満足度★★★★
今、掛けるべき芝居に戻ってきてくれたのか、め組
平安の崇徳院が幕末の世に大政奉還を挫くため祟り神となって現れるという筋。
正直、昨年春から足が遠のいていたところを久しぶりに観たがまあまあまともな作風に戻りつつあって少しほっとした。
「祟り」を「怨嗟≒鬼」と読み替え「祓い」「赦(ゆる)し」との競合として描きつつ個別の怨嗟の起点に立ち入ることは慎重に避けている。都合「祓う者」というよりは「怨嗟につきあう者」と見える。決して「カウンター」ではない(そこが甘いという向きもあろうがそもそも物語の役割というのはそういう可能性を具現化することでもあるのだからしてよいのだと思う)
一方、今作は短絡的な政治視点はなくまた節操なく大義を振りかざしたり(すみませんね僕にはどうしてもそう見えてしまうのです)しないため、体感的には納得感が高く大人の鑑賞に堪えると思えた。
め組お馴染みの「死を賭してでも出向かにゃならん男の任侠を…」というようなのも、気持ちはわかる。替え難きウリだというのもわかる。でも、今それを「板の上」でやるには立ち位置を明確にしなきゃあなりません。中道嘯き煙に巻くじゃあ、これどうしたって立ち行かない。
こんなに板の上が不自由なのは、世の中の空気と呼応しているからでありまして、ヘタを打つっていうと前にも増して薄っぺらく見えてしまう。
だから、そこんところが今作は良かった。
物語は「個別の怨嗟(ヘイト)の起点」には立ち入らない。しかし怨嗟(ヘイト)にはとことんつきあう。そして「怨嗟(ヘイト)にとことんつきあう寡黙な男」にも、お馴染みの「任侠」はちゃんと見えたです。かっこよかったですよ。秋本さん。
ホンはその厄介な話に思い切って踏み込んでいるし。
平安では刃を下に太刀を吊っていて、幕末では打刀を腰に差しているところなど各所に配慮も効いていたし。