ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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まいっちんぐマチコ先生

まいっちんぐマチコ先生

舞台版まいっちんぐマチコ先生実行委員会

ブディストホール(東京都)

2017/08/17 (木) ~ 2017/08/20 (日)公演終了

満足度★★★

 興行を重視した公演に思えた。

ネタバレBOX

原作は、”ハレンチ学園”と双璧を為したお色気漫画と聞いている。映画化もされている。原作漫画は読んでいないのだが、映画は日本映画チャンネルで見たことがある。その舞台版ということでキャストの数もかなり多く、プロデューサーは作品の仕上がりより採算を重視したように思われる。映画でもお色気重視の軽い作品であったが、舞台化する以上は、精緻な脚本の魅力と優れた演出、滲み出るような色気で悩殺して欲しかった。芭蕉ではないが、本来文化的な“軽み”は、極めて特殊な瞬間にしか結実できないほど高度な技術。芸術的領域であり、それを目指さなければ態々舞台化することの意味は薄い。まあ、其処まで追求する意志も無かったであろうことは、パンフの中にアンケート用紙が入っていなかったことでも類推はできるが。
 役者として唯一上手いと思ったのは変態教師・山形 国男役、しいはしジャスタウェイ。
フィクション・モテギモテオ

フィクション・モテギモテオ

ライオン・パーマ

駅前劇場(東京都)

2017/08/17 (木) ~ 2017/08/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

自分の拝見した回は満席であったが、昨夜時点で日曜日に未だ若干残席があるとのことであった。問い合わせてみることをお勧めする。観劇すれば芝居の醍醐味を満喫できるであろう。

ネタバレBOX

先ず、テーマを恋愛にしたのが、今作成功の秘密だろう。この問題、如何にDNAに命じられた行動・欲求とは言え、性差ある生物には死活問題であり、本能の衝動そのものであり、つまりは普遍的なテーマであるからだ。流行歌でも何でも兎に角、人口に膾炙する音楽一般の殆どは恋に関するものであるという単純な事実一つみても、このことは納得がゆくであろう。貴賤の区別も貧富の差もまして性差も知的優劣の差もない、我ら生き物の本質的衝動なのだ、ということを改めて思い知らせてくれる傑作。
 喜劇なので、必然的に順当な切り口はしていない。本能を逆手から切り込んでくる。モテない、それも半端でなくモテないタイプが主人公なのである。で、であるからこそ、その本能的欲求は極点に達しており、純化されている。喜劇の面白さに矢張り誰かが誰かをからかうという視座がある訳であるが、演劇における喜劇が成立するのは、舞台上で役者達が歌舞いている造形を観客がからかいの目で見ているという構図が成り立つだろう。今作は、この歌舞き(歌舞くという動詞から生まれた名詞)が、箍外し、大小様々などんでん返し(観客の読みを更に先読みして、ひっくり返す極めて知的な展開)などを、実にバランスよく、見事なキャスティングと演出、シナリオの完成度の高さ、それを具現化する役者陣の演技によって提示して見せた。
雨季

雨季

演劇ユニットG.com

王子小劇場(東京都)

2017/08/16 (水) ~ 2017/08/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

 先ず舞台設定がユニークだ。通常、舞台への入り口となる両開きのドアが、そのまま舞台にも用いられる。従って観客席は通常とは真逆の位置に設えられ、ロビーもまた、舞台となっているのだ。

ネタバレBOX

而も2階位置にある渡り廊下も、舞台として用いられている。この渡り廊下に留められた長短様々な角材が、音楽的なリズムを感じさせるような配置で設えられている。床まで届く角材もあれば、短いものもあるのだが、そうして作られた空間に、様々なセットが収められている。下手には、ホテルの応接セット、正面奥にはバーカウンターに椅子、そして上手壁際にはベッドである。出捌け口は、右コーナー奥と、通常ロビーと劇場を隔てる両開きのドアである。
 さて、時代背景は、スターリンからフルシュチョフ辺りまでのソ連であることが、容易に想像される。というのも、原作はA&Bストルガツキイの「みにくい白鳥」だからだ。作家は、下手をすればラーゲリ送りになることを常に意識しながら今作を書いていることは明らかである。(この辺りの事情を文学で知りたければソルジェニー・ツインの「収容所列島」辺りを読んでみると良い。スターリンの暴政についてはもう散々報じられているからいくらでも資料はあろう。)
 ところで、このような歴史的背景を知って今作を観るのと、そのような前提なしに観るのとでは、無論、解釈が大きく変わる。否、この前提なしに観れば意味不明な箇所や、読み違えがたくさん出てくるであろうことは容易に想像がつく。無論、そのような読み違いを含めて解釈されることが、芸術作品が生き残るたった一つの道であることは重々承知しているが、自分が生きた時代の生々しい知識のリアリティーを持つ世代とそうでない世代とでは、自然解釈に大きな隔たりは出てくる作品ではあろう。
 作る側も当然、その辺りのことは意識しているから、余り露骨にそれを出すことはしていない。一種の寓話として描いている、と言った方が適当だろう。ロシア語はからっきしダメなのだが、恐らく原文でもそのように描かれているのではないか、とは思う。世界観としては、オーウェルの「1984年」の世界を想像してみると良い。
 以上に挙げたような前提を満たすと、今作の傾向は、怖い作品ということになろうか? 無論、幽霊や怪物のような、異界の者が登場する怖さではない。現実の政治が人々に対して行使する権力によるリアルな恐怖である。そして肝心なことは、現在着々と、この極東の「小国」でも、この事態が進行していることであり、理不尽で何らの戦略・戦術・地政学的見識・人倫・判断力も持たぬ下司が、この「国」の支配者として君臨し、この国の針路を誤らせようとしていることである。その先にどんな世界が待っているか? 今作を他山の石としたい。
しょうちゃんの一日

