターブラッツ(東京都)

2015/07/02 (木) ~ 2015/07/05 (日)公演終了

満足度★★★

スッキリしたい人には消化不良か?
 可也ぺダンチックな作りと観た。

ネタバレBOX

即ち作品構成の根幹迄疑わせることになるような方法で、例えば、狙いが総て嘘である場合、その嘘を嘘として成立させ得る何かについては曖昧化しかしていないように取れるからだ。こうとればタイトル通りということになる。
 話は、悪魔が棲みつく、という噂のある小さな島で起こる殺人事件なのだが、黒ミサが行われていて、その実行犯を探す推理ではなく、狂言回しのような役割で登場する者が、実は何か? を推理する物語なのである。結局、解答は示されないままなのだが。
 自分の解釈では、Luciferだが、作者が何を思って書いたかは謎である。或いは人を誘って止まぬ、好奇心を駆り立てる“無”という解釈も可能だろう。
「DOJOJI -道成寺-」

「DOJOJI -道成寺-」

劇団アニマル王子

ひつじ座(東京都)

2015/07/01 (水) ~ 2015/07/05 (日)公演終了

満足度★★★

紅版拝見
原作は有名な物語だから内容はくどくど書かにゃい

ネタバレBOX

 役者も演出も勘違いをしているのではないか? ひつじ座位のキャパで何も声を張り上げる必要などさらさらない。寧ろ、聞き取れるか聞き取れないか位の声を出して観客を引きずりこんだ方が効果的なのである。
 それを序盤、不必要に声を張り上げるものだから白けてしまうのだ。もともと、さして教養の無い者さえ安珍・清姫の名くらいは知っているほど、人口に膾炙した物語である。その散々、演じられ、工夫されて来た作品に新たに独自の視点で切り込むことは頗るつきに困難だが、輪廻転生をベースに因縁物として時空を越えるありきたりな作りをするようだから、こういう基本的間違いを犯す。役者は、発する力と共に、自らを消す(殺す)力も持たなければならない。これを柔軟に使い分けてこそ、対比もできるのだ。
 更に、序盤のダンスは必然性が全然感じられない。何故、こういう使い方をするのか? 踊りなりダンスなりは、話の内容と絡み合って初めて意味を持つものだろう。意味を無化するつもりであれば、そのように異化して用いるべきではないか?
 破・急では、白拍子が舞うシーンから後、宴の席や雅を表すのに踊りは、内容と溶け合った必然性のあるものになったが。
 感心したのは、清姫の変身に使われる面が、半分に裂けた般若面である点だ。彼女の引き裂かれた苦悩を表しているようで、良い使い方である。
AMP THE PAVILION:002

AMP THE PAVILION:002

:Aqua mode planning:

レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)

2015/06/25 (木) ~ 2015/07/04 (土)公演終了

満足度★★★★★

DIA SIDEを拝見

 未発表・再演・新作短編6本をDIA SIDE とMONO SIDEに分け3作品ずつ、上演日を変えて演ずる趣向の今公演。「あとの祭りのまえ」「犬では無理がある」「Range finder」の順での上演だったが、真ん中の犬では無理があるが40分程度、前後は20分程の作品で
4日はアフタートークがあり、アムリタ主宰の萩原 永璃さん、Aqua mode planning主宰の松本 隆志さんの軽妙な会話も楽しめた。

