ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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最悪な大人

最悪な大人

劇団献身

OFF OFFシアター(東京都)

2016/06/03 (金) ~ 2016/06/12 (日)公演終了

満足度★★★★

この植民地終わってる
今作も一種のディストピアという印象を持った。

ネタバレBOX

 3.11以降のこの「国」の為政者共の対応を見て、まともな神経を持ち、まともな感性と思考力を持つ者なら総てが、終わっていると判断するだろう。ハッキリと狂っているのが分かるのが、この植民地の奴隷共だ。
 以上のような状況で暮らす若者達の絶望の詰まった作品ということができる。但し、彼らもまた年を取る。そのことを充分に知った者が書いたシナリオであるから、屈折している。ヒーローは自分の親父でフードファイターとして新チャンピオンになりかかるものの、この熱狂をTVで見ていた子供たちが真似て死亡事故が起きたことからブームはあっという間に萎み、父はヒーローらしさを失って運送会社の所長に収まった。だが、部下の殆どは使えない連中ばかり、そこへヤクザ紛いのクレーマーがどうやらシャブを密送したらしい。その荷物にクレームがついて大変なことになった顛末。内実は観てのお楽しみ。
どりょく

どりょく

かわいいコンビニ店員 飯田さん

北池袋 新生館シアター(東京都)

2016/06/02 (木) ~ 2016/06/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

バイアスを排して
 今回は、新作3本の回、再演3本の回があるので、日・時はキチンと確認して欲しい。自分は新作の回を拝見した。

ネタバレBOX

上演順にタイトルを挙げておくと①「果実」②「軋むほど君を抱きしめて」③「美の生産者たち」何れの作品も、シナリオが良いので見損じはない。
 ところで、分かり切ったことを念の為に書いておく。今回3作品に共通する視座でもある。言わでもがなではあるが、大方の人には、第2、第3の本能とも言えることであるので敢えて書かせて頂く。即ちバイアスを排除することから始めなければならない、ということである。少なくとも革新的表現者は例外なくそうであるし、そうであった。これは、表現が革新に至る為の緒である。これなしに新たなことなど生まれようが無いのだ。その分、一般の人には奇異に映るであろう。何故なら一般の人が一般であるのは、慣習と常識に囚われ、その範疇で総てを判断しようと図るからである。革新的表現をする者・目指す者は、先ずこの箍を外すことから始めるのだ。ここが才能の分岐点である。
 その意味で今作は①~③迄総てバイアスを取り除いた地平から見えてきたもの・ことの意味する所、またそのように見える所のもの・ことの証言である。心して観劇されるがよろしい。この作品を観る観客が、世界に対してどれだけ開かれているかを計る物差しにもなっているからである。
 無論、役者陣の演技も、演出もグー。また、実にチープな舞台美術にも重大な意味が込められている。一見チープに見える必要がある内容なのである。何故なら、ここに登場するキャラクターは総てマイノリティーだからである。ハッキリ言おうか! 総て被差別者なのである。だから、一見、チープに見られる必要があるのだ。この舞台美術は作品が要請する必然なのである。選曲も良い。一例を上げれば、In the year 2525。この歌詞は、完全にディストピアであろう(アイロニーに満ちた)。今のまま、ヒトが無責任に地球と其処に生きる生命、様々な資源を収奪するだけなら、残るのはディストピアだけなのは余りにも明らかだ。それは、ヒトという種の滅亡をも示唆している。一部は宇宙に逃れ、宇宙の放浪者になるかも知れないが。宇宙の他の知的生命体にとっては、凶暴で残忍な敵でしかあるまい。生き残ったヒトという生き物は。今作、少なくともこの程度のことを考えさせる射程を持つ。
ORPHANS / 希望荘にて

ORPHANS / 希望荘にて

GROUP THEATRE

劇場MOMO(東京都)

2016/06/01 (水) ~ 2016/06/05 (日)公演終了

満足度★★★★

希望荘にてを拝見
 戦場カメラマンの小松と山本は、自分達が撮っている戦場の悲惨な写真現場の余りの悲劇に心を痛めいつか被害に遭った子供達が、何とか傷を癒し明日に向かって旅立てるような施設か、笑い合って共同生活を送れるような生活空間を立ち上げたいと思っている

ネタバレBOX

。そんな戦場撮影の中で、親を殺された子供を銃撃をかい潜った山本は助けた。
 結局、小松はその後社会で行き場を失った若者達を集めて集団生活を送れるような空間を創設した。1年間に限り家賃は無料。但し週5日間は共同農場での野良仕事を皆でやり各々の自立の道を探すという訳である。
 作り方で面白いのは戦場撮影の場面の後、話はこの共同空間に直ぐ移っているのだが、此処には小松と山本が居て、この施設は二人で立ち上げた、という内容になっているのだが、この話は二幕では小松の妄想という具合に転化されて、小松がこの施設にやって来た理由が述べられる。それは、この日本社会への非難でもある。匿名性を武器に何の根拠も事実の確認作業もなく、実際の出来事は何一つ知らず、事情や背景も知らぬまま、唯面白おかしく白眼視して見せることで、真実とそれを知る者を社会的に抹殺してゆく。この頭を欠いた百足のような、鵺のような、異端者を徹底的に排除する村社会の論理に対する批判は正鵠を突いて見事。この時の迫真の演技も良い。
 元カレのDVに耐えかねてここに逃れて来た希美を巡り元カレが舎弟を引き連れて取り返しに来る訳だが、ここで新たに芽生えた恋に対して小松も他のメンバーも、外界へ新たに目を向けるきっかけになり自立への萌芽として描かれている点、ナイフを抜いて向かって来る元カレに対して、如何にも元戦場カメラマンらしい度胸の据わった対応、何も分かっていない癖に甘ったれたガキに対する紛争地経験者としての怒りの正当性をその背景に匂わせている点でもグーである。
正しい時間