しょうちゃんの一日

風雷紡

d-倉庫(東京都)

2017/08/16 (水) ~ 2017/08/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今作は狭山事件を扱っている。この事件の扱いは、極めてデリケートな問題を含み、それは当に現在の我々の生そのものに深く関与している。だから、どう表現するのかが極めて重要になってくる。社会学的な観点からすれば、この点にこそ、今作を問う意味があるといっても過言ではないほど重く深い問題なのである。この難題を漢字表記は異なるものの、“しょうちゃん”と呼ばれる二人の16歳を迎える思春期の少女の、実に微妙な心理状況を梃に交感という超常感覚を用いて繋ぎ、考え得る様々な矛盾や、対立する証言の多様な解釈を尖鋭化し過ぎることなく纏めてみせている。この点が実に上手い。(追記2017.8.22)

ネタバレBOX


 一方、無論、部落差別のみならず更に般化した差別の在り様を役者達の仕草を通して、さらりと演じ分け、分かる者には着実に伝わるように仕組むと同時に、敗戦を経験し満州から沖縄へ移された兵士や、引揚者達の、奇跡的とも言える生存後に紡がれた人生とその家族関係を、これまた社会の因習や、弱者へのしわ寄せによって、己と親族だけは殺人事件という重大犯罪に関わりを持たぬ風を装い、剰え真の実行犯を隠し、冤罪を生む責任転嫁を行わせた社会的「実力者」の因循姑息な狡猾も描いて見せる。極めてバランスの良い作品だ。
 大道具の配置、即ち空間処理が見事で、様々なシチュエイションを演じる役者達の動きに自然な様子が見られることも特筆に値しよう。しょうちゃんを演じる女優のセーラー服姿も良く似合っている。登場する家族は全部で3家族であるが、主たるそれは2家族。そのそれぞれが、内部にちょっと事情を抱えており、殺害されたしょうちゃんの家族である日下部家の秘密こそが、この難事件の真犯人を隠すことになったのではないか? との解釈は自然な説得力を持つ。そして、捜査する側の家族・立花家の苦労をしてきた親同士の再婚の過程をさらりと描いて見せ、引揚者の特に幼い子供たちの必死な有様も簡潔に而も極めて適確に描いている点も見事である。
 無論、物語はこの二項対立のみでは終わらない。第三の家族の家長こそ、この事件の実際の黒幕ではないか? との示唆が為されているからである。己の社会的地位・権威を利用し、口先三寸で、容疑者として逮捕された者に自供させるよう、捜査担当に抜擢された元交通課巡査部長を籠絡して、冤罪を決定的にしたのみならず、日下部家の秘密にも或いは重大な関与をしていると深読みできそうでさえあるのだ。果たして真の悪人・罪人とは誰だったのだろうか? 
 バイアスを排し、得点稼ぎを焦って立件を目指すのでなく、あくまで事実に拠る実証的な積み重ねによって犯人を挙げようとした立花家家長である警部の目論見を潰したのも、この「実力者」であった。これが、この日本という社会の持つ病弊ではなかったか? そんな問題を突き付けてもくる作品である。精度の高いシナリオ、実力のある役者陣と演出・効果のタッグ。考えさせる作品に仕上がっている。

ナイゲン(2017年版)

ナイゲン(2017年版)

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/08/11 (金) ~ 2017/08/21 (月)公演終了

満足度★★★★★

 兎に角、シナリオがしっかりしていることと、演出、演技、キャラクター設定などが秀逸である。(追記2017.8.22 )