ネタバレBOX


「あとの祭りのまえ」
 誰の記憶にもある思春期前夜の甘い感傷と無味乾燥なサラリーマン生活のギャップを詩的な線香花火の燃焼を透かして手繰り寄せるような作品。年上でしっかり者のお姉さんと年下の幼馴染の男の子の邂逅が惰性と味気なさそのもののサラリーマン生活と対比されて甘酸っぱい。
「犬では無理がある」
 最も受けが良い。某有名CMを思わせるキャラの登場や国民的有名漫画を下敷きにしたパロディーをベースに誰でも楽しめる仕掛け満載で、作者の悪戯心が良く現れたちょっとシュールな作品。だが、無論、それだけでは終わらない。笑いの底に人間関係の不気味な齟齬やぞっとするような深い淵、グロテスクな様がキチンと描かれ、見方によっては、とても怖い作品でもある。3本とも作家、松本 隆志氏の短編作品だが、各々の作品でテイストを変えている点、視座を変えている点、また、其々の方法論を確認しつつ創造している点、また各作品の完成度の高さは、氏の才能を如実に表していよう。
「Range finder」
無論、銃、写真機などの距離計のことだが、このタイトリングが上手い。実際、始まりの30秒、非在が劇空間を占める。男が登場、観客の方を向いてじっとしている。その間1分程、女が登場、1分程矢張り観客の方を見てじっとしている、各々正面を向いたまま科白がない。
 その後、初めて「初めまして」、「初めまして」の応答を経て、男の科白を殆ど繰り返すような科白が続くが、互いの距離が縮まってゆく様が・親近感の違いが、微妙な科白の変化によって表される。電車に乗る時刻が同じ男女なのだが、互いに意識して行き帰りを同じ時間帯にしたり、女が男に本を貸して、互いの感想をぶつけ合ったりしながら、携帯でも連絡を取り合うようになる。男がいつもの時刻に間に合わなかった侘びにプレゼントを約束、彼女の誕生日を教えて貰う。
 彼女の誕生日、プレゼントを用意した男からの電話に彼女は彼と会っていた、と告げる。で、彼は他の女と結婚することも。男は、女の手に触れようとする。触れられた女は瞬間、手を引き男に背を向け、俯く。男は女の方へ向きを変える。この後、男からの発信に距離を置く女。男が諦めかけた時、女が漸く受信。ぶきっちょな感じで、その後、たくさんの発信と受信があり、久しぶりに出会った男と女、遠慮がちに女の隣に腰掛けてよいか訊ねる男。受け入れる女。暫くの間のよもやま話、何をするかを話し始める2人。翌日会う話をした2人。帰りも一緒の約束。男が女の手に触れる。女は俯く。男も俯き、10秒程の間。互いにゆっくり顔を上げると互いを見つめあって微笑む。無論、互いの手はしっかり繋がれている。
 緻密なシナリオを抑えの利いた演技と見事な間で表現。3作品の中で芸術性は最も高い。
アンソロジー

アンソロジー

ACRAFT

笹塚ファクトリー(東京都)

2015/07/01 (水) ~ 2015/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

全然古びていない。無論、褒め言葉だぞ!!
原作は13年前、前田 和紀氏によって書かれた。中心となる時代は7世紀末の柿本 人麻呂が活躍した時代、万葉集の時代と言った方が良いか。或いは壬申の乱の時代、即ち蘇我 入鹿らが、中大兄皇子、中臣鎌足らに討たれ大化の改新(645年)に至った後の話であるが、歴史を上手に持ち込んでいるのは、この展開の中に、ちゃんと唐・新羅と百済・大和の関係を持ち込んでいることである。而も、今回、脚本・演出を担当した久保田 唱氏が、稗田阿礼と柿本 人麻呂を配したことで、今作で内容が、歴史的物語として定位されているのである。(更なる追記、終演後に後送)

ネタバレBOX

物理学でいえば、時間、空間が移ろう為の場が定位された訳である。この作品の安定性はこの点にある。無論、今作は演劇作品であるから、様々な歴史解釈・説の中で必ずしも定説に従っている訳ではない。然し、それは当然のことである。芸術作品の役割は、人間を描くことであって歴史上の事実を発見することでもなければ、あるイデオロギーや支配体制にとって有利な歴史観を敷衍することでもないからである。
 今作では、言霊という表現に込められたもの、即ち言霊の意味する所を追求することによって人の心の在り様と、その痛切な念を描いているからである。
 その具体的な在り様が如何なるものであるかは、終演後に記すが、品、切実さ、哀れ、温かさと幸せ、政治と人心など、現代にもそのまま通じる鮮烈で純粋な表現に集約したこの作品の作(原作及び脚本)・演出・キャスティング、演技、殺陣、照明と音響の効果、舞台美術、裏回りスタッフの対応迄含めて良い作品に仕上がっているというべきだろう。
時代絵巻AsH 其ノ六 『碧血〜へきけつ〜』

時代絵巻AsH 其ノ六 『碧血〜へきけつ〜』

時代絵巻 AsH

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2015/07/02 (木) ~ 2015/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★

