ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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ピアノレッスン、なう。

ピアノレッスン、なう。

黒鯛プロデュース

サントリーホール ブルーローズ(小ホール)(東京都)

2013/10/30 (水) ~ 2013/11/01 (金)公演終了

満足度★★★★★

小原 孝氏のピアノ 必聴
 魂に沁み入るようなピアノ演奏と味のあるシナリオ、自然に見える演技、照明、音響などの効果、演出も出しゃばらない心に残る舞台だ。(追記’13.11.1)

ネタバレBOX

 由緒ある結婚式場の支配人代理と新入社員達は、今月あと1千万以上の売り上げが無ければ、馘首されそうな状態で戦々恐々である。そこへ下見に来た母親。式場スタッフは、ここぞとばかりに売り込みに掛かるが、肝心の花嫁は、披露宴を開く積りが無い。それが、理由で、母親一人で下見に来たのである。母としては、どうしても娘にこの式場で豪華な披露宴を挙げてやりたい理由があった。というのも、彼女の実家は医者で、夫はピアニストだったのだが、両親の説では、ピアノなんか弾く者に碌な奴は居ない。従って結婚など以ての外というものであった。両親の賛同を得ることなく駆け落ち同然で結婚生活に入った母親には、披露宴をする資金も無かった。偶々、駈け落ちの道行きで、この式場で披露宴を挙げているカップルを見た彼女の心に浮かんだのは、こんな豪勢な式を挙げることのできる人々もあるのだ、という感慨であった。
 そんな思いの母親に、式場の支配人代理が、勧めたのは何と3日後のプランであった。それならば「思い切ってサービスさせて頂きます」と言うのだ。無論、彼女には彼女の事情がある。母は、それでも良い、とこの話を受けた。母と支配人代理の話が纏まり掛けた所へ、娘が顔を出した。娘は「内々で食事を摂るぐらいの気持ちだ」と中々譲ろうとしない。まして「3日後では、招くべき客だって間に合わない」と反対する。然し、母は動じない。「自分の兄と、夫、新郎サイドには既に話をしてあり、新郎サイドは親戚のおばあさまを呼ぶ位であとは、道行く人々を呼んで一緒に祝って貰う」と言うのだ。それも、嘗ての自分を思い出してのことである。娘とのやり取りで決定的だったのは、ここには、名器と言われるピアノがあったことだ。母は、そのピアノの前に立ち、一音出してみる。そして、「3日後には、自分が、ピアノを弾く」と言うのだ。だが母にピアノは弾けないと娘は知っている。然し母は「幻の名ピアニストに手ほどきを受け3日で弾いてみせる」と言い切る。これは、解離性健忘症に罹っている母だけに見える名ピアニストが居たのからである。 
 話は飛んで、3日後、婚礼のリハーサル現場である。彼女は3年前に事故で亡くした夫の辛い死を魂の底で認められず解離性健忘症に罹っていたので、彼女が夫だと思い込んでいたのが、実は、彼女の精神科担当医で、兄が、病院勤めをしている関係で面倒を見て貰っていたという事情なども分かっていない所がある。そんな状態のまま、リハーサルで娘も覚えてしまった「スウィートメモリー」を幻のピアニストと連弾していたのだが、発作を起こしパニックに陥ってしまう。兄は「披露宴は中止だ」と叫ぶ。キャンセル料は100%なのだが、パニックを起こした妹のケアは到底無理だ、と判断したのである。因みに、解離性健忘症というのは、辛い経験などと向き合うことを避ける為に、部分的に記憶喪失症状を呈する精神的疾患のことで、封印している記憶が、何らかの契機で思い出されそうになると、思い出したくない規制と心の中で強い葛藤が生じ、その結果、心理的平衡を失いパニックに陥ってしまうのである。今回、その契機となったんのが、娘も好きな標記の曲で、夫との記憶を呼び覚ましそうになったので、パニックを起こしてしまったのである。幸い、今回は、この葛藤を通じ、また、幻の名ピアニストが実は、自分を見守ってくれている亡くなった夫だという謎も解け、以て魂の平衡を取り戻すことにも成功してゆく。
 娘との見解の相違を互いにぶつけ合った結果、娘も本心を話し、妻子もちであった新郎との間にあった諸々の事情や、周囲からの非難・批判への心理的逃亡もあって小じんまり内輪だけの式にしようとしていたことを認め、本当は、きちんと披露宴をして皆から祝福されたい本音も述べ、結婚披露宴を開くことに同意。母の出した案にも賛成したのである。而も、この間に2度離婚経験を持つ兄は、支配人代理と意気投合、W結婚披露宴に発展したのであった。
 客席は階段状になっていないので、舞台は席によって見づらいのだが、音楽が、欠けた空間を埋めてくれる。それほど、素晴らしいピアノである。自分はピアノ曲が大好きなので、或る程度ピアノの生演奏を聴いてきたのだが、タイプは違うものの、辻井 伸行君のピアノを聴いた時と似たようなポテンシャルの高い感動を覚えた。必聴のピアノである。
ウォルター・ミティにさよなら2013

ウォルター・ミティにさよなら2013

TUFF STUFF

相鉄本多劇場(神奈川県)

2013/10/27 (日) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★

志が
 役者陣の演技は悪くないが、シナリオライターの志は低い。それもあってのことだろう。観客にも恵まれていないようだ。殊に小劇場演劇では、客席と舞台が近い為に、互いの想像力による争闘は、より熾烈である。また、そのことが、小劇場演劇の醍醐味でもあるのだ。にも拘わらず、この劇団のシナリオは、想像力を全面的に信じる形になっていない。逆に言えば、観客を嘗めているのである。それが、説明過多に端的に現れてしまった。本当に途中で帰ろうか、と考えた程である。
 逆に、緊迫感のある舞台作りになっている場合には、ダンスなどのパフォーマンスに必然性が感じられず、場違いな印象を受けることが多いのだが、この劇団の場合、最初に底を晒してしまうので却って即物的なダンスパフォーマンスが活きた。
 次は、通常の芝居のように、論理対論理と想像力対想像力をキチンと向かい合わせることで成立するドラマツルギーに挑んで欲しい。

巣窟の果て

巣窟の果て

643ノゲッツー

劇場HOPE(東京都)

2013/10/30 (水) ~ 2013/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★

大人の責任を問う
 あまり当てにならない占いを生業に共同生活をしている若者グループ。実は、全員孤児だ。(多恵だけは、園長の死後、孤児になった。即ち園長の娘である)