ネタバレBOX

演劇の基本中の基本が、ダイアローグにあるのは誰でも承知していることであるが、ナイゲンは、当にこの演劇の王道を追及した作品と言うことができる。高校生の討論を通して見えてくる世相、そしてその変化と常に頭を持ち上げてくる問題に共通する傾向や普遍的な性向などのシナリオレベルでの選択も適確であり、演ずる時点での時世の傾向にも留意した演出のフィット感覚も優れたものである。
今回も最初、正面奥の緑板に対して対向方向に置かれた縦4列、横3列プラスこれらの椅子机に対して反対方向に向いていた教師用と目される椅子、机が開始早々、縦長のロの字にレイアウト変換される。こうすることで舞台を三方から縦コの字型に囲んだ、観客席のどの位置からも見切れを少なくしている。無論、単にそれだけではない。普段の授業スタイルから、ナイゲン用のレイアウトに変更したことを観客に意識させる為のレイアウト変更でもある。
このレイアウト変更と前後しての明転の際、壁奥に掛かっていた掛け時計の時刻が、会議当日(3日目)の会議開始時刻に合わされ、その後の緊迫した議論を視覚的にも無理なく時間化してゆく。この辺りの演出は見事であり、必須の仕掛けをキチンとこなした上で作っている確かさが感じられる。様々なギャグや諧謔、大人の政治社会への痛烈なアイロニーやパロディーも、このようにしっかりした細部のリアリティーがあってこそキチンと機能しているのだ。
会議の謂わばリーダー役である議長が、この手の会議は無経験だということも重要だ。何故なら、議長の役割とはあらゆるバイアスを排し、議会を催す際の約束事に従って議事を進行することだからであり、議事の進行についての偏りのない立場を貫き通せるということが最重要だからである。それには、寧ろ経験を積むことの無かった者の方が適確な場合も少なくはない。
縦長ロの字の上手には1年、反対側に2年、そしてロの字の底辺を為す位置を3年が占める。各学年、3人。1人、1団体の代表である。3年の反対側には、文化祭実行委書記、副委員長、議長、監査の4人が並んでいる。ナイゲン精神、規約、参加さ団体詳細については、入場時、客席に置かれた当パンの中に資料が入っているから早目に行って目を通しておくとよい。(無論見なくても分かる内容にはなっているが)
未だ多くのステージが残っているので、今日はこれくらいにしておく。後程、多少、追記をする予定だ。
論理的には矛盾のある点もあるのであるが、設定が高校生の議論となっている点、また、基本的な方向性としては、学生運動のあった頃の最も美しい目標、一人は皆の為に、皆は一人の為にが底流に流れているようにも感じられ、現在、大人が政治で姑息極まりない詭弁を用い、良識ある人々総てを絶望の淵に追い込んでいることへの痛烈なアイロニーとしてみるならば、実際の行動や生態は兎も角、人口に膾炙したハイエナのイギタなさに対する白鳥のような爽やかさも感じられる。

因習の村にて

因習の村にて

カスタムプロジェクト

調布市せんがわ劇場(東京都)

2017/08/11 (金) ~ 2017/08/13 (日)公演終了

満足度★★★★

 開演から終演まで150分とかなりの長丁場だが、内訳は、推理パートでの劇上演90分、謎解きは、観客自身。観客に与えられた推理パート時間30分、解決パート30分の都合150分。因みに8月11日マチネの正解は108名中3名。ソワレは、観客数の発表はなかったが正解は2名であった。劇場着席時、観客が観てよいのは、フライヤーと兎倉村地図や因習などが記されたリーフレット。入場時に渡される解答用紙入りの袋は指示のあるまで開けてはならない。
 今作は、観客参加型の推理劇なのでネタバレはしない。舞台の作りは頗るシンプルで正面奥にスクリーン、スクリーンの手前には平台を横に繋げ一段上げた作り。無論、その手前は舞台床である。この劇場は観客席の段差がかなりあるので、見切れは生じにくい。観劇諸氏の正解を祈る。

ネタバレBOX

かなり正解を出すのは難しいぞ!
サマデーナイトフィーバー

サマデーナイトフィーバー

20歳の国

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2017/08/07 (月) ~ 2017/08/13 (日)公演終了

満足度★★★★

台風3号の接近により、高校から帰宅できない生徒も出てきた夏休み直前の校舎内で展開する恋愛模様を中心テーマとして、揺れ動く微妙な青春の炎を巧みに描いた作品。

ネタバレBOX

不良先輩あり、一見、ズべ公あり、引き籠り、未来への夢、そしてその夢を明かすことへの羞恥あり、ぶきっちょな自分を晒す勇気が無く、はにかみに阻まれて中々一歩を踏み出せない臆病あり、それらの鬱屈を発散させるかのような水の滴る中で濡れそぼりながらのダンス。いきなり沸点に達したようなストレートプレイからミュージカルへの遷移等々、興味深い演出も為され、若い感性の柔らかく揺蕩うような心象と羞恥心を巧みに描き出している。劇団名ともぴったりの内容なのだが、齢を重ねてゆく今後は、劇団名を変じてゆくのだろうか? 25歳の国、30歳の国・・・という具合に。そんな老婆心を起こしたくなるような、可愛らしい感性の劇団。
劇作家協会公開講座2017年夏

劇作家協会公開講座2017年夏

日本劇作家協会

座・高円寺2(東京都)

