『起て、飢えたる者よ』ご来場ありがとうございました!
劇団チョコレートケーキ
サンモールスタジオ(東京都)
2013/09/19 (木) ~ 2013/09/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
自己批判します
連合赤軍あさま山荘事件を題材にした作品。
異様なルールを持つ組織の凄惨なリンチ、生中継や
女性リーダーの人間性が話題になった事件だが
実は閉鎖的な集団における“思想に理想を求め過ぎる頭でっかち”達の暴走劇でもあった。
組織の中で自分を守るために強いものに服従し、暴力に名目をつけて正当化する。
その根底にある人間の弱さをえぐるように描いた脚本が素晴らしい。
ラスト、銃口の前にたたずむ坂上の表情がこの組織の終焉を示して秀逸。
ネタバレBOX
対面式の客席から見下す舞台は、いかにも山荘のリビングらしい部屋だが
テーブルの上にごつい荷物が積み重なっていてのどかさはない。
男たちの「起て、飢えたる者よ」というインターナショナルの歌が次第に大きくなる。
軽井沢の山荘に連合戦線の5人が逃げ込み、管理人の妻を人質に立てこもる。
リーダーは紳士的に接するが、やがて彼女を“オルグしよう”という意見が出る。
平等な世の中を作るために闘っている自分たちは、人質などという不平等を否定する、
理念を伝え教育を施し、彼女を同志にして共に闘おうというのである。
いやいやそれは無理でしょ、という思惑に反して彼女は驚くべき変貌を遂げる。
夫に従い自分の意志を持たず、責任からも逃れていた自分を認め総括したのちは
覚えたての革命用語を駆使して男どもを一喝、
「総括」できない同志を批判して黙らせ、ついには5人を従えて君臨する。
そして(男たちが極度に怖れる)「永山さん」と呼ばれるようになる。
組織はどこかで“永山さん”を必要としている、という怖ろしさ。
渋谷はるかさんの「言葉ってすごいわね」という台詞に実感がこもる。
こうして女が突出する一方で、男たちは分裂していく。
せっかく永田から逃れたのに、結局同じことをして仲間を死に追いやり、5人は3人になる。
組織と思想の終わりを悟った坂上の決断、それを覆す“永山さん”。
“最後の闘士”はついこの間までおどおどしていた管理人の妻だ。
その妻がひとり、警官隊に向かってライフルを構える…。
思想が偏っているというより、運用する人間が偏っていたということが伝わってくる舞台。
疑問を持ちながらもやらなければやられる恐怖心から、皆暴力に加担していく。
リーダー坂上役の岡本篤さん、抑えた台詞がキャラに陰影を与えて
死の瞬間まで魅力的な人物像を作り上げている。
一人別組織から加わった坂内を演じた浅井伸治さん、
孤立した立場ゆえの不安と焦燥から
常に優位に立とうと激しい態度に出る姿が痛々しいほど伝わってくる。
江藤兄を演じた西尾知樹さん、最初に処刑された長兄の復讐のため
組織を誘導して来たと告白する後半、
真意を明らかにする心情が切なく、キャラに奥行きがあった。
管理人の妻を演じた渋谷はるかさん、
変貌のプロセスに無理を感じさせない演技が素晴らしい。
消え入りそうな声から恫喝する声まで、自在な台詞が舞台全体をけん引する。
総括後に夫からの電話に出た時の声、男たちが思わず凍りつくような変化を見せる。
小さな日めくりを破いて時間の流れを示す演出が効果的。
照明による切り取り方もとても良かったと思う。
人を幸せにするどころか死人を増やすとは、何と虚しい思想だろう。
思想と社会、社会と組織、組織と個人、個人と自由、
そして人は誰でもこんな風に変わる…。
劇場を出てしばらくはドミノのように次から次へと思いめぐらさずにはいられなかった。
駆け抜けるような2時間超の充実。
3年ぶりの再演に心から感謝します。
破滅志向
小西耕一 ひとり芝居
RAFT(東京都)
2013/09/18 (水) ~ 2013/09/22 (日)公演終了
満足度★★★★
地雷を踏みたがる男
3回目となるひとり芝居に、出演者は二人いる。
天を仰いで「あー、俺幸せだ、このまま死にたい!」みたいなことを叫ぶ男と
その男と付き合って別れてひどいことされる女の二人だ。
だが基本的にこれはひとり芝居だと思う。
脚本の構成やキャラの設定、当日パンフやブログも含めて、
自分のダメダメぶりをさらしつつフィクションの世界へするりと誘いこむ手法に
書き手としてのしたたかさと進化を感じる。
ネタバレBOX
高校で化学をおしえるソウイチ(小西耕一)は
感激しやすくすぐに「死んでもいい!」とか口走る男だ。
サエコ(菊地未来)のことが大好きで結婚するが
あることをきっかけにサエコはソウイチのもとを去ってしまう。
そしてソウイチの陰湿な嫌がらせが始まった…。
別れのきっかけがシリアスで、思わず考えさせられるが
じゃあソウイチは一生それを背負っていけるのかと言えばまず出来そうもない。
全てに理由を必要とする彼は、逆に理由さえあれば何でも正当化する男だからだ。
その証拠に自分の思いを受け入れないサエコを徹底的に傷つけようとする。
「俺の気持ちを踏みにじった」
「俺を裏切った」
彼にとってそれは彼女に制裁を加える十分すぎる理由だ。
ひとり芝居と言いながら二人出演するが
過去2回のひとり芝居の延長線上にあることを感じさせる。
サエコの反応は「無理」「怖い」の二つの言葉に集約され、ほぼ受け身。
今どきの女性としてはこのタイプの男に対する警戒心がなくあまりにも無防備だ。
それは、テーマが“破滅志向”の男の一方的な主張と行動であって
最初からコミュニケーションが欠如している関係だからだと思う。
菊地さんが、サエコと教え子のマナミの二役を演じたのはとても面白かった。
つまり誰でもいいんじゃないの?って感じで
ソウイチの身勝手な主張と行動の落差が際立つ。
大体電話で「君じゃないとダメなんだ、やり直そう」と泣いて謝ったけど
もうその時点で彼は決定的なブツを彼女に宛てて送りつけているのだ。
上手くいくなんてこれっぽっちも思わずに泣いてみせ、ダメ押しの反応を確かめる陰湿さ。
ちょっとでも“いい奴”の欠片を残そうなんて全く考えていないところが潔い。
舞台に二人が立つことで位置関係が明確になり
会話のテンションが上がってテンポも上がる。
構成の上手さもあって一気に破滅へ快進撃。
転がり落ちる自分を眺めながら“あ、これ芝居に使えそう…”とか
どこかクールに観察するスタンスが小西さんの個性だ。
言わなきゃいいのにあえて地雷を踏んで、木端微塵にならなければ気が済まない。
そうしなければ終わりにできない。
小西さん、地雷 探しながら歩いてるよね?
