ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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ご来場ありがとうございました!みきかせプロジェクト 「青天井ポップコーン」

ご来場ありがとうございました!みきかせプロジェクト 「青天井ポップコーン」

みきかせworks

ワーサルシアター(東京都)

2013/11/13 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

甘味バージョンを拝見
 科白が身体化されていて、見応えあり。

ネタバレBOX

 得体の知れないこと・ものに対するに、分からないという方法を用いて、分からないもの・ことは、分からないなりに、分からないから現れる諸々の反応を通して観せるという手法で作られていたのが、「なにかの部品」だ。作家が若い所為もあるだろうが、その不安に不安なまま形を与えている所に面白さと延び代を感じた。その空気感は当に今現在の日本に満ちている感覚であるという手応えを感じさせるものだったのだ。それ故にこそ、世界の中の日本のリアルな位置付けを、自らの頭で考えることのできない、外交音痴、ガラパゴス外交の日本人というものが出来上がっているのだろう。作品は、そういう我らの社会が持つ危うさをも表現していたかと観た。役者達の身体に落ちる言葉は、言葉自体として完成度の高さを感じさせ、思わず、上手いと感じさせる。
 「華燭」は船橋 聖一の小説作品をほぼ全文、読み上げる、という作品。イントネイション、間の取り方などに工夫がみられ、原作にあるシュールで奇妙な華燭の典の雰囲気を醸し出していた。
僕の偉大なるアイザック・ニュートン

僕の偉大なるアイザック・ニュートン

feblaboプロデュース

駅前劇場(東京都)

2013/11/13 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

狂気の時代
 距離の問題を様々な人間関係とシンクロさせて描いている点が良い。未来を失った個々人が“我々”を取り戻す試みでもあるだろう。

ネタバレBOX

 安倍のような知恵遅れ、そう言って悪ければ幼稚な精神が言う「トリモロス」では無いことに注意願いたい。奴がやっていることは取り殺すことである。誠に阿保は救いようが無い。あ、ちょっと逸れた。
 だが、奴らがやっていることが、我々の未来を奪っているのだ。そして、未来を奪われた者には、絶望以外に何も残らない。それが何を意味するかは普通の知能を持つ者には明らかであるが、脳味噌の入っていない連中にはとんと合点がゆかぬらしい。ところで、今、演劇人の多くがこの思考停止状態を何とかする為、天才というキャラクターを必要としているのではないだろうか? 社会学的に統計を出しているわけではないが、時代に対して敏感な感性を持つ人々の多くが、天才という名のヒーローを待望しているのかも知れぬ。そう思うのだ。
 今作にも天才と綽名される秀和が登場し、米軍のデータベースにアクセスして核爆弾の設計図を入手する。然も、それは、当初、ポルノアニメという擬態で発見されたのだ。カモフラージュである。アメリカは、ハッカーがテロリストだと決めつけ、戦争を始めたわけだ。それで、東京にもミサイルが撃ち込まれ、銃砲撃の音も絶えないのである。
 彼の「恋人」、ミリナの名にもmilitaryやmilitiaの略mil.が含まれていると考えると分かり易い。核兵器の設計図なのだから、現時点で武器の頂点であり、核戦略体制とは、核によって総ての兵器が、ローテクレベルの通常兵器として安定することではなく、逆に総ての兵器が核兵器の破壊力に近づく体制であることを認識しておくのは、当然のことなのである。米ソのデタント以降、核兵器・核弾頭の数こそ、減ってはいるものの、未だ我々が、狂気の時代を生きていることに変わりない。アメリカの犬共(安倍、石破、竹中平蔵等々)が推進する原発路線はその狂気の植民地バージョンなのである。現実がこのような状態であり、秘密保護法は好い加減に可決されそうな状況で、実際、どんな未来が我々に在り得るというのか? そんなものが一切ないのは、沖縄密約が、アメリカの公式文書で発表された後でもシラを切り続けた官僚・政府を見れば明らかなことだろう。言っておくが、これは現行法でこの状態だったのである。
 さて、話を本作に戻そう。超人が、もう1人登場するのだ。けんじである。彼は不死身でその進化の速度も凄まじい。それに、秀和ほどではないが、コンピューターのハードに関しては秀和以上かも知れない能力を秘めている。核戦争後に生き残った、恐らく唯一のヒトである。宇宙に滞在していた香帆は、戻って来たが、残留放射性核種の発する放射線の影響で永く持つはずはない。ということは、生存可能性のあるヒトとその遺産としては、けんじとミリナ、後は潜水艦の乗組員くらいだろう。何れにせよ、通常の人間は、浴びる放射線の為に長生きできないのは無論のことである。
従って、ガイアで生きて働くのは、けんじとミリアのちぐはぐコンビ、新生ならざるアダムとイブだ。
 このようなSF仕立ての中に、サム、美幸の幼馴染という関係、お兄ちゃんと香帆兄妹の保護・被保護を巡る軋轢、佐々木 舞と中村 舞の親友関係、秀和、ミリナの絶対現実化し得ない恋などが鏤められて人間的な次元に話を纏めている。殊に、秀和、ミリナの恋語りの中でディスプレイ1枚の隔たりが無限の距離、次元の相違を意味して、2人が直接触れ合うことも叶わず、互いの手をディスプレイに当てて思いを交換するシーンなどは、頗る美しい。
ろくでなしコーラス