殺陣が素晴らしい。内容的にも心を打つ。
描かれる主人公がユニークだ。戦国末期を描いた作品なのだが、通常戦国といえば、信長、真田などが主人公になることが多いのに、今作は、四国の長宗我部である。戦国武士に限らず、武家の価値観は一所懸命という言葉に名残りを留めているように、その所領(領する土地)、そして家の存続である。今作では、そのうち家の存続が中心になっている。周知の如く、四国制覇は、元親が果たした。(追記後送)

リ:ライト

リ:ライト

トツゲキ倶楽部

「劇」小劇場(東京都)

2015/07/01 (水) ~ 2015/07/06 (月)公演終了

満足度★★★★★

傑作

 初日を観劇。シナリオの表出が自然である為か、作家が同時に演出も兼ねて良い面が出たか、演技も作り過ぎないし、而も擽りが随所に矢張り小さく箍を外す形で鏤められ、こちらも自然である。無論、役者の演技も実にバランスの良いものである。同時に、肝心な所では寸鉄人を刺す表現が適確に用いられ、それまでの流れを一瞬で集約する。

ネタバレBOX


 描かれているのは、アルツハイマーを研究するラボである。この病気を治すことができればノーベル賞は間違いない、と言われるジャンルだから研究者同士の競争も熾烈を極める。そんな研究室に外資系の研究室に居た研究員が、それも天才と騒がれた研究者がやってきたから、実はスパイではないか? との懸念も生まれる。それを示唆したのは、研究所出入りの製薬会社社員という外部者である所が、作者の才能を示していよう。こういう細かい点に注意の行き届いたシナリオ・演出に、役者は巧みで自然な演技で応えて実にバランスが良い。そういえば、6月末迄に、今年筆者は180公演を観ている。その中で五指に入る作品だ。初日が終わったばかりだから、詳しい内容は書かないがお薦めである。
腹の虫

腹の虫

ちょビすけ

SPACE EDGE(東京都)

2015/06/27 (土) ~ 2015/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★

ちょびすけとは、
去年の3月東京都内で活動していた高校生が立ち上げたグループ。この年の7月20日、スタジオ空洞でvol.1高校生舞台ショーケースと銘打って「たまごから。」を上演している。
 今回はその第2弾。当然のこと乍ら、作・演出、役者陣、スタッフ全員、極めて若い。そして、若い世代の抱えている問題が、このように救いの無いものであることに、今更乍ら、今の世界を形作って来た大人の一人として力不足の責任を感じる、と綺麗事を並べるつもりは無い。但し、自分は、若い人達と真摯に向き合ってゆきたい。