正しい時間

遊劇社ねこ印工務店

小劇場 楽園(東京都)

2016/06/01 (水) ~ 2016/06/05 (日)公演終了

満足度★★★

前説はにゃんとにゃくにゃこ顔にょ、にゃんごとにゃき方にゃ。

 はじまり、はじまり~~~~~にゃ! (あとでにゃ~~~~)

ネタバレBOX

にゃきいしチャリンコ!? ハンドル中央にゃ、ガラ系携帯みたいにゃグッズが付けてあって、これ全体でタイムまし~~~~~んニャ! で、ガラ系で行く先の時代設定をするんだにゃ! ふにゃ~~~~~~~ッ津!! で、飛んだ先にゃ。おじさんのおじさんより年下の父さん母さん他がいるにゃ=~~~~~。
初日だし、またにゃ~~~~~~。お父さん若い頃、内気で礼儀正しくて、お母さんを愛しているにょに、にゃかにゃか言えにゃくて、きゃわいいにゃ~~~! この礼儀正しさにハンダラは好感を持ったんだってにゃ~~~~。
くさらくご 第5回

くさらくご 第5回

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2016/05/27 (金) ~ 2016/06/05 (日)公演終了

満足度★★★★

役者の落語、咄家の落語
 役者が落語を演ずるパターンはそれなりにあるのだが、役者の演じる場合は大抵独り芝居が基本コンセプトになっているようである。今回は、三味線も若干入り寄席の雰囲気が醸し出される。

ネタバレBOX

第5回公演では、毎回プロの咄家である古今亭志ん彌師匠も噺をしてくれるので、役者のやる落語と咄家の落語の差が比較できて面白い。咄家の場合、矢張り言葉というものに対する姿勢が異なる。落語を関係の芸として磨いているのだ。無論、言葉そのものが関係であり、落語の場合は、言語関係を秤に懸けた上で按配し直すという感じがする。これが、実に面白い。人間関係そのものが、間なり、調子なり、或いは所作や表情の手助けなりで、言葉として物化してゆく。これが咄家の落語である。一方、役者の落語は、言葉が物化するというより、人間化してゆく。そこに現れるのは言葉そのものの物化であるより言葉と身体を通しての人間化なのである。言い換えれば咄家の芸が言葉を物化するのに奉仕しているのに対し、役者の芸は言葉(台詞)を含む身体表現が人間に向かって収斂してゆく。どちらが良いという訳ではないが、何れも深く楽しい芸である。
奇妙なり――岡本一平とかの子の数奇な航海ー

奇妙なり――岡本一平とかの子の数奇な航海ー

オフィスワンダーランド・(一社)演劇集団ワンダーランド

紀伊國屋ホール(東京都)

2016/05/26 (木) ~ 2016/05/29 (日)公演終了

満足度★★★★

かの子
今生きていても素敵な女性だろう。

ネタバレBOX

 瀬戸内寂聴の「かの子繚乱」によっても、また岡本 太郎の母としても、今では父、一平より名を知られるかの子であるが、彼女が夫公認の愛人を持ち、而も息子の太郎がそれを気に病んでぐれることもなく生活し得たということは、近年で言えば赤塚 不二夫と初婚夫人、再婚夫人同士がとても仲の良い間柄であり、娘さんも道を逸れなかったことに近いかも知れない。が、時代が時代であり、尚且つ今作で描かれるのは当時珍しかった外遊に、一平は、妻のみならず、妻の愛人二人と太郎迄一緒に船旅をさせたのであった。神戸からマルセイユ迄である。船の名は箱根丸、ロンドンで開かれた海軍軍縮会議取材旅行が一平のミッションであった。今作ではこの長い船旅の道程を描いている。無論、この間に何故、一平とかな子がこのような関係を持つにいたったか、現在の東京芸術大学の前身であった東京美術学校に父同様入学していた太郎は18歳を機に本場パリで絵の武者修行に入る為、父の取材に同行。母、母の愛人二人も同様であった。だが、源 五郎が指摘するように一平には、1929年当時の、遅れた日本と言う村社会にバイアスを排した人間関係構築をプロデュースする意図があったのかも知れない。まあ、役人なんぞの硬い頭より、日本の民衆は開けた性意識を持ってはいたハズだが。それが体制を前にすると萎縮するのは未だに変わらない日本人のダブルスタンダードである。国家を代表しこの会議に出席する為に乗り合わせた海軍少将と、その二回りも年下の妻に絡むエピソードや、アルゼンチン・タンゴを取り入れた楽しめる舞台で、かの子役がキュートである。
グランメゾン・アカシア

グランメゾン・アカシア

the pillow talk

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2016/05/27 (金) ~ 2016/05/30 (月)公演終了