2017/08/05 (土) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

 昨日に続く、劇作家協会主催公開講座第2部である。司会・進行に中津留 章仁さん、丸尾 聡さん。応ずるのは、演劇評論家・みなもと ごろうさん、青年座取締役相談役・水谷内 助義さん、チョコレートケーキ俳優・西尾 友樹さん。テーマは昨日に続いて新劇とは何か? である。新劇は骨太であるなど昨日同様の指摘は割愛する。時間的にも、話者の人数でも昨日より小規模ではあったが、昨日と重複しなかった見解として出てきていたのが、所謂、新劇の優れた舞台では、板上で「嘘」を描いているのだけれども、それがシャープなリアリティーや知性、ついては説得力を伴って観客に迫ってくるような表現様式を持ち得たという事実が在ったことを指摘したことである。殊に優れた役者の持っていた表現力(科白全体の中に於ける各品詞のバランスをキチンと意識し、それを発音の高低や強度、正確な発音、更に間によって適確に表現し客席に届かせる発声法など)、板上に置ける位置取りの差による効果の違いを明確に見極めて、効果的な位置取りをすること等々、実に示唆に富む話題も出た。演劇の難しさ、面白さが出たトークであった。

つぐない

つぐない

劇団あおきりみかん

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/08/04 (金) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★

教会の場面が多いので、基本的には中央奥に十字架の掛かった祭壇が設えられたキリスト教教会の趣。裁判所の場面では、一瞬にして奥の十字架の掛かった壁が180°回転して裁判所の壁に変わる。

ネタバレBOX

 この壁の手前に説教壇、更に手前には、開かれた聖書の置かれた壇。やや、距離を置いて信徒たちが腰かけるベンチが縦3列、横2列に並べられ、中央通路に緋毛氈が敷かれている。中央祭壇脇の壁には明り取りの縦長窓。信徒たちの座るベンチの在る空間の側壁にはステンドグラスが嵌め込まれた窓。
 物語は、罪悪感を持たない姉と、その姉を庇い続けて来た健気な妹の話を主軸に、姉妹の恋は、恋相手男性が重複する。而もこれは仕組まれた男女関係であり、その消長と真実の姿が徐々に明らかになってゆく。
ずっとこの劇団のシナリオ、演出を担当、女優としても出演してきた鹿目 由紀が、恐らく初めて“地に足のついた”作品として仕上げてきたと思われる今作だが、作家が更なる飛躍を遂げる為には、一、二人称のシナリオに歴史を繰り入れ、三人称の歴史の大きな流れの中に揺蕩うように在りながら、尚キーマンとして歴史に不可避的に関与する主人公を据え、更にはその流れが現在の我々の生活や生き方にも通底するような世界を、女性ならではの世界観で描けるようになる必要があろう。そうなった時、作家としての彼女も、劇団としてのあおきりみかんも普遍性を持った存在として歴史に刻まれるであろう。このような骨太の構造を勉強するには新劇研究をしてみるのが良いかも知れない。彼女の才能を以てすれば、必ずや大きな発見があるであろう。
ルート64

ルート64

ハツビロコウ

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2017/08/05 (土) ~ 2017/08/11 (金)公演終了

満足度★★★★★

 犯罪の現場に立ち会うかのような切迫感が続く、2時間強。観る方も力が籠る。それだけ迫力のある舞台。(隠れ5つ☆)

ネタバレBOX


 実にチャレンジングな舞台である。通常の展開が無い。所謂、事件発生から時系列に沿って、事件の原因を探り、様々な情報、状況捜査などから浮かび上がった情報を一旦ばらして、論理として組み立て直し整合的な答えを見つけ出すと共に、犯人の動機を探りつつに絞り、事件への関与を明確化することによって、犯意を推理・確定し事件として起訴するに至るような展開が無いのである。あるのは、今作で扱った事件のモデルとしての坂本弁護士一家失踪事件に関わったと思われる4人の人物たちが、この事件現場と遺体処理の間で、失策を含めた行動をとり、仲間内で揉め、殺人事件という重い犯罪の罪の意識に押しつぶされそうになりながら、必死に打開策を見出そうとする異様な心理的葛藤のリアリティーである。確か、この事件は、結局真相が掴めず謎が残っていたと思う。TBSの坂本弁護士取材ビデオをオウム幹部に見せたことが、坂本事件の発端になったと言われていることについての、事後処理のまずさなどもこの事件が単に一犯罪事件という範疇に収まりきれなかったことの一端を為そうし、オウムのグルたる松本の下に集まった出家信者、幹部の多くがかなりのインテリであり、而もかなり幼児性を帯びたメンタリティーの持ち主でもあったこと、今作の4人に端的に描かれているように、カルマを、修行やワークによって解脱したのではなく、単に教団の洗脳システムを自己のシステムとして取り入れたに過ぎない、幼稚で決して利口とは言えない、自らの判断の根拠を持ち得ない無能者ばかりであることもまた明らかである。
 今作に取り組んだ、ハツビロコウの総ての人々(作、演出、役者、効果、裏方スタッフ迄)が闇の中を手探りで進むように明らかにしてきたのは、当にこの点ではなかったか? 通常のコンセプトには当てはまらない題材を、現場に何度も立ち戻り、諸説を体感してみせる、という極めて特異な方法で舞台化してみせた努力とチャレンジ精神に拍手を送りたい。一方で評価し難い作品である。何故なら、評価すべき座標が無いからである。だが、上記の如き内実から、隠れ5つ☆とした。つまりポテンシャルの高さ、先にも述べたチャレンジ精神、そしてそれを舞台化し得た個々の努力と工夫と労力に対して惜しみない賛美を送りたいのだ。
 まだまだ書き足りないことがあろう。例えばタイトルについてもだ。然し、コリッチでは此処までにしておく。何れ、もっと調べて公共空間Xに発表するかも知れない。それだけ考えるべき問題を与えてくれた。
劇作家協会公開講座2017年夏