ネタバレBOX


 基本的に素舞台に近い。舞台を挟む形で観客席が設けられている。一方の壁には、絵画が掛けられ、絵の右下に3時間前と書かれた小型キャンパス(4号)が掛かっている。その他、テーブルとパイプ椅子。これは、適宜、舞台上に引き出されてテーブルとして用いられ、椅子はその周りに並べられる。
 話は、電車の車内で痴漢騒ぎに遭った会社員が、魅力的な女、揚羽についふらふらとついて行って辿りついた館で暮らす8人に纏わる物語である。この8人のうち、外出するのは、揚羽のみ、他の7人は総てこの館から一歩も外に出ない。そして、一人一人に役割が決まっている。例えば、本の虫、例えば医療・薬剤担当、例えば泣き虫、例えば乱暴者・恋する男、MUSHIZU。例えば金曜日に女の子を呼び込んでは儀式をする男、例えば恋される女、そして目立つ程の役割を持たぬ女などである。何れにせよ、8人は、何とか自分達の役割をシェアしながら、暮らしてきたのだが、ある時、MUSHIZUが死んだ。その時、彼の部屋には、鍵が掛かっており、彼のうめき声に最初に気付いたのは、彼が愛していた女、駈けつけた皆の前で彼は苦しみながら死んでいったのである。自殺とも思われるが、兎に角、本の虫を裁判長として、裁きの場が持たれることになった。その過程で、MUSHIZUの死の真相が明らかになってゆき、此処に住む者達に関する情報の一端が明らかになってゆく。
 そこで明らかになったこととは、MUSHIZUは、他の7人の合議によって殺された、ということであった。殺す原因となったことは“人を殺して何故悪いのか?” という問いに答えようの無い社会であった。そう筆者は考える。即ち彼らの生きている社会では、総ての人が、単にある役割を果たす為だけの存在となりおおせており、誰が何時何処で誰と入れ替わっても、何ら問題が無いと設定され、それ以外には一切を顧慮しない世界、世界観であって、其処で暮らす人間は例え知的人士と目される場合にあってさえ、「なぜ、(他)人を殺してはいけないのか?」と問われて、キチンと答えることが出来ないような人々なのであった。(つまり、本物の知識人ではない)
これは、無論、実際、かつて、この植民地で起こった事件に対して、TVで若者が言い放った言葉である。(人を殺して何故悪いのか?)その番組を自分は見ていなかったが、そのことは話題に上った。何故なら、その番組には多くの評論家・知識人と呼ばれる者達が出演しており、その中の誰ひとりとしてこの質問にまともな答えを出せなかったからである。この作品を上記の知識を援用しつつ筆者は以下のように解した。結論は、“救いの無い世界”に今、この植民地の若者全員が居る、という極めて厳しい認識である。それはそうだろう。2011年3月12日からメルトダウン、メルトスルーを起こし、水素爆発などで大量の放射性核種を巻き散らし4年以上を経た現在も一向に収束の兆しさえ見せない放射性核種の問題を無いことにし、あまつさえ、今後もベース電源と位置づけて基幹エネルギーとして温存し、処置の仕方すら分かっていない更に多くの核廃棄物を産みだし、反対する者に対してはあらゆる手と嘘・偽情報を巻き散らすこと・政治的圧力・経済的圧力等々によって圧殺を計り、而もその事実を隠蔽しようと画策するこの植民地のアメリカの犬供の治世を見れば、まともな人間の誰しもが絶望せざるを得ない。若者達の鋭い感性と、欺瞞・偽善に対する適確なアンテナが正しい判断を下すように働くのは必然であろう。
アメリカの犬供の治世の下で暮らすとはどういうことか? それは、紛れも無く奴隷生活を意味する。そして、そのことに気付くことすらない怠惰な「知性」は、唯々諾々として従い、その結果取り返しのつかない害毒を垂れ流すのである。その害毒は単に後代の精神のみならず、その肉体も蝕み、滅びへの道をひた走る。それ以外の道は残されていない。
このような状況に於いて、哀れな大衆は、例え1ミリでも他人より良いポジションを得ようとあくせくし、更に疲弊の度合いを深め、知性を獲得する気持ちや時間も失うという負のスパイラルを滑り落ちてゆくのだ。こんな社会にあって彼らは単なる機能でしか無い。その機能が他の代替物に置き換えられることは、最早何の問題も無いのだ、ということが、今作の呈示する問題である。そして、この問題は益々深く、我々の日常を浸潤してゆくのだ。
無論、この考えに対置し得る考え方は存在する。それは、個々の人生というものは、他の誰によっても代替不可能であるという事実を見つめることであり、それを是認すること。そしてそれ故にこそ、他人を殺してはいけないのだ、ということをハッキリさせることである。
ラジオスターの掟

ラジオスターの掟

AH!999プロジェクト

スタジオ空洞(東京都)

2015/06/27 (土) ~ 2015/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★

ラジオスタジオ
スタッフの対応が瑞々しい感性を感じさせて頗る感じの良いものであった。若い作家の作品で出演者、スタッフも皆若い。従って小さなアラはある。然し、それらを充分凌駕してなお余りある真摯な問い掛けと葛藤に、大きな可能性を感じさせる。このシナリオに体当たりでぶつかり、役作りしている溌剌とした演技には、大変好感を持った。(追記後送)