最高傑作 Magnum Opus “post-human dreams”
劇団銀石
ギャラリーLE DECO(東京都)
2013/09/17 (火) ~ 2013/09/22 (日)公演終了
満足度★★★
吠える哲学
人間とロボットとの違いを問いかけ、そこから始まる主役の交代、
そのビフォー・アフターを4つのエピソードから成るオムニバスで見せる。
シリーズで取り組むテーマが時代を反映して魅力的だ。
饒舌な哲学を叫ぶ台詞量に圧倒されるが、あんまり吠えるとキャラが霞む。
冒頭のエピソードは、映画によくある”エイリアンはどいつだ?!”状態だが
もう少しサスペンスフルな展開で惹きつけて欲しかった。
主役交代の前夜を描くエピソードをラストに持って来たのは効果的。
このロボット役2人、抑制の効いた台詞でキャラが際立つのが面白い。
ネタバレBOX
舞台正面奥にはプランターや盆栽のような鉢が並ぶ棚。
中央の四角い柱に括りつけられているのはいくつものスピーカー。
下手に上へ上がる階段がある。
今や「労働」はロボットの仕事になり、人間は怠惰で堕落した生活を送っているという設定。
エピソード1:人間であることの証明
4人の中に1人だけロボットがいる、それを探し出して特定せよ、
というバイトに応募した4人が自分は人間だという証明に躍起になる…。
カレル・チャベックの戯曲「R.U.R」が多大な影響を与えたと当日パンフにあるが
100年近く前に書かれた戯曲の科学的背景に忠実なのか
“針で突いて赤い血が出たら人間”…みたいなレベルがちょっと物足りない。
演出の指示かもしれないが、役者さんの声が大きくて逆にメリハリがなくなったのが残念。
劇場に動かし難い柱がある以上、役者の動きに何か工夫が必要と感じた。
エピソード2:人とロボットの共存
ついに全世界のロボット全てに電気信号が送られ、彼らが一斉に蜂起する。
ロボットを生み出した研究所では、「話し合えばロボットと共存できるかも…」と
切羽詰まったとはいえ、科学者としてちょっと甘いんじゃないか的な判断をして案の定…。
もう少しテンポ良く展開したら、
ロボット製造技術を独占するため一切の資料を残さなかった企業のエゴとか
混乱→絶望→取引案→絶望→話し合おうという流れがくっきりしたかと思う。
エピソード3:最後の1人
たった1人生き残った人間はただの農夫だった。
ロボット達は彼を“神”と呼び「どうかロボットの製造方法をおしえてください」と祈る。
何もできない孤独な農夫は奇跡を願いつつ世話係の旧型ロボットに執着するが
彼女はロボットとしての寿命が尽きようとしていた…。
必要な人間とそうでない人間の区別もなく殺してしまったロボットの浅はかさが
やっぱり人類にとって代わるほどのものではないんだなあと感じさせる。
地球を支配するにはもう少し頭が良くないとダメなんだよ、解ったかね明智君って感じ。
エピソード4:きっかけ
4つの中で一番舞台空間が完成していた作品。
“きっかけ”があれば、ロボットにも“愛”が解るのではないかと期待する科学者の男。
孤独な彼の助手は旧型ロボットだったので、ロボット言語しか話せず
コミュニケーションがうまく取れない。
そこで科学者は新型ロボットを導入して通訳させようと考える。
しかし旧型ロボットは、誰よりも科学者を理解し感謝の心を持っていたのだった…。
人に有ってロボットに無いもの、コミュニケーションのあり方などを考えさせる。
それまでの饒舌さが抑えられ、少ない台詞と静かな間で初めて情緒が生まれた。
表情の変化も自己主張もない、解説するだけのロボットに個性が生じるのが面白い。
まさに“手に手を取って”2体のロボットが外の世界へと旅立つって、いいじゃないか。
たとえその結果がロボットの一斉蜂起であり、人類の終わりであったとしても。
手法に粗さが目立つが、一環したテーマを追い続ける姿勢は評価したい。
“最高傑作”を作った人間の皮肉な行く末、次に夢を見る者は誰か、
次回公演の「A.I.」にその答えがあるのだろうか。
花と魚(第17回劇作家協会新人戯曲賞受賞作品)
十七戦地
王子小劇場(東京都)
2013/09/12 (木) ~ 2013/09/17 (火)公演終了
満足度★★★★★
花と魚と”手”
生命体としての地球と人間というダイナミックなテーマ、
深い人物造形、ねっとりした地方都市の人間関係、
そして息もつかせぬ緊迫した台詞の応酬。
バリバリ宮崎弁でところどころ理解できないのだけれど
そんなことぶっ飛ばすリアリティと勢いを持っている。
出演者全員、そのキャラクターが立体的で本当に素晴らしい。
今この作品を再演してくれたことに心から感謝したいと思う。
ネタバレBOX
対面式の客席に挟まれた舞台スペースは極めてシンプル。
壁面に上から下がっている魚網は、何かを祝うかのように紅白の布で編まれている。
その向かい側には集会所の椅子や茶器などこまごました備品が置かれている。
もっと観光客を誘致しようと準備している宮崎県の小さな漁村に
怪物“足のある巨大な魚”が現れて次第に増殖、住民生活を脅かす。
民間の野生生物調査員が呼ばれ、対策を相談するが
村は“保護”と“駆除”とで真っ二つに割れる。
村に伝わる伝説、意図的に流される噂、組織と個人の葛藤、信頼と裏切り…と
有事の際の人間模様てんこ盛りだ。
だがあっと驚く結末は、どこか神話的でどのかでさえある。
感情的に主張し、相手を存在から否定する会話の応酬は観ていて心拍数が上がる。
この会話が早口の宮崎弁でところどころ聞き取れず良く分からない。
でも方言なんてどこもそんなもので、正確にはわからないけど大体理解できる。
この”手加減しない方言”が、冷静さを欠いた会話に緊迫感を与え
シュールなファンタジーっぽい展開を超リアルに見せる。
海千山千でしたたかな村人の思惑を複雑に交差させつつ
困難に立ち向かう人々を描いたかと思うと
“所詮人智の及ばぬところなのだ”というオチが極めて爽快。
生命体のサイクルの中で、ほんの一瞬もがいて終わる人間など
塵のような存在だと感じる。
「祈っても願ってもかなわないことがある」と主人公七生(北川義彦)が言う。
謙虚さを喪った人類に、主役の座を明け渡す以外どんな未来があるというのだろう。
「魚が陸へ上がり、海に花が咲く、そして人は魚になる」という村に伝わる言い伝えが
”ご神体”の異様な姿と共に妙な現実味を帯びてくる。
その中で、諦観しつつ同時に諦めない七生の選択は人間の向日性を見るようで清々しい。
へらへらしているようで一番事態を冷静に見ている須田大和を演じた澤口渉さん、
へらへらぶりも徹底していたが、後半七生にタオルを渡すところなど
大和の深い気持ちが視線や一挙手一投足に表れていて素晴らしかった。
婦人部部長の須田日出子を演じた峯岸のり子さん、
50代で演劇を始めた方と知って本当にびっくりした。
風琴工房の「国語の時間」やガレキの太鼓の「地響き立てて嘘をつく」でも
さらりとした手触りながら要としての存在感ありまくりだった。
今回の天然なんだかしたたかなんだかよくわからない、
でも事の核心の近くにいることは確か…という役にハマり過ぎるほどハマってる。
力の抜けた居ずまいが絶妙。
野生動物の保護を説くセンターの所長 佐糖勇樹さん、
嘘つきで他人を叩きのめすように非難し村中を引っかき回す那美江役鈴木理保さん等
徹底した隙のないキャラの構築が見事で、人間ってこういうとこあるよなと思わず納得。
この“壮大なテーマを地面に下ろして来て人間とすり合わせるような作業”に
緻密に黙々と(勝手に想像している)取り組む柳井祥緒さんという人を尊敬する。
今この若さで、この充実ぶりにこれからも期待せずにはいられない。
十七戦地のフライヤーはいつも端正で美しいが
今回のこの“手”のアップの静謐な絵はどうだ。
一目で座長北川義彦さんと判る手、物語の結末を左右する手だ。
花(藤原薫)が描く絵は全て現実のものと成る。
足のある魚も、そして最後に描いた“赤ちゃん”の絵もきっと現実のものとなるだろう。
その赤ちゃんを抱く手となることを確信させる、そんな手をしている。
カルナバリート伯爵の約束 【池袋演劇祭‘優秀賞’受賞】
メガバックスコレクション
Route Theater/ルートシアター(東京都)
2013/09/13 (金) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★
できない約束
車両事故の現場で監視に当たる二人の兵士が上官から受けた謎の指示。
「応えるな、出るな、信じるな、そしてどんな小さな約束もするな」…。
設定がシンプルな分、心情がくっきりと浮かび上がって感情移入しやすい。
登場しないカルナバリート伯爵のエピソードが実にうまく機能している。
3年ぶりの再演に感謝したいと思う。
ネタバレBOX
1953年9月、大雨によるがけ崩れで列車が脱線、崖下に転落した車両事故の現場である。
下手には折れた大木とその手前に白く囲われたサークル、
正面から上手にかけては傾いた車両らしいハコが横たわっている。
床は混乱した現場らしくでこぼこしている。
下手に2カ所、正面車両の奥、上手車両の奥も出ハケが出来そう…と思っていたら
車両の下から人が這い出して来てびっくりした。
上官の命令の意味が判らないまま、塩で囲われたサークルの中にいる2人の兵士。
彼らが告げられた命令からして、もう謎だらけでいきなりつかまれる感じ。
やがてさっき2人で収容した遺体と同じ格好の人物が次々と現われて
2人は驚愕、パニックになるが、彼らの会話を聞いているうちに
死者の魂は朝までその場にとどまり、朝になると向こうの世界へ旅立つらしいと判る。