満足度★★★★

劇団名とタイトルの関係 花4つ星

 から、何となく日本のチンケな家屋やメゾネットについている大仰な名称に対する揶揄が浮かんで面白い。

ネタバレBOX

グランメゾンとフランス人が聞いたら先ずシャトーのような豪邸を頭に思い浮かべる。当然、日本のメゾネットなんぞでは話にならない。自分の住んでいたモンペリエにもメゾンがあって、その塀の1辺を歩くだけで15~20分かかったから、周囲は6㎞~8㎞はあっただろう。(自分は歩くのが早いので)まあ、メゾンというのはこういう規模である。現在は公園になっている有栖川の都立図書館辺りに屋敷を建てて他の部分を庭にした程度であれば、メゾンと認めて貰えようがまだ狭い感じは否めない。
 ところで物語が進行するのは、居間になった一角を中心である。他は、居間を中心に演じない役者が控える為の椅子席になっており、そのエリアを暗くして、再婚予定のバツイチ新婦と父との寝室(上手客席側)因みに上手奥は玄関とそれに続く廊下エリアということになろうか。元長男の部屋(現在は再婚予定の新婦の連れ子の娘に使われているは下手手前)、長女の部屋(下手奥)等が科白で示される。これがタイトルとの対比で実にアイロニカルで滑稽だ。だって実際そうだろう。有栖川公園は場所柄も含めて都内有数の公園だがそれが漸くメゾンとして認めて貰える程度だとすれば、こんなチンケな「家」にグランメゾンなどと冠されていれば、臍が茶を沸かす。という感覚で当然だろう。
 その上で如何にもチンケなこの国の自意識同士がpillow talkを繰り広げるようにぶち当たり鬩ぎ合っている。実に日本的ではないか? 世界状況などまるで何の関わりもないかのように。チンケそのものの日本!
ビッグマウス症候群

ビッグマウス症候群

劇団フルタ丸

「劇」小劇場(東京都)

2016/05/25 (水) ~ 2016/05/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

選挙監視団 花5つ星
が必要なのは、日本の選挙。自民党が大勝した選挙でも、多くの疑惑がささやかれてきたわけだし、この「国」が民主主義国家の一員であることは頗る疑わしい事実ではないか? その証拠に国民の政治的無知と肝心な情報の意図的廃棄と隠蔽、意図的無記述など、基本的に事実を捻じ曲げるためのノウハウの信じられないような行使がある。

ネタバレBOX

 地方に左遷されたSE、刃根は受診させられた心療内科の医師、三浦から“ビッグマウス症候群”と診断され薬を処方されるが、その薬を飲むことを拒否する。この街には、彼と同じようにビッグマウス症候群と診断された患者が何人かおり、彼らは、食間になると必ず、合図の出る機器のアラームに従ってその錠剤を飲むという習慣性を既に身につけていた。何れの患者も弁が立ち目立ちたがり屋で他の人々に影響力を行使し得るポテンシャルを具えていることが、共通項であった。三浦の父は、この街の町長を6期務めた有力者。彼女の処方箋に示されていた薬、レミングスは他人に逆らってでも何かを為そうというインセンティブを抑える効果を持った。即ち三浦の父の町長6期連続当選には、対抗馬となり得る人々のインセンティブをこのエリアの病院の副委員長が薬で抑えるという重大疑惑があったのだ。
 刃根は、自らのSEとしての力、即ち調整力を使って巻田を対抗馬、選挙事務帳、鶯嬢、選挙カー運転手などを手配。仲間をそれぞれのポジションで活躍させるための策を練り実行してゆく。舞台上手奥には、様々なサイズや色の木片をパッチワークのように張り合わせて作られた壁があり、丁度、病院の入り口に当たる所から、患者達が心療内科に掛かる人々であることへの世間のバイアスとそのバイアスを気にする患者たちの心的構造の複雑さが、象徴的に表されていると見ることができ、本当はどろどろしてマニエリスムの描く螺旋状の境界のハッキリしない実態を持つにも関わらず敢えて四角を基本としている所にアイロニーとバイアスへの笑いが込められているように思う。風だけが有名な風見町の産業は玩具の風車と風鈴。然し産業として成り立たない風車が、壁の随所に埋め込んであるのは、6期も無風状態で町長が決まって来たこの街の選挙民の精神的倦怠・怠惰そして奴隷状態を表していると同時に、風を吹かせば回るこの玩具の在り様をアイロニカルに示して効果的である。
 今回が劇団員6人だけで上演する2回目の公演だが、シナリオの質の高さ、いつも通り実にバランスのとれた演出に、息の合った役者陣の演技で堪能させて頂いた。照明、音響効果も舞台を盛り上げていたことは言うまでもないし、中央を台形に切り取った舞台美術も効果的に使われている。
僕が、明日その先へ辿り着くためのレジスタンス

僕が、明日その先へ辿り着くためのレジスタンス

劇団もっきりや

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/05/26 (木) ~ 2016/05/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

