シモーヌの観てきた!クチコミ一覧

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人民の敵

人民の敵

オフィスコットーネ

吉祥寺シアター(東京都)

2015/08/21 (金) ~ 2015/09/02 (水)公演終了

満足度★★★★★

装置として、また精神的も観客を巻き込む演目
初日を観た。先月末に雷ストレンジャーズで観た別の演目と同じイプセン作品。非常によかった。実力者ばかりを集めた演者陣は盤石にして揺るがない。そして観客にストレスを強くかけても描ききる「大衆の愚かさ」を前に出した構成と演出。特にこの「愚かさの表現」が秀逸。先月腑に落ちなかった箇所が本作を観て収まった。いまさらながら本作が「誠実だが頭の足りない主人公による喜劇体裁の作品」であったとに気づく。(寅さんやチャップリンと同じね) ただ重要なのは、主人公を「笑い者」にすることで「釣られて笑う観客」を装置と演出の一部として劇中へ強制的に連結しているところだ。舞台は四方が客席の所謂囲み舞台。嫌でもゲラゲラ笑う客の顔が目に入る。つまりはそれが劇中で指摘している「考えもせず迎合する大衆の間抜け面そのもの」というつくりである。まあ構成も客にとっては「参加するつもりの全くない政治集会にいつの間にか参加してしまっている」という体でもあるし。センシティブな観客は悪意を感じるだろう。しかしこの施策は原作の主題とは合致している。
「愚かな大衆」も板の上に乗っているだけならよいが板の外へはみ出すというと観る者の嫌悪感は激高となる。貞子がテレビの中から出てきちゃうようなものだ。素晴らしい演出(装置?客席配置?)である。

ネタバレBOX

この演目、観客にとって「笑ったら負け」という訳ではないと思うが、頭はいいけど愚かな主人公のストックマン博士をみんなで寄ってたかってイジメる進行であるがために、笑う客は都合「安全圏に居て嘲笑している愚者」に見えるのである。装置の一部としてだけではなく精神的にも観客を巻き込むいう点が本当に素晴らしいのかもしれない。
伝奇浪漫「芳一(ほういち)」

伝奇浪漫「芳一(ほういち)」

劇団め組

吉祥寺シアター(東京都)

2015/07/30 (木) ~ 2015/08/02 (日)公演終了

満足度★★★★

今、掛けるべき芝居に戻ってきてくれたのか、め組
平安の崇徳院が幕末の世に大政奉還を挫くため祟り神となって現れるという筋。
 
正直、昨年春から足が遠のいていたところを久しぶりに観たがまあまあまともな作風に戻りつつあって少しほっとした。
「祟り」を「怨嗟≒鬼」と読み替え「祓い」「赦(ゆる)し」との競合として描きつつ個別の怨嗟の起点に立ち入ることは慎重に避けている。都合「祓う者」というよりは「怨嗟につきあう者」と見える。決して「カウンター」ではない(そこが甘いという向きもあろうがそもそも物語の役割というのはそういう可能性を具現化することでもあるのだからしてよいのだと思う)

一方、今作は短絡的な政治視点はなくまた節操なく大義を振りかざしたり(すみませんね僕にはどうしてもそう見えてしまうのです)しないため、体感的には納得感が高く大人の鑑賞に堪えると思えた。

め組お馴染みの「死を賭してでも出向かにゃならん男の任侠を…」というようなのも、気持ちはわかる。替え難きウリだというのもわかる。でも、今それを「板の上」でやるには立ち位置を明確にしなきゃあなりません。中道嘯き煙に巻くじゃあ、これどうしたって立ち行かない。
こんなに板の上が不自由なのは、世の中の空気と呼応しているからでありまして、ヘタを打つっていうと前にも増して薄っぺらく見えてしまう。