ネタバレBOX


 舞台は、あるラジオ局のスタジオである。聴取率リサーチ期間という時期で、各局とも、様々な企画を持ち寄り聴取率アップに努めている。この局では、気儘なことで大変有名な大物プッツン女優、服部 雅子(音から類推)をゲストに迎え、明日の本番に向けて最終調整が行われていた。リスナーには既に告知済み。プロデューサーにも最高聴取率が取れそうだと報告した。
ところが、本番を明日に控えた今日になって、服部のマネージャーからキャンセルの知らせが入った。番組を今更中止する訳にはゆかない。心配していたこととはいえ、悪い予感が的中してしまったディレクターの浜崎 麻由美は、早速、AD達を集め、緊急会議を招集した。そこで出された提案は、服部のものまねが上手なアイドルを代替させるという案であった。アイドルの名は、ピン子。ところが、翌日スタジオ入りしたピン子は、TV番組でヒットした服部の決め台詞「問題無いわ」の科白だけが似ているのであり、他は一切似せることができない。仕方なく、花粉症だということにして、TVと異なり画像が出ないのを良いことに、演技で乗り切ろうとした。進行上、そんなに大きな変更は無いと考えて麻由美は、シナリオ通りに進めるつもりであったが、スピーカーの水の準備や、番組で用いるゲスト一押しの曲の入ったCDなどの準備を、進行・リサーチ役等を務めていた、ADの春菜が、自分が多忙であるのを良いことにピン子に頼んだから大変!! 手違いが起こって水の代わりに日本酒がスピーカーに渡され、更にもう一人のADの根木間に頼まれた一押しCDをもって来たピン子に、そのCDを「折っちゃって」と言いつけたものだから、代替の無い服部推薦の演歌が入ったCDはおじゃん!! 番組進行はめちゃめちゃになりそうになった。適当にCMなどを挟んで誤魔化してきたものの、対応不可能は、目前である。何故なら、メインパーソナリティーを務める女優のサエコは、アドリブが全く利かないからであり、一押しCDは無いからである。仕方なく、一押しCDコーナーでは、ピン子のCDを流す事にし、サエコの為には、根木間が、番組の進行より早くシナリオを書き変えてゆくことになった。が、ドタバタする中で進行とシナリオの順序がずれてしまったり、その結果放送内容に齟齬が生じたりで大騒ぎ。(この様子は、ネットで聴取者の反応を伺っている春菜による報告から、観客にはリアルタイムで聴取者に対応するスタジオの模様が直に伝わる訳だ。)このスタジオ事情は、時折、漏れる矛盾した言葉などを通して聴取者にも伝わり、ネット上では、聴取者同士のバトルが繰り広げられている。
ところで、スタジオには、不審な荷物が届いていた。スタッフは、怪訝に思い乍らも、忙しさにかまけて誰も内容を確認していない。CMの無限連鎖で時間を持たせながら、番組立て直しを図るスタッフ達のどたばたの最中、水の代わりに酒を飲んで酔っ払ったピン子を介抱すると表へ連れ出したピン子のマネージャー花巻だったが、暫くしてピン子だけがスタジオに戻って来た。そして酔っぱらった勢いで聴取者から掛かって来た電話を受けてしまう。その電話は、スタジオを爆破するという脅迫電話であった。皆が助かる条件は、番組の秘密を暴露することであった。実は、この局の看板人気番組“ヒルナノデス”には、秘密があったのだ。その秘密とは、聴取者からの電話迄、総てシナリオに書かれている完全な作り物だということであった。原因は、サエコには全然アドリブが利かないことであった。無理をすると失神してしまうのである。その為ディレクターの麻由美が完全創作路線を通して来たのであった。
『リア王』他一編、…公演は無事終了いたしました。お越しの皆様、ありがとうございました。

『リア王』他一編、…公演は無事終了いたしました。お越しの皆様、ありがとうございました。

楽園王

pit北/区域(東京都)

2015/06/26 (金) ~ 2015/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★

三島の短編
 「火宅」とシャイクスピアの「リア王」のアレンジ作品を5分の休憩を挟んで上演。火宅では演出が光った。(追記後送)

闇に浮かぶ花明かり

闇に浮かぶ花明かり

千夜一夜座

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2015/06/27 (土) ~ 2015/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

演技レベルの高さ
 様々な作家の短編をアレンジした上で、落語の高座のように一人の役者が一作品を朗読するというのが基本パターンだが、複数の役者が共演する作品もある。役者のレベルが基本的に頗る高い。また、小道具の人形の扱いもプーク出身の役者さんが操るので命が通って見事。更に、三味線、尺八、拍子木などの音響も効果的に使われていて楽しめる。(追記後送)

TWO

TWO

学習院大学演劇部 少年イサム堂

学習院大学富士見会館演劇部アトリエ(東京都)

2015/06/25 (木) ~ 2015/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★

若者らしい、
 ストレートで真摯なシナリオの内容と、荒削りながら、一所懸命な演技に爽やかさを覚える。
(追記2015.6.30)