ブラボー 花5つ星
 生きる権利。

ネタバレBOX

 日本では余り聞かないが、“スコッター”だのSDF(sans domicile fixe)と称される人々がヨーロッパには多い。自分の知っている限り白人であった。自分が良く知るのは1994~95年頃の大陸ヨーロッパであるから現状は定かではない。が、スコッターとは廃屋や廃ビルに勝手に住みつき其処を根城に生活する人々のことで、法律上は不法占拠者ということになる。貧しく不特定多数が共同生活をしているということがあって周辺住民が不安視しやすいのでクレームが寄せられたりすると役所も放っておくことはできないから強制退去させられることもあり、小競り合いは見掛けた。ヨーロッパ人の場合は、生存権の概念も強いから、スコッター達も排除の論理に対する生存権ということでぶつかり合うので、スコッターを支援する者もあり、排除する側も余り大事にはしないようである。それでも邪魔者扱いされることに違いはなく、彼らの使う言葉は、どうしても反社会層が用いるスラングが多用されるのも事実だ。外国語をある程度キチンと学ぶと悪口表現が多いことに驚かされるが、あそういう言葉も含めて罵りのバリエーションには目を見張る。人間は、言葉で思考する動物であるから、その考え方、社会での在り様、生活形態などが、その言葉を用いる人の表現に反映されやすいことは、言葉に敏感である程の知性を持つ者なら気付いているハズである。
優れた詩人が何故に尊敬されるべきであり、文学表現の最高形態とされるのかは、これらの事情があるからであろう。因みにSDFは住所不定者であり、時にスコッターとも重なり合うが、必ずしもスコッターと言う訳ではない。ヨーロッパに多い大道芸人等もアパートを借りるほどの金は無くても、季節やイベント開催の時期に合わせて移動し、各地で大道芸を披露する人々の中にもSDFは居る。要は住所が固定していない人々全般を指す言葉だ。閑話休題。
 今作は、かつて賑わった街の小劇場が使われなくなって、そこに住みついたスコッター達と、周辺住民からのクレーム処理の為に管理人となった人物の交流を描いて、日本人には権利意識の薄い生存権の問題を提起した作品である。シナリオの素晴らしさ、力のある「役者陣の演技の素晴らしさ。過不足なくバランスのとれた演出。何れも素晴らしい。今から再演が望まれる。

東京ポリスレッスン

東京ポリスレッスン

劇団 演劇らぼ・狼たちの教室

アトリエファンファーレ高円寺(東京都)

2016/05/26 (木) ~ 2016/05/29 (日)公演終了

満足度★★★

月組を拝見
 つか こうへいの「熱海殺人事件」の部長刑事、木村伝兵衛をなぞったような篁を中心に展開してゆく今作。

ネタバレBOX

つかのパロディーというより作品をなぞる形で展開してゆく。作品の骨格が当につかなのである。熱海では、自覚のない犯人を立派な殺人犯に仕立ててゆくのであるが、今作は新米デカを一人前のデカに仕立ててゆくのである。その為に用いられるのが、スタニスラフスキーの演劇論ではなく、アテガキを真骨頂としたつか演劇の方法論という訳だ。
 一部Wキャストの上演だが、まだまだ役者が若いということもあり、上手さという点だけから見れば難もある。然しながら作・演出の狙いはそこには無いように思われる。最後の最後にこの劇団の主張が出てくるのであるが、その科白以外の所で、個々の役者の存在感が引き立つのである。これは並大抵のことではない。そして役者が舞台で存在感を発揮することこそが、演劇の根本なのである。この最も大切なことを表現できたことを寿ぎたい。一方、存在感を獲得できた上で技術の習得は無論のことである。それを成し遂げる為、広く深くたおやかに、自らの想像力を磨いて欲しい。今後に期待している。
あしたのジョー

あしたのジョー

劇団め組

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2016/05/25 (水) ~ 2016/05/29 (日)公演終了

満足度★★★★

素直に感動できる 花四つ星
 言うまでも無く、ちば てつやの漫画“あしたのジョー”の舞台化である。(追記後送)

ネタバレBOX

泪橋でのおっちゃんとの出会いから練鑑、特少、葉子との出会い、力石との確執と最後の試合迄が描かれる。無論、丈にガードの大切さを教える為に青山にかかりっきりでコーチをし、青山にダウン迄奪わせてボクシングのノウハウを仕込んでゆく段平の心苦しい念、青山を利用して詫びる姿にロマンに賭けた男の悲哀と決意、そして痛いような心情を汲み取った。
 トランクス姿を見せる、丈役、力石役は役者として当然のこととはいえ、キチンとジムに通い鍛錬を積んだことは、その体を見れば明らかである。怪我をすることもあったであろう。が、舞台に立つ為にこのようにキチンと体を作ってくる役者根性には改めて頭が下がる。段平役も切れのある演技と、若い役者全体をそれとなく引っ張ってゆく度量が良い。更に、練鑑以来丈と腐れ縁の西役も渋い所を見せるし、青山役もキチンとした所作をしている。葉子役は決して上手いとは思わないが、丈、力石との謂わば精神的な対決をする役どころなので見せ場はつくれていた。丈、西のアルバイト先の娘、紀子役も若い娘の素朴な感じが出ていて可愛らしい。
Hamlet

Hamlet

演劇集団 砂地

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2016/05/21 (土) ~ 2016/05/31 (火)公演終了

満足度★★★★

ラディカルな解釈 花四つ星
 今作の底本はQ1版である。リーフレットの説明によればHamletの底本には3種類があり、通常使用されるQ2,F1はQ1より長く科白も異なるという。またシーンの順序も異なる。構成、台本、演出を担当した船岩氏が敢えてQ1を選んだのは物語の展開が他の2版より分かり易いと感じたからだという。