ろくでなしコーラス

気晴らしBOYZ

笹塚ファクトリー(東京都)

2013/11/12 (火) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

名曲 ろくでなし
 序盤、選曲などの好みがちょっと自分とは異なって違和感のようなものを感じたが、中・終盤に掛けては盛り上がって楽しめた。この辺り、序盤で観客を引きずり込むような演出があると更に面白くなろう。とはいえ“Le mauvais garçon”を素直に名曲として聴けるだけの内容であった。

ネタバレBOX

 ママさんコーラスのメンバーの殆どが、食中毒を起こして入院。地区大会の日が間近だというのに練習もできない。こんな話を聞き込んだ閑古鳥が鳴くゲイバーのママ達。自分達が、ピンチヒッターで出演しよう、と決めた。店の売上も上向くだろうとの算段だ。早速、正規メンバーに話をし、申し込むことになったが、受付の段階で駄目と断られてしまう。理由は、大会の出場資格無しというものだ。大会は、お母さん8人以上のコーラスグループというコンセプトだったので、ゲイ、おかま等、本来の男性は出場資格が無いという明瞭なもの。然し、何とかこれを成功させたいのには、別に訳があった。7年前事故で他界した姉夫婦の娘を引き取り、面倒を見ていたのだが年頃になった娘は、授業参観やコンサートにセクシャルマイノリティーの叔父が、やってくるのを回りの目を気にして嫌がっていたのである。おまけに、叔父は自分の価値観中心に生きている人間だと誤解した為、しっくり行かなくなっていたのである。その姪が、もう直ぐドイツにピアノ留学してしまう。その前に、何とか誤解を解き、関係を修復しておいてやりたい、というのが、皆の願いだったのだ。
 ところで、このゲイバーには、400万円の借金を抱え、ヤクザに追い回されている者、子を産めない体に強いコンプレックスを持つニューハーフ、女装に興味を持つが、妻にバレることを恐れるサラリーマンなど訳ありというより社会的マイノリティーが集まってくる。そんな彼らに新たなツールができた。所謂インスタントメッセンジャーのおかま版である。従業員の一人はこれにハマり、新しい恋人をゲットした。参加申し込みは、行っているが、担当者は、頑として受け付けない。そんな折、出掛けた申し込み会場に現れた局長が、実は、新たな恋人であったことから、急遽、参加可能という話になる。さて、本番当日、会場入りしてから最後のリハーサルをしようとした所、メンバーが2人足りない。大騒ぎになって失踪者を探すことになった。1人は、元歌のお兄さん、●HKの「お母さんといっしょ」のコーナーに出ていたがスキャンダルで失脚、以来TVに映されることに恐怖感を持っていたのである。更には借金塗れ君は、ヤクザに拉致されていた。だが、この件もゲイバーママの活躍や、居直りで何とか片付いた。ママは、事の序にヤクザ達に耳打ちをしていたが、本番開始直前、会場には、姪が現れ、皆の伴奏をすることになった。“ろくでなし”はここで歌われる。
地球の軌道をグイッと 【ご来場ありがとうございました!!次回は2014年5月吉祥寺シアターです。】

地球の軌道をグイッと 【ご来場ありがとうございました!!次回は2014年5月吉祥寺シアターです。】

ぬいぐるみハンター

小劇場 楽園(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★

苛立たしさ
 IQ200の天才が、飛び級で大学に入学。ワンダーフォーゲル部に入ったが、ワンゲル部には4年に1度エベレストにチャレンジするという伝統があった。在学中に1度は行ける、という配慮からである。然し、天才が足を挫いて泣き止まず、結局、飛行機に乗り遅れて、この計画はポシャッてしまった。だが、天才君、部費を元手で起業を提案。社員はワンゲル部員達だ。

ネタバレBOX

 起業には成功し、莫大な富を手に入れたが、彼はサイバーテロを仕掛ける、と言い出す。その為にこそ、起業したのだと。今迄にヒトが為してきたことの非を散々言って来たのだが、結局、誰も何も改めようとしない。このままではガイアは滅びてしまう、との危機感から、サイバー攻撃によって総ての機能を麻痺させるということを思いついたのだ。
 何でこういう作品が出て来たのかを考えた。矢張り、危機感と絶望だろう。実際、この「国」を見ていると完全に未来を失っているとしか思えない。未来を失った人間にできることは、総て虚しいと考えざるを得ないという事実だけである。一切の例外なしに。自分達が成し遂げてきたこと、これから為そうと思っていたこと。それら総ては一つの例外もなく、虚無に到達する。このような世界観に直ぐ手の届く所に、今、この「国」の我々は居る。その苛立ちだ。
 演劇的には、もう一工夫欲しい所であるが、以上のような主張には大いに共感する。
Parallel /パラレル