そして国や軍が隠そうとする事故原因が明らかになるにつれ
兵士は命令と自分たちの役割に疑問を抱き始める。
命令に背いてサークルから踏み出し死者たちと語り合い、仲良くなる2人。
だが死者たちの本当の目的は別にあった…。
役者がマジでつまづくほど混乱した現場がリアルに作られている。
小さな舞台にこのセットを組み、車両の下に人が入れるスペースまで作ったのに驚く。
時間軸のずらしとか、生死の逆転とか、凝った仕掛けがなく
比較的シンプルな設定であるだけに、登場人物の心情が丁寧に描かれる。
私たちは、出来ない約束に縛られながら生きている。
死んだ人たちや家族、職場、そして自分自身に課した約束=“ねばならぬ”に。
約束に固執する死者たちの気持ちが、切羽詰まって怖ろしくも哀れだが
そこから逃れるのではなく、出来ること出来ないことを見極めた上で誠実でありたいという、
作者の真摯な気持ちがストレートに伝わってくる。
兵士バロンを演じた新行内啓太さん、
揺れに揺れた末の決断に人間味が溢れ、誠実さが台詞ににじむ。
出来過ぎの台詞でもこの人が言うと、このテの展開に泣かないはずの私が
思わずうるっと来るから不思議だ。
キャラ作りが巧みなのか、新行内さんの素のキャラか…。
兵士アーツを演じた日比野線さん、
心境の変化にメリハリがあってとても良かった。
軽妙さと真面目さを併せ持つ人物像が鮮やか。
元軍人を演じたキリマンジャロ伊藤さん、
ちょっとくたびれた味わいがあり若い人の中で光っていた。
“出汁の効いた”台詞が素晴らしい。
ザック長官(星祐樹)との謎の過去についてスピンオフが出来そうなほど
奥行きを感じさせるキャラクターだ。
謎の少女エーデルを演じた本橋舞衣さん、
透明感があって雰囲気はあるが、声が聞きとれない。
空調の音に負けてしまって残念。
2010年の初演から約3年、この間には東日本大震災や福島の原発事故、
そして中国では“事故列車の埋め戻し”などもあった。
国や企業のやることは昔からどこも同じ、と言ってしまえばそれまでだが
あまりにもこれから起こることを予測していたようで
今この作品を再演する意義を強く感じる。
全ての魂は、生きている人々と約束したがっているという。
ならば私も、バロンのように応えられたらと思う。
あなたのことを決して忘れません。
ちゃんと生きていきますから、ずっと見ていてください。
それを約束します、と。
Hedda
演劇集団 砂地
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2013/09/11 (水) ~ 2013/09/18 (水)公演終了
満足度★★★★
”上から目線”のヘッダ・ガブラー
“自由”とは“自分の意思決定に他人が影響しないこと”かもしれない。
誰かの意のままになるくらいなら、銃で頭を撃ち抜く方がマシなのだ、
ヘッダにとっては。
自由で繊細な照明と意表をつくセットが秀逸。
時折幽かに聞こえるBGMに思わず耳を澄ませてしまう。
ヘッダの身勝手な強い視線が印象的。
ネタバレBOX
舞台スペースを挟んで客席が向かいあうように作られている。
舞台奥にピアノ、その向かいには透明な喫煙室が設けられていて
喫煙室の中に入ると、外の音は遮断されて聞こえない設定になっている。
旅行用の大きなスーツケースがひとつ置かれている。
床に2カ所ほど格子のはまった四角い穴があって、中に照明器具が見える。
多くのライバルを蹴落としてヘッダ(小山あずさ)と結婚したテスマン(稲葉能敬)。
新婚旅行から帰って来た二人の会話からは早くも温度差が見てとれる。
教授職を期待して結婚を決め、優越感に浸るハイテンションな学者テスマン、
明らかにそんな彼に、そして彼を夫に選んだ自分にもイラついているヘッダ。
そこへヘッダのかつての恋人レーヴボルグ(田中壮太郎)がやって来る。
天才肌で自堕落な生活をおくっていたレーヴボルグは、
今や著書が大人気でテスマンを凌ぐかのような勢い。
彼の仕事を支えたのはヘッダの友人エルヴステッド夫人(小瀧万梨子)だ。
世渡り上手でヘッダに下心を抱くブラック判事(岸田研二)もやって来る。
“いいやつ”だが凡庸な男を夫に選んだヘッダが
すっかり変わったレーヴボルグと話す場面、喫煙室にいる人々とは
“見えるけど聞こえない”状況で互いをけん制しつつ距離ができる。
時折喫煙室に目をやりながら緊迫したやりとりを交わすヘッダとレーヴボルグ。
やがて彼が酔って落としてしまった大切な原稿を
あろうことかテスマンが拾って来たところから一気に事態が転がり出す。
預かった原稿を喫煙室で燃やすヘッダは、素知らぬ顔でレーヴボルグを迎える。
そして絶望的になっている彼に、父の形見の拳銃を渡すのだ。
もう、これで死ぬしかないわねと言わんばかりに。
ヘッダの思惑通りレーヴボルグの死が伝えられる。
だがその死に方は彼女が予想していたものではなかった…。
無機質な舞台に現代的な衣装(ヘッダはニーハイブーツにミニドレスだ)、
透明な喫煙室と最小限に抑えた照明が効いている。
ヘッダがカチカチと点けたり消したりするライターの火花や
床下から天井に向けられた照明、懐中電灯の灯り等が暗闇の中で際立つ。
たぶん原作では隣室なのだろうが、それを透明な喫煙室にしたことで
内と外との人間関係にハラハラするような緊張感が生まれた。
時代や価値観は大きく異なるが、ヘッダを突き動かしたのは普遍的な理由、
つまりは“女の嫉妬”ではなかったか。
かつて棄てた男が立ち直ったのは支える女がいたからだ。
その女は昔自分がいじめていた、大したことない女で
今またその女が、自分の夫と、失くした原稿を再生しようと盛り上がっている。
そして何よりレーヴボルグは、あの拳銃で”自殺”したのではなく
別の女に撃たれて死んだのだという衝撃の事実。
ブラック判事が、“拳銃の出どころを秘密にしてやるから言うことを聞け”
と言ってくるのもむかつく。
“人生全て上から目線”だったヘッダ・ガブラーが
自分のこめかみに拳銃を撃ち込んだ理由は、案外素朴な感情だったのかもしれない。
それはヘッダにとって何としても認めがたいものだったのだろう。
ヘッダが、すれ違いざまエルヴステッド夫人の髪の毛をむんずとつかむ場面、
高貴な家の出だろうが何だろうが、“コンチクショウ”はあるんだよ、
学生時代からの力関係を思い知らせてやる!という迫力がすごい。
だがそのヘッダは、レーヴボルグが最期に会った1人の女に完璧敗北を喫するのだ。
レーヴボルグを演じた田中壮太郎さん、立ち直ったけどどこか危うい男の
コンプレックスと色気の混じった表情がとても良かった。
何だか現代の“婚活”を思わせるような、女の選択が興味深い。
それにしても“強い”って生きにくいものだなあ。
ガソリンホットコーラ
tsumazuki no ishi
ザ・スズナリ(東京都)
2013/09/04 (水) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★
売れないガソリン
冒頭から会話のすれ違うもどかしさ全開で、その“伝わらなさ”が孤独感を呼ぶ。
生者と死者がすれ違う舞台で、実は生きている者同士もすれ違っている。
ちゃんと話が通じるのは死んでからなのか…。
暴力的なまでに一方通行のコミュニケーション、シュールな展開の中に
私たちの現実が透けて見えるような舞台。
ネタバレBOX
客入れのBGMがめちゃめちゃカッコよくて、でもロックについてはよくわからない。
あー、劇団の人に聞けばよかったと後悔した。
舞台下手奥にバーカウンター、その手前にガソリンの給油スタンド、
上手奥には店の入り口ドア、手前に古いソファとボロボロの椅子が置かれている。
古タイヤや雑誌の束が雑然と置かれ、BGMが抜群にはまる。
近未来、超過疎、高齢化の地方都市で
シンタロー(日暮玩具)はガソリンスタンドの店長をしている。
車なんてめったに来ないのに、たまに来ても給油スタンドのホースは車まで届かない。
このスタンドでちゃんと給油できるのはバイクだけだ。
弟のユージロー(加地竜也)は人とうまくコミュニケーションが取れない。
シンタローの嫁マキコ(中村榮美子)は亭主とその弟を怒鳴りつつ距離を置いていたが
ある日ついにパートに行くと言って出たまま戻らなかった…。
子どもの頃父親とガソリンスタンドに来るのが楽しかったからという理由だけで
車の来ない過疎の都市で、致命的な欠陥物件を買ったシンタローは
この時点でもうニーズも状況も見ない、単純な情熱だけで生きていると判る。
嫁の不満はそこに集中していく。
登場する人物は誰も自分の目的を果たすことができないまま
不条理な状況でもがき続けている。
暴力的なまでに一方通行のコミュニケーションが行き交ううちに
一人ひとりの孤独な姿が浮かび上がってくる。
後半、男たちが狭い使命感と格闘しているのに対して、女たちは一気に行動に出る。
“死”に対してためらわず踏み出し、ずんずん突き進む様は
“変えたいのに変えられない”前半の展開がもどかしいので小気味よいほど。
ユージローと常連客のチカゲ(加藤亜依)が
舞台床の丸い穴から出て来た理由が明らかになって
初めて死者と生者が共存していたこと、ユージローがその境界にいたことが判る。
生前誰ともコミュニケーションを取れなかったユージローが
実は全ての人の声を聴くことができたと知って哀しい気持ちになる。
シンタロー、ユージローを始め、女性政治家から取ったかのような名前が
ギャップを感じさせてちょっと面白い。
照明の美しさが印象的。
テロリスト(?)に変身したマキコを演じた中村榮美子さんが強くて美しい。