ネタバレBOX

更に登場人物たちの与える印象が、自らが上演し
たいと思った「ハムレット」という作品イメージに符号していたからだという。無論、Q2,F1からも借用した部分はある。だが、今回の上演台本を創るにあたり根本的に他の2版より短いQ1版では、削るより足す方法が採られている。結果、非常に現代的なハムレットになった。衣装も完全に現代ならば、科白回しも現代語訳である。而も固有名詞が用いられることは殆どない。その代わりに強調されるのが、各人の役割である。現王は現王の、妃は妃の、王子は王子の、その恋人は恋人の、宮廷貴族は宮廷貴族の、墓堀は墓堀の役を恙なくこなしているのである。そういう機能の中で門題化されるのが、制度と人間の関係である。シェイクスピアの生きたエリザベス朝は無論王政であるが、原始共産制以外の社会システムはその基本構造は同じだという事もできる。(学者が聞いたら目を剝いて怒り出しそうだが)即ち収奪する者とされる者である。収奪する側は富、権力、権威、知、軍事力、名声、名誉、社会的地位などの総てを独占し、収奪される者を支配する。
 To be or not to be, that is the question.という有名な科白も今作では“生きるべきか死ぬべきか云々”との訳ではない。一応、先王の亡霊から復讐を委ねられたハムレットが悩む場面で、イマイチ座りが悪いように思われたのは、真に彼が対決すべきであったのは、この制度という怪物であったにも関わらず、彼の生きた時代(と我々の時代も含めて)煩わしい人間関係から目を転じて関係そのものに着目できる知性が余りに少ないことを表している。そしてこのことこそが、ハムレットが真に悩むべき問題であった。ちょっと抽象的になるが、ハムレットの真の悩みは、それにうすうす気づきながら、問題を的確に処理できなかったことにあろう。
観劇後、何とも言えない蟠りのようなものが心の奥底に残ったのは、今作がこの辺りの事情を提起できた証拠だろう。実験的でラディカルな演出、それに応えた役者陣、殊にハムレット役、オフィーリア役、クローディアス(&先王)役らの演技、そして墓堀(マーセラスも)役は気に入った。

ダイニングトーク

ダイニングトーク

T1project

小劇場 楽園(東京都)

2014/04/29 (火) ~ 2014/05/06 (火)公演終了

満足度★★★★★

何度も観たい
 T1プロジェクトからは多くの役者たちが巣だってきた。今回もAmour,Bague,Croix,Diamantと4組が、同一作品にチャレンジするが、自分はCroixチームを拝見した。主宰の友澤氏の作・演だが、彼のセンスの良さと物語を紡ぐ能力の高さ、そして演出の巧みによって、若い役者たちの才能を引き出している。

ネタバレBOX

 なお、ネタバレに関しては近日中、以下のサイトにアップするので、興味のある方は見てほしい。http://pubspace-x.net/pubspace/ペンネームはハンダラである。
笑う数学者

笑う数学者

ZIPANGU Stage

萬劇場(東京都)

2016/05/18 (水) ~ 2016/05/22 (日)公演終了

満足度★★★★

純粋学問としての数学 花四つ星
 下司共の跋扈する政治や不確定要素だらけの俗界を離れて、純粋に遊べる(=追及できる)学門は数学だけである。分かり切ったことだ。だが、多くの数学嫌いは、この見解を否定する。それでも、この徹底性と合理性への抒情的な好みは否定しようがない。

ネタバレBOX


 フェルマーの最終定理をはじめとして、世界中の数学者がチャレンジし知のレベルを競っている素数問題をはじめまだ解決されていない様々な問題が按配よく提示されると共に、実用には役立たないとされがちな数学と数学的思考を用いてカシオペア島の謎解きをしてゆくのだが、数学の美しさと美人に弱い数学教授を掛けて、数学好きの傾向、即ち純粋美を追い求める趨勢を示唆している点も含めて好感を持った。
 推理形式を楽しむ作品なので詳細は省くが、純粋学問としての数学の面白さが随所に織り込まれると同時に、シナリオ展開に上手く絡み、更に幾重にも折り畳まれていた人間関係が終盤の謎解きで明らかになってゆくさまも心地よい。
人間なんてラララのラ

人間なんてラララのラ

東京アンテナコンテナ

「劇」小劇場(東京都)

2016/05/18 (水) ~ 2016/05/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

Whiteチームを拝見 花5つ星
 コメディーが難しいとは良く言われることだが、理由の無いことではない。

ネタバレBOX

何となれば、シナリオはスナップの良く効いた理知的な背景を持たねばならないにも関わらず、間が抜けていたり、ナンセンスが随所に盛り込まれていたり、手練れの観客の先読みを上手くはぐらかすだけの幅と深みとを持ちつつ、同時に人間が存在することの哀しみ、辛さをその表現の根底に持っていなければならないからである。
 今作が素晴らしいのは、これら喜劇に必要な要素総てが良く練られたシナリオとイジリー氏の適度に配されたアドリブ、アドリブに突っ込みを入れる池内氏の当意即妙の応対によって、それこそ優れたジャズのアドリブのように展開することである。観客は先読みの効かない展開にワクワクしながら観入ることになる訳だ。これが実に面白いアクセントになっている。
 つまり、コメディーに必要な総ての要素を含んでおり、極めて楽しく、同時にダメ人間の持つ人間性を遺憾なく発揮して、泣かせる内容である。
 シナリオが、死神同士の対決として描かれている点も見逃せない。ゲーム感覚で観られるのだ。一方、死神のキャラクターは決して単純に描かれていない。この辺りに人間観察の鋭さ、深さと作家の温かく寛容な目を見ることができる。また、男の役者たちは、余り恰好良い人が多くは無い割に、女優陣には可愛らしい人が多いのも面白い。可憐な花のように美しい女優陣に囲まれて、男たちの上手い演技が冴える。
余計者