ネタバレBOX

主人公トオルは、中高とアメリカに留学していた。姉のカズエも一緒である。実家が地方で医院を経営している位だから、姉弟同時留学に大きな困難が伴った訳ではないが、これは万止む終えざる留学であった。
 というのも、トオルには、特殊な能力があったからだ。彼の父は、良心的な医師で急患との連絡があれば、真夜中の2時、3時であろうと往診に出掛け、人間相手の病院にペットが持ち込まれても嫌な顔を見せずに診察していた。日ごろの無理が祟ったか、トオルが小学校高学年の時に、深夜の往診から帰ると玄関で脳梗塞を起こして倒れてしまった。直ぐに家族が救急車の手配をし、長男らが奥へ父を運んだ。そこへ物音に目覚めたトオルが来て、父の頭に右手を当てると、トオルは、手が焼けるような感覚を持ち、父は、何事もなかったかのように意識を取り戻した。その後、トオル12歳の時、友人が連れていた犬が、信号待ちをしていた友人の手を離れて自動車に撥ねられてしまった。血だらけの犬にトオルが手を触れると、犬は何事も無かったかのように元気になって尾を振った。
 瞬く間にこの話は口づてに広まり、トオルの所へは、医者から見放された難病患者が押し寄せた。終には新聞に迄載ってしまったが為に、留学をして身を隠したのである。ところで、こうしなければならなかった本当の理由は、トオルの手にあった。治癒を齎す奇跡を行う毎に、彼の右手は麻痺の範囲を広げてゆくのであった。姉がアメリカへ同道したのも、トオルにこの力を使わせないよう監視する為だったのだ。
 父の訃報にトオル達は帰国した。だが、父の死には間に合わず、そのまま父は亡くなった。長男は、成績抜群だったため、名門医学部を卒業、医師になっている。トオルは力を用いない、という父との約束を父の死後守らなくなっていた。そして奇跡を起こす度に引っ越しを余儀なくされていたのだ。
 偶々、新たに引っ越しをする際、マンションの隣部屋に住むマリと知りあう。マリには弟があって、トオルに英語を無料で教えて貰っていたが、心臓に疾患があった。一方、12年前トオルの事を記事にした新聞記者が彼をしつこく追いかけ回していた。彼に友人のプロボクサーの拳を治して貰いたいと思ってのことだった。トオルは、自己を犠牲にしても他人を助けることが自らの使命と思い定め、心臓疾患を患った息子を持つ母の願いを入れて弟を救い、友人の念を慮ってボクサーを救おうと決意するが、兄姉が黙っていない。自分の体がどうなっても良いのか? 父の死に間に合わなかった無念を忘れたか? 兄姉がどんな気持ちで弟を見守ってきたか考えてみろ、と説得する。然し、トオルは決意を曲げなかった。心臓疾患を癒し、ボクサーも助けようとするが、事情を知ったボクサーは治療を辞退した。兄は早速手をうった。隣室の誰にも告げずにトオルを引っ越しさせたのである。だが、その刹那トオルに想いを寄せていたマリは、二人が初めて会った場所でトオルを発見、彼について行くことを決意する。
 若者らしい、ストレートで真摯なシナリオの内容と、荒削りながら、一所懸命な演技に爽やかさを覚える。
最後の愛人

最後の愛人

株式会社FMS

サンモールスタジオ(東京都)

2015/06/24 (水) ~ 2015/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★

ヒロイン役が素敵
少なくとも劇の主宰者は、こう見て欲しかったのだと筆者が考える事を以下に書く。(追記後送)

ネタバレBOX


 即ち、団は、さくらをして生きた作品を描いたのだ。思えば嗜虐、被虐の究極の形は心理戦にしか無いからである。肉体を介在させた時点で、それは、最早断片として無限で在るより他の無限の形を失くす訳だし、肉の耐え得る限界も自ずと存するからである。これに対し、心理作用によるSMは、無限である。
団は、この事実と女性の愛の形が狭くて深いことを用いて、さくらをして生きた作品たらしめたのだ。さくらは追い詰められ、自死を遂げた。無論、作家も彼女を心底愛してはいただろう。それ故にこそ、ロマン派の愛の極致“愛して死ぬ”という幻想の形をこの作品に織り込んだのだ。当然のことながら、さくらの死の責は、団が負わねばならぬ。最も愛する者を自死に追いやった主体として己を断ずる。このことこそ、彼が自らに科したこと、狂おしい迄の痛みを引き受ける主体としてSMを成就させる形であった。注意すべきは、さくらは、当初被虐者であったが、自死することによって、永久に嗜虐者に立場を変じたということであり、逆に構想者、団は嗜虐者の立場を永久に変じて被虐者となった点である。
 