Parallel /パラレル

劇団フルタ丸

「劇」小劇場(東京都)

2013/11/07 (木) ~ 2013/11/11 (月)公演終了

満足度★★★★

演出の巧み
 舞台上には、同じ室内が2つセットされている。その双方でパラレルな部分とズレが、同じキャラクターという設定の下、異なる役者によって演じ分けられる。因みに、その動作は鏡に映ったように右と左が反対になったりはするが、「基本的には」同じである。基本的に同じであることは、その先も同じであることを保証しない。時には、選択、非選択の差異に因って結果も異なる。舞台上では、実際の役者がそれを演じている訳であるから、同じキャラクターを演じる双方が出会うことは、無論、可能であり、その程度のことは、シナリオに記されている。但し、出会いは、通常のドッペルゲンガーではないので、出会った時は、ドッペルゲンガーのパロディーとして顕在化する。知的に大切な部分は、ほぼ、以上である。

韓国現代戯曲連続上演

韓国現代戯曲連続上演

韓国現代戯曲連続上演実行委員会

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

何れも頗る個性的で面白い
 清水 邦夫さんの言葉に、台本というのは寝ている状態だ、というのが、あるらしい。だとすると起こすのは演出家で、実際に起きて働かせるのが役者の仕事ということになりそうだ。こういう意味では1)「真夜中のテント劇場」2)「秋雨」3)「上船」何れも、シナリオライター、演出家、俳優の個性を出した成功作と観た。(追記2013.11.12)

ネタバレBOX

 1)は現在も続く韓国のテントスト。今作の説明では2008年から既に1800日を越える人もあるそうだ。日本と異なり、このような抗議行動は多いという。それもそうだろう。IMFに散々にされて以来の韓国経済は、そのグローバリゼイションの煽りを恐らく日本より酷く蒙ったであろうから。作家は、実際のテントスト実行者達を見て、今作を書いたという。その視座は、自分には、弱者に寄り添うものに見えた。作家はスト決行者の側に共感を寄せているのである。実際問題、テントスト決行中に亡くなった方々もあるというし、子供が、「お母さん行かないで」と言うのを振り切って行動に参加する母もあるという。未だ、社会責任という大義がきちんと社会に根付いているのであろう。
更に、彼らの抗議行動が実に爽やかに描かれている点にも着目したい。テントに使っていた布を飛行機に見立て、両側から煽って雲間を飛んでいるような爽快感を出している点などがその実例だ。眼下にたくさんの小さな灯を点してたくさんのテントを表すイマージュも美しい。それは、天の川の銀河とも照応する普遍性を示唆している。また、塔に立て籠もる人も居る。それらが、テント地の飛行装置で大空を駆けることによって齎される。アラビアンナイトの魔法の絨毯や孫悟空の觔斗雲をもイメージさせよう。
 2)は、ヌーベルバーグ以降、映画では多用されたフラッシュバック的な手法が用いられた作品なので、若いカップルの所作がそのヒントになっていることに気付かなければ、混乱してしまうかも知れない。最初の2~3分間で、この構造が示唆されるからである。
物語は、能の所作をベースに展開する、仮面が用いられる点では、能も朝鮮半島の伝統的芸能にもそのルーツを辿れるかも知れない。何れにせよ、幽玄の趣、生と死の間が今作のテーマである。少なくとも演出家はそのように読んでいる。執拗に繰り返される、「死んでゆくことと、死ぬこと、どちらが云々」という問い掛けは、無論、予め答えが出ている。死んでゆくことという表現が意味しているのは、少なくとも精神的には既に死んだ状態を意味しているのであり、死以外に救いが無い状態である。従って、答えはあっさり死ぬことがベターなのは分かり切ったことなのだ。では何故、童謡作家は、このような質問を繰り返したのか? それは、その問いの意味する所を訊かれた人々が瞬時に判断し得るか否か、判断したとして、それが、質問者の意を汲み取れているか否かを読み取ろうとした為であるように思われる。それが、アイロニーとして成立するならば、何がしかの復讐には成りえようから。彼を演じた神山 てんがいの澄んだ目と上品で威厳に満ち、然も優しさを感じさせるキャラクターを乞食同然に扱うことで、見事に人生のアイロニーを成立せしめた。盲となった妻、父の発表した童謡の印刷された本を大事に持ち歩く娘、二人は、其々春を鬻ぐ身とはなったが、未だ生きている。「死んでゆくことと、死ぬこと。どちらが・・・」答えの知れている質問を発する父は、自動車に撥ねられて亡くなった。轢き逃げ事件である。そして、犯人は、作品中に示唆されている。それは。是非、シナリオを読むなり再演を期待して欲しい。
ところで、自分の勝手な解釈では、この能をベースにした所作は、広島、長崎の被爆者、ひいては福島を中心とする3.12以降の被爆・被曝両者をもダブらせた。即ち、「死んでゆくことと、死ぬこと。どちらがいいですか?」
 3)「28年ぶりの約束を果たしに来た」と男は言う。舞台は港に近い屋台のおでん屋だ。男は、病院経営をしている医者。話相手になっているのは、屋台の女将。今は橋が掛かって誰も島とは言わなくなっている所に枝がひねこびたような松があった。その松を描いてやると娘は独特の笑い方をした。二人は恋に落ちた。そして反対された。子供が生まれたが、男は、その事実を知らずに都会の大学で医学部に通う身になっていた。「必ず、戻る」との約束通り男は戻ったのだが、娘の母に「娘は結婚して都市に住んでいる」と告げられ逢うことはできなかった。事実は、子供を凍死させるほど行き詰まった娘は、島の閉鎖系には居られなくなっただけだった。彼女は、噂を頼りに、都市部の大学を訪ね、彼を見掛ける。然し、声を掛けることはできなかった。自分の境遇と余りに異なる恋人の眩しい姿に後れをとったのだろうか。何れにせよ、双方とも、自己の最善を尽くしながら、目的を達することができなかった。28年が経っていた。新聞には、交通事故の記事が載っていた。亡くなったのは1人、病院経営の医師である。
 男と女(屋台の女将)は酒を酌み交わし、「もう行かなければならない」と汽笛を聴いた男は言う。あの世への船だ。二人こそ、かつての恋人であった。気付いて居ながら、露骨にはそれと言えない。だが、互いに気付いて居る。観ていて胸に迫る名演であった。殊に、女将を演じた洪 明花の演技は男の自分には胸に堪える演技であった。洪 明花の演技を受け、きちんと対応していたナギ ケイスケの渋さも光る。
【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』