だから、そこんところが今作は良かった。
物語は「個別の怨嗟(ヘイト)の起点」には立ち入らない。しかし怨嗟(ヘイト)にはとことんつきあう。そして「怨嗟(ヘイト)にとことんつきあう寡黙な男」にも、お馴染みの「任侠」はちゃんと見えたです。かっこよかったですよ。秋本さん。
ホンはその厄介な話に思い切って踏み込んでいるし。
平安では刃を下に太刀を吊っていて、幕末では打刀を腰に差しているところなど各所に配慮も効いていたし。

からまる法則

からまる法則

劇団銅鑼

俳優座劇場(東京都)

2015/07/30 (木) ~ 2015/08/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

高く評価されるべき作品
ボランティアのスープキッチンに自宅を供出する男とその娘を軸に地域と各個人事情とセーフティネットの三すくみの対立…と文字にすると地味だがとても面白かった。
泣かす本ではないのにベテラン勢のいぶし銀芝居が泣ける。その辺りのエンタメ方面への配慮を含めた仕事振りにも隙はなし。
一方で、気がつけばとっくに多層階級化して階級間闘争も日常化してる現代社会を静かに提示する。
「あなたが多様化した社会で生きることに同意するならばあなたは現実にはこういうことを受け入れていかなければならない」という確固たる主題をしかし押し付けてくることなく語る。大人の観賞に耐える良い作品。

フォルケフィエンデ ー人民の敵ー

フォルケフィエンデ ー人民の敵ー

雷ストレンジャーズ

サンモールスタジオ(東京都)

2015/07/23 (木) ~ 2015/07/29 (水)公演終了

満足度★★★★★

今日、余りに「今日的」な主題である戯曲
イプセン『民衆の敵』の翻案。公益に資する行動が既得権益と対立し、当の(当時でいうところの)公によって民衆の敵と認定され粛清される話。
130年前の戯曲だが民主主義の構造的欠陥を指摘した終盤の弁論部分が今に新鮮。見応え感極太。

ネタバレBOX

この戯曲は我々が生来乗っかって(しまって)いる「しくみ」の構造的欠陥を眼前に具現化するためのものであり、観客に主張のどちら側に立つか?を突きつける…というような種類のものではないと思う。なぜなら我々はこの板の上に展開される架空の話に「既に共に乗っかっている者」であるからであり、そもそもそこには実質的に選択肢がないからである。

「あー日本でも同じだ~」とか思ったり「ストックマン博士のような人がいれば~(自分はヤだけど)」という想念に囚われた瞬間、既に観客は「多数(=悪)」側であるわけで、いろいろ言い訳をしたとしてもそこから逃れるのは困難だろう。

そんな観客に対して「オマエの事だよ逃げてもムダだよオマエだよ」といいつつ「だからね、多数決はシステム破綻してるんだよ。しかも一世紀以上前に暴露されてるし」と説明するわけである。130年前に指摘されたこの民主主義の瑕疵は、その後「新・社会システム」で再構築しようと試みられて世界規模の大実験と大虐殺で大失敗を来たし今に至るんあだなあと。
 
しかし、情緒的には主役のストックマン博士が全面的に「良いヒト」風に演出されている(まあ当たり前だが)ようにもみえるが、よく考えると「オレは絶対正しいんだから(当時としての民主的な)手続きトバシて進めても全く問題ないんだよ」という横柄で選民的な人物にも見える。「手続きトバシて専制政治」という点では今日的な主題でもあるなと。今日上演する意義は高いと思う。
全公演完売!「RUN」

全公演完売!「RUN」

劇団お座敷コブラ

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2015/01/22 (木) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度