ネタバレBOX

 一緒に住んでいるのは、支援者がこの建物に居住することを許してくれているからだが、住民は総て同じ施設に居た仲間である。但し、年齢は少し離れている。皆の夢は、施設を再建すること。だが、仕事は中々長続きせず、資金はままならない。その中で、或る程度続いているのが、一応、雰囲気を持ち、且つ、子供の頃に占い師になりたいと言っていた“先生”が占うという形をとっている占い事業だけなのだ。クライアントを信じ込ませる為に、個人データを様々な形で仲間が入手しておき、それらを用いて信じ込ませておいてから、当たり障りのないことを言って丸め込むのである。総ての占い師がそうであるように。この時、占い師先生は、仲間が裏で資料を見ながら教えることを瞬時にクライアントの前で繰り返す。(裏方と先生とのコミュニケイションは“コツ伝導”と呼ばれているが、コツに骨をいう字をあてるのかどうか定かではない。)
 ただ、先生には妙な癖がある。いい年をして、小便を漏らすのである。それが、毎月同じ日だと指摘したのは、多恵だ。彼女は、先生が態とやっているのだと非難する。それは、毎月13日、園長の月命日に当たる日だからである。すると先生応えて曰く「園長を殺した癖に!」彼は、見ていたのだ。年長の多恵、瀬戸、佐伯の三人が、園長を井戸端に呼び出して突き落とすのを。警察は自殺と判断し、事件はそれで一応収まったのだが。
 三人は、何故、こんなことをしたのか? 而も、多恵は、園長の娘である。実は、園長に児童虐待癖があったのである。園児達が10歳を過ぎる頃から虐待は夜毎続けられ、多恵は実の父にレイプされ、身籠ってしまった。流したが、彼女は深く傷ついた。而も、男の子達が、高校生になる頃には、虐待は収まってきていた。多恵が、レイプされたのは高校生の時、何度もである。何れにせよ、自分達の次の犠牲者は、今、小学生の、弟とも妹とも思って来た小さな子達だと考え、自分達がされたような事を、この子たちには避けさせたいと殺害を決意し、実行したのであった。その後、直ぐ、自首しようと考えたのだが、年端も行かないこの子たちを放りだすことも出来ない。そう思い直して、彼らが自立できるような年になったら、真実を話し自首しようと考えていたのだ。
 だが、この話を瀬戸の会社の同僚に立ち聞きされてしまう。自首するということでケリをつけ、三人は、後を若い世代に託して出て行く所で幕。
 似たような年代の役者が演じ、話の内容が、断片的に出されるので、ストーリーが分かる迄、ちょっと時間が掛かるかも知れないが悪いシナリオではない。唯、自分が彼らのような状況に置かれたら、矢張り、同じことをしただろうな、とは思う。そのようにはのめり込ませてくれた。
ニッポンヲトリモロス

ニッポンヲトリモロス

劇団チャリT企画

王子小劇場(東京都)

2013/10/25 (金) ~ 2013/10/30 (水)公演終了

満足度★★★★

どこからトリモロスのか? アメリカからでしょ!
安倍が秘密保護法で最初に隠すのが、F1事故後のケアについてだろう。TPP関連では遺伝子操作作物の件、関税関係の秘密協定等々。日米の更なる軍事的協定に関しても秘密指定を益々増やしてゆくであろうことは、目に見えている。何故なら、アメリカの戦略・戦術下に置かれる自衛隊の実態を国民の目に触れさせない為である。秘密保護法と関連して共謀罪成立を目指すこともほぼ間違いない。治安維持法を目指しているのであるから、必然と言わねばならない。日本語の発音も碌にできない奴が、日本のトップに君臨し好き放題をやっている。我らは、革命権を持たねばなるまい。こんな植民地で人間らしく生きる為には、それなしに民主主義などあり得ないからである。
 また、アジアに位置する日本が、近隣アジア諸国とぶつかり合えば、得するのは誰か明らかだろう。ユーラシア大陸の西にイスラエルを、大陸の東の涯と目と鼻の先に日本を持つアメリカは、この広大なエリアに存する2つの大国、中国ととロシアに睨みを効かすことが可能なのである。従って、トモダチ作戦で、アメリカが守りたかった、第1の物は、三沢基地だろう。ここに、エシュロンのアンテナが設置されていることぐらい誰でも知っている。因みに、エシュロンをアメリカ他加盟5カ国が正式に認めている訳ではない。スパイしているのを自分達で認める訳が無かろう。本は米英の秘密協定であったが、現在ではカナダ、オーストラリア、それにニュージーランドが加わっての5カ国。それだけでは世界中の情報を盗むのに弱さが在るので、日本という植民地にも基地を置いているわけである。他にも、無論、基地の置かれている国はあるが、大体察しはつこう。
 こういった客観情勢すら知ることが難しくなるのが、秘密保護法なのだ。それを知ろうとすれば、共謀罪で縛る。ここまでくれば、治安維持法は成立したも同然。而も、国民の大多数は、この事態の深刻さに気付いてすらいない。ホントみむめもだね。
 さて、今作では、以上のようなことに触れている訳ではない。

ネタバレBOX

 舞台は2020年、東京オリンピック直前のザ・ホテルジャパンのロビーだ。天井からは、水滴が当たる音が聞こえてくる。オリンピック直前で予約がたくさん入っているというのに、既に4回も修理させた水道がまたしても漏れているようなのだ。こんな状態では、客を入れてもクレームに悩まされ、信用を落とすことは目に見えている。早速、再度、水道屋を呼びつけるが、水道屋が工事をしている最中にも事態はどんどん悪化して行く。おまけに民族主義者が、外国人狩りをしようとホテルに押し掛けてくる始末。その上、誰も対応していないのに、おかしなことにいつの間にか4号室には、居留守 菅駄流という名の客が、5日前から宿泊していることになっており、先ほどまでなかったハズの記帳もされている。4号室の周囲の部屋では温度も上がっていると言う従業員もおり、別のスタッフも同道して2度も確認するが、他のスタッフは、特段の異常はない、と見解が分かれる。
 水漏れは更に激しく広範囲に広がり、最早収束の兆しさえ見えない。一方、外交の失敗によって、中国がオリンピックをボイコット、ホテルの予約客は4号室を除いて、電話で問い合わせがあっただけ、大半は中国人客なのである。だが、オリンピックをボイコットした中国から客が来てくれるのか、飛行機が飛ぶのかという心配もある。追い打ちを掛けるように国内では地震、火山の爆発、津波等によって作り掛けた競技場などの施設が大打撃を蒙りあと3日後に迫った開会式に間に合うとは到底思えない状況である。水漏れは益々酷く、4号室には異常が起こっていると思われ、スタッフが確認に赴く。外国人狩りをやっている組織の総長も渦中に飛び込むが、皆ほうほうの体で逃げ戻ってくる。その後ろからは、白い煙が、まるで人々を追い掛けるように迫っている。その濛々たる煙の中からぬっと現れたのは防護服で完全にガードした原発作業員、つまり白煙と見えたものは、放射性核種を含んだ排気だったのである。
 現在の推進派の主張通り原発を稼働し続ければ不可避的に起こるであろう第2の致命的核事故、それを言葉も満足に発音できないこの国のトップが推進しているグロテスクな事実。それらをおちょくりつつブラックに表現。ヘイトクライムを犯す単細胞連中をもその射程に収めつつ、今作が本当に撃っているのは、このような流れに知らんぷりを決め込んだ、沈黙の共犯者、我々自身である。
 実際、取り戻すのだとしたら、アジアの国である日本は、アメリカからこそ、取り戻さねばなるまい。
【韓国】劇団ヨハンジャ『ペール・ギュント』

【韓国】劇団ヨハンジャ『ペール・ギュント』

BeSeTo演劇祭

新国立劇場 中劇場(東京都)

2013/10/26 (土) ~ 2013/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

アイデンティファイするということ
 アイデンティティーの探究と魂の救済を巡る物語。原作は、イプセンだ。但し、自分は無新論者なので、宗教的な死、救済、恐怖などは、総て宇宙の中に在る己の卑小を自覚した時の余りの恐ろしさに律然としたヒトが、その実存的虚無感から逃れる為に編み出した単なる方便に過ぎないと思ってはいるが。そう言ってしまっては身も蓋も無いから、少し、今作の内容を追いながら作家の想像力に付き合うとしよう。

