恋 其之参 公演情報 テラ・アーツ・ファクトリー「恋 其之参」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    詩人 岸田 理生
     詩人という特異な種族に対する普通の人々の圧力・圧迫に対して特異な者が追い詰められた果てに最後っ屁する物語。

    ネタバレBOX


     因みに最後の方に洲崎の娼婦街(現在の東陽町辺り)が出、ダンサーが足を天井に向け、肩、後頭部を床につけ肘を曲げてアングルを作って身体を支え、痙攣するような表現をするのは、無論、男女の営みでの女性を表していよう。と同時に、飢饉の度、女衒に売られ苦界に身を落とした女性の多くを占める貧農の娘達の、言葉にならない煩悶、苦悩、怨恨、忍び泣き等をも表していよう。
     物語は、この洲崎跡地に建てられた団地での少女強姦事件に纏わるからである。団地妻達の淫靡で執拗で陰湿な会話は、彼女達の欲求不満の捌け口であり、隠微な慰めである。
     これに対してレイプされた少女は、人身御供そのものである。背景には1582年から98年に亘って行われた秀吉の所謂太閤検地及び1588年の刀狩りによって自らを守る武器を奪われ、人別帳をハッキリさせられた上、一揆をおこすこと自体の困難を民衆サイドが負った歴史があり、更に江戸時代、朱子学の徹底によって、お上優位のイデオロギーによって洗脳され、五人組制度によって連帯責任を負わされた武器を持たず、檀家制度によって人別帳を民衆管理の道具として牛耳られた村社会に暮らす大衆に落ちぶれた人民は、道理を以てお上の非を糺す道を閉ざされ、互いにスパイ行為である相互監視を強めた。無論、大衆支配の方法として優れたこの方法は、明治・大正・昭和・平成の今に至るまで脈々と生き続けている。こんなベラボウな支配の方法が未だに生き続けているのは、無論、日本に暮らす大衆が愚衆でしかない証拠であり、この植民地で頻繁に問題化される苛め、排斥・排除、無視、蔑視、差別、集団による一個人への噂話の形を採った悪口等々、陰湿、淫靡、凄惨を極める愚衆達個々人の内面の塵捨て行為である。
     アメリカの植民地であるこのエリアでは、お上もまた奴隷根性を発揮し続けている。戦前、現人神として据えられた天皇・裕仁に跪拝することでその命脈を保って来た、官僚・政治屋という下司集団は、天皇の権力が失われたとみるや、跪拝の対象をアメリカに転じた。本質は下司のままである。
     このようなお上も含めた下司にとって、自らの存在をその最も深い所から照らし出すのが、詩人という種族なのである。そして、詩人の社会的位置は、今作ではレイプされた少女に重なる。否、岸田 理生は重ねたのだ。その真っ直ぐな視点によって。而も、彼女は、詩人のアイデンティファイを作品中で達成している。自死に追い込まれた、ケニア単身赴任の夫を持つ主婦が、詩人をそう在らしめているのである。つまり、彼女は内気で、下司共の会話には入ってゆけないというキャラクターとして設定されているが、その内的な精神性と排除される人生によって、この村社会の外部者として、詩人を見出す目を持ち、詩的感性を享受し得る存在として詩人をアイデンティファイしているのだ。
     だから、作中、詩人として機能する少女は、彼女の死の責任を、彼女を追い詰めた自死に追いやった者供に果たすのである。

     ところで、詩人は風になった。諸君の直ぐ傍らを吹き抜けるかも知れないぞ!

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    2015/07/12 14:42

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