余計者

teamキーチェーン

d-倉庫(東京都)

2016/05/18 (水) ~ 2016/05/23 (月)公演終了

満足度★★★

作品の要求するものを描くべき
 まだ、勉強と思索が必要。(追記2016.5.22 01:56)

ネタバレBOX

 先ず、この作家の日本語についてだが、助詞の使い方がめちゃくちゃ。フライヤーに印刷された細かい文字を苦労して読んでみたがもう少し日本語を勉強した方が良い。言葉が不正確だから、役者の滑舌が悪く聞こえる。更に、余計者という言葉の正確に意味する所が、作品の中に無い。これは、言葉そのものが正確に理解できていない為に、作家の内部に哲学が成立していないからである。サルトルが、何故、実存主義を選んだか? 彼が余計者という意識に悩んだからだ、そう自分は考えている。余計者と自己認識する以上、主体は、社会の埒外に在るか、少なくともそれに非常に近いレベルに在る。そして、その次元とは、狂気との境界領域でもあろう。20世紀構造主義哲学を代表するフーコーの定義では、狂気とは純粋な錯誤である。自分如きの認識とフーコーの定義を同列視するのは僭越であるが、自分の考えを述べさせてもらう。余計者は、純粋錯誤の境界領域にその精神を置く者である。従って、自分が定義するレベルでの余計者は今作には登場しない。どんなにありきたりの人間にでも、近いとイメージされそうなのは、引き籠りの息子だが、彼の主張も単なるモラトリアム人間のそれで極めて陳腐。他の出演者たちが、人が殺されるシーンの度に呟いているフレーズも総てモラトリアム人間の発しそうなフレーズで、思考のレベルが総て同じ。キャラの立ちようがない。社会階層の底辺を生きて来た、楓一家の挿話が、唯一その悲劇性に於いて異相を為しているわけだが、楓自身は妹を救うミッションを抱えて居る為に余計者という設定には当てはまるまい。楓が観客の目の前で余計者として屹立する為には、妹を娼婦に仕立て「母」と信じさせて育てた仇である青木を殺した後、状況を正確に理解できない妹を殺してこそその資格を得ると知るべきだろう。ちょっと説明しておくと、兄が、彼女が母だと思っている人間を殺したとき、妹は、その死を(認識できずにいるわけだが、兄の説明で漸く死んだということを理解した彼女には兄が認識できない。乳飲み子だった彼女が結果的には、仇である青木に引き取られて育てられ、いきなり17年後の兄を初めて見て分かる訳もない。だが、自殺した父母との約束を己のミッションと信じて多くの人間を殺害してきた楓にとっては、この時点で初めて、自らが余計者であるという実感を抱くことになる訳だ。そのショックで妹を殺害することになって悲劇が完結するというのが、普遍性に近い展開なのではないか? こういって悪ければ、作品の要請に近いと信じる。作家にはこのことを自らが書ける程度のリアルな観察眼が必要である。残念乍ら、作・演出は極めて甘い。
 筋の展開にも工夫が欲しい。ほぼ時系列に沿った展開だが、観客の想像力を信じて展開の仕方を入れ替え、エッジの立った筋立てにした方が、同じ内容でも映えるだろう。この辺り作・演出は同一人がやっているのだから視座さえキチンとすればできるハズ。頑張って欲しい所だ。また、舞台大道具、予算が許すのであれば使用頻度の低い下手側は階段を取っ払ったりしたうえで、もう一つか二つ、簡単な部屋を作ってもいいし、現状のままであればマンションの部屋などということにしたりして、科白でキチンと説明をつけるのも良かろう。間取りが同じで、以上指摘したようなノウハウなしに風俗店も和馬兄妹宅も土井親子宅も楓一家宅まで全部同じ部屋を使いまわす。これでは芸に乏しい。何より観客に分かり難い。 
こういう、本来言外で分からせるべき部分は、キチンと作って観客に過不足なく理解させ、シナリオの表す劇的なものや登場人物の心理の掘り下げを更に深く訴えて欲しいのだ。
 良かった点も挙げておこう。観客席の椅子は間隔を充分とった上で半身ずらしに置かれており、非常に舞台が観易い。この配慮は有難かった。
 
紙の方舟

紙の方舟

シアターノーチラス

小劇場 楽園(東京都)

2016/05/18 (水) ~ 2016/05/22 (日)公演終了

満足度★★★★

第20回公演おめでとう 花四つ星
 イエスの方舟事件というのをご存じだろうか? (追記2016.5.22 14時半)