チカゲを演じた加藤亜依さん、ランドセルが異様に似合って、一瞬子役かと思ってしまうほど。
コーラの瓶の中身を一気飲みしたりお弁当を食べたり
ラーメンを本当に作って食べたりと、“食”に関して妙にリアルなのが可笑しい。
何だかシュールで不条理な展開にびっくりしてよくわからないところもあったが
これをおとなしく小さくしたのが私たちの日常なのかもしれない。
一方通行のコミュニケーションがすれ違い、誰にも届かない…というのは寂しいことだ。
OUR TOWN
劇団フライングステージ
OFF OFFシアター(東京都)
2013/08/27 (火) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★
先入観を吹き飛ばすリアル
ソーントン・ワイルダー作「わが町」の新宿2丁目版。
内藤新宿の遊郭、赤線、そして2丁目と変遷を遂げていく町とそこで暮らす人々を描く。
当日パンフによれば“古典として有名な作品の翻案をクールに作る”つもりが
“いつも以上に人への思いを詰め込んだ”作品になったのは
今年の春に劇団員ひとりを喪ったことが色濃く反映しているからだという。
なかなかまっすぐに伝わらない愛情が交差して、憂いの滲むラストが印象的だった。
ネタバレBOX
ほとんど何もない舞台に7脚の椅子が置かれている。
7人が出て来て、宿場町として始まった2丁目の歴史を解説する。
ストーリーの軸となる現代の青年二人
ゲイの大地(小林高朗)とノンケの健一(遠藤祐生)を追いながら
遊女の心中や赤線廃止など、時代のエピソードを絡めて展開する。
ゲイであることにこだわった芝居を作り続けている劇団だけに
“かたち”だけでない説得力があってそれが魅力。
例えば大地はゲイで役者を目指している大学生として登場するが、
見た目や言動からいわゆるゲイっぽさは感じられず、一見普通の学生だ。
だがゲイであることをカミングアウトする時や健一に告白する時の
現実を受け入れて卑屈にならない“姿勢の良さ”は清々しく秀逸。
2丁目のママ役がハマり過ぎの感さえある岸本啓孝さん、
時代物もなめらかにこなし色気のある石関準さん、
そして作・演出を担当した関根信一さんと
役者が皆達者なので、何気ない会話の密度が高く思わずくすりとさせられる。
ちょっと解説が多すぎて“2丁目講座”のような印象を受けたが
これも「わが町」をもっと知って欲しいという愛情の表れか。
劇団HPを見ると、過去公演の台本も公開していて
たまたま私が読んだ台本は100%会話劇だったが
同じ場所、同じ二人の1年後、5年後…と時間だけが経過するストーリーが面白かった。
この“定点観測”のような舞台では
変わらないものと変わっていくものの対比が鮮やかになる。
新宿2丁目も、表面的には変化しているがその根底にあるものはあまり変わっていない。
変わらない“場”において、変わって行く“人”が浮び上る。
大地が死んでしまうという結末が哀しく、
原作とは少し違うラストに何だかほっとする。
ゲイの役を演じる役者はいくらでもいるし、オネエキャラなら毎日テレビで見かけるが
この作品は“ゲイから見た普通の人との距離感”が絶妙で、そこに強靭なリアルを感じる。
それは「ゲイの劇団」であるという先入観など軽く吹き飛ばす力がある。
空を飛ぶ
LiveUpCapsules
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2013/08/22 (木) ~ 2013/08/26 (月)公演終了
満足度★★★
情熱的だが人物像が一方向
第二次世界大戦時の飛行機工場を舞台に、設計士や技術者たちの
仕事に懸ける情熱と時代に翻弄されて行く姿を描く物語。
演出に工夫があってテンポ良く進むが
人物像がもっと多面的だったら、さらに奥行きが出たと思う。
ネタバレBOX
菱形の舞台スペースの角を挟んで二方向に客席が設けられている。
事務所らしい大きいテーブルや古めかしい黒電話の事務机、黒板。
開演前から懐かしい歌謡曲が流れている。
「君だけに愛を」、「ブルーシャトー」…。
ひとりの作業服姿の男が懐かしそうに事務所の中を見渡している。
やがて「上を向いて歩こう」が流れ、かつての同僚が次々と現れる。
再会を喜び合い、皆で集合写真を撮る。
フラッシュが閃き、時代は戦争中の「中島飛行機 荻窪工場」へと遡る…。
軍の飛行機に搭載する発動機を開発した中島飛行機は、
さらに高性能の発動機を開発、受注するべく
設計士の中川(渡辺望)を中心にチーム一丸となって取り組んでいる。
山積する問題を一つずつ解決してようやく試作品が出来た頃、中川に赤紙が届く。
一体誰がこの後の開発を引き継ぐのか、呆然とする同僚たち。
だが実はもう一人、一番若い平井(加藤慶亮)にも赤紙は来ていたのだった。
彼らが欧米の技術力との差を認識した頃、戦局は悪化の一途をたどっていた。
終戦を迎えたが、平井はついに帰らなかった。
発動機の資料がGHQに渡らないよう、中川たちは全ての資料を破棄する…。
最初は「燃料でも何でも好きなだけ使え」みたいな景気の良いことを言っていた軍が、
最後には資材の供給もできなくなって、懐中電灯の枠(?)で発動機を作れと言う。
その傾いていくプロセスにあっても、実験し工夫し知恵を絞って仕事を全うしようとする
男たちの集中力と粘り強さはひたむきな情熱を感じさせる。
好きな飛行機に関われるだけで幸せという“天職”を得た人の喜びだ。
中川役の渡辺望さん、いつも観る天幕旅団ではひねった人物像が多かったが
今回は怖ろしくストレートで迷いのない男を熱く演じている。
だがテンションを保つだけでも大変そうなこのキャラ設定に
いまひとつ奥行きが感じられないのは、あの情熱を傾けた発動機の開発が
“人を戦地へ送り込む物であること”への葛藤が見られないからかもしれない。
たぶん胸の内には中島飛行機の誰もが抱いていたであろう
疑問と矛盾に向き合う場面、内省する場面があったら
“2つのキノコ雲”や“焼けた東京”がもっと切実になったと思うし、
ラスト、もう帰らない平井が見つめる中、
大量の資料の紙を撒く中川たちの思いが鮮明になったと思う。
結果的に向上心を利用された技術者たちは皆
開発に一途なだけでなく、迷いや後悔に苛まれたのではなかったか。
女性陣の着物の着付けがイマイチなのと、
男性陣の衣装がどうも今風に見えたのがちょっと残念。
スピーディーな出ハケと照明でメリハリがあったし、
発動機の仕組みを妻に説明するシーンのおかげでわかりやすかった。
試作品を搭載してプロペラを回してみる場面は
臨場感があってとても良かったと思う。
大量の紙が床を覆い尽くす演出は、飛行機が舞うようで
開発者たちの無念が伝わって来た。
蝶を夢む
風雷紡
シアター711(東京都)
2013/08/11 (日) ~ 2013/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★
時代を”奏でる”作品
萩原朔太郎の詩集から取ったタイトル、
終戦から3年後の帝銀事件を扱ったストーリーと設定はもちろんのこと、
セット・衣装・音楽など全てがあいまって“時代を奏でる”よう。
客入れの時のBGM、たどたどしいピアノの「野ばら」が哀しい。
ネタバレBOX
開演前、ふと顔をあげて舞台を見ると
ロッキングチェアにセーラー服の少女(吉永雪乃)が座っている。
正面にはレースのカーテンが下がる小窓が3つ並び
手前にテーブル、その横にロッキングチェアが置かれている。
少女は本を読んでいたが、やがて畳んだ赤い着物を大事そうに抱え、抱きしめた。
開演後、険しい表情の小笠原芙美子(堀奈津美)がぶどうの入った器をテーブルに置く。
4人の女中たちが入って来て、全員がぶどうを食べた。
次にワイングラスが配られ、男がワインを注ぎ、女中たちは
女主人の「乾杯!」の声に導かれて一気にそれを飲み干した。
暗転の後、毒殺事件後の現場で二人の刑事が話をしている。
芙美子は助かったが女中たちは全員死亡。
やがて犯人は女中の一人、智恵子の父親の医師であるとされた。
だが刑事の山村(山村鉄平)は芙美子に仕えてぶどうを作る男
弘行(祥野獣一)が気になる。
戦時中大陸で毒薬の研究に従事していたという彼の経歴が明らかになったからだ。
事件は疑われていた医師の自殺で一件落着かに見えたが
実は娘を亡くした、いや殺された母親の復讐劇であった…。
毒殺事件の捜査と、娘を喪うに至る過去の経緯が交互に描かれ
次第に事の真相が明らかになって行く。
コロンボ形式で犯人側から事の顛末を見せるため、
サスペンスや謎解きの面白さはないが、芙美子の内面に迫る迫力がある。
母親から愛された記憶の無い芙美子が、娘にどう接して良いのか戸惑ううちに
叔父である伯爵の陰謀で小笠原家当主となる10歳の娘は殺されてしまう。
全てを知った芙美子の冷たい決断に大きな説得力があり、
叔父への残酷な復讐にも共感を覚えてしまう。
セットやシューベルトの「魔王」、朔太郎の「蝶」のイメージが効果的。
冒頭の出演者紹介の映像なども時代を感じさせるテイスト。
出演者が口ずさむ歌も美しく哀しみを誘う。
一つ気になるのは探偵野崎(谷仲恵輔)の役回り。
前作で探偵と下宿のお駒との掛け合いが面白かったから
谷仲さんの出演に“シリーズもの”になったのかなと思ったが
今回探偵は大して活躍しない、「?」な人となってしまった。
スピンオフにゲスト出演で顔を出したという感じだったのか。
また前回も感じたのだが、谷仲恵輔さんの“声よし”を強調するあまり
プロレスみたいに、登場の時大仰な詩の朗読をするのはどうだろう?