劇作家協会公開講座2017年夏

日本劇作家協会

座・高円寺2(東京都)

2017/08/05 (土) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

“劇作家協会公開講座2017年夏”2日目のドラマリーディングは 斎藤 憐 作の傑作戯曲「グレイクリスマス」だ。今回のシナリオは、本多劇場の杮落し公演で1983年に初演されたバージョンではなく、劇団民藝が既に300回以上の公演を打っている新バージョンの方である。

ネタバレBOX

演出の中津留 章仁氏によれば、曲目の選択なども原作に忠実なことを目指した、とのこと。第二次大戦敗戦直後から朝鮮戦争勃発までの数年間を日本国憲法成立過程や、その理想と民衆の責任の観点から描いた、骨太で而も実に抒情味も社会の実態感もある傑作。
第二次大戦後の動乱期、旧支配勢力の没落・復活画策と故国が戦勝国となった在日朝鮮人勢力、GHQ内部での民生局・情報局の対立と最終的な情報局の勝利の中、憲法九条を持つ日本国憲法は変質してゆく。一方、新憲法によって初めて社会的権利を認められた日本女性の視座は、新憲法をベースに構築されてゆく。変貌する世界情勢の中での資本主義VS社会主義各々の囲い込み政策の中、ソ連・中共対米・西欧・日・韓・台湾の勢力圏争いの幕開けである。何より現在まで続くアメリカの対日政策及び極東戦略のアウトラインが如何様に決まってきたのか? を見る上でも頗る興味深い。
 これを、単に役者達が椅子に座って読むのではなく、かなり動き回りながら読んでいる点に、時代の動きを身体の動きで表そうとした演出の意図が働いているように思う。
 それにしても日本の為政者共の何と言う醜態だろう!? これも日本会議全盛の昨今、保守勢力の下劣に血脈と共に受け継がれている点でも興味をソソル。
劇作家協会公開講座2017年夏

劇作家協会公開講座2017年夏

日本劇作家協会

座・高円寺2(東京都)

2017/08/05 (土) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

二部構成でⅠ部が劇場を体験するワークショップ。講師は中屋敷 法仁さん。Ⅰ部は観ていないので割愛。Ⅱ部が標記タイトルの公開講座である。実に内容の濃い公開講座であった。観客には無論劇作家志望者が大勢いたハズである。この観客を前に登壇したのは、劇作家の長田 育恵さん(てがみ座主宰)、鈴木 聡さん(ラッパ屋主宰)、中津留 章仁さん(TRASHMASTERS主宰)、マキノ ノゾミさん、司会・進行を横内 謙介さん、青木 豪さんの二人が務めた。ゲストとして、新劇俳優(文学座)の坂口 芳貞さんが、主として第Ⅰ部に、鈴木 瑞穂さん(民藝・銅鑼)が第Ⅱ部に出演。Ⅰ部、Ⅱ部共に、所謂小劇場演劇と新劇との背反と小劇場演劇サイドの反省、新劇の長所についての再評価などが語られ、実に示唆に富む、而も切実な公開講座になっていた。6日にも矢張りⅡ部構成で公開公演があり、斉藤 憐さん作の「グレイクリスマス」のリーディングが第Ⅰ部、「新劇を学びたい」と題したトークセッションが第Ⅱ部として公開される。何れも指定席、1部が1000円、Ⅱ部だけなら500円(何れも一般。詳細はHPに当たるべし)

ワンマン・ショー

ワンマン・ショー

やっせそ企画

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2017/08/02 (水) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★

 心理学者の言う、所謂”唯幻論”を演劇化させたような舞台。(花四つ☆)

ネタバレBOX

哲学的には認識論ということになる。但し、原作者は作家としては哲学者的な位置を確保していても、芝居の狙いは別の所、即ち唯幻論レベルの着地を目指していたのだろう。そこに演劇的ダイナミズムが生まれるからである。殊に観客のイマジネーションと作品を身体化することによって「現実化」する劇的時空の呈示によって、造成される諸々の解釈、解釈の多様性に対する観客個々人の心の内に起こる波紋を推量することによって、作る側に関わる総ての人間もまた、劇的時空への揺蕩う参加者となるのだ。
 登場人物各々の状況認識が、個別であるが故に、全体の関係性が簡単に見えてこないように作っている所が味噌である。一方、芝居の求める結末への収斂へ向かって、個々の情報が再構築され、一定の解釈圏に着地していることも事実。この辺りを楽しめるか否かで評価は変わってこよう。メタレベルと抽象度の高い舞台である。
ジュジュの奇妙な日常

ジュジュの奇妙な日常

ノーコンタクツ

萬劇場(東京都)