ネタバレBOX

1970年代当初、千石イエスの下に集まった20人ほどの男女は“集団誘拐された、神隠しにあった、更には洗脳されたセックス集団”などと1980年頃から騒ぎ始めたマスメディアの縷言蜚語で攻撃された。殊にその中心に居た千石イエスは非難の的にされたのである。然し後には、参加していた総ての人々が、自ら進んで家庭を捨て、集団生活を営むようになったことが判明。騒ぎは収束に向かった。
 今作は、この事件にインスパイアされた作・演出を担当する主催者の作品である。自分自身、言葉を紡いで生計を立てて来た身でもあり、週刊誌記者となる道も選択肢の一つであっただけに、結果的にその道を選ばなかったが、メディアの取材態度や時流に乗り、或いは時流を作ってゆくことに様々な思いもある。
 ところで今作、日本の家族関係という習慣に疑義を呈したどちらかといえばセンシブルで比較的豊かな社会層に属し目立たなかった人々のうち、習慣としての制度に疑義を抱いて家を飛び出したモラトリアム人間たちのような気がしてならない。中心になっているマザーと呼ばれる人物は無論一度も登場しない。これが、日本的制度の本質だからである。即ち空虚が他者を蝟集する役割を果たすのである。現在、マザーを継ぎそうな者は二人。創設メンバーのイズミ。そして創設メンバーではないもののリーダー格のスミレである。どちらかというと受け身で状況の中で頼って来る者の発する声を聞き取ろうとするタイプで現マザーに近い。それに引き替えスミレは合理的判断に基づき、総てを思うがままに作り上げようとする。どちらが継ぐことになるか議論になろうが、実際に彼女たちの何れかがマザーを継ぐことは無いように思う。何故なら、彼女たちの何れもが現マザーほどの神話を未だ身に纏ってはいないからであり、それを纏う為には継承儀式が必要となり、そうなれば、最早、本物ではなく唯の代理に過ぎないからである。
然しながら、今作に登場するキャラクターのうち、最大の発明は、ウキタというキャラクターであろう。彼こそこの作品がイマージュの基底としている千石イエスの方舟事件そのものを、人間存在の不条理の側から平衡化しているキャラクターだからである。どういうことか? 彼の生は、謂わば生きながらの死である。彼が時々生命を奪わねばならぬのは、自らの生を確認したいからなのだ。だが、他の命を奪うことによってその問いに答えが与えられることはない。単に彼の向き合う情況に更なる虚無を付与する行為であるというに過ぎないのだ。だが彼自身、それを自覚することは未だにできていない。何となれば彼には社会性が無く、それ故にこそ虚無に相対し、虚無から「自ら」を覗きこまれることによって自らを虚体と為しているからである。一方、紙の方舟は世間から見ると疎外された存在であるが、彼らは社会性自体を失っている訳ではない。唯心理的に「シンドイ」レベルに居り、一種のシェルターとして“紙の方舟”と名付けられたモラトリアムの船に載っているだけである。実際、彼らは紙の方舟に乗っていた訳ではなかった。紙の方舟を待っていたのである。
 一方、この方舟の中でも一般社会対方舟の縮図が描かれている事に注意せねばならない。その構造はウキタvs他のメンバーであり、疎外のレベルはこの小集団の中ではウキタが担っているのである。そして彼の疎外こそ、その非社会性の強度に於いて唯一、マザーに対置し得るパップとしての虚体であり、男性原理の本質でもあるのだ。従って彼の魂は彷徨しており、彷徨とは死であることは今更言うまでもない。
 つまり今作が提起している問題の根は、単に大衆によってまき散らされた縷言蜚語が何を為したかではなく、それをそのような形で成立させる為に用いられた謂わば制度の構造とその心的・深的機構、その機構の中心に「存在する」虚についてなのである。
許されざる者

許されざる者

シンクロ少女

OFF OFFシアター(東京都)

2016/05/17 (火) ~ 2016/05/24 (火)公演終了

満足度★★★★

ハッピーエンドバージョンを拝見
 マンションの上下階に住む2組の夫婦の奇妙な交流を描いた作品。

ネタバレBOX

ローンの残りは下の階の住人(町田 ゲンキ・サヤカ)は30年、姉さん女房で一回り年が違う。ゲンキはフットサルのコーチ、サヤカは市民劇団の女優。上の階の住人のローンは残り10年(坂本イクオ・ナツコ)、なおイクオはバツイチでTVのシナリオライター、前妻(鈴木コズエ)との間に8歳になる一児あり、シナリオは前妻と未だに共同執筆している。因みに両夫妻とも結婚6年の倦怠期。
 サヤカは一回り姉さん女房ということもあろうが異常な嫉妬でゲンキを追い詰める。その模様は、見ていてげんなりするほどだ。というのもゲンキがシングルマザーと浮気をしていたことがバレタ結果なのであるが、連日、一から十までそのことで絡まれ、蒸し返されてゲンキも遂にサヤカに浮気を勧める。ここで、大人同士の手練手管を用いた駆け引きがあるのだが、このマンション建付けが悪いのか階下の物音が上階へ筒抜けである。コズエからこの情報を得ていたナツコはベランダに出て階下の言い争う様を見聞きするのを楽しみにしている。“他人の不幸は蜜の味”とはよく言ったものだ。そのナツコは一応、目の前にいる時、亭主が自分を愛してくれればよい。浮気も基本的には許すというスタンスで、コズエとイクオが良く一緒に映画を観に行っていることも黙認している。それでも、小遣い稼ぎにドーナッツを揚げて売っている。味には定評があって、リピーターも多い。偶々、ナツコからドーナツを買ったゲンキ、自然と話をするようになってナツコの提案で気分転換にスカイツリーに出掛けた所、サヤカにばれ、ここでもひと騒動。それぞれ、連れ合いに知れることとなった為、二組の夫婦は話し合いの場を持ち、結果納得づくでスワッピンングをすることとなったが、卵巣を一つ摘出して妊娠しにくかったサヤカもナツコも妊娠した。これはルール違反だとしてゲンキが激怒。二組のスワッピングは終わりを告げることになった。イクオと別れてから長くシングルマザーを続けてきたコズエは、ゲンキの紹介で知り合った男といい関係になって、イクオとのコンビも解消することにした。ゲンキは自分の子ではないであろうお腹の子を自分の子として育てる決意をし、田舎へ引き籠ることにした。それが、サヤカの希望であったからである。ナツコのお腹の子はイクオの子だとナツコは言う。だが、ナツコもイクオの持つ距離感に耐えられなくなって別れることになった。イクオは独立したシナリオライターとして生きてゆくことになるが、ちょっと元気がない。
 許されざる者、というのが誰、というのでもない今作、総ての登場人物が許されない、と解釈することもできそうだし、だれだれ、と考えることもできよう。然し、浮気をしまくっているのは、大体金を持っている連中である。自分も某企業に勤めていた時、親族経営の会社だったのだが、その業界の日本一の企業の会長の息子など、男女関係なんて結婚してからでも好きにすればよい、と平然としていたものだし、今はフランスに住む、自分の先輩などは、近場のグアム等へ船旅をする有閑マダムと遊んで散々金品をせしめていた。男女関係なんてその程度のものだろうとする人々は、自分の周りにもこのように存在していた。一方、今はヒューストンに住んでいる研究者夫妻は、高校時代のカップルがそのまま結婚してずっと連れ添っている。幸せな夫妻とはこういうカップルなのだろうとつくづく思わせる素敵なカップルである。また、学生時代は左翼運動の書記長で頭は切れるが、金に縁のない先輩もいる。奥さんは、優しい方で上手にやりくりしながら団地で慎ましい生活を送っているが、子供達の性格の良さがこの夫婦の円満を示しているようで微笑ましいご夫婦である。このカップルも幸せだろうと思う。
 国王夫妻ではブータンのワンチュク夫妻。王子が生まれてそのニュースは微笑ましいと受け取られた。
 効果音の使い方、選曲のセンス舞台装置の配置などが上手い。このメイルような内容で、観客をひうっぱる力は実力派だが、ナツコの執着には、怖気をふるうのも事実である。
本のない図書館