ネタバレBOX

 先ず、ペール・ギュントは父譲りの大法螺吹き、大酒飲みのロクデナシとして登場する。母はできの悪い息子を嘆いてみせるが、見捨てているどころか、大変愛している。その母の愛にくるまれ、保護され乍ら、ギュントは皇帝になると公言し城を持つと嘯く。
 彼の望みは女性を通してやってくる。長者の娘に惚れられる。王女と結婚する等々だ。だが、彼は、本当に自分が愛する女性と故郷で出会い、彼女との間に純粋な愛を育みながら、自分探しの旅に出、武器の密売や人身売買でしこたま儲け、大金持ちの成功者になる。が、その財産を狙った若い女に数々の貢物を与えるなどという愚行もし、終には、地獄落ちがほぼ確実ということになる。唯一、救いの可能性は、彼の純愛にあった。出された謎に故郷の彼女がどう答えるか。その答え如何で彼は救われる。彼女は答える。彼の不在の間、ずっと彼女は彼を夢見、愛し続けたと。
 この答えが契機となって、彼は、新生を経験する。ギュントを演じた俳優が全裸になるのは、生まれ変わりを意味しよう。舞台上に設えられたアクリル製の直方体に入って胎児のような姿勢を取るのはその為だ。この直方体は子宮である。その際、先にダヴィンチの円の中の人間のように体を広げてから、小さく縮こまるのは、生まれ変わりの時間的逆転を意味すると解釈した。
 然し乍ら、今作のギュントでは、イマイチ主人公への収束感に欠ける点があるようだ。イプセンの原作を読んでいないので原作でどう描かれているかは分からないが、この舞台では、ギュントが自分自身を自分自身で客体化することは無論できていない。それが、できないから、様々な愚行を含めて、精神的にも空間的にも彷徨うわけだが、実は、彼はいつも孤独である。それは、己を己自身で客体化することはできないという事実に気付くことのできる地平に迄達していないからである。彼は、夢か現か分からぬ中で死に、神と話し故郷へ戻る。そして、置き去りにして来た恋人に逢うわけだ。恋人という他者と会って初めて自己を客体化し得たのである。この当たり前のことが、当たり前のこととして認識できない過程が矢張り長すぎるので、収束される感覚が遠のいているのだろう。
 また、大作主義的な作りは小劇場演劇を見慣れている自分には、やや冗長に感じられたが、舞台美術や照明、音響の用い方は流石に力量を感じさせる。殊に舞台奥に鏡のように設えられた巨大な反射板と床に敷き詰められた砂の効果は見事で、観客をハッとさせるようなシーンが何度もあった。韓国の劇団なので、役者の演技の上手さは無論のことだが、かなり大きな舞台で存在感を押し出すことに意を用いている点でも、出吐けのタイミング、動きの良さにもリズム感があって良い。惜しむらくは、翻訳が本当に直訳で文章が長いので、舞台上の演技をゆっくり楽しめなかった。もう少し意訳しても良かったのではないだろうか? また、字幕の位置が、上手の端一か所というのも観ずらい原因の一つであった。
nora(s)

nora(s)

shelf

アトリエ春風舎(東京都)

2013/10/25 (金) ~ 2013/10/31 (木)公演終了

満足度★★★★★

犀の如く独り歩む
 演出家、矢野氏のイマージュとしては、原作を一旦、分解してfragmentsにした上で、現在・ここに絡めて本質だけを再構成するという手法だ。それだけに緊迫感もあり、説得力もある。

ネタバレBOX

 韓国から来ている女優のハングルで開始された科白は、日本の女優の翻訳兼日本語に拠る掛け合いで重ね合わされ、初めて聞く、美しく身体化された言語の響き合いとして立ち現れる。ここでいう身体化された言語とは、肉体に言霊が、憑依することではない。寧ろ、溜めを作った上で、肉体そのものでも言語そのものでもない新たな次元に属する表現として、立ち現れた関係性を獲得した“実体”だ。
 実に、微妙で純粋な、謂わば太初の光だけで編まれた詩的実存とでも言ったらいいだろうか。こんな表現ができるのは、演出家が、既成の衣(習慣・風習・既存価値・概念等)を脱ぎ捨てることのできる役者だけを選んでいることと大いに関係がある。
 それは、冒頭述べた通り、古典を含め、評価の定まった作品を今、上演するに当たって、脚本家・演出家が先ず最初に考えるべき問題であろう。評価の定まった作品というものは、決して固定化されているということではない。常に新たな発見があるということである。つまり、その作品と出会う者にとって常に格闘の対象として立ち上がってくる“実体”なのである。そのような“実体”を演劇という媒体で表現する時、採り得べき形の一つが、それも有力な形の一つが、今回のような形であることを評者は信じる。なぜならば、この表現に斬新さが在るからである。この斬新さこそ、この作品創造に当たって、作る側の皆が、原型と格闘した証であるのだから。
 結果、今作は、現在、我々が此処で生き、暮らしている日常性そのものに対する鋭い問い掛けとして立ち上がって来た。多くの者が、現在、ここで、仮死或いは居眠り半分の意識しか持っていないように見える。政府、マスコミの情報操作を見抜けないことによる洗脳を意識することもない、体たらくである。謂わば、訓致されることに馴らされ、家畜として生かされていることに対する問題意識を失くせば失くすほどこの問題提起は、遠く見える。然し、眠りに就いた者も、ヴィヴィッドに生きていたいなら、目覚めなければならない。そして目覚める以上、よりよく生きたいではないか? その時、我々自身の価値基準・判断基準の根底を何処に置くのか? 
 ノラは、所謂、近代的自我が、社会の中で個人をアイデンティファイする際、目指すべき出発点を示した。そして、今作は、イプセンを借りて、再度、その切実な問いを発している。その問いに応えるのは我々自身の責務である。演劇という媒体であるから評者のいうような直接話法ではない。解釈は自由である。ただ、観る側も精神を裸にして相対すべき作品であることは確かだろう。
月刊小玉久仁子10月号「女心と秋の空」

月刊小玉久仁子10月号「女心と秋の空」

ホチキス

スタジオ空洞(東京都)

2013/10/22 (火) ~ 2013/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

村上氏と次も組んで!!
 TVを殆ど見ない自分にとっては、TV番組を元ネタに使ったギャグは、イマイチ笑いの瞬発力に欠ける。小玉さんには、方向性は異なるかも知れないが、深刻な時事ネタにもチャレンジして頂きたい。例えば、政府が推し進める、秘密保護法で何が最初に隠されるかをテーマに。原発推進派の嘘と米英仏を中心とした原子力ロビー、何より、F1事故後、避難したお母さん達が、何故、主人と別居してまで、子供達と遠くへ避難したか等々(一家族の複数の子供が事故後、鼻血を出すようになったとか体のあちこちに死斑のようなものが矢張り複数の子供に出たりという事実があったからだ。このような事実が多々報告されているにも拘わらず、推進派は安全神話だけを流す事実、腐りきったマスメディアの実態など)

ネタバレBOX

 ところで、第三話の村上 誠基氏の登場は目を瞠るものがあった。TV局のチーフプロデューサー役なのだが、通話相手を分けた、モバイル数台を用いて、部下からの報連相に応じ、出演者たちの売り込みと交渉・手配、段取り、ギャラ交渉、社長との連絡まで、一人で何役も小気味よくこなしてゆくのだが、間が絶妙、笑いの仕掛け方、スピード感、意外性など頗るつきに上手い。シナリオも実に巧み。演出も良い。ただ、二人になった時、少し、遠慮をしているような気がする。二人共に芸達者なので、もっと個性がぶつかると更に、観客にとっては面白い作品になりそうだ。
 
【千秋楽当日券ございます】値札のない戦争

【千秋楽当日券ございます】値札のない戦争

劇団印象-indian elephant-

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/10/24 (木) ~ 2013/10/28 (月)公演終了

