第20回公演 『君♡ふりーく』 第21回公演 『ジェニュイン・ケア』 公演情報 劇団天然ポリエステル「第20回公演 『君♡ふりーく』 第21回公演 『ジェニュイン・ケア』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

     いつもとちょっと毛色の変わった今作、観たことが無い方々に説明しておくと、自分が天然ポリエステルを見始めて以降いつも、何かに追われてアタフタというのが、天ポリのスタイルだったからである。

    ネタバレBOX

    例えば締切に追われるなどだ。実際、座付き作家は遅筆らしい。とすれば、それは役者・演出家・照明や音響は言うに及ばず、舞台美術、小道具、宣伝他総てに関わってくるわけだ。別に作家にプレッシャーを掛けるつもりはないが、総合芸術である演劇の根本の柱になるシナリオは、それだけ大きな役割を負っているのである。同時に演劇は、一舞台、一舞台が総ての細部に亘って同じものは一つもない。従ってどんなベテラン役者であれ、スタッフであっても、常に一回限りの真剣勝負で舞台に臨まなければならない。これが、演劇の非再現的緊張を生み、舞台を常に活き活きしたものに保つのである。かつて、つか こうへいが実践したように。そして、くしくも同じ時期・同じ発想で舞台作りをしていたピーター・ブルックが、今も演劇と格闘し続けているように。
     さて、今回天ポリが挑んだのはストーカーという病に罹りながら、それを病とは認識できない人々についてである。思えば、母子相姦に於いても、本人同士が、それを悪とは認識していないケースが問題化したことがあった。彼らの論理はこうであった。”互いにこんなに愛し合っているのに、愛していることがいけないのですか?” という反応である。開いた口が塞がらないという読者もいらっしゃるだろうが、これは事実である。即ち社会・三人称的世界観が完全に脱落或いは脱臼していて、一・二人称で世界が完結しているというのが、彼らの特徴であった。近親相姦がどんな結果を齎し得るのか? その反省を踏まえてタブーとされた歴史的知恵を彼らは認めていないかのようである。確かに恋に酔うことは、一時的に三人称的世界を忘却することであり、掛かるが故に恋は賢者をも愚者にするのだが、大抵の者は、予め近親相姦が齎すリスクを科学的知見としては兎も角、社会的常識として知っており、そんなリスクは冒さないというボンサンスを持ち得ている。
     では、ストーカーをする人々というのは、どんなタイプの人々なのであろう? 今作に登場する彼らの論理から見るに、彼らもまた近親相姦者同様、愛しているのに何故いけないのか? という論理があるようである。異なる点は互いに愛し合っているとは言い難い点である。仮にかつて相思相愛の時期があったとしても、問題となる時点では片やストーカー、片やその被害者となっている。つまりこの時点でストーカーは、愛が妄想と化した状態で被害者を追い掛け回すのに対し、被害者は毛嫌いしているという訳である。今作は、物語を余りにも深刻なものにしないよう、被害者にも強いアイドル指向を持たせ、ストーカーたちをすらファンという概念を用いて自分に納得させようとする、これまた病的キャラクターとして描いているが、案外、今作の視点の方が現実に近いかも知れないのである。何故なら心理学的分析は完全な科学と呼ぶには余りにも客観性を欠く学門であり、多くの場合、その療法も想像力の産物だと思えるからである。そもそも、対象とする心理そのものが揺れ動く何者かなのであり、対象を特定することが頗る難しいと考えられる。而も、我々自身、胸に手を当てて振り返ってみれば、煩悩と呼ばれるような本質的欲望を抑えるのは至難の業であることを知るであろう。殊に三大欲求たる睡眠欲、食欲、性欲を抑え、コントロールすることは至難の業、眠らず、食べずにどれだけ生きられるか、と問うなら生死に関わる欲望でもあるのは一目瞭然。では、性は? 各々、心に深く思いを馳せたい。

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    2017/07/28 11:57

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