本のない図書館

空白バカボン

荻窪小劇場(東京都)

2016/05/13 (金) ~ 2016/05/15 (日)公演終了

満足度★★

本当なら1つ星にしたい
 アメリカの話のようだ。そう判断するのは登場人物の名前からである。

ネタバレBOX

 然し、内容的にはF1人災のきっかけとなった2011大震災をイメージしているのが明らかである。震災後、既に5年を経ているのに深化が見受けられないシナリオである。手前のアリバイやモラトリアムを正当する為に書かれたとしか思えないシナリオなのだ。震災を「ハツカネズミと人間」に頗る安易に絡めて自分達のだらしなさの言い訳として書かれているシナリオである。この程度の策略を観客が見抜けないとでも思っているのだとしたら、矢張り本物の才能ではない。そこそこ狡く、而も悪に徹することもできない腰抜け&下司である。これ以上は書く気になれないが、本当に才能のかけらでもあるのなら、1か所だけ変えればかなりいい作品になることに気付いていたであろう。だが、甘ったれてモラトリアムを正当化し、而もエクスキューズしか表現できないレベルでは気付くハズも無い。
 自分は今作のタイトルが気に掛かって観に行った。だが、タイトルは装置として用いられているだけであった。アメリカでは地質学的なレベルでこのような津波は起こらないだろう。南米とは異なるのだ。で、3.11大震災を彷彿とさせる図書館の状況をここにこのような形でもってくることは、単にイマージュの装置、最悪の意味でのそれである。それも、自分たちのモラトリアムを正当化するというだけの為にである。この倫理的退廃に自分は、反吐を催すのだ。作者はバカではない。それだけにその狡猾が許せないのである。
同想会

同想会

劇団ヨロタミ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2016/05/11 (水) ~ 2016/05/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

抱かれて泣くには余りに年老いた
 無名女流詩人の書いた一行である。だが、余りに厳しい。

ネタバレBOX


自分は、切ない心が好みである。現実に踏み荒らされた悲惨は、自分の好みにするには余りにも残酷で耐え難い。その点、今作に登場する恭子の切なさは堪らない魅力である。無論、恭子と真に向き合う慎一にも同じレベルの重さがある。この両役を演じた役者2人の演技が、自分にはもっともインパクトのあるものであった。実際、恭子役にも慎一役にも非常に大きな存在感と心の痛さを感じさせる切なさがあった。恭子の恭の字には、礼儀をもってへりくだる、とか礼儀正しく慎むといった意味がある。慎一の慎の字にも慎む、念を入れる、欠け目無く気を配るなどの意味が内包されているのは無論のことである。
 さて、今作シナリオでは、D6と仇名される6人組を唯一馬鹿にせず、キチンと向き合ってくれたのは学級委員の恭子。D6の中で親の虐待から施設に預けられそこで育った慎一。
 だが、恭子は実父に中学時代からレイプされていた。この悩みを相談された川村は、結果的に恭子と関係を持つが、二人の関係を示唆するデータを見せられた川村は年度途中に他校へ移る選択をした。その後を引き受けたのが慎一である。が、彼が自身の命を的にした恋にも作者は醒めた目を忘れていない。何となれば慎一の苗字を浅井としているからである。だが、これは恐らく作者の本音ではあるまい。観客の意地の悪い疑義に対して煙幕を張っていると自分は考える。
 延々と続く舞台は、自分にとっては、この2人を巡る、置き去りにされた者らのエクスキューズと取れた。作家の狙いもそこにあろう。主体的に行動する者をアリバイ的(・・;・・)に評価する取り巻きの持つ欺瞞性をこそ、告発する作品であるのだ。

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