2017/08/03 (木) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

 “エンゲージリングは受け取らない”というサブタイトルが付いているのだが、物語の本筋には余り関わりが無い。某少年誌の著名漫画を恐らくパロっているのだろうが、自分は一度も読んだことがないので、何処までが今作のオリジナルなのか全然分からない。無論、タイトルや、フライヤーの絵をそれなりに似せているだけで、今作は総てオリジナルということも在り得るのだが、自分は漫画を一度も読んでいないので判断できない、ということに過ぎない。こんな事情で、今回星印は遠慮させて頂いた。

ネタバレBOX


 ストーリーとしては、主要キャラクターの多くが傀儡のような存在を呼び出すことのできる特殊な能力を持っているのだが、その能力を持つ者同士の争いが古から続いており、今回は、その因縁話に傀儡同士の争いに興味を持つ者が参入。現在、この能力保持者の頂点を極める血筋の者達を襲うのだが。この二つの筋に恋が滑稽な形で絡んでくるなどのエピソードが挿入されている。
「REVIVER・リバイバー 〜15老人漂流記〜」「ダンパチ15・獣」

「REVIVER・リバイバー 〜15老人漂流記〜」「ダンパチ15・獣」

ショーGEKI

「劇」小劇場(東京都)

2017/07/27 (木) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★

男5人が基本的なキャストだが、そのほかに2人の男性俳優と3人の女優による、ほぼコント形式のショート・ショート。花三つ☆

ネタバレBOX

どういう訳か舞台奥の四分の一ほどが坂になっている。実際の演技でこの傾斜を使うのはほんの少しだけ。而も余り必然性はない。これも受け狙い、ということはできるかも知れないが。自分が一番面白く感じたのは“忖度”を売りにしている引っ越し業者とその顧客を描いたショート・ショートで、これは抱腹絶倒。忖度の行き過ぎが齎すグロテスクなまでの滑稽が、晋三如きを忖度して右往左往している、この「国」の亡者というよりは、下司犬共を”国民議会”風におちょくる感じ。雇主と、雇主を「忖度」によってドンドン追い詰めてゆく民間業者の間に生まれるチグハグは実に面白い。いくつかのショート・ショートの中で、これが白眉である。このレベルの作品で全部、出来ていたら、花5つ☆なのだが。自分には、他の作品はそれほど面白いとは思えなかった。
還刻門奇譚〜リローデッド・ゲート ゼロ〜

還刻門奇譚〜リローデッド・ゲート ゼロ〜

ZERO Frontier

萬劇場(東京都)

2017/07/26 (水) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★

 アヤカシというタイプの妖魔・カウの悪戯によって創られた還刻門と言う名の門を通ることができれば、時間を遡って、人生をやり直すことができる。

ネタバレBOX

人間の短命と愚かさ、欲と狡猾を秤に懸けることは実に面白いゲームだとして、妖怪と人間の間に生まれた存在・シキを門番による開閉とは別の開閉の鍵として設定した妖魔。
 そのアヤカシの罠に嵌って、失くした大切な人を取り戻すべくきろうに集まった成仏できぬ霊や生霊の如き人士たち、数百年、千年以上の時を超え、更に幾度も戻された時の積み重なる時空の中に繰り広げられるのは愛憎の縺れと魂を救済する導師・ガラン&シキVSアヤカシ・カウの戦い。
功夫調の殺陣や郭の遊女たちのダンスを織り交ぜて、いつどこで、誰が誰を恋し、どんな事件が起こって大切な人を失くし、その人と事件前に戻ってやり直そうと、他の無関係な人々の人生の歯車を狂わせ乍ら還刻門をくぐろうとする者達の門の鍵・シキを担う亡者たちと己のエゴで他人の人生を狂わせてはならぬと考える人間との三つ巴、四つ巴の戦い。
総じていえば、描かれているのは、人間の色恋を巡る欲を焚きつけた悪戯者と、その災いを人間に被せることを阻止しようとする導師たちの戦いに人間の様々なカップルの愛や友情が絡んで輻輳化してゆくのだが、時間軸、空間軸の遷移による様々な問題点をきっちり詰めるという形を採っておらず、主役、脇役の区別も不分明で焦点が不明確。当然、メインプロットとサブプロットの相互補完によるダイナミズムの構築も疎かになりがちである。劇的であるとはどういうことか、シナリオレベルでもう少し検討を加える必要があろう。
その代わりと言ってはなんだが、功夫を多用した殺陣は中々の迫力で見応えがあると同時に遊女たちのダンスも花を添えてグー。
第20回公演 『君♡ふりーく』 第21回公演 『ジェニュイン・ケア』

第20回公演 『君♡ふりーく』 第21回公演 『ジェニュイン・ケア』

劇団天然ポリエステル

小劇場 楽園(東京都)

2017/07/26 (水) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★★

 いつもとちょっと毛色の変わった今作、観たことが無い方々に説明しておくと、自分が天然ポリエステルを見始めて以降いつも、何かに追われてアタフタというのが、天ポリのスタイルだったからである。