満足度★★★★

時代を見ようとする目
4年前に国連決議された一国一核制度のお陰で、世界は完全に平和になった。戦争カメラマン、タリタリは、世界的に知られた戦場カメラマンだが、世界中に平和が蔓延してしまって仕事が無い。それで、旧知のヌードカメラマン、橋の事務所を頼った。二人は、友人だが、国籍は異なる。橋の国は、かつて、タリタリの国を植民地化していたのだ。
 何れにせよ、目先の問題は、仕事が無いことである。橋も優秀なカメラマンなのだが、モデルに手を出すのが早く、業界では要注意人物なのである。
 こんなわけで2人とも崖っぷちに立たされていた。尚、事務所には、もう1人、音門という仲間が居る。マネジャー役とでも言っておこう。橋の大学時代の写真部仲間なのだが、音門は、被写体に寄ることができず、プロはあきらめたのだった。
 何れにせよ、食わなければならない。企画を出し合うが。ここには、もう1人、押し掛けてくるシェルターの販売人、ラーニャソンがいる。彼女は、タリタリと同国人だが、矢張り、平和のせいでシェルターが売れない。
 彼らは日々、新たな企画、売れる企画を考えていたのだが、終に、その企画を発案、チャレンジしてみた。結果は爆発的なヒットであった。平和に飽き飽きしていた人々に議事戦争写真を呈示したのである。だが、人々は、疑似的なものに、心象風景を犯されていった。(追記2013.10.28)

ネタバレBOX

先に、疑似的なものに云々と書いたが、物語では、このヒットのさなか、隣国との間で領有が問題化していた島を巡って問題が起こる。音門は、これを好機と捉える。最初は、漁船の乗組員が島に上陸した。その後、音門達の国の旗を持って上陸したグループが、島の最も高い場所に旗を立てた。だが、タリタリの国の軍に排除され、旗が焼かれたのである。タリタリは報道カメラマンとしての本能から、問題が起きると直ぐ、島に飛んで取材をしていた。彼女は、旗が焼かれている現場写真を写していた。彼女は、発表すべきか否か迷うが、音門に説得され1度はメディアに発表することを認める。直後、前言を翻すが、時すでに遅し。時流に乗ったこの写真も、人々の戦争気分を加速させた。
 今作では、このように領土問題が語られる。現在、3つの領土問題を抱える日本としては、耳目を集める話題であり、多くの人々が踊らされる元凶でもある。興味のある方は、「永続敗戦論」白井 聡著などお読みになると宜しい。白井が指摘する通り、領土問題を論ずるならば、双方の当事者が、交わした国際間の協定なり何なりの原典に当たる必要があるのは、当然のことだ。また、国境画定に関しては、露骨な力関係が支配するのは、常識である。その上、国際関係の様々な利害、歴史的事情等々が絡み合って成立する諸条約・協定については、一見矛盾するような事態が度々生ずる。だが、互いに再度、戦争をして新たな領土画定競争をするのは忍びない。こんな事情があって棚上げにされて来たわけであるが、背景を知らず、知ろうともせず、またキチンとサジェッションしてくれるような有能なブレーンもいない場合、虎の尾を踏んでしまうのだ。そして、己は、そのことに気付きもしない。これは単なる馬鹿である。丁度、現政権トップがそうであるように。
 更に悪いことが、今作では描かれているのである。それはメディア操作によって踊らされる人々についてである。
 ひと頃盛んに言われた、勝ち組・負け組。この根底にあった価値観は、サッチャーがかつて述べた「社会というものは無い。私のお金、私の成功があるだけだ」という悲愴な発想と同根だろう。
 この論理に沿って行動しているのが、音門とラーニャソンらであるが、ラーニャソンによれば彼女のカメラとは即ち金、そのカメラは、「両カメラマンよりも世界をより写すかも」と宣う。因みに彼女の働くシェルター製作会社は、ミサイルも開発している。新しいミサイルはより強力であるから、シェルターを買い変えさせる需要に繋がり、シェルターを買い変えた頃には、また新たなミサイルを開発する、というである。かくして企業は安泰というわけだ。人々はたった一つの命を守る為には、永遠に買い物を更新し続けなければならないのである。
『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』(終演しました! ご来場ありがとうございました!)

『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』(終演しました! ご来場ありがとうございました!)

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2013/10/23 (水) ~ 2013/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★

太陽とサヨナラを拝見
 ダークマターが支配的な宇宙の時空で、恒星は、何を探して無窮の時空を旅するのか? また、人は、何を求め何を縁に生きているのか? 悠久の時空を旅する者と、砂よりもちっぽけな、我ら、ヒトが思惟するものとの邂逅は、本当にあり得るのか? これらの問いが、ヒトの持つミクロコスモスと宇宙のマクロコスモスとの股旅物として描かれる作品。

ネタバレBOX

 恒星の持つ絶対的なパワー(熱、エネルギーポテンシャル、太陽風など)に対して、生物の母として、恒星をも擬人化された者として産み落とす母という存在を対置させることで、太陽の産んだ果実(生命)を呈示して、彼のレゾンデ―トルを明かすと共に、自らの存在意義も明らかにしている。(但し、その永続性については、母のイマージュと共に、生物の身体を一種の乗り物として利用するDNAを考えた方が良いかも知れぬ。また、母が、火の神を産んで亡くなったとされる記紀の記述を下敷きにしていると考えることも可能だろう。)
 シャイ(謎の生命体・実は太陽)を演じた糸山 和則の形態模写、身体能力の高さもみもの。
三人姉妹

三人姉妹

華のん企画

あうるすぽっと(東京都)

2013/10/24 (木) ~ 2013/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

演出にもう少しメリハリが欲しい
 作り込んだ舞台はさながら名画のようだ。衣装も19世紀ロシアの上流階級のそれである。役者の演技もかなりの出来だ。惜しむらくは、演出が、もっと作品にメリハリをつけて欲しかった。照明、音楽の選曲・使い方を変えるだけで随分効果が異なってこよう。舞台自体、かなりホリゾントが深いので、役者が普通の演技をしているだけでは、観客へのインパクトが弱くなってしまう。寧ろ、存在感を出すことに主眼を置いた方が良いのではないか? その出し方の一例を挙げれば、つかこうへいの口立てである。演出家が役者自身も気づかないような本質を掴み取ればこれは可能である。但し、これが、できる演出家は天才的な演出家と言って良かろうが。チェホフ作品の中でも傑作とされる三人姉妹になら、そのような全力投球の演出は、演じる側にも観客にも素晴らしい経験になろう。

支線ガード下・始発

支線ガード下・始発

劇団芝居屋

ザ・ポケット(東京都)

2013/10/23 (水) ~ 2013/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

早めに行くべし サプライズあり
 若手の伸長著しい、芝居屋の新作。然し、良い劇団というのは、本当に若手をキチンと育てる。早目に行くべし。開場10分後辺りから、サプライズがある。無論、本編は、キチンとした作りの世話物だ。(追記2013.10.26)