【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』

BeSeTo演劇祭

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2013/11/05 (火) ~ 2013/11/06 (水)公演終了

満足度★★★★★

知的演出
Polyamoryを実践する多情という女性の生き方はMonoamoryが当たり前と考える社会で成立し得るのか? という問いが今作の基本テーマである。実際問題、異性と付き合うに当たって一人と付き合って自分の望む異性像の総てが満たされるということは殆ど無いだろう。あれば、奇跡だ。精神的な部分で相性が良くても、体力、年齢差、身体的相性など、総てが完璧などということは、完全に無いとは言えないだろうが、先ず無いと断言して構うまい。ということは、一見、どんなに不足が無いように見えるカップルでも、1つや2つの相違、行き違い等は、誰しも抱えているのに、総てが満たされるなどということは無い、と皆知っているから妥協しているだけ、というわけだ。

ネタバレBOX

 今作のタイトルは高麗時代に書かれた「多情哥」という有名な詩から取られている。作・演出のソン・ギウンは、謙遜して私的な世界と言っているが、これは、現代だけの問題ではなく、男女間にある普遍的な問題であるということができる。初演は2012年6月ソウル。
 作・演出のギウン本人が、彼役の役者が居るにもかかわらず、作品に登場したり、多情役の女優が二人居たり、多情という女性には、モデルが居て、その女性はホントに多くの男とリアルタイムで付き合っていたり、と。リアルな世界と舞台とが、舞台上で入れ子細工になるとても知的で面白い演出方法で、演劇手法に興味のある人には堪えられない舞台である。
 誰しも嫉妬などの生臭い関係を想起するシチュエイションを救っているのは、ギウンが、恰も社会学の研究者のように多情とその恋人達の関係を捉えようとすることによってである。例えば、factを表にした彼女と付き合う男達のデータ分析である。この表を見ることで、彼女と男達の付き合い方がパターンとして見えてくる。どろどろの関係が、抽象画の面持ちで現れてくるのだ。だが、この知的転換が、多情にとっては、ゲーム的で、対ギウンで愛憎半ばする原因であり、ギウンにとっての救いなのである。
 多情は本気である、と信じている。唯、心の動くままに愛し別れるのだ。だから、変わってゆくと。一方、ギウンは、その知的作業を自らの意識の地平で行う為に、破綻・発狂という事態を生じない限り、己のディメンションを超えることはない。(追記後送)
見上げてごらん夜の星を

見上げてごらん夜の星を

ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ

かめありリリオホール(東京都)

2013/11/09 (土) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★

昭和らしさ
 1960年初演の今作で、いずみ たくは、日本独自のミュージカル作品公演の旗揚げを目指した。コマーシャルソングを作曲し、それが流行る度に自らが痩せ細ってゆくような感覚に襲われ、そういう地平から脱したいと、当時、日本では未知の領域と言って良かった和製ミュージカルに挑んだ。その志と努力は本当のことだと信じたい。亡くなるまでに100本以上のミュージカル作品を書き「歌麿」はアメリカへも持っていった。落語の「死神」もミュージカル化しているしアリストパネースの「女の平和」、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」などもミュージカル化している。その出発点に位置した作品ということができる。何処にでもいる定時制高校へ通う少年たちと少女の友情を中心とした作品。昭和という時代が色濃く出、貧しかった頃の日本のイメージも窺える。

APAFアートキャンプ・特別レクチャー

APAFアートキャンプ・特別レクチャー

アジア舞台芸術祭制作オフィス

東京芸術劇場 シンフォニースペース(東京都)