まつりだョ!全員集合

まつりだョ!全員集合

遊々団★ヴェール

TACCS1179(東京都)

2015/06/24 (水) ~ 2015/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

初日を拝見

 何だかTVを殆ど見ない自分ですらタイトルだけは知っているドリフ番組のようなタイトルだったので、どんな内容だか、見当をつけかねていたのだが、タイトル通りの内容であった。但し、捻りや泣かせどころはキチンとあるじょ!

ネタバレBOX


 過疎化の進む地方の由緒ある神社の夏祭りは、今年の業績次第で出来なくなるかも知れないとあって、地元青年団、神社の4人姉妹に長男らが、影に日向に力を合わせ一所懸命に策を練っている。其処に飛び込んで来た神社お宅&坐女お宅改め坐女男子、離婚しそうな両親の復縁を願って毎朝お参りを欠かさない5円ちゃんらを巻き込んで夏祭りの成功に今後の地域の未来を賭けて奮闘する物語。バランスの取れたシナリオに緩急を弁えた演出、キャラの立った演技を役者陣が見せる中、肩の力を抜いて、なお、大人の狡さ、事情も含めて見せる父役の役作りは、気に入った。こういう形の狂言回しもあり! というのは、役者の演技としても演出としても素晴らしい。即ち、+++・・・と並ぶ演技の中に0とか-を入れることによる通常とは逆の狂言回し、重しなのである。
 因みに神さまかと思われるキャラが登場し、それは四葉にしか見えないのだが、ちょっと面白い設定である。これは、観てのお楽しみ。明かさニャイ! ニャロメ!! にゃ~~~~~っ。
 四葉役のけなげな可愛らしさもグー。
メイ探偵登場 ~かわいい死刑囚~

メイ探偵登場 ~かわいい死刑囚~

劇団ハッピータイム

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2015/06/19 (金) ~ 2015/06/21 (日)公演終了

満足度★★★★

中々深い
 推理が基本となった作品であるが、酔っ払い名(酩)探偵、武藤 芽衣の着眼点の鋭さと助手光岡の明晰な論理が、縦糸・横糸だとすれば、アルバイトのもんちゃんは、箍の外れた世界への入り口であろうか。本日楽日で、推理物なので種は明かさず詳細は後ほど追記すが、単なる推理物というよりヒトの傷口を見つめ、切開することによって人間そのものを描く深みを持った作品である。照明が見事なのと曲のチョイスの良さ、演出のバランス感覚、シナリオの構成、役者たちの頑張りも心地よい。
 惜しむらくは、ファーストシーンでボトルが空になっているのに蓋がキチンとしまっていた点だ。武藤の性格と能力の高さを象徴するつもりかもしれないが、蓋だけは取って、ボトルを行儀よくきちんと立たせて、観客に一種の違和感を感じさせるなどの方が導入部としては効果的だろう。

マーシー、朝の憂鬱,昼の倦怠,夜にトけて水飴

マーシー、朝の憂鬱,昼の倦怠,夜にトけて水飴

COoMOoNO

キッドアイラックアートホール5階(東京都)