ネタバレBOX

 ガード下には人生がある。舞台設定はガード下に店を出す人々の共有スペース。丁度、ヨーロッパのアパートの中庭のように、広場脇に住居がある。今は、看板だけでヤクザとしてのシノギはない親分、村井が、前科者の行き場所が無いのを不憫に思い、自分のつてで飲食店などで働けるように手配した縁で、集まる者は皆家族同然の心安さで暮らしている。実際、一度、犯罪を犯した者は、その事情を斟酌されることも無く、只、犯罪を犯したことがあるという理由だけで、社会からはじき出されてしまうのが現実だろう。そのような行き場を失くした人々の避難所でもあるのだ。開演前に「アヴェマリア」が生の声で聞けるが、当然、この作品のテーマと通底している。
 さて、この広場で、今夜、村井の食堂のおかみ、良子への100度目の告白が行われる。集まるのは世話役、吉崎、親分の若衆(高倉、篠原、天津)かつて食堂で働いていて、今は結婚して長距離トラックのドライバーをしている竜子 現役の食堂従業員、保護司等々。100度目告白とは、言う迄もなく、小野小町の故事を下敷きにしている。言い寄る男(深草少将)に百夜通ったら、その時は云々というあれである。結局、この恋は最後の晩、少将が凍死して実らず、その後、小町は、生涯特定の男とは付き合わなかったと言われる。この辺り、三島 由紀夫の「卒塔婆 小町」、太田 省吾の「小町風伝」等にも援用されているので、演劇ファンならずとも、ピンとこよう。理屈はさておき、満願成就か否か、賽に細工はできても、女心に細工はできない。まして、おかみと親分は、兄弟同様に育ち、関係が近過ぎて、親分を異性とは感じていないのが正直な所と下馬評は言う。こと、惚れた女となるとからっきし意気地なしになってしまう、恥ずかしがり屋の親分、緊張に言葉もしどろもどろである。だが、口説き文句はとても素敵だ。
 ところで、こんなハレの日、よりによって隣町で強盗を働いた犯人が、この広場に隠れた。警察の張った手配網から逃れようと隅にあった段ボールに身を隠してそのまま、眠ってしまったのだ。それとも知らぬ一行、着替えを済ませて、座席も整え、百度目告白のリハーサルも終えて、いざ本番である。皆が、おかみに声を掛ける。親分が花束と共に愛の告白をする。下馬評通り、おかみは、断るつもりで居た。然し、答えを迫られた時に、見た皆の顔から、自分が、この若者達の母親になってやらなければ、と考え、申し込みを受けた。大喜びがひとまず収まると、片付けもしなければならない。それで、段ボールの捨てて在る場所へ行ってみると、何だか音がする。酔っ払いが段ボールを被って寝ていると判断した皆が、上に被せた段ボールを取り除くと、中から人が飛び出してきた。だが、それは強盗犯でピストルを持ち、高倉の彼女、美沙を人質に抵抗する。
 彼は、親の敷いたレールの上を懸命に走った。一流大学を出て、一流企業に就職した。上司の言うことは何でも聞いた、結果、失敗プロジェクトの責任を負わされ馘首された。だが、親にとっては自慢の息子、会社に行っている振りをし続けた。だが、給料日に振り込みがなければ、会社に行っていないことが、ばれてしまう。それで、郵便局強盗に走ったのだ。彼には人間関係を築くことができなかった。会社でも変人扱いされていた。
 これらの告白に高倉は、居場所の無かった自分の荒れていた時期を重ね、いきり立つ皆を押さえ、どうすべきかを協議する。とどのつまり、警察に通報してしまえば、自分達が、強盗犯を捕まえたと世間ははやし立てる。折角、静かで真っ当な暮らしを手に入れたのに今更、世間の耳目をそば立たせたくない。そこで、自首を勧めることにしたが、犯人は、中々、決心がつかない。そこへ巡回中の警官がやって来て手配写真を見せ「見掛けなかったか、注意をするように」と言ってゆく。その時、警官自身が犯人を見て、犯人ではないか? と疑うのであるが、高倉が、一芝居打ち、難を逃れる。頭を叩いて「てめえが良く似ているから、こんなことになるんだ」とばかりにやったのだ。これは、歌舞伎の「勧進帳」を思わせる。犯人も漸く、庇ってくれた人々が自分などより遥かに苦労人であり、それ故に優しく接してくれたことに気付く。そして、自分が、最早、独りではないらしいことにも。それは、警官の点数稼ぎにさせないよう、天津達が隣町の交番近くまで付き添うことになったことにも現れている。出掛けに「行く所が無かったら、ここに来い」と声を掛ける高倉の言葉が温かい。
『武器と羽』

『武器と羽』

Oi-SCALE

駅前劇場(東京都)

2013/10/23 (水) ~ 2013/10/28 (月)公演終了

満足度★★★★

嘘を糾すと犯罪者
 登場人物全員が嘘つきという設定で物語が展開する。導入がちょっと変わっていて、この場所に纏わる怖い話が色々語られる。ヤンキーが屯っているとか、女の幽霊が出るとか、通り魔騒ぎとか。そんな話の内容に合わせて、最後まで舞台は、夜の公園程度の明るさだ。

ネタバレBOX

 この最初の設定に呑まれるか否かで、評価がハッキリ分かれるだろう。因みに場面は、公園という設定だ。下手にベンチが1つ。中に灯りを仕込んだものを含めて、観客席側から、舞台奥へ直線的に置かれたコーン(工事現場などで見る奴。色は、青、緑と寒色系と公園だから、グリーンだ)。公園の傍らには河が流れており、水死の話なども出ていた。公園脇には、コンビニが1軒ある。
 11年前から、この公園にはホームレスが1人住んでいる。彼は、探し物をする為にここにいるのだが、その探し物とは、彼に生きる意味を教えてくれた姪である。然し、姪は11年前に亡くなっているのだ。探している本人もそのことに気付いている。
 ところで、この公園で通り魔事件が、立て続けに起こった。警察が乗り出し、犯人は、自首するという形で捕まったが、事実は、自首した者は犯人ではなく、ホームレスを神と崇めるコンビニのアルバイト店員。神からも「彼には黒い羽が見える」と言われている。つまり烏であると同時にサタンも含意しているかもしれない。何れにせよ物語の中で真実を観ていたのは、公園に居る野良猫と猫の生まれ変わりの烏(猫は何度も生まれ変わるという転生譚と猫の死体が殆ど見付からないという話をミステリアスに結び付けた、神と崇拝者たちの論理ではこうなっているのだ)で、神は己の中にどす黒くとぐろを巻く物から逃れることを願っている。それを烏=サタンに告げるのだ。サタンは理解し実行する。
 以上を深読みすれば、神は自ら善と称する為に、悪を前提とし、それが分かちがたく結びついた身体を殺すことで、自らは存在と袂を分かち偏在することを可能とした。実行する方法としては、殺害という汚れを悪に負わせ、それを忌むべき者として分けた。つまり、汚れ役を知恵者、サタンに任せ、己は良い子ぶることにしたのだ。自殺すれば、済んだことを、他者に汚れを負わせることで、自己純化の縁とし、己独り良い子ぶって、悪を他者に代弁させたのだ。出来レースである。ではサタンにとっての益は何だったのか? それは、地獄というもう一つの世界の頂点に立つ、ということだったのではないか? 何れにせよ、神そのものが、出来レースを演じているということに対する痛烈な皮肉と取れないことも無い内容であった。ホームレスの父は、教会を立てた聖職者で彼を精神的に救った姪の産みの親は姉で敬虔な信者である。然し、自分の立てた文脈に沿って解釈するならば、この姉の祈りは、気違いじみた信仰に対するパロディーである。
 通り魔事件に関しては、狂言であった。というのは、以上のことから必然的に出てくる。そして、殺されたのが、ホームレス(神の遍在を表していようではないか)殺したのが、自称、烏のコンビニアルバイト店員(サタン)、狂言を演じた二人の被害者が、世界の実相を知って絶望した者と娼婦であることも、この神話を現実世界との境目に置くことに役だっていよう。警察が、この物語の中で起こった唯一の事件(ホームレス殺し)を、無かったことにしてしまうのも、神が、不正を犯している以上、被造物でしかないヒトが誤魔化すのは当然のことと言わねばなるまい。また、通り魔だと言って自首した、コンビニアルバイトが、ラストで人を刺すシーンも、この伝で言えば、立件されない可能性が高い。何故なら、正義はサタンにあると本当のことを行為で示してしまったのだから。
かぞくや

かぞくや

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2013/10/22 (火) ~ 2013/10/31 (木)公演終了

満足度★★★★

憂き世の人情
 ”独り暮らしのお年寄りや単身赴任者、身寄りのない方など寂しくて心に隙間ができてしまいがちな方々のメンタルケアをする目的で設立させて頂いた、有限会社「かぞくや」御指定の日時に出張致します”
 まあ、こんなコンセプトの会社である。有限という所が憎い。失敗の責任を社主が負わなければならない形態だからである。株式にしてしまえば、基本的に経営サイドの利用者に対する個人責任は無いのだから。小学校時代に習った法律では以上のようになっていた。法律の専門家ではないので、変わっているとしても自分は関知しない。それは、株式会社と同じである。という選択ができない形で会社を立ち上げていることが微笑ましいではないか? 