2013/11/04 (月) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

身体という劇場
 台湾発の舞蹈である。土方 巽らの暗黒舞踏とは、根本的に異なり、生命の外的在り様は、内面より勝るものではなく常に内外の衝突の取る均衡にあると考える為、エネルギーポテンシャルを内側に溜めて外に接するという在り様そのものが、皮膚一枚の緊張感となって、観ている我々にもびりびり伝わってくる。従って、ただ座っているだけの舞踏家が、実に躍動的で緊張に満ちた存在そのものとして観る者に注視を迫るのだ。
 現在までに今作を含めて3作品を創作。各々の作品は10年掛けて世界のあちこちで上演されて来た。現在、無垢舞蹈劇場の林 麗珍は、アルテの世界8大振付師の1人に数えられている。身体論も独自のもので、身体の部位を中心軸、中心円、尾骶骨に分けて考えている。そして座った状態で大地のエネルギーを受け尾骶骨を謂わばスイッチとしてエネルギーを徐々に上に上げてゆく。この際、中心軸は更に細かく8つの部位に分けられているのだが、ここではそれは省略する。何れにせよ、一旦、頭まで達したエネルギーを今度は、下放し更に逆転させるというエネルギー循環を繰り返すわけだ。このように身体を捉え、用いて行く為に、身体そのものは、頭によって支配されることから、幾分ずれる。そのことによって、身体そのものが謂わば劇場になっているのだ。そして、劇場化した身体を通して世界を観ずる時、世界もまた劇場化するのである。

ビールのおじさん

ビールのおじさん

cineman

ワーサルシアター(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

非演劇的演劇
 事件らしい事件は殆ど何も起こらない。或いは、曖昧に処理される。それだけに役者の力量、筋の運び方、目立たない演出が重要になる。伝統的にカソリックのフランスでは、ヌーボーロマンに照応するようにアンチテアトルが起こったが、日本の伝統には、そもそも、絶対基準というものは存在しない。物事は、浮かび流れ去る泡の如きものであり現象であるに過ぎない。能で日本人の心の働き、魂の働きの極限領域として狂が描かれるのは、絶対が無いからである。その為、或る表現の強度を高め、保つ為にはその在り様の極北を目指すしかないのだ。
 今作でその強度を保障しているのは、土地、土地柄である。だから、方言は必然になるのだ。このように劇的なるものを避ける手法を自分は、非演劇と名付けておこう。未だ、この手の作品は少ないかも知れぬが、一つのムーブメントになる可能性は秘めているかも知れぬ。
 とても分かり易い例を今作の中から1例だけ引いておく。タイトルの「ビールのおじさん」だが、通常の主役ではない。寧ろ、老子の“上善は水の若し”という思想に近い。

ネタバレBOX

 鹿児島の辺鄙なエリアで米作を営む中農の長男が亡くなった。連絡を受けた兄弟、縁者が集まる。TPP締結を目前にし、ただでさえ少ない働き手を失った三男の智和は、以前、亡くなった長男が動かしていたコンバインに巻き込まれて、足を怪我して以来びっこである。現在は、大学を止めると言い出した長男の娘、姪の尚と、都会から住み込みの農業見習いで来ている慶一郎が手伝っているが、将来の展望は明るくない。
皆に声を掛けた嫁、倫代は6年前には籍を抜いていた。ただ、尚が大学を出る迄は、一緒に暮らすと約束していたに過ぎない。そんなこともあって、彼女は、家を売ろうと考えても居た。
 そこへ長い間実家へ戻らず長距離トラックの運転手をしていた次男の智良が帰って来たのだが、親子ほど年の離れた女が一緒である。麻子と言うが、彼女は余命半年と言われた智良の体を気遣って、酒、煙草を禁じている。それでも、智良は隠れて煙草やビールを遣ることがある。智良がこんな生活をしているのは、何をやっても兄に敵わない自分の居場所が無かった為、故郷に居続けることに耐えられなかったからである。
麻子は、以前、完璧と言える彼氏と付き合っていたが、彼に合わせる為に自分も完璧になろうと背伸びをし、疲れ果てていた。そんな時、智良の肩肘はらぬ生き方に出会い、付き合うようになった。
 今は天文館のスナックでママをやっているめぐみは、倫代との結婚前に、長男の息子を産んでいる。名を正と言うが知恵遅れである。正は、初めて会った尚を気に入り、追いかけ回すが、結果は定かではない。ところで、尚が大学に行かなくなったのは、子供を堕ろした諸々の事情の結果である。
 現在は渋谷のブティックで店長をしている妹の智香。彼女は、智和の嫁、美希の同級生で子供の頃はデブでブス、友達になってくれたのは美希だけといういじられキャラだった為、現在ではダイエットに随分気を使っている。
 その美希の高校時代の彼が、転勤で鹿児島に戻って来た。以来、彼女の心に恋が再燃、智和との間が、怪しくなる。唯、この件を契機に夫婦は、互いに腹蔵の無い話をすることになり、結果、雨降って地固まる、ということにはなった。
 