ネタバレBOX

例えば締切に追われるなどだ。実際、座付き作家は遅筆らしい。とすれば、それは役者・演出家・照明や音響は言うに及ばず、舞台美術、小道具、宣伝他総てに関わってくるわけだ。別に作家にプレッシャーを掛けるつもりはないが、総合芸術である演劇の根本の柱になるシナリオは、それだけ大きな役割を負っているのである。同時に演劇は、一舞台、一舞台が総ての細部に亘って同じものは一つもない。従ってどんなベテラン役者であれ、スタッフであっても、常に一回限りの真剣勝負で舞台に臨まなければならない。これが、演劇の非再現的緊張を生み、舞台を常に活き活きしたものに保つのである。かつて、つか こうへいが実践したように。そして、くしくも同じ時期・同じ発想で舞台作りをしていたピーター・ブルックが、今も演劇と格闘し続けているように。
 さて、今回天ポリが挑んだのはストーカーという病に罹りながら、それを病とは認識できない人々についてである。思えば、母子相姦に於いても、本人同士が、それを悪とは認識していないケースが問題化したことがあった。彼らの論理はこうであった。”互いにこんなに愛し合っているのに、愛していることがいけないのですか?” という反応である。開いた口が塞がらないという読者もいらっしゃるだろうが、これは事実である。即ち社会・三人称的世界観が完全に脱落或いは脱臼していて、一・二人称で世界が完結しているというのが、彼らの特徴であった。近親相姦がどんな結果を齎し得るのか? その反省を踏まえてタブーとされた歴史的知恵を彼らは認めていないかのようである。確かに恋に酔うことは、一時的に三人称的世界を忘却することであり、掛かるが故に恋は賢者をも愚者にするのだが、大抵の者は、予め近親相姦が齎すリスクを科学的知見としては兎も角、社会的常識として知っており、そんなリスクは冒さないというボンサンスを持ち得ている。
 では、ストーカーをする人々というのは、どんなタイプの人々なのであろう? 今作に登場する彼らの論理から見るに、彼らもまた近親相姦者同様、愛しているのに何故いけないのか? という論理があるようである。異なる点は互いに愛し合っているとは言い難い点である。仮にかつて相思相愛の時期があったとしても、問題となる時点では片やストーカー、片やその被害者となっている。つまりこの時点でストーカーは、愛が妄想と化した状態で被害者を追い掛け回すのに対し、被害者は毛嫌いしているという訳である。今作は、物語を余りにも深刻なものにしないよう、被害者にも強いアイドル指向を持たせ、ストーカーたちをすらファンという概念を用いて自分に納得させようとする、これまた病的キャラクターとして描いているが、案外、今作の視点の方が現実に近いかも知れないのである。何故なら心理学的分析は完全な科学と呼ぶには余りにも客観性を欠く学門であり、多くの場合、その療法も想像力の産物だと思えるからである。そもそも、対象とする心理そのものが揺れ動く何者かなのであり、対象を特定することが頗る難しいと考えられる。而も、我々自身、胸に手を当てて振り返ってみれば、煩悩と呼ばれるような本質的欲望を抑えるのは至難の業であることを知るであろう。殊に三大欲求たる睡眠欲、食欲、性欲を抑え、コントロールすることは至難の業、眠らず、食べずにどれだけ生きられるか、と問うなら生死に関わる欲望でもあるのは一目瞭然。では、性は? 各々、心に深く思いを馳せたい。
かつて女神だった私へ

かつて女神だった私へ

芸術集団れんこんきすた

studio applause (スタジオアプローズ)(東京都)

2017/07/27 (木) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今年に入って既に百数十の舞台を拝見したが、今作がベスト1である。観た者は、観劇前と後で、自分の心と魂が変わっていることに気付かされよう。絶対お勧めの舞台である。花五つ☆

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“クマリ”を辞書で引いてみるとネパール盆地のネワール人に信仰される生き神だという。ドゥルガー女神の処女相として13世紀(一説には11世紀)以降信仰され、18世紀以降に隆盛を迎えた。クマリの資格を持つのは仏教徒カーストに属す初潮前の少女。クマリとされる少女は多くの集落に存在するが、カトマンズのクマリはクマリの館に住み、特に有名だと言う。
 恥ずかしながら、自分はクマリという存在を今作で初めて知った。チベット、ネパールそしてブータンは憧れの地域・国であるが、遠い夢であるうちは、詳しく調べてもみなかったわけだ。今回、れんこんきすたが挑むのは、この遠い夢の地域。思えば雲南省に住む少数民族地域などには最近まで桃源郷のような場所が存在していた。自分の知り合いのカメラマンで女性初の太陽賞を受賞した写真家が、雲南省が大好きで良く入っていたので自分は知ったのだが。尤も近頃では随分「開発」が進んでしまっただろう。ブータンにしても車が増えている。
ところで、ドゥルガー女神とはどんな神なのだろう。パールバティーと同一視され、シヴァ神の妃である。ドゥルガーの名以外にいくつもの呼称を持つ、強大な神であり、慈母であると同時に凶暴な側面を持ち、近寄りがたい存在とされるが、ヒンドゥ教の位高き神である。クマリになる少女に施される化粧に額の中ほどに引かれる線があるが、これはドゥルガー女神の第三の目を表すのであろう。初日が終わったばかりだから、余り詳しいことは書かない。だが、これだけは書いておこう。人を救うとは、彼ら・彼女らの中に眠る可能性をめざめさせること、世界は強く尊いものから成り立っており、ヒトもまたそのようなもので形作られているが故に尊いこと、そのことを相談に来た各々に気付かせること、それがクマリの力である。この力を行使する為に、クマリは様々な制限を受け、試練を課される。尊いとは何か、それが何故美しいのかを、これほど雄弁に訴えてくる作品は稀有である。