ネタバレBOX

 何れにせよ、だるま座の作品である。以上、述べたようなことは当然のこととして、芝居作りに当たっている。
 一方、いまどきこんな遣り方をしていたのでは、経営が苦しくなるのは必然である。実際、志とは裏腹に社長は料理下手、専務は、教本にしているスタニフスラスキーの俳優術を現場に持参、教本に従って盛んにおさらいを繰り返す。緊張を解く為にしているのだと思われるが、豈図らん乎。結果は、俳優術に縛られ、却ってスタニスフラスキーが理想とした俳優の身体から滲みでるような自然な演技とは真反対のコチコチのものになってしまう。結果、クライアントから来た余りの不評故に、現場出張からは遠のいていた。「頭では、分かって居るんだ」と「馬鹿と言うのは言う奴が馬鹿なんだ」が口癖である。この他、福祉専門の大学を卒業してこの会社に入った谷君は、要領を得ない。おまけにバイトでスタッフを務める金子君は、前衛舞踏家を自称、打ち合わせないなかったことばかりやってへまをやらかす。更に、TV番組の端役で緑のおばさん役をやった八木 メイは、その芸名を山羊だから、メイとつけられた らしい。何れにせよ、バイトでは女学生役ばかりやらされる彼女は「制服が何時も同じ」と不満たらたら。うら若い女性だが、緑のおばさん役で、本番に流れたのは何と手に持つ旗だけだった。それでもTV出演を鼻に掛けている。
この5人が、「かぞくや」のスタッフである。このメンバー、この質で、やっている仕事が、メンタルケアとしての「家族」というコンセプトだから、笑いあり、ペーソスありハチャメチャありというのは、想像できよう。で、当然のことながら、新しく開拓したクライアントも怒らせてしまい、ギャラはおろか経費すら払って貰えない始末。このままでは来月倒産確実という所迄追い込まれ、社長が、全員を集めて教訓を垂れている所を通り掛かった鈴木 勝男君、北海道の孤児施設で育った彼が、興味を持って事務所のドアを潜った。履歴書も何も持っていなかった彼だが、社長との面談で即採用となる。と、そこへ新規のクライアントから電話が入る。社員は、無論、拘束できるのだが、バイトは、本人の都合優先でシフトが組まれているので、専務がメモを見ると、当日は2人共にオフ。急遽、新入りの鈴木君も現場へ出向くことになった。明日が、新規クライアント依頼案件の初日。クライアントは、事情があって、出先のお宅に身元を明かせない。出向く3人の誰一人として訪問時刻などの詳細を知る者は無かったが、老人を狙った詐欺事件などが横行する昨今、分別のある老人なら、おいそれと他人を信じたりしないのは当然。で、出掛けた3人は当然の対応を受けた。部長は、実際の現場の玄関ドアを潜る前に必死のおさらいをしていて、間に合わない、谷君の説明はしどろもどろ、唯一、鈴木君が、キチンとした応対をし、老人に気に入られた。因みに、既にお気づきの方もあろうが、鈴木は鱸に通じ、勝男は鰹に通じる。おまけに、出掛けた先は釣り船を出す漁師の家である。
 女房に先立たれた老爺、名を三井 金太郎と言う。独り暮らしで、自分で何でもできるのだが、自分が断れば、「かぞくや」が倒産すると聞いて、情に絆され、面倒を見て貰うよりは、逆に面倒を見てやっているような状態にも拘わらず、憂き世の憂いや独居の寂しさを紛らわしてくれることもあって、週1度の訪問を受け入れるようになる。その後の展開が中心の舞台となるが、31日迄上演している。ここから先は、観てのお楽しみ。金太郎役の松岡 文雄さんが、実に良い味を出している。(休演日があるので、注意のこと。)


演戯団コリペ『小町風伝』

演戯団コリペ『小町風伝』

BeSeTo演劇祭

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/10/17 (木) ~ 2013/10/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

コリペの小町風伝
 演劇団コリペ(1986年、釜山で結成)を率いる李 潤澤氏の演出になる今作であるが、実は、1992年に李氏は太田 省吾氏から直接演出を頼まれていた。その時点で演出しなかったのは、太田氏のオリジナルでは、沈黙に多くを語らせており、それは李氏とは、逆の方法であった為、その時点では沈黙を言語化することを断念せざるを得なかったのだと言う。互いに互いの力量を認め合えるだけのアーティストが、このような形で邂逅していたのである。その後の二人の付き合いは続き、20年余を経た今日、李氏は、かねてからの依頼に応えた。
 因みに、現代韓国の演劇レベルは、世界トップクラスである。才能が鎬を削る韓国内にあってコリペは、プロの集団、現在迄にいくつもの賞(東亜演劇賞、ソウル公演芸術祭での受賞、韓国演劇大賞での受賞等々)を獲り、韓国を代表する劇団の一つ。劇団員は、全員、舞台収入だけで食っている。それだけに、志も高く、技術もプロのそれである。今作でも、日本の能と朝鮮半島へ伝わった騎馬民族のサバンチギ、韓国に残る古典芸能の一つ、グツ、半島南部に残る矢張り古典芸能・仮面を用いたトッブェギなどがさりげなく織り込まれて伝統的形式を能面と対比させることで、単に歴史的推移ばかりでなく、現代に於ける互いの文化の歴史的潮流と融合を含めたムーブメントの方向性をも示していると見ることができよう。(追記2013.10.29)

ネタバレBOX

 幾重にも重ねられた時空と人間関係が、ひたひたと寄せる波のように我々の心を浸し、生の総体迄体感させるような感覚を呼び醒ましてくれる。
夜と昼、光と闇、若さと老い、一瞬と永遠、これら総てが、思考を追求することから解き放たれた不分明の央で、時に融和し、時に離れ、また寄っては距離の近さに戦く様に顫え、生命のリズムに呼応し、永遠の愛を一瞬に稔らせたかと思う瞬間に飛びさる。悠久の時が、波が我らにひたひた押し寄せるように寄せて足を濡らし絡め取る。
 このようにして我ら観客は、夢とも現ともつかぬ劇空間にいつの間にか取り込まれ乍ら、生命の息吹のようなものに、その気配や佇まいに出合うのだ。一旦、西洋的な論理のオーダーを捨て、魂を猶わせてみよう。其処には東洋が見えてくるはずである。
【終了致しました。ご来場誠に有難うございました!】劇団藝展『乾かせないもの・韓国版』

【終了致しました。ご来場誠に有難うございました!】劇団藝展『乾かせないもの・韓国版』

机上風景

タイニイアリス(東京都)

2013/10/19 (土) ~ 2013/10/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

想像力の翼
 この作品を書いた人が、日本に住んでいることに驚嘆した。状況設定がどんぴしゃりだからである。戦争というものの本質的な悲惨は、寧ろ銃後にこそ現れる。限界状況は、前線に現れるが、それは、通常の思考の埒外である。従って、悲惨という人間的感情の残るドラマは銃後にこそ現れるのだ。作者の置かれた条件にも適っている。己の置かれた位置から、戦争という言葉に尽くせない不条理を見事に想像力で解いているのだ。それ故にこそ、休戦下の韓国の人々にもリアルな感慨と共に受け入れられたのであろう。この活きた想像力の見事さは、どんなに評価しても良かろう。キム・テソク氏の指摘するように世界の何処に出しても通用するレベルだと思う。
(追記2013.11.1)