非常にもったいない公演

中程の席で聴いても何言ってるか聴きとれない役者が半分以上なのは閉口。この面子でノーマイクなら120席前後の小屋までが限界では。特に日程後半なのでなおさらつぶれ気味だったのか。身の丈に合った箱を選ぶべき。贅肉過多の本と多すぎる演者数。あまりに散漫で語る力が追い付かず内容薄いので何れも半分以下にするべき。春宮が佐藤の無念を「人殺ししてまで晴らすほど好き」という経緯を説明するくだりがない(省略されているというのではなくて単に「ない」)ので演者の演技プランが破綻していて結果単なるメンヘラ女になっている。序盤や終盤にでっぷりとついた贅肉を削ってでもこれは盛り込むべき。話の背骨が極細なのに多量の贅肉が重くて各所で複雑骨折を起こしてる。要治療。ラストの佐藤の長台詞の独白が録音なのは残念。常識的に考えてやむを得ない事情だったのかな等となるのだろうが、本来あそここそ「ピンスポの当たった佐藤のソロ」でやらなければ舞台演劇の意味がない。できなくてもできないなりにやらせるべきだし上記と並ぶキモの部分だ。やらせないのは演出の怠慢。終演時に「バージョン2が~」とかいうのは頂けない。木戸銭払った客に失礼。ラーメン屋で「次はもっと旨く作るよ」といわれたら今回はお金を取れないんじゃないのかな。言わなくてよい余計なことを言って客の気分を悪くさせる典型。このあたり次回以降は客の視点に立って考えるべし。春宮や佐藤についてる客は芝居をあまり観ない客だと思うのでこんな体たらくでも文句は言わないしそれ以前に気付きもしないだろう。都合「あれで自分には十分面白かった」という感想もまったく否定しない。しかしその脇には「贅肉過多で散漫」という感想もまたあるという、そういうこと。あのような箱であの所帯で公演を打てる力があるのだから非常にもったいない。完売で満身せず基本から見直してもらいたい。

毒舌と正義

毒舌と正義

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2014/06/06 (金) ~ 2014/06/12 (木)公演終了

満足度★★★★★

とても印象に残る素晴らしい舞台
同一構造の違う部屋にいる別の人物達を一つの場にレイヤーのように重ねて、同時進行することで時間辺りの情報量を増大させ、平行進行感をだし、かつ本筋を進めながらの構図や状況の説明などを同時に実現している。

単純な「物語の再生装置」から進化した現代演劇のテクニカルな特徴のひとつは「異なる時間や空間を多層レイヤー化して同時再生できる」ということなのかもしれない。
少なくともそれを理解してる一連の演目群には面白いものが多い気がする。

レイヤーを一枚づつ見せて終盤で全て重ねるという荒業は初めて見た。
最大4レイヤーが重複進行する濃密感はすごい。
レイヤーが多層になれば奥行きが増すのは自明。
戯曲(転じて小説・映画・ゲーム)が平行する筋を、章単位等で多層化してきた構造からは明らかに一段踏み出してる。
ニコ動を最初に見たときの動画+テキストの違和感と直後それを乗り越えて既存化してしまう流れに近いかもしれない。
但し共にこれらの良さを口で説明するのは困難だけども。

筋はいたってシンプルで凡庸(金八先生のよくある1話くらい)だが、もともとの主題が
「思ったこと正直に口に出して言ってしまうアメリカ人のような男」と、
「思惑は別にあるのに文脈(空気)を読んで机上の正解しか口にしない人達(とその視点による嫉妬などもないまぜになった憶測)」
の噛み合わない会話劇なのだろうと思うから、筋そのものは凡庸でいいのだと思う。
ついつい「会話の応酬」とか「バトル」とかに目が行ってしまうと思うが、よく思い出すと実はバトルはまったく成立していない。だってそもそも噛み合ってないんだから。意図的にそういう風に創ってあるんだから。
そう考えると、構造的には不条理劇の定番構造にも近い気がした。

少なくとも「学校の抱える問題や現状」とか「現代の教育のうんたら」とかそういうのは本作の主題とはまったく無関係で、「追い込まれた人々を密室に押し込めるために用意された道具立」てにすぎないように思う。
「蝿の王(ゴールディングのほうね)」が「少年たちのサバイバルものではない」というのと同じ。
一方でこのあたりのミスリードを誘発するような意図的な造りもヒリヒリする感じで好みではある。
この辺の見切りがスパッと見切れていてブレがないのはとても素晴らしい。