Lamp Light

Lamp Light

激団リジョロ

タイニイアリス(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

願いのともす灯
 座長達が好きだというチャップリンに捧げるオマージュでもある今作、無論、ライムライトをもじってつけたタイトルであると同時に、今作の主題である、一点の光をも意味する。差別される側に在って、一点の光を求めることには、大変な労力と努力が必要である。殊に不合理、非合理、理不尽、不条理そのものである差別によってある位置に押し込まれざるを得ないと多くの同胞が思う時には、尚更である。
 それ故にこそこのタイトルなのである。母に先だたれ、父には蒸発された挙句、孤児の施設に収容されたものの、年下の入所希望者が多く、限られた予算に彷徨処分を余儀なくされた少女は、一縷の望みを託して暗黒の世界に飛び込む以外方法を持たない。年端も行かぬ女の子という設定は当然、「Kid」を意識したキャラクターの作り方である。
 内容は観て貰うとして、リジョロの激しい動き、エネルギーを叩きつけるような演劇作法の背景にあったのは、恐らく、この理不尽に対して狂わない為の判断だったであろう。劇団15周年を迎え、初期の激しさから、質への転換を図る時期に来ているのかも知れぬ。理不尽に対するマグマのようなエネルギーはより内面化されて、新たに様々な方向へのチャレンジに向かってゆくような気もする。
 今作には続編がある。タイトルは「サーカス」来年6月に上演を予定している。こちらにも是非、で、その前に今作を。

全事経験恋歌 (ゼンジ.ケイケン.エレジー)

全事経験恋歌 (ゼンジ.ケイケン.エレジー)

アジア舞台芸術祭制作オフィス

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2013/11/04 (月) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★

表出の仕方
 あるキャラクターが物語の中に入り込んで作品を書き替えてゆくという発想は、目新しい訳ではない(例えば、レイモン・クノーの“イカロスの飛行”など)が、大体、その替え方の妙を楽しめるのだが、今作では、アイデンティティーやジェンダーの問題を扱おうとしながら、それがセンチメンタリズムに堕した形で表出されていた点に難がある。つまり普遍化されていないのだ。もう少し、演出や編集、社会学や哲学の勉強が必要だろう。

国際共同制作ワークショップ上演会

国際共同制作ワークショップ上演会

アジア舞台芸術祭制作オフィス

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2013/11/04 (月) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★

お国柄や立ち位置が良く見える作品群
台湾、シンガポール、韓国、ベトナム、日本からの参加者が、6人の演出家の下、6チームに分かれて約15分の作品を上演。各作品への質問、趣旨説明などのトークに10分間をあてた。
 作品がショートなので、却ってお国柄や個々の作家・演出家の置かれた状況が端的に出るような作品が多く見られた。台湾の作品では、IT製品の世界的下請けである台湾の先進技術を応用したゲームなど室内遊戯が、家庭という社会的単位を破戒し、ひいては、個々のアイデンティティーを破戒して行く様が。ベトナムからは、2作品。男女のジェンダーに関わる問題を案山子を仲介として描いた作品と日本人駐在員とベトナム女性の恋物語。駐在を終えたのだろうか? 日本人は、何も告げずに彼女を捨てた。結果、ベトナム女性は自殺。シンガポールからは、“うえる”という発音から、植える(米を)飢える、餓える(心が)をフラグマン化して捉えた。韓国作品は、チェサを通して母の深い愛を、また日本からは、“アマルガム手帖”という作品の一部抜粋という形での上演であったが、箍の外し方が絶妙で、大人達の化けの皮を剥いだ、実に刺激的な笑いを誘う傑作。

らぶ・まん的キャンディ「あめちゃん」

らぶ・まん的キャンディ「あめちゃん」

らぶ・まん

Livetheater間~まほろ~(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/05 (火)公演終了

満足度★★

緻密さが欲しいが
 結局、皆モテたいのだ! という仮説(思い込み)から始まった今作。モテ過ぎたらどうなるか? を主として女の子の視点から描いたと言えよう。

ネタバレBOX

 主人公はCandyという名の女子大生、彼女は女子大生憧れの的の詩人教授、マクフィスト(メフィストのもじりか?)からも求愛されたのだが、少女らしいためらいから拒否。然も、実家で使っている庭師から彼に気があると誤解され、ただならぬ関係になってしまう。だが、その現場を口さが無い連中と父に押さえられてしまった。
 と、どういう訳か、Candyは、風俗店で働くようになっており、口さが無い連中が囃したてたりもするのだ。が、連関が描かれておらず、雑な印象を与える。
 この後も展開に必然性はなく、只、のんべんだらりと流され堕落してゆく女が、描かれる(終には実の父とまで)。これを、彼女自身が、“愛の使者”であると位置付け、善意に解釈すれば、産む性として、♂の玩具にされつつ、その♂どもを愛するという次元に自らを置くことでフィジカルレベルを超えようとする試みと取れないことはない。この解釈通りだとすると、結果的には娼婦即ち聖女という定義が導き出される。だからこそ、最後の場面で体から花を咲かせる存在に転化したのだろう。こうとると、若干シュールだが、面白い解釈たり得るかも知れぬ。
 役者と言える演技をしていたのは、坂中 久志1人というのは情けない。
麗しき乙女達の肖像