ネタバレBOX

 韓国で机上風景が演じた舞台は残念乍ら拝見していないが、イェジョンによって演じられた今作の質の高さは、注目に値する。それは、前線に愛する者を遣り、帰りを待つという行為が、受け身ではなく喉から手が出そうなほど前のめりな待機であることからも解るであろう。本当に、何処にでもいそうな普通の人々が、戦時下に置かれた中で精一杯生き、悲しみ、何とか楽しく生きようと試み乍ら、苦しみを誤魔化しきれない遣る瀬なさに圧迫を感じる様、緊張し、大きく深いストレスを抱えるが故の思い遣りや、心遣いを懸命にする姿勢に深いリアリティーと努力を見る。それが、人としてできる精一杯の行為だからであり、正常を保つ為の日常だからである。
 然し、伍長が生きて帰って来ると、均等だった不幸のバランスが崩れ、途端に人間関係の破綻が現れる。状況に応じて変化する人々の心の動き、挙措が舞台化される緊迫感が凄い。而も、伍長の齎した情報の真偽は疑わしい、脱走の線もあり得るからである。そもそも、家族達の住宅に隠れるようにして戻って来たことからも怪しさは漂うのであり、疑義はその情報の不正確さから深まりこそすれ、無辜に近付きはしない。
 何より、戦争が始まってしまえば、互いに嘘を吐くのは常識である。その結果の相互不信が戦闘行為のみならず、戦争状態を維持するのだ。人は、己自身を守る為に嘘を吐いているつもりだが、実は逆にその嘘が、互いの信頼感を傷つけ、壊し、戦争を泥沼化するのである。戦争で最初に殺されるのは、実は人ではない。事実なのである。次にその事実を指摘する自由が、そして漸く始まった戦闘によって人が死ぬのである。家族住宅への伍長の帰還とその齎した情報による日常生活の破戒こそ、この段階を銃後で描いたものであり、いつ果てるともない戦争状態の悲惨を描いたものである。ユエの死は、このような銃後の「戦争」として描かれたと見て良かろう。無論、文学的素養のある者にはトリスタン・イゾルデ伝説が直ぐ頭に浮かぶであろうから、彼女の亭主である軍曹が生きて帰って来ることを予想するのは、容易い。演劇的にもそうする方が、効果的なのは自明であるから。だが、これら下らない知識などの齎すデジャヴュ感の是非はともかく、現に停戦中でしかない朝鮮戦争のリアリティーを作品は淡々と描いて見せるのだ。
 軍曹の帰還後、彼はユエを探すわけだが、伍長の齎した誤った情報によって、生きる力を失い自死してしまったユエの不条理な死と、彼女が生きていると信じて帰って来た軍曹の出会った替えのきかない事実、未来への空虚は、戦争の実態を暴き告発してもいよう。 
ラストシーンも印象的である。飛行機が着陸音を響かせて近付いてくる。人々は、信ずる何事も持たず、女達は次の展開を待つ。乾かすことのできない彼女達の涙と共に。
 この作品を観終わって韓国の観客達は、休戦中でしかない現実の中に戻って行くのだ。開戦以前から既に、開戦以降は尚の事、誰一人傷つかぬ者の無かったこの戦争の休止状態へ。
 キャスティングの妙に見られる演出の巧み、天気さえ良ければ乾く洗濯物と、いつ終わるともなく続く戦時体制の下、大切な者の帰還を待ち続けて乾くことの無い女・子供(直接には描かれていない)達の涙を対比して心に響く。
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eeney meeney baby moe

eeney meeney baby moe

salty rock

レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)

2013/10/18 (金) ~ 2013/10/21 (月)公演終了

満足度★★★

予め奪われた未来
 3作品のオムニバスで、2作目が、清水 邦夫の「僕らは生まれ変わった木の葉のように」からの抜粋。だが、3作品に共通すると感じられたのが、中心性の喪失というテーマである。

ネタバレBOX

つまり向かうべき目標が、予め奪われているような喪失。もっと端的に言ってしまえば、未来の喪失と言い換えても良い。2作目は、抜粋なので、清水の狙いが明確に表現されておらず、中途半端に革命を志向するだけの薄っぺらなものになってしまっている。3本目も、決意や英雄譚に対する評価ではなく、むしろそれを利用する連中の政治に対する、悪意ある寓話を創る位の視点で書かれていなければ、革命、反革命を乗り越えて、流された血で政権を樹立することなどできはしない。そのようなリアルな視点に欠けるのだ。1作目の終わり方は、洒落た落ちを設けていたが、もう少し哲学的な深みも欲しい。
賞味期限の切れた毒薬

賞味期限の切れた毒薬

マグネシウムリボン

d-倉庫(東京都)

2013/10/16 (水) ~ 2013/10/20 (日)公演終了

満足度★★★

表現に纏わる仕事
 避暑地に集った文人墨客の通信紙として新聞の体裁で発行されていた媒体を基に発展的解消を遂げた結果として定着したタウン誌、スートラは、その長い歴史の中に、複雑な人間関係をも孕み込んでいた。1年10か月前に休刊となったが、休刊迄、前編集長、セイさんが膵臓癌で辞めた後を継いでかおるが編集長を務めた。然し、彼女は最終号の編集作業中、理由も告げずに失踪。編集部員との間に齟齬が生じていた。

ネタバレBOX

 舞台は、セイさんが亡くなった葬儀の後、かおるの声掛けで編集部員全員が集まった編集拠点のカフェ・スートラで展開する。かおるは、自分が、失踪した原因を皆に明かす。それが、メインストリームになるのだが、編集者出身の自分にとって面白かったのは編集会議のぶつかり合い。あとは、良くある男女関係のいざこざと子供が抱えるに至った複雑な関係で、申し訳ないが自分には、既に処理済みの問題故、余り興味が持てなかった。
 編集者出身の自分として基本的に個人的にどんな事情があろうが、編集者は、個人の事情を理由に編集をすっぽかすべきではないと思っている。いくらタウン誌でもである。本来、表現者は永遠と戦い、編集者は表現者と伴走する以上、他の業界の規則などに縛られていてまともな仕事などできるわけはないのだ。その辺りの事情を感じていればこそのタイトルかも知れないが。
 家族? 関係ない! これが、我々がバリバリ働いていた時、男の実感であった。
 
未来を忘れる

未来を忘れる

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2013/10/18 (金) ~ 2013/11/01 (金)公演終了

満足度★★★★

面白哀しい物語 未来版ヤプーか?
 近未来かどうか、兎に角、そんなに遠くは無いと感じられる未来のある時、日本は、隣国からのミサイル攻撃を受けた。その後もミサイルは打ち込まれ続け、そのうちの1発は核施設に命中、甚大な被害を齎した。同時期、M8を超える大地震が、3度も日本を襲い、津波とのWパンチでこれまた大きな損失を被ると共に、多数の人命が露と消えた。悪いことは重なるものである。この時期、火山活動も活発で各地で噴火が起こり、放射性核種に由る汚染のみならず、火山から噴出した有毒ガス等も加わり、日本の経済、インフラ、情報総てがズタズタになった。戦争自体は、アメリカ軍のミサイル攻撃により隣国の首都が、消失したことで3カ月で終了したものの、廃墟となった日本の避難民は確認された者だけで500万人を超えた。無論、富裕層は初期の段階で皆海外に避難しており、ダメージは最小限に留まっているが、脱出できなかった者たちに明日のあろうはずも無い。