何だか信長の「越天楽」(♪人間五十年…)に聞こえてちょっと違和感を覚える。
ドラマチックかもしれないが、“調子で読む”と作品の儚さが失せてしまう。
ラスト芙美子を訪ねて「蝶を夢む」を詠んだ時はとても静かで美しかったので尚更。
芙美子を演じる堀さん、サイテーな伯爵を演じた市森さん、
立ち姿も美しく台詞のテンポが時代の風を感じさせてとても良かった。
弘行役の祥野さん、優しく忠実なキャラが台詞に溢れている。
女中さんたちの仕草やお辞儀も隙がなく、後半の心理的変化もわかりやすかった。
シアター711の作りを活かした廊下を走る音や、
繊細な照明の効果が抜群で、緻密な作品になっている。
謎の球体X
水素74%
こまばアゴラ劇場(東京都)
2013/08/10 (土) ~ 2013/08/19 (月)公演終了
満足度★★★★
理不尽な主張
ある夫婦の居間を舞台に、入れ替わり立ち替わり訪れる人々の“理不尽な主張”、
“言われっ放し”の妻の立場がいつの間にか逆転している不気味さが面白い。
あり得ない展開にも関わらず、台詞には「あーいるいる、こういう人」感ありまくり。
この現実と非現実が平然と混在する空間が素晴らしい。
全くもって地球とは、地球人とは謎だなあと再認識させる舞台。
ネタバレBOX
がらんとした居間には折りたたみ式のちゃぶ台がひとつ。
家具らしきものはなく、引き出しが置かれているだけ。
手前は縁側で外からも人が出入り出来る。
健児(古屋隆太)は地元で「キチガイノババ」と異名を取る乱暴者。
妻の増美(川隅奈保子)は頭に包帯を巻き、周囲は皆DVを疑っているが
本人は否定している。
この2人の家に様々な人がやって来る。
「親友なんだから金を貸せ」と臆面もなく手を出す中学の同級生。
大家の女性も増美の同級生で、増美が自殺未遂を起こしたことに責任を感じ
一方的に心配しては世話を焼くのが生きがいみたいになっている。
「台風でお父さんが死んじゃったからこの家で一緒に住む」と転がりこんできた妹は、
かつて父親に溺愛され(性的虐待を受けていたことを愛情と勘違いしている)父と二人で
姉である増美を置いてこの家を出て行った人間である。
このほか、自分が病弱なことを恨みがましくくどくど言いたてる大家の夫や
生まれて来た意味がわからず、増美の妹に「私を守るためよ」と言われて
それを鵜呑みにするような男が登場する。
まー、皆さん自分の主張を何の疑問も持たずにゴリ押しすることと言ったら!
「え、でも…」「でもあの、本当に大丈夫ですから」「これは転んだんです」と
常に形勢不利な状態で説明と言い訳に終始する増美が気の毒でならぬ。
ところがまるで旦那→キツネ→鉄砲みたいに(古…)
相手が変わると微妙に力関係が変わって来てそこが実に面白い。
姉の意向を無視して居座ることにした妹は、いつの間にか姉に下女のような扱いを受ける。
「俺に卑屈な思いをさせるな、喜んで介護しろ」と高圧的だった大家の夫は、
やがて妻から見放される。
「俺の言うことが聞けない奴は家族じゃない、出て行け」と言われて
一度は家を出た増美だったが、結局戻って来て妹を追い出し、
夫に家の修理を急かすような普通の奥さんになっている。
(何気に同級生からせしめられたのと同じ金額の5万円を手に戻って来たのも空恐ろしい)
この強引な理不尽の主張は何だ?
世の中図々しく言ったもん勝ちか?
そう思いながら観ているうちに
終わってみれば何だか増美の思い通りになっている…。
次第に増えて行く増美の包帯は目くらましだったのかもしれない。
殴られながら夫を支配しているのかもしれないし、殴られていないのかもしれない。
長めの場転の間が、自然と場を観察させ次を想像させる。
突飛な主張を展開しているのに、台詞がリアルなので人物像に説得力がある。
幽かなBGM、台風だと言いながら蝉が鳴いている静かな舞台が非現実的で
”謎の球体”っぽさを醸し出す感じ。
キチガイノババ、健児を演じた古屋隆太さん、
ぬっと出て来ただけでアブないタイプと判る存在感大。
か細くて頼りなくて、世間知らずの典型のような増美役の川隅奈保子さん、
外に対しては下手に出るが、妹にはきっちり言うことを言う(言い過ぎるほど)。
“家族だけが信頼できる”とする夫に対して
“家族だから許さない”妻のスタンスが鮮やか。
宗教・政治・家族・お隣さん、強力に主張する人々に従ってしまう凡人、
あー私も危ない、しっかりしよう。
劇団だるま座本公演「笑って死んでくれ」
劇団だるま座
座・高円寺1(東京都)
2013/08/14 (水) ~ 2013/08/18 (日)公演終了
満足度★★★
成仏できない…
座・高円寺の企画、4人の新進劇作家シリーズ第4弾。
当日パンフの中にあった劇作家座談会の中で、相馬氏が語る作品の趣旨が素晴らしく
観劇後に読んでちょっとびっくりした。
その思いが作品に上手く投影されていないことが残念。
役者陣はよく応えているが、それだけに吸引力に欠ける作・演出が長く感じられた。
ネタバレBOX
劇場に入ると中央に丸い舞台がしつらえてあり、それを客席が三方から囲んでいる。
丸舞台の周囲に役者さんが点在していて
お笑い芸人として客いじりも入れつつ漫才(昔ながらの)みたいな物をやっている。
それがこなれていないので何だか居心地が悪い。
話は“成仏出来ない浮遊たち”の物語である。
一方は“心から笑わなければ成仏出来ない”現代の浮遊たち、
もう一方は“笑わせて満足しなければ成仏出来ない”慰問団「笑わし隊」の浮遊で、
どちらも何とかしてとにかく成仏したいと躍起になるという話である。
慰問団のリーダーの落語家(剣持直明)は、芸は下手だが顔が面白くて人気があった。
彼は戦争中「笑わし隊」として中国へ慰問に行き、
そこで死を目前にした兵隊たちが必死に笑ってくれた“ウケ”が忘れられない。
あの快感をもう一度、と遮二無二芸を披露するが基本的に下手なので
現代人の厳しいお笑いセンスにはなかなか届かず、どちらもなかなか成仏出来ない…。
このあらすじがしばらく見えてこない前半が非常にもどかしい。
“ヘタなギャグをかます芸人“の役だから面白くないのは当然なのだが
浮遊たちも笑えなくて成仏できないけれど、観ている私たちも成仏出来ない。
この笑えないパートが長くて興味を削がれてしまう。
後半落語家の妻(松生綾美)や息子(青山伊津美)、
それに戦地で彼のモノマネをしていたファンの兵隊(中嶋ベン)らが登場して
ようやく物語が動き出した感じ。
小屋番を演じるすだあきらさんが飄々とした味わいで面白かった。
このモノマネをしていた兵隊は戦死して、
落語家は軍から乞われて、彼の遺骨の前で落語を披露する。
この“人生で一番悲しい落語だった”というエピソードなどは史実でもあり秀逸。
現代人も慰問団も、“浮遊”している理由は“笑えない・笑わせられない”である。
彼らの個々の人生がもっと深く描かれたら、作者が座談会で語っているように
「笑いに乗り切れないために生きづらくなっている人」の悲哀が切実に描かれると思う。
剣持さんは下手な芸人を演じることで、逆に上手さが際立っていたが
2時間以上の長い舞台を支えたのは役者さんの力量だろう。
このストーリーを少し違う台詞、演出、1時間半くらいで観たいと思った。
砂漠の町のレイルボーイズ
とくお組
座・高円寺1(東京都)
2013/08/07 (水) ~ 2013/08/11 (日)公演終了
満足度★★★★
ファンタジー
とっても素敵な職場でおしゃれな制服を着たレイルボーイズたち。
こんな仲間とこんな仕事をして「町の人のために」なるなんていいなあ。
洗練された舞台美術でささやかな夢を共に追い続ける心優しき男たちを描いた作品。
これは自分の価値観を信じて守ろうとするファンタジーではないか。
役者陣が皆達者で、間やタイミングも含めて台詞の応酬が楽しめる舞台。
映像の使い方も面白い。
ネタバレBOX
会場に入るともう舞台上に2人の役者さんがいる。
机やソファーなど、駅とは思えない心地よさげな家具がゆったりと置かれている。
ここは「砂漠駅」、もう何年も乗降客が無く、したがって列車も止まらない。
お客さんがいないので駅員は他の商売に精を出している。
飲み物のサービス、クリーニングの受付、靴磨き、マッサージ、そして似顔絵描き。
そこへ中央からエリートが監査にやって来たのでさあ大変!