麗しき乙女達の肖像

第6ボタン

埼京線十条駅徒歩5分のダイニング(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

良く書けている
 高校時代に書いたシナリオをほぼ全面的に書き直した今作。上演場所が変わっている。お好み焼き屋の2階なのである。鰻の寝床のような細長い空間に舞台空間と客席が設えられる。天井までのタッパは2mちょっとという感じでかなり低い。演技スペースもかなり狭いので、相当考えて動かなければ身動きが取れなくなるのは必定。
 然し、空間の使い方は上々で、役者の声の大きさも会場にマッチした適度な大きさ、カツゼツも良い。余り肩肘を張らず、本音部分も作者が自分自身を茶化してみているような距離感があって、作品を下卑た物にしていない。筋の運びも、この距離感に支えられつつ自然に展開するので、素直に笑える。中々の才能である。
 アラサー女子のホンネとサラリーマン生活の凌ぎ合い。とくとご照覧あれ。

音楽劇「赤毛のアン」

音楽劇「赤毛のアン」

DGC/NGO 国連クラシックライブ協会

東京国際フォーラム ホールC(東京都)

2013/11/02 (土) ~ 2013/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★

子供たちの可愛らしさ
 国連絡みなので、所謂出来の良い優等生的発想の作品でそういう作りになっている。資金も豊富だ。訴えていることが、こんなに金を掛けなければ実現できないなどとは、到底思えないのは、自分もアフリカで仕事をしたことがあるからである。
 子供を多く使い、良い子教育で縛ったうえで、お転婆娘、アンを演じさせる。照明も暖色系を多用して暖かく、前向きなイマージュを積極的にプッシュする。無論、技術的には、上手である。子供達の素直さと一所懸命とには好感を持った。唯、大人がそれを利用してある方向に持って行こうとしていることは、矢張りあざとい。
 一方、役者達の演技には、好感を持った。これは、大人の役者に対してもである。マシューの暖かさ、最年少のアンを演じた女の子のひたむきにも。
 アンが到着した駅の名が、Bright Riverというのも象徴的に上手く使われているし、終盤、マシュー夫妻とアンが手を繋いで歌うシーンでは、雲という極めて可塑的なイマージュが、用いられ、観る物に各々好きな形を想像する余地を与えている。
 また、マシューが亡くなった後も「同じ明日は無い」と前向きに生きて行こうとするアンの姿勢は、基本的に正しい。人は夢無くして生きては行けない生き物だからである。

阿Q外傳

阿Q外傳

NAT

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/10/31 (木) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★

演出家が余りに鈍感
 辛亥革命を風刺した作品ということで期待していたのだが、演出家が、今作の演出に当たって革命について真剣に考えているという印象は全然無い。Beseto演劇祭のコンセプトに合わせて著名作家・大作家であり、日本に留学していた経験もあることから、影になり日向になりしながら、日中友好に心を砕いた魯迅の作品を下敷きにした宮本 研のシナリオをアリバイ的に持ち出したとしか思えないのである。

ネタバレBOX

 そも、今作が、今の日本、韓国、中国のどの国にヴィヴィッドに受け入れられると考えたのだろうか? 革命が成功する為には、民衆の逼迫、権力者の横暴・堕落、軍内部の反乱傾向、更に革命の中心を担う指導層の成熟、資金、革命勢力への民衆支持、転覆の好機、社会情勢、世界情勢等々の的確な分析などが、最低限必要である。革命が出てくる作品の演出をするのであれば、命懸けで闘った多くの名もなき革命家が、世界中で何をどうしていたかに目を配って当然なのだ。そういった視点が一切ない。だから、必然性の無いダンスなどが出てくるのだ。
 大体、今の日本で革命ということを、それも、関係も表さずに出すこと自体、考えが足りない。出すならば、辛亥革命を支援していた日本人をっもっときちんと作品の中に出し、その辛苦をも表出すべきであっただろう。宮本のオリジナルシナリオを読んでいないので何とも言えないが、オリジナルをそのまま踏襲したシナリオであるなら、ちょっと、今の日本の状況とは距離が在り過ぎる。
 何故なら、今作を今回、日本で2013年秋に上演しているわけだが、安倍政権は、今や反革命・反民主主義の尖兵、ファシズムの前衛である。然も、愚衆は、一切、危機感を持っていない。それどころか、相変わらず、その日、その日の小市民的発想にしがみつき、アメリカの植民地であることに屈辱すら感じていないようである。その鈍感、その退廃をこそ、撃つべきであった。そこに中国の民衆を介在させる必要は無い。中国民衆を介在させるなら、中国と日本との間に在る差異についてもっとエッジを効かせて描くべきであった。
ハムレット異聞