このような厄介な作品を成立させるに足る技量を持った演者のみなさんには敬意を表したい。

ジレンマジレンマ

ジレンマジレンマ

ワンツーワークス

ザ・ポケット(東京都)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★

全編シリアスでストイックな手触り
初日を観賞。
三段に分割された舞台で三組の事情聴取が同時進行する。
ご時世との地続き感が強烈なのでほとんど再現ドラマの様相で、個々のドラマはいい意味で演劇空間的ではないのにそれらが同じ空間で並行進行するという進行。
終局のでの落し処が「それぞれ個々人はよかれと思ってやってんだよ」的な帰結というか観客に判断を委ねるようなところがあるので、正直な感想としては正義云々いうにはややアレじゃないかなと思ったが、高技量の演者とシニカルで客に媚びない建て付けは個人的に満足でした。
前々回公演は観ていますが、いつも質の高い芝居で安心して体をあずけられます。

シャッフル

シャッフル

劇団スパイスガーデン

東京タワー 1F 特設ホール(東京都)

2011/10/28 (金) ~ 2011/11/13 (日)公演終了

満足度★★★★

選抜チーム観賞
Aチーム、Bチームを拝見しましたが、やはり選抜チームはよい。
特にレイモンド、大藪さん、アガサのスパイスチームは流石の押し出し。グイグイ芝居をけん引する。
台本の性質上、演者のキレ具合に負う部分が大きいのでなおさら。でも何回も見ると細かい芝居している点や、一回見ているからこそわかる小芝居などが散見されるので飽きませんでした。
「リップ・ヴァン・ウインクルの話してあげましょうか…」の台詞に主力客の女子がほぼ無反応なのが最高に笑えた。しかしこれも元ネタ観てモノマネしてる演者としてない(モノマネ下手?)演者がいるような感じでがした。
前作から観てますが、スパイスガーデンはいい劇団だと思う。努力しているし上手いし本もアテ書きっぽくでばっちりハマっているし。
好きです。頑張ってください。

鳥取イヴサンローラン

鳥取イヴサンローラン

ロ字ック

シアター711(東京都)

2011/11/08 (火) ~ 2011/11/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

恐るべきしかし普遍的な風景
公開ゲネで観賞しました…すごくよかった。

演劇的ファンタジーをまったく使わず描く女の生理が凄まじい。
たしかにある意味で表現上は暴力的でもあるが、これを見て「普段目にすることの無い女の側面だと本気で思う男」がいるとすれば、悪いことは言わないのでその男とは別れた方が良い。

男側が自分を誤魔化さずに女をよく観察していればそんなに物珍しい側面ではないはずである。が、「それを隠すべきが女である」という価値観に生きる男が多いのも確かではある。
それは「見ないようにしている」「見えないことにしている」のである。
なんかこの辺で感じたのは「結局は放射能漏れてる」という事実を「(あるのに)ないことにしている」という人間心理などと通底している点である。

また、終盤に至ってもけたたましく笑っている男性客の様子を見て思うのは、こういう場合、男ってのは反射的に対象を嘲笑して自己防衛するということ。
この演目は「それらの男性客を観て笑う芝居」かもしれぬということ。深読み過ぎか?

また、これを観て「結構普通の女の風景」と感じる女性と「露悪的な風景」と感じる女性がいると思うんだが、男は上記も含めて押し並べて「静かな悪意の圧迫」と感じるのではないか。
男(金山)が端的なステレオタイプに集約して「モノ化」してあるのもあるのだが、そもそもこの芝居は「女」や「男」を「真面目にやってない人」には男女問わず意味不明で下品なだけに感じるかもしれない。

男性客におせっかいをするならば、ある部分については「そこで笑ったらアンタ負けだよ」って芝居かも(人生勝ち負けだけではないが)。
もしくは「場違いに笑う男性客」を観ていろいろ感じろと。
そういう意味ではまあなんと観客と一体になって創っている芝居だろう。

ロ字ックの芝居は、男を連れて行って反応や感想からそいつのレベルを判定するのにちょうどいいツールにもなると思う。
女性側も「相手に対してわかっているけどみないことにしていること」が明白になるのではないだろうか。

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