それでなくても廃駅の危機にあるのに、本来の業務でないことばかりやってるし…。
レイルボーイズたちは監査を阻止しようとするが、駅存続の行方は…?
ちょっとホテルのラウンジか会員制倶楽部と見紛うようなインテリア。
豪華ではないが上質で使い込んだ心地よさがあって何とも快適な空間。
深緑のパンツにキャメル色のブレザーという駅員は
ホテルマンのように洗練されたいで立ち。
ここに居場所を見つけた男たちは、廃駅を免れようと一致団結する。
向上心とかのし上がろうとか、そういうものとは一切無縁なところで
駅員たちは共通の目的を持ってここにいる。
いつかお客さんが来て切符を買ったら、信号を赤にして列車を止める…。
それを夢見て毎日を過ごしている。
ある意味彼らの価値観に共鳴出来なければ退屈なストーリーなのだが
私は、世間の価値観と決別する勇気を羨ましいような気持で観た。
ただ特に他で生きづらさを感じているわけでもなさそうな人達までが
このユルイ職場に固執する理由が欲しかったと思う。
ここが好きというだけでない、何か私たちと重なる傷とか哀愁がちらりと垣間見られたら
一気にレイルボーイズたちに共感して入り込んだかもしれない。
印象が“ファンタジー”なのは、“私のリアル”との間に距離が生じたからだ。
駅長さん(鈴木理学)やエリートさん(佐藤貴史)、てっちゃん(伊藤直人)、
ふりょう(林雄大)の演技が印象的だが、全員の息が合った台詞の応酬は素晴らしい。
舞台上でレコードに針を落とすと流れるBGMもセンスが良くて好き。
とくお組の舞台を初めて観たが、客演も含めてこの役者陣には次も期待してしまう。
生きている家
ゲイシャフジヤマNo.1
小劇場 楽園(東京都)
2013/08/07 (水) ~ 2013/08/11 (日)公演終了
満足度★★★
美しい骨格
舞台美術の斬新さやそれを活かした場面転換の面白さ、
そして何と言っても冒頭から狂言を取り入れたストーリーの骨格が美しい。
惜しいのは、イマドキのコント風エピソードが多すぎて
伝統芸能のそこはかとない面白さをつぶしてしまったこと。
ところどころにきらりと光る台詞があって、これこそが前田花男さんの
真骨頂ではないかと思った。
ネタバレBOX
舞台中央の丸いちゃぶ台に、枝にとまった梟のはく製が置かれている。
四畳半ほどの畳の部屋は円形で、障子が畳のヘリをぐるりと回る。
黒子が出て来て障子を回し始めると場転である。
冒頭、狂言「梟山伏」の一節が演じられ、その空気に期待が高まる。
優(まさる・山田伊久磨)と翔(かける・日下部そう)は異母兄弟だが、
翔はもう10年も家に寄り付かない。
優は現在妻と別居中で、最近とうとう認知症の父を施設に入れる決心をした。
翔は自分でウェブ関係の会社を興したばかりである。
30年前、梟の巣を見つけた優がまだ赤ん坊の翔に見せようと雨の中優を連れて山へ入り、
それを探しに行った母親が事故死するという出来事があった。
自分のせいで翔の母を死なせてしまったとずっと悩んでいる優。
一度だけそれを口にして優を責めてしまったと悔やんでいる翔。
互いに連絡を断ってしまった二人をつなぎ合わせたのは、認知症の父の存在だった…。
狂言「梟山伏(ふくろうやまぶし)」は、山へ入って梟に取り憑かれ
「ホーホー」と言うばかりになってしまった弟を助けて欲しいと兄が山伏に頼む。
山伏は自信たっぷりに祈祷を始めるが一向に効果が無く、
そのうちに兄まで「ホーホー」と言い始めてしまった。
あせって二人に祈祷をするが、やがて山伏自身も「ホーホー」と言い出す始末。
そしてとうとう三人が首を傾げて「ホーホー」…と言う話。
最初と最後にこの狂言が演じられるのがとても象徴的でよかった。
当時権威があったはずの山伏の無能ぶりが露呈されて行くさまに
客席からもくすくす笑いが起こる。
きっちりした型の中で展開するシュールな可笑しさが伝わってくる。
死んだ父親の枕もとで、優が「もう一度起きてくれよ!」と嘆くと
本当に起き上がって、鼻から脱脂綿を取り出したりする。
この父親役の重田尚彦さんの語り口がとてもよかった。
淡々と「言葉にするのが苦手」な兄弟の気持ちを代弁し、ほぐしていく。
狂言同様シュールな展開ながら、父親のキャラに自然と惹かれる。
“現代のコント”と“古典の狂言”この二つをミックスさせて
相反する笑いのタイプが共存する面白さを狙ったのかもしれないが、
共存するには狂言と言い、台詞と言いあまりにも地のテイストが上品。
この品を損なってまで挿入するほどのコントだろうかと思ってしまう。
狂言ベースで濃密な本筋が魅力的なので、削ぎ落したこれだけの舞台が観たくなる。
もっとも、それではゲイシャフジヤマNo.1の個性が失せてしまう
ということなのかもしれないが…。
『もしイタ』2013ツアー
青森中央高校演劇部
国立オリンピック記念青少年総合センター・カルチャー棟・小ホール(東京都)
2013/08/05 (月) ~ 2013/08/05 (月)公演終了
満足度★★★★★
演劇人の心意気
ずっと観たいと思っていたこの作品、東京で見ることが出来ると知ったのは
5月にスズナリで渡辺源四郎商店の公演を観た時だった。
アフタートークで店主畑澤聖悟氏が語ったことが忘れられない。
被災地の避難所や集会所での公演を前提に創られた「もしイタ」は無料公演。
セットや小道具は一切用いず、効果音はすべて肉声、人間が背景を作る。
演劇部員はマイクロバスで移動し、そのバスは被災地で会場へのピストン輸送を担う。
その部員達と共に被災地へ入ったとき、全員で海岸やがれきの中を歩いた。
皆泣きながら歩いた。
「こういう所で生活している人たちが芝居を観に来るんだ。
みっともないものを見せるな」と話した。
「もしイタ」はそういう気持ちで創られ、演じられる作品である。
次第に震災の記憶が薄れていく東京で、どうしても観ておきたいと思った。
ネタバレBOX
312人は入るという大きなホールが8~9割がた埋まっている。
青森中央高校演劇部は全国高校演劇大会の常連、
05年、08年、そして12年「もしイタ」で最優秀賞と、3度の日本一に輝く名門だから
いかにも学生演劇関係者らしい制服の団体も多く見受けられた。
開演20分前、舞台にはもう出演者全員が集合していて
「外郎売り」や早口言葉をラップにアレンジしたウォーミングアップが行われている。
これが34ステージ目だというが、前説から自然な流れで本編に入るあたり、もうプロ並み。
部員が8人しかいない野球部は、去年の県大会で60対0で負けてからやる気もゼロ。
ちんたら練習して早めに切り上げるあり様だ。
そこへ新しいマネージャ―が入って来てカツを入れようと奮闘する。
被災地から転校して来た元野球部員のケンジをようやく説得して入部させ、
次はコーチ探しとなったが、もう一人のマネージャーが連れて来たのは
なんと腰の曲がった老婆、イタコだった。
このイタコが、ピッチャーのケンジに“あの沢村”の霊を下ろしたところから
弱小ダメチームは快進撃を続け、とうとう甲子園出場。
しかし決勝戦の延長戦で、ケンジに憑依して投げ続けた沢村がついに力尽きてしまう。
ケンジ、どうする?!