2015/06/18 (木) ~ 2015/06/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

狭き門ではあるにゃ
長風呂の好きな少女アンナは、引っ越すことになった。

ネタバレBOX

パパは目が見えなくなって真実が見えるようになっているかも知れない。{当然、オイディップス王を下敷きにしているのは、リーフレットにパパ(目が見えなくなった)と書かれていることから明白だろう}
今迄住んでいた5LDKからワンルームへの引っ越しである。現在、その引っ越し先に来ているのだが、家具などは未だ入っておらず、マーシーという名の進化型ルンバ(他の家電のコントロールもすれば、アンナの最も大切な遊び相手も務める他、部屋の掃除をしたり、家事の手伝いをしたりと万能である。が、唯一の欠点は、電力を多量に食うことだ)マミーは、引っ越し作業で忙しい中、アンナの身の回りの世話を焼き、マミーとして必要だと思う事を為している。だが、アンナにマミーのイメージしていることの全体像は見えていない。
 然し大きな住居から極端に狭い部屋に引っ越して来る訳だ。何があってそうなったのかは直接的には語られない。が、マーシーは、電力を物凄く食うので部屋の狭さもあり、引っ越した先には置けないこと、これは、マミーからアンナへの強制である。唯一の救いと思われたのが、アンナの親友の家に貰われることになったことだった。それなら、何時でも遊びに行ける、アンナはそう思った。そう思ったのだが、マミーは「その家を訪れてはならない」と告げる。(因みにその理由は告げられない。だが、当然想像するではないか? 社会的階層が決定的に違ってしまったのだということを。マーシーの消費する電気代も払えない。今迄住んでいた住居の五分の一にも満たない住まいに引っ越す。パパは障害者だ。マミーはパートで働いている。他に家族の経済を支える者は誰も居ないのだ。アンナの立場に立てば、あまつさえ引っ越して来た先には、浴槽はおろかシャワーさえないのだ!! 最後の部分は科白でも状況は語られているが。 少なくとも観客はこの()内に書かれている程度のことは瞬時に想像しなければならない。それができなければ楽しめない)
もう理解できたと思うが、この物語は、マシュマロで出来ていた少女が乙女になってゆく話とでも解釈しておきたい。手法はポエティックな側面がふんだんにあるので、詩的感性を持たない人にはちんぷんかんぷんかも知れない。作家は、可也古典にも通じているようだし、インテリだろう。従って、観る側の古典の知識も不可欠である。サンボリックな詩に対する認識も不可欠である。ボードレールを起点とすれば、ランボー、ベルレーヌ、マラルメ、ヴァレリー程度は最低限フォローしたい。できればラフォルグ、シュッペルビエール辺り、そして20世紀の大詩人、ジャック・プレヴェール迄はフォローしたい所だ。国は異なるし時代も異なる部分はあるにせよ、リルケ、ゲーテ、ヘルダーリン等もフォローできれば良い。まあ、ホメーロスまで遡ることはないにせよ、できれば象徴派に近いならず者インテリであるフランス最大の大詩人、フランソワ・ヴィヨンまでは、関係があると言えるかも知れない。ダンテ、ロートレアモン、ミルトンは外しておく。傾向が違うと考えるからだ。
一方、リーフレットには、虚しさに言及した箇所があるのだが、これも男の感じている根本的な虚しさとは質が異なる点は指摘しておくべきであろう。女性で男と同等の存在の虚しさを感じることができるのは、唯一、石胎女だけであろう。知能を持つ動物が、♀を大切にするのは、♂が産む性ではないからである。産めないということは、未来を孕めないということと同義であるから、♂の感じる虚無感は♀の比ではない。これは、宿命である。同時にアイデンティティに関しても♂はその完成形を持たない。尤もエリクソンの定義とは異なるが。エリクソンは自分ほどペシミスティックにアイデンティティを捉えていない。(社会学の講義でも哲学の講義でもないからこれ以上詳しくは書かないが興味のある方はご自分で勉強されたい)本当に虚しさを語るのであれば、最低限、ルバイヤートだけは読んでおいて欲しい。言う迄もなく、ペルシャの大天才、オマルカイヤームになる詩である。
とはいえ、この作家、生活実感の中で生起する事柄に関しては実に的確にまた具体的に捉えている。従って作品としてキチンとした纏まりを具えているから、オマルカイヤ―ムについては、宿題としておきたい。(もし、興味が湧いたら読んでちょ)
ルンバの精と言うべきか、ダンサーが登場するが、身体能力の高さとリズムにシンクロナイズした動き、止めには感心した。更に、♀が、成長してゆく過程を非常に興味深く考えさせて貰った。また少女から乙女、女性に変態してゆく成長の物語でもある。(変態という言葉は、生物学で用いるコンセプトで使っているが、大衆レベルでは、とんでもない意味があるので変容と読み変えて貰って結構である。但し、女性の思春期の変化は、変容という生ぬるい言葉では表現しきれないと考えて生物学用語を用いている)

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