かつて女神だった私へ 公演情報 芸術集団れんこんきすた「かつて女神だった私へ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     今年に入って既に百数十の舞台を拝見したが、今作がベスト1である。観た者は、観劇前と後で、自分の心と魂が変わっていることに気付かされよう。絶対お勧めの舞台である。花五つ☆

    ネタバレBOX


    “クマリ”を辞書で引いてみるとネパール盆地のネワール人に信仰される生き神だという。ドゥルガー女神の処女相として13世紀(一説には11世紀)以降信仰され、18世紀以降に隆盛を迎えた。クマリの資格を持つのは仏教徒カーストに属す初潮前の少女。クマリとされる少女は多くの集落に存在するが、カトマンズのクマリはクマリの館に住み、特に有名だと言う。
     恥ずかしながら、自分はクマリという存在を今作で初めて知った。チベット、ネパールそしてブータンは憧れの地域・国であるが、遠い夢であるうちは、詳しく調べてもみなかったわけだ。今回、れんこんきすたが挑むのは、この遠い夢の地域。思えば雲南省に住む少数民族地域などには最近まで桃源郷のような場所が存在していた。自分の知り合いのカメラマンで女性初の太陽賞を受賞した写真家が、雲南省が大好きで良く入っていたので自分は知ったのだが。尤も近頃では随分「開発」が進んでしまっただろう。ブータンにしても車が増えている。
    ところで、ドゥルガー女神とはどんな神なのだろう。パールバティーと同一視され、シヴァ神の妃である。ドゥルガーの名以外にいくつもの呼称を持つ、強大な神であり、慈母であると同時に凶暴な側面を持ち、近寄りがたい存在とされるが、ヒンドゥ教の位高き神である。クマリになる少女に施される化粧に額の中ほどに引かれる線があるが、これはドゥルガー女神の第三の目を表すのであろう。初日が終わったばかりだから、余り詳しいことは書かない。だが、これだけは書いておこう。人を救うとは、彼ら・彼女らの中に眠る可能性をめざめさせること、世界は強く尊いものから成り立っており、ヒトもまたそのようなもので形作られているが故に尊いこと、そのことを相談に来た各々に気付かせること、それがクマリの力である。この力を行使する為に、クマリは様々な制限を受け、試練を課される。尊いとは何か、それが何故美しいのかを、これほど雄弁に訴えてくる作品は稀有である。

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    2017/07/28 11:47

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