荒唐無稽な話なのに、どんどん惹き込まれて行くのは
脚本の構成、台詞の上手さ、それに演じる高校生の100%出し切る演技だ。
野球部のキャプテンや、前からいる女子マネージャー、
そしてチームメイトや母親を津波で喪ったケンジの心境の変化が繊細で鮮やか。
伝説の沢村投手が、戦地で手榴弾を投げ過ぎて肩を壊したこと、
3度目の召集でついに命を落としたことなどのエピソードが挿入されるのも上手い。
「もう一度ボールを投げたかったんや」という台詞が現実と巧みに重なる。
甲子園から戻ったあと、野球部員たちはイタコにあることを依頼する。
自分たちに、ケンジの元のチームメイトと母親の霊を下ろしてもらったのだ。
懐かしいチームメイト一人ひとりの名前を呼び
「自分だけ生きて野球なんかやって、楽しくてごめん!」と叫ぶケンジ。
そして最後に母親と対面するケンジ。
この場面の、現実と霊の役の切り替えが素晴らしい。
新入りマネージャーを演じていた少女が、母親のたたずまいになっている。
力強く、明るいラストシーンで終わるのに、涙が止まらない。
作・演出の畑澤聖悟氏は、「跳べ 原子力ロボむつ」でも痛烈な現実批判をしつつ
極上のエンタメとして大いに笑わせ、最後にずしんと考えさせてくれた。
その精神は“無関心でいること・忘れること”に対する
厳しい自己批判から生まれるのではないかと思ったが、今回もそれを強く感じた。
震災後、“禁忌のエリア”“昔壊滅した場所”を何となく想像させる芝居はいくつもあった。
だが、これほど直接的に震災を描き、ことばにし、当事者に語らせて
観る者の感情を揺さぶる舞台を、私は畑澤作品以外に知らない。
私も含めてだれもが表現することに憶病になる中で
畑澤作品は「誰かを励ますには勇気が要る」事を教えてくれる。
全国の学校や自治体、企業などがこの芝居を呼んで上演してくれることを切に願う。
一過性の同情は得意だが持続出来ない私たちに出来ないことを、
青森の高校生が全力でやっている。
雲の影
スポンジ
サンモールスタジオ(東京都)
2013/07/24 (水) ~ 2013/07/31 (水)公演終了
満足度★★★★
男の「三人姉妹」
美術、照明、音楽、場面転換など隅々までセンスの良さと独自性にあふれている。
客入れの時から不穏な空気を醸し出す音楽が効果抜群で、もうその時点で始まっている感じ。
キャラにはまった役者陣の台詞が生き生きとして後半怒涛の展開が見ごたえ十分。
緩急のある台詞がスポンジの魅力だが、今回も固唾をのむような台詞が飛び交った。
ネタバレBOX
舞台手前は整体院の受付の内部、一段高くなった舞台奥は外であり、
同時にパチンコ店でもあり、スナックの店内でもある。
開演前には何か雑然とした印象を与える舞台だったが
照明に導かれてその時々のスポットに集中すると全く違和感がなかった。
この舞台の作りが面白く、場面転換がスムーズに運ぶ要因でもある。
整体師の遠藤が高校時代の同級生野村に共同経営を持ちかける場面から始まる。
野村が了承して、次の場面はもう3年後くらいである。
野村は「打ち合わせ」と称してパチンコや喫茶店で時間をつぶし
地道な営業努力よりもマスコミに取り上げられることばかり考えている。
店は遠藤が切り盛りしている状態であることが早い段階でわかる。
この店で働く女性が、逃亡中の世間を騒がせた新興宗教の教育係であったことが
一緒に逃げていた若者の自首によって明らかになる。
店にはマスコミが押しかけ、取材を受ける中で
突然店を辞めると言った女性に、遠藤が『退職金』として店の金を渡したこと、
遠藤が以前ひき逃げ事件で人を死なせていたことが追及される。
何も知らなかった野村は驚愕し、取材を切り上げて激しく遠藤を責める。
そして二人は、互いの存在を否定するかのように罵倒し合う…。
野村を演じた井澤崇行さん、俳優としてのプライドを捨て切れず
中途半端にふらふらしている男が上手かった。
後輩の活躍が面白くない辺り、子どもっぽくて逆に悪い人ではないと判る。
遠藤役の秋枝直樹さん、“逃げた”ことをずっと後悔しながら生きている人が
“逃げようとしている”女に金を渡す、観る者を緊張させる表情が良かった。
チラシ配りの矢吹を演じた星耕介さん、前回の公演でも個性的な役だったが
今回も見た目や言動のユニークさに反して
極めて普通の感覚を持った人物がはまっていた。
この人が演じる“ちょっと変わった人”にはブレない価値観が見えてすごいと思う。
役者さんの名前が良く分からなくて申し訳ないが
スナックのママを演じた女優さん、客に飲み物を作る背中が
まさに“ママ”になっていて客商売の人を良く研究しているなあと感心した。
ラスト、男二人の「三人姉妹」の台詞が良かっただけに
女性3人による「三人姉妹」は無くても良かったような気がした。
同じ台詞でもこの男二人が吐く台詞にはリアルな体験と時間の流れがある。
劇中劇にはそれがなく、唐突な感じが否めない。
誰の人生にも影を落とす何かがあって、それは一生晴れないのかもしれない。
他人はもちろん時に自分自身も、それを受け入れることは難しい。
あれほど激しく罵り合った野村と遠藤が、その後また一緒に仕事を続け
野村が初めて白衣を着て後輩の役者をマッサージするシーンに少しほっとした。
ずっと固唾をのんで観ていた私の肩もほぐれるような気持になった。
『音の世界』
劇団夢現舎
新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)
2013/07/25 (木) ~ 2013/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★
大変美味しゅうございました
1931年にラヂオドラマ向けに書かれたという作品だが
男女の“思惑”とそれが“思わぬ方向へ転がる”展開が面白く
当時最新機器であった「電話」が、不完全なコミュニケーションを助長するツールとして
主役級の存在感を見せる。
“見えないけど聞こえる”ことが、どれほど人の判断を狂わせるかを思い知らせてくれる。
戯曲料理店「野良猫軒」での”試食会”ということでお代は無料、
Aコースをいただいたが、斬新な素材選びと丁寧な作りで大変美味しゅうございました。
ネタバレBOX
横長のスタジオは、ドアを挟んで2つのホテルの部屋になっている。
一つの部屋には年配の男と若い女、年は離れているが新婚17日目の夫婦。
もう一つの部屋には、女を追って来た元恋人の若い男が滞在している。
若い男が女の部屋に電話をかけ、女は夫を気にしてごまかしながら受け答えする。
女に対する未練を断ち切れない若い男は「僕の決心はこうだ」と言って
電話口で銃声を聞かせる。
女は動揺するが、夫を外出させた後元恋人の部屋へ行き
「そんなこったろうと思った」と笑う。
そしてその場で夫に電話をかけ、
「あたし、帰れないの。あなたに申し訳ない…」と謝罪し電話口で銃声を聞かせる。
ただし、元恋人に向けて…。
夫は「妻の芝居は可愛いもんだ」と笑って電話を切るが
銃には実弾がこめられていた…。
交換手に相手の名前を告げて繋いでもらい、
耳にラッパの形の受話器を当て、本体の送話器に向かってしゃべるタイプの
古風な電話器が存在感大。
劣等感と不安を押し殺しながら妻の受け答えをちらちら見ている初老の男(益田喜晴)、
目の前の男の反応をうかがいながら電話のやりとりを聞かせる女(進藤沙織)、
そして女を呼びだすために銃声を聞かせるという手段をとった男(高橋正樹)、
3人の思惑は相手より優位に立とうとした途端、ことごとく外れる。
原因は“見えないけど聞こえる”新種のツール、電話だ。
妙な機器を媒介に、息を殺して相手の声を待つ。
この芝居では、ほとんどの場合側で会話を聞いている者がいるという状況で
そのごまかし方やいら立ちからくる緊張感が見事に再現されていた。
益田喜晴さん、今回は奇人変人(?)役ではなく、初老のせこい男を演じたが
交換手や妻との短い受け答えがとても自然で、
彼の社会的なバックグラウンドまでにじみ出るようだった。
高橋正樹さん、昭和の始めのレトロなファッションが意外に似合って
これまた未練がましい男を好演、視線に力があって切羽詰った感が伝わって来た。
進藤沙織さん、3人の中で一番度胸のすわった女を演じたが、
抑えた表情より、声の表現の豊かさでキャラクターを体現する人だ。
したたかで相手を翻弄する女を声でたっぷり聴かせる。
これがラヂオドラマだったらどんな演出で放送されただろう。
少しテンポがゆっくりに感じたが、昭和初期の時間の流れを再現したせいか。
80年後の今も変わらないのは男女の駆け引きと狡い女。
当時の電話も信用するには危険な機器だが、携帯電話はその何倍も、
たぶん危ない…。
遠くに行くことは許されない
セロリの会
「劇」小劇場(東京都)
2013/07/25 (木) ~ 2013/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★
いつか遠くに行くんだ!
一緒に遊んでいた時に3歳のゆうちゃんが行方不明になるという
強烈な喪失感と罪悪感を共有する5人は今もゆうちゃんを探し続けている。
共有する仲間がいるということは“いつまでも忘れられない”ということだ。
テンポの良い会話に笑いながらも、時に息を詰めて見守るような緊張感があり
その危うい価値観の行方が最後まで惹きつける。
シリアスな設定ながらキャラの立った登場人物による強引な展開が面白く
これはやはり“人間の強さと弱さを描いたコメディ”だ。
ネタバレBOX
舞台は和風の居間、上手にソファ、下手には長方形の座卓が置かれている。
ごはんの支度が整った座卓には、昔の“折りたたみ式はいちょう”がかぶせてあり
時代と生活感がにじんでいる。
暗転ののち、明るくなるとそこは花井家の朝の食卓で
長男篤(尾方宣久)、次男宏(長瀬良嗣)、長女淑子(岩瀬ゆき映)と
幼なじみの二人、愛(小林さやか)と千鶴子(菊池美里)がごはんを食べている。
22年前の事件以来、母は体調を崩して伏せっており父は不在がちである。
5人は今日もゆうちゃんを捜すため、張り切ってチラシを配りに行く。
この花井家にやって来る人々には思惑がある。
事件と家族を本のネタにしたい、篤の同級生だった新聞記者の久保(岡田美子)、
篤の同僚で、篤に好意を寄せるパートの青木(遠藤友美賀)など。
この二人が”世間代表”みたいな視点で絡んで来る。
そしてある日ついに宏がゆうちゃんを連れて来る。
上原優(平田裕香)というこの女性は本物のゆうちゃんなのか・・・?