ネタバレBOX

 こんな事態を見透かすかのように某製薬会社が新発明をしていた。深刻な副作用は報告されていたが、ことここに至っては、選択の余地は無い、として多くの人々が、新発明の効果に頼った。実際に何がどんな風に変わったかと言えば、貧乏なヒトはゴキブリとのハイブリッドとして生き延びる道を余儀なくされたのである。無論、この流れに抵抗を試みるヒトは居た。然し、3億年以上もの間、殆ど、変化することなくその生命を維持して来、人類発祥以降は、共生して来たと言っても過言ではない、この生き物の生命力なしにヒトが、この地で生き抜くことは不可能と考えて、人々は、ハイブリッドの道を「選んだ」のであった。ゴキブリ・ヒトハイブリッドという生き物は、精神をゴキブリが、肉体をヒトが担う。即ち精神をゴキブリに支配されたヒトが誕生したわけだ。その精神は、当然、歴史的にヒトが担ってきたものとは内容が異なる。然し、他の選択肢はあり得なかったのである。かくして、日本は、ゴキブリ・ヒトハイブリッドの天下となった。面白哀しい物語。
 舞台は基本的に裸舞台。コンパネを床面以外の4面に張り付けただけのシンプルなものだ。無論、観客席側は、開いている。仮面、スマホ、着衣などの小道具が、場面によっては掛けられていたりするが、後は、総て照明によって、恰も魔法のように、変化する。例をあげる。ホール会場に変じ、或いは、遺伝子、細胞や卵などのミクロから日本、地球全体、時に宇宙を思わせるイマージュへ演出家の狙い通り、話の内容に応じて自由自在に変化するのだ。この技術は驚嘆に値する。現代のテクノロジーを操り、身体を延長して見せた演出は、文学座の伝統には抵触するかも知れないが、この職人技は、ホントに凄い。この技術を目の当たりにするだけでも、観る価値はあると言いたいほどだ。話に多少荒唐無稽な所はあるが、役者の技術が高いので、無論、キチンと芝居という枠に収まっている。但し、革新的ではある。それを、友の会の人達がどう観るかによって、文学座のこれからの動向が占えるかも知れない。
 作品タイトルも、この植民地住民の知性を嘲笑うようで、自分は好みである。何故なら、植民地住民に甘んじている程度の人々に自分達の手で開く未来等あろうはずも無いから。彼らが、人間のフリをする為には、その事実を忘れる他に方法がないのは明らかだからである。
セツナイカラダ'91

セツナイカラダ'91

Tricobo×ハイブリットハイジ座

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ(東京都)

2013/10/15 (火) ~ 2013/10/20 (日)公演終了

満足度★★★

余りぺダンチックになる必要はない
第一部は、欺瞞社会の生みだすホラー。第二部は、奇妙奇天烈を衒ったマトモ。

ネタバレBOX

 中学の同級生4人は、ルームシェアをして生活している。タケちゃん、アキホ、カスミ、エリの4人だ。アキホとカスミはカップル。タケちゃんは盗癖があり、カスミから脅されている。一方、アキホは、エリと肉体関係を持ったことがある。ところで、スマホに配信されたニュースに矢張り中学の同級生、セイコが、インドで飛び降り自殺を遂げた、というニュースが配信されていた。セイコはタケちゃんに好意を寄せていたのだが、カスミは、これを利用してタケちゃんにセイコを呼び出させ、顔に大きな傷をつけさせた。以降、彼女は物凄く大きなマスクをつけて登校していた。そのことを含めて、彼女は皆のからかいの対象とされ続けた。つまり、陰惨な苛めがずっと続いていたのである。その原因の決定的なものを作った同級生は、総てここにいた。
 セイコの自殺記事が出て以降、この部屋には怪奇現象が起こる。突然、電器が消える。何かが落ちる。窓の外を制服を着て後ろ姿のセイコが音も無く過る等々である。
 セイコのことなどすっかり忘れていた彼らだったが、いつの間にか現とも幻とも判断できなくなるほど追い詰められて初めて、自分達が、面白半分にセイコを苛めていたことに気付き始めている。この中で、直接セイコ苛めに関係していないのは、アキホだけだ。彼は、いくら酔っ払っていたとはいえ、この2カ月だけで2回もタケちゃんに財布の金を抜き取られている。而も、本人は酔っ払って何処かで落とした、か使ってしまったのを忘れた位にしか思っていないようなのだ。他の3人はある意味でグルだ。犯罪情報を共有しているからである。
 今作で注意して置かなければならない点は、犯罪情報を共有している3人が、支点としているのは、常に苛め、からかいの対象であるということである。最初はセイコ。次は、アキホ。而も、アキホの現在の彼女は、カスミ。おまけにエリが誘ったとはいえ、かつてアキホはエリと肉体関係を持っていた。
身体二元論を持ちだすならば、悪とはいえ、精神的犯罪には、タケ、カスミ、エリが関わっており、肉体レベルでは、一夫一婦制の破戒である男1人に2人の女という非倫理的な問題が露呈する。而も、肉体の非倫理性に対して優位にあるのは、精神という形の悪なのである。更に言うならば、作家は、これらの苛めの埒外に傍観者としてい続けたが故に、苛めの卑劣を知っており、その卑劣の告発をする為に、このような作品をものしたのではないか。一定の正義漢を感じると同時に傍観者であったことの罪を己に問うまでには至っていないようにも思うのだ。その原因は、欺瞞社会をそれとして認識しつつ己をその構成者の一人と規定し、ラディカルな外部者になろうとしていない点にある。ここから先、本気で演劇に関わっていこうと思うなら、根源的であると同時に本質的なラディカリズムについては考えて見てほしい。

第二部ハイブリッドハイジ座
 主人公を演じた身体能力の高い役者、奇妙奇天烈を衒った作り方はしているが、案外正常だ。その分、深層分析をする必要があるだろう。(追記後送)
 体にコーラ臭の沁みついた男、彼を恋する女。

【終演しました!ありがとうございました!】DOLL

【終演しました!ありがとうございました!】DOLL

キレイゴト。

サブテレニアン(東京都)

2013/10/17 (木) ~ 2013/10/20 (日)公演終了

満足度★★★★

少女たちの思春期
 思春期の女の子達5人は、高校1年で寄宿制の学校に入ったルームメイト。如月 小春が、実際に起こった集団入水事件を基に書いた本作は、未だ、世界と向き合うには幼い、期待と不安にないまぜになった少女たちの不安定で幽き在り様を呈示した。

ネタバレBOX

 蝶よ花よと育てられ、思春期ともなれば、異性への興味や好奇心も湧く一方、同時に不安も抱えなければならない少女達は、自衛の為にも、微妙な距離を世界に対して持つことを宿命づけられる。それは本能に近いものかも知れないし、社会的なものかも知れない。寧ろ、実際には、それらが分かちがたく結びつき、身体的な変化が追い打ちを掛ける、ということでもあろうか? 何れにせよ、実際問題、体験が不足している分、既知の体験をベースにせざるを得ず、その狭いことにも気付かぬまま、自分をガードしてくれる距離が同時に自分の可能性を阻んでいることには臆して気付かぬまま、不安定なメンタリティーを共有できるルームメイトの共同性に殉じた物語ということができよう。
 唯、この物語は、恐らく思春期の少女達は誰でも通り過ぎる過程なのだ。そして、このメンタリティーが、常に、個々の少女のそれに共通するものであるが故にこそ、人気のある作品なのであろう。
男達が良く言う“箸を落としても笑いたがる”云々の少女達の不安定感とは、このようなものである。
 有名な作品なのであらすじなど内容については、述べない。今作に関しては、演じている女優も演出家も若い女性なので、ちょっと前まで、主人公と同じような体験を持っていた女性達である分、実感の籠った瑞々しい舞台であった。空間的にも、小さな小屋で、親密感が共有でき中々迫るものがある。

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