アイバノ☆シナリオ

アイバノ☆シナリオ

BuzzFestTheater

ザ・ポケット(東京都)

2017/07/19 (水) ~ 2017/07/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

 雨が、降ったり止んだりしている。傘を差している人々は、雨の降り具合で3割から5割という中、劇場へ向かった。受付扉前には、雨に濡れた観客に衣服の濡れや肌の濡れを拭えるようにハンカチーフのような乾布を手渡してくれるスタッフが立っている。微妙な天気の変化に対応する心尽くしが有難い。(この言葉の原義通り、有り難しのレベルである)実に気の利いた対応に、気の利く観客なら総てが頗る良い印象を持ったことだろう。(表舞台のみならず、裏方を含めた全員一丸となって良い舞台を作る、小劇場演劇の鏡)

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 さて、小屋に入った。指定席であったが、目の悪い自分の状況を慮って席の位置をキチンと受付で教えて頂いた。気が利くというのはこういうことを言う。親切であるばかりではなく、顔と名前を察知し適確な対応をしてくれる頭の良さが心地良い。すべからくこのような頭の働きを持った、而も善意の人が応対してくれることが、序盤での観客のリラックスに繋がる。とても大切なステップなのである。無論、それが押し付けでなく自然であることが肝要であり、その兼ね合いには、経験と経験をベースにした分析、的確な判断が必要なことは言うまでもない。
 さて劇場に入って早目に来た観客が最初に興味を持って見るのは、舞台美術である。隙が無い。下手奥に逆L字型に据えられたバーカウンター、その上手にはいくつかの階段の上に踊り場が設えられている。設定が網走のスナックの店内なのでカラオケステージとして使われることもあれば、店外のとある場所として用いられることもある。良く練られたシナリオの展開の妙を見事に脚色した演出が、状況の進展にぴったりの展開で場を盛り上げつつプロットを積み上げてくる。スナックの客達・ホステスのカラオケデュエットを含め、話の節目に入る主人公、アイバの失踪した彼のオリジナルソングは、その曲想と歌詞で観客の心を撃つ内容のものである。二千に近い小劇場演劇を観てきて、初めて曲のCDを買いたいと思ったほどいい曲であった。貧乏な自分はシナリオを買うと余裕が無く泣く泣く諦めた次第である。
 良く練られたシナリオに優れた演出。そして役者陣の演技の質は、ホントに観客の想像力を刺激し、キチンとシナリオと観客のイマジネイションの最大化を図ることができるほどのレベル。こんな演技をしてくれた役者が何人も居た。船頭・豊川役の藤馬 ゆうやさん、銀行員・宮國役の前 すすむさん、猟師と双子の曽我部兄弟役を演じた菅沼 岳さん、朱音を演じた山本 真由美さん、朱音の弟、卓馬を演じた飯田 太極さんらの演技は特に気に入った。主人公、相場を演じた川村 ゆきえさんがラストに近い所で嘆くシーンは、ちょっとオーバーに感じたが。(発狂するほどの嘆きは、無声慟哭になるような気がするので。)船頭・豊川を争う過程で、婚約者・千秋を演じたちすんさん、自殺を前に躊躇う男・達郎を演じたかめや 卓和さんらもいい味を出していた。御名前を挙げなかった役者さんたちも自然な、役柄に合った演技をしていたことは無論である。
 
引き返せない夏

引き返せない夏

非戦を選ぶ演劇人の会

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2017/07/19 (水) ~ 2017/07/20 (木)公演終了

満足度★★★★

 二部構成だ。第一部は宮城 康博作・演の「9人いる!~憲法9条と沖縄~」
           坂手 洋二作・演の「反戦」落書きのススメ
                    「戦場イラクからのメール」  

ネタバレBOX

  
       第二部が高遠 菜穂子、小西 誠、志葉 玲を招いてのスペシャルトークである。

何より、このような時代にこのような催しが行われていることに賛意を表すると、共謀罪に問われかねない、ということ自体大問題なのである。琉球弧・奄美に於ける自衛隊配備、軍事施設増強、の異様な有様は、かつて天皇・裕仁が沖縄に対しては戦後も敢えて朕であり続けた如き態様が取られ続けているのであり、それは未来のヤマト全体の姿でもあろう。この構想の背景にあるものこそ、アメリカによる日本植民地化の更新なのであり、対中国封じ込めの捨石としての地政学であることは、明らかであろう。秘密交渉の2+2でこれらのことが決められているとしたら、総ての状況が明らかになるのではないか?
 稽古時間の不足があるのだろう。若干、噛んだシーンがあったので、☆は4つだが、共謀罪の施行された今このような企画が演じられたことは特筆に値する。

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