後悔の念からゆうちゃんが見つかるまでは幸せになってはいけないという
暗黙のルール(時に言葉にさえして)に縛られる5人の人生は息苦しそうに見える。
22年後に現われた“ゆうちゃん”の出現によって
“ゆうちゃんさえ見つかればすべてが変わる、幸せになれる”と信じていた
彼らの価値観は強制的に転換を余儀なくされる。
優を“ゆうちゃん”と信じる姿は狂信的であり無理があり無茶苦茶である。
だがそこに、そうしなければ22年間が無駄になるという怖ろしさや
人生の折り返し地点で尚先の見えない不安に押しつぶされそうな心理が見える。
淑子の、幸せになって家を出て行く人々への激しい攻撃は
ゆうちゃんが見つかったらどうすればいいのかわからない
絶望的にからっぽの自分を認めるのが怖くてならないからだ。
“ゆうちゃんを探してあの日の5人が家族のように暮らすこと”
それが永遠に続くことしか彼女には考えられない。
この機を待っていた宏と愛は結婚のため花井家を出て行くが
篤は優と心を通わせるものの、ついに一緒に家を出ることは出来なかった。
篤の選択が切なくて、これで良かったのかと思わせる。
優に「人のために生きている」と言われ、そこが似ているからこそ
惹かれあった二人なのに、やはり遠くには行くことは許されないのか、許さないのか。
無理やりな展開の中、役者陣がそうせずにはいられない心情を見せて素晴らしい。
淑子役の岩瀬ゆき映さん、この人の人生このあとどうなるんだろうと思わせる。
周囲を振りまわす自我の強さにものすごい説得力。
篤役の尾方宣久さん、初めて優とそっと抱き合うところがとても良かった。
無意識に人のために生きている篤が、唯一抑えがたい感情で動いたシーンが印象的。
上原優役の平田裕香さん、とってもきれいな方でゆうちゃんにぴったり。
こんな子にゆうちゃんが成長していたら…と皆の期待を一身に集めるような容姿。
人は悲しみや後悔にすがって生きることもあるのだと改めて思う。
解決したら途方にくれてしまうような、解決しない状態が幸せみたいな…。
ラスト、2人減って篤・淑子・千鶴子の3人がごはんを食べるシーンにも
相変わらずゆうちゃんのための陰膳が置かれている。
20年後、40年後の淑子の側に、やはり篤はいるのだろうか。
優と再会することはないのだろうか。
いつか遠くへ行こうと決心する篤の変化が観たくなるような舞台だった。
女郎蜘蛛【全公演終了しました!ご来場ありがとうございました!】
声を出すと気持ちいいの会
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2013/07/18 (木) ~ 2013/07/22 (月)公演終了
満足度★★★
君臨してほしかった
山本タカさんが演出した劇団鋼鉄村松の「けつあごのゴメス」を観たとき
こてこてテイストをスタイリッシュに仕上げるセンスが素晴らしかったのだが
今回は元の本がすっきりしているせいかスタイリッシュにしたら薄味になった印象。
でも集団の動かし方、緊張感を呼ぶ声を重ねる演出は効果的だった。
ネタバレBOX
舞台中央に3畳ほどの畳の部屋、ここが秋葉原の耳かき専門店になったり
刺青の彫り師の仕事場になったりする。
みなみ(穂高みさき)は耳かき専門店の売れっ子従業員。
生活のため、家族のため、と嫌な客でも我慢して働いている。
次第にエスカレートしてくる勘違い客タカハシ(國重直也)から逃れたい一心で
みなみは同僚から聞いた刺青の店を訪れる。
そして彫り師(草野峻平)から「お前の本性は男を喰う女郎蜘蛛だ」と言われるまま
背中に女郎蜘蛛の刺青を彫ってもらうため通い始める。
そしてこれまでの弱い自分ではないと、タカハシに「もうこれ以上無理」と告げる。
逆上したタカハシはみなみの家へ押し掛け、祖母とみなみを殺してしまう。
実際に起こった耳かき店殺人事件と谷崎潤一郎の「刺青」をドッキング、
秋葉原の無差別殺人事件も絡めて“コミュニケーションに病む”心を浮き彫りにする。
タカハシの“コミュニケーション下手”なくせに“思いこみだけは人一倍”という
典型的な勘違い男ぶりがリアル。
検察官や弁護士の問いかけに対しても都合の良い解釈を展開して
どこまでも自分のことしか考えない困ったちゃんぶり全開だ。
あーいるいるこういう奴…と思わせる國重直也さんが上手い。
ちょっと残念に感じたのは様式美を体現する彫り師の影響が薄いこと。
あれだけ大仰な台詞と動きでみなみを説得して女郎蜘蛛を彫ったのに
肝心のみなみの変化がほとんど見られないので、彼のカリスマ性が失せてしまう。
刺青のビフォー・アフターの変化を、様式美でケレン味たっぷりに見せて欲しかった。
小さな声で客に「もう無理…」と告げる程度では彫った甲斐がないではないか。
さっさと8本の脚を仕上げて、出来上がった彫り物に憑かれたように
君臨してタカハシを喰い物にするみなみが見たかった。
その挙句に殺されて初めて、その死に方も含めて「女郎蜘蛛」な気がする。
アフタートークのゲスト、劇団鋼鉄村松の主宰ボス村松氏が面白かった。
ボスが「彫り師、間違ってるじゃん!」と指摘して客席から笑いが起こった通り
男を喰う前に殺されちゃった感が否めない。
みなみ役の穂高みさきさんに、彫りの痛みに耐えながらも変化していく
女のふてぶてしさや毒気がちらりとでも見えたら良かったが
ちょっとイメージが清純過ぎた印象。
それと、やっぱり美しい蜘蛛の彫り物が見たかったな。
遠山の金さんみたいにきれいなやつ。
だって彫り師が精魂こめて彫ったんでしょう?
客入れから劇中の選曲のセンスもいいし役者の出ハケを自由にする演出も良かった。
様式美とスタイリッシュな感覚の対比も面白い。
複数の役者が声をそろえて台詞を言う演出も、緊張感と暴力的な強さが出て好き。
24歳の山本タカさんが次に何をするのか、私はやっぱりコエキモが気になる。
波よせて、果てなき僕らの宝島(ネバーランド)
天幕旅団
ザ・ポケット(東京都)
2013/07/17 (水) ~ 2013/07/21 (日)公演終了
満足度★★★★★
なんというオープニングだろう
開演直後から、想像力を刺激する絵に泣きたいような気持になった。
繊細な波の音、風をはらんで膨らむ白い帆、美しい動き。
ピーターパンが殺されて、フック船長は呪われる。
「笑劇ヤマト魂」時代の作品の再演だというこの作品、
ダブル本歌取りは、元歌を大きく外れて行く意外性と楽しさ満載の舞台だった。
ネタバレBOX
劇場に入ると、舞台の向こう側にも客席が設けられており
二手に分かれた客席から見下す舞台にはブルーシートがかけられていた。
やがて始まる息をのむようなオープニングは、私にはまったく想定外だった。
強い磁力で観る者を一気に海へ引きずり込むような展開が
舞台表現にはまだまだ無限に方法があることを教えてくれる。
オウム役の渡辺実希さん、私はこれまで「静」の役を観ていたのだが
今回「動」の役が水を得た魚の如くとても楽しそうで、生き生きしている。
美しくて、調子の良い”悪い奴”がとても魅力的。
作・演出の渡辺望さん、豊かな創作アイデアにはいつも感服するが
役者としても、ジョン・シルバーの表裏あるキャラクターが素晴らしい。
この人はクセのある人物造形が実に上手くて、人間の二面性が鮮やか。
バンダナをパッチワークのようにつないだキュートなボレロ、
あるいは結んで繋いでデッキブラシや手すりを表現したりと
衣装や小物の使い方にセンスが感じられる。
天幕旅団の特徴である流れるようなスローモーションの動きは今回も健在で
よく訓練した客演陣もこればかりは劇団員に及ばないところがある。
スローモーションと活劇のメリハリある組み合わせで
時間の流れを表現したり、“見せる”場面転換が秀逸。
いつもながら出ハケの複雑さをそうと見せないエレガントな動作も素敵。
天幕旅団の豊かな発想と“生来の品の良さ”が
残酷なファンタジーを極上のエンタメにするところが楽しい。
元歌の底に隠れた人間の本心を掘り出すような作風が好き。
ティンカ―ベルもピーターパンも殺されちゃうんだよ!
ピーターパンは”楽しいことを考えないと空を飛べない”んだって!
あー、つまり私は天幕旅団が大好きなんだと思う。
だから何を見ても楽しくて仕方がないんだ。
こんな風にどこもやらない舞台表現を見せてくれる劇団に心から敬意を表したい。
次は12月に「天幕版 ピノキオ(仮)」だって。
加藤さんがピノキオかなあ。
もうどうしようもなくこの炎天の下、12月を想う私なのである。