ハムレット異聞

DANCETERIA-ANNEX

あかいくつ劇場(神奈川県)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/02 (土)公演終了

満足度★★

練習不足
 オープニングの歌唱は霊が歌うということで態と声を出さずにいたのか? 音楽劇と銘打っているのだったら、もっと悲しいトーンで表現するなどという方法があったのではないだろうか? ピアノも凡庸な演奏でプロとしては聴くに堪えない。おまけに役者が矢鱈に噛む。蜷川演出ほど厳しいことは要求しないにせよ、本番でこれはない。役者が観客に背を向けるだけで科白が聞こえないなどということもあった。主役以外は、基礎からやり直した法が良いのではないか? シナリオは原作をかなりアレンジして、それなりに面白いものになっていたが、舞台美術のセンスも無い。我楽多をそのまま置いただけのような杜撰なものなのに、照明で調整しない場面もあった。照明で調節できないなら、せめて布で表面を覆う程度のデリカシーがあって良い。

ギャラクティカ・めんどくさい。

ギャラクティカ・めんどくさい。

劇団鋼鉄村松

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

意外にも哲学!!
 如何にも少年ジャンプファンの村松氏の作品らいしい、と言ってしまえばそれまでなのだが、デカルト以来、西欧の中心的思考法であるdualismの問題として捉えると頗る面白い。一方の極にニヒリズムをもう一方の極に何かaffirmativeなrealismかromanticismを置いて、双方が在る主題に就いて論じ合うシュミレーションのような楽しさがある。今作の場合は、それが、未来に於ける編年体の歴史として紡がれてゆく。片や“めんどくさい”を標榜する“めんどくさい銀河帝国”片やここから独立した“おもしろい星団連邦”。標榜するのは無論、“おもしろい”。互いに異なる原理でも戦争や支配・被支配は成立するのか? 戦えるとして勝敗の行方は? 等々、一見、馬鹿らしく見える中に仕組まれた、深遠な二元論的世界観。楽しめる。

「ラストシャフル」

「ラストシャフル」

劇団 浪漫狂

シアターサンモール(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

選曲の良さ
 飲み屋で騒いでいた連中の話から、金があると睨んだ家に彼女の久美と一緒に忍びこんだ恭平だったが、狙われた重吉の家は、既に何者かに物色されていた。然も、ベッド脇と壁の間からは逆立ちした足が! スワ、これは単なる物盗りではなく、強盗殺人? 自分達が、凶悪犯として疑われてしまう、と逃げようとしたが、そこいら中に自分達の指紋が付いている。拭き取ろうにも最早、無理!! とおたおたしている内に、どうやら被害者が死んではいないらしいことに気付き、ベッドの上に寝かしてやるのだったが。被害者、重吉は、恭平に対して政伸と呼びかける。息子と勘違いしているのである。逃げるタイミングも当ても失した彼らは、重吉の家に息子の振りをして居座ることにした。(追記2013.11.2)

ネタバレBOX

 と、そこへ戸をどんどんと叩く音。「清治です、御隠居~~~」っとケタタマシイ酔っ払いの叫ぶ声、余り煩いので開けてやると魚屋の清治が入ってきた。どうしても話したい事があると入ってきたのだが。間もなく大鼾。起こすと、仲間も呼ぶと言って携帯で仲間に電話を掛け、結局、朝迄どんちゃん騒ぎだ。実は、彼らは地元の草野球チーム レ ユニオンのメンバーなのだが、重吉は、喋るのが、下手でこの陽気で人の良いレ ユニオンメンバーとは行き違いがあった。だが、地元の為に多大な貢献をしていた重吉の人柄も知らず、悪口を言ったりしたことを詫びにきたのだ。だが、重吉は、アルツハイマーが進み、体力も落ちて車椅子生活だ。そこへ、流石に親を心配してのことだろう。長い間、不在にしていた息子(実は恭平)達が戻って来て面倒を見てくれているというので、介護関係のサジェッションや役所の部署、人脈など必要な知識を授けてくれたのであった。幸い、久美は、心の優しい女性で、本当の父のように甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。何の関わりも無いハズの自分達に、何故、レ ユニオンの人々はこんなに良くしてくれるのか? 事情があって、人間不信に陥っていた恭平にも、こんな疑問が湧くようになっていた。重吉の介護にも大分慣れた頃、アメリカから重吉の妹が訪ねてくる。彼女はアメリカ人と結婚し30年アメリカに住んでいたのだが、夫が他界し介護の任を解かれて帰国したのだった。(未だ本番中、ここから先は観てちょ)

 TVネタを利用しながら笑いを獲るというのは流行りなのだろうか? 多くの人がTVを中心に生活しているとも思えないのだが。観客の反応からは、或る程度矢張り見られているのだろうとの判断はできる。然し、折角、舞台で上演しているのだから、枕とはいえ、TVネタを多用するのは如何なものか? とは思うのだ。
 ところで、レ ユニオンのメンバーは何故、午前2時近くに現れたのか? 丑三つ時だからである。この辺り、流石に舞台人、キチンと我が文化の伝統を踏まえての作りだ。但し、矢張り故人となっている恭平の生みの親たちの現れる時間帯は、朧であるが。

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